2020年10月31日土曜日

日本はラッキー?

 アメリカのことは扠措き、ヨーロッパにおけるコロナ第2波の被害が急速に拡大している。日本も第2波かどうかは別として、相変わらず収束には至らないものの、だらだらと感染者は増えている。しかしその数はヨーロッパに比べると驚くほど少ないと言える。何故だろう?山中伸弥教授がそれをファクターXと呼んで解明を進めておられるが、教授が仮説としてあげた項目は日本人の生活習慣など10項目近いが、中でも、遺伝的要因については、私たちもiPS細胞を使った研究を開始しています。と言っている。

同時に、しかしファクターXの実態が明らかになるまでには時間がかかるとのこと。そこで心配になるのがロックダウンに近い状態に置かれたヨーロッパのアスリートたちのこと。オリンピック候補選手たちだけが特別扱いで練習が許されていれば問題ないが、そんな事は先ず無いだろう。1日休めば回復に3日必要とされるトップアスリートのことだから、練習環境が整っている日本選手から見れば有利かもしれぬが、少し公平性を欠くことになりはしないか。

粛々とオリンピック開催準備を進めている日本関係者の姿は、伝染病で休んでいる友人の家のそばで、俺は関係ないからと「明日は運動会だぞ!」と大騒ぎしている悪ガキのような見えてならない。これまでに7年以上にわたり大金を注ぎ込んで準備を進めてきた政府を始めとする関係者の気持ちは分からぬでもないが、コロナ禍とされる現在の状況が、1年足らずで全世界で疫病に打ち克ったと宣言するほど劇的に変化するとは考えにくい。

政府や関係者には「打ち克った証として」はやめて、もう少し慎重な言い回しを考慮するよう切に望みたい。

話が前後するが、欧米では何故こんなに急速に感染が広がるのだろう?報道を見る限り、他人との接触やマスク着用に関しては少し日本と事情が違うにせよ、もう1年近い経験の中で、欧米と日本の差もさほど無くなっていると思うので不思議でならない。日本人は何らかの理由で集団免疫率が高いと言う学者もいるらしい。素人考えで言えば、鼻が低く座っているから息の仕方に違いがあるのでは?笑

2020年10月30日金曜日

今更言っても

 このところつまらぬ話ばかり書いているが今日もそうなりそうだ。昨日高校のリモート東京同窓会幹事会(約30人)に参加して思ったのだが、もうとてもじゃないがついて行けない。先程同じく参加していた同期の友人から電話が来て、昨日の会議内容を纏めて同期生のグループメールに配信してくれるとのこと。彼も会議では何も発言しなかったし小生もしなかった。彼曰く「結局決まったのは今年の総会を中止することだけじゃないですかね。」全くその通りだ。

ミーティングは約1時間チョットあったが、発言の大部分は幹事長からのもので、以外の人の発言もあるにはあったがバラバラで、リモート会議の故か国会の一問一答に似て議論が噛み合わない感じで、結局は纏まらずに消化不良の感じばかりが残った。リモート会議では、発言に割り込むのも難しかったから余計そう感じたのだろう。友人も同じ思いだったかも知れぬ。若い人たちは同窓会も当分はリモート方式を採用して、なんて思っているようだが、そうであれば小生はもう同窓会には参加しないつもりだ。

人間の付き合いは、琴線とまでは言わなくても心の一端に触れあう感じがないと付き合いとは言えない感じがするのだ。勿論Zoomという会議形式に慣れれば心と心がもっと通じ合うのかもしれぬが、残念ながらこちらにはそれに慣れる時間はもう無い。若い人たちがコロナ社会をどう生きていくかを真剣に考えている事もよく分かった。年寄りがその中に参加しても出来ることは無いし、彼らは彼らで考えてやっていくに違いない。

そのやり方が小生の考えからすると間違っていると思うかもしれぬ。しかしそんな事を言ってもなんの役に立つというのか。即ち、時代が変わって、彼らからすれば数少ない年寄りの意見なんか聞く必要がない可能性大だろう。思えば同窓会だけの問題ではない。世の中に不満の種は尽きないが、それを今更言ってどうなるのだろう?結果について責任を取ることは難しく、現在進行中のことで責任を取るのは彼ら若い人たち自身だ。となれば、年寄りは黙って見てるしかないか。

2020年10月29日木曜日

ついて行けないデジタル化社会

 長野の高校を出ているが、東京でその同窓会の学年幹事をしている。仰せつかったならまだしも、自ら買って出ているのだから馬鹿としか言いようがない。コロナの影響で今年の同窓会は様々な行事が中止となったが、年末が近づき幹事長から締めくくりの幹事会を今夜オンラインで開催するとの通知が来ている。形式:ZOOMで会議ID:〇〇パスワード:〇〇だそうだ。そこまでは理解できたので参加しようと思っているが、次の注意書きで躓いてしまった


こう書かれている「ミーティング参加時には卒業年次を記入した上で名前を書いてから参加願います」当然といえば当然のリクエストである。開催は今夜8時からなので、その前に準備をしておこうと思い、午前中にZOOMを立ち上げて名前の変更をすべく色々探ってみたが、プロフィールの変更が結構難しそうだ。恐らく使い慣れている人からすれば笑ってしまうほど簡単な操作でできるに違いない。

余程孫に電話して変更の仕方を教わろうかとも思ったが、馬鹿にされるのも悔しいのでやめて、幹事長宛に「変更方法を教えてください」と返信メールをした。孫は大学生なので現在は大学での講義が再開しているようだが、ここ半年ほどは大部分が在宅授業。形式は色々あっただろうが、ZOOMが主流と聞いていた。それこそ授業のマスが変わる度毎に本人確認の手段が変わるだろうから、プロフィールの変更経験がある筈だと思ったわけである。

デジタル化社会の一環とされるリモート会議も仕事の効率化を図る意味で今後増えていくことになるのだろう。それはそれで結構なことだ。しかし何事も表面的には見えない裏の不都合もある。リモート会議で会社の出張も減り、打ち合わせの効率化、経費の節約にはなるだろう。一方で会議参加者の一人が良からぬことを考えていたりしても見つけにくくなるだろう。参加者の息遣いを全員が感じてこそ会議の意味がある。

なによりも昭和10年代生まれの年寄りには、リモート会議に参加する手続きだけでも面倒くさく、愈々ついていけない時代に入っていることを痛感している。

2020年10月28日水曜日

愛国者

 ニュース報道は相変わらずアメリカ大統領選挙問題でもちきりだが、どちらが勝とうと我が国がアメリカの占領政策の軛から逃れることにはならないだろう。政府は前政権以来、「自由で開かれたインド太平洋構想」なんて世界の果てのように遠く感じる海原のことに関しアメリカになにか強要されているのかもしれぬが、盛んにメディアを煽って国民に訴えかけている。

その場所がどんなに息苦しい場所か知らぬが、世間を知らぬ年寄からすれば江ノ島や大島から先の海原は限りなく広く自由で開かれているように感じられる。にも関わらずそんな遠方までノコノコと、他国の軍艦と共同作業するために軍艦でない筈の自衛艦を派遣しなければならない理由を論理的に理解できる人が多いとすれば、己の理解力の不足を余程反省する必要があろう。公海が、自由で開かれていることが大事かもしれぬが、それより先に自国の領空が他国によって占拠され、自由な航行が出来ないことの方が余程重要だろう。

愛国者を自称する方々は、最近しきりに専守防衛論だけに頼っていては日本の安全が保証できないことを声高に言い始めている。これはアメリカにけしかけられて言わされていることと、聞き捨てればいいかと思ったりもするが、行き着く先を考えれば聞き捨てならない気にもなる。彼らの主張は全く論理性を欠いている。彼らが言わんとするところの前提は、防衛を主とする自衛策では、飛来する弾道ミサイルに対処しきれないことにある。

この前提は否定できない。複数の弾道ミサイルがある地点めがけて発射されれば到達までに半時間掛かるとされるアメリカの主要都市だって防御は不可能だろう。だからアメリカとか大国は報復手段を考えた弾道ミサイル網を構築しているのだろう。要するに昔から他国と戦争することを前提に国家を運営してきた大国は、自国の被害を最小化して最終的に敵国を打ち負かす事を常時考えているのだ。アメリカが日本に多くの基地を維持しているのは完全に自国防衛のためであり、日本という他国を守ろうなんて気持ちは最初から無いだろう。

最近、75年前に戦争自体を放棄することを定めた「国是」を忘れている愛国者がいかに多いことか。北朝鮮や何処かの国が日本に宣戦布告をしてくることは考えにくいが、休戦中とは言え米朝武力衝突の可能性はつい最近もあったし、米、中、露国は常に戦争をしているので、国家の安全保障は戦争を前提に考えている。日本は同盟関係でアメリカ軍の基地が存在する現実があるので、日本に宣戦布告がなくても、日本の米軍基地に弾道ミサイルが飛来して日本人に大きな被害が発生するのはやむを得まい。

しかし、間違ってもこちらから敵基地攻撃なんて思わないことだ。思えばその瞬間に非戦の国是が破れ「戦争をする国」になる。その悲惨さを知る愛国者はもういない。

2020年10月27日火曜日

未練

 このところパソコンを立ち上げている時間が大分減ってきているので、今朝遅くになって長野の友人から昨日届いたメールを確認することになった。友人は高校の同期生の消息にいつも気を配ってくれて、何かあればすぐ全員に宛て連絡をくれる有り難い存在。内容は訃報で、しかも亡くなったのが比較的近くに住み、数年前までは互いに行き来していた友人である。彼はもともと体調が余り良くはなかったが、それでも意気軒昂なところがあって伊勢参りに同行させてくれとの申し出があり、何年か前に伊勢まで一泊二日の小旅行をして喜んでもらったことを思い出している。

連絡に依ると死因がコロナ禍とある。彼もそんなに人混みに出かける方ではないと思うので、ひょっとすると病院での院内感染ではないかと思ったりしてしまう。ともあれ付き合いがそんなに多くない知り合いの中からついにコロナの犠牲者が発生してしまった。今までは報道が大騒ぎしていてもなんとなく他人事と思う気持ちが強かったが、これからそれは甘い考えになるかもしれぬ。諸外国と比べると日本は感染者は二桁違いに少ないが、死亡率はアジアでは珍しく高い。80歳を超えれば立派な高齢者だから、もし感染すると命の危険が迫るのは間違いないだろう。気をつけなくてはいけない。

歳を取るに連れあの世が近くなるのは致し方ないが、テレビコマーシャルで加藤茶が「エンディングノートをつけ始めました」なんてセリフを聞くと「嫌なことを言いやがる」なんて思ったりもする。しかしよくよく考えれば、このブログ自体がエンディングノートみたいものだ。時々コメントを頂き、昨日も頂戴した<呑兵衛あな さん>の今日付のブログにやはり死後のことが綴られている。以下をご参照ください:https://nonn634.blog.jp/archives/83952983.html

<呑兵衛あな さん>にはお目に掛かったことはないが、そんなに年の変わらないリ退職者。IT関係のエンジニアのご出身ではないかと推察したくなるほど様々な技法を駆使してどパソコンに関して該博な知識を書いていらっしゃるし、世相についても書かれているが、読むと似たような考えをお持ちであるのが分かって嬉しく思っている。今日はその<呑兵衛あな さん>が「俺の存在履歴は無い」と割り切って考えておられるのに比べ、小生の未練がましさが些か恥ずかしい。

2020年10月26日月曜日

誰がために

 まだ小学生の頃だったと思う、アーネスト・ヘミングウェイの小説がゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマン主演で「誰が為に鐘は鳴る」として映画化されて都から遠い信州でも評判になったが、当時映画を観ることはなかった。しかしタイトルの読み方「たがために」を叔母さんに教わって、格好いい読み方だと思ったことだけ妙に記憶に残っている。長じて小説を読んだり映画も観たりしたが、民衆の革命には縁遠い我が国故かどうか、西部劇と同じで格好良さだけが印象に残るばかりだった。

ところが今回図らずもこのタイトルを思い出させてくれたお人が現れた。他ならぬ菅首相である。今日招集された国会の冒頭(明日かな)で所信表明を行うらしいが、その内容はすでに大分前から報道が先行している。珍しい現象かと思うが、それは措いて、報道は次のように言っている。『菅総理大臣は、「国民のために働く内閣」を掲げ行政の縦割りを打破し、規制改革を全力で進めるとともに新型コロナウイルスの爆発的な感染を防ぎ、社会経済活動を再開して、経済の回復を図る姿勢を示すことにしています。』

映画のタイトルにある「鐘」は革命のために命を失った人への弔鐘を言っている。だから読者は読後色々考えることが出来るのだろう。首相は国民がどう考えようと、国民のために働くと宣言するわけだ。これまでにこんな当たり前のことを所信表明に掲げた首相はいなかったことだろう。偉いと言えば偉いかもしれぬが、ばっかじゃなかろうかと思う輩もいるかも知れぬ。小生自身の感じは特に書かないが、是非ともそう願いたいものだ。

行政の縦割り打破以下の各論についてはまた長々と長広舌が続くことだろうが、お題目の割に各論に入れば入るほどピントがボケる可能性が高くなるようなことだけは避けて頂きたいものだ。

2020年10月25日日曜日

処々劣化

 今年は雨の日が多かったが、昨日今日と2日続けて気持ちの良い秋晴れが続いた。昨日は呼び鈴が鳴って出てみると玄関先にいたのがリフォーム屋の営業。我が家を外から見ても気づいたことがあるので一緒に外に出てくれとのこと。出ると「ほら、玄関の覆いの黒ずんでいる部分、外から水が染み込んでいますよ。今のうちに修理をしないとたいへんなことになりますよ。等々」とのこと。一緒に確認はしたが、結局丁重にお引取り願った。

ここ一週間ほど昼間できるだけ体を動かして部屋の掃除をしたりたりしパソコンに向かう時間を少し減らす努力をしてみたが、外回りまでは手が回っていない。リフォーム屋営業の指摘を待つまでもなく、手入れが必要と思うところは多々気がついてもいる。面倒くさいのと経済的理由も考えてしまうので放ってあるだけの事。その上最近は単に体力の衰えだけでなく、目が極端に悪くなっているように思える。眼鏡の上にハズキルーペを掛けないとまともに本も読めない。

読書量が減るのも当たり前だ。昨日友人とのテレミーティングに参加してみて改めて感じたのは、耳も大分遠くなっていること。だいぶガタがきている。要するに住まいにも本人にもガタがきているのは事実だ。特に対策も無いが、せめてパソコンに向き合う時間を減らしたい思う由縁である。今日はブログを休もうかと思ったがつまらぬことを書いてしまった。

2020年10月24日土曜日

政治家の学識

 来週から国会が始まるが、与野党の論戦で真っ先に上がってきそうなのが例の日本学術会議会員の任命問題だ。この問題がどんな展開になるかは扠措き、日本の政治家の知的水準が諸外国と比べて特に低いのではないかと気になって仕方ない。知的水準が学歴で測れるものではないだろうし、学歴が無くても田中角栄氏のように立派な政治業績を上げた例もある。それにしてもだ、21人かの大臣の顔ぶれを見れば何故この人が大臣に任命されたか、されるまでの競争相手にはどんな人物がいたか、想像するのが難しい。

総理大臣や官房長官のように主要閣僚になると、むしろ補佐官のほうが偉そうに見えることすら多い。この内閣では副官房長官に任命された元警察官僚の杉田和博氏がその典型だ。しかし杉田氏にしても政治に関してアカデミックな知識を有しているわけではなく、経歴から個人に関する警察情報を入手しやすいところを権力者たちから重宝がられてきたにすぎない。日本には、政策を若いときから勉強し、同世代の仲間と競い合いながら出世の階段を登ってきたという感じの政治家が非常に少ないのが寂しいことだ。

愚考するに、官僚が政治の世界に挑戦することは悪いことではない。少なくとも官僚の世界は、同期の人材が互いに助け合いながらも出世を競い合うのが普通だったように聞くし、学生時代に相当勉強してきたことだけは確かだろう。政治家の二世が親の鞄持ちをしただけで政治家になろうとするより余程マシだと思う。更に言えば、政治家の必須条件とまでは言わぬが、政治家は自らの売りと言うか専門を明らかにしてもらいたい。

政治家のホームページでプロフィールを見ると皆似たように長々とした経歴と同じく数え切れないほどの肩書が書いてある。もっと専門性のある政治家が出現してほしいが、現行の選挙制度上無理な相談なんだろうか?そんなことはないように思う。人間は短い生涯に於いてそう沢山のことはなし得ない。農水官僚の出身であれば生涯かけて農水相を目指し、文科省出身であらば文科相を目指し、財務省出身者は財務相を目指すのが自然だと思うし、国民にとっても良いのではないか。

何でもできると思うのは政治家秘書の習い性。昔で言えば交通違反のもみ消しや、入学や就職の斡旋の類、こんなことをしてきた人間がオヤジの地盤をついで政治家になっているケースも多いと思う。諸外国には閣僚クラスのほとんどが学位保有者という国もある。中国もそうだし、アメリカでも嘗てベスト・アンド・ブライテストと言われたほどホワイトハウス入りした閣僚や補佐官は学者が揃っているはずだ。日本人が田舎者扱いされないためにも政治家の専門性ブラッシュアップが必要だろう。

2020年10月23日金曜日

読後感「コロナ後の世界は中国一強か」

矢吹晋著

 コロナ禍報道に些か飽きてきた感がある。少し変わった角度からコロナ問題を見るのもありかと思って選んだのが本書。たまたま著者と岩上安身氏の対談を聞いたのがきっかけだ。著者矢吹氏は1938年まれとあるからほぼ同世代、60年安保では国会議事堂正門前で樺美智子氏とスクラムを組んでいたそうだ。当時としては少数派だったと思うが学生時代から中国研究をはじめて、最初の就職先に東洋経済新報社を選び石橋湛山氏にも学んでいる。

隠れた中国研究者かもしれぬし、小生が知らなかっただけかもしれぬ。著者が特に何かを力説するような形では構成されず、著者が知り得た事実を淡々と積み重ねていく形での構成となっている。ここで紹介された事実関係は知らなかったことも多いし、認識違いを気付かされたことも多い。その意味では読んだ価値があった。その中から一つ紹介したいのが、「世界軍人オリンピック」なる言葉。

早速wikiで検索すると「第7回ミリタリーワールドゲームズ」なる競技会が昨年の10月に世界109ヶ国から9000人強の軍人が参加して、中国の湖北省武漢市で行われていたことが分かる。著者が指摘するのはメダルの獲得数、中国(239)やロシア(161)が多いのは不思議はないが、アメリカが8個と異常に少ないこと。大会終了後にアメリカ選手5人が「輸入性感染症(マラリア)」で入院。更にこの5人は他の選手とは別の専用機で帰国したことを指摘している。

武漢で入院していた病院の院長は彼らはマラリアに罹患したのでコロナとは関係ないと断言しているが、コロナの本当の発生源が武漢の海鮮市場であったとの仮説はまだ科学的立証に至っていないようだ。も一つ付け加えよう。いま世界中に蔓延している新型コロナウィルスと一口に言うが、遺伝子情報を解析すれば幾つかのパターンが有ることは多くの学者が指摘している。本書が引用したのが中国科学院ユイウェンビン氏チームの研究解析。

それに依ると(本書が脱稿したのは6月末)A=雲南形 B=米国型 C=中国湖北形 D=中国浙江形 E=米・広東形の5種類に分類している。これらは遺伝子配列に違いがあり、これが更に枝分かれして広がっているらしい。欧米で猛威を奮っているウィルス株はもう中国武漢で猛威を奮ったものとは別物になっている可能性が高いようだ。ワクチン開発が急速に進み多くの人がこれで救われるとの報道もあるが、遺伝子情報解析が完了しない段階でのワクチンにどれほどの期待ができるのか?

本書を読むほどに謎は深まるばかりであった。ただ一つはっきりしているのは、中国が武漢で発生したコロナ禍を抑え込んでいる事実。テレビやネットだけ見ててはいけないとしみじみ思った。

2020年10月22日木曜日

消費者ニーズに反する政策

 今朝の朝刊に「グーグルを米司法省が提訴」という見出しが踊っている。記事内容に目を通しても司法省が違法性を指摘する部分は「グーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」を搭載するアップル社のスマートフォンに、自社の検索アプリを標準設定させる取り決めをし、競争企業を排除したことの違法性を訴えている。」と書かれているだけ。グーグルは提訴を受け、ツイッターで「人々がグーグルを使うのは自らそう選んだ結果であって、強いられたからでもなく、ほかに選択肢が無いからでもない。今日の提訴は大きな欠陥がある」と反論した。

この記事を読んで意味が理解できる人は少ないと思う。意味が理解できぬまま読めば、(OS)「アンドロイド」を搭載することが違法なのか、自社(グーグル社)の検索アプリを標準設定させていることが違法なのか、その両方なのかも理解できない。仮に理解できても(OS)とか検索アプリの意味が分からない。今更スマホを買い換える気持ちもないからどうでも良いことだが、もし司法省の言い分が正しいとすれば、消費者にどのような選択肢が与えられることになるのだろうか?

スマホの購入価格が如何ほど安くなるか知らぬが、スマホを安く買えたとしても(OS)のインストールなんてそんなに簡単にできるのだろうか。間違っているかもしれぬが、日産車のボディーを購入して自宅でトヨタのエンジンを搭載して車として組み立てるに等しい仕事を強いられるようにも思う。今持っているスマホは「アンドロイド」搭載型だから問題ないが、パソコンのOSはWindows10だから態々グーグル社のブラウザChrome(クローム)をインストールして使っている。

いっそであればマイクロソフト社も予めクロームも初期設定に加えるようグーグル社と談合してくれれば有り難い。クロームはアンドロイドと同じくアメリカ司法省が指摘するように検索エンジンが一体になっている。これがこちらの嗜好を読み取って広告掲示をコントロールしていることは間違いないし、煩わしく思う人もいるだろうが重宝している人もいるだろう。何よりも広告主にとっては画期的なことで、これが広告界に与えている影響経済効果は甚大なはず。

全ては消費者ニーズが齎した必然だ。政治権力がこれに竿をさすのは馬鹿な話だと思うが、我が国の官房長官も米工司法省の動きを注意深く見守りたいなんて言ってるが、意味が分かっているのだろうか?デジタル化担当大臣が誕生して、憎き韓国への遅れを取り戻す決意の日本だが、全国紙朝刊でこんな記事の書き方をしているようでは、権力者たちがいくら力んでも実態の変化につながらないだろう。

2020年10月21日水曜日

心配の種

 幾つになっても願い事は無くならない。1日でも長生きしたいとか、今日も美味いものを食いたいとか、勝手で我儘だ。人間は誰でも同じかと思う時もあれば、自分だけ特別かもしれないとも思ったりする。日本だけでも1億人以上の人間が居て願い事の無い人間は居ないだろうし、それぞれの思いは微妙に違うことだろう。言えることは誰の思いにせよ、それは未来に関することであり、過去に関しては願いが叶わぬことをほぼ全員が理解している筈だ。

未来は明日であったり数年後であったりするだろうが、80年以上生きてくるとあまり先のことについては思っても仕方ない。従って取り敢えずは明日のことやら精々1週間程度先のことしか考えないようになってきた。歳末が迫ってきてるが、個人的には来年のことは考えないようにしている。しかし少しばかり偉そうに言うと、来年は日本だけでなく世界から新型コロナという疫病が収まってほしいし、各地で起こっている地域紛争による武力衝突が無くなることを切に願うものだ。

コロナに対しては我が国でも他国でも専門家が懸命の努力を続けているので、何れは収まると思う。収まりそうにないのが武力衝突で、こちらの火種は消えるどころか益々火の手が拡大しそうな気がしてならない。アメリカ大統領がトランプ氏からバイデン氏に替わろうとも、その影響が地球に平和を齎すことに繋がるか否かは極めて不透明だ。バイデン氏はトランプ氏のようにアメリカ1国主義では無いだろうが、かと言って思想を異にする諸外国と協調しながら世界平和を追求するほど善人との保証は見当たらない。

戦争の脅威の根本は武器開発の拡張拡大競争にあると思うが、この競争を演じてきた主な役者の主演級がアメリカ、ロシア、中国であり、ヨーロッパ主要先進国や北朝鮮、イラン等が準主演で、イランが来年にはかなり頭角を現しそうな雰囲気が出始めている。日本もよせばいいのにアメリカに引っ張られて準主演役者を演じる努力をしているかに見える。全く以て度し難い。地域紛争からできるだけ距離を取ることが危険から遠ざかることに繋がることが何故分からないのか?

昔から「生兵法は災のもと」と言われるではないか。武器生産者や武器商人からすれば主義や思想と関係無く戦争は商売の種。しかし大国同士がぶつかれば元も子も失う。だから地域紛争を敢えて起こすよう仕向けるのだろう。これまで見たことも聞いたこともなかった「ナゴルノ・カラバフ自治州」、これも知る人は知る古くから地域紛争の火種があった地域らしい。日本はアメリカの同盟国でいざとなればアメリカが介入して守ってくれると思っているが、ナゴルノ・カラバフ自治州の人もいざとなればアルメニアが、トルコが、ひいては欧州連合が守ってくれると思っていたに違いない。守ってもらっても戦争が始まれば地域の住民は悲惨なことになる。

2020年10月20日火曜日

理念と理想

 長い人生を通して集団のリーダーになった経験は、家庭を除けばほんの僅かしか無い。25年在籍した小さな広告会社で約7年強の間、支社長というという職責に着いただけである。しかもこの支社長、前任は役員であったが、何故か役員にはしてもらえなかった。そんなことは別に構わないが、管理職となれば約40人弱のそれぞれ職種が異なる人物を見る必要に迫られ、戸惑い覚えたものだ。

それまではずっと営業職一本槍の若造(39歳)で、敢えて自らチョット優れているかな思えることは酒の飲み方が上手いことだったかもしれぬ。酒には特に強くはないが、毎晩結構飲み続けていて客の前で乱れたことがないように記憶している。支社には当然先輩も何人か居て、その中の一人(女性)が所謂総務関係(経理と人事)を仕切っていた。支社長には営業だけ見させておけ、と東京の社長からの指示があったのかもしれぬ。

しかし2頭政治は社員の士気にも関わりそうなので、彼女に頭を下げて「経理に関して口は出さないつもりだが、多少人事とも関係するかもしれぬ会社として有り方については協力してくれ。」と頼んだ。まだパソコンも無い時代のことだ。頼んだことは唯一つ、これから毎日朝9時に全員ミーティングを開き、社員が日替わりで一言ずつ(長くても構わないが2分か3分、できれば5分以内くらいで)何でも好きなことを言う時間を設けたい。

この申し出に対して彼女は反対できなかった。その後7年の間に彼女の部下として新規に採用した女子社員は支社で決めさせてもらったように記憶している。まだ40歳にならない支社長にしては出来すぎだったとも思うが、小生自身も管理職の管理が何か、分かっていなかったのも事実。そこで友人に依頼してある製薬会社の経営コンサルタントをしていた先生を紹介してもらってマネージメントの勉強に励んだ。

長い指導を受けたが、要約すれば簡単なことだ。企業の最終目標は環境の変化に応じて生存し続けることにあり、リーダーの仕事は、1.年間、中期、長期ごとに高い目標を掲げること2.そこに向けてヒト・モノ・カネ・情報とされる経営資源を集中投下しなければならない。3.そのためには構成員全員に目標を理解させること4.これを反映する予算を編成して毎月結果を確認の上必ず原因分析を繰り返していくことの4点に尽きる。グループごとの会議は色々あっただろうが、支社の会議は月1回の原因分析会議のみ。

これを今思い出すと、何も中小企業に限った話ではない。政府だって同じことだ。リーダーが掲げた目標が前任者の政策を踏襲では、新しいリーダーの資格があるとはどう見ても言えない。大目標無くして中間管理職の大臣に細かい指示を出し、更にはその下の幕僚(官僚)人事にまで秘密警察みたい手法を駆使して介入したのでは清新な力が湧く筈もあるまい。

2020年10月19日月曜日

ブログの休日

 毎日ブログを書こうと思っていたのに、昨日一昨日と2日続けて休んでしまった。飽きっぽい性格なのかもしれぬが、土曜日の大雨のせいだったかもしれない。体内時計が変調を来し、何故かいつもの時刻にいつものように体が動かなくなってしまった。結局定例のテレミーティングにも遅刻したし、いつもならそれが終わるとすぐ寝るところだが、その後遅くまでネット碁をして時間割が狂い始め、それが日曜日まで尾を引いてしまったからだと思う。

昨夜は少し反省して早く寝てたっぷり睡眠をとったら体の調子も頭の回転も少し大分回復してきたような気分もある。また気を取り直してブログを書く日課に戻りたいが、昔そうしていたように週休2日程度のほうが良いかな、なんて勝手に思い始めている。頭も指先もそう器用に動かせないので、ブログに要する時間と体力がかなり負担になってきているようにも思う。

右側にアーカイブが表示されているが、このブロガーを使い始めたのが2009年4月で5月が13本12月になってやっと19本だ。2009年と言えばもう11年も昔のことになる。たまには自分のことを振り返ってみようと思って、このぶろぐの2009年10月分12本を読み返してみた。先ず読後感が2本も上がっている。最近では月に1冊の読後感も書けないことが多い。山歩きでは戸隠の高妻山に登っている。大変きつい登山だったことを今でもはっきり覚えている。

10月は季節の変わり目だから、孫が二人してインフルエンザに罹ったことも心配してるし、政治も民主党政権に代替わりしたばかりで、世相も何やら騒然としていた雰囲気も伝わってくる。最近のブログよりも遥かに読み応えがあるかもしれない。ある程度会社にいたせいかもしれぬが、会社にいたとしても個人会社だから、暇はいくらでもあったはず。それでも3日に1本程度だったのだから、素人の暇つぶしとしてはそのくらいが丁度良かったのだろう。

これを機会に少しペーダウンするかもしれない。

2020年10月16日金曜日

テレビ科学番組で「腸の話」

 昨夜いつものようにBS・TBS「報道1970」を観ていたが、30分ほど観ているうちに何故かつまらなくなってしまった。相変わらずの尖閣諸島を巡る中国叩きである。8時になったのでBS・フジ「プライムニュース」に切り替えたが、こちらも相も変わらぬ韓国問題のようだ。それこそ何度も聞き飽きた話で面白くない。そこでNHK・BSPに切り替えると非常に面白い番組に当たった。タイトルは記憶していないが人体に関する科学トークショウで「腸の話」だった。

出演者は司会がタレントの織田裕二氏で腸の専門医2人と京都の料理屋の女将さんと女性タレント(名前は知らない)の5人。内容をかいつまんで言えば、消化器官の一つである腸には脳と同じような独自の神経ネットワークが張り巡らされていて、その事に関する新発見が最近次々に明らかになってきているとのこと。そもそも生物は消化器官が先ず形成され、それが進化して遂には脊髄や脳などが生まれて人体が形成されたと信じるのが当たり前になりつつあるらしい。

これまで一般的には食物摂取に関する情報はすべて脳から発信されると思われてきたが、むしろ腸が先に情報を発している可能性があるとのこと。例えば腹が空いたとか、お腹がいっぱいとか、うまいとか、まずいとか。腸内の神経から脳へも行くだろうが、腸は今で言うAIと同じ働きでその信号を腸内で処理して脳からの司令を待つまでもなく、自らが処理して体内への吸収を阻止することも分かってきたとのこと。

何れにせよ、腸の神経は脳より先輩で、脳は他の機関からの信号も受け止め肥大化してきたので、聴神経に比べると雑念が多くなってドラ息子のようだとの説明があったりして非常に興味深かった。自分の経験からしても、日常の快食・快便ほど大切なことはないと思っていたので、我が意を得たりの思いで番組に見入ってしまった。お腹、特に腸に異常があって首相の職に耐えられなくなった安倍前首相はやはり当然だったかもしれぬ。

子供の頃、食い意地を張って欲張ると「腹も身の内だからいい加減にしなさい」と注意されたものだが、腹こそ身の代表とも言えるようだ。腸内神経細胞の他に「腹の虫がおさまらない」と言われるように腸内に寄生する微生物の存在も重要らしいが昨夜はそこまで話が進まなかった。日本人の腸が欧米人に比べて長いことは昔から知っていたが、植物を多く摂取する日本人は動物性食材が多い欧米人に比べて性格が穏やかであることは動物実験からも証明されているらしい。

ひょっとすればコロナ禍が外国に比べて少ないのもなにか関係があるかもしれない、なんて勝手に想像したりするが、腸内神経の解析はまだ始まったばかりのようで、今後どんなに発展するか、なまじの政治問題よりずっ興味がある。

2020年10月15日木曜日

茶坊主

 何故か分からぬが己にブログを書くことを義務付けているが、なかなか面白みのあることが思い浮かばないし、新鮮な言葉も見当たらなくて困っている。ところが数日前に届いていた応援している高校の後輩からのメルマガが非常に面白かったので紹介させてもらう。後輩と言っても高校時代は当然知らず、同窓会で知ったわけでもない政治家である。単に後輩ということと現役時代に縁が深かった農林省出身だったので、氏が当選早々にこちらから出向いて知り合った篠原孝氏(立憲民主)である。

当時応援を約束したが、氏の選挙区は長野1区でこちらは東京10区住まい。あまり応援は出来なかったが、長野市在住の弟夫婦はこちらから改めて頼まなくても氏を応援していることを知りホッとしたものだ。前書きが長くなったが紹介したいメルマガは「しのはら孝 メールマガジン600号【日本学術会議の6人任命拒否でボロを出した菅強権内閣】-20.10.13-」である。少し前にも書いたが、学術とは縁遠いので、昨今何かと話題の学術会議問題をテーマにすることは差し控えてきた。

しかし毎日のように学術会議の存在価値を批判する報道が続くので、不思議な思いでいたのも事実。なんでこんなにこの会議の存在を目の敵にせにゃならんのだろう?である。昨夜もテレビで櫻井よしこ氏なる学者ではないと思われる評論家女史が口を極めて罵っているのを観ながら思ったものだ。存在意義を肯定する立場で最もテレビ出演が多いのは元会長の大西隆氏だと思うが、氏の発言を聞く限り善悪の判断は別にして小難しいことを言わないのでので親しみを感じることができる。

大学の先生にしては珍しいと思って調べると、なんと専門が都市工学。小生が慶応に入学時の塾長が奥井復太郎氏で、専門が都市社会学。授業は受けたが、ゼミは当時の文学部1番の人気ゼミで参加するための試験まであった。従って当然参加できなかったが、授業は面白かった。余談が長くなりすぎた。

篠原氏のメルマガに戻ろう。氏が強調されている要点は幾つかあるが、先の安倍内閣以来、内閣府に霞が関の官僚からこれは思う人材をつまみ上げて内閣府に連れ去り手駒に変えている。こうなると彼らはもう官僚でなく政僚と呼ぶべきだ。更に、内閣は人事権を行使して多くの官僚を操ろうとしている。更に官僚以外の応援団形成のためやたらに会議とか審議会を拵えて己の発言の権威付けを計っている。即ち城の中を茶坊主で埋め尽くそうとの算段である。

久しぶりに目にした「茶坊主」辞書には「1.武家で茶道の事をつかさどった役。2.権力者におもねり、その威を借りていばる者を、ののしって言う語。」とある。

2020年10月14日水曜日

飯縄繋がり

 


昨日は早朝から快晴のハイキング日より。前から約束していた通り、娘(次女)と高尾山にハイキングに出かけた。新宿で待ち合わせ時刻を8時と決めていたが、大都市の東京はこの時間帯は既に通勤客でにごったがえし状態。いかにも暇そうな顔でリュックサックにストックなんか括り付けて満員電車に乗り合わせるのが恥ずかしいくらい。新宿発7時55分の特急に間に合ったので暫く立っていると、最初の停車駅明大前で目の前のサラリーマンらしい男性が下車したので、約1時間の道中殆ど座っていられ居眠りが出来た。

途中でふと目を開けると眼前に立っていた娘も向かい側の座席に座って居眠りしているようだったので一安心出来た。娘はハイキングの経験が殆ど無いのでコース選定に少し気を使った。結局往路は稲荷山コースと言う山歩き気分が満喫できて、山頂まで一気に登るコースを選び、復路は舗装された道路をのんびり歩くことに決めた。最初の5分か10分は少し急なので内心心配もしたが、結果は上々で娘もこちらを凌ぐ元気で文句言わずについてきた。

50分弱で中間点の休憩所に到着、約10分の休憩を挟んで更に約50分合計1時間50分弱で山頂に到達。富士山は見えなかったが、天気は相変わらず上々で気分がいい。平日なので人出もそれほどではない。普段だと外国人が半数以上占めるのではないかと思うが、時節柄外国語の会話は殆ど聞こえず。代わりに遠足できたと思われる幼稚園児と先生の声が大きかった。 

時間的には少し早いが山頂で持参のおにぎりなどで腹ごしらえ。ダイエット中と称する娘にもおにぎり1個を食べさせるが、買ってきた羊羹だけは駄目とのことで持ち帰った。復路は完全舗装の1号路で薬王寺経由で下山。高尾山は毎年のように来ていて、昨年も来ているが薬王院に寄るのは久しぶり、今年は長野の飯縄登山が出来なかったので、代わりにここで飯縄権現にお参りができた。娘も昔スキーに行ったことがあるので飯縄山は知っていてびっくりしたことだろう。

帰りは茶店でビール飲んだりしてゆっくりしたが、それでも千川の自宅に3時半ころ着いてしまった。しかしパソコンは立ち上げず、洗濯をして一風呂浴びてすぐ昼寝。7時前に起きて、帰宅途中に調達してきた弁当と缶ビールで夕食。娘に電話をして同行の礼を言うと、娘も存外満足できたようで何よりだ。これに懲りず、また行こうなんてことになれば望外の幸せと言える。

ハイキング詳細はいつものようにヤマレコでご参照願います。

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2646145.html

2020年10月12日月曜日

民族と宗教

 何日も鬱陶しい日が続いたが、夕方近くになってやっとお日様を拝むことが出来た。気温も大分上がってきたが今後はどうなることだろう。何れにせよ明日は娘と高尾山にハイキングができそうだ。

このところ旧ソ連の連邦国家で血なまぐさいニュースが続いている。例えばベラルーシ大統領選の不正問題、続いてはアルメニアとアゼルバイジャンの領土紛争、ウクライナとの領土問題。なんて言われてもそれらの国が何処にあるのか分からないのが本当のところ。中国も国内に多様な民族を抱えて、チベットとか新疆ウイグル自治区とか、日本で報道されていないトラブルには事欠かないのだろう。アメリカにも似たようなことがありそうだ。

そういうことからすれば、ロシアは連邦国家を廃止してそれぞれが独立国になった訳だが、それで全員がハッピーになったかと言えばそうでもないらしい。多民族国家の経営は大変難しそうだ。日本は単一民族とは言い難いのだろうが、神道にせよ仏教にせよ他宗教に寛容な宗教が主流であるが故、宗教を中心に据えた集団が少ないので比較的平和が保たれている。

政治に絡む最大の宗教集団は創価学会かもしれぬが、これも仏教団体だから良しとすべきなんだろう。今日は帰宅遅くなったので中途半端であるがここまでにする。明日はハイキングの予定なので休みにします。

2020年10月11日日曜日

日本の将来?

 世相を知る上で「トリキ錬金術」ほど悲しくいじましい言葉を知らない。先週来テレビで大々的に取り上げられているので大方の方がご存知かと思う。最近始まった Go Toイートを使って、使って多分300円均一の居酒屋かと思われる「鳥貴族」なる店に予約を入れる。すると千円のポイントか食事券が貰えるそうだ。そして入店後に1品だけ注文して出てしまうと、差額の700円が儲かるとのこと。

店からも泣きが入ったのだろう、主催の農水省が参加店舗に対し「Go Toイート利用の際は、注文に最低でもこれ以上といった制限を設けてください。」と声明を出す始末。余りにいじましい話なので冗談かと思ったが、どうもそうではないらしい。実際にそんなことをしてまで食費を捻出する若者が結構居たらしい。昨日いつもの同期生とリモート茶飲み話をした際にこの話が出た。日本はこの10年ほど給料が全く上がっていない珍しい国とのこと。

リタイアして長いので実感が無いが、特に若い人の暮らしは本当に大変らしい。そりゃそうだ、我々現役時代に普通の会社に非正規の社員なんか殆ど居なかったが、現在はどこの会社でも非正規社員が3割程度は居るとしたものらしい。数年前に森永卓郎氏が「年収300万円時代を生き抜く」とか言う本を出して評判になったが、今や300万円どころか年収200万円で暮らさなきゃならぬ人が大勢いるとのこと。

安倍政権以来、失業者が減って完全雇用の世の中が実現しているようなことが喧伝されているが、完全雇用の実態が「トリキ錬金術の流行ではシャレにもならない。昨夜のリモート茶飲み話に参加したのは小生を含めて5人。小生を除くそれぞれの現役時代は、三菱電機、日立製作所、ホンダ、電力中央研究所と日本産業の中核をになっていた錚々たる人材。勿論海外の事情にも詳しい。そのうちの一人がこう言った「昔日本は貿易立国だったよね。」それが今は惨憺たる状況にあることを、それぞれが実例を上げて話しだした。

自動車屋の元ホンダ社員が言う。「先ず鉄鋼もだめ、運ぶ造船もだめ、自動車もだめ、電気製品もだめとなると、これから日本は何を売って外貨を稼ぐのだろう?」そんなことは小人の典型が知るわけもない。彼が続けたのは「そこで観光に目をつけたわけだが、これもコロナで全滅だ。」観光については学生時代に志賀高原で山小屋の番頭をしていたから、ある程度は理解できる。観光産業なんてものは農業と同じ労働集約産業で最たるもので、コロナ禍が無くても日本の基幹産業にはなり得ないことははっきりしている。

携帯電話料金を国策として下げさせても、それで大きな産業が興隆するとはとても思えない。誰かなんとかしてほしいが、教育も学問も遅れ始めるとその誰かはどこから現れるのだろう?

2020年10月10日土曜日

番記者

今年はまだ日本列島に上陸した台風は無いとのことで、今度の14号も直撃は無いらしい。しかし大分前から影響が出て長引いているのが嫌らしい。同じように嫌らしい状況が長引いているのが、国会が開かれない不正常な状態。これで内閣を非難するのは当たり前すぎるので面白くない。むしろ国会を取り巻くジャーナリスト側の対応の不味さ、メディア側のだらしなさを責めたい。

先ず、首相が就任したのが先月16日だから既に1ヶ月近い。この間正式な首相記者会見は行われていないが、首相はグループインタビューなるものを何回か行っている。会見とインタビューとどう違うか不思議に思ったら、前者は内閣記者会に登録されている番記者(60人ほど居るらしい)全員が参加できるが、後者は三社の代表が指名されて予め質問内容を提出し、それに首相が答えているらしい。

新首相は長年官房長官として記者会見を行ってきたので、記者会見が得意かと思っていたらどうもそうではないらしい。官房長官記者会見はなるほど予め準備したことだけアナウンスすれば済んできたわけだ。だから菅氏は本質的に記者会見は性に合わないらしい。代わりに菅氏は小技と言うか、個別の根回しは得意らしい。頻繁にメディア関係者や報道記者と個別に会って、詳細に色付けして、好みに合わない者を遠ざける習性があるようだ。

裏方として仕事をする者にとってはこういった配慮が時に必要であるかもしれぬが、トップリーダーに自らが断固たる意志でこれを実行したのが今回騒動になっている学術会議事件だ。しかし今日はテーマが違うのでこれは措いておく。問題は取材する記者の側だ。前首相には番記者として活躍していたTBSの記者山口敬之氏が安倍氏をヨイショする本を出版したりしていたが、結局婦女暴行事件容疑者として逮捕直前まで行った。またNHKの番記者の岩田明子氏がべったりだったのも多くの国民が記憶している筈だ。

菅氏は番記者に対して土曜日の朝にオフレコ会見してやると申し入れた。場所は原宿の有名パンケーキ屋。記者本音の話を聞くことができると喜んだかもしれぬ。記事に出来なくてもそれなりに突っ込んだ質問ができればめっけものだろう。しかし、これも一種のポーズに過ぎなかったようだ。そもそもオフレコ会見なんて事自体がこんなにオープンで行われることがインチキ臭い。これが菅氏主催の食事会だとすれば、参加しなかった新聞社が朝日、東京、北海道だったか3社ほどあったらしい。結果がどうなるか、今後の報道を見ていかねばならぬが、ジャーナリストたる者、ミイラ取りがミイラにならぬよう気をつけて貰いたい。 

2020年10月9日金曜日

右翼内閣

 ここ二、三日朝晩暖房を入れている。今日も終日雨で、一日中室内電灯がつき放しになっている。昼間は少し歩いて体を温めてきたので流石に暖房を切ったが、そうしなければ終日つけていたかもしれぬ。百貨店にはおせち料理のサンプルが並び、保険会社から控除証明が送られてきてすっかり年末気分になってしまう。何れにせよ、本格的に寒くなるのはもうすぐの事だ。暑いのも嫌だが、寒さにも弱い、困ったことだ。

先週の金曜日には奥多摩にハイキングに行けて、今年の山じまいと思っていたら今週の頭に次女から電話が掛かってきた。孫が週末の筑波山行きを断ったのをそばで聞いていて、爺さんが少し可愛そうになったらしい。「彼は丁度学校が始まってしまって付き合えないのだけれど、代わりに私が付き合ってあげる。」と有り難い申し出。次の休みが13日の火曜日とのこと。孫であれば筑波に行っても平気だろうが、日頃座り放しでお勤めの母にはチョット大変そうだ。

手なことで1,13日は台風も行ってしまいそうなので高尾山に行くことにした。小生には山歩きのボーナスが出たようなものだ。

閑話休題:小生からすると最も縁遠い学問の世界。日本学術会議なる存在を今回の騒動で初めて知ったくらいのものだ。もとから馬鹿だから、昔から頭のいい人は尊敬してきたし、長じてからも学者先生には大いに敬意を払うべきと思ってきた。べき論でなくても、学者先生の素人向け講演など聞く度になるほどと思い、たまにその著書など読んでいたく感心したりするのが常である。特に講演は理系の先生が面白く、文系の先生は活字でも楽しめる。

今回首相から特に意地悪されたのは文系の先生が多いようで、何でも思想が内閣の意に沿わないのが気に入らないらしい。ことの始まりは安倍内閣時代かららしいが、いかにも彼らがやりそうなことだ。案の定、日本中の学者、学会やら文化人から総スカンを食っている。中には首相の母校法政大学の田中総長の抗議文まで公表された。ざまー見やがれと思っていたら、なんと外国のメディアや科学者団体、挙げ句の果てに科学誌の「ネイチャー」まで批判を展開しているそうだ。アメリカの右翼内閣はコロナで天罰が下りそうだが、日本はどうかな?

2020年10月8日木曜日

日米同盟だけか

 父はよく酔うと笑いながらではあったが「私は超保守主義だ(ultra conservative)」と話していた。だから保守主義が悪いとは思っていないし、友人も圧倒的に政治的には保守的な人が多い。父は昭和20年代の長野県で役人をしており、革新系の知事のもとで冷や飯を食わされていたので、悔し紛れに超保守を自嘲気味に言っていただけで、共産党は嫌いだったかもしれぬし、戦後の革新かぶれも嫌いだったろう。

しかし、行政官でありながら戦後は外地で捕虜となり2年近い抑留生活を経験しているので、戦争だけは絶対してはいけぬと思っていた筈だ。父と戦争や政治向きの話をしたことは殆どないが、何故か確信を持って父の考えが分かる気がする。何故なら自分自身の行動様式が昔から父に似ているところがあり、考えも父だったらこう考えただろうと分かったつもりで居るわけだ。

当然現在では父の考えと違うであろうことも多い。一番違うのが支持政党かもしれぬ。前述のように超保守を自称していた父は、政治的には圧倒的に自民党を支持していた筈だ。小生の場合は少し異なる。50歳近くなってそれまで投票していた自民党に投票するのをやめた。これは亡き妻の影響かもしれぬ。妻が旧民社党系区会議員の選挙を手伝い出したのがきっかけで、こちらも少し政治に関心を持つようになり、それ以来気持ちが段々自民党から離れて現在に至っている。

だから友人の集まりでは政治的に圧倒的マイナーである。と言っても超保守主義ではないが、生来が保守的思想が強いので現在の野党に不満は沢山持っている。それは取り敢えずおいて、自民党に対する不満の最たるところは安全保障関連に尽きるかもしれぬ。国家にとって安全保障問題が最重要課題であることは十分理解できるし、国際環境が決して楽観できるものでないことも分かっているつもりだが、それにしても日米同盟一辺倒が気に入らない。

同盟関係が平等であればまだしも、ヤクザの親分子分であるまいに、どう見ても単にアメリカに従属しているだけで何の自主性も感じることが出来ない。今のところは日本人兵士の血は流れていないが、ズルズルと戦争に引きずり込まれていくのが目に見えている。自衛隊を軍として憲法9条を変更してもいいが、他国に引きずられて戦争してはいけない。

最近歴代の防衛省関係者がテレビに出たりして威勢のいいことを言っている。しかしい聞いていると結局はすべてアメリカの受け売りばかりで、菅首相が言うように我が国を俯瞰的に見て本当の安全保障とはなにか、真剣に検討した結果が聞こえてこない。イージス・アショアを取りやめたことは英断だと思ったが、何のことはないアメリカに代替案を出す必要があるとのこと。どこまで行ってもアメリカのためであり、真の国防とは遠く見えて仕方ない。

2020年10月7日水曜日

殿ご乱心

 最近聞かなくなったが、一時インフルエンザ治療薬のタミフルの副作用で、子供が急に走りだしたり、飛び降りたりするなどの異常行動が後を絶たない事が大きく報道されていたことを思い出す。昨日のアメリカトランプ大統領の退院のニュースである。新型コロナ感染後、ワシントン郊外にある軍の病院にわずか3日間入院しただけで脱走同様な形で退院を強行したらしい。昨日からニュース速報されると同時に今日まで世界中で話題が持ちきりだったろう。

主治医までが退院できる状態でないことを明言している。さもありなん、であるが、問題は劇的に回復傾向にあるのは良いとしても、言動が異常すぎることだ。特にマスコミが問題視しているのは「退院から一夜明けた10月6日、民主党との新型コロナ経済対策を巡る協議を11月の米大統領選挙後まで停止すると発表したこと。ツイートでの発表ながら株価にまで影響を与えたようだ。彼は何が何でもコロナに打ち克った姿勢を演出する必要に迫られているのは理解できるが、他人への迷惑を一切考慮しないこの様子はどう見ても尋常じゃない。

軍の病院では大統領の事情も考慮しただろうから、できるだけ効き目の強い薬剤の投与も躊躇しなかったようで、中には未承認の薬剤も含まれたらしい。日本の医師による解説を聞くと、ステロイド剤を含む薬剤の中には一種の興奮作用をもたらすものがあるらしい。小生にもいろんな友人がいて、中には37度台の熱は熱のうちに入らない、なんて強者もいる。しかし退院したいから神経亢進剤の処方まで望む者はいないだろう。

しかし軍隊という組織は本来兵士に人間同士の殺し合いをさせるために作られているもの。戦場に赴くためには神経中枢を麻痺させるモルヒネは勿論のこと、いざという時に備えて麻薬と同じ興奮剤も携行させるそうだ。トランプ大統領が3日間の入院中に如何なる薬剤が投与されたか明らかでないが、報道を見る限り退院後の行動は明らかに異常を感じる。冒頭に書いたタミフルの副作用ではないが、大統領の行動が薬剤の副作用でないこと祈りたい。

殿のご乱心では日本の殿についても書きたいが、長くなりそうなので今日はは一旦ここで終わることにする。

2020年10月6日火曜日

末は博士

 子供の頃に親や先生から「少年よ大志を抱け」とか「末は博士か大臣か」なんてよく聞かされたが、「てやんでぇ、俺は関係ない。食えればいいだけ」と腹の中でせせら笑って受け流していた。今でもそうだが、どうしようもない悪ガキだったのだ。似たような悪ガキは多かったろうが、真面目に博士や大臣を目指した人も少なくなかった筈。今になって反省しても手遅れだが、数日前に昨年ノーベル賞を受賞された吉野彰博士がどこかに書いておられた記事を見て些か心配になってきた。

詳しく調べていないので具体的な数字は書けないが、現在先進国では博士号取得者が増加傾向にあるのに、日本だけはピーク時からみて半減しているとのこと。欧米先進国は勿論だが隣の韓国に比べても大分見劣りし始めているようだ。

本論に入りたい。少なくなってきているとは言え、日本にはまだ優秀な科学者が居るのは事実だろう。今年もノーベル賞を受賞するのではと予想された人が数人いたのは知っている。

しかし残念ながら昨日発表された医学生理学賞は米国立保健研究所(NIH)のハーベイ・オルター氏ら米英の3人に贈られることが決まった。業績はC型肝炎ウイルスの発見で、血液検査や新薬の開発への貢献である。以下はこのことに関して本ブログでも何回か取り上げた、生物学者福岡伸一氏が今朝の朝日新聞に寄せた記事の引用である。

以下引用:

「コロナの早期解決という幻想 福岡伸一が見るノーベル賞」

病原体の確定には「コッホの三原則」というものがあります。まず原則その1は、患者や動物からその病原体が見つかること。原則その2は、その病原体だけを取り出し、単一の実体があることを確かめること。そして原則その3は、取り出した病原体を健康な動物に接種したとき、同じ病気になり、再び病原体が検出されることです。これが実証されないと、本当に原因病原体とは言えないわけです。いま流行している新型コロナウイルスについても、コッホの三原則に基づいて考えなければなりません。

遺伝子研究の技術は大幅に進んでいますが、一つのウイルスを突き止めてその正体を明らかにし、薬が開発されるまでには、長い時間が費やされることがわかります。新型コロナウイルスに悩まされているいまの私たちも、「年末までに」とか「来年までに」という解決は幻想です。新型コロナウイルスがインフルエンザウイルスのような身近なものに変わるまでにはまだまだ時間がかかる。そのことをこのC型肝炎の研究の歴史が教えてくれています。新型コロナウイルスに対する研究も、長いスパンで対峙していかなければならないことを覚悟する必要があると思います。:引用終わり

2020年10月5日月曜日

健康オタク

 コロナパンデミックのせいかどうか、今年はインフルエンザ予防ワクチンの摂取通知が早く来た感じがする。昨年は10月25日に摂取していたが、折角通知が来ているので週明けの今日早々に行ってきた。序に8月24日に受けた健康診断結果の解説も聞いてきた。検査当日、血圧測定結果を聞いて少し不審に思ってもいたからである。その場で余程「先生、測り間違いではありませんか?」と聞きたいくらいの数値、上が148で下が80とこれまで聞いたことのない数値だった。

案の定先生は検査結果を見ながら「血圧が少し上がっていますね。」とのこと。「私も不思議なんですよ。今までに聞いたこともない数値ですから。」と受けると「お家で毎日測っていられますか?」と聞かれた。「いえ、一度も測ったことはありません。」てなことで測り直してくれた。結果は上が120で下が72。何のことはない例年通りの数値だ。いつも思うのだが、お医者さんもいろいろな計測が随分デジタル化しているのに何故か血圧測定だけはアナログから脱しないのが不思議でならない。

悔しかったら自分で血圧計を買ってきて測定すれば済むのだろうが、ケチ故にそこまで踏み切れない。なんと言っても我が家にある体温計すら電池切れのまま放置されている。体温計用の小型電池については時々思い出して、スーパーやコンビニでチェックする時はいつも品切れである。体温計こそアナログの水銀式が望ましいが、世の中なかなか思い通りにはいかぬものだ。もう一点気になっていたのが最近1年おきになったため昨年は無かった心電図測定結果。これも特段問題は無かったので一安心できた。しかも今年はコロナ禍のお陰インフルエンザワクチンも無料がありがたい。

先日友人に聞くと、真夜中に40℃を超す高熱で掛かりつけの大学病院に飛び込んだら、すぐにコロナの感染チェックに回されたそうだ。結局結果が出るのを待つ1時間半ほどで熱が下がったし、結果も陰性だったのでそのまま帰ってきたとのこと。高熱の原因は今年の2月膵臓がん手術の後遺症だったらしい、しかし、この検査で4万円ほどの掛かってしまったとのこと。最近のテレビにはコロナ検査の宣伝広告が出現している。それによると9千円から3万円と書いてあったように記憶するが、病院によっては4万円もするらしい。

兎に角、町のお医者さんにも朝早くからいろいろな人が詰めかけていたが、大部分は高齢者。中には検査を受けるための人もいるだろうが、看護師さんに長々と何やら訴える人、忘れ物を指摘されて家に取りに戻る人など様々だ。特に高齢者には健康維持は切実な問題。世界最高の医療水準を持つアメリカの大統領でさえ感染症には敵わない。妻からは健康オタクとからかわれていたが、今でも日頃の自主管理が重要と思っている。

2020年10月4日日曜日

新内閣とマスコミに言いたい

先月内閣が代替わりしたが、新しい政府は以前と変わる新鮮さが感じられないどころか、前内閣に輪をかけて悪くなっている感じさえする。普通に考えれば新内閣は前について十分な検証を行って、良いところは継承し、改めるべきは改めるとするところだ。皆さんいい大人だから言うのも憚られるが、人間は常に過ちを犯すから反省がとても大事であることはご存知のはず。

ましてや新旧首相は昔から極めて親しい間柄で、体調不良を理由に座を譲った前総理は何故か非常にお元気な様子。改めて相談してもいいから反省すべきこと、無理があったことなど十分打ち合わせた上で方針を示すべきだ。当事者のお二人はボケ老人の指摘を待つまでもなく十分相談しているかもしれぬが、菅首相の新方針は少し酷すぎる。デジタル化の遅れを取り戻すためにデジタル化担当大臣を設けてデジタル庁新設を打ち出した途端に東証のシステムダウンが発生したことなどまるで笑い話だ。

国内で所信表明をする前に国連での演説でオリパラ開催について何が何でも開催と宣言してしまった。2月にギリシャで行われた採火式の際も書いたように、開催が危うくなってきている時に希望に基づく観測だけをもって事を進めては禄なことにならない。昭和16年の夏に行った総力戦研究所の若きエリートが出した結論、即ち<日本必敗>は時の東條内閣によって無視されたことは猪瀬直樹氏の「昭和16年夏の敗戦」で余りにも有名なので詳細は割愛するが、先の大戦と同じ轍を踏んでる。

東條首相は敗戦の責任を絞首刑で償わされたが、来年開催される予定のオリパラに莫大な費用が費やされ、挙げ句にまともな形でなかったら、誰がどのような責任を取るのだろう?そこだけははっきりしておいて貰いたい。

携帯電話料金を下げることも新内閣の目玉政策のごとく喧伝される中、NTTがNTTドコモの子会社化を発表している。これも電電公社の分割民営化と真逆の国有化方針であり、旧来の陋習を破ることを掲げていることと全く整合が取れない。更に先週末に新内閣は日本学術会議委員新メンバーを6名を承認しなかった。学術会議側はまだ納得しないで再考を求めているようだが、これも言語道断の言論の自由圧殺に他ならない。

誰が考えても非常識なことが行われているように思うが、マスコミは世論調査で新内閣の支持率が高いことを盛んに報じる。菅氏は週末に内閣記者会との食事会を開催したが、朝日と東京は、懇談ではなく記者会見を開いて日本学術会議の人事拒否について説明を果たすべきだと抗議して欠席したそうだ。こんな時こそ記者会は一致した行動が取れれば良いと思うが、どうもそうはいかぬらしい。いっそ学術会議委員全員が辞表でも出すべきだろう。 

2020年10月3日土曜日

念願が叶った

昨日は念願かなって8ヶ月ぶりで奥多摩にハイキングに出かけた。10月に入ると東京都民にもGo Toトラベルが解除されたので、週末に長野まで出掛けて故郷で最も愛する飯縄山にでも行こうかと思ったりしていたが、いきなり飯縄山は無理かもしれないと思い、先ずは都内の山でトレーニングをすることにした。取り敢えずは高尾山辺りかと思ったりもしたが、もう少し足を伸ばして奥多摩の大岳山(おおだけさん)に目標を設定、平日の金曜日は少しアクセスが面倒だが、早起きすれば良いだけだと前日は8時前に就寝して4時前に起きた。

山に行きたい気持ちはずっと持ち続けていたが、実際歩けるかどうかは別問題である。奥多摩の山では最もポピュラーで歩きやすい山であるはずと思いこんでいるが、記憶がどこまで正確であるか分からない。天気だけは間違いなく良さそうなので、兎に角行けるところまで行って具合が悪かったら引き返すまでと決めて、朝5時に家を出発。途中行きつけのコンビニで飲料、昼食のおむすびと若干の行動食を調達。松屋で朝食に牛丼を食べて新宿発6:12の中央線で出発。

立川で青梅線乗り換えるが、どちらも座ることが出来たのでマスクを着けて大人しく御嶽駅まで、ここからケーブルカーで標高800メートルを超える地点まで一気に運んでもらえる。先ずは御嶽神社にお参りして目標を達成して無事の帰還を祈願の後、神社を9時に出発して大岳山を目指す。後で思うと、大岳山登山を目指す人は殆ど行きに参拝はしないものらしい。従って登山道は既に人影がなく閑散としてやや冷たいくらいの秋風が吹いていた。

ケーブルカー終点には紅葉まつりの幟が何本も立っていたがさすが都内の山だけに木々は全く色づいていない。御嶽神社から約1時間はストックが不要できれいに整備された山道が続くが、後半の1時間は逆にストックを持てば危険なくらいの岩道が続く。極端に言えば四つん這いになって這い上がるとも言える。前に来た時は確かストックを使用したように記憶していたが結局ストック無しで11時に山頂に到着。当然ながらケーブルカーに同乗していた大部分の人は既に到着していて、早い人は食事も済ませた様子。

ケーブルの山頂駅から約2時間半で山頂に到着できたことには大満足。そもそも山頂に辿り着けるかどうか心配していたのだから。この分で行けば、来年春に孫と約束している筑波山も行けるだろう。しかし問題は帰り道で発生した。帰りも危険な岩場を無事通過、平になったのでストックを用意すれば良かったのに、帰宅して洗うのが面倒だし往路も無しで来られたのだからと、無しのまま歩き続け、もうすぐ御岳神社というところでやはりアタックされた。やはり身体は正直だし年齢は偽れない。



山行録はいつものようにヤマレコにアップしていますのでご参照願います。

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2617299.html

 

2020年10月1日木曜日

変わること、変わらないこと

 また月が変わって10月1日だ。会計年度の後半に入るので社会的には細かな変化が色々あるらしい。酒税が変わってビール料金が安くなる一方でワインが値上がりするとか、煙草の料金が高くなるとかあるようだが、こちらにはほとんど関わりないことだ。むしろ昨日届いたインフルエンザの予防接種の料金が無料となっていたので少しびっくり。これはコロナ禍の影響を受け年寄りは無料としたらしい。昨年は10月25日に接種した記録が残っているが、確か2千数百円払ったと思う。

ともあれ、自然は不思議だ。地球の自転と公転が如何なる理由に基づいているか理解できていないが、その歩みはずーと昔から変わっていないに違いない。しかし感覚的には日月の歩みが遅かったり早かったりする。このところ毎日が似たような日が続いたせいか、正直なところ「え、もう10月か」との思いがあるが、旅に出掛けたかった人からすれば、やっと10月が来てくれた、との感があると思う。余命が短くなっている年寄からすれば時は足早に過ぎて行くのが当たり前。1日を大事にしなければいけない筈が、どうもそうなっていないようで残念でもある。

唯一考えるのが、毎日できるだけ美味いものを食いたいことぐらいか。とは言っても食い歩きできる範囲は限られているから、そう毎日新しい発見はありえない。それでも行きつけの店のメニューに新しい項目を発見したり、同じビルの違う階に気が付かないでいた店を見つけたりすると嬉しい気分になったりする。昨日も行きつけの店を出てふと見上げると5階にちゃんこ料理店の看板が出ているのに気がついた。未だちゃんこ鍋の季節ではないが、これまではちゃんこ鍋が食いたくなると態々蔵前辺りまで出掛けていたので、寒くなったら一度と思い、帰宅してネットで調べると料金が高くて年金暮らし向きではなかった。

何れにして、ここまで来ると冬は目の前、デパートにはおせち料理の広告が大きく張り出されている。この冬がどんな冬になるか、想像が難しいがこれまでとはかなり違った冬になることも多いだろうが、変わらずにいけることはなにか、そろそろ考えてみなくてはなるまい。