2024年4月18日木曜日

長寿を目指して

 先々週の木曜日に誕生日が来て齢84となった。ある意味で目出度いかも知れぬが、総天然色の世界がだんだん色褪せて、やがてモノクロームに移りゆく感が強い。声高には言えぬが、夢と希望が少なくなりつつあるのも事実。毎日することは、今日は昨日の続きで今日の続きはまた明日と至って代り映えがしない。1日1万歩の散歩やブログは何とか続いているが、ブログは書くことが段々少なくなりつつある。己の生活は代り映えが無いし、かと言って余計なことを書くと人様の迷惑になりかねない。

お節介で他人の恨みを買っては碌なことにならぬだろう。小学生5年だったと思うが、担任の先生が何時も燥ぎまわる小生を捕まえて「もっと静かにしなさい。平凡であることが一番大事だよ。」と諭してくれたことが今更のように蘇る。現代の平凡、線を何処に引いて良いか難しいが、10歳くらい年下に考えたいものだ。そうすれば寿命が平均より少し伸びるかも知れぬ。

2024年4月17日水曜日

出よ!新たな秀才

 最近とみに思うことがある。このところ嘘をついた人が次々と暴かれているが、嘘を付くのは難しい、特に自分を騙すことだけは100%不可能で、だましだましがきかないことは誰でも知ってる筈だ。相撲や柔道の格闘技の選手が骨折などの怪我を押して最後の勝負に出て勝つことがあるが、例外中の例外と見るべきだ。しかし政治家に多く見られるように脳神経内の判断基準にダブルスタンダードを持てば嘘をつくことが左程難しくないのかも知れぬ。

特に今世界のあちこちで見られるように戦争をしている国の指導者連中、彼らは何かの理由を、小生には屁理屈としか思えないが、見つけて人殺しを平然と行っている。彼らとて神を恐れぬ行為が良しとは思っていないだろう。しかし国のため正義のためと平然としている。小生が生を受けた時代の日本も同様の空気に包まれていた。当時は、日本には資源が不足しているので已むを得ず海外に求めざるを得ない、がお題目。頭が良くて身体頑健な優秀な人材がこぞって軍人となって海外で無辜の民を殺戮して領土を拡大した。

戦争は明治時代半ばから始まり昭和20年の敗戦まで続いたので約半世紀近くに亘ったと言える。しかし結局はABCD(米英中蘭中心)連合軍に徹底的に打ち負かされ、収奪した領土も4分の1に圧縮され、人口は約7千200万人にされてしまった。同時に国民をリードしてきた軍事政権幹部は連合軍に依って(これが問題と言う人もいる)罪を背負わされ、ある者は死刑など重い罰を課せられた。かくして、優秀だった人材の多くが政治の表舞台から姿を消し、表現に語弊があるかも知れぬが二流以下、或いは未成熟の若者が政治を担った。

しかし、日本社会は終戦後23年(1968年)で人口は1億人を突破、GDPが世界第2位にまで見事に復活して世界を驚かせた実績がある。この間の経緯は分からぬが、外地から乞食同然の姿で帰国してきた両親の世代が、それこそ死にものぐるいで努力した結果だろう。しかし華々しく2度目の花を咲かせた20世紀が終わり、21世紀に入ると世界の様相がかなり変わり、発展途上国とされた国々が急成長、特に中国が目覚ましい。残念ながら日本は色々な意味で発展要素が少なくなりつつある。

責任は、勿論我々世代が親の遺産を食い潰したことにあろう。何とか3度目の花を咲かす方策を見つけたいが、我々には荷が重すぎる。

2024年4月16日火曜日

月刊「文藝春秋」5月号

 やっと冬が終わった、一山越えた気分でもいいのに、何故か風邪ひき症状がスッキリしない。咳と痰がなかなか治まってくれないのが厄介だ。もう一度かかりつけ医に行って薬を処方してもらう程ではないかも知れぬが、と考えたりしている。それは扨措き昨今の世の中、スッキリしないことが多すぎる。誰しも子供の頃、親や先生から注意されるいの一番は「嘘をついてはいけません」だと思うが、自民党では裏金疑惑に始まり、総裁の首相以下全員が嘘をつき続けている感が否めない。

これは何れ国民の審判が下るだろうが、またぞろ出たかと思うのが東京都知事小池百合子氏の学歴詐称問題。月刊文藝春秋5月号に二人の寄稿者がいて事実と称する記事がある。一人は元側近の弁護士さん。もう一人は在カイロの女性で、小池氏が若く、カイロ大学在学していたとされる時代に一緒に暮らしていた経験をを持つ女性。二人共小池氏のカイロ大学卒業はありえないと断じている。真偽の程は分からないが、告発した方は法定での決着もあるだろうとのこと。

カイロ大学は想像以上に厳しい大学のようだが、エジプトと言う国はこれまた想像以上に何でもありの国柄で、女性の告発者は殺されることを本当に恐れているようだ。小池都知事は1票を献じていないにしても小生自身も選挙に関わっている。もし告発者の言うことが証明されれば、大変な事態だ。裏金疑惑にしても、この問題にしても、大手新聞テレビは何故本格調査に乗り出さないのだろう?世界各地の戦争報道に比較すれば、かなり容易なことだろうに。

同じ文藝春秋には興味深い記事が多い。小生も多用しているスマホのアプリLINEは元々韓国の企業らしいが、利用者の個人情報が韓国と中国に筒抜けになっているので使用を見合わせるべきなんて記事もある。元東京地検特捜部長の「特捜部は何故5人衆を逮捕できないか」との記事も読んだが、法律の建付けに沿えば仕方ない、と従来からよく言われているだけのこと。余り意味が無いように感じた。

巻頭のカラーページとセットになっている「皇室の宝物」。これこそ雑誌の企画には勿体ないと言うべきか、少し残念な企画。東京在住の小生は皇居に行けば実物の一部は拝観可能だが、肝心のカラーページはテレビの出番を待つしかない。

2024年4月15日月曜日

仮想であってくれ

 今朝の報道には「世界大戦」の4文字が溢れている。イランvsイスラエルの紛争、特に昨日行われたイランからの攻撃がイスラエル側に立った米英仏などの国際的な協力で殆ど無力化された事実を踏まえての論評だ。遠い異国のことで事実は分かり難いが、大方の見方が当たっているとすれば恐ろしいことだ。つい先日までは、世界の何処で戦争が起ころうと、日本が巻き込まれる心配はあるまいと高を括っていた。

しかし最近は、首相自身が世界に向かって大声で「アメリカと共にある。」ことを宣言しているのだからそうはいかぬだろう。宣言がなくても日本国内に多数のアメリカ軍基地が存在してるだけでも嫌な気分でいたのにだ。日本の自衛隊は玩具の兵隊と同じで、存在するだけで使い物にならぬと思っていたが、ガラリと変わった。アメリカと共に戦うためにアメリカ軍と自衛隊の統合作戦司令部が置かれる準備が進みつつあるとのこと。

アメリカに頼ったイスラエルは今回イランからの襲撃をよく防げたが、日本もそう上手くいくかどうか?攻撃に回ったイランも弾丸を発射するだいぶ前に通過する数カ国を始め、外国に予告している。へ~、現代の戦争てこんなに紳士的にするものなのか、と半ば呆れたような感心するような複雑な気持ちだ。北朝鮮や中国、ロシアと日本はごく近いところに怖い、即ちアメリカとは余り友好的でない国が沢山ある。日本もアメリカ以外のこれらの国とは余り仲が良いとも思えない。

何とか穏便にお計らい願いたいものだが、世界大戦となれば、アメリカと共にある日本だからそうはいかぬだろう。覚悟を決める日が生存中には来ぬこと祈るのみだ。

2024年4月14日日曜日

感覚のギャップ

 昨夜も高校時代の友人と5人でリモートミーティングをして、珍しいくらい意見の一致を見たのが岸田首相の訪米結果。口を揃えて、米国追従姿勢が酷すぎる。特に戦争への協力をあそこまで簡単に約束するのは憲法違反かも知れぬし、手続き的にもあまりに独断専行、国民の意志を全く無視してるではないか。海外キャリアの長い友人が言うには「彼は中学時代の始め頃までか、アメリカ在住経験があるので、英語の上手さは評価できるが、内容が国民の意志とかけ離れすぎた。」すかさず別の一人が半畳を入れた「英語だとあんなに淀みなく喋れるなら、国会も英語で喋ってみたらどうかね。」笑

我々世代からすると評価が低いが、昨日今日とテレビを観てると評価が全く逆。政治資金問題で低下した支持率を押し上げる一助になりそうだとの意見が圧倒的だ。昨日発表された人口統計によれば75歳以上の高齢日本人は約1800万人、総人口比で14%らしいから5人の意見が一致しても反対の意見を持つ人が20人以上居ることになる。途中で話題にもなったが、やはり「戦争の実相への感覚が大分違う世代がの人口が増えてるからに他ならない。我々は戦争の現場は知らぬが、両親や伯・叔父、兄たちは殆ど軍務についている。自身が戦地となった地から命からがら逃げ帰って来た友人たちと同じ学校で学んだし、近所には戦争孤児の施設も多かった。

戦争の悲惨さが肌感覚で分かるだけに、岸田首相のアメリカのグローバルパートナー理論には同意しかねてしまうのだろう。しかし肌感覚で知らない、分からないということは、ある意味勇ましくなるのは已むを得ない。正義の感覚も昔と今では大分異なる。と言うより、我々以上に先祖返りしてるのかも知れぬ。つまり「義を見てせざるは勇なきなり」だ。我々は「義」とか「勇」について詳しく教わってこなかった。若い人たちはアニメや漫画で「愛」何かと同じ感覚でこれを覚えたはず。この違いを論じても始まらない。孫の小さい頃はアニメ映画をよく観たが、最近その機会は全く無い。この感覚が分かっているのは麻生自民党副総裁くらいだろう。

2024年4月13日土曜日

招待を受ける作法

 東京は桜も散り始め、気温も大分上がって凌ぎやすくなってきた。しかし少し遡って日本のことを思うと、元日早々北陸では能登半島に大きな地震が発生して以来、何やら不吉な空気感に覆われている。小生も寄る年波で、身体のあちこちに故障が発生して独居の不便さを痛感せざるを得ない。個人的なことは歳だから措いても、社会を俯瞰すれば先ず政治の機能不全と経済の状態が、1国の責任だけではないにしても、只ならぬ状態に陥り始めてるのことは専門家ならずとも感じることが出来る。

こんなことはボケ老人が改めて言うまでもなく、政治家、特に責任ある政府関係者であれば誰もが心配してることの筈だ。しかし岸田首相の頭は今年度予算が成立したことで、やるべきことは終わってしまったような振る舞い。予て招待されていたアメリカ訪問にいそいそと出かけてしまった。招待を企画したアメリカ側も年末に大統領選挙を控えているので、再選を目指す民主党バイデン氏とすれば何とか国内の支持率を上げる必要に迫られて考えついたことは、誰の目にも明らか。

あちこちで戦争が勃発して、アメリカ・ファーストを唱える共和党候補のトランプ氏の方に分がありそうに見えても仕方ない。岸田氏もそこを十分に分かっているだろうから、アメリカ滞在中は招待のお礼として過剰なまでにリップ・サービスに努めた。曰く「日本は国を上げてアメリカ民主党政権の応援をさせてもらう。日本国はアメリカが世界で活躍するためのグローバル・パートナーだから、アメリカが各地で戦っていることについても、全面的に貴国と共に居るから安心してくれ。」

小生は言いたい「ちょっと待ってくれ。礼儀として招待への礼を言うのは結構だ。しかし、戦争当事国の行為を是として協力しようなんて言いすぎではありませんか?」マスコミはそんな下品なことは言わないとしたものなのかもしれぬ。しかし首相ご自身が仰る通り、国民の一人として審判はさせていただく。総選挙は首相自身が決断される問題だが、その日が待ち遠しい。

2024年4月12日金曜日

今生の別れへの準備

 昨日朝7時過ぎには家を出て故郷長野市へ。昼から市内のホテルで高校の同期会があったからだ。ところが、この時間を勘違い、11時からのこと思ってしまっていた。認知症だと思いたくはないが、その初期症状らしきことが最近屡々起きる。購入済みの指定席切符が大宮発8:59かの新幹線。会場のホテルに10時半ころ到着予定だからしかたない。大宮までは有楽町線地下鉄とJR埼京線で簡単にけるが、この時間帯の乗車経験は本当に久しぶり。

山行の時はもっと早いし、普段この時間帯に公共交通機関を利用することは先ずありえない。若い頃は毎日利用していたと思うが、所謂通勤ラッシュの時間帯。特に地下鉄の混み具合は記憶が無くなっていたので、若き勤め人のご苦労を再認識できた。長野市内もゆっくり散歩してホテルに到着すると、小生同様勘違いをした人が一人いて、更にさもありなんと慮ってくれた幹事役の一人、昔からかなり親しい友人が会場の待合室まで案内してくれた。

そこで3人で馬鹿話をしながら時間を過ごせたのはありがたかった。11:30になると幹事役の友人が名札を持参、会費を徴収してくれた。12時前にはほぼ全員が集合、参加者は38名とのこと。卒業時は約400名だから既に1割を切っている。不参加の友人全てが物故されたわけではないだろうが、参加されている友人たちも杖を頼りに歩く人も結構居る。宴会が始まる前に昔生徒会長などをした友人の講演。彼は縁故者のいない松本市内での大成功者。「市民タイムス」なるタブロイド判の地方紙を発行し、現在は固定読者6万人近くなり、昨年50周年を祝えたとのこと、半世紀以上に亘る苦労話を披瀝。

新聞は地元で定着を果たし、事業も拡大、彼自身も今や南信では押しも押されもせぬ松本の名士だから、出世の鏡と言えるだろう。今から彼を見習えと言われても、時すでに遅しと思うのは小生ばかりではないはず。むしろ大勢の友人と酒を酌み交わしながら昔話や、今後のこと、これは持病のことやら墓仕舞いをしたとか、旅立ちの準備に関する話が多かったようにも思う。締めになって幹事から今後のことについて意見を求められたので、小生は「年に1回、日帰り、昼で」とお願い。特に反対は無かったので、幹事もホッとした様子。

隣りに座っていた昔からの親友は、酒を飲めないこともあり、「何も大げさの会場でなくて、喫茶店でも良いじゃないか。」と言いたかったようだ。何れにしても今後は、毎回今生の別れの場になるに違いない。