2021年1月31日日曜日

ワクチン

 昼から娘にパソコンを貸すことにしたので、早めに書いている。最近日本ではやっとコロナに対抗するワクチン接種が取り上げられ始めた。マスコミでも国会でも何かと大騒ぎだ。随分のんびりしていると思うが、やる気が起きただけましとしよう。その動きは様々あって、先ず担当大臣が決まったことは既に書いた。次にマスコミが取り上げているのは、摂取するワクチンは何れも外国製で、国産品も開発途中で今年中に製品ができるかどうかも定かではない。

ワクチンの輸入に関しては、海外の有名ブランド3社と政府が購入契約をしたとのこと。数量的にはそれぞれ数千万回分、或いは1億数千万回分で、全国民に行き渡る量(中には2度接種が必要なワクチンもある)が確保されているとのこと。いつから輸入が開始されるかは、報道に依る限りどうもはっきりしていない。一部のワクチンについては、日本の製薬メーカーと提携して日本国内に工場を建設予定なんてことも言われている。

この3種類のワクチンの中、日本の厚労省が正式に使用を許可したのは未だ1種類だけで他の2社は未だ未許可だったような気がする。薬は外国政府が有効性や安全性を確認しても、日本政府は簡単にはそれを認めない。国内における試験結果を確認して初めて認められるものらしい。他の2社から既に承認申請が正式になされたかどうかも知らない。しかし政府は2月中にはワクチンが国内に運びこまれる前提で作業を急いでいるようにも見える。

ワクチンという代物、取り扱いが結構不便で、高級な寿司を海外から取り寄せるに近い扱いが必要らしい。生もの以上にデリケートな温度管理等々が必要で、食べごろを外すと廃棄処分になりかねないそうだ。このご馳走に与るにはお代は不要、即ち只だから国民の皆さん大いに接種してください、と海外では大統領や首相が進んで接種する姿を報道させて、国民にアッピールしている。日本でも遠からず似たようなシーンが観られるだろう。

それがいつになるか分からないが、政府はスケジュールなるものを早々に発表している。スタートは今月半ば、接種に与ることができる人には随時然るべき筋(地方自治体)から通知があるそうだ。「○月○日○時ころ然るべき場所にご来駕願うと」でも書いてあるのかな?さて、その通知が来る順番も徐々に明らかになり始めた。一番初めは医療従事者、こりゃそうだろう。

全国に医療従事者は370万人ほど居るらしい。この内の2万人ほどが2月中に接種され、地域差も当然あると思うが、3月中には完了させたいとのこと。次は高齢者、これは数千万人になるだろうが、これも手際よく終了させ、5月からは一般国民に対しての接種を開始と、ざっとこんな感じの発表になっている。

お分かりのように、政府は手際よく全体スケジュールを発表しているが、具体的に肝心なところは何も詰まっていない。報道に接した人に我が身に照らして具体的イメージが沸く道理が無い。もちろん摂取する側に回る人なんか一人も特定できていない。外国では既に数百万人数千万人規模で接種を始めているところもあるが、程度の差こそあれ混乱生じているのも事実。パンデミック収束は程遠い。

2021年1月30日土曜日

日本外交

 現政権は国内のコロナ対策に追われて、外交まで頭が回らないのが本音だと思う。ところで、、外務大臣の名前さえとっさに出てこなかったくらいだから、こちらも他人のことは言えない。もちろん外務省の機能が停滞している、と断じるほどの見識は無いが、そっち方面に極めて明るい元外務官僚天木直人氏のメルマガを毎日読んでいたり、アメリカ在住の冷泉彰彦氏メルマガも毎週精読しているので、一寸心細さを覚えていることもある。

なんと言っても10日前にアメリカ大統領が交代した。これは日本にとって大きな出来事であるのは言うまでもない。それよりも大きなインパクトを受けている国は多い筈だ。言い換えれば世界中の国が、息を潜めてこれからの世界がどう変わるかを真剣に考えていることだろう。特に中国とロシアとイラン、北朝鮮も入れようか。対米関係をどう扱うか難しそうだ。

トランプ氏のように、すぐ拳を振りかざすことは無いにしても、戦争の危険が去ったとは言い難いだろうし、関税とか貿易とか経済を巡る戦いは、どちらも容易には手を緩めないだろうから緊張感は張り詰め放しかもしれぬ。そこで問題となるのが日本の立場。アメリカは日本については何も心配せず、黙っていてもついてくると思っているフシが見え隠れしている。しかし日本人も日本政権にもいろんな人間がいることをアメリカ国務省は百も承知のようで、様々な手を打ってきているようだ。

一昨日28日の夜やっとと言うべきかもしれぬが、電話に依る日米首脳会談が実現した。例によってマスコミは、互いに<ジョー>と<ヨシ>と呼び合うことで合意とか書いて単に有意義な会談だったと国民を安心させるために応援を送っている。しかしその割には会談の内容と成果を詳細に分析した報道は無い。それもその筈、この会談が行われたのは日本時間の28日深夜の放送業界で言えば24時半から30分間。

これは外務省が「それでも良いから」と頼んだか、了解したかだろう。天木氏のメルマガに依れば、会談内容は:日米同盟強化で緊密な連携をする事で一致・日米安保5条の尖閣適用で一致・米国が核の傘を含む拡大抑止を提供・自由で開かれたインド太平洋で連携・北朝鮮の非核化で連携・拉致問題の早期解決で協力・コロナ対策優先で一致、協力・菅首相の早期訪米で調整・気候変動サミットで協力;の多岐にわたっている。

そして感想は次の通り。「こんな多くの、しかも重大なことを、わずか30分の会談で話せたのか。ましてや合意できたのか。しかし、どの報道も疑義を呈するものはない。外務省の提供した情報をそのまま垂れ流すだけだ。」外交と言うよりメディアの問題かもしれぬ。

2021年1月29日金曜日

俺はやっぱりダメ男

 つい数日前に確定申告について何もしないと書いたばかりというのに、昨夜次女から電話が来て「e-Taxで申告したいのでパソコンを貸してくれ」とのと。普段スマホで全て間に合わせているので、添付書類のPDF化なんかが出来ないらしい。パソコンの使用は一向に構わないが、e-Taxは面倒くさいので申告をやめた事を話したが、娘はなんとかなると思っているらしい。申告に必要な給与所得の源泉徴収票は仙台にいる旦那の会社から送信されてきた。

昨夜はこれを開くのに一苦労。旦那の会社は書類を外部に送る際に、自動的に圧縮されて解凍するためにパスワードが必要になるよう設定されている。旦那はこれを知らずに送ってきたわけだ。送られてきたのは3時頃だったと思うが、私用のことだから5時を過ぎるまで連絡するのを控えていた。5時丁度に娘にそのことを連絡、旦那から電話をくれと依頼。暫く待ってると電話が来たが、返事が奮っていた。

「こちらで確認したものをLINEで家(娘)に送りました。」とのこと。どこぞのコマーシャルではないが「だったら最初からそうしてよ。」結局昨夜は池袋まで歩く時間が無くなり、地下鉄で夕食を食いに出かける羽目になって些か運動不足と相成った。そんな事があったので、娘が来たいと言っている日曜日までに、一応e-Taxの準備だけはしておこうと思い立ち、2018年2月に行った確定申告のおさらいをしてみた。

しかし「マイナンバーカード」の認証がままならない。結局サポートに電話をして相談するが何としてもうまく行かない。9時頃から11時近くまで電話をしていたので今月の電話料はきっと跳ね上がるだろう。先方もお手上げ状態となって「ここからはマイナンバーカードのサポートと相談して、読み込みに成功したら改めて電話をください。」と逃げられてしまった。仕方がないのでマイナのサポートに電話するが、トライするのは先程やったことばかり。

いよいよNTTのカードリーダーライターに文句をつけなきゃならん、と悲壮な決心をしてフト思いついた。「待てよ、これは俺の方に問題があるのではないか?」今使用しているパソコンのUSBのポート(差込口)は4個ある。挿入さしていたUSBを引き抜いて反対の口に差し込むと、なんとパイロットランプが点滅し始めた。基本中の基本の話だ。

電気が通じていないコンセントにプラグインしているのと同じこと。俺はやっぱりダメ男であることを実感した次第。この外プリンターのインクを買いにいったりで、今日は終わってしまった。

2021年1月28日木曜日

有為の人材

 小説の中のことであるが、事業に苦労している父親が子供に対して言ったセリフで面白いことが書いてあった。「世の中に本当に役に立つ人は意外に少ないものなのだよ。」このセリフは確かにある種の真理かもしれない。人間一人の力なんぞしれたもので、どんなに優秀な人間でも協力する人材に恵まれなくては何事もならぬ、と思いがちだが組織の要所を占める人材にはやはり有為の人材が不可欠だ。

ましてや政府のような巨大組織になると、要所要所に配置される人材がボンクラだと国民は悲劇になりかねない。戦前までは首相の任命権は誰にあったかよく理解できていないが、大正から昭和初期にかけて戦争の泥沼に入り込んでしまったことは既に明らかになっている。現代の日本は議院内閣制となり、選挙で選ばれた議員が内閣の大部分を構成することになるので、選挙で議員を決める国民の責任は大きい。

現内閣は選挙の洗礼が無いと言う人もいるが、建前的には一応選挙で選ばれた事になっているのだろう。それは兎も角として、菅首相も田村厚労相も今回ワクチン担当になった河野大臣も一応は有為の人材かもしれぬ。しかし彼等が見習うべきは古人のことだ。と言ってもそんな古い時代ではない。明治時代の医者であり官僚でもあり最終的には政治家であったとも言える人たちのこと。

昨日のテレビ(BSP:英雄たちの選択「衛生国家への挑戦~3人の先覚者たち~」)で初めて知ったことだが、取り上げられたのは緒方洪庵・長与専斎・後藤新平の三名。彼等が如何に有為であったかをごちゃごちゃ書くより、読者の皆さんには是非この再放送をご覧になって頂きたい。(放送日時BSプレミアム2月3日午前8:00~9:00)

現代日本の感染症対策が世界に冠たる結果を生み出しているとは思わないいが、小生が生まれるつい10年くらい前まで日本に生きていた後藤新平氏は、間違いなく世界から称賛されていたのだ。先に上げた政治家3名も有為の人材と持ち上げられては穴があったら入りたくなるだろう。

2021年1月27日水曜日

何もしない

 確たる信念があるわけでもないが、何となく大分昔からGoogle Chromeというブラウザを使用している。別にマイクロソフト社に恨みも何も無いのに不思議だと自分でも思っている。扨、今週税務署から確定申告用紙が送られてきた。先程まで放っておいたが、先程開封してざっと目を通した。いつもの通りの案内だが目下思案投げ首状態だ。3年前になると思うがは確かe-Taxとやらで申告してみたが、色々面倒だった記憶がある。

先ずブラウザをWindows Internet Exploreにしなければならないこと。Microsoft Edgeとの違いが分からずまごついてしまった。同じ会社の製品(ブラウザ)でありながら前者は古いバージョンである。日本のインターネット技術が相当遅れていることは知っていたが、それにしても政府が遅れの誹りを受けるようなことするのはまずい。菅内閣では態々デジタル担当大臣ポストが設定されているので、ひょっとするとこのブラウザ問題は解決されているかもしれぬ。

他にもマイナンバーカードをスキャンする必要があって、これを調達するために池袋の量販店に出向き、結局1日掛かりの大仕事になってしまった。この経験を踏まえて一昨年には、嘗て会計事務所に勤務していた娘に来てもらって指導を受けながら一時間足らずで用紙に記入し、翌日税務署に出向いて申告したら半日足らずで終わった。そこで今年をどうするかを思案中という訳だ。今年の選択肢としては新たに「確定申告をしない」というのを加えたいと思っている。

確定申告は国民の義務だろうが、年金以外に収入が無く、ここからご丁寧に税が天引きされて振り込まれているので、サラリーマン諸氏と同じように納税はきちんとされている。また、納税額を控除される要素は何も思い浮かばない。だから何もしないのが一番まっとうに思えるのだ。

2021年1月26日火曜日

マネージャー

 学生時代を含め運動部に所属したことがないので運動部の「マネージャー」がどんな存在か正確に理解はしてない。そもそもこの言葉は英語圏で同じように用いられているかどうかも怪しく、和製英語かもしれぬ。余談はさておき、これをプレーヤー(選手)に対する「管理者」としておこう。最初に就職した会社が運動部系の若者が多く、その中に一人だけマネージャーがいた。彼は3期後輩で懐いてくれたのでよく一緒に飲み歩いたものだ。しかし可愛そうなことに、彼は同じ運動部出身でありながらプレーヤー系の若者から時には陰で、時には露骨に面と向かって「マネー公」と馬鹿にされていた。小生も運動能力が低いので、運動部に入れてもマネージャーだったので同情もあったろう。

マネージャーは優勝パレードなんかでいつも一番尻尾に並ぶが、本当の働きはもっと上にあると思う。これをテーマに掲げたのは、昨今の在宅ブームについて物申したかったからだ。在宅で一番の問題はやっぱり管理者の不在だろう。真っ先に言いたいのが在宅医療。医療行為そのものが患者に対する外部からの管理だから在宅で出来る筈がない。テレビでは専門家が「具合が悪くなったら、遠慮せず医療機関に電話してください。」なんて言うが、患者や近親者にすれば「よく言うよ。」だろう。連絡がついて医者に行けるなら誰も苦労しない。

正確な数字は記憶してないが、現在在宅で入院待ちをする人が全国で1万人を遥かに超えていると思う。当然ながら家で死亡する人の数がこれからも増え続けるだろう。在宅授業で教育格差が拡大することに関しては既に世界的に問題化している。これもごく当たり前で、在宅で授業を受けられる機器が与えられ、それをある程度使いこなせても、そばで一緒に見てくれる管理者が居なければ成果の程はたかが知れている。これは何も低学年に限ったことではあるまい。

大学生であっても教授がそばに居なくて、どうすれば「おしえ」の効果を上げられるだろうか。教師か教授か知らぬが、一人で喋って、学生の受け止めをどのように判断するのかだ。試験があるから良いだろうでは絶対に済まないと思う。大学となると流石に国際問題にはなっていないが、学生の学力低下は早晩問題になるだろう。遠隔授業で問題が解決できるなら、留学はおろか学園の存立そのものが要らなくなってしまう。日本で言えば、NHKの放送大学さえあれば良いなんてことには絶対ならない。

ましてや在宅勤務なんてこともありえないだろう。社員7割に出社制限をかければ、その分生産性が落ちないまでも生産性が上がることはあるまい。知人のお子さんがマイクロソフト日本支社勤務で、コロナ以前から在宅勤務時間が長ことを聞いていた。しかしこれも出世する度に出社頻度多くなっていったようだ。デジタル化が出来る職場でさえそうだから、現役時代を思い出せば、営業なんてことは、自分の会社は兎も角、よその会社を訪問しないことには何も始まらない。

話がマネージャーから大分離れてしまった。乞うご容赦。

2021年1月25日月曜日

読後感「日曜日の歴史学」山本博文著

 歴史学と何やら難しそうな表題がついているが、内容的にはむしろ<日曜日>の方に重点が置かれている。気軽に読める楽しい本だ。80歳を越して歴史知識の無さを痛感しても、今更学ぶつもりは無い。書店でブラブラしている時に気に入ったのが目次。10項目に整理されているが、第1に上げられていたのが「江戸の人物に学ぶ隠居学」だった。この項目だけ内容を詳しく紹介したい。

取り上げられている人物が次の5人、神沢杜口・伊能忠敬・大田南畝・村尾嘉陵・貝原益軒である。歴史の世界では著名な人が多く取り上げられるが神沢杜口と村尾嘉陵は知らなかった。しかし現在でもそうだが、現実社会は有名でない人が圧倒的に多いので、有名人ばかり追いかけては現実を見失うことにも繋がりかねない。その意味から考えても本書は新しい見方を教えてくれている。

文庫本で300頁足らずの小冊子なので、時代的には江戸時代のことに限られているが、江戸時代を大きく掴んで理解するために大変役立ったような気がする。著者のことに触れたい。山本氏は若くして江戸時代をテーマにした小説や解説書も多く発表している。いわば江戸時代の武士生き様の研究者として現代を代表する一人のようだ。しかし本業は東大出身で東大教授の歴史学者。年齢的にも小生より17歳も若い。

しかし、残念なことに昨年3月に亡くなられたしまった。武士の生き様が忘れ去られつつある現在、貴重な人材がいなくなったことを寂しく思わざるを得ない。学術会議を無視する政治家共には分からないだろうが、学者が亡くなると、学者の頭に刻み込まれている貴重な歴史的事実が一緒に無くなってしまう。ある意味での国家的損失とも言える。本書を読み終わってから知ったが心からご冥福を祈りたい。

2021年1月24日日曜日

46代アメリカ大統領就任式

 昨日から今日にかけて合計約2時間半、パソコンにしがみついて20日のアメリカ大統領就任式の一部始終を見てしまった。歴代大統領の就任式は何度もテレビ中継を観ているし、オバマ大統領の就任演説の有名さは勿論承知している。とは言っても知っているのは「yes we can]だけで他は何も知らない。今回は相当暇があったので、英語は司会の「レディース・アンド・ジェントルマン」しか分からないのにずっと観続け、就任演説も訳文を丁寧に読んでしまった。

今日は日曜日なのでブログも読後感を上げようかと思っていたのだが、折角観たのでこれについて感想を書いておきたい。これまで式典の中継と言えばオリンピックの開会式くらいしか観たことがなかったので、就任式祝典は結構な見応えを感じさせてくれた。先ず結論から書いておきたい。「大人の祭典」であったことが非常に印象的だ。昔日本を占領した連合国司令官のアメリカ軍人(陸軍大将だったかな)のマッカーサー氏が「日本人は14歳の少年のようだ」といったと伝えられているが、今全く同じことを思わざるを得ない。

オリンピックはいつも若者の祭典らしく躍動感に溢れているが、大統領就任式典は躍動感は無い。式次第には娯楽的要素も多分に盛り込まれていても常に一種の厳粛さが漂うものだ。はじめに黙祷があり、おわりも牧師の説教で締め括られたせいもあろう。娯楽的要素の歌手は女性二人に男性一人、詩の朗読女性一人の紹介は省略する。日本の式典で国歌をエグザイルや和田アキ子に歌わせると、聴いていて白けてくるが、今回は英語が分からなくて結構インパクトが有った。

もう一つ重要だと思ったことが、列席者で来賓人物の入場に際して、一人ひとりファンファーレ付きで紹介されるので全員着席まで小1時間掛かってしまったこと。ペンス前副大統領の隣にカマラ・ハリス新副大統領の席が設けられていたこと。新大統領の就任演説は20分程度でそんなに長いものではないし、日本の評論家は、ごく普通でつまらないもののように言う人が多い。しかし、民主主義という理念を大切にして国家のために働くつもりだから、協力してくれという気持ちを率直に語っていたことだけは確かだ。

これが国民にどのように届くかは分からないが、役人が書いた政策メニューをダラダラ述べるよりは聞く価値があったと期待したい。

2021年1月23日土曜日

特効薬

 ひょっとすると心配のし過ぎかもしれぬ。やはりコロナのことだ。コロナ対策で水際作戦が成功している台湾とかニュージーランドなどを別にすれば、一番良くやったと内心感心していたのは中国だ。その中国で今年に入ってからだと思うが、河北省石家荘市とい言う武漢から大分離れた都市でコロナ患者が急増して500人を越し、政府は対応に追われていたと思ったら、今度は首都北京や他の都市でも新規感染者が確認され始めた。政府はあらゆる強硬手段を用いて封じ込めに必死だが、見えない敵はしぶとく、今のところ抑え込みに成功との報道は無い。

この疫病が中国の武漢市で最初に確認されてからもう丸1年以上になる。そして今やワクチンが開発されて、そのワクチン接種が現実となり始めた。先に[もう]と書いたが、当初ワクチン開発には10年は掛かるとも言われていた。しかし科学技術の進歩が目覚ましかったのかどうか、1年足らずでワクチン接種が現実化している。本来であれば楽天家だから「目出度し目出度し」と胸を撫で下ろすところだが、どうもその気になれない。むしろ、危険が身近に迫ってきたように感じてならない。

話が飛躍するが、家内は生涯電子レンジを買わなかったし、次女の家にも電子レンジが無い。便利すぎる物が嫌いな系統かもしれぬ。小生も3Dプリンターで製作された物なんか信用したくない口である。世界の人口を仮に80億人として、ワクチン効果を実効あらしめるには約6割の50億人近くが接種されなければならぬそうだ。ワクチンとは如何なる原料でどのように製造されるか知らぬが、薬九層倍の製薬メーカーのことだ。メッセンジャーNRAなんて意味が分かる人間が如何ほどいるか知らぬが、小生にすれば鼻くそ丸めて万金丹と同じこと。

言いたいのは見えぬ敵ほど厄介な奴はいないと言うこと。人類がこいつに打ち克つにはやっぱり「薬」が必要じゃないか。嘗て人類は肺結核に大いに悩まされたが、結局抗生物質の開発で救われた。先日読んだ「赤い砂」という小説では、正体不明のウィルスの特効薬が、偶然同じウィルスであるエイズ菌の中に見いだされる設定になていた。要するに赤い砂は脳神経が侵されるウィルスが主役で、エイズに掛かれば、そのウィルスは死滅することになる。

現在も医療分野で日夜苦労を重ねている医療従事者には敬意を表するが、一刻も早くウィルスを絶滅する特効薬の開発を願ってやまない。これも或いはだが、アメリカ前大統領トランプ氏が劇的に早く復帰できたのは、特効薬のようなものが既に開発されつつあるのかもしれない。昔結核の特効薬ペニシリンやストレプトマイシンが開発された当初、日本人は貧乏だったので利用できずに亡くなった人が多くいたそうだ。

2021年1月22日金曜日

上下あべこべ

 昔の話を聞いたり読んだりしていると、戦が無くなって250年も続いた江戸時代でも、武士が責任を感じて切腹することがあったようだ。当時の武士は一般国民から見れば支配階級。殿様に仕える今風に言えば官僚であり、政治家にも当たるだろう。下々なる領民に対してお上の意向を指示・命令をしたり、執行したり、取り締まったりする役割を担ったろうが、代わりに下々の意見を聴いて、殿に上げる役割も担ったようだ。

江戸時代はこの殿様が300人くらいはいたそうだが、更にその上に江戸幕府があって、殿様も江戸幕府の命令は無視できない構造であったのは御存知の通り。江戸末期で日本の人口は約3300万人、武士は統計が無いので正確には分からないが、少なくても15万人くらいは居たらしい。その割合を現在の人口1億3千万人に置き換えて60万人強。今の国家公務員と地方公務員の合計が300万人を超えることを思うと、江戸時代の行政は随分効率が良いように思う。

しかも冒頭に書いたように、江戸の末期に至っても武士は働かずに食っていることに対する責任を常に感じるよう教育されていたので、自らの行為に対して恥じることがあった時に切腹することで責任をとったり取らされた例が少なくないようだ。こんなことを思ったのは植木等ではないが、無責任時代の現代のこと。これは常々思っていることで、なにも安倍晋三氏や菅首相のことを言いたいわけではない。

言いたいのは、つい先日ワクチン担当大臣が任命されたことだ。これって変だと思わないほうが不思議だと思う。別に河野太郎氏を悪く言うつもりもないが、彼って行政改革担当ではなかったかと思って確認したらやはりそうだった。なんでも行政改革担当という職位は暇なので任命されたように言われている。実態は分からないが、仮に暇であっても屋上屋を重ねる役職を増やすことに異を唱えない事はどう考えても納得できない。

行政組織に無闇矢鱈とチェックポイントを増やすことは、業務停滞の原因となることは勿論だが、何よりも責任の所在が不明確になる。結果的には安倍元首相に戻ってしまうが、「責任は全て私にあります」と言いながら何一つ責任を取らずに逃げ切ってしまう最高責任者を生む最大の原因だろう。現在医療機関のパンク状態が明らかになりつつあると同時に、保健所のパンクがはっきりしてきた。

先程観てたテレビで元鳥取県知事の片山善博氏が「保健所の業務こそもっと細分化して、民間企業に業務委託し、職員は保健師でなければ出来ない仕事専念すべきだ。」と言ったがこれが本当で、上部を複雑化しても意味が無く、下部の仕事をしやすくすべきだ。

2021年1月21日木曜日

アメリカのこと

 先ず他国のことながら、昨日アメリカの大統領交代の儀式が無事終わった。取り敢えずはそのことに祝意を表そう。儀式が無事済んで目出度いと言われるのも困ったことだろうが、仕方あるまい。最近の報道で見る限り、トランプ派のデモは必ずと言っていいほど参加者の一部がライフル銃を携行している。武器をむき出しで持ち歩いても、取り締まれないような法律になっているのだろう。我が国も150年ほど前までは、人斬り包丁を腰に手挟んで往来していたのだから、建国から300年に満たない他国のことは言えないかもしれない。

日本では廃刀令後も首相の暗殺事件が何件か発生しているが、アメリカも大統領暗殺事件多発国家だ。新大統領の無事を祈ろう。兎に角アメリカ社会の分断は想像を超える。日本は主義が多少違ってもどこかに共通項的なものがありそうだが、アメリカは多民族国家だけに、どうしても想像できないところが生じてしまうのかもしれない。外国人にけしかけられなくても内戦が発生する可能性が大いにある国の一つだろう。日本ではトランプ陣営の暴徒ばかりが取り上げられるが、民主党支持者にも似たような人間はいるだろう。

大統領暗殺のような事件が起きて、トランプ陣営の関与が明白になれば民主党陣営からの反動もあり得るのではないだろうか。新大統領が、双方とも冷静になって、分断の溝を埋め歩み寄るような施策を打ち出すことを期待しよう。前大統領の評判は悪評さくさく。小生もその一人で、とんでもなく困ったことばかりやらかした、と思っていた。しかし今回はじめて知ったが、任期中に戦争を始めなかった珍しいらしい大統領とのこと。これは評価すべきかもしれぬ。新大統領のバイデン氏もトランプ氏を追放したいのは山々だろうが、追い詰めれば良いという訳にもいかなそう。

自国の未来さえ分からないのに。他国を云々しても始まらない。やっと国会が招集されたが新味何も無いので先行きを不安は一向に解消されない。しかし今日の散歩で思ったのは、昼でも人出は明らかに減っている。この先新規感染者の急増は一旦収まるかもしれない。しかし、時既に遅しで、急増は抑えられても、来月7日までに半減させることは難しいのではなかろうか?となれば緊急事態宣言終了とはならない。

少し無理して解除すれば元の木阿弥は見え見えだ。さてどうする菅首相さん、、こちらはお手並み拝見しか無さそうだ。

2021年1月20日水曜日

大寒の体調

 今朝は東京でも大寒らしい寒さになった。体感的にはこの冬一番だったと言える。太陽が上がってからも北風がやまず寒さが続いた。今年は節分が2月2日だそうで、例年より1日早いと言っても寒さは当分続くのだろう。昨日も今日と似たような天気で寒かった。昼間ちょっとした用事があって飯田橋で人に会って簡単な昼飯を食ったり、買い物をして明るいうちに帰宅したが、帰宅途中変に寒気を感じて鼻水やらくしゃみが出始めた。

もちろん電車の中ではマスクをしてたし、人混みはなるべく避けていたつもりだが、帰りの電車が日大豊山高校の放課後にぶつかりほぼ満員状態。当然ながら高校生同士の会話は声も大きい。ひょっとしたら彼等にやられたかなと恐怖感を覚えてしまった。冒頭に書いたように今朝も寒くはあったが、昨夜の悪寒とは明らかに異なる自然の寒さだ。長野で暮らしていた子供の時から冬はどんなに寒くても、朝の洗面や掃除は寒さ冷たさを厭わずするものと決めているので、今でも家中の窓を毎朝開け放って空気の入れ替えをしている。

家内が生きていれば、そんな馬鹿げたことをしないでくれ、と文句を言われただろうが、現在は独り身、健康維持のため毎朝少しやせ我慢の時間を持つよう敢えてしている。出来れば裸になって乾布摩擦でもすればより良いのだろうが、そこまでの元気は出ない。それと夜早めに寝ること、昨夜はここれを実行したので、風邪症状は収まった。心配しているコロナ感染は10日か2週間くらい経たないと判明しないのだろうが、こっちは今心配しても始まらない。

昨日の国際報道に依ると、ロシアのプーチン大統領がロシア正教の伝統に従い、厳しい寒さのなか、凍った池で沐浴する様子が放送された。極寒の環境下で生活しているロシア人にはこの習慣を守っている人が結構いるらしい。人間氣の持ちようか慣れか知らぬが、体温維持の力は恐ろしいものがある。火の気が全く無い身体のどこに36度前後の体温を保つ秘密があるのだろう。医学的には当たり前過ぎて説明するのも面倒だろうが、知っている読者がおられたら教えて頂きたいものだ。

何れにせよ、大寒の今日の体調は可も無く不可も無いと言えるだろう。家内の存命中は、毎冬1回は風邪を引いて医者に通ったり寝込んだものだ。家内に甘え己にも甘えていたと思う。風邪であってもコロナであっても、医療が崩壊状態と聞く以上、とにかく医者には行かないようしなければならない。体調の管理に今暫く緊張をもって当たらねばならない。

2021年1月19日火曜日

決断力

 昨日の朝見たテレビ(羽鳥慎一モーニングショー)の中で言っていたが、テレビ朝日の世論調査によれば「今年のオリンピック開催は出来ないと思う人」の割合が確か80%を超えていたように思う。このことを知って、日本の政治家は昔も今も変わっていないことを強く感じざるを得ない。先の大戦の末期、特に本土への空襲が始まってからは、多くの人がこの戦争に勝つのは容易ではあるまい、と思ったに違いない。

このことは自然だろうが、その時政府中枢でも少なからずの人が同じように考えても不思議は無い。いくらトップを始め大勢の軍関係者がいてもだ。政権の中枢に居ようと同じ人間である以上、日々確認する事実が同じであるなら、感じ方に大きな差が出るとは考えにくい。問題は人には立場があり、立場上自分の感じをそのまま口にできないことはあろう。理性を殺すと言うことが作用して、外に対しては内心とは全く逆の強気の発言に終止することになる。

周りにいる人もそれを知りながら、強気の発言を持ち上げて同調するので言葉だけが独り歩きするが、政権から遠い立場にいる人からするとかなりの違和感でしか無い。「人類がコロナに打ち勝った証」なんて言われても、打ち勝つ唯一の縁がワクチン接種らしいが、日本ではこれを担当する大臣が昨夜決まった。決まった理由が「閣僚の中で比較的暇そうだから」とあるから、本人だって何をどうして良いやら分からないらしい。国民にすればいい迷惑だ。

話が飛躍してしまったが、今年の夏に世界中がコロナに打ち勝つなんて夢のまた夢物語。さっさとオリンピックにはけじめを付けて、コロナ感染拡大阻止に全力を傾注すべきと誰もが思っている。菅首相がけじめを付けられない理由は想像するに、「皆がそう思っているなら何故俺が悪者にならなきゃいかんのか?そもそも始めたのは俺じゃない。IOCと直接コンタクトしているのは森さんだろう。」ぐらいのことだろう。

昨日のテレビには政権応援団の広報担当田崎史郎氏が出てこう言い放った。「主催者から言い出すとIOCにペナルティーを支払う必要が生じる。」何だまた金の話かと聞き流したが、今朝の同じ番組で、「ペナルティーは私の誤解でした。」と訂正していたが、結局はなんだかんだと経費が掛かるとかなんとか言っていた。言っている本人田崎氏だってオリンピックが開催できるなんて思っていないことは見え見えの感じで、何を喋っても全てが言い訳にしか聴こえない。

最後にはこんなことまで言い出した。田崎氏「国連とかIOC自らとか、そちらの方の判断でやっていくのであって、日本としては粛々と準備を進めるしかないのです。」決断はまるっきり他人事。菅首相の取り柄は決断力とも言われるが、とんでもない大嘘だ。

2021年1月18日月曜日

農耕民族型

 父は終生信州で都市生活者だったが、生まれも育ちも当時は小県郡、現在は上田市の片隅の農家出身。祖父様から譲られた田畑は先の大戦で軍属ではあったものの、戦後捕虜となって出征期間が長かったため、不在地主で接収されて、帰る場所が無くなった次第。その血を受け継いでいるのだから、我が血は間違いなく昔風に言えば百姓を受け継いでいる。そんなことを今朝フト思った。何故か、毎日暗いうちに起きて夜もだいたい決まった時刻に早寝をする。起きている16~17時間の行動も毎日殆ど変わらない百姓風の日常故だ。

ある意味貴重面過ぎるかもしれぬ。しかしこれは農耕民族の習慣が知らずしらずに染み込んでいるせいだと気付いた。実際に農業従事者としての過ごした経験はないが、真似事は少しある。また農家を受け継いでいる田舎の従兄弟の家に宿泊して、農家に土日が無いことを目の当たりにしたこともある。恐らく日本人の多くの人にも似たような血が流れていると思う。ところが狩猟民族となると、獲物を求めて彷徨うことが頻繁で、日常が何となく一定しないのではないだろうか。

そして狩りとなると、待つことが得意になるのではと思ったりする。若い頃鉄砲打ちに夢中になっていた少し年上の友人が教えてくれた。「雪の中に蹲ってじっと獲物を待つ時間が一種の快感だ。」スキー場で聞いた時に、よくそんなつまらぬことに夢中になれるものだ、と冷やかした記憶がある。外国の狙撃兵をテーマにした小説を読むと、彼等は何日でもじっとしていられるよう訓練されるようだ。

農耕民族末裔としてはじっとして待つことが苦手、時間を無駄にしているように感じてしまう。人間の性格は二分できるほど単純ではないだろうが、仮に農耕型と狩猟型に分けることが可能であったにせよ、今回のコロナ禍で農耕型の生活習慣は維持できなくなる可能性が高い。狩猟型の人はもともと環境順応が早いだろうし、生活態度の変更を迫られればそれなりに対応可能かもしれない。こちらは農耕民族だから、お天道様の動きが変わらない限り生活習慣の変更が厄介だ。世間の様子を見るのが苦手なのだ。

でも今後はそうは行かないだろう。先が短い小生なんかはどうでもいいが、もしこの血を濃厚に受けている若い人がいるとすれば、狩猟民族型で柔軟な社会対応を考えて、今後の人生を計画するようお勧めしたい。

2021年1月17日日曜日

阪神淡路大震災の日

今日は阪神淡路大震災から26年目の日とのこと。勘定が合わないので困るが、この日は長野の飯綱スキー場に居たことだけは間違いない。下の娘と一緒で、朝テレビをつけると、神戸で火災が発生して現在延焼中とアナウンスされていたと思う。丁度帰る日だったので、夕方池袋の駅で見た夕刊紙のふんどし広告に死者800人とか出ていたような気がする。

兎も角、大変なことが起きてしまった。冒頭に勘定が合わないと書いたのは理由がある。震災が起きた年を2年後の1997年と思っていたからだ。長野のスキー場でのんびりしていたのは最初に就職した広告会社を辞めていたからである。前年の8月まで大阪に居たので、当時関西には友人知人が沢山いた。後で知ることになるが、大阪市社長時代の神戸に住んでいた部下の母上が自宅で亡くなっったし、友人のテレビ局支社長も神戸住まいで大変な被害にあった。

そんなことで25年近く在籍した会社を前年に辞職したのはラッキーなタイミングだったとも言える。人間の運命とは実に不思議と思わざるを得ない。その後の東北大震災にしろ今回のコロナ災害にしてもそうだが、大きな災害が発生すると、その地域では生活様式が一変してしまう。悪くすると先に書いたように家族の離別があったり、勤務先等の企業がすっかり形が変わることもあるだろう。事実前の年まで勤務していた大阪支社は、その後大分変わってしまったし、得意先で世話になった人たちも当時予想だにしなかった方に行ってしまったか、やむを得ず行かざるを得なかったかは別として、26年後の今思うと随分変わってしまった。

関西在住の知己からこちらを見れば、似たような思いかもしれぬ。必ずしも災害が直接の原因になっているとは限らないだろうが、結果的にはその前後での変化は大きい。昨日のリモート会議でもそのことが話題になった。今回のパンデミック騒動は未だ収束には相当な時間が掛かりそうだが、何ヶ月か何年か後に収束した暁、日本でも社会生活の様式が随分変化するだろう。我々が生きてそれを実感するかどうかも別問題かもしれぬ。会社と個人の関係なんかは相当変化しそうだが、経営者側に一方的にに都合よく変わらぬよう願うばかりだ。 

2021年1月16日土曜日

未だ行けそう

 昨日とうって変わり今日は朝から暖かな春の陽射し。そのせいでもないだろうが、30分も朝寝坊してしまった。昨夜遅かったわけでもなく、むしろ普段より少し早めに寝たのにだ。この数ヶ月鬱々として楽しくない日が続いていたが、昨日ふとしたことがきっかけで、物事をあまり悲観せず前向きに考えようと思い直した事があったからかもしれぬ。

読者の皆さんにすればお笑い草かもしれない。毎日遊んでいるネット碁での話だ。ネットの囲碁は碁会所と違って多数の人と繋がっているので、必ず棋力が同レベルの人と対戦することになる。棋力は段級位で表示されるが段位は1段から最高位が9段、級位は最高が1級で下は20級くらいまであったように思うので、30段階くらいはあるだろう。小生の実力は7級であるが、せめてもう1ランク上の6級になりたいと思っている。

ところが、この1級上がるのが大変で、瞬間的に昇格してもあっという間に連敗を喫し、元の級位に落第を嫌になるほど繰り返している。ところが昨日、たまたま6級で打つことが出来た時に、自然に勝つことが出来た。6級のポジションは全く経験が無いわけではない。嘗て居たことはあるが、ここ2年ほど全然上がれないので、年齢を考えると最早無理なのかと半ば諦めかけていたところだ。それにもめげず、巣ごもりの縁で毎日のように対局を続けていた。

先に書いた「自然に勝てた」は他人には分かり難い表現だと思う。意識の中のことになるが、自分ではそう思っていないつもりでも、対局の時に勝ちたいという欲望が最初から最後まで頭の片隅にあるのだと思う。「自然に」はどうした拍子か分からないが、対局中の思考にそれが邪魔せず、もっと別の思考(場面場面での最善手は何か)が活発に作用していたことを言っているように思う。昔から「邪念を払う」と言われるが、これが言うは易くして行うは難しだ。

それが出来たかどうか知らぬが、兎も角昨夜就寝時だいぶさっぱりした気分であったことは間違いない。昨日のテレビで、間もなく細胞の老化を止める薬が開発されるなんてニュースがあったが、そんな薬のお世話になってまで長生きする必要はないが、普通に暮らしていても未だ脳みその活性化が図れるとすれば、こんな嬉しいことはない。命がいつまで保つか分からないが、取り敢えずは明日の朝だ、今朝のような起床ができれば有り難い。

2021年1月15日金曜日

豪雪

未だ寒の最中だから寒いのは当たり前だが、今日は陽が全く射さないので寒い。昨日の昼間はまるで春のような暖かさだったので余計堪える。最近衣類の流行も大分変化して、若い女性のミニスカートが少なくなっているが、近くに高校が3校もあるので女子生徒のスカート姿を見る度に、よく我慢できるものと感心してしまう。なんて言っても、冬来たりなば春遠からじだ、江戸は雪が降らないだけましだと我慢しよう。

それにしても今年の裏日本(禁止用語かな)での雪は凄い。豪雪に慣れているはずの北陸や上越でも何十年ぶりとのことだ。確か昭和50年になるかならないかの頃、入社以来10年間封印していたスキーに行ったことを思い出さざるを得ない。場所は白馬岩岳スキー場、会社の後輩が車を出して連れて行ってくれた。豪雪地帯と聞いていたが、朝起きたら駐車場が真っ平らで車の所在が分からなくなっていたこと、スキー場では雪が多すぎてリフトの搬器がつかえて、昼ごろまで動かなかった。

夜に宿の人から聞いたのが、雪下ろし事故で老人が一人亡くなったとのこと。学生時代行きつけた志賀高原では全く経験がなかったので、北安曇の豪雪には驚くばかりだった。岩岳方面の現在はどうなっているか知る由もないが、スキー場関係者は相変わらず苦労していることだろう。ロシアのシベリア地方の豪雪についても少し報道があって、日本と似たような車の渋滞を見たが、友人に言わせると積雪量では日本が世界最高らしい。極寒のシベエリア地方では寒すぎて雪があまり積もらないらしい。

日本は日本海という雪雲発生に好都合の水蒸気発生装置が揃っているかららしい。確かに日本は富山県の立山あたりでは10メートルを超す積雪当たり前だから、なるほどと思う。昨シーズンは一度もスキーをする機会が無かったので、今シーズン到来前は、今シーズンこそと思っていたのに今年もどうやら難しそうな雰囲気になってきた。なによりスキーに対する意欲が相当薄れてきている。2月7日に緊急事態が解除されても、果たしてスキーに出掛ける気になるかどうか大いに心配だ。 

2021年1月14日木曜日

4博士

 今朝ブログのネタが思いつかなかったので、いっそ今日は「俺が総理大臣だったら」にしようかなんて巫山戯たことを考えたりしていた。ところが食事が終わってテレビ(羽鳥慎一モーニングショー)を観ていたら、ノーベル受賞者4人が感染対策で声明を出していたことを知った。テレビに出ていたのは本庶佑氏と大隅良典栄氏のお二人だったが他には山中伸弥氏と大村智氏とのこと。内容は当然ながら至極まとも。後でネットで確認と思ってネットで検索して驚いた。

この発表は1週間も前の8日に出されたらしい。テレビや新聞は比較的よく見ているつもりだが、今日まで全く知らなかった。ネットで検索しても発表内容は概略しか出てこない。日本で最高の知能を持つ4人の方が発表されても無視するされるのでは、ボケ老人が「俺が総理なら」なんて粋がっても屁の突っ張りにもならない筈だからやっぱりやめた。むしろ4氏の声明を紹介することの方が少しでも意味があると思うので、山中教授のホームページから引用して以下に紹介させて頂く。

【声明】

過去一年に渡るコロナ感染症の拡張が未だに収束せず、首都圏で緊急事態宣言が出された。現下の状況を憂慮し、我々は以下のような方針を政府に要望し、実行を求める。

1.医療機関と医療従事者への支援を拡充し、医療崩壊を防ぐ

2.PCR 検査能力の大幅な拡充と無症候感染者の隔離を強化する

3.ワクチンや治療薬の審査および承認は、独立性と透明性を担保しつつ迅速  に行う

4.今後の新たな感染症発生の可能性を考え、ワクチンや治療薬等の開発原理  を生み出す生命科学、およびその社会実装に不可欠な産学連携の支援を強  化する

5.科学者の勧告を政策に反映できる長期的展望に立った制度を確立する


2021 年 1 月8日 署名:省略

読んでお分かりの通り、頭が良い人の文章は簡単明瞭で分かりやすい。政権幹部が屡々仰るように「誤解」のしようなんか全く無い。そもそも誤解なんて発言は、発言者が自分の発信内容のご粗末を棚上げして国民に責任を転嫁する恥ずべき行為だ。更に政府の意思決定を聞くたびに、不思議に思っていることが一つある。何かといえば、最終意思決定者首相の「事実認識」だ。霞が関は日本最大のシンクタンクで、ここで把握できていない情報は無い、と聞いたことがある。

本当だろうか、医療の実態なんかを総合的に把握できているのだろうか?たまたま高校同期生で作っているグループメールで日本の縦割り行政に絡んだ話題が出た。病院には国立だけでも警察病院もあれば防衛医科大病院や逓信病院等々切りがないほどだ。これ等をコロナ対策情報に限ってどのように統合しているのだろう。あの広い体育館のような会場での対策本部会議を見て、誰が情報収集責任者かを考えるが、結局は居ないのだろう。

2021年1月13日水曜日

西方十万億土

 生まれたのが昭和15年4月だから、記憶の中に占める昭和時代がなんと言っても大きく、中が充実しているとも言える。平成時代の後半からサンデー毎日になってしまったことから、平成は半ば夢うつつで終わり、まして現在の令和となると、もう完全に世の中から浮いてただ漂っているだけのような気分とも言える。今朝の報道で作家の半藤一利氏が亡くなったことを知った。年齢90歳で、自宅で倒れていたところを発見されたとのこと。

死因は明らかにされていないので脳卒中か心筋梗塞か知らぬが、ある意味良い旅立ちだったとも言えるだろう。個人的付き合いは何もないがご冥福を祈りたい。まだ子供の頃から10歳年上の人といえばお兄さんとい言うよりオジサンという感じだったが、不思議とこの昭和5年生まれの人と縁が深くて可愛がってもらった人が多い。一番縁が深かった人は名前からして昭五郎さんで、正に昭和5年生まれだった方。

志賀高原の山小屋の主で、中学時代から大学卒業するまで世話になった。山歩きやスキーが好きになったのもこの方のお陰と言える。この方も数年前に亡くなった。サラリーマンになるとマスコミとの付き合いが増えた。中でも出版社では、親会社の家の光協会を除けば文藝春秋社が最も濃厚な付き合いだった。当時の文藝春秋社は、紀尾井町に新社屋を建てて多分銀座からだったと思うが、移転してきたばかり。小生の就職した会社がすぐ近くの赤坂にあったので、行き来がしやすかったこともある。

丁度半藤氏と同期の広告部長や年齢的には少し下の部員と非常に仲良くなった。広告部長は既に亡くなったが、部員の方とは今でも付き合いが続いている。その他にも消息は途絶えてしまったが、当時の広告業界には昭和5年生れの方が多かった。今になってみると、10歳の年齢差は大したことがないように思うが、当時の10歳差は部長或いは編集長とペーペーの平社員員だから月とスッポン。しかしよく飲みに連れて行ってもらったものだ。

それは兎も角として、年とともにマスコミ人も代わっただろうが、出版社で言えば出版物も大分様変わりした。特に強く感じるのが雑誌、月刊誌で未だに命脈を保っているのは月刊文藝春秋だけかもしれない。月刊現代とか新潮45など愛読していたが、とっくに廃刊になっている。毎月10日が月刊文藝春秋の発売日なので、この3連休に書店で2回立ち読みした。ところがどうも買う気が起きない。こんな事は初めてだ。

ボケ始めて、世間の感覚についていけなくなっている証拠かもしれない。冒頭に己を波間に漂っていると書いたが、掴まるものも無い現在だ。ただ、昔のことだけが懐かしくなってくる。記憶の中で先輩に思いを致し、茫茫たる彼方にあなたは行かれた、しかし俺は未だこの世で生きている。なんていきがってみても、結局は先輩達を追いかけて距離もかなり接近しているに違いない。

2021年1月12日火曜日

違和感

 「三人よれば文殊の知恵」と言われるが、菅首相と加藤官房長官と西村経済再生担当大臣の三人が休日の昨日態々首相公邸(官邸ではない)に集まって相談したそうだ。関西の一府二県に関東と同じ緊急事態宣言を出すことについてとのこと。結果的には出すことに決めたそうだが、ここからがまた不思議。連休が終わってから諮問委員会に諮って専門家の意見を聴取した上で、その他の手続きを踏んで12日頃に発令の手順で合意、と報道されている。

これって相当違和感を覚えるが、こちらの理解の仕方が悪いのだろうか?政権幹部の緊急とは如何なる事態を指すのか全く分からない。火事のように予期せざる災害が発生したような時を緊急事態と言うのが普通だろう。火事が発生したから周囲の人に避難勧告をするのに、誰かと相談して時間を掛ける余裕はない。コロナ対策には緊急性を認めていないとしたら、「緊急」と枕に置くこと自体おかしいことになる。

コロナ対策は政治決断が必要事項だろうが、先ず医学的専門家の意見があって、それを十分聞いた上で政治家が判断しなければならないはず。昨日の報道は政治判断が先にある形で、この手順はどう考えても不思議でならない。しかし考えてみれば専門家の方も相当怪しい。連休明けに政権幹部が相談する相手は対策本部の諮問会議、我々庶民は何故か分科会と称する専門家の意見をしょっちゅう聞いている。どう違うのだろう?

対策本部の序に言えば、政府の対策本部の最高責任者は菅首相だが、自民党にも対策本部があって、こっちは下村博文政調会長が最高責任者とのこと。下村氏の場合肩書が百を超えるそうで、テレビには代理と称する武見敬三氏が頻繁に登場して、他の出演者から政府の無策を突っ込まれると「それは党の方でも既に十分議論をしていて、既に政府にも申し入れを行っているところ。」と答えるのがパターン化している。

雲の上かどうか知らないが、東京千代田区にある日本政府の最高意思決定機関は、余りにも複雑重層的で、最終的に誰が意思決定をしているのか分からないのが実態のようだ。これは先の大戦でA級戦犯のうち選ばれた7人が絞首刑を執行されたことがトラウマになっているのかもしれぬ。いざとなったら誰も責任を取らないように最初から仕組まれているので、政府からアナウンスされることが無責任に聞こえるのは当たり前だ。

聞こえるだけならまだしも、誰の目にも火が燃え広がりつつあることがはっきりしてきた現在、海外からの入国を全面的に止めるとか、国民の移動を厳しく制限するとかの思い切った決断は誰にも出来なくなっているようにしか見えない。昨年も一度書いたが、先の大戦で言えば原爆被害のような地獄を見なければ、政治家は決断できぬらしい。

2021年1月11日月曜日

年のはじめに、世界

 連日コロナに関する報道が続くのは、これがすべての国民の健康即ち生活に直結しているのでよく分かる。今日はこれを措いて別に気になっていることを書きたい。政治問題でもあり、メディア問題かもしれない。日本外交の基本方針は地球俯瞰的姿勢とかなんとか意味不明の説明がなされているが、少なくとも小生は意味が分からない。はっきりしているのはアメリカの外交方針に沿っっていることだ。

ところが、杖とも柱とも頼りにしているアメリカの外交方針が過去4年間で大きく変化、だけなら良いが孤立主義と言うか、自己中心的ご都合主義になってダッチロールしたので、日本外交も同様にダッチロール状況にあると思う。張本人のトランプ氏が失脚し、民主党バイデン氏の登場でアメリカが今後どうなるか分からないが、日本のアメリカ依存は変わらないだろうから日本も少し落ち着けばいいなと思っている。

端的に言って嘗てのような国連中心主義、多国間主義が戻れば改憲騒ぎなども収まるのではと甘い期待をしている。しかし世の中はボケ老人が考えるほど甘くはないだろう。政権交代があったからと言ってもアメリカもそう急には舵を切れまい。世界情勢はますます混乱の度を増すかもしれない。ただ一つ言えるのは多極化が進むことだけは間違い無さそうだ。素人が考えてもアメリカ、中国、EC、ロシアの4極が出来そうに見える。

日本はこの中で、当面アメリカに付き従わざるを得ないのかが気になっているところだ。話を戻すが、ロシアが極たり得るかがちょっと気になった。ソ連崩壊後のロシアは極の座を占めるには少し小さすぎないか?と疑問が湧いた。地理的な広さは広大だが、人口やGDPでは日本といい勝負だ。しかし嘗てソ連邦時代にはアメリカと張り合って世界を二分した一方の雄だ。世界に張り巡らされた人的ネットワークには無視できないだろうし、素人には伺いしれない有形無形な資源があるかもしれない。

まして日本にとっては隣国でもある。プーチン大統領の手腕に期待し、北朝鮮への影響力、中国へのある種の牽制力などを期待して、一つの極に置いておこう。何れにして世界情勢が大きく変わりそうな今後の世界に、我が政府がどのように方針を変えていけるかだ。今のところはその気配は皆無だが、それは取り敢えず措いて、問題はマスコミだ。放送局や新聞社の入社試験の実態は知らぬが、想像するに英語の達者な社員はごまんといそうだが、中国語やロシア語やEUの公式言語の使い手は少なそうだ。

テレビは政府の政策に乗せられて、しきりに中国や韓国を非難するメッセージを発信し続けている。特に韓国については酷い。文政権が国内的に苦しくなってきているのをこれ幸いとばかり叩いている。韓国人が古来外国語に長けていたことを書いた本を読んだばかりなので、余計気になる。外務大臣の外交批判をしようかと思ったが、マスコミに少し苦言を呈するにに留める。

2021年1月10日日曜日

読後感「円仁(えんにん)唐代中国への旅」

エドウィン・ライシャワー著 田村完誓訳

 副題が『入唐求法巡礼行記』の研究:読み終わるのに1ヶ月以上掛かってしまったが、実に興味深い読み物だった。副題になっている行記は昔から世界3大旅行記(他は西遊記と東方見聞録)の一つで、最も信頼性が高いと評価されている。平安時代の僧侶の円仁(実は本書を読むまで知らなかった)が最後の遣唐使節の一人として唐に渡り、仏教の勉強を志すも、当時の唐の国情の関係もあり、結果的に帰国出来たのは9年3ヶ月後のこと。この間838年6月博多湾志賀島出港から847年9月朝鮮の船で博多に帰港するまでの日記である。

本編は円仁自身が帰国後に整理して全4巻として政府に提出されたもので、原本はいつの頃か散逸し、最も古い写本(東寺本)は日記が書かれてから約四半世紀後の1291年に京都で兼胤という72歳の老僧が震える手で書写したもので、これを寛円という僧が原本と対稿(多分校正と同意だろう)している。もう一つの筆写本は信濃の慧日山津金寺の長海大僧都の写本(現在池田本と称される)。著者ライシャワー氏によれば、この二つの写本の違いはほんの僅かとのこと。

本文が散逸してしまったとは言え、この記録が現在残っていることだけでもある種の感激を覚えずには居られない。原文は日本語であるのは当然だが、残念なことに、現代人でこの7万に及ぶ全語を読み下せる能力ある人はごく一部に限られるだろう。その努力をして出版にまで漕ぎ着けてくれた著者ライシャワー氏には深甚なる感謝をするばかりだ。氏は同世代の方には、日本人の奥様がおられたアメリカ駐日大使として記憶されているはず。

もともと父上がキリスト教の伝道師且つ宗教学者で戦前から日本滞在歴が長く、著者エドウィン・ライシャワー氏も1910年明治学院構内で誕生されたそうだ。途中で戦争があったりしたので一時アメリカに帰国されてはいるが、日本は第二の故郷に違いない。本論に入る前に前置きが長すぎるかも知らぬが、著者にどんなに敬意を表しても足りない。自分自身読書は少ししたつもりでも古典は殆ど読めていない。

読んだことはないが最古の古典と思っていたのが「源氏物語」だが、この巡礼行記に比べれば100年以上若い。千年以上保存されている日記は立派な文芸作品だろう。

内容について少し感想を書きたい。戦後教育のせいで日本史を詳しく習っていないこともあって知らなかったが、日本は外国の文明文化を取り込むことを目的として、倭国と言ったか言われた7世紀初頭から遣隋使・遣唐使を当時世界最大の文明国であった中国に派遣を試みていたことを改めて認識したこと。日本では朝貢外交と卑下して言い習わされているが、呼び方は兎も角、当時の外交関係は極めてオフィシャルなもので円仁当時は首都長安に大使館まであったようだ。

阿倍仲麻呂は帰り船の遭難で帰国が叶わず、異国で寂しく生涯を遂げたとされているが、本当かねと思い始めている。1回数百人規模の使節団には、中国奥地のヒマラヤマまで分け入って消息を絶った親王(王子)まで居たようだ。昔の渡航者と言えば最澄に空海くらいしか思い浮かばぬ人が殆どだろうが、10世紀以前の日本は文明の輸入に必死だったに違いない。

円仁は往路はいきなり東シナ海を横断して揚子江北方に上陸、陸路や運河を利用して様々な仏教本山で修業を重ねて(セミナーに出たり、文献絵画を複写したりだろう)最終的には都に到達している。しかし、途中で皇帝が代わり武宗になると仏教弾圧(孔子を教祖とする道教が古来の宗教だったが、インドから輸入された仏教が秩序を破壊するとの理由)が厳しくなり旅程が進まなくなる。

唐はかなり広いが、それでも地方の支配者は外交的に中央の意に沿わないことを認めることは容易でなかったようだ。それでも彼が無事帰国できたのは偏に朝鮮人(主に新羅人)のお陰によるもの。特に彼等は造船と航海術と言語に長け、円仁も文字は最初からかなり理解できたもの発音はかなり手こずり朝鮮人通訳にかなり助けられている。

唐の政府も朝鮮人を積極的に採用していたようだ。日本も新羅以前に百済や高句麗から相当数を政府に雇入、遣唐使船には通訳として相当数乗船させていたようだ。円仁は最澄空海に次いで天台宗の第3代延暦寺座主となったり、全国各地で目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺、松島の瑞巌寺を開いたとされている。

取り留めなくなってしまったが、9世紀の世界情勢と日本の外交的立ち位置、輸入文化の実態を知る上でも、とても有益だった。

2021年1月9日土曜日

悲喜劇

 首都圏では既に、やがては関西圏中京圏でも緊急事態なるものが宣言されそうだが、この宣言が何を意味するか理解することは難しそうだ。多くの人は4月に宣言された緊急宣言が記憶に残っている。全国の新型コロナウィルス感染者数が100人を超えたからとて発出された時で、国民一人当たり10万円支給されたことは有難かったが、全国民が驚き、緊張して自粛に入った。今回出された宣言は、どう見ても4月とは違っている。緊張感がないのは当然かも。

政府は一体国民に何を求めっているのだろう?はっきり理解できるのは、夜8時以降に飲食店に行くことは出来ませんよ、以外はなんだ?「医療体制建て直しにために大金を投じて支援を行う。」と聞いて医療関係者も一般市民も「今更お金で解決できるの?」と首を傾げるばかり。はっきりしているのは、飲食店の営業が厳しい制限を受けることだけ。今回は何故かパチンコ屋とかカラオケ屋は夜の営業時間は少し制限されるかもしれぬが、4月のほどの騒ぎにはならなそうだ。

感染者の数だけで言えば、現在は4月宣言時の70倍を超えてすぐにでも100倍になりそうな勢い。しかし首相曰く「我々は経験を経てこの感染症について様々なことが分かってきました。依って今回は限定的かつ集中的な手段を講じて1ヶ月以内になんとしてもこれを減少に転じようと思います。」「チョット待ってくれ、一体何が分かってきたのか教えてくれ。」世界中の専門家が長年掛かって正体を掴めずも四苦八苦している中で、ワクチン一つ開発できない国の責任者に許される発言である筈がない。

最近テレビを観ながら思わず吹き出す場面が多い。余りに荒唐無稽と言うか意味不明な発言が多いからだ。最近本当に笑ってしまったことを一つ披露すると5日から延々と続く「新型コロナウイルス対策の特別措置法改正案をめぐる政府・与党と野党の調整」がある。何が可笑しいかと言ってこれほど可笑しいことはあるまい。ここで話し合われている要点は色々あるのだろうが、中で最も問題になっているのは、特措法の実効性を高めるためと称して、「給付金と罰則をセット」を盛り込みたい政府の意向。

事業者へは百歩譲って良しとしよう、笑ってしまったのは個人へのこと。入院の要請に従わない個人に対しても行政罰として罰金を科してはどうかときた。いくら小田原評定と言っても、東京都だけでも入院したくても入院できない患者が既に東京都が用意したと言っていた4000床のベッド数を遥かに超えて5000人ほどに膨れ上がっているのが実態。現在の入院患者で使用しているベッドの割合70数%とされているが、これも大インチキ。

医療崩壊が始まっていることは明白。ベッド数で解決できれば誰も苦労しない。連日増え続ける患者のケアが既に不可能になっているのだ。コロナ患者のケアが出来る医師が全国どこに何人居るかを政府は知らぬ筈は無い。これを笑わずにいられようか、正に悲喜劇だ。


2021年1月8日金曜日

波乱の年明け

 新年早々から世間に対してなんの力も無い一介の年寄りが、社会現象を偉そうにあーだこーだと云うことに嫌気が差して、日々報道されるニュースに触れないよう避けてきたが、今日は流石に我慢の限界でニュースに触れたい。ところが触れるとなるとネタが多すぎて、何を取り上げていいか分からないくらいだ。トップは世界中の報道機関が取り上げている次期アメリカ大統領が正式に決まったこと、関連して現大統領の異常な言動で首都ワシントンでの死者が出た暴動の発生だ。

日本政府は公式コメントを発していないが、アメリカの友好国首脳は揃って遺憾の意を表明している。もちろんアメリカ国内、特に議会では現大統領を罷免すべきだという声もあるようだが、任期が2週間を切っているので実現が難しそうだ。むしろツイッター社が現大統領トランプ氏のアカウントを削除するとしたことの方が意味があるだろう。なんと言っても現地時間の昨日、全国から態々ワシントンに足を運んだトランプ支持者の殆どは世間の批判に反省するどころか、行動に誇りを持っているらしい。アメリカ社会の分断の分断の亀裂が如何に深いかを思い知った。

トランプ氏の今後の行動や処遇は知る由もないが、日本で流行っている言葉に習って「自宅でおとなしく自粛してくれること」が世界平和のためだ。この騒動を見て多くの人が感じたに違いないことに一言敷衍したい。暴徒の議事堂乱入と言えば、大抵の人は1960年の安保騒動の際、門前の警官隊とのもみ合いで樺美智子さんが死んだ事件を思い出すと思う。アメリカの場合はこれが無く、やすやすと議事堂内に乱入できている。死亡した女性は乱入後に射殺されたことが明らかになっている。他の三人も同様だろう。

昔一度書いたような気がするが、1976年にTBSが主催した団体旅行でアメリカに行き、ワシントンで議事堂見学した時を思い出した。アメリカの議事堂は市民に対して極めて開放的なのだ。普段は誰でも気軽に入ってロビーに陳列されている独立宣言文者なども観ることが出来た。逆に、当時日本ではかなり開放的であった政府機関(霞が関の官庁)の方が警備が厳重で彼我の違いを面白く感じたことを思い出した。

半世紀近い昔だから今ではだいぶ異なるのだろうが、それでもやはり大分日本とは事情が違いそうだ。日本は無機質の議事堂建物を守るために多数の警官を周辺に配置したが、アメリカは現在でもそれをせず、中にいる議員を守ることを優先している。結果がシークレットサービスか他の警備関係者か知らぬが、いきなり暴徒に対して発泡して撃退行動をとったことだ。

最初に国内政府のダッチロールを取り上げようとも思ったが、結局遠い国の話に終止してしまった。日本政府批判は明日に持ち越しだ。

2021年1月7日木曜日

1割の節約

 嘘か本当かわからないが、江戸時代の昔、少し偉いお侍は財布なんか持ち歩かなかったそうだ。要するにお金は不浄なものだから、武士は金銭に執着しないというやせ我慢だったかもしれぬ。それは兎も角、昨今は地獄の沙汰も金次第ではないが、朝から晩まで何でもかんでも金次第で参ってしまう。とは言っても個人にせよ家庭にしても経済が豊かに越したことはない。幸い親戚として付き合いのあるほぼ全員が当面三度の飯に不自由は無さそうだし、余計な無駄遣いをするほどの大金持ちもいないようだ。

これは結構なことだが、読者には若い人もいるので正月に思いついたことを書きたい。どうも最近偉そうなことばかり書いて些か後ろめたいことは予め断っておく。第一は、お金は必要以上に有り過ぎると碌なことにならないこと。問題は必要性だが、もちろん個人的に差異はあろう。現役時代に先輩から聞いたのは「その時点での一年分給料の預貯金を持つこと」だった。この目安は今考えても非常に説得力がある。要するに給料の1割を毎月貯金する努力をしなさいと言うこと。

商売をしている方には当てはまらないかもしれぬが、サリーマンに取っては大事な教えだ。「お前はどうだった?」と聞かれると、恥ずかしながらサラリーマン25年目(47歳)で最初の会社を辞めた時に手元にあった預金は100万円に満たなかったと思う。社会に出た当初から飲み歩き、給料の大部分が紅灯の巷に消えていった。しかし結婚後は妻に教育されてだいぶ生活態度も変わり、当時の年収も1200万円程にはなっていた筈なので不思議だ。

その理由をよく考えて思い至ったのが親父の有り難さだ。親父に言われて40歳になる直前に、銀行からそれこそ給料の半年分以上の借金をして、住んでいた借地を購入している。家の名義人は親父であるが、東京で地主になったことがその後の人生で大きな役を果たしてくれたと思う。この経緯だけでも詳しく書けば一編のストーリーとなるので省略する。兎も角、親父はこの息子に現金を持たせてはまずいと見抜いていたのだ。

第二は借金をしてはいけないこと。これも自分が社会に出た当初から(と言うより東京に出てきた学生時代から質屋通いをした記憶がある)借金を重ねて苦労した経験から言うのだ。自ら稼いだ金で何をしようと勝手かもしれぬが、借金だけは相手が誰でろうと絶対にしてはいけない。サラリーマンであれば、生活を切り詰める方法を工夫しなければいけない。借りた金に利子を付けて返すなんて馬鹿げたこと。生活の簡素化は生涯役に立つ。

これも商売をしている人にすれば「なんのために銀行があるのだ?」で通用しない理屈だろう。いきなり結論めくが、80歳を超えた今思うのは、お金だとか経済は思ったほど役に立たないと言うことだ。金で健康が買えるか?否だ。金で知恵が買えるか?否だ。経済の活性化で国民の命が救えるか?全く救えない。皆同じことだ。

2021年1月6日水曜日

読後感「赤い砂」伊岡瞬著

 元来日本の小説はあまり読まない。まして警察小説や刑事物など嘘くさくて読む気にならない。ところが、新年早々2日に娘の家に招待された帰り、娘が「すごく面白いから読んでみたら。」と土産代わりに持たせてくれた。どこかの書評でタイトルは記憶に有ったが、読み始めたら本当に面白くて、自分で年末に用意してあった書物を脇に置いて一気に(と言っても3日も掛かっていいる)読んでしまった。

伊岡瞬氏という作者も初めて知った。推理小説の分野では幾つかの賞も受賞しているかなりのベテラン作家らしい。本書はいきなり文庫本で文藝春秋社から昨年末の11月10日に初版が発行されている。しかしこれが書き下ろされたのは17年前の2003年のこと。この本の醍醐味は著者の<あとがき>にあるが、当時どの出版社でも採用されなかったと書かれている。内容的には著者の言葉を借りれば「友人のために命がけで奔走する若き刑事の物語」になっている。

しかし正直言って、この筋書きが特に面白いかったわけはない。主人公の刑事が亡くなった友人の死因に不審を抱いて、組織の枠を外れて首になりそうながら追求していく過程で、死因と深い関係があるウィルス菌のことが浮かび上がってくる。しかもこのウィルスが、現在世界をパンデミックに陥れている新型コロナ菌と同じRNA型なのだ。この菌は勿論外国から日本に持ち込まれた設定になっていて、日本で感染者が発生する過程で事件が起きる。

推理小説なので内容についてはあまり踏み込めない。ただ感心するのは明らかに文系の著者が、当時社会異問題になっていたインフルエンザワクチンの副作用にヒントを得て、人とウィルス菌との戦いに新規性を見つけ追求したことだ。これも<あとがき>に述べられているが、ウィルスは未だに始末が悪くて有効な薬の開発も遅々として進まず、ワクチンも同様だ。

今回は多くのワクチンが1年足らずで開発されたように喧伝されているが、ノーベル賞を受賞された本庶佑氏が警鐘しているように、どこまで信頼できるか分からない。昨年4月1日に福岡伸一氏著の「生物と無生物のあいだ」の読後感を書いたが、この時も今もDNAとRNAとの違いが理解できたとは言い難いが、この本によって少し理解が進んだのは間違いない。何れにせよ、著者が作品に求める新規性は少し色あせていない優れた読み物と言える。

2021年1月5日火曜日

男の顔

 特に絵が好きだという訳でもないが、誰だってきれいなものや美しいものが好きに決まっていると思うが小生だって同じこと。問題はその感じ方が人によって異なるのだろう。小生の場合はピカソとかマチスと言ったいわゆる抽象画についてはどうも好きになれない。かと言って、余りに整いすぎて単に綺麗なだけの絵も面白くない。工芸品でも同じことで、陶磁器で言えば完璧なまでに仕上げた物よりどこかどこか不安定な感じを残す一品物を選びたい。

愛郷心もあるので、故郷の松代焼徳利で素朴な酒を味わえば美味いことだろう。木曽の漆器にしても同じことだ。昔は我が家にもあったような気がするが、食器類はまとめて処分したので鑑賞に値するような陶磁器漆器の類は一切無い。例え有ったにしても、美術品を自宅で鑑賞なんて高尚な趣味は生涯を通じて持ちえないで人生を終わるだろう。

つまらぬことから書き始めた理由は人間の顔について書いてみようと思ったからだ。人の顔は千差万別、だからまた見たい顔もあれば、二度と見たくない顔も有ったりして面白い。40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言われるように大人の顔にはその人物の人柄かなり詳しく記されているような気がする。政治家などによく見られる二世、三世議員が親や先祖に似ている場合も少なくないが、親や先祖に責任を押し付けるわけにはいかぬだろう。

顔が似ていることを幸いに、言動まで先祖にあやかろうとしても40歳過ぎた大人には無理な話で、むしろ滑稽になってしまう。小泉進次郎氏や安倍晋三氏がいい例だろう。普段行き交う人、馴染みの店の店員さん生まれや育ちを聞いたりした人もいるが、彼等の今日の顔を見て機嫌が良さそうであればこちらも嬉しくなるし、変に無愛想な顔にぶつかってしまうとこちらまで気分が悪くなる。

人の顔については家内がよく言っていた名言「顔なんか表と裏が分かれば十分、ブスは三日で慣れるが、美人は三日で飽きが来る」これは些か乱暴に過ぎる。小生が薦めるとしたら、平兼盛という昔の歌人が作ったとされる「しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで」を上げたい。悪人面なんてこともよく言われるが、毎朝鏡を見ながら少なくとも悪人面には見えぬな、なんて自己満足している。

女性は化粧をするので表情が分かり難いが、特に難しいのがコマーシャルタレント。男性タレントの場合は製作者も意識して個性を強調したりするが、女性の場合はそれが殆ど無いに等しいので樹木希林さんが懐かしい。散漫な文になってしまったが、最近特に印象的だった人物の笑顔は、昨年アフガニスタンで不慮の死を遂げた中村哲医師だ。これが男の顔だろう。

2021年1月4日月曜日

科学を理解する力

 昨年末から既に大騒ぎになっている新型コロナ感染者の増加。東京都では1日の感染者が約950人から一気に1300人を超え、全国では4500人近くなった。都知事も政府関係者も猫なで声を発して国民に自粛を要請するばかり。国民の大半は、既に出来る限りの自粛をしているにも関わらずだ。為政者は自らなすべきことを知らないのか、分かろうとしないのか不思議でならない。たまには相談する相手を代えることを勧めたいが、井戸の中の蛙どもだから相談する相手も新たに見つからないわけだ。

テレビに出てくる応援団(半ボケの田崎史郎とか言う老人)は為政者がなすべき対策、即ち検査体制の強化とか、医療体制の整備拡充と言った基本対策が出来ない理由をぐだぐだ数え上げる。聞いているだけで反吐が出そうだが、言うに事欠き法律が大きな障害要因であるかのような言い方だ。法律を改正してどうするかと言えば、規制に強制力を持たせて自粛要請が効かないので、端的に言えばロックダウンを可能にしたいらしい。

愚の骨頂を絵に描いたような話じゃないか。これまで聞き飽きるほど感染予防と経済を活かすことの両立と言ってきたくせに、経済は取り敢えず捨てる決意を固めたかと思いきや、そうでもないらしい。今月半ばに設定されていたGo Toキャンペーンの一時停止期間を少し延長するくらいでお茶を濁したいらしい。政府も政府なら東京都も東京都、いずれ劣らぬアホ揃い。感染拡大に歯止めが掛からず、何も手を打ってないから当たり前だが、医療関係者は悲鳴を上げるし、飲食業者も同じだろう。

流石に責任を感じ始めたか、猫なで声の調子が少し変わってきたと思ったら、政府に対して緊急事態宣言の要請ときた。政府もその要請を重く受け止めたようなことを言っている。どっちが目くそか鼻くそか知らぬが、誰が見ても責任のなすり合いだ。緊急とあるからは今日にでも宣言が出るかと思うとそうではない。これから専門家を招集して意見を聞いてから首相が判断するのだそうだ。首都圏の飲食店主にすれば、閉店時間の短縮は1日でも少ないほうが良いだろうが、感染拡大は反比例の関係にありそうだ。

何をしてもピントが外れるのは、他人のこと言える柄でもないが、根っこに科学性が無いことにある。政治家に科学性を求めるのは少し違和感があるかもしれぬが、とても大事なことだと思う。

2021年1月3日日曜日

正月気分

 昨日は正月気分の一日だった。例年横浜の家内の実家に行って義母への挨拶をするのが習いだったが、今年はコロナの影響で欠礼させてもらうことにした。従って正月気分は無しと覚悟していたが、暮れに次女が招いてくれたので遠慮なく行くことに決めていた。しかも元日の夜電話が来て「長男がお迎えに伺うと申し出たよ。」と有り難い連絡。次女の家は世田谷の祖師谷小田急線の駅を降りてから10分くらい歩いた場所なので、長女と異なり少し距離がある。

しかし池袋まで歩いて山手線、小田急線と乗り継ぎ1時間半までは掛かるまい。11時少し前に出れば丁度昼くらいかな、なんて思っていたところ、9時半頃にもう電話、今から出ますとのこと。こりゃ運動不足になりそうだとて、慌てて近くの公園まで朝の散歩をして取り敢えず2千歩ほど確保。10時半ころ孫が到着して、仏壇に線香を上げただけで直ぐに出発。しかし先を急がずゆっくり行くよう指示。久しぶりなので車中でゆっくり話を聞く。

彼は昨年の10月末ころだったか大学院進学が決まったばかり。どんな学生生活を送っているか予てから聞いてみたかったので良い機会になった。大学は筑波大学の情報学群知識情報・図書館学類(学部とか学科と言わないらしい)で今年就職せずに修士課程に進みたいとは聞いていた。年末近くになってから大学院進学が決まったと、連絡があったので正月に祝いをする約束をしていたが、どんな学問をしているかがさっぱり分からなかったのだ。

小一時間聞いてやっと概略理解したが、彼が学びつつあるのは専らAIの世界、しかも言語に特化したもので、修士課程に行っても指導を受けることになる教授のゼミに入ってと言うから既に2年近くその勉強を続けていてコロナ禍で多くの大学がリモート授業になる中、全く影響受けずに研究が継続できたことなどゆっくり話ができた。感じたのはすっかり大人になったことだ。これからの人生がどのような展開になるかについても、もう心配は不要だと思う。

彼等の自宅への訪問はもう何年ぶりか思い出せないが、印象が殆ど変わっていない。聞くと新築してからもう15年経ったらしいが、全く汚れを感じない。早速正月の宴が始まった。酒は宮城県の一の蔵、旦那が現在仙台単身赴任中だからだろう。料理がまた豪華、次女は家内と同じで電子レンジを持たないので煮物も旨い(上手い)し、鯛の昆布締めなんぞ本当に絶品だった。おまけに我が家の冷蔵庫で持て余していた大根の切り身の保存食化のレシピなんかを教えてもらったりしたものだ。

次女は小生に似て読書が好きだ。お土産に夕食用に炊き込みご飯と魔法瓶に入れたお吸い物まで用意してくれた上に、最近読んで面白かった本2冊まで袋に用意してくれたことに感激。孫は二人共酔いつぶれていたので挨拶せずにお暇となった。

2021年1月1日金曜日

2021年元旦

 明けましておめでとうございます。

故郷の俳人小林一茶ではないが、まさに「めでたさも中くらいなりおらが春」の感が強い。昨年末のコロナ騒ぎは忘れたくても忘れるわけにいかず、ひょっとして本音を言えば中くらいにも届かぬ気がする。干支は丑に代わったが、節分までは子年が続くという人もいる。とすれば現在の騒乱は容易に収まりそうにない。

昨日大晦日は終日家にいようと思ったが、夕方7時のニュースを見終わると、さして観たい番組が無かったので結局池袋往復で夜の散歩をしてしまった。風が強くて寒かったが、月が満月に近くとてもきれいだった。帰宅してテレビで昔の西部劇「真昼の決闘」を最後まで観てから入浴、結局就寝が23:30近くになったと思う。おかげで今朝はいつもより1時間寝坊、起床が5:20だった。

実はこれが予定の行動で、数日前に長女から電話が来て「元日8時過ぎには雑煮を届けるから何も食べずに待っててね。」とのこと。いつもどおりに起きたら、何も食べずが辛くなる。お茶だけ淹れて待つこと1時間ちょっとだったか、電話が来て「これから行くからね。」と思ったらものの10分ほどで一家が到着。普段は娘が歩きか自転車で来るので、どんなに早くても20分は要するのだが、今日は旦那が一緒なので車で来てくれた。

仏壇のお参りもそこそこにして、先ずは持参のお屠蘇、ペットボトル入りなので些か風情に欠けるが、お母さんが好きだった<剣菱>で作ったというのをありがたく頂戴する。続いてバッグから耐熱ガラス容器に入った雑煮を取り出して、このまま食すよう催促される。温めなくて良いのか尋ねると、大丈夫のはず、とのこと。食べると確かに家内が作った雑煮の味だ。

毎年元日は山形の嫁ぎ先実家で過ごしていた娘が、図らずもコロナのお陰で里の実家に来てくれたことになる。個人的には大変ありがたかったが、来年はこんな事にならぬことを祈らざるをえない。明日は次女の家に招待されているのでブログは休むことになりそうなので、乞うご容赦。