2026年5月10日日曜日

世話好き不在の現代

 現代社会は他人のことは出来るだけ気にせず、困ったことは警察や役所或いは学校とか○○法人に任せて生きようとする人が多いと思う。しかし我が親世代は全く違っていた。先ず子供の婚姻については親の薦めが普通で、5人兄弟中ただ一人小生は当時勤務していた会社の社長が薦めてくれた取引先の社長の娘さんを貰うつもりになって、多分電話か何かで長野の実家に連絡した。そうすると母が「一度帰宅してきちんと報告しなさい。」とのこと。帰宅すると父が「結婚は良いが、両親にも相談してくれ。」と言うことで、社長に返事を待ってもらった。

推薦されていたのが地元長野県の企業だったので、まさかこちらから断るとは思ってもいなかったが、父の調査で一旦断ることになった。社長からは「君のせいで得意先を1社失った。」と嫌味を言われたがそれはそうだと思う。結局はそれから他の兄弟と同じように何度か見合いを重ねて亡き妻との結婚に至った次第だ。今風に考えれば善悪の評価は色々あるだろう。今日母の日に言いたかったのは、我が家が特殊だったかどうか分からぬが、両親とも明治生まれだから仕方なかったのかもしれぬ。

兎に角、昔の人は他人の面倒見が良かった。両親は26組の結婚を仲介してその親分になったことに大いに満足していたと思う。1年に一度はその夫婦全員を招待して食事会を開き、子供の我々も参加していた。似たような行事は我が夫婦の仲人夫妻の家にもあり、ある企業の社長をしていた先方の長男から「我々も兄弟ですね。」と笑いながら言われた記憶がある。社会人になってから、両親の真似をしてせめて一組でも良いから仲人をしてみたかったが、実現しなかった。世の中変ったと言えばそれまでだ。

2026年5月9日土曜日

運動会の思い出

 今日も爽やかな五月晴れだ、小中学校や幼稚園などでは運動会のシーズン入りで先生たちは準備に大わらわかもしれぬ。子供の頃から足が遅かったのに何故か好きな行事だった。家内は運動会と遠足が嫌い。亭主の小生は音楽会と学芸会が嫌いだからおかしな夫婦だった。しかし孫が出来ると家内も弁当を作って一緒に豊島区から世田谷区まで運動会見物で何度も出掛けたことを思い出す。孫の一人は小学校のスーパースターでクラス対抗リレーのアンカーでいつも好成績を収めていた。

一時は生徒と応援に来た家族が一緒に食事できた時代もあったが今は、考えられないだろう。我々の時代は小学生時代から高校まで騎馬戦と棒倒しがある意味花で、男子は全員参加、友人が棒倒しで骨折したこともあった、強い子が二人、向かい合って胡坐をかき、棒の根元を支えているのだ。棒も結構太かったから腕が下敷きになれば当然起こりうる事故。棒の周りは幾重にも生徒が腕を組んで時を待ち構える。号砲一発、攻撃に回った半分の生徒が押し寄せる。

待ち構える生徒の腹や肩に足をかけて棒に跳びつくのが自慢、小中学時代は学年別だったかもしれぬが、高校時代には全員総出だった。小生はいつも守り、跳びこんできた1級上の乱暴者の顔を思い切り殴ったことを根に持たれて、競技終了後返しの一発を食らったのが懐かしい。くだらぬことを長々書いてしまった。時代が替わって今の運動会は様相が大分異なるだろうが、運動会は今でもあるだろう。

祭りのように華やかだった学校の運動会は、外国の学校にもあるだろうか?ひょっとすると無いかっも知れない、

2026年5月8日金曜日

報道の使命

 新聞はとっていないし、テレビはNHKばかり観ているので報道が実につまらない。NHKはいつも「皆様のNHK」と言うが皆様が政府と同意語で使っている。商業的コマーシャルを禁じられてはいるが、市民から受信料を取ることを許されているのだからかなり裕福であることは間違いない。恐らく世界中に支局や特派員を送ったりしてるのだろうが、海外からの報道は殆どが外国の通信社や放送局に頼っている。実に情けないものだ。

NHKニュースの朝一番は大概地震情報から始まる。どこそこで震度2でも3でも実に丁寧に震源地やその深さまで報道があり、津波の心配あはありませんと保証してくれるし、少し強い地震であれば「海に近づかないでください。」と警告を発する。何でも馬鹿丁寧さが良いとは言えない、地元の漁師からすれば馬鹿にするなと怒りたくなって当たり前だ。続いて今朝入っているニュースとなるが、その殆どがニューでなく旧いものの蒸し返し。酷い場合は犯人が逮捕されている事件でも、「警察の取材で分かりました」なんて但し書き付きで何日も繰り返される。

放送の使命はそんなものではなかろう。確かに早いに越したことは無い。ハンタウイルスのように進行中事件や未解決事件の調査報道なら分かるが、警察は容疑者を逮捕するまでが基本のお仕事。その裏付け捜査を我々が知っても何の意味もない。岩手県の山林火災が、1週間以上かかってようやく鎮火、と思ったらその3日後かにまた火の手が上がった。小生は消防署員に放火魔がいるのではと邪推したが、どうもそうではなかったようだ。ただNHKの報道でその原因は明らかにされてはいない。

ドラマの宣伝もやや過剰に過ぎはしないか?

2026年5月7日木曜日

男女関係

 本を読み終わった後にはこのブログで読後感を書き残すことを習慣にしてきたが、今回読み終わった本だけは読後感を書かずにしまうことにしたい。一応書名だけと著者名は書いておく。「一寸先は闇」五木寛之・佐藤優 共著 別にけなすつもりはないが、小生には少し難し過ぎた感じだ。両氏とも現代の日本を代表する知識人だと思うし、書かれている内容も充実しているかもしれぬ。署名の副題に<「分からない」と言う覚悟>と書かれているから読後感を書けなくても当然なのかもしれぬ。

物心ついて以来約80年、世の中は大きく変わった。大勢の人が行きかう街中で思うことは、存在証明のあり様が一番だと思う。子供から18歳まで故郷長野市で過ごす時間が長かったが、常に迷子札ではないが、男子は皆校章のついた学生帽子を被り女子は学校が決めた制服を着用していたので、どこの生徒か万人に分かる仕掛けになっていた。個人的に差はあったと思うが、小生は休日に私服で外出する時でも学生帽だけは被っていたと思う。

高校くらいになると彼女が居た生徒も多かったが、彼女とこれ見よがしに手を繋いで歩く姿は見られなかったと思う。現代のように中高生高校生くらいから好きなもの同士が手つないで歩くのは自然なのかもしれぬ。最近は夫婦らしき二人が手を繋いでいるのもよく見かけるし、男性の方が子供を背負ったりベビーカーを押している方が普通のようにも見える。片手は同行者と手を繋ぎ、もう片方の手はスマホを握りしめ、現代人の手は忙しいことだ。

2026年5月6日水曜日

憧れの海外旅行

 今日で大型連休も終わり、明日から仕事だと多少うんざりしているお父さんやお母さんも居ることだろう。しかし仕事がある人は幸せだ。稼ぎが無いので他人の世話で生き永らえているのも少し辛いものがあるが、普通の人には分かってもらえない心境かもしれぬ。

小生も若い時分には長い休みを望み続けていただろうが今はすっかり忘れている。敢えて思い出すとやはり一番にくる希望は海外旅行だった。しかしまともに願いがかなったことは1度だけ。ボストンに甥っ子が留学していたので、彼を頼ってアメリカ東河岸に行ってみたことがある。

しかし今になって考えると、あまり褒められた旅行先だったとは言えない。長い休みと言っても精々10日前後、どうせ異文化を見るならもっと異なる場所に行くべきだった。その点で言うと、母は非常に偉かった。恐らく70歳過ぎるまで学生時代から仲が良かった東京在住の友人誘って、世界中を旅行しまくっていた。何度か羽田空港まで見送りや出迎えで行ったことがある。いつもまるで学生のようにリュックサックを背負い楽しそうだった。帰省して父に訊くと、父は少し小ばかにしていたが、母はソ連のエルミタージュ美術館や北欧フィヨルド、スイスアルプス等の素晴らしき景観を自慢気に話してくれたものだ。

現代では若いうちから異文化、文明に接することは比較的簡単にはなっていると思う。しかしできても個人的意思が働かなくては実現は不可能。年老いても意志さえあれば海外旅行は可能な筈。母から聞いた土地をの一部でも訪れたいが、もう期限切れになってしまった感が否めない昨今だ。

2026年5月5日火曜日

読後感「棺桶まで歩こう」萬田緑平著

 表紙の帯に東畑開人氏と言う方が書いている。『タイトルにひかれて読み、かつライトなエッセイ文体だが、きわめて哲学的な本だった。「歩けなくなるまで死なない」といテーマは冗談のようでいて最上級に困難な問題を実務的に問うていた。』著者は群馬大学医学部の整形外科出身の若手(1964年生まれ)医師。冒頭で自分自身は80歳過ぎまで生きたくないとも書いている。何故なら老化は避けられず、認知症になってまで生きていたくないようだ。

大学病院時代は外科に勤務して手術、抗がん剤治療など行う中で医療の在り方に疑問を持つ。2008年から9年間緩和ケア診療所に勤務して2000人以上の看取りに関わる。そして結局自ら「緩和ケア萬田診療所」の開設に至った人物。小生書店に並ぶ健康法や長寿するためになる本を読むことは無いが、著者の命に対する考え方には共感することが大きかった。生きたい思いは個人的なこと、たまたま昨年暮れ近く豊島区から世田谷区に引っ越し、掛かりつけ医発見がうまくいかず、医師や薬と縁が切れているタイミングだ。

何と都合の良い本のことよだ。一人住まいで勝手なことして往生できるなら結構じゃないかと薦めてくれている。

2026年5月4日月曜日

憲法と軍隊

 物事には原則がある。国の原則は憲法かもしれぬ。小生昔から法律を重視しない性質なので真剣に学んだことは無いが、法科系の諸氏は学生時代から十分学んで来た筈だ。聞くところでは、憲法は権力を縛るものであるそうだから小生のような世間のゴミみたい存在は知らなくても好かろうと勝手に思い込んでいる次第。昨日の憲法記念日に改憲派と護憲派の人々がそれぞれに集会を開いたりして気勢を挙げている。

折角の記念日だ、お互い冷静にもう一度読み直すくらいの度量を見せてはどうか。その上で日本国の実態が憲法精神と如何にかけ離れているかを分かり易く数値化でもして示してほしい。個人的見解で言えば、防衛省が設置されている我が日本は、憲法の前文と第9条に書かれたことに99.9%違反しているように思える。ならば憲法を早速に書き換えるべきだろうとの意見も理解できない訳ではない。

防衛省が抱える約20万人を超える職員は誰が見ても立派な軍人と軍隊。国民、小生のように無職の老人から赤ん坊迄一人当たり毎月1万円近い税金が注ぎ込まれていることも改めて認識すべきだ。昔の軍隊との違いは、陸海空の3大臣が存在せずに一人の大臣が3軍(最近はもっと増えている現実もあるが措くとして)を束ねている格好になっていることだ。昔は東京大学より難しいと言われた軍隊内の士官教育を受けた秀才がそれぞれの軍を率いていたが、現在は國學院大學(馬鹿にしている訳ではありません)とアメリカの何とか大学出の秀才が全軍を指揮している。

隊内の指揮部門(昔の参謀部は現在幕僚監部と言うらしい)の上に統合幕僚監部が置かれて、その上にいきなり大臣閣下が座る形になっているようだ。これではいざ鎌倉の時に現在のナフサ供給と同じ目詰まりが起きはせぬかと心配になって来る。