人間は多種多様、互いに理解できないことは多い。国も違えば言葉も違う。しかし不思議なことに目と目を合わせれば相手の喜怒哀楽の感情を思いやれる。もちろん他の生物にも似たようなことが言えるのかもしれぬ。他の生物のことは措くとして、夫婦から家族、親族と集団が誕生して社会が形成されてきた。集団には当然のルールが存在していて、これを守ることで属する人々は一定の安心感が得られる筈。
しかし世界的に見れば、2千年以上前から集団のリーダーたちは自己集団への力量の誇示からかどうか、未だ見ぬ集団との接触を積極的に行ってきた。所謂未知との遭遇はリーダーの本能的行為だったのだろう。先に2千年と書いたが、隣の中国辺りでは4千年以上の昔からあったとされていることを思い出した。大分昔に中国の黄河流域の古文化遺跡、特に秦の始皇帝が作ったとされている兵馬俑遺跡を見学した時を思い出している。
想像を絶する広大な遺跡から数千体の兵士の像が整然と立ち並んでいた。一体一体が実に表情豊かに制作されていて、軍隊が多様な部族で構成されていたことが理解できる仕組みだった。西安の博物館には当時の王朝文化遺産が多数展示され、深く感心した記憶が蘇ってきた。
一方今話題のイラン、行ったことはないが、海洋国家のペルシャや対岸のアラビア半島にも中国に劣らぬ古い歴史がある筈だ。歴史の浅いアメリカを馬鹿にするわけでもないが、古来人心を収攬したリーダーたちの力の源泉は何にあったのだろう?武器は精々盾と矛、言語ももままならぬのにどうやって訓練をしたのか?短期間に王宮や王墓まで用意できた。謎は深まるばかり、鉄器もままならぬ時代のことだ。
翻って現代を思えば、鉄砲はおろか鉄の戦車に軍艦と爆弾。剣を振るわず市民を巻き込んで人殺しをする。文明は破壊される一方で何も生まれず後世に伝えるべきものは皆無。現代のリーダーたちは毎日のようにくだらぬ言辞を弄するが、本人の気持ちは何も伝わらない。国民の何割が心からリーダーを信じるのか、おかしな時代になったものだ。