2018年12月31日月曜日

大晦日

昨日は珍しいことがあった。囲碁が下手な小生に「教えてください」と言う殊勝な青年が現れたので、午後から碁会所に行き夕食を一人で外食する羽目に。結局帰宅が8時を回ってしまったのでブログは休むことにした。睡眠はいつも通りにとれている筈だが、今朝起きると喉が少し痛い。碁会所の一画にビニール囲いの喫煙ルームがあるにはあったが、70人くらいが狭い場所にひしめき合っていたし、暮れの30日に碁会所に来る人間なんか変な人間が多い。まして場所が新宿である。帰宅してすぐ風呂は入ったがうがいをしなかった。悔やんだところで後の祭りだ。

開けて今日は大晦日、昨夜の夕食もそうだったが、ここまで来ると飯を誘っても付き合ってくれる人間は見当たらない。一人で忘年会をしても面白くないだろうし、第一今年は忘れるわけにいかない多くの出来事があった。それにしても昨年暮れの28日、妻の急逝以来風邪もひかなかった。毎年どこかで一度は耳鼻咽喉科のお世話になるが1年以上よくもったものだ。後2年無事であれば目出度く80歳、何とかその辺まではと思うのが我が抱負ではあるが、何も特別の策は無い、急に寒くなったから少し厚着をすることが良いかもだ。

昨夜は凄く寒かったが、帰宅すると郵便受けに妻が応援していた区会議員の挨拶が入っていた。この寒さの中、夜回りで投げ込んだらしい。気の毒に思って礼の電話をすると、塀にポスターを張らせてほしいらしい。妻の存命中は全て断っていたが、これも功徳だろうと思い引き受けることにした。彼は豊島区では珍しい無派閥だ。来年は統一地方選挙だから公明党や共産党が喧しくなるだろうが、それはその時のことにする。区会議員の選挙は義理を果たせばいいだろうが、東京都のこと、国のこと、世界平和のことなど気懸りなことは沢山ある。

いい大人が嘘をついたり、お金に不自由無さそうな人間が公金をやたらに無駄遣いする我が東京都に我が日本だ。世界が平和になるようにお伊勢さんに願掛けしてきたが、どうも聞き入られそうな感じがしない。来年もまた不満たらたらのブログになるだろう。

PS
現在2018年12月31日 18時

何もすることがないのでネット碁「パンダネット」の来し方を検証してみた

総対局数:8349  勝ち:4098  負け:4251勝率:0.49

勝敗数
4098 勝 4251 敗

レーティング対局数
8321 局
現在のポイント
15428
段級位
6級★

世界ランキング
10863 位

日本ランキング
7510 位

囲碁は1万局打てば有段者になると聞いていた。しかし6級★は6級では比較的上位の意味ではあるが、初段には一生掛かっても届きそうにない。

2018年12月29日土曜日

来年の予定

毎年この季節になるとテレビなんかもイレギュラー番組となり、観たい番組も放送されなかったりするので実に不便だ。代わりに登場するのが来るべき年の予測観測、そこそこの言論人や実業家が八卦見宜しく来年を占うが、当たろうが当たるまいが、視聴者にすれば「だからどうした?」で面白い筈もあるまい。切実なのは焦眉、当面の問題、雪国であれば今降り続いている雪の始末をどうしようか、或いは正月明け早々からの受験準備が間に合うかどうかである。

我が家にとって大変なのはゴミ出しの問題だ。今日で燃えるごみの収集が終わり、来年1月5日まで生ごみが出せない。女房が存命の昨年までも、正月は女房が宿下がりで独居していたが、女房不在でも台所に立つ習慣が無く、都内のホテル泊したりして食事の不自由は感じたことがなかった。ところが現在は毎朝生ごみの生産に励んでいるので、これからの1週間は昔に戻って3食完全外食にしたいが、最近は正月に休む飲食店も増えているので、その計画も立て直す必要もある。

先ほど今日と明日と元日の作戦は一応たてたが、31日と2日から4日までは未定だ。特に31日は難儀で、これから作戦を練る必要がある。ともあれ正月のホリデーシーズンを乗り切れば、後は野となれ山となれで、何とかなるだろう。個人的来年最大のイベントはヒマラヤ山麓のトレッキング。1月12日から打ち合わせで長野に1泊旅行。2月27日から3月10日までが本番で埋まった。翌週13日から3日間は志賀高原でスキー。帰ってくればそろそろ桜の便りが聞こえてこようと言うものだ。

月が変わって4日はもう満79歳、その先に入ってる予定は医者通いばかりで、胸が高鳴るようなことは何一つありゃしない。

昨日間に合わなかった27日のヤマレコは下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1686726.html

2018年12月28日金曜日

老化防止

昨日は久しぶりに高尾にハイキングに出かけた。早朝最寄りの駅に着いてから携帯電話を忘れてきたのに気が付き、取って返したので早々から2千歩ほど余計歩く羽目に。それでも高尾の登山口には9時前に到着、このところ気に入っている稲荷山コースからハイキングを開始。1時間20分で高尾山々頂に到着。御用納めの迫った平日だから流石に空いているし、何と言っても天気が最高、富士山がバッチリ威容を見せている。

朝早く来たのは陣馬山まで行くつもりだったので、余り休憩せずそのまま次の峰を目指す。脇を見ると「ここから裏高尾へ」の看板があり、景信山120分、陣馬山5時間と書いてある。そんなには掛からないだろうと思うが、当たらずとも遠からずだ。余りのんびりは出来そうにない。取り敢えず昼飯は影信山と決めて急がないまでもペースを落とさず歩き続けた。が結局、景信山到着は12時を少し回ってしまった。

30分ほどの休憩の後、陣馬山を目指し歩き始めたところ、1時間ほどしたころで突然両足が硬直して1歩も踏み出せなくなってしまった。よくあることだが、内股の大腿二頭筋がつってしまったのだろう。激しい痛みで足をどうしても持ちげることが出来ない。仕方がないので立ったまましばし休憩をして内股を中心にマッサージ施し、やっと少し動かせるようになる。歳のせいもあるだろうし、普段の心掛けも悪いのだろう。

今後は少し大腿二頭筋と四頭筋の鍛え方を勉強する必要がありそうだ。兎も角陣馬山で何とか辿り着いたが、ここからバス停までの降りがまた鬼門。高尾山から陣馬山での裏高尾の登山道は非常に整備が行き届き素晴らしいコースだが、ここの降りの4.7キロは最悪、急勾配で木の根が入り組みルートが定かでない。陣馬山頂を2:45に出発して陣馬山下バス停到着が3:50。バスは毎時25分発なので35分もある。発汗量が半端でないし、幸いバス停には人っ子一人いなかったので下着を迄脱いで着替えることが出来た。

4時25分のバスは15分も前に到着してすぐ車内に入れてもらえたのが嬉しい。客が一人だからだろう。池袋に着くと既に6時を回っている。昨年までは、山に行った日だけは夕飯にビールが出て、山で撮った写真をテレビに映しながらあれこれ話をしたものだ。それが出来ないのが寂しいが、昨日は独りでビアホールに入りビールを片手に亡き妻と乾杯をして語り合った。

今日は妻の命日、本当の一周忌。親族を寄せての法要は月初に長野で済ませたが、やはり東京で葬式を出してくれた寺に挨拶せずに済まないと考え、参列者は自分一人だけだがと頼み込んで法事をして貰った。お経を聞くのも焼香するのも一人だけは珍しかろうが良いものだ。帰宅すると葬儀屋からタイミング善く花が届いた。さすが江戸の葬儀屋は気がきいている。

ヤマレコは明日上げる予定です。
29日11:30下記にアップしました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1686726.html

2018年12月26日水曜日

積年のつけ

来年の世界が心配と書いたばかりだが、それより先に日本も相当ヤバくなりそうだ。国会の絶対過半数を背景にやりたい放題傍若無人の振る舞いを続けている安倍首相が新年に向けて総理が、昨日テレビの囲み取材に応じ短いコメントを発表した。毎度のことであるが「新しい日本を切り開くために緊張感をもって全力で当たりたい。」との趣旨だが何一つ具体的なものはない。これまでの6年間、数に頼った安定感が売りの政権だったが、政権の安定感が失われそうだ。

力の弱い人間が全力でと言うなら分かるが、最高の権力を持つ者が何で今更全力などと言わねばならないか、全く分かっていないお人だ。この1年だけを振り返っても何か成し遂げたことがあるのか?本人が一番分かっているだろうが、何も無い。昨年来いたずらに北朝鮮の脅威を煽ってきたが、トランプ大統領にはしごを外されさぞ悔しいだろうが、北朝鮮拉致被害者のことなど全く忘れたみたいだ。

慌てて北方領土問題に切り替えて汚名挽回を図るつもりで、プーチン大統領の癖球に飛び乗り、進捗している格好をつけたい様子が見え見えだ。しかし領土問題なんか一朝一夕でどうにかなる問題では無いことは衆目の一致するところ。とても正気の沙汰には見えない。憲法改正も創価学会の抵抗で公明党の説得も不可能。世界経済の雲行き悪化でアベノミクス3本の矢は何処を彷徨っているかさえはっきりしない。

公明党に気を使って消費増税絡みで要らぬ妥協をして、複雑怪奇な増税案を無理やり国会を通したものの本当に消費税アップを断行出来るのだろうか?自分の政治生命を賭けてやり通せば、有終の美と褒めてやりたいが、どうもまた延期なんて事にもなりかねない。このところテレビに映し出される顔色は全く病人のようだ。病人と言えば二階幹事長は生きているのだろうか?何れにせよ全て身から出た錆そのものと言うべきだ。天網恢恢疎にして漏らさずとはよく言ったものだ。

2018年12月25日火曜日

為政者の目線

一昨日の天皇誕生日、その前日に皇居で開かれた今上陛下最後の記者会見については多くの人が感想を述べたが、政治家特に与党にあっては誰一人感想を聞くことが出来ない。恐らく政権トップから意見を控えろとの指示が出ているのだろう。現代は有難いことに陛下が仰ったことが活字だけでなく、居ながらにして肉声がYouTubuで何回でも繰り返し確認できる。政権幹部は声涙ともに降ったこの会見を何と聞いたか知りたいものだ。

国家国民の象徴とは下々からすれば意味不明な存在であるが、平たく言えば常に国民一人一人と同じ立場に居続ける存在である責めを負わされた人とも言える。会見に接した非常に多くの人が大きな共感を覚えたことは疑いの余地がない。誰から見てもこれほど見事に己の責務を弁え、忠実に実行出来た人は古今東西そう多くはいないだろう。少なくともマスコミで感想を述べた人間で、内容の過不足を唱えた者は知らない。

しかしマスコミに登場せず、陰で内容が政治的に過ぎぬか、政権への不満が滲み出過ぎていると不満を唱えている連中がいることは容易に想像できる。そしてそういった輩に限って表に出ると、国粋主義者ぶって天皇制護持とか教育勅語とか言いたがるとしたものだ。「美しい日本を守り伝えるため、「誇りある国づくりを」を合言葉に、提言し行動します。」を標榜をしている日本会議なんて意味不明な組織のメンバーもこの会見のお言葉を拳拳服膺すべきだ。

少し話が変わるが、2歳年上で衆議院議長まで務めた伊吹文明氏がいる。彼は既に大長老で総理に遠慮する必要は無いだろうし、自民党員の中では比較的穏健、中庸かと思っていた。しかし彼もやはり官僚出身故だろう、物事を数字でしか見ることが出来ないかとがっかりしたことがある。先週日にちは失念したがBS・TBS「報道1930」にゲスト出演した時のこと。確か予算案に関連してのことであった。

局が準備した児童養護施設「子供の家」の取材に対し「私はこういう取り上げ方は賛成しかねる。」と異を唱えた。要するに国家はあらゆる層に目配りした福祉政策を立案しなければならないし、安全保障政策もまた福祉政策同様重要な課題である。従ってマスコミが子供の貧困に特化したアッピールをするのは良くないとの趣旨だ。正に旧大蔵官僚丸出しの意見。数字だけを見ての判断で人生を送ってきたことが分かった。一人の金持ちが1億円稼ぎ、残り99人千円しか稼げなくても平均すれば全員が百万円ずつ稼いだことになる。

政治家の目の付け所と政治の在り方について考えさせられた。

2018年12月24日月曜日

読後感「恐怖の男」
ボブ・ウッド・ワード著 伏見威蕃訳

アメリカ大統領トランプ氏関連本は何種類か店頭を飾っているが、本書が発行されるまで購入を控えていた。著者は言うまでもなくニクソン大統領を辞任に追い込んだワシントンポスト紙の元記者、現在も編集主幹を務めている。他の本は何れもトランプ政権内部にいた人が書いていることを思うと、客観性に優れているのではと思ったからだ。

本書がアメリカで発売されたのは今年の9月11日、忽ちベストセラーとなり日本版が発行された時点の1か月後で130万部を売ったとされている。著者は前書きで本書がジャーナリストの基本ルールで作成されたことを強調して「本書は数百時間に及ぶインタビューと会議メモ、個人の日記、政府の文書、個人の書類をもとにしている。但しトランプ大統領は本書のためのインタビューを断った。」と付言している。

誰しも思っているだろうが、トランプ政権は非常に不安定だ。先週末もマティス国防長官の辞任が発表され、マティス氏自身が辞任の弁を発表、大統領が後任人事を決め、引継ぎがスムースに行われるため辞任は2月末にするとした。と思ったら今朝になると大統領がこれを否定、来月早々には辞めてもらう。そもそも彼を国防長官に任命したのが間違いだった。と怒りの会見である。一体アメリカの政権内部はどうなっているのだろうか?

日本のように一枚岩といかないまでも、少し酷すぎるのではと思わない方が不思議だろう。本書はそこのところを見事に説明してくれている。最大の理由はやはり大統領自身の性格にあろう。大統領は彼自身が立てた目標達成のためであれば、嘘をつくことに関して罪悪感を全く持ち合わせず平気で嘘を言う。意思決定に際して最大の判断基準が損得と銭勘定にある。人間関係においても国家間の同盟関係においても裏切りに関して気にすることがない。

何事においても論理的な合理性より最終的には力ずくでも勝つことに意味を見出す。従って軍隊・軍人は重用するが、その戦略的地政学的意味に関する理解は無きに等しい。読むほどに超大国の指導者に相応しくない性格が浮かび上がってきて恐ろしくなる。しかしどうして彼がヒラリー・クリントン女史を抑えて当選できたのだろうか?やはりあのスティーブ・バノンなる映画プロデューサーの戦略が当たってしまったようだ。

現在では彼も首になっているが、投票結果が出る前はトランプ氏自身半信半疑で、政権移行準備は全くしていなかったのも事実らしい。この辺は映画監督マイケル・ムーア氏の見立てと同じだ。来年の世界は相当にヤバいと思うしかない。

2018年12月23日日曜日

来年を期して待つ



一昨日書いた通り個人的にも今年は何かと大変な年だった。昨日は冬至、1年で最も日が短い日で、普通であれば柚子湯にでも入って南瓜の煮物をつまみに
一杯やるかてな日だが、この日を以て大つごもりとしようと勝手に決めてお伊勢参りに行ってきた。神道の宗教上から言えば不浄の身での参拝は許されないとしたものだろうが、年末か年始の伊勢参りは個人的習慣なので斟酌しないことにした。

個人的習慣は何となくであるが、別に大きな理由がある。というのは妻の実家で今年93歳の義母が、毎年手土産に持参する赤福餅を大変心待ちにしてくれている現実がある。宗教上の禁忌よりは親孝行という現実問題を優先すべきと考えても罰は当たらないだろう。てなことで昨日は早起きして家を6時に出て夜8時半に帰宅。お陰で歩行距離は1万7千歩も稼ぐことが出来た。現地は昨日雨模様だったが、こんな暖かな伊勢参りは初めてと言えるほどの暖かさで大助かりだった。

今日も一陽来復とはならず首都圏は終日降ったり止んだりのぱっとしない天気だったが、横浜の義母の許に赤福餅を持参。勿論大変喜んでもらい、義弟(義母は一人住まいで近くに住む義弟が毎日面倒を見に通っている)と3人で来年を期そうと細やかな宴を設けてもらった。義母は膝が悪いので外出は出来ないが、料理にしても話す内容にしてもなかなかのものだ。一人住まいが逆にいいのかもしれないので大いに見習うべきだろう。

ともあれ剣菱の冷酒と普段自分では食べられないような寿司などをご馳走になってほろ酔い気分で夕方帰宅。ブログのアップもいつもより1時間遅くなったが、我が家の正月だったのでご寛恕願いたい。

2018年12月21日金曜日

顧みてこの1年

年の瀬ともなると世界中の人々がこの一年を総括し、新しい歳への抱負を述べるのが普通だ。昨年の暮れに妻に先立たれ、今年の春には弟まで冥土へ旅立つことになり、悲しみの一年でもあったが、独り身になった故の新しい発見もあった。来年は気を取り直し新たな峰を目指して歩み始める年にしたい。以上。そこで直近の発見について書きたい。昨日行われたプーチンロシア大統領の記者会見である。趣旨は今年の総括来年への抱負、新聞でも報道されてはいるが、大きく取り上げている新聞は少ない。

この行事は毎年恒例のようであるが、知ったのは今年が初めて。これも独居するようになって、毎朝NHKBS1のワールドニュースを2時間見る習慣になったお陰で世界の動きが大分わかるようになった。一昨日以来ロシアのテレビ局は前日の準備段階からこの会見を宣伝していた。世界中の記者約1700人が入る会場を用意し、昨年を例にとるとプーチン氏が一人で4時間演説と言っていた。

そんな長時間何を喋ると思いきや、今朝の映像を見て納得した。プーチン氏が一人で、と言うのはちょっと勘違いしそうだ。1700人のジャーナリストの質問に一人で対応すると言う意味である。彼の広報官は少し離れたところに座っていたが、口を挟んだ様子は確認できない。世界中から詰まったジャーナリストに勿論日本人もいたのだろうが、残念ながら質問出来た形跡はない。しかし会場の熱気は凄まじいものがあり、参加者が我を競ってプラカードを掲げ指名を待っている。

指名はプーチン氏がその場で決めていたようだが、記者からの質問が又極めて興味深い。4時間のイベント中確認できた映像は10分強だから押しなべて言えるかどうかは分からない。しかし記者からの質問はユニークなものが圧倒的で、我が国総理官邸の記者会見における予定された質問とは全く趣が異なるし、大統領の答えも軽妙洒脱で見習うべきと思うが、頭が空っぽの日本の政治家には無理だろう。

例えばアメリカのアフリカ系女性記者が「貴方は世界を支配したいと思っているのか?」と質問するとすかさず「もちろんだ。」と答えたうえで、アメリカの国防予算7000億ドルとロシアの予算460億円を引き合いに出したりしながら、トランプ政権の中距離核戦力(INF)廃棄条約を破棄が如何に世界平和を毀損するかを説得した。国名は分からなかったが、どこかの男性記者「貴方は再婚する気が無いのか?」には「貴方は奥さんがいますか?(イエスの答えを受けて)それが一番お幸せでしょう。」とのやり取り等々。沖縄問題にも触れ、日本に主権があるのかどうか疑問が残るとも語ったようでもある。

2018年12月20日木曜日

昭和館

昨日、冬晴れの好天に誘われ皇居近くを徘徊してきた。先ずは一ツ橋にある如水会館での昼飯。ここは一橋大学の校友会館であるが、レストランは一般公開されており、東京会館直営の美味い洋食が食べられる。ランチ定食(サラダバー、デザート付き)1080円は都内随一とも言える。未だ冬至には数日あるがサラダバーに置いてあったパンプキンサラダが特にに美味かった。往路だけでは運動不足なので、帰りは神田の古本屋街から九段下を抜け飯田橋まで歩くことにした。

途中九段下まで来ると娘が婚礼をした九段会館が見当たらない。天井崩落などがあったからだろう。大きな覆いが有って中はよく分からなかったが、取り壊しではなく、どうも改築しているようでもある。その横の交番の脇にあった「昭和館」のポスターに目が止まった。何回も通った道だから建物があるのは知っていたが一度も入ったことは無い。昨日はもともと国会図書館にでも行こうかと思いながら、休刊日なのでこんなところをぶらついている。よし一度はてなことで入ってみた。

東京が如何に広いとは言え平日こんな場所に来る暇人はいるのかね?と思いながらではあったが、やはり東京は大都市である。収集された資料をパソコンで見ることが出来るブースは70%ほど埋まっていた。厚労省援護局所管ではどうせ大したことあるまいと、半分冷やかし気分でブースに入り、少し検索をしてみた。ところがどっこい、アメリカ公文書館やら一般人からも大分提供があったことが窺える資料が豊富である。入館無料なので5分か10分のつもりだったが、昭和20年代に制作された映像「日本の悲劇」を見始めたら途中で止められくなってしまった。

終戦直後の共産党系のニュース配給会社制作のようだ。先の戦争の反省を込めて作られているが、身につまされたのが次の2点。「戦争の原因の一つは、海外に市場を求めた日本の産業資本市場拡大、外国製品との競争ぬ勝つため生産性の向上を生産工程の合理化より安い労働力に求めた。そして軍部と結託した資本家は戦争で大儲けをした。」「敗戦が迫った時フィリピンからの撤退に当たって参謀本部が現地司令部に下令した命令文書。そこにはマニラの街を焼き尽くせ、そして住民には、食料はおろか水も与える必要なし。焼き尽くす一画に封じ込めてもろとも焼いてしまえ。と書かれている。」

如何に歴史に学ばないか、1世紀近く経っても未だに安い労働力に頼る日本の資本家、軍産複合体だけが太る戦争に加担したがる政治家。日本でもアメリカでも浜の真砂とと同じ盗人だろう。そんな思いで時間の経つのを忘れてしまった。

2018年12月19日水曜日

少しは役立ちたい

安倍晋三氏に政権を託したのは国民の総意である。いくら反対票を入れたと嘆き、その傍若無人振りに悲憤慷慨しても所詮は負け犬の遠吠えに過ぎぬことは分かっている。従って1兆円もの大金を投じて戦闘機を購入したり、5年以上も先に稼働できるかどうかのイージスアショアなるミサイル迎撃ミサイルの陸上基地設置を決めたこと、或いは航空母艦を2隻も建造すること等々に絡む、政権の軍国化路線について、言いたいことは山のようにあるが敢えて開陳せずにきた。

同様に沖縄県の辺野古への基地移転についても、よそ者でもあるし何か書いても屁のツッパリにもならぬだろうとの思いで書かずに来ている。しかしここに書くことはひょっとすると何かの役に立つのではと思って書かせてもらう。以下は元外務官僚・天木直人氏のメルマガからの引用である。

12月17日付<辺野古阻止の起死回生策はこれだ!>
きょう12月17日の東京新聞が一面トップで書いた。

辺野古阻止をトランプ大統領に嘆願する署名運動が始まったと。
その要旨はこうだ。
米政府に嘆願する権利は合衆国憲法修正第一条で認められている。
署名開始時期から30日以内に10万筆集めればホワイトハウスは対
応策を検討し、60日以内に回答しなければならないのだ。
この制度は、世界中の人が米政府に直接働きかける仕組みとして導入
され、13歳以上なら居住地や国籍に関係なく署名できるとされている。
これはすごい。
日本人も署名に参加できるのだ。
米国憲法上認められた権利を行使すべく、沖縄出身の米国人(ハワイ
在住)が署名活動を12月8日に始めてくれたというのだ。
いますぐ辺野古反対の日本人は署名に参加すべきだ。
10万どころか何百万、何千万の署名が集まるかもしれない。

12月18日付<署名は10万人を超えました>

わたしもすぐにしました。しかし、もっともっと大きくしなければいけないし、そうなるでしょう。
署名に参加することは簡単です。
以下をクリックして、名前とメールアドレスを書き込むだけです。
そしてすぐに確認のメールが来ますのでそれを確認して終わります。
https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa

頁を開いたら右肩にある「Sign In」をクリックしてください。

2018年12月18日火曜日

来年度予算案

現役時代を思い出すと最近の霞が関官僚もいい気なものだ。昔は次年度予算案決定は大晦日、まかり間違うと翌年持越しなんて年もあった。これも一種のお祭りのようだったかもしれぬが、それでも関係者は予算案決定までは役所に詰めなくてはならなかった。家族にすればお父さんは国のために働いている、又は働かされているとの思いもあったろう。それが、概算要求期限が8月に制度が変わって以降、徐々に姿が変わって遂に冬至前に予算が上がってしまう。

これが本来の姿であったのかもしれぬが、だとすれば予算の執行も早めなければいけない。理想を言えば4月からだろう。そのためには年末からであろうと国会の審議を繰り上げなくてはいけない。自分が知る限りにおいて、昔は予算案が上がると次の国会で予算が成立するまでの約半年間は霞が関のお役人はほぼバケーション状態。予算関連の団体やら地方に視察を繰りかえして遊びまわって良いとされていた。

特に指定職とされる幹部職員は国会終了後異動になる可能性が高いので翌年のことを考えても意味が無いのだ。思うに国会議員が半年も休むのだから、お役人も休ませてもらうてな理屈になっているのだろう。普通のサラリーマンや企業家には盆暮れほんの一時期短気休暇はあるだろうが、通常は月-金か月-土の繰り返しが当たり前だ。地方自治体では、それでも国民と毎日の対応があるが都道府県以上の官庁は基本的に中央と同じだろう。

予算が決まらなければ何も動けない筈。誰も不思議に思わないのが逆に不思議だが、12か月を前提に組まれた予算の執行を9か月間で消化することに無理があり、3月の駆け込み工事が杜撰になるのは当たり前だろう。通年国会の開催を主張する声もたまに聴くことがあるが、誰も真剣に耳を傾けない。議事堂に議員会館と議員宿舎、総理官邸とコケ脅かしの如く見かけだけは江戸城に以上にご大層だが、こんなもの国民の生活にとってクソの役にも立たない。

無駄遣いの極みであるのは勿論だが、中にいる人間にも問題が大ありで怠けものだらけと言える。

2018年12月17日月曜日

人材不足

日本の総理大臣の周辺に群がるいわゆる政府高官(3役)の面々について、何を考えているのかちょっと理解しかねる。政府の主たる官庁のトップはごく稀に例外はあるが、少なくとも選挙で国民から選ばれた国会議員で形成されている。その信任は総理に一任されているので、選ばれた人物が適任であるか否かは検証の仕様がない。結果は既に多くの人が知る通りだ。

任命された人物も何らかの欲得ずくだから、総理に対しては一生懸命ゴマをする。本音では安倍氏を尊敬していない者もいるだろうが、折角ありついた政府高官の椅子を蹴ってまで総理に楯突いた人間はいなかったように思うし、今後も出てこないだろう。

そこで思うのが、このところ報道を賑わしているアメリカ政府高官人事である。年内に相当な入れ替えがあると報じられているが、日本同様アメリカも大分人材不足のようだ。トランプ氏が就任したのが昨年の1月だから、もうそろそろ2年になろうと言うのに閣内が非常に不安定である。中でも伝えられている大統領首席補佐官のジョン・ケリー氏の退任は政権にとって大きなダメージなるに違いない。

首にするのかケリー氏が見限ったのかは明確ではないが、安倍政権に譬えれば菅官房長官が辞めるようなものだろう。流石に後任が見つからなかったにと見えて、後任は「首席補佐官代行」の肩書で取り敢えず凌ぐようである。ここに充てられたのが行政管理予算局のミック・マルバニー局長なる人物であるが、日本で言えば財務省佐川元理財局長程度ではと見たら眼鏡違いかな?兎も角ニュースが流れた途端、彼がテレビのインタビューでトランプ氏をケチョンケチョンにやっつけている映像が放送されている。

僅か1年ほど前のことらしい。マルバニー氏も今は考えが違ったと言い、トランプ氏も昔のことと受け流しているが日本では考えられない構図である。アメリカに限らず諸外国では、組織のトップに与えられる権限と責任そして報酬が明確になっているのが普通のようだ。従って報道だけでも分かり易いところが好きである。比較するに日本の場合、政府高官の権限と責任が奈辺にあるか分かっている人はいるのだろうか?

2018年12月16日日曜日

年末の雑踏

好奇心が強いので新しい物や珍しいものはすぐ欲しくなるが、すぐに飽きる悪い癖がある。飽きると周りに置いておくのが嫌になって、今度はすぐに処分してしまう。物に限らず知恵でもお金でも溜めることが苦手なのかもしれぬ。物でもなんでも使い方も下手だから性格的にはあまり褒められたものではない。冬になってくると家の中もさっぱりしすぎるから風通しばかりよすぎて、実に寒々としているが、それでも空間の多い方が好い。

確かにさっぱりしすぎると、季節が進むにつれあれが無いこれが無い、と困るものやことが次々と起きてくるが、それはそれで仕方ないとして百円ショップに買い物に出掛けたりしている今日この頃である。世間一般では近年まれに見るボーナスが支給されたようで、街には買い物客が溢れんばかりだ。これは結構なことだと感じているが、分からないのが宝くじ売り場の行列。

先日の同窓会の折、いつも遅刻なんかしない友人が開会間際に汗を拭きながらやってきた。聞くと、有楽町の売り場で宝くじ購入を頼まれ30分以上並ばないと買えなかったそうだ。皆さんボーナスが入ったことを愛でながら洒落のつもりでお買いになるのだろうが、根がケチのせいか紙くず同然のものに譬え千円と言えど払う気にはならない。否、夢を求めていると言う人もいるだろうが、寒空に30分以上並んで何がしかのお宝を手にしたら夢が叶うのか?想像もしなかった大金が急に手に入ったらどうするのだろう?

他人事だと思って余計なことを書いてしまった。兎も角、町は年末気分が充満しているが、自分にはどうもしっくりこない。当たり前だが妻の命日が目前だから仕方ない。飽きっぽい性格ながら、女房だけはただ一人49年間。良く持ったものだと自分で感心しているのだから世話はない。

2018年12月15日土曜日

泉岳寺


愈々極月半ばの15日、高知沖のアメリカ空軍の訓練ではないが、本所吉良邸外に夜半轟く山鹿流の陣太鼓、東門と西門から一斉に押し入ったるは表に大石内蔵助を筆頭に大高源五など、裏は堀部安兵衛、不破数右衛門など総勢47名旧浅野家の浪士の面々、迎え撃ったるはこれまた腕に覚えの小林平八郎、清水一学をはじめとする上杉家中のお侍さん約40名だ、チャンチャンバラバラ血沸き肉躍る大チャンバラの始まりだ。

子供の頃は宮本武蔵、荒木又右衛門、忠臣蔵が最も好きな三題話だったが、その史跡である吉良邸も泉岳寺も行ったことがない。今日は朝から天気が良いので運動がてら泉岳寺に行くことにした。吉良邸は最近両国方面に頻繁に行くので何時でも行けるだろうと後回しにする。アクセスを調べると地下鉄だと門前まで行ってしまうので、敢えて山手線の三田駅から歩いてみた。三田駅は大学時代3年も乗り降りした駅だが、駅の様子も周辺の状況もすっかり変わっていたが、懐かしさは感じることが出来た。

ところで泉岳寺に墓がある忠臣蔵四十七士であるが、義士祭は昨日だったそうだが今日も天気が良いので人出は結構あった。今考えれば、食い扶持を貰っていた会社を潰され、再就職を果たせず浪人を余儀なくされた者たちが、倒産の原因となった一人の年寄りを逆恨みして徒党を組み、深夜その自宅に押し入り首をはねて殺したのだから穏やかでない。現代っ子がどう考えるか分からないが、我々はそれ(仇討)を美談として刷り込まれて育った。江戸時代には庶民に対しては、大岡越前さまのように個人的な裁量になるがお上によるお裁きがあり、罰も様々であったようだ。

しかし武士に対してはそれが無かったらしい。否、無かったと言うと語弊がある。武士に対する罰は種類が非常に少ない。上司の命令で閉門とか蟄居は聞いたことがあるが、武士の間違いは基本的に自分で断罪して死もって贖うとされていたようだ。間違いを犯すことがない人生なんか常識では考えられないから、とんでもない職業とも言える。本堂にお参りの後、四十七士の墓の一画に行って一束100円の線香を買ってそれぞれの墓に線香をあげてきた。墓の横に木札があり誰の墓か分かるようになっている。

一番若いのが大石主税の享年16歳で年寄りは83歳の人がいた。これらの人がチャンバラに加わったとは思えないが、切腹したことだけははっきりしている。我が国は不思議な国か普通の国か、外国人もいたがどう思っただろうか?

2018年12月14日金曜日

今頃どうして

こちらが知らないだけで多分昔からあったことだろうが、地球上には生まれた国を捨てたくなるほど悲惨な国が沢山あるようだ。そう考えると日本はマシな方だろう。ところで、歳のせいだろうが今年はやけに訃報と喪中案内の葉書が多い。長い人生の中で、ある日突然外国に行くと告げられそのまま消息が分からなくなった友人が二人いる。一人は高校時代の1年先輩、卒業式の前日その先輩が後輩を前に宣言した「俺は大学にも行かず就職もしない。卒業したらすぐブラジルに行く。」

先輩にどんな動機や伝手があったかは今記憶にないが、昭和33年のことだから、日本がこれから高度成長になることは誰も想像しなかったのだろう。逆に言えば、それだけ選択肢が多かったのかもしれぬ。びっくりはしたが、当時は北朝鮮にしろソ連にしろ隣の芝生が青く見えた時代でもあったのだろう。翌年の34年3月卒業の我々の代になると、卒業生の半分程度が大学進学を目指すようになった。

もう一人はそれから大分経って就職して後のこと、恐らく昭和47又は48年くらいの頃だ。会社の9期後輩が突然辞めたいと言い出した。直属の部下で慰留する責任があったので大分話をしたが、どうしてもイギリスに行きたいとのこと、確か友人が向こうに居ると聞いた気がする。この頃高度成長の真っ只中、毎年給料が15%は上昇していたように記憶する。彼はそれにも満足せず更なる高みを目指したと理解している。

二人ともそ後の音信は途絶えたままだが、会社の後輩の方はイギリスで結婚をして旅行会社か何かを立ち上げ立派にやっていると風の噂に聞いた。彼の同期生が今年亡くなったと奥さんからの喪中はがきが届いたので思い出した。高校の先輩は存命なら来年もう80歳の筈、どうしているだろうかと突然思い出した。人間は社会的動物だから、一人で暮らしていくことは本当に難しい筈で、それを克服しうる強い意志の持ち主もたまにはいるだろうが、一人で外国に渡るなんてことはおよそ想像を絶している。

ここに紹介した先輩や後輩はきっと誰とでも友達になりやすい性格だったのだろう。何れにせよ多くの友がいたが、今となると消息不明やら忘却の彼方に沈んでしまった友がなんと多いことよだ。

2018年12月13日木曜日

果たして来年は

未だ冬至には日にちがあるようだが、今月は陽射しが少なくて日中の短い日が多い。今日も晴れの予想だったが、大外れで小雨が降ったりして実に陰鬱な日になってしまった。先日清水寺の坊さんが書いた今年の漢字は「災」。縁起でもないがその通りだから仕方あるまい。かと言って来年何か明るい兆しがあるだろうか?日本が再び災いに見舞われることがないとしても、罷り間違えれば世界が災いの渦に巻き込まれないような気がする。

米中関係、米ロ関係、欧州の混乱、中東の混乱どれをとっても一歩間違えれば戦争になりかねない。大国同士は流石に戦争になれば一巻の終わりが分かっているだろう。しかしアメリカの軍産複合体は戦争が無いと困るようで、しきりに代理戦争の火をつけて回っている。とばっちりは日本にもやってきている。無駄な兵器を買わされ、アメリカの新兵さん宜しくアメリカの鬼軍曹に人殺しの訓練を授けられている。もはやこの現状は止めようがないところまで来ているが、当事者である自衛隊員はどう思っているのだろう?

「何れは自分も最新鋭の戦闘機を乗りこなし、真っ暗闇の中で空中給油を受けることが出来るようになりたい。」なんて思っているのだろうか?若い人の就職環境が良くて、就職先には不自由が無いようだから、敢えて自衛隊を志望する人数は減っているのだはないだろうか。政治家は無責任だから、防衛予算が膨らみ続けているのは高い兵器を買うためであって、隊員の手当てその他に回る余裕はないみたいだ。

我が家の向かいに住み、娘が家庭教師をした息子さんは自衛隊に入隊して、看護師の資格を取得して除隊した。今は2児の父として看護師をしながら平和に暮らしている。これが多分大正解だろう。

2018年12月12日水曜日

映画のようには?

外交と戦争は紙一重の筈、だから外交に関するニュースは余りに少ないうえに記事がどこまで本当か分からない。悪意をもって言えば、マスコミ諸氏は殆どが政府発表からしか記事を起草し得ないのかもしれぬ。日本の新聞にはまだ載っていないが、韓国の中央日報の記事に興味が惹かれた「北朝鮮が金正恩委員長の異母兄・金正男氏暗殺事件にベトナム国民を関与させたことについて謝罪したと11日、ベトナム外交筋が明らかにした。」そうだ。

ベトナムと聞くと何となくひ弱なイメージだったが、この交渉経緯の詳細を読むと中々どうして強かなものだ。ある意味でトルコの対サウディ以上かもしれぬ。今や世界中の国が諜報機関の中に007のような組織を持つのが当たり前のようだ。丁度1か月前に読後感に挙げた「自衛隊の闇組織」を読むと日本でさえ非公然ながら自衛隊の中で組織化されているようである。但し、自衛隊の中では国家的な謀殺は実行し得ない。官邸直轄でないようなので未だ半人前(故に却って無責任でヤバいかも)と言ったところだろう。

トルコにおけるカショギー氏の暗殺事件やマレーシアでの金正男氏暗殺事件を例にとるまでもなく第3国での国家による殺人行為は、幾ら金と暇ではないが入念な計画や相当な資源を投入しても容易でないことが分かる。サウディアラビアの実行部隊が、カショギー氏の遺体を本当に強い酸で溶かして下水にでも流したとすればトルコは手こずるだろうが、それでもトルコは相当サウディを追い込んでいるようだ。

今日のこの報道に興味が惹かれたのは理由がある。偶々昨日国会図書館で、1960年文藝春秋1月号に掲載された松本清張氏の力作「日本の黒い霧―下山事件の謎」を読んだばかりだからである。著者松本氏は相当言葉を選んで書いているが、内心これは占領軍の組織的謀殺と信じていたようだ。

ここに3件の事例を挙げたが、松本氏の推論を借りると(全て警視庁をはじめとする日本の警察関係の検証結果がベースになっている)これだけ大仕掛けな事件は関わる人間の数が膨大となり、それぞれ横の連絡がないので全体像を知っている人間はごく限られる。そしてそのグループ内に必ず当事国人(下山事件では日本人、トルコではトルコ人、マレーシアではマレーシア人)が存在する。

外国での完全犯罪は難しい。反逆者は本国で法に基づいて処刑すべきだろう。

2018年12月11日火曜日

憧れが灰色に

子供の頃から先進国と言えば西洋、ヨーロッパの国々が日本のお手本であったと承知していた。自分も一度は行ってみたいと憧れを持っていたがその夢は果たせず遂に今日に至った。半世紀以上になるが、その間に西洋事情は欧米事情となり今や欧州以前に米国が来て、アメリカの方が文明先進国と錯覚している人の方が多いだろう。これは言うまでもないだろうがメディアの問題が大きく関わっている。新聞からラジオそして映画がやってきてテレビの情報がそれを遥かに凌駕して現在に至っている。これが今ネット情報に代わる訳だが、とどうなるかが分からない。

小学校に上がって文字が読めるようになった頃、我が家には子供向けの本は1冊もなかったが、友人の家に行くと戦前発行された講談社の絵本が置いてある家が多かった。それで触発されたせいもあろうが、外国のお話はアンデルセンにせよイソップにせよヨーロッパ発の物語かアラビアンナイトのように今風に言えば中東のお話。アメリカ発はトムソーヤの冒険くらいだったと思う。子供だからドイツもイタリアもフランスもスイスもポーランドもどこにあるか、どのくらいの大きさかなんか想像がつくはずがない。ひょっとしたらアメリカもそのうちの一つ思っていたかもしれない。

いい加減な知識の事など関係無いが、その憧れのヨーロッパが今とんでもない混乱状態に陥っているようだ。20数か国が欧州連合として纏まった時は流石文明先進国と感心したし憧れも一層強まった。今やその連合もある意味では崩壊しかかっているのではなかろうか?所謂EU(欧州連合)から幾つかの国が分離するだけならまだしも、イギリスのように分離ししたくても分離できるのかどうか、仮にできても一つの国として纏まっていけるのかさえ分からないようだ。

もちろん遠い国々のことでもあり、知見も乏しいので正確な事情は知りようもないが、イタリアにせよスペインにせよフランスもドイツも文明先進国で民主主義のお手本のように思っていた国がとんでもない混乱状態にあるように見える。これで欧州連合が空中分解でもしたらどうなるのだろう?国と国の戦争にはならないだろうが、それぞれの国内がどう鎮まっていくのか、他国のことながら憧れがあった国々だけに心配でもある。

2018年12月10日月曜日

高校同窓会

昨日昼過ぎから銀座のホテルで高校の同窓会があり、夕方には立食パーティーがあってワインなど少し頂いたりして帰宅したが、夜大分冷え込んだようで3時近くに目が覚めたら寒くて寝付かれなかった。已む無く電気毛布を引っ張り出して敷いたら、今度は寝心地が良すぎたのだろうすっかり寝坊をしてしまった。そして今日であるが、ここに出席したら出席しなかった人のために報告書を書かなくてはならない。その報告書を書いていたらもう4:30、ブログを書く時間がないので報告書の一部を抜粋してブログに代える。

我々の1期下でNHKの報道部員だった人の講演から:、当時韓国のソウル駐在だった氏がロスの支局長拝命は1981年だったらしい。特命としてロスオリンピック放映権交渉が課せられた。オリンピック組織委員会長サマランチ氏の下でロスの組織委員長に就任したのがピーター・ユベロス氏、未だ若干40そこそこの若者(旅行会社か何かをしていたらしい)、彼との折衝を通して見たアメリカビジネス社会の感想である。

当時オリンピックは何処でもお荷物で、前回のカナダのモントリオールでは地元もかなりの赤字を背負った経緯がある。日本の放送権料は約5千万円だったそうだが、日本でも余りハッピーではなかったのではと推察。当時はレーガン政権下で金利が今と異なり20%近かったと言う時代だから一概に言えぬだろうが、ユベロス氏の合理的精神と相まってオリンピックが商業的に成り立ってしまう大きな一歩が記された。これに直接コミットした話だけに非常に多く考えさせられることがあった。

氏がユベロス氏を最初に訪問した時驚いたのが組織員会が設置された場所や姿。みすぼらしいなんてものではなかったようだ。ところが、放送権料として吹っ掛けられた金額は225億円モントリオールの50倍近い金額。ユベロス氏は、アメリカのABCが450億円で決まったので人口が約半分の日本はその半分出せ、との理屈。一放送記者の花岡氏も参ったろうが、それでも90億円まで値切ることが出来たそうだ。

兎も角ロス五輪はスタジアムや宿泊施設などほとんど新設せず、全て既存の借り物で済ませ、商業的大成功を収めたこと。そしてユベロス氏はその手腕を買われてアメリカ大リーグのコミッショナーに収まったこと等々。スポーツ界にアスリートでない人間が乗り込んで商業化することの是非はあろうが、日本のように訳も分からない政治家が乗り込んで、国民の税金を無駄に使いグチャグチャになっている現状を思うと非常に興味深かった。

2018年12月8日土曜日

ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ

今日は12月8日、毎年大東亜戦争開戦について書いていると思うので昨年と一昨年のブログ同日付を読み直してみた。今日でも同じことであるが、先の大戦を評価することはとてもできない。ただ単にその戦争のただなかに生まれ、戦後の70数年を無為に過ごしてきたとの感想だけである。両親や記憶に残る他の先祖たち、そしてその同世代の人たちが望んだ生活や日本を私は実現しただろうか?子や孫たちにどんな人生を送ってもらいたいと願っているのだろうか?

しばし考えるに、自分は先祖が望んだであろう平和で安逸な人生を送ることが出来たと思う。しかしこれは自分の努力は少なく、それこそ戦陣に散った方々を含む先祖のお陰そのものと考えるべきだろう。言い換えれば先祖が残してくれた財産を食いつぶしてきたような罪悪感を感じなくもない。子孫に残すべきことはなにか、父が良く口にした「児孫のために美田を買わず」に甘えてはいないか?反省しきりであるが、両親が望んだことはそんな小さなことよりもっと先を見据えたことだったような気がする。

父は故郷を離れて長野市内に自分を先祖とする「代々の墓」を態々建てたくらいである。従って美田より子々孫々平和裏に長続きすることを願ったに違いない。とすると男子に恵まれず家名を引き継ぐ子がいない小生は忸怩たる思いである。それでも苗字は違うが子供が二人いて子孫は残すことが出来たので、勝手に一応及第としておこう。問題は彼らが我が世代同様、安閑と人生を過ごすことが出来るや否やである。孫の世代は現政権を圧倒的に支持しているようであるが、理由はその安定感にあるとのことらしい。

若年層が安定感を買っているとは驚きだが、この原因は我々の世代にあるのではないか。父母の世代が無言のうち我々に託した本当の課題は「我が国が偽りの独立に惑わされず真の独立をする」ことにあったように思う。小生は典型だと思うが偽りの独立の心地良さにどっぷりと嵌りこんで長い時間を過ごしてしまった。その付けが今の若者たちの考えに反映されているのだろう。嘗ての敵国に服従し何も彼もが偽りで覆われてしまっている現在の日本だ。

のほほんと過ごした人生を顧みて、この蟻地獄から這い出すための努力を全くしなかったことが慙愧に堪えない。

2018年12月7日金曜日

恐ろしい世の中

生きていくために知るべきこと、知る必要があることは何か?そんなに多くは無い筈とも思うが、例えば曜日毎のゴミ出しの種類とか大勢の人が知っていることで自分が知らないと困ることは結構ある。この1年で学んだことは多かった。一方、稼ぎに繋がる仕事から全く離れてしまったので失った社会的知識の量も相当なものだろう。先月末にスマホを購入したので、ここ数日スマホに関する知識を少し吸収すべく努力をしているが、若干無駄の抵抗のように感じてしまうほど難しい。

と思っていたら、タイミングよくと言っては語弊があるが昨日おかしな事件が立て続けに起きた。一つはソフトバンクのスマホが長時間通信不能となったこと。今朝の報道によると同じ事がイギリスなどを含め世界11か国で同時発生したらしい。二つ目はファーウェイのCFO(似たような略語が多くて困ったものだが組織のトップかそれに近い地位だと思う)がアメリカの要請でカナダで逮捕されたこと。両者ともその意味するところが未だに十分理解できずにいるが、これがこれから数年生きていくために理解すべきことかどうかもよく分からない。

スマホはドコモショップで購入したファーウェイの製品だったが、普段使っていないので直接の被害は無かった。しかし、何故ソフトバンクの製品にだけに被害が及んだのか、納得できる説明は未だに聞けない。言われているのは電波を中継する基地にあるのがスウェーデンのエリクソン社製の機械で、ここのソフトウェアに不具合が生じた、とのことだけである。手前勝手に理解すると、ソフトバンクの中継基地に置かれている機械のメンテナンスはエリクソン社がリモートで行っていることになる。

読者の皆さんがパソコンをお使いであれば経験されていると思いますが、頼みもしないのにマイクロソフト社が勝手にパソコンに入り込んでソフトの更新をしていますね。そこで二つ目の事件について納得ができた気がします。トランプ大統領が中国の一私企業を目の敵にして虐めるのか不思議でしたが、考えてみれば、どんな通信回線を利用しようともファーウェイ製品の端末情報をファーウェイ本社が掴むことはそんなに難しいことではなさそうです。

しかし、似たような会社はアメリカにもたくさんある訳ですから、中国に限って「盗み」と見做すことが妥当かどうか分かりません。盗まれるのが嫌であればトランプ氏が言うように使わないようにするしかないでしょう。映画の中では携帯電話を掛けようとした瞬間に当事者が爆殺されるシーンがよくあります。トランプ氏も携帯を愛用しない方が良いかもしれません。

2018年12月6日木曜日

閉じ籠りの1日

先ずお詫びと訂正をさせて頂きます。一昨日アメリカ元大統領ブッシュ氏の葬儀について「国葬に近いようだ」と書いてしまいましたが、国葬そのものでした。

昨日の本葬には各国の首脳が大勢参列していましたが、日本からは福田康夫元総理が参列と報じられています(姿は確認できません)。総理や副総理はしょっちゅうふらふら外国訪問をしていますが、最重要同盟国の国葬に欠席だそうです。日本人の他人への接し方を「おもてなし」とか言ってアッピールしても、肝心な時に居なくても誰も気にしない、即ち相手側にすれば勘定に入らないのだろう。間が抜けていると思うのは少数派と言うことか。

季節外れの暖かさが続いていたが、朝から雨模様でやっと少し年末らしくなってきた、4時を過ぎたらもう点灯しなければどうにもならない。冷たい雨は昼過ぎには上がったが、太陽は出ず気温は下がったままだ。徘徊する気もしない日だったので昼食を早々に済ませて帰宅。歩行数が1万歩に届かないがたまにはいいだろう。久しぶりに部屋の中やパソコンの中身を整理して、後は日曜日長野に行くとき用に買いながら全然読めずにおいてあった本「日本史の新常識」文藝春秋編を読んで過ごした。

面白いことは面白かったが、何分にも項目が多すぎ読後感を書くほどのことは無い、否、出来ないと言った方が正確かもしれぬ。新書版1冊に序章の通史は別にして第1章<古代>から第5章<幕末、明治>があって各章に5項以上設けられて全部執筆者が異なる。若い執筆者が多いが、自分の歴史知識が浅いことを実感できた。

2018年12月5日水曜日

領土問題

暇人には様々な時間の過ごし方があると思うが、小生は毎朝ネットで日経・朝日と日本唯一のクオリティーペーパー日刊ゲンダイのネット版で見出しをチェックすることにしている。今朝目に止まったのがその日刊ゲンダイに書かれていた3日の衆議院沖縄・北方特別委員会の記事『河野外相で交渉大丈夫か? プーチンの切り札に“答弁不能”』である。勿論大丈夫なわけがないのは先刻承知だが、暇に任せて問題の委員会を直接視聴してみた。

元外相の前原誠司氏の質問場面であるが、ここで大変勉強になったことがある。先日安倍首相とプーチン大統領の間で「北方領土問題については1956年の日ソ共同宣言の原則に戻って交渉を加速しよう」なる報道があり、今回アルゼンチンでその日本側責任者に河野外相、ロシア側はラブロフ外相と言う形での合意がなされたと承知している。これで2島返還でも決まれば結構なことだろうが、容易であるまいとの解説も多いので、意味が分からず釈然としなかった。

しかし、今回両氏やり取りを聞いて大分意味が分かったような気がする。今まで思っていたのはプーチン氏やラブロフ氏がやわな日本人からするとタフネゴシエイターだからな厄介なんだろう、てな小学生程度の理解だった。それもあるだろうが平和条約交渉とは本質的に重要且つ重い課題があるようで、日本側にそれを捌くだけの準備があるかどうかが根本問題のようだ。これを読者の皆さんにも知って頂きたく、僭越ながら以下に簡単に紹介させていただく。

先ず平和条約交渉の基本原則には次の3条件がある。「1.戦争状態の終結2.賠償問題の解決3.領土問題の解決」とのこと。そして日ソ共同宣言に於いて1.と2.については既に解決済みらしい。従って残るは北方領土に関する問題の解決と言うことになるが、この問題最大のポイントが「国境線の画定」とのこと。これは単に問題となっている島のどこに線を引くかだけだなく、条約に記載されなくても互いの国境を認め合うことが重要となるので簡単には済まぬだろうと言うわけである。

即ち、尖閣や竹島を日本領土と認めさせ得るか、逆にクリミヤや東ウクライナをロシア領土と認めるか、と言った第3国(主に中国、韓国やアメリカ)を巻き込む複雑なネゴが必要のようだ。当然ながら前原氏から国会で突っ込まれた河野氏は何一つ答えられずに冒頭にあげた日刊ゲンダイの見出しになってしまった訳である。

2018年12月4日火曜日

政党色と個人的意見

人は誰にでも個人的見解があり、似たような考えを持つ人間が集まって政党を結成する。即ち個人的考えを社会に反映させるための力を得るためである。徒党を組んで社会的力を得ることは趣味に合わないが当然の行為で、そのことについては誰からも批判されることは無い。しかし政党を構成する人間同士の考え方が完全に一致することはあり得ないだろう。従って日本のように議会における党議拘束なんてことが当たり前になっている国は少ない筈だ。

でもそれは仕方がないとして、アメリカの元大統領ジョージ・ブッシュ氏のお葬式に関する報道を観ていて感じるのが、彼の国における政党と個人の関係のありようである。ブッシュ氏は現役時代バリバリの共和党員レーガン大統領の副大統領を8年も務めたそうである。ところが、その後で大統領に就任するも1期4年で民主党のクリントン氏に敗れて1期しか務められなかった。後に息子のブッシュ氏が同じ共和党から大統領に就任したりしたが、一昨年の大統領選挙では民主党のヒラリークリントン氏を応援したとのこと。

息子のブッシュ氏がどちらを応援したか聞き漏らしたが、同じ政党人でもトランプ氏の政策は支持できなかったようだ。しかし当然ながら弔辞を読まないと報じられているトランプ現大統領も元大統領の死に対し敬意をもって様々な形で対応している。確かに民主党の元大統領クリントン氏やオバマ氏の方が夫人同伴でおより深い哀悼を捧げているようだ。国葬ではなかったようだが、報道を観る限り国を挙げそれに近い丁重な葬儀だったのではなかろうか。

先日は仙谷由人氏のお別れ会があった。一昨日妻の1周忌法要を終えたばかりなので余計感じるところがあるのだろうが、日本の政党人の葬式のありようを思うとどこか空々しい。沢山人を集めればいいと言うわけでもないだろうし、政治家の弔辞なんて聞いていると、どれも秘書が作文したようなものばかりだ。死して尚、党議拘束されているようで可哀そうに感じる次第である。

2018年12月3日月曜日

あわや!だった

昨日の長野はとても冬とは思えないような暖かでしかも快晴。昼前から菩提寺の昌禅寺で家内の一周忌と両親の年忌(23と13)法要を合わせて執り行って頂き、集まって頂いた親戚一同とお寺のご住職とで市内のホテルでお斎の宴会。終わったのが3時近くだった。それからまた2次会の様なもので古い友人と会い、夕食をご馳走になって帰宅したのが夜の9時。7時に長野を出て9時には帰宅しているのだから便利と言えば便利になったものだ。

荷降ろし症候群と言う言葉を聞くが、昨日のイベントは手違いも少しあったが概ね良好に推移したと自負している。そのせいか2度の食事でも大して飲んだわけでもないのに流石に少し疲労感或いは脱力感があって、今朝は朝食の後にお茶を飲むつもりでやかんをガス台に乗せたままつい他のことに手を出したら、娘から慰労の電話などがあってそれを忘れてしまった。8:45に出かける予定をしていたのだが朝から居眠りをしたらしい。気が付くともう9時前、大変だと思って家のなかを一回りすると台所でやかんから猛烈な蒸気が出ている。

我に返って慌てて栓を止めたがお湯が殆ど無い状態で殆ど空焚き状態。独居老人事故の典型になるところだった。今後ますます可能性が高まるだろうから、気を付けなければいけないと反省しきりな1日である。

2018年12月1日土曜日

不心得者

今日は約半年ぶりの前立腺がんの経過観察日、大病の後は5年生存率が言われるが3年半近くになる。血液と尿検査の結果は大きな問題は無いとのこと。特にヤバそうな自覚は無かったものの、お医者さんから言われると健康のお墨付きをもらったようでホッとした気分にもなる。しかし血液検査の項目を子細に見ていくと半年前と比較して数値が悪化しているところが散見される。やはり食事管理の専門家が居なくなったせいだと思うが、こればかりは何とも仕方がない。

その専門家が居なくなったのは昨年末の28日だが、明日早めの1周忌法要をすることにした。何処の家庭でも年末は何かと忙しいだろうから、本当の近親者だけに声を掛けて長野の寺迄来てもらうことにした。寺は長野市の北でやや山寄りになっている。父が出身地、上田市の寺に話を付けて自分で菩提寺と決めた寺である。ところがその父が亡くなったのが25年前の11月25日、葬式が丁度明日と同じ12月2日と決まった。しかし当日大雪になり菩提寺で行えず、急遽市内の平らな場所の寺を借りて執り行ったものだ。

明日はその父の25回忌も併せてしようと寺には頼んである。ところがある友人にその話をしたら「お前、仏事に25回忌なんて無い筈だぞ。」と笑われてしまった。成程ネットで調べると23回忌と27回忌は一般的らしいが、25回忌なんてのは何処にも出てこない。しかも明日は仏滅でお日柄も悪いとされる日だ。そもそも母親の1周忌法要だからとイニシアチブを取っているのは長女でもあり、祖父のことを思い出してくれただけでも有難いし、寺でもそんな話聞いたことがないとは言わなかった。

どうせ前から不心得の無信心、何かにつけ型破りを辞さず、変わり者と自覚しているので勝手にさせてもらうが、別に罰当たりなことではないだろう。幸い明日の天気は暖冬の影響か長野も晴天となりそうだ。

2018年11月30日金曜日

日本のお白洲

日本の常識で世界標準からかけ離れていることはいろいろあって、現在はすっかりマスコミから遠のいている竹村健一氏の口癖が「日本の常識は世界の非常識」だったことを思い出している。そもそも日本は3権分立を掲げているが、現政権では司法が政府(行政)の下に取り込まれていることが明らかで、このことが前から実に嫌な感じだった。それに加え最近日産のゴーン氏逮捕のニュースに関連して新たなことが分かり、別の角度から我が国の司法制度を考えてみたくなった。

考え始めると特捜検察制度とかもあるが、もっと普遍的と言うか基本的なところで、日本の司法、特に検察制度には世界標準からすると相当な時代錯誤的なところがあるらしい。欧米の小説には推定無罪をテーマにしたものがかなりあり、映画でもそれを思わせるシーンは何回も観ている。日本も建前は同様らしいが、容疑者が警察から検察に送られると同時に殆ど犯人扱いになるらしい。高手小手に縛り上げられてはいなくても大岡越前守様のお白洲に引き据えられた泥棒と思って良いようだ。

ゴーン氏がどんな大悪人かは知らぬが、畳生活に慣れぬ外国人であることだけは確かだ。仄聞するに拘置所の独房は3畳一間で、そこでの生活はとても推定無罪、人道的とはとはとてもいかぬらしい。検察のリークや日産の告発者の声ばかりがマスコミを賑わし、ゴーン氏側弁護人の声はさっぱり聞こえてこない。当然ながらマスコミは前者の情報で金持ちを羨む下司の勘繰りを煽って視聴率稼ぎに精を出す。ワイドショーには弁護士も登場するが、弁護人の同席も許されず拷問宜しく「有り体に泥を吐け」と締め付ける検察のありようを非難する人間はいない。

名著「国策捜査」で有名な佐藤優氏は家族との面会も1度も許されることなく5百数十日拘置所にぶち込まれた経験を持つが、拘置所の扱いについてラジオで喋っているのを先ほどネットで聞いた。想像を絶する酷さだ。外国の有力メディアがその非人間性を厳しく論評するのも当然かもしれぬ。日本のテレビ新聞は何故その論評が無いのか、それほどまでにお上に楯突くのが怖いのか?日本のマスコミも世界の非常識だ。

2018年11月29日木曜日

歴史の根深さ

外交問題だからどこに問題の根っこがあり、何が是であり否であるか難しくて判断できないが、昨今の日韓関係でとても気になっていることがある。日本政府のもの言い方に明らかな上から目線を感じることだ。韓国は昭和26年のサンフランシスコ講和条約の際に戦勝国の1員となることを主張したものの当時連合国側をリードしていたアメリカ政府によって「日本軍として戦ったのだからそうはいかない」と拒否され、条約にサインしなかった経緯がある(韓国の言い分を認めると日本の賠償額が莫大になりすぎると同情してくれたらしい)。

そして昭和40年に日韓基本条約が結ばれるまで様々な交渉経緯があるようだが、この条約締結に際しても日本側は植民地支配を認めず、そこは玉虫色のまま両国間の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく日韓関係正常化などが取り決められた。とされている。従って日韓関係は非常に根の深い問題を抱えていることだけは間違いなさそうだ。

韓国人と同級生になったのは大学に入ってからのこと、後に知ったが彼は帰化せず韓国籍のままだったようだが、帰化人のつもりで付き合っていた。もちろん彼が戦勝国人風を吹かせることもなければ、こちらが卑下することもなかった。社会に出てからいろんな場面で韓国や北朝鮮国籍の人と付き合うことがあったが、皆日本語がうまいので付き合いやすい外国人との印象が強い。韓国の人口は日本の半分以下だが、男性の殆どが軍隊経験者だ。スポーツが強いのもそのせいではと思うし、更に長幼の序に対する意識が日本人より遥かに強い。

他にも日本人とはどこか違うので、敬意をもって付き合う人が多い。だから政府高官の物言いが気になるのだ。数日前BSフジの「プライムニュース」で日韓問題の特集があり、日本人代表で自民党参議院議員松川るいさんと言う女性が出ていた。経歴を見ると、東大から外務省出身で外国語は英仏韓中の4か国語を使うエリート。議員としては1年生であっても優秀な人であることは分かる。

話し方も自信たっぷりなのは結構だが、番組中に韓国人出演者に対する発言「日本は韓国に対してずーっと謝り続けてきたではないですか、どこまで謝ればいいのですか?正直に言えばもう飽き飽きしているのです。」があってこれに相当な違和感を覚えた。「いい加減にしろ!」は喧嘩の常套句。確かに昭和22年小学校入学以来、日本が朝鮮を植民地化して独立主権国朝鮮に対して迷惑を掛けたとは一度も教えられたことは無い。

彼女もそうだろうが優秀だから歴史はよく分かっている筈。我々の少年時代は日常的に彼等を馬鹿にしたような言動があったのも事実。しかし40代女性にも同様な言動が見受けられるのだから歴史は根深いものだ。

2018年11月28日水曜日

自動車のこと

今や運転免許証すら無いが、高校卒業した当座は自家用車が大きな夢だった。関連して、アメリカ経済の好調は日本のそれと異なり本物かと思っていたが、月曜日に米国大手自動車メーカーGMが、北米(カナダを含む)5工場の稼働停止と工場労働者1万5千人の削減を発表した。トランプ大統領が外国製自動車の輸入関税引き上げで頑張ろうと言う矢先のことなので少し驚いた。

アメリカには日本の経団連的な組織が無いとしても、政権と財界トップの蜜月は変わらないだろうにと思っていたが、そうではないらしい。大統領がGMのトップに不満を直接伝え、今日の報道では電気自動車への補助金停止に言及したようだ。日産の例を引くまでもなく不採算部門の合理化は企業業績の回復に資するだろうが、1万5千人の失業者を産む経済的インパクトは相当なものだろう。

それに比較すると日本政府と財界の蜜月は健在で、消費税を上げようと言う騒ぎの中にありながら、自動車関連の税金を下げて自動車をより買いやすくする意向のようだ。どちらの社会がより住みよい社会かは分からないが、日本人であることをやめる訳にいかないので日本が住みよいと言うことにしておこう。しかし日本人の自動車離れは遅かれ早かれ始まるだろう。都会では既に自動車を所有しない世帯が出始めているらしいが、ご近所でも高齢化が主な原因だが車庫から車が消えた世帯が現れ始めている。

現在の産業構造の中で約20%を占める製造業の統計を見ると、最大のシェアを持つのは食品産業と輸送用機器で、次に電気機械と一般機械がほぼ同じ水準で続く。依って自動車産業が日本経済の中心的役割を担っていることは間違いない。若い世代が自動車所有に興味を示さなくなりつつあるようだし。世の中の大きな流れは車から離れつつあると思う。何れにせよ経済の中心が揺らぎ始めていることに違いはあるまい。これが税制の改革程度で止められるなら結構なことではある。

因みに社会に出た頃の産業構造では農業が10%を超えていたような気がするが、現在は1.4%らしい。農業もそのうちに工場生産になり、製造業の一部になるかもしれない。小難しく詰まらない話になってしまった。

2018年11月27日火曜日

やがて逝く日が

昨夕郵便受けを確認した時には何も無かったのに今朝見ると手紙が1通入っていた。日本郵便の土曜日配達が廃止との報道があるが、現在のところ郵便局員は遅くまで働いているようだ。曜日は問わず6時を過ぎたら何もする気が無くなるのはやはり年寄りの証拠だろう。この手紙、高校同期生からの手紙で年末の挨拶と家内への弔意を表した実に丁寧な内容で、仲良く遊んでいた高校時代を思い出し胸が一瞬熱くなった。早速返事を書いていると家がカタカタ鳴り出し久しぶりの地震が来た。

びっくりして手紙書きを中断しテレビをつけると、東京は震度3とのことだから大したことは無かったのだろう。家がガタピシしたのは単に我が家の老朽化のせいらしい。自分の命と家の命が競争しているようで哀れを感じざるを得ない。友人の手紙に書かれていた内容で感激したのは次の言葉「病気になっても病人にはならない」。齢80歳に近いのだから同期生に病気持ちは沢山いる。勿論小生もその一人。彼もまた10年前からリンパ腫と闘っている。

昨年11月の同期会では彼も元気で、2次会まで付き合い長時間語り合ったのに、今年6月上山田温泉での同期会で会えなかった。どうしたかと思っていたが、3回目の抗がん剤治療中だったようだ。既に幽明境を異にした同期生が25%を超えた現在病気持ちは当たり前だ。でも顔を合わせればたちまち時空を遡りティーンエイジに還りつく。最近同期会に几帳面に出席するのもこの効果を来するからに他ならない。

彼も似たような強い気持ちで思い出してくれたに違いない。小生も彼が手紙を書いてくれた気持ちと同じ思いでこのブログを綴っている。彼なんかと昔からよく言っていた我々の合言葉「身体頑健なれど学力やや劣る」、しかしお互い身体も最早頑健とは言い難く、早めに逝く友人も増えてきた。残った者どもが代わりに使うには「病気になっても病人にはならんぞ」が最も適切な合言葉になりつつある。

2018年11月26日月曜日

外国人労働者

近くの道路や建築物の打ちこわし現場やゴミ集めの現場でいわゆる3K(きつい、汚い、危険)産業に従事する外国人労働者を日常的に数多く目にするが、街中に行けば肌の色が同じですぐには外国人と判別できない店員も多いから、外国人労働者は発表されている100万人強では済まぬだろうと思っている。いつからそんなになったか定かではないが、最近の経営者は仕事をする社員を育てるより少しでも安い労働力を使った方が会社にとって有益と考えるようになってしまったようだ。人手が不足していると言われるが本当だろうか?

収益を上げる方法はコストの抑制にあり、との考えは一見合理的のようであるが、それで生産性が高まる筈はない。ここ20年近くのGDP推移で見る限り、他の先進国に比べ日本だけが伸びずに足踏みしているのはこの考えが日本企業の根底にあるせい、と指摘する経済学者もいる。余談になるが会社の中に派遣会社から来た社員がいるのを知ったのは50歳近くなってサラリーマン2度目のお勤め時代だった。昔から大抵の職場に学生アルバイトの給仕さん等がいることはいた。しかしアルバイト(派遣社員)の人がお茶汲みや掃除ではなく、営業会議のような場所にメンバーとして参加するのを見たことがなかったのでびっくりしたものだ。

当時は未だリクルートが最大手の派遣企業だったかしれないが、今や派遣企業花盛りのようでどこが大手かも分からない。竹中平蔵氏が関与しているパソナとかその類が大儲けしていることだろう。話が逸れてしまったので戻そう。今働いている外国人がどんなルートで就職しているかは知らぬが、世の中には嗅覚の鋭い人間が多く、ニーズがあれば必ずそれに応えるご商売が誕生するとしたものだ。そもそも日本は職業選択のが自由の国で、古来口入屋はヤクザのお仕事だ。リクルートやパソナが外国人の職業斡旋をするとも思えないので、中には非合法組織もあるかもしれぬ。

政府が見かねて法制化に乗り出そうとしていることは悪いことではあるまい。ただ実態をどこまで認識できているかが問題で、法務省が原局になっての法案提出はどう考えても進め方が拙速だろう。何れにせよ偉い人の考えることは場当たり的なことが多い。時あたかも外国人労働者の企業経営者が訳の分からない理由で特捜検察に逮捕されて牢屋に入れられてしまった。日本人をまともに育てられないリーダーたちが外国人をまともに扱える筈もあるまい。根っこの問題が分からないから何とも言えぬが、違和感だけが残っている。

2018年11月24日土曜日

読後感「江戸開城」海音寺潮五郎著

海音寺潮五郎の小説は大分読んだ気がするが久しぶりの著書である。本書は京都鳥羽伏見の戦い(慶応4年1月)直前から江戸城明け渡し(形式上の儀式が4月11日)を経て約2か月後上野で抵抗を続けていた彰義隊が打ち負かされるまでの経緯を資料を丹念に追って書いたもので、もちろん小説ではなく「史伝」と呼ぶらしい。兎も角小説以上に面白いとも言える。著者は江戸開城が明け渡す側の徳川方にとっても受け取る政府側にとっても如何に大変なことであったかを正確に検証してくれている。

勿論大勢の人物が登場するが、中でも重要な人物は徳川方の勝海舟と政府側の西郷隆盛である。更に重要なことは著者が冒頭第1章に設けた「革命の血の祭壇」で語る総括である。総括を冒頭に持ってくること自体いかにも小説家らしく読者を引き込む術を心得ていると先ず感心する。曰く「明治維新を王政復古と呼ぶ向きもある。日本人は長い間日本本来の政治形態が天皇親政であったと考えてきたが実はそうではない。日本国が始まって以来の歴史はほぼ西洋紀元と同じ程度と見て、天皇親政の期間は約280年程度である。即ち明治維新とは徳川に対して薩長が仕掛けた権力闘争であり革命であった。」

先に述べた二人は勿論であるが、登場する多数人物の性格分析が行われている。証拠は現存する手紙や著述或いは日記の類である。この時代は電話やインターネットが無いので、手紙を送るにも手許に複写を残すとか受けた側が複写するとかで貴重な資料が数多くも残されている。惜しむらくは墨痕鮮やかなこれら資料を解読する能力が自分には無いことであるが、著者はその能力があったに違いない。

江戸開城と言えば、西郷と勝が三田かどこかで会見をし、意気投合した結果数日後には極めて平和裏に明け渡しが済んだ、と単純に理解していたが飛んでもない。上野の山の戦いは旧暦の4月らしいが、これは現在の6月梅雨のさ中らしい。半年かかってやっと一応のめどが立ったと言うわけで、実に容易ならざる大事業だったことが少し理解できた。一口で言えば徳川方にも薩長側にも大きな国家観を持つ少数がいて、己の立場を守りたい多数がいて双方共に内輪の確執争いが解決を長引かせた原因でもあった。

当時の武士階級を政治家と見れば、今の政界よりは大局観を持った武士が遥かに多く存在したことが確認できたとも言える。

2018年11月23日金曜日

苟日新

一昔もふた昔も前になるが、ふと知り合った中国人の達筆家に色紙の揮毫を依頼した。彼が書いてくれたのが殷の湯王の名文句「苟日新、日日新、又日新」である。1年後くらいに個人的にちっぽけな起業をした時思い出して、何も無く殺風景な6畳一間の安アパートの壁にれを掲げて、10年近くこの色紙を眺めて過ごした時代がある。最近は自宅に戻っているのでこの色紙を見る機会は無いが、今朝このことを思い出した。昨日はまたブログを休んでしまったこととも関係があるので、言い訳代わりに書く。

実はいつか書いたかもしれないが、休眠させていた個人会社を今年になって友人の息子さんでIT技術者でもある青年が「遊ばせておくのはもったいないじゃないですか。」てなことで、代表を引き受けてくれた。こちらも技術スタッフがいなくなると、自宅ンパソコン1台にしても管理が面倒なので渡りに船だった意味もある。以来いろんな相談に乗ってもらっているが、やはり若い人の話を聞くことはとても有益でもある。

面白い話は無数に聞いているが、ひっくるめて言えばテレビコマーシャル一つとっても、意味が分からない、どんな会社か想像できないものが沢山ある。多分ご同輩読者には大いにご賛同いただけるだろう。彼と話をするとその謎が大方解けるので面白いしありがたいのだ。実は昨夜も一寸した依頼ごとがあって彼に会いに行ったのだが、話が盛り上がって夕飯を一緒することになり帰宅が夜になってしまった。ブログは今の自分にとって仕事の様なもので、夜になって書き始めることは考えられない訳である。

その依頼ごとであるが、遂にスマホを購入する決心をしつつあり、その件で相談に乗ってもらっている。最初は先月行った大菩薩嶺での記念写真がきっかけ。同行した友人の写真と比べて余りのご粗末さにがっくりして買い替えの相談をしたところ彼曰く「今やバカチョンはスマホが一押しです。」その後もいろいろな指導があり、愈々ガラケーをやめてスマホに乗り換えるか、それとも電話はガラケーのままにして+スマホで行くかの相談である。

結論的には2台所有になりそうだが、機種選定の問題もあり、複雑な方程式でもある。この齢になって日々新たも無いかもしれぬが、懐かしの長野高校の同窓会機関紙のタイトルも「日新鍾」である。同窓会でも我が年次はだいぶ上の方になってはいるが日々新たもまた良しだ。

2018年11月21日水曜日

手作り朝食

日中の時間が大分短くなってきた。昼飯に出かける序に1万歩も容易でない。早々に帰宅したとて大した用事は無いのだが、何となくうす暗くなってうろつくのは好みでない。代わりに夜が長いせいか睡眠時間8時間近くになるのも考え物だ。これまでのところ取り敢えず健康かと思っているが、睡眠時間が長ければ良いと言うものでもあるまい。運動や栄養とのバランスが大切だろうが、バランスが良いかどうかも分からない。

食欲の秋の延長で、運動量が不足する割には内心食事の量が増えているようにも感じている。最近の朝飯は自分で作るので、作ったものは残さず食べてしまった方が後が楽なのでついつい食い過ぎるのかもしれぬ。それにしても自作の朝飯も1年近く経つと大分様変わりしている。基本的にはご飯とみそ汁と納豆であるが、みそ汁は殆どトン汁。納豆は長ネギ、刻みのり、卵が基本でここ一週間近く釜揚げシラスがこれに加わっていた。

15日頃だったと思うが東武百貨店で購入したのだが、冷蔵庫で3日は大丈夫だから後は冷凍してくださいと言われたが、確か200g位だったような気がするが冷凍はせずに連荘で食べつくしてしまった。千2百円したので結構高級な朝飯だったことになる。その他、最近は冷凍ご飯も買わずに米を1日おきに炊くようにしているが、これも結構早くなくなるものだ。シラスと一緒に味噌も初めて買った。ジャガイモや玉ねぎの皮むきも億劫がらずにしているのだから、我ながら良くしたものだ。

2018年11月20日火曜日

内憂外患

初めてアメリカ大陸に足を踏み入れたのは36歳の時、1976年なのでよく覚えている。この年はアメリカ合衆国建国200周年記念の年に当たり、何故か日本でも大いに喧伝されて盛り上がっていた。その記念日7月4日に自由の鐘が置かれているフィラデルフィアにたまたま滞在することになるのだが、個人的な思い出を書いても読者に失礼だが一つだけ、アメリカ大陸の第一印象を書かせていただく。

入国予定地のサンフランシスコ上空に差し掛かって目に入った大地は茶褐色一色の広大で殺伐したもの、映画で西部劇を観ていたので内陸部が茶褐色である部分が多いとは思っていたが、人口密集地帯であれば、近くに田園や山林があって上空から見れば海の青に対して緑が覆うと勝手に思い込んでいたわけである。

何でこんなことを書くかと言うと、余計な心配かもしれぬがカルフォルニアを襲っている山火事である。確か昨年一昨年にもあったような気がするが、サンフランシスコの郊外で有名なワイン産地ナパバレーが壊滅的被害にあったことが記憶に新しい。今回の山火事は同じ州内でも南のむしろロスアンゼルス近郊のようである。しかもその規模が前回を遥かに上回っているようで、1週間を超えて未だ鎮火の見通しがはっきりしない。

戦争になったら航空機から絨毯爆撃は出来るアメリカでも、消防機動力で東京都の面積の3分の1に当たる土地を消火することは容易ではなさそうだ。毎日報道される僅か数分の報道では被害の実態が分かり難いが、死者が毎日増え続けて100人を超し行方不明者は1500人を超えているとのこと。幾ら人口密度が想像できないほど薄くて土地が余っているのかもしれぬが、日本人の小生には想像することすら困難な大災害である。

数日前には大統領が、そして翌日には国防長官と非常事態相が現地視察をしたとの報道もあったが、後者二人は首になったとかなるとか言われている。所詮分からぬことだらけだが、傲慢国家のアメリカでさえ内憂外患に悩まされているわけで、欧州も中露も韓国も東南アジアや南半球の国々もそれぞれ首脳は内憂外患で悩んでいる。その感じが伺えないのは我が国だけだ。昨日書いた勘の鈍さだけにする訳にはいかない。

出掛けるので早めにアップする。

2018年11月19日月曜日

勘違いはないか?

何事に於いても先人の築いた歴史を学ばず、周りにうろつく出来の悪い官僚の言葉か振り付けに踊らされてだろう、歴史をひっくり返すのが趣味みたいだから当然かもしれない。安倍首相は日露首脳会談(何と23回目とのこと)で、北方領土問題に関して「1956年(昭和31年)の日ソ共同宣言」に立ち返って交渉を加速しよう、と提案したそうだ。首相自身は外務省を嫌っているようだが、この提案には外務大臣が同行せずに外務事務次官と谷内国家安全保障局長が同行している。

首相の父である安倍晋太郎氏は、外務大臣として北方領土問題に心血を注ぎ志半ばで倒れたことはよく知られているところだ。あの世で不出来な倅のことをさぞお嘆きであろう。百歩譲ってこれまでの経緯を総てチャラにして問題が少しでも動き、領土が還るなら良しとしよう。少なくとも安倍氏の力で国境線を確定することは土台無理である。マスコミの大半は分かっている筈だが、何故かこのところネットまで含めて北方領土問題について議論が喧しい。正に空騒ぎに過ぎない。

尖閣も同様であるが、もっと近い竹島でさえ領土問題は解決していない。政府に言わせれば領土問題は存在しないとのことだから、北方領土問題も「ここは日本の領土である」とでも言い続けたらどうかね。竹島に駐留する韓国軍さえ追い払えない日本が、万人を超える正規軍とミサイル基地に軍港まで準備している島を取り戻す術はあるまい。何でも海洋資源が欲しくて一生懸命になっているとの説もあるが、海底の鉱物資源を欲しがっているのが誰か知らぬが、漁獲の問題であれば入漁料を負けてくれと交渉した歩が早いのではないか。

そもそも戦争で占領され、日本人が放棄して一人残らず命からがら逃げだした土地だ。占領軍が好き勝手にしているのは何処の国で同じこと。取り戻すためには戦争で勝つしかないだろう。一部の人は沖縄の例を持ち出して、占領された土地が返ってきた例があると言う。これも詳しく見るといいだろう。アメリカが親切心から返却したのではなく、対ベトナム戦に於いても維持経費だけでなく戦略的に使い勝手が良いように、そんな形を取っただけであることは大勢の人が指摘しているではないか。勘違いも甚だしい。

2018年11月17日土曜日

趣味と好み

今週は毎日のように喪中はがきが配達された。年齢を考えても時節柄からも致し方無いことではあるが、久しく会っていない後輩のご夫人からの葉書には何とも言えない感慨を覚えてしまった。本当は当方からも出すべきかもしれぬが、妻の49日法要が終了した時に妻の友人と自分が毎年賀状のやり取りをしていた先には報告を済ませているので出していない。この報告でも断ったつもりだが、再来年以降健在であったとしても賀状は欠礼するつもりだ。

他にも娑婆の義理を欠くことは多いが、遊ぶことだけは出来るだけ長くしたいものだ。今日も天気予報が外れて朝から快晴になった。雨のつもりで週末2日で読書すべき本迄買ってあったのだが予定を変更。上野公園か江戸城東公園でも散歩すれば可愛げがあるが、日比谷に映画を観に行ってきた。面白そうな映画が無いのは分かっていたが、日経ビジネスオンラインで面白い随筆を書いている小田嶋隆氏が今週べた褒めしていたので野次馬気分で「ボヘミアン・ラプソディー」なるものを観てきた。

小学生時代から自他共に許す音痴であるから、音楽や芸能には全く関心を持っていない。先月末友人から「貴方と同じ境遇ですよ」と紹介された方が「先日ポール・」マッカートニーのコンサートに行ってきました。」といろんな話を聞いたが、印象に残ったのはチケットを入手するのが結構大変であったこと、チケットの料金が1万8千円したとのこと。次回ドームかどこかの時は更に跳ね上がると聞いてもっとびっくりしたものだ。彼は10歳くらい若いのだが、学生時代に聞いたビートルズが忘れられないらしい。

日比谷の東宝シネマで一番大きい部屋がほぼ満員、隅から2番目のM2シートだったのだが、M1側に通路が無い(欠陥設計だろうが)。一番驚いたのがエンドロールが終わって場内が明るくなるまで席を立つ人間が少なく、こちらも動きが取れないので最後まで座っていた。エレベータや出口が混雑すのが嫌なので、映画をこんな観方をしてのは生涯で初めての経験だ。観客は若い人もいたが結構な爺婆が多かった。

ゾロゾロと出口に向かった時後ろから聞こえた婆さんの声「クイーンを初めて聞きに行った時、確か3千9百円だったと思うわ。」友人の友人だけでなく、似たような人は多いのだろう。

2018年11月16日金曜日

日々の楽しみ

この二日三日少し寒くなってきたがそれでも暖かい。今日は春以降初めて灯油販売車の音楽を聴いた。18リットル1980円とマイクが叫んでいる。3月最後に買った時は1800円いっていなかったように思うから大分値上がりしているようだ。独居老人に灯油ストーブは危ないので、夏のうちに暖房をガス温風機に変えてしまったので関係ないことになっているが、経済的にどちらが安いかはまだ分からない。

いい歳をした爺がこんなせこいことを書くのは情けないかもしれぬが、これでも年金暮らしを楽しんでいるつもりだ。今週図書館で1950年11月の雑誌「新潮」をパラパラと読み、帰りに書店で10日に発売になった月刊「文藝春秋」を立ち読みして思ったことがある。その前に書いておくが、月刊「文藝春秋」は書店で買って読む唯一の雑誌であるが、今月発売号は立ち読みだけで買わずに済んだ。

何故か、やたらに金持ちの話が多いことに反発したからだと思う。図書館で読んだ「新潮」は火野葦平と檀一雄の短編小説だが、面白いことに共に私小説ではないかと想像するが、共通している点は「貧乏」がテーマになっていたことだ。二人とも戦後一世を風靡したとは言わぬが、それなりに著名な作家だった。前者は1960年52歳で没、後者は女優檀ふみさんの父で1970年63歳で没である。しかし、今これを書いていても漢字変換が出てこない。歳月を感じざるを得ない。

話を元に戻して、1950年と言えば二人とも作家として既に著名であったと筈で、出版各社からの注文に事欠かなかったともうが、それでも貧乏暮らしをしていたことが窺える。しかしそこは作家先生で、毎晩のように飲み歩いて、人生を楽しんでいたことが小説からも読み取れる。立ち読みした今月の「文藝春秋」には現代高給取りのランク表などが掲載され、お金持ちの暮らし方に関して触れていた。

1年に1億円以上の高級取りは相当な人数になるようだが、そのさらに上位クラスの方々、取り上げられているのがどこそこの住宅とか、別荘の豪華さ、はたまた所蔵する美術品といった類のことばかり。昔の作家のように無頼を決めて早死にするのも人生だし、お上品に立派なお宅で素晴らしい美術や芸能を楽しんで長生きするのもこれまた一つの人生だ。こんな特集を組んで雑誌が売れる筈もあるまい。文藝春秋社には親しい友人が多かっただけに残念でもある。

2018年11月15日木曜日

字が下手で恥ずかしいが

サイバーセキュリティー戦略の担当大臣になった桜田義孝氏、今回の入閣で初めて知った名前ではあるが、25歳で会社を立ち上げ若い時から社長をなさっていた優秀なお人らしいが、お忙しくてこれまでパソコンに触る暇なく過ごされ、図らずもこの任務を与えられてしまった。幸いスタッフにはその方面に強い人材を抱えているので業務遂行に何ら差し障りが無いとご本人は胸を張られた。確かに国会議員の先生でご自身がパソコンを打つ余裕がある人の方が珍しいだろうから、それはそれで良しとすべきかもしれぬ。

問題は数日前に少し書いたが、日本が他国人からITスキル後進国と見られていることである。見られるだけで済めばいいのだが、今日の日経ビジネスには「IT音痴で負け組へ、日本に残された時間は7年」と言う記事が掲載されている。内容は現在我が国で稼働している様々なシステム(コンピュータに依存したものを指すのだろう)の殆どは前世紀の末にかけて多くの企業が取り入れたものである。システムの老朽化に伴いメンテナンスを繰り返すうちにその構造が複雑化して使い勝手が悪く、性能の劣化が否めない。

そのことに関し経産省ではこの秋「日本企業は7年以内に既存システムを一新しないと、人工知能(AI)やビッグデータ解析、IoT技術を駆使する海外企業に対して、競争力を失う。」と警告を発している。即ち「デジタルトランスフォーメーション(DX)」(初めて聞く言葉だ)を産業界に促す報告書である。サイバーセキュリティ問題もネットに依存するところが大きい現代社会では基本的問題であはあるが、ビジネスシステムの保守と更新に関する問題も基本と言える大問題である。

現役時代の最後、有限会社を立ち上げてからのことになるが、ある法人の社内LANシステム(僅か40数台のパソコン機材を結ぶ社内システム)のメンテを請け負っていた時期がある。大手であれば何が無くても毎月なにがしかのリテイナーズ・フィーを請求するのだろうが、零細業者の悲しさでパソコン等の機材を更新する、引っ越しをする、人事があった時とか、必要に応じて出張した時しかお手当てを頂けなかった悔しさが残っている。

当時からこの要員を確保することは難しかったし、機械に慣れない偉い人にコストを理解してもらえない作業であったことは間違いない。現在でもその状況は変わっていないだろうし、益々厳しくなっている筈だ。いい爺さんでも子供の頃から機械であるタイプライターに馴染んで育った国と、水茎の跡麗しくを教えられた国との違いと言えばそれまでだが。

2018年11月14日水曜日

興味半減どころか

政治に興味があったのは間違いないが、日本の政治は少し不謹慎な言い方になるが面白くない。理由として思うのは、どの報道や解説を見ても、或いは国会中継を見てさえも政治家の本音又は本質を伺うのが難しく、下手な学芸会を見ている気持ちになるからである。

現在の国会中継を一度も見ていないので何とも言えないが、国会中継は各委員会に於ける与野党の質疑応答が基本であり、本当の意味での与野党の駆け引き、(実態は知らないが国対とか議運と言ったところで話し合われている筈)には触れることは出来ないし、各委員会の理事が委員長と如何なる談合なり談判をしているかも分からない。

従って、中継されるのは2日前に提出と決められている事前通告に基づく質問と、それに対して双方共に役人が用意した原稿を読むに等しい質疑応答シーンのみである。これで本当に政治或いは立法の本質、問題点が理解できるとは到底思えない。今回の米国中間選挙報道や海外の政治関連報道を見て感じるのは、同じ民主主義を標榜する国家でも議会のありようはそれぞれ特徴があり、我が国とは大分異なる国が多いようだ。むしろ我が国と同じスタイルの国を見つける方が難しい。

ロシアや中国のようにある種の独裁国家では首脳クラスの演説が殆どで、平の国会議員の発言などは海外では全く窺い知ることは出来ない。しかし考えてみればこれは欧米先進国に於いても似たようなもので、野党の抵抗はメディアのインタビューでやっと知ることが出来る程度だが、仄聞するに欧米の議会は演説が主体で、議員と閣僚の質疑応答なんてないところが多いらしい。質疑が公開されるのは、ある特定の人物を呼んで開かれる公聴会(ここでは与野党の議員が自由に質問するらしい)ぐらいのようだ。

考えてみれば、台本に沿った台詞を聞いても結論は議員数で決するし、しかも日本は政党の党議拘束が公然化している。これでは何のための委員会か分からなくなって当たり前だ。日本の議会にも公聴会と言う言葉があるようなので、ここに加計学園の理事長とかを呼んでアメリカ式公聴会を開いて、有権者に後の選挙での参考にしてもらえばいいではないか。トランプ大統領もロシア疑惑捜査の立役者モラー特別何とか氏を公聴会に呼ぶことに必死の抵抗をしているようだから加計氏公聴会は自民党も必死に抵抗することにはなるだろう。

政府高官が外国首脳と会談すれば何度も繰り返す「確認」と「意見の一致」ばかり、これで政治への関心が高まる筈がない。

2018年11月13日火曜日

世界の中の日本

日本ではあまり大きく取り上げられなかったが、11日にヨーロッパで行われた第1次世界大戦終結100年の記念式典は欧米の各国が大きく報道している。英国の式典も大々的なものだったが、これは主に国内行事的色彩が濃かったのに比べ、パリでの行事は世界中から当時の敵味方の恩讐を超えて70か国以上の首脳が顔を揃えている。残念なことに第一次世界大戦に参画して漁夫の利を得た日本からは麻生副総理が出席と伝えられたが、その姿かたちは映像や写真で全く確認できない。

フランス・マクロン大統領ははこの式典に引き続いて「パリ平和フォーラム」を開催して、「大戦後に誰もが平和を誓ったが、ナショナリズムや全体主義の高まりが2度目の大戦を生んでしまった。」と振り返り「歴史は繰り返す時がある。愛国主義はナショナリズムとは正反対の位置にあるものだ」とし、欧州など一部でナショナリズムが高まる兆候があることに危機感の共有を呼びかけている。式典にはトランプ大統領夫妻も参加していたが、アメリカ一国主義標榜のせいか、流石にフォーラムは欠席したようだ。

このニュースを何度も見せられて思うのは、日本の存在感の薄さだ。欧米敢えて言うが先進国の間では仕方ないとしても、今朝報道されているシンガポールで開催されたRCEP(東アジア地域包括的経済連携)閣僚会議に出席した世耕経産大臣の写真もそうだ。大勢いる閣僚の一番左隅に写っている。写真の立ち位置で早急な判断は良くないかもしれぬが、会議に入る際に毎度のことではあるが胸を張って偉そうな受け答えをしていたことを思い浮かべると、発展途上国からも内心バカにされているのでは心配になってきた。

我が先祖が丁髷を結ってた時代から外国で戦争を繰り返し、勝ったり負けたりてきた歴史を持つ国の首脳と比べては可哀そうかもしれぬが、戦争と平和の意味も分からず国民に対して薄っぺらな発言を繰り返す我が国首脳、戦没者の慰霊の在り方等、言いたいことは山ほどあるが今日はやめよう。代わりに己のことだけ。昔日本テレビ系列で放送されていた「世界の中の日本」と言う番組の企画に関わったことがある。当時通産省OBとして結構世に知られていた作家の堺屋太一氏(番組のメインキャスター)の事務所に足しげく通ったことを懐かしく思いだした。

2018年11月12日月曜日

読後感「自衛隊の闇組織」石井暁著

サブタイトルに<秘密情報組織「別班」の組織>とある。著者は現役の共同通信の編集委員。5年前の2013年11月に共同通信が配信して全国で30以上の新聞社がトップ記事つぃて取り上げた記事を書いた人物である。内容は自衛隊内部に設けられている非公然組織「陸上自衛隊幕僚監部運用支援・情報部別班」(通称「別班」)の実態に迫るべく努力した日々を回想した記録である。

著者は、この組織の存在を首相や防衛大臣にも知らせず独断で海外情報活動を行っているので、文民統制の逸脱していると断じている。まかり間違うと、嘗て満州で暴走して中国と泥沼の戦いに国を引き込んだ旧帝国陸軍関東軍の二の舞になりかねないとの心配をしている訳だ。但しアマゾンで読書のコメントを読むと次の感想もある。

少し長くなるが以下に「鞍馬天狗氏」のコメントから一部を引用させて頂く。
『私は、この本を本屋で立ち読みしたが、買う気は起こらなかった。理由は以下のとおり。 この本には、「総理も防衛大臣も別班の存在を知らない」「だから別班は文民統制の埒外にあり、危険である」という論調が基底にある。もし著者が本気でそう思っているなら、ナイーブにも程がある。
 例えば、公安警察が、国の治安に悪影響を及ぼしそうな集団の構成員にお金を握らせて、情報提供者として運用しているのは事実と思われる。しかしそれを総理や国家公安委員長に質問しても、「与り知らない」で通されるだろう。それはそうだろう。それを「知っている」と認めてしまえば、「そんな活動はやめてしまえ」と国民に反対運動が起り、治安維持活動に支障が出る。国民の生命身体財産を預かっていると自覚している政治家は、しらを通すしかない。
 別班の活動を、総理や大臣が知らない筈はない。知っていながら、国民の安全を守るために、しらを切っているのだ。まあ、民主党が政権を取った際に、自民党の防衛大臣が後任の民主党の防衛大臣には別班の存在を引き継がなかった可能性はあるが。』

確かに鞍馬天狗氏の言い分も分かる。しかしその組織が日本にも実在し、アメリカCIAやイギリスのMI6(007のモデル)と似たような活動をしていることはびっくり仰天。帝国陸軍の中野学校が源流のようで、当初はアメリカ軍の基地内に事務所があったらしい。昔の取材なので最新情報とは言いかねるが、現代でも世界の各地で身分を隠した自衛官が隠密行動はしているのだろう。私は反対するが、それをすんなり認めるか否かについて、大勢の人に読んでから判断してもらいたい。

2018年11月11日日曜日

変幻自在

子供の頃は猿飛佐助や霧隠才蔵のように変幻自在になれたらどんなに嬉しい事だろうと胸を躍らせたこともある。しかしこの歳になってやっと、それが絵空事であることに気が付いた。所詮己は己、隠しようもないし隠すことはむしろ悪いと思い始めている。しかし、日本は外国人から見ると随分変幻自在の国に見られていると確信する。対応する相手に応じて、ある時はタクシーの運転手、またある時は大富豪そしてある時は・・・往年の名優片岡千恵蔵演ずるところの多羅尾伴内シリーズと言っても意味が通じない人が多いだろう。

シリーズ最後の作品「七つの顔の男だぜ」は小生が20歳の時なので観たかどうか不明だが、、この頃から映画に毒されていたとは驚きだ。脇にそれたが、相手によって対応を変えるのは已む得ないだろうし、悪いことではないだろう。但し、自己の本質、原則だけは曲げてはいけない。これは一人人間だけの問題ではなく、国家に於いてもそう、役所や政党あらゆる組織に於いてもそうあるべきだ。現在無原則の極みとされているアメリカのトランプ大統領でさえ、事の善悪は別として「ジコチュウ」の原則を貫いていることだけは分かり易い。

比較してイライラしてしまうのは首相の無原則さである。民主主義の原則とか法に照らしてとか如何にも原則らしき言葉を時々聞くが、肝心の法については最高法規の憲法まで時に応じて都合よく解釈を変えたりしてし、行政府の長が三権を総べるかのように振舞まうのだからやりきれない。周囲の高位高官は行政府の長に逆らわず、原則が分からず意味不明の日本語を発信し続けている。融通無碍、適当にその日を過ごす彼等はハッピーだろうが、技能実習生ならずとも振り回される側はたまったものであるまい。

無原則な振る舞いは下々から如何様に見られようと構わぬかもしれぬが、外交の場面で他国からどのように見られるか考えたことは無いのだろうか?他人のことを論う毎日であるが、ジコチュウの小生が親から教えられて守りたいと思っている原則は「人さまにご迷惑を掛けない」ただ一点である。家内が生きていれば怒髪冠を衝くだろうが、幸か不幸か彼女は今は天にいるからいいだろう。問題は私の身勝手に迷惑している友人知人だが、笑って済まして頂きたい。

2018年11月10日土曜日

ネットでの買い物

暖かいのは結構だが今日はなんだか夏に戻ったような暑さだ。お天気も日本の政治と同じで「どうなっちゃたの?」とお聞きしたいようだ。とは言っても世界には日中と夜の気温差が20度以上の場所は沢山あるらしいから、贅沢を言ってはいけないかもしれぬ。面倒くさがらずに薄着をすれば良いだけではないか。面倒くさいと言えば、今日は来月の法事に備えてお土産をネットで注文した。

昔からカードの買い物はしないし、ネット販売なんか何となく胡散臭く思っていたので、皆無とは言わないがあまりやったことがない。故に手続きに四苦八苦、送料無料についその気になったものの本当に厄介なことだ。偶々今朝のテレビか何かで聞いたような気がするが、日本人は世界でITスキルが最も遅れている国とのこと。悔しいから「超保守主義なので措いといてくれ!」と言いたいところだが、これは意外と的を射ているかもしれぬ。

若い人にとっては侮辱だろうが、電車の中や歩きながらスマホに対面している連中もあまりITスキルに長けているようには見受けられない。閉鎖社会の日本で生きて来た人間だから我々は好いが、これからは言いたくないがグローバル化とやらで競争相手が国内にいるとは限らない。英語使いがうまいだけで進歩的とされる時代はとっくに過ぎ去り、IT(辞書には情報技術を意味する英語Information Technologyの略と書いてある)によって何事もコントロールされる時代に入っているようだ。

今日のネットショップでの苦労を思い出すとご苦労なことのような気もするが、若い方々には頑張ってもらうしかないだろう。

2018年11月9日金曜日

鬼が笑う

暖かくても流石に冬だ。日が暮れるのがめっきり早くなった。昨夜はまた友人に誘われ飲んでしまった。嘗ては連日忘年会だことの新年会と言う時代もあったが、10日間に3回も飲み会が重なると疲れが出る。今日は久しぶりにお昼寝をしてしまって起きたら普通であればブログをアップする時刻の4時半の直前4:20。

昨夜の飲み会で友人の従弟さんのプロのに紹介され、嬉しくなってその場でこのブログを見てもらったりした。毎日ほぼ同じ分量の作文をするのはいいですね、と褒められたばかりだが起き抜けで頭の回転不足。依って今日はお休み同様にしたい。たった今メールを半日振りにチェックしたら長野の友人からメールが入っていた。詳しく読んでいないが、内容は来年の予定に関することだ。年寄りにとって1日が暮れるのも早いが1年経つのも早いものだ。

2018年11月8日木曜日

国民気質

立冬を過ぎても暖かい日が続くのは有難い。今週はアメリカの中間選挙報道でもちきりだが、日本の政治報道がかくも貧弱で良いのだろうか。と自分に問いかけてみるが、国内政治のご粗末さ、内容が無きに等しい薄っぺらさは自分自身にも責任があると思い至った。我が身だけの問題に非ずして国民の大半に共通するのではないかとも思う。その依って来るところは、今さら我一人が声を上げてもどうにもなるまい、との思いであろう。

今回のアメリカ中間選挙報道を見ていてつくづく感じたものだ。政治に関する意思表明の原点は選挙の投票行動にある。選挙の争点がトランプ大統領を是とするか非とするかに絞られていたせいもあるだろうが、与党共和党も野党民主党側も政策論争でなく、投票をしきりに呼びかけていた。分かり易いと言えばその通りである。投票結果は大方の予想通りだったようで、トランプ氏側の作戦成功、これで大統領2期目を狙える可能性が高くなったとする見方が内外メディの一致するところみたいだ。

それにしても思うのはアメリカ人の行動力と発信への意欲だ。昨日も書いたばかりだが日本人は横着でぐずで何を考えているかはっきり言わない人が多い。71歳のアメリカ大統領に比べ、10歳も若い安倍首相の存在感の薄さは偏に首相の行動力と発信力が余りにも貧弱なことにあるのではないか。今日は首相のことでなく、日米一般国民のその差をしみじみ思い知った。老いも若きも自らの意思を表明するにに何の衒いも感じられない。

選挙権の行使は暇だから行ってみるかではなくて、もっと積極的な行為であるべきだが、政治意識の薄い人にとっては前者であるのはやむを得ない。アメリカの場合は自己の意思を明らかにすると同時に、一人でも多くの同志を得ようと持てる力を発揮するのが自然のようだ。やがて一周忌を迎える家内も区会議員の一人の熱心な支援者だったが、所詮は日本人でその勧誘は極めて控えめだったに違いない。

国民一人一人のそういった積極的な行為が無ければ、世の中が変わるはずも無い。小生にとって出来ることはこのブログによる発信のみではあるが、これでも蟷螂之斧を振るっているつもりである。

2018年11月7日水曜日

「ずくなし」長野の方言

「ずくなし」は横着を決め込むことの意である。

昨日は久しぶりに横浜で昼酒を飲んでしまってブログを書く気をなくしてしまった。何もこのことだけではなく、最近はルーティン化している筈のことをやめてしまっても余り気にならなくなってきている。体力だけでなく気力も萎えはじめている証拠だろう。困ったものだ。体力ついでに言えば、先週来腰痛がひどい。昔、久し振りに実家に帰って玄関先で迎えてくれたオヤジを見た時、その腰の曲がり具合にびっくりしたことがあった。

果たしてあれはオヤジが何歳の時だったのだろう?きっと今の俺と同じくらいの年齢ではないかな。何れにしても椅子から立ち上ると暫くは腰が伸びないことだけは厳然たる事実だ。昨日もエレベータの中で、どこかのお母さんが先を急ぐ子供に対して諭していた。「お爺さんが先よ。」今さら<お兄さん>でもあるまいに、いつまでも年寄りになりたくない自分を我ながら笑いたくもあり、哀れでもある。

昨日書こうと思ってメモったことを古くならないうちに書いてしまう。「急いては事を仕損じる」の諺を信ずる向きが多いのが日本人の特徴かどうか知らぬが、少なくとも政府のすることを見ていると、なすべきことを見つける気が無いのかどうか。何事も現状の成り行きをずーっと見ていて、適当なところを見計らって法律で追認するのが一般的なようだ。政治家が鈍感なのか、官僚が面倒くさがりなのかは分からない。

確かにトランプ氏のように、思いついたことを次から次へと喋りまくり、挙句の果ては与えられている権力をフルに使って実行に移すのも如何かと思うが、我が国における外国人労働者対策のように、既成事実の後追いで法律の繕いに貴重な国会審議時間を費やすのもどうかと思う。関連して思ったのが、昨日のメモだ。全く耳慣れず意味も殆ど理解できないが東北北上の山地に<ILC>計画なるものがあるらしい。

嘗て小柴博士のノーベル受賞で有名になったカミオカンデの発展形と勝手に理解しているが、先月末の河北新報の記事のよると、地方自治体ベースでは「国際リニアコライダー(ILC)」の誘致計画としてヨーロッパにも積極的に働きかけ、先月末、日本と欧州の調整役を担うドイツ連邦議会のステファン・カウフマン議員が30日、岩手県一関市の建設予定地を視察した。その後のカウフマン議員のコメントがキモである。

曰く「プロジェクトによって7年前の災害を克服でき、国際的に注目を浴びることになる。日本政府は、はっきり『やりたい』という意思を示してほしい」と要望したと書かれている。

2018年11月5日月曜日

無責任極まる

元日本企業の徴用工であった老人が日本の企業に慰謝料を払えと訴えを起こし、韓国の最高裁が尤もなことだと認めたので、日韓で大きな外交問題となって騒いでいる。日本は外交交渉で韓国側にお金を払ってとっくに解決している話だ。もしその老人にお金が渡っていなければ、それは韓国国内の問題だろう、そっちの政府の責任できちんと解決しろとの姿勢で強弁しているが、韓国裁判所の個人の慰謝料については未解決との判決に対して、大統領は今のところ何も言及していない。昔日本の言い分を了とした経緯があるので苦しいらしい。

その争いがどう決着するかは大して関心は無いが、戦争の傷跡に対する慰謝料問題はややこしい問題だと思う。戦争は国と国が軍隊を出して殺し合い、軍隊同士の勝負で政治の決着をつけることであるのは分かり切ったこと。負けた方の政府は、先の大戦以降敵国の司法によって裁かれ、極刑に処せられたりする。これも知っての通りだが、敗戦国の国民は特に罪を負っている訳ではあるまい。とどこかで読んだ記憶がある。

しかし米国と日本の関係を見ると、戦勝国のアメリカは戦後73年経った今でも敗戦国の日本の国民から莫大な金額を搾取し続けている。向こうからすれば先の大戦の慰謝料のつもりだろうから胸は痛まないのだろう。搾取は税金だけではなく、領土領空領海と言った国土の物理的支配も変わっていない。我が国の総理や外相流に言えば「如何なる国際法に基づくや?」であるが、日本は大人しくアメリカの言うがまま蹂躙に耐えている。

それを思うと100歳近い韓国の一老人が、日本の企業に1千万円の慰謝料を要求し続けたのも分かるような気がする。先日テレビを観ていたら、慰安婦問題で10億円の基金を作ることでの決着に尽力したとされる元外務官僚の岡本行男氏が、「慰安婦は強制的にさせらているのに対し、徴用工は自ら志願して職に就いていたのだから全く事情が異なる。」としたり顔で言っていたのを聞いて唖然とした。もっと言いたいがそのことは措くとして。

朝鮮を植民地として蹂躙した日本は他にも大きな傷跡を残している。テレビでも一部報道(ニュースにはなっていない)されているから知っている人もいるだろうが、BC級戦犯問題である。大戦中日本軍人軍属として戦勝国の裁判にかけられながら、死刑を免れ生き残った朝鮮出身者がまだ日本に生存している。これも韓国徴用工と同じく 五指に満たないようだ。この老人は終戦で日本人でなくなった(釈放当時は無国籍)との理由で軍人恩給の対象にすらなっていない。日本は植民地を全て日本人とする建前で支配したが、敗戦と同時にその責任を一切放棄してしまった。これを無責任と言わずして何と言うべきかである。

2018年11月4日日曜日

冬の足音

昨夜はだいぶ寒くなりそうだったので夜具をすっかり冬支度に変えてた。ぬくぬくと気持ちはいいが、そのせいか今朝はすっかり寝坊をしてしまった。4時頃一回目が覚めたのだが、もう1時間寝るつもりが起きたら5:40になっていた。寝坊したからどうしたと言うことは無いのだが、山行きの時に同じことが起こると電車に乗れず、その日の予定を断念せざるを得なくなる。それが嫌なのだ。

季節はいつものように巡り冬が来たように感じるが、地球規模で見ると今年は暖冬になる可能性が高いそうだ。日本の冬に影響を与える北極からシベリア一帯を覆う寒気団の気温が今年は異常に高らしい。普通であれば既にー20度程度に下がる筈の地点で未だー10度に届かない地点があるようなことを数日前に聞いたばかりだ。昔は冬が寒いことを願ったものだが今や暖冬大歓迎だから身勝手なことだ。

身勝手とはスケールが大分異なるが、アメリカのトランプ大統領の手前勝手に世界中が振り回されている。つい2年前には泡沫候補扱いだった大統領閣下の真似をする指導者が増えていると言うのだから恐ろしいことだ。日本はトランプ閣下の言うがままだから関係ないが、世界には勇敢にも抵抗を示す国が多数ある。これらの国から始まり、基軸通貨からドルを外そうなんて動きが広がりアメリカの実力が試されたりするのを期して待ちたい。このように心情的には抵抗勢力を応援したりしているが、経済知識皆無の無責任爺である。

明日投票が行われるアメリカの中間選挙について、数日前のテレビで漫才師パックンことパトリック・ハーラン君が興味深いことを教えてくれた。即ち、かの地では選挙の戦い方が日本とまるきり異なり、与党共和党は有権者を出来るだけ投票させないような工作をし、野党民主党は出来るだけ投票率を高める努力をすのだそうだ。理由は若い人やマイノリティの有権者には民主党寄りの人が多いらしい(世論調査でも裏付けられているとのこと)。

昨日の報道でオバマ氏の演説を確認したら、成程しきりに投票しましょうと訴えていった。そして共和党の戦術だが、これがまた相当にえぐいのだ。一例を挙げると投票所を民主党支持者の居住地帯から遠くに設置するとか、ミドルネームを正確に書かないと無効扱いにするとか。日本では考えられないくらい酷いもののようである。民主党側も女性候補者を共和党の3倍近く立てたりして頑張っているようだが、ひょっとすると不利とされていた下院でも共和党が善戦するかもしれぬと、あまり嬉しくない報道が流れている。

マイケル・ムーア監督の「華氏911度」を観て帰宅したところだが、監督も高校生の勇気ある行動に感動したようだが、現実にはかなり悲観的のようだった。

2018年11月3日土曜日

土曜朝5:30から

11月3日は昔から言われる「晴れ」の特異日、弟と孫二人の誕生日でもある。同じ特異日としては4月29日と10月10日もその筈だが、最近当てが外れることが屡々ある。皇族を蔑ろにしたり、オリンピックをけがしたりする輩が多いので、天が怒っているかもしれぬ。しかし今日は目出度いことに正にその通りの快晴となった。

今朝テレビTBS「上田晋也のサタデージャーナル」を観ていたら田原総一朗氏がゲスト出演をして、興味深い話を聞かせてもらった。彼ももう80歳を大分過ぎているようで入れ歯の具合でも悪いのか、口をしきりにもぐもぐさせているのは可哀そうではあるが。曰く「自民党代議士の多くは勿論だが、安倍首相も今国会で憲法改正が出来るとも思っていないし、しようなんて思っていない。口先で唱えているのは日本会議家系の支援者に対するジェスチュアに過ぎない。」

何となれば、一昨年でしたか集団的自衛権行使の憲法解釈を強引に変更して、自衛隊がアメリカ軍と一緒に戦えるように設えて以降、それまで改憲でやいのやいの騒いでいたアメリカがピタッと何も言わなくなったとのこと。彼は先月10日に官邸で安倍氏と直接話したとのこと。もちろん改憲もテーマになったと言った上での発言だから、満更嘘でもないかもしれぬ。では、安倍首相の本当にやりたいことはと聞かれ、次のように答えた。

官邸での会見で自分から提案したのは、北方領土問題の解決である。プーチン大統領は歯舞・色丹の2島は返還しても良いと考えている。だから安倍氏が本気で平和条約締結に取り組めば2島返還への道筋が付けられるのだ。と占い師の様な事を言って、首相も賛同していたと得意げに語った。テレビ出演する解説者は一般的にそうだが、無責任な発言が許容されていると思い込んでいる節がある。こちらもそのつもりで聞いてはいるが、ロシア大統領の腹中を見てきたような言い方は少し度が過ぎる。

しかし首相の改憲推進ジェスチュア論は、多くの人が唱えているので本当かもしれぬ。国民投票をすれば相当な費用が掛かるらしいが、一度やってみたらどうかな。

2018年11月2日金曜日

上から目線

どのような理由が考えられるか知らないが、日本人はアジア諸国の人々を心のどこかで見下しているように思えてならない。例えば中国との首脳会談で安倍首相が「競争から協調へ」を第一とする3原則を提案して同意を得たとか、正式な同意は無いとか議論になったりしている。議論はどうでもいいが、かけっこをしていると仮定して、後ろから追い越していった後輩を捕まえてそんな言い方は無いだろう。

最早倍以上のスピードで走っている追い越した側が、少し待ってやろかとかと言うなら分かる。何を勘違いして偉そうに言うのか、同意を求める方が無理だろう。韓国に対しては徴用工の韓国最高裁判決に関して、駐日大使を呼びつけて肩を怒らせて睨みつけるような形相で、お前のところの司法はなっていないから政府として何とかしろ!と要求をたたきつけている。外交問題として穏便な配慮を求めるなら口の利き方あるだろうに。ある自民問党国会議員が「国家の体をなしていない」と言ってのけたが、自国のこと言っているのではと耳を疑った。

「韓国が条約守らないと大騒ぎの日本国民は、今日本政府が沖縄に何をしているかを直視したらいい。法律に基づく埋め立て承認撤回処分の効力を、本来政府の行為から国民を救済する行政不服審査法を使ってその効力を剥奪する、限りなく恥ずかしい行為である。」孫崎享氏が言っているがその通りだと思う。そもそも迷惑掛けた側が謝罪に行く際、菓子折りを持っていくのか金銭を持参するかは別としてだ。発する台詞は「どうぞこれで勘弁してください。あとでまた何かありましたら何なりと仰ってください。」が普通の作法であろう。

それを何かと言えば舌を噛みそうな例の台詞「不可逆的に・・・・・」を鬼の首でも取ったかのように吹聴するのも如何ものかだ。本当にガキの頃から喧嘩もしなければ謝ったり謝られたり、仲直りの仕方も知らないお坊ちゃんばかりが集まっているのが高級官僚と政治家なんだろう。ただインドだけは経済発展の見込みが高いので妙にへいこらしている。本当に笑ってしまうくらい分かり易い政府の面々だ。

2018年11月1日木曜日

国語の大切さ

ついに11月になってしまった。歳をとると月日の進み具合が一層早まるとは聞いているが、そうかもしれない。でも気にしたところでどうしようもないだろう。今日は嬉しいことにまた友人からお誘いがあり、久しぶりに飲み会に出かけるので早めにアップする。つまらぬことしか思い浮かばないが、昨日か今朝のロシアのテレビでプーチン大統領の演説を聞くと善いことを言っていた。

ロシアを敵視する国について団結を呼びかけたものだったと思うが、彼曰く「敵国は様々な手段で我が国から何かを奪おうと画策している。」その具体例の一つに「ロシア語」を強調していたことが印象深い。国語が失われることは国が無くなることに等しいのだろう。世界のどこに住もうと同胞が団結していることの証として、ロシア人会議を招集しての演説だったかもしれない。

嘗て台湾人から似たような話を聞いた覚えもあるが、彼の先祖もかなり昔から様々な事情で移住を余儀なくした訳だ。故郷への思いは各人様々だろうが、ロシア語を忘れぬ限りはロシア人或いは中国人で同胞意識は非常に強い。台湾人や香港人であっても現代の中国と言うくくりの中で、欧米に対して強い民族意識を持っている場面に遭遇したこともあった。

そういったことと比較して思うのは我が日本、日本語を余りにぞんざいに扱い過ぎはしないか。正月よりクリスマスを祝い、ハロウィンとやらで若きもいい歳のおばさんまで燥ぐのは良いとしても、会社の公用語を英語にして、社員の英語力が上がったと喜ぶ経営者。社員の英語力向上は結構だが、その努力に費やされた時間だけ国語能力学習時間が少なくなっている筈。

政治家の中で言えば、河野太郎外務大臣が英語に関して一番の使い手とよく言われる。確かに彼の発音は聞き取りやすいが、用意した演説ではなく本当の外交々渉に臨むむときは、もちろん通訳を帯同して日本語でゆっくりやり取りしている筈だ。そんな場合、普段から言語能力を高めておかないと機に臨み変に応じた微妙なやり取りは出来ぬ筈。それにしても彼の人相を各国の外相と比較するに、険し過ぎると言うか悪すぎはしないか。英語で能力を使い果たした結果でなければいいが。

2018年10月31日水曜日

通信インフラの発展

物理の知識に全く疎いので、電気のしかけが理解できずに悩んでいることは何度も書いている通りだが、電子なる物か現象かも勿論分からない。電子と通信が関係あるかどうかさえ分からないが取り敢えず悩ましいく思っていることを書いてみる。この歳になって通信の中でインターネットなるものに随分世話になっているが、スマホを弄っている若い人にとっては、もっともっと利用価値の高いものだろう。

そこで思うのが、このインターネットは我が家の場合であれば、NTT東日本の電信柱から引かれた電線経由で入ってきて、家の中では電波で飛ばされ、パソコンがどこにあっても使える仕組みになっている。と言うことは電波でも通信は可能らしい。この電波なる代物が出ている装置は部屋の片隅に置かれた弁当箱程度の大きさである。人工衛星に搭載されて気が遠くなるような宇宙の果てから送られてくる電波を発生している人工衛星をニュース報道で見る限り、我が家の弁当箱と変わらないとは言わないが驚くほどの大きさではない。

電波の発信装置と発信力と装置の大きさの関係は知る由もないが、衛星経由で通信回線を送る術はないのだろうか?疑問の発端は2点ある。一つは、広大なチベットの山奥の村でスマホを使っている子供の記録映像を最近のテレビ番組で見たこと。人跡未踏に近いチベットの山奥にどのように電波を飛ばしているのだろう?電気が来ているとすれば、その電柱を共用している可能性は十分あるだろうが、電気も来ていない放牧地で、どこから来る電波をキャッチするのだろう?そう言えば子供がオヤジの携帯に電話して「つながらない」と半泣きになっていたから、近くに中継局が無いと言うことかな。

もう一つは海底ケーブルの話、インターネットの発達で海底ケーブルの需要が拡大して太平洋でも他の大洋にせよ海底ケーブルの延長が飛躍的に伸びているとのこと。勿論莫大な費用らしいが、関連のGAFA各社(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)が積極的投資をしているとの報道を読んだ。日本の通信各社のことは触れられていなかったが、どうなんだろう?何れにせよこれからの世の中は情報通信を制するものが勝ち組になりそうだ。

偶々この方面に強い友人と今朝メールのやり取りをして思いついたテーマである。

2018年10月30日火曜日

どこを押せばそう簡単に?

昨日やっと国会が再開され、首相の所信表明に対する3党の代表質問が行われたようだ。今日は少し観たが昨日は中継も見なかったし、夜になると複数のテレビ局で質疑について議員のゲストを招いたりしてどんな感想を持ったかと言った総括的な番組も組まれていた。何れも少し観ようかとも思ったが、数分見ただけで馬鹿々々しくなってやめてしまった。蛇足になるが、代わりに一昨日のNHK囲碁トーナメントの一戦、趙治勲vs芝野虎丸を見直した。こっちも30分くらいで止めようと思いながら結局一時間半丸々見直してしまった。

個人的趣味との違いもあるが、中身のあるものと空疎なものとの違いは歴然としている。因みに趙治勲氏はプロ棋士の世界で空前絶後数え切れぬ程のタイトルホルダーで62歳。対する芝野虎丸氏はプロ棋士ではあるが段位は未だ七段(最高位は九段)の18歳でメジャーなタイトルは無いのではなかろうか。しかし対戦結果は芝野氏が勝った。そしてこの芝野氏、吹けば飛ぶようにか細い体で憎らしいくらい表情を変えずに淡々としている。

将棋世界の藤井聡太氏よりは2歳くらい上かもしれぬが、彼らは見ているだけで未来への明るさを感じさせてくれる。ありがたい青年たちだ。藤井氏は高校に進学と言ったかどうか忘れたが、芝野氏も高校を出たかどうかは知らない。要するに人の生き方は様々で、東大を首席で卒業したと称する弁護士資格を持つ元大蔵官僚のお姉さんか小母さんか分からない女性がテレビタレントをしたり、同じようなことお仰る60歳の片山さつき先生は晴れて大臣となられた。一方学歴は無くても小生希望を届けてくれる青年もいる。学歴なんぞは糞の役にも立たないケースが多いのだ。

何が言いたいかと言えば、首相が好んで使う「一億総活躍社会」が気に入らないのである。こちらもそうだが活躍なんかできない人間は多数いる。ご本人は何でこんな言葉遣いをすのか知らぬが、小生には一億とくれば「火の玉」「玉砕」「総白痴」くらいしか思い浮かばない。もう一つ「力強い国家」なんて戯言にもにもケチをつけたいが長くなりそうなので他日に譲る。

2018年10月29日月曜日

暗殺=まるで子供の発想

これからしばらくの間、小春日和が続きそうなので嬉しい限りだ。小春日和が恨めしい人も中にはいるかもしれぬが、それこそ少数派だろう。元来多くの人間はどこに住もうと自然の恵みを一番大切に感じるのが自然だと思う。偶々生まれた国でそれぞれの国家による恵みもあろうが、個人に対しては国家による制約や罰則もある。天罰は自然災害だと考えれば個人的なことではない。罰も極めて公平なものだから、何となく諦めなくてはならぬだろう。

諦めきれないのは法律に依らず国家権力者の恣意で殺されたりする人だ。正に不幸を絵にかいたような話だが、権力者の弟によって殺された兄や同じく甥っ子に殺された伯父の話は隣国のことなので有名だし、今回はアラビアンナイトの国で、親戚かどうか分からないが少なくとも近い関係であったジャーナリストが権力者の皇太子にの意向で殺されたと噂れている。両国ともあまり近代的国家とは見做されていないが、近代国家でも国営暗殺チームを持っている国はが殆どだろう。

我が国でさえ暗殺のケースがあったかどうか分からないが、時の政権に不都合な人間を社会的に抹殺したことは歴然たる事件でも度々見られる。今回のアラビアンナイト事件が計画から実行までかなりご粗末と世界中から非難されるが、日本で起きた事件のご粗末さに比べればまだましとも言える。少し俯瞰すれば脛に傷を持ち敵対する国も多い国家トルコとすれば、似たようなことを自分たちもしょっちゅうしているので諜報機能で少し得点を挙げたところのようだ。

こういったゲームの中で平和国家日本は常に蚊帳の外であるのは喜ばしい限りだが、今の政権はそう考えたくないらしい。しきりに安全保障環境なる言葉を使いたがる。日本は上空だけでなく領土さえもアメリカに占領されている訳だから、アメリカに敵対する国が力を付ければそれだけ厳しさを増すのは馬鹿でも分かる。環境を良くするためにはアメリカの存在を出来るだけ小さくする以外の方法がある筈もあるまい。なのに政府は、アメリカのお先棒を担いで殊更に戦争ごっこの真似をしたがる。まるで子供じみているが、それも現代の子供ではなく昭和10年代の子供と同じ。何を学んでそうなったか知りたいものだ。

2018年10月27日土曜日

世界の認識・日本の思い込み

天皇陛下のご臨席を仰ぎ国会が開幕したと思ったら、翌日から総理以下閣僚数名が中国を訪問した。外交であるから中国訪問はかなり前から決まっていても不思議はない。であれば国会の召集時期を数日先延ばしてはどうかと思うが、これができぬ程総理の日程も詰まっていると言うことだろう。お忙しい割には成果と言うか実りの無い薄っぺらな内閣であることだけは間違いなさそうだ。

中国では特に談判することは何もなかった(出来なかった)ようだが、破格の待遇で迎えられたことははっきりしている。総理としては嬉しいだろうが、日本の対中国政策を変えざるを得ないと見る向きが多い。中国が米国との関係で苦しいから、属国日本を引き込むためにすり寄ってきている。だから7年前の前回は苦虫を噛み潰したような顔で会見した習近平首席でさえ、今回は笑顔で握手をしてくれたし、会談もできた格好にはなっている。

だから取れるものは何でも頂く絶好のチャンスだなんて言う識者(解説者)が多い。総理に面と向かって「トランプ氏との関係は大丈夫ですか?」と質問をする記者はいないが、聞かれても「日米の同盟関係は強固なもの」と簡単に答えることだろう。現在でも安全保障関係では南洋で米軍と一体化した訓練を行っているし、少々のお金が出るのは事実だろうが、中国の一帯一路戦略とは一線を画しているから流石日本と評価してくれる筈と思っている節が窺える。

事実テレビに出る評論家は政府御用達の連中が多いから、日本国民に対するメッセージは「漁船衝突事件で関係を悪化させた民主党政権とは大違いだ。これからは中国とのビジネス環境が益々拡大していくことだろう。」概ねそんな様子で胸を張っている。あっちの親分には杯を貰った正式な子分だが、敵対する親分とは盃のやり取りはしないで、その縄張りで稼がせてもらいます。本当の親分には迷惑かけないし、沢山上納しますのでので宜しく頼んます。で済むほど世界は甘いのだろうか?

中東のみならず国際政治の現状と各国首脳の苦悩は察するに余りあるものがある。何れにせよ政府の認識はパラダイス仕様で結構なことだ。

2018年10月26日金曜日

最高のハイキング

今年は天候が不順で、暇人にとっても山歩きに適切な日を選ぶのが困難だった。しかし昨日は火曜日頃からどこの予報をチェックしても完璧に快晴とのこと、こんな日をむざむざ見過ごす訳にいかないので、娘が来る約束を1日延期してもらい友人を誘って大菩薩嶺に行ってきた。友人は昔仕事の関係で世話になった官僚で、少し年下。山好きで気が合いリタイヤした後も1年に一度くらいは里山ハイキングを共にしている。

昨年は日出山に行って、来年6月には2度目のお勤めも終わる予定と聞いていたので、水曜日の午前中久しぶりに電話で連絡してみた。そしたら、なんと3度目のお勤めをしているとのこと。それも結構なことなので、ならば一人で行こうと思ったら、今度のお勤めは大分気が楽そうで、明日であれば是非にも行こうとのこと。昨年の日出山以降運動不足をかこっていたそうで、大菩薩嶺は未踏とのことでもあり、勿怪の幸いだったらしい。しかも自宅が国分寺なので好都合でもありそう。

取り敢えず電話で集合場所の甲斐大和駅とバスの発車時刻9:50を確認して、1年ぶり以上での再会を果たした。自宅を6時前に出て登山口到着が10;30は少し泣けるが、今さら時間に惜しみがある訳でない二人である。富士山の眺望拝みの狙いは正にばっちり、もう根雪に覆われたらしい美しい富士山を存分楽しむことが出来た。更に古い記憶と異なり、コースの標高差は僅か500メートル程、登りのコースは程々汗もかいて登山気分も出るが、途中で出会った若い夫婦に連れられた元気な娘さんの歳が2歳半と聞いてびっくりだった。

道理で高齢者夫婦が多かったのは平日だった訳だけではなさそうだ。何れにしても我々は人生黄昏の二人連れ、帰路は時間がたっぷりすぎるほどあったので、標高1800mから降りつつある紅葉をたっぷり楽しみながらお散歩気分でゆっくり下山。この山は高尾山と同じように広葉樹の種類が多いので紅葉のバリエーションも見事なものだ。来年以降も又来たくなった。

例によって詳細は下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1628661.html

2018年10月24日水曜日

物理のテスト0点ゆえ

今月21日に台湾で発生した列車の大事故、8両編成の特急列車が時速140キロと言われているが脱線転覆して、こう言っては何だが、死者がよく16名で済んだと思う。運転士も生命は取り留めているらしいから、原因が本格的に突き止められることに期待したい。台湾も結構な工業国家と思うが、やはり列車の様な重工業は外国に任せた方が安いのか、列車は日本製とのこと。日車(日本車輌製造)製のTEMU2000型電車と報道されている。

その記事を読むと、これ迄に電車の運転は単純で三輪車の運転より楽ちんではないかと思っていたのが大いなる勘違いと認識できた。日本では数年前にJR西日本が大きな事故を起こしたが、遠隔地だったこともあり他人事のようで、私鉄を含め列車が最も安全な乗り物と心得て毎日のように利用させてもらっている。最近は余り混雑する時間に乗ることも少ないので、予定時刻に列車が定位置に停止することも不思議に思わない。

自動と言えば自転車、動力は足の運動をチェーンで車輪に伝え、制御はタイヤのリムを硬いゴムで摩擦する仕掛け。原理はこれくらいしか分からない。昔は自動車の運転免許に構造のペーパーテストがあったが、一夜漬けで覚えたものの合格と同時に全て忘れたので、自動車の構造など全然分かっていない。大した事故もなく免許を放棄できたのでほっとしているところだ。列車と関係ないが、聞くところによると最近の乗用車は大凡1万点ほどの部品で構成されているらしい。これが電気自動車になると部品が10分の1となるらしい。

元に戻って電車の話だが、運転席は近くの交通公園で見る限り簡単そのもの。電気自動車の部品点数が少なくなるのが分かる気がする。ところが、電気の扱いはボケ老人が思うほど単純ではないらしい。先日北海道のブラックアウトから電力の需給バランスに触れた時も思ったが、電車は架線から電力を取り込むのが基本だが、場合によっては不要な電気を架線に送ることをしながら走っているらしい。

電車に必要な駆動装置は当然全て電力に依っている。もちろんブレーキもそうである。そこで台湾で走っていた件の特急列車、運転士が「ブレーキが効かなかった」と陳述の説もあるが、本当にスピードの出し過ぎだったのか、或いは電気の取り込みと放出の関係でとっさにブレーキの働きが悪くなったのか、想定される原因が多すぎて、記事を読んでも理解できないほどである。

明日は大菩薩嶺にハイキング予定、明日の準備のため早めにアップします。明日のブログは休みます。

2018年10月23日火曜日

暇をどう過ごすか

日本と言う国は本当に気楽な国だと思う。お陰でこちらも大分のんびりして日々過ごしてるが果たしてこれで良いのかと少し反省してみたい。世の中に年寄りは佃煮にしたくなるほど多いが、皆さん毎日何を考えているのだろう?天気が良い日は必ず洗濯物と一緒に布団を干す家もある。毎日同じ路上で同じメンバー3人がお喋りしているお婆さんがいるが、よく話が続くものだと感心せざるを得ない。

爺さんは朝早くから犬の散歩する人、車を毎日洗車してピカピカにする人、路上でゴルフの素振りに励むのは危険だから止めてもらいたいものだ。昔取った杵柄で社会福祉関係のNPOを立ち上げたとて物書きに勤しみ乍ら、門前に鉢植えの花々を並べて朝夕水やりに励んでいたお人もいたが、書斎のスペースが手狭になったようで、最近車庫を潰してリフォームを始めた人、外出の機会がただでも少ない人なのに益々運動不足でお腹だけが出てくるだろう。総じて爺さんは何をするにも孤独な感じだ。

毎日同じことを喋っていても婆さんの方が健康的であるのは間違いない。こちらも孤独は紛れも無いし、仕方ないからブログなど書いて無聊を克服したいがブログの種も尽きかけている。結局反省も何もあったものじゃない。明日から国会が始まるそうなので、またバカな政治家がわんさと現れてブログのネタを提供してくれるのを楽しみにしてるところであるが、本格論戦は週明けになるらしい。

昔は政治家の海外出張は連休期間中が常識とされていたが、現在の総理を見ると、外遊の間に国会の予定を入れているようだと言った人がいる。徘徊老人になるには未だお若いのだから、新しい政府専用機に乗り込んで喜んだりするのはみっともないと知るべきである。結局こちらは誰に遠慮する必要もないので木曜か金曜日にまた山にでも行くつもり、今度こそ今年最後の山行きになるだろう。

繰り返すが世界中が騒然とする昨今、騒いでいるのは株屋だけで日本は世界のどこからも本気で相手にしてもらえない。本当に気楽な国だと思う。

2018年10月22日月曜日

温もりを期待して

終日秋晴れの良い一日だったが暮れるのが早い。気が付いたら4時を回っている。冬に備えてガス温風器が使えるようにガス工事を依頼してあった。午後来てくれることになっていたが、来てくれたのが2時半過ぎ。結局一日がその立ち合いで終わってしまったようなものだ。秋の大掃除をして炬燵を出したりする手間が無いのだから文句を言う訳にもいかない。

外国は何やら騒然としているが、日本は蚊帳の外。お陰でのんびりした日が続きそうだ。

2018年10月21日日曜日

国営昭和記念公園

            遠くに雲取山まではっきり確認できた

紅葉には少し早いが美しい場所が多い

昨日も午後から国会図書館に出かけたが、天気予報を信じたのか虫が知らせたかは分からないが早めに帰宅してよかった。夕方4時半頃からの夕立が江戸にしては珍しいくらいの激しさで、雷も凄かったが雨の勢いが半端でなく、天窓が壊されて水浸しになるのではと心配したほどだった。代わって今朝は早朝から快晴。

日曜日の朝はTBSの「サンデーモーニング」を見終わってから行動を起こすのが常だが、先週はアラビアンナイト以外に大したニュースは無いらしい。本当はハイキングに出掛けるべきだったかもしれぬが、それ程の気力は既に無い。そこで思いついたのが立川の「昭和記念公園」。昭和時代に約半世紀もお世話になりながら一度も行ったことがないのは申し訳あるまいと、ネットで調べると今日は無料開放日とのこと。早速出掛けた。

広いとは聞いていたが流石の広さ、森林や変化に富む造作は大したものだ。ホームページに掲載されている45か所のビューポイントを大体見終わったので入ったゲートに戻れば良かったのだろうがいつもの悪い癖。目の前に見えた砂川口から出てしまった。入場した「あけぼの口」は最南端、砂川口は最北端である。山でもそうだが、勘を頼りに歩くと大体本筋を間違える。本日もその通りで、1万5千歩位の散歩が2万歩を超す散歩になってしまった。

さぞ心地よく寝ることが出来るだろう。

ご参考まで:http://www.showakinen-koen.jp/

2018年10月20日土曜日

バカ万歳

昨日久し振りに国会図書館に行って少し本を読んだりしてきた。行くたびに思うのがこの図書館のシステムのアップデート(更新)のスピードである。

記憶では通い始めたのもそんな昔ではないと思うが、当時蔵書は全て紙のカードで引き出しに収められていて、それを探し当ててカードに記入、そのカードをカウンター提出をしてカウンターの前の椅子に腰かけ自分の番号がボードに表示されるまで待つスタイルであった。従って蔵書の検索が館内に多数設置された端末で行えるようになって日は浅いと思うが、一か月も行かないとこのシステムのどこかが変更されている。

利用する立場からすれば、日進月歩で使い勝手が良くなるのだから文句つける理由は無いが、税金で運用されているこのシステムの初期経費とか運用経費を想像すると莫大な費用になるに違いない。システムは富士通かNECのどちらかだった筈だが、ほぼ永遠に続くビッグなビジネスだから獲得に関しては相当な商戦があったことだろう。世は正にコンピュータシステムの時代、東京では無人の電車が走るのも当たり前、自衛隊の隊員諸氏は連日厳しい訓練に励んでおられるが、いざ鎌倉になった時は米軍と連動したコンピュータシステムが機能しないと動けない。

政敵を外国に置かれている領事館に誘い込んで殺人に及んだとされるサウディアラビアでさえ、軍隊は英米の装備で近代化を図ったり、コンピュータシステムが大活躍の投資ビジネス拡大をアッピールしている。アラビアンナイトのロマンもへったくれもあったものじゃない。世の中には常に頭のいい人が沢山いて、これらの人々が考え出した科学技術の発展がロマンを全く感じさせない殺伐たる世相を生み出してきた。と言ったら語弊があるかな。頭が悪い癖に生意気を言ってしまった、ごめんなさい。

昨日図書館のシステムのお陰で「文藝春秋」1960年1月号同級生交歓に楽しい記事を発見したので抄訳を披露させて頂く。大日本武徳会々長(元陸軍大佐・張作霖顧問、元衆議院議員)町野武馬氏と元陸軍大将・関東軍司令官の植田謙吉氏のお二人。町野氏が文を書いている。「共に明治8年の生まれで陸士の出身、約700人のうち40数人の生き残り中のバカ二人。並べて写真を撮る奴もバカ。自分は小学校もロクに出ずボロ出さず大佐まで進んだ本当のバカ。植田は正反対の立派な奴、大将まで行った。人物を見込まれ入閣を懇請されること数度に及ぶが絶対引き受けぬ。長いタケノコ生活に貧窮しながら、敗戦と言うのに軍人が恩給を受け取れるかと言って受け取らなかったバカだ。」

現代も続いているこの頁、登場するのはお利口さんばかりで面白くない。

2018年10月19日金曜日

改憲論議で思う

憲法を最も遵守しなければならない総理大臣が、憲法を変えるべきだと旗を振っている。憲法には、変更当然あるべしとして規定まであるのだから、変えること自体はとやかく言うべきではない。しかし総理が旗を振ることは大いなる矛盾であるのは間違いないだろう。何度も書いているように憲法そのものをよく知らないのだから改憲すべきかどうか意見を言う資格はないが、改憲論を強調する人の中にある押し付け憲法論には強く異を唱えたい。

日本国憲法が連合国占領時代、我が国がマッカーサー司令部の司令下にあった時代にその監督下で定められたことは幾らなんでも知っている。悪口を言う向きは、日本側が提出した案に業を煮やしたマッカーサーが何とかいう女性に命じて1週間で原案を作成させたとか、英語の直訳だから日本語としてなっていないなんて言われているのも聞いたことがある。しかし、これが制定されるためには当然ながら国会の審議を経ているだろうし、その議事録もあることだろう。

当然ながら終戦直後の1946年~1946年のことだから、数年後に改憲論を強調し始めた岸信介氏なんて人は戦犯として獄中にあって関与はしていない。当然と言えば当然で、岸氏は戦前から戦中にかけてバリバリの官僚で日本全体を統制していた張本人。絞首刑にならず釈放された方が不思議なくらいだ。総理大臣一家の悪口は程々にして、指摘したいのは当時の政治家の資質である。どんな議事が行われたか詳しくは無いが、芦田修正によって9条が押し付けではなく、日本の積極的意思表明に書き換えられたことは知っている。

確かに草案作成がマッカーサー司令部に相当せかされたようでもあり、さもなければ天皇を戦犯で引っ張るぞとの脅迫もあったようだが、当時の政治家の知的水準と占領軍との交渉能力は、現代のそれと格段の相違があるように思う。特に石原慎太郎氏がケチをつけている日本語の表現であるが、憲法を口語化するについては国語学者の安藤正次博士や作家の山本有三氏まで動員しているのだ。少なくとも石原氏よりは益しだろう。

2018年10月18日木曜日

切歯扼腕するばかり

数日前に安倍首相訪欧の意味が分からないと書いたばかりだが、今日のmsnニュースによると『今回の欧州歴訪で首相の最大のミッションの一つが「中国包囲網」の構築だ。南シナ海などで軍事行動を強める中国にクギを刺す狙いがある。』と書かれている。昨日のフランス大統領との共同記者会見でも首相は「自由で開かれたインド太平洋の発展・繁栄のためにともに力を合わせたい。」と述べている。

来週早々の中国訪問が大々的に喧伝される中で、何を考えているのか益々意味が分からなくなるが、それは措くとして。首相が折に触れて発する、日本を遠く離れた場所での自衛隊が行動することを是とする発言には強い違和感を覚えてならない。運転免許の無い少年に自動車を運転させているような思いに似ている。一方で首相はこのところ自衛隊員の前で「全て の自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整える。これは今を生きる政治家の責任だ。私は責任をしっかり果たしていく決意だ。」繰り返し述べている。

現在の自衛隊員が強い誇りを持っているかどうかは兎も角、自衛隊員は任務を全うしてくれているし、国民の方から感謝こそするが蔑む人はいないと言ってもいいだろう。安倍氏にすれば、改憲して専守防衛の軛を解き放ち戦える自衛隊にしてやるから、のつもりで言っているとすればとんでもない話で、それが政治家の責任だとするなら勘違いも甚だしい。もちろん自衛隊員、特に高級幹部の中にはアメリカ軍との一体化強化が進むことや高価な兵器を買うことを良しとする人も多いかもしれぬ。

その傾向が進み暴走することを防ぐのが政治家の務めの筈が、真逆の姿勢が現政権とも言える。来年度もまたアメリカの応援或いは圧力があり防衛予算が拡大するのは目に見えている。それが出来るくらいなら災害対策や福祉に回せ、との声は聞こえるが雑音としてしか扱われない。政権の姿勢を糺すはずの野党の力があまりに弱いのはご承知の通り。ネットの世界は若い人の声が多いとも聞くが、ここでもネトウヨの声が圧倒的に多い。非力な老人としては切歯扼腕するばかりだ。

2018年10月17日水曜日

老後の生き方

先日現役時代の数少ない友人と話していた時のこと、彼曰く「自分は心拍が非常に低い。ある学説によると、動物の寿命は心拍数によって左右されることがあるともされている。いわゆるゾウの時間とネズミの時間と言うやつだ。もしそうなら自分の心臓は相当長生きするように作られているかもしれない。」また彼のお母さんは最近亡くなったそうだが、103歳のご長命だったとのこと。実に目出度いことだと思うが、重ねて彼が言うには「後10年くらいはいいが、それ以上となるとなぁ。最近は自殺なんてことも頭をよぎるよ。」

聞いてびっくりしたが、幸か不幸か長生きを心配するほどこちらの身体は頑健に作られていない。これもつい先日高校時代の友人夫妻と軽い山歩きをした際に奥さんにも指摘された。「貴方の膝は未だ擦り減っていないようで降りは軽そうだけど、登りはすぐハーハー言っているから心臓は弱そうね。」仰る通り自分の身体には全く自信がない。身体に限らず身の回りにある物の殆どが安物故、永持させるべく極力大事に扱うよう心掛けているだけである。自殺自裁なんか夢にも思ったことがない。

恵まれた人には凡人には想像できない悩みがあると半ば感心してしまったが、改めて老後について考えてみたい。78歳後半だからもう立派な老後である。最近亡くなった有名人を上げると前沖縄県知事の翁長雄志さん、女優の樹木希林さん、元横綱の輪島さん、政治家の仙谷由人さん、何れも70歳前後で亡くなっている。それぞれの生き方に大きな違いはあるが、皆さん立派に功成り名を遂げられて惜しまれつつ世を去られた。昨年暮に逝った我妻にも同じことが言える。

一方で人生100年時代なんて馬鹿なことを言い出す人間が現れ、政府はだから75歳まで働いてくれ、とか後期高齢者の医療費負担を1割から2割へとか訳の分からないことを言い出す始末だ。1億2千万人強の人口で2千万人強が70歳以上、100歳以上が7万人もいるのだから政府がオタオタするのも分からぬでもない。しかし、織田信長の戦国時代から我々が小学生の頃まで言われた「人生50年」は確かに伸びた。でもやっぱり「人生70年」が良いところだ。

若い頃から近隣は言うに及ばず広い世間を全く顧みず、只管我が家の暮らしだけを念頭に、来月分の食い扶持を女房に渡すことだけを目標に生きてきた。その目標が無くなった今、これから何をなすべきか、改めて考える必要がありそうだ。

2018年10月16日火曜日

総理が今やりたいことは?

東京でも秋が深まりだいぶ寒くなってきた。併せて懐も寒くなってきたので、少しでも食費を切り詰めようと、昨日は娘に電話して「スーパーでご飯を買うのをやめてお米を炊いて食べるので、ご飯の炊き方と冷凍並びに解凍方法」を教えてもらった。併せて味噌汁もインスタントを止め、だしと味噌を使って作ってみたらインスタントとは味が全く違うことに気が付いた。これなら野菜も種類が多く摂れることだろう。経費の節減にもなるし一石二鳥だ。

余命がどのくらいにせよガードは益々固くせざるを得ない。似たような思いはお金持ちはいざ知らず、大方の給料生活者はお持ちの筈だ。政府の経済政策は果たして功を奏しているのかいないのか、どうも後者ではないか。昨日総理が来年の消費増税を明言したことも不思議にも思うが、穿った見方をする向きは「これは来年7月に三度目になるが、また消費増税延期を発表してW選挙に持ち込むため」の布石と仰る。

だから総理の記者会見は無しで菅官房長官に任せ「リーマンショックのようなことが起きれば延期もありうべし」と言わせているとのこと。言わば政府も景気が良いのは一部の人だけで大方の庶民の暮らしが良くないことをご承知のようだ。来年のことなど何が起きるか分かるはずも無いが、どう考えても懐事情が良くなることだけはあり得ないことだけはっきりしている。

そして総理は今日からフランスとスペインを訪問されるとのこと。どんな意味を持つのか少なくとも小生には分かない。気になるのは昨日韓国の文大統領が同じくフランスを訪問して、相当の栄誉礼で歓迎されている。総理の訪仏がどんな報道になるか分からぬが、大統領と首相の格の違いはあるにせよ、栄誉礼による歓迎は無いだろう。文大統領の場合は国連安保理による北朝鮮制裁解除を常任理事国の一員であるフランス政府に要請しに訪仏したことははっきりしている。マクロン大統領が了承したとは報じられていないが。 

しかし総理が文大統領を否定に態々訪仏とは思いたくない。欧州は今相当揺れている時期でもある。そこへの訪問だが意図が奈辺にあるのか分かりにくい。世界的に経済が不安定化してきている今日、国内には来年秋の消費増税対策以外になさねばならぬことが多い筈。まさか外遊の回数を重ねたいだけでもあるまいに、本当に何をしたいか分かりにくいお人だ。序に言えば今回党役員人事で改憲シフトを敷いたと言われるが、これすら見せかけだけと言う人が多い。

2018年10月15日月曜日

命綱

昨日の朝日新聞によると<九電、2日連続で太陽光発電抑制:太陽光発電の受け入れ量を一時的に減らす「出力抑制」を全国(離島を除く)で初めて13日に実施した九州電力は、14日午前から、2回目の出力抑制を始めた。電力の需要と供給のバランスが崩れて大停電が起こるのを防ぐため。>とのこと。

電力の需給バランスと言う意味ではこれと正反対な事件が先月6日早朝北海道で起きている。詳細は複雑だが簡単に纏めると、6日未明の地震で起きた人たちが照明やテレビをつけたことで電力需要は増えていき、それが苫東厚真1号火力発電所に集中することで、ここの需給バランスが崩れて周波数が低下し(高校物理が落第点故ここがよく分からない)、機械が壊れる恐れがあったので送電を停止した結果、地震と無関係な地域を含む全道的大停電になった。

昨年までバイオマス発電所建設に躍起になっている友人の仕事をボランティアで手伝っていたので、少しは電力に関する知識を持ち合わせていたつもりだったが、やはり基本的な知識が無いことにはエネルギー問題の根本は理解できないことが分かった。北海道全域のブラックアウトもさることながら、先日八ヶ岳山麓の友人を訪問した際に聞いた、台風被害による停電の話も怖い話だった。台風25号が多くの電線を引きちぎり友人宅では丸3日、場所によっては5日も停電が続いたらしい。

友人宅はプロパンガスを使用していたうえ、車を2台所有していたので、そのバッテリーを使いながら凌いだようだが、久しく停電を経験していない我が家がそうなったらパニックになること間違いなしだ。我が家に来ている電気の仕組みは前述の通りよく理解していないが、停電は地震や津波や台風でなくても起きる可能性はあるものらしい。ライフラインを考えれば他には水道もそうだ。スイッチを捻れば電気が点く、レバーを上げれば水が出る生活に慣れきっている危険を改めて考え直したい。

日本は昔と言っても最近まで、通信、鉄道、電気、水道と言った社会の基本施設は全て国公営だったが、水道を除いて(これも近いうち)これらを全て民営化してきた。この政策が果たして正しかったかどうか、しかも民営化で利益追求に拍車がかかる一方、様々な規制で政府が彼等を守っているのも明らかだ。大きな矛盾だと思うが、小泉純一郎氏や竹中平蔵氏に改めて感想を聞いてみたい。

2018年10月14日日曜日

「コンビニ」

現代普通に使われている日本語には意味不明の言葉が沢山あるが、その多くは横文字をそのまま使うか、意味不明のまま直訳しているものが殆どだ。明治の初めも同じことで江戸時代に無かった言葉が沢山出来たらしい。しかし明治時代の官僚は良心的で、言葉を導入する際に、その意味するところをきちんと調べて適切な日本語を作り出したとのこと。経済学者の三橋貴明氏の説である。

沢山あるその中で、江戸時代には国家とか経済なんて概念が無かったことは容易に想像できるが、「競争(competition)」についてはやや疑問に思うくらい驚いた。三橋氏が言うには江戸時代には「切磋琢磨」なる概念はあったが、競い争って結果として勝ち負けを決める概念は無かったとのこと。どこかの小学校の先生が喜びそうな話である。外国との関係が複雑化する一方の現在、外国人労働者とか様々な問題が顕在化している。難しい話は休日に相応しくない。

先日信州の友人宅で聞いた話も興味深かった。友人曰く平成の30年間に起きた変化で最も著しいのは「コンビニ」とのこと。車で相当走らなければコンビニが見つからないような田舎住まいの彼が言うくらいだ。ネットで調べてみると2017年統計で約5万8千店舗、平成元年統計は無いが取得可能な最古の値である1983年度では約6千3百店舗だから、30年前にあったかどうか確認の術は無いが数だけでも著しい増加だ。

加えてその機能たるや、簡単に食品が買えるのみならず金融機関窓口であったり役場の窓口にさえなりつつある。正に「Convenience(形)便利な,使いやすい,手ごろな」そのものだから、これが無くては生活が成り立たなくなっている人も多いだろう。30年前に「コンビニ」なる日本語が我が脳中にあったかどうか既に記憶の外になってしまっている。明治30年頃の「競争」と似たようなものだろう。

お偉い人に「新しい国造りを!」なん偉そうに叫んでもらわなくても、庶民にとって便利な事象は自然に国の形を変えていくものだ。

2018年10月12日金曜日

秋が深まる

月曜日の夜、広告代理店でテレビの仕事をしていた頃から付き合っている唯一の友人と久しぶりの飲み会をして、翌朝に新宿から長野県原村八ヶ岳三井の森別荘地に居住する友人を訪問。先ず入笠山ハイキングを案内してもらい、夜は夫人の手料理で大宴会。翌日は雨だと思ったのだが、朝食を済ますと意外に晴れ間が見えた。折角だからってことで、今度は北横岳のハイキングに夫妻ともども案内してくれた。月曜の夜から水曜の昼食まで久しぶりにまともな料理と美味い酒ににありついたうえ、信濃路の秋の山歩きまで堪能出来て素晴らしい週になった。
山歩きの詳細は下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1612566.html
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1612710.html

2018年10月9日火曜日

スパイの世界

今やロシアで英雄視されている旧ソ連のスパイ<ゾルゲ>に関連する一連の事件に関しては逮捕者も多く、日米開戦直前でもあり、当時は大騒ぎだったのだろうが、その数年後に日本が敗戦国になったためだろう、余り詳しくない。現在の日本は世界からスパイ天国と言われるほどスパイが多く暗躍しているとされるが、果たして本当だろうか?何故なら日本には機密性の高い情報が集積しているように思えないのだ。スパイ小説やスパイ映画は好きでよく見るが、舞台の本場は英米露であり、中立国のスイスやヨーロッパ本部の置かれているベルギーのブラッセルが多く登場してくる。

元ロシアのスパイが英国で襲撃されたり、オランダ警察でロシア人スパイが逮捕さえる事件を聞くと、日本人には全く絵空事のように思えるスパイが現実に活躍していることがよく分かる。これからは中国が無視できなくなるのではないかな。今回国際刑事警察機構のトップの座に居ながら本国に召還され逮捕監禁されている孟宏偉氏(64)事件は国内汚職事件関連とされているが、スケールの大きさで注目に値する。サウディアラビヤのジャーナリストが自国のトップの悪口をアメリカのワシントンポスト紙に書いたら、トルコのイスタンブール領事館であっさり殺害されたらしいとの報道もある。

英国や米国のように国益を掛けた殺人機関の存在を半ば公然化している国もあるが、小説で頻繁に登場するのがイスラエルのモサドだ。逆の見方をすれば今やこういった諜報機関の無い国の方が少ないのかもしれない。中国や北朝鮮は諜報機関員でなくても海外での行動が不自由のためだろう、国家を害する者は国家の正規の機関が自国民であれ外国人であれ堂々と拉致したり、公衆監視の中で殺人をしてのける。数年前に金正男氏がクワランプールで暗殺された事件は生々し過ぎて小説にすらならぬだろう。

国益とは何かについては難し過ぎて分からないが、日本にとってのそれは当面子供を増やすことのようだ。北朝鮮に拉致された国民の安否を上げる人もいるが、少なくとも現政権内の外務省も政権トップも、この問題はアメリカをはじめとする世界各国の協力もとで解決されると信じているようである。サイバーテロとも人間のスパイとも無縁の日本ならではのこととも言える。

2018年10月8日月曜日

教科書による道徳教育

「体育の日」とはかけ離れているが、今朝の朝日新聞に掲載された道徳教科書問題に関する記事に目が留まった。記事によれば、従来道徳教育は「考え、議論する」という方針だったのが、今回初めて中学でも「教科」になった道徳。来春から中学にも今までなかった道徳の時間が新設され、そのための教科書検定が行われたらしい。「従来の道徳の時間から特に変わるのは、検定教科書を用い、児童生徒を評価する点。」記事には次の見出しが付されている『根拠のない教科書・悩む先生…道徳って何だっけ』そりゃそうだろう、先生だって人の子だ。

たまたま昨日の池袋駅でのことだが、待っていた地下鉄に乗り込もうとしたとこら横から小学低学年の女子生徒が割り込んできた。思わず手が出かかったが辛うじて思いとどまった。そのタイミングで後ろにいた母親らしき人が娘に注意をする声が聞こえたのでほっとした。その子がどんな思いだったか知る由もないが、似たような光景にはよくぶつかる。修身や道徳とは程遠い身で書くのは気が引けるところもあるが、最近の日本は外務やや防衛省とは無関係の思わぬところで右傾化が大きく進んでいる。結果行きつく先は言わずと知れたところだろうが、これに抵抗を示す人材は益々減っているのだろう。

新文科大臣の柴山昌彦氏も東大出弁護士さんだから立派の人だと思うが、就任早々教育勅語で物議をかもしたりしているのはどういった存念なんだろう?なにか勘違いで時代錯誤されているのか、あるいはこちらが時代錯誤しているのか混乱を来してしまう。道徳教育は子供の頃から教える必要はあろうが、誰がどうのように教えるかは不肖の身には判断できかねるが、教科書で教えることは少し無理があろう。

2018年10月7日日曜日

文化の相違

日本人は昔から絵画・文学・詩歌、ひっくるめて言うと歌舞音曲と言った芸術を大事にしてきた国民かもしれぬ。そのたぐいの大学も国際的に見れば多い方ではないだろうか。我が豊島区も芸術を尊重する町として国立芸術劇場なんて仰々しい建物が有ったりするし、新宿区には東京オペラシティーなんてものまであるし、何で六本木に国立新美術館なんてものが出来たかも分からない。

池袋では先々週氏神様のお祭りを盛大に執り行ったばかりだが、昨日と今日にかけてこの関連だそうだが、同様の交通規制を行い、国立芸術劇場のすぐ脇にある池袋駅西口一帯で第19回 東京よさこい(ふくろ祭り)が盛大に行われている。記憶にある限りでは台風や冷たい雨にたたられる年も多かったが、今年は台風が幾つも来たのに先々週の本祭りもこの連休の「よさこい」も好天に恵まれた。別に祭り好きで行くのではないが、昼飯はどうしても池袋まで行かなければならぬので今年も少しは見た。

「よさこい」が何で池袋で?と聞くのは野暮らしい。この種の祭り?は今や北海道から沖縄まで、都内でも何か所かで行われて、それぞれがかなり盛大になってきているようだ。今年の池袋に参加したダンサーチームは100チーム5千人とうたわれている。これは全て自前参加だろうし、賞金目当てでもなく、それこそ老若男女一糸乱れず踊り狂うのだから練習も大変だろう。考えてみれば平和そのもので大変結構なことだと思う。

これこそ一種の文化興隆だ。パリでは今社交ダンスが大流行で、夜な夜なセーヌ河畔で踊りに興ずる大人が増えていると聞くが、それより健全かもしれない。
昭和34年大学に入学出来て初めて上京した時に、同じアパートで暮らした兄貴が「俺はちゃんとダンス教習所に通ったが、ダンスホールに行くにはボックスのステップだけ飲み込めばOKだから俺が教えてやる。」と言って促成教育をされたことを思い出す。

そう言えば当時は新宿だけでもダンスホールは何か所もあったが今はどうなっているのだろうか?カンカン照りの中で汗水流す踊りを見ながら、ふとそんなことを思い出した。フランスのシャンソン歌手シャルル・アズナヴール氏の葬儀が国葬で執り行われたとの報道に関連して、文化の違いを書こうかと思ったが話が逸れてしまった。文化に対する庶民の意識にはそんなに大きな違いは無いのかもしれない。

2018年10月5日金曜日

この国のかたち

司馬遼太郎氏が使い始めた言葉のように記憶するが、彼の膨大な随筆集のタイトルのようだ。果たしてどのくらい読んだか、或いは全く読んでいないかは憶えていない。司馬氏は明治維新前後の歴史上に登場した人物をテーマに数多くの小説を残してくれた。これらの人物が国づくりに貢献したことは間違いあるまい。そのうちの何冊かは読んだ記憶もあるが、国の形が腑に落ちたような気になったことは一度もないので、靄々した気持ちでいたのが偽らざるところでもある。

最近になってその靄が少し晴れ、確信に変わりつつあるのが現在の心境だ。但し、靄が晴れても余りハッピーではない。日本はどう考えても独立主権国家とは言い難く、アメリカの属国或いは植民地と考えたほうが分かり易い。小学校入学が昭和22年だから、先生からは日本は民主主義国家とずっと教わってきた。当時は連合軍の占領下にあり、何事もマッカーサーが率いるGHQの指導下に置かれてはいたものの、昭和26年にはサンフランシスコ講和条約で独立が認められて名実ともに主権国家となったと後に知るようになる。

従って、小学4年生から78歳の今日まで、我が国は独立主権国家であることに疑問は抱かなかった。世界に200強の独立主権国家があるらしいが、その一員として他国からも見られている筈と信じて疑ったことも無い。もちろん国連でも正規のメンバーだ。しかし、ただ1か国アメリカだけは日本の独立と主権を認めていないと考えるに至った。北朝鮮と国交が無いとか、ロシアとも正規の平和条約が無いなんて問題以前の根本的問題である。

嘗て支那の混乱時代にいくつか存在した政権の中で蒋介石政権がアメリカの傀儡政権であったように、現在の政権はアメリカの傀儡政権と考えれば、羽田空港の管制権が返ってこないとか、辺野古に基地を新設なんてことは分かり易い話だ。明治維新後政治家が最も心を砕いたのは、維新前後のごたごたの中で欧米各国と不条理に締結させられた治外法権の撤廃・関税自主権回である。彼等は廃藩置県になろうが憲法が制定されようが、日本が独立したとは考えていなかった。

安政年間から明治初めにかけてのどさくさの中西欧諸国に結ばされた不平等条約の数々、即ち治外法権と関税優遇であるが、これを改正するために先人が払った努力を改めて認識すべきだ。いろんな人の名が出てくるが、この問題を最終的に処理するまでに要した時間は50数年とのこと。昭和26年から数えれば既に67年、未だに日米関係は治外法権の撤廃・関税自主権回復には程遠い。やれ憲法だの教育勅語を云々する前に、もっと考えるべきことがある筈だ。

2018年10月4日木曜日

秋の夜長

つい数日前まで暑さに辟易していたが、今日は寒いくらいだ。この週末にまた台風が来て連休中は暑くなるようだが、流石にそれで暑さも終わるだろう。日本の四季は良くしたものだ。今週は冬支度と決めて先ずインフルエンザの予防接種、続いて暖房について考えた。夏前にリフォームしたので、暖房は考えずに何でもかんでも処分してしまった。即ち畳と炬燵と石油ストーブである。家じゅう風通しが良くなって椅子の生活は腰には良いだろうが、今からこれ以上寒くなることを予想しておかないと風邪でも引きかねない。

インフルエンザを予防できても風邪を引いて動けなくなったら、飯を食うのが大変で一巻の終わりだ。リフォーム中に避難したアパートで使っていたガス温風機を使えるようにしなければならない。そんなことで昨日東京ガスに電話すると、すぐに見に来てくれた。前述の温風機はガス栓が無いのですぐには使えないが、ガス管がフローリングに張り替えた部屋の近くに来ているので、比較的簡単な工事で済むだろうとのこと。来週9日に設計担当が来て見たうえで見積もりを出してくれるとのこと。一安心した。

独居で時間を持て余すかと思っていたが、なんだかんだ言いながら結構足早に時は流れていく。秋の夜長になっているが読書でもするのがいいのかもしれぬが、読みたくなるような本が見つからない。これは新聞を読まなくなったせいだと思う。良いような悪いようなだ。

2018年10月3日水曜日

我が国の将来

25個目の台風接近とかでまた騒いでいるが、休みが続いてもやることがない人たち(自分のことです)には家で大人しくする口実で都合が良いかもしれない。昨日は新しい内閣が発足したが、新任された当事者以外でこの内閣に期待を持った人は少ないだろう。総理は憲法改正に突き進むために土台を固めたようなことを仰る。確かにお友達を党と内閣の要職に就けて固めたつもりだろうが、どいつもこいつも胡散臭い輩ばかり。この陣立てで国会は数の力で押し切れても、国民の信任を得ることが出来ると思うのか。

国民を馬鹿にするのもいい加減にしてもらいたいが、失敗すれば安倍総理退陣だそうだ。なれば、秋の臨時国会で強行採決して早いとこ国民投票に持ち込んでもらうのも意味がある。後にしゃしゃり出るのが石破氏であれ岸田氏その他にせよ、来年の地方統一選や秋の参議院選挙は混乱を極めるだろう。魑魅魍魎の政界がどのように動くか分からぬが、日本会議の出る幕がなくなるだけでもすっきりする。

そんなことより、アメリカの経済戦争に巻き込まれた日本経済の行く末、と言っても近未来のことだが、株価が異常に高くなったのは結構と思う人も多かろうが、山高ければ谷深しの譬え通り、安倍政権終焉前に日本の経済がおかしくなりかねない。との意見もちらほら見えるようになってきた。有効求人倍率が1以上なんてまやかしを信じて呑気を決め込んでいる若者がいるとも思いたくないが、我が孫たちにも自分の将来を真剣に考えてもらいたい。

20歳前後のことを振り返ると、就職先なんか何も考えたことがなく、22歳直前で行き当たりばったりの小さな会社に入ってしまった。これが結果的に良かったとするか悪かったとするかは未だに判断できない。しかし、真剣に考えてほしいと言われても、何をどう考えるのか分からないよ、と返事が返ってきそうな気もする。比較的無難なのは役所かもしれぬが、大企業が当てにならないことだけははっきりし始めているようだ。しかし大卒浪人のぷー太郎はごめんだよ。

2018年10月2日火曜日

読後感「アメリカの鏡・日本」
ヘレン・ミラーズ著・伊藤延嗣訳

1か月近く前に高校の同期生に薦められたが、読み終わるのに時間が掛かってしまった。原本は1948年にアメリカで出版され、翌年に日本でも出版の動きが起きたがマッカーサーが「占領中に日本人が読むことは適切でない」として許可しなかったと言ういわくつき。占領が終了した昭和28年にやっと出版されたが何故か注目されなかったようだ。平成7年になって本書の初版が出され、更に20年の月日を経て出版された文庫本を読んだわけである。

先ず著者を紹介しておきたい。ヘレン・ミラーズ女史は1900年(明治33年)ニューヨークの生まれ。女子大卒業後1925年に友人に誘われ北京に1年ほど滞在した後日本を訪れ、この時日本について興味を持ったらしい。帰国後ジャーナリストとして活躍、1935年(昭和10年)再び日本を訪れ226事件が起きる前年の約1年間、日本に於ける庶民の生活習慣や神道に至るまでの実際をフィールドワークし、鬼気迫る日本を体験した。戦争中は日本専門家としてミシガン大学、ノースウエスタン大学などで日本社会について講義していた。1946年に連合国最高司令官総司令部の諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定にたずさわった。そして1948年「アメリカの鏡・日本」を著す。1989年89歳で没した。

その内容である。明治以降開国によって世界に開かれた日本が、他のアジア諸国のように西欧先進国に植民地化されることなく独立を勝ち取り、一時は大国の仲間入りまで出来たのは何故であるか?著者は偏に日本が真面目に大国の振る舞いを学び、国際法を順守したからに他ならない。しかし住むに土地は少なく、これと言った資源がない日本は外国と貿易する以外に独立を維持するのは困難であった。朝鮮半島から満州に土地を求め、移民政策を推し進めるのは必然でもあった。

それも先進大国によって作られた国際法を順守する形で進められた訳であるが、その地の権益に先着していた西欧諸国との軋轢が生じたのも当然の事。満州事変当時から欧米では何れ日本とは戦争になると予想はされていた。確かに日本は中国で中国軍と戦ったわけではない、フィリピンでフィリピン人と戦ったわけでもない、インドシナでインドシナ人と戦ったわけでもない。蒋介石は中国人ではあったが、中国を代表する国軍ではなくアメリカのために戦っていたとの見方が出来る。第2次世界大戦はパールハーバーの奇襲で日本と米英欄との間で始まったとする考え方はおかしい。実際は満州事変当時から始まっていた。等々

複雑すぎて簡単には要約できないが、本書には「法的擬制」と言う言葉が頻繁に登場する。先進国が使うダブルスタンダード、日本語で言えば二枚舌、インチキの類だろう。大国同士の「パワー・ポリティクス」では自国の前面に味方の小国を出して相手国に対峙させるのが常道ともあった。昔から日本は煽てられながらアメリカに利用されてきたとすれば、今も変わっていないようである。

内容の一部を切り取ればネトウヨ(似非歴史修正主義者)喜びそうだが、流石にアメリカの社会学者だ、全体を通せば深く考えさせられる。

2018年10月1日月曜日

民意

今日は月が変わって10月1日、台風が運んできた熱風で真夏のような暑さになった。昨夜の風は大分強かったようだ。我が家の玄関先はどういうか訳か知らぬがゴミの吹き溜まりになってしまった。朝6時から30分間玄関先の掃き掃除をしたが、家事とは厄介なものだ。

昨日行われた沖縄の知事選、どういった政治力学か分からないが前回自主投票だった公明党が組織を上げて前宜野湾市長、佐喜眞淳氏に肩入れをした。翁長前知事の遺志を受け継いだ自由党衆議院議員の玉城デニー氏は地元ラジオ局パーソナリティー/ミュージシャンの出身で沖縄市議(沖縄市があるとは知らなかった)を経て2009年の民主党の風で国会に進出、後の経緯は分からないが、兎に角小沢一郎氏と一緒になって知事選出馬前までは自由党幹事長になっていた。

昨日は昼間からテレビの報道は台風関係が殆どで、沖縄知事選はローカル選挙と言うことだろうかあまり触れなかったようだ。夜10時前に一応枕元にラジオを持ってきたら、そのラジオが玉城氏の当確を報じていた。今朝の新聞には県民は「金より命を選んだ」なんて気障な見出しが躍っているが、玉城氏はこれからが大変だろう。辺野古に基地を作らせないなんて言っても、政府は自治体首長を明らかに下部組織のリーダーとして見下して掛かっている。

それは間違いに違いないが、恰も1億2千万人の民意と百数十万人の民意では重さが異なると言いたいようだ。本当に日本の民主主義はインチキでどうしようもない。しかも今度の知事選は自民党も相当気合が入って、安倍陣営からすると批判勢力であった筈の石破氏まで佐喜眞氏の応援で現地入りをさせたらしい。天才子役か鵺か知らぬが小泉進次郎氏なんぞ3度も現地入りをしたとのこと。権力と言う名の接着剤の強固さには恐れ入るばかりだ。

どうでもいいが、接着剤の強さと数を頼んで次は憲法改正を強行する腹でいるらしい安倍晋三氏、1億2千万人の民意がどこにあるかまだ分からぬらしい。

2018年9月30日日曜日

第2次「時事放談」終了

TBS朝6:00から放送の「時事放談」が今日をもって終わった。司会の御厨貴氏の前に司会を務めた岩見隆夫氏から勘定すると14年半、御厨貴氏だけで丸10年も続いたとのこと。2004年4月スタートした時は放送開始が6:45であったこと、「ワイドショー政治を叱る」とサブタイトルが付されていたようだが記憶にない。

今日まで司会を務めた御厨氏は元々政治学者で、政治についての定見が有るのか無いのか分からない人物だった。毎回ゲストを二人招いての司会だから定見を敢えて臭わせないようにしていたのかもしれぬ。若い頃にテレビ番組の制作について少し携わったことがあるので思うのだが、番組は制作者(プロデューサー)がいて、(演出家)ディレクターがいる。この下に脚本家(ライター)がいる場合が多く、ディレクターがゲストを決め、ライターが段取りを決めて司会に渡す場合が多い。

しかしこの番組は政治家に出演依しなくてはならない特殊な番組だから作り方も特殊で、ライターが出演者に意見聴取する時間の制約もあったろうし、司会の意見も聞く必要があったろう。従ってプロデューサーとディレクターが直接御厨氏や出演者と相談して段取りを決めていたかもしれぬ。殆ど毎週のように観ていたが、ワイドショー政治の域を超えた回は果たしてどのくらいあったものやら。ゲストの出演回数が既にwikiに上がっている。最多は野中広務氏のようだ。

今日出演の菅義偉氏は6回だが、増田寛也氏は50回とかなり多い方である。御厨氏も最終回だから張り切って、菅氏に今後の自民党政治の方向をいろいろ聞くが、悉くはぐらかされてまともな返事が返ってこない。増田氏に同じ質問を振っても菅氏に遠慮するのが見え見えで、菅氏の返事を裏切る話が出来る訳もなく、意味不明な言語が虚しく響くばかり。

自民党首相経験者の小泉純一郎氏、麻生太郎氏、福田康夫氏と現職の安倍晋三氏は一度も出演していないようだ。折角の最終回だったのだからもう誰に遠慮はいらぬだろうに、安倍晋三氏に浜矩子氏ぶつけて経済論争でもさせればよかったろうに。細川隆元氏や小汀利得氏のようなまともな政治記者や経済記者OB二人を見つけ、有象無象を抜きにした真の「時事(爺)放談」第3次を期待する。

2018年9月29日土曜日

乗鞍岳の紅葉

今日も相変わらず台風が大きな話題になっている。水曜日は台風だったかどうかさえはっきりしないが、兎に角大雨だったことだけは記憶している。長野の従妹と彼女の山仲間の3人で乗鞍岳に出かける予定を1日延期して木曜日にしたものの明け方まで大雨で、リュックにカバーを掛け傘を持って暗い気分で出かけたものだ。幸い松本に着くと一応雨は上がっていたがお日様は全く顔を出さない1日で、早々に山小屋に入った。従妹の友人は我が高校の1期先輩、山の経験も豊かだし、長野で老後百姓仕事をしているので丈夫そのもの。山小屋に着くなり一寝入りと言って寝てしまった。従妹とこちらはそう簡単に寝付けず、うだうだしながら知らぬ人の山自慢に聞き入った。

話題の中心になっていたのが自らをご来光ストーカーと称する秋田県出身のご同輩。明日の撮影のために今日の悪天候をついて登山し、撮影のポジションを決めてきたとのこと。老後の人生は殆ど山歩きに費やされているようで、大男で顔は真っ黒に日焼けしている。数年前に山で世話になった元自衛隊員と同じで車で寝泊まりしながら全国を歩いているようだ。気象にも詳しく、明日の晴天は間違いないが但し冷え込みが相当きつくなりますとのこと。

彼は日の出の1時間以上前にそこに到達するのを信条にしているとのことで、4時前には出発するとのこと。そんな話を聞いているうちにご来光を見たくなったが、何となく人の話に乗ってしまうこれが悪い癖。さっきの人の話では相当寒いので、ご来光を見るなら冬山装備でなくてはいけないようだが、未だ紅葉の季節だから、帽子だけ買えば何とかなるだろうと毛糸の帽子を夕食時に購入した。しかし同行の二人は余り気乗りがしないようで、行きたきゃ一人行ってきてとのこと。

翌朝4時過ぎに起きて予備のダウンジャケットを1枚余計に着込み一人で出かけたは好いが、天気が良いだけに想像を絶する寒さ、夏物のグローブはものの役に立たず、たちまち手先の感覚がなくなった。今でも手先が10本ともしびれているくらいだ。それでも何とかご来光には間に合い写真を数枚撮ったが、これまた神さまがお見通しのようで、パソコンに移すとき奇麗に失くしてしまった。全くよくしたものだ。

兎も角7時に又小屋に戻って朝食を済ませ、交代で同行二人が山頂に向かった。素晴らしい天気である。山歩きはこんな天気の中で行うものであるべきだと反省しながら二人を迎えるために再び山頂を目指して半ばまで登山、眺望を改めて楽しんだ。10時頃から3人で2300m程度の位置まで紅葉を楽しみながら下山、筆舌に尽くせないと形容したくなるほどの紅葉を楽しみ、接続の悪いバスと電車を乗り継いで夜9時近くに帰宅した。山歩きの詳細は下記をどうぞ

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1599550.html

2018年9月26日水曜日

国連の機能不全

どうも天気がすっきりしない。今日からまた信州に出掛ける予定だったが明日に延期することにした。それでもまだ心配だ。昨日窓口で教えてもらったらJRの乗車券は1回しか変更がきかないそうだ。何れにせよ明日は多少の雨でも出かけるつもり。

天気ばかりでなく最近は世界の情勢が不安定すぎる。地球上に存在する大小200程の国家で形成された国連(国際連合)が機能しなくなる日が来そうだ。第2次世界大戦終了して国連なる結構な機関が形成されてから73年(?)、世界から戦争がなくなった年は一度も無いにしても、国連はそれなりに機能してきた。しかし今や第2次世界大戦前夜、日本が国際連盟を脱退した時のようにのように機能不全に見舞われはしないかと心配だ。

当時もアメリカは国際連盟に加入していなかったようだが、今またアメリカが国連を無視しだした。結果世界が2分されそうな感がある。平たく言えばアメリカ派:反アメリカ派。アメリカは独自路線で徒党は組まないような顔をしているが、イスラエルや日本のように少数ながら忠実な子分を従えている。

アメリカは国内の景気が良いとか失業率が下がっているとは言われるが、日本の景気が良いのと同じで、国民が2分化され。好景気の恩恵に与る人口とそうでない人口の差は広がる一方のようにも見える。これに乗じてかどうか、大国アメリカに対して経済的、政治的に対抗と言うか抵抗と言うべきか分からないが様々な国家が出現してアメリカを悩ませている。一に中国、二にロシア、三はイランと言ったところかもしれぬ。

この三か国、大昔はいざ知らずついこの前まではアメリカから見ればとても比較にならないほど近代化に後れを取っていた国の筈。それが近年いろいろな条件が重なってアメリカに対して大きな顔をするようになったのだから、気分が良くないのは分からぬでもない。この3か国に比べアメリカは建国300年に満たない新興国ながら、今や基軸通貨を発行する世界経済の中心である。抵抗勢力国家に比べれば人口は3億人と極めて少ないが、軍隊は世界最強との自負もある。

抵抗3か国の方も息を吹き返した猛獣のように、実際の戦争はやって見なければ勝敗は分からないとばかりに引かない構え。世界大戦の構図ではないが、今や平和な地球建設のために世界中の国が国連を中心に力と気持ちを合わせましょうと言う雰囲気が失われつつある。最もリーダーシップをとるべきアメリカが国連を馬鹿にしだしたのだから手に負えない。腰巾着国家の一員として心配でならぬ。

2018年9月25日火曜日

次世代の日本

以下に書くことは元外務官僚の天木直人氏が今日のメルマガに書いていることである。全く同感なので引用したい。曰く「安倍首相のどこが問題か。それは頭が悪い事だ。しかし頭が悪くても首相は務まる。側近に優秀な者を集めて政策をつくらせたらいいからだ。安倍首相の問題は、頭が悪い上に小心なところにある。小心ゆえに失敗を恐れる。そして失敗がばれる事をおそれる。だからウソをついてしまうのだ。」

さて本題である。天木氏は頭が悪くても首相は務まると言い、側近から小学校5,6年生並みと頭の悪さを揶揄された大統領もいるが、国民からすると頭の悪い人間が国家のリーダーになるのは不幸だと思う。頭が悪い我が身を思うと気が引けるが、今後の日本に関して賢者の文章を引用してみたい。今朝ネットで見つけた記事『「世界トップ100大学」に日本はたった2校だけ』の一部である。

天木氏に頭が悪いと断定されている安倍首相はしきりに「新しい国づくり」を力説強調する。この言葉にしっくりこない感じを持っていたが、この記事を読んで、成程こういったことから国の形が変わるかもと感じた次第だ。寄稿した人は出口治明氏(大分県にある立命館アジア太平洋大学<APU>学長)である。自分を育ててくれた戦後の教育制度を肯定的に考えてきたが、最近何かにつけ国力の劣化を思うと現行教育制度のどこかに問題があるかもと思い始めていた所だ。しかし、知恵不足でどこに手を付けるべきかが分からなかった。

そこで出口氏の論である『企業の採用基準が合理的になれば、大学も変わる』以下引用

<欧米の先進国では、大学の成績をもとに採用・不採用を決める企業が多数派です。すると学生は、希望する企業から内定をもらうために、アルバイトやサークル活動よりも勉学を優先するようになります。日本の大学生の読書量が4年間で100冊に満たないのに対し、アメリカの大学生は 400冊以上の本を読むと言われています。勉強へのモチベーションが、例えば読書量に如実に表れているのです。
 成績を評価する就活システムは、非常に合理的です。自分で選んだ大学で高いパフォーマンスを上げた人は、自分で選んだ職場でも高いパフォーマンスを上げる蓋然性が高いに決まっているでしょう。面接は全く当てにならないということです。企業で5年、10年、人事を担当したおじさんが、「オレは人を見る目がある」なんて、うぬぼれもいいところなのです。学生を採用する時には、先ず「成績」を見る。これが最もシンプルで合理的だということが、よく分かるエピソードではないでしょうか。>

教育改革は義務教育から考え始めなくてはと思っていたが、逆の発想(大学教育から)もありそうだ。

2018年9月24日月曜日

江戸の祭り

昨日は池袋西口で恒例の「ふくろ祭り」。駅正面の大通りは交通規制がされて大きな広場が出現している。そこには昼飯時から大きな神輿が何台も置かれて、法被姿の担ぎ手が大勢歩いたり屯していた。まだ序の口で本番は夕方暗くなる頃、神輿の数もさらに増えて14台となる予定、さぞ賑やかだったことだろう。とてもその時刻までは付き合えないが、昼の出し物の獅子舞と和太鼓の演奏を見物してきた。都会では神輿を担ぐことを趣味とする老若男女がいることは知っているが、獅子舞や和太鼓のグループがあるとは知らなかった。何れも妙齢のご婦人が混ざっているが、普段どんな生活をされているのだろう?余計なお世話だ。笑い

これに触発されて今日は我が町内の氏神さん「長崎神社」に初めて参拝して来た。先日のお祭りで新しいお札を頂戴したので古いお札のお焚き上げをお願いしなくてはと前々から思っていた。半世紀以上住みながら氏神さんに参拝したことがないとは不信心の極みだが、場所が西武池袋線の椎名町駅前なので縁が薄すぎる。しかし敷地もそこそこ広く立派な社で祭神は 須佐之男命(すさのおのみこと) 櫛名田比売命(くし なだひめのみこと)、創建はは不詳だが、江戸中期には既にこの地の鎮守であったらしい。山県有朋が揮毫した日露戦勝記念石碑などが建っている。

しかし参拝者は少ないようで、境内をうろうろする間に見かけたのは同年配の人一人だけ(ひょっとするとホームレスだったかも)。掃除も行き届いているとは言い難い。古いお札の納め所も無いので、掃き集められたままの落ち葉の脇に置いてあったプラスティックのゴミ箱の中に納めさせてもらった。昨日の池袋の氏神さんは御嶽神社だが、ここにも行ったことがない。浅草神社とか神田明神のように上手く観光地化しているお宮は別だが、年に一度のお祭り騒ぎは盛大に行われても、一千万都市に多く存在する筈の神社の維持はなかなか大変なんだろう。隣接の宮司のお宅もひっそりして人気が感じられなかった。

2018年9月23日日曜日

政治評論家の話

安倍首相は財務相麻生太郎氏を次の内閣においても留任させる意向と報じられている。安倍氏に責任論をぶつけても糠に釘なので、これまでの財務省不祥事については事務次官の辞任で解決済みとのことだろう。当の麻生氏はハナから政治責任なんて思ってもいないことは明らか。ちょっと詳しく調べてみる気になった。麻生氏は安倍氏より単に歳や議員歴が上だったり、首相としても先輩であるばかりでなく、安倍内閣に居てやっている感が強いのかもしれぬ。

安倍氏の側からしても、麻生氏は一閣僚である以前に総理より格上の内閣の最高顧問的な扱いの可能性無きにしもだ。似た者と言われるがひょっとして安倍氏にコンプレックスがあるかもしれぬ。庶民感情で言えば困ったことだが、マスコミで少々責任問題が取り沙汰されても、麻生氏からすると総理に首を切られる心配は無いと高を括っている節もある。テレビに出演する政治評論家の言う事ほど無責任でいい加減なものは無い、とは土曜日4チャンネル「ウェイク・アップ+」に出演していた橋本徹氏の言だが正にその通り。

相手は安倍応援政団代表の田崎史郎氏。彼が麻生氏の発言「石破が善戦なんて言えるか?前の得票と比べてみろよ。」或いは「冷や飯を食うぐらいの覚悟がなくて総裁選なんかできる筈がなかろう。」等について尤もらしく解説した。曰く「選挙は戦いだからあらゆる手段を尽くすのは当たり前、締め付けなんかは当たり前の話で、石破派の斎藤農水大臣が圧力を受けたなんてことをばらす方が非難されるべき。」これは麻生氏と関係ないので聞き流そう。

続いて「麻生氏の冷や飯発言はご自身の体験に基づいているのです。麻生氏が立候補して落選した時冷や飯覚悟で集まったのが安倍氏であり、菅氏であり、甘利氏なのです。」するてえと現在の総理はずっと前から麻生氏の子分だったのか、を確認するために一応Wikipediaで調べてみた。今年は2018年、前の総裁選挙は2015年、但しこの時は安倍氏以外の候補者無しでその前が2012年。この時は石破氏の他に町村、石原、林と対抗馬が4人で5人の争いであった。因みに石破氏の議員票は34票、地方票は165票だから、これと比べれば今回は善戦しているように思う。

その前が野党時代の2009年谷垣氏・河野・西村の争いで谷垣氏が総裁に就任。その前は毎年総裁選が行われて2008年は麻生・石破・与謝野・石原・小池(都知事)の争いで麻生氏が勝利している。この時の推薦人に甘利氏と菅氏はいるが安倍氏はいない。その前が2007年で麻生・福田の一騎打ち。ここで麻生氏は冷や飯食いに回った訳だがこの時の推薦人にも甘利氏と菅氏はいるが安倍氏はいない。要するに政治評論家の話なんてやはり信用できないようだ。

2018年9月22日土曜日

変わり目

このところ朝が来るのが大分遅くなってきているので、どうしても寝坊しがちだ。目覚めてから朝のルーティンを完了するには丁度三時間必要だが、最近の5時は結構暗くて気持ちよく寝過ごしてしまう。その上何故か最近腹が減ってならない。この数か月1日2食を基本として、夕食は軽い果物か饅頭1個で過ごしていたので、朝飯の量を増やしてみたが、夕方になると飯を食いたくなる。体重を増やしたくはないが、天は高くなくても馬も肥ゆる秋だから仕方ないのかな。

体重と言えばお相撲さん、特に応援している力士はいないが、久し振りの稀勢の里、大分ハラハラしたが9勝まで来た。俄ファンだからよく分からないが、1年以上休場した割には相撲の取り口は悪くないとする専門家もいるようだ。庶民の平均的願望だろうが、何とかもう一番勝って二桁白星になってほしい。他に明るい話題はテニスの大阪なおみとか、名前を急に思い出せないがバドミントンとか柔道とかスポーツ絡みばかりだ。

明るい話題が海外に一つあった。南北朝鮮問題、首脳会談の結果6月の米朝首脳会談以降停滞していた雪解けムードが再び動き出す気配が感じられる。制裁一辺倒の日本政府にとっては面白くないかもしれぬが、韓国文大統領の活躍を期待したい。世界中に制裁を振りかざしているアメリカのトランプ大統領も何故か金正恩氏に対しては柔らかだから、日本の首相をがっかりさせるような度量と対応を見せてもらいたいものだ。

何れにせよ安倍首相は来週早々にはトランプ大統領とニューヨークで会見するとのこと。半島問題以前に貿易問題当事国として相まみえるのだろうが、果たして会談のお土産はなにか?関税問題は分からないが、日本は防衛予算以上に大事な問題が多々あることを忘れずに願いたい。ところで不思議に思うことがある。外国の例を見ていると、トップの外国訪問となれば最低でも外務大臣クラスが随行しているが、前回総理のウラジオストック訪問には外務大臣はいなかったようだ。

総理本人は留任が決まっているからいいが外務大臣はどうするのだろう?そもそも内閣改造を1週間後に控えての総理日程に無理があるように思えるが、今の内閣は通常の手順を無視する傲慢さが売りだから仕方ないか。

2018年9月21日金曜日

人さまざま

終日雨降りで何だか涼しいを通り越して急に寒くなってしまった。傘をさしていつもの散歩と洒落るのに長袖のシャツにジャンパーを羽織っても汗もかかない。具合がいいとも言えるが「彼岸前にしては少し早すぎるだろう」は飯屋のオヤジの台詞。そして「また来週は連休だから嫌になりますよ。もう遊ぶ金なんか残っていませんよ。」オヤジのご趣味は釣りだがご尤もなお言葉だ。ならば俺のためにも店を開けてほしいがそこまではしたくないようだ。

普段昼食は少し時間をずらして1時過ぎに行くが、先日銀座のステーキハウスに昼時に行くと満席状態。この時間帯は勤め人の昼食客だ。待ち時間にしげしげ観察すると面白い。男性女性を比べた場合、単独であれグループであれ女性客の方が贅沢をしているのが明らかで、男性は単独で来ている客が多いが、財布の中身を気にしている人が多いと見受けた。近くの行きつけ店で昼飯に金を惜しまないのは職人さん連中。夕方からパチンコですってしまうなら昼飯をケチってもシャアあるめえ、だろう。

こちらと同じ風体のご老人連中はビールなり酒を注文する人が圧倒的に多い。経済的に余裕があるせいかどうかは知らぬが、何も昼酒を飲まなくてもいいだろうと思うのは余計な心配だろう。俺だって人さまから見れば「あの爺毎日のように通って来てこの店の日替わり定食を食っている。可哀そうにビールも飲めないほど貧乏しているようだ。」と同情を買っているかもしれぬ。要するに人は様々だ。

人様々だから政治家も同じ、自民党員と自民党国会議員は国民の70%近くが人柄を信用できないとしている安倍氏を再び党首に選んだ。安倍氏は、今回の選挙を通じて国民の信任を得たので、これを力にお約束したことを強力に前に進める覚悟とのこと。自民党員は安倍氏の選挙公約を分かっているだろうが、こちらは何も約束してもらった覚えはない。こちらとすれば安倍氏も石破氏も同じ自民党、どちらになろうと関係ないが、この次の参議院選挙で自民党の議席がどうなるかが見ものだ。

2018年9月20日木曜日

初秋の故山


既定路線とは言いながら安倍3選が確定したことは何とも腹立たしいことだ。急に貯金がパーになることや、年金が無くなるような事態にならぬことを祈るしかあるまい。景気の悪い話はこのくらいで措いて、昨日の楽しかった話題にしよう。ブログを2日間休んだが一昨日、昨日と長野に行って、最も愛する山「飯縄山」に登ってきた。子供の頃から何回登ったか数え切れぬが、愛するなんて気障なことを言いたくなる山であることだけは間違いない。

ここ10年くらいは毎年のように行っていたつもりだったが、念を入れて調べてみると昨年は行っていない。一昨年の6月に今は亡き弟と本格的山歩きのきっかけを作ってくれた従妹の3人で登り、途中で引き返している。天気の問題があったとか、特別の理由も無かったが、3人ともいい歳なので何となく疲れて、もう引き返そうよとなった訳である。従ってもう飯縄山は無理かなと半分思いつつも、悔しさ止みがたく、どうしてもう一度だけは登りたいと心に引っかかっていた。

かと言って、もう一人登山はやめた方が良いと思っているので、今回は高校同期生で山の専門家が地元在住であるのを思い出して、彼に同行案内を依頼した。長野在住の従妹に言わせれば超有名人で口をきいてもらえるだけでも有難いほどらしい。その点こちらは図々しさが芸風だし、高校同期となれば何の遠慮もありはしない。彼は現在ひざの故障でリハビリ中だったが、快く引き受けてくれて、行けるところまで案内してくれることになった。

その上帰りは近くのホテルで日帰り入浴を済ませて、彼が山麓に自力で建てた山荘で泊まって酒でも飲もうと誘ってくれた。そういう話にはすぐ乗るのが信条である。一昨日は長野駅まで迎えに出てもらい、10時から登山に掛かったが天気が生憎でずっと曇りがち、彼は当初「半分くらいまで付き合うよ」と言ってくれていたが、結局3分の2程の高みまで付き合ってこちらのペースを整えてくれた。この場所につい最近熊が出たらしいので、ここで彼の熊鈴を拝借、後の連絡報を確認(幸い 山頂まで携帯が繋がるとのこと)3合目付近から電話して迎えに来てもらうことにする。

結果として、時間は相当かかったが山頂に立つことは出来たし、下山して風呂に行く前に、秘密の場所に案内されてキノコ採りを楽しんだ。地元で言うところの(じこぼう又はからまつ茸)。これも夕飯のおかずだったが、彼の料理が又抜群、夜が更けるのを忘れて山談義。翌朝が打って変わった快晴、一人で散歩に出て朝早い農家の人に聞くと、今日ほどの快晴(戸隠連山から槍ヶ岳まで一望)はそう滅多にあるものではないとのこと。兎に角最高の2日間だった。

山登り詳細は下記を参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1588454.html

2018年9月17日月曜日

救いがたい

この夏2度目になるが、今日また帽子を忘れてきてしまった。前回同様昼飯を食いに入った店のカウンターの下である。このところ涼しい日が続いていたので暫く帽子はかぶらなかったが、今日は生憎猛暑日とのことだったので被って出かけてしまった。店は久しぶりの有楽町のステーキハウス。地下街にあるので店を出た時に気が付かず、そのまま地下鉄で自宅の最寄り駅から外に出て、近くのスーパーで買い物を済ませて歩き始めて気が付いた。

悪いことに明日早朝から長野に行ってハイキングをすることになっているので、帽子は絶対必要である。有楽町まで取りに戻る元気もなく、行って無かったら悲惨なのでスーパーに戻って、夏物一掃バーゲン30%割引で新品を購入してしまった。帰宅して先ほどの店に電話をすると、やはりカウンターの下で見つかり、取っておいてくれるとのこと。月に1度くらいしか行かない店だが、少なくとも月中には行かずばなるまい。

脳みその劣化に依るところが大きそうだが、このようなことは今後益々多くなるのだろう。帽子が増える程度で済んでるうちはいいが、物忘れの程度は酷くなる一方。恐ろしく思うが救いがたいことでもあろう。

2018年9月16日日曜日

ネット情報とマスコミ情報

他人の自画自賛は鼻につくとしたものだが、小生は余り気にしない。何を書こうとブログなんてものは自画自賛の最たるもので、これを毎日しているのだから他人のことを論うわけにいかないのは当然である。むしろ世間にはいろんな考えがあることを知るため、出来るだけ多くのブログを読みたいと思っている。ただ望むらくは、ブログ上で嘘を書いてほしくはない。伝聞を書く時には伝聞であることを明記し、取材源を明らかにできないこともあろうが、それは仕方ないとしてもどのような筋の情報かくらいは明記すべきだ。この程度の原則が守られないブログは読むに値しないと思っている。

話題を変えて、自民党総裁選絡みで気になっていることを書きたい。先ずはマスコミの対応:現在20日の投票日に向け連日の動きが報道されているが、両候補者の言い分は9月14日日本記者クラブで開催された討論会で出尽くしたと思う。この様子は下記にアップされているので時間に余裕のある方は是非ご覧いただきたい。
https://www.jnpc.or.jp/

ご覧になればおわかりと思うが、この討論会での見どころは後半の両候補者に対する記者からの質問である。15日以降これがマスコミで大きく取り上げられることを期待したが、全くの期待外れで殆ど取り上げられなかった。冒頭質問に立ったのが読売の橋下五郎氏、氏が安倍政権寄りであるのは万人が認めるところだろう。意外だったが彼の質問は安倍氏のかなり痛いところをついている。党員票の開票は19日、この時点で地方の党員は既に発送を終えているので、最早何を言っても勝負は決まっているからと、穿った見方もあるくらいだ。

つられた訳でもなかろうが、続く毎日や朝日の質問もかなり安倍氏にはきつい質問で、安倍氏のはぐらかしや逆切れが生々しかったが、テレビを含め大手マスコミでは一切報道されていないようだ。本質に迫れない、これが現代日本のマスコミの実態で、国民をかなりミスリードしているように思う。序でにもう一つ:最初に書いた「嘘」について。政府が国民に対して虚偽の発表をすること、今年は嫌になるほどあったわけだが、これに対して実態をある程度知る筈のマスコミによる追及の物足りなさ。

小生は重大な犯罪だと思うが、司法は犯罪とは認めない。ならばマスコミに期待するしかないが、マスコミも所詮は政府の飼い犬なのか?悲しいことだがどう見ても国民の味方には見えない。総裁選で経済問題も大きなテーマだが、政府発表の経済指標に重大な虚偽があることは、既にネット上では多く指摘されているところだ。

2018年9月15日土曜日

長寿国

今日は老人の日とかで厚労省が100歳以上の高齢者数を発表した。身近でもよく聞くので相当多いだろうとは思ったが、現時点で全国に6万7824人とのこと、金さん銀さん騒ぎの頃を思えば多いのだろうが、誰かが人生100年時代と大騒ぎする割には意外に少ないと思った。むしろ注目したのは男女比で、約6万人(正確には87.9%)が女性であることだ。やはり女性は生命力が強く、男性は生命力が大分劣るのかもしれぬ。

自分の先行きは分からないが、平均寿命の82歳辺りまでは生永らえることありうべしとしても、そろそろ始末をつけなければならないことが多い筈だが、凡人の悲しさで散らかしぱなしのことが多すぎる。いつもように自分のことは棚に上げ、誰からも聞かれていない用でも無いことを書こう。老人国家日本の過去と現在そして未来についてだ。大部分は今読んでいる本の受け売りである。

日本は歴史学者などの専門家でも、何でこうなったか分かりにくいようだが、千年以上前にこの小さく狭い島にユーラシア大陸や南の島々から人が寄り集まって共同生活を営むようになり、大小部族同士の争いは繰り返されたが共通の言語も産み、権力者を頂点に頂く社会秩序を形成し、少なくとも紀元600年頃には国家の体をなしたと言われている。欧米の国家に比べるとかなり歴史は古く長寿国と言えよう。この間領土の拡大(?)を求めて国家が海外進出を図ったこともあるが、いずれも失敗している。

その影響もあるのだろう、人民共通の概念として資源の乏しい島の中で大切にすべきことは、自然を大切にすることと社会秩序を乱さないようにすることにあったようだ。物を大切にして資源の循環を貴び、質素な生活で倹約しながら日々の生活をより楽しむために生み出されたのが独特の文化らしい。お祭りとか芸能が端的な例だろうが、古くから伝わる芸術とか生活様式もあるだろう。

これは何も庶民だけではなく社会秩序のために定められた上層階級でも同様で、むしろ倹約思想などは無産階級の上の層ほど厳しく躾けられた。常に海外からの情報はポツポツと入ってもいたし、海外で一旗と言う人間もいなかったわけでもなかろうが、大半は定められた秩序の中で平穏な人生を送ってきた。ところが19世紀の半ば、産業革命で資源不足となった欧米から自給自足状態の日本に対して開国を求める厳しい要求が迫ってくる。

これで目覚めたかどうか、未だ180年に満たない19世紀半ばから外国を意識し始め、日本は右往左往でとんでもない混乱が生じた。結果、最も混乱したのは1940年、50年代かもしれぬ。この時期を経験した身からすると、現代はやっと落ち着いたと思える。しかし事の善悪は別として、長年に亘り社会安定の基礎となっていた家とか階級の秩序が壊れたことが大きい。ただ、古来の伝承に則り太平洋の片隅に浮かぶ小国日本の分を弁えれば、先は長いだろう。

2018年9月14日金曜日

明日は我が身

昨日JR池袋駅のみどりの窓口に連休明けの列車の切符を買いに出かけた。時刻は11時過ぎくらいだったが意外に混んでいて15人以上並んでいた。窓口は4つ空いていたが、何故か直ぐに一人が席を立ち3つになってしまった。珍しいが別に急ぐ必要がないのでボーっとしながら牛歩を続けていたが列は長くなる一方、後3人でこちらの番になった時後ろで何やら大きな音が発生、喧嘩でも始まったかと振り返ると、5人程後ろに並んでいた体格の立派なご老人が意識を失って倒れ込んだ様子。

窓口で作業していた職員全員が直ぐに作業を中断して駆け寄って抱き起すと、どうやら意識がありそうな様子。二人掛で列から外れた場所に運んで椅子に座らせると、一緒にいた友人らしき人が駆け寄り何か言うと、ご老人が「大丈夫」と言うのが聞こえた。救急車の手配は必要ないと判断されたようだが、ご老人の顔色は気味悪いほどの土色だった。ほどなく窓口作業が再開してすぐに順番が来たのでその後の顛末を見届けなかったが、明日は我が身と気になる出来事だった。

昨日は一時に比べれば暑すぎることもなく熱中症とは考えにくい。友人と二人で来ていたのだから、楽しみにしている旅行の切符を一緒に買いに来たのかもしれぬ。倒れた人の普段の健康状態を知る由もないが、見受けた限りでは年齢は少し下かもしれぬが、ボーっと突っ立て居るのも大変と言えば大変かもしれないし、昨日はこの人にとって何か特別の事情があったかもしれぬ。

しかし少し冷静に考えれば、昨日まで大丈夫であった自分も、年齢からすると何かの拍子で突然意識を失うことがいつあっても不思議はないのかもしれぬ。悔しいことだが認めた方が賢いかもだ。友人には迷子札のような物(リストバンドになっている電子媒体)を常に身に着けたりして用心している人もいる。1年ほど前に見せられた時は笑い飛ばしたが、もう笑いごとでは済まないかもしれない。

今日昼飯の時隣り合った婆さんが教えてくれた。電池が切れていても携帯を肌身離さず持つことが良いらしい。言われてみると、家内が倒れた時に携帯を持っていなかったことが悔やまれる。

2018年9月13日木曜日

ジャーナリスト

「ジャーナリスト」を辞書で引くと「記者」である。マスコミの取材に走り回るスタッフも当然含まれるから、その資質はピンからキリで一概に切って捨てることは出来ぬ。しかし今日来日して記者会見を開いたプロテニス選手・大阪なおみさんの会見についてSNS上(所謂ネット上と考えれば可)で非難の投稿が多くなっているとのこと。会見を実際に観ていないが、下記を読むと尤もだと思う。少し長くなるがYahoo!JAPANから引用させてもらう。

「大坂なおみさんの記者会見でテニスと無関係の質問をする記者が多いなあ。将棋の藤井さんに対してもそうだけど、日本のマスコミのダメさを一番ハッキリと痛感するのが記者会見だよ。なんでこういう知識のない人間を記者として送り込むのか。メディア各社の意識が低過ぎる」。

「大坂なおみの会見、マスコミの質問の質があまりにも低すぎて、いたたまれない気持ちになる」。

「大坂なおみ選手のインタビュー見ているが、ここまでの日本のマスコミの質問のレベルの低さに恥ずかしくなり、大坂選手に申し訳ない気持ちで一杯になった。セリーナとの歴史的な試合に誰もひと言も触れない。情けない。ワイドショーばかりで専門誌のライターなどはいなかった?大坂選手に失礼」。

「記者たちの質問が酷すぎる…国籍とかアイデンティティだとか日本語勉強法だとかそんなことよりテニスのこと聞けよ…失礼すぎるわ…」。「大坂なおみ選手に「日本語で大切にしている、好きな言葉は?」という質問必要?」。

ネット上の書き込みは公衆便所の落書きと同じとされた時代もあるが、この引用を読む限りテレビの街頭インタビューよりはるかにましだ。インタビュー序にもう一つ、政治についてネットで見た情報を上げておきたい。

台風21号、北海道での地震の被害を受ける日本に対し、各国代表、駐日大使館などが相次いで見舞いや支援のメッセージを寄せているが、これに対し首相からは何らかの形で謝意を評するのが普通だが、10日の時点で韓国の文大統領に対してだけは無反応らしい。ネット上では外交力以前、品性品格を疑いたくなるとしているが、バンキシャで固められたジャーナリストに期待するのは無理だろう。

2018年9月12日水曜日

過剰包装

先日高校の同期会で友人と話をしていて海洋汚染に話が及んだ。日本近海のプラスチックごみの話はよく聞くし、嘗てこの世の楽園と称せられた南洋の島々でさえ相当なものらしい。犯人については他国を上げる人もいるだろうが、近海の汚染を他国の責任に押し付け済む話ではなさそうだ。嘗て日本は使用済みペットボトルを中国に輸出していたらしいが、近年中国はこの輸入を禁じた。従って国内の廃品処理業者のストックヤードが溢れ相当困っているらしい。

大きな話は兎も角、最近は買い物とゴミ出しが日課になっているので、この問題は実感するところが多い。都内は似たようなものだと思うが、豊島区ではごみは分別収集となっている。特にごみの量が増えるのが週に2回の可燃ごみの日である。独居生活で朝しか食事を作らないが、それでも毎回スーパーの一番大きなレジ袋が一杯になる。集積所が我が家の前なので他のお宅のものを見ているが、当たり前で我が家のゴミ袋の数倍が平均的1軒分である。

他家の内容は分からないが我が家を例にとれば、多分8割以上が包装資材で、純粋な生ごみは1割以下、意外に馬鹿にならないのが毎日郵便受けに放り込まれるDMとチラシの類。水道水以外飲まない我が家からは出ないが、ペットボトルの回収日は別である。新聞を取るのをやめてしまったが、新聞を取り続けていたらチラシの類はもっと増える勘定だ。プラスティック類の分別を止めて可燃ごみとして扱う自治体もあるようだが、果たしてこれが根本的解決策になるかどうかだ。

スターバックス・チェーンが世界的にプラスティックストローを紙製に変えたことも話題になっているし、真似好きの我が国では早速真似する店もあるらしい。蟷螂之斧を笑ってはいかぬだろうが、コップはプラスティックでストローだけと言うのもしっくりこない。戦後ナイロンとかビニール製品が出現した時は、石油という安い原料から凄い物が発明されたものよと驚嘆した記憶がある。しかし今にして考えると、大地から生まれて大地に還る自然の営みに反する行為はどうしても人間に災いをもたらすことになりそうだ。

では循環サイクルに乗った紙はどうか、手許の本を眺めればこれまた過剰包装の極み。何でこれほど丁寧にカバーが必要か?これもコストのうちだろう。アメリカのベストセラーの報道を見ていると、彼の国の書店で、店員が冊子をカバー無し、包装無しで客に手渡しているようにも見えた。何れにせよ難しい問題だ。

2018年9月11日火曜日

備えあれば

現代人は情報が全く遮断されることに慣れていない。つい最近までは自然災害発生時には先ず水の確保が最優先だったような気もするが、現代は携帯電話やスマホの電源確保が最優先になっているようにも見える。もし停電で電源がダウンしたらラジオもテレビもダウンするのだからどうするべきだろう?台風でもなければ外に飛び出して隣近所の人と相談するのが亡き家内の行動パターンだったように記憶する。しかし今回のような真夜中の強風の中そんな行動はとる訳にはいかぬ。

独居生活に入って以来家にあった防災グッズはすべて処分してしまった。従って、ペットボトルの水は買わない主義なので飲み水は一滴も無い。家内生存中は夜に風呂の水も決して抜かなかったので、トイレも暫くは使用できただろうが、このところ風呂の水は抜きぱなしで専らシャワーだからトイレも使用不能になる。どこかの被災者地で、リフォームしたばかりのご主人が、土地の液状化で家が再び使い物にならなくなって嘆いている報道があった。台風は去ったと言ってもこればかりはすぐに新しいものがやって来る。全く他人事には思えない。

活断層の無い場所は無いと言われる日本で、関東大震災からは既に95年。60年周期で来ても不思議ではないとされていたように思うが、大分時間が経っている。今日は9月11日、現地時間は明日になるのだろうがニューヨークで歴史的テロによる事故の発生日。世の中何が起きても不思議が無くなってしまった。政府の掛け声は別にして、真面目に備えを考える必要がありそうだが、少し考えただけでも手当てすべきことが多すぎてどこから始めていいか分からなくなってしまった。

スマホは懐中電灯の代わりにもなるし、当面の情報を得るには便利そうだ。でも何となくスマホを契約する気にならぬは生来のケチ故かもしれぬ。考えを変える必要があるかもしれぬが、せめて今夜は懐中電灯の電池だけ交換することだけにしよう。

2018年9月10日月曜日

町の御祭禮

これだけ天変地異が重なると、天地の神々に伏して祈りを捧げて許しを請うしかあるまい。古代の国家では皇帝や王を交代させて神の怒りを鎮めることも考えたようだが、近代ではそんな上等なことを考える人間はいやしない。マスコミはもっぱら義援金集めの窓口となり、庶民に寄付を呼び掛けているがこれが不思議でならない。マスコミが寄付をするのは勝手だが、庶民に呼びかけることは誰から依頼されたのだろうか?

話変わって一昨日、昨日は我が町の秋祭り、家内が昨年暮れに亡くなったので役員の皆さんが遠慮して寄付金集めにも見えなかった。しかし家内が毎年していた応分の寄付はさせてもらった方が故人の意にも沿うだろうと思ったので、役員に相談したら「有難く頂戴します」とのことだったので納めさせていただき、新しいお札と神饌を頂戴した。人間と神との関係は不思議なもので小生の考えはかなり原始的かもしれぬ。しかし町の小さなお祭りを楽しむ老若男女を見ていると近い考えの人は多そうだ。

昔から、人間同士が決めた皇帝や王なんぞより遥かに偉い方が一人一人を細かに観ている、とする考えは洋の東西を問わずごく最近まであったと思う。そこから宗教が生まれ、教団が変な力を持つようになるのも如何ではあるが、人間に神を恐れる心はあった方がいいだろう。遥か昔、哲学の授業か何かで「真・善・美」は一体のものと教わったような気がする。超一流のアスリートや芸術家の言動なり作品を見ていると確かにその通りだと思う。

今日はたまたま自民党総裁選で初めての演説会が開かれた。この演説を聞いて心を打たれる人はどのくらいいるのだろう?二人の候補者が真実を語っているなら、黙って聞くだけで素直に胸に落ちて感動もするだろう。しかし実際は声高に述べられたことと、何やら美辞麗句と形容詞だらけで意味不明だったとしか言いようが無い。哲学の授業を踏まえて言うなら、そこには「真」が無く虚飾に満ちたものである証拠と言える。全く神を恐れぬ輩だ。

2018年9月8日土曜日

涼風の蓼科高原


高校同期の有志が毎年初秋の蓼科高原でゴルフをすることになっている。今年は小生同様ゴルフはしないが同期生の歓談だけは逃したくない者が3人も出現した。この中の一人が大変博学であると同時にリーダーシップに富んだY君で、ゴルフ無しで高原の涼風を感じながら過ごす2日間の日程を組んでくれた。お陰で木金の2日間極めて有意義に過ごすことが出来た。

一昨日は蓼科高原横谷渓谷の散策、標高1500メートルの高みまでバスで登り1250メートルの旅館まで約1時間かけて散策。紅葉には少し早かったが、お天気に恵まれ、登り道が無いことが少し残念と言えばそうだが、十分楽しめた。滝が何か所かあり、高い処の滝にはマイナスイオン2万5千個/1ccとあり、少し下ると個数が2万個に減っている。そもそもマイナスイオンとは何ぞやだが、ドリンクの宣伝でよく聞く乳酸菌百億個と一緒で意味不明ながら、気分爽快だから数字が大きいほど有難く感じればいいのだろう。

昨日は高原特有の晴れたり曇ったりのお天気だたが、尖石(とがりいし)縄文考古館を見学。縄文時代のことなど真面に勉強していないので何も知らなかったが、実に興味深いものだった。同行Y君から事前に聞いていたが、縄文時代には前後期があり合計すると1万年から5千年近くになる。今でもそうだが、本当のお金持ちは海や川の近くには家を造らず山の中腹にやや広い場所を見つけて造るものだとのこと。

更に蓼科高原は昔から樹木にも恵まれ動植物の採取にも適していたうえ、矢じりを作る黒曜石の産地でもあったので、大きな集落が形成されている。縄文人種は定住しないとされているが、日本ではユーラシア大陸なんかよりはるか昔から定住が始まっていたらしい。兎に角この地域から発掘された縄文時代の土器土偶、石斧、矢じりの類の豊富さは驚くばかり。同行もう一人の友人M君は趣味で陶芸をしているくらいなので、ここは何度も来ているので学芸員以上に解説をしてくれた。

しかし彼の解説を聞くまでもなく土偶と土器の素晴らしさは驚異的である。特にほぼ完ぺきな形で発掘された2体の女人像は、国宝に指定されて現在は東京国立博物館に展示中とのことで実物は無かったものの、土器の多彩さには圧倒された。数千年の昔ここに多くの人が集落を営み平和裏に暮らしながら、広い地域にあった似たような集落の人たちと交流をしていたことを聞くと、Y君ではないが、ダーウィンの進化論に疑問を感じざるを得ない。

2018年9月5日水曜日

フランス人記者の目

今朝NHK・BSの「ワールド・ニュース」でフランス放送局の番組を観ていたら、珍しく日本のビジネスマンについて取り上げていた。「銀行に勤めて20年経っても給料が殆ど上がらないので、週末とか平日の勤務終了後にアルバイトをしなければならず、週に40数時間勤務する銀行もそれを認めている。現在の日本のサラリーマン10人に一人は、このようにやや過労な仕事しなければならない事情にあるようだ。そして過労で身体を壊す人も出始めている。」

どこまで本当か分からないが、統計の引用先や取材に応じたビジネスマン・その上司などの名前もしっかり出ていた。国内では毎年給料は上がっているとの報道もある一方、実質的消費支出は毎年減っているとの報道もあり、身近に対象となるビジネスマンがいないので日本人でありながら実態は分からない。しかしフランスの放送局が取り上げた日本人ビジネスマンのレポートは、余りハッピーなものでなかったことだけは確かだ。

如何なる意図をもってフランスの放送局が取り上げたか知らぬが、そもそも日本の庶民の暮らしぶりが、海外それもヨーロッパの放送局が取り上げたのは初めて目にした。欧米から見た日本は政治的存在感はまるで無いし、観光的資源に恵まれているようにも思われない。アメリカであれば自動車なんかはメキシコやカナダから輸入されていても日本製は意識されるであろうが、ヨーロッパでは日本に於ける韓国製自動車と同じと聞いている。

フランスも若い大統領になったものの、国民的人気が高かった環境大臣に辞任されたりして、国内が安定しているとは言い難いようだ。このレポートを送ったフランス人記者の目の付け所を聞いてみたいものだ。

2018年9月4日火曜日

主権国家

明後日から信州蓼科の温泉に遊びに行くので天気を心配していたが、目下近畿地方を直撃している台風21号が明日一杯で本州を横断して日本海に抜けそうな気配、だから木曜以降は却って天気が良くなりそうだ。今度の土日は氏神様の秋祭り、これも例年1日は必ず雨と決まっているが今年は大丈夫だろう。但し現在風は相当強くなってきている。昼飯を食いながら店のテレビを観ていたら台風情報の冒頭に総理大臣が何か喋っていた。総裁選に入っているので、NHKとすれば出来るだけ総理の露出を増やして協力しているようだ。

安倍氏が党則を変更してまで3選に拘るのは憲法改正に強い拘りがあるからだと聞くが、本当だろうか?少なくとも国民の大半は憲法改正の必然性を感じていないだろう。それでもと言うのであればはっきりそう宣言すればいいものを。今日の日経に掲載されている記事によれば「全ての世代が安心できる社会保障制度に向けて3年かけて大改革を行いたい」と語ったとある。雇用状態が良いのだから年寄りも働けと言う理屈らしいが、これも社会保障政策の行き詰まりを言い方を替えてるだけのことだ。

社会保障政策の行き詰まりは先進諸国は勿論、嘗ての社会主義国ロシアや中国でも最大の課題になっていて、各国首脳はこの問題に真剣に取り組んでいことが報じられている。小手先の誤魔化しみたいことでお茶を濁そうとしているのは、知る限りアメリカを別にすれば日本だけではないかな。何れにせよ自民党総裁選何ぞ「どうとでもなれ」が正直な気分だが、少数派だろうか?この前の日曜日だったかな、銀座方面を徘徊していたら数寄屋橋の有楽町マリオン前に所謂右翼だと思うが4、5人並んで、うち一人がちゃちなハンドマイクでがなり立てていた。

小耳にはさんだ内容曰く「私は本土に配置されたオスプレーが事故を起こすなら総理官邸か警視庁に墜落してもらいたい。そうしたら米軍が飛んできて現場を封鎖するので、総理だろうが警視総監だろうが執務室に入れなくなるんですよ。皆さんこれで主権国家なんて言えますか?」なかなか分かり易い例え話と感心して通り過ぎた。