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6月, 2011の投稿を表示しています

急がば回れ

俚諺に言う「急がば回れ」は、「目的に向かって一直線に進むのではなく、道筋をよく見極め一歩一歩確実に歩める道を見つけなさい。」の意味だろう。当然ながら、何事も着手前に考えなくてはならない事は多い筈で、そこでの慎重さを警告しているに違いない。もうこの歳になると急ぎの用事は殆ど無くなる。何をするにも動作は緩慢になるが、おっちょこちょいである事は無関係で、生来の悪い癖はなかなか抜けてくれない。
たまたま昨日今日と毎日新聞社主催の囲碁本因坊戦が行われている。闘いは二日に亘るので、現時点で勝敗は決していない。囲碁が好きなので、ネットで時々進捗を覗くのだが、囲碁と言うゲームは小生のようにおっちょこちょいには真に不向きなゲームだとつくづく思う。戦っている棋士二人もそうだが、囲碁界で活躍するトップ棋士の殆どは20歳30歳代の若者だ。皆可愛い顔をしているのだが、一手毎にまるで高齢の坊さんか哲学者のように、長い時間黙り込んでじっと盤面をにらんでいる。

おっちょこちょいから見ると何を考えているのだろうと思うし、自分が少し考えてみても、ものの5,6分よくても10分も考えれば先を読めたと思ってしまうのが常。ところがプロの棋士が考える事は、皆殆ど同じらしいが全く次元を異にするらしい。後からプロ棋士の解説を聞くと「なる程」と思い当たる事ばかりだが、目前の危機と次の着手によってもたらされるであろう相手の着手を想像し、且つそれがじぶんを少し有利に導くのか少し不利に導くかを考えるらしい。それを先の先まで頭の中に碁盤を置いて考えるようだ。
言えば簡単なようだが、互いに3手ずつ先を読むだけでもその変化は膨大になり、普通の小父さんではとても真似できない。結果的に着手を見て「な~んだ、俺が考えた手と同じではないか」と言う事もないではない。しかしそれは大違いである事が段々分かってきた。プロはアマと異なり、実際にはずっと先まで読むので、彼らの頭の中でその変化図(盤面全体らしい)が、時の依っては幾千通り(もっとかもしれない)もコンピュータのように処理されているとされている。同じ人間だから彼等のように考えてみたいのだが、凡人にはとても無理なようである。
後に解説に依ったり、或いは自分で考えても、1局片方だけで言えば、約百手前後の手数の中でプロと言えどそんなに奇抜な手は殆ど無い。只選択肢が多い場面で、プロは決して焦らず、「急が…

生かじりの「新陳代謝」

歯を抜いた後が日毎に痛みが引き、食事も少しずつ味が分かるようになったし、抜けた穴も少しずつは小さくなっているようだ。抜いた歯は戻らないにしても、改めて身体の再生力に驚異を感ずる。本屋で原発事故関連の本を立ち読みしていたら、人間の身体は60兆からの細胞からなっていて、その細胞が日々新陳代謝をしていると書いてあった。へえーと思ったので、ネットで更に詳しく調べてみ下記の文章にが見つかった。
>人間は生きた細胞の集団です: 60兆個 >毎日約20%(15兆個)が死んで、毎日これを補っているわけです。 >早い細胞(腸管粘膜細胞)は1~2日で脱落死亡、長いもので一生(脳細胞は3歳頃>まで増殖しその後は全く増えず生き続け10代からは減少するのみ)生き続け、人間>を支える硬い骨でさえ数ヶ月で全部新しく置き換わるそうです。
ここから類推すると、60兆の細胞が全て新陳代謝する訳でも無さそそうだが、歯茎も顎の骨は多少傷がついても、どうやら日が経てば少しは再生しそうだ。別な事だが、脳細胞は3歳頃以降は増殖しないと言うのも少し気になる。集中力や記憶力なんて事は別の問題になるかもしれないが、勉強が出来る出来ないは何れも先天天性のものと、何時も僻んでいるが、ひょっとすると何か関係があるかもしれない。
人間だけではないだろうが生き物って不思議だ。身体の細胞の数をどのようにカウントしたのかも不思議だし、何でも最初は1個の細胞から生命が生まれるらしい。それがお母さんのおなかの中で、分裂を繰り返し1個から2個、2個から4個・・・となって生まれてくる時は60兆個になっていると言う事だろうか。人間の形になってからも、毎日その20%の12兆個が死んで新たな細胞が生まれるなんてとても信じられない。立ち読みした本には、年寄りはこの新陳代謝不活発になり、若い人はこれがもっと活発だと書いてあった。きっともう小生なんぞは死んでいく細胞の数は同じでも、再生する数がどんどん減っているに違いない。
細胞が1個から分裂して増殖していく過程は、例のDNAの二重らせん構造の紐が分裂して、全く同じ相方の紐が自動的に生まれる事の繰り返しのようだ。しかしどこかの時点で、指なら指、目なら目といったパーツを形成する細胞が自然に出てきて、しかもそれが全て個性(全く同じ人間は存在しない)を持っていると言うのだから不思議なんてものじゃ済まない。高校時代生物…

酷暑の予想・夏の計画(遊び)

今年も昨年同様の酷暑になりそうとの予想が結構多い。その所為か、昨日婆さんが丈の低い小型の扇風機を買ってきてくれた。小生就寝中にエアコンをつけるのが嫌いなのを知って、寝る時枕元に置けばいいとの事。お優しいお心遣いに感謝感激だ。しかし、昨夜は東京でも毛布が必要なくらい涼しかった。今日は幾らか気温が上がっているが未だエアコンつける程ではないので、活躍するまでには少し間があるかもしれない。
何れにせよ間もなく7月、何処かで梅雨も明けるだろう。梅雨が明けたら早速何処か山に行きたい。昨年の海の日がらみの連休には完全に梅雨が明け、針ノ木小屋に泊まって北アルプスを堪能した。今年は最近よくご一緒する整体のお兄さんの誘いもあり、剣岳に行く事にした。天気の方が昨年同様よくなる可能性は無いが、整体のお店を休業する必要もあるので18日からの3日間と言う事でスケジュールを固めた。
同行のお兄さんは17日の夜行バスで入山と言っているので、それだけはご遠慮して、室堂で待ち合わせと言う事にしてもらった。ところが、室堂は既にヒュッテが満室で予約が入らない。辛うじて雷鳥沢ヒュッテに予約が取れたのでほっとしている。一昨年の連休は梅雨明けが遅れて、針ノ木の雪渓だけは登ったが、翌日峠の小屋から撤退してしまった。今年もそんな事にならないとは保証できないが、北アルプスの空気だけ吸って帰ってくるのも悪くない。
その前に何処かで天気のチャンスを見つけて五龍岳を片付けたいのだが、歯医者の予約や何かが細々とあって、晴れ間を見つけても上手く行けるかどうかは分からない。剣の後にすればもう既に8月、考えてみればと山の夏は短いものだ。そうではなくて、こちらに残された人生が短いので、焦る気持ちがあるだけかも。どっちにしても昨年諦めた五龍岳はこの夏に必ず行くつもりだ。考え始めると他にも行きたい山が出て来て切りがない。考えるのは自由で楽しいが、実際に動けるのは月に一度が良いところだろう。
夏山に関連して、先日NHKで衝撃緩衝材を入れた帽子を取り上げていた。雪渓を登ったり崖を登ったりするとき、最近はヘルメットを被っている人を見かける。スキー場でさえヘルメット姿が多くなっている。正直なところ小生も被りたいのだが、恰好が悪いし、「そんな大げさな」と馬鹿にされそうに感じて、もちろん敬して遠ざかっている。しかし野球帽の下に緩衝材パッド入りの帽子があれ…

超常現象

未だ真夏にはなっていないが、超常現象について思いがよぎった。昨日早朝、全く突然に、婆さんが一番仲が良かった従姉の訃報がもたらされた。何かにつけては電話し合って互いの家庭事情もよく理解し、亡くなった方がお箏の師匠をされていたので演奏会には必ず足を運んでいた。婆さんもさすがにびっくりした様子で、しばし呆然としていたが、どうも昨日から身体の調子が変で、思い当たる節がないので不思議に思っていたとの事だ。妹さんからの連絡だったが、前日が故人の73歳の誕生日でお孫さんからお祝いの電話を貰って機嫌よく就寝したのに、今朝になるとそのまま冷たくなっていたそうだ。持病がなかった訳ではないが、それにしても全くの突然であった。
我が家の婆さんはかなり元気で、結婚以来出産や怪我で入院はあるが、具合が悪くて寝込んだりした事は全く無い。それが何故か知らぬが電話を受ける前の日から、お腹が痛くて何も喉に通らなかったそうだ。婆さんはこれがいわゆる「虫の知らせ」に違いなかったと言う。今朝になると先方の葬儀の段取りも決まり、婆さんの身体も元に戻ったようなので一安心ではある。
それにしても世の中には不思議な事が沢山ある。子供の頃に大人が怖い話を沢山聞かせてくれたので、小生すごく怖がりである。その性格の所為もあるが、今までに何度か不思議な経験をしている。昔山小屋に一人寝をした時遭遇した金縛りは、気が小さいので昼間の怖い体験を脳が引きずっているのかもしれぬ。山で道に迷った時に、なんでこんななところで人に会うのかなと不思議に思いながらも、その人が引き返すように言ってくれて遭難を免れた事もある。今でも非常に鮮明な記憶は小学校3年生ぐらいの時の事だ。
当時は外で遊ぶと言ってもする事は殆ど無くて、近くの師範学校の校庭や校内にある大きな木に登る事が楽しみだった。ある日一人で中でもひと際高い木ののてっぺん近くに登って、1本の枝にぶら下がりターザンの気分に浸っていた。その瞬間枝がぽきりと折れ、重力の法則に従って身体は下の地面に叩きつけられる筈で、一瞬気を失いかけたような気がする。ところが、誰かが落ちて行く身体を受け止めてくれたような気がした。ふと我に帰ると、握っていた枝が一番下で張り出していた太めの枝に引っかかり、地上すれすれのところで身体が止まっているではないか。
今にして考えれば、大きな銀杏の木だったので枝がたっぷりあった事、…

小学生に流行だそうです

今日はプールが休みなので事務所近くのインドカレー屋に行ったら、前の家のお兄さんが小学校6年生の息子さんと来ていて隣合わせになってしまった。息子さんの学校では、夏休みの日光への林間学校が、放射能汚染の関係で中止になってしまったとの事。東京の子供に迄原発事故の影響は確実に及んでいる。困った話で何とかしてほしいが、昨日もこの事故への対応について「水の処理が計画が遅れそう」と報道されると、婆さんが「今までに何か一つでも計画通りに進んだことはあるのか!」と怒っていた。確かにその通りで、東電の発表をまともに聞く気にもならない。
一体、事故処理の指揮者としてまともな当事者能力のある人間は何処に居るのだろう?指揮者もさることながら、実際に現場で作業する人間も相当な人数が必要と思うし、危険性は非常に高いだろう。今月になって、事故発生当初働いていた人の被曝量チェックをしようとしたところ、60数名の所在が確認できないとの報道がなされたが、本当にその程度で済んでるのだろうか。20歳代の頃、工業高校を出た少し上の先輩に話を聞いた事がある。「山奥の飯場(工事現場)の作業員の名前なんて大概いい加減で西郷隆だ事の清水次郎なんてのが多いもんだ。」時代が違うのでかなり管理体制も整ってきているとは思うが、福島にも似たような事情が存在しているのでは、と思ったりしてしまう。
でもそのくらい管理をいい加減と言うか弛めないと、作業員が集まらないのも事実だろう。機材だって一旦原発の現場で作業に関係したものはほぼ永久に他所では使用できなくなるに違いない。太平洋戦争末期に例える人もいるが、相当な消耗戦になっているのも間違いなさそうである。顰蹙を買うのを承知で言えば、人的資源は全国の刑務所から受刑者にある種のインセンティブを与えて、ボランティアを募集したらどんなものだろうか。幾ら手当を高くしても、自衛隊員や消防隊員だけでは間に合いっこないし、ゼネコンかどこかを通じて何段階もの中間搾取を経て登録される作業員でも、実際は回らなくなってきつつあるのではと心配になってくる。
考えて見れば、あれもこれも全ては指揮官の意思決定に依存する事ばかりで、指揮官不在が如何に大きな問題かが改めて思われる。原発は兎も角、震災復興に関してはやっと専任大臣が置かれる事になった。聞くところによると、専門家が見ると現場で稼働している重機やスタッフは非常に…

口中大工事

昨日、新しく見つけた歯医者さんで、ついに意を決して左下の2本(3番4番と呼ぶらしい)を抜いてしまった。元々刺し歯をしていて、何回か抜ける事があったので、先週インターネットで池袋で良さそうな歯医者を見つけ、先ずセカンドオピニオンを求めた。新しい先生も、やはり根っこが相当悪くなっているので、どうやっても刺し歯ではもう持たないだろうとの見立て。それまで通っていた家の近くの歯医者さんよりはずっと大きく繁盛しているし、代表の先生のキャリアもありそうなので、改めて任せてみる事にした。するとその場で直ぐ型を取り、1週間後抜いた後、帰るときには義歯を用意しておきますとの事。
そこで早速昨日2本の歯を抜く事になった。1週間前の打ち合わせで「歯を抜くのは久しぶりですか?」と聞かれ「そうですね、殆ど記憶にないくらいです。」と正直に答えたのだが、その時「大丈夫ですよ」と答えたスタッフの意味ありげな顔が少し気にはなっていた。案の定であった。麻酔の注射がチクッとするのも嫌だったが、4番の歯がなかなか抜けない。先生が「はい、力を入れます。」と言って何度も踏ん張るのだが抜けてこない。どんな構造になっているのか知らぬが、70年も使った歯は、歯茎か顎の骨の何処かにかなり強固にへばりついているものらしい。
3番は5分と掛からずに抜けたと思うが、4番は先生も大分頑張ったが抜けないし、こっちが痛いという表情をしたのだろう、麻酔を少し追加したようだ。そのうえで、道具を歯を削る機械に替えたらしく、何かゴンゴンゴロゴロ音がしている。圧搾空気の機械でコンクリーを壊しているようなイメージである。11:20の予約で診療台から解放されたのが12:10になっていたから、おそらく2本抜くのに20分は掛かったと思う。いやー、やっぱり自分の身体の一部を削り取るのか引き抜くのか知らないが、切り離されるのは大変な事だ。子供の頃はぐらぐらしてくると、ある日見計らって「えい!」とばかりに自分で強引に折り曲げて抜いていたので、大したことあるまいと思っていたが、大違いだった。
従って、今日から左下は犬歯から5本そっくり無くなって、入歯爺になってしまった。この入歯と言う代物も誠に気持ちが悪い。昨日の夕飯なんか痛みと違和感で、味もなにもあったものではない。今日は幾らか慣れてきたようにも思うが、食事の度に入歯を外して歯を磨かないと気持ちが悪くて仕方が…

読後感「日本中枢の崩壊」古賀茂明著

経産省の現役官僚の著書で、書かれている事は読まなくても大凡推測出来るのだが、つい暇に任せて手にしてしまった。もう1年くらいになるだろうか、著者の事はマスコミでは何度も取り上げられているし、テレビでも何回か見た事がある。一時は内閣官房に出向していた事もあるぐらいだから、きっと将来を嘱望されていたと思ったが違うようだ。経歴を詳しく見ると、1980年入省で、東大法学部出身としては決してハッピーではない。2008年にやっと国家公務員制度改革推進本部事務局審議官だから、いわゆるエリートコースからは離れた道を歩いてきた人だと言える。

逆に言えば、役人にはあまり向かない常識人だったのかもしれない。従って小生がいつも言うように、霞が関官僚が壟断するこの国のかたちについて強い危機感を持って、晩年(役人としての)になって、一般的な市民が感じている正論を、声を大にして訴える気持ちになったのかもしれない。確かに正論だから渡辺喜実氏が彼の論理に飛び付いたのも理解できる。その後、政権が民主党に代わり、2010年の参議院予算委員会に「みんなの党」の参考人として呼び出され、民主党政権の公務員制度改革への取り組みを「不十分だ」と批判した。これに対し仙谷官房長官が「こういう場に呼び出すのは彼の将来を傷つけると思います。優秀な人であるだけに、大変残念に思います。」と発言はあまりにも有名。

本の内容も、公務員改革については既に十分聞いている事だし、お説ご尤もとい言うしかない。しかし惜しむらくは、国家改造を考える時は、政治を如何に動かすかが問題である事は言を俟たない。著者も公務員の制度改革だけでは、何度やっても蛇が脱皮を繰り返して生き延びるのと一緒と認識はしている。総理官邸に理想を言えば米国大統領府のように、強力なスタッフを揃えて総理大臣が指導力を発揮しなければ、どうにもならないであろうことは認めている。普通であれば、そこで如何に政治を動かすかと言う事を考えると思うのだが、仙石氏や経産省幹部に睨まれて干し上げられてしまったようだ。

こういった大改革は、彼のような所謂エリートでない人間の力を結集することがない限り達成しえないのだろうと思った。著者も組織から疎外され、可哀そうと言えば可哀そうだが、一般市民は同意する事だろう。どうせの事だ、本でもなんでも徹底的に公務員制度改革を訴え続けてほしい。余計な事を最後に付け加…

空中と水中どちらが安全?

昨日は夏至との事。実際はこれからどんどん暑くなるので、未だ秋が来るまでは少し時間が掛かるが、あれよあれよと言う間に半年が過ぎてしまったような気分だ。朝夕通るご近所に、季節の花を家の前にずら―と並べて目を楽しませてくれるお宅がある。先週あたりからは色とりどり大輪の紫陽花が折り重なっていたが、今日気が付いたのはやはり何色もの大きな百合の花だ。確かに花々は今が真っ盛りの感がある。今週は山形から頂いた美味しいさくらんぼも沢山いただいた。桃は未だ食べていないが、これから秋に向かって果物が美味しくなっていくのも楽しみだ。しかし花も実もやがては終わり、枯れ葉が舞い寒い冬が来る。
お天道様が頭の真上にあるのに、そんなことまで考えてしまうのも歳のせいだろう。身体の劣化は如何ともなし難い。少しでも劣化の速度を遅くしたい一心で、毎週土日曜にプールに通って水泳をしている。しかしどういう訳か知らぬが、週末になると鼻水に悩まされる。寒い時は風邪を引いたかと思ったりしたが、暖かくなっても同じ症状がでるので別の理由かもしれない。一種のアレルギーかもしれないと行きつけの整体士さんが言う。彼は故郷の石川に帰ると、必ずアレルギー性のアトピーが発症するらしい。看護師の資格を持つ彼が言うには、原因は田んぼに撒かれた農薬が空気中に漂っているらしい。
福島の放射性物質も同じ事だろうが、透明に見える空気中にはいろんなものが漂っているものらしい。ましてプールとなると、中に投入されている薬は半端な量ではない。主には殺菌用の塩素系の何かだろうが、廊下に積み上げられているポリタンクを見るとぞっとする数量だ。恐らくコップ1杯でも直接口にしたら、死なないまでも大変な事になるであろうことは想像に難くない。小生の鼻水の原因も犯人はその事にすれば簡単だが、ある風邪薬を飲むと直るのだから混乱してしまう。こういう事は町のお医者さんに聞いても解決しないのが悩ましいところだ。福島近隣の地域でお子さんを持つお母さんが、線量について心配し、行政に問い合わせてもまともな返事が返ってこない事と似ている。本当に分かる人は少ないのだろう。
中部大学の武田邦彦氏によると次のように言っている。以下彼のブログから引用。 >実際のデータを見てみますと、福島原発の中の放射性物質の量は、3月中旬と4月中旬を比較すると1ヶ月で10分の1に減っています。ーー中略ーー今では…

子供を犠牲にする恥知らずな大人達

最近のテレビ報道で取り上げる子供たちの発言を聞くたびに、何事によらず発言内容がしっかりしている事にいつも感心している。婆さんはしばしば「政治家も少し見習うべきだ。」と仰る。ゴルフなんか全くご存じないのだが、石川遼君だけはインタビュ―の受け答えがしっかりしているので、ある意味でファンかもしれない。楽天の田中マー君や日ハムの斎藤祐樹投手なんかもインタビューの爽やかさは同じ事だ。こちらが段々と年を取っているので、若い人が恰好よく見えるのかもしれないが、次世代の人を見る度に夢と希望を託したくなるのは平均的な人情だろう。
幸い子供たちは選挙も関係無いし、政治には無関心かもしれない。しかし地震と津波、原発事故は身をもって体験し、悲しい思いや恐怖をたっぷり味わった子も大勢いる。この辛さが早く癒される事を切に願うし、報道で元気な子供の子供の明るい表情が出てくるとホッとする。子供たちはいつも前を見ているし、大人達が自分達を守ってくれている事を信じて疑わないだろう。まさか親たちが地震、津波、原発事故の三重苦に加えて政治の停滞と言う四重苦に苦しんでいる事は勿論理解できないだろう。

なのに、政治のありようを見ていると、どいつもこいつも次世代の事なんかまるで無関係で、自分さえよければ、若い子供を生贄にしてもしても構わないと思っているようにしか見えない。思いついたようにエネルギー政策を持ちだした総理については、関連して言及する気にさえならない。子供手当を人質にとって抵抗する野党も同じ事。
何とか因縁をつけて、「マニフェストが間違いでした」と言わせたいばかり、やれバラマキだ、所得制限だと騒いでいる。業界団体を通じて何十年も税金をばらまいてきた連中が、恥ずかしくもなくよく言えたものだ。我が娘夫婦なんかも近いのではと思うが、年収800万前後の一見富裕層に見える中産階級の家庭が、如何に子供手当を期待しているかなんて事は想像できないのだろう。
更に酷いのはマスメディアだ、<放射線被曝許容限界を決められない>と行政を責め立てるふりをしているが、年間20ミリシーベルトと言う値が如何に危険な数値であるかを記者達が知らない筈はない。行政と慣れ合い記者クラブに安閑としている身からすれば、知っていても余計な事はかかない方が安泰なのだ。いざという時の責任を役所に押し付けて、自分達は責任逃れをしているだけだ。
国難だ危機だと騒…

カレーライス

家の婆さん料理が得意で、和風洋風中華風いろんな料理を食わせてもらうが、カレーライスだけは家で食わせてもらった経験が殆ど無い。二人分だけのカレーソースを作っても面白くもなんともないらしい。あれはやはり鍋に沢山作って初めて醍醐味が出るものらしい。
ところで小生はカレーライスが好きである。従って昼にはよくカレーライスを食べに行く。カレーライスて奴はインドあたりが起源かもしれないが、日本のカレーライスは元祖や本家とは全く別のものだと思っている。インドカレーやネパールカレーもよく行くが、ソースの種類が豊富の割にビーフにお目に掛かる事は少ない。チキンとかマトン又ポークとかシーフードとか野菜等のソースをチョイスして、大抵の場合、後はナンとラッシーを注文することが多い。
カレーライス又はライスカレーと言うべきは、ごはんの上に最初からソースが掛かっているか、ソースが別盛になっていても取っ手のついた容器で、ごはんに直ぐ掛けられる状態になっていなくてはいけない。半世紀以上前、東京に来て初めて、新宿中村屋のカレーを食べた時は、故郷のお袋が作ってくれるカレーと大した違いがないと思ったが、斜め向かいにあったキリンのビアホールでずっと安いカレーを注文した時に生卵が付いてきた時の方が驚きが大きかったし、美味かったように記憶している。当時は学校の帰りに立ち寄った、渋谷の宮益坂下にあった確かインディーとかインディラて言うお店だったと思うが、ここのビーフカレーも美味かった。
最近も好んで足を運ぶ店が何軒かある。実は今日も行ってきたのだが、有楽町の銀座インズ1地下に素敵庵がその一つ。ここはステーキハウスだが、ランチメニューに限ってビーフカレー980円が供される。カレーライスにしては高いと思われるだろうが、決してそうではない。たっぷりかけられたソースの中にはとろけるくらい柔らかくなったビーフの角切りが転がり、定番の赤い福神漬と大粒の白いラッキョが脇に乗り、ごはんの上にはレーズンが散らされている。別に白菜の漬物の小皿も付く。更に、食前にはサラダ(和風とトマトの角切りのどちらか)ボウルがあり、何時もトマトを選ぶのだが、ドレッシングの味も良いし量もたっぷりある。デザートはコーヒーか甘党系のチョイスになっている。いつも大抵後者で本日はバナナプリンだったが、これで腹一杯にならない方がおかしいくらいだ。
もう1軒は池袋東武百…

父の日定番「孫の事ども」

土曜日に父の日のご挨拶との触れ込みで、上の娘夫婦が孫の顔を見せに来てくれた。孫は2歳半である。僅か2ヶ月ちょっと前に見た時は、笑顔は可愛いと思っただけで小生とのコミュニケーションは殆ど無きに等しかったが、今回は日本語らしき音も聞こえて、ある程度のコミュニケーションが出来るようになってきた。これから約10年、こちらが生きていれば彼が小学校を終わる頃までは日を追って可愛さが増していく事だろう。
娘夫婦と酒を酌み交わしながら、若い頃の自慢話をして良い気持ちになった。婆さんは何でも知っているが、娘は初めて聞いた話だったようで目を丸くして面白がっていた。何時までも宴席に居ると婿殿が緊張してかわいそうなので、早いとこ碁会所にでも行けばよかったのだが、こちらも調子に乗って大分飲んでしまったので少し疲れ気味だ。賑やかな一家が帰宅した後の夕食時、孫達の事についてあれこれと話をした。老夫婦にとっては互いに疲れた顔をしながらも、一番楽しい時かもしれない
最近は会えていないが、下の娘にももう中学生になっている孫が二人いる。中学生に迄なってしまうと土日と言えどもする事が多くて、祖父母の家に遊びに来る時間は無くなってしまうらしい。兄の方とは正月以来、弟は2月にスキーに行って以来会っていない。二人ともバスケ部に入ってしまったので、休日も殆ど練習と試合で潰れてしまうらしい。下の娘は休日は平日より早く起きて、二人分の弁当を作るので大変らしい。何処の家でも子供は元気らしいが、親は何かと大変そうだ。普通の親はこの上更に子供の成績まで心配するものだと思うが、下の娘はそっち方面は全然気にしないらしい。
多分土曜日に来た上の娘の方が、この甥っ子の勉強を心配していると思う。昔勉強の面倒を見てやった妹が平気な顔をしているので、少しイライラしているかもしれない。小生も口には出さないが、我が家は運動とはまるで無縁の家系だ、なんで、兄弟揃ってバスケ部へなんか入っちゃったのか、と思っている。ま、運動しなければ勉強が出来るようになると言うものでもなかろうから仕方がない。孫の人生は孫が決める。少し寂しい気もするが、子供の成長とはそんなものだろう。

バスケをしていても平日に何日か夕方の練習の無い日があるとと言う事を婆さんはちゃんと知っている。何でも先日電話に出た孫が「家に来て美味しいものを作ってよ。」と言ってきたからとの事で、今週木…

美空ひばりさん

昨日夕食を食べながら、途中からではあるが民放の「美空ひばり23回忌特別番組」を聴いていた。テレビの位置が横になるので、飯を食いながらはまともに見る事が出来ないのである。毎年6月になると必ずどこかの局で美空ひばりの特別番組が編成される。そして毎年それを同じように聴いていると思う。生来極め付きの音痴なので、歌は歌えないが、歌謡番組は大好きである。最近歌謡番組が減っているので、毎日見る事は無いがよく見ている方だろう。とは言っても婆さんの好みがあり、森進一や小林幸子等気に入らない歌手が多く出演していると番組をスキップされてしまう。
嫌いな歌手が一人くらいだと、その出番の時だけ用事を見つけて流し台に行ってしまう。大勢の歌手が居るのだから、個人的に好き嫌いのランクがあってもおかしくないが、そこまで嫌わなくてもいいだろうに。しかし亭主の好きな赤烏帽子の反対で、こちらもその影響で歌手に好き嫌いランクが似てきてしまうのは致し方がない。それでも一致しない歌手もあって、代表的なのが小林旭かな。小生は好きな歌手なのだが、婆さんは席を立ってしまう。同じアキラでも布施明の歌っているさなかに用事を頼むと険悪になってしまう。
そんな事は兎も角、ひばりの歌はいつ聴いても上手いと思うし懐かしくもある。婆さんも全く同じ意見のようでいつも黙って聴き入っている。昨日も、「彼女の歌は殆どの日本人老若男女が知っている。幾ら国民的人気と言ってもAKBの歌なんかあなたは1曲も知らないでしょう。これからは彼女のような歌手は出ないかもしれない。」言われてみればその通りだ。小学生の頃、家で音が出るものと言えばラジオくらいしか無かった時代に、”縞のジャケツのマドロスさ~んがー・・・”なんて調子っぱずれに歌いながら友達遊んでいた事を思い出す。
”川の流れのように”の作曲とAKBのプロデューサーが同一人物だと言う事も教えてもらった。婆さんのように能書きは何も知らないが、昨今のように不愉快になるばかりのニュース番組に比べれば歌謡番組は良いの安らぎを与えてくれる。既に歌謡曲なる芸能ジャンルは化石化して、個性的なアーチストの時代なのだろうが、歌手を何故アーチストと称するのだろう。どうでもいいが、これからも毎年この季節には彼女の歌を聴きながら、宵のひと時を感傷に浸ればいいだけだ。

誰が詫びるのか?

311から100日以上も過ぎてしまうと、福島の原発から相変わらず毎日放射性物質が垂れ流され、放射能汚染がじわじわと広がっている事をつい忘れがちになる。事故直後アメリカ政府は、自国民に対し80キロ圏外への避難を勧告した。今になって聞くと、これは最悪のケースを想定しての事ではなく、日本政府を慮って控えめな発表に留めたらしい。アメリカ政府は日本政府や東電の発表を信用せず、自前の情報収集努力をして自前の評価をしている。当然彼等は当初から日本政府の発表とは異なり、相当重篤な事故と認識しているのは言うまでもない。
報道では事故現場に於いて対策が取られ始めている事ばかり流すので、つい忘れがちだが、放射能汚染に関して言えば事態は全く改善されていない。東京を含めてほぼ東日本一体が放射能に汚染されつつある実態が報道されるようになると、我々にもその重篤さは大分認識できるようになってきた。東京でも主婦たちが何人か共同して10万円前後もする放射性物質の測定機を購入して、自分の生活エリアを測定する人が出始めているようだ。
アメリカが想定する最悪の事態は、本州或いは日本列島全体がビキニ環礁のようになる事だろう。最近は日本政府もやっと事故の重大さを再認識して、情報の共有を図ろうとしているようだが時既に遅しのようだ。余りに初動が悪すぎたらしい。当初「30年も原発を作っていないアメリカより我が国の方が知見が豊富、任せてもらいたい。」と強がって、やれ水棺方式で安定化をなんてとんちんかんな事言っていた政府も、やっとアメリカやフランスの力を借りて冷却水の循環システムを立ち上げようとしている。
建屋のカバーについてはチェル同様に石棺しかないようで、その前段階でグラスファイバーのネットをかける準備が始まったようだ。こういった一連の対策が効果を発揮するのは早くても年明けになりそうだ。未だに日本は17基かの原発を稼働させているが、1度ある事は2度あるで、年内にそのうちの1基に電源喪失でも発生したらどうするのだろう?浜岡を止めたし30数基は運転してないと威張っても、福島第1では運転を止めていた4号でも水素爆発が起きている。ウランやもMOX燃料の存在そのものが危険である事は嫌なほど分かった筈だ。
再生可能エネルギーの推進を口にして、自らの延命を図る首相を見ていると、未だ消火作業中の火事場の近くをうろついて、防火対策の整った新…

歯抜け爺

昨日も一昨日も書いたが、兎に角年の所為だろうが毎日のようにどこかがおかしくなる。生老病死はは人の運命だから仕方がないとしなければいけないのだろうが、まことに困ったものだ。満身創痍と言うべきか、どこもかしこも悪い所だらけだが、歯は特にいけない。子供の頃は、あの磨き砂のような粉が嫌いでまともに歯磨きをしなかったし、虫歯もいつまでもほったらかしておいた。永久歯に生え換わって直ぐに折られてしまった歯もある。80才まで自分の歯を20本以上残しましょう、を耳にした時は手遅れで、既に自前の健常な歯は15本と無いのでは。
特に下顎関係は、左の犬歯から奥5本全てアウト。辛うじて犬歯と次の奥歯1本を連結させて刺し歯で持たせていた。既に奥歯3本は無いのである。この刺し歯も、作ってもらった時から「長くは持ちませんよ。」と歯医者さんの折り紙つきである。既に1回外れた事があり、その時も「今度外れたら、抜本的に考える必要があります。」と宣告されていたが、僅か数ヶ月で今朝又外れてしまった。歯医者はどこも不景気知らずのようで、電話をしても直ぐに予約が入らない。今日の5時半に来てもらって暫く待ってもらうが、それでやっと見てもらえるとの事。
夕方何と宣告されるか分からないが、意を決して抜本対策を施す決心だ。30年ほど前当時大阪に居たのだが、インプラントが流行り始めた初期の頃、左の奥歯3本をインプラントした経験がある。奥の2本にインプラントして、もう1本は今度抜けた歯とブリッジで持たせた。その時の歯医者が未熟だったのかどうか分からないが、顎の骨に穴を開ける時神経を傷つけてしまい、未だに下顎にしびれが残って口が良く回らない。お喋りの癖が少しは治ればいいくらいに思っているが、不快は不快だ。
しかも、今ではインプラントは一生もののように言われているようでもあるが、当時は「最低20年は持ちます」だった。案の定60歳頃だったと記憶するが、20年ぐらい経った時、ブリッジしていた健常な歯を道連れに奥歯が一斉にガタガタになってしまった。今はどのように措置するのか知らないが、インプラントて奴は抜く時に又一苦労だ。顎の骨に打ち込んだ杭みたい物だから、東京歯科大学で大勢の見学者(インターンや看護師だろうか)の見守る中で、大先生がやっとの思いで抜いてくれた。こんな経験があるので、左奥歯はもういいやとほっておいたが、犬歯迄おかしくなっ…

バイオリズムと言う奴か?

昨日はブログを書くのもかったるかったのだが、一夜寝て起きると朝から身体の調子が妙に軽い。毎日同じようなコース同じようなペースで歩いているが、疲れ方の感じが昨日とまるで違う。ひょっとしたらいつもよりゆっくり歩いているのかもしれない。天気は昨日と似たような梅雨空なのにどうした訳だろう。バイオリズムなる言葉を聞いた事があるが、全てがゆっくり運べる日、これが即ち、バイオのリズムが良い日なのかもしれない。因みにネットで囲碁をしてみた。今日は不思議なくらいゆっくり打てる。そのうえ結果まで付いてくるのだから気持ちが良い。
電話をした相手、電話をくれた人、入った店での店員さんの殆どが明るい対応をしてくれた。イラ菅ではないが小生も若い時は随分と気が短かったと思う。態度の悪い人の出会うとすぐにこちらの言動がとげとげしくなる悪い癖もあった(今もあるかな)。昔は町中で知らない人から突然因縁をつけられた事さえある。一瞬その人と目がっただけなのだが、半分はこちらの目つきに責任があったのだろう。だから、最近は知らない人とは極力目を合わさないようにかなり気をつけている。下らぬ話になったが、会う人会う人皆ニコッと笑ってくれる日は嬉しいし、これから先、長くもない人生では出来るだけそんな日を多くしたいものだ。
同じ人間が昨日と今日でこんなに違うと、自分で思うぐらいだから人間とは恐ろしいものだ。鏡に映る自分の顔は昨日と同じでも、身体の調子が毎日微妙に異なるのは誰でも同じだろう。つい先日原発事故関係で学者の意見を聞いていたらこんな事を言っていた。「放射線は人間の細胞が新しくなる時にDNAを傷つけて癌の発生原因を作る。子供は細胞の新陳代謝が活発なので、細胞の傷つく可能性が高い。老人は新陳代謝が悪いので放射線を浴びても傷つく可能性が低い。」確かにいくら頑張ってもこの歳になると、筋肉細胞が生まれ変わってスッキリした体になる事はないのか、と半ばあきらめかけたが、細胞の新陳代謝による成長は止まっても、ある種のリズムを掴むことが出来るのは歳の功かもしれない。

東北の農水産業復旧について

月日は遅滞なく進んでいるが世の中全体に何となく停滞しているような気がする。特に東京は節電モードとやら暗い。只でさえ梅雨空がどんよりと重くのしかかっているので余計にいけない。既に半分世捨て人だから、気にせずマイペースで日常を淡々と過ごしているつもりだが、毎日のブログの種に困ってしまう。全ての原因は震災と原発事故にあるのだが、この影響はいつごろまで続くのだろう。
敗戦に匹敵する災害とか、311をきっかけにして日本が変わったとか言われるが、この言葉もあまりピンと来ない。確かに敗戦をきっかけに日本は大きく変わった。しかし今度の災害で、日本が変わるなんて事はないだろう。暢気な父さんの希望的予測でもある。仕事をしている友人からはこんな話も聞いた。終戦直後と同じで、全てを失って困窮している多数の人に隠れて大儲けしている連中が居る。又は、現在は東京より仙台の方が明るくて活気にあふれている。東北電力管内は節電令が無いので明るいし、復旧事業関係で商売も繁盛しているらしい。目先の聞く奴はいつの世にも存在するので、これくらいは仕方あるまい。
考えて見れば、終戦直後は絶対権力者の進駐軍のお陰で、当時としては復興が猛スピードで進んだのだろう。それでも日本全体が何となく落ち着くまでには丁度10年くらいかかっている。これは個人的実感だから、学者に言わせれば別になるかもしれない。昭和20年代と現在ではインフラは勿論、科学技術、日本にある資金量、どれをとっても桁外れに整っている筈だし、政治は一見混乱しているが、誰がリーダーになろうと関係はなさそうだ。混乱しているのが永田町だけであれば、今度の災害の復旧は10年も掛かる筈が無かろう。昭和20年当時比べれば、誰もが前向きに生きているように思う。
しかし問題は別のところにあるように思う。昭和20年代の経済復興は先ず農業生産、特にコメ作りから始まった。今回は農業基盤整備について余り明るい兆しが報じられない。今後、仙台は別かもしれないが、東北被災地の大半から人口の流出が進み、益々過疎化が進むことになるだろう。情報インフラの復旧で文化的格差はそれほどではないにせよ、若い人が出て行ってしまい、年齢構成は逆三角形で、それこそ10年も経てば所得の地域間格差は今以上に拡大してしまうのではないだろうか。農村の過疎化は現在既に全国で見られる現象だが、東北の食糧供給地に於いてこれに…

大人らしさ

今月1日の衣替えの日はうすら寒くて、霞が関の衣替えに関する報道は馬鹿見たいだった。しかし昨日今日、梅雨の晴れ間に注がれる陽射しは夏である。街を行き交う人の服装がすっかり夏らしくなってきた。テレビアナウサーの半数程度は、スーツを着ていてもノーネクタイになっている。夏場のノーネクタイやノー上着が許容されるのは、現役時代を思い出すと羨ましい。しかし、霞が関からの報道にあったように、職場にアロハシャツとか、政治家のかりゆしウェアは如何なものだろうか。
別にこちらが心配する迄もなく、定着しないだろうと指摘する人もいる。「何故なら、サラリーマンにとって背広は地位の象徴でもあり、暑さの中で我慢しながらでも涼しげにこれを着こなす事が大人であり、暑さに負けて軽装するのは子供とみなす伝統から抜け出すのは難しいだろう。第一カジュアルウェアを着込んだ場合、恰好が様になるのは若い人で、おじさんはまるで様にならない。もしこれで職場の秩序が破壊されず、画家の山下清さんのような格好をした人が出世できるとしたら革命だ。」
成程と思う一方で、若干の疑問も生じてくる。近年の世相を思うと、若者文化なるものが持て囃され、小父さんやおばさんが好んで若い人の真似をする傾向が強い。かく言う小生がブログを書く事なぞ典型的なものだ。総理大臣がマンガ本を読んでいる事を自慢してみたりするのも同じ事だろう。逆に子供や若者が背伸びをして、大人の真似をする事が少なくなっているのではなかろうか。従って世の中全体が何か子供じみてきているような気がしてならない。
未だティーンエイジャーであった頃を思い返すと、大人っぽさに憧れ、服装なんぞも中学生の頃は高校生の真似をし、高校になったら大学生、大学に入ったら背広を買ってもらいたいと思ったりしたものだ。精神的にも、出来るだけ早く大人になりたいと言った気持が小学生の頃からあった。我々が後輩の見本になるような姿を形作り得なかった報いかもしれぬが、今の青少年にその思いは薄いように思う。いつまでたってもコミックの世界から脱却して行かないのではないだろうか。
ご時世だから仕方ないのかもしれぬし、己の事を棚に上げて言えば、現実をきちんと見据え、大人らしい判断や意思決定が出来る人間が少なくなっているのではと心配になる。社会全体が危機的な状況に陥りかけている時、余りに思慮分別を欠いた子供じみたふるまいの大人達、…

携帯電話

ブログ友達のKさんが先日ブログで取り上げたが、WHO(世界保健機関)は携帯電話を発癌物質に指定したそうだ。携帯電話の電磁波が能や聴神経に影響を与え、携帯ユーザーの脳腫瘍の発症率にかなり深刻な影響を与えるらしい。アメリカでは子供は頭蓋骨が薄いので、特に注意が必要としている。経済学者の池田信夫氏はブログで厚労省にリスクの調査を促しているが、マスメディアがこのニュースをフォローしている風情が無いところを見ると黙殺している可能性もある。
我が老夫婦も人並みに携帯は持っている。小生は外出する時いつもズボンのポケットに突っこんでいるが、歩数計として使用するのがメインで出先で携帯を使用する事は極めて稀である。婆さんは先日実家に行くとき持って行って、持ち帰るのを忘れ1ヵ月以上放置しっぱなしだから推して知るべしだ。娘夫婦は知らないが、中学生の孫2人は未だ持っていないようだが、そろそろ欲しがる年齢かもしれない。今度娘が来たら、この事を教えてやりたい。
常々思うのだが、歩きながら携帯で話している人がどうしてこんなに多いのだろう。 どうしてと言っても、それはそれなりの用事があるのだろうが、東京には忙しい人が多いものだといつも感心せざるを得ない。中には自転車に乗りながら携帯で話している小母さんもちょいちょい見かける。見ていて、こちらがハラハラしてしまう。池田氏によれば、放射能並みの危険な電磁波を頭に浴びせながら、尚且つ交通事故の危険まで冒して会話をしている訳だ。安全な場所で立ち止まって話しても差し支えの無い話に違いあるまい。
若い子(結構な大人でも)たちは、歩いている時も電車の中でも常に片手に携帯を持って身構えているか、メールやゲーム又はインターネットでも見ているのだろうか、携帯を覗き込んでいる。先日ドコモのある局で事故が発生して120万人かに影響が出たと報じられた。小生の携帯に影響があったかどうかは知らずに済んでしまったが、影響が大きくなるのは容易に想像できる。便利さを追求するのは人間の本性だから、携帯を重宝してお使いになっている人をとやかく言うつもりはない。
只、発癌物質と言う事になれば使い方を考えた方が良いだろう。政府は放射線被曝に対してさえ大甘なんだから、携帯の使用について何らかの規制なんかする筈もない。従ってこれも自衛するしかないが、孫が言う事を聞いてくれるかな?

かくも長き無政府状態

毎日の報道を追いかけて、ふと気が付いたら、山で道に迷ったような気持ちになった。 与党内のお家騒動、これに付け込んで政権奪回に挑戦、失敗したもののも敵失が続く。上手く立ちまわれば次の選挙を待たずに大臣も椅子が転がり込んできそうと、谷垣、石原、石破の3役は涎が出そうな顔をさらしている。菅総理が嘗ての海部総理と同様、伝家の宝刀である解散権を封じられて野垂れ死に追い込まれたのは厳然たる事実になってしまった。設計通りか否かは定かではないが、悪党小沢一郎のシナリオとされている。仮にそうであっても、彼自身も一蓮托生で葬り去られかもしれない。
そんな事はどうでもいいが、今後の政局とか政界再編成がどのように展開するかはとても想像できない。ここ数年政治の動きを見つめ、民主党の政治家に個人献金したり、選挙も真面目にしてきた。何に導かれたかは別にして、これは山でけもの道に踏み込んでしまったに等しいように思い始めた。少し冷静になってこの道を引き返し、峠に出てから周辺の景色から己のポジションなどを見直した方がいいかもしれない。
そこで早速: テロとの戦いにいち早く協力してイラク戦争に協力したり、郵政改革だの構造改革と鳴り物入りで、経済浮揚を謳った小泉政権まで遡ってみよう。世界大不況に巻き込まれると、無責任に政権を放り出した彼の政権以来、1年前後で総理がコロコロ変わったが、経済も暮らしも一向に良くはなっていない。そうこうしていると年金問題などが発生して、政権与党が自公から民主中心に移行した。新政権は政治主導なるキャッチで、大いにこちらの期待を高めてくれたものだ。
この約10年、暮らしそのものは、年相応に少しずつ慎ましくするように心掛けているので、政権が変わろうと大きな変化はない。しかし子供たちの家庭の収入が増えたと言う話を聞かないので、孫が成長する分、少しずつ厳しさが増しているかもしれない。新政権が発足した時心配してここにも書いたが、問題は政治主導だ。努力はしたのだろうが、すればするほど官僚に足を引っ張られ、その政治家が失脚し、政権が変わっても官僚の強固さは微動だにしていないようだ。
彼等のサボタージュで政権交代が起きたのも事実だが、政権交代後も彼等は政治家に力を誇示している。言う事を聞かない鳩山総理と小沢幹事長を先ず飛ばし、比較的官僚に従順であった菅内閣も鳩山・小沢と一蓮托生で葬ろうとしていると見るのは…

校庭の使えない小学校

東京は未だ原発事故の影響を考慮しないで済んでいるようだが、事故現場から100キロ圏内の小学校では校庭が使用できない、屋外プールが使用できない小学校が沢山あるようだ。学童は長袖を着て通学するようにとか、こんな状態がいつまで続く事になるのだろう。当然父兄の中には地域を見限って、せめて子供だけは、と疎開させたり、家族で避難する人も出てくるだろう。
小学校は授業だけできれば良しとしたものではあるまい。校庭やプールが使用できない、窓も開けられない小学校なんか存在する意味が無いと思う。文科省が児童の年間被曝線量基準の上限を20ミリシーベルトと発表した時から間違いは始まっている。その後、同じ文科省が基準を変更せず<可能な限り1見シーベルト以下に抑える>と発表したが、子どもの犠牲を見て見ぬふりをする根本は変わっていない。
これが果たして政治であり、行政であると言えるのだろうか。あまりに無責任さに呆れるばかりだ。特に誰もが、政治は弱者の為とか口を揃えて仰るが、国家の政治を見ている限り、7,8百人の政治家の誰一人、原発事故被災者、特に最も弱い児童や子供の事を真面目に考えているとは思えない。テレビ番組に出演すると、その場では児童の健康問題云々と仰るが、国会でしている事は、殆どの政治家が己の立場だけを守る事に専念しているようだ。
口先だけは国難と言いながら、事故現場から100キロ圏内を無人化する必要性なんかは誰も言いださない。少なくとも小生は福島全域か、それに近い範囲を無人化して、福島原発を放射能汚染物の集積地又は処理場にすべきだろうと思っている。何をしでかすつもりか知らぬが、1年や2年で解決する問題であるなら気安く「国難」なんて言ってほしくない。子供をまともに育てる事が出来ない家庭は少ないと思うが、国家が子供をないがしろにしているのだから、出生率なんか上がる筈が無かろう。

燕岳登山

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梅雨の晴れ間に恵まれ1ヵ月ぶりに又山歩きが出来た。金曜日に予告したように北アルプスの燕岳迄行ってきた。夏山と言うには少し時期が早いので、金曜日に燕山荘に電話をして登山道を確認。完全に夏山と言う訳にもいかないらしいが、登山道は全て開通している。最後の標高350メートルは雪道らしいが、ルートも明確で上級の技術や装備が無くても、軽アイゼンとストックで大丈夫との説明に安心。夕方、弟に長野から中房温泉まで車で送ってもらう。彼は中学校の教員をしていたので、燕は10回近く登っているらしい。車中いろいろ注意点などに耳を傾ける。
中房温泉に登山客らしき客は他に一人だけ、温泉が30個以上あるらしいが、翌朝に備えて朝晩1回ずつしか入る事が出来なかった。土曜日の朝は快晴、絶好の登山日和。6時前に登山口に行くと既に元気な若者が7,8人屯している。見ると半数以上がザックにピッケルを括りつけている。他人の事は気にせずに、爽やかな空気の中を気持ちよく歩き始める。年前に一度来た経験はあるのだが、え、こんなに急だったかな、との思い。兎に角マイペースでゆっくりと歩を進める。
ゆっくりであっても、止まらずに歩くと結構先へ進むものだ。時々休みながら歩くうちに段々アルプスが見えてくる。途中に富士見ベンチなる場所があり、目を凝らすと富士山がうっすらと見えている。写真技術がご粗末で写真に残せなかったが残念。既に見えている稜線は弟に教わったアルプス銀座らしい。足元は既に雪が相当積もっている。そうこうするうちに、合戦小屋に到着。ここからは夏道ではないのでアイゼンをつけなくてはいけない。昨年針ノ木雪渓以来のことで、手こずりながらやっとアイゼンも履いた。
合戦小屋から上は、山に抱かれるという形容詞があるが、正にそれ。1歩1歩ゆっくりゆっくり歩くのを優しい女性に見守ってもらっているような思いだ。しかし冬道は歩きやすいので、捗るものと聞いていたが飛んでもハップン。標準タイム1時間10分のところ2時間近く掛かってやっと山荘に到着。既に10:50になってしまっている。いつもそうだが、2000メートルを超えるとガクっとスピードが落ちる。もう少し体力を何とかしないといけない。そのことはともかく、この景色の素晴らしい事よ!ぐるり周りに雪の嶺々、槍ヶ岳も雪をかぶって目前に聳えている。

山荘にチェックインをして濡れたものを着かえて一休み。今度は…

北アルプス燕岳

梅雨の晴れ間を狙って北アルプスつ燕岳に来ています。絶好の好天に恵まれ、春山の良さを満喫しました。

怒り心頭

昨日の不信任決議案採決に関して、我が家では菅総理の取った態度、或いは作戦と言うべきか、に対しては正に怒り心頭に発している。「ふざけるな!」「育ちが良い奴はだから駄目だ。悪党にものの見事に手玉に取られて騙されている。お前なんかさっさと辞めてしまえ!」言いたい放題だ。男を上げたのは松木、横粂のご両人。筋を通した事について、こちらは単純なので敬意を表してしまう。政治家に倫理を求めるのは八百屋で魚を求めるようなものなのかどうかは知らぬが、それにしてもこう堂々と詐欺ペテンが罷り通るのは、如何に大人しい日本人も許さないのでは。政治不信が極に達しテロでも発生しかねない。
素人には、政治の世界で昨日起きた事も、今後どのように動くかも、想像の域を超えているのでさっぱり分からない。今朝被災地の人が言っていた「もう何でも好きにやってよ。こっちは自分の事を精一杯やるだけだから。」小生も余りの馬鹿馬鹿しさに考えるのも厭になってきた。
今日は久しぶりに晴れ間が戻ってきた。明日も、うまくいけば明後日まで梅雨の晴れ間が持ちそうとの事。馬鹿な連中の事は忘れて気晴らしに歩きたい。

しぶとい三角野郎!!

内閣不信任決議案が先程反対多数で否決されてしまった。
身内の馬鹿話ばかりで恐縮だが、以下が今朝の我が家での会話。 爺「昨日までは不信任案は通りそうにないと言っていたが、どうやら通る可能性が出てきたね。いくら菅さんでも解散は出来ないだろう。可哀そうだがこれで終わりだな。」 婆「でも解散して、賛成に回った人に対してはシカクを立てると頑張っているらしいわよ。こんな時に選挙を口走る事自体論外だけど、本気で造反者の選挙区に新たな候補者をたてることが出来ると思っているのかしら、本当にこのシカクもサンカクも分からない馬鹿なんだから!」 こういった場合の報道は、何れも的を射たものが無いとしたものだから、全て眉に唾をつけて聞いていればいい。しかし、大分前から愛想尽かしはしていたものの、婆さんも解散と聞いて切れてしまったようだ。
こちらは早めに昼飯を済ませ、1時過ぎから3時間程テレビにかじりついて見てしまった。最初国会中継かと思ったのに 民主党の代議士会の中継が入ってきたので、アレとおもったら昨夜と様相が一変しているではないか。鳩山さんが「一致結束して反対しましょう。」なんて言っている。 「なんじゃこりゃ」と思ったら、菅氏が蛇だかミミズだか分からない事を延々としゃべっている。鳩山氏は「菅氏が辞める事を先程約束した。」と言っているのだが、菅氏の話からはそのように聞こえてこない。本会議直前「小沢氏が菅氏の話に一定の評価を示し、自主投票でいいではないか。と語った」との報道が流れる。
本会議が始まると、議場に小沢氏の姿は見えず、与党席に空席が目立つ。討論の最中、議場に小沢氏の急先鋒松木けんこう氏が現れ、大勢の議員が駆け寄って肩を叩いたり手を握ったりして、しきりに激励している様子。松木氏の方は何故か半泣きの表情。察するに<土壇場で不甲斐無き親分が又あのずる賢い三角野郎に騙されやがって>てなところだろう。案の定、彼は民主党の中ではただ一人不信任(横粂氏は党員にカウントせず)に賛成票を投じた。 閉会後の記者会見では、早速岡田幹事長が、「菅総理と鳩山氏との約束には、辞任の時期については何も書いてない。」と言い。鳩山氏は「辞める時期は夏前だ。造反議員処分なんて論外で、その前にこんな異常事態を招いた執行部こそ大反省を。」と党内結束を恰好良く訴えている。

しかし決議否決後1時間も経たずに、もうこんなに大きな齟齬が生じている。…

「風評」被害ではないだろう

原発事故の関係で農水産物や観光産業の風評被害が社会問題になっていが、これを風評被害で括ってしまってよいものだろうか?我が家では「風評ではないだろう」と話しあっている。学者の多くではないかもしれないが、少なくとも中部大学の武田邦彦氏は「福島県全域の農作物については、1年間は出荷しない方がよい。即ち食べてはいけない。」としている。更に、この間に農地から放射性物質を取り除く事が出来ないと、セシュウムの半減期は30年なので食品としては不適切だそうだ(セシュウムは遺伝子を傷つける発癌性物質)。当然ながら広大な農地の除染は無理と言う事もあってだろう、もっと悲観的な事を言う学者もいる。
こんな状況下で少し慎重な人なら、原産地に福島と表記された食品を敬遠するのはごく自然の事だ。少なくとも我が家ではそのようにして欲しいし、実際そうしているようだ。福島県でも原発から30キロ以上離れて、特段の指定を受けていない農家の人にすれば、実際の取引量が減っている現実に直面して気が気ではないだろう。正に被害をもろに受けているに違いない。そんな事情を見透かすように、補償査定の委員会見たいものが立ち上がり、「風評被害を含めて早めに結論を出したい」と発表、マスメディアが尤もらしく報道している。
「風評」とは根拠の無い噂を指す言葉だが、今度の「福島産農産物が危険」は出所がはっきりしている。特定の学者が根拠を示して指摘している事だ。もしその事が事実無根との確信があるなら、政府は被害算定をさせる前に、司法に訴えて説を流布する学者を逮捕させてでも、風評の流布を阻止すべきである。小生は「風評」と言い続ける政府とマスコミの方が余程インチキと思っている。当然ながら、政府の側にもそういった学者との見解の相違はあるだろう。見解の相違の依って来たる根拠を示さぬまま、政治家が福島産の野菜や果物を口にしてみたところで何の説得力も持たない。
たまたま今週は菅内閣が潰れるかもしれない。うまく彼を退陣に追い込み、代わりに誰がなるにせよ、現段階では新たな原発事故の収拾策は聞こえてこない。婆さん曰く「エネルギー政策を大転換して、今後は全ての原発を停止します。六ケ所村では処理しきれない莫大な廃棄物処理の必要性が生じるでしょうが、それを全て福島第一周辺に集めて処理します。ぐらいの事を言ってみろ。」素人は無責任だから、大胆な発想が可能だ。成程、福島…