2022年5月31日火曜日

体内時計

睡眠が健康上大きな意味を持つことは誰もが知ることで、例外ではない。兎に角毎晩6~7時間は取るように心がけてる。しかし寝起きがスッキリせず、いつも欠伸が出るのが気になるところだ。常に時間を持て余しているのだから昼寝をすればとも思うが、座っていて居眠りはしても、昼間横になると眠れない。これも一人暮らし故かもしれぬが、体内時計が変に几帳面なのかもしれぬ。

家の中至る所にカレンダーと時計があることは以前書いたような気がする。明日は燃えるゴミ出しの水曜日、カレンダーを朝一番で破り捨てる日だ。 

2022年5月30日月曜日

自己啓発

 鴨長明は「前略:よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし:後略」と書いてくれたが、淀みに浮かぶ泡沫の自分としては、久しく留まりぱなしで何も変わらず虚しく時だけが過ぎていく。来月になれば年金支給があるのがせめての楽しみでは情けない限りだ。このブログも午前中に書き上げ(公開は16時)、午後はまた日比谷の映画館に行ってトム・クルーズ主演の映画「トップ・ガン」でも観ることにしたい。

やろうと思えば家の掃除や庭の草取りなど沢山あるが、どうしてもその気にならないのが困ったものだ。このブログ書きなんかは自分のためにもならぬし、ましてや他人様には糞の役にも立たないことは分かっているのに几帳面に毎日のように書いている。なすべきことをせず、無用のことばかりする癖は不思議なものだ。先週土曜日に高校の同窓会で、30歳以上後輩の女性が、高校時代の思い出として「下から5番目だった成績を上から5番まで引き上げた経験」を話してくれた。

聞いて思い出したのは、同じ進路指導絡みの思い出だ。高1クラス担任の先生が「君は入学時が70番台、これから真面目に勉強していけば国立1期校も夢ではないぞ。」と激励を受けたこと。しかし目出度く卒業時には400人強の生徒中280番台後半。3つ違いで後に教員になったが弟よく話していた。「兄貴の先生は、兄貴が地元での就職でなく、大学進学を選べたことを後輩の父兄に説明するのに苦労していた。」

全く<さもありなん>だ。同じ人類でも自己啓発ができる人間とそうでない人間がいるが、その違いがどこから来るかがよく分からない。当然ではあるが、先の後輩女性も馬鹿に効く薬を飲んだわけはないだろうし、書店に並ぶ自己啓発本なんか読む気にならない。笑

2022年5月29日日曜日

高校同窓会

 昨日は高校の東京同窓会の講演会があり、会場となった大手町の経団連ビルまで行ってきた。コロナ禍前までは都内でホテルなどの会場を使い、毎年2回ほど開催されてきたものだったが暫く中止となり、2年半ぶりくらいの開催だった。しかも今回はZoom参加が可能との新趣向。結果参加者は2割位多い110人ほど。20期ほど後輩に当たる同総会長と同級生の現役校長も長野から駆けつけての参加。

この会は70数年続いてるそうだが、卒業後ずっと東京在住ながら初めて顔を出したのは卒業後20年くらいだったかもしれぬ。最近は学年幹事を仰せつかってるので、几帳面に出席はしている。昨日の講演テーマが「母校の昔と今」で、半世紀以上前の卒業生として大変興味深かった。我々の時代は同期卒業が約420人くらいで女子が7人か8人。現在の3年生は280人で内150人が女子生徒だそうだ。応援団長や生徒会長も女子、新入生たちだけでなく校歌も満足に歌えない生徒が多いらしい。

長野高校にも今昔の感ありだ。

2022年5月28日土曜日

歌の楽しみ

 小学低学年時代の昔から音楽の授業がどうも苦手で、当然ながら通信簿でも最低の評価だったように思う。「思う」の意味はそういった証拠のようなものは全て即廃棄する癖にある。しかし父が「音楽なんて学問じゃないからどうでもいいよ」と言ってくれたことだけは記憶している。しかし、学問じゃないと言われても初めての受験、即ち高校受験には必須科目で「音楽」があったので、父にも間違いがあったと思ったりしたのも懐かしい。父のことでもう一つ懐かしいのが、父の趣味。

父は百姓の出身をやや誇らしげに、現役時代は庭に花壇を、リタイしてからは近くに100坪を超す土地を求めてまで野菜づくりを主な趣味にしていた。これは自然で不思議でもないが、もう一つ不思議だったのが「NHK素人のど自慢大会」を毎週楽しみとして視聴していたことだ。大河ドラマなら未だ理解できるが、昔は鐘一つも珍しくなかったので、ちょっと面白く感じていた。父の歌は殆ど聞いたことはないが、遺伝子を受け継いでるから、上手いはずがない。

当然自分は恥ずかしいくらいの音痴だ。そして歌番組が好きでよく観るところも似ている。但し、最近の歌や音楽番組はどうも頂けない。一昔も二昔も前の藤山一郎や東海林太郎が懐かしい口なので、「のど自慢」は観ない。もっぱら見るのは日テレBS「日本の歌」程度。父がどんなつもりで「のど自慢」を観てたか知らぬが、こちらはある種の癒やしを求めてる。従ってメロディーもさることながら、歌詞が大きな意味を持っている。

季節は夏に差し掛かりつつあるが、例えば「夏は来ぬ」。唱歌とあるし学校でも習ったようなきがするから文部省肝入れの作品かもしれぬ。作詞は日本を代表する文学博士の佐佐木信綱氏。小学生時代は勿論、80歳を超えた今でも歌詞を完全に読めて、理解することは難しい。以下が分かる人は果たして如何ほどだろうか?

楝(おうち)ちる 川べの宿の

門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して

夕月すずしき 夏は来ぬ

教育のあり方を考えさせられる問題にもつながるが、それは扠措こう。今朝高校同期の友人とひょんな事で似たようなメールのやりとりをして、小生の耳、即ち聴音機能が平均値に比べ著しく劣っていることを教えてくれた。運転免許証試験では視力がチェックされるが、耳はチェックしない。これで良いのかな?

2022年5月27日金曜日

喉元過ぎれば

 ウクライナの戦争騒ぎが始まって既に3ヶ月以上、我が耳目もそちらにすっかり奪われて思考能力がおかしくなっているのかもしれぬ。昨日は亡き父の誕生日で、これまで忘れたことは少ないと思うが、昨日はすっかり忘れていた。覚えていたからどうということもないが、1日遅れて思い出すのは何となく気が重い。戦争のニュースはなるべく見ないようにと思っても、テレビとパソコンの中は関連報道に溢れ、他のニュースも暗い話が多くて閉口している。

中で少しマシかと思っていたのはコロナ禍関連で、オープンスペースでのマスク着用義務化が緩和されたり、海外との行き来も大分緩和されたりされるとの報道。この分ならば、区から4回目のワクチン接種案内が来ても無視できるかな?なんて内心思っていた。ところが昨日、何気に衆議院予算委員会中継を観て気が付いた。日本でもパンデミックは終息していない、気の緩みは要注意だ。毎晩19:00から観ているNHKテレビのニュースでは必ず今日の感染者数が発表される。

全国では5桁の4万人弱。東京では4桁だが、毎日少しずつ減って前週の同じ曜日より減少するのが十数日連続していると認識して、日本は対策が功を奏してるとばかり思っていた。ところが見落としていたのが死者数、一時100人を超す死者があったと記憶するが、最近は50人を少し下回る数が続いているので気にしなくなった。因みに今週末は40人台だが、当たり前と感じてはいけないらしい。と言うのは、コロナ禍での死者は今月半ばに累計3万人を超えた。うちオミクロン株での死者数が1万人を超えるとのこと。

おそらく多くの方も似たような受け止めと思うが、オミクロン株は感染力は強いものの重症化し難いとばかり考えていたのだ。ひょっとすると政府や地方自治体関係者も同じかもしれぬ。未だに入院が間に合わず亡くなってしまう事例が多いらしい。最近は病床の占有率についての報道はテレビで観なくなったので十分足りていると思いこんでいた。これも勝手な思い込みで、ベッドが足りても医師や看護師が足らなければ問題の解決にならない。

どうもその方面はそう簡単には充足できないのが実態のようでもある。平たく言えば、正にコロナ禍は喉元を過ぎたので熱さをすっかり忘れていることのようだ。凡人は仕方ないとしても、医療対策に当たる行政関係者も同じでは困る。ゼロコロナ対策の失敗を笑っている場合ではないかもしれぬ。

2022年5月26日木曜日

SNS考

 もう当たり前すぎて余り聞かなくなったが、一時「SNS」と言う言葉が流行った時期がある。未だ個人的に作ったちっぽけな会社で、ウェブサイトの制作などを生業としてささやかに稼いでいたのことだ。手伝ってくれていたスタッフに聞くと「ソーシャル ネットワーク システム」。出現し始めているツイッターなんかがこれに当たるが、世の中は今後これに大きく左右されるかもしれないとのこと。当時制作管理していたウェブサイトは「米ネット」と言って、発注者は当時の公益法人だったが、実態としては税金で食わせてもらっていた。

毎日少しでもアクセスを上げるため真面目に努力していたことも、今になれば懐かしい。技術を担当していたスタッフが言うには「少し社会の変化を実感するために、進んでそこに踏み込む必要がありますよ。」と言われても、殆ど瞬間的に不特定多数の人に向けて数十文字でメッセージを発信するなんて芸はとても出来ない。それならてなことで、SNSの一つである<mixi>に加入。時々日記などを書くことになった。2005年10月のことである。当時どんな反応があったかと言えば、大した反応はなかったように思う。しかし読後感を書くと、同じ本を読んだ人たちから結構反応があったし、山で知り合った人なんかにも<mixi>ユーザーが結構居てSNS上の友だちになったりした。

しかし所詮は仮想空間上のことだから、なにか物足りないと言うか隔靴掻痒の感は否めない。言葉のやり取りだけで「友」を作ることはやはり難しい。そう言えば学生時代に「ペンパル」(雑誌なんかの投稿欄なんかを起点として手紙の交換をして友人関係を育む)も流行ったこともあったが、こういう事も出来なかった。そうは言っても今年の1月まで<mixi>ユーザーとして毎月330円支払ってきたのも事実。実際は2009年4月に日記は現在のgoogleの無料サービスBloggerに移行して、これまた一時は「日本ブログ村」にも加入してアクセス向上を目指した時期もある。

しかしある時、この駄文の読者を増やしてどんな意味があるのだろう?と考えてそれも止めた。最近は仮想空間での発言をめぐり訴訟なんてことも聞くようになったが、仮想空間に身を置くと予想外の様々な事件と遭遇するのだろう。それをある程度承知しながらのブログ書きだ。昨日若き友人が来て色々なアドバイスを貰った。中で一番ありがたかったのは、先日解約したばかりの<mixi>サイトから昔書いた<読後感>300件強をサルベージしてくれたこと。仮想空間にも思い出は存在していた。

2022年5月25日水曜日

若き友人

 昨日3年ぶりになるがサラリーマン生活を終わる頃知り合った若い友人と池袋で落ち合って昼食を共にした。知り合った当時彼は未だ独身で、同じ小さな広告代理店で働いていたが、こちらが首なる前後に確か自ら辞めてサイバー系の広告会社に転職したと記憶する。もう20年近く前のことだ。その後時々会って夜飲んだりしていたが、彼は結局広告業界ではナンバーワン企業電通にに就職した。転職も終止符を打って結婚もして子供も2人となって大分大きく(高2と中2だったかな)なっている。

その彼が長年勤めた電通を辞めて転職と聞き、それではということになった訳だ。会って詳しく聞くと、在職17年で50歳も近くなったので社内の仕事がつまらなくなったのだと思う。即ち、本社在籍5千人を超す電通と雖もオジサンの部類に入りつつある半端な管理職では将来大した発展は無いだろうし、かと言って日常では大勢の若い社員が活躍して活躍できる場面が少なくなってきてるのだと思う。

しかし彼とすれば未だ50歳前、やってみたいことは沢山あるに違いない。そこで彼自身の能力と経験が活かせるIT系企業への転職を決めたようだ。幸い昔居たショボクレた会社と異なり痩せても枯れても天下の電通だけに退職金やらの保証はしっかりしてるらしく、今月いっぱいは有給扱いで末日まで在籍、来月1日から新会社に勤務とのこと。極めて健康そうで元気な様子、こちらも晴れの門出の祝のつもりだった。

一応食事が終わったので次の予定を聞くと、夕方から同僚が鶯谷で送別会をしてくれるとのこと。「それまで時間がたっぷりあるからお宅に行きましょう。」と家まで来てくれた。友人が我が家に来てくれたのも何年かぶり。以前来てもらったときも同じだったが、パソコンを見ながらいろいろとアドバイスをくれる。昔はそばにそっち方面の技術者が居て任せきりだったが、今では毎日パソコンに向かいながらサポートしてくれる人が居ないので、彼が来てくれたことは本当に有り難いことだった。

また私が突然ブログ書きを止めたことを不思議に思っていたとのことで、原因が詐欺被害にあったことはびっくりしていた。そして今月再開したことなどを説明するうちに、データの保存問題に話が及んだ。その中で写真など殆どのデータをクラウド化していて手元には何も無い。死んでしまえば何も無い方が遺族たちも手間要らずで都合が良いだろうとの思いを語ると、「先輩は本当に単純ですね。」と変な感心をされてしまった。

2022年5月24日火曜日

覇権と魂

 岸田首相は非常に頭が良いので「検討士」と言われたり、日本語を異な箇所で区切るおかしな喋り方、役場の係長を思わせるスタイル等々、これ全て自作自演の演出によるものとする人もいる。当たっているかどうかは分からないし、どうでも良い。気になるのは、いつ拝見しても首相の意思が感じられないことだ。毎日休む間もなく少なくとも何十人と面会し、報告やら陳情を受けるのだから意思決定が出来なくて当たり前かもしれぬ。下を固める官僚の意思決定を素早く読みこなし、自分のものとして公表するのも一つの能力かもしれぬ。

先に「意思」が感じられないと書いたが、言い方が間違っていた。むしろ「魂」と言い換えるべきだった。敢えて下手な英語を使えば「soul」か「spirit」に当たると思う。この2日間の来日したバイデンアメリカ大統領との対応でも、自分の意志に反することがあっても不思議ではない。しかし首相は本当に無邪気に喜び、バイデン氏の言う事を全面的に受け入れ、むしろ首相の方から進んで彼が喜ぶようなことしている。直接会ったことがないが毎日読んでいる石川県のブロガーが、大統領訪日直前に「暗黒の魔王の訪日.考」と書いた。無断引用<ご容赦を乞う>https://nono634.blog.fc2.com/blog-entry-6250.html

きつい表現だが、自ら戦うのではなく他国に戦争を仕掛けて狙う国をやっつけ、影でアメリカが大儲けするのは大国としてあるべき姿ではない。願わくば日本としては、そんな国の尻馬に乗ることなく、毅然としてほしいが諸般の事情でそうはいかぬらしい。非同盟主義を貫くインドとはどこが違うのか、不思議に思ったりもするが、少なくとも経済力だけで言えば日本のほうが上だ。ASEAN即ち東南アジア諸国の国々は人口では日本より遥かに少ない国がほとんど。

彼等だってアメリカの覇権主義から一定の距離を置こうとしている。やはり先の大戦での敗戦が大きな影を落としてるからに他ならない。岸田首相にその屈辱感は無いのだろか?広島G7首脳会議誘致で燥ぐのもいいが、300万人を超す犠牲者の霊を少しでも弔う気持ちあるなら、もう少し言葉に霊が宿るはずだ。勝手に思うのは、先の大戦での犠牲者の霊は、祖国が再び戦争することを望んでいない。ましてや近隣諸国と干戈を交えることになろうなんて毫も望んではいない。

2022年5月23日月曜日

もの忘れ

 昔からそうなのかもしれぬが、最近は特に忘れっぽい。今日は何も忘れず、予定していたことを滞りなく済ませたなんて日の方が少ないだろう。午前中に昨日忘れていたことも含めいくつかの用を足してきたので、その所帯じみた様子を披露しよう。先ず1ヶ月前から約束だった皮膚科の医者に行って3分診察で処方箋を受領。10時診察開始なので9:45に行くと先客2組あり。直前が0才児の赤ん坊と母だったので、退屈しのぎに赤ちゃんをからかって過ごす。

先頭の人が初診だったらしく少し時間が長かったが、10:40頃には処方箋を受け取り医院を後に。次は処方箋を持って薬局へ、ここも未だ空いていたので11時前には片付く。次は3日分の食料(8品目)を仕入れにスーパーに。ここも比較的空いていたので15分くらいで店を後にしたはず。最後にクリーニング店で土曜日には仕上がっていたはずの洗濯物を受領して帰宅。

帰宅して持ち帰った品々をそれぞれに収納したりしていたら、もう11時半を過ぎていた。どうでもいいようなことに半日かと、独身の身を嘆きたくもなるが、考えようでは東京だからたった半日でこれだけ用が足りたとも言えるかもしれぬ。スーパーでの買い物も高々2千円ほどだが、今日は買い忘れなく帰宅できたようだ。

スーパーではよくスマホやメモを見ながら買い物する姿を見かけるが、メモ帳は一応自宅に持ってはいるが、他人との面会約束くらいしか書いてない。メモに頼ったら、メモすることを忘れるのが怖いからかもしれぬ。しかしどんなに頑張ってもどこかでボケは始まる。或いはもう幾分かは始まってるだろう。先に逝った妻がよく口にしていた。「歳を取ったらコンビニの2階に住むのが一番」

今日のところは何とかなっているので未だその必要は無いと思いたいが、明日になればどうなるか分かったものじゃないのも確かだ。

2022年5月22日日曜日

報道と広告宣伝

 現役時代は広告営業として日本のマスコミと長いこと付き合ってきた。従って当時の活字媒体の新聞・雑誌、電波媒体のラジオ・テレビについては実態を結構知ることになったし、その後に出現したインターネット媒体も、広告媒体として一人前になる以前に少しばかり関わりを持ったので若干知ってるつもりだ。マスコミを和訳すれば報道機関とすべきだろうから、披瀝されることは事実であるべきだ。社会生活を営む人間は、誰でも社会の事実発見に興味があるからマスコミを持て囃し、有料でもそれを手にしようとする。

日本でも新聞は明治維新以降に憲法より早く誕生して、中には現在も命脈を保っているものさえあるように、現代社会においては大きな影響力を持っている。この影響力利用しようと商売する人が目をつけたのは当然の成り行きで、企業の製品広告や宣伝に繋がった。商売とは少し異なる行政からのお知らせや、販売促進とは正反対の公共企業からの<節電に協力を>とか<吸いすぎには注意を>などでも利用されている。これらをひっくるめて「広告宣伝」と言うことにしたい。

昨今のマスコミ報道に接して思うのは、常識化されてる筈のジャーナリズム、即ち事実を伝えることがやや疎かになってることだ。端的な例がロシアとウクライナの戦争問題。両国とも特段の関係は無くどちらにも与しないが、世界大戦に発展し我が身に関係してくることを恐れるので、注意深く見守りたい。マスコミに期待したいのだが、どうも最近のマスコミは公平な目でこの戦いを報ぜず、当事者を最初から善と悪に分けて報道している。この分類が正しい可能性もあるだろうが、現場における事実究明でそれを明らかにする必要性は感じていないので困る。

数日前にネットで見た青山学院大学名誉教授で国際政治学者・羽場久美子さんの言葉が印象深い。「私はテレビ報道ではイギリスのBBCを一番信用しています。何故なら紛争取材の場合、双方の現場に記者を送り込み、両方の視点からの取材をリポートするからです。」記憶で書いているので言い回しは多少違うだろうが、趣旨はそうだった。日本の新聞社や放送局には残念ながらその姿勢は無い。昨日も豊島区中央図書館で日刊紙5紙を読み比べたが、大差は無くどれをとっても内容が薄い。

テレビは外国の通信社か放送局から買った映像ほんの数分を繰り返し使うだけ。解説する人物も極めて限定的。木鐸になり得ないことだけは確かだ。

2022年5月21日土曜日

被占領国の悲哀

 アメリカのバイデン政権は発足当初と言えるかどうか、アフガニスタンでひどい醜態を演じ、アメリカの信用を失墜させてしまった。これがかの政権にとってどれ程のダメージになっているか知らぬが、近く総選挙もあるようでバイデン氏としては外交面でなんとか得点を上げたいところだろう。そのための戦略として狙いを定めているのが、中国の台頭を抑えること。経済的にも軍事的にも未だ優位にあるとはしながらも、中国が追い上げていることは衆目が一致するだろう。

特に中国はアジアの大国、アメリカとはどうしても距離感がある。アジアでアメリカの言う事なら何でもOKと言う日本を除けば、アジアで親米クラブを形成するのは容易ではない。現政権にはアジア系の血を引く副大統領もいるが、政権内に中国を中心とするアジア研究者が少ないのではないだろうか。現在、大洋州を巻き込み、更にインドまで手を伸ばしてなんとかシンパグループの結成を図ろうと必死になっているが、どう見ても成功しつつあるようには思えない。そのバイデン氏が昨日から5日間の日程で韓国と日本を訪問とのこと。岸田首相は1日千秋の思いで待ち焦がれた恋人がやっと来てくれると大喜びをしている。

子供のように無邪気だからケチを付けるのは気の毒だが、いくらアメリカが好きでもそんなに喜ぶのは如何なものか。もう少し一人前の大人として、背負っている日本の国益や世界平和も考えた上での意思決定を願いたい。サンフランシスコ講和条約で日本が形式的には独立国になっているが、実質的にはアメリカ軍の占領国家であるのも事実。従ってあからさまにアメリカに抵抗できないことは分かる。しかし選ばれてリーダーになったからには、首輪のように体に巻かれた軛を少しずつでも良いから外す努力を見せてほしい。

何でもかんでもアメリカに言われるままはないだろう。大金はたいて無用の武器は買う。ロシアを制裁しろと言われれば、反射的に応じる。ウクライナに金を出せと言われれば即座に応じる。これは他のアジア諸国の対応をよく見てないことがよく分かる。間違えば世界大戦の引き金になりかねない役を押し付けられている事が分かっていないのではと心配になる。そして今回の来日は訳の分からぬサークルの形成、クワッドも会議主催国なんて喜んでいるが、オーストラリアの首脳とは誰になるのだろう?

アメリカの走り使いにされて、同じアジア人から軽蔑されないよう願いたい。

2022年5月20日金曜日

読後感「大地の子」山崎豊子著

 30年以上前の作品でテレビ化もされたりしてかなり有名だが、読んだことがなかったので古本を購入して、ブログを休止している間に読んでみた。著者は<あとがき>で執筆に当たり、1984年から調査に取り掛かったが中国政府、特に胡耀邦総書記の理解と協力がなければこの作品は実現しなかっただろうと書いている。従って史実に比較的忠実であろうと考えても良いのかもしれない。

物語は先の大戦当時、日本政府の国策に乗って長野県から開拓民として満州に渡ったある一家の終戦後の物語。文庫本にして4冊の長編だが、1945年8月半ばの引き上げで一家はばらばらとなり、取り残された7歳の男の子が主人公とも言えるが、彼が経験する苦労は現代の我々には想像を絶している。家族は引き上げの途中5歳の妹以外全員死亡。彼や妹も生き延びたと言っても、野垂れ死にした家族の脇で息をしていた家畜同様の存在。

たまたま現地人に拾われて人間として育てられるが、妹がどうなったかは不明。育てられたと言っても当初は奴隷以下の存在で売られたりするが、この辺は昨年8月に読んだ「けものたちは故郷を目指す」安部公房著とそっくりだ。しかし優しい教員夫婦に買われて成長していくが、成長過程にも多くの試練と困難が離れない。理由は中国自体社会体制が安定せず、共産党支配が確立していく荒波に翻弄されざるを得なかった。

このことが小説を通して丁寧に描かれる。先日も今年の共産党青年団の新団員入団式の報道を興味深く観たばかりだが、共産党支配が確立していく中での国民の混乱も凄い。またも人命無視の中で彼も成長して立派な党員となり、日中共同の製鉄プラント事業に技術者として関わるようになる。この事業が小説のもう一つの柱で、戦後の中国と日本の関係が描かれる。この事業を通じて満州時代に兵隊に取られて生き別れになった日本の父親に巡り合うが、彼は既に中国人の父親(親切な教師)が居て実感はわかない。

また中国社会で一応の社会的地位を占めた彼は満州で生き別れた妹探しに努力、結果発見に成功するも、妹は彼と異なり奴隷状態での40年だったか50年。結局発見した数日後には亡くなってしまう。話の締めくくりとしては、製鉄プラント事業も紆余曲折を経て完成するが、戦後の日中関係を象徴して、これも一応と言わざるをえない。大昔に著者の「華麗なる一族」を読んだ記憶があるが内容は殆ど記憶していない。何れにせよ家族関係のドラマ化は得意なんだろう。読み物としては面白いが、国家に翻弄される個人の虚しさを禁じえない。


2022年5月19日木曜日

娯楽の王、映画

 兄弟が5人と多かったので、子供の時から現代の子供のように親と一緒に遊ぶ機会は少なかった。兄弟姉妹の人数に限らず、戦争直後時代の過程では事情は似たようなものだろう。当然な成り行きで、子どもたちは楽しみを自分で作り出すことになる。家に絵本は無かったので、本を読み始めたのは学校に行くようになって以降の話。幼稚園に通わせてもらったのでジャンケンと隠れんぼや鬼ごっこはここで覚えた。小中学生は家の目の前が師範学校だったので、ここの校庭で木登りを楽しんで監視員に叱られた、木から落ちて怪我をしたこと等が記憶にある。

その隣には通っていた附属小学校の小さなグランドがあって、そこに休日に来る紙芝居屋さんが居た。本当はなにがしかのお金を払って水飴を買うのが原則だったが、小遣い銭を持たされていなかったので、子どもたちの輪の一番外側で只見をして楽しんでいた。題材が「ゴールデンバット」(タバコじゃないよ)の時代だ。兎に角、小説にしても同じだと思うが、芸能は人間の脳を刺激することで異次元の世界に誘い込んでくれる有効な手段である。植物にモーツアルトを聞かせると育ちが良くなるなんて説もあるので、地球上の生物中で人間だけが特別ではないかもしれぬが。

紙芝居から始まって、想像力を刺激して人生を豊かにしてくれる楽しみはその後段々増えて、その筆頭に上がってきたのが映画で、未だに大分尾を引いている。頻度は大分少なくなったが時には映画館まで足を運ぶこともある。考えてみれば居間に置かれているテレビが映画館のようなものだし、パソコンだって映画館に早変わりするのだから大変な時代になったものだ。小学生時代に、授業の一巻で映画の団体鑑賞があった。記憶にあるのが「原爆の子」恐ろしくて正視できなかった記憶がある。

今や世間一般には映画が娯楽の王ではないだろうが、小生には未だに王だ。昨日久しぶりに和製映画「流浪の月」を日比谷の映画館まで行って鑑賞してきた。ロケ地の大部分が信州松本市内で、松本在住の高校同期生が推奨してくれたし、制作会社のオーナーも同じ同期生。なんとか上手いコメントを書きたいが、理解力の乏しさと想像力の貧弱さで少し難しすぎた。

話自体はシンプルだが、登場人物が多く大作かもしれぬ。一つ断言できるのは主演 広瀬すずさんのベッドシーン。これぞ迫真の演技だと思うが、日本映画にキスシーンが出現した騒ぎを朧げながら記憶にある者としては今昔の感が大きい。

2022年5月18日水曜日

シンプルが一番

 大昔、高倉健がレナウンかどこかのコマーシャルで「シンプル ライフ」とか言っていたような気がするが、ごく最近になって老人には特に大切と思うようになった。少し前から、現在使用しているパソコンを毎朝開くたびに「マイクロソフトOutlook全製品の使用期限が過ぎましたので6月1日から使用できません。継続使用のためには10数桁の製品コードを確認して頂く必要があります」とメーセージが表示されるので、不審に思いながらも、以前会社で使用していたOutlookと混同してるだけで、個人用は別に問題ないだろうと放っておいた。

ところが6月が目前に迫ってきたので、先方の混同であろうと実際に機能停止が起きると面倒なので、今朝マイクロソフトのホームページを開いて、認証の再確認を取りに行った。結果的には取れたが、これが意外と厄介で手間暇が掛かったことだけは確かだ。1月から約3ヶ月ブログを中断したのは、健康保険の還付金詐欺に引っかかって大金を失ったことを娘家族から叱責されたのが原因だが、言い訳にに過ぎぬが、こちらの考えが少し複雑過ぎたせいかもしれぬ。

今年からガラケーを止めて、生意気にもスマホを携帯するようになったが、そもそも携帯なんか持つようになったのも要因一つと思っている。パソコンにせよスマホはもちろんだが、便利な機器には人間本来の機能を低下させるデメリットがある。黒電話のダイアルを回すだけで市外まで即時通話ができたくらいで満足していれば十分だったかもしれぬ。

携帯を持つようになって久しいが、他人の携帯の番号を記憶するなんてことは夢のまた夢、マゴマゴすれば自分の番号すら満足に覚えきれぬ。銀行カードにしても同じ、やれ指紋認証だことのと様々な機能が付加されて妙な安心感を持っていたが、これまでの口座を閉鎖してこれら機能のメリットよりデメリットの方が大きいことがやっと分かった。パソコンで文章を書けば確かに手書きよりは遥かに早く多くの文章書きが可能だ。もちろん漢字混じりの立派で複雑な文章となる。

その代わり、ハガキ1枚書くことすら難儀になっている今日此の頃だ。既に年齢を理由に年賀状すら欠礼しっぱなし。便利さにも手間は欠かせないなら、シンプルライフのほうが手間要らずのようにも思うが、最近は殆どのお年寄りが電車の中でスマホを熱心に見てる。なんともご苦労なことだ。

2022年5月17日火曜日

接して漏らさず

 日本だけのことかどうかも知らないが、昔から女性は男性より長生きすると言われてる。知る限りでは国勢調査などの統計でも裏付けられているようだ。だから夫婦は少し年齢差があったほうが望ましいとのことで、両親とも相談して6歳年下の妻を娶ることになった。男兄弟5人だが、既に2人の兄と1人の弟が他界していて、3人共亭主が先に亡くなった。ところが我が家だけは女性が先に逝き、こちらが残されてしまった。

妻に先立たれた男の生存年月はそう長くないとも言われているので、何年生き延びられるか不安を懐きながらの毎日だが、既に5年。家内の希望で長野に埋葬することにしたが、内心面倒だなと思いつつも、毎年最低でも1度は墓参りだけはしてきた。昨年は旧盆の少し前に行ったが、今年も旧盆の前後辺りにでもと思ったりしているが、本当に月日の立つ(経つ)のは早いものだ。もう目前なので今年はいいが、そろそろ7回忌の事も考えなくてはなんて思い始めたこの頃だ。

家内が眠る墓は父が建てたもので、檀徒となっていた曹洞宗寺院の墓地に父以降の一族が同居している。中にはキリスト教に改宗した兄まで入っているから、土着の宗教感は複雑なものだ。宗教の話は考え始めるとキリがないのでこのくらいにして、長生きの話に戻ろう。実は今朝、高校時代の同期生興味深い文章を送ってくれた。彼とは毎日のようにグループメールを通して連絡を取り合ってる友人。彼は学問派でこちらは不良、高校時代はそう深い付き合いはなかったが、社会に出て現役も最後の頃に海上自衛隊観艦式に誘ってくれた。

以来仲良くなって、今では毎日のようにメールのやり取りをしている。彼は理系の出身でもあって頭脳明はもちろんだが、手元に残してある資料の保存管理が凄い。森羅万象とまで言っては失礼になるが、理系の社会現象に関する解説はだけでない。文学部卒業のこちらが真っ青になるくらい文学芸術関係の造詣が深い。今日彼に教わったことは江戸時代の高名の科学者、貝原益軒が書いた「養生訓」に関する話。彼が送ってくれた詳しい内容は養生訓第四巻「情色欲」である。3頁の長文だがなるほどと思うことが多い。要約すれば「食欲と性欲は本能的なもの、しかし若いときからこれ(精気を)を抑制するほうが長生きできる」に尽きる。言われてみれば若い頃女性にもてた友人ほど早く逝ったような気もする。

2022年5月16日月曜日

ご粗末

 今日は終日雨で気温も上がらず、とても初夏とは言えないお天気。普段健康オタクのつもりだが、結局今日は家から1歩も出ずになりそうだ。朝からパソコンでネット囲碁をし続けた。土曜日に孫と会食した時「パソコンゲームをしすぎてはいけません。」なんてよくも言ったものだ。今気が付いたらもう4時、ブログも本日はまともに書けないので乞うご容赦だ

2022年5月15日日曜日

娘との昼食

昨日は次女と奥高尾の山に行く予定にしていたが、ここ数日の悪天候で中止を余儀なくされてしまった。次女が同情してくれて代わりに新宿での会食を提案、次男の孫も同行して3人での昼食会になった。場所は「銀座アスターの新宿賓館」大きくて立派な中華料理店。ランチコースのを予約して段取りを付けてくれた。中華料理は好きで、一人でも時々池袋のホテルに食いに行くが、昨日のコースは段違いに美味かった。

普段はめったに飲まないが、昨日は酒好きの娘との会食なので、昼間から紹興酒を強か付き合った。ただ面白いのが大学4年生の孫が一滴も飲まなかったこと、乾杯までジュースだから不思議といえば不思議。別に強要するつもりもないし、飲まない奴がいて会話が弾まない訳でもなかったから良しとしよう。娘とは今年に入って何回か会っているが、孫と会うのは正月以来、どうしても彼が話題の中心になる。

先ず近況を尋ねると、大学には今年になっても殆ど行かず、今年度はリモート授業の科目しか選択していないとのこと。友人ができないとか、施設費を毎年収めながら大学に通ったのは1年だけだそうだ。アルバイトもせずに毎日自宅に引き籠もっているらしい。それにしては結構さっぱりした身なりだったのは、彼自身が言うところの就活に備えてかもしれぬ。しかし今のところ未だ面接に漕ぎ着けてる会社は無いらしい。

希望する就職先などは質問しなかったが、父が仙台に単身赴任中でもあり、兄も筑波で単身生活をしてることもあり、「俺はどうせ安い給料の企業にしか採用されない筈」予想の披瀝もあり、就職先は東京都以外が良いということでは3人の意見が一致した。父の仙台勤務も今年既に3年目。会社との約束3年だそうだが、前任者は7年勤務になっているので、どうなるか分からないと娘の発言。亭主が帰宅となれば自分は仕事を辞めるとのこと。息子が一人家でごろごろしてることにはなんとか対応できるが、仕事を続けながら旦那の面倒はもう無理とのこと。尤もと言える。

二人とも先々に若干の不安を感じながらも、健康で頑張っているのを目の当たりにして一先ず安心して楽しく過ごすことが出来た。 

2022年5月14日土曜日

我が身を思え

 これまでの人生で行ったこともなければ、これからも行くことはなく、殆ど無関心だった遠い異国での戦争の話が連日報道されている。この報道を共に受け止めている日本人の大多数は戦後生まれの人たちだ。彼らは報道が伝える戦争の一端をどのよに受け止めているのだろうか?結論が見えにくいだけに興味津々の連続ドラマか、スポーツ中継のように受け止めてるかもしれぬ。少なくとも私もその一人と言えるかも。しかし私には微かながら先の大戦に絡む家族の記憶が沢山ある。

戦争に直接参加した父のことは別として、小学校に通っていた二人の兄からある日見せてもらった、墨で大きく塗りつぶしの行が多いわら半紙の教科書。わずか5歳ながら、これが先日放送された天皇陛下の玉音放送との関係であることはすぐに察しがついた。放送直後は、家族バラバラに奴隷とされてどこか遠方に行かねばならぬかと、マジで心配でもあったが、この程度で済むなら結構だと、ホッとしたような気になったことを覚えている。

信州の田舎育ちだったから良いようなものだが、沖縄に暮らしていた人達はそうは行かない。現在報道されているウクライナなんておそらく比較にならない程のアメリカ軍による残虐行為で住民の約25%が殺され、終戦(1945年)を迎えても、講和条約が締結(1951年)されても、アメリカ軍の軍事拠点化されたせいで、奴隷にはならなかったかもしれぬが、住民が日本人になることが許されなかった。

しかしそれでも、終戦後の日本政府は数代に亘り(第51代から61代)アメリカと交渉して1972年、終戦から4半世紀以上過ぎて本土復帰に漕ぎ着けることが出来た。然しアメリカは強かな国なので、その後に及んでも日本全体を軍事拠点化し続けているし、その後の政府はこれを黙認して恥じるところがない。中でも沖縄県に於いてその傾向が強い事は言うまでもない。

その沖縄県の本土復帰記念日が明日5月15日。現在の日本政府がロシアのウクライナ侵攻を厳しく糾弾するの理由は、日本がアメリカによって全く同じ状態にあることからの同情だとすれば、ある程度理解もできる。しかし残念ながらNATOの准加盟国扱いをされて喜んでいる岸田政権にはそんな思いは全く感じられない。ただ占領国アメリカの言うがままに動いているに過ぎないことは明々白々だから沖縄の人たちは全く救われない。

報道によればアメリカでは、台湾有事に備え、沖縄への核配備既にスケジュール化されているとのこと。どこまで馬鹿にされ続けるのだろう?

2022年5月13日金曜日

心配の種

今年は日本だけではなさそうだが、世界中の善男善女が今までになく苦しい思いをさせられている。ところが一部大企業が真逆の状態、過去最高の利益を計上してるとのこと。企業とは血も涙も体に温もりも無い化け物のような組織体。こんな化け物が富をかき集めてどうなるというのだろう?ま、これに群がると言っては申し訳ないが、少数の人達はいい気分かもしれぬが。3年目で未だ収束の見通しが立たないコロナ禍にしろ、最近のヨーロッパでの戦争にしても一方で苦しむ人が多数いて、一方では大きなビジネスチャンスが転がり込む人もいる。世の中は何とも不公平なものだ。

しかし個人的に考えれば、コロナ禍は無料で接種してもらったワクチンのお陰でなんとか凌ぎきったような気がするし、ヨーロッパの戦争が世界戦争にまで発展して東京に爆弾が落ちるまでには未だ少し時間が掛かりそうなので、善悪は別として、このところ少しのんびりしているのも事実だ。然し心配の種は尽きない。自然災害がその一つ、我が住まいは海抜30メートルで海岸線や氾濫が予想される川筋から少し距離をおいている。だからと言って安全が保証されてる訳でもない。建屋自体が築60年を超す時代物。毎年秋に来る台風でいつ吹き飛ばされるか分からない。

更に最近言われ始めた<太陽フレアの大爆発>これまでに聞いたことがない言葉ので余計気持ちが悪い。1980年代に一度起きたことがあるらしいが、記憶ゼロである。当時はきっと自動ねじ巻き時計の時代で、現代ほど精密機器が発展してなかったかもしれぬ。しかし現在身の回りを固める電子機器の数々が我が生活に及ぼす影響は、少し考えるだけでも相当なものだ。先程上げた時計をとってみる。腕時計が2個、置き時計2個と掛け時計1個があり、全て電子式と言える。

この他に時刻が確認できる物はテレビもそうだし、電気釜から始まり、電話機とかあらゆる物に時刻表示機能が備わっている。便利といえば便利この上なしだが、これがある日突然全部消えてしまい、停電まで発生する可能性もあるらしい。生意気にも昨年ガラケイを処分してスマホを使い出したが、こんな物も当然使用不能になるだろう。年寄一人の不便さより社会インフラへの影響予測は正確に出せないらしいが、人工衛星のGPS機能すら狂いかねないらしい。

時計も駄目、方位も狂ったら人類が被る被害は大きさは計り知れぬことになろう。鉄砲玉で殺し合いしてる暇があったら対策でも考えてもらいたい。大爆発の予想は10年以内とのことだが、いっそ明日にでも起きて人類の思考に変化がある方が良いのかもしれない。

2022年5月12日木曜日

言葉遊びの危うさ

 ブログの編集方法を少しずつ思い出している。個人的問題だとは思うが、たかが3ヶ月程度で記憶の曖昧さは驚いてしまう。人並み外れて記憶力が弱いのかもしれない。中止したのは今年1月22日、几帳面に元日から毎日書いていたのでざっと読み返してみた。興味深く感じたのは1月4日に<チョッカイ>と題してロシアとウクライナ問題を取り上げていたこと。自分でもへぇ~と思ってしまった。

戦争が始まったのはてっきり2月末と思っていたが、日本でも米露の駆け引きは報じられていたことになる。今月9日のロシアの戦勝記念日でのプーチン大統領演説に関する報道の中で、どこかのテレビ局に出演していた解説者が昨年末からプーチン氏とアメリカ側の折衝経緯を話していた。こちらは2月末にロシアが電撃手的奇襲をしたとばかり思っていたが、9日の演説でプーチン氏が述べていた「昨年末以来アメリカ側がウクライナに大量の兵器を持ち込み、併せて使用方法教える顧問団を多数送り込んでいる事実に対し我々は懸念して、外交的に様々な提案をしたが、悉く交渉に応じてもらえなかった。」はどうも事実らしい。

日本の政治が全面的にアメリカ政府によってコントロールされているのは、最早異論が無い域に達しているみたいだ。ブログを休んでいる間に、国内では安全保障論議の様相が様変わりして専守防衛なんてことはすっかり影を潜め、政府自民党が勇ましく軍事力強化の旗を振り始めている。曰く軍事費を大幅に増強してアメリカからもっと最新の兵器を購入とか、防衛機能を強化するためには敵基地攻撃能力(何故か反撃力と言う言葉にしている)を高めるとか言い始めている。

この手のことを社会通念として報道するには全て国会審議が必要だと思うが、そんな配慮をするまでもないらしい。昨夜テレビに出演していた小野寺五典氏(自民党自民党安全保障調査会長)どんなに偉い人か知らぬが、首相にその手の提案をして煽っているようだ。曰く「最近は戦争の仕方が変わってきているので、一撃を食らってからでは間に合わないのです。」「それでは先制攻撃になるのでは?」と当然の質問に対し「相手が我が国に対しての攻撃を仕掛ける明快な証拠(情報)に基づいてのことですから心配には及びません。」

全く「よく言うよ」だ。同席していた。元海上自衛隊自衛艦隊司令官香田洋二氏が言っていた。「アメリカの情報で信用できるのは2割に過ぎません。何れにしても戦闘開始はシビリアンで、最高司令官は首相ですから情報をよく吟味していただくしかありません。」

小野寺氏の論理を当てはめればプーチンの侵攻すら自衛の戦いになりかねない。

2022年5月11日水曜日

沁みる言葉

 ブログを休んでいた間に読んだ本も数冊あるが、その事は気が向いたら追々書くこととして、最近強く印象に残っている言葉がある。4月28日の朝日新聞に掲載された女子スピードスケート高木菜那選手のインタビュー記事だ。彼女はご承知の通り妹の高木美帆選手と並んでオリンピックの  ゴールド・メダリストとして有名だが、メイン種目が団体戦のパシュートだったので、どちらかと言えば妹の美帆選手より地味だったかもしれぬ。年齢もあったかもしれぬが4月5日に引退を表明した。それを受けての記事である。

彼女は今年2月の北京五輪で、連覇をかけたチームパシュートで転倒して悔しい銀メダルとなっている。記事の見出しは『結果が出ない人生って不幸ですか? 転倒した高木菜那が伝えたいこと』だ。努力しても結果が出ないことは誰にもあるだろうが、並外れた努力をした筈のメダリストの言葉だけに心に沁みた。わがまま放題の挙げ句、妻に先立たれて生活環境が激変、少しは努力しないと三度の飯さえ満足に食えない状況になってしまった。

最近は家事に努力の毎日だが、掃除洗濯炊事は5年目にしてもなかなか思うに任せないことが多い。何をするにせよ、健康が第一と思って歩行、即ちお散歩を中心にこちらも努力を重ねているが、歩行数と歩行速度は低下の一方。虚しさが募るが、しかし高木菜那さんは言う『努力しても結果に結びつかないことはあるし、すべてがかなうことではありません。』更に現役時代に長嶋茂雄氏から貰ったという『努力することに無駄なことはひとつもない』と示してくれた。

即ち「つまり、間違ってもいいから挑戦することは無駄じゃない、自分から行動することが大事だと。」七転びも八転びも続けるしか無いと思った次第だ。

2022年5月10日火曜日

再起動

 1月22日唐突にブログ書き中止を致しました。理由は未だに話せないほど下らないことで、老いも理由に出来ないくらい恥ずかしいことです。最近になって多くの方から「再起動」のお薦めを頂きまして、やっと立ち直る気になりました。甥や姪から「伯父さんは伯母さんが亡くなっても1ヶ月もせず再起動したのにどうしたことですか?」とか、一昨日は後輩から「誰かに怒られて止めたのなら僕が謝りに行って上げるから再開しましょう。」とか、娘から「生存確認になるから続けたほうが良い。」と様々なアドバイスを貰ったところです。

しかし3ヶ月以上ブランクを作ってしまったので、今日からと言ってもどうしたら良いか頭が回りません。以前のような調子に戻すのはしばしの時間が必要と思いますので、今日は取り敢えず宣言だけさせて頂き、ゆっくり立ち上がらさせて頂きます。