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本日快晴なり

日本も広い、北の方では未だ台風の被害が報道されているが、東京は久しぶりに快晴となった。熱帯性低気圧と称する台風が東北や北海道を襲うのだから、本州の果物やお米の産地が北上するのも当然かもしれぬ。お盆に沖縄に行ってきた友人によれば、逆に台風銀座の沖縄に台風が来ないのでサンゴが痛んでしまったそうだ。サンゴは水温が高い時期に海水が掻き回されないと腐ってしまうとのこと。今年だけの特異現象ならいいが、気象が完全に狂ってしまったとなると大ごとだ。

月半ばの終戦の日以降、ずっと雨やら低気圧に悩まされすっきりしなかった身体がやっとシャンとなった感じでもある。こんな日にこそ青空のもとルンルン気分で歩きたいのだが、友人に野暮用を頼まれ朝から終日車に乗せられてしまったので歩行数が全然上がらなかった。少しもったいないようで残念でもある。しかしこれから数日は天気も続きそうなので、ハイキングといかないまでも上野の展覧会場とか、皇居周辺でも散歩出来れば良いのだが。事務所閉鎖の準備ももう少しかかりそうだ。

ここで来月末をもって、東京電力との契約を解約しなければならぬことを思い出した。本日のブログはこれにて終わりにする。

95光年のロマン

海外旅行と縁が無くなってどのくらいになるか忘れてしまった。先日の大掃除で海外旅行用のカバン類も全て処分してしまったところだ。現在比較的長い旅行と言えば正月のお伊勢参りに、故郷長野への往復程度のものである。電車やバスでどんなに掛かっても精々4、5時間、乗り物の移動でも結構疲れてしまう。

先ほどネットで読んだ記事によると、ロシアにある電波望遠鏡が宇宙のかなたから「強い信号」を検知したことが明らかになり、科学者らの関心を集めているそうだ。電波望遠鏡の理屈も全くわからないが、この信号は地球から約95光年離れた恒星「HD164595」の方向から届いたとされる。光のスピードは秒速地球を7周り半と教わった。実際の距離が分からないので調べてみた。

秒速約30万キロメートルで、太陽の光が地球に到達する時間が8分20秒だそうだ。そのスピードでも95年掛かるのだから想像を絶する遠方の星からの話だから、長野に帰る何倍かなんて計算するのも面倒だ。これ正にロマンに満ちた宇宙を想像するいい機会なんだろう。宇宙は真空状態と聞いたが、無数の星があり、ゴミも沢山あるだろうに、どんなに強力であろうと直進しかしない電波がよく地球まで届いたものだ。

ことほど左様にこの世は分からないことだらけではないか。報道を聴いたり見たりしていると、何事も分かったような解説がついてくる。始末が良いか悪いか別にして、お天気でさえ予報がよく当たるようになっている。それでも今日は婆さんが病院、小生は千代田区での昼飯の約束をキャンセルせずに果たすことが出来た。婆さんは「天気予想」より自分の晴れ女を信じるのだそうだ。小生はそれに便乗しただけであるが、先のことなど余り心配しな方がいいのかもしれぬ。

世界の常識

このところ台風に翻弄され続けているような天気で、精神状態すらおかしくなりそうな東京の陽気だ。その影響でもあるまいが、総理はアフリカくんだりまで出かけて、お金をばらまく約束をしている。安倍家のお金ならいいだろうが、納税者としては本当に勘弁してもらいたい。このことについてもネット上では悪評サクサクだから、ここで触れるのはよしておこう。

先週のことになるが、どこかのテレビ局が政府の駆け付け警護の訓練を開始にあたり、専門家二人の意見を聞く企画があった。一人は髭の隊長さんこと自民党参議院議員佐藤正久氏、対するは現在はどこかの大学で教鞭をとる民間人だが嘗ては国連平和維持活動(PKO)の経験がある伊勢崎賢治氏。

二人の話は殆ど噛み合っていないと言える。佐藤氏はこれで自衛隊も国際貢献ができると胸を張るが、伊勢崎氏は自衛隊のままいくら派遣しようが、他国軍隊のお荷物が増えるだけで何の貢献にもならない。伊勢崎氏に言わせれば、駆付け警護なんて言葉も自衛隊独自のものらしい。PKOとして派遣されている施設部隊員も本来であれば襲撃されたら反撃しなければならない。しかし自衛隊の場合は反撃は歩兵の仕事で、施設部隊は反撃する武器すら持っていない。

自衛隊施設部隊が襲撃されてSOSを発信すると、先ず駆け付けるのは地元の警察、続いて国連軍の歩兵部隊が応援に来る仕掛けになっているとのこと。自衛隊の歩兵部隊が来るのはその後になる筈で、実際に自衛隊の歩兵部隊が役立つなんてことにはならぬだろう。要するに軍隊でない自衛隊が危険極まりない南スーダンで道路修理をするなんてこと自体が間違いだそうだ。

南スーダンは既に内戦状態として世界中が認めている。そこに派遣されているPKO部隊の殆どが、お金が入るので危険を承知で派遣している近隣諸国である。そんな場所に自衛隊を派遣しなくても、国連平和維持活動にはもっと日本にふさわしい仕事はたくさんある。佐藤氏は国連平和維持部隊の交戦規程Rules of Engagement(ROE)が新しくなって、施設部隊でも反撃でいるようになっていたことを知らなかったようだ。

否、知っていたかもしれぬが、それでは南スーダンに施設部隊を派遣できないのでとぼけたのかもしれぬ。

過去の話で済むのか?

不思議なことに最近になって福島県々南のある林業々者さんと縁が出来て、話を聞く機会があった。県南は特段の産業は無いが、終戦直後に植林された針葉樹が育って、森林資源が豊富な場所柄になっている。彼の事業はそれほど大規模ではないが、それこそ唯一の産業で個人企業として考えればそこそこと言ったところだろう。社長として10数人の社員とともに毎日元気に働いている。

ところが先週一夜食事をしながら話した時のことだ。お酒は進んでいたがこちら同様タバコは吸わないので「昔からですか?」の問いに対し驚くべき話が返ってきた。「いや、ごく最近まではヘビースモーカで1日に40~50本は吸っていたよ。ところが喉の調子がおかしくなって吸えなくなってしまったのさ。」

「あれはもう5年前になるか、2011年3月18日の早朝のことさ。役場からの電話で、浜通りの東京電力福島第一原発サイトへの緊急応援を要請された。この辺は津波の被害も無かったし、放射線も関係無しとされていた土地柄だ。そろそろ山仕事の準備に取り掛かっていたところさ。なんでも役場の話では、福一サイトは地震と津波の被害で足の踏み場が無いほど木材が散乱している。これを出来るだけ早く細かく断裁して整理をつけないことには人も車も入ることが出来ないので何とか協力願いたい。」

「この要請で山用の機材を車に詰め込み現場に急行した。そしてほぼ24時間近くぶっ通しで現場での作業をして帰宅することになると、東電の社員が来て、着ていった靴から身に着けていたもの一切、脱いで置いていって下さい。代わりのものは用意させて頂きます。までは分かったが、車やら山用の機材も全部同じとのこと。これには参ったよ。結局すべてのものを現場に置き去りにして家まで送り届けてもらった。もちろん車や機械については全部新品を買う金を支給してもらったし、手当は1週間分は貰ったと思う。」

「そこまでは今となれば笑い話で済む話だが、翌日から喉の調子がどうもおかしい。そうこうするうちに煙草がまずくて吸えなくなってしまった。今でもこの辺がおかしいのさ。」と喉の周りを手でなでる。酒を飲みながら妙にあっけらかんと話をするので、医者には通っているかなど、それ以上話を詮索しなかったが、小泉純一郎元総理がトモダチ作戦に参加した米兵の放射線被害を強くアッピールしている話を思い出した。関連して思えば福島県内の当時5歳以下の…

人物の表と裏

自民党二階俊博幹事長、この人物どこか得体のしれない人物とは思っていたが、参議院選挙直後だったか自民党総裁任期延長論をぶち上げたりしたので、よけい嫌な奴だと思っていた。しかし昨日の報道によると皇室問題に触れ、総理ご一統様が最も嫌う「女性天皇を容認」、更に天皇陛下自らが望まれている生前退位問題に関しても、総理が「この内閣で」で処理すべきと語ったらしい。殆どの政治家が「畏れ多い」を理由に、自らの考えを語らないこの重要案件についていとも簡単に意見を述べたことについては評価したい。個人的には有識者会議なんてことをだらだらやっても意味が無いと思う。むしろ与野党政治家同士の根回しの問題だろう。

総理も谷垣氏の後任幹事長に据えるぐらいだから、彼の政治的手腕には無視しえない何かがあり、味方に引き込む必要は感じているのだろう。しかし二階氏側が安倍氏に対してどれほどの共感を持っているかは別かもしれぬ。総裁任期延長論が単なるリップサービスだとすれば、相当な狸おやじだ。改めてwikiで調べてみると、顔は成程狸を髣髴させるが齢は1歳上の77歳で、大学卒業後すぐに議員秘書からスタートして、県会議員を経て一貫して政治家で進んできている。

多分二階氏から見れば、15歳も若い安倍晋三氏なんかは洟垂れ小僧みたい者だろう。自民党には安倍総裁よりキャリアも古い議員は結構いると思うが、何故か安倍応援団の「日本会議国会議員懇談会」に所属している者が多い。次期総裁を狙う石破氏なんかまで幹部に名を連ねているし、岸田外相自身は参加していないようだが親分の谷垣氏は大幹部になっている。引き換え二階氏は日本会議とは距離を置いているようだ。派閥の中には日本会議の議員懇談会に参画している者もいるが、あまり多くない。

そりゃその筈だ、彼は党内現役議員では今や数少ない中国、韓国通のようだ。来月4日から中国浙江省の杭州市で開催されるG20向け裏で相当活躍しているのではなかろうか。何れにせよ、何を考えているか何をしているか、本当のところは何もわからぬが、このような政治家がいないと困るのも事実。総理も相当気味が悪いだろうが、いざとなればお友達の若い連中では誰も役に立たぬだろう。二階氏にとっての問題は、肝心なアメリカとのパイプがどうなっているかだ。

何と言ってもアメリカほど厄介な国はあるまい。強かな政治家ともなれば、そんじょそこらの芸者…

健康オタク

久し振りで強い夏の陽射しがそそいだので、ふと昨年の夏を思い出した。昨年の8月はあまり雨が降らず今日のように暑い日が続いていた。そんなことを何故思い出したか、昨年の8月は前立腺がん放射線治療のため1日も休まず病院通いだったから強く記憶に残っている。思えば早いものだ、次回1年の経過検査日は10月6日になっている。この検査でPSA値が1以下ならかなり安心できるのだろう。

今は排尿促進の薬を3日1回服用するだけになっているが、前立腺に関する自覚症状としてはかなり改善しているようだ。しかし問題は他の体力劣化である。
筋力の衰えは致し方が無いにしても、自分では確認できぬが骨なんかも相当劣化しつつあるだろう。今月初めに区から無料健康診断の案内が来ているので、10月6日の結果を持って隣の掛かり付け医に行くつもりだ。体重が増えて身長が低くなっていると言われるかもしれぬ。

今日は幼稚園時代からの古い友人から電話があり、来週昼に合うことにした。彼曰く「今年は夏の暑さに参って、遂に長野に墓参りもできなかった。」来週ゆっくり話を聞いてあげるつもりだが、こちらも何れは彼のような気持になってゆくのだろう。まだ自分は昼日中汗を流しながら歩くことは辛うじて出来ている。でもこれも時間の問題で、正直なところ段々辛くなっているのも否定できない。遠からず彼のようになるのは仕方があるまい。

逆に昨夜はまだ40代後半の現役の友人と食事を楽しんだ。働き盛りの現役だけに知識は豊富で話が面白い。何よりも食いっぷりと飲みっぷりが年寄り連中とは全く違う。何とかペースを合わせようと少し努力をしたが、すぐ無駄な抵抗と気付いて止めた。補給が効かないのだから身体が劣化するのは当たり前のことと改めて実感してしまった。いくら健康オタクを気取っても自然の摂理には抵抗の術はない。

過去の清算

事務所閉鎖の準備が着々と済んでいる。昨日は不動産屋に解約通知を出しに行った。大家の奥さんに何かと世話になったので「よろしくお伝えください。」と言うと馴染みの女子事務員が「大家さんもお嘆きになるでしょう。」とのこと。大家さんには顔を会わせるたびに、必ず何か差し入れを貰っていた。場所が良い上に家賃も安いので、後の借り手に不自由はないだろうが、こちらも手間のかからぬ程度の良い店子であったことは間違いない。不動産屋に言わせると「そりゃ引っ越しは大変でしょう。70歳を超して家を新築すると、すぐ死んでしまうと言われるのは、ありゃ引っ越し疲れですよ。」とのこと。分からぬでもない。

事務所においてある書籍は、明後日古書店に引き取りに来てもらう段取りが付いた。値が付くような本は1冊も無いことは分かっている。しかしブックカバーだけは外しておいてくれとのこと。書棚とキャビネットにしまい込んである本は背表紙が見えるようにしてあるが、箱に入れてあるものは買った状態のままだ。これが約300冊ほどあったろう。朝から床に座り込んでカバー外しで約1時間半。ブックカバーを外すと内容が記憶に蘇る本もあったり、全く内容が分からないものもある。中には改めて読みなおしたい本もあるが、そんなこと言いだせば整理はつかない。すっかり腰が痛くなってしまったので、接骨院に行って揉んでもらったら大分楽になった。

午後は先日亡くなった<むの・たけじ氏>の追悼ビデオを見た。今から5年前に収録されたものであるが、非常に見応えがある。即ち過去の清算に関するもの、是非皆さんに視聴をお薦めしたい。http://www.videonews.com/marugeki-talk/514/
氏は先の大戦の終戦当日に「国民に正しい報道が出来なかった」ことを理由に勤務していた朝日新聞社を退職したことはよく知られている。氏の話を聞くと、戦後国会図書館に通って自分の記事を全部チェックしたそうだ。結果、嘘を書いたことは一度も無いことは確認できたが、真実を書かなかったことが結果的に国民を騙したこと。更に指摘するのは、直接軍部から記事に関して強制されたことは一度も無く、全て自主規制であったことを率直に述べている。

そしてこの状況は現在も全く同じであろうと想像し、戦争で何が一番いけなかったかについてはっきり言っている。満州事変以降の15年戦争を通じて、日…

少年憧れの的

昨日のオリンピック閉会式で、次回開催地東京のデモストレーションに日本国総理大臣が突然現れたことに関して、スポーツの政治利用とか何とか大分評判が悪いようだ。総理も長い夏休みを取っていたので、存在をアッピールするには絶好の機会ととらえたのだろう。そんなことはどうでも良いとしよう。今日たまたま図書館に行って、いつものように借り出し図書の到着を待つ間、何となく小学生時代に愛読していた「少年倶楽部」をデジタルアーカイブで呼び出してみた。

何と懐かしかったことか、時は1952年の号を3冊ほどパラパラと見た。内容は何一つ記憶にあった訳ではないが、毎号冒頭に置かれた小松崎茂氏の挿絵(現代的にはアニメ イラストとでも言うべきか)がカラー印刷で今日でも結構なインパクト持っている。終戦から7年しかたっていないのに、テーマがロケットによる宇宙探検であったり、ヘリコプターによる魚群探知が描かれている。世界大戦での敗戦を全く感じさせない明るい絵柄であることが素晴らしいと思った。

またこの年はヘルシンキで第15回夏季オリンピックが開催された年で、春先からオリンピックの派遣選手のことが紹介され、秋になると結果が写真とともに掲載されている。今回のリオ大会が第31回だから、当時の写真がモノクロで判然としない選手の姿だけなのは仕方があるまい。小学校5年生の頃に当たると思うが、中には名前に覚えのある選手もいる。体操の小野喬選手は後に小野清子さんの旦那さんになった人の筈だ。跳馬で2位に入賞と書いてある。

春ごろの号には水泳の古橋選手の名前が出ていたのだが、何故かオリンピックには出場できなかったようだ。でも橋爪四郎選手は1500m自由形と800m自由形リレーで何れも2位入賞。他にも何人か銀メダリストはいるが、全く記憶になかったのはレスリング・バンタム級で石井庄八選手が金メダルを獲得していること。今回のリオでも日本選手はそれなりに活躍して国民を喜ばせてくれたが、60年以上前で、まだ敗戦気分が抜けきらぬ時代のことだ。

国民の喜びようは想像に余りある。水泳選手の写真何ぞ未だ6尺褌姿ですよ。因みにこの年の10月号にナンバーワン・グラフなるカラーページがあった。その1ページを4等分して紹介されていたのが、古橋広之進、白井義男、川上哲治、東富士の4氏。昔からスポーツ選手は少年憧れの的だったことがよく分かった。

宴の後

今朝婆さんが言っていた。「今年は夏らしくからっとした天気の日が殆ど無いようね。」二百十日とか秋の長雨はよく聞くが、子供たちが未だ夏休みの最中なのに、一度に三つの台風が本州から北海道にかけて接近するとはおかしな夏だ。地球の裏側のリオでオリンピック閉会式が行われていたが、ここでも雨が降りしきっていた。地球全体が気候変動に見舞われているかと思ったら、関係者は恵みの雨と喜んでいる風情無きにしもだ。外国のことはさっぱり分からない。兎も角2週間以上にわたったオリンピックも終わってしまった。

祭りの後に来るのは一抹の寂しさと相場が決まっている。長野オリンピックは1998年だからもう20年近く前のことになるが、故郷長野では宴の後は一抹どころではなく、地域経済が悲惨とも言うべき状況に陥ったことはよく知られている。ブラジルも国家の政治・経済状態が芳しくなく、開催前には相当懸念が持たれながらも滞りなく無事閉会式まで漕ぎつけた。改めて関係者には敬意を表し、他国のことながら長野の二の轍を踏まず発展することを祈念したい。

なんて書くと、他人の頭の蠅よりお前の国やお前自身は大丈夫かと笑われそうな気もする。個人的には来月事務所の閉鎖で、一時的に引っ越し費用が発生するものの、無駄な費用の垂れ流しを大分止めることになる。あと何年生きるか分からないが、これからは出来るだけ生活を縮小してお金を使わないよう心掛ける決心もついた。年寄りとしては当然ことだ。一方国家の方は相変わらず、お金のばらまきを企んでいる。為政者は無限にお金が湧いてくるとでも思っているようだ。

「俺を見倣え」と国の政策に口出すほどの見識は無いし、力が無いのが残念である。国は我が寿命を遥かに超えて存続しなければならない。存続の根本は何と言っても人口の確保だろう。2020年のオリンピックに備えてアスリートの育成も結構だが、先ず赤ちゃんを増やすことを考えないといけないように思う。そうは言っても人それぞれ、「先に楽しみ、後に憂う」のも一つの哲学だ。長い人生の中で出会った友人の中にはそういう哲学の持ち主も何人かはいた。いわゆる楽天思想で、プロ野球の球団名になるくらいだから、一概に悪いとは言えないだろうし、彼らの人生が傍から見て不幸に終わっているとも言い難い。

己ですら嘗てその傾向にあったことは否定できない。しかし最近は少し反省して少々悲観的になって…

身辺整理

今日はまた台風の影響とかで土砂降りと晴れ間が交互にやって来るおかしな天気になった。幸い昨日は1日晴れていたので、事務所の閉鎖に備えて自宅の片づけを大分進めることが出来た。自宅には書籍類を置かず、全て事務所に集中させていたが、それでも10数年の生活の垢は相当な量になる。一気にとはいかないが、婆さんの協力を得て2時間以上かけての大掃除である。

天皇陛下はお子さん方に対して、断念することの大切さを説かれたそうである。オリンピックのコーチや選手たちには無縁かもしれぬが、一般人にとって断捨離はとても重要な概念だ。婆さんもどちらかと言えば物を捨てるのが嫌いな方だが、流石に今回は意を決したようで協力してくれている。

自分個人は余計なものを持ちたくない性格なので、昨日は背広類から初めてゴルフ道具とか山登りの道具とか、あまり使わなかったものを含めて思い切った処分をした。これでゴルフや本格的山には行きたくなっても行くわけにいかない。娘が使ったピアノは未だ置いたままになっているが、長年反対し続けてきた婆さんも諦めて処分に同意してくれたので、引き取りの予約を入れた。

大分さばさばした気分である。昔故郷では両親が風通しが良くなると「せーせーした。」と口にしていたことを思い出す。積載量が0.5tの軽トラックにほぼ一杯のガラクタを処分したら、急に家が広くなった感じで、改めて我が家を見直すことが出来た。築60年近いボロ屋だが、終の棲家で十分通用しそうだ。昼日中に夜逃げもあるまいにと、隣の婆さんまで出てきて状況を観察している。やがて序にと思ったのだろう、境界線上の枝や、草むしりを始めたので、婆さんも付き合わないわけにいかない。

お蔭で婆さんは、夕方になると腰痛を訴えてぼやくことしきりだ。まだすっかり落ち着いたわけではないが、まあ、ボチボチ協力願うしかない。昨日1日で自宅の方が折角せーせーしても、1か月後に事務所からまた下らぬものを運び込んだのでは何もならぬ。来週以降は事務所のガラクタ整理に取り組まねばならない。

天才と指導者

もう2週間もオリンピック報道を楽しんでいる。もちろん日本選手の予想以上の活躍があればこそだ。いつも早朝5時半ころから2時間半くらいと、19時から50時半頃まで、途中観られない時間は朝30分、夜1時間くらいあるが、
テレビは殆どオリンピック報道で埋められていると言っても過言でない。これに高校野球とプロ野球を加えれば、我が国民は四六時中スポーツを楽しんでいる平和な国家だ。

スポーツとなるとやはり本場は英国になるのだろうか、メダルの獲得数では今日までのところ、あの中国と互角になっている。英国の人口は6300万人程だから、13億とも14億人とも言われる中国とは比べ物にならない。国家目標として学校教育でスポーツを特に奨励しているとも聞いたことは無い。対して中国は何事によらず、才能有りそうな子供たちを大勢集めて英才教育を施す国柄である。

この中国に英国が何故引けを取らないのか、興味津々だが取り敢えず置くことにする。我が国も4年後の東京オリンピックを目指して、今後ますます選手の育成に力が入るだろう。既に天才的なスポーツ少年、少女の目星はついているだろう。しかしその中から4年後にメダルを取る選手を見つけ、磨き上げるのは容易でなさそうだ。スポーツには詳しくないが、リオの報道を見る限り、どの競技においてもコーチの存在が大きいことが分かる。

シンクロの井村雅代コーチに言わせると「オリンピックには魔物が住む、なんて呑気なことを言ってはいけない。そんなもの居ないに決まっている。そんなこと考える暇があったら練習しろ!」だそうだが、女子レスリングの吉田沙保里選手なんか観ると、やはり魔物が居たようだ。魔物には栄コーチの神通力も通用しなかったようだが、女子レスリングの栄和人コーチの苦労話も相当なものだ。天才少年や少女がどんなに努力をしても、独学だけではオリンピックのゴールドメダリストになることは難しいように思う。

コーチの存在は無くてはならぬ。他人の素質を見抜き、欠点を補正しながら良い素質を延ばすのは教育と同じことだ。よく言われることだが、必ずしも現役時代の名選手である必要はない。柔道の井上康生コーチは東京まで頑張るだろう。今回頑張った体操・卓球・バドミントンのコーチはどなたか知らない。フェンシングは太田雄貴君がコーチになるそうだが、頑張っていい後輩を育ててほしいものだ。問題はコーチの更に上、そこ…

引っ越し準備

8月15日は快晴と相場が決まっているように思ったが、今年は何だかどんよりした鬱陶しい日だった。その後にこれも珍しく夏台風が本土に向かって迫り、一昨晩は関東をかすめて北上したとのことで、昨日は終日真夏の太陽が照りつけ異常な暑さだった。おかしな陽気だと思わざるを得ないが、友人曰く「これが温暖化の影響で、本来温帯であるはずの日本が亜熱帯化しているのだ。」

言われるとその通りだと思う。台風一過秋の気配を感ずるどころが、今朝未明から激しいゲリラ雷雨で、晴れたかと思うも束の間、一転俄かにかき雲って激しい雷鳴がとどろく騒ぎ。昼飯に出かけるとき胸騒ぎを感じてこうもり傘を手にしてよかった。10分と経たないうちに豪雨に遭遇、最寄りの店に飛び込んだ。小さな店は超満員で傘を持たない人も多かった。傘持参だったので食い終わってすぐ席を開けたまではよかったが、数百メートルの距離を歩いただけでずぶ濡れ。何のための傘持参だったか分からない。

1回の食事量は少ない方だと思うが、習慣と言う奴は恐ろしい。天気が悪いので昼飯なんか抜けばよさそうだが、朝昼晩と几帳面に3食ないと満足できない体になっているのが考えものだ。今の規則正しい生活リズムは、仕事も無いのに事務所を家とは別にして、そこに通うことから生まれたものだ。しかし来月中には事務所を閉鎖して家に帰るので、その暁にはどうなることやらである。

今週の頭からやや本格的に事務所の閉鎖と引っ越しの準備に入った。これが思ったより相当難儀なことだと気が付き始めている。事務所は狭いワンルームだから極力物を増やさずを心掛けてきたつもり。ではあるが、14年に降り積もった垢のような物は馬鹿にならない。先ず書籍の類、このブログに読後感を書いた本は僅か200冊、mixiに上がっているものを含めても334冊だが、この他に下らぬものが100冊は下らないだろう。

ネットで調べて引き取ってくれる古本屋に電話をした。以前にも経験があるので知っているが、引き取りは正に字義通りで、買い取ってくれはしない。要するに処分してくれるだけになる筈だ。それでも繁盛しているようで、直近で来てもらえるのが今月26日の午後に決まった。あとはNHKの解約とか、電話など通信線の解約、何れも手続きがなかなか面倒である。事務用品の移動には受け入れ側にスペースを作らねばならない。これには家人即ち婆さんの協力が不可欠…

発言責任

卓球女子団体もメダルを取ることが出来て、めでたしメデタシだ。これで愛ちゃんも安心して太郎か外国人か知らないが嫁に行くことが出来るだろう。佳純ちゃんと美誠ちゃんは、愛ちゃんの気持ちが分かる齢になるまでは未だだいぶ年月がある。益々強気で頑張ってもらいたい。それにしてもアスリーとの言葉は聞いて気持ちがいい。多分嘘が無いからだろう。

残念ではあるが世の中にはその正反対の人間もいる。古今或いは洋の東西を問わず政治家の発言はどこまでまともに聞いていいものか、所詮一庶民には分からない。その上最近はメディアがこの発言を取り上げて、尤もらしく解説までするので、まともに受け止めなくてはと思う人も多いだろうが、後で聞くと「あの発言は何だったのか」と後悔することが度々だ。政治家の発言全てが眉唾だと断定するのも如何かとは思うが、結果において無責任である場合が多いことも否定しがたい。

大体小池都知事の選挙中の発言を初めから真に受けるほうが間違っているような気もするが、それは290万人の選挙民に失礼かな。そんな小さな話は兎も角、トルコのエルドアン大統領とかシリアのアサド大統領くらいになると、自らの命を懸けて嘘か本当か分からない言葉を吐き続けなければならないのだから、偉くなりすぎるのも容易なことではない。比較するに我が国の政治家は気楽なものだ。少しは考えてものを言っているつもりだろうか?他人の振り付けで踊ることを商売とする芸能人ほどにも責任感を感じられない。

いつも政治家の悪口ばかり書き連ねているので、たまには己を含め最もお気楽な庶民の立場を考えてみたい。民主主義ほど危険な思想は無いと看破した人がいたが、同感でもある。そりゃそうだろう。個人は特定されないし、常に安全な方向に靡いていればいいのだから、これほど気楽な立場は無い。それでも近年はブログなんぞが出現しているので、ある程度個人が特定できるが、政治家と異なり顔をさらす必要が無いのだから無責任にならざるを得ない。

そこで少しは反省して、責任の持てる言辞のみを弄したいが、言うに安くして実行するのは難しそうだ。

言葉遣い

事務所を9月いっぱいで閉鎖する準備に入った。序にこのブログもそろそろ閉鎖することになりそうだ。mixiで日記を書き始めてからもう10年を超えてしまった。家内から何度やめなさいと言われたことか、潮時はとっくに超えている。あと1か月かそこらイタチの最後っ屁のようないたずらを続けたい。ところで、いつも生噛りな小難しい言葉を好んで使うが、幼稚園や小学低学年の子供たちが新しい言葉を覚えたとき、意味も無く使いまくるのと同じことである。

大人になれば自身が消化しきった分かり易い表現をするのが当たり前で、作文を発表しようとする人間には、その心構えが無いだけで落第であることは分かっているのだ。いつものように己のことは脇に置く。昨日の終戦の日に当たって日本武道館で執り行われた「全国戦没者追悼式」での天皇陛下の「お言葉」と総理大臣の「式辞」を比べて読むと、学問を積んだ人とそうでない人の差が見事なまでに分かって興味深い。

陛下のお言葉は、恐らく小学校の中学年以上の子であれば直接聞いても読んでも、親や先生の解説無しに理解できるのではなかろうか。一方の総理大臣「式辞」は後期高齢者の小生が読むのに苦労するうえ、何を言わんとしているのか理解不能とも言える。義務教育なり高校レベルの国語の先生がこの作文を採点すれば、相当低い点になりそうだ。

「追悼」と言う言葉も少し難しいが、ネットで辞書を引いたら<死者の生前をしのび、その死を悲しむこと。>とあった。「反省」があるとかないとかについては、反省しないことを売りにしている人だから一先ず置こう。もっと基本的なことで幾つか感想を言おう。先ずお作法の問題、戦争犠牲者の死を悼む場所で、己が平和のために頑張っていると胸を張ってどうするのか?場所柄を弁えずとはこういうこと指すのだろう。

次に言葉遣いのご粗末さは先に述べたが、「戦場に斃れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に亡くなられた御霊」この一文。正に悪文の代表とも言える。陛下の「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、」と比べると歴然である。総理は祝詞を真似た心算で書いただけだろう。総理のお友達も好んで使う「御霊」と「哀悼の誠」であるが、これほど白々しく聞こえるものは無い。おまけに「戦場に斃れられた」だと!故なく殺されて無念の思いの戦没者に失礼だろう。

比べるの…

負け戦

卓球女子団体戦が準決勝で負けてしまったようだ。福原愛ちゃんが泣いて謝ったようだが、泣くな愛ちゃん!未だ3位決定戦もある。そこで負けたら、強気の伊藤美誠ちゃんも含め3人肩を抱き合って泣くがいい。どうせ今日は日本にとって大敗の記念日みたいものだ。若い時から負け戦に直面するのも将来のためになるだろう。負けた時に監督やコーチに申し訳ないなんて言う必要ない。勝ち負けは君たちだけの問題だ。

昨日はテレビで終戦絡みの番組を2本観てしまった。1本はタイトルを忘れたが、終戦直前に長野県伊那の寒村から送り出された「満州開拓民」の悲劇、もう1本は映画「日本の一番長い日」の後半である。こちらは昨年封切られたとき劇場で観たが、何となく最後まで観てしまった。前者正に戦争の被害者、しかも軍人でないから戦死者ともされず、国家からの補償は何も無い、真の被害者。後者もまた最終的には「切腹」で悲劇仕立てにはなっているが、こちらは少なくとも戦争指導をした連中の話だから被害者とは言い難い。死んで責任を取るだけ昔の人は責任感が強かったかもしれぬが、本当の犠牲者はそれでも浮かばれない。

伊那の寒村から送り出された農民約90人の中に、たった一人生還した人がいる。僅か14歳で父母に代わって開拓民となったお年寄り(85歳)である。渡満後すぐに大人の男性は全員兵隊に引っ張られ、村に残ったのは女性と老人子供だけで敗戦の日を迎える。開拓地はソ連国境から遠く離れた吉林省だったが、日本降伏を聞いたとたんに中国人が開拓部落を襲った。開拓民は一団となって山に逃げるが、翌日はもう逃げきれないとして集団自決に追い込まれる。

その場面をお年寄りが淡々と語る「そう、母親に頼まれ少なくとも20人以上の子供の首を絞めて殺すのを手伝いました。」子供や年寄りを絞殺してから母親たちも次々に自決していく。彼も自決を図ったがうまく死にきれなかったようだ。農民だから武器は無かったのだろう。更に、この開拓団を送り出した村長子孫の話が続く。父は国策に沿って送らざるを得なかった苦悩を日記に書いていました。そして戦後は開拓民の安否を尋ね歩きましたが、結局どこの役所でも責任ある回答を得ることが出来ませんでした。

終戦翌年の7月に入って、近隣に居た開拓民から全滅の話を聞き、責任に堪えられなくなって、この鴨居で首をくくって死んだのです。広島や長崎の人たちは戦争犠牲者…

愛国心

はっきり言って「愛国心」の持ち合わせは普通の人より大分薄いかもしれぬ。明日が8月15日なので、また政治家の靖国参拝が報道を賑わすことになるだろう。旧軍関係者にはお叱りを受けるか知らぬが、普段でも積極的に参拝したことは無い。敢て皮肉に言えば、普段九段のお宮に鎮まっている戦友の方々も、この時期はお宮を留守にして、お盆だから遺族のもとに帰っている霊も多いのではないか?

馬鹿を言ってはいけない、神道は仏教ではないのだ。と叱られるだろうが、日本ではこのように考えることは大いにありうるし、それが証拠にお盆の最中靖国神社が特に賑わうとは聞いていない。戦争犠牲者の気持ちもよく弁えぬお調子者の政治家が群れを成してお参りするから、マスコミが面白がって取り上げるだけのことに過ぎない。

お調子者の筆頭が総理であったり防衛大臣・総務大臣だったりする訳だが、何故か今年は参拝されないようである。行ってほしいわけではないが、行きたきゃ行けばいいじゃないか。普段中国を天敵のごとく言い募っている割には妙なところで遠慮するものだ。お宮さんへの参拝は正しく心の問題、不戦を誓うために行く人もいれば、国を守る覚悟を示すために行く人もいる。信教の自由が保障されている日本だから、それぞれの政治家が己の信ずるところ披歴してほしいものだ。

今朝テレビに出演した自民党幹事長を歴任した元大物政治家の古賀誠氏が「まだ先の戦争が終わっていない」と名言を吐いた。彼は遺族会の大物でもある。彼にとっての靖国は神聖侵すべからざる場所で、1日も早く天皇陛下にお参りしてほしいと思っていることだけは確かだ。その後朝刊の書籍広告に「尊米攘夷」なるタイトルがあった。正式な書名は「属国民主主義論」内田 樹 ・ 白井 聡 (共著)買って読むほどの気は無いが、こちらも古賀氏の言葉同様実にうまい表現である。

最初に断ったように愛国心が薄いので、今の世間に不満は数々あるが「もうどうでもいいや」の思いが強い。アメリカの走り使いに成り下がった現在の政府に対する不満なんか言っても始まらぬだろう。若い頃に思っていたのは「太平洋戦争の戦陣に散った先人の仇を絶対撃つべきだ。いつかアメリカ人どもを懲らしめてやる。」であった。しかし先日の天皇陛下のお言葉を聞くと、その思いも捨てるべき時なのかもしれぬ。

この国でただ一人の愛国者は天皇陛下だけで、残りは多少の違いはあっ…

読後感「漱石紀行文集」夏目漱石著

18歳位になるまでに、恐らく合計すれば5年以上は世話になった祖母の家の書棚に漱石全集が並んでいた。従って小学生の頃から、閑に任せて思いついてはそれを引っ張り出して読んでいたので、高校を卒業する頃になると20数巻の殆どに一応目を通したことになる。逆に言えば「吾輩は猫である」とか「三四郎」のように日本人の大多数が読んでいるであろう著名な作品を含め、漱石の小説をまともに読んだことが無いとも言える。

そこで今回故郷長野にバス旅行することに決めたので、旅の道連れにこの作品を選んだ。長短9編の作品からなる紀行文集である。うち3篇は外国について述べてている。最初に収められた「満韓ところどころ」は紀行文と言えるだろうが、続く2編「倫敦消息」「自転車日記」は紀行文と言えないかもしれぬ。紀行文は旅行記だと思うので、先ずいつ行ったかとの説明が欲しいが、3篇ともこの記載は抜きである。

「満韓ところどころ」は解説などから察すると明治42年の初秋らしい。日露戦争の終結が明治38年だから、終戦後間もない時期で、ロシアから取り上げた鉄道の経営(日本軍による南満州侵略)が軌道に乗り出したころである。当時この南満鉄道の経営に当たった2代目の総裁(中村是公)が、漱石の予備門(後の一高)時代からの学友であることから、誘われて赴いたことが分かる。日付等の記載はないが、行った先ごとの文章には構成されている。

興味深いのは漱石が満韓地方を訪れた時は、朝鮮併合の直前であって、満州鉄道と言う言葉あっても満州は中国東北部の一地方名に過ぎない時代のようだ。しかし既に日清・日露と2回の戦争を経て、日本はこの地方に大幅な権益を確保しつつあったことが窺える。このところ大分先の大戦の遠因を考えるようになっていたので、その歴史の一端に触れることになったのも有益であった。

この紀行はかなり長文であるが、漱石が明治40年来在籍した朝日新聞に明治43年に連載されていたらしい。それがその年の暮れに途中で筆を折ったような終わり方になっている。理由は伊藤博文氏がハルピンで暗殺され、国葬やらなんやらで、紙面割が取れずに何日も待たされて嫌気がさしたとのこと。当時のメディア事情を知るよすがの一つでもある。

「倫敦消息」「自転車日記」は南満紀行の大分前、漱石が官費でロンドンに留学していた時(明治33年~34年)の滞在記である。前者はロンドンの風物…

過去への思い

8月と言えばテレビでは懐メロ特集が放送され、今日は迎え火を焚いて先祖を自宅にお迎えする日。来週月曜には終戦の日がいつものようにやってくる。日本人にはそうであっても、厳密な意味での終戦は9月2日、日本政府代表が敵艦上にて連合軍に対する降伏文書にサインした日だ。当時のソ連が8月15日以降に北方領土を占領したことを憤慨する向きもあろうが、ソ連にもそれなりの理屈はある。今となればこんなことは知らない人の方が多いだろう。

話が逸れてしまったが、今年はリオ・オリンピックのお蔭で世間の関心も外交や戦争問題から遠のいていることは政府関係者にとっても結構なことかもしれない。その上尖閣沖で中国漁船の遭難救助と来るのだから笑いが止まらないかな。

こちらは久し振りに図書館に行って読書をしてきた。例によって100ページ未満の試し読みだ。書名 『忘れ得ぬ満州国』 古海忠之著 なかなか面白いが、流石アマゾンでにも在庫が無い。まもなく事務所をたたむので本は増やさない方が良いから、図書館に通い続けて読むしかないようだ。急に近代史に目覚めたわけでもないが、著者は、終戦まで満州国を実質支配した「二キ三スケ」の一人星野直樹氏一の子分だった古海忠之氏の自伝とも言える。

そもそも星野直樹氏は大蔵官僚で、古海氏も当然ながら大蔵官僚の出身。大学は京都で野球の選手だったそうだ。この人物の経歴が面白い。終戦と同時にソ連軍の捕虜になるが、何故か5年後に中京に引渡されても殺されず、合計18年の刑を終えて1963年池田内閣の時に復員してくる。ソ連では相当つらい目に遭ったようだが、被害者とも言うべき中国で殺されなかったのが不思議でもある。更に、帰国に際して周恩来首相と直接会見する機会が与えられ、帰国したら池田首相に伝えるようメッセージまで託されたようだ。

内容は簡単明瞭、アメリカ一辺倒から脱して本当の独立国になれ。そしてソ連や我が国と国交を回復すべき、そうすればソ連も我が国も再軍備には反対しない。この問題は簡単に解決しないだろうが、気を長く待っているよ。古海氏はこの旨を池田総理に面会して伝えたろうが、周恩来氏の希望はそう簡単には実現しなかった。10年後1972年の田中内閣で半分は実現したと言えるかもしれぬ。それからまた44年の歳月が流れている。

終戦から72年になる今、過去を知る人間は日中双方に殆どいなくなってしまった。互…

公務と夏休み

カレンダーで見てもおかしなところに祝日が設定されている。子供や学生は夏休みの最中、お盆前に休日を1日サービスしたつもりだろうが、実にくだらない。勤め人はお盆前後に休日のあるなしに関わらず、数日は夏の休暇を取るとしたもので、企業もそれは意識している筈だ。海の日があるから山の日だそうだが、次は川の日でも作るのか。国民生活への影響は何が考えられるのか、何も思い当たらない。こういった馬鹿げたことも政治家が思いつくらしい。

政治家の親玉は別荘で悠々と夏休みを楽しんでいるらしいが、これもちと解せない。少なくと天皇陛下は昨日、どこかの国の大使の信任状捧呈式に臨まれていた。陛下にとっては国事行為として義務化された行事だろうが、傍に突っ立ているべきは総理でなくては思うが、勝手気のままでいいらしい。代役を務めていたのは公明党の国交大臣である。常識的に考えて、外国の大使に対する礼も欠くだろうし、第一陛下に対して失礼の極みではないか。

憲法に忠実でありたいとする天皇陛下に対し、憲法を軽んじ改憲を目論む総理の精神的なギャップは恐ろしいものがある。目前に繰り広げられた現象は、口先では陛下の公務の軽減を言いながら、一方でゴルフに興ずる総理である。成る程総理には、陛下が国事行為をされる場合には必ず傍に控えるとの義務はないのだろう。多分創価学会員である閣僚の一人に代役を務めさせるになんか文句があるか、との気持ちを意識して強調しているのかもしれぬ。

安倍晋三氏を右翼と称する人の気が知れない。総理は平和日本の象徴としての天皇を認めず、元首になったら認めようとしているようだ。これは天皇の地位を傀儡として弄ぶことに他ならない。千年以上続く天皇家の血筋を尊ぶことを第一義におく昔気質の右翼からすれば、総理の考えは許せないだろう。選挙の勝ち戦に傲り、勝手気ままをどこまで続けるつもりが知らぬが、余り国民を舐めているとどこかで強烈なしっぺ返しが起きると信じたい。

帰郷

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7日午後から人並みに夏休みのつもりで帰郷。長野行く前に松本市内のビジネスホテルに前泊、月曜日に長野在住の従妹と松本駅で待ち合わせ、絶好のハイキング日和に恵まれ、美ヶ原でハイキングをしてきた。1日1往復のシャトルバスが駅前から8:00に出ている。(復路は美ヶ原自然保護センター前16:30発)お盆直前の平日とあって客もそんなに多くは無い。バスに乗り合わせた人も精々20人にも足らなかった。

1時間15分ほどバスに揺られて降りると、そこはもう1900メートルもの高地。空は青く広がり長袖でも肌寒いくらいだった。最高地点は2千メートル少し超える。山頂とは思えない広い草原が広がり、放牧された牛がのんびりと草を食んでいる。山頂にはホテルが2軒あるので昼飯も持たずに訪れることが出来る。

高山植物や風景を楽しみながら終日なだらかな起伏を歩き続け、結局2万歩は越えてしまったので良い運動にもなった。老人のハイキングにはもってこいの場所であるのを初めて知った。

翌日の昨日は長野に行って弟2人と落合い、3人で墓参り。今年のお盆は失礼させて頂くことを報告。そのあと久しぶりに兄弟3人で会食、このところ飲みつけないので酒量が上がらず失礼をしたが、それでも和気あいあい近況を交換することができた。帰りのバスが高速道路の大渋滞(原因は事故による通行止めがあったらしい)に巻き込まれ、1時間半も遅れたが、昼の宴会の腹ごなしには却ってよかったくらいのもので、良い夏休みだったと言える。



早々に夏休み

今朝も朝から真夏の日が照り付ける。兎に角暑い。本来であれば日曜午前中はジムに行ってトレーニングをするのだが、今日はサボることにした。昼からバスで信州松本に向かうことになっている。旅のお供に「漱石紀行文集」も買った。明日は従妹に美ヶ原高原を案内してもらえるので、それを楽しみに今日はゆっくり休養日とする。

美ヶ原の後はお盆を繰り上げて墓参りも済ますことで、弟の打ち合わせもできた。交通機関が混雑する直前に老人の夏休みである。暫くはブログも休ませて頂くのでご了承願います。

私が観ると不思議に負けます

地球上に人類が出現してから何年になるか?50万年前に火を使った痕跡が北京で見つかっているそうです。眉に唾をつけようとつけまいと関係ありません。最近は地域を日本に限定せずに見れば、人類は増え続けています。これも幸いと考えるかどうか意見が分かれるかもしれませんが、下手をすると神奈川で発生した殺人鬼と同列視されかねませんので、これ以上は書くのはやめます。

人類の特徴に一つに、社会に依存しないと生存しえないことはどなたも否定しない筈です。誰もが常に何らかのグループに属して生きています。また考え方にしても同様です。そこで思うのは、如何なる理由でそうなるのか不思議ではありますが、自分の思いや考えが属するところはいつも少数派のようです。グループは2項対立とは限りませんが、敢て勝ち負けの2項対立で言うと常に負け組に居るようにも思います。それが傍にいると分かるのでしょうか。スポーツ番組なんか観ているときに、婆さんからもよく言われます。「あなたが観ていると負けるから別の部屋にいって。」またこれがよく当たるから不思議です。

日本のためには今夜から始まるオリンピック中継では、日本選手が出場する競技を出来るだけ生でテレビ観戦せず、結果が出てからの報道を見るようにするつもりです。

先生の教え

自民党のホームページに挙げられた教師密告フォーム「学校教育における政治的中立性についての実態調査」が一寸した論議を呼んでいる。詳しくご存じない方も多いと思うので簡単に説明しておこう。

このなかで自民党は、〈「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる〉と書き、〈偏向教育〉だとして通報させる“密告”のための入力フォームを設置した。しかもそこで「いつ、どこで、だれが、何を、どのように」などと具体的な情報を記入するよう求めるなど、完全に教育を統制しようとしている。

論議を呼ぶのは当たり前で、賛成の人もいれば反対の人もいることだろう。個人的には少しやり過ぎではと思うが、取り敢えず置いて我が老夫婦の昔話を取り上げておきたい。先ず婆さん曰く「小学校高学年になった時の先生の一言が未だに忘れられない。」先生曰く「人間は諦めが肝心。周辺をよく見てから己を見極めることが即ち<諦め>である。」

「だから私は諦めが良い。」は長年連れ添って朝晩食事を用意している小生への当てつけに聞こえなくも無い。流石にそこまでは口に出さなかったが「子供たちに頑張れと言ったことは無い。」と変な自慢を付け加えた。

こちらは小学校4年生の担任の言葉が奇妙に記憶に残っている。「人間の生き方で一番大切なのは<平凡>であることだよ。」当時はしてはいけないことばかりする子供だったので、図書室の前の廊下を走っているときに呼び止められて言われたシーンまで記憶にあるのが何故か知らぬが不思議でもある。

互いに「昔の先生はうまいことを教えてくれた」と、小学校時代の先生に思いを馳せたりした。どちらの先生の言葉も学習指導要領には載っていなかったことだろう。小生の時代は戦場から復員したばかりの先生も多かったので、国のために命を捨てる覚悟で戦ってきた、と言う先生もいたし、熱心に平和を説いた先生もいたような気がする。

そういった先生の生きざまや思想信条から何を汲み取るかは、子供によって異なるだろう。政府が先生を含め人間の思想信条をコントロールできると思うのは、それこそ偏向で危険と言う以前にお笑い種ではないか。

大臣の任

「先日の参議院議員選挙で落選してしまった大臣が二人も出たので」が理由らしいが、今日また内閣改造となった。今日までの安倍内閣の在任期間は、発足が昨年1月7日だから1年に満たない。中で初入閣した大臣を列記してみよう。
法務大臣 岩城光英・文科大臣 馳浩・農水大臣 森山裕・国交大臣 石井啓一・環境大臣 丸川珠代・特命担当 河野太郎・特命担当 島尻安伊子・特命担当 加藤勝信の8名。中には国交大臣のように新しい内閣で留任する人もいる。また丸川珠代氏のように閣内に残るが所管官庁が変わる人もいる。

今日までの内閣について成立経緯や何を目標に掲げていたかも忘れてしまったが、消費税増税を先送りしても余り盛り上がらない「アベノミクス」を旗印とする経済政策が重要課題だったろう。しかしその目玉政策を担当する甘利明氏(特命経済財政政策担当)が通常国会のさなか急に身体の調子が悪くなったことや、今年に入ってからは九州に大地震が襲い、通常国会も盛り上がらないと言うか消化不良の議論で早々に閉じられてしまったことを思い出す。この内閣を酷評すれば、碌な仕事もせずに大臣歴任の肩書だけが残ったと言われても仕方ないのではないか。

大臣のお仕事とは何か、寡聞にして存じ上げないが、自分の経験に照らして言いたい。嘗て務めた小さな会社で総員40人ほどの大阪支社に転勤した時のことを思い出した。もちろん小さな所帯だからワンフロア―で、総務、経理担当の3人だけが私の席の後ろに位置していたが、全社員と常に顔を突き合わせていたわけだ。それでも約半年は、仕事に対して殆ど口を出すことは無かった。むしろ出来なかった、が正確かもしれぬ。半年経ったころから少しずつこちらの意見も言い始めて、意味を理解してもらうにはまた半年ぐらいはかかったと思う。

大臣ともなれば零細企業の1支店とはスケールが異なる。ましてや与えられた宿題の重みは、身体全体を脳みそにして絞りぬいても追いつかぬほど重い筈だ。その任を与えられた時と解かれる時の思いは如何なるものだろうか?各大臣とも就任に際しては記者の前でコメントするが、辞任の時にこそ記者会見をすべきではないか。新大臣については一言いいたい人もいないわけではない。勿論任命者にも責任があるだろうし、今日のところは新大臣の活躍を祈ろう。

読後感「上海時代 上・中・下」松本重治著

最初にこの本に巡り合ったのは数週間前の国会図書館、何かのきっかけで上巻を50ページくらい(殆どが「まえがき」に当たる)読んだ。それですっかり引き込まれてしまい、帰宅してアマゾンから上中下巻3冊を購入して読んでみた。正に目から鱗のことばかり。読書歴の中で有数の名著かもしれぬ。

私は「先の大戦」と意味も分からず軽く使うが、物心ついた時にはその大戦も終戦だったので、実のところ何のためにした戦争か、どうして戦争になったのかなんてことは何も知ってはいない。特に、先の大戦は日本軍の真珠湾攻撃をもって華々しく幕が上がったような錯覚もある。日米開戦の原因はアメリカによる経済封鎖に堪忍袋の緒が切れた、と単純に考えていた。がしかし、やくざの出入りでもあるまいに、占領もできないことを知りながら何故はるばる太平洋を越えてまで、アメリカに殴りこんだかを不思議に思わなかったのだからお目出度い。

戦争は究極の外交交渉とはよく聞くことだ。日本の外交姿勢は明治維新以降ずーっと欧米を先進国として尊敬し、手本とすべく務めてきていた筈である。いくらドイツやイタリアと同盟を結んでも、その他のほぼ全世界を敵に回したのだから、愚の骨頂、馬鹿の極みだが、本書は国を挙げてそこに突っ込んだ原因をある程度教えてくれたような気がする。

非常に大胆に言ってしまうと「日本は欧米先進諸国に学び、アジアの近隣諸国に対して欧米先進諸国のように振る舞うことを欲して、それを米英ソなどに妨害されたことが最大の原因となったようだ。しかも日本人心理の底流に、数百年の長きに亘って、やはり師と仰いできた支那に対する忸怩たる思いが複雑に交錯していたに違いない。」

故に、近隣諸国を植民地化していく過程で、欧米諸国のように完全な功利主義を取ることが出来なかった。功利主義と書けばいかにも柔らかいが、アメリカや英国のオーストラリアのように、原住民を皆殺しにして土地をそっくり自分のものとするなんてことは出来なかったし、支那大陸に割拠した部族の親分集も、様々縁故があったので日本人には出来る筈がないと思っていた。結果的にはこれが日本の悲劇の原因だろう。

著者は職業ジャーナリスト、現在の共同や時事のようなニュース配信会社「聯合(後に同盟となる)通信社」の記者で1932年末から1938年末の6年間を上海支社に勤務した。その間の思い出を、戦後になってから記憶を辿っ…

すい臓癌

何が何でも長生きすればいいと言うものではないとも思うが、昨今の平均寿命からすると61歳で亡くなるのはいかにも早すぎる。九重親方の元横綱千代の富士が、夏場所の途中から東京に帰って入院していたとは知らなかったので、昨日夕方テレビのニュース速報が流れた時は本当にびっくりした。これほど医療が進歩しても、すい臓癌だけは未だ克服されていないようだ。40歳前後に広告屋の営業と言う職業柄もあって、酒を相当飲んでいた時代がある。

しかも悪いことに44歳から大阪で単身生活になってしまい、飲酒に拍車がかかってしまった。そんな時のある日、腹から背中にかけて激痛に襲われ急性膵炎との診断で1週間か10日ほど入院してしまった。当然癌を疑われて検査も苦しかったが、癌の兆候は発見されず、取り敢えず最初の診たて通り急性膵炎と言うことで収まった。退院して挨拶に行った先の薬屋の社長の言葉が忘れられない。「あんた未だ40歳代だろ、癌だったら心配しなくても3か月以内に死ぬよ。」

昔からよく聞いたのは臓器の場所が診察しにくい場所にあることと、臓器の復元力が無いので、手術をしても体力の回復が難しいことだった。九重親方の報道を聞いている限り、すい臓癌治療法は30年ほど前から余り進歩が無いようにも聞こえる。たまたま当時入院検査をしたおかげで、その後の生活態度を随分改めた。結局生活態度を根本的に変えるには職業を変えるしかないと思い定めて、会社まで辞めてしまった。その結果かどうか分からないが、あと5年生き延びれば平均寿命に達することが出来そうだ。

あの大阪時代、亡くなった九重親方が大関から横綱に昇進する頃のことである。先に書いた薬屋さんが、大関の「千代の富士」に着目してコマーシャルタレントに起用したいとのこと。何故か理由は今でも知らないが、当時のマネージャーは銀座にあった出版社の広告担当役員が勤めに当たっていた。更にその先には日本相撲協会が控えているので、交渉にはいろんな思い出もある。でも結局は大関の快諾も得て起用にこぎつけたことを懐かしく思い出す。