2010年4月29日木曜日

映画鑑賞「アイガー北壁」

ご承知の通りこのところ山歩きにはまっている。休日にプール通いするのは只管その為の体力維持を目的にしているようなものである。今日はそのプール通いを止めて、劇場に足を運んで見てきた。1936年悪魔の山とされて未登頂であったアイガー北壁に挑んだ登山家の話である。ドイツの映画で実話をベースに制作されたものらしい。

主人公になっているドイツ人の2人がこの壁への挑戦を決意する経緯(ナチスがベルリンオリンピックを控え、国威発揚のために初登頂者を金メダリストとして表彰する事を発表)と挑戦を見守る傍観者(国威発揚を煽る新聞社、そこに挑戦者の恋人がいる)が背景にある。この背景が描かれているので、却って挑戦者の国威とか名誉とは関係ない山に対する思い入れとパートナーとの友情が際立ってくる。

未だ幼い頃から山の記録映画を好んで観たものだ。中学生くらいの時だったろうか、京大山岳部のマナスルへの挑戦を描いた「白き神々の座」やヒラリーとテンジンの「エヴェレスト」がカラーで紹介された時の衝撃は忘れられない。今でもNHKの「グレート・サミッツ」等山の記録テレビはよく観ている。この映画はこれらの記録映像に決して引けを取らない迫力のあるものだ。制作過程は分からないが、殆どロケーションで制作されているのだろう。思わず手を握り息を飲むシーンの連続である。

更に映画と言えばかなりの悲劇でも最後に若干の救いがあるのとしたものだ。ところがこの映画の凄い所は悲劇を悲劇として描ききっているところだ。山に登る理由は人様々である。主人公2人もパートナーではあるが思いは別だ。脇にもう一組オーストリア隊が登場するが、彼らの思いは別にある。そして山は挑戦してくる者に対して等しく厳しい。当時としてはそれぞれ山岳国家を代表する超一流のクライマーである筈の4人が、次々と自然の厳しさに打ちのめされていく。

最初はそれぞれ自分は負けない(自然に対し、競争相手に対し)と思っていても、最後には登頂を断念して力を合わせて降ろうと決断する。しかし時すでに遅く・・・・・。超人的な肉体や精神力を誇っても、岩山への挑戦が如何に卑小なものか、迫力ある映像に圧倒され、観ていて涙も出ない。「山は恐ろしい」を改めて痛感した。今までに見た山岳映画では最高としたい。

2010年4月28日水曜日

市民感覚

小生は毎度恥ずかしげも無く俄か仕立ての床屋政談のようなものを書き連ねている。毎度読んでくださる方が如何ほどの共感を持ってくださるかは分からない。時にはとんでもない事を言いやがる、と思う事も多分にある筈。しかし大部分の方は小生の実像もご存じなので「あの馬鹿はそう思うのか」と自分の考えに取り込む前にフィルターを通す事が可能である。少なくとも小生は自分が書いたものについては責任を持っている。「とんでもない事を書きやがって、謝れ」と言われて納得すれば謝る覚悟はしている。

最初から言い訳めいた事を書いたが、ブログと異なり新聞の報道は、どんな馬鹿が書いた記事か先ず見当がつかない。テレビの場合は喋っている奴の顔は見えるが、聞いていると「我々が期待した政権交代(政権公約)」とか「私たちの感覚」を頻繁に使っている。以前から何度も書いているが、ニュースショウを司会する男女が政治問題や社会問題を掘り下げて研究している筈も無い。大方は台本にあるセリフを暗誦するのに精一杯で、最後のところで先ほどの「私たちの感覚」や「市民感覚からすると」を旨く繋ぎに使うだけの事である。要するに最初から自分の意見であるような、あるいは無いような(多分こちらだろう)いい加減なのだ。

その脇に控えるのが論客と称する解説者や専門家である。いつも茶の間で笑っているのだが、世の中に良くもこれだけ専門家が居るものだ。これも実にいい加減で、己の考えを断定的にしゃべる人間はごく稀である。そんな人間はすぐに座敷が掛からなくなる。竹中平蔵氏は自説に拘泥するように見えるが、説が巧妙に変化していくので更にたちが悪い。殆どが適当なところで市民感覚に折り合いをつけている。嘘だと思ったら、彼等が先ほどの「」付きのフレーズをどの程度使用するか見てください。政治家が「国民の大多数が・・・」と言うのは商売(市民多数に支持されなければ政治家になれない)だから仕方が無いにしても、かなりの識者が「市民感覚」を強調しています。

従って日夜こんなメディアにつき合っている一般市民はどうなるか。言わずと知れた話で、無意識のうちに新聞やテレビの報道を中立的なものとして受け入れてしまいます。最近の決め台詞は「新政権は全く期待外れだが自民も駄目だ」で、これさえ言っておけば間違いない。がメディアの立場だが、この文言についても彼等は何の責任も取る気はない筈。同様に昨日あたりからメディアに華々しく登場してきたのは「絶対権力者・小沢一郎」。このセリフは例の生方某が民主党副幹事長辞任騒動のときに使用したかと思うが、昨日の「検察審査会」の結論で一気にメジャーに駆け上がった。

この「検察審査会」なるものも一般市民11名で構成されるらしいが、誰ひとり顔が見えない。明石の陸橋事故事件も「検察審査会」の2度に亘る申し立てで、検察が無罪とした警察幹部を起訴する事が決まった。小生には分からないが、被害者遺族の感情=市民感情からすると極めて納得いくものなのだろう。今回の陸山会事件に関する小沢一郎氏に対する申し立ても同じだ。

今日のテーマと少しずれるかもしれないが、「普天間移設問題」の沖縄県民の思いと徳之島町民、鹿児島県民の思いにも少し共通する部分がありはしないか。大部分は他人事とみなして、安心して政府を叩いているのだろう。日本国民の思いからすればどうなんだろう。米海兵隊が日本に基地を置いている事が日本の抑止力になっている、とする意見が多いようだ。(小生は不必要と思っている。社民党みたいで嫌だが仕方無い。念のため)こんな難しい問題にまで素人が気安く意見を言ってはいけないからやめる。

2010年4月27日火曜日

ゴールデンウィーク

今週はいよいよゴールデンウィーク入りだ。端午の節句前後特にわが故郷信州では気候が実に爽やかで気持ちが良い。勉強や仕事を一時休んで遊びまわるには正に最適であろう。古来我が国は正月と盆には家を出ていた家族が帰省して一家団欒の時を過ごすものと決まっていたが、近年はこれにGWが加わって機会が一回増えている。核家族化で一家が分散して暮らすケースが多いので悪い事ではない。交通機関が混みあって集まるのに一苦労だが、やむを得ないだろう。GWを地域ごとに分断して交通量の軽減を図るなんて愚は取らないようにすべきだ。

手前勝手な欲を言えば、普段利用しているJRの老人割引(ジパング倶楽部)がこの3大レジャーシーズンに無効になる。ただでさえ混みあうのだから暇な老人にはご遠慮頂く趣旨だろうが、この考え方はおかしい。利用者のニーズに老若男女の別が無いのだから、老人にだけ我慢を強いるのは如何ものか。若い人からすれば普段特権的なサービスを享受しているのだから、こんな時ぐらい若い人に譲れという理屈だろう。しかし僻みっぽくなっている年寄りからすると、「年寄り遠慮しろ」とあからさまに言われてしまうと「やっぱり!世界は若い人の物、もはや無用の員数か」と落ち込んでしまうかもしれない。

以上は一般論で小生が落ち込んでいる訳ではない。我が家は娘夫婦2組とも幸い都内在住なので、互いに比較的頻繁に顔を合わせている。勿論このウィークはそれぞれ旦那の実家に行ったり、我が家にも来るのだろうが全てを婆さんに任せ、小生は一人で遊びに行かせてもらう。例年ハイキングが多いのだが、今年は既に4回も山歩きをして一昨日も行ってきたばかりだ。流石に疲れて今度の連休は山歩きはしない事にする。かといって若い時のように急に海外にと言う気にもならない。昨日少し考えて、志賀高原で春スキーを楽しむことにした。

若い時からスキーは随分滑ったが、GWに滑るのは初めて。ここ数年毎シーズン志賀高原に行ったが、横手熊の湯方面は全くのご無沙汰だった。4月に入っての降雪が多いから雪崩に要注意の警告も頂いた。でもゲレンデは大丈夫だろう。リフトで横手山頂に登り、コーヒーでも喫しながらゆっくりと眺望をおさめるのを楽しみにしている。

2010年4月26日月曜日

花の山里と両神山


昨日絶好の行楽日和に誘われて奥秩父でハイキング。目的地は首都圏では数少ない「深田久弥の日本100名山」に挙げられている両神山。先週の初めから週末天気になったら行こうと決めていた。調べてみるとアクセスが極めて悪いと言うか不便。池袋から1番の特急で行くと西武秩父に8時15分に着く。接続のバスが1本あるのだが、登山開始が10頃になってしまう。
登山口から帰りのバスも15時5分前と16時3分と2本あるがどう考えても日帰りには向かない。

やむを得ず西武秩父からタクシーを利用する事にした。片道8200円程だそうだ。それでも1時間足らずで登山口まで運んでもらえる。早めの朝飯をすませて6時15分に家を出る。既に眩しい程の日の光、そしてピリッとした寒さが残っている最高のお天気だ。6時55分発の西武線レッドアロー号車窓から真っ白な富士山が良く見えた。秩父駅で予約しておいたタクシーに乗り込む約50分で登山口の日向大谷口に到着。登山口近くは両神村と呼ばれているようだが、梅桃桜にレンギョウ山吹が咲き乱れさながら桃源郷を思わせる佇まい。

昭文社の山と高原地図によると所要時間は登り3時間30分、降り3時間。運転手さんに聞くと「自分が登った時は4,5時間掛かりましたよ。」との事。些か不安を覚えるが取敢えず4時には迎えに来てくれるとの事。9時を回り大分陽が高くなってきたので、薄手のシャツに着替えて登山を開始。開始地点の標高は685m山頂が1723mとあるので標高差は1000mを超える。最初は薄川渓谷沿いの登り、登山道の整備が悪い上に渡河地点も沢山あって歩きにくい。

途中1300m地点に清滝小屋なる山荘の表示があるので、そこで一休みと思ったが未だクローズ状態で近くにテントが4,5張り残されている。ここまでは一応目標の2時間を切ったので少し休憩。ここから急になるのは分かっていたが、急坂が続くうえに鎖場や残雪や凍結で結構難儀をする。しかし鎖場の待ち合わせのお陰で休憩が出来たので却って助かったかもしれない。両神の由縁ともなっているようだが、一先ずピーク(両神神社本社)にたどり着く。しかしここからの登り降りが激しく道が悪い。これも結構きつい。

特に山頂直下が鎖場になっていて、ここで2本のストックを手にしたままうろちょろしていたら、降ろうとしていた人に叱られてしまった。「鎖場ではストックをちゃんと仕舞って取り掛かれ。」「どうも済みません。」と一応謝ったが、結局そのまま登ってしまった。ストックが絡んで死亡事故が多発している旨何度もご警告を頂いてしまった。余程よぼよぼ爺に見えたのだろう。結局山頂に辿り着いたのは12時45分だから3時間40分程掛かった事になる。

山頂は岩でやや狭いが360度の絶景、富士山こそ見えなかったが甲武信岳、金峰山等秩父の山々は言うに及ばず遠くは雪をかぶった八ヶ岳連峰から北アルプス迄がはっきり見える。空は真っ青で絵に描いたように雲がぽっかり浮かんでいる。正に息をのむ見事さだ。昼飯に温かいものをと思って一応準備はしていたのだが、風景に見とれて疲れを癒している間に時間が過ぎ、気がつけば既に13時30分近く。昼飯はもう握り飯とオレンジだけで我慢、後はスポーツドリンクと糖分を補給して帰り支度。タクシーとの待ち合わせには2時間半しかない。

少し慌てた気持ちで下り始めるが、先ほどの警告でストックを格納したまま少なくとも両神神社本社下の鎖場までは行かねばならない。登りも苦労したが、降りは相当に緊張した。尾根の危険個所をかわして清滝小屋の少し手前から又ストックを使用。気も焦っていたし疲労感があったのも確かだが、暫く行くと急に太股の内側がつってしまった。足がつる経験は初めてである。「こりゃやばい、落ち着け」と自分に言い聞かせて少し歩調を緩める。昨日プールで開脚ストレッチの時にどうも股の開き具合が悪いと思ったので、少し頑張ったのが仇になったのかもしれない。

全て齢のせいにしておけば気が楽だ。少し楽なっても暫く歩くと又少しつりそうな感じが来る。兎に角慎重且つ急いで降った。2時間半は無理かと思ったが、登山口には約束の1分遅れ4時01分に着く事が出来た。村人も登山客は誰もいないので運転手さんに暫し待ってもらい、ゆっくりと着替えをして、里の景色を少し写真に収める。5時10分頃には秩父駅に着いたが、観光客でごった返していて特急には乗れず。婆さんに約束の杓子菜漬けを買って5時30分発各駅停車で2時間掛かって池袋へ。

思いの外早かったじゃありませんか。と慰めめいたお言葉を頂きビールで乾杯。9時には寝てしまった。

2010年4月23日金曜日

読後感「小沢君、水沢に帰りたまえ」江藤淳 著

江藤淳氏の昭和末期から亡くなる(平成11年7月)直前約10年間の40件程政治的な随筆を集めたものである。冒頭の1篇が平成9年3月の「帰りなん、いざ―小沢一郎君に与う」である。小沢が新進党党首に選ばれはしたが、分裂の危機直前にあった時期のものである。小沢を貶めるために書いているのではない。更にこれから半年後、軽い沢の江藤氏山荘に小沢氏が訪ねて対談もしている。

江藤氏はこの本の中でもいろいろな政治家を取り上げ、それぞれ辛口の批評をしているが、小沢一郎についてはかなり評価していたように思う。「水沢に帰れ、」の意は小沢の政治的理想を評価しながらも、江藤氏自身が政界の汚辱に嫌気がさして、小沢にも権力抗争から身を引く事を勧め、別の高い次元で政治をリードするようにアドバイスしたつもりだろう。小沢は結局著者の意には全く反して現在に立ってしまうのだが。

本書を読み進むと小沢関係以外に様々な事が見えてくる。先ず日本の政治がここ20年ほど空回りしている事が良く分かる。行財政改革、郵政民営化、地方分権、日米関係、全ての念仏が20年たった現在でも同じように唱えられ、前政権ではその実が上がってこなかった。中曽根さんのいい加減さ、特に「ロン、ヤス」の軽さを厳しく批判したり、橋本行革や増税路線に対する批判については全く同感である。やはりこの頃から小沢路線を支持していたのだろう。

著者とは個人的にも多少のご縁がある。昭和の末期だったろうか、当時テレビ番組の制作に関係していて、何度か東京工大の研究室に伺って「日英同盟」についていろいろ教えて頂いたり、会食させて頂いた。それまで「海は甦る」の作者である事は知っていたが、政治的な論客であるとは知らなかった。未だメディアに現在のような政治的コメンテータが多数登場していなかった故もあろう。結果的に企画は没になったのだが、その報告に伺った時も嫌な顔一つされず、優しい先輩として接して頂き感激した事を記憶している。

著者については毀誉褒貶様々で、特に晩年の言動に関しては賛同しがたいものがあるのも確か。しかし同時代の同じ保守の論客石原慎太郎氏に比べると文章に格調があるし、人間的な優しさと純粋さを感じる。著者が自裁せずに生きて今日の政治状況を見たら何と言っただろうか?


2010年4月22日木曜日

平穏な幸せ

昨日は夏日、今日は冬の寒さで、昼間の最高気温が昨日と比較して17℃も低いそうだ。確かに寒い、部屋に暖房が必要である。

昨晩は娘から送られてきた孫の小学校の卒業式と中学校の入学式のスナップ写真を見ながら盛り上がった。面白い事に小学校の卒業式でも中学校の制服を着用している。制服はブレザーでかなり大人っぽく見える。彼自身大変気に入っているのだそうだ。親ばかみたいものだが、至極真面目で凛々しく見える。感激して思わず「孫のこんな姿を拝めるとは長生きして良かった。」と言ったら、横で婆さんが大笑いしていた。

「血筋を引いてあなたのように憎たらしくならないようにしなければ。」
「俺の血が入っていれば他人様に好かれる事はあっても恨まれるようになる筈が無い。第一婆さんの血も入っているから大丈夫だろう。」てな調子で観客無しの漫才見たいもの。とても他人様に聞かせられたものではない。

でもマジで思っている。彼がどのような人生を歩むことになるか、又どの辺まで見届ける事が出来るのだろう。何れにせよ彼の人生に比べればそう長くは無い事だ。自ら納得して道を選び、後悔しないで歩んでほしいものだ。

「人の将来よりあなたの近い将来、連休はどうするの?」と聞かれた。何処か山には行く事にしたいが、このところの天候不順の影響でどうも気持が定まらない。


2010年4月21日水曜日

党首討論

今日も又暇にまかせて党首討論を最初から最後まで見た。自民党総裁谷垣さんは「あなたは日米関係を悪化させている、ばら撒きで日本の未来を暗くしている、政治と金の問題で国民に政治不信抱かせた。」3点セットを掲げた。そして「5月末の普天間移設問題解決に職を賭すと言いなさい。」と迫った。勿論鳩山総理が「ハイ、その時には私は辞めます。」なんて言う筈も無い。正確には覚えていないが「旧政権の後始末を職を賭す覚悟でやっている。」と開き直られたところでお時間となった。

谷垣さんが少し可哀そうになった。特に米軍海兵隊の抑止力で鳩山さんから「日本にとっても抑止力はある。」と答えを引き出したまでは良かったが、知ったかぶりのついでに「朝鮮半島の有事や世界平和への貢献等を考えれば、駐留地は地政学的に沖縄でなければならない。」ような事を言ってしまった。口が滑ったのかどうか分からないが、これは言わない方が良かったのではないだろうか。自民党が日本の国益を離れてアメリカの世界戦略の片棒を担ぐポチになってる事を端無くも曝け出した様に感じるのは小生だけだろうか。

谷垣さんは沖縄の負担軽減に思いを致さない事を自ら認めた事になっている。沖縄の人達が今日の討論をどのように受け止めたか是非教えてほしい。鳩山さんには「日本に海兵隊の抑止力なんか必要無い。」とどこかで開き直ってほしい。どうして出来ないのだろう?はっきり言い切れるのは共産党の先生だけと言うのも少し情けない。どうせなら2大政党の党首が、国益という観点からすれば今後日米関係をどうすべきか、についてもっと堂々の論戦をしてほしい。

公明党の山口代表は相変わらず政治と金で迫っていたが、なんかあっさりとかわされた感じだ。山口さんはプロの弁護士、鳩山さんはその意味ではアマチュアなのに不甲斐ない。

2010年4月20日火曜日

なんで岡本行夫なのか

今月発売の文藝春秋に岡本行夫が「ねじれた方程式 普天間返還を全て解く」を書いている。彼は前政権で重用された人間なので、アメリカ人が書いているような内容になっている事自体特に不思議には思わない。不審に思うのは、彼が現政権の首相官邸に出入りして総理のアドバイサーを務めているように報道されている事である。民主党が如何に外交に弱いと言っても、前政権の走りっぱを使う理由は全くない筈だ。まさか本気で彼の意見を聞いたり使ったりしている訳ではないだろう。

如何に日本がアメリカの属国化傾向を強めているとはいえ、前政権時代の野党が政権党になった途端に即アメリカのポチにになってしまったとは思いたくない。普天間問題にコミットしている閣僚は外務、防衛、国交を中心に官房長官が取りまとめていると伝えられている。これに総理を含めて全員がCIAに脅されて変節しているなんて事もあってはいけないと思うが、ひょっとしたらオバマ大統領自身がネオコンの圧力に屈しているなんて事があるのかな?不吉な事を考えはじけるときりが無い。

もう1点大きな心配が要に位置する平野官房長官だ。野党時代には全く知らなかったが、一説には相当な小者だと言う悪口もある。小生には馬鹿なのか利口なのか、無能力者なのか桁外れの実力を内に秘めているのか全く理解できない。要職を占めるに至った人材だから馬鹿の振りをしている人と信じたい。総理の発言が軽いと言う説もあるが、立場上幹事長のように振る舞う訳にも行かないだろう。総理になると思ったように情報が入ってこないと言う説もある。

役人に翻弄された前政権とは違うのだから、せめて情報ルートだけは前政権と異なるルートを確立してほしい。インターネットには地元沖縄の情報が溢れている。中でも橋本政権がアメリカから普天間基地の返還の合意を取り付けた当時の沖縄県知事大田昌秀氏のインタビューhttp://www.videonews.com/on-demand/461470/001385.phpが先月公開されたが、聞くと目から鱗の事が山ほどある。内閣が大田元知事の話を聞いていないなんて事は無いと思うが、なんで今更岡本行夫何だろう。不思議でならない。

読後感「衆愚の時代」 楡周平 著

著者の名前は知らなかったが、本の帯に「国民の皆さま」が国を滅ぼす。「弱者の視点」より「社会人の常識」を取り戻せ!と書いてあったので何気なく買ってしまった。小冊子だが現代世相の1面を切り取っていると言えよう。確かに高齢化とか就職氷河期と言われ、ここ20年くらいで社会の様相がすっかり変わっているが、具体的には良く理解できていなかった。

この本を読んで少し分かって来たような気がする。即ちグローバル化による産業構造の変化によって、日本の製造業が海外に出て行った結果は何であったかと言う事。我々が農林漁業からの脱皮を目指して営々と努力した結果、現代の比較的裕福な社会を築き、その結果もたらされているものは何か。食物の供給を海外に依存して、多くの市民が豊かな生活を享受する現在、貧富の格差が激しくなるのは当たり前ではないか。

要するに我々年寄りは後や先の事は考えずに、ひたすら物欲を満足させるべくここまでやって来たわけである。それが現代の世相を生み出しているのだから仕方が無いでしょう、と言う訳である。確かにごもっとな指摘かもしれない。特に現代の若者についての観察「欲望を知らない子供たち」は的を射ている。先日も日記で、孫と一緒にスーパーに行っても物を欲しがらない、書いたばかりだった。お利口だと喜んでばかりはいられない状況を再認識できた。

但し、著者が未だ小生よりかなり若いせいでもあるのだろう。シニアに対する提案部分については少し疑問が残った。今後シニアを社会的にどう扱うかは、姨捨伝説以来永遠のテーマであろうが難しい問題である。


2010年4月19日月曜日

厳しい春

やっと春らしい陽射しが戻ってきた。今日は得意周りをする日に当たっていたので有難かった。

但し得意先では、新年度第1回目の競合プレゼン(ある社会調査)の結果に落選と聞かされたので少しがっかりしてしまった。厳しい時代なので仕方が無いが、世が世であれば競争にするような案件ではない上、事前設計の相談に与かっていた。学生時代に社会調査を選択した事もあり、個人的にも興味があるのでかなり念入りに準備をしたつもりであった。審査経緯を聞くと費用的には最低だったとの事、それなのに何故?と突っ込むと、設計上少し丁寧過ぎたきらいあったらしい。

とても納得できるような説明ではなかったが、現在の仕事に関して全てが1社に集中する事を嫌って恣意的に新規の会社に充てている可能性もありそうだ。と好意的に解釈して無理やり自分を納得させている。交代したばかりの新社長には気の毒だが、現実の厳しさを実感してもらうには却って良かったとしたい。これからは新しい案件毎にこういった競合プレゼンと言う話になるのだろう。もう70歳の爺には精神力も体力も続かない。

閑話休題
ごく最近、この得意先の近くに昔勤務していた会社が移転してきた事を知った。今日は昔の部下(今ではこういう呼称は使わないかもしれない)と会って、ファミレスで昼飯を食いながら四方山話をした。元々年寄りはそんなに居なかった会社だが、当時大学出たての青年が立派な中堅幹部となって頑張っているようだ。しかしここでも仕事的には厳しいようで、出来高にせよ人員にせよかなり減っているようだ。

実社会の波風を殆ど受けないような低位置にいるので、少し浦島太郎になったような気分だった。しかし社会の荒波をまともに受けて頑張っている青年の話を聞くと、忘れていた熱い思いが思わず胸の奥に甦ってくるような一瞬だった。こちらは「最近の趣味にブログを」と話したのできっとこれを読んでくれると思う。こういった時代だからこそと何か新しいものが見つかる可能性もある。頑張ってください、健闘を祈ってますよ。

2010年4月16日金曜日

真冬並みの寒さ

昨日今日と季節外れの真冬並みの寒さが続いている。来週の月曜日に結婚41周年を迎えるが、婚礼の当日も雪が降った事が今朝の茶飲み話になった。「あの日も雪が降ったじゃないですか、今更びっくりする事はないでしょ。お天気は気ままで、時々ちょっと変わった振舞いをするものよ。」寒さのせいで結婚記念日を思い出す事が出来て良かった。往々にして忘れ、婆さんから文句を言われるが、流石に今年は大丈夫そうだ。

寒さと雨を我慢してホームドクターの定期検診を受診。と言っても1時間待って3分診断で血圧を測るだけ、数値はいつも通りの130と80、後は半年振りとかで採血。ここでは半年ぶりかもしれないが、泌尿器科でも年に2回と区の定期検診でも採血検査があるので、1年に最低5回は採血検査を受けている勘定になる。検査する度に悪化する数値はPSAだけと分かっているのだが、検査しないでくれと言う訳にも行かず仕方が無い。

ひょっとすると前立腺の方はやはり癌が静かに潜伏進行しているのかもしれない。しかし通常の暮らしに何の支障も無いので、あまり神経質になっても仕方ないだろう。考えてみれば夫婦とも肉体的には小さな故障は沢山あるが、大きな故障も無く程良い健康で41年一緒にやって来る事が出来たのは目出度い限りかもしれない。この健康が維持できているのも毎日朝に夕にと温かい家庭料理をゆっくり食っているお陰と確信している。

2010年4月15日木曜日

何が危ないのか?

政治と金の話が少し納まったようにも見えるが、普天間基地の移設問題を受けて「このままだと日本は沈没」なるフレーズを毎日のように耳にする。水に溺れた経験が何回かあるので「沈没」には人一倍の恐怖感がある。40年程も昔になるだろうか小松左京氏が「日本沈没」を書いて大ヒットした事がある。富士山が大噴火して日本列島が太平洋の底に沈んでいく時を舞台にしたもので、政治家も登場してきたような気もするが、ストーリーは殆ど忘れてしまった。

インターネットで改めて”あらすじ”を読むと、概略以下のように書かれている。
『「深海潜水艇の操艇者」が小笠原諸島北方の島が一夜にして消えた原因を突きとめようと、海底火山の権威の博士、助教授らとともに日本海溝にもぐった。・・・・から始まって・・・・
地殻変動だから結局列島は沈没するのだが、聡明な政治判断で国民の多くはアメリカ、ソ連、中国から救助の手がさしのべられ、続々と国民は沈没していく列島から避難していった。』
改めて読んでも面白そうだ。沈没に応じては米1国ではだめで各国の協力が必要である事は小松先生でなくても分かる。

現在騒がれている「沈没」の兆候は何だろう?800兆円を上回る財政赤字の話は分かりやすい。今年44兆円の赤字国債を追加したとは言え、ずっと前から「このままだと沈没」方向に一直線だ。以下は引用だが、「平成の借金王」の小渕総理が約3年で72兆円。特筆すべきは、小泉期とでもいう期間だ。平成13年末から18年末にかけての5年間の増加には背中に何やら走るモノを感じる。430兆円から676兆円への246兆円の増加である。

野党にあって今声高に現政権を非難できるのは、過去に責任のない小泉進二郎先生しかいないだろう。仙石先生は彼に非難されるまでも無く、今後赤字国債の発行は極力抑えようとされる事だろう。野放図にやっていこうとしているのは亀井先生一派だけと言う事も明らか。従ってこの事については余り心配していない。

心配なのは日米関係が絡む沖縄問題だ。家の婆さんなんか総理辞任に追い込まれるのでは、と本気で心配している。確かにアメリカは強かだから、海兵隊なんか日本に常駐させる必要もないし本国に撤収させたいのに、これ幸いと鳩山政権をいたぶっている。小沢、鳩山ラインが何を考えているかそれこそ皆目分からないが、「日本人は全員又は全国で受け入れを拒否しているのだから、結局本国に引き揚げてもらうしかありません。」だろう。

どっかの時点で上記のカッコ内の簡単な事をはっきり言うのでは、と期待しているのだが出来るかな?言えば日米関係は益々悪くなる事は必定だ。でもしかし、それで日本が沈没するか?中国や北朝鮮に侵略されるというのか?景気が悪くなる事を心配するのか?そう簡単には行かないだろう。大げさな事を言わないでほしい。日米がぎくしゃくすれば今以上の嫌がらせで、景気にしても他の事でも悪い影響が出るかもしれない。由紀夫チャン一郎ちゃんの首も飛んでしまうかも。そこを何とか乗り越えないと本当にアメリカの属国になってしまう。

少々の事は我慢しても独自性を保つ方が良いと思っている。

読後感「王国への追跡」吾妻博勝 著

勝谷誠彦のメルマガに面白いと書いてあったのに乗って読んでみた。内容は、オウム事件で指名手配を受けながら未だに逮捕されていない逃亡犯(菊池直子、平田健、高橋克也)が既に出国タイに潜伏しているとの情報を追った著者のレポートである。

タイについてはこのところ連日反政府デモが報道されている。その攻防の激しさは、日本人カメラマンが巻き込まれて亡くなっているから押して知るべしである。タイは仏教国でもあり、政治を超越した王室の存在もあって温和な国とイメージしていた。しかしこの本をよると麻薬やマフィア不良警官が跋扈する酷い所のようだ。日本に住めなくなったヤクザも沢山逃げ込んでいるらしい。

著者は日本にも繋がっているその裏ルートを辿って、オウムの逃亡者に迫っていく。危険も一杯で大分気を持たせるが、結局確たる証拠は見つからずにジ・エンドとなっている。事件発生から既に15年、逃亡したこの3名については何も成果が上がっていないので、警察は何をしているのだろう。駅に張り出されているポスターは虚しいだけだ。

しかし読後感とすれば、暇つぶしにはなったが「だからどうした?」と言う感じが無くも無い。しかし著者が10年以上に亘りたった一人でタイまで足を運び、これを追求する熱意と努力には敬意を表さなければいけないだろう。




2010年4月14日水曜日

人気者

20年ほど前、未だテレビ業界に近い所で仕事をしていた時の事だ。当時の人気タレントはタモリ、さんま、所ジョージが御三家で、たけしはその下だったように記憶している。たけしを入れて四天王としても良いと思うが、当時既にお笑い系のタレントがテレビ業界を引っ張り始めていた訳だ。未だスポーツ選手の起用は少ない時代で、むしろ歌手なんかが多かったかもしれない。しかしその後は音楽関係の番組はどんどん減り、歌手の人気はCMに結び付かなくなってしまった。ある番組の司会者を探していた時の記憶だから、このランキングはCMに起用したいタレントかテレビ出演ギャラのランキングだったと思う。

当時は番組司会用タレントとして落語家だのアナウサー上がり(みのもんたのように二流から急に人気が出たタレントもいるが)の人も結構いたが、最近では大分影が薄くなってきている。その中でお笑い系の彼等は現在でも確固たる地位を維持しているのだから凄い。業界が不景気で制作費の縮小が報道されているが、彼らのギャラを値切るのは容易な事ではないだろう。真面目に考える程の事ではないかもしれないが、お笑い系が長持ちするのは何故だろう?幾つか思い当たる事もあるが、本当のところは分からないとしたい。

大体テレビに出るような人間は、特に司会者は発言に重みがあっては困るし、台本に沿って無責任な事を言っているにすぎない。視聴している方もその無責任な軽さが魅力となって人気が長続きするのだろう。テレビは家庭の娯楽の一つだから、その事に目くじらを立てようとは思わない。しかしテレビ番組の全てが商業放送だからと言って視聴率競争の結果、NHKさえも巻き込み、軽さによる人気取りになっているのは嘆かわしいと思う。こんな事は既に言われて久しいが、誰も迷惑を被っていないので警察は勿論、文部省や学校の先生も、政治も取り上げない。

我が孫たちのギャグが絶妙になるのは結構だとしても、終にはテレビのお笑いタレントが知事に登りつめたりしてしまう。当然の帰結ながら、最近ではこういった社会現象に眉をひそめるべき人間までが、人気取りに走りまわっている。本人も自覚して些か忸怩たる思いのようでもあるが、小泉進二郎君なんかその典型であろう。自民党も舛添なぞ当てにしないで小泉君を総裁にして戦ったら、国民的敵役小沢を相手に結構いい線いけるかも。

2010年4月13日火曜日

自然の移ろい 世の移ろい

気象庁が昨年初冬に発表した「今度の冬は暖冬」は、どう考えても予想外れだったと思う。日本の季節を「暖かい」とか「寒い」と一言で括ろうと言うのが、そもそも間違っているのではないだろうか。地球の温暖化にしても同じ事、温度計もろくになかった頃からの気温変化を示して「温暖化」説を唱えているのもかなりの無理がありそうだ。ここ数年で見ても氷河が縮小している場所もあれば、一方で北極の氷が増大している事実もあるらしい。

今年の冬は寒暖の出入りが激しい事が特徴的だったようだ。特に春に入っても寒さが続いているので、野菜農家は野菜が採れずに大変なようだ。婆さんも野菜が高くなってきたと言っている。ところが今日は昨日の寒さが一変、初夏のような暖かさになった。これは有難いが明日は又昨日のような寒さが来ると言っている。長期予想はあてにならないが、明日の予想はよく当たるのでがっかりだ。とは言うものの寒さが長引いたので花が長持ちした意味はある。

自然の移ろいは人知を以ては如何ともなしがたい。その時々の変化をあるがままに受け入れるしかない。時に嘆きたくもなるだろうが、すぐにほっとする瞬間も訪れる。「我が世誰ぞ常ならん」日本の四季はよく出来たものだ。

新年度に入って代表の座を降りたので、徐々に仕事の引き継ぎに入っている。クライアントにもアナウンスはしてあるが、未だ実感としては受け止めてもらえない。事務所も若干機材が増えたくらいで、基本的には変化が無い。家から事務所に来る時間も変わりないので、婆さんも今のところは変化を感じていないだろう。実のところ自分自身も同様だ。月末に振り込まれる金額でやっと実感がわくのかもしれない。「給料の 色は匂えど 散りぬるを」かな。

2010年4月12日月曜日

奥多摩ハイキング:鹿倉山


遠くの山頂に白い点が見えます。これに注目してください

10日の土曜日、いつも行く事にしているジムも休館日だったし天気も良さそうだったので、久し振りに奥多摩方面へハイキングに出かける事にした。前日地図を眺めたりインターネットを見たりして行く先を検討。奥多摩の山も大分登ったが未だ行った事のない山も幾つかある。中から名前すら初めて知った「鹿倉山(ししくら)」を選んだ。インターネットにアップされている記録も少なく、評判はイマイチである。山頂からの見晴らしが良くないらしい。こちらは健康のための山歩きだからそんなことは差し支えない、混雑していない事を願って決定した。

奥多摩の難点はアクセスに時間が掛かる事にある。例によって新宿6:44発中央線で出発。「立ち上がれ日本」に触発されたせいでもなかろうが、奥多摩駅には小生同様、取敢えず杖なしで立ち上がってここ迄たどり着いた老人が佃煮にしたい程溢れている。8:35分鴨沢行きの定期バスが臨時を含め3台も同時に発車した。久し振りの天気なので混むかなと心配したが、大部分は奥多摩湖で下車、登山口の深山橋で下車したのは3台のバスから2人だけだった。

登山者が少ないので登山口を探す事から一苦労。進行方向には何も標識が無く(立ち止まって後ろを注意深く見れば見つかったのっだが)、地元の人に教わってやっと9:20に登山を開始。登山口で前を1人歩いていたが、とても杖無しには歩けない急坂なので、ストックを準備している間に見えなくなってしまった。鹿倉山は先ず手前の「大寺山」登山から開始する。この登山道は最初から急なうえに落葉が積もって1歩毎に踝あたりまで埋まるほどである。奥多摩近辺の山には珍しく人が余り来ないらしい。

枯れ葉で道を見失わないように注意しながら急斜面を上り詰めると、狭いやせ尾根がしばらく続く。山頂の目印になっている白い怪しげな塔が見えて最後の登りと思った時、杉の木に巻いてあるリボンが急に赤青黄と3種類出現。赤と黄は危険シグナルと理解し、青の巻き道を選択。これが飛んでも無い間違いで、あっという間に杉林の中に迷い込んでしまった。引き返すのも癪なので、途中蛇穴にでも遭遇すると嫌だなと思いつつも、最後の標高50m程の登りを、杉の間伐材を踏み越えながら四つん這いで這いあがる事になった。時間も20分か30分程はロスしただろう。


標高950m程の山頂には写真でお分かりの通り不思議な建造物がある。地図や標識には「仏舎利塔」と書いてあるが、真っ白い塔の壁に金色の大きな釈迦如来を四方に嵌めこんでいる。塔の中への入口も見当たらないし、本当に単なる塔のようである。別に寺とは何処にも書いていなし、人影も無い。廃れてしまった新興宗教施設の名残なんだろうか?奥多摩の山々から見ると目立つ存在である事だけは確かである。実物を間近に観ても謎が解けないまま鹿倉山へ、ここからは地図には1時間45分と書いてあるが、4.5kmの道のりに標高差が300mちょっとなのでやっとハイキング気分となって歩きやすくなる。


鹿倉山1288mには丁度12時に到着。山頂はさほど広くは無いし、見晴らしは確かに良くない。遠く大菩薩嶺が幽かに望めるくらい。本日の登山者は奥多摩からタクシーを利用して鴨沢口から登ってきた御一行様7名と小生と同じ深山橋から先行して登った1名しかいない。老人7人組は焼酎などを取り出して年甲斐も無く騒いでいたが、やや若い先行のお一人さんは黙って遠くを睨んでいた。こちらもシーと広げ黙然と昼飯。今日はお湯を持ってきたので、握り飯にみそ汁付き、デザートはお決まりのオレンジ。寒くなく暑くなく、最高のハイキング。


休憩をたっぷり取って13時に下山を開始。大寺山で道を間違えた場所に立ち止まり再点検をする。どう考えても、登ってきた人間は巻き道に誘導されると思う。5分以内に一度引き返すべきだったと改めて反省。この先は降っていても灌木林に入ると一面の枯れ落葉に道を失いそうになる。2:45、1時間45分でバス停に着いたのを見ると、最初の登りが相当にきつい事が分かる。これも不人気の一因か?バスが来るまで30分以上、奥多摩湖畔の桜は今が盛りと咲き誇っている。今年2度目の花見を楽しむ。帰宅は6:30、適度に疲れ久し振りのビールも旨かった。

2010年4月9日金曜日

外国事情

生まれて初めて知ったような国「キルギス」、日本ではここを東洋のスイスと言うらしい。報道の映像を見る限り、硝煙漂う市街地の彼方に雪を頂く中央アジアの山脈が連なり美しい。アフガンに進出している米国や、コーカサスのゲリラ対策に悩むロシアにとっては軍事拠点として重要な位置にもあるらしい。しかし今やご存知の通り動乱の真最中、野党が軍と警察を完全掌握、死亡者は100人未満の報道も大分いい加減らしい。

如何なる理由か分からないが、日本との関係でもODA予算の重点配分国だったそうだ。今回の騒動が単なる政治腐敗が原因か、大国が手を突っ込んでいるのかは分かりかねるが、内戦が勃発するような事にならなければいいがと案じている。アフガや中央アジア諸国の実情も中東情勢も勿論だが、米ロや米中の関係等兎に角外国の事情は分かりにくい。突発的にこんなニュースが飛び込んでくると、改めて世界(地球)の広さを実感する。

島国の中でも際立って狭い国、四方八方を山に囲まれた長野出身のせいかどうかは別にし、て小生にとっての世界は狭い。広い世界を殆ど見聞すること無く、知る事も無く人生を過ごしてしまった。晩年の今となっては外国事情には殆ど関心が無いのだが、今回のようなニュースに接して、日記のネタとする為に一寸インターネット検索をして見るぐらいだ。現在の関心事の殆どは東京から首都圏範囲が精々で、遠いと言っても歩いてみたい故郷信州の山ぐらいのものか。

地理的な事より、褒められた話ではないが、親戚友人以外の事に余り関心を抱かない人間になっているのだろう。

外国事情に関連する事で今日のニュースからもう一つ。「築地市場のマグロの競り場で、当分の間外国人観光客を締め出す事になった。」に関連して東京について考えてみた。外国人がなんで早朝から築地市場くんだりに行くのだろう?

観光庁と言う役所ができたらしいが、東京観光を観光客の立場で考えてみた。すると東京が実に観光資源に乏しい貧弱な都市である事に思いが至った。小生自身半世紀以上も前に信州から上京した訳だが、観光したのは江戸城史跡だけかもしれない。今朝の茶飲み話でだが、城郭だけと言う事なら姫路城は無理としても未だ大阪城や松本城の方が良いじゃないか。神社仏閣に至っては、京都、奈良、鎌倉にはとても及ばない。

小生は増上寺は葬式で行ったが、寛永寺も明治神宮にも行った事が無い。旨い食い物屋は沢山あるかもしれないが、とても観光客が行ける値段のところは無いだろう。外国に行くと大概のところ先ず博物館に行くが、上野に行ってもめぼしい展示物は借り物ばかりで、展示が世界に誇れるような博物館は1館も無い。エンターテイメントに歌舞伎はあるかもしれないが、こんなもの日本人が観ても理解しがたいのに外人さんが観て面白いだろうか。

するてーと築地の競り場なんかが恰好のエンターテイメントプレースとなるのかもしれない。と言うのが結論であった。観光庁も結構、ジャニーズのタレントを宣伝マンに起用したり、連休を地方毎にずらしたりするのも結構(?)だが、お役人はもっと相手の立場でものを考える習慣を身につけてほしいものだ。

2010年4月8日木曜日

キーボード操作

ここ数年毎日仕事でパソコンを使う必要があったので、キーボードタッチ訓練の意味もあって3,4年前から日記を書きだした。しかし仕事からリタイアし始めているので、パソコンに触れる必要性は徐々に少なくなっていくだろう。立ち止まって考えるに、キーボードの操作は一向に上達していないようだ。未だにキーボードの配列が頭の中に入っていない。1字毎にキーボードを睨みつけて目的のキーを探しだしている。

当然キーボード側からすれば、訪れる指先はその度に異なっている。モニターだけを見ながらキーを叩くなんて事から程遠い状態である。これは頭が悪いせいなのか、指先がぶきっちょなのか、或いはその両方かもしれない。運動生理学か脳科学者に分析してもらいたいものだ。幼い頃からピアノの練習など経験していれば少しは役に立つのかな?とすれば家の孫は少しは期待できるかもしれない。

パソコンのパの字も知らない婆さんが面白い事を言っていた。「PCのキーボード配列は基本的にはタイプライターと同じでしょう。キーが何故アルファベット順になってないか知っている?」当然そんな事をこの爺が知る筈が無い。「何でも昔タイプライターを考えた人が、誰でも簡単に使えないようにだったか、わざと指先操作が難しいように配列を決めたようよ。」ずっと家に居てひがなテレビを見ていると、余計と言ってはいけないがいろんな知恵がつくものだ。

「何でもその人はタイプライターのスペルは3列だか4列の一番上の列に並べたそうよ。明日事務所で確認してみてよ。」翌日事務所に来て確認してみた「typewriter」。成程その通りになっている。たまたま誰かが思いついた冗談話かもしれない。それにしてもたった26文字の配列に四苦八苦するのは悔しい限り。振り返ればキーボードに初めて触れてからもう12年ほどになる勘定だ。

常人であれば10年努力を続ければ大概の事はそこそこ旨くなるとしたものだが、小生よほど不器用と見えてそうならないものが幾つもある。まあ何であれ努力と言う程努力をしていないと言う事かもしれないが。

面白いから幾つかを挙げると、1にゴルフ:これは10年どころではない40年近くやったが一向に上手くならず、2年程前にやっと断念した。2に英会話:50歳になる前くらいから10年は続かなかったかもしれないが、少なくとも5年以上は毎朝6時からNHKラジオ英会話を聞いていた。時々アメリカなどに行く機会があったせいもあるのだろう。勿論それで英会話が役に立った経験は全くない。又旅行をしても英会話が不必要と言う事に気がついて、ある日努力を止めた。

3にカラオケかな~:これは年数より相当な資本を投下して飲み屋のお姉さんや芸者さんにご指導頂いたが、生来の才能の無さが災いして1曲も人前で歌えるようにはならなかった。幸い紅灯の巷を徘徊する必要も無くなったので、断念ではなく自然消滅だ。4がキーボードタッチになりそうだ。人生いろいろな事に挑戦してみたが、何一つものにならなかった。と言えば子孫は安心して何事にも<むきにならない>ようになるだろう。もとより我が家には宇宙飛行士山崎直子さんの敬服すべきキャリアを聞いて発奮するような人間が一人もいないので、わざわざ書くまでも無い事を書いてしまった。

2010年4月7日水曜日

読後感 『警察庁長官を撃った男』鹿島圭介著

鹿島圭介なるノンフィクションライターの名前は初めて聞く。どうも一橋文也のように大手新聞に在籍記者の偽名のようだ。先月30日国松長官狙撃事件の時効を迎えるにあたって警視庁公安部長が異例の記者会見を開いた。派手に報道されたように、「犯人を挙げる事は出来なかったがオームの犯行に間違いない」である。全くど素人の小生が聞いても不思議な会見と思うくらいだから、非難が轟々と巻き起こった。

その週末本屋でこのタイトルが目にとまり早速読んでみた。過ぎ去った事件の一つで、犯人がオームであろうとなかろうと小生は全く関知する程の事ではないと思っていたのだが、これを読むと驚きの連続で、先の記者会見の持つ意味までがなんとなく見えてくる。

内容を要約すると、事件の真犯人は「中村泰」なる別人で、現在別の強盗殺人事件で岐阜刑務所に服役中である。筆者は中村と平成15年以来面会20回、書簡は80通に上る取材を重ねているとしている。当然警視庁当局も中村を重要被疑者と認定、何度も尋問を重ねて犯人と特定するに足る自供は引き出しているのだが、現状では検察から逮捕の許可が下りていない。許可が下りない理由は、狙撃に使用した拳銃が見つからない事、これが無理でも最低共犯者を確保しなければと言っているようだ。

中村は拳銃は大島行きの東海汽船から太平洋に投げ込んだとし、共犯の存在は認めているものの同志の仁義で絶対に言わないとしている。本書の発行日は3月20日で公安部長記者会見より前だが、時効日に記者会見がセットされる事さえ予告している。ここまで警視庁でも把握しながら逮捕に踏み切れないのは何故か。実は警察内部の縦割り組織の弊害のせいのようである。

即ち、当初この事件は刑事部がオーム事件で多忙を極めていたため、本来刑事部が担当すべき事件であったのを公安部に任せたのがボタンの掛け違い。刑事部と公安部では捜査手法に大きな違いがある。刑事部は予断を持たずに広範囲な操作で集めた証拠をベースに犯人に迫るのに対し、公安部は一定の推理に基づく捜査手法をとる事が多いようだ。それが不幸の始まりで、当時オームの問題が大きな社会問題になっていたので、オームに違いあるまいという先入観が捜査本部に醸し出されてしまった。

正に主人公中村の狙いにはまってしまった意味もある。ところが事件から数年経って刑事部の方から中村が真犯人ではという見方が出て、公安と刑事合同捜査本部が立ち上がった時期もあり、中村の方も相当観念して事実関係をかなり詳細に供述し出す。同時にマスコミにも一部この情報が流れたので、マスコミ関係者はここに書かれているような事について殆ど知っているらしい。

ところがである、歴代公安部長のメンツやらなにやら役人特有のいやらしい事情が絡んで警視庁としては長年に亘る捜査の失敗を認めたくないらしい。いかなる事情があるかは知らぬが検察までもそれに同調して、結局刑事部は外され元の公安部主導に戻されてしまう。ここまで来ると常人には理解しがたいのだが、セクショナリズムの権化の役人は勿論、それにぶら下がっているマスコミもおかしい。先月30日15年の時効宣言の際、この中村の存在について触れたメディアは1社も無い。

中村の供述に基づく内容は、発想の原点が分かりにくいが実に面白い。彼は1930年生まれで東大を中退、頭はすごく良くて機械いじりは幼い時からお手のもの。終戦直後は一時右翼の大物に弟子入りしていたようでもある。ある意味で変な社会正義感を持っているところもあるが、警官を無慈悲に射殺したりする異常な神経でもある。銃火器の知識と射撃の腕前プロ。日本だけでなく偽造旅券とIDでアメリカには何度も行って銃火器を日本に密輸、各地に隠し持っている。まるで外国のサスペンス小説を読むようだが、これが全て警察の裏付け調査で事実と判明している。更に長官狙撃当日の供述に関して犯人しか知り得ない事を明確に言っているのだ。

読んでいくと、中村の真犯人は間違いないと確信するに至る。しかしこんな事実が表面化しない日本の警察官僚と記者クラブの馴れ合いとは一体如何なるものなのか、検察も含め容疑者の逮捕とか起訴とは如何なる事実に基づくものなのか、大きな不信感を抱かざるを得ない。


2010年4月6日火曜日

「日本の将来について危機感」が聞いてあきれる

平沼・与謝野両氏が新党を立ち上げるのは勝手だし、郵政民営化法案について全く反対の立場とった二人がけろっと手を握り合うのも政界ではよくある事なのかも知れない。しかし側近園田氏が解説する「お二人とも民主党が政権を握る日本の将来に強い危機感を共有している」には強い反感を持たざるを得ない。

余命幾許も無い年寄り連中が何を以て危機感を覚えるのか知らないが、もし危機感を感じなければならないとすれば、半世紀以上に亘る自民党支配の政治がもたらしたものを払拭するのに必要な時間でなくてはならない。彼らが振りまき放置してきた悪習、つけ、おりのようなものを排除していくのは並大抵の事ではない。小生もその中にどっぷり浸かった人生を享受きた一人である。このつけを若い人に精算してもらうのは些か心苦しくもあるが、勘弁してもらうしかない。

現政権にも当然同じような年寄りはいる。彼らにも昔悪弊を助長した責任の一端はあるだろう。しかし現在のスタンスは政権与党の向かう方向に包括され、過去を清算しようとしている事は明確である。彼等の大部分は党務又は無役で、政権の表舞台にあまり登場してこないのも老人の知恵かもしれない。或いは党内で若い人のエネルギーが老人のそれを凌駕しているか、若手を優先させようとする力学が存在しているかだろう。

小沢幹事長に愛想を尽かして辞めたとされる藤井財務相について、見方を変えて、老人をあっさりと使い捨てたと見れば、これも結構な事だ。何れにせよ小沢一郎が総理大臣になる事は永遠に無いだろう。彼もどんなに長くても次の総選挙では、後事を後輩に託して引退した方が良い。次の参院選敗戦の責任でという意見もあるが、どの時点にせよ幹事長を辞める時は議員バッジを外すべきだ。渡辺恒三になっちゃいけない。

年寄りには年寄りの知恵があるのは誰も否定しない。しかし人間だけでなく全ての動物は先代から知恵を授かった若ものが、その裁量で新しい時代を切り盛りしていく他ないのも自明の事だろう。この自然循環でこれまで生き延びてきたわけだから、我々役目の終わった世代はもっと温かい目で次世代を見守るべきだ。

大事にすべきか否かは別にして伝統の良さを十分理解したうえで書くのだが、憲法がどうなろうと天皇制が否定されて神話が崩れようと、それはその時代に生きる人間の選択であれば仕方ないではないか。「己の反省も無く将来への危機感だと?いい加減にしろ!」だ。

2010年4月5日月曜日

賞味期限を過ぎても

土曜日に娘夫婦2組と孫3人が集合して爺の満70歳の誕生日を祝ってくれた。皆から「元気で長生きしてください。」と嬉しい言葉を貰う。賑やかな事で婆さんは食い物を次から次へと大忙しだった。プレゼントもいろいろ頂いたが、中に立派なスキー用のグローブがあったのにはびっくりだ。小6になる孫の「ゴールデンウィーク迄は滑れるから今シーズンもう一度行きたい。」との意思表示だったが、「今シーズンはもう勘弁してくれ」と謝った。

中1になる孫は中学校に行ってもバスケを続けたいようだ。背丈は既に爺と同じ高さになっている。これでもバスケには不十分なので、もっとしっかり飯を食わなきゃとの事。親も楽ではないだろう。二人とも「お祖父ちゃん、遊戯王カードは卒業したよ。」と言うので少しは成長したと喜んだのだが何の事は無い、巷では今ヨーヨーが流行しているらしい。成程二人ともヨーヨーを手にして遊んでいる。カードが欲しかった先頃までは、来るたびに近くのスーパーに一緒に行って150円のカードを2袋ずつ買ってあげていたものだ。

今度はスーパーのヨーヨーの売り場に連れて行ってほしいのだそうだ。ヨーヨーはカードに比べると高価で1000円以上するものらしく買ってくれとは言わない。代わりに紐を熱心に見学していたので、これを欲しがるのかと思ったが買ってくれとは言わなかった。婆さんに言わせると「爺の財政について察しが良いので、高いものは要求しない」のだそうだ。良く出来た孫共だ。集まった兄弟従弟は仲の良過ぎるくらい1歳児も入れて一緒にはしゃいでいる。一人は中学生になろうと言うのに、いつまでもこう子供じみていていいのかな。

我が家に来れば子供じみていても、学校ではそれなりに勉強もしているのだろう。持ってきた二人の通信簿を見ると「論語」の暗誦が良く出来ました、てな事が書いてある。へえ、と思って「何を覚えたか言ってみろ」と言うと「論語ってな何だ?」との事。『「し、のたまはく」てやつさ、習ったんだろ』と言うと、あれかなと言っていきなり「祇園精舎の鐘の声諸行無常の・・・・偏に風の前の塵に同じ。」とやったのにはびっくりした。

孔子様の方は何をどう習ったのか分からなかったが、小学校で平家物語の頭だけでも教わったのは悪い事ではないかもしれない。

幸い当日は昼すぎても晴れていたので、腹ごなしで孫を引き連れて九段下北の丸公園から千鳥ヶ淵方面に花見としゃれこんだ。「何もそんなところまで行く事は無いでしょう。」と婆さんが引き留めるのを振り切って出かけたは良いが、案の定大変な混雑。九段下の駅は危険防止のためエスカレータが運転休止、ベビーカーに若殿を入れたまま地上に持ちあげた婿は大変だったろう。純粋に花だけ鑑賞するなら近くの小学校の桜の方が見応えがあったかもしれない。孫にカメラを持たせたら喜んで写真をたくさん撮ってくれた。

一族中で一番人気の若殿。1歳5カ月

千鳥ヶ淵の桜

ご町内小学校庭の桜

2010年4月2日金曜日

嗚呼無情

昨日は多くの会社で新年度の入社式が行われた。その昔、新人歓迎会を九段の靖国神社境内で花見を兼ねて盛大にやった事を思い出した。今日は花が満開となったのに無常の雨風が吹きすさんでいる。折角の週末なのにお花見新人歓迎会と言う訳にも参らぬ事だろう。最近は職場単位で飲み会をする事が少なくなっているようだし、新人も飲ませてもらって有難がるようなご時世ではないようだ。職場から早く解放してもらい彼女とデートでもした方が益しに違いない。

昔は皆どうして職場の飲み会であんなに盛り上がる事が出来たのだろう?今考えると不思議だが、年功序列の効能だったかも。考えてみると我々が居た年功序列社会は、年長者にとっても新人たちにとってもある意味で居心地が良く、新人は仕事ができなくて当たり前だが、せめて飲み会ぐらいは盛り上げろよ、てな事で存在感を与えてもらえた。職場の仲間は同志だよ、だから仕事も助け合うが、遊ぶ時は上下心を一にしてに楽しむ事が出来た訳だ。

今は実力本位の時代だそうで、新人ばかりでなくシニアーの人も含め現役の諸君は可哀そうだ。能力を期待できない新卒はそれなりの扱いで、部長さんの行くところとペーの行く店は別かもしれない。しかし能力ある新人が入ってきたら、能力の低い上司は弾き飛ばされる危険がある。いつの時代も高い能力と志を持ったヤングライオンはいる訳で、古手の社員もおちおちしていられないだろう。勿論就職氷河期を乗り越えて入ったヤングライオンも当然早く出世しようと虎視眈々に違いない。

競争原理はいつも能率の向上に資するとされているようだが、長幼の秩序が組織力の強化と能率向上に繋がると唱える学者はいないのかな。多分いないのだろう。それにしても良い悪いは別にして嫌な時代だ。そりゃ仲良く飲み会なんかやっていられない筈だ。企業などの組織は能率や効率だけを追求するための存在だからと言って、日本中の組織が皆同じような思考回路に陥っているように見える。

年寄りの爺が反論しても始まらないが、「和気藹々」と言う額を前にしてぶら下がり記者会見をしていた自民党でさえ、古手のお父さんたちがヤングライオンに追い立てられている。もうちょっと「和気藹々」に話しようは無いものなのかな~。

2010年4月1日木曜日

引退予定の新年度がスタート

滅茶苦茶忙しい1日だった。先週末から準備していたのだが、新年度第1日目なので、まず管理しているホームページの内容を相当模様替え。終わったら昨日入金の領収書を発行。これが請求案件ごとに細かく分けて発行するので一苦労。次はアクセスに関する月次報告。これについては全てネット上で参照できるのだが、得意先に於いては全て独自フォーマットで文書化されていないとオーソライズされない。電子化は即ち紙の大量消費の始まり、パソコンの発達で森林資源は益々枯渇していく事だろう。段取りがついたのが13時、8時から始めたので5時間ぶっ続けで働いた勘定だ。

珍しくも昼飯抜きで背広に着替え、揃えた書類を鞄に入れて、えっちらおっちら小伝馬町迄行かねばならない。有楽町線千川から都営新宿線馬喰横山と言えば結構な距離である。階段が沢山あってトレーニングにはなるが、今日は急に暑くなったので久し振りに汗までかいた。本当は今日から仕事の大半を次期代表に交代してもらう予定ではあったが、事務を依頼している会計事務所の都合で登記が遅れているのと、次期社長さんの引っ越しが重なって爺の孤軍奮闘の感があった。とは言っても次期社長にはリモートで相当サポートもしてもらったのも事実。そう掌を返した様に上手い具合に引き継ぎが出来る筈もない。

いきなり「今日から何もしてもらわなくて結構です。」と言われるのも困るが、そう簡単に暇にはなりそうもない。クライアントも「急ぐ話ではないから落ち着いてやった方が良いよ。」と言ってくれたので一安心。取敢えず新年度がスタートしたが、見通しは全く立たない。小生の報酬は新社長と未だ相談できていないが、先月までの報酬の半分以下になる事は法律で決められている。年金が月に20万円程あるので、その半分くらいのお小遣いでも頂ければ有りがたい。どっちにしても代を譲った途端に経営がおかしくなったのでは寝覚めが悪い。新社長にもゆっくり考えてもらって、せっかく作った会社なのでなんとか長生きさせてもらいたい。

引き継ぎが軌道に乗ったら、今度は自分の将来を考える番になる。さてどうなる事やら?