2012年5月31日木曜日

明日は明日

早ければこの週末にも東京が梅雨入りするそうだ。生活するには些か不便ではあるが、人間にとって水が極めて貴重な命綱であると同時に、作物を含む地上のあらゆる生物にとっても同様であるのは論を待たない。少々じめじめして気持ち悪いには我慢しなきゃならないだろう。小生も決して晴れ男とは言えず、山歩きで雨にたたられるのはしょっちゅうである。父と長女はもっと徹底した雨男に雨女だ。

亡き父はいつも鞄に折りたたみ傘を入れて持ち歩いていた。娘は出掛けると必ずと言っていいくらい雨が降るのだそうだ。「どこかで日照りが続いたら、娘を貸してやりたい。」が我が家定番の冗談。代わりに婆さんが晴れ女を自慢していて、傘を何十年も買ったことがないそうだ。これだけ科学技術が発達しても、天気予報は難しいらしい。先日も書いたばかりだが、むしろ今以上に予報が当たるのはあまり歓迎したくない。

それぞれが勝手に晴れ男だとか雨男だと思ったりしているから面白いので、何の根拠もないのに、そんなことがあり得る筈がない。自然界ばかりではなく人間社会でも、未来は兎に角何が起きるか分からない。未来に対して楽観的な人もいるし、どうしてもシビアに見てしまう人もいる。小生はどちらか言えば楽観派と言うべきか、いつも「何とかなるだろう」で生きてきたようだ。しかし、明日の事をこうなればいいなと予想または期待すると大体外れて、反対の目が出たように思う。

それでも、ここまで来たのだから良しとしなければ仕方あるまい。
昨日は政界の一寸先について思いを致したが、己の事を考えても全く同じだった。

2012年5月30日水曜日

一寸先の暗闇か?

久し振りに国会図書館に行った。地下鉄永田町駅から地上に出ると、すぐ左が国会議事堂裏の四つ角。ここから三宅坂方面に向かうと民主党本部が入居しているビルに出る。従ってこの角には警官がいつも配置されている。地下鉄構内から地上に出たのは12時半頃だったが、今日はその警官が三宅坂方面に向かう人を全て一旦停止させて、何事か検問をしていた。四つ角まで来て民主党本部の方を見ると、道路の片側にはずらーと中継車が並んでいた。テレビカメラを構えた撮影クルーが何組も屯していたので、総理と小沢氏の会談直前だったに違いない。

輿石幹事長を含め3人がどういうつもりで会談に至ったかは計りかねるが、少なくともお二人は会談で合意点が見つかるとは夢にも思っていないだろう。帰りに夕刊紙を見ると、まるで総理大臣が自民党の使いっぱを務めているようだと書かれている。いよいよ民主党も空中分解かな。自民党の長老議員の存在感が増してきているらしい。来月末に会期末が迫る国会がどのように進むのか、又事の善悪も分からないが、歴史を逆行する感が無きにしもだ。

現在の政権の向っている方向性はいま一つ分かりにくい。消費税、税と社会保障の一体改革、原子力発電の再開問題、TPP参加問題、米軍再編への協力問題のどれをとっても、嘗ての野党民主党が攻撃していた自公政権が手掛けるべき(手掛けたかった)問題で、政権を奪取したら自公に代わって、民主政権がその宿題を一所懸命にやっているように見える。他に何かやるべき事があるのではと思ってしまう。なので小沢氏の言うことが分かりやすい。なのに不合理な分からず屋のように叩かれるが、これも不思議だ。

外野に居て不平不満ばかり言っているとも言われるが、小沢氏の言っている事はどこが間違っているのだろう?マスメディアは、今国会で消費税法案を通すことに政治生命をかけた野田総理を善玉にして応援しているが、これも不思議に思う。小沢氏をの事に及ぶと、どうしても悪玉の応援になるので、もう辞めよう。

2012年5月29日火曜日

当事者能力の欠如・責任感の欠片も見えない

福島原発事故に関して調査委員会がいくつか立ち上がり、現在国会事故調査委員会が一部公開で開かれている。先週は海江田元通産大臣、枝野元官房長官、日曜日の27日には第16回目にして菅元総理が参考人としてだろうか、委員から当時の事情を聴取(ヒアリングと言うらしい)されている。新聞テレビでは大々的に報道されているし、ネットでは通しで見る事も可能である。今日は福島で佐藤知事を参考人として呼んでいるそうだ。

もう終わっただろうが、まだ見てはいない。勝俣東電会長と海江田元経産大臣と菅元総理へのヒアリングはかなり見てしまったが、何れも一言で言えば「さぶっ」と言う感じに尽きる。この委員会の目的は縷々書かれているが、これも簡単に言えば「実効性ある調査権限を活かしながら、誠実に客観的真実の追求を行い、未来に向けた提言をしていきます。」との事だ。先ずこれからして眉に唾を付けざるを得ない。

委員会のホームページを詳細に見ていないので正確ではないが、この委員会1月に立ち上がり、かなりの予算が付けられている筈だ。そもそも国会の存在そのものが、無駄遣いシロアリの温床であるのはよく知られた事だから当然かもしれない。今日で17回の委員会を大きな会場で傍聴人を沢山入れ、ネット中継は2か国語で放送と言う豪華さからも押して知るべしだ。勿論公開されない情報収集や、細野当時補佐官のように非公開ヒヤリングもある。

一見すると目的も尤もらしく、成果を期待できそうでもあるが、これまでに見た限りでは茶番に過ぎない事がだんだんはっきりしてきた。ヒアリングを聞いていると、一部の委員の突込みはかなり核心に迫るようにも聞こえるが、参考人は只管自己弁護と責任転嫁に終始するだけで、ヒアリングからはとても客観的真実の追及なんかできる訳がない。考えてみれば当たり前の話で、殆ど人災と言われる大事故の責任者が「悪うございました。自分はこんなミスを犯しました。」なんてなかなか言えるものではないだろう。

その点アメリカが日本の事故に対応して立ち上げた何とか委員会のレポートは凄い。既に新聞にも公表されているが、電話の通話記録まで全て記録が残り、わずか数日間の記録がペーパーにすると数千ページに及ぶそうだ。勿論日本の原子力安全・保安院が米国の協力を断った通話もちゃんと記録されている。日本は通話記録はおろか、首相官邸で官房長官が発表するような重要な意思決定がなされた会議の記録さえ存在していない。(とされている)

3月15日未明から東電内部に対策統合本部が置かれ、最初の会議に菅総理が乗り込むのだが、この会議は東電のテレビ会議室で開かれ、多くの社員がお言葉を謹聴したらしいのに、何故か首相の発言部分の音声が残っていない(そうだ)。委員会の受け答えを聞いているだけで「いら官」の由縁も分かるし、技術系を鼻にかけて右往左往し周辺を混乱させたことがよく理解できる。

今更総理大臣に当事者能力無かったなんて言われても、笑い話にもなりはしない。

2012年5月28日月曜日

雲取山さいこ-!

今は午後2時少し前、信じられないほど爽やかな日だ。2階の部屋で窓を開けていると、夏の戸隠高原にでもいるような爽やかな風が吹き抜けていく。夕方から天気が急変すると天気予報では言っていたが、俄かには信じられない。最近の天気予報は比較的的中率が高いが、少なくとも、先週金曜日朝の予報は見事に外してくれた。先週は仕事が何かと忙しく、週末の金曜日には日記に書いたようにミスがあったりして、少し鬱っぽかった。週末は天気が悪いらしいし、ルーティンのプールも休業日。

婆さんは同窓会で出かけると言うので、たまには一人静かに読書でもしようと思っていた。ところが夕方7時半の天気予報ではこれが完全に覆り、明日は晴れと言っている。それじゃ何か考えなくては、奥多摩の地図とカメラをカバンに入れて帰宅。着くなり婆さんが「私が出かけるのだから雨が降る訳ないでしょう。日曜も晴れで、次の週末はもう梅雨入りなんだから。」まるきり心中見透かされたみたいだ。2日晴れが続くとは珍しい。事務所を出る時は川苔山にでも行こうかと思っていたのだが、どうも泊りがけで出掛けるのを催促されている感じ。

されば雲取山へでも行こうかとインターネットを開くと、雲取山荘は完全予約制。電話は20時までとなっているがFAX予約は24時間OKとある。9時過ぎになって予約のFAXを送信。昨年11月23日の連休に行ったばかりだが、泊りがけにはもってこいの場所だ。土曜日の朝は婆さんがいそいそとオムライスを作ってくれた上に、タクシーまで見つけてきてくれて送り出してくれた。お陰で上手い具合に新宿発6:44に間に合い、どうせ泊まりだからと半ばあきらめていた奥多摩発8:35バスに間に合ってしまった。

なんてたって最高のハイキング日和、バスは何台も増発になった事だろう。登山口の人混みも嘗て見たことのない賑わい。中高年は勿論だが、最近は若い男女も結構多い。特に女性にとってのスポーツを考えるに、サッカー、野球、バレー、バスケなんかはチームに参加しなければいけないし、ゴルフやテニスは気取ったクラブに行かなきゃならぬし、些か面倒だと考えても不思議はない。その点ハイキングは随意参加が可能なので取っ付き易いかもしれない。女性が増えれば男子が増えて当たり前。結構な事だ。

一人登山は危険だからやめましょう、という意見もある。一面の真理ではあるが、団体登山にも大人数ゆえの不都合がある。参加者が団体行動を自覚できるかどうかと、大人数ゆえに行動が緩慢になる事が弁えるべき事だろう。何れにせよ前後に人が犇めいているのだから、一人であってもリスクは相当軽減される筈。いつもの勝手な理屈で、大凡9:25頃だったと思うが標高約400mの登山口から標高2017mの雲取山を目指す。後で記録を書くことを考えて写真を撮りまくるのだが、昨日慌てて電池のチェックを忘れた上に予備を置いてきてしまった。

写真は諦めて山旅を存分に楽しむことにした。山が新緑に萌えると言いう言葉があるかどうか知らないが、何とも言えない清々しい気分の山旅。惜しむらくは人出の多さが尋常ではなかった事くらいか。山小屋で聴くとゴールデンウィークより多かったらしい。200人定員に対して350人位は入ったのでは、テント場も避難小屋も目一杯だったようだ。良いシーズンだから山を独り占めにはいかない、8畳間に14人の詰め込み。夏場の北アルプスの訓練と思わなきゃ仕方がない。

翌朝一人旅の気楽さで4:30からの朝食を平らげ、朝の支度を完璧にして5:30には出発できた。しかも初めてのコース石尾根縦走して奥多摩駅まで、累積標高が何と2600m、距離は20㎞位なものだろう。それでも4:30前には帰宅して、いつも通りビール一缶と婆さんの心づくし、メインは真鯛の昆布じめ。この美味かったこと、後は本当のばたんキュー昨夜6:30から今朝の5:00までぐっすりお休み。これで今日爽やかでなかったら余程どうかしている。

山登りの詳細は下記からどうぞ。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-194781.html

2012年5月25日金曜日

大チョンボ

今週も若い社長さんが入院なので、代わって仕事をさせてもらった。それはいいのだが、社長を譲って既に2年以上経過しているのでウェブ技術については甚だ心もとない。夕方になって大きな更新作業があり、その後にメルマガの配信をすることになっていた。平常心で掛かればどれも大したこともないのだが、年甲斐もなく緊張してしまい、とんでもないミスをしてしまった。原子力発電所でなくても、一寸したヒューマンエラーは常に起こりうる。

ミスの内容を簡単に説明すると、トップページをとんでもない中扉の絵柄で書き換えてしまった。普通のウェブ管理者であれば、直ぐに手元にある正しいファイルをアップし直せば済むので問題ない。ところがこちらは全くの臨時仕事なので、手元に元々のファイルが存在しない。本当はこんな杜撰な体制で臨むことはあってはいけないのだが、生意気にもこんな単純な間違いを起こすはずがないと思い上がっていたとしか言いようがない。

それでもラッキーに恵まれて、入院中の若社長を騒がさずに済んだ。仕事をしているといろんなことが起きるが、これも一つの人生経験だ。72歳になって経験に学べるのは、有難いと思うことにしよう。ダルビッシュがイチローを前にして緊張するのも似ているかもしれない。普段と変わらないと思うこと自体が既に緊張している証拠だろう。

ダルビッシュまで持ち出したのは少し申し訳なかった。来週からはノンキな父さんに戻れることを期待しよう。

2012年5月24日木曜日

自家用車とMy自転車

中学生になってからだと思うが、我が家にも新しい自転車がが来た。学校から帰って、玄関の中にピカピカの自転車が置かれているのを見た時の興奮は忘れられない。大きなフレームは戦前の自転車と同じ構造で、基本は三角形で鉄パイプを黒いエナメルで仕上げていた。異なるのは、先ずハンドル回りと車輪のクロームメッキ、サドルの形状が少し縦長になってスプリングが思想が変わっていたと思う。それに荷台が狭く、小さくなっていた。チェーンカバーもフルカバーになっていたな。

それから当分はこの自転車を乗り回すために、買い物などのお手伝いを積極的にしたし、3里離れた祖母の家へのお使いはますます楽しいものになった。尚、職業家庭の時間に教わった分解掃除の知識を生かして、自転車の掃除当番は自ら買って出たものだ。新車が家に来た時の興奮状況は、若い読者の方には少々理解し難いかもしれない。それから6,7年後だろうか、大学1年生になったら、父が自動車の免許を取らせてくれた。「運転手のような仕事に着かなくても、これからの時代は一つの資格になるだろうから取っておきなさい。」


そして4年生の夏休み直前だともうが、家で中古の自動車を買ったと聞いて胸を弾ませて帰郷したのも懐かしい。その後就職し、結婚もしていくことになるが、会社では車を運転し、家では自家用車を持つのが一貫して一種の夢であった。幸い就職した会社には「くろがねベイビー」という小さな今で言うワンボックスカーがあり、これを大事に乗り回して3,4年もするとブルーバードを営業用に買ってもらうことが出来て、大いに励みになったものだ。

そうこうして結婚2,3年目だったろうか、成績優秀だったからだろう、会社の車を出勤に使用しても良いとの許可が出た。1銭も使わずに自家用車を手にしたようなものだ。正に天にも昇る心地と言っても過言だは無いかも。兎に角四輪自動車免許だけは、大学生にとって最も今風で、且つ必須のものだったように思う。

しかし時代は変わるもので、最近の大学生は車に対する興味を失くしている人が多い、との話を数日前に聞いた。免許すら取得しない学生もいるらしい。我々の時代はパソコンや携帯が全く存在しない。運動をやるのは一部の人、文化系のサークルで音楽系のバンドなんかやる人は余程の変わり者、或いは金持ちのドラ息子と決め込んではいけないかな。今は大学生になってパソコンを操れない、お歌も歌えないなんて想像だに出来ないのだろう。

どちらが良いとかの問題ではない。新しい物好きの小生もやはり自家用車をやめて徒歩と自転車に先祖返りをして、専らパソコンで遊ぶ毎日だ。こいつは確かにだらだら遊ぶには適している。しかし、パソコンに目眩く興奮を求める事はできない。

2012年5月23日水曜日

大丈夫かなぁ

昨夜、高校後輩の民主党代議士篠原孝氏の出版記念パーティーに行ってきた。天気も悪いし欠席しようかと思ったが、会費を事前に振り込んでいたので貧乏根性で出席してしまった。結果的に水割り1杯飲んだだけで、他での外食になって高いものついた事を後悔している。(笑)しかし、次の選挙は相当苦しいだろうから、貧者の一灯が少しでも役に立つなら良しとしておこう。彼は農水官僚の出身で党内TPP反対の旗頭に近い。だから役職も外されている。かと言って小沢一郎寄りでもない。信州人にありがちな性格で政界では一匹狼的存在だろう。

しかし官僚経験が長いので、何とか塾とか弁護士とかシンクタンク出身者とは異なり、政治の世界の力学(特に役所の根回し)については理解している筈。何でも正論を喋ってさえいれば、と言うタイプでもなさそうだ。政治家という職業は市民の声を汲み上げる能力、その声を受け止めて己の判断するところを明確に発表する能力、そしてこれを政治の世界に反映させる能力の何れが欠けても駄目としたものだろう。民主党議員はこの3番目の能力をよく分かっていない人が多いらしい。彼については選挙権を行使できないので残念だが頑張ってほしい。

それにしても、腐っても政権党だ。最初の当選時と比べると、集まる人間の数が大分増えている。国会議員だけでも菅直人元総理なんかを含め30人くらいは来ていたのではなかろうか。平野復興大臣や松木謙公氏の顔も見えたが、彼らは農水の出身だった。その割には官僚臭い人が少ないと思ったら、篠原氏自身が、現役の役人を呼ばないように指示を出したらしい。従ってお集まりになっているのはご老人ばかり。如何に選挙区外で資金集めが主な目的にしても、もう少し若い人を集める工夫が欲しい。

来賓の挨拶を聞くと、殆どの人が氏のポストに拘らない姿勢を褒めている。しかし、政治は一兵卒では何事も無しえないのではないか。彼が力説主張してやまないTPPについいても、民主党の意向は彼の思いとは逆である。何れにしても目近に見る限り政治家という人種、誰をとっても緊張感のない顔をしていると感じざるを得ない。

農業ばかりでなく我が国全体の将来が思いやられる。

2012年5月22日火曜日

雨雲を通して

今日は東京スカイツリーの開業日であるようだ。一昨日の大相撲千秋楽と浅草三社祭に引き続き下町は大いに盛り上がっているようだ。惜しむらくは天気が悪い。ものは考えようで、ご商売で期待している方もこれから先のことを考えれば、初日からあまり飛ばさないで、ゆっくり様子を見ることが出来て却って善いかもしれない。煙と○○は高いところが好きとばかりに、展望台一番乗りを目指した方々には少しお気の毒ではある。スカイツリーのお陰で東京タワーへの観光客も増えているようだし、結構な事だ。

小生も○○の類で高いところは好きだが、似たような風景は筑波山々頂から見る方を選んでしまうかもしれない。でも日本の技術の粋の結晶であるらしいし、何時か一度は行ってみるのもいいだろう。政治家が外国に行くより、スカイツリー完成の情報を発信する方が余程日本をアッピールすることにもなるだろう。
昨年の原発事故や円高の影響で減ったとされる外国からの観光客の呼び水になる事を期待しよう。

「Always3丁目の夕日」ではないが、昭和33年7月初めて上京してほぼ1か月間、毎日のように飯田橋から三田に行く都電から建設中の東京タワーを見上げていた。建築の目的も知らず、只々遥かに見上げる空中に吊り上げられていく鋼材が、マッチ棒のように見えてびっくりしたことを覚えている。今度のツリーは機能的には東京タワーと同じ電波の発信塔らしい。首都圏に高層ビルが建ちすぎて、タワーからだと電波障害が起きるところが余りに多くなりすぎたとの事、さもありなんだ。

素人の悲しさ故に理解はしかねるが、タワーとツリーでは資材技術共に相当の差があるようだ。建設中にあの311大地震が起きても、ビクッとしたかどうか知らないが、大変な支障が生じたとは聞いていない。因みにタワーの方とて、最上部の細いところが幾分ひん曲がっただけと言うから、日本の建設技術はやはり世界に誇れるものだろうと推察する。技術立国であるのは明治維新の際の富国強兵策で造船技術に取り組んだせいと聞いている。

今や嘗ての産業牽引車であった自動車や家電、メモリーチップは後進国の価格競争に煽られて些か苦しんでいるが、ロケットビジネスや航空機等ではやっと軛を解かれて羽ばたきつつあるようだ。何れにしても我が国のものづくりの伝統は尊い。時計もカメラも、はたまた食品から料理に至るまで、何をさせても日本人は器用だ。小生は全く落第だが、明るい未来を見つめて若い人に伝統を上手に引き継いでほしい。

2012年5月21日月曜日

金環日食

金環日蝕と書くものとばかり思っていた。間違いとも言えないらしいが、婆さんは昔から日食と書いたと言う。

今朝は朝からテレビは日食の実況一色。家が狭くて、敷地内や家の中から直接の観察はできない。しかも皆既日食の7時半は食事が終わって出かける準備に入る時間なので、未だパジャマ姿。みっともないので門の外に出る訳に行かず、観測は専ら婆さん任せ。幸いお天気が良かったので、婿さんにもらった観測用の黒いセル(プラスティックか-何でも天文雑誌の付録らしい)を片手に何度も外に行っていた。小生も出がけの7:45頃にそれを借りて、4分の3程になった太陽をはっきり見ることが出来た。

記憶の限りでは小学校(3、4年生の頃か)以来の観測だと思う。中学生の孫たちもちゃんと観測できたかなとか、理屈が分からなかった昔の人は、どんな思いで日食をに向き合ったかな、なんてことを考えていた。分かっている自分でさえ、朝飯を食いながら、急に段々薄暗くなってきた時は薄気味悪かった。こういったスケールの大きい天然自然の現象も、頭の良い人のお陰で全て計算通りなのは結構ではある。

しかし地震や津波のように、自然現象には計算で予測できないことが山ほどある筈。子供たちにはその辺の事も十分知ってほしい。少し言い過ぎで学者の皆さんには申し訳ないが、全ての自然現象が科学的に解明されるはずもないし、これ以上されない方が良いかもしれない。最近山歩きを趣味とするようになったので、特にその思いが強い。かなり高い的中率の天気予報の恩恵を蒙っているのに罰当たりの事だが、山では何が起きても不思議が無い。

たまたま昼に古い友人と食事をしながら、今年のゴールデンウィークにアルプス方面で大量発生した遭難事故の話になった。こちらは現在山に夢中、彼は若い時の大ベテラン。気象予報も装備品の進歩も登山技術も、科学技術のお陰で半世紀前とは比較にならない程進歩しているそうだ。それがどんなに長足と思っても、自然の奥行には絶対に到達し得ない。彼は昔高い山を殆ど歩いているので今はもう無理をしない。「お前さんも気を付けろよ。」との有難い忠告だ。

山の話の他に社会現象百般に話が及び、3時間も話し込んでしまった。普段めったに食べない旨い料理をゴチになったうえ、初めて聴く話、教えられる話も多かった。学生時代も教わることが多かったが、優秀な友人は有難いものだ。

2012年5月20日日曜日

娘と孫

昨日は娘夫婦が孫を連れて来宅してくれた。孫は3歳と半年で先月近くの幼稚園の年少組に入園を果たした。おしめも外れないで、しょっちゅうベビーカーに乗っている赤ん坊が大丈夫か、と気が気ではなかった。まだ寒い頃、入園の報告に来た娘に心配を伝えると、あっけらかんとしたもので『「名前を言えるようにだけはして下さい。」と言われているからそれだけは何とかなりそう。もしだめなら(ついて行けなければ)退園すればいいんだから。』

婆さんは娘のところで誰か寝込んだなんて聞くとにお手伝いに飛んで行ったり、しょっちゅう電話でやり取りをしているので、ある程度の話は聞いていたが、直接顔を見るのは2か月ぶり以上だろう。午前中お父さんは仕事があって、最初に娘と孫の二人がやって来た。聞くと東武東上線の大山駅から30分かけて歩いてきたらしい。チャイムが鳴る前に婆さんと「きっと歩いてくるだろうな。」と話していた通りだ。婆さんに言わせれば自転車で買い物には出掛けるが、歩いて行く気は絶対しない距離だ。地図で測ると2キロ強ある。

3歳だからベビーカーは要らないだろうが、30分ノンストップで歩くのは大人でもきついような気がする。兎に角元気のいい挨拶に、たった2か月やそこらで随分変わるものだと先ずは感心した。彼は我が家に来るのを大変楽しみにしていたらしい。理由は様々ありそうだが、玩具を沢山こちらに置いているのも大きな要素らしい。特に我が部屋でお預かりしているプラモデルの電車や列車関連のビデオが気になるようで、早速に爺の部屋に飛んで行った。

未だ昼飯には少し早い時間だったが、大人3人は早速ビールで乾杯。婆さんの手料理をつまみに酒盛りをしながら、孫の新しい日常について話を聞いた。何でも近くに2か所の幼稚園があって、娘が選択したのはマイナーな方だ。しかし娘はその選択に大満足しているらしいので、親としてはほっとした。但し園長先生がすごく怖いスパルタおばさんで、親達は恐れているとのこと。

しかし、娘は母親の年齢としては最年長なので、園長先生の仰ることはよく理解できるらしい。要は「躾は自宅で責任を以てしなさい。」と親に向かって毎度説教(ミッション系で仏教ではない)をしてくれるそうだ。ところが担任の先生方は皆さん凄く親切との事。(年少30人が2組に分かれ、1組に二人ずつ先生がついている)かねて心配のおしめについて聞くと、「おしめはしてこないように指示を受けているので、外して通っている。」との答え。

びっくりして聞き返すと、「お漏らししても、先輩が残してくれた替えの制服がありますので、こちらで着換えさせます。」てな事で至れり尽くせりの対応をしてくれるようだ。又プールにも連れて行くらしいが、最初いきなり園バスに乗せられた時、孫が大泣きしたらしい。どこかに浚われると思ったのだろう。でもその日孫が帰っていうには、「プール、楽しかったよ。」だったとか。

明るいのが一番だが、子供心に親に心配を掛けまいとする気持ちがもう有るのかとびっくり。単語は大分増えているが、文章になる日本語を発するまではまだ相当の日数が必要なのだろう。兎に角昨日は一度も泣かず、ぐずることもなかった。幼稚園の先生についてもっと書きたかったが、長くなりすぎたので省略するが、職業人として改めて尊敬の念を持った。娘親子には退園処分にならないよう頑張ってほしい。

2012年5月19日土曜日

SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)考

一昨日facebookが米国のナスダック市場に株式を上場、同時に新規の株を3000円ほどで公募して、創業わずか6年目で1兆4千億円強の資金を1日で手にしたと報じられている。株式の売買について疎いので間違っているかもしれないが、1日で4億数千万株が買われたと言うことだろうか。今は株券を印刷する必要もないらしいので、会社の経営者からすると濡れ手に粟とでも言うのだろうか。

ただ、売り出しでわっと人気が出たものの1日にして公募価格に戻ったとか、これまで業界のトップにいたgoogle何かと比べると売り上げが金額が低すぎるとか、加えて大手クライアントのクライスラーが広告出稿を取りやめた等、先行きを不安視する声も大分あるようだ。株の事はどうでもいいのだが、この利用者と利用のされ方について予てから不思議に思っている。

利用者は全世界で9億人と言われているが、日本の利用者はまだ400万人程度のものらしい。これが疑問の第一、世界の人口を60億、日本を1億とすれば、千5百万人位の利用者が居てもよさそうだ。それが500万人も満たないうえに、知る限りにおいてfacebookを頻繁に利用している人が殆どいない。自分もそうだが、面白半分に登録だけはしてみたと言う人が殆ど。年齢が年齢なので、知り合いの殆どが同様であろう。

毎日ブログを書いていて思うのだが、アクセスが増えるのは嬉しい気がするし、コメントを書き込んでもらうと嬉しさが大きくなるのも事実だ。ブロガー同士が互いのブログを読んでいるうちに、気心が知れてきて親しくなるのも自然の成り行きだろう。だが、ブログだけで一気に大勢の人を扇動するのは至難の事ではないだろうか。石原都知事が尖閣諸島購入の件で何千人かから何億円集めたとの報道があるが、これも彼が既成メディアを上手く利用したからに他ならない。ネットだけではこの手の扇動は先ず不可能だろう。

ネット(特にSNS)の世界で不特定多数に情報を発信して、数百から良くて千のオーダーでの固定客や固定ファンを獲得すれば大成功ではないかと思う。毎月800円の購読料を払って読んでいるメルマガもあるが、メルマガの発行部数てどのくらいあるのだろうか?1万部を超えるものが果たしてあるかどうかだ。

限られた狭い経験で書いている事なので、意外と的外れかもしれない。昨年来の中東の春と言われる騒動にfacebookが大いに活躍、と言われてもピンとこないのも勿論である。中東エリアはひょっとすると日本と異なり、テレビや新聞と言ったマスメディアが余程貧弱なんだろうかと思ったりするが、どうしても腑に落ちない。日本でもネットメディアの広告費が着実に増えてきつつあるようだ。小生が思うにgoogleに代表される検索エンジンの広告は効果あると思うが、SNSの広告効果についてはどうしても疑問が残ってしまう。

2012年5月18日金曜日

特に何もない

今日の午後、天気予報通りではあるが、又メイストームとなった。太陽が燦々と照っていた青空が、あっという間に真っ黒になって、冷たい風と共に雷が鳴り、どしゃ降りになった。これが又あっという間に晴れてきて太陽が顔を出す。そうこうするうちに今度は地震が来た。震度3だったらしいが結構揺れた。今年の天気は一寸異常だ。天が地上の何かを怒っているのかもしれない。

ひょっとして沖縄の事かもしれぬ。なんて東京の片隅でグチグチ言っても始まらないか。今日は日記を書く気もしない。

2012年5月17日木曜日

読後感「思想の英雄たち」保守の源流をたずねて
 西部 邁 著

「途中で投げ出さず、よく最後まで読み終えた」が偽らざる最初の感想。少し著者について書いておきたい。嘗て著者の講演を1回聞いた事がある。今からちょうど10年前、ブッシュ大統領がアフガン侵攻を開始した翌年にイラク、イラン、北朝鮮を悪の枢軸と名指しして非難していた頃のことである。小柄でちんちくりんの著者が、逆にブッシュを痛烈に批判して、「私もそのうちにCIAに暗殺されるかもしれない」を聞いて、面白いことを言う人だと印象深かった。その後何回かテレビでも観たが、頻繁にはお呼びがかからないようだ。

この本も丁度その頃書かれたものだ。読む気になった理由にも深いものは無く、たまたま著者の本を一度読もうかと書店に行ったら、文庫本ではこれしかなかっただけの事。少し硬すぎるかなとも思ったが、大学の哲学科出身の名誉にかけて購入してしまった。西洋の哲学者(だと思う)15人の考え方と解釈のされ方を200頁以上にわたって解説し、最後に著者自身の考え方を述べて締めくくっている。

紹介されている思想の英雄とはエドマンド・パーク、セーレン・キルケゴール、アレクシス・ド・トックビル、フリードリッヒ・ニーチェ、ヤーコブ・ブルクハルト等々。全員書いても詮無さそうだ。哲学者と言えばデカンショ節に歌われているデカルト、カントぐらいしか名前を聞いたことがないのだから。哲学者と勝手に書いたが、ニーチェのような文学者や中には政治家もいるらしい。

紹介された殆どが、筆者と同じ保守主義を唱えているらしい。保守とか守旧に対する概念に進歩や革新が来るようだ。そもそも人間の存在とか言語、もっと言えば国柄なんてものは全て、歴史から生まれているものだから、それを気安く捨て去るか忘れて、進歩だの革新と言う人は余り出来のよくない人間だと言いたいらしい。著者は学生時代に共産主義者同盟(ブント)のリーダーとしてゲバ棒を振るったらしいので、若い時は対極にいたのだろうと思うが、どこかで気が付いた事なのだろう。

ここに来て読むきっかけを思い出した。憲法記念日のテレビかなにかで、彼が言っていた事「首相公選論や改憲が急にクローズアップされている。特に改憲については使い勝手が悪いと言われた。(相手はみんなの党の国会議員柿沢氏)使い勝手が悪いと言って憲法をそんなに手軽に扱うのは如何なものかだ。現憲法についてはアメリカに押し付けられたと言うが、それも違うだろう。日本人が押し頂いたのだ。」

アメリカ嫌いの著者だから、本音ではちゃぶ台返しをしたいくらいなのだろうが、若い政治家の歴史認識の浅さを咎めての発言である。これを聞いて、本でも読もうと思い立った。同世代でありながら、学生時代に学問らしいことを何もせずに遊び歩いていた自分に思いを致すと、著者の学問深きこと、知見の高さには只々感嘆するしかない。

但し、難しすぎてあまりお薦めできないかも。

2012年5月16日水曜日

浅草レビュー劇団“虎姫一座”

昨日の昼になるが、雨の中浅草まで行って「浅草レビュー劇団“虎姫一座”」の公演を見てきた。先月末筑波山の帰りに下町に住むご同輩の友人と浅草で飲んだ際に、強く勧められていたものである。丁度一日中梅雨のような雨降りで、部屋に閉じ籠っていると気分まで落ち込みそうなので思い立った。普段観劇の趣味は皆無に近いのだが、非常に面白く楽しかった。序でに田原町から浅草寺にかけて一帯の散策もできたし、結果的には充実の半日だった。

今週末には江戸三大祭りの三社祭が始まり、歩くのもままならなくなるだろうが、仲見世通りが修学旅行の生徒で少し混み合っているだけで、浅草寺にもゆっくりお参りできた。本当に久し振りの事だった。
レビューなんてものは中学校のやはり修学旅行で、確か浅草国際劇場と言う劇場と記憶するが、らしきものを見て以来である。同じレビューと言っても昨日のレビューは大分趣が異なる。

先ず劇場がこじんまりした所謂シアターレストラン、客席数は僅か150席、平日の昼14:30からの公演と言うのに8割がたは埋まっていた。演目が「シャボン玉だよ!牛乳石鹸!!」昭和30年代に一世を風靡したテレビ番組から取っているのを見てもお分かりのように、テレビ草創期の日本を振り返りながら当時のヒットメロディーを歌い繋いでいく。観客はほぼ全員がシルバーエイジ、最後に賞品が当たる抽選会があって分かるのだが、結構リピータがいらっしゃる。

出演者は総勢9名(うち男子2名)の若者。ピーナツほど歌唱力があるかどうかは別にして、歌のメドレーは懐かしい。また昔観たレビューとは異なり、動きがダイナミックでテンポもいい。毎週プールでストレッチの真似事に励む身からすると惚れ惚れするようなしなやかさでもある。中ほどに挿入されている木遣り(女性が歌う)と男性の和太鼓の競演は今週末からのお祭りを思い起こさせてくれたし、一寸した感激だった。

因みに、先日弟一家が上京の折浅草に宿を取ったそうだ。改めて正解だろうなと思う。浅草には見どころが多い事を再認識した。婆さんも買い物には浅草が良いようなこと言っている。演劇関係も小屋がこれだけ集中しているのは日本でここだけだろう。道幅は狭くてもニューヨークのブロードウェイを髣髴する。
入場料はワンドリンクを入れて三千円、映画の千円と比較してそんなに高いとは思わない。

YouTubeにびっくりするほどの関連投稿があった。ご用とお急ぎの無い方はたまにはお出かけをお薦めしたい。
http://www.aska-theater.com/torahime.html

2012年5月15日火曜日

少し異なる角度の報道

マスコミ報道をけなしてばかりいるが、こういう記事がある事も紹介しておきたい。何れもネット上で見つけたものである。
5月8日「日刊ゲンダイ」の「切り込み時評」にノンフィクション作家の溝口敦氏が書いた記事。この人はヤクザ社会のドキュメント作家の第一人者で、取材のため深入りしすぎて襲撃された事まである。先日北九州市で起きた元福岡県警警部の銃撃事件について。

<撃たれた元警部は「暴力団捜査のスペシャリスト」、「正義感が強く暴力団に物が言える刑事」、「工藤会捜査に尽力したベテラン警察官」などという情報がさかんに流されている。 しかし、地元警察官の間では、ヤクザや業者と飲み食いして甘い汁を吸っていたという評判がもっぱらだ。工藤会でもその元警部の評判は悪く、よほどあざといマネをしたから撃たれたんやろ、という冷ややかな見方もあるほどだ。>

この記事に出会わない限り「銃撃事件は法治国家日本に対する暴力団の挑戦」をずっと信じ続けていただろう。ヤクザの存在を肯定するつもりもないが、非合法組織、暴力団と一方的に叩かれぱなしの感が無いでもないヤクザ。外国の記者から見ると、構成員の名簿が警察に届けられ、看板を上げて組織の所在を明示している事に違和感を感じるそうだ。外国でマフィアの看板を上げる事はないし、誰がメンバーか分からないから怖いらしい。

次いでフランス大統領選結果からの予想。これは日経ビジネスオンラインだからマスコミ報道とは言えないかも。北海道大学法学研究科准教授の吉田徹さんが語っている。詳しくは下記でどうぞ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120514/231999/?mlp
「成長路線のオランドが当選した、ということはユーロがまた危機に!」との見方は、過激な発言を好むマスメディア向けの商売のネタでしかありません。
フランスの失業率が高いのは新聞テレビが報じる通りようだが、今度の大統領選への投票率とか、フランス国民の政治意識は新聞テレビの報道から受ける印象と随分違う。最後の部分を次に引用しておく。

<「権力の源は希望にある」とは故ミッテラン大統領の言葉です。オランドも「より良く生きる、より良い世界を作ろうとすること」を目指すべきと演説をしています。共同体の運命を握る政治の原点はそこにある。その意識がヨーロッパではずっと変わっていません。入口にあるのは「政治は信頼できないもの」ではなく「政治とは生活に必要不可欠なもの」という、当たり前の感覚です。そこは、我々日本人がうらやましがってもいいポイントかもしれません。>

14日東京新聞1面トップのこの記事も面白い。
<おいしい「年収7千万円」 平均的議員への税金>
残念ながら東京新聞ウェブ版には載っていない。下記で確認できます。
http://www.daichi.gr.jp/diary/diary_top.html

2012年5月14日月曜日

極楽トンボ

今日あるところで質問を受けた。「世界で一番お金持ちの国ってどこだと思いますか?」「アラブの産油国のどこかじゃないの。」と答えたが「そうは言っても、UAEなんかでも結構大変そうじゃありませんか。」と言う。実のところアラブ産油国てどんな国があるか詳らかではない。勿論UAEの何が大変かもよく知らないし、どこがお金持ちかなんて考えたことがなかったので、極めて無責任、いい加減に答えただけだった。

反省しながら考えてみると面白い質問だ。知らないから何とも言えないが、本当のところはどこの国だろう?イラクだって産油国だろうが、国民は大変悲惨な状態にあるし、国家財政が豊かなはずはないだろう。経済大国と言われるアメリカや中国は金持ちかと一瞬思ったが、財政破たん寸前と言われるアメリカなんか、とてもお金持ちには思えない。中国に至っては国にどのくらい隠し財産があるか知れないが、国民一人あたりの所得は我が国の4分の1以下らしい。

その場で二人の意見が一致したのは「世界中で一番のお金持ちは日本国。だから各国が寄ってたかって、日本の富を簒奪しようと狙っている。」である。落語に出てくる熊さん八ッあんの会話みたいものだから、質問も回答も的を射てなくて当然である。最初の設問が国の豊かさにあったとしても、国家と国民も分けた考えねばいけないだろうし。

小さい頃からは想像もできないような豊かさを享受するようになってしまったせいか、誰を見ても「あの人はお金持ちだなぁ」と思わなくなってしまっている。旧友との会合で「あいつの家に行くと、家具と言えばミカン箱ひっくり返したような机一つしかなくてさぁ・・・」なんて昔話が出てくるが、そのあいつなんかも、今やリタイアして郊外に邸宅を構え、ガーデニングに勤しむ毎日らしい。

昔は貧乏で、今も相変わらずの貧乏暮しの友人なんてトント見当たらない。子供時代にお金持ちと羨んでいた友人の家にあった物の典型はピアノだ。今やピアノなんぞ処分に困っている人の方が多いのではないだろうか。どう考えても今の日本はこの世のパラダイス。誰もが緊張感を失い、努力しなくなるのは当たり前だろう。

少し学のある人からすれば荒唐無稽、異論反論する気にもならぬだろう。でも本気で思っているのだから仕方がない。

2012年5月13日日曜日

母の日

今日は母の日。母は1912年の生まれだから生きていれば丁度100歳。残念ながら93歳で2005年の11月に亡くなった。小生は第3子で1940年生まれだから母が28歳の時の子になる。更に3歳下と7歳下の弟がいるので男の子ばかり5人の母親だ。昔は普通だったろうが、現代女性を思うと、いろいろな意味で存在感の大きさには敬服するばかりだ。

おぎゃあと生れて以来18年間、大学に行くまでは毎日が母の監視のもとにあったとも言える。監視とは聞こえが悪いが、言い換えれば庇護又は掌の上と言うべきかもしれない。18年と言えば短いようでもかなりの歳月、我が性格形成に最大の影響を及ぼしてくれたのは間違いない。思い出を書き出せば留まるところが無くなるので、ブログの関係で思いつく事を書く。

我が家では誰にも日記を書く習慣は無かった。従って母の日記なるものを見た記憶はない。しかし読書が好きであったのは間違いない。昭和20年代の田舎町には書店は少ないし、新刊書なんか殆どなかったろう。第一この頃の主婦は家事に忙しくて、読書なんぞするのは一風変わった人種だったのではなかろうか。今でも父の部下たちの間で語り草になっている事がある。

小学校5年生の冬だったと思うが、父の部下数人がスキーにとて志賀高原に連れて行ってくれた。その時一人が「お母さんは何している?」と質問して、小生が『「チャタレー夫人の恋人」を読んでいたよ。』と答えたらしい。そこで皆が大笑いになったが、こちらには理由が分からなかった。記憶も曖昧なのだが、両親の関係者の間では今でもよく話題になる。

戦後のベストセラーを読んでいた母が、文学少女だった証しはもう一つある。国会図書館にも納められているが、祖父が母の妹が早逝したのを悼み、彼女の遺稿集を自家出版した。その編集実務と後書きを書いたのが母だ。1932年、母がまだ20歳の時のこと、後書きは今読んでも立派な文章で感心している。子供たちが大きくなってから、母は謡や書を習っていた。

PCの普及がも少し早ければ、ブログにも手を染めただろうか?
少なくとも小生は、母が亡くなった時からSNSのmixiで日記を書き始めた。

2012年5月12日土曜日

小沢一郎さん 頑張れ!

小沢一郎氏の無罪判決を受けて「よかった、おめでとう」と書こうかと思ったが、それだけでは物足りないので何を加えようかと考えているうちに、指定弁護人側による控訴が決まってしまった。この期に及ぶと「おめでとう」では少しおかしい。余計書きにくくなった。この狭いネット空間で小生の政治的偏見は既に公然の事、この辺りで一言書いておこう。自民党政治塾に通っている甥のY君も賛成するか否かは別にして読んでくれるだろう。

昔はそれほど好きでもなかった小沢氏が、3年以上もいろんな方面から苛められて、最近では政権の座に押し上げてやった同志と言うか、子分と言うと失礼なので後輩達からさえ疎んぜられてくると、反比例して段々好ましく思えてくる。理由の一つは小生の性格、誰しも強い人間に憧れると思うが、中でも大坂夏の陣で孤立化して討ち死にする真田幸村のような悲劇の一匹狼が好きである事。もう一つは些か贔屓目かもしれないが、小沢氏の言っている事が正しいと思うから。それに最近で見る限り、比較的ぶれていないようでもある。

現実の政界は小説ではないのだから、こんな見方は不謹慎だろうが、政治家の発言なんかどこまで本音でどこから虚言か判断の仕様が無いのだから、時代小説を読んで想像を逞しくするのと一緒でもいいだろう。彼の去就に興味津々ではあるが、今は彼の本当の敵が誰か、分かりにくいのが悩みどころだ。検察との全面戦争なんて事についても成程と思った時期があったが、ここまで来るとどうもそればかりでは無さそうだし。

当の小沢氏からすると、多分世の中、分けても政界、官界、司法、マスコミなんかの動きは先の先まで読んでいる事だろう。そして察するにほぼ読み筋通りに展開はしているのだろう。ここからは観客或いは読者としての読みを書かねば面白くあるまい。

大前提みたいものだが、小沢はこれからも刑事被告人となるので急速に求心力を失い、尚且つ選挙を怖がっている、と喧伝されている。これは幸村になぞらえて見ている小生には大いに不満だ。選挙だけを考えているような小沢氏に向かって言うのは、真田幸村に向かって戦を怖がっていると言うのと同じだ。但し政治家ボスの求心力についてはイマイチよく分からない。無罪判決でグループの会合への出席者が増えているという報道もある。

しかし、求心力とは結局ばらまけるお金の量に正比例するのではないだろうか。その意味では、錬金術師なる称号を得ていても、懐が寂しくなってきているのは間違いないだろう。しかしこれも相対的な問題で、小沢氏以上に金を動かせる政治家は果たしてどれだけいるかだ。次の選挙がどんな枠組みでの戦いになるかは分からぬが、勝敗が補給力の強弱によるところは大だろう。小沢氏個人や陸山会が持っているのはあながち不動産だけではない事を期待したい。

問題は周りにいる子分衆の未熟さだ。ここが真田幸村と大いに違う。真田十勇士は作り話にしても、今に名が残る武将には必ず軍師とか○人衆と言われる強烈な側近を従えている。何度も書いたが、小沢氏の場合、金の切れ目がみたい子分ばかりであるのが気になるところだ。

2012年5月11日金曜日

「今、どんなお気持ちですか?」

メジャーリーグに行ったダルビッシュ投手の活躍は素晴らしい。野球にあまり関心を持たなかった小生でさえ、関連するテレビのスポーツ解説を何度も見てしまう。解説者によって説明の仕方はいろいろだが、彼のことを悪く言う人はいないので安心してみることが出来る。マリナーズのイチローは既に偶像的存在で、彼と同じチームでプレーしたいばかりにマリナーズに入団した選手もいるようだ。ダルビッシュも何れそんなカリスマ的存在になるかもしれない。

だが現在のところ、イチローへの挨拶やインタビューは初々しく、素直さに好感が持てる。先日初めて敗戦投手になった時のインタビューも「自分にとっては、ただ一つの負けですよ。」と淡々と答えていた。イチローみたいに成長してくれることを期待したい。迂遠な事から入ったが、今日書きたかったのは報道関係者のインタビューについてだ。何かと言えばタイトルに書いた文句がお定まりみたいになっているが、これが気に入らない。

スポーツ選手へのインタビューは許そうかと思うが、聞かれて本音を吐く選手はどのくらい居るかだ。感謝の言葉より「あ~ビールが飲みたい」とか「早く彼女のところに行きたい」が本音でも、そんな事が言える筈もない。でもスポーツ選手のインタビューは、決まり文句であったにしても腹は立たない。問題は、葬儀場にまで行ってする事件関係者へのインタビューと政治関係によく出てくる街頭インタビューだ。

何時如何なる場合でも、どこの馬の骨か分からに人間に対し、心で思っている事なんか軽々しく口にできますか?少なくとも小生には不可能だ。「小沢さんはこれで潔白になったと言えるでしょうか?」いきなり聞かれて「はい真っ白だと思います。これから大いに頑張ってほしいものです。」とカメラに応える小父さんや小母さんがいたら、その人は余程の小沢ファンだろう。実際はそれに近い発言も拾うのだから、テレビはやらせと言われても仕方がない。

多くの家庭では、テレビを娯楽の一種と位置づけ、ニュースや情報系の番組であっても多少の作為が入ることを許容する向きもあろう。しかし個人によって異なる「多少は許される」の「多少」概念は考えると怖い。嘗て長年番組制作に関わってきた経験から極言すると「テレビ報道は全てがある意味でのやらせ」と言っても差し支えない。ニュース報道でさえ、お定まりのインタビューの挿入で、事実の報道に見えても巧みに制作者の意思が視聴者に刷り込まれる。

活字の場合は視覚から脳に入った情報が一定の意味を持つには、結構複雑なプロセスが必要で、思考能力をある程度刺激するようだ。一方視覚聴覚の両方から同時はいってくる映像情報は、思考プロセス無しに脳みそに格納されるらしい。(うろ覚えだから、非科学的かもしれない事をお断りしておく)食いもの番組にタレントのクイズ番組満載の我が国のテレビ、加えて馬鹿の一つ覚えのインタビュー、せめてこの3つを排除したら良い娯楽メディアだ。

2012年5月10日木曜日

トップの力量

サラリーマン時代の管理職研修で聴いて以来、現在でも相当信じている事がある。「組織は、その頂点に立つ人の能力以上の力は発揮できない」下にどんなに優秀な人間がいても、上に立つ人間が盆暗だと組織の力が発揮できないものらしい。当時は下の下に居て、上に立つ人を腹の中で余り利口でないと思っていたので我が意を得た思いだった。罰が当たって会社を辞める羽目になったが、今でもこの刷り込みは一層深くなっている。

国家は会社組織とは違うが、人間が有機的に関わる事では一種の組織と見たらと思った。首相が社長さん、閣僚が役員、地方の首長は支店長。東京在住でほんの僅かしか納税しない小生は、東京支店の下っ端営業マンと見立てて考えると、サラリーマン時代とポジショニングは大差ない。生まれた時の総理は米内光政さんだが、こんな時を論じても始まらない。サラリーマンとなって納税者になった時は池田勇人さん、以来現在の野田さんで20人目の社長さんにお仕えしたとしよう。

小生から見れば、皆さん優れた方だったと言うことだろう、40年間大過なくささやかな納税を続けさせて頂けた。両親の時代とは異なり、親戚や家族から誰かが強制的に殺し合いの場に引っ張り出されることもなく平和でもあった。以て感謝すべきだと思うし、同様に考える日本人は案外多いかもしれない。池田総理から野田総理まで全ての総理が、日本国憲法に基づく議院内閣制で民主的に選ばれた総理である事は言うまでもない。

従って、戦前の、重臣会議からの奏薦によって天皇が総理を選任する方式が良いと言ったり、北朝鮮や中国の一党独裁が良いと言う心算もなかった。しかし最近は、この民主主義なるものに胡散臭さを感じて困っている。戦前の仕掛けをよく理解しないままではあるが、誰かうんと賢い人がトップを決めた方が、ひょっとしたら日本国(の経営)がうまく回るのではとさえ思えてくる。

歴史は旧憲法下の制度が、現在の北朝鮮同様の軍国主義をもたらしたことを証明しているので、先祖返りは無理だとしても、何か他の知恵は無いのだろうか。政治に携わる殆どの人が民主主義の擁護派だろう。小生のように、国のあらゆることが総理の能力に依存すると単純に考えれば、民の圧倒的多数は利口でないので、民主主義は不都合になる。馬鹿でも大勢集まれば、神の見えざる手によって正しい道が選ばれる、と信じる人がいるらしい。

経済学なんかにも似たような理屈があるらしいが、神の見えざる手なんてインチキ臭い事を信じていいものだろうか?政界を思うに何れの政党でもトップが余りにも軽量化しすぎている。昔から我が国には「実力者は表に出ない」で「トップは軽くてパーが良い。」との風潮がある。特に後者は小沢一郎氏の言だ。この考えは賛成しかねる、何でも軽ければいいと言うものでもあるまい。

2012年5月9日水曜日

当て外れ

元の木阿弥ではないが、仕事を代わってもらった社長が入院してしまったので、已む無く元の仕事に戻る形になってしまった。1週間だけとの約束ではあるが、本当にそうであってほしい。そもそもホームページの更新やメルマガの発行て奴は月末月初に集中する上に、ゴールデンウィーク明けと重なって、今日の午後は滅茶苦茶忙しかった。午前中も8:30から1時間半仕事をして、10時半から脳神経科の診断予約までは入っていた。

ご丁寧にも30分以上も待たされ、診療が終わったのが11時半。昼飯も抜きで12時過ぎから5時までびっしり。今更言っても仕方がないが、他人任せにしていたのでクライアントとの意思疎通を初め段取りが相当悪くなっている。ここで又俺がしゃしゃり出て、クライアントに変な期待を持たれても困るし、悩ましいことだ。

先月末までは暇で困るようなことを言っていたのに、忙しければ忙しいで文句を言っているのだから困ったものだ。よく言えば昔気質か、仕事になるとお鳥目を頂いていないのに、「適当に」と言う風に体が動かない。医者の方も、思いつく検査の限りを尽くして、何も問題が見つからない。なのに無罪放免と言ってくれない。来月もう一回来てくれと言っている。もう何回も通って、どこも具合が悪くないのに、何を企んでいるのやら。

もう1回は行くのはいいが、薬を処方と言ったら丁重にお断りするつもりだ。

2012年5月8日火曜日

あゝ、民主主義

昨日のフランスやギリシャの選挙結果を見る限り、民主主義の行き着く先に懸念を覚えざるを得ない。EUに於いてメッケル、サルコジが提携してリードしてきた経済政策が、正しい選択であったか否かは全く分からないが、緊縮政策である程度の負担を市民に求める以上、市民の多数に不人気であったことは容易に想像できる。民主主義は最終的に、政策を選挙で市民の選択に委ねる。選挙は数の論理のみが唯一の合理性で、政策の科学的、論理的合理性や倫理とは無関係だ。当然ながら結果は最初から予想された通りだ。

少なくとも世界中の投資家はメッケル、サルコジ路線の方が益しと考えているようで、株価が下がり通貨は円高に振れていくらしい。フランス人やギリシャ人の多くが小生と同じ怠け者揃いだとは思えないが、洋の東西を問わず誰だって国家財政より個人の家計を重要視するだろう。外国の事でもあり、行きつく先がどうなるか分からないし、日本への影響がなんかとんと見当もつかない。

行きつく先と書いたが、先日旅行用に溜めていた郵便貯金の話になった。毎年孫をスキーに連れて行ったりするために積み溜めていたものが40万円ほどある。ところが今年から孫がスキーに行かなくなった。冗談で「もうこれから収入が無くなるから、この貯金があるうちにハワイにでも遊びに行ってみるか。」と言って「なんて馬鹿なこと言ってるの、収入が無くなるから少しでも無駄遣いはしないようにしよう、と言うのが当たり前でしょう。」怒られたばかり。

しかし実際のところ、いつ死ぬか分からない高齢者になっている身としては、数年先のことなんか知った事かと思わないでもない。世の中こんな不届き者ばかりではないだろうが、昨日のフランス、ギリシャの選挙結果を見る限り民主主義の行きつく先はバラ色ばかりではなさそうだ。似たような場面が来た時、真面目で働き者が多く、お上に従順である日本の場合はどうなるのだろう?消費税問題も時期は兎も角、税率アップに反対しているのは共産党だけだから、様子は大分違うのかもしれない。

日本人は賢くて、民主主義もいい塩梅に機能していると考えれば結構な事だ。しかし、僅か10年ほど前の小泉人気にあやかった郵政改革や現在の大阪市長の橋下人気を思うと、やはり我が国に於いても民主主義は愚か者の人気者への迎合によるもので、政治を拙い方向に引っ張ってしまうものではと心配になってくる(衆愚政治と言うらしい)。

そんな流れを食い止めるために、賢い人が木鐸となって警鐘乱打するなら有難いが、マイナーメディアでは小沢氏の検審議決に関し、一部司法官僚と大マスコミがグルになって司法制度の根幹を揺るがすような陰謀を計ったとも報じられている。マスコミは大騒ぎをしていないが、田代検事などが委員会に提出した捜査報告書は明確な意図を持った犯罪だと言いう人もいる。

一体民主主義とはなんだったのだろう。

2012年5月7日月曜日

メイストーム

5月のイメージとしては「新緑」「五月晴れ」「薫風」等があって、清々しく爽やか季節との思い込みがある。昨日の朝はそんな気分でいたが、午後になると一天俄かにかき曇り、凄まじい雷と共に豪雨と強風が唸りを上げて怖いくらいだった。それがまた1時間程だったろうか、あっという間に収まり、さっきまでの天気が嘘のような爽やかな青空に戻る不思議な空模様だった。

夜になってニュースを見ると、1週間前に訪れたばかりの筑波市で、日本には珍しい大型の竜巻が吹き荒れ、大変な被害が出ている。昨日のブログのコメントに「メイストーム」という言葉を頂いた。確かに聞いた事はあるが、意味も知らないので使ったことがなかった。そこで調べてみると、和製英語で「日本においてその名の通り4月後半から5月にかけて、主に温帯低気圧の急速な発達により大風が吹く気象現象のこと。」とある。

連休後半に多発した山の遭難事故や昨日の竜巻は、もともと我が国では当たり前の自然現象らしい。ブログへのコメントによると、似たような事故は何十年も前から何度も繰り返されているようだ。この事実が記憶にないのか知らなかったのかは定かでない。日本が特に自然災害の多い国であるかどうかも知らない。地震は世界の1割が集中と言うし、これからは梅雨末期の集中豪雨、夏の雷、秋の台風、冬の豪雪と次々に新たな災難が降りかかってくるのだろう。

いい加減にしてくれと言っても、相手が自然現象だからどうにもならない。日本人の宗教心が一種の諦観に根差しているような気がするのは、このような自然環境と大いに関係があると思う。自慢にはならぬが、自分も諦めがいい方なので、ふと考えた。それが自然環境と個人の関係に留まらず、社会関係に発展すると「長いものには巻かれろ」になりかねない。この延長線上に政治的無関心が出てきてしまうのではないだろうか。

欧米にも「長いものには巻かれろ」同様の俚諺があるかは知らない。今年は諸外国で大きな選挙があり、今日はフランスで30数年ぶりに現職大統領が敗れたそうだ。欧米のメディア環境など知らないので何とも言えないが、我が国には、マスコミも自然現象と同じで抗しきれないと思っている人間が多すぎる。確かにまともに喧嘩して勝てる相手ではない。しかし天災と同じで、ある程度の距離を取る必要がある。

昨日のコメントを読んで感心した勢いで書いたが、少し牽強付会に過ぎた。

2012年5月6日日曜日

自戒を込めて

昨日の日記のタイトルを「他人事ではない」としたばかりだが、今日も同じタイトルにしようか思ってしまった。一昨日から昨日にかけて北アルプスで、同世代の方が大勢遭難して亡くなられた。単独行は爺が岳の62歳の女性だけだが、グループ登山でも白馬岳では6人全員死亡という痛ましい事故になっている。他には涸沢岳でもグループが遭難して一人亡くなっている。白馬岳の事故以外は詳細が分からない。

4日午後から山は大荒れだったらしいので、遭難はもっとたくさん発生している可能性がある。詳しく知りたいが、報道された、白馬岳の遭難について感想を書いておきたい。遭難したのは北九州のお医者さんのグループで63歳から78歳の6人、リーダーが75歳とのことだ。4日朝5:30麓の栂池を出発、その日のうちに白馬山頂を経由して、夕方17時迄には白馬山荘に到着予定だったらしい。

17時を回っても山荘に到着しないので、山荘から自宅に連絡が行ったのだろう。夜には捜索願が出たようだが、翌5日の午前8時には小蓮華山頂付近で登山客に発見されるも、全員集合状態で、一人も息は無かったようだ。全員低体温症にて死亡と発表された。同時に着衣についての発表もあり、全員夏山用の軽装であった。やや非難めいて報道されている。しかし映像を見る限り、発見現場にはピッケルが残されているのが確認できる。冬山装備ではないか、ザックの中身が知りたい。

以下は推測である。先ず、このグループメンバーはリーダーは勿論だろうが、相当なベテラン揃いであったに違いない。海外登山の経験者も多いようだし、この時期に北九州から態々奥信濃に来るだけでも生半可な人間には思いつかない話だ。まして栂池から1日で白馬山荘迄と予定を組むのも、かなり自信が無ければできないだろう。比較にならないが、小生如きなら夏山でも2日コースである。

恐らく全員ではないかも知らぬが、殆どの人が何回も経験のある道だったのだろう。夏場と違ってごつごつした岩場で時間も取られずに、直登が可能だからとて、コースタイムを普段より短めに見積もったかのせいもあったのでは。午前中は快晴だったらしいから、軽装でいたのも分からないでもない。遭難現場に何時間で辿り着いたかが分からないが、ツエルトを持っている人が一人もいなかったが不思議だ。天気が良くても、立ち止まると急速に体が冷えるのは常識。

まして殆ど全員お医者さん稼業であれば、猶更よく分かっていたろうに。山には魔物が棲むと言う。魔が差したとしか思えない。ゴールデンウィーク中はどこの山小屋も臨時営業をする。山小屋が営業をすればシーズン到来と勘違いする人も出るのはやむを得ない。今回遭難した人たちがそうであったとは思わないが。合掌

2012年5月5日土曜日

他人ごとではない

久し振りにやっと五月晴れとなった。街は子供連れで賑わっている。暇なので古い録画を漫然と見ながら過ごしていたら、代を譲った新社長が相談があると言って訪ねてきた。相談とは来週だけ以前のようにサポートの仕事をしてほしいとのこと。理由は医者から、来週1週間検査入院を薦められたらしい。少し詳しく聞くと、先週インフルエンザに罹り通院、一旦それは完治した筈が、今日再診の結果腎臓と肝臓の数値が異常らしい。医者が検査入院をしろと言っているそうだ。

「こちらは問題ないから、すぐに医者の言う通りにしろ。」
「俺も腎臓に問題を抱えているのでよく分かる。五体どこにも問題が無いなんて人間は少ない。問題個所を早く特定して、そこを意識しカバーをしながらの生活リズムを早期に確立しなければいけない。大事に使えば人間の身体は意外に長持ちするものと思っている。」
「兎に角、医者の言う事を軽く考えてはいけない。」
医者ではないが、言っている事に大きな間違いはないと思う。

即座に答えて入院を決心させた。思えば自分も若い頃は、暴飲暴食不規則な生活で身体を粗末に扱っていた。彼もこれを機会に健康の有難さに気が付き、自身の生活の何を改善すべきかを発見することを切に願う。身体のマネジメントばかりは傍からいくら言っても駄目、自分で気付くしかない。

2012年5月4日金曜日

読後感「不愉快な現実」孫先享著

<中国の大国化、米国の戦略転換>と副題がついている。論理的に整理されているので、大学の政治学か何かの教科書のようだ。目から鱗の事柄が多い。日本人は本来知的水準が高い国民であることを認めながらも、これまで「米国と一体であれば栄える」というキャッチフレーズに乗せられて知的怠慢の中にあった。指摘されてみるとその通りだろう。この本を読む以前の認識を少し書いておこう。

中国が大国化と言っても、GDPが日本を抜いたのは人口が多いから当然で、国民全体の生活水準が我が国や先進国並みになるのは未だ相当先の話。貧富の差は激しいようだし、一党独裁で国民を押さえつけているが、国民の不満がいつ爆発するか知れたものではない。軍事力については、兵隊の数が多くても技術的にはアメリカにはとても及ばないだろう。

尖閣諸島でウロチョロしても、こちらがその気になって海上自衛隊でも出動すれば簡単に排除できるだろうし、大騒ぎになれば日米同盟があるからアメリカがバックアップしてくれる筈。中国政府は現行の体制を守るのが精一杯で、嘗てのソ連のように実質的にアメリカに対峙できるよう内政を整えるのは先の先のことだろう。似たように考えている人も多いのではと思うが、如何に自分が夜郎自大であったか、ものを知らないと言うことは恐ろしいことだ。以下に本文から少し抜書きをする。

<中国は共産党一党支配の独裁国家である。だがしかし、問題は中国の政策が国益にかなっているか否かである。>確かのその通りだ。更に一党独裁を中国国民がどのように受け止めているかについて統計で示している。一党独裁であっても国民に満足できる政策を実行している限り、政府に対する不満は大きくならないとしている。そして次のようにも言っている

<今日、日中でどちらの政治指導者が、それぞれの環境を前提とした中で、それぞれの国を正しい方向に導く能力を有しているか。残念ながら、「日本の政策の方が中国より国益に合致した政策である」と言えない。>
<中国政府はいつかの時点で国政の指導者を選挙で選ぶ選挙制度の導入をせざるを得ない。現在ロシアでプーチンが政党「統一ロシア」を基盤に置きつつ、実質的には独裁体制を維持している。これを考えると、中国共産党が選挙制度を導入した後に独裁体制を維持するのはさして難しくはない。>

何れも尤もな事ばかり、軍事力の分析も分かりやすく、アメリカの核の傘が意味をなさない事、アメリカが中国をどれほど重視し、日本へのスタンスを変えつつあるか。環境変化に鈍感な日本の政治家と学者にメディア。紛争が起こる時、当事国双方に必ず紛争を煽るグループと冷静なグループが存在するらしい。日本は前者がどうしても多数になりがち。少し長くなってしまうが、また引用を記述する。

<日本人は外国への関心が異常に低い。一流紙とされる新聞の国際面が如何に貧弱であるかを知る人は少ない。このことは、日本の対外政策を「競走【対立】」に持っていく傾向に繋がる。我々日本人は自分たちを好戦的な民族と見做していない。しかし外交・安全保障問題では「自身への関心」が高く、「他者への関心」が低い。他のどの国よりもその傾向が高いかもしれない。自分では意識していないかもしれないが、実態は大変好戦的状況にある。>

<尖閣諸島については日中に棚上げする合意がある。この方式は日本側に実効支配を認めている。棚上げに合意している間に中国が軍事力を行使しないことを暗に約束している。日本にとって有利な合意である。にも拘らず日本の政治家、学者、マスコミは「棚上げ方式が日本にとって有利であることを忘れ、自国の主張を確実なものとする手段が正しいとみなしつつある。尖閣諸島を日本の国内法だけで処理することを貫けば、何時の日か、これを自国領と見做している中国も国内法で処理すると主張し始める。そして武力で威嚇が始まる。そうなるとどちらが強いかで決着がつく。軍事力で劣る日本にはなすすべもない。>

安くて薄い新書だから大勢の方にお薦めしたい。都知事が読んだらなんて反論するか聞いてみたいものだ。



2012年5月3日木曜日

小人閑居して 妄想

5月の連休としては珍しい天気、昨夜から雨が強く降った。尤も5日も晴天が続いていたので、一休みするにはちょうどいい具合と思う一人だ。そうでない人もいて、相変わらず高速道路は混雑、バス旅行者が減る様子もない。雨天ぐらいでは折角立てた計画を変更できないとする人が多いのだろう。几帳面なものだ。これ以上悲惨な交通事故が起きない事を切に願いたい。

日本は国全体が半分居眠りしている感があるが、海外にはゴールデンウィークなんてないだろう。だから政治家がこの時期海外に出たがるのは仕方がない。総理のアメリカ訪問や前原政調会長のロシア訪問にどんな意図があるのか、凡人には分かりにくい。何でも民主党政権になって2年半も経つのに、アメリカ大統領と総理のまともな会見は初めてだそうだ。日米同盟強化を目指す共同声明も発表され、野田さんは日米関係が再構築できたと自画自賛のようだが、何で今更それが必要なんだろう。

政調会長のロシア訪問はもっと分からない。先月だったか、領土問題の話し合いを進めるために、森元総理を特使として派遣の意向との報道が新聞にも出たような気がするが、あの話はどこ行ってしまったのだろう?しかも与党とは言え一政党の政調会長が、政府を無視したかどうかは知らぬが、ロシアの外務大臣とそれこそ国家の一大事を話をするために、なんでしゃしゃり出なきゃならないだろう。

二人は、開催中の国会で命を賭けて通すとしている法案が、党内で強い抵抗に会って頓挫しかかっている。とても他の事を考えている陽気ではあるまい。それともアメリカの得意とする裏工作を内々頼んだりしたのだろうか。ロシアでは先にウロチョロした鳩山氏の瑕疵でも探し出すつもりだったのだろうか。まさかそんな下品な事はないだろうが、そんな事まで勘ぐりたくなるほど必然性が見えてこない。アメリカの対応もどこかおざなりと言うか不自然に見えるが、専門家からの指摘は無い。

現在アメリカは中国との対応で頭の中が一杯の筈。野田総理のご接待もそこそこに大統領はアフガンへ、国務長官は中国へ。特に中国の人権活動家を巡るやり取りは、はた目にも双方が非常に緊張しているように見える。対日本はおざなりと書いたが、アメリカからすると日本をまるで問題視していないのではないか。将棋で言うところ手駒の歩みたいもので、こちらが何を言おうが、いざとなればどうにでもなると思われているような気がしてならない。

舐められるのは勿論こちらに責任がある。外務官僚が2年半も苦労してやっと段取りをつけたのだろうが、総理の方から「申し訳ないが、とても今そちらを訪問できる状態にないので、会談を延期してほしい。」と言ったらどういう事になったのだろう。俺だったらそうするけどなぁ、その方が国内で余程実りある仕事が見つかったろうに、と勝手に空想してほくそ笑んでいる。

2012年5月2日水曜日

映画感想「スーパーチューズデイ」

ネット上で元外務官僚の孫先享が推薦していたので上映館をネットで探した。アメリカでの公開が昨年10月、日本は3月31日となっているが5月1日現在都内での上映館はたった2館だけ。そのうちの一つが丸の内のピカデリーだったが、それも18時55分からの1回だけ。夕食を一人で外食は気が進まなかったが、我慢して有楽町でとんかつを食べてから観に行った。

この作品を制作・監督・主演をしているジョージ・クルーニーは勿論以前から知ってはいた。少し話が逸れるが、彼が最近政治的なアクションをして(3月16日ワシントンのスーダン大使館前で抗議活動中、議員、人権活動家、宗教指導者らとともに逮捕された。)逮捕されたことを含めての事。日本で反原発運動に関わった俳優山本太郎氏への社会的評との間に大きな違いがある。アメリカではジョージ・クルーニーが芸能界から干されるなんて事があろう筈もない。

アメリカの日本に対する政治的関わりは好きになれないところが多々あるが、アメリカ人が個人意思を尊重する点は見倣う必要があるだろう。理由も問わずただ警察に逮捕されただけで、芸能界から追放するなんて正気の沙汰ではないように思う。我が国は司法を絶対視するあまりか、逮捕と聞いただけで、メディアが騒ぎ関係者がビビってしまう。山本氏を英雄視する必要はないだろうが、困ったものだ。

本題に戻ってこの映画、今年は丁度大統領選の年で、野党共和党の候補者選びが終盤に入ってきていることもあり、非常に面白かった。アメリカ映画の邦題は感心しないものが多いが、大統領候補予備選の要の日を意味する「スーパーチューズデイ」は極めて分かりやすい。内容の詳細を書けないが、野党(民主党との設定)有力候補とその選挙スタッフが演じる虚々実々の駆け引き。いや、駆け引きは勿論描かれるが、勝ち抜くためには兎に角何でもアリの選挙戦の裏側を抉っている。

アメリカが高く掲げる民主主義がどのように形成されていくか、日本の選挙と根本に於いてはそう変わらないと思っていいのかどうか。政治家の表の顔を作り上げるスタッフチーム、これを観て羨ましいと思わず、俺と同じだと思える政治家はいるだろうか?いるとすれば小沢一郎ぐらいではないかな。
政治家の表の顔がスタッフの協力で作り上げられていくのは日本も同じだろう。

そして政治家個人にもスタッフ一人一人にもそれぞれの人生と価値観が存在する。これも同じだろうが、日本とアメリカでは道徳とか公徳心、宗教観などの社会的背景は、冒頭にに記したようなことを含め大きな差がある。この映画は「裏切り」が大きなテーマになっている。日本の民主党マニフェストは国民に対する大きな裏切りとの声もあるが、これでは映画はできない。労働問題、医療問題など彼我の違いを随所に教えてもらった。

2012年5月1日火曜日

予想外の休日

この連休中に1度くらいは山歩きをしないといけない、と妙な強迫観念があって、日曜日に決心して、昨日筑波山に行ってきた。自宅からの距離が近く、交通の便もつくばエクスプレスの開通で格段に便利になり、あまり神経質に予定をたてなくても大丈夫との前提だ。それでも念のためと思って、前日バス会社に電話をしてみると「つくば駅から登山口までのバスは朝8時から30分おきに出ているが、ゴールデンウィークとあって渋滞が激しく、今日なんぞは50分予定が3時間近くかかった便もありました。」とのこと。

そんな巡りあわせになったら、麓の温泉にでも入ってくればいい。軽い気持ちで出掛けたところ、幸いバスも順調に進み、家を7時半頃出て、筑波神社脇の登山口から10時15分には登り始めることが出来た。天気は土曜日曜日程の晴天ではなく、見晴らしもイマイチではあったが、一先ずはハイキング日和だったと言えるかもしれない。ほぼ1時間半で山頂に到着。あまりの混雑なので、どこか腰を下ろす場所を見つけようと、降りの行列に並ぶと電話が鳴っている。

まさか自分宛ての電話とは思わないので、知らぬ顔をしていると、周囲の人がこちらを咎める目つきで見ているのに気が付いた。慌てて列を外れてリュックの中から携帯を取り出すと、先日知り合ったばかりの人からの着信記録が残っている。何事ならんとこちらからかけ直すと、「先日の話の続きを今日もしよかったら、浅草あたりでしませんか?」確かに筑波山は近いので、このまま帰れば相当早い帰宅になってしまう。夕飯まで済ませて帰宅となれば婆さんも喜ぶだろうし、先日の初対面で何となくウマの合う人だ。浅草も面白そうなので、OKと返事をした。

筑波山には二つの峰があるのでもう一方の峰を回り朝とは別の登山口に下山。1時半のバスで帰路について、4時前には浅草に到着。交番で銭湯を教えてもらって入浴して汗を流し、彼とはロキシ前で待ち合わせて、前回同様明るいうちから新仲見世通りに近い飲み屋街(全店が露店に店を張り出している)の一軒に飛び込み、ビール焼酎に日本酒と一通りのコースをこなして談論。
主に政治マスメディアの堕落をネタにして盛り上がった。これらの話題は夫婦間では兎も角、他人様とは怖くて話がしずらいが、彼とは不思議なくらい波長が合って楽しかった。

自分にとって予想外の一日だった事もあるが、筑波山は子供連れの客が多すぎると思う程、子供が多かった。ディズニーランドなんかに行くより本物の危険を体験させるのもいいのかも知らないが、どんなものかなと思わないでもない。もう一つは浅草に外国人の多い事、昨年の311直後は波が引くみたいに減ったらしいが、外国に来たような感じさえする浅草だった。