2026年3月14日土曜日

心技体

 大相撲大阪場所は今日が七日目、昨日まで6日間、毎日終盤の取り組み約1時間を見続けてきた。野球はあまり観ないのでWBCが観られなくてもさして痛痒は感じないが、相撲は観始めると継続してしまう。昔から荒れる大阪場所と言われるそうだが、今場所は確かにその通り。先ず先場所終盤まであんなに強かった横綱の大の里、先場所最終日のけが完治していない可能性もあるが、初日から3連敗。4日目から休場で今日復帰と報道されている。同じく先場所迄破竹の勢いだった大関安青錦、今場所は横綱昇進がかかっていたが、何と昨日までに既に3敗。

残すところを全勝すればもしやとも言われるが、ちょっと難しそうな気配だ。それだけに観ている方としては非常に面白いと言っては失礼かもしれぬが、興味津々であるのは事実。兎に角相撲は重量級の男同士が素っ裸でぶつかりあう危険極まる格闘技。聞くところでは軽トラックに衝突することに匹敵するとのこと。その真偽は措くとしても頭から相手に突っ込んでいくのだからよく平気でいられるものだといつも感心しながら観戦している。

力士は多くが試合に臨む際中指と薬指2本を纏めてテープで巻いている。あの意味の本当のところは知らぬが、指先が不本意な動きをしないようにするためかもしれぬ。昨日も前頭6枚目阿武剋 と7枚目欧勝馬の対戦で行司軍配に審判員からもの言いがついて、勝力士の指が相手の髷を掴んだことが確認されて勝敗がひっくり返った勝負があった。世事と異なり卑怯なことは厳密に排除されている。

スポーツの世界は心技体と言われるが、昨日もある解説者が言っていた「自分も7連勝の経験があるが、本当にこんなことあるのだろうかと心配になってきてしまった。」勝っても負けても精神の平静を保つことは容易では無さそうだ。大の里や安青錦もまだ若い、気を取り直して頑張ってくれ。

2026年3月13日金曜日

体内時計

 年齢はあまり関係無いと思うが、つい忘れがちになる大切なことがあるように思う。それが何であるかは人によって異なるだろう。私の場合は時間時刻の問題。起床、就寝、食事などの時刻。あまり神経質になるのもよくないだろうが、身体にしみ込んでいるようだ。不眠症の話もよく聞く。友人の一人はよく寝るために夜遅くまで起きているとのこと。確かにその通りで眠くなったら寝るのが自然。眠くならないなら無理してまで寝る必要は無いだろう。

だから不眠症なる現象がどうしても理解できない。毎週土曜日の夜は友人たちとリモート懇談会に参加しているが、これが夜中の9時までなのでどうしても我慢して9時まで付き合わざるを得ない。従って日曜日はいつも寝不足気味だ。笑 とは言っても人間毎晩7時間も8時間も眠れば良いとも言えぬだろう。幼児じゃあるまいし不規則な生活こそ大人のしるしだ。

今発売中の文藝春秋4月号の巻頭随筆に藤原正彦氏が書いている。氏は幼い頃から父(作家の新田次郎氏)から「約束時刻の5分前には必ずいけ。これを守れないような奴は人間のクズだ。」との薫陶を受けて育ったとのこと。新田氏は気象庁の職員で軍人でもないのに随分なことを仰って子育てされたものと感心しながら読んだ。小生の場合はそんなことはまるでない。ただ子供の頃から朝食を家族揃って食べる習慣があった。

先の大戦直後、日本は敗戦国でどこの家庭も大人は忙しく、子供の食事はいつも同じ時刻、同じ内容で済まさざるを得なかったのだろうと思っている。小学校では時間割と言うものがあって、今もあるのだろうが規則正しい生活習慣が当たり前になって身に着いただけだ。現代社会は、大人の世界も在宅勤務とか不規則が当たり前だから、放っておかれる子ども増えたりして大変な世の中になったものだ。

2026年3月12日木曜日

盛り場今昔

 今日は天気が良かったので珍しく9千歩以上歩くことが出来た。少し寒かったがさっぱりした気分だ。昔から変な癖があって。友人の家でも山でも往路復路は出来るだけ違う道を選んでしまう。紀尾井町のレストランに行くのに千代田線赤坂駅を起点に、勝手知ったる赤坂界隈とばかり筋を変え道を変えて歩いてみた。TBSの敷地が大分拡大して、界隈の店は記憶にあるものは殆ど無かったが、道だけは何となく覚えているのだろう。

殆ど記憶に無い店の中で記憶に残っていたのは酒屋の<四方>と土産物屋の<バリ>の2軒だけ。前者は飲食店が多いので商売が続いているのは理解できるが、後者は客はどんな人種か少し不思議。もう一つ気にするほどのことではなかろうが、ホテルが数軒あるのがちょっと不思議と言えるかもしれぬ。でも考えてみれば、赤坂見附駅前の東急赤坂ホテルもホテル・ニュージャパンも無くなってしまったのだから当然かもしれぬ。赤坂に宿を取っても、夜遊びで出向くのは韓国クラブとバーだけでつまるのか、つまらないのかは分からない。赤坂芸者もひょっとすると一人もいないかもしれぬ。

くだらぬ心配はよそう。夜遊びだって時代とともに変化して当然だ。小生が赤坂から去ったのはもう35年以上前になるが、当時でも碁会所は既に1軒か2軒だけだった。今は影も形見えなくて当然だ。現在居住する世田谷祖師谷界隈は探してもいないが見つけるのは大変だろう。最近は映画館も大都市に集中してしまっている。テレビが各家庭に万遍なく設置されているから、こっちは問題無しかもしれぬ。

2026年3月11日水曜日

掛かりつけ医

当面の心配は無いが、いざ身体に変調をきたした時を考えると掛かりつけ医を決めていないことが少し不安でもある。近くに住む友人が「兎に角世田谷区には碌な病院が無い。」とのこと。近くに日大板橋病院があった豊島区時代と大きな相違点。近くにあった掛かりつけのお医者さんはご夫婦で日大のOB。奥さんは日曜日毎に池袋のスポーツジムで毎朝受付で顔を合わせていた。小生はプール、ドクターはトレーニングマシンだった。

皮膚科や耳鼻咽喉科もあったし、本格的な呼吸器科もあった。整形外科医は慶應の出身でレントゲンやリハビリ施設も完備、それなりの技師やトレーナーも居て、ここも大繁盛していた。60代、70代には山歩きをして始終怪我が多かったのでよく通ったものだ。こちらに来てすぐ、人伝に聞いて成城学園前の立派な医者を訪ねてみたが、どうも肌が合わなず2回か3回通ってみたが結局やめてしまった。検査は念入りだが、処方はけち臭く如何にも商売上手かもしれぬが、患者の都合を無視して威張り腐る昔からよくあるドクターの典型。

とは言っても、豊島区時代は区の健康診断やワクチンの接種の通知が来て、その度に掛かりつけ医の先生の世話になっていた。この先生とは縁を大事にする意味を兼ねて年に3回痛風予防の薬を処方してもらっていたが、引っ越してから既に3か月以上、毎朝服用する薬は既に無い。これがこの先どうなるか分からないが、区からの案内が無いとも思えないが、もしなかったらと心配をしている次第だ。 

2026年3月10日火曜日

生命のアリバイ

 気候も一進一退、春めいてきたと思ったら今日は朝からボタ雪が落ち初め、真冬の寒さ。昼から天気が回復したがそれでも午後3時で未だ7℃。何ごとも一直線にはいかぬもの、人生と同じこと。明日は3月11日で東北大震災の日。あの日から既に15年、思い出す当時は家の近くに借りていた小さなボロアパートの仕事部屋でいつものようにパソコンに向かっていた。逃げ出したくても動けず、その場で机にしがみ付いていた。揺れは1分以上続いて様な気がする。

その間に、脇の棚に置いていた小さなテレビがドンと飛び出して宙にブラがったがどうすることもできなった。食器とか花瓶などのガラスや瀬戸物は無かったのでそれ以外の被害は無かった。むしろ家の方が心配で、揺れの直後に電話をすると特にさしたる異常は無いから心配しないでとのこと。高い場所に食器がぎっしりあったのに不思議に思ったぐらい。従って被害額は事務所のテレビの修繕費の1万5千円だけで済んだ。

日頃防災訓練なんかまともに受けた記憶も無いが、仮に受けていたとしても対応に変わりがあったとは思えない。自然災害もそうだが災難も病気にしてもいつ降りかかってくるか分からない。まかり間違えれば命に関わることだってあり得るだろう。要するにいつも身辺を綺麗にして遺族が慌てぬようしなければなんてことを思ったりした。まず最初に確認したかった生命保険の契約確認だが、どこを探しても見つからない。結局契約先に電話して新たに書類を送ってもらうことで一件落着。改めて年齢を感じた一日だ。

2026年3月9日月曜日

情報と知性

 小生に自慢できるほどの知性は無いと思うが、昭和15年生まれの老人として、人並みの常識は持ち合わせていると思いたい。今朝読んだほぼ同年代の高野孟氏のメルマガに、インターネットの発達で情報の送り手と受け手があり様が大きく変わってしまった。即ち少し前までは新聞や雑誌など活字の情報発信が知性の涵養に大きな位置を占めていたが、それが全く破壊され知性の崩壊が始まっている。これは嘗て大宅壮一氏がテレビの普及に<一億総白痴化>と警鐘を鳴らしたことより強い警鐘だ。

活字を追いながら読むと言うことは読者に考える力を与える意味があったが、インターネット情報はテレビ以上にその勉強をする手間を省くことを可能にしている。指摘されてみると正にその通りだと思う。現代はスマホさえあれば、学生時代に苦労した外国語、小生の場合は英語だが今思えば馬鹿みたい話にになりつつあるようだ。知性のことを英語で何と言うか知らぬが、ひょっとすると元々暴力国家のアメリカ英語には無いかもしれぬ。日本語でも<知性とはなんだ?>と聞かれたら答えに窮する人も多かろう。

小生は<考える力>と答えたい。何ごとも立ち止まって考えろと言えない。スピードが尊重される現在、立ち止まってなんかいられるものかと思うう人も多いだろう。知識が多い人ほどそうかもしれぬ。情報量が増え続けているので考える時間は益々少なりつつある現在だ。知識は無限に増え続けるが、知識だけは知性は涵養できない。その辺を分かってもらいたい。

2026年3月8日日曜日

ケチな話

昨夜恒例の高校同期生5人でのリモート懇談で、「これから暫くは節約を考えるしか無さそうだ。」と発言して同期生の失笑を買ったようだが、本人としては極めて真面目本気で考え始めている。手始めは光熱費、電気とガス代。幸い日当たりが良いマンションの2階住まいなので、日中は暖房要らず。豊島区時代は寒くなると石油ストーブの油を買う必要があったが、こちらはそれは要らない。代わりに風呂場の乾燥器を一晩に3時間半回して、着衣を洗濯して一晩で乾燥、冬中着替えをしなくても良い塩梅。

どうもこれが光熱費を押し上げていそうなので、これを見直すつもり。ベランダがあるのでそちらに干すことなどを目下思案中。何れにしてもケチな話だが、年金だけで暮しているのでやむを得ない。