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4月, 2013の投稿を表示しています

警戒していたがついに腰痛

昨日の夕方から少し変な感じがあったのだが、夜、就寝する頃になると右腰が完全におかしくなってしまった。寝返りを打つだけでも一苦労である。今朝になると起き上がろうにもすぐに起き上がれない。痛みを堪えて布団の上でストレッチまがいを20分ほどして、手をついてやっと立ち上がろうとしても腰がしゃんと伸びないし、当然ながら歩くのもぎこちない。町で見かける手押し車を押しながら歩くお婆さんみたいものである。

今月13日に長野で山歩きをして帰った翌日に少し腰が痛んだが、数日で治った筈だった。26日も奥多摩を少し歩いたが、長野の時に比べればリュックは遥かに軽かったので、幸い腰を痛めずに済んだと内心喜んでいた。昨日の午後には、連休の後半でどこに行こうかと計画仕掛けていたところである。本当は安曇野の三股から蝶が岳に行こうかと思ったのだが、遭難報道が相次いだので、山はやめて上高地から横尾まで歩くだけにしようかなんて考えていた。

しかしこうなると、上高地はおろか池袋まででさえまとも歩けない。誠に情けない限りだ。列車と宿の予約を入れなくてよかったが、連休のお終いまでは先が長い。今朝婆さんは「どこか温泉にでも行ったら?」言っていた。3日は出掛ける都合があるので、出かけてほしいのだ。気持ちは分かるけど連休中に取れる温泉なんかある筈も無かろうし、何か考える必要がありそうだ。

今日は何の日?

今日が昭和天皇の誕生日で祝日であるのは分かっているが、現在の正式名称を知らず、カレンダーで確認した。「昭和の日」となっている。以前にも書いたが、将来12月23日は「平成の日」としないと理屈が合わない。しかし万事そうであるが、時の政府のご都合でどうにでも理屈はつくのだろう。それでなくとも昭和から遥か四半世紀を隔て、日本はすっかり豊かになった。勝手な思い込みだが、国家の繁栄が頂点を極めた状態にあり、我々庶民は我が世の春を謳歌させて頂いている。

今日も我が家の近間を1万歩程徘徊するに、立ち並ぶ家屋や道筋はどこを見ても清潔で、行き交う人々も皆小奇麗である。勿論、昭和20年30年代の痕跡は何処にもあるまい。確かに家屋が小さいとか、密集しすぎているのは日本固有かもしれない。田舎ほどではないが、街にはシャッターの降りた寂しげな商店も見受けることがある。難を言えばきりがないが、余り外国事情に詳しくない自分が知る限りでは、今の日本のようにさっぱりした国は知らない。

しかし頂点を極めるとは、換言すれば目標の喪失でもあり、後は転落と言わないまでも下降局面を迎えざるを得ないことに繋がってしまう。しかし、150年ほど前までは欧米の列強から見ると、まともな独立国家とも言えず、見方によっては300くらいの小国が分立していた地域だそうだから、これから日本国家が潰れようと、バラバラになろうと知ったことはない、どうせ俺は先が長くないのだから。と言っては身も蓋もない。

賢明なる国のリーダー達が我々凡庸な国民を上手にリードして、国内においては益々の繁栄を、諸外国からは尊敬の念を持って受け入れられるような国家になることを願ってやまない。このことを前提として本日思ったことを少し書き記したい。

本日徘徊した範囲で目にした日の丸の国旗は2本だけ。うち1本は池袋の交番だから民家としては1軒だけである。目にしたのは民家会社商店を含めれば万を越しているかもしれない。我が家も出していない。日章旗はあると聞いているが、少なくとも竿はない。確かに日本人は清潔好きであるが、古いものを余り大切にしない傾向があるのではなかろうか。その上忘れっぽいかもしれない。自分なんか典型的だ。他人への恨みつらみや恋の痛みを忘れ去る分には結構だろう。子供が「昭和」の意味を知らなくても善しとしよう、しかし自国の歴史を国民こぞって忘れ去るのは如何な…

大道芸

快晴に恵まれた連休とあって、上の娘一家も婿さんの故郷山形の実家に出かけたらしい。婿さんも一人息子だから、実家のご両親は、大きくなった孫を見てさぞ喜ばれていることだろう。普段は豊島区千川~板橋区上板橋と至近距離に住まいする関係で、我が家にはしょっちゅう来てもらっているので申し訳ない。孫の和君にはしっかりお祖父さんお祖母さんに愛嬌を振りまいてきてほしいが、幼稚園のことをきちんと報告できるまでには、未だボキャブラリーが不足していそうだ。

娘一家の行動がごく普通みたいで、長い短いは有っても旅行に出かける人が多いのだろう。地下鉄も空いているし、プールもガラガラだった。池袋も駅付近は別にして、都内は何となく人影が少なくてのんびりしている。することが無いので芸術劇場前の西口公園広場で、大勢の家族連れに交じって大道芸を見入ってしまった。土日の昼にはいつもやっている大道芸だが、メンバーは日によって異なる。今日みたい絶好のコンディションで順番が回ってきた芸人さんにとってはハッピーだったろう。

確か先週の日曜日だったか、芸人さんの回りに全く人影も見えず、一人で鼻水を啜らんばかりに声を張り上げていた芸人さんを思うと嘘みたいだ。流石の小生も横目でにらんで通り過ぎてしまった。昔から香具師の叩き売りや大道芸が好きで、高校生になっても下校時に善光寺境内で、そんなものがあると長時間立ち止まって見入ったものだ。印象深いのは膏薬売りだったと思うが、足元の袋から蛇を取り出して自分の腕を噛ませたり、刀で腕を切ったりするやつ。「もう買わない学生さんは後ろに下がって!」と言われても見続けた程なのに。

思えば大道芸も随分スマートになったものだ。前述のように昔よく見たのは香具師のおじさんが人寄せのためにする芸であって、芸に直接お金を投げ込んでもらうというのはなかった。現代の大道芸は芸そのものが売りだから、昔、半分ヤクザの兄ちゃんが勢いで演じていた芸に比べると遥かに玄人っぽい。今日の演者はジャグラーだったが、投げるものはボールに棍棒みたいもの、縄を使ったりスティックを使ったり、テレビに出ても十分通用しそうな感じで、小一時間楽しんでしまった。

100円しか置いてこなかったので申し訳なかったかも。でも今までにこの公園で見た中ではお鳥目が一番多かったと思う。昔と比較して思うもう一つは芸人が若い。それはとてもいいと思うのだ…

カタクリの花を見た

今月4日の誕生日に現役時代に世話になっていた方からのお祝いのメッセージを頂いた。この中に「御前山にカタクリの花でも見に行きましょうかね」とあったので快諾。彼は私より少し若いので未だ現役である。土日でなければいけないかと思ったが、彼の方から平日でも構わないとのことだったので、昨日二人で御前山にハイキングをしに行った。

平日は客が少ないので当然と言えば当然だが、惜しむらくは交通の便が余り良くない。登山口の奥多摩湖方面へのバスが8:05,8:42,9:40と3本なのだが、8:42に間に合わせるためには新宿を6:03に乗らなければならない。それ程しゃかりきになる必要もないので、新宿発7:10にすると奥多摩駅着が9:05、実に中途半端で10頃からの遅い時間からのハイキングにならざるを得ない。

彼も了解してくれたので奥多摩駅で待ち合わせをすることにした。結局は青梅駅で合流し、お互い久しぶりでもあったので、のんびりと四方山懐旧談にふけりながらのハイキングとなった。幸い天気は快晴、夕方雷の予想も出ていたが、雷も一粒の雨にも会わなかった。昨日は平日、ハイキングをしていた人は数えるほど。多分連休が始まった今日は大違いの賑わいだろう。首都圏で御前山と言えばカタクリの花の名所として知られる。

だが実際に行ってみると、その群生と言ってもアルプスなんかの高山植物と同じことでごくわずかな面積である。それだけに目の当たりにするのは有難味がわく。じつは2007年山歩きを始めた頃にも、カタクリの花を訪ねて御前山に行ったのだが見ることが出来ないでいた。今回分かったのだが、カタクリを見るには惣岳山から御前山の尾根筋でないと難しい。前回は反対側斜面をピストンしてしまったので、山頂まで行っても観ることが出来なかったわけだ。

標高差的には登り900m降り1000mと、時間さえかければそんなに難しい山ではない。問題は電車とバスの運行時間である。行きの電車は前述の通りで、帰りのバスがまた問題。行きのバス車中で運行会社西東京バスのパンフを入手していたのだが、ここに記されているバスが1本来なかったので、下山して奥多摩駅行きバスのバス停で40分以上待つはめになった。幸い連れがいたので、のんびり話をして飽きなかったが、一人だったら相当カリカリしたことだろう。

若葉が薫る奥多摩の山々、連れといい天気といい、目的の花をゆっく…

「主権回復の日」記念式典

何年か前の8月15日の日記で、終戦記念日という言い方はおかしくないか?真の意味での終戦はサンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日ではないかと書いたことがある。しかし今にして思うと、これが誠に中途半端な知識によるもので、恥ずかしい限りだ。言い訳めくが、我々は日本の近代史について学校で教えられたことはない。1952年と言えば中学1年生か、家で親子7人がやっと三度の銀シャリを口にすることが可能になった頃であろう。

父も復員して5年か6年は経っていたろうが、親も子も毎日の暮らしで精一杯だったのだろう、学校でも教えない戦前のことなんか誰も口にしないし、東京で行われていたであろう政治のことなんか話題になった記憶は全くない。戦争はとっくの昔に終わっていたし、長野に進駐していた占領軍について記憶にあるのは志賀高原のスキー場で、あちこちに進駐軍専用の看板があり日本人が排他的に扱われていたことぐらいだ。講和条約の発効でこれがなくなり、スキー場のリフトに日本人も乗れるようになったのだろうが、当時理由を理解できていなかった。

多分当時は、大人でも日常生活に影響が無ければ、政治における外交問題なんか全く関心を持つ余裕も必要もなかったのではないだろうか?少なくとも遊ぶことにしか関心のない、お馬鹿な中学1年生にとっては全く関係のない話である。それがそのまま大人になって講和条約本体さえ知らないのだから、同日交わされた日米安保条約 (旧)なんぞ知る由もない。70歳近くなってこの講和条約で一応戦争状態が終結したと知ったつもりになっていたわけである。

市井の一老人が勘違いしていても日本国にとって何の影響もないが、国の外交について責任を負わねばならない政治家が、歴史を正確に知っていないととんでもないことになる。例えば、靖国神社春の例大祭に総理が真榊を奉納したり、首脳や議員が大挙して参拝したりすることに中国や韓国が批判的になっている。これに対して政府は明らかに上から目線で開き直っている。アメリカもあまり愉快に思っていないようだが、本気で文句を言ってきたらどういう態度に出るのだろう?

また政府は4月28日に「主権回復の日」記念式典を行うと閣議決定したことで、沖縄の地元を含め強い反発が出ると、5月15日の沖縄本土復帰を記念した式典を検討してみたりしている。(結局は取りやめざるを得なくなり二重に醜…

コンピュータ対プロ棋士

最近コンピュータが将棋のプロ棋士5人と対決して3勝1敗1引き分けだったか、兎に角圧勝したそうだ。囲碁は未だプロ棋士と戦えるほど優秀なものが開発されていないらしいが、それにしてもコンピュータの発達は想像を超えるものがある。どのような仕掛けか分からないが、基本的には人間の考えと同じように、相手の応手を先の先まで考えられるものを全て計算(予測)して自分の指し手を決めるシステムを急速に成長させているようだ。

碁を打つ人は、囲碁の方は局面が広いので、当面コンピュータには負けないだろうと言っている。しかし素人考えで言うと将棋は、相手に取られた味方の駒が相手の駒に変わったりすることもあり、それなりにかなり複雑である。囲碁にしてもいつの日にかはコンピュータに敗れる日が来るに違いない。そのこと自体は半ば運命的であろうし、人類の科学技術の進歩とはそのようなものだろう。問題は科学技術を利用する人間の精神性の向上ではないか。

科学技術の進歩で、人間は身体を随分使わなくて済むようになってきている。自分の人生においても、その省力化のスピードが年追うごとに上がりつつあることを実感せざるを得ない。身体は筋肉であると脳みそであろうと、使い過ぎても疲労して退化するかもしれないが、使わなくても劣化はしていくだろう。骨や筋肉が退化して死期を早める分には仕方ないかもしれない。しかし思考能力が劣化してアホな人間が増えるのは困ったものだ。

それとコンピュータでは絶対置き換えられないだろうと個人的に思っているのは情緒の問題である。これも小生が思い込んでいるだけで、ある日将棋に負けたコンピュータが泣き声をあげたりするかもしれないが。情と言うものが身体のどこから発生してくるのか知らないので何とも言えない。プロのことはいざ知らず、我々素人は囲碁を打つにしても、その日その時の情緒で打つ手は勿論、勝ち負けに大きな影響が出るものである。ゲームソフトに限らずコンピュータに情なんぞ無い方が善いに決まっている。

しかし情の無い人間は人として全く通用しない。高度化していくコンピュータに人間が振り回されるようになると、情の薄い人類が増えていくような気がしてならぬ。電車の中でスマホに見入って座り込んでいる青年が、前に立っている老人に気が付かずにいる光景を指摘する人が多いが、それも一つかもしれない。

外国との付き合い

世界的な傾向として先進国では景気の停滞が問題視される中、最近の日本は国内景気が上向きそうな話が多い。ちょっと不思議に思うが、政府や日銀の首脳が次元の違う舵取りをしていると自ら言っているのだから、素人に分からないのは当たり前だろう。しかし「次元の異なる」とのもの言いは、常識とかこれまでの積み重ねて来た経験値を全部否定するかのように聞こえるので、保守的且つ常識人と自負する者からすると厭な言葉だ。

それでも世間が明るくなっているのは事実のようだし、そのうちに少しでもおこぼれに与れるとすれば結構なことだから、「はあ、そうですか」と黙って見ている他あるまい。国内経済はそれでいいが、安倍政権の外交について、こちらも次元が異なる方針なのか、しっくりこない感じである。従来我が国は「非武装中立」を目指した時期もあるが、米ソ冷戦時代に日米安全保障条約の締結でアメリカの傘に守ってもらうことになったのは已むを得ざる事だったろう。

ところが最近何かの本を読んで気になりだしたのは、日米安保がいつの間にか日米同盟に変化していることである。中曽根さんの時代あたりかもしれないが、アメリカと一緒に戦いましょうてな雰囲気が生まれてきて、小泉さんの時代イラク戦争にコミットして日米同盟の既成事実化が進んでいる。マスメディアの正面に出てこないが、自民党の中でもこの流れに危機感を抱いている人間は居るはずだ。しかし現政権では、この流れが加速していることは万人の認めるところ。

まあ、外交は政府の専権事項だから老いぼれ一人がぼやいても仕方がないのは百も承知だ。それにしても広い世界なのだから、バランス感覚のある外交戦略を考えてもらいたい。まして安倍さんが口先では大事な隣国と言いながら、実際の行動ではまるで反対になっている中国や韓国との関係は心細い限りだし。ロシア外交に関しても来月訪問はするようだが、先日の森元首相とプーチン会談で少し光明が見えたからと言って、いきなり財界人を大勢引き連れて訪問するのも如何なものなんだろうか?

先方が日本の経済協力を期待しているのも事実だろうが、いきなり物欲しげな連中を引き連れての訪問はアメリカ大統領のスタイルを真似てみてるだけで顰蹙を買わなければいいが。どう考えても先方の期待値とこちらの期待値がすれ違っているとしか思えない。幾らアメリカと同盟関係があるにせよ、外交だけは自主的な判断が必…

ネット選挙解禁

先週末に購入したiPadminiのことが気になって、今日は日がな一日、事務所と自宅の通信環境の変更やらで潰れてしまった。スタッフにやってもらえば1時間足らずで終わるだろうが、自分の手でするとなるとこの始末だ。別に環境が変わったからどうと言うことはないのだが、どうせ暇人だから時間潰しになったこと、コードの混乱が少しすっきりしたことぐらいで善しとしておこう。

それにしても選挙にネットが解禁になるそうだが、これを自由に使いこなせる候補者がどのくらい居るのだろうか?少なくとも現役の議員で使いこなせている人は皆無に等しいのではと推測する。ホームページを開設し、メルマガをせっせと書いている議員は何人かいるし、議会でTwitterを開いている行儀の悪い議員もいるのは知っている。しかし、その程度のことで本当にネットを有効利用できるとは思えない。

インターネットは小生ですら多くの議員さんと同程度にある程度は活用できる。オートマチックの車で交通量の少ない公道を走るようなものだ。極端に言えばハンドルとアクセルとブレーキ操作をある程度分かりさえすれば、機械の構造なんぞ全く分からなくてもいい訳だ。しかしパソコンは触ったこともない家の婆さんが心配するように、あちこちでトラブルが続出することになる可能性が高い。

もう大方の人には忘れられているかもしれない大分昔に逮捕された例の脅迫メールの犯人、数か月にわたり拘束されているようだが、未だに警察は起訴さえできずにいるようだ。彼が真犯人であろうとなかろうと、インターネット技術に精通した人間が日本に何人いるか知らぬが、そのうちの一人が似たような行為に及んだら取締側は対応できるのだろうか?

ネット選挙の解禁ともなればオートマチック車を転がすような訳にはいくまい。少なくとも自分の陣営のサーバと作動環境、対する受け手側の環境について相応な知識を有する技術者がいなければ、真の意味での情報の受発信は適うまい。巷ではパソコンの売り上げが激減しているそうだが、パソコンに代わるIT機器の多様性は生鮮食料の比ではなさそうだ。勿論通信手段についても同様のこと。

たまたま流行遅れでタブレットを買い込んだために、改めてそのややこしさを体験した。民主党海江田代表が「自分は毛筆が好きでITは苦手」みたいことを言うのは、野党党首としてみっともないし困ったものだが、ある意味正直なので…

考古学の教養講座

昨日も寒かったが今日はもう真冬の寒さである。長野の弟妹の日記を見ると、昨夜から雪が降ってかなりの積雪になっている。桜の花が雪で薄化粧をするのは風情があるとか何とか言っていられるが、見事に咲いたチューリップが雪に覆われているのは痛々しい。昨日は久しぶりに三田の慶応キャンパスで開かれた講演会を聞きに行って帰りが遅くなってしまった。

講演が14時からだったので、キャンパスの近くで昼食を摂るつもりで出掛けた。久し振りではあったが、慶応の学生街はこんなに喰い物が貧しかったかと改めて思い知らされた。早稲田の高田馬場からキャンパスにかけての繁華街とはとても比べものにならない。勿論大学が集中する神田周辺なんかとの比較は論外と言える。我々が通っていた頃は、店の数はそんなになかったにせよ、もう少しこじゃれた店があったような気がするが、食券をコインで買うような店ばかりであった。

キャンパスも大分近代的になっているし、建物の配置も大分変っていた。当時幻の門と言われた正門は、まるで城門のように立派な建造物になっている。
しかし教室の雰囲気は昔と大差はない。固く窮屈な椅子と机が二人分ずつ引っ付いて並んでいる。一寸大きな鞄なんか置くところに困りそうだ。図書館が拡張されたらしく、閲覧室が中庭から見えていた。入って見たかったが、時間も無かったし、多分学生証が必要だろうから無理だったと思う。大学は学問の場だから余り居心地を良くする必要もないだろうが、案外慶応て貧しげだな思ってしまった。

講演会は第73回慶応あるびよんくらぶ・土曜教養講座「アレクサンドロス大王東征が築いた一大文化圏」講師:前田耕作先生
主催しているのはOB有志で1年に6,7回開催しているみたいだ。元同級生が幹事で以前から誘われているので、興味があるテーマについては時々顔を出している。受講料は千円だが下手な映画を見るより面白いことがある。誰が企画してくれているか知らぬが、なかなかなものである。どうも会の中心メンバーが我々より少し上の人らしく、聴衆も小生より上に見える方が多かった。

今回の前田先生も出身が名古屋大学で和光大の名誉教授なので慶応で教鞭をとられたことはないみたいだ。しかし現在アフガニスタン文化研究所所長でアジア文化研究の考古学者としては第一人者らしい。10年前からアフガニスタンでバーミヤン遺跡の修復保存事業に尽力されており、外…

結婚記念日

本日は結婚記念日、自分のことながら44回目ともなれば先ずは目出度いとしていいだろう。44年前の1969年4月19日もうすら寒い日で、婚礼を挙げた長野市内に確か雪が降ったような記憶がある。更に記憶を辿れば、式と披露宴は当時長野市内の繁華街権堂の料亭「富貴楼」の座敷だった。昨今は婚礼をする場所には神社や教会が用意されているが、当時はまだそれが無かった。

現代風に言えば人前式、座敷に両家の者が向い合せに座り、その前で祝言の杯を交わしてそれで終わりである。酒を注ぐのは料理屋の女中さんだったと思うが、脇に親戚の伯父さんが座って肴と称する謡曲「高砂」を謡ってくれたものだ。後は既にお客さんがお待ちの大広間に移っての披露宴。乾杯が終わると10数人の芸者が入っての宴会となった。披露宴は100人前後だった思うが、今風と少し変わっていたのが新婦側の出席者はごく近い親族だけであったこと。

確か「見立て」とか言う方式で、新婦側は新婦側で既に披露宴的なものを実家の方で済ませていた筈。従って客の殆どが小生の関係者だったから、宴席も大いに乱れた。誰かが心配して膝下に杯洗を用意してくれたが、受けた盃はそこに流すことなく、強か飲んだような気がする。全ての記憶は霞の彼方に茫漠として曖昧ではあるが、その日のうちに東京から来てもらった大学時代の友人と同じ列車で、合席しながら東京の自宅に帰ってきた。これが新婚旅行では余りにも芸が無さすぎるので、翌日は都内のホテルに宿泊して翌々日帝国劇場で当時の染五郎(今の幸四郎)と草笛光子主演の「ラ・マンチャの男」を観劇。

その次の日には会社に出勤して、それから毎晩のように若い社員を自宅に連れ帰って宴会をつづけたと思う。中には新婚家庭の応接間に小間物屋を拡げてくれた強者もいた。彼は未だ現役で活躍しているが、我が家で昔話になると必ず出てくる笑い話である。兎に角最初の会社を辞める47歳までは、会社のことしか頭になかった人生だった。今では夫婦の会話の大部分を占めるのが孫のことと至って平和である。往時を偲ぶとモーレツサラリーマンだった自分も偉いと思うが、黙ってついてきた婆さんも偉かった。

彼の欲するものは悉く与え、我欲するものは未だ一つも得る能わず

明治4年岩倉使節団の一員として渡米した木戸孝允が、不平等条約改定を悉く蹴られてタイトルのように嘆いたとされている。

前回総選挙自公圧勝で政権交代が実現し、今度の参議院選挙でも自公圧勝と見込まれている。参院選が終われば新政権はやりたい放題だろうが、今のところは安全運転をしているそうだ。16日には目出度くか、25年度予算が衆議院で成立した。何でこんなに時間をかけているかも不思議だが、誰もそんな事は言わない。そこで誰が何を考えたか分からぬが昨日国会で党首討論が行われた。以前からこの党首討論なる代物「国家基本政策委員会合同審査会」と大仰な名前の割に、時間が極めて短く内容も薄っぺらに過ぎると思っていた。

多分これをまともに見る暇な日本人は少ないと思うが、昨日午後3時から約50分この党首討論を見た。それは薄っぺらさが更に顕著で、それぞれの野党党首に割り当てられた時間は民主党海江田氏25分、日本維新の会石原氏15分、みんなの党渡辺氏5分。時間の中には総理の発言時間も入ってくるので、とても討論なんて呼べたものではない。3人の野党党首は安倍総理の引き立て役として連れてこられたようなもので、正に総理の独擅場。一番長い時間を持っている民主党海江田代表なんか政権に異議を唱える気力も失せ、泣き言を言っているようにしか見えない。

維新の会石原氏やみんなの党渡辺氏に至っては、まるで与党議員がお追従言っているのと変わらない。4人とも健全な国民が民主的な選挙で選んだ政治家の代表だから今更何をか況やではある。この体制が5年も10年も続くことはないと思うが、年寄りの目から見て、野党の影がこんなに薄い状態が長く続くことは決して国民の幸福につながらないように思う。何故か、宗主国気取りのアメリカが益々我が国を好いようにハンドリングし、悪く言えば食い物にする危険を感じるからである。

マスメディアに登場しない識者の中には次のような事をはっきり指摘する人もいる。「アメリカは如何に属国視していると雖も、日本をハンドリングする時に無理押しはしない。外交戦略に関しては目標を設定したら非常に長いスパンであろうと着実にそれを達成する。特に外交と言う国家戦略に関しては民主、共和に政党間に基本的相違が無いと知るべきである。」言われてみればその通りだろう。外交戦略と国内政治は別物であるのは日本も同じ筈だ。

沖縄普天間の問題であれ…

祖母と父、どちらが正論?

東京は桜もすっかり散って若葉が青々している。代わってハナミズキやつつじが咲き初めたが、朝から風が強く雨が降るようにはないが何かどんよりとしたパッとしない天気だ。多分黄砂とかPM何とかが大量に舞っているのだろう。土曜日の山歩きで生じた足の筋肉痛は治ったが、腰の痛みが未だ抜けない。暫くじっとしていて立ち上がると腰がしゃんと伸びない。みっともないので何とかしたいと、月火水と3日間1万歩以上歩いてみた。歩いている時は殆ど気にならないのだが、靴を履いて歩き出しの数歩が問題である。

少しずつは元に戻りつつあるのだろうが、完全に復旧することはないだろう。
残念ではあるが身体の劣化は着実に前進していく。しかし自然の摂理でもあろうし、足腰にもっと深刻な悩みを抱えている多くの友人のことを思えばそこそこ歩き回れるだけでも善しとしよう。先の見えた自分のことを思っても仕方がないが、折につけて聞く孫のことが楽しいし面白くもある。今朝聞いたのは長女の一人息子カズ君、今年目出度く幼稚園の年中組に進級できたので嬉しく思っていた。

大分人間らしくなってきていると思っていたが、母親との知恵比べについて今朝婆さんから報告があった。何でも彼の朝めし時にお気に入りのテレビ番組があるらしい。それに見入って飯がおろそかになるので、一昨日母親が怒ってテレビの無い部屋で食事を強制したらしい。「さて、カズ君の反応はどうだったでしょう?」聞かれても答えは想像すらできない。答「なん翌朝彼は30分早く起きてテレビの無い部屋で朝食を食べ終わり、好きなテレビが始まる時間にはテレビのある部屋に来たのです。」

何も問題ないように思うのだが、娘からすると、旦那の朝食と息子の朝食の準備が重なると何かと大変らしい。従来はカズ君がお母さんに気を使って、お父さんの食事が終わるまで寝床で待機をしていたらしい。テレビを見せてくれないなら早起きするよとの意思表示には参ったそうだ。昨日午前中に娘が我が家に来て、知恵比べでやっつけられたことをこぼしていたとのこと。
下の娘の高校1年生も学校のオリエンテーションが終わると、ますます勉強したくなってきたとのこと。

何処か塾にでも行く気になったのか聞くと、そうではなくて学校での勉強をしっかりするのだそうだ。何れも従来我が家には存在していなかった人種が突然変異で出現したみたいである。鳶が鷹を生むわけはないが、…

陵介と浩介

先日新潟県長岡市で行われた競泳日本選手権大会の最終日の14日、普段あまり注目しない水泳大会であるが東洋大学1年生(18歳)の萩野公介選手が前日までに5冠を達成していたので、この日の200m背泳には流石に強い関心を持って見守ってしまった。レースの結果は先輩の入江陵介が先輩の意地を見せて競り勝ったが、150mの最後のターンで頭2個分萩野が前に出た時は彼が勝つかと思った。

しかしスポーツは実力、且つ厳しい世界であることを痛感した。試合後の萩野選手は「最後の25メートルガクッときた。12レース目、最後の最後で来ました。本当の怪物は最後まで活躍を続けられる。」とフェルプスやロクテを挙げて成長途上を認めたと報じられている。レース後に入江から「萩野はAKB48好きで、これからはセンターに立ってくれる」とエールを送られると、「憧れのセンター(入江)を倒せる存在になりたい」と返したやり取りも爽やかだった。

その辺の中学生でも水泳部ともなれば1日に何千メートルと泳ぐのが当たり前だから、このクラスの選手の練習量はきっと想像を絶するものがあるのだろう。その中で、萩野選手については平井ヘッドコーチが「身体が壊れるのでは」と心配するくらい練習するらしい。水泳連盟では「萩野は期待値が一番高い。リレーを含めて8種目に出る可能性もある。世界選手権では準決勝もあるが、挑戦してもらいたい」と日本人としては例のない8種目出場の可能性を示唆したそうだ。

平井ヘッドコーチも「チャレンジさせたい。最後へばるかもしれないが、チャレンジすることが大切。フェルプスやロクテを本気で目指してますから」とのこと。今回の日本選手権200m平泳ぎで優勝した山口観弘選手も未だ18歳、この夏バルセロナで開催される世界選手権が楽しみになってきた。
政治経済のインチキ臭い話を追っていても全くつまらないが、スポーツの世界は嘘が無いので実に爽やかだ。様々なジャンルで若い選手が活躍しているのが嬉しい限り。特に水泳は、日本が敗戦に打ちひしがれていた時、富士山のトビウオが私を含め日本人を再び奮い立たせてくれた。日本のお家芸でもある。二人の介さん頑張ってください。

故郷の春

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故郷長野の春は実に爽やかである。朝晩の冷え込みはきついが昼ともなると東京より気温が高くなりさえする。庭の草花が咲き、里の桜も満開となり、この週末は素晴らしいお天気で市内の公園は花見客でごった返した事だろう。 金曜日に兄の法事を兼ねた昼食会が市の外れの高台にある料理屋であった。南に長野市と取り囲む山並みを一望できる座敷に兄妹が集り、肉料理を肴に楽しい歓談のひと時であった。
この後、弟の家で一晩厄介になり、翌朝飯縄山能登山口まで送ってもらった。先述したように朝の冷え込みはきつかったが、その快晴で長野市を取り囲む山並みが綺麗に浮かび上がる素晴らしい天気になった。特にドライブの途中、弟が昔子度の頃よくスキーをしに来た門沢付近に車を止めた。現在は皆車を飛ばして通り過ぎるので知らぬ人が多いだろうが、ここはこのルート一番のビューポイントとのこと。
成程、車外に出て眺めると足下に広がる芋井の畑と部落の遥か向こうに北アルプスの五龍・鹿島槍・爺が連なりがえも言われぬ美しさだ。特に五龍と鹿島槍は形がいいし、この2山を繋ぐ稜線は有名なキレット(切れ込んだ岩稜帯)で、歩いたことはないが見ているだけで胸が熱くなる思いだった。飯縄山は今年は3月の気温が高かったようで、昨年弟と一緒に登った時(やはり4月の第2土曜か日曜)と比較すると遥かに残雪が少なかった。
しかし前夜の寒さで新雪が降ったようで、1900mの山頂付近になると10㎝を超えそうな積雪になっていた。昨年と異なり山頂まで夏道が殆ど開通しているので、8合目付近から直登とはいかなかったせいでもあるまいが、疲労が激しい。前夜から弟宅で話題にもなり当日の信毎朝刊に記事が出ていたが、飯縄山は市内の小学校5年生の学習登山の山だそうだ。我々の時代もそうだったかどうか記憶が無いが、市内で20校近くの小学5年生が来月あたりから順次遠足に繰り出すらしい。
そんなことも意識し、何度も登っている山でもあるので、軽い気持ちで登るつもりが、取り掛かると意外にきつい。こんなところ本当に5年生が登れるの?と不思議な思いだし、引率の先生方の苦労が思いやられる。帰宅して「年のせいかバテバテだよ。」と言ったら婆さん曰く「今頃気が付いたの?あったり前でしょ。」とのこと。月曜の今日でも筋肉痛が尾を引いている。
                  飯縄山

山歩きの詳しくはこちらを…

慌てる乞食は・・・

明日から長野に行かなくてはと言うのに、季節が1か月以上逆戻りしたみたいな寒さだ。ここ東京もかなり寒いが長野では雪が降っているらしい。ま、明日になればまた春の陽気になるだろうと考えておこう。昨日のブログでスマホに関連して、新しいものに手を出さないことにすると書いたばかりなのに、後輩がiPadminiが非常に便利と言っていたのが頭から離れず、遂に今日買ってしまった。

事務所の他に自宅にもパソコンを持っていて碌に使いもしないのに、携帯のパソコンを買って何をしようと言うのか。事務所に帰って反省しても後の祭り、後悔先に立たずの典型である。昼飯の序でに昨日の後輩の話を確認するつもりで家電量販店に寄ったのが間違いの始まりだった。見事販売員の口車に乗せられ買わされてしまった次第。もう少し年がいったら振り込め詐欺なんかに簡単に引っ掛かるかもしれない。

この代物一種のパソコンだからインターネットに接続しなければ意味が無い。結局接続が簡単な通信回線を抱き合わせで購入することになり、本体価格8800円と一見あまり高くは無さそうだが、これで通信費が年間6万円ほど余計に掛かることになる。しかも2年間解約できない、年金生活者には分に過ぎる贅沢品だ。高い玩具になったかもしれない。

しかも事務所に帰ってきたのが3時一寸前だったが、梱包を開いて玩具を取り出したはいいけれど、この設定がまた一苦労。4時間近くかけてやっとインターネットにつながったが、とてもこの日記を書くような訳にいかない。結局いつもようにデスクトップのパソコンでこれを書いている。どういった理由か分からないが、投稿の設定画面が異なっているのだ。デスクトップはウィンドウズ、iPadminiはアップルだから基本ソフトが違うことは分かるが、同じ機能の表示がこうまで違うとは少しびっくりだ。

ブログの次にパソコンの利用頻度が高いネット囲碁、これをトライしようと思ったら、パンダネットのアプリケーションはウィンドウズにしか対応していないらしい。何処に居ても囲碁が出来ると少しは価値あるかと期待していたが、全く役に立たないではないか。そう言えば大昔アップル社のiMacが発売になった頃、ゴルフの商品で貰った事があった。結局全く使いこなせず誰かに持って行ってもらったことを思い出す。慌てる乞食は貰いが少ないどころの話ではなさそうだ。不吉な予感が募ってきた。

情報機器の進歩、使って見なきゃ分からない

昨日は孫が進学した都立三田高校の入学式。娘から電話があったそうで、なんでも今朝の日本テレビの朝番組「ZIP」のカメラが入っていたから見てね、とのこと。普段見慣れない4チャンネルだが早朝から見ていると7時過ぎになって出てきた。現代高校生気質の一端を紹介する意図だったらしいが、婆さんに言われて関心を持って見たのが先ず制服。我が家では娘が二人とも制服の無い高校だったので興味があったようだ。三田高は男女ともに濃紺のブレザー。やはり学生には制服が良く似合う。

婆さんは下の娘の時にPTAの役員を務め、校長に制服を定めるように何度も進言したらしい。当時は実現しなかったが現在は制服になっているので、思いが適って嬉しく思うとのこと。脇にそれたがテレビが報じたのは、ここの高校生90%以上が持っているスマホのこと。孫も今まで携帯を持っていなかったが、高校入学が決まると同時にスマホを買ったことは聞いていた。このテレビを見て、これまでスマホ機能と特性について少し勘違いしていたような気がしてきた。

スマホの機能は現在使っている10年前の携帯と大差なく、画面が少し大きいこととフィンガータッチで画面を変化させることが出来るのが主な違いで、使い勝手がパソコンに近づいている程度のことは想像していた。「アプリ」もよく聞く単語だが、パソコンに入れているそれと大差あるまいとも思っていた。ただ電車の中の風景で、非常に多くの人がスマホを見つめているのは行儀の悪さだけ少し気にはなっていたが、どうも善悪だけで判断していいものなのか、もっと知る必要があるのかもしれない。

今朝のテレビは若者が利用する使い勝手の一例を取り上げたもの。都内の異なる中学から集まってきている筈の女子生徒たちが、入学式当日既に多くの友達を作っている現実があり、それがスマホに搭載されているアプリの一つ「ライン」の機能によるものであることを紹介していた。確かに「ライン」については先日孫と一緒にやって来た娘から少し話を聞いた。その時の理解は孫の中学生時代の友達のグループメールと勝手に理解したが、どうもこれも大分イメージが違っていたようだ。

たまたま昼に、放送局勤務50歳台の後輩と飯を一緒した時に聞くと、「ライン」は今世界的に流行している日本発のSNS(mixiやfacebookもその一種)であること。通信費が掛からないことから加速度的にユーザーを伸…

理解不能

今世の中で起きていることがこの先、と言っても近い将来どうなるのか、1940年生まれの小生には殆ど理解不能である。止むを得ない、或いは当たり前だのクラッカーかもしれない。先ず隣国とも言える北朝鮮で起きていること。隣国と言っても昔からベールに包まれていたにしても、つい先日まるっきり子供のような金正恩が3代目に担ぎ上げられたのか、自らの器量で成り上がったか分からない。彼の下における最近の動きに至っては、全く何を考えているのか、想像を遥かに超えた次元である。

何となくアメリカを意識していそうだが、アメリカは太平洋にミサイルをぶっ放すだけなら「好きにやっていいよ。」と言っているらしい。そこまで言われたら、北朝鮮としてはどうするのか。代わりに手先の韓国や日本にちょっかいを出せば、親分アメリカの態度が変わるとでも思っているのだろうか?そこから先に思いを巡らそうとしても、脳みそが空回りしてしまう。まさか例え限定的にせよ、戦になった場合のストーリーが予想が出来ない筈はないように思うのだが。

幾ら鎖国状態とは言え、昔の日本ではあるまいに、政権内部には相当な情報が集積され共有できているだろう。日本政府の情報については質量ともにアメリカからのお下げ渡し以外考えられないので、対応も全てご指示のままなんだろう。ご指示に従って高価な玩具みたい兵器を大量に動員すれば、供給しているアメリカにとってはハッピーだろう。ひょっとすれば「ミサイルを打て」とけしかけているのかと邪推したくなる。

十年一日、身体は衰えても頭の動きは十年前とは変わらないつもりでいても、おつむの劣化も相当進んでいるようだ。株に縁が無いので余計理解不能なのが株価の動き。株式投資が古い脳みそにこびりついている言葉であり、お金のある人が将来性のある企業に投資してリターンを稼ぐのが基本原理と理解してきた。しかしいつの頃からもどこがどう変わったかも定かでないが、株式売買のルールが変わったのだろう。

株式市場そのものが博奕場に変身、企業の優良性も将来性も関係無く、誰がどこに張っているかを見分けるのが売買の原則になっているらしい。新政権発足を寿ぎ世界中から博徒が集まり、丁よ半よと賑々しい博奕が始まっているらしい。この華々しさに当然のことながら、若い打ち手に交じってこれまでに株で苦い経験をした老人でも、つい我を忘れて手が出るのだろう。政府が自国通…

面白いこと何も無し

いつも土曜の夜から月曜の朝にかけてくしゃみと鼻水が酷い。風邪を引いたかと思って風邪薬を飲むのが恒例になっている感がある。別に熱が出る訳でもないし、花粉症のアレルギーも無いので不思議で仕方なかった。今日整骨医のお兄さんにその話をしたら「プールの消毒薬塩酸で鼻孔が炎症を起こしている可能性が高いですね。」とのこと。成程言われてみるとその可能性が高そうだ。次回から別の対処を考えよう。

今日は格別のこともなければ、書きたいことが何もない。

読後感「児玉誉士夫 巨魁の昭和史」有馬哲夫著

昭和20年の敗戦以降の政治を、戦前から右翼活動をしていた児玉誉士夫なる少し特異な人物を通して描いている一風変わった政治史ドキュメンタリーである。主人公の児玉氏はロッキード事件でクローズアップされて、ロッキード社とコンサルタント契約を結んでいたことが明らかにされた。当時は、日本の右翼が何故にアメリカの航空機メーカーと関わったのか、奇異な感じもしたがこの本を読んで納得した。

著者は日本だけでなく、アメリカの公文書を丹念に調べてこの本を書いたようだ。日本では1976年のロッキード事件は既に遥か昔の出来事で、すっかり風化してしまっている。多くの人の印象では、金権体質であった田中角栄総理が、前後の見境なくアメリカの会社から政治資金を受け取ってしまった程度の理解ではなかろうか。本書を読むと、そんな理解が如何に底の浅いものかがよく分かる。

主人公の児玉氏が田中総理と全く無関係ではなかったかもしれない。田中氏のスポンサーであった小佐野氏と児玉氏はかなり古い付き合いもある。しかしそんなことはロッキード社と日本の政治家の絡みからすると全く枝葉末節に過ぎない。本質的な問題はアメリカの政治に日本の政治体制が常にコントロールされているところにある。ロッキード問題も当初はアメリカ国内の政治問題、突き詰めるとニクソンのウォーターゲートにまで遡らなくてはならない。

本書は終戦と同時に始まった米ソ冷戦状態が、アメリカに日本をフロントとして利用せざるを得ない事情が発生し、戦犯として確保していた児玉氏のような特異な存在を利用することがアメリカの国益に合致したことを明解に論じようとしている。児玉氏とロッキードの契約はなにも民間機の導入の際に始まる話ではない。遥か以前、CIAの斡旋で始まっているのだ。小生の認識としても児玉氏はヤクザか右翼の大物ぐらいのことで、政界といろいろな繋がりはあるにせよ、私腹を肥やすのが精々で余り問題視するほどの人物ではないと思っていた。

しかし、本書を通読して完全に見方が変わった。彼はひょっとしたら心から日本の自主独立を目指した本当の国士だったかもしれない。鳩山一郎、中曽根康弘等自主独立を唱えながら変節した政治家が多いようだ。中曽根氏に至っては児玉氏と特に深い関係にあり、自主路線を唱えていたのが首相になった途端日同盟論者に変わっている。その時彼を支えてきた児玉氏は既に司法に絡め取…

4月の給料袋

浮世離れした生活になると新聞やテレビの報道に接しても、直接関係の無さそうなこと故に切実感が湧かず、消化不良即ち本当の意味を理解していないことが多いように思う。特に昨今話題になる景気が悪いとか、景気が良くなりそう、といった話は全然分からない。50年前に飛び込んだサラリーマン現役時代から、正直なところ好景気を実感したことが無いからかもしれない。

こんな風に書くと、働き盛り世代から「とぼけたことを言うんじゃない!」とお叱りを受けるかも知らぬ。確か給料がアップしなかったことは最初の転職のとき以外に経験したことが無い。昭和30年代後半からの高度成長期の恩恵をもろに受けたのも事実。昭和38年から62年まで在席した会社(広告業)は、今にして思えば毎年売り上げも利益も向上して社員も増え、給料もそれなりにアップしていった。ここを62年に辞職して以降は波乱万丈の意味もあるが、給与所得と縁が無くなって数年経つので、言及しない。

最初に25年勤めた会社は典型的な中小企業、労働組合なんてものは無く、4月の給料袋を開いて初めて、「今年はこれだけ上がったか。」或いは「これしか上がらなかったか。」と腹の中で思うだけだった。第一、毎度聞かされている社長の訓示で「今年は(或いは来年は)幸い景気が良さそうだ。」とは一度も聞いたことが無く「また景気が厳しい中だが諸君には頑張ってもらいたい。」と言ったことしか聞いたことが無い。そして受け止める側の実感としても全く違和感がなかったのも事実だ。

余り関心が無かったとはいえ、当時も世間には春闘があり、その報道を思い出しても、日経連(現在は経団連に合併されている経営者側)が労働側に言うセリフは「今年は厳しい」が決まり文句であったように記憶する。詳しい内容については注意も払っていなかったので曖昧だが、当時の労使交渉はいつも100円玉数枚が争点であり、なんでこれぽっちのことで芝居じみた大騒ぎをするのか不思議に思ったり、組合のあるような大企業の連中に内心同情したりした。そんなに太っ腹とも思えない自分の会社の方がずっと気前が良かったように思えたのだろう。

ところが今年は「春闘は満額回答が相次ぐ」と報道されることが多い。こんな表現に接するのは、何と言っても半世紀の間に見たことも聞いたこともなかったので、正直びっくりした。景気が良くなる兆しが何処かに見えるらしい。冒頭に書いた…

アベノミクス効果

今日は朝から素晴らしくうららかな行楽日和。何処へ出かけようかと考えていたらグッドタイミングで友人から電話。昼飯を上野あたりで一緒しようと意見が一致。早速11時半に上野駅で待ち合わせ、この一帯は友人の地元なので昼飯は一切お任せ、結局鰻にしようとなって、池之端の亀屋一睡亭でうな重をご馳走になった。近年鰻が高いと聞いていることもあり、敬遠しがちだったので料亭での鰻は久しぶりでもあり、実に美味しかった。

昼食の後は腹ごなしがてら上野公園から寛永寺を抜け、根津まで降りて喫茶店で一服してから、不忍の池1周の散策を案内してもらった。桜はもう八重桜しか残っていないのに、ウィークデイの昼にも拘らず人出は結構なもので、シニア-が中心ではあるが、葉桜の下には宴会待機の陣取りが行われているし、すでに昼から始めている若い人もいた。兎に角池袋とは大分趣を異にする花のお江戸の気分を満喫した。その間3時間近くになったが、いつものように政治談義も盛り上がった。

友人はビルの内装業、アベノミクス効果だろうか昨年末から仕事が増えて、新年度に入っても平年に比べるて発注量は減らないとのこと。「しかしこのトレンドが長続きするとは決して思えない、長く持っても1年ではないか、今年稼ぎが良くなったらその分はしっかり溜めなくては。」先々のことについては大いに不安視している。当然と言えば当然だろう。アベノミクス第1弾が昨日の日銀政策決定であり、これが素人の我々にはよく分からないにせよ、これまでの政策を全否定して正反対に舵をきるのだから。

新メンバー3人以外の政策委員の節操の無さと意気地の無さには腹が立つ。友人は競馬をするそうだが、競馬は損して当たり前と思って買うのだそうだ。経済はそうはいかない。日銀の政策転換が副作用を生ずることは誰も否定しない。しかし庶民は政府を信じてまさか悲惨な目に合うとは思ってもいない筈。政策運営の当事者は言うのだから「リスク?そんなことは分かっている。備えは十分だし、その時はそれなりの対応で対処可能。」

このセリフ「地震津波への対処はフェールセーフ方式で対応しているので全く心配ない。」としてきた原子力発電を推進してきた人のセリフと全く同じである。こちらは幸い小金も持っていないので競馬は勿論株に手を出すこともなければ、金を借りて不動産を買いあさるなんてことはあり得ないからどうでもいいが。

ホリエ…

誕生日

昨日は余りに天気が悪かったので散歩をやめた。友人とお茶の水で食事の約束があったので出かけたが、地下鉄の駅が近いので歩行数が伸びない。帰宅して歩数計の履歴をチェックすると6500歩ほどしか行っていなかった。
今日は天気がいいので国会図書館まで出かけ、帰りに皇居のお堀に沿って有楽町まで散歩。桜はもう殆ど散ってしまっていたが、土手覆い尽くす新緑がみずみずしく鮮やかで、生命の息吹を感じさせ、お陰でこちらも元気が湧いてくる思いだ。

毎日が今日のような天気であれば有難いが、残念ながらそうはいかない。元気も天気に左右されるだろうし、他の要因も加わり日毎に変わるのは仕方あるまい。出来るだけ平衡を保って過ごしたい思いが強いが、今日から73歳。残されたエネルギーをそんなに期待出来る筈も無い。栄養補給と適度な運動、更に大切なのが休養か。気を付けているつもりでも身体の劣化は止めようがない。

特に注意を要する弱点は腎臓と前立腺にある。双方とも数年前から掛かりつけの医者から指摘されている。特に前立腺の腫瘍マーカーのPSA値が昨年15になってしまったので、今年はどうしても生体検査が必要なようだ。基準値が4なのでかなり高いのは事実。7年ほど昔の06年だったと思うが、掛かりつけの内科のドクターから泌尿器科の診察を薦めらた時の値が5弱だったのが上昇一本槍である。

確か数値が8に達したのでと記憶するが、09年の4月に一度生体検査を受けているのだが、この時点では悪性腫瘍は確認されなかった。ドクターに言わせると、前立腺球体に対してごく一部の点で生体を採取しているだけなので、たまたま癌を発見できなかったという可能性は大いにあるとのこと。再び検査は嫌だが、この初夏ぐらいには受けなければいけないだろうと覚悟はしている。

一方の腎臓が悪化すると透析とやらでこちらも相当厄介なことになりそうだが、幸か不幸かこちらのマーカークレアチニン値は基準よりちょい高めで15年くらい安定しているようだ。腎臓は血圧にも影響が出るとされているらしいが、血圧はずっと平常で安定を保っているので、減塩食とかにあまり神経質にはなっていない。但し岳父が「塩っ気も無い不味いものを食うくらいなら死んだ方がましだ。」と普段から毒づいていて本当に脳血栓でやられてしまった。

これも考えものなので、食事を管理している婆さんはそれなりに考えていてくれているだ…

さらば愛しの冬よ

夕方になってやっと陽が射してきた。雨降りと真冬みたいな寒さが2日も続いたのだからもういいだろう。出そびれて花見のチャンスを逃した人も多かった筈だ。小生も結局近所の桜だけで、少し足を伸ばして皇居の周辺とか鎌倉とか関西とかに出かけることにはならなかった。年によっては二度も三度も花見を楽しんだこともあるのに、今年は単に加齢による出不精とは言い切れない。天気の巡りあわせが悪すぎた。

明日、明後日はやっと本格的な春らしさになるらしいが時すでに遅しだ。花見は来年以降のお楽しみにする。社会に出る前の数年間、春休みはいつも志賀高原蓮池にある国立公園管理事務所の臨時雇いで管理員の雑用をしたり、この事務所が宿泊客を受け入れていたので、その世話をする下男のような仕事をさせてもらっていた。当時の国立公園監理員は厚生省の国立公園部所属の立派な国家公務員である。

しかし、給料が低かったに違いない。事務所の空き部屋に客を取ることが公然化していた。客の中核は国や地方の公務員だが、そこから山やスキー好きの知人に広がっていた。小生が初めて連れて行ってもらったのが小学5年か6年生の頃、父が県の役人をしていた関係で、父の部下だった人が連れて行ってくれた。1泊米5合持参3食付で250円だったことを記憶している。

志賀高原丸池のスキー場はそれまでに通っていた長野市郊外の大根畑とは異なり、スケールが大きいうえに初めて見るスキーリフトがあった。以降すっかりスキーの虜になり、年を追って通ううちに管理員さん夫妻に見込まれて、休みには手伝う代わりに只で泊めてもらうようになっていった。大学に入る頃にはスキーもそこそこ上達したし、体力もついてきた。またスキーを通して多くの友人が出来ていった。

高校の終りか大学生になった頃だったろうか、客の殆どがいなくなった3月末か4月初めのある日、管理員さんが「明日天気が良かったら竜王越えのツアーに行こう。」と言いだした。今のスキーヤーからすれば何でもないだろうが、昭和30年前半の志賀高原は、丸池から見て北の一番奥が高天原スキー場、ここにリフトが1本やっとできたばかりの頃である。一番若い小生にスキーの醍醐味を味あわせてやろうとの親心だったに違いない。

翌日が期待通りの快晴、番頭として兄貴分にあたる人(5歳年上だったが、長野のリンゴ園経営者で冬中管理事務所に住み込んでいた)、スキー狂の東京…

慶応義塾入学式 期待が膨らむ

昨日は招待を受けていた慶應義塾大学入学式(午後の部)に行った。3時開会だが2時半までに来場願いますとあったので2:15には日吉の講堂に着いた。既に大変な人混み、式の冒頭に報告があったが今年の入学生6千数百人、その半分としても3千数百人に同伴父兄がいる。早めに会場に入ったがアリーナの新入生の席は既に八部通り埋め尽くされている。観覧席に父兄と我々招待されたOBが並んでいることになるが、こちらも七、八部通り埋まっていた。

着席して改めて会場を見回すと、5千人以上の収容人数を持つ建屋の大きさを改めて実感するが、如何にも古い。壁に取り付けられている大型スピーカーの表面の布が、焼けて色が落ちところどころ剥がれている。入学当時は何かピカピカに光り輝いていた会場だったような気がしたのだが。実はこの建屋の正式呼称は日吉記念館で、創立100周年事業の目玉で建築されたのだから、ピカピカだったのは当たり前。昨日招待された我々は104期生であったことにやっと気が付いた。101年目の入学である。昨日入学した新入生は155期生になる。

いつの頃から知らぬが、入学式に招待された50年前の卒業生はご祝儀を持参する。友人の学年幹事は一昨年からそのために大変苦労をしていた。結果的には4000人強の所在を確認、うち2000人強から寄付があって5千数百万円の目録を塾長に渡し、学年幹事代表が最後に祝辞を述べさせてもらった。前には塾長と学部長代表で医学部長、塾員代表(同窓会長みたいものか)の祝辞あり、全ての祝辞の後に入学生の挨拶で締めくくられた。最後に全員で塾歌を斉唱して、式はお開き。

後は日吉キャンパスの食堂で104期生の合同パーティー、続いて文学部同期生は帝国ホテル地下の三田倶楽に移動してパーティーの2次会があり、帰宅が遅くなったので日記も休んでしまった。塾長以下の大学側のスピーチは流石教育者、それぞれ新入生にとっては意味のある内容だったと思う。但し、OBの方になると傾聴すれば立派な事を仰っているのだろうが・・・。正直なところどうしても長ったらしい。小生のブログについても度々ご指摘を受けるが、年寄りは一人合点でどうしても長くなってしまう。

引き換え、新入生の答礼が実に良かった。これから究めていくことになる未知の世界と自分の抱負、課せられていると思う使命を語っても世界観が実に的確であった。簡潔にして極めて要…