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どうぞよい年を

いよいよ大晦日だ。今年は経営を代わってもらった会社の仕事が全くなくなって、消滅してしまったこともあり、悔やみを言いだせば切りがない。経営を引き受けてくれた青年は文句も言わずに笑って済ませてくれたが、切り捨てる側にいた若い人達の考え方については、こちら側の年齢故か知れぬが非常な相違を感じたのも事実だ。しかし考えてみると、企業経営の効率化とか競争原理は世間一般の風潮で、たまたまこちらが市場からの退場を求められる側になっていたと言うことだろう。

一方にこのような零細弱小企業があれば、対極に位置する企業があって、経済が成り立っている。その結果日本に好景気の気が沸き起こったとすれば結構ではないか。個人的には社会から弾き飛ばされても、少しばかりの個人ストックと社会保障のお陰で飢え死にするようなことはない。しかしこのような競争社会の影響を被る若い人たちはどうなるのか?総理は「私を見習って再チャレンジしろ」と言いたいのだろうが、その環境を整える政策を真剣に考えているとは思えないのが不安だ。

昔、「空気の研究」で山本七平氏が大戦への突入を、戦前の軍国主義で醸成された空気のせいと指摘した。戦えば負けるとの理性的判断を無視して、多くの国民が、知らず知らずにその場の空気に寄り添う行動を取ってしまった結果である。戦争をおっぱじめた第一の責任は、戦争を指導した政治家や軍人かもしれぬが、空気に同調した国民の大多数にも責任が無いとは言えないだろう。空気に流されやすいのが人間の性とすれば仕方ないのかもしれぬが、今現在日本に漂い始めている空気は喜ぶべきものなのか、憂うべきか。

今日の日経新聞はこう報じている。『「株高41年ぶり、円安34年ぶり… 歴史的値動きの1年 」東証で30日開いた大納会には、現職の首相として初めて安倍晋三首相も出席。「経済はマイナスからプラスに大きく転じた」と指摘、「来年もアベノミクスは買いだ」と強調した。』経済が良くなれば全ては上手く行くとの空気は間違いなく膨らみつつある。経済の好転にケチをつけるつもりは毛頭ないが、戦前軍国主義が拡大した背景にも、最初は一流国家としての経済力が着いてきた自信があった。

しかし軍国主義が蔓延するころには、世界的な大恐慌が襲い、日本も深刻な格差社会が始まった。結果は知っての通りであるが、現代の様相に軍国主義復活の萌芽を危惧する人も少なくない。政権…

年の瀬の決まりごと

門松の準備が始まる頃になると、我が町では「火の用心の夜回り」が始まる。今年も夜8時を回る頃になるとカチン・カチンと拍子木の音に続いて「火の用心」が聞こえる季節になったが、何故か拍子木の音にせよ掛け声が弱々しい。不思議に思っていたら婆さんが教えてくれた。喧しいと苦情を言う人がいるので意気が上がらないらしい。昔は子供が駆り出されて廻った記憶があるが、近年大都会の学習に勤しむ子供たちにはそんな雑事に患う暇はないらしい。

爺様たちがやっているのだから、1杯引っ掛けて景気よくやってもらった方が地域の為になるのに可哀そうとのこと。戸主であるにも拘らず地域のボランティアに一切参加しないので、代わりを婆さんが勤めているが、流石に夜回りは免除されているみたいだ。年末の恒例行事も年を追うごとに変わっていくのは仕方ないことなんだろう。信州の出身なので、年末は正に冬籠り準備の総仕上げといった印象が強い。

今は昔と比べると嘘のように便利になってしまったので、薪炭を物置などに積み上げることも無く、漬物や餅を蓄える必要もない。信州であっても人間の住むところには100%近く舗装道路が完備し、あらゆる食品が揃う大型店が街の中や郊外に立ち並んでいる。冬になると雪に閉ざされてアクセス不能になる人はごく限られているだろう。そんなことを考えると、我が町の夜回りの不必要を唱える人の気持ちも分からなくはない。きっと近い将来、来年あたりには無くなってしまう運命かもしれぬ。

人は頭を使って、科学技術による利便性を追求してきた。昔は冬場で燃料や食料を失って亡くなる人がいたに違いないが、現代は社会インフラ整備が進み、輸送手段の格段の向上でそういった心配は殆ど無い筈である。代わりに電車や自動車を利用していても、天候の悪化で事故が多発して亡くなる人が出る。仕方ないことかもしれぬが皮肉なものだ。どんなに知恵を出したつもりでも、人間の力はたかが知れているのかもしれぬ。所詮は短い命で、結局は無に帰すのが定めだろう。

短い現世を何とか無事に済ませたいと、年に1度厚かましくも神仏に願う季節である。日本人以外にも同じ風習があるかは知らぬが、我々ほど厚かましい願いをするのはあまり聞かないようにも思う。仏教は仏徒が勝手に思うことが即ち教義の便利さがあるようで、現世利益を約束してくれる宗派もあるようだ。キリスト教やイスラム教にはそんな便利…

言葉の力

今朝婆さんが言った。「最近ニュースで報じられる政治家の発言は教育上宜しくない。マニフェスト違反とか公約に無いことなんて難しいことじゃない。誰が聞いても嘘だと分かることを喋って、恬として恥じないことでもない。それに引き換え、最近の若いアスリートの発言は子供たちがとても参考とすべきものだ。」何を言いたいかと聞いて成程と思った。

スポーツ選手は常にファンあっての自分であること意識して、インタビューを受ける際は必ず「ファンの皆様の声援のお陰とか、力で・・・」とかを枕に持ってくる。アスリートが手にする栄冠は一に掛かって個人の努力の賜物だが、それ以前に自分の存在が誰に支えられているかよく知っている。引き換えに政治家を見てごらんなさい。彼等こそ選挙民にへこへこ頭を下げて、1票を投じて貰えたからその地位にいられる訳でしょう。

それがバッジを着けた瞬間に綺麗に忘れ、俄かに上から目線になって、己の考えが全て正しいと錯覚し始める。仲井間知事の140万県民を代表してを意識したのかどうか、とんでもなく失礼な話で、心の根本が腐っているので教育上問題と言うことらしい。言われてみればそうかもしれない。参考までにもう一度よく見てごらんなさいと言われたので、少し古い映像を検索した。

一昨年のプロ野球開幕戦、震災のために遅れて2011年4月29日となったKスタ宮城での嶋基宏嶋選手会長の名スピーチである。先日の全日本フィギュア選手会後のオリンピック出場選手発表時にも感じたが、スポーツ観戦をするファンと選手の気持ちの繋がりには感心することが多い。嶋選手のスピーチ後半を再現してみたい。これは開幕戦を勝利で飾った勝利投手田中将大の後で発したもので、リアルタイムでは見ていなかった。

「・・・何のために僕たちは闘うのか、ハッキリしました。
この1カ月半で分かったことがあります。それは誰かのために戦える人間は強いということです。
東北の皆さん、絶対に乗り越えましょうこの時を。
絶対に勝ち抜きましょうこの時を。
今この時を乗り越えた先には、もっと強い自分と未来が待っているはずです。絶対に見せましょう、東北の底力を。
本日はありがとうございました。」
http://www.youtube.com/watch?v=EoX5usejKB4

ワンフレーズごとに湧き起こる歓声がもの凄い。定評ある小泉純一郎氏の演説への歓声も凄か…

住んでみた日本

少なくとも池袋の街はすっかりお正月休みモードである。プールもガラガラだし街を歩く人が極端に減った。東京に住む人の如何に多くが出稼ぎモードであるかが分かるような気がする。でも例年より1日早い冬休みを利用して、故郷に帰るのは日本人の良いところだ。景気を反映してか、海外旅行に出かける人も多いようだが、それはそれで結構だろう。「絆」と言う変な流行言葉があるが、血の繋がりを大切にする心だけは大事にしたい。

朝テレビで面白い番組をやっていた。普通は政治家やら新聞社の編集委員やらが出演して、分かったようなことを偉そうに言う時間の筈だが、そんなものより遥かに面白い。日本に住む外国人の街頭インタビューを網羅したもので、服装などから類推するに1年かけて取り溜めたようだ。質問も多様で、街角で答える外国人は若そうな人が多く、流暢に日本語で答えているところからすると、一定期間滞在している人を中心に選んでいるようだ。

もちろん日本が嫌いと言う人はいない。食いものは美味いし、観るところも沢山あって文化的にも進んでいる。聞いていて少し気恥しいが、休日の朝に悪い気がしない。但し、彼等には不思議なことが沢山ありそうだ。思わず笑えたのは漢字の話。中にインタビュアーに向かって「ラクダを漢字で書けますか?」聞き返した青年がいた。聞かれたのはテレビ局のアナウサーだったと思うが、書けなくて、逆に漢字を教わる立場に。この青年は日本人女性と結婚しているらしく、次に子供の名前を漢字で書いて示していた。

この青年とは別人だったと思うが、漢字は音読みに訓読みがあり、覚えるのが大変だが面白い。更にそのどちらでもないのがあるのも不思議です。例えば「今日」はどうすれば「きょう」と読めるのでしょう。「明日」は明るい人ばかりでないと思うのですが、明るい日が「あした」も日本ならではです。言われてみるとご尤もだ。明るい明日は安倍総理に仲井間知事さんとその取り巻きだけよ、と大笑いしてしまった。

在日7年目で自らサラリーマンと名乗ったドイツの青年「会社で会議を開く時、全ての議題は既に結論が決まっているのが日本。そのために私は常に根回し役をしています。気持ちの通訳です。」ひょっとすると車屋か薬屋か、社内公用語が英語であれドイツ語であれ、たった7年で見事に我が国の特質を理解していて微笑ましいが、この慣習を権力者が恣意的に濫用し始めると碌なこ…

無神経の度し難さ

年末なので散髪に行った。頭長から後頭かけては砂漠のオアシス程度にしか毛髪が無いので、そのまばらな毛が不揃いの伸びかたをするので余計みっともない。どうしても月に一度は散髪せざるを得ない。池袋に行けば千円のクイックサービスがあるのだが、40年近く通っている床屋が事務所の向かいで、毎朝のように挨拶を交わしていると他店には行きにくい。それでも最近は丸刈りに近く、鋏をほとんど使わずにバリカン中心なので、一時よりやや安い3千3百円で仕上げてくれる。

夏は散髪するとすっきりするが、今はとてもじゃないが寒さが頭と首筋から余計にしみ込んでくる。山用やスキー用の帽子も持ってはいるが、平日はスーツ姿でもないのに何故か被る気にならない。つまらぬ拘りの一例だ。既に小中学校は冬休みに入ったのだろう、ランドセルを背負った児童姿のが朝の景色から消えている。多方の人は今日で仕事納めの筈、サンデー毎日なので納める仕事も無いし慰労しあう同僚もいない。

幸い昨夜は気の合う友人が誘ってくれて忘年会を開くことが出来たので、これを以て今年の締めくくりを無事済ませたことにする。友人は齢はそんなに変わらないのにまだ元気に働いている。「私が政権を担当したら、現在の年金制度をチャラにして年金給付開始年齢を80歳に引き上げたい。あんたも困るだろうが、五体満足なのだから働きゃいいのだ。」実に説得力のある説教を食らってしまった。序でに「来年はあんたに仕事をさせてあげる。」との有難きお言葉、沖縄県知事同様良い正月になるかもしれない。

彼が本当に言いたかったのは、民主党政権時代の年金改革に対する不満だったようだ。当時社会保険庁を廃止したように恰好だけはつけたが、事が消えた問題に矮小化されて、なんら本質的な改革にならなかった。改革の名のもと役人を焼け太りさせていることが多すぎる。それやこれやで毎度のお話の中で、景気の現状についても面白い話を聞かせてくれた。マスコミ批判で、今年の暮れは少し景気が良いような報道が多いが、全くのインチキ(仕込)報道とのこと。

彼の友人が勤務するヨーロッパの高級ブランドショップでは、プチ高級品の売れ行きが伸びているなんて事実は全く無いそうで、むしろ売り上げ計画が未達なりそうとのこと。下町の飲み屋の女将さんも、帰りに拾ったタクシーのドライバーも景気回復の実感を否定して、社会上層部にすり寄るマスコミ報道を非…

電力エネルギーの話

高校同期生100名強で構成しているグループメールに参加している。最近ネットワークの利便性の裏に存在する社会的ネットワークの有害性が問題になっていることとも関係あるのだろう。以下の告知が出ている。「2014年5月28日(水)午後3時(予定)を持ちましてYahoo!グループはサービスを終了させていただきます。」多分残念がっている人が多いことだろう。我々の場合も、同期生の結束が強いので、同窓会関係の連絡には重宝していたので残念である。

もう何年も利用してきたが、終わり間近な今になって、このメールのやり取りで同期生委の意見を二分する論争が始まった。きっかけは、ある友人がソーラー発電に力を入れている桶川市に視察に赴いたことをグループに発信したことにある。彼は長野市在住の元銀行員で完全な事務系だが、リタイアしてからは、環境問題に関心を持って地域活動していることを少し前から発信していた。それを読んだ別の友人、彼は完全な技術系の出身でIT産業の草分け的企業人で、リタイアして専らネット投資を楽しんでいて、企業活動と経済問題は得意分野である、がソーラーは原発の代替になりえないと反論を書いたのだ。

そしたら、同じ大学の同じ学部の出身で、やはり1部上場企業出身の技術者(完全リタイアメント)が反論の反論を書いた。それにつられたのか、日を追って何人もの意見が掲載され始めている。何れも高学歴の上に社会経験も豊かなので、社会問題になっている社会的ネットワークの、言論による集中攻撃とは全く異なるバトルで、それぞれが確信的に堂々の論陣を張っているので、実に興味深く読んでいる。小生も一家言を持って参戦したいと考えているが、知見レベルが低いので躊躇いを感じてしまっているところである。

エネルギー問題は国家の大事であることに違いはない。靖国神社に戦没軍人を慰霊する暇があれば、政府高官にも我が同期生と同じくらい真剣に意見を交わして、知見を積み上げる努力でもしてほしいくらいである。同様に我が家にとっても大事なことであることに気がついた。と言うのは今日が東電の検針日で、郵便受けに使用料のお知らせが投げ込まれていたからである。つい数日前、隣の洋食屋で500円の昼定食ビーフシチュウ(これが又美味いのだ)を食いながら、店の親爺の愚痴を聞いたばかり。

「500円の昼飯を売って電気代にもならないだろう」(1日に客が20人…

義理を欠いて映画を見に行った

年末になると年賀状を書かなければいけないと知りつつ、ここ数年はパソコンでお手軽に作った年賀状に、宛名書きもパソコンソフトで済ませ、暫く机の上に載せて、誰に何を書き添えようかと思いながら今日に至ってしまった。時間が無いわけでもなく、下らぬことをする時間はあるのに、肝心のせねばならぬことをさぼっているだけのことだ。

結局どの人にもひと筆も付け加えること無しに投函してしまった。ここ1週間以上60通の年賀状書きで四苦八苦している婆さんから「そんな年賀状なんか出さない方がましよ。」怒られている。言われなくても分かっているので、いっそ年賀状自体を止めてみるのも一つの考えかとも思うのだが、なかなかそこまで踏み切れない。

中途半端、優柔不断の極みで自分でも情けない。読者の中にも受け取られる方がおられと思うので、予めお詫びしておきます。こういった悪いことになると思い切りがいいのが困った性格だ。朝一で年賀状を投函して、カレンダーを来年分に掛けなおし、燃えるごみの日なので古いカレンダーをゴミとして処分すると、急に気分がすっきりした。

気分が良いので久しぶりに映画を見に出かけた。多分今年2回目ではないかと思う。中高生時代、元日の夜に両親公認で映画を見に行くことが許されていた。
一寸その時に似た晴々した気分で、朝から日比谷に出かけ、10:10上映開始の「鑑定士と顔のない依頼人」を観ようと10時前に映画館に着くと、既に長蛇の列。外にいる係員が「残り30席ほどで満席になります」と叫んでいる。

平日の朝っぱらから暇老人が、ここにもこんなにいるとは思わなかった。僥倖を頼りに列に着いたが、案の定あと5、6人のところで満席となってしまった。このまま帰るのも癪なので、他の映画館を覗くと10時半の上映開始でトム・ハンクス主演の「キャプテン・フィリップス」があった。これも大分宣伝しているので良いかなと思って、こちらを見ることにした。

トム・ハンクスもフォレスト・ガンプの頃に比べると随分年取ったようで、デブの小父さんになっていたが好い役者だ。ソマリア沖で海賊船に襲われたアメリカ貨物船の船長の役だが、実話に基づいた話のようだ。確か日本もこの近辺に自衛艦を出していたのではないだろうかと思いつつ観たが、帰って調べると、陸海自衛隊に海上保安庁まで協力して2009年から現在までずーっと派遣が続いている。

映画の話は正に…

危なっかしいことばかり

先週17日だから既に1週間前のことになるが、内閣が外交・安全保障の基本方針となる国家安全保障戦略(NSS)を初めて策定し、これを支える防衛大綱中期防衛力整備計画と共に閣議決定した。との報道があった。今度の内閣は横文字が好きなようで、NSSの他にNSCなんてものもある。どのくらいの国民がこの横文字を必要とし、また理解できているのだろうか。

報道の中に、NSSは「国際協調主義に基づく積極的平和主義」を基本理念に掲げ、愛国心に関する条項として「我が国と郷土を愛する心を養う」という表現を盛り込んだ。とあったので一度見てやろうと思っていたところ、昨日の南スーダン国連PKO派遣自衛隊から同じ派遣韓国軍への機関銃弾提供の話が飛び出した。天皇誕生日で、陛下の憲法を遵守して平和を願う思いに、胸熱くなる思いもあった。似たような感じを持った国民も少なくない筈の目出度い日に、政府は何を考えているのだろう。

とても国民の意を戴しての決断には思えないが、国民がこの政府を選んだのも事実で、憲法に定められた行為の範疇であれば、誰にも阻止は出来ないのだろう。婆さんは頭から湯気を立てんばかりに怒っている。先週の火曜日の発表の際、気になっていたのは「愛国心」云々の件で、いつかはブログでイチャモンを書こうと思っていたので、今日はそのNSSなるものを読んでみた。

普段役人が書いた文章を読んだことはないが、読みもしないで文句を言ってはいけないから仕方ない。先ずこの方針は、今後10年程度に亘り外交や安全保障戦略の基本とすべく位置づけられている。A4版32ページの読み物だが、安倍政権が強調するお題目「積極的平和主義」「戦略的外交」を正当化するために昨今のニュース解説を寄せ集めたつまらないものだ。

先ずは、日本が平和で発展していることを、恰も自分の手柄の如く誇らしげに述べている。後はお定まりの「安全保障環境の一層の厳しさと、複雑かつ 重大な国家安全保障上の課題」即ち中国と北朝鮮を悪玉にして、沖縄をある程度犠牲にしてもアメリカには協力せざるを得ないことを説得したいらしい。そして最後に「社会的基盤の強化」国家安全保障を身近な問題として捉え、その重要性や複雑性を深く認識することが重要なので、愛国心教育が必要との論法である。

子供じゃあるまいし冗談でしょう、主権のありよう主義や主張の違う国と喧嘩をしないように、上手に付き…

一陽来復

今日は冬至、半年先の夏至の頃に比べると5時間近く日が短いらしい。朝の6時でも暗いし、日中は陽が射していても風が強くて寒い。今日は相応しい天気かもしれぬ。この日に柚子湯に入ったり南瓜を食べる理由は分からないが、冬至を祝う習慣は古来から世界中にあるようだ。確かに今日がどん底で、明日から日も長くなるし運気も変わると思えば、誰でも祝杯でも上げたくなるだろう。小生も本日は気分だけでも、一陽来復にあやかりたい。

来福でなくて来復だから若さを取り戻すと言うことかな。寒い中プールに行って一人で考えた。何故か今日はプールが空いていた。寒くて出不精になる人が多いのか、年末で忙しいのか、理由は様々だろう。寒さだけであれば、こちらも相当寒さには弱い。むしろ寒いの嫌で、湯治場に行くようなつもりでプールに行く意味もあるのだから、来ない方が損のようにも思う。秋ごろまではプールに入る際、ヒヤッとした感じがあったが、最近は最初にぬるま湯に入ったような感じがする。

プールの監視役のお兄さんに水温を聞いたら、水温が30.8℃、室内温度が30℃だった。差が無いに等しいのだが、そんな感じがするのは何故だろうか?物理が得意の人に解説して頂けるとありがたい。丁度2時間くらい泳いだり歩いたりストレッチをしたりして、締めくくりにミストサウナで大量の汗を出すと身体が程よく暖まる。寒風吹きさらしのなかを30分ほど歩いて帰ってくるのが気持ち良い。多分に健康的だと思うのだが、面白いもので、似たようなことを毎日の習慣にしているご同輩が、風邪を引いたようで調子が悪そうだ。

昨日は来ず、今日は来るには来ていたが、酷い風邪声である。プールに入らずストレッチとミストサウナだけで早々に引き揚げていった。小生同様、普段はパソコンに向かっていることが多いと聞いているので、明日は我が身とならぬようにしなければいけない。しかし、俺だったらあんなに酷い状態でプールへなんか先ず来ないだろう。奥さんが居ないと聞いているが、どんな生活をして何を考えているのか、他人様の考えることは想像できない。

年末と言えば、仕事をしている頃はやたらと忙しかった。、役所絡みの仕事も多かったので、毎晩のように予算関係の情報取りと、担当者への差し入れ。11月下旬からだったろうか、お歳暮のチェックや年賀状のチェック。いろんな人との忘年会もこなさなければならない。29日頃政…

テーマ不足

明後日はもう冬至、1日が短い。先月から今月にかけて暫く乾燥した状態が続いていたが、今週の後半から雨が降り始め今日で3日目になる。その割には肌のヒリヒリした感じが直らない。冬は夏と違って、雨が降っても何となく乾燥しているような感じだ。雨は仕方がないが、明日からは寒気の流れ込みに風が加わるそうだ。タイヤのコマーシャルで志賀高原の冬景色が流れた。懐かしくは思ってもスキーに出かけるまでには至らない。

昨シーズンもスキーを履いたのはたった1日半だけ。少し元気を出さないと、今シーズンも似たようなことになりかねない。先日の同窓会で、年末にスキーに行くと言っていた友人が数人いたが、元気を羨ましく思う。小生の場合行くとなるといつも一人なので、何時でも行ける便利さの反面、エイ!と決断する必要がある。これが面倒くさくなってくるのも年齢のせいだろう。規則正しい生活リズムに乗っている方が楽なのだ。

このところブログの種に窮して、猪瀬氏の問題を2日に亘って書いてしまった。直近の問題を取り上げるのは、なるべくしない方が良いとは知りつつも、マスコミの尻馬に乗った形で、少し反省すべきだと思っていた。そしたら今日、関連して興味深い意見を発見した。現代は思ったことをすぐ喋る人間が増えている。インターネットのツイッタ-とかラインなんかが典型的な例で、これが付和雷同を増幅して、結果的にいじめ等に結びついている。

まだ、一般の日本人がインターネットやパソコンにつながっていなかった時代には、思うこととしゃべることの間には、当事者が特に自制するまでもなく一定の時間差があった。言われてみるとその通りで、神輿担ぎの掛け声でもあるまいに、ある種の声が脳に入った途端に、間もおかず応ずる声に碌なものはあり得ないだろう。何かを思うことと、それを表現することの間にはしかるべき時間が必要であるとのこと。

頭の中で考えたことを、その場ですべて声に出して良いのは、幼児と独裁者だけだ。ふつうの人間は、自制しなければならない。と書かれていた。インターネットによるコミュニケーションの到達範囲はとてつもなく広がっていることを自覚し、自分が責任持てる意見になっているかどうかを、強く意識する必要があることを痛感する。結論的には益々ブログの種に窮するが仕方あるまい。

猪瀬都知事辞任会見を観て

東京にも初雪予報が出されていたが、結局は雪にならず冷たい雨が降り続いた。昨日は何故か身体を動かすのが億劫になって、習慣にすると決心したつもりの昼のウォーキングをさぼってしまった。こんな時に限って昼飯をいつもよりしっかり食べたりして、厭な性格だ。反動があったせいか、今日は午前中から小雨の降りそぼる中を1万歩をしっかり歩いて納得した。やはり身体は日常的にある程度動かすことが精神的にも良さそうだ。

精神的には爽やかでも適当なブログのテーマが思い浮かぶものではない。
朝から外出してしまったので、事務所でゆっくりニュースやメルマガをチェックする暇が無かった。夕方帰って、午前中行われた都知事の辞任会見をパソコンでチェックした。猪瀬氏も昨日までと打って変わって随分爽やかな顔で応対をしている。記者との応答で「政治家としてアマチュアだった」をしきりに強調している。

ご本人は謙虚さで言っているお積もりのようだし、プロ政治家石原慎太郎氏の操り人形だったことをはしなくも露呈しても、その方が都民の同情を得られると思っておいでのようだ。しかし400万人を超える都民はまさかアマチュア政治家とは思っていなかったろう。少なくとも猪瀬氏が抱えるスタッフや副知事の経験を含め、十分プロとして通用すると思って投票に及んでいた筈だ。この発言を投票した人たちがどのように受け止めるか伺ってみたいものだ。

前回の選挙で、私は確か「鈴木寛氏(民主党)」の名前を書いたように記憶するが、彼の方が政治家としての経験からすると少しプロに近かったかもしれない。しかし民主党員と言うだけでも限りなくアマチュアに近いので、彼が当選したとしても、遅かれ早かれ似たような運命になったかもしれない。私にはアマチュアが何故いけないのか理解できない。

そもそもプロの政治家なんて聞くと昨日のブログに書いた通り、嘘をつくことに何らためらいを感じない人間のように思えて全く信用できない。確かにアマチュアが行政のトップに立つと、嘗ての美濃部都知事や田中長野県知事みたいに、わりと早い時期にプロ政治家側から総攻撃を受けて失脚している。今日の記者会見でも、最後の方でTBSの記者が質問した。「徳洲会マネーは政界に広くばら撒かれているのは衆知のことですが、知事一人が糾弾されたことについてどう思われますか?」

彼は「この1か月何を考えていたか?」と余計な枕を並べた…

嘘つき

この怪しげなブログも、見知らぬ方が読んでくださっている可能性は十分ある。友人知人ばかりであれば笑って済ましてもらえることでも、知らない方はまともに受け止められるだろうから、余りいい加減な事を書いてはいけないと多少自覚はしている。なるべく自分で見たこと考えたこと、個人的な思いを書いていれば、何か問題が起きても自己責任で処理がつくので、そうしてきたつもりでもある。

それでも他人に迷惑な事を書いて、婆さんにこっぴどく怒られて全文削除をしたこともある。婆さんに言わせると、それにも懲りずに書くのだから救いようがないそうだ。しかし当方としては、それ以来書き方にはかなり注意して、なるべく余計な事を書かないように気を使っているつもり。但し、毒の無いことばかりではこちらのストレス解消にならない。思いの丈のどこまで書くかは微妙なところだが、嘘だけは書かないつもりである。

嘘をついたことは1度も無いと言い切れるほど偉くはない。そもそもが職業広告屋である。宣伝広告の類を丸々信じる人はいないだろうし、普通の感覚からすれば、若干でも真実があれば良しとしたものだろう。広告に莫大なカネを投じているスポンサー側も勿論承知のことで、広告には測定して数値化することが難しいが、効果があることだけは分かっている。広告屋の言うことなど殆ど信用していないが、長年培ったビジネス経験から広告を止める訳にいかない仕掛けになっている。

まるきり狐と狸の化かし合いの世界で40年近く営業してきたわけである。これを俗に虚業と言うのだろう。それで身に着いたのが「都合の悪いことを言わない」手法。これも一種の虚偽であるのは違いないが、嘘を言うのに比べると精神的に大分楽である。それでも知っていることを言わないのも結構つらい。余計なことを知らないのが精神衛生には一番いいのだが、広告屋ともなるとそうはいかない。何でも知っていると思ってもらわないことには、広告なんか売れるものではない。

そんな経験を踏まえて世の中を見ていて思うことがある。例えばオリンピック招致委員会の最終プレゼンでの都知事や総理の演説。裏ではきっと広告屋が大活躍の筈で、相当念入りな仕込がされているのだろう。質問を含め、かなり巧妙に舞台回しが出来ていた。誰もが嘘を言わない原則を崩さないよう配慮されていたように思う。しかしプレゼンターとなった知事や総理にその意識がどの程度あ…

日銀短観発表

昨日発表された日銀短観(第159回全国企業短期経済観測調査)によると、日本の景気は4期連続して改善され、大企業だけではなく中小企業の業況判断が21年ぶりに非製造業も含めプラスに転じた。と報道されている。ニュース映像は勿論それに見合う形となって、デパートでも高級品からプチ高級品の売り上げが伸びてきているとか、若いカップルが「収入が増えたので一寸贅沢をしたい」なんて言っている。

マンション等の不動産も売れ行きが順調のようだし、飲食店のテナントが減っていた商業ビルも、交際費課税見直しの動きにつれて埋まり始めているそうだ。
たまたま昼間用事で銀座に出向いたら、築地に事務所を構える友人も言っていた。民主党政権下で灯が消えた状態だった築地の高級料亭の前には、毎晩黒塗りのハイヤーが横付けされ、完全に何かが息を吹き返している。官房長官も、景気の回復が徐々に地方に及び始めたと仰っている。

株価も比較的高い水準を維持しているようだし、輸出も好調、車は国内でも売れ行きが良いらしい。このように書いてみると、昨日見たり聞いたりした話は結構なことばかりではないか。残念なのは我が身に当てはまることが一つもないことだ。婆さんは不貞腐って「そんなの3月までのことよ。4月から消費税が上がるから見ていなさい。野菜なんかの買回り品の値上がりが半端じゃないんだから。この灯油だって1950円もしているのよ。」

「一般的に見て、給料がそんなによくなっている筈はありっこない。」娘二人も主婦だし、親戚や友人を含めて婆さんの情報ネットワークは普段から恐るべき広がりを持っている。今は師走の半ばで、お歳暮のお礼やら、喪中はがきを貰ってのお悔みやら、情報交換の機会がより増えるシーズンでもある。長電話を駆使した婆さんの景気観測は、なかなか厳しいものがある。一方こちらは、年金暮らしで、特にしたい事や買いたいものが無いのを幸い、倹約を旨とした生活に馴染んでいる。

たまに会話を交わす相手も殆どこちらと似たような浮世離れしている連中なので、景気の動向なんかは話題になり難い。まぁ、娘の家族のことなど考えると日銀短観を信じてやりたいのだが、連れ合いの言うことにも一理あるかもしれぬなんて思ったりして。

実は先日高校同窓会で聞いた講演の中で、超電導の研究では日本随一とされる北澤宏一先生が面白い事を仰っていた。曰く「経てものはですね、科学計…

年の瀬や 水の流れと 人の身は 其角

60歳代後半からは12月も半ばを過ぎるといつも虚しさを感じてしまう。「今年も何もせずに終わるなぁ」も考えてみれば当たり前の話で、人間にはそう多くのことが出来る筈も無い。普通に3度の飯を食って生きているだけでも有難いと思うべきかもしれない。70歳を過ぎれば古来稀としたものだから、身体特に五感の衰えを自覚して、過去を悔やんだり来年のことなど考えない境地に至りたいと思うのだが、なかなかそうはいかない。

不満を抱いて年を越すのは感心しないので、今年し遂げたことで満足すべきことを探してみた。先ず大した病気をしなかったことだ。一時腰の調子が随分悪くて密かに心配もし、それなりに気を付けたせいか、最近は快適とはいかないまでも、存外調子が悪くない。来年も1日1万歩目標の歩行を続けてみたい。2番目はやはり山歩きだ。今年で3年目になるが年間10回の山歩きも達成できた。毎年恒例になったが、首都圏の里山から始めて、トップシーズンには3千メートル級の山を縦走し、11月末に又近隣の山で締めくくることが出来た。
但し、来年は回数を減らして里山歩きをメインにするつもり。

3番目は出雲大社にお参りしたことかな。4番目は読書、読後感をチェックしてみると19冊の本について書いている。勿論読後感を書く気にならない本も少しはあるが、それにしても読書量もずいぶん減ったものだ。しかも印象に深く残ったと言えるものが少ないのも少し残念だが、20冊近くの本を読んだことだけでも良しとしよう。どうせ来年はもっと少なくなるに決まっているのだから。

残るところはこのブログしかない。今のところ読み返す気も起きないが、回数だけ見ると、昨日で既に292回になっている。昨年の276回を既にオーバーしている。来年も多分書き続けることになるだろうが、果たしてどんな事を書いたものやらだ。

1日は、若くてエネルギッシュに動けても年をとっても24時間。若い時でも1日に5時間は睡眠をとらねばなるまい。まして昨今は、昼間の居眠りを勘定に入れなくても1日8時間は布団の中にいないと身体が持たないと思っている。従って意識して使える時間は16時間。その中6時間ぐらいは、食事やウォーキングとブログ書きで使い方が決まっていると考えてよさそうだ。残る時間に何をするかだが、1日10時間は微妙な時間ではないか。やろうと思えば相当なことが出来そうだが、結局冒頭にに書…

高校同窓会

昨日は午後から東京長高金鵄会と称する高校の同窓会があった。銀座のホテルに10期も先輩の大長老から40期下の若者まで総勢140人近く集まって賑やかなことだった。カラオケは行かないがこの時ばかり校歌と信濃の国の斉唱に加わるのが楽しみである。きっと皆同じ思いだろう、音量が凄まじい。こちらの調子は大分外れているだろうが誰も文句を言わないので気持ちが良い。

いつものことだが、懇親会に入る前に必ず同窓生の文化講演がある。これがいつもまた大きな楽しみで、今回は娘と同じくらいの若い政治学者で慶応大学の先生でテーマは「政官関係と人材育成―近代から現代へ、長野から東京へ」明治維新以降、日本の骨格を作った人たちがどんな教育を受けたかについて、相当念入りに研究されているようだ。明日以降、彼の書いた本でも本屋に探し行こうと思っている。

もう一つあって、こちらは3期下の学者と元官僚と元福岡高裁長官といずれも税金で高禄を食んだ偉いさん達。共通のテーマが「日本の知的財産戦略を語る」。一見する限りつまらなそうだが、意外と面白い。民間だけが日本の経済を引っ張っていて、官僚は規制することで自ら甘い汁を吸っている。と考える向きが多いと思うが、今度の講演を聴くと官僚も捨てたものだはなさそうである。まだ緒に就いたばかりのようではあるが、アイディアそのものがお金を生むことについては相当後進国みたいだ。

日本人は民も官も、研究をお金にするには製品開発しかないと思ってきた節がある。ips細胞の中山教授がテレビで喋っているのを聞いたことがある。アメリカの研究機関の周辺には、生物医学に知識も博士号クラスのビジネスマネージメントの専門家がわんさと寄ってくるシステムになっているらしい。従ってips細胞を生かしたビジネスモデルが日本で開発される頃には、莫大な特許料を欧米に支払うような結果にままなるのだそうだ。

官僚だけでこれを防戦することは難しいだろうが、官が民に対してビジネスを促進できる環境を徐々に整えることは可能だろう。人からコンクリートも結構だが、ソフトパワーを本当に理解できる優秀な人が現在の政官界にどれほどいるかがこれからの問題であろう。その最先端に母校の後輩たちが頑張っているとすれば母校は捨てたものではない。しかも同期生が図らずもかどうか知らぬが、力を合わせたと言うことが珍しい。

自分もそうであるが、大体信州人に…

日本が右傾化かな?

朝食を食いながら昨日清水寺で書かれた今年の漢字「輪」の話になった。「あなたの漢字は何?」と聞かれてすかさず「沈」と答えた。煙と同じで馬鹿は高いところが好きなのに「沈」とはこれ如何にだ。自己分析すれば、やはり仕事が無くなり社会参加している実感が無いことが余程精神に響いているのだろう。
兎に角誰か他人の役に立つことをしていないと気が済まないとは、我ながら実に素晴らしい人格ではないか。

他人に道を聞かれて教えてあげる、駅の階段でベビーカーを持ってあげるとか、他人が喜ぶのを見ると、その日は気分が良くなる。じゃぁボランティアをすればいいじゃないか、とよく人から言われるが、どうもその気にはなれない。社会への参加=社会貢献は基本的に対価が伴わないと嫌なのだ。生まれと育ちのせいで根が賤しいのかな。

道筋の一寸した親切とか同窓会の幹事をするのとはわけが違う。勝手な理屈であまり賛同してくれる人がいるとも思えないが、共同募金の赤い羽根なんかも好きではない。少しお臍の曲がった爺が水底に沈んで潮流の流れを感じ、上を仰いで水面に波立ち騒ぐのを想像しながら書いているブログとご承知願いたい。

それにつけても最近思うのは今年1年、日本の潮流が大きく方向変換していることである。船乗り用語で言うところの「面舵一杯」急速に右側に舵を取ることであるが、何で急にこんなことになったのか。石原前都知事のように青嵐会なんて勇ましい名前のグループを立ち上げたような人達であれば分からぬでもないが、安倍首相、石破幹事長のようにお若い方たちが何でだろう、と藪から棒の思いである。

言ってみれば軍隊なんて目の当たりにしたことも無い人たちが、何故軍隊を持ちたいなんて思うのか。まさか軍事国家を目指す訳でもなかろうが、北朝鮮の親玉が軍事法廷での裁判を経て叔父を処刑したと今朝報道された。たまたまこの報道を聞いて思ったのは、やはり自衛隊は自衛隊のママが良いということ。実質軍隊なのだからどっちでも良いじゃないか、とも思ったりした時もある。しかし、軍と名がつくと必ず自衛隊法は軍法となり、やがて軍法裁判に結びつくことになるだろう。

今朝の会話も漢字に続いたのはこれだ。「安倍さんや石破さんたちも何を考えているか分からないけど、天に唾して北朝鮮の張成沢氏のようにならなければいいね。」「自分たちが作った法律で、自ら処刑された例は我が国の歴史でも珍…

南アフリカ:マンデラ元大統領の国葬

10日に行われた南アフリカ元大統領の国葬に日本から皇太子殿下と福田元総理が参列された。世界各国から100人を超える首脳クラスが参列したそうで、日本と最も関係深いアメリカからは現職のオバマ大統領夫妻の他に3人の元大統領が参列した。共和党のブッシュ氏、民主党のカーター氏ともう一人は確認できなかったが、キッシンジャー氏の姿も見たような気がする。南アフリカと日本の関係について詳しくはないが、在住経験のある複数の友人から聞いている限りでは、鉱物資源の豊かさなどからして決して無視できる国ではなさそうだ。

南アの国葬に関してはマスコミはさらっと流すだけで、総理が行かなかった理由について触れることも無く、まして非難めいた報道は一切ない。マンデラ氏について多くは知らないが、正にノーベル平和賞受賞に値する偉大な人道主義者だったと思う。日本との経済関係が有ろうと無かろうと、政治家ならば民主的国家建設を目指す同志の一人として共感を持って当り前であろう。盛大な葬儀になったのは、世界にはそのように考える政治家が非常に多いことに他ならない。

日本人にとって葬儀が最大の義理掛けであるのは誰も知っていることである。普段村八分になっている家でさえ、葬儀には村人全員が駆けつけるのである。安倍総理の考えや行動には理解できないことが多いが、この件に関しては本当に理解できない。オバマ氏やキャメロン首相に会えるだけでも喜びそうな彼が、敢えて参列を辞めて福田氏に譲ったのは如何なる理由だろうか?10日の首相動静を改めて確認しても、国会が終わってホッとする様子は確認できるが、その日に総理が国内にいなければならない特段の理由は何も無さそうである。

人種差別については関心の薄い国柄の故か、関係性が薄い国と見たか、何れにしても総理は自分で出向くほどのことはないと決めた訳だ。このことは個人的見解と判断が別れるところだから仕方ない。問いたいのは、メディアの対応である。1社や2社は小生と同じ違和感を持ってほしいのだが、こちらのセンスが余程常識離れしているのだろうか、関連する記事は何処にも見当たらない。

圧倒的多数を要する国会審議で勝ち続ける与党自民党に公明党。余裕の総理がゴルフをしようと座禅を組もうと勝手だが、マスコミまで弛んでしまったのでは庶民は救われない。平和の党、庶民の味方と称する公明党のありようはこれで善いのだろうか。…

読後感「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」門田隆将著

約1年前に発売された時から、いつかは読まなければいけないと思いながら、やっと読むことが出来た。主人公の吉田昌朗氏は残念ながら今年の7月9日に亡くなられてしまった。死因は食道癌と公表されている。著者門田氏はその約1年前に闘病中の吉田氏に4時間に亘るインタビューをして、この作品を書いている。両氏とも吉田氏に死期が迫っていることは十分承知しながらのことであったに違いない。

書名からして主人公が吉田氏であると思うのは当然だが、実はそうではない。主人公はあの311東北大地震と大津波に襲われた、東京電力福島第一発電所そのものと見るのが正しいように思う。登場する人物も所長の吉田氏は勿論だが、主役は彼一人ではなく、当時現場にいた約600人の従業員、協力会社員に加え救助に駆け付けた多くの人が登場する。

それが著者の力量なのだろうが、原発サイトそのものを主役として、書き起こしは戦時中そこに置かれた陸軍航空隊の飛行場と、後にサイトに勤務することになる重要な原発運転員の少年時代をを描いている。ノンフィクションだから多分事実と思いたいが、特攻の訓練基地であったかのような書き方になっている。伏線に陸軍や特攻隊を持ってきたのは何故だろうか。

読後初めて理解が出来るようになるのだが、ここでも書名にある500日との乖離があり、実際に描かれているのは3月11日から約1週間のことである。著者が吉田氏にインタビューできたのが地震発生後500日目だったのだろう。
しかしこの1週間に起きた出来事は、本当に生死を掛けた戦争によく似たものだったようだ。これまで生の映像や関連記事、事故報告書等を読むことでイメージしていたものとは全く異なるシーンが脳裏に焼き付いた。

例えると、硫黄島での栗林中将の最後の闘いを描いた「散るぞ悲しき」を読んだ時と同じような迫力がある。硫黄島は飛んでくる砲弾であるが、原発サイトの放射能は隙間が無いだけに砲弾以上に恐ろしいものだ。勿論現場の人間はその恐ろしさについて十分承知しているが、無知とは恐ろしいもので、私自身は認識が無かったのが事実。多分マスコミ報道が自主規制していた節もありそうだが、多くの国民は今でもあまり認識はないだろう。

今度の事故と過去の戦争に共通するのは、現地の事情に対する認識のずれである。戦争で言えば大本営の参謀本部、事故の場合は東電本社や官邸であろう。そこにどんなに優秀…

安倍内閣とマスコミのお友達関係

日曜日で臨時国会も終わり、昨日は総理の記者会見があったようだが外で忘年会をしていたので見ることは出来なかった。別に残念でもないし見たかったわけでもない。我が家の解説員も殆どスルーしてしまったようで、特筆すべき点は何も無いようだ。相変わらず聞き取り難い話し方ではあったのだろうが、日本語の用法も特に間違いはなかったようで、役人が書いた下書きを十分読みこむ予習効果があったらしいの一言だけだった。

念のため少しネットで確認すると『「この国会は、成長戦略の実行力が問われる国会である」、国会の冒頭、私はそのように申し上げました。 「成長戦略実行国会」と呼ぶに相応しい国会となったと思います。 』と仰ったらしい。勿論枕に『特定秘密保護法案がばかりが注目されましたが、』とは言っているが少し厚かましいのではないだろうか。所信表明で全く言及しなかった安全保障関連法案審議に何故か力点を置かざるを得なかった事実を思えば、内心相当忸怩たる思いではあろう。

ある意味では同情もしたくなる。フリージャーナリストの上杉隆氏のメルマガに書いてあった記事の方が興味深い。氏はやや反語的(褒め殺し?)な意味もあるのだろうが、「確かに見事な国会運営だった。衆参合わせて100時間にも満たない審議時間で成立させた特定秘密保護法、それだけではない。そのウラで一気に押し進めた「カジノ(IR)法案」の提出(継続審議)、武器輸出三原則の見直し(自公合意)など、これまで、いかなる政権でも成し得なかった政治課題を次々と進ませたのだ。」と書いている。

氏が言わんとしていることは、「 政治ジャーナリズムの敗北」とタイトルを振っているのだが、官邸が恰も赤子の手をひねるようにマスコミを操縦したことを非難しているのである。これには全く同感である。一応、言論の自由を守れとかなんとか恰好だけはつけているが、新聞社上層部が消費税課税を免除してほしいからかどうか知らぬが、政府に阿っているのは見え見えである。小泉発言なんかも似ているところがあって、言うだけなら誰でも言える。

メディアが本気で廃案に追い込む気があるなら、もっと別の道がありそうだ。テレビなんかで顔の売れた古手の記者や解説員に会見なんかさせたりしても、所詮アリバイ造りにしか見えない。民主党政権時代に、総理や幹事長を辞職に追い込んだ時の勢いが全く感じられないではないか。その意味において…

大人の玩具

小生にとっての一番の玩具はパソコンに他ならない。終日パソコンを弄って遊んでいる日が多い。最も時間が掛かるのが何と言ってもネット囲碁、多い時は1日に5局以上(多分4時間以上になる筈)に及ぶことさえある。目には悪いだろうし、マウスを掴みぱなしなので右手や右肩の感覚がおかしくなる時さえある。変に脳みそも使うので、頭に血が上って脳梗塞でも起こさなければいいがとも思うのだが、どうも素直にやめられない。

連れ合いの婆さんにとって最大の玩具は電話ではなかろうか。小生自身も携帯電話を持つようになって既に10数年は経つが、そんなに使用頻度は高くないし、電話の用事は1、2分で大体終わる。引き換えに、婆さんの電話ときたら1時間以上になることが屡らしい。最近は歳暮のやり取りのシーズンなので、やたらと電話の用事が多いらしい。電話は居間にしかないので、昨夜も「食事が終わったら早いとこ自分の部屋に引っ込んでくれ。」と催促されてしまった。

長電話を楽しむのだそうだ。自分で言っているのだから世話はない。先日の同窓会の折も友人が同じようなことを言っていた。男の電話は大概「これこれの件で、これこれだから宜しく頼む。」「よし、分かった。」で済むケースが多い。しかし女房の電話と来た日には「もしもし、今何している?」から始まり何を話しているのかさっぱり分からない。挙句の果てに「じゃあ、またね。」と電話を切った後になって肝心の要件を伝えていなかったことに気が付くことまであるそうだ。

小生のネット囲碁と同じで、電話での会話そのものが大いなるレジャーなんであろう。同席していた同級生、昔可愛かったお嬢さんが解説してくれた。何処も同じで、殆どの女性には会話を交わすこと自体が楽しみなんだから内容は全く問わないの。内容に余り意味が無い点ではこちらの囲碁とよく似ている。亭主の悪口と昨日の食事やおかずの話、共通の知人の悪口が定番らしいが、どれもさしたる意味は持たないようだ。

それでも延々と途切れることなく会話は続くものらしい。習慣化しているこのブログも下らないと言えばそれまでだが、これから出かけなくてはならないので、知りつつ下らぬ文章を書いた。

昼飯屋の親爺の話

今日の昼飯は事務所の隣にある洋食屋でハンバーグランチ。親爺が一人で切り盛りしている店だが、昔池袋西口にあった大きな洋食店に長年勤めていただけに、結構美味いものを安く出してくれる。年齢は聞いたことが無いが多分同年輩だろう。土日も休まず店を開けるが、何故か開店が大体12時半頃なので、平日はめったに行かない。今日もプールから帰ってくると未だ開店の準備中、「おはよう」と挨拶だけして「後で来るからいつものハンバーグランチね。」と注文を先にして、一旦事務所に上がって、こちらも事務所を立ち上げて12時半過ぎに顔を出すと、丁度いい塩梅に昼飯が用意されていた。

650円のランチだが、ハンバーグは既製品とは違い、親爺が合いびきの肉を手で捏ねて造る。繋ぎの食パンの量が微妙で、これが一つの自慢らしい。焼き立てに特製のデミグラソースが掛かり、付け合せのサラダにはいつも薄く刻んだリンゴが入っている。他にわかめと豆腐の味噌汁、だしに浸した冷奴には白魚をまぶしているし、デザートはコーヒーゼリーと苺が一粒。結構いけている。食事している最中客が入ってこなかったので、親父とずっと話をしていた。勿論二人とも真珠湾攻撃大成功の高揚感は知る由もない。

しかし、戦後の苦労は共通している。話は先ず親爺の「4月から消費税が上がるので小さい飯屋は相当困るだろう。」から始まった。今でも野菜や小麦粉など食材の値上がりは相当きついらしい。ものによっては1年前に比べると倍になっている物さえあるようだ。マスコミが景気が良くなっていると言っているが、家庭の主婦の財布の紐は締まる一方なので小さな食堂が値上げが出来ない。仕入れが上がって値上げが出来ないと利益は」益々薄くなる。

「値上げをすれば」と言ったらそこがなかなか難しいのだそうだ。売れ行きが落ちて食材に残りが出ると、結局それが無駄になる。ならば安くても売ってしまえとの図式になるらしい。それで終戦直後の話になった訳。昔は八百屋にしても肉屋にしても魚屋にしても小さな店だった。ネギ一本、ひき肉50匁、醤油4合なんて買い方が可能だったが、今は大店舗に集約されているので仕入れ方も違ってくるのだそうだ。

段々話が進んで親爺が言った一言「今から見れば凄くけち臭い買い物のしかただったが、当時は誰も自分だけが貧乏だなんて思っていなかった。カレーライスに豚のこま切れが一切れ浮かんでいるだけで、今…

無駄な努力でなければいいが

大東亜戦争開戦記念日を直前にして気分が高揚したのかどうか知らないが、随分と戦争を意識している法案が成立したようだ。実質今国会は昨日で閉幕して、期末手当の代わりに会期を2日延長したとは、随分セコイ話ではないか。朝食時に我が家の解説員の解説を聞くと、今国会冒頭の総理所信表明でこの法案のことは一言も入っていなかった。それを急に持ち出しこんな強引に成立させるとは余程裏があるに違いない。

宗主国からきついお達しが無ければこんな無様は演じないだろう。何でも自民党内手続きも随分簡素化されたものだったとのこと。一昔前であれば総務会での後藤田さんのような長老の一言で、法案提出も無理だったに違いない。自民党もすっかり変わり果てたと言うことでしょう。この無法が世論にどんな影響を与えるか分からないけど、次の選挙までしっかり記憶に刻みつけてほしいものよ。でもね、皆忘れっぽいからだめかしら?てなことだった。

そうかそうかと頷きながら聞いていたが、アメリカからのプレッシャーてなんだろう?ひょっとすると、安倍さんが勇ましいのは踊らされているだけで、日本の自衛隊をアメリカ軍の傭兵として使いたがっているのはやはりアメリカと言うことか。言われてみればアメリカは農業と戦争を国家の二大産業としている節もある。人口がまだ増えているとは言っても自国の若者だけを消耗するのはそろそろ限界にきているのだろう。

日本人の大部分が日米同盟が対等の盟友関係と思っているが、アメリカ人が同じように思っているかどうかは相当怪しい。先の大戦時の構図を思えば米英中が連合軍で日独が敵国だったし、米中は共に強かだからテーブルの下でしっかり握り合っていても不思議ではない。勝手に想像すれば、シリアへの空爆に関してオバマ大統領の態度とインドネシアに外遊中だった安倍総理の発言がまるで噛み合わなかったことに安倍さんは相当ショックを受けたのではないだろうか?

まさか幾らアメリカでも、こんな法整備が無い国に情報はやれないとか、あれば上げるみたいな露骨なプレッシャーは掛けないだろう。それこそ特別機密だろうから、何が原因でこの法案にしゃかりきになったかは永遠に謎だろう。トラウマみたいものだろうが、法案成立で払拭されれば結構な話だ。しかしアメリカ辺りにすれば、法案があろうとなかろうと本当の機密情報なんぞそう易々日本に渡す筈は無いそうだ。

外務省や防衛省に…

世界文化遺産「和食」

個人的には全く同意しないが、日本人は外国からの評価とか受賞を過大に喜びすぎるのではないか。ノーベル賞受賞科学者を大いに持て囃すくらいのことにケチをつけるつもりもないが、やれ平和賞だことの文学賞で大騒ぎする神経が分からない。先日も文学のことで少し書いたが、ノーベル賞作家の小説が面白いとは限らないだろうし、受賞して有りがたいのは著者に思わぬ大金が転げ込むぐらいで、傍の人間が大喜びするほどのことでもあるまい。

こと平和賞に至っては、佐藤栄作元総理やバラク・オバマアメリカ大統領の受賞なんてどんな意味があってのことかさっぱり分からない。似たような思いを持つのはユネスコ世界遺産指定についてである。誰が手を挙げ、指定されたらどんな意味があるのかよく知らないが、指定されたら誰かがその自然なり文化を末永く守る必要があるに違いない。今年指定を受けて山開き前から大いに賑わったとされる富士山なんかについても、果たして喜んでいいのかどうか。

マスコミは直ぐ燥ぎたがるが、立場によって人々にも様々思いがあるようだ。小生は世界遺産指定には何ら思いもないが、一山好きとして言えば、毎年のように死者を出す事の防止策を地元では真剣に考えるべきだと思う。入山料を徴取するのも結構だろうが、シーズンオフの入山禁止を徹底することが一つの方法だろうと思う。勿論それでも入山する人間はいるだろうが、飽く迄自己責任で行ってもらって、公的機関の捜索はしないことにしてはどうだろうか。

無償で危険を冒して捜索に出かけ、怪我人を釣り上げそこなって殺人者扱いをされたのではたまったものではなかろう。最近は山岳保険も完備しているのだから、オフシーズンに入山するほどのベテランであればそれなりの覚悟はあるだろう。仲間や家族が連絡し合って民間救助隊だけですべきことだ。話が飛躍したが、同様のことはやはり先月発生した立山でのスキーヤーの雪崩遭難についても言える。こういった事を外国人がどう見ているか分からないが、欧米の人間は我儘に見えるが、自己責任についての自覚はかなり高くて、傍の評価は余り気にしていないように見えるのは僻目かな?

富士山が文化遺産も解し兼ねるが、和食に至っては尚更である。外国には既に指定を受けている食事があるのも知っているが、「和食」とは何ぞやだ。単に正月の雑煮とか餅とか沢庵漬くらいならまだしもだ。1か月前に製造されて保冷庫に…

読後感「人情裏長屋」山本周五郎著

11の短編小説からなる小冊子で、執筆の年代も戦前の昭和8年から戦後昭和25年にまたがっている。9編は時代小説で2編が現代小説である。著者は明治36年の生まれなので我が父と同世代の人である。多くの著作があるが、その全て少なくとも私が読んだ限りは、日本人固有かどうか分からないが、多くの人が心の内に秘めている人間性、優しさとか正義感、責任感を描かせると天下一品である。時に歴史に名が残っている有名人であろうと、名もない庶民であろうと、読み進むにつれ心打つ思いに不覚にも涙が滲むことが多い。

勿論時代に左右されることも無い。ここに採録されている短編も17年の長きにわたっているし、中に世界大戦をはさんでいるので世の中は激変しているにも拘らず、著者が訴えかけてくることには何の変化もない。日本の社会をより住みやすくしている、或いは家族を含め居心地良く整えているのは「人情」に尽きるとの信念が見事に伝わってくる。著者は若い頃貧乏暮らしで苦労した時代があるとのこと。そのせいでもあるのか庶民を描くと特にその筆致が冴えるようだ。

ここで描かれている主人公達は、長屋に住んでいるような少し落ち目でうらぶれた感じを漂わせている。中には嘗てはかなりの食禄を食んだ高級武士もいるのだが。現代で言えば勤務していた大企業が倒産して落ちぶれたサラリーマン見たい人だろう。或いは駕籠かきとか、いろいろである。兎に角人生には誰しも落ち目になる時もあり、生活環境が変化するのは已むを得ないだろう。しかし幼少時から身に着いた本質は変わらない。

例えば、教養とか武芸なんかもそうであろう。持てる才能をまともに生かしようがない不遇にある侍が、ある時捨て子を拾わざるを得ない局面に遭遇してしてしまった顛末を描いているのが書名になっている「人情裏長屋」である。長屋話だから、脇役にもいろいろ賑やかな登場人物が出てくるし、挿入される逸話も実に面白く構成されている。準主役で登場するお侍も似たような境遇で、再就職を求める姿は現代にも通じるものがある。

人情の核心は話の落ちに繋がるが、親子の情愛を語っている。最近カンヌ映画祭で高い評価を得た「そして父になる」と言う映画がある。観てはいないが、生みの親と育ての親について心理の機微を描いたものと聞く。作者は誰か知らないが、ひょっとするとこの小説にヒントを得たものではないかなと思ったりした。


精神の安定が難しい

暇に任せてネット碁で遊んでいると、如何に自分がおっちょこちょいかがよく分かる。同時に思うことに精神状態のコンディションで、思考回路と言うか、判断力と言うべきものか分からないが、物凄く違ってくることに最近気が付き始めた。スポーツの選手がよく使う言葉に「集中して」とか「気持ちを強く持って」があるが、確かに身体が疲れていると精神がだれてくるのだろう。勝率が悪い気がする。

身体の調子がいい時は神経をあまり使わなくても、碁にリズムが出てくる気がする。特に気持ちを強く持つわけはないが、ゲームに集中できているのではないだろうか。本当に面白いものだ、目の前に展開されている模様のある1点に石を置くだけのゲームである。ゲームが山場に差し掛かる頃には、その1点もそんなに多くの選択肢がある訳ではないが、好点は1か所か精々2か所程度のことである。ところが石をおける点は数十か所見えている。

悲しいことに下手の横好きは、その好点が見つけられない。相手の立場で考えよもよく言われるのだが、相手の立場を己に都合良く考えてしまうのだ。所謂「勝手読み」と言う奴で、身体の調子がおかしい時は特に多くなって酷い手が出てしまう。身体の状態が良くて、何となく自分のペースだと思うゲームにも落とし穴は存在する。囲碁用語で「打ち過ぎ」である。プロ同士なら常に厳しいせめぎ合いをしているので、「打ち過ぎ」は仕方ない。

分かって打っているのだから、相手の応手次第で引き揚げどころも心得ている。
ところがこちらのような笊碁クラスになると、数手進行して気がついても遅い。
アッと叫んだ時は形勢が一気に逆転されている。気持ちが散漫で集中していない時と、調子が良すぎてイケイケどんどんになる時は同じくらい精神状態がおかしいのだと思う。常に冷静でいることは言うは易いが実に難しいとしみじみ思う。

相撲や野球に限らずスポーツ選手は、オフの時も含めどのくらいトレーニングを積んだかが本番に必ず現れるようだ。本番では神経を張りつめて集中するようではいけないのだろう。むしろ本番では精神を自然体に保つことが必要で、慢心して試合に臨むプロはいないだろうが、一流選手は少しのミスには動揺しないようだ。中国に行くと囲碁のプロ棋士は国の体育部に所属することになっているが、精神状態を考えれば全くスポーツだと思う。

話が飛躍するが、外交なんて政治課題も相手が居る話なの…

大学同窓会

このところ東京は冬晴れで、しかも暖かな穏やかな日が続いている。気候は誠に結構な上、プライベートでは一昨日の昼、昨夜、そしてまた本日昼と3日連荘で飲み会が続いてしまった。今日は大学の同窓会で、午前11:30霞が関の会員制クラブに集合して2時間半、一昨日同様の赤ワインで、同じように強か飲んでしまった。「もう結構です。」とか何とか言いながら、グラスにワインがあるとどうしても手が出てしまう。所詮賤しい根性だ。

会場の前が日比谷公園だったが、何やら大勢人が集まりそうな気配でお巡りさんが沢山出ていた。きっと我々が呑気に昼酒を食らっている間に特定秘密関連法案反対かなにか、大きなデモがあったに違いない。同窓生は似たような年齢だから当然だが、元気そうに見えても話を聞くと、皆それなりに人生の苦しみを背負っていることが分かる。僅か10数人の集まりだったが、高齢化日本の縮図を見る思いだ。50年前には野球部で活躍していたのに、その面影が全く感じられない友人は、今月前立腺癌で入院を余儀なくされるとのこと。

同病の誼で聞くと、彼のPSAマーカーは小生の数値より遥かに低い。思わず背筋が寒くなる。配偶者の介護をしている者もいるし、介護をしてきたが、やっと入院できたので今日久し振りに出席したなんて者もいた。配偶者を既に失っている者は一人住まいの不安を訴えていた。中には親兄弟の介護や、一人住まいの親が入院してしまった後の家屋のメンテナンスや税金の心配。70歳も半ばとなると実に様々な問題が生ずるものだ。

働き盛りを順調に過ごし、功成り名を遂げても連れ合いに先立たれたのでは少し可哀そうだ。地方の名家から嫁を貰ったは良いが、実家が立派過ぎて一人住まいの義母が入院してしまうと誰も住み手が居ない。お医者はもう家には帰れないでしょうと言っている。その上固定資産税と植木の手入れだけで年間600万円以上の費用が負担なので慌てて家を売りに出したなんて者もいた。似たような話では、東京郊外にこれまで暮らしていたが、千葉の実家で母が入院してしまった。

出戻った娘と孫が居るので、手狭になった東京の家を売り払い、来年早々には千葉に引っ込む予定なんて者もいる。脇から口を出して、財産は出来るだけ不動産にしておいた方が相続が楽だとか、いろんなことを言うのを聞いていると、恵まれすぎているように見える人にも苦労が偲ばれて面白い。他人の話を…

結局何も残らない

昨日は昼から高校同期有志の飲み会で、ワインを飲みすぎ日記はサボってしまった。参加者7人は年相応の持病などは抱えつつも、意気だけは高校生時代と変わらない。しかし2時間半飲み続けていたのは3人だけで、残り4人は前から飲まない一人を含め大分酒量が落ちていることを認めざるを得ない。酒を飲めることくらいしか自慢出来る事が無いので、つまらぬ事を書いた。

勿論談論風発話題は多岐に及んだが、中にお医者さんが一人いたので、老人会のパターン通り健康に関する話題が多かったような気がする。そんな中やっぱりと思ったことがある。7人の中で3人が歓談中に懐中からスマホを取り出した。一人は来年の予定を確認するため、もう一人は写真を披露するため、3人目は着信したメールを確認のためである。小生が持っていないのは確かだが、残り3人もスマホを持っていたかもしれない。

スマホなる機械(ディバイスと称するようだ)が我々世代にも順調に浸透しつつある証拠だろう。小生も今年4月だったかiPadminiとセットで購入したが、結局使いこなすことが出来なかった。1年半くらいローンが残っているのだが、持っていても仕方がないので、結局若い友人に提供してしまった。彼はITに詳しい人間なので、喜んで活用しているとのこと。何もしないで戸棚の上に置きぱなしよりは少しましだろう思うことにしている。

年寄りはどうでも良いが、先週テレビで幼児にスマホやタブレット端末を玩具代わりに与えて子育てをさぼる主婦のことをやっていた。電車の中では小学生と思しき子供がこういった機器に見入る光景は珍しくとも何ともない。こういった機器の発達は留まることなく進歩発展し、小学校でも紙の教材が不要になる時代も遠くないだろう。従って今更児童にIC端末をを持たせるなと言っても始まるまい。しかし赤ちゃんの玩具代わりの使用については、只でさえ希薄になりつつある母子関係を思うと、どんな影響が出るか少し心配でもある。

親子関係なんかについても、こう言うものかとイメージしていても時が経つと少しずつ変化するかもしれないので、年寄りの要らぬお世話かもしれぬ。たった7人の集まりでも時代の変化、流れに遅れずついて行ける人間とそうでない人間の違いを垣間見た気がしないでもない。昨夜は帰宅してから婿さんに頼まれて録画したBS番組をダビングした。我が家のDVDデッキはブルーレイ、娘のところ…