2019年4月25日木曜日

残念なこと

今週月曜日、行きつけの飯屋で鯵の酢味噌和えが出てきて感激したものだ。親父が土曜日に横浜に行って釣ってきたとのこと。聞くと釣り船は半日で6千円、午後も利用すると午後は半額になって1日で9千円とのこと。釣果を聞くと「今回は午後が特に全然ダメで、50匹しか上がりませんでした。しかも焼き魚にできそうな鯵はゼロで皆ご覧の通り小ぶりなものばかりです。」鯵はこれからがシーズンだと思うが形がよいのは本職が皆網で捕ってしまうとのこと。
付き出しの小鉢に盛られた2枚はサービス品だろうが「随分高価なものだね。」と笑いながら非常においしく食べた。

と言うのは滅多に寿司なんか高級食なので食ったことが無いからである。兎に角独居老人だから日常食するものも自分で買い出しせざるを得ない。となると保存や調理が難しい生魚なんかとても手が出ない。動物性食材は精々卵と豚肉細切れくらいか。卵は10個入りを、豚肉細切れは200g、後は野菜、生食はネギとトマトぐらいで後は根菜類だ。それでも5日10日となると半分程度腐りかけたり、芽が出たものを自己責任だと思いながら食っていることになる。

最近は滅多に食さない魚介類だが、妻の生存中は毎日欠かしたことは無かった。彼女はデリケートなところがあり、1週間以内に同じ魚が出てくることは無かったように記憶するのが1点、2点目は東北大震災の後三陸沖の魚は買ったことが無かったし、昔よく使っていた三陸ワカメや昆布にしても鳴門ワカメや北海道産にしたりしていた。それを自慢めいて話すので「何もそこまで」と内心思っていたものだ。

ところが今週の報道によると、政府がずっと言い続けてきた「WTO判決で日本産食品の科学的安全性は認められた」が「世界貿易機関(WTO)の上級委員会が判決に当たる報告書で、東京電力福島第一原発事故を理由とした韓国による日本産水産物の禁輸を事実上容認し、日本が敗訴した。」とのこと。理由は簡単、「日本は安全の根拠に何一つ科学的立証しなかった」とされている。しなかったのか、出来なかったかは報道には無い。政府が何もせず論拠を覆されたことは三陸沖で操業される方からすれば残念としか言いようがあるまい。

何れにしてもアンダーコントロールで無かったことだけは確かだろうし、妻の言い分が正しかったようだ。

2019年4月24日水曜日

危機感と緊張感

日本はアメリカの同盟国で、アメリカの軍隊が駐留してまでして日本を守ってくれている。と信じている国民も多いだろう。小生始め凡人はそれでいいかもしれぬ。しかし少し外国の事情が分かっていたりする人からすれば、その考えは大いに異なるのが自然ではないか。例えば数日前に発生したスリランカの大規模なテロ事件、この真相は未だはっきりしないが、IS即ちつい最近まで中東で大変な混乱を惹き起こしたイスラミックステイト残党が関わっていたとの報道もある。

欧米の放送局は揃って現地に特派員を派遣して、連日現地から生々しい報道を続けて、日本のマスコミの取り組みとは全く異なる。ISの残虐性については日本人も被害にあっているので知っている人も多い筈。だから言うのではないが、日本は御代替わりが近いことと例年以上の大型連休を控え、マスコミを含め何となく浮かれた気分が充満している。こんな時にこそ、指導層の人たちには、勿論マスコミも含むが危機感を持ち緊張感をもって業務に精励してほしいものだ。

海外旅行がままならない貧乏人の僻みかもしれぬが、昨日首相は29日までの予定で新しい政府専用機に夫人と大勢の取り巻きを連れて乗り込み、1週間の外遊に旅立った。しかも訪問先はフランス、イタリア、スロバキア、ベルギー、アメリカ、カナダの6か国。月末月初は皇室行事が重なるのでいくらなんでも不在は許されない。ならば国民より一足先に唯一の家族である女房同伴で海外旅行が見え見えだ。出発に先立っては二つの国政選挙(衆議院補欠選)で負けたことについて、自民党員全員でしっかりと反省すべき、まるで他人事の様なお説教までしている。

首相の頭の中には国会の開催中なんかまるで無いようだ。国内はお殿様気分で何でも許されると思っているのだろう。百歩譲ってそれを置くにしても、外国は事情が違う。スロバキアの事情は全く分からないが、EU諸国は選挙も近いし、東南アジアやアフリカ、中東など関係国の紛争等があり今非常に忙しい時期である。特にフランスはノートルダム寺院大火災やら社会保障費を巡る国民運動への対応で大わらわ、そこへもってきて焼け跡の見学を申し出て断られる有様。何を考えているのかねだ。

そんな時に首相が観光気分でノコノコやって来る日本と言う国を訪問先首脳はどう見るか?聞くまでもなく小生でさえ分かる。

2019年4月23日火曜日

10連休、カレンダーの表示

もう一度くらい寒さがぶり返すかもしれぬが急に暑くなった。長野は東京より3℃も高い26℃とか。池袋から帰宅する僅か2キロ程度で汗をかく。また帽子が必要になりそうだ。寒いよりは暑さを歓迎するが、今年の夏はどうなることやらだ。昼飯を食っていたら店主が急に「仕事から離れているので関係無いとは思いますが、10月22日が祭日と言うことを知っていました?」もちろん知る訳はない。

「一寸このカレンダーを見てください。」座っている横にあったカレンダーを指さす。成程赤インク刷りになっている。注釈は即位礼正殿の儀と書いてある。我が家にも壁掛けカレンダーが3枚あるので帰宅して確認してみた。この日が赤字なっているのは1枚も無かったが2枚には10月22日の下に赤字の注釈が印刷されていた。店主が話しかけてきたのは訳があった。

このカレンダー毎日何気なく観ていたが、自衛隊のカレンダー多分広報用の資材だろう。何でも近くに住むカメラマンが持って来てくれたそうだ。改めてよくよく見ると今月27日から来月6日までが見事に赤文字だ。店主が昨日客に指摘され初めて気づいたとのこと。今年の10連休が決まった日付何ぞ全然思い出せないが、その日を待ってディザインを決定したか、決定する前から情報を掴んでいたか、後者だとすれば印刷所から情報漏洩があるから、前者ではあろう。

もちろん制作部数やコストは分からない。自衛隊にも広報予算はたっぷりあるだろうが国民の税金だ、なんてケチなことは言うまい。己を思えば現役時代には随分世話になってお零れにありついたものだ。飯屋の親父共に感心することしきりだった。

2019年4月22日月曜日

一皮むけば似たりよったり

昨日は地元豊島区を含む第2次地方統一選挙と全国で2地区、沖縄と大阪の衆議院補欠選挙の投票日、立候補者は当落が確定して悲喜こもごものことだろう。地元では亡き妻が力を入れていた区会議員がトップ当選したので、今朝は霊前に報告、彼女も草葉の陰で喜んでいることだろう。それにしても世界を見渡せば、民衆の反政府運動が騒がしいほど大きくなっている地域もある。

比較して我が国の場合、先月29日に集計された第1次統一地方選前半戦の41道府県議選と17政令指定市議選で、無投票になる選挙区は急増している。全945選挙区のうち371選挙区(39・3%)に上り、総定数2277のうち無投票で当選が確定したのは612人(26・9%)。今回は都市部が多いのでこの比率が当てはまるかどうか知らぬが、豊島区の投票率が前回より1ポイント低い41%から見ても、政治への関心が低いことは明白だ。

これは日本が平和な証拠かもしれぬし、政治への無関心については他人のことをとやかく言う資格が無いのも自覚している。今は独居となって暇しているので、このブログでも偉そうに書いているが、現役時代は仕事の義理やプライベートな付き合いで頼まれた候補者に投票していたものだ。従って選挙ごとに投票する相手が公明党だったり共産党と主体性の無いこと夥しく、女房からいつも怒られていた。女房は若い時分、少なくとも子供たちが小学校に通始めた頃から社会意識が高く思想が明快だったように思う。

経緯を詳しく聞いたことがないが、最初に選挙に関わった区会議員候補者が娘の小学校の養護教員で、この人が民社党系だったことだけは記憶している。西尾末広氏の名前だけは憶えているが、自民、社会の2大政党の狭間にあって当時どんな役割を果たしたかも知らぬし、現在その流れがどの政党になるのかも知らない。今度の選挙で応援した候補者は当時自民党代議士人の元秘書で、当事無所属であった女房が応援する区会議員候補者の事務所に応援に来ていたらしい。

その元自民党議員は郵政選挙で離党、刺客の小池百合子氏によって見事蹴落とされ、今では浪々の身。秘書連中も散りじりバラバラ、中には自民党衆議院議員となって元の先生より偉そうにしている人までいる。その秘書が我が家が応援する区会議員当選者の対抗馬(彼も目出度く当選、票数は約半分)になったりしている。政治の世界も変わり身が大事なようで、一皮むけば皆同じかもしれぬ。

2019年4月21日日曜日

読解力

独居となって会話の機会が極端に減った。日本語を忘れないためにも、文字を読んだり短い文章を書くことを日課にしているのはご承知の通り。とは言っても殆どパソコンを通じてのことなので、脳への刺激は大したことがあるまい。特に読む方であるが、どうしても読み飛ばしや中断が多くなる。子供の頃から好きだった読書も機会はめっきり減っている。文庫本1冊読了するのに数日図書館に通うことも珍しくない。

情報源として考えればテレビが圧倒的優位を占めることは否定できない。しかしテレビも、どのチャンネルを選ぼうと、似たような顔ぶれのアナウサーや解説者で取り上げられる話題や取り上げ方も似たり寄ったりで、印象付けられるものは少ない。やはり文字を丁寧に追っていく方が脳にはインパクトがあるように思う。ただ残念なことは最近とみに読書力が衰え、読書を始めると時間や場所を問わずすぐ居眠りが始まる。テレビを観ながらの居眠りもあるが、面白いと思えば相当な時間我慢が出来る。

読書はどんな本でも面白いと思うまで半時間ほど掛かることは間々あるし、面白いと思っても居眠りしていることもある。そこで最近感心したのが内外を問わずジャーナリスト或いはそれに準ずるテレビ出演者の速読力、先日発表されたトランプ大統の疑惑に関して捜査を命じられたモラー特別検察官(?)報告書、英文は日本文に比べると分かり易い表現が多いとは聞くが、それでも約450頁の膨大な量。これが公開されて以来24時間以内に内外含め何人の人からテレビを通じて解説を聞いただろうか。

彼等は出演する前の準備として、例え嘘にしてもこのレポートのページは一応めくり、要所要所は読んでいる筈。テレビに於けるこのような問題を扱う社会情報系番組は現役時代何度も関係しているのでよく知っているが、一人一人のコメント時間が合計僅か数分であっても、内容的にある程度の纏まりが無くてはいけない。文字に置き換えれば恐らくこのブログの数倍にはなろう。本当に敬服すべき読解力だ。

因みにこのブログ、読者が目にする時間は1日平均約1分弱である。

2019年4月19日金曜日

どこに住もうと

昼飯を済ませて池袋西口を徘徊していると、上空にヘリコプターが何機も飛来してやけにうるさい。何か近所で異変が起きたと予想して帰宅すると案の定、東口方面で大きな交通事故で人身被害があったようだ。素人なので分からないが、ヘリコプターの飛行ルートはどのように管制されているのだろう?地上で大きな事故が発生する度に何機も飛来して、よく空中で衝突事故が発生しないと思ってしまう。

ヘリの爆音は地上で聞くと激しく大きいが、パイロット同士には聞こえるのだろうか?又ははバックミラーに匹敵する機材があるのだろうか?戦闘機のF35の操縦と比べてどちらの方が難しいか?歩きながらそんな下らないことを考えていたが、分かるはずも無い。都内は道路事情も良いし、信号も至る所に設置されているので大きな交通事故は少ない筈。問題は自転車による事故だと思う。大昔ヨーロッパで発明された当初、自転車の操縦には当局が発行した免許証が必要だったと聞いたことがある。

現代ではそうもいかぬだろうが、日常的歩行者としては自動車より自転車の方が余程怖い。近所の歩道の一部は真ん中にマークがあり、車道側が自転車用とされているが、自転車に乗る人は全く関係ないみたいだ。尤も専用ではないので、自分を含め歩行者がそこを歩いていることは日常的な光景でもある。スマホを見ながら片手ハンドルもよく見かけるし、高齢のおばさんが危なっかしく乗っているのを見るのも辛いものがある。スーパーの前には置き場係のお爺さんが居て、駐輪の手助けをしてくれるから良いようなものだが。

山に住めば危険は一杯だろうし、都会には都会の危険もある。どこに住もうと危険は常に隣りあわせと言うことになる。

2019年4月18日木曜日

元号騒動

母は明治45年2月生まれだから明治の人間としての誇りを持っていた。父は7つ年上なので、いつも笑いながら「お母さんは大正人だよ」と半ば小馬鹿にしていた。詳しく知らなかったので調べると、明治は7月30日まで続いたので母が正しいことが分かった。難しいのは大正15年生まれの人と昭和元年生まれの人の場合だ。大正天皇の崩御は大正15年12月25日なので昭和元年は1週間しかない。

大正15年、昭和元年、昭和2年生まれの人は15才ほど年上に当たるのでお世話になった人が大勢いる。長幼の序列を考える時など何方から並んでもらうか分からず、まごついた経験が屡々あった。先の大戦に直接参加した人も多いが、それだけで判断しては順番を間違いかねない。この年齢の人はよく笑いながら話してくれたものだ。「昔の同級生は落第なんか関係なく、3世代がいたものよ。」そりゃそうだろう、大正15年の4月1日から昭和2年3月31日生まれが同級生になる訳だ。

昨今の新元号騒動を見て感じることがある。率直に言うと、総理大臣は皇族や天皇の地位を内心軽く見ているくせに、利用だけはちゃっかり十二分に利用している。鳩山由紀夫氏に言わせると、嘗て習近平氏が来日した際に天皇陛下との面談を設定したことを「陛下の政治利用」と野党自民党から強い反発を受けた。それを思うと、この元号騒動は皇室の政治利用そのものではないか。これは政権が意図していることではないと思うが、結果的にそのような僻み発言が出ても不思議ではない。これは元号法制定の際に事前発表できるかどうかを法定化しないままに放置していたことに原因があるらしい。

施行されている元号法にも「皇位の継承があった場合に限り改める」と明記してある。歴史的にもそのように継承されてきた訳だが、そうすると3世代人が同級生の様な不便さがあると言うよなことが勘案されたのかもしれぬ。このようにしてお手軽な現代人が生まれ、伝統は徐々に薄れて日本の姿も変わってゆくのだろう。どっちが良いかは判断しかねる。