2026年4月9日木曜日

友人たちとエマニュエル・トッド

 今日の昼は毎週土曜日の夜リモートで懇談している友人5人が新宿に集合、都会らしい中華料理を共に食して対面での懇談、互いに歳はとっているが皆元気で発言もしっかりしてた。小生を除く4人は海外経験が豊富なので、時節柄か話題が海外に傾くのはやむを得ないだろう。

海外と言えば今朝の朝日新聞で、フランスのエマニュエル・トッド氏をインタビューした記事が掲載されていた。タイトルがいかしている「トランプは3度負ける」ときた。「第一の敗北は、ウクライナにおけるロシアに対する米国の事実上の敗北。製造業が衰えた米国は、支援するウクライナに十分な武器や弾薬を提供できず、米国の産業システムが大規模な戦争を支えられない事実が露呈しました」

「第二の敗北は、さらに重要な中国に対する敗北。トランプ米大統領は関税で中国を威嚇しましたが、中国がレアアースの禁輸で脅し返すと、すぐに撤退を余儀なくされました」

「イスラエルと米国によるイランへの攻撃も、同じように始まりました。しかしイランが崩壊せず、事態は収拾がつかなくなり、米国にとって『三つ目の巨大な敗北』になるかもしれません」米国社会の崩壊、具体的には『宗教ゼロ』の状態があります。かつて社会を統合していた道徳的・精神的な規律や価値観が失われ、退廃や空虚さの中で、まるで破壊や殺戮そのものを楽しむかのような『虚無主義』が広がっています。

友人たちの話も楽しく大いに共感するところが多かったが、ユダヤ系フランス人トッド氏の見解はにはいつも共感を覚える。詳細は省くが彼は日本の高市首相を評価していない。

2026年4月8日水曜日

文明社会 考

 信州信濃の善光寺の門前町、長野育ちのせいもあるが今日の4月8日はお釈迦様の誕生日。花まつりと称して目出度い日と教わって育ってきた。日本人は仏教徒が多い筈だが、お釈迦様の誕生日や没した3月15日は殆どの人が気にしないことが不思議だ。イスラム教の訓えは全く知らぬが、キリスト教には教祖の誕生前夜から誕生日に至るクリスマスがあり、刑死した日は祝わないが、復活した日を祝う復活祭があり、更にはその50日後にペンテコステと称して最初の教会ができたことを記念する祝祭まであり、毎週1回は近くの教会に行くことが義務付けられているようだ。

現代では毎週教会に通う人は減ってるようだが、日本人はお釈迦様に祈りを捧げるために行く寺があるかどうか疑わしいかもしれぬ。世田谷にも<経堂>なんて町があるくらいだから、きっと近くに立派な寺があると思うが、未だ行ったことがない。但し、家内を亡くした際に小さな仏壇を購入、そこにはお釈迦様が祀られていて、開眼供養もしてもらった記憶があるので、毎朝線香だけは上げている。

人類はギリシャ・エジプト時代の昔から戦いに明け暮れていて、現代に至るもその悪習は一向に収まっていない。見方を変えれば戦争によって文明が発展したのかもしれぬし、他の動物とは異なり、集団が巨大化すると戦いたくなる遺伝子が組み込まれているのかもしれぬ。なるべく関心を持たぬようにしたいが、不幸なことに報道機関の発達で連日関係報道をどうしても見分せざるを得ない。遠い異国の出来事ではあるが、その影響はもろに響いてくることも又事実だ。人口減少が社会問題ではあるが、増えすぎた嫌いもあるのかな?

2026年4月7日火曜日

無線の世界

 このブログは毎日愛用のパソコンで苦労しながら書いている。そんなに古いものではないが、パソコンは中国製品らしいがLENOVO(OSはWINDWS11)なる代物。保証期間の残りが現在10ヵ月、今のところ何も問題は無いが期間が終わればグレードアップに何某かの費用を要求されると思う。感心することがある。毎日ではないが、週に何回かは朝立ち上げると同時にシステムの更新とか、ドライバの更新通知があって、場合によっては立ち上げをやり直す必要があったりする。要するに、昔自転車や母が使っていたミシンの使い初めに油差しでミシン油を挿すようなものだろう。

一方似たような機械にスマホがある。スマホは携帯電話と時計強いて言えば歩数計くらいしか機能を期待していない。しかし本当は机上のパソコン以上に優れた機能持ちであることに気がついた。小生の使用の仕方が単純のせいかどうかだが、こちらは<システムが更新されたので再起動を>なんて要求された覚えがない。同じような機械なのに何故だろうか?不思議に思っている。スマホはアンドロイドなるOSで動いているようだが、小生はパソコンもスマホもGoogleなるブラウザ使用している。

動機は何となくだが、双方が同期しているので便利な意味もある.しかし昨日のブログで書いた迷い道の反省をしようと思って、パソコンのグーグルマップを開いて前日のタイムラインを見ようとしたが、見当たらない。グーグルのAI(ジェミニ)に訊ねると、現在は個人情報保護の関係でパソコンでは確認できないらしい。しかしスマホなら確認可能とのこと。やってみるとなるほど確認はできたが、スマホは表示画面が小さいのでどうもしっくりこない。イランで撃墜された飛行士が米軍に救出された件などもそうだが、目に見えない無線の世界を理解するのが難しい。

2026年4月6日月曜日

ボケ老人の徘徊

 方向音痴のせいもあるが、昨日夕方天気が良かったこともあって、駅構内の蕎麦屋で軽い夕食の後クリーニング屋で洗濯物を受け取った。駅に戻っていつもの道で帰宅すればいいものを少々回り道でもいいからと、知らない道を見当だけつけて歩き始めた。ところが目印になる筈の小田急線の高架線がなかなか見えてこず、先日娘に教えてもらって花見をした公園に出てしまった。

大分小田急線から離れたとは気がついたが、天気も良いから良いだろうと歩き続けると成城警察前まで来ている。こりゃとんでもない方向外れ、でも素直に広い道に沿って歩けば自宅には30分と掛からず辿り着けたはず。それでもへそ曲がりの悪い癖で、住宅街の道を歩くこと数十分、見覚えのある道は一向に見つからない。一見平たんに見える都会であっても小高い丘や川の流れが至る所になる。気がつくと都内を外れて調布市に入ってしまっていた。

流石にこれはまずいと、タクシーを呼ぶ気になって、目に入ったコンビニでタクシーを呼んでもらうつもりで飛び込んで店員に相談。親切な若い店員さんが協力してくれたが、タクシーには営業地域があって呼び出しに応じてもらえない。店員さんが「ここに成城学園駅行きバスが来るのでそれで駅まで行ってください。」とのアドバイス。もっともなご意見なので、それに従って帰宅できたのはもう夜中の9時近く。歩行時間合計が2時間20分、歩行数は14800歩。

初めて気がついたことがある。頭の中にある電車の線路や道路は総て直線でインプットされているが、川の流れと同じでそれぞれが曲がりくねって、複雑に交錯していると言うごく当たり前のことだ。世の中の現象は何れの似たようなことかもしれぬ。

2026年4月5日日曜日

行方不明者の捜索

 イランで撃墜された戦闘機の乗組員で行方不明だった一人がアメリカ軍によって救出されたとのこと。これには素直に拍手を送りたい。戦闘員は全員GPSを身に着けていいるのだろう。ひょっとすると米軍には無名戦死者は皆無に近いようにも思う。我が国の自衛隊の方針の中に、救出作戦の訓練がどれ程あるか知らぬが、大切な事のように思う。

2026年4月4日土曜日

誕生日その3

 一昨日のことになるが、行きつけの紀尾井町のレストランのマネージャーから「そりゃ若い!」と褒められて嬉しかった。マネージャー氏は恐らく70代のお兄さんと同じくらいと思っていたようだ。実は今日が誕生日で満86歳となった。自分では歩いていても足元が覚束なくてヨボヨボしているのがよく分かるが、そう見られたくないので出来るだけ胸を張ってか見栄を張って努力している次第だ。

独居なので、他人の目は気にせずに気楽にしてもいいのだが、他人に目を気にしている方が行儀が良くなると思っている。毎日外出するせいもあるだろう、いつまで出来るかは分からない。願わくばあと4,5年はこんな生活を続けさせてほしいと思っている。高校を卒業して30年目、皆若々しかった時に長野在住の友人たちが同窓会を企画してれたことがある。その時に発行された小冊子未だに保管して、時に触れてよく読み直している。会への出欠の返信ハガキが印刷されている。その中で小生が書いた返信は以下の通り。

「大学卒業以来中堅広告代理店勤務25年、一昨年8月15日その会社を辞職。げんざい人生二毛作目と考え新しい会社で勤務中です。」時代の変化で最初の会社も次の会社も現在は無いのと同じ。乗り合わせた船が大きければずーっとその会社に居たかもしれない。組織が大きければ生涯を組織に託す、それも一つの考え方だ。小生の場合はそうではなかった。組織から吸収できることは吸収して身に着けて体よくおさらばして自分で社会実験を繰り返した来たような人生だった。

自分の誕生日について過去に書いたのは2011年と2015年の2回だけのようだ。人生の一毛作目、二毛作目の収穫がどうであったか、今となっては甚だ心許ないが、現在は正に三毛作目。これまた心許ないのも同じだ。

2026年4月3日金曜日

気にしない事

 常識的には、人後に落ちるとか遅れることは誰しも気にするところ。しかし最近考えが少し変って、余り気にならなくなってきた。ひょっとすると父の訓えもあるかもしれぬ。父がよく言っていたのは「小学校から中学に上がるのに3年掛かったが、今にして思えば長い人生だから余り気にならない。ゆっくり歩むのも一つの生き方だ。」確かにそうかもしれぬ。何故か優秀な人ほど早死にしてしまうケースが多い。未だに物覚えが悪くとろい人間ではあるが、生きているだけで十分と思いたい。

都会の人は足早で何をするのも先を急いでいる。足が弱って来てるせいもあるが、ゆっくり歩くので電車の改札や乗車口でも割り込まれることは始終あるが、腹が立つことは無い。シルバーシートに座っていた若者が立ち上がって席を譲ってくれれば有り難く礼を言って座らせてもらうことが増えたが、譲ってもらえなくても腹は立たない。外出の目的は運動にあるので立っている方が良い意味もあるのだ。学生時代幸い威落第せず卒業したが、現代風に考えれば、むしろ敢えて休学して他のことをする学生も増えているとのこと、結構なことだと思う。

サラリーマンになってから4回会社を代わった。うち2回は退職金も貰えなかったが、代わることに意味があったので悔しくは思っていない。何れも程よい人生経験だったと思っている。昔から遊び友達が沢山いて楽しかったが、先に亡くなってしまった人も多く、段々少なってきたのは事実。それでも未だに今月も来月も誘ってくれる友人が居ることは嬉しい限り。気候が良くなってきたので、今年も長野市内で旧交を温める友人が待っている筈。久しぶりに電話でもしよう。