2020年6月30日火曜日

コロナ災害

今日で6月も終わり、全くどうしようもない半年だったが明日から始まる後半も暗いものとなりそうだ。それでも日本は世界中が羨むくらいコロナの被害が少ない。考えられる理由は今朝の朝日新聞に色々書いてあるが、専門家でもか結局は分からないようだ。外国の報道を観ていると、大量の死者を出している国では、遺体を家族に渡さずコロナ患者用の墓地にどんどん投げ込むように埋葬している。

岡江久美子さんが亡くなった時は、夫の大和田獏さんが遺骨を抱いて記者会見をしたが、日本も既に千人近い死者が出ている。遺体の引き渡しなんかどのように行われているか、少し気になるところだ。近くに池袋近辺では名の売れた寺があり、3日に開けず葬式があったが、そう言えば最近葬式を見た記憶がない。先日叔母さんが亡くなったときに従兄弟から連絡を貰って、葬式に伺うのを省略させてもらった。こんなことも時節柄と言うのだろうか。

政府は感染者が外国に比べて少ないことを幸いと思っているのだろう、国民に向け経済活動再始動を及び腰で促している。しかしウィルスの正体を見極めていないのでかなり中途半端だ。新幹線も動き始めました、航空機も運行開始であっても、夏休みを利用しての家族旅行は、子供の学校事情もあり、去年までのように行かないことは目に見えている。フランスは感染者の少ない国から順に海外からの客を受け入れるらしく、日本もその一角に入るとされているが、今年の夏フランスに出掛けるのは相当勇気がいるはず。

外国の航空産業は倒産やら従業員解雇が大きな話題になっているが、日本では未だそんなニュースは聞こえてこない。今年は本来オリンピック開催され外国からの訪日客が過去最大になるはずだった。それが一変したのだから東京のみならず観光地の旅館経営者は気が気ではないだろう。既に数年前から故郷信州のスキー場はガラ空き状態だったが、今年は遂に行かずじまいだった。恐らく来シーズンは行けると思うが、リフトにしろ旅館にしろ様変わりすることだろう。

明日から後半に入る今年だが、暮れのボーナスの心配をする人はまだ良い方で、給料を貰う会社の存続が心配な人も多い筈だ。未だ本格的夏にもなっていないのに年末や来年のことを言うのも変だが、コロナ災害という言葉を聞く度に思うのは、本格的災害の実感が出てくるのは半年後の年末から来年の今頃にかけてのように思う。雨風が強く暗い一日で、気分まで暗くなってしまった。

2020年6月29日月曜日

多士済々

昨日朝から昼過ぎまでの土砂降りとうって変わり、今日は朝から梅雨晴れで風も爽やかな1日になった。ところで、将棋は素人とも言えないほど知らない世界だが、指しの勝負という意味では囲碁と似ているのだろう。囲碁は自分でも少し打つし、テレビなんかのプロの勝負も観たりして楽しんでいる。将棋も囲碁もプロとアマの違いは天地ほどあると言われるが、実感としては想像がつかない。将棋の藤井聡太氏や囲碁の芝野寅彦氏は何れも10代にして既に名人或いは名人に手が届いている。そこで思うのが個人の才能についてだ。

勿論お二人共、小学校の低学年、或いはもっと幼い頃からその道に関して熱心に努力してきたことは聞かなくてもわかるが、それ以外に持って生まれた才能の違いがあるのではとやっかみ半分で思ったりしている。遺伝子工学が進んでいるので、誰か専門家が調査して、二人共持って生まれた遺伝子なりに普通人との著しい違いがある、と証明してくれればほっとしたりするだろうに。

しかしよく聞くのは、人間の脳みそには大した差異はなくて、普通の人はその1割程度しか使っていないと言う話。では、勝負の世界で強い棋士たちは体操の選手がトレーニングで必要な筋肉を徐々につけていくように、勝負に必要な記憶力とか感性とか集中力といった能力をトレーニングだけで涵養が可能なのだろうか。なんの努力もせずに生きてきて今更疑問を持っても仕方ないが、人間という生き物は不思議なものだ。

昨日高校の同窓会誌が送られてきて、創立120周年記念事業の寄付金(約5千万円)の学年別内訳が記載されていた。延べ72回生に亘っているが、中で最も多い学年が我が同期生の約300万円、他に100万円を超えている学年は4学年しか無い。我が同期生は才能豊かだったり、努力家が多かったから、それなりに功を上げた人材が豊富だったからかな、なんて思いながら見ていくと、47期も下の学年が100万円超えをしている。もちろんどんな人材がいるか知る由もないが、将来が楽しみでもある。

2020年6月28日日曜日

新しい生活、考え方

昨夜は新宿、と言っても甲州街道をかなり西に行った場所の中華料理店で、娘(次女)と二人の孫との夕食会(旦那は仙台に単身赴任中で欠席)。初めての店だったが娘が勤務先に近いことから見つけてくれた天津飯店新宿本店。洒落た大きな店だが時節柄で客数は少なく、4人にしては広すぎるくらい立派な個室があてがわれ、コロナ対策は十分だったと思う。料理も酒(紹興酒)も美味かったが、特に感心したのがフカヒレスープ、大きな皿に掌ほどもある厚手のフカヒレが出されて、少食の身にはこれだけでお腹いっぱいの感もあった。

兎に角急いではとても食いきれないので、3時間近い時間をかけてゆっくり味わってきたが、料金も時節柄で格安、一人1万円にもならない。娘に言わせると通常であれば単価1万5千円は下らないそうだ。美味いものを食いたい気持ちは常にあるので、友人から「結構良い店を知ってるな」と褒められることもあるが、美味くて安い店はそう簡単には見つからない。しかし、今どきの若い人は店を探すにも新しい方法を持っている。この店もスマホでタイムセールスなる安売りを発見したらしい。

昨夜は店の場所を確認するためにスマホを持って出かけたが、それでも迷ってしまった。即ち持っていても使えない老人の悲しさである。食事中に孫たちがスマホについて色々教えてくれた。たまたま小学低学年の頃に話し及び、小生のスマホに当時の写真があったことから大いに盛り上がって楽しむことが出来たのは怪我の功名かもしれぬ。

孫の一人は既に大学4年生、普通であれば昨年のうちに就職先が決まっていなければならないだろうが、彼はその心配をしている気配が無く、大学院に行きたいらしい。現在大学でどんな学問をしているか、あまり理解できないが、彼曰く「ごく平たく言えば人工知能かな」なんてことなので益々混乱するだけだが、いろいろ話を聞いていると、ゼミの先生を痛く尊敬している様子だ。

50才前の准教授らしいが、この先生「もう既に学歴社会は崩壊している。これからは学習社会」と言うことで、大学で何を学び身に着けたかが肝要とのこと。「そのため、今俺は必死に勉強している。」何を勉強しているか知らぬが、嘘にしても大学4年生がこんな事を言うかね、と内心感心もした。もう一人は大学2年生。こちらは兄の話を感心する風情で聞いていたが、必死で勉強する気は無く、のんびり生きるのが大事らしい。

兄の先生は少し変わっていて、慶應の理工学部出身ながら国語の重要性を強調しているとのこと。この点は弟も大分熱心に聞きいっていた。話が面白い兄とのんびり屋の弟、二人の人生がどのようになるかは見届けるわけにはいかぬだろうが、明るい人生であってほしいものだ。


2020年6月27日土曜日

退屈しのぎ

今月は梅雨に相応しく雨降りの日が多かったが、今日は久しぶりに雨が上がっている。これから出掛けるので有り難い。夜遅くなってからまた降り出すようだが、そんなに遅くなるつもりはないのでそれは構わない。

世情に鈍感になっているのか、それとも世の中が止まってしまっているのか、書きたいことや書くべきことが思いつかない。本屋を覗いても面白そうな本が見つからない。映画館も開業しているようだが観たい映画も無い。第一薄暗い映画館にはコロナウィルスがうようよしているように思えて、面白そうな映画があっても入場する気になるかどうかだ。

退屈で仕方ないが、お盆過ぎまでは新幹線で出掛ける気にもならず困ったものだ。退屈はいいが、同時に頭の中が空っぽになっていくような気がしないでもない。考えることも面倒くさい。日がな一日同じことの繰り返しで終わってしまう。独居老人の日常とは大体こんなものか。今夜は久しぶりに悪評高い新宿で、娘と孫たちと食事会をすることになっているので、明日になれば気分も変わることだろう。

2020年6月26日金曜日

民主的コントロール

新型コロナウィルス関連報道一色の中で唐突だったように思えるが、3月に広島地方検察局に依る昨年7月の参議院選の選挙違反容疑で、河井案里氏秘書の逮捕に端を発してスピード裁判で有罪が確定。更にこれが飛び火して東京地検特捜部に依る夫の河井克行元法相夫妻の逮捕までに繋がっている。この一連の動きをマスコミも我々庶民も「検察よくやった!」と半ば称賛の思いで見守っている。

しかも、今朝の中国新聞(広島県の最有力地方紙)によれば、河井案里氏から現金を受け取った案里氏の後援会長であった広島県府中町の町会議員が、「安倍さんから」と言われて受け取ったと証言、との記事が掲載された。これが夫妻の裁判にどんな影響を持つかは知らぬが、安倍政権にとって打撃であろうことは想像に難くない。益々検察を応援する人が増えることだろう。

この政権と検察の争いの構図、今の段階で一見すると正邪の争いに見えなくもないが、双方の関係を知る人に言わせるとそう単純なものではないようだ。検察の側にも政権側にも民主主義社会の望ましい姿からすると問題が山程あり、しかも双方がこれまで馴れ合ってきた事実がある。ただ政権側がその馴れ合いに乗じて検察組織をまるごと取り込み、安易に用心棒としようとしたところに問題があって、検察側が反発しているだけだそうだ。

この事件が今後どのように展開してどのような結末に至るかは分からないにしても、今後大切なことは「問題だらけの検察と問題だらけの政権の、馴れ合いからの離別」にあるとのこと。政権の問題は識者に教えてもらうまでもなく分かるが、検察の問題とは何かである。だらけと言うほどだから沢山あるようだが、端的には「検察の独善」いわば組織の論理かもしれぬ。もう一つ上げるとすれば「人質司法」と言われる捜査手法を上げている。

因みにこのブログは、下記に示すジャーナリストの青木理氏と元検察官で現在弁護士の郷原信郎氏の対談をベースに書いている。
https://www.youtube.com/watch?v=LC1m496RoK0

お二人は政権にせよ検察にせよ、あらゆる組織には民主的コントロールが必要であることを強調されているが、中でも重要なことは、これを担保するためには、どうしても健全なマスコミの存在が必要であるが・・・・と言い、そのことについては別に述べるとして終わっている。

2020年6月25日木曜日

右往左往

一昨日のブログタイトルが「一強の末路」となっている。人間落ち目になると何をやってもうまくいかないので、どうしても蟻地獄に落ちた蟻さんみたいになるものらしい。自民党の党内が混乱を極めているであろうことは容易に想像できるが、閣内ですら収拾がつかない状態になっているようだ。河野防衛相が突然「イージス・アショアの国内配備を停止」したのはつい先日で、こちらは狐につままれた思いで受け止めた。

未だに謎が解けた訳でもないが、河野防衛相は外務省にも図らずいきなり官邸に乗り込んで直談判に及んだらしい。当然ながら茂木外相を激怒させたと週刊文春は書いている。小生は完全に新憲法のもとで育った平和の子だから、人殺しのための飛び道具についての知識は皆無である。水鉄砲やゴム鉄砲ならともかく、本物のピストルすら打ち方がわからない。ましてやミサイルなんてものについては想像すらできない。

イージス・アショアについては多くの人がそれぞれの立場からいろんな事を言っているが、現在テレビに出てくるような人の言うことは、小生にとって殆ど意味をなさず、ただ政権の右往左往ぶりを象徴するのみとも言える。蟻さんになった安倍さんも必死で、どこかに足がかりを見つけるべく防衛戦略の基本的見直しを唱えたのは結構だが、目指す方向が平和の子から見て真逆の方向に向いているのは悲しい限りだ。

これから益々増えることになるのだろうが、政権の混乱ぶりは留まることを知らない。コロナ対策関係では昨日突然専門家会議の廃止が唐突に発表された。個人的にはこのメンバー構成に不満だったので結構とは思うが、多くの人にとってはびっくりだろう。理由を明確にせず、結論だけを唐突出してくるのはいつもの通りだ。政権中枢の頭脳が論理的に思考する力を失ってしまっているに違いない。

このうろたえぶりを国民がどう見ているかは今朝の新聞報道に特筆大書されていた。多分朝日新聞だったと思ったが、日刊ゲンダイだった。琉球新報と信濃毎日新聞の世論調査の結果である。『地方の怒り表面化 沖縄と長野で「内閣支持率18%」の衝撃』とあった。

2020年6月24日水曜日

読後感「女帝 小池百合子」石井 妙子 著

評判通りに読み応えのあるドキュメンタリーだった。現東京都知事の小池百合子氏については相当前から嫌いだった。東京都知事にはなんでこうもいけ好かない人間が就任するのか腹が立つが、それは読後感とは関係ない別の問題だ。

本書を読むきっかけは、著者が小池氏の嘘を徹底的に暴いてくれることを期待したに他ならない。小池”2が学歴を偽っていることはもう何年も前から多くのマスコミが騒いでいたので、それを期待したわけだ。期待が叶えられたかと言えば”NO”かもしれない。著者はエジプト大学にかなり肉薄したようだが、結論的には駐日エジプト大使館から正式に「彼女はエジプト大学の卒業生です」と回答を受け取ってしまった。

もちろん著者が集めた傍証で、これまで小池氏が提示してきた卒業証書などの矛盾点は一層明確になり、正式な物がこれまで一度も提示できていないことは明らかにされてはいる。しかしエジプト政府が卒業したと言っている以上、エジプト政府を偽証罪で告訴は出来まい。著者の年齢は不詳だが御茶ノ水出身の才媛であるのは確かだと思うし、ドキュメンタリー作家としての実績も大したものだ。その上、2002年にはNHK「囲碁の時間」の司会をつとめたとのこと。何十年も欠かさず観ている番組だが、著者の写真を見ても思い出せないのが残念。

頭の良さでは小池氏に勝るとも劣らないと思うが、もし小池氏の嘘を完全に暴くつもりで挑戦したとすれば、残念ながら負けと判定せざるを得ない。これから先小池氏がどのような人生を歩むか分からないが、都知事をもう1期努めることは間違いなさそうだ。

小池氏との勝負はおくとして、著者が言いたかったもう一つのことが大きな問題を提起している気がする。即ち、マスコミの態度。これは小池氏に対することだけはない。問題を深堀りせずに、それこそ風にのって凧のように舞い上がり、それこそ空の上から張り煽ぎで世論を掻き立てる。そこには何が是であり何が真実かは関係ない。もちろん後の検証も一切ない。強いものに付き従うという意味では小池氏とマスコミは全く同種の人類だ。

ことの善悪は別にして小池氏には捨て身の度胸がある。だからバカなおじさんたちがはコロリと転がされてきた。本書では舛添氏もその一人とされているが、
wikiに依ると舛添氏はこれを完全否定している。取材不足でないことを期待したいが、上手の手からなんとかもあるのでよく分からない。

2020年6月23日火曜日

一強の末路

マスコミ界に多数存在している安倍政権応援団筆頭は、時事通信社特別解説員と自称していた田崎史郎氏と言っても過言ではなかろう。昨夜彼が出演するBSフジ「プライムニュース」を観て、安倍政権が完全に詰んで(袋小路に追い詰められた)しまったと思った。話題は国会が終了して今後の政治日程と政局について。もう一人の評論家鈴木哲夫氏と評論家と言えなくもない野党応援団の政治学者山口二郎氏との鼎談である。

この中で田崎氏がいろいろ口にした中で印象に残っているのが次の二点「安倍氏は四選をしない(されない)と決めている。将来像を他人に託す人間には選挙を打つ資格は無い。」「後継に影響力を残すことを望んでいて、当初岸田氏と思っていたが、最近岸田氏にはにその力が無いことに不安を感じ始めている。」田崎氏もここに至れば自分の解説者としての立場を重視して本音を吐いたかもしれぬ。この番組の直前に放送されたBS-TBS「報道1930」では野党政治家3人が出演していて、やはりこの秋の総選挙が話題になっていた

安倍氏の総裁任期は来年の9月だそうだ。安倍氏とすれば、それまでにもう一度総選挙に打って出て一花咲かせたい気持ちは山々だろう。しかし来年に入ってからでは何が起きるか分からないから遅すぎ、年内と言っても政治日程的に10月しか考えられないらしい。これが常識で、野党は一応警戒してはいるようだが、先ず無理だろうと睨んでいるらしい。マスコミの話題がここまで来ると、もう安倍氏は完全なレイムダック、所謂死に体でまともな政治は何も出来ない筈。

活発に動き出している検察の動きをどこで食い止めるかに注力することくらいしか出来ないのではなかろうか。まともな神経なら「首相を辞めて次の選挙には出ないから勘弁してくれ。」で手を打ってくれと頼むぐらいが精々だと思うが、元からまともじゃないから何を考えているかは分からない。どっちにしても安倍氏は終わったので、マスコミ的には次なる首相関係の話題が増えていくことだろう。自民党内の陣笠諸氏は誰を担ぐべきか悩ましいに違いない。

順当に考えれば石破氏ということになるが、彼に関する党内の反発は意外に強いらしく、手続き的にすんなり行くかどうか、障害も幾つかあるようだ。かと言って枝野氏にも野党を纏めきる力は感じられない。安倍氏は既に8年首相の座にいたそうで、これほど長く居座って何もなし得なかったのも珍しいらしい。否、特定の人間には極めて有意義な政権だったと言えるだろう。例えばパソナの竹中平蔵氏、オリックスの宮内義彦氏に代表される一部のお金持ちにとっては。

政権は1年を待たず潰れるだろうが、日本の混乱は続くのだろう。

2020年6月22日月曜日

所詮は男

今朝の日経によると、都知事選関係の世論調査で小池氏圧勝の見込みだそうだ。極めて残念という他ない。彼女が東京で総選挙に立候補したのが2005年の郵政選挙で、なんと我が居住地の東京10区。この選挙を仕掛けた小泉純一郎首相が、当時自民党議員で郵政改革に反対した党員の小林興起氏を追い落とすための刺客として送り込んできたのだ。

当時政治に興味は無かったし、小林氏に投票していたわけでもないが、家内は小林氏の秘書の一人を見込んで可愛がっていたのを記憶している。そのことは兎も角として、今冷静に考えると、当時小林氏が指摘していたことの方が正しいように思えてならない。少し前にも書いたと思うが、あの辺りから日本は急速にまともさが失われ始めたような気がする。

それに悪乗りしたのが小池氏で、小池氏に政治家としての資格があるとする人が多いから現在東京都知事の座にいると思うが、相対的に少数でも反対の意見の人もいる筈で、小生は勿論その少数の一人である。小泉元首相が早々に政治家を辞めて地盤、看板、或いは鞄を含め子供に譲って楽隠居しているのはご承知の通り。当然ながら彼が自らの政策に責任はとっていないが、昨今の郵政事業の実態や民営化によって齎されたことをどう思っているか聞いてみたいものだ。

小池氏は小泉氏に可愛がられ、引き上げられた意味があるが、彼女もまた政治的実績は無きに等しいだろう。政治的実績は普通の人にそう巡ってくるものではないかもしれぬが、彼女には決定的な欠陥を感じる。これは安倍首相に通じる、己の振る舞いと言動に責任を持たぬことだ。誰でも己の意見や見解が変わることはあるだろうが、その時には前言なり行動にそれなりのけじめを付けるべきだ。そのけじめ無くして行動することを、人は変節と言い、口にすることを嘘つきと言う。これは政治家の場合特に注意しなければならない。

小泉氏にもこの傾向があると思うが、小池氏の場合は更に酷いようだ。人によっては小池氏には虚言癖があるという人さえいる。この週末に評判の「女帝 小池百合子」石井妙子著を買って読み始めたので余計感じるのかもしれぬが、彼女の支持者が相変わらずダントツと言うのは悔しい。数日後に読後感を書きたいとは思うが、現段階で言えるのは男のだらしなさだ。小池氏はこれまでかなりの男性政治家を手玉に取ってのし上がってきている。手玉に取られた男が悪いのか、手玉に取った女が悪いのか?

と聞かれたら「それは男が悪い」と答えたい。自省を込めて所詮は男なんてだらしないものだ。

2020年6月21日日曜日

早く引っ込め!

今日は夏至で父の日。朝早くに長女一家が好物のフルーツが沢山入ったパウンドケーキを土産に来てくれた。5個あるので今週は金曜日まで毎朝このケーキが食べられる。彼らも何ヶ月ぶりかでこれから孫が大好きな埼玉の鉄道博物館に出かけるそうだ。もう6年生だが鉄道好きは変わらないらしい。将来は鉄道学校に行きたいそうだから、それも結構だろう。お礼の代わりに「来月5日の都知事選挙は間違っても小池百合子だけには投票しなように。」と頼んだが、心得ている風情だったので少し安心。

この週末のテレビ番組は前法相河井夫妻の逮捕を大きく取り上げているが、夫妻も議員辞職するとは言わないし、首相も自民党幹事長も責任を取っての辞任なんてとんでもない様子だ。情けないことに安倍一強の党内や与党公明党からは責任追及の声は上がらない。マスコミも相変わらずの及び腰。しかし検察は、なめられたものだと頭にきているだろう。だから徹底的に資金の出どころについて追求してほしいものだ。

首相に至ってはいつもの決り文句「国民の信を問うのに躊躇はしない」なんての呑気なことを言っている。田中角栄元首相は若い時に拘置所から総選挙に立候補した経験があると聞いたが、拘置所で解散権を行使した首相はいないだろうから、検察に頑張ってもらい、彼らを逮捕して拘置所にぶち込み、ぜひ一度やらせてほしいものだ。これは冗談だがマジで言いたい「早く引っ込め!」

コロナ騒動のおかげと言うべきか、アメリカでも政権が揺らぎ始めたようだ。昨年まではトランプ氏再戦は硬いとされていたが、最近はどうも怪しくなってきたみたい。我が国との関係で言えばイージス・アショアの購入見合わせなんて言い出されて、まともな反応が出てこないのも不思議といえば不思議。ドイツの駐在のアメリカ軍3分の1近くを引き上げてポーランドに移転させるそうだ。言われたドイツは全く動じないので拍子抜けしたのではないだろうか。

11月になってアメリカに民主党政権復活となれば、日本への影響も大きいだろう。我が国への影響がはっきりしないが、北朝鮮の動きも気になる。このところまた姿を見せない金正恩氏、ネット上では死亡説がまた流れている。

2020年6月20日土曜日

見解の一致と違い

昨日から自粛要請の全てが解除となったからでもないが、夕方土砂降りの中、友人との会食のため銀座まで出かけた。彼とは昔から何かにつけ見解が一致することが多いので会食が楽しいのだ。彼は今年になって肺がんの上に膵臓がんまで見つかり、暫くまともに物が食べらればかったが、やっとまともに食えそうなので、医者には止められているが自己責任だとのこと。確かに我々の歳になれば五体満足である人間の方が珍しいし、自己責任もその通りだ。

当然のように入院中の苦労話を聞きながらのことになったが、手術が終わって抗がん剤治療の最中というのに元気なものだ。彼に比べればこちらの前立腺がんなんかかすり傷程度かもしれぬ。何れにせよ古い友人なので昔話にも及び、互いに少しは若返った気持ちなったせいか、つい飲みすぎた感じがしないでもない。つい最近までは、膵臓がんと言えば臨終の宣告を受けたも同然と思っていたが、彼からはその気配は全く感じない。

今月発売の月刊「文藝春秋7月号」にも作家の石原慎太郎氏が告白する文を寄せているが、やはり膵臓がんの早期発見で立派に回復しているようだ。医学の進歩には素晴らしいものがあるのだろう。いま問題となっている新型コロナウィルスに依る様々な病気も何れは克服されることになるだろう。その何れはがいつになるかが問題だが、少なくとも1年とか2年の単位とは思えない。

また、昨日はネパールの登山ガイドから再びメールが来て、彼は次のように言っている。「コロナ感染症は77地区の中で73の地区に広がっています。私達の事務所もまだ空けちゃだめです。でも日曜日と水曜日に行って掃除だけしてきました。事務所に行っても仕事はないので行く意味もないです。観光事業の通常の状態に戻るには最低2年はかかると思います。それも、ちゃんと落ち着くがどうかは分かりません。」ネパールでは観光業が主力産業のはず。

本当に世界中が苦しんでいるのがよく分かる。日本のリーダーが自粛を解禁したのは経済活性化のためであることは理解できるが、それが適切な判断であるかどうかは見解が分かれるところだろう。毎日発表される新たな感染者数、少なくとも政府が頼っている学識経験者の専門家は「心配することはない」と断言している。

しかし心配性なので、その数字の半分に達する感染経路不明者についてどのようなフォローがなされているか気になって仕方ない。リンク先をまともに追跡していないとすれば、我がヘボ碁のようになにか大きな見落としをしているのではないか?たまたま政府は、新型コロナ接触確認アプリ「COCOA」なるもの公開して胸を張っているが、誰もこれがまともに機能するなんて思わないだろう。

2020年6月19日金曜日

ジャーナリスト魂

今日から緊急事態宣言は全て解除となり、国内旅行は自由になるとされている。
結構なこととは思うが、少なくとも未だ当分の間そのお言葉に甘えるつもりはない。海外旅行もベトナム・タイ・ニュージランド・オーストラリアに関しては入出国制限と報道されている。しかしこれも実態的に日本への観光客増加につながるとも思えないし、この際これらの国に出獄する人も帰国者だったり、特定のビジネスマンに限られるのではなかろうか。JALもANAも当分は厳しい局面が続くだろう。

なんて思っていたら、昼のテレビで日銀だったかが「景気は底を打った」と発表したらしい。何でも3月4月のの最悪期を乗り越えて、明るい兆しが見え始めたとのこと。全く「よく言うよ」だ。国営放送か与党御用達放送局かしらぬが、NHKは懸命に政府方針を持ち上げようとしている。昔からだから仕方ないと言えばその通りだが、最近はその傾向が目に余る感じだ。国民と政府の区別もつかずにジャーナリスト面してくれるなと言いたい。

日本にはまともな報道、ジャーナリズムが存在しないことは、国境なき記者団の報道自由度:日本66位が示す通り、予てから国際的に指摘されているが、今朝の朝日新聞に依ると「フジと産経の世論調査、14回で架空回答 記事取り消し」と来た。既に「両社はこの世論調査結果に基づく放送と記事をすべて取り消した。」とあるからネットでも確認はできないと思う。フジ・サンケイグループが第2のNHKであり、読売グループもその気配濃厚であるのは周知のことではある。

何れにせよ、報道の自由が担保されないのは発展途上国の常。政治家のトップがスキャンダルに見舞われる度に口先で責任の所在を認めながらも、具体的には何ら責任を取ることなくここまで来られたのも、偏にジャーナリズムの弱さのせいだろう。現役時代に新聞社、放送局、雑誌の出版社と濃密な付き合いをしてきたので、彼らが如何に国から庇護を得ているかも知っているし、さはさりながら、ジャーナリストとして優秀な人材が存在することも知っている。

しかし残念なことではあるが、マスコミも組織であり、経済最優先で最終決断がなされる仕組みで動くので、ジャーナリスト魂を持った人の記事なり発言がマスコミの中で取り上げられることは皆無に近いだろう。組織内で志を果たせない人が次に取る選択肢は色々あろうが、最近はネット社会の出現で未だ若干の救いがある。まさに若干であり、そのインパクトはマスとは呼べないほど弱く小さいが、将来は楽しみでもある。

小生が期待するところは下記。リタイアしたジャーナリストが経済面より精神面を優先して頑張っているので応援している。
http://www.democracytimes.jp/

今日観たのは下記。
https://www.youtube.com/watch?v=SnRk5-zsZbI

2020年6月18日木曜日

これからが見所

まもなく夏至、今年も早くも半年過ぎたようなものだ。梅雨だと言うのに晴れ間が4日も続いたが、明日から本来の梅雨に戻るらしいが、明日は珍しく夕方から出かけねばならない。皮肉なものだが、天然自然のなせることに文句をつける訳にはいかない。

まず嬉しいニュース、豊島区からコロナ関係の特別給付金10万円也の送付通知が来た。ボーナスがダウンしたりしている方には申し訳ないが、年金暮らしを初めてのボーナスなので有り難い。次に心配なニュース、このところ関東、わけても東京湾岸で地震が多発したり、原因不明の異臭騒ぎが起きている。これは江戸時代から言い伝えられてきた大地震の前兆ではと言う人がいる。心配しだすときりないが、心配なことだ。

昨日で国会は閉幕、疑惑の連続だったうえに前法務大臣まで逮捕されたのだから、政府としてはこの針の筵からなんとしても一旦は撤収せざるを得ないだろう。撤収して体制を建て直し捲土重来になればいいが、旧日本軍がガダカナルを口切りに太平洋の島々を次々に見捨てた果に、留めが本土への原爆投下で戦争が終わった。自民党もこれと同じでは洒落にもなるまい。コロナ騒動は世界中に生活の一新を齎した。日本も同様だが、官僚システムに関して抜本的にメスを入れるチャンスだったと思うが、野党がだらしないのか、与党の期待通り細部に拘っただけで、抜本的なムダの洗い出しは何もできていないのが非常に残念だ。

また鳴り物入りの都知事選が始まった。現知事以外なら誰でもいいのだが、現知事のご粗末さから我と思わん有意の士が多すぎて、これが逆効果で結局現知事の再戦となるのは残念至極。唯一の救いと言っては変だが、オリンピック開催問題が争点に上がったので、10月を待たずに来年のオリンピック問題に決着が付きそうな気配だ。最近思うのは、世の中の何事も一気に筋が通るなんてことはありえない。1歩でも半歩でも前向きなことがあれば善しとすべきと思うようにしている。

何れにせよ国会も中途半端、都知事選も「なんだかなぁ~」の感が強いが、むしろこれからが見どころになりそうな雰囲気が漂っている。

2020年6月17日水曜日

欲張り

昨日に引き続き朝から完全な梅雨の晴れ間で、外の風景は極めてスッキリしてるが、気分は相変わらず重苦しいものがある。コロナ騒ぎは始まっても生活パターンはその前と大差ないのに、通行人の殆どがマスクをしていたり、開店していない店があったりして薄気味悪いのだ。今朝の朝日新聞に生物学者の福岡伸一さんが興味深い寄稿をしている。

今年は在宅時間が長い割にはまともな読書もしていないが、この騒動が始まった頃友人の薦めで氏の著書を読み、4月1日のブログに書いたがいたく感激したものだ。福岡氏は今日の寄稿で「生命としての身体は、自分自身の所有物に見えて、決してこれを自らの制御下に置くことはできない。私たちは、いつ生まれ、どこで病を得、どのように死ぬか、知ることも選(え)り好みすることもできない。」とし、結論として「無駄な抵抗はやめよ。」と締めくくっている。

そうかも知れぬが、どちらか言えば無駄な抵抗をし続けているのも事実。規則正しい生活のリズムで食と睡眠と運動のバランスをとることだ。氏の言う方が正しいに決まっているが、こちらにも意地があるのかもしれぬ。今朝叔母さんが亡くなったとの報せが来た。従弟からは時節柄弔問は遠慮してほしいそうだ。年齢は100歳に近いはず、心の中で往時を偲んで合掌しつつ、その長寿にあやかりたいと思ったのは欲張り過ぎかもしれぬ。

2020年6月16日火曜日

データの信憑性

大分前から「中国の統計はいい加減で信用できない」と報道ではでよく言われる。30年ほど前、テレビ関係の仕事で上海のテレビ局に行き、関係者と話をした時に先方が提示してきた視聴率データを見て、この国の調査機関は日本やアメリカに比べると大分遅れていると実感した経験がある。しかしその時会談した社会科学院のいわゆる学者との会話で、彼らも調査機関の未整備は認めつつも、今後資本主義を導入していく過程で、その必要性を十分認めていたことから彼らの経済的知識の深さに驚いたことも思い出す。

その中国が今回のCOVID-19騒動の発祥地であり、相当な犠牲者を出したことはご承知の通り。つい最近は北京で感染者が出たことで、第2ピークを警戒はしているようだが、世界に先駆けて行動制限を解除した。今週は欧米でも対策が功を奏しつつあり、これまでの厳しい行動制限が徐々に解禁される方向に向かいつつある。日本もこれを真似るつもりのようで、政府は今月1日に県をまたぐ移動を認めて自粛制限解除に踏み切った。

ついでに言えば、東京都も先週木曜日11日に最初も終わりも意味不明の「東京アラート」なる言葉を引っ込めている。そして皮肉にも翌日の金曜日から連日発表している感染者数上向き始めてしまった。これを受けて政府や都ではなんと言ったかである。専門家に発言させているが、「今までは感染の可能性が高い人を対象に検査していたが、検査に余裕ができたので検査範囲を広げた結果だから心配ありません。」ときた。

これまで国内外から何回となく指摘されてきたが、<日本が発表する感染者数は、検査体制が不十分なので信用に値しない>ことを御用学者がはっきり認めてしまったことになる。中国の感染者数は現在8万3千人(快復者数7万8千人)で世界の19位。死者数は4600人。因みに日本は統計に入っていないが感染者が1万5千人だから51位のナイジェリアと52位のカザフスタンとほぼ同じ。しかしこの2ヵ国と比べると、日本の死者数が圧倒的に多い。感染者が2倍近い34位のアルゼンチンや35位のウクライナより多いくらいだ。

8万3千人の感染者を出している中国にしても死亡者は4千6百人。中国の人口は日本の10倍強と思えばいいだろう。50日間くらい感染者ゼロできたその中国の北京の市場で、先週末に70人とか100人と言われるクラスターが発生。同時に中国政府は直ぐに警察と軍を出動して北京封鎖に踏み切っている。

昨日の日本の新規感染者は74人、中国的感覚で言えば日本全国に戒厳令が出てもおかしくない。日本は呑気でいいなと思うのもいいだろう。しかし、このままではいつまで経っても世界各国から日本に対する渡航制限は解除されないだろう。要するに我が国が公表するデータへの信頼度が低すぎるのだ。

引用した数字は下記から。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/

2020年6月15日月曜日

齢80にしての初体験

昨日は終日降り籠められると半分覚悟していたが、夕方雨が上がったので運動不足解消のため後輩がコロナ騒動が始まる前、本郷の東大近くににオープンした店に行ってきた。簡単なバーかと思っていたのだが、これが大違いでなんと水タバコの専門店。もうタバコは辞めて何十年も経ったが、久しぶりにタバコを吸った。同種の店は都内に100軒くらいはあるそうだが、こちらとしては全くの初体験で面白かった。

ご存じない方が多いと思うので簡単に紹介しておく。煙を吸い込む意味では巻煙草やパイプ煙草と変わりはないが、原料は所謂タバコの葉ではない。如何なる植物か知らぬが、様々な植物の葉を水に浸して独特の容器に入れて蓋をして上からパームヤシの実で作った炭で熱し、その煙を一旦水に通してから長い管で口元に持ってきて吸うことになる。下のURLをご参照下さい。

葉っぱは多数あり、あまりきつくない物を組み合わせて後輩が準備してくれたが香り豊かでいい感じだった。準備してくれた葉っぱの量は約10グラムとのこと。途中で炭を追加したりするが、2時間位は十分持つらしい。この歳になれば本物のタバコであろうと別に健康上の問題もないと思うが、タールは皆無でニコチンも弱いものらしい。ゆったりした気分で会話を楽しむには最適なバーである。

途中で後輩の同期生が大勢て入ってきて、アルコールも殆ど抜きで盛り上がっていた。吸口は個人用に用意されて、いわば回し飲みをするのである。店主である後輩と話をするのが主たる目的だったので長居はせず、1時間少しで吸うのはやめた。帰宅して歯をゆすいでも口中にフレーバーが残っていたが、今日はいい塩梅に半年に一度の歯医者でのオーラルケアでスッキリした。あの世に行く前に初体験とは結構なことだし、若い友人を誘うには楽しそうな店だ。

お近くの人がいらしたらぜひ行って見てください。
https://humor-tokyo.com

2020年6月14日日曜日

梅雨入り

沖縄はすでに梅雨が明けたそうだが、本州はこれからが本番。昨日から今朝までは少しばかり梅雨寒で雨が降り続いて鬱陶しい。その程度で済めばまだしも、長野県を含め広範囲に土砂災害の警報が発令されている、この時期としてはコロナより深刻かもしれぬ。

最初から意味不明であったが、11日木曜日に「東京アラート」なるものが解除された。要するにこれからは何も要請しないからお好きにどうぞ、てなことらしい。当然お店も殆どオープンし、人出は多くなった。同時に3日連続都内の感染者数は20人超え、併せて都知事閣下が7月5日投票の知事選への出馬表明と実に念がいっている。今までの自粛要請は一体何だったのか。

知事が連日テレビ出演をして選挙のためのアッピールをしていただけのことだ。国会も今週17日には閉会するらしいが、この国会も実に虚しいものだった。コロナ対策に明け暮れたのは当然として、聞こえてくるのは後手後手に回った政府の対応遅れの言い訳ばかり、年度当初予算に1銭も対策を盛り込まず、2度に亘る補正予算を上程して、やっと先週末に国会通過の形は整えたが、実態は未だに不明確で、はっきりしているのは火事場泥棒的な焼け太りぶりと、実効性が薄く大金を投じる割に今の所助かっている人が少ないスローモーぶり。

日本が色んな意味で世界標準から遅れていることが明確になっただけ益しだと思うが、これが本当に次の選挙に反映されるかどうかが問題だ。交通機関もまともに動き始めたようだが、もうすぐ夏休みシーズン、この期間は高齢者向き割引は無効なので、年金生活者が旅に出るのは盆過ぎまで待たねばならない。もう慣れているから構わない。それよりも先程娘から電話があり、来週筑波にいる孫が帰宅してくるからどこかで昼飯でも奢ってくださいとのこと。

もちろん快諾したが、頼みの特別給付金10万円はいつ支給されることだろう。豊島区の支給状況は先週末の段階で5%だったので、未だ暫く当てにできそうにない。今月これからの楽しみは河井前法相夫妻の選挙違反事件、黒川東京高検検事長が目出度く首になった現在、広島地方検察庁がどのように動くのだろう?国民の期待に答えてどこまで踏み込めるのか、それとも相変わらず政治家の顔色を伺って及び腰で終わるのか、刮目して見たいものだ。

2020年6月13日土曜日

読後感「1984年」ジョージ・オーウェル著
Haruka Tsubota翻訳

先日アップした「ペスト」と同じで、ディストピア(反ユートピア)小説の名作らしい。現在人類の大部分が置かれている政府に依る自由制限社会を先の大戦直後に英国の作家が描いている。いわば単なる野次馬根性で読んでみた。

発表されたのは1948年、世界大戦が終わり東西の冷戦が始まっていた。英国はもちろん自由主義陣営だが一方のソ連は今で言えば北朝鮮のような全体主義だったのだろう。著者は二極対立が結果的に双方に全体主義が及びかねないと心配して書いたのかも知れぬ。

描かれているのは完全な仮想国家。イギリスをイメージしながら書いていると思うが、国民は全員国家に監視されていていて自由にものも言えないし、自由にものを考えることさえ管理されている。主人公は一市民であるが、仕事はこの国の歴史文書を現在の都合に合わせて書き換える役目を担う官僚である。

この時代、世界は三分割されていつも戦争をしているが、この戦争も敵や味方が定まらず、入れ替わったりするから現状に合わせて歴史をしょっちゅう書き換える必要がある訳だ。主人公はある女性に心を引かれるが、彼女は市民を監視する役目のパトロール的な役目を担っている。市民は国家のために働くことを優先しなければならぬので、逢引もままならぬが、彼女が秘密の場所を見つけて逢瀬を重ねる。

しかしこれも結局監視機関にキャッチされて、一種の政治犯として二人共収容所送りとなり思想改造が行われる。あらすじをザックリ書けばこんなことだが、80年近く前に書かれたとは思えないくらい、現代社会には似たような状況が垣間見られることに驚かざるを得ない。著者は1903年誕生して1950年に僅か46歳で亡くなっている。この作品の発表が1948年だから晩年の作だ。

タイトルの「1984年」は本書発行の1948年をもじったもおのらしい。描かれている国家の中で中心的な役所は次の通り。
1.平和省:軍を統括し平和のために半永久的に戦争を継続している。
2.豊富省:絶えず欠乏状態にある食料や物資の、配給と統制を行う。
3.真理省:政治的文書、党組織、監視機能を管理、プロパガンダを担う。
4.愛情省:個人の観察・逮捕、反体制分子の尋問と処分を行う。
まるで嘘と欺瞞に満ちた2020年の日本政府を暗示しているようだ。

2020年6月12日金曜日

老朽化住宅

身体に限らず動きあるものは何であれ、消耗してだんだんと動きが弱まり老朽化するとしたものだが、動き無いものでも長い年月が経つと老朽化するものらしい。大分前に書いたような気がするが、家の前のガス管の交換があり、その時本線から我が家に引き込まれている管からガスが漏れているのが分かった。その時の応急処理で管内にプラスティックのようなものを注入して仮にガス漏れを防いでいた。昨日東京ガスから本格修理のためにのことで、見積もりのために下請け企業の社員が訪れた。

30分ほど家の外回りをチェックした後で家に上がってもらい、詳しい説明を受けた。昨日の段階では結論は出ていないが、検査結果を持ち帰り何通りかの見積もりを提出してくれるそうだ。なんと言っても築後60年の老朽住宅だからガス管だけでも不都合は多々ある。家の中の配管についても相談に乗ってもらったが、築後5年目くらいに購入して我が家としてからだけでも、2回リフォームをしている。

1回目はこちらが単身赴任で大阪在住の時、家内の仕切りでかなり本格的に、設計事務所を噛ませて監理していたので、東京ガスにも図面が残っている。しかし家内が亡くなり、数年前に行ったリフォームは施主もいい加減なら、安さが売りで受注した会社もかなり怪しげ、当然東京ガスには図面が行っていない。こちらが「ここに配管があるはずだから」なんて言ったところでそれを証明できる図面が無いのだから話にならない。検査に来てくれた青年は辛抱強く話を聞き「持ち帰って上司とも相談の上ご返事します。」と応じてくれたが、恐らく期待する返事は出ないだろう。

何事も安けりゃ良いとばかり、世の中のルールに従わないと、後々碌なことにならぬと改めて思った。何事にも寿命はあるだろうが、それにしても60年よく保ったものだ。

2020年6月11日木曜日

政治家の志

東京も今日から梅雨入り、昼の散歩から帰宅途中降り始め、少し濡れたが本降り前に辛うじて帰宅できた。

元々政治に関心が薄かったせいもあるだろうが、どうも政党というやつがよく分からない。特に分からないのが伝統ある自民党と、もっと古い共産党だ。他の政党は水面に浮かぶ泡のような存在なので、湧いてきた理由もある程度理解できるし、その志が曖昧なのも気にならない。自民党も共産党も同じ泡かも知れぬが、なかなか消えそうにない。自民党は現在のところ議会における圧倒的多数を持っている。しかし、この看板のもとで政治家になった諸氏は一体何をしたいのだろう?

キャリアが何十年もある古手から、数年前に議員となった駆け出しのお兄さんやお姉さん方、皆さんテレビなどに呼ばれて喋る内容は時事問題絡みだから、判で押したようなことばかり。組織としての自民党が本当にしたいことは何か、その志を理解している国民がいるのかどうかも問題だが、自民党員自身が自覚できていないような気さえする。自民党員なる一種の資格を持っていれば、当分食うには困らぬし、ある種の権威も着いてくるので居心地が良い。これを享受し続ける内向きの方策だけを考えていては、国民の期待に応えられないのは明らかだ。

一方の共産党は組織と党員の志は遥かにしっかりしていると思う。これを褒めると、ご同輩の皆さんからは顰蹙を買うかも知れない。しかし、自民党や共産党の政治家に頼み事をした経験が無いので、実際役に立つのがどちらかは判定しかねるのも事実。政治家への頼み事で少し脱線すると、ここ数年相談に乗ってもらったのは少数(2人)会派の区会議員のみ。この先生は元自民党代議士の秘書で亡き家内が高く評価していたのを引き継ぎ、独居ゆえの生活相談に乗ってもらった。

但し、未だ政治に無関心だった現役時代は自民党国会議員とも少し縁があった。今にして思えば恥ずかしい限りだが、接近した理由は何れもビジネス絡みと言えば格好いいが、欲得が絡んださもしい根性。彼らに接近するには先ず秘書を介する必要がある。秘書さんにそれなりのご挨拶をして、本命の政治家先生へのお願いになる。先生の返事は常に大げさで、何事につけ可ならざること無しの感がある。

ただその実態は、見ている前で脇の(未だ携帯がなかった頃の話)電話を手にして役所に電話をするだけのこと。しかしこれが意外に絶大な効果をもたらすこともある。現代で通用しない話かもしれぬが、昔は政官業のトライアングルには絶妙な連携があったのも事実だ。当時でもその連携の接着には新聞記者や結構著名な文化人が存在していたが、現在は竹中平蔵氏や電通なる企業が大きな役割を果たしているのだろう。

2020年6月10日水曜日

お金の問題

日中は強い陽射しが降り注ぎ、真夏の暑さになった。しかし南風ではあるが比較的強い風が吹いているので、窓を開け放っている限り未だエアコンのお世話にはなっていない。梅雨が始まる前の一瞬の爽やかさかも知れぬが気分は爽快だ。街なかでは行き交う人の殆どがマスク着用しているが、せめて歩く時くらい外せぬものか、不思議でならない。店に入る時や公共交通機関に乗る時に着用すれば良いではないか。声を大にして言いたいが、大きなお世話なんだろう。

夏来たりなば、昔の楽しみはボーナス。しかしこれは遠い昔のことになり、今日届いたのはお寺さんからの「盂蘭盆大施餓鬼法要のご案内」。家内は子どもたちの希望もあって、信州のお寺で両親や兄弟と同じ墓に眠っている。しかし実際に戒名を授かったのはこの東京のお寺さん。従って法要のご案内を無視はできない。毎年お盆ごとにお布施の二重支払いは少し痛いが、これも身から出た錆だから仕方ない。法要の欠席通知と同時にお布施を現金書留で送付した。

閑話休題:今日のメルマガで知って少しばかり驚いたのが「小池都知事の卒業詐称疑惑を全面的に否定したカイロ大学」なる記事。小池氏が学歴を詐称しているのは公然の秘密とばかり思っていた。ところが、都知事選が迫った今頃になって、エジプトのカイロ大学が8日付で、小池東京都知事が「1976年にカイロ大学文学部社会学科を卒業した事を証明する」という声明を出したというのだ。ま、どうでもいいが、かって想像すれば「地獄の沙汰も金次第」で大金を使ったとすれば無駄じゃないか。何もそんな姑息なことをしなくても楽勝の選挙だろうに。

お金と言えば河井克行前法務大臣と参議院議員の案里ご夫妻の選挙違反事件、今朝の新聞報道では「広島検察当局は国会閉会後に公職選挙法違反(買収)容疑で河井夫妻の刑事責任を追及する方針を固めた。」とのこと。このお二人で事件が締めくくられたのでは期待外れだ。河合案里氏の選挙資金として渡された1億5千万円の選挙資金に違法性が無かったとは信じがたい。この際、折角黒川東京高検検事長を首にすることができたのだから、そこに踏み込んでもらいたいものだ。

2020年6月9日火曜日

マスコミの責任

言い募っても仕方ないのかも知れぬが、国会終盤になっての論争で「スピード感」が問題になっている感が無きにしもあらずだ。昨日から審議に上がっているのは何でも令和20年度第二次補正予算とのこと。20年度は始まって未だ2ヶ月チョットしか経たない。そもそも本予算の成立は3月末のこと、これを誰も不思議に思わないとすれば、日本人の感覚はおかしい。1月は国会議員各位がお正月で連日新年会に明け暮れていたかも知れぬ。

しかし官僚の御用始めは通常なら5日、今年は日曜だったから6日の筈。海外ではコロナウィルスが問題化していており、中国武漢での凄まじい対応ぶりは連日報道されていたことをご記憶の方が多いと思う。1月24日には都内でも初の感染者が発見されている。18日に行われた屋形船での宴会出席者だ。その1ヶ月後にもならない国会に上がった本予算にはコロナ対策費用が1銭も計上されていない。当然ながら野党はそのことを予算委員会で厳しく追求したが、奢れる与党だから全く取り合わなかった。

そして本予算がめでたく成立した後、特別給付金が30万円だことの、否、一律10万円だとすったもんだの騒ぎを経て、コロナ対策が盛り込まれた第一次補正予算がやっと成立したのが4月22日。既に春たけなわになっていた。日本の感染者も既にピークをとっくに過ぎた頃である。それから更に1ヶ月以上経っている今日、どこをどう押せば「スピード感」なんて言葉が出てくるのだろう?

今となればテレビなんぞは「カラスの鳴かない日があってもコロナ関連報道の無い日は無い」状況もご案内の通り。おそらく多くの方が「もう分かったよ、当分大丈夫らしいから何も言わずにいてよ。」と思っておられないだろうか?少なくとも小生はそう思っている。マスコミは連日新しい案件を追いかけるのが使命であるかも知れぬが、社会の木鐸として社会が進んでいる方向が正しいかどうかをチェックする義務もあろう。

マスコミから予算案審議のプロセスについて特段の指摘がないので、代わりに愚考するに、なにか根本的に間違っているように思えてならない。せめて、本予算と4月に成立させた第1次補正予算案を合体させられなかったとしても、同時に審議してせめて3月末には上げさせるべきだったと思う。政権幹部はオリンピック延期が決まるまでは毎晩宴会していたのだから時間はたっぷりあった。問題はそこに誘導できなかったマスコミ側にあるのだと思う。

2020年6月8日月曜日

市民運動の国柄

新型コロナウィルスの出現以来僅か半年足らず、このウィルスが人類にとって
如何に危険かは未だ判然としないが、世界が大きく変わりるつつある光景を毎日目の当たりにしているような気がする。特に最近強く感じるのがアメリカのこと。春先まで今年の11月に行われる大統領選挙に向け、現職トランプ氏の圧倒的優位が伝えられていたが、最近雲行きに変化が出ているらしい。トランプ氏の支持率が民主党候補に比べて後退し始めた直接の原因は、コロナと無関係な警察官の暴行事件。しかしアメリカはコロナの犠牲者でも世界最大であり、白人犠牲者に比べてアフリカ系市民の犠牲者が倍ほどになっていることとも関係があるそうだから、全く無縁とも言えないようだ。

何れにせよ、これがアメリカ社会の根底にあったとされる差別問題に火をつけた。市民のデモがここ1週間程か、今や全米各地を超えて他の大陸住民を巻き込み連日行われている。その数は半端ではないだろう。テレビを観ている限りは、日本のデモと全く違う。先ずこのデモのリーダーが報道でははっきりしない。警察官に殺されたジョージ・フロイド氏なる男性が如何なる職業であったかもはっきり報道されていないので、労働組合が音頭を取る理由もないだろうし、政治団体がリードしている訳でもなさそうだ。兎に角日本人には理解不可能だと思うが、学生時代に社会学を少し齧った人間としては非常に興味深い。日本でデモと言えば「安保反対」とか、「アベ辞めろ」とかお決まりのスローガンがあり、参加者が同じプラカードを掲げるのが相場だ。

しかし現在報道されている外国の映像を観ている限り、お決まりのスローガンもあるが、印刷されたものは殆ど無く大部分は手書きでダンボールに書かれたものや、板に紙を貼り付けたようなお手製の物が大部分。また地方によって規制する側の警察の対応がマチマチであるのも興味深いところだ。本来であればトランプ氏は、今週ワシントンにG7年首脳を招待してサミットを開催予定だったはず。計らずも予定変更になって醜態を見せずになったのは不幸中の幸いかも知れぬ。

トランプ氏だけではない。安倍首相もコロナ騒動への対応が遅れ、大幅に支持率を低下させてしまった。今週ワシントンでのG7サミットの出席を理由に国会をサボり海外逃亡を目論んだのにそれも外れ、日本にいる限り追求されることが山ほどある。自民党内の動きが全く分からないが、次の総選挙は安倍氏では戦えると思っている代議士は殆どいないだろう。アメリカと違い、野党の候補者の姿形が全く見えないのが残念だが、このコロナ騒動が収束した暁には世界の空気が一変することだろう。

2020年6月7日日曜日

オンラインミーティング

最近この拙文を読んでくださる方が増えているようで、誠にありがたく思っています。一種の日記のようなつもりで、取止めもなく書き続けているが、何方が読んでくださっているのか知りたく思うことも屡々だ。

閑話休題:昨夜高校同期生の誘いでオンラインミーティングなるものに参加してみた。ここでも何度か書いてきたが、これまでオンライン〇〇について知りもせず悪態を吐き続けてきたが、実体験できたことだけは確か。昨日は毎年2月か3月にスキーを一緒にしていた仲間が中心。今年はコロナの影響で中止になっていたので、久しぶりに仲間の顔が拝めて嬉しかったのは当然だが、なんとも言えない違和感もある。

と言うのは、空気を共有しないで顔を見ながら会話ができること。若い人たちにはなんの違和感もないかも知れぬが、なんとも言いようのない変な感じでもある。モニター画面に出現している友人の息遣いは全くわからないが、少しほろ酔い気分である感じが伝わってくる。同じ部屋でテーブル共にしていても最近は「お互い手酌でやろう」なんてことも屡々だが、酒を飲みながら参加している友人は当然ながら手酌である。

我が家に電話機なるものが出現し、電話で最初に話したときの違和感も似たようなものだったかも知れぬ。だからすぐ慣れるのだろうが、少なくとも昨日の段階では相当な違和感だった。

2020年6月6日土曜日

東京都知事選挙

都知事が連日テレビに出て意味不明のことを言っている。さも重大事のよう、且つコロナ対策を真剣に考えた上での方策らしく発する言葉が虚しく聞こえる。都知事は昔から誰かを特定して槍玉に挙げて攻撃することで自分の人気を上げる手法を得意とするインチキ臭い政治家で大嫌いだ。今回は逆に彼女を槍玉に挙げる。先ず、彼女が取ってきたコロナ対策は、北海道知事や大阪府知事の真似をしてみたところで、悉くタイミング遅れで意味をなしていない。

それをカバーするためのまやかしで、現在槍玉に挙げているのが新宿歓楽街のお店。昔流に言えばキャバレーやナイトクラブの類。それをガールズバーとかホストクラブなんて80歳老人にはイメージできない店を特定して連日声高に騒いでいる。一時大騒ぎしていたパチンコ店は殆ど開業しているようだから、もう諦めたのかもしれぬ。学生時代は新宿に居を定めて新宿界隈で遊び回っていたので、この槍玉に挙げられた歓楽街のお店には痛く同情している。 

更に鼻について嫌らしいのが彼女が日替わりのように持ち出すスローガン。始まりは政府だったかも知れぬが「三密」。昔から聞かされていた「千三」ならよく分かる。他でも無い「大うそつき」のことだが、今の子供達はこんな下品な言葉は使っていないかも知れぬ。最初から「人と人の接触は極力回避しましょう」と何故きちんと言えないのか不思議でならない。更に加えて横文字の多用も気に食わない。

「外出を避けてくだい」とは言わず「ステイ ホーム」とする意味は命令であることを協調したいのか?ならば外出禁止と言えよだ。挙句の果てに「東京オリンピックを簡素化して開催したい」なんて言い出した。明らかに政府やJOCを無視している。多分、10月を待たずに開催そのものが中止になる可能性高しと睨んでのことだろう。彼女一流の打算と計算の基礎はまもなく公示される都知事選の選挙運動そのものに他ならない。

対抗馬が無いらしいので当選してしまうらしいが、ずっと前から彼女の節操の無さや下品さが嫌いだった。彼女を政治家として一段と引き上げた小泉元総理も節操がない点ではよく似ている。思えばあの選挙から日本の政治が壊れ始めたような気がしてならない。

2020年6月5日金曜日

海は広いな、大きいな

今週初めに中学時代の同級生から突然の電話。何事かと思ったら、彼の誕生日が今月1日とのことで80歳を無事迎えたことが余程嬉しかったに違いない。こちらも4月に誕生日を迎えたばかりだから気持ちは分からぬでもない。電話で懐旧談にふけたが、物足りなさもあり、今週は都の自粛要請も解除になったことだし、久しぶりに飯でも食おうと相成った次第。彼の住まいは茨城県の東海村。「そっちにも気の利いた飯屋があるか?」と尋ねると、「村と言ってもバカにしたものじゃない。ミシュラン三つ星レストランがあるぜ。」でこちらから出掛けることにした。

今年は全国的に山小屋が殆ど休業で、2千メートルを超えるような本格的山歩きは年内は無理のようだ。その代わりというのも変だが、たまには海の潮風、を吸うのもの良いだろうと思い、その方面の散歩も併せて友人に依頼し、快く引き受けてもらうことが出来た。東海村は東京からは約150キロしか離れていない。もちろん緑が豊かで、今は田んぼに早苗が植えられ気持ちが良い光景が広がっている。

一方で茨城県の片田舎と言っても、原子力発電発祥の地とも言うべき原子力の村、事故なんかの報道では何度か耳にした記憶があるが、現役時代にも東海村の施設は一度も見学したことがなかった。原子力関連施設は様々あり、原子力発電所も廃炉作業に入っているもの、稼働申請中のもの、東大の実験炉など数基あるようだ。昔、その広報に関わっていた頃と違い、今は原発廃止にやや共感しているので、そっち方面の説明は聞き流した感じ。

友人は学生時代から原子力物理を専攻して、つい最近までその方面で活躍していたので説明を丁寧にしてくれたが、半分も理解できなかったの正直なところだ。むしろ、その広大な敷地の外側を歩きながらの説明だったので、結局1万2千歩ほど歩くことになり、いい運動が出来て有り難かった。東海駅の周辺にはスーパーが何軒もあり、高層マンションが建っている。

昼飯に案内された店は市街地から離れてあり、本格的フレンチだったし、村の観光名所になっている村真言宗の寺院松虚空蔵尊も堂々たる構えだった。海岸に沿って走る道も広くきれいなのでとても村には見えない。しかし未だコロナの影響が続いているらしく、広い海浜公園に行っても、座り込んでいるカップルは一組だけで、潮の香を存分に吸い込むことが出来た。友人が冗談で言っていたが「アメリカまでは見えないのが残念」といえばそうかな。

あちこち案内されて仕上げは友人宅で冷たい飲みもに洒落たお菓子をご馳走になり、池袋に着いたのが7時頃、幸い見慣れた食い物やが昨日からオープンしていたとのことで、すし屋で夕食をとって帰宅。久しぶりに充実した日帰り旅行となった。

2020年6月3日水曜日

評価できない日本モデル

昨日の続きになるが、コロナ対策の給付金配布業務を受注している「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」については国会でも野党が追求して問題化している。しかし残念ながら、政府が「手続きが不明朗で済みませんでした。」なんてことには先ずならないだろう。だからこの事案に関して究明めいたことを書くのはもうしない。

ただ今日のネットに上がっていた記事が、コンピュータ技術者の中島聡氏という方の非常に興味深いブログを紹介していた。タイトルが「なぜ、日本政府が作るソフトウェアは使えないモノばかりなのか?」コロナ騒ぎのせいで、日本のIT化が隣の韓国や中国、台湾などに比べ非常に見劣りすることが明らかになってきた。故に政府は、この方面の遅れ挽回に拍車を掛ける姿勢を示すと思うので、この記事は非常に大きな示唆に富んでいる。

パソコンに触ったこともないIT担当大臣もいた日本政府のことだ。現在の梶山経産相はどうか知らぬが、心して読んでほしい。中島氏については初めて知ったので少し簡単な説明を加えておきたい。氏は早稲田大学大学院理工学研究科修了の日本を代表するシステムエンジニアで、一時マイクロソフトに勤務し、後に世界を席巻することになったWindows95生みの親とも言われているそうだ。Mixiには「彼はWindows95のプロトタイプをはりぼてのコードで作り、5分間のデモでビル・ゲイツの承認を得た。」との逸話が書かれている。

中島氏が具体的に指摘する前に書いた文章が印象的です。即ち、政府の世に送り出したシステムをラーメン屋に喩え、『「麺の茹で方がラーメンの命であることを知らないバイト君が麺を茹でている」ようなイメージです。これはバイト君が悪いのではなく、バイト君にそんな重要な仕事を任せてしまった店長が悪いのですが、さらに遡れば、そんな店長を雇ってしまう人事システムが悪いのです。』がここまで読めば十分だが、敢えて具体的項目を言えば次の5項目が上がっている。

以下引用:
1.政府から受注したITゼネコンには自らソフトウェアを書く人・書ける人がおらず、仕様書を書いて下請けに丸投げするだけ
2.その下請けは、大学でちゃんとソフトウェアの勉強をしていない文系の派遣社員を低賃金で雇い、劣悪な労働環境でコードを書かせている
3.書かれたコードをレビューをする習慣やシステムが存在しない
4.クライアントの打ち合わせ、仕様書の作成、見積書の作成などには膨大な時間を書けるわりに、コードのクオリティを上げることには時間をかけない
5.ITゼネコンには役所からの天下りが、下請けのソフトウェア会社にはITゼネコンの天下りが役員・顧問・相談役として働いており、ほとんど仕事をせずに「口利き」だけをして高給をもらっている。

などの、日本特有の事情があると考えて間違い無いと思います。:引用終わり

*明日は久しぶりに日帰り旅行に出掛けるのでブログは休みます。

2020年6月2日火曜日

裁量の範囲

季節的なものかも知れぬが、コロナ騒動がやっと落ち着いてきたようで結構なことだ。街の人出は明らかに増えているし、店も80%程度はオープンし始めた。外出自粛は人生で初めての経験だったが、改めて気づいたことも沢山あった。最も重要に思えるのは、社会公共と個人の自由の関係。かなり自由奔放に生きてきたが、それには限度が必要であること。死ぬのは嫌だから問題ないかも知れぬが、たとえ個人的にいつ死んでも構わないなんて考えることは社会の一員であれば許されない。

だからかなり公の要請に従った生活をしてきたが、マスクの着用だけは公共交通機関を利用する時以外にはしなかった。昨日から都内の緊急事態宣言も緩和のはずだが、マスクと入店時の手の消毒は先週より厳しくなっているのだから可笑しくなる。行きつけの昼飯屋のオヤジも嘆いていた。「昨日から客足がばったり減ってしまった。」とのこと。オープンした店が多いのだから仕方ないだろう。

話を戻して、裁量の自由についてである。今回は国が先ず緊急事態宣言を発出して、それに各都道府県知事が応え、更にその下の市区町村が応じた形になっている。しかし、これは形式上のことであり、実態的には北海道や和歌山、大阪のように知事レベルが国に先んじて動いたり、都内では区長レベルが都の要請とは別の動きをしたところもある。市民に近い自治体ほど情報公開が分かりやすく、従って市民に対する要請も適切であった。

戦後75年経過し、新憲法発布以来でも73年になるのだろうが、中央集権とばかり思っていた日本の行政が全く機能しないのを見せつけられたのも初めてだし、マイナンバーの象徴される国の行政システムが、如何にご粗末であるかも露呈した。にも関わらず国は相変わらず、コロナ対策の給付金配布に関して怪しげなインチキ法人「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」を立ち上げ、国から14件1600億円 もの大金を流すこと決めた。

正に焼け太りを狙う懲りない面々、竹中平蔵のパソナやトランスコスモスはいつものことだから措くとして、広告会社の電通が名を連ねている。察するに1600億円のこねくり回し方をリードしているのも電通だろう。現役時代の同業者でもあり、いろいろな付き合いもしてきたが、悪さには益々磨きがかかっているようだ。

2020年6月1日月曜日

反省しきりだ

今朝早くに地震があった。仏壇に線香を立てるための蝋燭ががつけ放しだったので慌てて消した。報道に依ると先月末の20日以来外房や東京湾内での地震発生が異常に増えているそうで薄気味悪い。それはともかく、今日から6月東京も自粛要請解除で大分生活が元に戻るだろう。昨日も書いたが学校も始まるとのこと。昨日孫ともゆっくり話さなかったので分からないが、2ヶ月以上休んでいての学校生活がどうなるか知らぬが生徒は大変だ。

これも報道に依ればだが、休みの間に宿題がしっかり出ていたらしい。宿題をしないで登校すれば先生から怒られるのは当然だが、遊ぶことが大事で、学校で怒られるのは慣れっ子だった身としては、同様な不心得者が少ないことを祈るが、皆無とはいくまい。新学期に登校して初めて先生も代わっていたなんてこともありうるだろうし、同級生も変わっているかも知れぬ。それこそ新しい雰囲気に慣れるほうが先で、勉強どころではないだろう。

ところが、先生の方は授業の遅れをカバーするためにテストを急ぐらしい。夏休みまでに1学期の成績を評価する必要上やむを得ないらしい。生徒諸君には気の毒で同情するが、これもまた人生でなんとか乗り越えるしか無いだろう。次女の大学生の孫たちはテレワークの授業が始まっているらしいが、テレワークの授業なんてものも想像がつかない。NHKの放送大学講座とどう違うのだろう?在宅勤務にテレワークなんともケジメの無い生活様式だが、よく我慢できるものと感心するばかりだ。

何だかんだで今日も遊びすぎで帰宅が遅れ、ブログをまともに書けなかった。