2026年5月13日水曜日

幸福とは

 今朝誰かのメルマガで読んでちょっと気になったのでネットで確認してみた。2026年の世界幸福度ランキングでは147か国中、日本は61位で、近年順位が下降傾向にあるとのこと。だからどうした?で誰も気にしないだろう。どこの誰の調査か分からないが、大手のマスコミが相手にしないのも理解できる。円安傾向にあるのに出稼ぎに来る外国人労働者は増える一方だし、この調査の上位にランクされているのがフィンランド、アイスランド、デンマーク、スウエーデン、ノルウエーと北海道以上に北の寒い国々。

昨日も昼間NHKのドキュメンタリーで「天空の放牧 ~秘境 カラコルム山脈~」を興味深く観てしまった。パミール高原標高3千メートルの村から羊とヤクの餌を求めて夏に4千メートル超える高地に危険な山道を家畜を引き連れて行き交う生活を送らざるを得ない村人の話だ。現代離れした話で、住民の思いを察すれば一日でも早くこの環境から抜け出したいだろうと思う。しかし現実は、家畜は神からの授かりもので、その保護は自分たちの勤めとばかりに嬉々として厳寒の地で生きる村人の物語。この地を含むパキスタンが幸福度何位か分からないが、環境に馴染めば人間は幸せだと思う。

一方日本人はどちらかと言うと他国の人に比べると心配症の人が多いようだ。結果何が起きるかと言えば、環境に順応するより環境を克服したり、環境を変えてでも生活の快適化を図る努力するのが当たり前と思う人が多い。小生は快適に過ごすためには自分が順応する努力が当然だと思っている。順応は平たく言えば従う事。大分飛躍するが、憲法を変えるなんてことも環境の克服に似ている。日本は温暖ではあるが、昔から地震災害は当たり前。何度もその被害を乗り越えてきた。政治家が議論し始めている<緊急事態>とは何をイメージしているのだろう?具体性の無い議論は無用のことだ。

2026年5月12日火曜日

同じ戦でも

 沖縄や南の島々はもう梅雨入りらしいが、こちら首都圏はもう暫く初夏の爽やかさが続くとのことで今日から昼の着衣を半袖にした。身体と同じように心も軽く明るくいきたいものだ。てなことで最近は世の中で起きてる様々な事件に関する報道を気にしないようにしている。若い人からすればあまり褒められた話ではないだろうが、所詮はたかが一人のボケ老人。一億人以上が暮らす日本の片隅で何を思ってもせんないことだ。そう言えば前回の総選挙もパスをした。引っ越したばかりだったこともある。次の選挙が区会議員選かどうか知らぬが、次もその次も行かぬつもりだ。

イギリスでは地方選挙で長年続いた保守vs労働の2大政党制がが壊され第3勢力が躍進しているとのこと。日本はかなり前から保守と革新の2大政党体制は壊れて、いわゆる多党乱立の混乱状態にある。落ち着く先はまだ見えぬが、何れにしても小生ごときが出る幕ではないと勝手に決めている。世界的にもあちこちで武力紛争が多発して先の見通しが分かりにくい世の中。当分平和とは縁遠い時代が続きそう。日本史だけなら比較的近い過去に長く続いた時代が武士の時代の終焉があったりする。

世界史的に見て似たような時代は何時だったのだろう?深く考える必要もないが、きっと過去にも似たような時代があった筈だと思う。まさかキリスト教徒とイスラム教徒が長年闘った十字軍時代にまで遡るとも思えないが、あの時代は様々な伝説が生まれて一種のロマンがある。今は活躍すのが人でなくてドローンとミサイルでは少しも面白くない。

2026年5月11日月曜日

老化やむなし

 老化現象にはいろいろあると思うが、最近新たに感じ始めていることがある。時々手先が硬直化して突っ張ってしまうことが頻発している。筋肉の劣化か神経系統の問題かは分からないが、劣化現象であるのはまちがいない。日頃から少なくても4、5千歩を歩くことだけは何とか維持しようと頑張っているものの、足元が覚束なくて真っ直ぐにすたすたと歩けない。情けないがそれがこれまた年齢によるものであるのは医師の診断を待たなくても分かる気がする。

今朝も高校時代からの友人の一人が亡くなったとの知らせがあった。同世代の友人が一人また一人とこの世を去ってい行く。遠からず自分もまた同じ道を進むことになるのは必定。これまでに悔いはないが、更に1日でも好きなことをして過ごしたいものだ。

2026年5月10日日曜日

世話好き不在の現代

 現代社会は他人のことは出来るだけ気にせず、困ったことは警察や役所或いは学校とか○○法人に任せて生きようとする人が多いと思う。しかし我が親世代は全く違っていた。先ず子供の婚姻については親の薦めが普通で、5人兄弟中ただ一人小生は当時勤務していた会社の社長が薦めてくれた取引先の社長の娘さんを貰うつもりになって、多分電話か何かで長野の実家に連絡した。そうすると母が「一度帰宅してきちんと報告しなさい。」とのこと。帰宅すると父が「結婚は良いが、両親にも相談してくれ。」と言うことで、社長に返事を待ってもらった。

推薦されていたのが地元長野県の企業だったので、まさかこちらから断るとは思ってもいなかったが、父の調査で一旦断ることになった。社長からは「君のせいで得意先を1社失った。」と嫌味を言われたがそれはそうだと思う。結局はそれから他の兄弟と同じように何度か見合いを重ねて亡き妻との結婚に至った次第だ。今風に考えれば善悪の評価は色々あるだろう。今日母の日に言いたかったのは、我が家が特殊だったかどうか分からぬが、両親とも明治生まれだから仕方なかったのかもしれぬ。

兎に角、昔の人は他人の面倒見が良かった。両親は26組の結婚を仲介してその親分になったことに大いに満足していたと思う。1年に一度はその夫婦全員を招待して食事会を開き、子供の我々も参加していた。似たような行事は我が夫婦の仲人夫妻の家にもあり、ある企業の社長をしていた先方の長男から「我々も兄弟ですね。」と笑いながら言われた記憶がある。社会人になってから、両親の真似をしてせめて一組でも良いから仲人をしてみたかったが、実現しなかった。世の中変ったと言えばそれまでだ。

2026年5月9日土曜日

運動会の思い出

 今日も爽やかな五月晴れだ、小中学校や幼稚園などでは運動会のシーズン入りで先生たちは準備に大わらわかもしれぬ。子供の頃から足が遅かったのに何故か好きな行事だった。家内は運動会と遠足が嫌い。亭主の小生は音楽会と学芸会が嫌いだからおかしな夫婦だった。しかし孫が出来ると家内も弁当を作って一緒に豊島区から世田谷区まで運動会見物で何度も出掛けたことを思い出す。孫の一人は小学校のスーパースターでクラス対抗リレーのアンカーでいつも好成績を収めていた。

一時は生徒と応援に来た家族が一緒に食事できた時代もあったが今は、考えられないだろう。我々の時代は小学生時代から高校まで騎馬戦と棒倒しがある意味花で、男子は全員参加、友人が棒倒しで骨折したこともあった、強い子が二人、向かい合って胡坐をかき、棒の根元を支えているのだ。棒も結構太かったから腕が下敷きになれば当然起こりうる事故。棒の周りは幾重にも生徒が腕を組んで時を待ち構える。号砲一発、攻撃に回った半分の生徒が押し寄せる。

待ち構える生徒の腹や肩に足をかけて棒に跳びつくのが自慢、小中学時代は学年別だったかもしれぬが、高校時代には全員総出だった。小生はいつも守り、跳びこんできた1級上の乱暴者の顔を思い切り殴ったことを根に持たれて、競技終了後返しの一発を食らったのが懐かしい。くだらぬことを長々書いてしまった。時代が替わって今の運動会は様相が大分異なるだろうが、運動会は今でもあるだろう。

祭りのように華やかだった学校の運動会は、外国の学校にもあるだろうか?ひょっとすると無いかっも知れない、

2026年5月8日金曜日

報道の使命

 新聞はとっていないし、テレビはNHKばかり観ているので報道が実につまらない。NHKはいつも「皆様のNHK」と言うが皆様が政府と同意語で使っている。商業的コマーシャルを禁じられてはいるが、市民から受信料を取ることを許されているのだからかなり裕福であることは間違いない。恐らく世界中に支局や特派員を送ったりしてるのだろうが、海外からの報道は殆どが外国の通信社や放送局に頼っている。実に情けないものだ。

NHKニュースの朝一番は大概地震情報から始まる。どこそこで震度2でも3でも実に丁寧に震源地やその深さまで報道があり、津波の心配あはありませんと保証してくれるし、少し強い地震であれば「海に近づかないでください。」と警告を発する。何でも馬鹿丁寧さが良いとは言えない、地元の漁師からすれば馬鹿にするなと怒りたくなって当たり前だ。続いて今朝入っているニュースとなるが、その殆どがニューでなく旧いものの蒸し返し。酷い場合は犯人が逮捕されている事件でも、「警察の取材で分かりました」なんて但し書き付きで何日も繰り返される。

放送の使命はそんなものではなかろう。確かに早いに越したことは無い。ハンタウイルスのように進行中事件や未解決事件の調査報道なら分かるが、警察は容疑者を逮捕するまでが基本のお仕事。その裏付け捜査を我々が知っても何の意味もない。岩手県の山林火災が、1週間以上かかってようやく鎮火、と思ったらその3日後かにまた火の手が上がった。小生は消防署員に放火魔がいるのではと邪推したが、どうもそうではなかったようだ。ただNHKの報道でその原因は明らかにされてはいない。

ドラマの宣伝もやや過剰に過ぎはしないか?

2026年5月7日木曜日

男女関係

 本を読み終わった後にはこのブログで読後感を書き残すことを習慣にしてきたが、今回読み終わった本だけは読後感を書かずにしまうことにしたい。一応書名だけと著者名は書いておく。「一寸先は闇」五木寛之・佐藤優 共著 別にけなすつもりはないが、小生には少し難し過ぎた感じだ。両氏とも現代の日本を代表する知識人だと思うし、書かれている内容も充実しているかもしれぬ。署名の副題に<「分からない」と言う覚悟>と書かれているから読後感を書けなくても当然なのかもしれぬ。

物心ついて以来約80年、世の中は大きく変わった。大勢の人が行きかう街中で思うことは、存在証明のあり様が一番だと思う。子供から18歳まで故郷長野市で過ごす時間が長かったが、常に迷子札ではないが、男子は皆校章のついた学生帽子を被り女子は学校が決めた制服を着用していたので、どこの生徒か万人に分かる仕掛けになっていた。個人的に差はあったと思うが、小生は休日に私服で外出する時でも学生帽だけは被っていたと思う。

高校くらいになると彼女が居た生徒も多かったが、彼女とこれ見よがしに手を繋いで歩く姿は見られなかったと思う。現代のように中高生高校生くらいから好きなもの同士が手つないで歩くのは自然なのかもしれぬ。最近は夫婦らしき二人が手を繋いでいるのもよく見かけるし、男性の方が子供を背負ったりベビーカーを押している方が普通のようにも見える。片手は同行者と手を繋ぎ、もう片方の手はスマホを握りしめ、現代人の手は忙しいことだ。