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命が惜しい

政府の発表を聞いていると我が国は医療面では先進国のように聞こえる。アメリカに比べれば国民皆保険は優れていると思うが、医療技術や医療施設においては必ずしもそうは言えないらしい。大学の医学部や看護師養成学校もも多いと思ったが、これも思ったほどではなくて、累積感染者数が僅か3千人行くか行かないかなのに既に医療崩壊が始まっている。

病院で働く人は本当に大変らしい。新宿の大学病院に入院している友人(彼は高層階の個室に居る)が電話で教えてくれた。医療スタッフのマスク不足もさることながら、看護師さんが救急外来に回されることを心底恐れているのがありありだそうだ。感染している都民は相当いると思うが、先の大戦で政府が負けを認めず、南方の島にいた人や、大都市の市民を見捨てたように、今回も心配する市民の声に見向きもしない。

流石にアメリカのトランプ大統領が見兼ねて、在日アメリカ人に対して帰国するように指示を出したとのこと。誰を指すか明確ではないが、日本政府の誰かががコロナ感染者の検査をしないと決したと(まさかそんな言い方はないと思うが、検査を増やせない理由あれこれ述べたのだろう)アメリカに伝えたらしい。昨日のブログで80歳の誕生日を書いたら従妹の村松さんがお祝いのコメントを寄せてくれた。改めて返信を掲げる。

「早速にお祝いをありがとうございます。見えない敵とは仰る通りです。
少なくとも都内にはその敵が既に蔓延していることでしょう。
分かりませんが、私もコロナの免疫が出来ているとは思えません。
運が悪ければ、倒されることにもなりかねません。
その時は、家族がいても看取ることが許されないようですから私にとっては好都合です。」

なんて強がっていても命は惜しい。免疫があるかどうかは、1滴の血液でPCR検査より遥かに簡便に出来る方法があるようだ。何処で診てもらえるかは分からないが、近くで受けることが出来れば受診したい。もし知ってる方がおられたら是非教えて頂きたい。

生命

今日は朝から素晴らしい晴天で、近くの桜は満開も過ぎハラハラ花びらが舞い、桜色の間にチラホラと緑の若葉が覗き始めている。正に春爛漫とも言うべき日和だ。昼にはいつもどおりに池袋まで行ってはきたが、人々が自粛要請を受けて真剣になってきたのだろう、人通りが今までで一番少なかったかもしれぬ。

今日は誕生日でもあるので、80年になる来し方を少し振り返ると実に不思議な思いだ。高校の終わり頃には、母から「あなたの命は18歳までしか持たないらしいから名前を変えなさい。」命令された。そりゃ大変だと名前を変えたが、家庭裁判所に届けて戸籍を変更するに至らなかった。従って学校の試験なんかもそのままにして、大学に入ってから両親との手紙のやり取りだけは新しい名前を使っていたが、両親も何時しか古い名前で呼んでくれるようになった。

多分18歳を無事過ぎたからだろう。40歳代になると仕事に夢中になって酒を飲みすぎて(不思議に思われる方が居るだろうが、当時の広告屋なんて頭を使うより胃の腑で稼ぐのが当たり前だった)50歳に近づいた時、目出度く急性膵炎で入院。病院を紹介してくれた高校同期生の名医が、退院してから「65歳までは大丈夫」と変な太鼓判を押してくれたものだ。それ以来少し健康に意を用いるようになったが、65才以降何歳まで生きるか考えたことがなかった。

できるだけ長生きしたいと思い始めたのも事実だろうが、そこそこ健康で80歳を迎えられるとは思わなかった。先週友人の薦めで読んだ本によると、人体は実に良く出来ているそうだ。気が遠くなるほどの数の細胞の集合体のようだが、この細胞が糊で張り合わせられているわけでもなく、非常に柔らかな状態で隣接しているらしい。しかもその一つ一つの細胞が常に揺れていて、あるところで壊れてしまうのだが、その時には同じ役目を担う新しい細胞がちゃんと生まれてるらしい。

細胞の数は数千億だったか兆の単位であったか忘れたか、誰がその一つ一つ交代を見守っているのか?神ではなくて細胞自身の中にあるDNAなる遺伝子にその設計の詳細が綴られていたて、段取りが上手く出来るらしい。これにより、生命は最初から自己複製するシステムが備わっていることになるらしい。余程たちの悪いウィルスなんかが入り込んで、このシステムを破壊しないように気を付けるに越したことはなさそうだ。

この本で、生命がエンドレスに復元して…

犬も歩けば

自分で勝手に几帳面だと思いこんでいるが、物忘れが多くてどうしようもない。。昨日も夕方になって、朝早くに傘を干すために外に出したことを急に思い出した。昨日は一昨日とうって変わり早朝からの快晴が終日続いた。朝6時ころ玄関から出たついでにいつもの場所に傘を置いた。玄関先の塀との間にちょうど傘を開いて置ける狭い空間があり、ひと目にもつきにくいと思うので、そこで傘を干すのが習慣となっている。

昨日も昼には郵便受けを覗いたり外出もしているので、その脇を少なくとも5,6回は通っているが、いつの時点で失せたか記憶が無い。天気が良すぎるほど良かったので、早い時間に無かったとしても気が付かなかったのかもしれぬ。兎に角夕方5時近くになってやっと気がついたわけだ。風の強い1日ではあったが、三方を囲まれている場所なので吹き飛ばされる可能性は非常に低いはず。それでも何かの拍子で道に転がりでて、車の往来を邪魔して、腹を立てたドライバーに持ち去られたとすれば一応理屈は通る。

もう一つの仮説は、毎日我が家の前を通る通勤者が、傘に気づいて塀の内側の傘を盗んでいったこともあるかもしれない。雨が降りそうなら可能性が高くなるが、昨日の天気は先に書いた通りなので、実行した人がいるとすれば、その人物はかなりユニークなお人だ。傘泥棒のために我が玄関先を往来することなんかありえず、他の必要性でたまたま通りかかっただけで、当面不必要な物を態々ぶら下げて何処かまで歩くか、自転車で立ち去ったと想像してみたりした。

失った傘は今年になって買った500円以上で千円近い高級品。他にもビニール傘が一本あるので差し当たりの雨には困らないが、近い将来布製の傘を買っておかねばならない。そんな悔しい思いをしながら、昼食後池袋に向かって歩いていたら、ティッシュペーパーの包をぶら下げた人と続けて二人すれ違った。これまでティッシュなんか買ったことがなく、全て貰い物(主に薬局からの)で間に合っていたが、数週間前に最後のワンパックになってしまったので、スーパーに行く度に家庭用品売り場を見るがどうしてもタイミング合わない。

困っていたところだったので、すれ違った人が出てきたと思われるすぐ先のコンビニに入ってみた。タワーマンションの1階にあって薬局も兼ねている比較的大きな店だ。なんとそこには紙製品が結構置いてある。早速クリネックス5箱パックを購入し…

コロナ狂騒曲(その2)

先月6日に「コビック19狂騒曲」を書いたので(その2)とした。
今まで何を勿体つけていたのか、やっと東京都の市区町村別コロナウィルス感染者数が発表になった。豊島区は9人、長女の所在地板橋は4人、次女の世田谷は44人でトップになっている。次女は昼間働いているので取り敢えず長女に電話をした。感染者9人は知らなかったようだが、世田谷の44人は小学6年生になる息子から聞いたそうで知っていた。

そして危機意識も立派なもので、12日までは家族3人で完全巣篭もり体制に入っているとのこと。アパートの目の前に城北公園と言う大きな公園があり、区民の緊急避難場所になっているが、これさえ数日前から立入禁止になったそうだ。別の自然災害が発生したらどうするのだろうと心配そう。加えてむしろこちらに「余りウロウロしないで」と注意されてしまった。妹が仕事に出掛けているのも出来れば止めさせたい雰囲気。しかし次女は正反対の能天気、多分世田谷がヤバいなんて知らないはず。長女に言わせると「世田谷はアイツ(妹のこと)みたい奴が多いのよ。」何れにせよ次女にも今夜電話してみるつもり。

家族のことはこのくらいにして、今回の騒動で首相や知事のの発表を聞いていると思わず一人で笑い出すことが多い。昨日の傑作はなんと言っても首相の「マスクの支給」発言。マスクを全世帯に2枚ずつ支給(勿論無償だろう)して下さるそうだ。有り難さに涙をしなければならぬか?少なくとも我が世帯は単身だから、ウオッシャブルで1枚200円もする高級品を2枚も頂戴したら、1枚は家宝として残さねばならぬだろう。3人以上の家族は恩賜のマスクを日替わりで使用することになろう。

現時点で物事の順番、或いはなすべきことの優先順位は、誰が考えても医療関係者に対する医療資材機材の提供であり、人員の補充であるのは明確なこと。東京都としては十分足りているはずだったベッド数も、昨日になると急に「軽症の方には自宅で様子を見ていただく」なんて言い始めている。正に「あるある詐欺」と「やるやる詐欺」に等しい話。先の大戦末期、庭のある家は庭に防空壕を掘りなさいとか、防空訓練をするから大きな叩きを作って隣組ごとに集合がしましょう、との号令が掛かったのと同じことだ。

読後感「生物と無生物のあいだ」
福岡伸一著

昔から理数音痴ゆえ理系のことは分かり難い。しかるに最近は身の回りに便利な道具が出回り、これをある程度操作するにはどうしても理系の知識が必要となる。最近テレビコマーシャルなどで5Gなる単語が頻繁に出てくるようになった。使うつもりもないのに理系に強い友人に「5Gの電波は人体に有害は本当ですか?」と教えを請うたらすぐ返事があり、心配不要とのこと。

それから話題が最近流行りの新型コロナウィルスに跳び、巣篭もりしているなら面白いから読んでみろと薦められたのが本書。2007年に初版が出て、未だに版を重ねている名著らしい。著者は生物学者なので京都大学医学部出身のお医者さんかと思ったら、農学部出身の農学博士。

余談になる:30才前後の頃、食料関係の広告に関係した中で、当時著名な栄養学者やお医者さんたちと親しく交際を重ねた。ご存じの方は少ないと思うが、杉靖三郎氏とかラジオドクターで有名だった近藤宏二氏とかの他に川島四郎氏がいた。川島氏は京大ではないが京都の出身で東大農学部の出身で、後に陸軍に入隊。日本人の栄養問題については最高の権威となった人。事務局の偉いさんがいつも「医者は簡単に実験ができるが、農作物はそう簡単に実験ができないから農学博士のほうが偉いのだ。」と言って敬意を表していたことを思い出さいた。

この手の本は読むのが大変だろうと思ったが、僅か3日で読み終えたので近年まれに見るスピードだった。先ず、化学や物理の科学に疎いので内容を十分理解できないことはさておき、文章が素晴らしい。随筆書きを専門にする作家でもこれほどきれいな文章を綴る人は稀だと思う。著者の研究拠点が長年ニューヨークとボストンにあった。この二都市は数少ない滞在経験がの多い都市であることも共感を覚える一因だったかもしれぬ。

本を手にするきっかけとなった病原菌の「ウィルス」であるが、他の病原菌の微生物の違いが少し理解できた。微生物病原菌は生物であり、体積それなりに大きく視認も比較的容易であるが、ウィルスは大きさがラグビーボールに対するパチンコ玉ほどの大きさしか無いことから視認は極めて難しい。そこでPCR検査が登場してくること、テレビでおなじみのスターウォーズにでも登場しそうは形状の所以、とか、微生物と異なり個体では息もしなし単なる物質に過ぎないこと等々。読み物的には大変面白い。

これは序の口で、生命とはいかなるものか…

答えようがない

小池都知事がオリンピック延期が決まって以来、急に記者会見を増やして都民に向けて様々な要求をし始めている。自分がすべきことを棚に上げ、妙な猫なで声を出して危機感を煽って要求を矢継ぎ早に繰り出し、記者からの質問には「検討中」と「最善を尽くす」で誤魔化す。聞いている側には危機が具体的にどのへんまで迫っているかは分からず、不安が募るばかりだろう。

大人たちは今後収入が減りそうなことが心配で憂鬱だろうが、子どもたちは、来週に迫った新学期や入学式でさえどうなるかが分からない。ひょっとすると春休みが少し長引くかもと期待してるのか、近くの運動場では大勢の子が元気に大声を出して遊んでいる。

狭い土地に人口が密集している東京だが、狭いと言っても都心の23区の他に市も町も村まであって結構な広さだ。住民心理では都民であるより先ず区民意識が先立つので、コロナ関連では数日前に書いたように、豊島区の情報が知りたいのが人情。440人ほどの患者の内、豊島区内には何人いて、どこの病院に収容されているのかが問題だが、一向に明らかにされない。統計が信用できないとされる中国では、自分の現在地と感染者の居場所がリアルタイムでスマホに表示されるそうだ。

今日も昼飯屋の親父から聞かれた「やはり封鎖をやりますかね?」答えたくても答えようがない。問わず語りを聞いていると、昨日の夜は殆どゼロに近い入だったらしい。夜は先ず利用しないので昼さえ営業してくれればいいなんて思っていると、「2週間も休むなんてことはしたことがないので、内緒で予約をとって営業しましょう。」なんてこちらの腹を見透かすようなことを言ってくれた。半分冗談のつもりだろうが月に連休が1度しか無い働き者の親父だけのことがある。

そんな話の合間に笑ったのが都知事の夜の飲食自粛要請。若者のカラオケやクラブはいいとして、中高年の方は「接待」を自粛願いたいと来た。何故「宴会」と言わず接待言ってしまったかは分からない。親父さんは大分若いが、「今でも盛んなんでしょうかね?」と聞いてきたがこれにも答えは見つからなかった。

2019年度を顧みて

サンデー毎日の老人だから年度末は無関係のことながら、現役時代の名残で何となく1年を顧みたくなった。時期はもう少し遡るが昨年の3月は久し振りの海外旅行でネパールへ。生まれて初めて眼前に展開されたヒマラヤ連峰の景観は今でも忘れられない。つい先日その時の記録を見た友人が「本当にいい時に行くことができましたね。」共に喜んでくれたが、もし今年にずれていたら大変で、実にその通りだ。

4月以降は淡々と時が流れ、11月までに6回首都近郊の山を歩くことができた。9月には1泊して七ツ石山から雲取山まで行くことができた。秋には久し振りに京都に行ったし、年末年始もいつもどおりのスケジュールをこなすことができた。年が明けて1月は飲み会が続いて山歩きは考える暇もなかった。2月は寒いし3月の上旬にスキーの予定が早くから決まっていたので、楽しみにしていた。ところが、2月の下旬からコロナ騒動が持ち上がって、これがキャンセルになった。

今月14日に1回だけ昼の飲み会があっただけで、今月は蟄居状態が続いている。今年は天候も不順だし、世間の雰囲気も芳しくない。首相や都知事たちはここに来て急にコロナコロナと騒ぎ出し、庶民の危機感を煽っている。彼らは庶民には知らされていない情報を沢山持っているので、本当に危機が迫っているのかもしれぬが、彼らの言うことは嘘があまりにも多かったので、俄に信じがたい。

騒ぎがいつ収束するか分からないが、今年から来年にかけ、世界がなにか大きく変化しそうな予感がする。当然日本も何かが大きく変わるだろう。思えば、これまでの歳月80年は恵まれすぎていたのかもしれぬ。個人的にもこれからは、2019年度と同じようには行かないような気がする。社会が落ち着けば大きな流れは「進歩」と表現されるかもしれぬが、年寄は取り残され、寂しさが一層募るかもしれぬ。それはそれで仕方あるまい、時の摂理だ。

話が飛ぶが、オリンピックの中止を公然と唱えるは馬鹿な俺だけかと思っていたら、今日<[高野孟のTHE JOURNAL:Vol.439]1年延期でますます開催意義が問われる五輪>なるメルマガが配信され、高野氏が声高に唱えていたのでホッとした。