2017年5月31日水曜日

21世紀

ここ数日読みかけている本に、18世紀のヨーロッパ近代史と19世紀の日本近代史に大分類似が見られるような記述があったので、ふと思った。100年ごとに世紀末が来るのが当たり前かもしれぬが、ひょっとすると、そのサイクルにも異変が生じてはいないか?

古来100年をもって1世紀と言って、世紀をまたぐと世の中も劇的に変わって当然とされてきたようだ。人生の大部分を20世紀の中で過ごしてきたので、嘗て遥か向こうに見えていた21世紀に生きている今を思うと、時々20世紀が懐かしくなる。どこがどう変わっているかを具体的には指摘できないが、先日のイタリア・サミットを思い出すと、世界が大きく変わりつつあることを認識しなければいけないと思ってしまう。

山登りに例えれば、21世紀岳を登り始めて既に2合目に立っているのだから当たり前かもしれぬ。4合目までお付き合いできれば、こちらは100歳に達する勘定だから、そこまではとてもお付き合いは出来ぬだろう。どこまで登るかは別として、20世紀岳は嘗て頂上を極めた山であり、21世紀岳は現在登っている山として考えてみた。山の姿が全く違って見えてくる。大きさの違い、高さの違いは言うに及ばずである。

人生は常に地図を持たずに山歩きしているようなものかもしれぬ。時に立どまり、来し方行く末を見たり考えるのも無駄ではあるまい。20世紀岳は奥多摩の中程度難度の山だったとすれば、今歩いている山は、頼みもしないのに無理やり富士山か北アルプスの山に連れて来られたような気がしないでもない。

身に着けた知識が山登りの装備に対応すると考えれば、極めて不完全であることは認識せざるを得ない。思えば20世紀は環境が良すぎたのかもしれぬ。遭難事故など起こさぬ前に、無理をせず腰でも下ろして休憩するか、下山することにしてフェイドアウトすべきかもしれぬ。

2017年5月30日火曜日

現在と戦前の違い

地方には駅が少ないし、態々コンビニに買いに出向くほどのものではないので大都市圏中心の媒体だと思うが、「日刊ゲンダイ」なる夕刊紙は安倍総理が目の敵にするほど面白い媒体である。毎朝パソコンで昨日掲載された主な記事を読むことができる。先ほど確認すると昨日のトップに下記の見出しが躍っている。
暗黒政治に文化人学者が一斉蜂起 「安倍おろし」の大合唱
 「権力者の我儘にひれ伏す国は早晩滅びる」

警鐘乱打はご尤もなことで、このように多くの文化人が声を上げて下さる限りそう簡単には日本も滅びないだろう。この記事中に取り上げられていた保阪正康氏は、年齢が殆ど同じと言うこともあり、昔から反戦主義を貫く作家なので尊敬もしファンの一人となってる。氏が言わんとするところはいつも言ってるように今の日本は<戦前の独裁政治と同じになりつつある>である。記事は続いて「肥大化した権力が立法と司法を従え、メディアも支配下に置けば、何が起きるか。権力者の胸三寸で政策が歪められる、捜査も報道も歪められる。」もその通りだ。

上記に反対するわけではないが、常々思っているのは戦前と現在の政治に関する大きな違いだ。何を言いたいか、政治家の資質の違いについて識者の的確な指摘を待ちたいのである。常識的市民から見て、現政府閣僚の知的水準が相当低いことは識者の指摘を待つまでも無い。日本語を知らないことなどは平成生まれの放送局のアナウサーにでも分かることである。問題はそこから先のところにある。

戦前生まれと言っても1940年では、<戦前>はこの世に存在しなかったかのような育てられ方をしたので、文献に頼らなくては戦前の様子を知る由もない。現在この世に生きている人の大部分は同じことで、現政府閣僚の馬鹿さ加減を見て、ひょっとすると戦前もこんな馬鹿な閣僚が沢山出現してしまったのか、なんて勘違いされているのではなかろうか。知識不足ではあるが、どうもそうとは思えない。

戦犯となり、自決した近衛公麿氏や裁判の結果死刑で亡くなった東条英機氏を筆頭にA級戦犯6人の軍人と1人の文官、他にも戦争犯罪人として罪を被った閣僚経験者は沢山いるが、誰一人現在の閣僚のように子供じみた者はいなかった筈で、ここに大きな違いがあると思う。しかし知的水準に大きな違いがありながら世界大戦に突っ込んだのも事実だから、政治家の知的水準は無視していいのか?国民の平均的知能水準がどう変化しているかは別にして、政治家のそれが低下しているとすれば問題だ。

2017年5月29日月曜日

国際社会の意見調整

イタリアG7に反発して北朝鮮の若旦那が過激な挑発をするのではないか、と心配していたが昨日今日は思ったほどの挑発にはならなかった。若旦那の意図するところは飽くまでアメリカで、G7なんか問題にしていないように振舞っている。今日は地対空ミサイル試射などを見せて、まるで大関昇進を決めた高安関の弁を借りるかのように「どこからでも掛かってこい」と意気がっている。アメリカの方もガキの喧嘩よろしく「上等だ」と受けて道具を並べて脅している。

何れも我が国からすれば迷惑な話だから、両者の頭を冷やすためにできることは無いかと悩むべきところだが、政府にはそんな気持ちはさらさら無いのが困ったことである。「対話のための対話は意味がない。対話と圧力、行動には行動が必要。」が総理の台詞は知っての通り。総理自身はそうは認識していないだろうが、今回のG7が正に対話のための対話で、意味が無かったように見える。その責任は誰が見ても我が国の総理にある筈もなく、偏にアメリカ大統領にある。

そもそも国際社会の主要国に、軍事大国のロシアと経済大国の中国が入らないのは不自然だ。そんな僅か7か国で世界経済を左右するような取り決めをしようとすること自体が間違っている。金正恩氏が無視するのも分かるし、アメリカのトランプ氏が横になった気持ちも分からないでもない。G7サミットはお金の無駄遣いだ。オリンピックもそうだがそろそろ止めて、主要各国は国連が本当に機能するような努力をすべき時に来ていると考えたい。

北朝鮮は半ば本気で決死の覚悟のようだし、アメリカは当面自国が戦火にさらされるまでは至るまい。その損得勘定で日本がなんで戦火に巻き込まれなくてはならぬのか?

2017年5月28日日曜日

機械のややこしさ

又もや自宅のパソコンが機能を停止してしまった。購入後約3か月の新品である。昨日マイクロソフトとやり取りをして、故障の原因は予想できている。アップデートの際に溜まりすぎた静電気で、機能がブロックされているようだ。直流交流双方の電源を抜いて放電してやれば簡単に修復するだろうとの見立て。ところが、問題のパソコン(NECのノート型)の電池がどこにあるかが問題で、ひっくり返しても簡単に見つからない。勿論マニュアルにも書いてない。

仕方ないので買い求めたヤマダ電機の日本総本店(池袋)に持って行ったが、修理カウンターのお兄さん方も怖がって裏蓋を開けられない。ドライバーで簡単に開くことができるのだが、それをしてしまうとメーカー保証の権利が失われるとか何とか言い訳に終始するばかり。仕方なくメーカー送りにしてしまったので、3週間近く不便を我慢することになりそうである。

ブログも途切れがちになる可能性がも出てくる。囲碁や将棋の世界でAIの進歩が余りに著しいので、人間は少し人間らしさを取り戻すべきとの思いを書こうと思っていたので、良いチャンスかもしれない。

2017年5月27日土曜日

友を選ばば

昔誰かから聞いたが、古来政権は経済政策に行き詰まると、教育問題を出してきて政策のすり替えを図るとしたものらしい。不埒な話だが、確かに教育問題は国家にとって永遠の課題なので、いつでも政策テーマにはなりうる。子供たちや先生方には迷惑な話だが、過去を振り返れば文部省(或いは文科省)によっていいように振り回されてきた事実もあるようだ。だが今日は文科省の悪口は措くとする。

最近話題になっている文科省絡みの話はもっとご粗末で、政策どころか教育を金儲けの手段と考える輩の話である。先日も大学の同窓会について書いたばかりだが、戦前までは、後進のために私財を投げうった人はいても、金儲けの手段として大学を設立した人はいなかった筈だ。家庭教師をして学費を稼いだことに味を占め、団塊の世代を目当てに学習塾を立ち上げるビジネスモデルを思いついた人をそしるつもりもない。

しかし人口減少のこのご時世に、教育で一儲けと考える人間は、一筋縄でいかぬ強かな人間であるのは間違いない。別に違法なことをするのでなければ、事の善悪を問う訳にもいくまいし、ビジネスマンとして見るならば優れ者と見ることができるのかもしれぬ。籠池氏もそうだし加計氏もその類のお人だろう。彼らが有力政治家に接近するのは当たり前で、いけないと言う訳にはいかぬだろう。

安倍総理にすれば、籠池氏については金を出した疑いはあっても貰ったなんて金輪際ないし、加計氏とは単なる友人で「何が悪いのか?」だろう。仰る通りである。となれば、政権を支える官僚が相当不出来な人間ばかりとなりかねない。そう言えば前文科事務次官の前川氏も「私が悪うございました。」とマスコミを前にしてはっきり言った。霞が関の現役官僚や官僚OBも「そうだ、お前が悪い」と言う人間、或いは「前川さん、よく言った。」とする人間両方あるらしい。

率直な感想を言えば、謝っている人が普通に見えて、「何が悪いのか?」と聞いた方が善悪の分別がままならぬ程に頭が悪そうに見える。

2017年5月26日金曜日

マスコミとインターネット空間

今日は久しぶりに少し肌寒く雨模様で数日続いた五月晴れとは程遠い。別に因縁がある訳も無かろうが、今日は亡き父の誕生日で、不思議なことに父と上の娘は徹底した雨男に雨女。父が生まれた1905年から今日は既に1世紀以上、世の中移り変わりを思うにはいい日かもしれぬ。今週の社会現象として、現政府が打ち出した政策「国家戦略特区」(実態や意味は殆ど知らない)に絡んで、事件が持ち上がり、世間を揺るがしている。

政策や政治関連で一言とも思ったが、未だ騒ぎの真っ最中なので考えが纏まらない。今日は取り敢えずメディア関連でお茶を濁そう。

アメリカではトランプ大統領のツイッターのフォロワーが2千万人と言われている。大統領が何かを呟くと、時を経ずして2千万人の人がそれを確認(聞くのではなくて文字を見る)することになる。これをSNSと称し、日本でも似たような現象が起きている可能性は高いが、残念ながらこのSNSに参加したことがない。アメリカは国土が広いせいもあって、このようなメディアの普及が早かったこともあるだろう。トランプ氏の大統領選勝利にこれが大きく貢献したとも言われている。

昔からアメリカには全国紙の存在が無く、新聞は全てローカル紙で、あることは知っている。勿論テレビやラジオはあって、日本と似たようなネットワークニュースや社会情報系番組もあるにはあるだろうと想像する。他によく聞くのは、アメリカのメディアはジャーナリズム精神による主義主張が明快で、選挙の際にも応援する候補者をはっきり打ち出すらしい。アメリカの事情に比べて日本のマスコミの姿勢はご承知の通り大分趣を異にする。

皆さまのNHKや皆さまの○○新聞○○放送で、視聴者や読者全員の立場に立ったニュースと情報をお届けします、との立場を取っているとされてきた。こちらも昔からそんな気になって、NHKのニュースを見て○○新聞をざっと読んでさえいれば、世の動きに遅れることはあるまいと信じ込んでいたものだ。しかし、ここに来て日本も進歩かどうかは分からないが、横並びだったマスメディアの報道姿勢に多少ではあるが特徴が出てきている。

政府の大本営発表を支持する姿勢と批判的に見る姿勢の違いが大分(?)明確になってきているようだ。とは言っても所詮は発行部数と視聴率なる代物に憑りつかれているのだろうから、アメリカの新聞や放送メディアの姿勢とはかなり違う筈。どこでひっくり返るか知れたものではない。ただ、先にちょっと触れたインターネット世界の情報空間に飛び交う情報については分からない。若者たちはとうの昔にマスコミを離れて、自分たちの方から納得できる情報源にアプローチしている可能性がある。

2017年5月25日木曜日

嘆き節

最近、大学を卒業して最初に入った会社の総務部長のことがよく思い出される。小さな広告会社だったが、営業主体で一種のサービス業、何事も顧客ありきだった。当然ながらトップはやり手の営業マンで、総務部長は同じ大学の出身、年齢も似たようなものながら全く異なる人格だった。総務部長と言っても業務的には経理も兼務していたから、業務量的には経理のほうが多かったかもしれぬ。

会社全体が何となく体育会系の雰囲気がある中で、総務部だけは男子社員は一人だけ、残り4人か5人の女性に囲まれ、いつもニコニコと温和な顔で雑談にふけっていたような印象である。算盤をせわしなくはじく姿も記憶にないし、自ら銀行に出向くなんてこともめったになかった。毛筆が達者だったので、総務部長直筆の辞令がつい最近まで手元に残っていた。トップは飲酒をこよなく愛していたが、総務部長はお酒が全くダメだったのも印象に残っている。

時折り営業のサポートで、我々若い営業マンを部長の友人がいる会社に顔つなぎをしてくれることがあった。新米だった小生には大変ありがたい話で、部長からの指名には喜んで従ったものだ。一緒に外出して用事が済むと必ず喫茶店に誘ってくださる。そんな折に伺った話の一つが今脳裏に強く蘇えってくる。「君ね、もう私なんか会社の役には殆ど立たないようなものだが、それでも存在することで少し役に立っているのかもしれない。」

その時は営業が会社の命運を決するくらいに勘違いしていたので、あまり深く感じもせず聞き流したが、年を経るごとに総務部長の仕事の大変さが徐々に理解できるようになったが、そのことはさて措こう。思うのは老人の存在意義、即ち社会のお役には全く立たない己の存在である。確かにこの歳になると人様に迷惑をお掛けすることが無いことを願いつつ自分の好きなこと、やりたことをするしかない。

しかしこれが意外に難しい。生涯を貫く趣味のようなものがあればいいのだろうが、そのようなものも無く、さりとて社会奉仕をするほど高尚な精神も持ち合わせない。仕方なく日毎ブログを綴って自己満足しているが、これも連れ合いから見ると、人様にご迷惑を掛けることはあっても褒められることは一つも無く困った暇潰しだそうだ。嗚呼

2017年5月24日水曜日

家庭用シェルターか

このところ弾道ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮は困ったものだ。一概に少しおつむの弱い青年の火遊びと決めつけたり、「断じて許さない→制裁を強化するぞ」てなことで相手がびっくりして火遊びをやめてくれれば結構だが、そうは簡単に行きそうにない。今週はG7サミットが開催される。安倍総理はここに北朝鮮の問題を持ち出して、制裁の強化で同意を求めたいようだが、果たして思惑通りいくかどうか?仮に声明にその旨が盛り込まれても、それで問題が解決に向かうと思われないが。

一連の実験結果について、「ウォールストリート・ジャーナル」編集局長が朝日新聞の取材に応じ次のように言っている。「当面の難問は、北朝鮮問題。この半年間で、米国が北朝鮮に先制攻撃をする可能性は高まった。」続いて「北朝鮮がICBMを保有した場合、サンフランシスコが核兵器で壊滅させられるかもしれないのに、米国が日本や韓国を防衛する見込みはまずない。同盟の力は弱まり、日韓は非常に脆弱になる。」

つい先週の記事である。日本みたいに馬鹿々々しい騒ぎ方はしないアメリカでも、北のミサイル発射実験を深刻に受け止める発言だ。後段に引用した文言にある「同盟の力が弱まる」とは何を意味するのだろう?アメリカが「日本や韓国の面倒見切れないよ」の意味か「日韓じゃとても当てにならないよなぁ」との嘆きか、何れにせよ日本側政権の考えとは真逆であるのは確か。

北の若旦那が2度あることは3度の譬え通り、28日にまた実験をするなんてことがないよう願いたいが、ここに出席しないプーチン氏にだけ事前通告して、新たな実験をするとしたら何をやらかすだろう?こういう想像自体が不謹慎かもしれぬ。しかし北朝鮮の国情も指導者の考えも一切分からない以上、あらゆる事態は想定する必要はあろう。

少なくとも北朝鮮が、ロケット開発技術に関して欧米諸国の予想をはるかに超える進歩を遂げたことだけは各国が認めざるを得なくなっている。先に引用したWJの編集局長ではないが、我が国でも環境の変化を冷静に見つめなおしてもらいたい。昨日のテレビで、個人向けシェルターを販売している会社が有卦に入ったニュースを流していた。買いたい人は買えばいいが、それで1家族でも戦争被害から免られることができるなら結構なことだ。

2017年5月23日火曜日

マスコミの視点

マスコミは、受動喫煙対策を議論した自民党厚生労働部会での大西英男衆院議員の「(がん患者は)働かなければいい」と発言した問題で発生した自民党内バトルを取り上げ大騒ぎしている。これほど馬鹿々々しいニュースはない。内外共に緊張感が高まっても不思議がないこの時期、最大政党の内部ではこんな下らない(と言っては語弊があるかもしれぬが)案件に侃侃諤諤の議論をしているのかね。どっちもどっちだ、勝手にやらせておけよ。

そんなことより組織犯罪処罰法改正案で、プライバシーが侵害される恐れについて、公開書簡で日本政府に対し懸念を表明した国連人権高等弁務官(国連特別報告者)ジョセフ・ケナタッチ氏に対し、菅官房長官は「氏は個人の資格で、国連の立場を反映していない」と切り捨てた上で抗議文を送りつけた。どちらが正論か判断する資格は無いが、ジョセフ・ケナタッチ氏は法学者で、日本のプライバシー権の性質や歴史について三十年にわたって研究を続けてきたと紹介されている。

決して騒がしい論議ではないが、大手マスコミは殆ど取り上げていないに等しい。今朝の中日新聞によれば、抗議を受け取った氏は中日新聞に対して次のようなメールを送ってきたそうだ。<「強い抗議」は十九日午後、国連人権高等弁務官事務所を訪れた在ジュネーブ日本政府代表部の職員が申し入れ、その後、約一ページ余りの文書を受け取った。しかし、内容は本質的な反論になっておらず「プライバシーや他の欠陥など、私が多々挙げた懸念に一つも言及がなかった」>

日本が外国から見ている知識人にどう映っているか、詳細について凡人には無関係かもしれぬが、心ある人ならば詳しく知りたくもなろう。第一個人的意見と切って捨てるくらいなら、態々スイスまで行って強い抗議なんか必要なかろう。身に覚えがあるので、逆切れして不必要に居丈高になるのが今の内閣の特徴である。ボケ老人ではあるが、この記事を読んだだけで恥ずかしくなる。

2017年5月22日月曜日

「日米関係」見直しのチャンス

トランプ政権の閣僚が一応全員決まった。とは言っても政治任用の官僚は未だスカスカらしい。新駐日米国大使についても5月18日に指名承認のための上院外交委員会公聴会が行われ、遅ればせながらハガティ新駐日米国大使が7月にやっと着任予定と発表された。トランプ大統領と安倍総理は極めてウマが合うとされているが、それが両国間にいかなる関係をもたらしたか、はっきり認識できるものは何もない。にも拘らずマスコミはそんな失礼な報道はしない。ま、本格的な外交がやっとボチボチ始まるのだろうから、お手並み拝見するしかあるまい。

先週20日にはベトナムのハノイで開かれたエイペック貿易大臣会議に、今月15日に就任したばかりのアメリカのライトハイザー通商代表が出席した。日本の経産大臣の世耕氏が30分会談しただけで「非常に有益だった」とヘラヘラ顔で語っている。一方TPP担当大臣の石原氏も同じ会議に出席するためかどうか、兎に角ハノイに居て、アメリカ抜き11カ国によるTPP発効に慎重な姿勢を見せるベトナム、ペルー、メキシコの説得にあたり「今年の11月までには何とかした」と渋面で語る。別の場所でライトハイザー氏が「アメリカがTPPに復帰することはあり得ない」と断言しているから当然だ。世耕、石原両者とも貿易担当大臣にも見えるが、日米関係に関し二人の考えに齟齬がないだろうか?

何れにしても、これらの交渉は石原氏流に言えば「所詮は金目の話」あまり興味はない。むしろ心配なのは安全保障面に於ける日米関係だ。トランプ大統領の言うことはころころ変わるので、真意を掴みにくい。最初の外国訪問地にアラビアを選び、いきなり前大統領オバマ氏が取っていた武器輸出禁止を解除して12兆円に及ぶ武器輸出を約束するのもどうかと思うが、これが彼のやり方だと認識する必要はあろう。アラビアまで彼を追いかけてゴマする日本人(孫正義氏)もいるが、言及のしようがない。

おまけにと言うべきか安倍総理には好都合だったろうが、昨日も北朝鮮がミサイルの発射をしてくれた。少なくともトランプ大統領は「日米同盟」堅持のようなリップサービスは言いつつ、一方では「他国の戦争を引き受けるつもりがない」とも発言している。本心は誰にも分かるまい。日本国内には自衛隊を軍隊として認める人もいれば、そうでない人もいる。集団的自衛権についても論議は様々で安定感がない。ただ誰もが安全保障はアメリカ頼みで思考停止に見える。当事者の自衛隊でさえ伝統的に「日本は戦争をしないのだから、戦略的なことは考える必要がなく、そこは米軍にお任せして戦術を錬成すれば良し」としているようだ。

言動が定まらないアメリカ大統領の出現を奇貨として、主権国家アメリカを客観的且つ対等に見ながら、日本も独立国として己の安全保障に関する政治・軍事環境を冷静に分析してみてはどうか。いきなり北朝鮮に対する敵基地攻撃能力を声高に言ってみたり、さもなければ相変わらず「核の傘」念仏を唱えるばかりの陽気でもあるまい。

2017年5月21日日曜日

陛下のお気持ち

昨日の午後、横浜みなとみらいのパシフィコ横浜というとてつもなく大きなホールで、慶應義塾大学が卒業51年以上の先輩を招待した大イベントがあって参加してきた。招待状は4万人に発送され、6千人が参加だから大変なものだ。昭和38年卒業はまるで若輩の下から4番目、上は昭和15年卒業101歳の先輩が参加されていたらしい。しかしテーブル配置がメインステージの真ん前にあったので清家篤塾長を正面から見る形になった。

塾長は今月いっぱいで退任が決まって、後任が既に決まっている。スピーチは素晴らしかったし、現役塾生による塾歌から始まる吹奏楽やコーラスも音楽イベントとしては感動的だったとも言える。ここまでは個人的なことなので記録に留める。清家塾長はきっと人格的にも素晴らしい方なんだろう、天皇退位問題に関する政府の有識者会議メンバーの一人でもある。これまでも政府関連の有識者としてマスコミに頻繁に登場することは知っていた。

総理とどんな縁があったか分からぬが、この有識者会議メンバーになったことはだけは少し残念だ。他にも御厨貴氏なんかも同様であるが、彼らは本当に今上天皇と国民の意を戴して、自らの信ずるところを会議の意見に反映出来ると思い、又は反映できたと胸を張れるのだろうか。そうではあるまい、どう見ても政府の考えに引きずられたように見える。清家氏は間近に見ても、如何にも人が好さそうなおじさんだ。学者だから不偏不党である必要はないし、どんな考えを述べられたかも知らない。

アンチ ナショナリストの立場からすると、こんな難しい問題からは「辞退してほしかった」が正直な気持ちである。多くは引用しないが今朝の毎日新聞に次の記事が大きく報道された。

『天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。』ー中略ー『陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。』

それにもかかわらず、安倍政権は一代限りの特例法の成立を急いだわけだ。上の記事は【遠山和宏】の署名入りで一読の価値がある。詳細は下記参照
https://mainichi.jp/articles/20170521/k00/00m/010/097000c

2017年5月19日金曜日

すまじきものは宮仕え

国会も終版、八方破れで絶体絶命に見えても、政府は余裕綽々の態度で好き勝手な法案を押し通す構えだ。確かに野党がどんなに騒いでもルール上は議席の数がもの言う世界。政権の思うように事が運ぶ可能性が高い。それにしても数さえ持っていれば、強者にはいかなる嘘も許されるとは情けない世の中だ。度々書いてきたことだが、国会関連の報道テレビ報道を観るたびに思うのは、ある時は心ならずも忘れたと言い、またある時は政権の思いに沿った嘘までつかされる高級官僚の憐れさである。

野党の抵抗は少しも功を奏さず、政権の驕慢が止みそうにない世の中には些かうんざりもするが、満つれば欠けるもまた世の倣いで1強政権も大きくなりすぎたか。自民党内部で麻生財務相と菅官房長官の確執が激しくなっているとの報道もある。森友学園事件の発端になった鴻池事務所の陳情記録は勿論麻生はの重鎮鴻池氏が絡んでいる。加計学園事件で問題となっている文部科学省の内部文書。これも内閣は怪文書と切って捨てたが、世に加計学園と国家戦略特区の関りを明らかにしたことは間違いない。

内閣はこの怪文書を書いた犯人について、天下り問題で首になった役人の逆恨みとして特定できているようでもある。その犯人の名前もいずれは明らかになるだろう。ここにも麻生派の息が掛かっているならば、麻生vs菅両派の確執は余計面白くなるだろう。政治の世界にもバランスの自動復元力が働くことを願ってやまない。

2017年5月18日木曜日

国民の一人として「辺野古訴訟」

今や国民的知名度は多少残っていても、人気は絶望的に低いのだろうが、元総理の鳩山由紀夫(現在は友紀夫を名乗っている)氏が主宰するインターネットテレビ放送【UIチャンネル】がある。これを時々見ることがあるのだが、昨日また久しぶりに観てしまった。毎週1回の放送のようだが今週月曜日(15日)で199回の放送だそうだ。UIチャンネル放送はニコニコ動画に組み込まれているので、放送を観るのは少しややこしい(有料の可能性があります)ですが、興味を持たれたら<第199回UIチャンネル放送>で検索してみてください。

面白かったので内容をごく簡単に披露したいと思います。タイトルが「辺野古訴訟の最高裁判断とは」で、鳩山氏と元外交官の孫先享氏が首都大学東京教授であり法学者の木村草太氏をゲストに招いて、辺野古訴訟の最高裁判断について解説してもらう趣向になっていました。沖縄県の辺野古でなんか騒ぎが起きている、くらいの認識しかありませんでしたが、認識が大分変りました。我が認識は、県側にも理屈はあったのだろうが、国を相手取って勝てる筈はあるまい。しかも裁判沙汰になって、最高裁判決まで出た問題を今更知っても仕方がない。てなことで、こんなニュースは関わらないのが基本姿勢ですが、昔テレビでよく観た木村草太氏の名前が懐かしくて、つい番組を視聴してしまったのです。

ところが流石木村氏でした。話がめちゃくちゃ分かりやすくて面白いのです。結論的には最高裁判決は相当な無理を承知で書かれたものであることを立証しています。氏は辺野古に基地を持ってくることに反対している訳ではありません。法律家ですから、裁判所も筋の通った判決を下すべきだと主張します。当然すぎるくらい当然のことで、鳩山氏と一緒に話を聞いていた孫先氏も余計な意見を言わず、ひたすらメモを取りながら傾聴していました。

木村氏の言わんとするところ:最高裁も法律家の集団なので県側の理屈が正しいこと、即ち国が法律の裏付けのない無理押しをしていることを理解しています。そこで最高裁は政府の立場を慮り「国際条約は憲法を乗り越えてでも実行されなければならない」という変な理屈(?)を持ってきているのです。嘗て砂川判決でも同様な手法が使われました。よく言われていることですが、日本政府は日米合同委員会の決定事項に逆らえないようです。理屈にもなりませんから、上告を棄却するのみで極めてそっけない判決文です。

最高裁は法も理屈も無く、政府に肩入れしているだけのこと。しかし裁判官と雖も国民世論を見て判決下す時はあります。国民世論が高まれば違う判決もあったかもしれませんが、辺野古訴訟に賛同する世論の高まり無しと見限っているので、そこに問題があるように思います。以上が結論です。説明は極めて理路整然、知識が体系的に整理構築されてるので、言葉に淀みなく要点が伝わってくる。こういう人が優秀な人なんだろうとしみじみ感じた。

国民の一人としてこの問題を無視していたのも図星である。そこで、細やか乍らブログで取り上げて少しでも沖縄県の人を応援する気になった。

2017年5月17日水曜日

7つの「予言」

先週のMSNニュースに面白い記事が掲載された。『世界の行く先を見つめ続けるビル・ゲイツの7つの「予言」』である。知らない人は殆どいないと思うが、WINDOWS生みの親、マイクロソフト社の創始者である。記事の頭で紹介された文は次の通り。『億万長者にして慈善活動家でもある彼は、ライフワークとして、コンピュータ、公衆衛生、環境の各分野で未来を予測することに取り組んできた。過去には、スマートフォンやSNSが世界を席巻することを言い当てた。そして最近の「予言」も、的中するかもしれない。』

項目だけ見れば次の通りである。
1、バイオテロによって1年足らずのうちに3300万人の命が奪われるだろう。
2、アフリカで食料の完全な自給自足が可能になるだろう。
3、モバイルバンキングが貧しい人々の生活を変えるのに役立つだろう。
4、2035年までに貧困国はほぼなくなるだろう。
5、2030年までに、世界の電力事情を改善するクリーンエネルギー革命が起こるだろう。
6、自動化によって大量の仕事が奪われるだろう。
7、2019年までに人類はポリオを撲滅できるだろう。

どの項目を見てもどこまで信ずるに足るか知らぬが、優れた人の言うことだから反論は出来ないし、反論する話でも無かろう。個人的感想を言えば次のようなことかな。

1番目は穏やかでない。場所が特定されていないのが不気味だ。2番目のアフリカの食糧自給は、いつまでか明示されていない。3番目はモバイルバンキングと生涯縁を持つつもりがないので関係がない。4番目は結構な話でぜひ実現願いたいが、恐らく生きていないだろう。5番目はそうだろうが、こういうことに日本はいつも乗り遅れる。これも目の黒いうちに間に合いそうにない。6番目は既に始まっているが、今後ますます拍車がかかることだろう。7番目はそうでありたい話だ。

こんな話より2年3年後の日本について、優れた人の予言を聞いてみたい。

2017年5月16日火曜日

読後感「外交官の一生」石射猪太郎 著

嘗て外務省東亜局長を務め、戦争拡大に走る軍部に抵抗し、日中和平を試みたことで知られる外交官31年の回顧録。1887年福島県生まれ。福島中学(現福島県立福島高等学校)を経て、1908年、東亜同文書院を卒業し満鉄に入社。その後父の仕事を手伝うべく退社したが、父が事業に失敗し失業。岳父から生活援助を受けながら外交官及領事官試験の勉強に励み、2回目の挑戦で合格。1915年(大正4年)外務省入省、任地は天津など中国から始まり、次いでサンフランシスコ、ワシントンのアメリカ、メキシコ、本省、イギリスを経て中国吉林省で総領事になり、続いて上海総領事を拝命するのが1932年(昭和7年)である。

続いて半年間のシャム公使を務めたのち1937年(昭和12年)東亜局長に就任して外務省の幹部になるが、時恰も盧溝橋事件が勃発して日中全面戦争に突入する年であった。以後世界史的に見れば、日本は世界大戦当事者として真っ逆さまに地獄の底に落ちていくことになるが、著者はオランダ大使を経てブラジル大使の時に日米が開戦、いったん本省に呼び戻されたりするが、終戦末期になって敗色が決定的になっているビルマ大使を命ぜられ、一旦逡巡するも著者の官吏道精神からして断り切れず、ここで終戦を迎え、軍と共に逃避行、結局はイギリス軍に確保されて抑留生活の後、敗戦翌年の7月日本に帰還。8月に免官となる。以上が簡単な略歴

日露戦争勝利直後に誕生し、小国日本が世界の列強に肩を並べつつあるときに成人となり、他国(中国)に進出する目的をもって上海に作られた日本の大学(?)を卒業して外交官となり、国策を背負い外国との折衝の第1戦での活躍。終戦で退官だから日本近代史の申し子的な存在ともいえるだろう。

まさに我が父母の時代で、小生誕生直前の近現代史に関わることではあるので、何となく聞いたことがある事件や人物が多く登場してくる。父母からも教えてもらえなかった史実を、現場に身を置いた当事者の記録として読むことができたのは幸いだった。戦後日本に帰還してすぐに公職追放になり、その暇に手元に残った資料をベースに書き上げたもので、追放解除の目的もあってとも言われているようだが、読む側にとっては貴重な資料であることに間違いない。日本は敗戦と同時に軍部では勿論だが、外務省を含む各官庁が貴重な文書を焼却処分したりしている。現在も同様だが、そもそも歴史に対する責任感の薄い国民と言われても仕方がない。

著者は同文書院の出身で、しかもサラリーマンを挫折してからの外交官であるので、当時としても異色だったのだろう。冒頭に「山男の宮仕え」の1節があり、はなから出世主義には縁遠かったと思える。新橋芸者から2度と来ないでくれと言われたくだりが愉快だ。19章に亘る長文ではあるが最終章に「末尾3題」著者自身が正統外交への思いを締めくくっている。省略しながら以下に引用したい。

「軍国主義の悪夢から覚めた今日、誰しも、在りし日の幣原外交を顧みて、そのとった国際協調主義、平和主義、対華善隣主義政策を礼賛する。死んだ子の歳を数えるようであるが、これは何も幣原氏の創作ではなく、その以前から日本の外交政策として存在はしていた。ただ幣原氏が信念に徹して内外の圧迫に屈しなかった勇気ことが特筆に値する。私は外交に哲学めいた理念などないと思っている。いわば商売と同じで国の利益を最大に、損失を最小に抑えることを心掛けるしかありえない。しかし商売にも信用が大事でこれを無視して、己だけ儲ければいいと言う姿勢で外国から信用されるはずはないだろう。

幣原外交以降の外交は正統外交の理想は温存しながらも、全く自主的性格を喪失した。軍人と右翼が霞が関外交を手ぬるしとして表面に踊りだした。店を預かる外交機関の商売ぶりがきにいらぬとして、用心棒の権助が奥から飛び出して、この値段で買わねば「目にもの見せるぞ」と客を脅したようなものだ。そして政党や国民はこうした強硬外交を喝采した。国民は常に、無反省に猛き者と共にあった。」70年前の記述であり、今日は同様でないことを祈りたい。

2017年5月15日月曜日

要らぬ心配か

中国の北京で土曜日から何やら大きな政治イベント「シルクロード経済圏構想(一帯一路)」初の国際会議が開催されている。参加国は130国とされているが、報道写真を見ると参加者がめちゃくちゃ多い。日本からも二階自民党幹事長が出席していたが、元首クラスが出席している国もあるようだ。これも写真で見ただけのことだが、習近平主席の左隣にはプーチンロシア大統領、右隣にはトルコのエルドアン大統領が陣取っていた。会場は国連総会の議場なんか問題にならに広さで、大きな劇場如き会場が人でびっしり埋まっている。

昨日北京の上空は青空が広がっていたと報じられている。北京と言えば1年中光化学スモッグに覆われた街との印象があるが、大きなイベントが開催されると不思議に青空が出現する。また先週半ばから近隣工場の操業を権力でストップでもさせたのだろうか。何れにしても不思議な国だ。不思議と言えば更に不思議なのは、この会議のハイライト昨日早朝に北朝鮮がミサイルをぶっぱなした。

日本のメディアは揃って「習近平氏の顔に泥を塗る行為」と書き立てるが、習近平氏がそう言ったとは報じられていない。一応北に対して「あまり無茶をしちゃいかんよ」程度は言ったようだが、どこまで本音で言っていることやら。いつものようにひねくれて考えれば、北の若旦那も習近平氏のイベントを祝って祝砲のつもりで打ち上げたことだってありうるだろう。

昨日も書いた通り外国事情は分からぬことだらけだ。アメリカのトランプ大統領は2020年までに間違いなく弾劾されると言う説もあれば、大統領選で彼を支持した人間の支持率は落ちていないとか、今週末からの中東訪問で中東和平に資する大きな貢献があるだろうとか、諸説紛々で何を信じていいか分からない。だからこんなことは心配しても始まらない。

心配すべきは昨日の大相撲。全般的に見れば良い取り組みが多かった。しかし結びの1番、横綱稀勢の里対小結嘉風の取り組みは大問題だ。「今日(二日目)の取り組みを見るまで分からない」とする友人の相撲専門家もいるが、稀勢の里の出場判断が果たして正しいのかどうか?大いに心配だ。

2017年5月14日日曜日

外国事情の理解

今朝久しぶりに北朝鮮がミサイルを発射した。何のために日曜日の今日態々そんなことをするのか?北朝鮮の狙いと、発射の意味するところを理解できる人間は韓国や米国、中国政府でもそんなに多くは無いのだろう。ましてマスコミとなれば騒いでいるのは日本だけかもしれない。米中関係が何となく友好的になりつつあるような感じとか、韓国に新大統領が出現したこともあったりして、北朝鮮脅威論が少し収まり加減になってきた矢先のことだ。

韓国軍から通知を受けて一番喜んだのは日本の総理かもしれぬ。久しぶりにマスコミを集めて「断じて容認できない」を発することができた。もちろんこれを受けたマスコミは勝手な解釈を付けてニュースとして垂れ流すから、我が国の安全保障環境を脅かす北朝鮮脅威論の鮮度を保つことに繋がる。日本は幸か不幸か外国語に疎い国柄で、政府関係者でもマスコミでもインテリジェンス(外国事情の掌握とか諜報)能力は相当劣悪のようだ。

外国の1次情報は外国に入って取ってこなければならないので、世界の大国は政府がマスコミをうまく使いながら相当緻密な段取りを作り上げている筈だ。当然ながら中には非合法すれすれ手段を余儀なくされることもあろう。それでも我が日本では北朝鮮のミサイル発射に関する情報は入手困難となれば、北朝鮮の情報管理を評価すべきかもしれぬ。何れにせよ日本の政府やマスコミは、英語を使いこなすのが精いっぱいで、隣国の朝鮮語や中国語でさえ使いこなす人材が圧倒的に不足しているようだ。

昨日TBS夕方の「報道特集」を観てつくづく感じた。大統領選挙の取材に入った日下部キャスターが、文大統領就任演説を報じる韓国の新聞3紙を掲げてその見出しを解説しただけのことだ。日下部キャスターが韓国語にどれだけ精通しているかは知らぬが、やはり1次情報の新鮮さは感じた。こうしたことから悪く考えれば、普段得ている情報は国内で捏造されているとまで言わぬにしても、多分に新鮮味に欠けるうらみがあるように思う。

英語の使い手に不足なしと書いたが、疑いだすとトランプ新大統領に関する情報も、どうもステレオタイプ(紋切型)で新鮮味に欠ける気がする。

2017年5月12日金曜日

当たり前のこと

改めて書くほどのことではないが、今後日本の経済が拡大し、その余禄が自分に回ってくるだろうと予想する人は極めて少数だろう。殆どの人は多かれ少なかれ倹約に勤め、少しでも余裕が出れば貯蓄方法に思いを巡らすはずだ。幸い我が世代はバブルも経験したし、年金も60歳から貰うことができた。年金は今後少しずつ目減りはするだろうが、あと数年生き延びても食い繋ぐことは可能だろう。

比較して考えると我が子や孫たちには若干の同情はするし、事実彼等も先を考えて少しの不安があるかもしれぬ。貯蓄もたいしてあるまい。しかし心配には及ばない。若い時に両親や先輩の大人たちから言われた教え「若い時の苦労は買ってでもしろ。」を思い出す。いま苦労の種は尽きないと思うが、次の言葉を噛みしめてほしい。「明日の100円より今日の10円」と「1円を笑う者は1円に泣く」である。手元の資金を大切にして、その中で生活をする。それで1円でも残ったら子孫のために貯金でもすればいい。世の儲け話は全て嘘。

あまりにチマチマとして褒められたものではないし、随分教えにも背いてきた。しかし今にして思うと、親から教わった処世訓の中でこの平凡な考えが一番貴重と言えるかもしれぬ。世の中には苦労の末に長者になる人も数多い。人並みなことをしていては人並み以上になれないかもしれぬが、何で人並み以上になる必要がある?同世代の人間に比べて少しくらいの貧乏は問題ではないし、今日明日取り敢えず食っていければ、経済的苦労は大した問題ではない。

いつの日か所帯を持って、狭いながらも楽しい我が家が出来ればそれが一番。後は家族たちが他人から後ろ指をさされることが無いように身を持すことに尽きる。強いて付け加えて、友人に恵まれることがあれば、それ以上のことは無いだろう。こんな爺臭いこと書いたきっかけは次の記事である。

『少子高齢化社会では「虎の子」となる年金基金を、鉄火場の株式市場に平気でつぎ込む。人口減対策はソコソコに「高度成長期よ、もう一度」とばかり、東京五輪開催費や万博誘致になけなしの血税を投入する。思想家の内田樹氏は3日付の神奈川新聞のインタビューで、こう嘆いていた。

〈後退戦局面で、「起死回生の突撃」のような無謀な作戦を言い立てる人たちについてゆくことは自殺行為である。残念ながら、今の日本の政治指導層はこの「起死回生・一発逆転」の夢を見ている。五輪だの万博だのカジノだのリニアだのというのは「家財一式を質に入れて賭場に向かう」ようなものである。後退戦において絶対に採用してはならないプランである〉』

2017年5月11日木曜日

尽きぬ幼児的満足感

安倍自民党総裁は自民党が野党に転落した時憲法改正草案を纏めたことを誇りとしているのか、変なものを纏めてしまったと残念に思っているのか判然としない。今月3日に改憲派の集会に送ったビデオメッセージだけを聞くと、谷垣総裁がまとめたことに不服があるのかどうか、どうも後者らしい。安倍氏には独自の改正草案が腹にあるようなことを言っているが、実はこれもかなり怪しい話である。

それは結党以来の党是だから自分が総裁任期中に<それを成し遂げた名誉が欲しいだけ>と指摘する人がいる。いみじくも9日の参議院予算委員会で、民進党蓮舫代表が、安倍氏の憲法改正に関する発言について、過去数年間で目まぐるしく変わってきたことを整理してくれた。内容は以下の通り:先ず04年幹事長時代の主張「9条2項が否定する交戦権について、自衛権の延長線上の交戦権は認めるべき」から始まり、06年首相になるや否や「時代にそぐわない条文として典型的なものは<憲法9条>。」と述べて後に退陣を余儀なくされた。と思ったら奇跡的に第2次安倍政権が復活。

改めて首相になると「(改憲要綱を定めた)96条を変えたい。」と言い出した。それでも国民の中で改憲の必要性なんぞは盛り上がってこない。当たり前だ。すると昨年の1月に「大規模災害が発生したような場合、国家や国民の役割を憲法にどう位置づけるかが重要な問題」なんてとんでもないことまで言い出した。そして秋9月になると先に挙げた自民党改正草案について「これをベースで国会で審議してほしい」と言い、今年の5月に「自民党改正草案は党としの公式文書です。」と言ったばかりなのに、今月になると総裁として「9条1項2項はそのままにして3項を設けて自衛隊を明文で書き込みたい。」と言ってしまったわけである。

蓮舫氏が言うほど目まぐるしくは変わっていないとも思うが、何れも時代錯誤の改憲への思い込みが強いことだけはよく理解できる。何れにせよ「改憲以前に憲法を踏みにじる無法を通して今更なんだ。」である。ある人に言わせると「学力不足の少年がやたらに東大に行きたがることがよくある。」東大とまでは思わなかったが、まるでこちらの少年時代を指摘されたようで辛いが、ご指摘は良く理解できる。これと同じだそうだ。

自民党内に限らず党外でも改憲を真面目に考えている人も多いだろう。こういった人からすれば総裁の思い付き発言は不謹慎にしか思えないだろう。党内批判も相当あるのだろうが、石破茂氏の「ビックリしてひっくり返ってしまった。」が面白い。

2017年5月10日水曜日

リーダーの条件

今月になってフランスと韓国で新しい大統領が誕生した。思い起こすと英国やアメリカでもこの1年足らずの間に指導者が交代している。フィリッピンの大統領やオーストラリアの首相とか国家指導者の交代はもっと多いかもしれない。そんな中で我が国では安倍政権が第2次政権以来に限っても既に5年を超えることは慶賀の至りとすべきかもしれぬ。安倍氏自身は18年の任期切れにもう1期更新するつもりとの報道もある。

一寸先も分からぬ闇のことはさておき、組織のリーダーに関して思いだしたことがある。サラリーマン時代の40歳前後のこと、入社以来ずっと売り子一筋だったのに、社内事情で急に大阪支店長を命ぜられてしまった。大阪支店となると、曲りなりにも東京の本社と同じ機能を備えた組織で、売り子時代には全く意識の外にあった総務とか経理部門も管理しなければならない。学生時代から部活動はしなかったし、マネージャーなんて役の意味も解らず頭から馬鹿にしていたので困ってしまった。

どうしようもなくて、本社に相談もせず友人の伝手を頼って、ある企業コンサルタントから毎週土曜日の午後管理事務のレクチャーを受けることにした。何年くらいに亘ったか忘れてしまったが、この先生から学んだ多くの事柄の中で、今でも強く印象に残っていることの一つが「組織は、そのトップリーダーの能力以上には決して成長できない」である。たまたま40人程度の組織ではあったが、東京・名古屋・大阪に配置された拠点の一つを受け持つ責任者の自覚を促すために、真っ先に教えてもらったと思う。

最初はピンと来なかったが、1年2年と指導が重なっていくにつれ、この言葉の意味するところが徐々に理解できるようになった。組織の中には、こちらから見ると優秀な人材もそうでない人材もあるが、組織目標の達成如何は結局その上に立つ自分の能力次第で、部下に優秀な人材が増えるかどうかの問題ではない、即ち自分以上の才能がある人材は使いこなせないと思い知らされた。結局6年目にしてこの会社を辞めることになってしまったが、この指導の結果がどう出たかはご想像にお任せしよう。

トランプ大統領は100日超えても予め設定されている人員を整えることが出来ぬばかりか、一旦決めた人間を更迭したりしている。理由はいろいろあるだろうが、それが大統領の目標達成に吉と出るとは限らない。日本の総理も優秀な人材を集めているつもりだろうが、思いがけない出入りもある。結果的に内閣が思うような成果を上げているかも少し疑問符が付くようだ。何れの場合も数十年前に教わった事例に当たらないことを祈るのみだ。

2017年5月9日火曜日

小学生にも劣る

昨日も書いたが衆参両院での予算委員会、今日はまだ見ていないが、政権側の態度は最初から明々白々。「言いたいこともあろうから、好きなだけ言ってくれ。野党の質問内容は先刻承知のことばかりで飽き飽きしているが、質問させないと独裁国家になってしまうので茶番を演じてやるわ。」とばかりに質問に対する答えに真面な答えは一つもない。平たく言えば質疑応答になっていない。委員会を開いても無意味であることは与野党ともに納得しているように見える。

野党が与党に馴れ合うことの無意味さを本当に分かっているなら、こんな国会審議は無駄であるばかりか、青少年への教育上も悪いと思う。街頭デモの動員でも画策する方が未だ意味がありそうだ。安倍総理や麻生財務相が発する日本語の程度の悪さ、まともな大人の日本語としてとても通用するものではあるまい。彼らの幼児性が時々指摘されるが、知性とか教養以前の問題のように思う。今どきテレビの街頭インタビューに答える小学生の方が余程ましな受け答えをしている。

更に心配になるのは、政治家に代わって答弁をさせられる官僚の日本語である。一例をあげれば目下の審議で花形となっている財務省の佐川理財局長。若かりし頃より秀才の誉れ高かった高級官僚だと推測するし、家に帰れば妻子からも誇り高く思われる良き夫、良き父だろう。しかし連日テレビを通して意味不明な言葉を吐き続ける姿を見せつけられると、家族としてもかなり辛いものがあるのではと、余計な心配もしたくなる。

「偏に出世のため、パパもここまで頑張ってくれているんだから」と家族が深い理解を示してくれればいいが、「なんでここまでしなきゃならぬか?俺は金輪際役人にはならない。」と息子さんがいて思ってしまうとしたら不幸なことだ。まして一般論でも同様な事態が起きれば、これからの霞が関官僚の質の低下につながりかねない。野党側も些かうんざりしているのだろう、昨日も質問者の誰かが言っていた。「そろそろ<総理はおろか議員さえ辞める>との発言を撤回されてはどうですか?」

その通りだ。「女房がここまで馬鹿とは知らなかった。」ひとこと言えばそれで済むような気がしないでもない。

2017年5月8日月曜日

連休も終わった

年寄りには関係ない筈だが、連休中のんびりしすぎて頭がボーとした感じだ。政治家も外遊やらゴルフの連荘で遊び呆けて気楽なものだ。今日と明日は予算が成立しているのに、余りに多い内閣の不祥事に、態々テレビ入りで予算委員会が開かれている。何と異常なことだろうか。総理はこれで誤魔化せると思っているのだろうが、世間一般同様にサボっていたマスコミがどう反応するかが見ものでもある。

憲法記念日には憲法を最も遵守すべき総理が、闇雲に改憲を訴えたことが一部マスコミで大きく取り上げられた。党内論議も国会内の議論も全く関係無しのようである。正気を疑うより先に笑えてしまう。フランスには39歳の新大統領が誕生、強硬派ルペンも負けたとはいえ1千万票を超える得票数は予想以上ともされている。韓国大統領が誰になるかについては諸説紛々で想像すらつかない。日本の総理が「対話のための対話は意味がない」と断言していた米朝間に対話の兆しが芽生え始めた。国内で不安定大統領トランプ氏の本音は測りかねるが、喜ばしいことだ。彼も人の子、是非対話に持ち込んでもらいたい。

世界の政治指導者は活発な活動をして世界は変化している様子が伺えるが、日本はただのんびりしているのみで、何一つ進歩らしきものがない。先々のことは予想もできぬが、せめて外国の指導者たちに「戦争だけはしないよう」お願いしたい。

2017年5月7日日曜日

決心またも変更のダメ男

大型連休中はどこにも出向かずにいようと決めたばかりなのに、昨日人出で賑わう高尾山ハイキングに行ってしまった。土日はいつも午前中は近くのアスレチックジムに行くことにしているので、そうするつもりで9時前に玄関まで行ったのだが、お天気が余りに良いので急に気が変わった。履きかけた靴を脱いで部屋に戻り、着替えたりリュックサックを取り出したりして一応ハイキングらしい準備に変えてみた。

婆さん曰く「連休中どこにも行かないなんて、芸風を急に変えるのは無理よ。」確かにその通りで、トレッキング用の靴を履きながらどこに行くかを考えたが、選択肢は限られている。この時間からであれば西武線で飯能に出て、バスで名栗湖に行き棒の嶺に行くか、京王線で高尾山に行くかくらいのものだ。最寄りの地下鉄駅の前にコンビニがあるので、〆て750円飲料と昼飯と行動食を購入して高尾山行きを決心。

新宿に出ると10時丁度の特急があって、11時には高尾山口に着くことができた。連休も最終版ながらお天気のせいもあるだろう、相変わらずの人出で、家族連れと外国人が多いと感じた。どこまで行くかも決めてはいなかったが、最も人気の高い飯綱権現が祀られている薬王院経由は取り敢えずパスして、稲荷山コース経由で直接山頂を目指した。到着が12:07、人混みで混んではいるが快晴で眺めも悪くない。丹沢の山脈の後ろには富士山も薄っすら見えている。

木陰のベンチでゆっくり昼食、目の前のご夫婦が缶ビールを美味そうに飲んでいるのを見て真似をしたくなったが我慢して、先日テレビで教えられた高尾山の植栽の豊を楽しむ。兎に角
ここは杉の木が1本も無いのが素晴らしい。13時まで休んで小仏城山まで足を延ばして、かき氷を食して往路を戻り高尾山口16:29初の準急に乗るといつも通りの18時チョイ過ぎには帰宅した。風呂上がりにはマグロ納豆と自家製さんが焼をおかずに冷えたビールの味が格別だった。


入浴中にTBSテレビが「報道特集」を放送していたが、キャスターが「憲法記念日に安倍総理が憲法改革試案の発表をしたことをスクープだと書いた新聞ががあったが、とてもスクープとは思えない。」と一言言っただけで、憲法問題なんか何も取り上げなかった、と婆さんが解説してくれた。

       

2017年5月4日木曜日

暫くお休み

昨日は、できれば奥多摩方面にハイキングに出かけたかったが、体の調子がおかしくなってしまい中止した。午前中少し休んで、昼過ぎから上野公園に散歩に出かけた。上野公園はびっくりするような人出で流石ゴールデンウィークだ。実は従弟のブログで触発されたのだが、これまで入ったことがなかった清水寺や東照宮を巡っているうちに鼻水が止まらなくなってきた。少し休むつもりで国立東京博物に入ったが、これまた逆効果。博物館は室温が大分低く設定されていたようで、帰宅してからも夕食まで1時間半ほど寝込んでしまった。

夕食後もパソコンに触ることも無く、テレビも見ずにたっぷり寝たので、今日は体調が少し回復したようではあるが、年を感じざるを得ない。この連休はどこにも出かけないことに決めた。山の空気も良いが、お江戸で国宝級の文物に触れるたも目の保養になったし、ネットでへぼ碁を打つのもまた善しだ、他にも楽しみは探せばどこにでもあるだろう。改憲論者の悪口はゆっくり書くことにして暫く休養にしよう。

2017年5月2日火曜日

政策決定プロセス

アメリカの会計年度は暦年に同じと聞くので国家予算もそうなっていると思う。外国のことなんかどうでもいいと言えばそれまでだが、大統領は就任100日以内に国家予算を確定しなければいけない決まりらしい。その100日は先月28日だったらしいが、与党共和党内に抵抗勢力が多く、アメリカは2017年の国家予算が不成立となり、目下1週間の暫定予算で国家が運営されているようだ。

国家予算の裏付けが無い割にはトランプ大統領は元気そうだ。誰も不思議に思わないのだろうか?芸能人でもあるまいに、普段どんな政策決定をしているか分からないが、遠い日本の報道に頻繁に登場する。その報道で分かることは、彼が軍隊を地球規模で大胆に動かしていることである。軍隊を動かせば当然ながら莫大な費用が掛かるだろうが、アメリカの軍事費にはそれをカバーしうる余裕があるようだ。

ただ韓国に北朝鮮への対策の一環として、ミサイル迎撃用ミサイル「サード」を中国などの反対を押し切って持ち込んだ。この費用が約1千億円とのこと。韓国は大統領不在ながら官僚がしっかりしているのか、「貴方が勝手に持ち込んだのだから、アメリカさんで負担してください。」と言っている。トランプ氏も一旦は「尤もだ」と言いかけたようだが、「貴国防衛のためだから、貴国で負担すべきだ。」と押し返したか、押し返さざるを得なかったのか、いずれにしても未決着とのことだ。

比較して日本である。アメリカ海軍の作戦行動に傭兵よろしく憲法違反までして随伴行動をし始めたのはご承知の通り。そのことは措くとしても、嘗てイラク戦争の時に国会でも大騒ぎして決めたインド洋での燃料補給、これと全く同じ燃料補給もするようである。法律的には何ら瑕疵も無く、全て辻褄が合うのだろうが、韓国のアメリカに対する態度と比較して考えると首を傾げたくなる。

兎に角アメリカも日本も国民を舐めて掛かることでは軌を一にしている。政策決定過程は不思議なことだらけだが「為政者は気楽な稼業ときたもんだ」かね。

2017年5月1日月曜日

なし崩しで良いのか

マスコミは今日明日の2日を休めば9連休だと囃し立てるが、実際この2日を休暇にする人は15%程度と今日の報道で知った。給料は上がらず、連休と言っても家庭サービス以外することもないサラリーマンにしてみれば、1日でも多く出勤して休日は買い取ってもらいたいところだろう。なんてこと言うのは旧石器時代のサラリーマンだけかもしれぬ。今や就職難ならぬ求人難時代だそうで、景気は良いのだそうだ。失業者が減れば景気が良くなるのは当然で結構なことだが、冒頭に書いたパーセンテージと少し矛盾を感じる。

報道の矛盾を論っていたらきりがない。しかし昨日は、テレビ放送局の中に目下悪評の高い「テロ等準備罪法案」を積極的に推進する者がいることを知って少し驚いた。フジテレビの「新報道2001」に局の解説員として出演している平井文夫氏と言う方である。この法案に関しては、警察にマークされるようなこととは無縁と思っている大多数の国民は関心が無くて当然でもある。しかし少なくともジャーナリストであるならば、これが嘗て3回も廃案になっている「共謀罪法案」の焼き直しであること。

警察の国民監視力を強化して、やがては戦前の治安維持法に繋がるとして、職域を超えてた大勢のジャーナリストが連携して反対を唱えている現実を知らない筈はない。平井氏は早くこの法案を成立させて、北朝鮮から日本に潜入している工作員を摘発するために役立たせるべき、とのご意見であった。氏の役職はフジテレビ報道局上席解説委員、フジテレビが現政権と極めて親和的であるのは知っていたし、世に様々な考え方があるのは当然でもあるが、「ここまで言うか」である。

平井氏とは反対の立場のジャーナリスト達にも、スノーデン氏の警告ではないが、既に我々の通信は政府によって100%捕捉されて、それがアメリカ軍にそっくり持っていかれていることを承知して、今更の反対は「時すでに遅し」ではないかと言う向きもある。「だったらこの法案に抵抗するのは無駄」なのか。時あたかも、防衛大臣命令で海上自衛隊はアメリカ海軍艦船の防衛を堂々と始めた。憲法9条も何もあったものじゃない。

何もかにもが平然となし崩しで変わりつつある。本当にそれでいいのか?