2020年7月31日金曜日

神頼み

臆病であることは先日書いた通りだが、同時に迷信を簡単に信じるところもある。どちらが先か因果関係は分からない。兎に角、市中感染中のコロナウィルスに戦々恐々とにかく感染しないよう、毎日神様仏様に祈り、すがる思いでいるのは確かだ。それにしても日本の政府や東京都の無策さは酷すぎる。昨日の夕方小池都知事が記者会見を開いてテレビ局が中継していた。ご覧になった方も多いと思うが、この小母さんの言葉遊びに貴重な電波を無駄遣いするな!

昨日書店で新発売の週刊新潮を立ち読みして驚いた。先週の同期生数人のリモートミーティングで友人の1人が話していた「日本人の70%は既に感染済み、だから心配には当たらない」説が『「コロナ拡大」を恐れる必要がないこれだけの根拠(実は3人に1人は感染済み!)』の見出しでデカデカと掲載されている。友人が言っていた人は京大の教授だったような気がするが、週刊誌に寄稿している教授は別の大学だから別人のようだ。

何れにしても、未だ世界的に正体が判明していないウィルスだから諸説出てくるのは仕方ない。科学的知識のない小心者はどれを信用して良いか分からないから、結局神頼みしか無いが、ひょっとすると政府や都知事もこのような説を信じているのかもしれない。どう考えても知能程度は政府や都側のスタッフの方が小生の数倍、数十倍以上だ。

しかし、小生が嬉しく思ったのは書店でショックを受けた後、帰宅してテレビで知った東京医師会尾崎治夫会長の怒りの記者会見、少なくとも尾崎氏は週刊新潮に寄稿した教授と同等或いは以上の知見と実務経験があるに違いない。尾崎氏は次のように怒りをぶちまけた。「コロナウイルスウィルスに夏休みはありません。良識ある国会議員の皆さん、一刻も早く国会を開いて 国が出来ること、しなければいけない事 国民に示し、国民を安心させてください。」

内容は諸略するが、政府の論拠である法律を改正して検査の拡大による、感染者の早期発見と隔離をより具体的に、と指摘している。報道を見る限り早速大きな反響を呼んでいるが、それでも与党の腰は重く、容易には上がりそうにない。国会が始まればコロナ対策より首相の責任問題が山ほどあるので、この対策で何もできなくなるからだろう。

諸説は別として、日本の感染者は3月、4月より大きく広がり始めているのは歴然としている。週明けに国会がどう動くか注目したい。総理周辺が神がかりでないことを祈るが、同じ船に乗っているお仲間は宗教団体が母体の政党だ。彼等は誰に何を祈っているのだろうか?

2020年7月30日木曜日

変化の時代

「無くて七癖」とか「人の振り見て我が身を直せ」とよく言われるが、自分の直すべき点はなかなか見つけにくい。毎日の楽しみにしているネットでの囲碁、既に1万局以上になっているが、どうも思うようにならない。現在6級から1段上の5級を目指しているが、5級の踵に手が届きそうになると決まって、負けがこんでズルズルと6級に突き落とされてしまう。

何事も修行と思い、一晩寝てから気を取り直して同じことの繰り返しが続いているような気がする。1ヶ月に1回プロ棋士の指導碁を受けているが、今週月曜日に先生が珍しく褒めてくれた。指導碁5子の置碁、勝負はあいも変わらぬ負けだったが、「大分良くなっていますよ。もう少しで4子ですね。」生徒へのリップサービスにしても嬉しいお言葉だった。

その日は手直しは1箇所だけ、最後に投了(終局を待たずに負けを宣言すること)させられた場面の1手のみ。肝心な場面で欲張りすぎたようだ。置碁というものは目数に換算すると約100目ほどのアドバンテージを貰っているらしい。意味が分からない方も多いと思うので、簡単に説明したい。囲碁は地所の囲いあいを争うゲーム。地所は縦横19本のクロスポイント361箇所。どちらかが1箇所以上多いことで決まる。

100目なんて差がつくことが起きることが不思議に思われるだろうが、実力差が似た者同士でもそれが実際に起きてしまうのが囲碁の面白いところでもある。黒と白の石を互い交代に、どこでも好きな場所置いていくだけだが、どうもいろいろな鉄則があるようだ。例えば、石を置きたい場所は徐々に狭まってくるから、その場所を自分が確保できるようにゲームを進める無くてはならないが、選択肢が少なくなってくると、大体相手が優先度の高い場所を確保してしまう。

この時の対応の良し悪しで大体勝負が決まるような気がする。その瞬間冷静さを取り戻して、改めて構想を練り直すことが出来るかどうかだ。ネットの囲碁では時間の制約があるので、いつもより時間を余計に使ってがきかないが、指導碁はこれが出来るので少し益しな手が打てるようになったのかもしれぬ。毎日毎日変化の多い昨今、同じように見えても昨日と同じことはありえない。

2020年7月29日水曜日

広告屋の仕事

現役時代の22歳から62歳までの40年間に広告会社4社を渡り歩いた。この間に企業や団体の広告宣伝並びに広報と、同時に政府機関の広報にも少し携わった。今になると広告宣伝に関してはあまり関心がない。広告宣伝は時代とともに訴求する商品やサービスも、訴求手段も大きく様変わりしていくので、関心がないと言うより15年以上経つと意味が分からなくなると言った方が正しいかもしれぬ。

一方の広報は、当時PR(パブリック・リレーションズ)とかPA(パブリック・アクセプタンス)と言ったりしていたが、現代はPAは使われなくなっているかもしれぬ。ともあれ広報は現代でもその意味は変わらず、むしろ重要性が益々高まっているように思われる。当時も今も広報で一番重要視すべきは「事実を伝え、嘘は絶対に許されない」ことだ。広告宣伝は消費意欲を刺激するために、商品をあらぬ場所に置いてみたり、芸能人に飲んだこともない薬を飲んだ振りをさせ、さも効いたようなことを言わせるのは日常茶飯事で、受け手もこれを許容してる。

従って、当時でも広告屋が広報を生業とするのは問題だった。従って、当時は電通でも広報に関しては電通PRなる別会社を作って事に当たらせようとしていた。しかし中小の広告屋が欲に目が眩んで広報と言いう禁断の実に口をつけてしまった。小生は大学を卒業する時にPR会社大手を受験して落とされた苦い経験があったので、内心してやったりとの思いで、その業務にのめり込んでいったものだ。

テレビ局なんかも最初はそれらしい手法に警戒感を示していたが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の例え通りとなり、大手広告会社も広報分野に積極参加し始めた。以来20年以上の歳月流れ、日本の広報業務を広告屋が引き受けるのが当たり前のようだ。広告屋は罪悪感無しに、息を吐くように嘘を言ってのける。もし今の政府が広報業務で広告屋を使っているとしたら問題だ。霞が関の中央官庁には必ず広報室があった。

しかしこれは所管官庁の記者クラブ対応が業務の主体だから、広告屋が目をつける予算は無い。今の内閣府昔の総理府広報室は僅かの宣伝予算があり、新聞、雑誌、放送の各メディアに公平に宣伝広告を分配していたので、メディア側も軽い気持ちで受け止めていたに違いない。担当は内閣副官房長官だったが、現在は知らない。しかし最近の報道によると、閣内に電通などの大手広告会社が出入りをして政治家諸氏に悪知恵を注射している雰囲気が濃厚だ。どう考えても政府広報のお手伝いとは言い難いだろう。国民からすれば最悪である。

2020年7月28日火曜日

テレワーク要請

政府にコロナ対策を担当する大臣が設けられて久しい。本来どう考えても厚生労働省が保健を所管すると思っていたが、誰がどこでどう間違ったか知らぬが、経済産業省出身の総理補佐官であった西村氏がその任についた。政府のすることには屋上屋を重ねるだけのムダが多いが、これもその一つだろう。彼は毎日のようにテレビに出演して国民に語りかけている。内容の殆どは「皆さん気をつけて行動してください。」と「専門家のご意見を聞きながら意思決定をします。」(実はこれは大嘘)

強いて憶測すれば、厚労省が忙しいので、日々変化する保健関係に関する政府方針発表と、自治体首長との連絡調整をサポートを引き受けたのかもしれぬ。兎に角保健や医療に関して素人であることだけは確かなようだ。従って、時にトンチンカンな発言に及ぶのは仕方ないかもしれぬ。昨日は何を思いついたか、経済界のみならず恐ろしいことに教育界にまで「テレワーク」の推奨として、率を70%にまで引き上げる努力をしてほしいと仰った。

言うに事欠くとはこの事を指す。そもそも「テレワーク」なんて言うことは代用品だから物の役に立たないことは言うまでもない。小生もリモート会議なる試みに何回か参加してしみじみ感じたのは「こりゃ遊びならば兎も角、本当のコミュニケーションには程遠い。隔靴掻痒と言う言葉があるが、それ以上だ。」経済界は「承りました」のようだが教育関係は無理と言うより、通信学部の学生ならいざ知らず、本科の学生や生徒がこんな事で済まされたならたまったものではない。

少し冗談ぽく考えると、テレワークに最も適している集団は「国会」だと気がついた。あの集団こそ高い費用を費やして全国から700人もの人数を東京に一定期間呼び寄せている。高い費用と言うが、彼等の東京における活動時間が何時間か知らぬが、そのために用意されている土地建物に始まり、人間その他を考えると頭がくらくらしてくる程だ。国会議員のお仕事は御存知の通り法律の策定。

約700人の議員諸氏が東京で何時間働く必要があるか判然としないが、既に休暇に入って久しい。ならばいっそあの国会議事堂もどこかに売り飛ばし、テレワーク率を70%まで引き上げ、残り30%は総理のコネを活用してどこぞのホテルを借りて会議することで十分間に合うだろう。

2020年7月27日月曜日

体調管理と碁会所のこと

なんとも鬱陶しい日が続くものだ。身体の調子が崩れないようにするだけが課題とも言える。今のところは食欲もあるし、睡眠も十分取れている。問題は運動不足かもしれぬ。なんとか毎日1万歩は歩きたいが、今日は9千歩も行かずになりそうだ。今年に入って医者に行ったのは、歯医者の定期検診が2回に大学病院の放射線科の定期検診の1回の合計3回だけ。医療費が安く上がるのは良いが、普段検温とか体重測定など何もしていないので少し心配といえば心配。

来月17日にまた放射線科の定期検診があるので、序に泌尿器科の検診も依頼した。泌尿器科は担当医が代わったとのことだから、血液検査と尿検査の結果を詳しく聞くことにしたい。普通であれば、毎年8月には区の無料検診があり、今年は確か心電図を取る年回りのはずが、今年はまだ通知が来ない。これもコロナ騒ぎの影響だろう。大学病院の定期検診は血液と尿の検査だけだから、血圧や聴診器で脈をみることはない。放射線科の医師も血圧を計ることぐらいは出来るかもしれぬ。信州人の好で頼み込んでみようかな。

先程、久しぶりに新宿の碁会所に行ってきた。3月くらいから席亭が客足が遠のいて悲鳴を上げていたが、遂に家賃を払いきれなくなったのだろう。今日行くと10月からの移転案内が張り出されていた。新宿から地下鉄で一駅、中野坂上への移転だそうだ。まだ都を捨てたうちには入らぬだろう。現在通っている客は殆ど新宿界隈の在住者だろうから、移転で失う客はそう多くはないかもしれぬ。

一人住まいでも引っ越しは何かと物入りだ。ましてビルのテナントであれば、新しいビルの契約や前払費用と室内の段取りは勿論だが、現在の物件の原状復帰やら諸々の精算があろう。現在の店は席が50席以上はある。しかし今日も客は10人足らず。ソーシアルディスタンスにはもってこいだろうが。経営は成り立たないだろう。

新しい店の規模は聞かなかったが、席亭は悲しげな声でしきりに電話をしていた。席亭の顔色は冴えないのも分かる気がする。

2020年7月26日日曜日

老人会報告

昨夜は最近週1回の恒例となった高校同期生6人のリモート集会があり、様々な意見交換が行われた。特にテーマを設けているわけではないが、主要な話題はやはりコロナ。「何だかんだ言っても信州でも感染者が増加しているよ。」から始まった。参加者6人の中でゴルフをしないのは小生だけ。他の5人は9月の半ば蓼科高原でゴルフ会を開催する予定になっている。小生も毎年ゴルフ無しで温泉での懇親会には参加していたが、今年は参加できない。

東京在住だからだけでなく、仮に他県住まいであったとして不参加にしただろう。何度も書いているが、単に臆病なのだ。突然1人が仕入れたばかりの知識を披露し始めた。なんでも京都大学医学部教授の説らしい。京大医学部と言えば同期の友人もいるし、山中伸弥教授に本庶佑教授と人材には事欠かない。名前は聞き取っただけなのではっきりしない。友人はその教授の説を縷々述べたが簡単に言えば「日本人の7割が既に今回のウィルスに感染済みで抗体を持っている。」

友人曰く、だからこれからはコロナの心配をするな、である。たしかにドイツのメルケル首相がコロナが流行り始めた時「国民の7割が感染しないと安心できない」と言っていたのは覚えている。しかし、その教授が日本人の7割感染についていかなる検証をしたかは、少なくとも昨夜のリモート集会ではエビデンスが示されなかった。

次は、日本の政治体制の無責任さ。何事も誰が責任者が不明確だから問題は拡散するばかりで一向に解決しない。この政治体制が若い人たちの支持を受けているのは何故か。結論や意見の一致があったわけではないが、結局我々の世代が、60年代の安保闘争の情熱を忘れ、政治に無関心になっていったせいではないだろうか。ただしこれは飽くまで私見。小生は他の諸氏と異なり、安保闘争には一度も参加しなかったし、長ずるに及んでビジネスで海外に足を運び広い世界を見ることもなかった。

米中対立も少し話題になり、海外在住経験最長の友人がアメリカのポンペオ国務長官の演説を少し解説してくれたが、もっと詳細に聞きたかった。兎も角、米中関係ではどうしてもアメリカ寄りにならざるを得ないようだ。勢い、中韓に関しての嫌悪感を示す友人が多いのも確か。ケント・ギルバードを引っ張り出して儒教批判まであったりして、中国や韓国の教育制度を批判する声も大分あった。このへんは小生の考えと大分異なるので謹聴するに留めた。

何れにせよ、どんな国でも教育は基本中の基本。日本からの留学生が激減していることには憂慮すべきであり、我が孫たちにも是非留学してほしいと思った。
何れにせよ、老人会にしてはやや高尚だったかもしれぬ。

2020年7月25日土曜日

テレビでは珍しい現実論

毎朝6時頃から3時間近くテレビを観ているが、平日と週末では各局とも編成が異なるので観る番組が異なってくる。特に今朝食事をしながら観た番組が珍しく印象に残った。番組はテレビ朝日の「週刊ニュースリーダー」その中に<TOKIOのリーダー・城島茂が行くニュースの最前線>なるコーナーがあり、今日は星野リーゾートのルポと社長の星野佳路氏をインタビューしていた。

城島茂氏なる人物については何も知らないが、子供の時からジャニーズ事務所に所属していたミュージシャンとのこと。なまじ訳知り顔をしないところが視聴者受けしているのかもしれない。対する星野氏はかなりの有名人、甥っ子が彼の会社で世話になっているので、昔からテレビ出演すると注意深く見ていた。Go To Travelキャンペーンの最中だから正に渦中の人とも言える。

録画されたのはキャンペーン前倒しが決まる前のようだったが、星野氏はこのキャンペーンを評価していないことが明白だった。理由は簡単で、観光業がコロナの影響を甚大に受けているのは事実だが、キャンペーンのように一時的な底入れでは大した役に立たないだろうとのこと。星野系列では3月以降の売上は、80%近いダメージを受けているが、企業の存続を考えた場合、これを以前の50%くらいに戻したところで、凌いでいけるようなビジネスモデルの構築が必要と考えている。

従来はインバウンド政策の影響もあって、外国人旅行者が売上の20%を占めていた。これは当分回復しないと見なくてはいけない。又、国内のコロナについても収束の見込みがまだ見えないことから、社内的にはマイクロトリップ、即ち車で片道1時間程度の集客に努力すべく対策を練っている。近距離のお客さんにリピーターになって頂く努力がこれからは肝心。更に政府の援助に関して言えば、週末とか正月や5月の連休や夏休みといった時期は黙っていてもお客さんが来て頂ける。

我々が考えなければならないのは、この繁忙期以外を如何に平準化出来るかにある。もし政府がお金を投じて手助けしてくださるなら、一般の方があえて旅行と思わない時期に何らかのインセンティブをもって旅行に行きたくなるような方策で応援願いたい。行政の周りでうろちょろしながら官僚連中に入れ知恵をしている広告代理店や旅行会社の連中が聞けば耳が痛いだろう。

既に政権の悪口を言う気力も無くなったし、テレビに出演する解説者の政権に遠慮する発言も聞き飽きた。今朝の番組は収録の時期が良かったのかもしれぬが、当事者が誰に遠慮すること無く、率直に現実を吐露したので胸にストンと落ちた思いだ。

2020年7月24日金曜日

地図帳

なんともパットしない空模様が続くものだ。巣篭もりするには絶好かもしれぬが、活発なヤングにとっては恨めしいことだろう。手元に面白そうな本もないので仕方無しに一昨年購入した帝国書院の「最新基本地図2018」を引っ張り出して開いてみた。大した理由も無いが、80年間生きてきて大した旅行もできなかったので、せめて世話になった日本国やら行ったこともない他国をなんとなく眺めたかった訳である。

小学校低学年の頃、自宅にやはり昔の地図帳があり、薄い赤で彩られた大日本帝国の領土は広大なものだと感心した記憶がある。しかし、その頃既に実際の領土はその20%以下だったのは子供心にも分かっていた。その時には昔の領土の南はしで行方不明になっていた父も目出度く生きて帰ってきていたし、毎日平穏に学校にも通えていたので特に問題意識は何もなかった。しかし今日改めて最新の地図帳を眺めて思うのは、世界には実にたくさんの国があること、特にアジア、アフリカ、オセアニアの国々は何も知らず、想像すらできぬ国が沢山存在する。

国内も行ったことのない場所が殆ど、行ったことのない県すらある。恐らくこの世におさらばするまでに行くこともないだろう。更に興味を覚えたのは尖閣諸島と竹島の位置。ここ東京からこんなにも遠いのかと改めて感心した。竹島は知らぬが、尖閣は覇権国であり、日本の実質宗主国アメリカ様が、何らかの都合で先の大戦終了時に、台湾に居た中国国民党政府に渡したくなかったから、委任統治領だった沖縄に属すると決めたに違いない。

国民党政権が無くなって人民共和国政権になったが、台湾は国民党政権が独立したような、しないような、年寄りにはよく分からない。沖縄もアメリカから日本国に返還された。当然尖閣も日本領土となったが、果たしてこれが世界平和のために良かったかどうかは若干疑問を感じたりする。兎も角、領土なんか広ければいいと言うもんじゃない。なんて言うと「非国民、国賊」とお叱りがあるかもしれぬが、世界も広いが、日本も立派に広いものだ。

2020年7月23日木曜日

匹夫之勇

昨日は正に夕立のような夕方の土砂降り。降り始めの10分ほど前に家を出たのが運の尽き、つい1週間ほど前にもビニール傘を買ったばかりなのに又コンビニで買う羽目に。風が無かったのでまだ良かったが、それでも膝から下は靴の中までびしょ濡れになってしまった。東京は平坦のように思われているかもしれぬが、我が家から池袋駅までは結構高低差もあって坂道では歩道が小川状態になっていた。雷も鳴って激しかった割には1時間ほどで上がったので梅雨も上がるかと思いきや今朝も又朝から降り続いている。

お天気はアンダーコントロールとは行かないから、こんな時にオリンピックを開いていたら悪評嘖々だったことだろう。天気予報がかなり当たるようになったと言っても1年先の天気は予想できない。2021年に開催が予定される2020東京オリンピックの天気が果たしてどうなることだろう。数年前に空梅雨ということもあったが、7月末の集中豪雨は珍しくない。何年か前に黒部五郎岳登山でひどい目にあった記憶がある。

コントロールが出来ないという事ではコロナも似ているところがある。全世界国々が国民の保健と経済のバランスで対策に悩んでいるが、経済を優先させている国も少なくない。しかし日本ほど経済の優先を突出させている国は珍しいかもしれぬ。知る限りではブラジルといい勝負かな、なんて思ったりしている。
ブラジル大統領は自ら感染してるにも関わらず相変わらず強気を貫いているのは感心する国民もいるのだろう。支持者の前で態とマスクを外したりするパフォーマンスを観て、「匹夫の勇」とはこんな人を指す言葉だろうと思った。

日本の「Go To Travelキャンペーン」も似たようなものだ。観光業に従事している家族・親族も居るのでも申し訳ないが、この際は我慢辛抱願いたい。ウイルスの撲滅は出来ないだろうし、治療薬やワクチンの開発には時間がかかりそうだ。現在出来る唯一の対策は検査を拡大して陽性者の発見に努め、陽性者の隔離で抑え込むしか無いことは万人が認めるところ。費用の問題も大きいようだ。ところで「Go To キャンペーン」の総事業費は1兆7億円、この費用を検査体制の整備に充てたらかなりのことが出来たのでは、と思わざるを得ない。

蛇足ながら念の為。匹夫之勇の意味「思慮の足りない人が一時の感情に任せただけの勇気のこと。」即ち我が身自身のことです。

2020年7月22日水曜日

旅への思い

いつの頃からかは忘れたが、「海の日」なる祝日が制定されて、夏休み直前なのに変な時期に祝日を作ったものだと思っていた。元々は7月20日だったはずだが、最近の暦はよく分からない。更に今年の暦は摩訶不思議、明日23日から26日までが4連休になっている。何事にも相応の理由があるはずと、ネットで調べてみた。理由は簡単なことで、今年はオリンピックイヤー、明後日24日が開会式だった。そこで先ず従来10月10日だった「体育の日」(最近はスポーツの日と言うとのこと)を明後日に持ってきて、ついでに海の日をその手前に置き4連休を作ったらしい。

憲法でも何でもご都合主義で勝手に解釈を変更するくらいだから、祝日の移動なんぞお茶の子さいさいてな訳だ。最近は梅雨明けがいつかな、とかコロナはウィルスは厄介だなとばかり思ってオリンピックのことなどとんと忘れていた。加えて今は春なのか、夏なのか暦のことなんぞつい忘れていた。これも調べると、来月8日はもう立秋、年賀状すら手抜きをしているので暑中見舞いや残暑見舞いなんぞ何年も書いていない。昔から季節感を大切にするよう誰かに言われてきたような気がするが、一人暮らしをしていると、そのへんの感覚が全く無くなってしまっている。困ったものだ。

政府が何を思ったか「旅行をしろと」張り煽ぎで大騒ぎをしているが、旅行に行きたい人は別に政府に補助してもらわなくても行くだろう。旅行費用が安くなるなら不要不急の旅に出る人はよほど物好きだと思う。マスクをしてまで長距離の交通機関に頼り、着いた旅先でも制限だらけでは楽しくもないように思うが、それでも大勢の人が予約をしているそうだから世の中は不思議なものだ。少なくとも今年は9月に予定していた墓参りのための帰郷すら叶いそうにない。

これも勝手な判断なので、普通ではないかもしれぬ。他人に言われるまでもなく、心のうちに「手前勝手な理由でサボっているだけ」と自省の念も少しある。しかし1年は結構長いので何が起きるか分からないが、来年の今日、目出度くオリンピックが開催されたら、故郷への不義理も詫びながら楽しい旅に出ることができるだろう。

2020年7月20日月曜日

土用丑の日

今年は2回あるそうだが、明日がその1回目。外食で鰻なんかめったに食さないが、有り難いことに毎年家内の実家から義母が送ってくれることになっていた。岳父健在の折に静岡県島田市在住の時期が長かったので、近くの榛原郡吉田町の鰻屋から白焼き状態で送られて来たものだ。家内が居なくなってからはこちらの都合を慮って、近くの長女家族宛と一緒に送られて、長女が料理した上で届けられる。

昨夜、鰻が届いたとの連絡があり、今朝は食事をしないで待っていた。8時20分頃だったか、玄関でピーンポーンと鳴って「お待たせ!」と娘が勢いよく飛び込んできた。厚手のボウル容器に鰻が2段に入っているアツアツの豪華版鰻丼。お吸い物は即席だが、朝から美味い鰻を食べた。食べ終わってからすぐに娘の横で横浜に住む義母に電話した。義母とは正月以来顔を合わせていないので先ずは無沙汰を詫びて、鰻の礼を伝える。

義母は既に95才の高齢ながら、受け答えは実にはっきりしていて嬉しい限り。無沙汰に関してはコロナの時節柄仕方がないとは言いつつも、正月以来孫娘家族と会えないのが少し寂しそうだ。電話での礼を済ませてから、いつものように娘と少し話をする。先ずだんなの近況については、びっくりしたが、3月から出勤したのはたったの1回だけ、何でもハンコをつかなきゃならぬ用事があった日だけとのこと。

60才の定年まで後7年だそうだが、このままいけば定年まで会社に行く必要が無いのでは、と笑っていたが恐ろしい時代になったものだ。他には、お盆恒例の山形への里帰りも今年は中止とのこと。なんでも実家の近くで陽性者が発見されたので、来ないほうが良いと実家から連絡が来たそうだ。こちらからも、9月に入ったら長野に墓参りに行こうかと思っていたが、少し早すぎるような気がすると伝え、それが良いと意見が一致した。

2020年7月19日日曜日

専門家の意見

3週間近く日照不足が続き野菜の値段が高くなったりしているようだが、人間の精神状態もすっかり発育不足というか、年寄だから発育はなくても状態が悪くなっていることだけは確かだ。でも今日は久しぶりに夏らしい晴れになり洗濯物がよく乾き、畳の湿気も改善するだろう。しかし巣ごもり状態はまだ当分続きそうなので気が重い。

半年近くコロナのことばかり書いてるが、先週は総理が出席しない予算委員会が開かれた。くだらない映画ばかり観ていないで、たまには国会でも観ようと、16日の参議院予算委員会を少し観た。ここに参考人として出席した東大名誉教授児玉龍彦氏の話を詳しく聞きたかったからだ。氏については何回かここでも紹介させてもらっているが、今回の騒動に関して最も信頼すべきドクターだと思っている。

今回氏は「エピセンター」なる言葉をマスコミが一斉に取り上げた。西村大臣は「クラスターと同じ事を仰っていると思う。」なんて言っているが理解が全く出来ていない。クラスターは元々ぶどうの房から来ている言葉で、いわば小さな塊。エピセンターとは、発生源、中心地、震源地などという意味で、訴えは感染集積地の意味で用い、「東京型」「埼玉型」などのウイルスの型が発生している可能性を指摘し、東京発の感染のさらなる拡大に警鐘を鳴らすものだ。

そもそも政権幹部の言語はインチキが多すぎる。昨日観た予算委員会映像でも「高い緊張感」について「低い緊張感なんかありません」と野党議員から指摘されていたが全くその通りだ。同様に思ったのが、「専門の先生方のご意見も十分伺って」。野党は態々児玉氏に意見述べてもらっての質問なのに、その見解に対する意見を言わずに曰く「児玉先生とは前から会いたいと思っていました。」そこまでは良いとして後が問題。

今後については「専門の先生方とも相談の上対応を考えます。」先生の意見とは我が政府の見解は違うなら違うとはっきり言うべき。ならば失礼にはならない。児玉氏は、コロナ対策は従来の疫学的手法では対応しきれない、遺伝子工学・計測科学を使った(感染者の)制圧が重要であることを力説している。要するに現在の感染症疫学の専門家では制圧が出来ないと言っているにも関わらずだ。

素人考えかもしれぬが、専門家が「感染防止も重要だが、経済も回さなければならない。」なんてことを言うことがそもそもおかしいと思うが、テレビに出演する医療関係者は口を揃えてそのような枕詞を言う。

もう一つ野党議員の質問で初めて知ったこと。西村大臣が今月始め米紙「ウォールストリート・ジャーナル」(7日付)に寄稿。「日本はロックダウンしないで、どのようにコロナウイルスを制圧したか」とのタイトルで、“日本スゴイ”と自画自賛とのこと。これも少し笑えた。

2020年7月18日土曜日

天才とAI

将棋のことは全く知らないと言った方がいいだろう。しかし愛知県出身の棋士藤井聡太少年が数年前のデヴュー早々から29連勝を上げ、斯界長老の加藤一二三氏を破り引退を決意させたりする度に何度もテレビに取り上げられているので、否応なしに注目している。そして今回の快挙、史上最年少にして棋王のタイトル獲得である。暗いニュースが続く現代では久しぶりの明るく、心から拍手できるニュースだった。

もはや藤井少年とは呼べない藤井氏は5才の時に祖母からルールを教えてもらい、1年と経たずに少し将棋ができる祖父に負けないようになったそうだ。そこで思うのだが、果たして藤井氏は天才少年だったのだろうかということ。更に、最近藤井氏も勿論であるが、将棋に限らず囲碁界でも殆どの棋士が研究に利用しているAI(人工知能)のことだ、

藤井氏が天才的な少年であることは間違いないが、そもそも天才とはどんな人を言うのだろうか。wikiには「人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す。」とあるが、「人」ではなく「普通の人」とでも書いたほうが良いと思う。小学低学年生ぐらいまでであれば、少し難しいゲームでも祖父を超えて上手になる子はいくらでも居るはず。「幼児にして天才少年、20歳過ぎれば只の人」だ。

小学校から高校までの友人で、勉強がものすごく良く出来た友人は何人も居るが、長じて只の人にならないまでも天才的だなと思った人はいない。できる人の特徴は記憶力がいいこと、集中力があること等似たような特徴はあるかもしれない。藤井氏もなにか拍子に将棋の面白みにハマり(言い方が悪いかも)、ものすごい努力を積み重ねて来たと思いたい。

そこで問題のAIだ。余計な話ながら、居るかも知れないお年寄りのために。「これはお味噌汁に使う味噌とは異なり、コンピュータ即ち機械です。」この機械に将棋のルールを覚えさせ、億の単位の対局をさせるか、読み取らせるか知らぬが、兎も角その全ての指し手を記憶させる。そしてその指し手が勝負に与えた影響を数字で評価することにより、徐々に棋力を高めてきたらしい。

しかし将棋や囲碁の世界では、こんな地道な努力ではプロ棋士の感覚には絶対に勝てない、が常識であった。しかし、5、6年くらい前だったか、先ず日本将棋界のプロが日本製AIに破れた。当時通っていた池袋の碁会所に居た早稲田大学囲碁部の主将だった高段者は「将棋だからの話で、囲碁では無理」と自慢げに話をしていたこと思い出す。ところがAIの進化は目覚ましく、数年後には囲碁界でもどこか外国製の機械に韓国のトップ棋士が負け、すぐ日本でも同じようなソフトが開発されている。

そして今や、藤井氏も勿論だが世界中のプロ棋士がAIの手順を研究に取り入れなければトップ棋士になれないらしい。機械も一つの思考に関しては10億回も考えを巡らせれば天才的力を発揮することが分かった。しかし飽くまで「一つの思考」だから、国の差配を任せるわけには行かないのが残念である。

2020年7月17日金曜日

怖い

外見からはそう見えないかもしれぬが子供の頃から根が臆病者、かなり大きくなっても夜中に一人でトイレに行けなかった。怖いものは沢山あったがお化けもその一つ。今最大の恐怖は新型コロナ菌、特に老人は気をつけろと言われるので都合はいいとして、社会の混乱ぶりも恐ろしく感じ始めている。この先どこかでハルマゲドン(世界の終わり)ではないがとんでもないことが起きそうに感じてならない。

ハルマゲドンなら諦めるしか無いので外国のことはおくとして、少なくとも日本にも想像を超えた何かが刻々と迫りつつあるように思えてならない。今この国を率いる政治家諸氏は元気な人が多いので、このコロナ菌に対する恐怖心を抱くことも無く、時間が掛かるにしても何れは収束できると思っているに違いない。確かに日本も過去様々なパンデミックを克服してきたことを思えば、それは正しいかもしれない。

そのように考えたいのだが、嘗てのパンデミックの中で最も身近に感じたのはエイズと記憶するが、今回のコロナ菌はそれ以上に身近に迫っていることだけは間違いない。しかも今回は罹患した場合死に至る可能性も高い。ある友人はもう死んでもいいじゃないかと言うが、年をとっても死が怖いのだ。政治家は何故この年寄の恐怖感を分かってくれないのだろう?長い目で見れば、先行き短い人間がこの先5年10年生きようと明日死のうと関係ないと言ってはいないが、考えの根本にあるだろう。

彼等の頭にあるのは日本という概念。これに個人の命も含まれるだろうが、それより法秩序とか経済とか言った概念の方が大きなシェアを占めている。しかし政治家の考え方にも微妙な差があって、日本をどのように進めていくか意見の集約が行われないのがまた怖い。強力なリーダーの不在だから仕方ないのだろう。首相を見ていると幕末に大阪から急遽江戸に逃げ帰った徳川慶喜とそっくりだ。

連日江戸城内で佐幕派諸侯の評議が開かれたそうだが、これは小田原評定の典型だったと後世の人は言っている。結果はご承知のように一旦大政奉還に決するが、結局勤皇派の思惑通りかどうか、戦争に巻き込まれてしまう。勤皇派をコロナ菌を例えるのは適切でないかもしれぬ。別の言い方に変えるとすれば、東北大震災時の福島第一発電所で発生した水素爆発だ。水素の危険性は、科学者が事故発生当初から指摘していたが、計測機器は機能せず、目に見えないので可能性の高まりを、一般社員や官僚も政治家も確認し得なかった。これと似てはいないか。

己の科学知識の低さもあるが、政権のバカさ加減には恐怖を覚え始めている。

2020年7月16日木曜日

オンライン ミーティング

先日、高校同期生の仲間数人で定期的(週に1回)に行うリモート会議に参加したことは既に書いた。参加者は未だ10人にはならないが、80歳老人にしては世の流れに遅れまいと努力している方だと思う。なんて思っていたところ、数日前の夕方小雨降る夕闇の中で、池袋から有楽町線1つ目の要町駅出口の路上に何やら怪しげな人数がビラまきをしていた。この時刻に時折見かけるのは宗教団体のビラまきが多いので、避けようかと思ったが少し様子が異なる。

人数が少し多いことと幟が数本立ち並び、まるで選挙時の候補者演説のような雰囲気がある。しかし候補者らしき人影は見えない。興味を覚えて近づくとビニール合羽にフェイスシールドを着用した人が寄ってきてチラシを差し出した。人相は暗がりで定かではないが、耳にイヤホーン差し込み何やら喋っている様子。どうやらこの人物の声がスピーカーで拡大されていたらしい。面白いのでチラシを受け取り自宅まで持ち帰って読んでみた。

タイトルは「立憲民主党 鈴木ようすけと語る会 オンライン」となっている。人物は近所にポスターが年中貼ってあるので名前には記憶あるが、たしか彼は自治体でも国会レベルでも未だ一度も当選していなかったはずだ。ところで、自分の区内からでている区会、都会の議員は知っているが国会議員が誰かが思い出せない。一昔前に現在の都知事小池百合子氏が民主党地盤をひっくり返して以来興味が無くなっていたのかもしれぬ。

早速ネットで確認すると、チラシを配っていた人物と同じ姓の鈴木隼人氏と言う自民党議員の名前が上がってきた。そう言えばこの人のポスターもあちこちに貼ってある。二人共1970年代なかば生まれで似ている。立憲鈴木氏は立教レスリング部主将からNHK記者でを経て政治を志し、現在は未当選選の浪人中。自民鈴木氏は東工大出身で経産相経由して自民党に入党した順調満帆組だが似ていると言えば似ている。

そう言えば、これもつい最近、平野貞夫氏のメルマガに「七夕の日に小沢一郎氏と会食、秋の総選挙はあるとのこと意見が一致」とあったことを思い出した。「右向けぇ、左」のように意味不明な号令を発し続ける首相閣下のことだ。これも実施することが時局柄疑問視された都知事選の結果を見て、時局を国難どころか好機と捉えても不思議はない。メディアも国会解散情報に敏感に反応している。影響が池袋周辺に及ぶのもやむを得ないのだろう。

立憲鈴木氏のチラシには次のように書かれている。「7月23日18:00~19:30」立憲民主党東京都第10区総支部長として開催します。(参加方法:Zoomというオンライン会議サービスを使用します。無料で参加いただけます)とある。なるほどこんな時代になったということか、ならば参加すれば世相をより深く知る切っ掛けになるかもしれぬ。

2020年7月15日水曜日

体内時計

じっとしていても汗ばむような暑さに比べれば益しかも知れぬが、なんとも言えぬ暗く陰鬱な梅雨空が続く。つい最近まで山歩きを趣味にしていたくらいだから気温と体調に合わせて着替えを頻繁にするのはそんなに気にしないが、昼間も就寝時も日によって着衣がコロコロ変わる。後1週間もすれば梅雨が明けるらしいが、同時に来る真夏の嫌らしい暑さを想像するだけで、気分は一向に晴れない。兎に角体調だけは大事にしたい。

昨日は日中から電灯を灯していたので気が滅入ってブログも書く気が起きなかった。今日も似たような天気の上、外ではガス配管工事の仕上げとして舗装工事が朝から続き、地響きと騒音で少しもさっぱりした気分ではないが、やはりやるべきことにしていることを諦めるのは未だ時期尚早と思い直した次第。

昨日初めて知ったのだが、世界に人口4千万人以上の国は31ヶ国しか無いらしい。しかもその中で日本は14才以下の人口比が12%と最下位らしい。高齢化社会とは聞いていたがこれには驚いた。我が孫にも一人該当者がいるのでより大切にすべきだと肝に銘じた。今年は世界中どこの国でも同じだろうが、若い人、特に子供にとっては受難の年だ。高校くらいまでは学校生活が始まり、子供や高校生の通学姿が確認できるようになったのは嬉しいが、大学は未だリモート授業が続いているようだ。

日本の大学生は殆ど通信機器は持っているだろうし、全国どの大学でもインターネット環境は整備されていると思うので物理的には可能ということなんだろう。しかし、如何に大人になりかけの青年であったにしても、友人とともに教師と顔を合わせて授業を受け、その後友人と帰路につく一連の流れと、リモート授業には非常に大きな違いがあるように思えてならない。友人と授業のことなんか話はしないだろう、と言われればその通りかもしれぬ。

思うのはメリハリのこと、教育の場から次のステージ、遊びでもなんでもいいが、に移るマ(間)の問題だ。大事なことから次に大事なことに移る時、何故かこのマがとても重要だと思う。人間には体内時計が備わっていて、学校に通い始めればそれなりのタイムスケジュールが体内時計に記憶され、頭の働きもそのスケジュールに沿うようになるのでは、と勝って思っている。その体内時計に逆らうと碌なことにならない。ネット囲碁をしていて負け続けることがよくあるが、大抵これに当てはまる。

今は子供に限らず世界中の人達が、体内時計に逆らう生活を強いられているので、昨日小生が昨日味わったようなストレスに晒されているのだろう。

2020年7月13日月曜日

雑誌への想い

サンデー毎日で仕事も無く、他人と話をしない日はあってもテレビを観ない日は無い。新聞の宅配も無いがパソコンで新聞の概要は分かる。残念なのは雑誌で、元々「家の光」(農協の機関誌)の専属広告代理店に就職したくらいなので、雑誌の出版社とは縁が深かった。その中の何社は現在も健在のように思うが、トンと音沙汰が無くなってしまった会社もある。

典型が「旺文社」。可哀想に潰れてしまったかとネットで検索すると、創業90年の立派な会社として存続していた。雑誌こそ発行をしていないようだが昔と同様、教育関係の出版を中心に関連事業で立派に存在している。「家の光」の版元は会社とは言えない一般社団法人ではあるが、似たようなもので創立96年にして、旺文社同様に今でも健在だ。社員数も共に200名弱。目出度い限りだ。

こんな事を思いついたのは、豊島区内に「光文社」の持ちビルがあり、雑誌が隆盛を極めていた我が現役時代にこのビルが新築され、お祝いに行った経験があるからだ。当時「光文社」本社は文京区内にあり、隣が「講談社」本社ビルだから少し見劣りがしてコンプレックスがあったのかもしれぬ。特に必要も無いのに、池袋駅西側に大きなビルを作ってしまった。最近毎日我が家から池袋駅までの往復は、このビルを横目で見ながらであったのに、先々月頃から取り壊しが始まり、先日更地になってしまったのである。

現役時代には光文社の諸先輩にも随分世話になったが、今は連絡取り合っている人は一人も居ないので、取り壊しの理由は知る由もない。書店に行けば光文社文庫のコーナーはあるが、当時雑誌業界最強と謳われた週刊女性自身が如何なる位置づけになっているかも知らない。何れにせよ、数ある雑誌出版社は、一時社業として大繁盛し、広告部員も多数居て、どこの会社も部長クラスは遊び上手の人が多く、大いに余慶を蒙ったことが懐かしい。

雑誌業界から離れて既に四半世紀、広告はネット関連が売上的には首位になっているらしい。栄枯盛衰は世の習いとはよく言ったものだ。

2020年7月12日日曜日

コロナ退治と経済

昨夜高校の同期生6名でリモート会議をした。別にどうということもなく友人の一人が1ヶ月ちょっと前に、今流行だからやってみようと始まったことだ。前々からリモートなんたらの話は聞いていたものの、誘われた時にはスマホを使わない小生には無縁のこと思っていたが、パソコンでも参加可能と言うことが分かり、サポートを依頼しているエンジニアの助けを借りてソフトをインストールしてもらった。

兎に角普段あまりにも人と話をする機会が少ないので、普通の会話の発声さえうまくいかない昨今だからリモートでもやむを得ないと思った次第。リモートだからなんとなく違和感はあるが、1週間に一度友人と無駄話をすることに慣れるよう努力中だ。高校同期生(1940年度生まれ)だから思いは伝わりやすい。昨夜はコロナも大分話題になったが、コロナへの警戒心はそれぞれの考えがあり、強いて言えば小生が一番臆病だったかもしれない。

中には活発なスポーツマンタイプも居て、9月には恒例のゴルフ会を蓼科高原でやろうとか、11月には長野での同期会をどうしようなんて話となってしまった。政府の「Go To キャンペーン」を批判している身としては参加すべきではないと思うが、半額で温泉に行けるとなると気が変わるかもしれない。コロコロ気が変わりやすいボケ老人の事などは扠措き、日本のリーダーには難しい舵取りの責任が伸し掛かる重大な局面だ。

2020年7月11日土曜日

ファクターX

今日は燃えるゴミ出しの日、昨日「月刊文藝春秋」最新号を買ってきたので、先々月の号を捨てようかと思って表紙を見て気が変わった。タイトルの下に特集内容が特筆大書されている。<緊急事態を超えて:ウィルスvs日本人>とあり、トップが山中伸弥教授と橋本徹氏との対談である。2ヶ月前に読んだはずだが、あまり記憶が定かではない。最新号もトップが本庶佑博士と柳田邦男氏が日本政府のコロナ対策に警鐘乱打しているが、改めて2ヶ月前に識者が何を言っていたか確認したいと思ったので、取り敢えずゴミとして捨てるのは止めて読み直してみた。

コロナ騒動は元々昨年末に中国の武漢で発生して、そこから全世界に蔓延したことが明らかになっている。当然ではあるが対応も中国が早く、都市封鎖から国境閉鎖まで行ったが、時既に遅くパンデミックになってしまった。日本は中国にも近く人の往来が多かった割には発生が比較的遅く、都内で初の感染者(中国からの帰国者)が確認されたのは1月24日だった。その後、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が寄港して、ここで大量の感染者が報告されたのが2月始め。

今にして思えばその影響だろうと思うが、都内で感染者が発見されたのが2月の半ば(13日)しかし、この時政府は未だ対岸の火事を眺めながら、本格的に火の粉が降ってくれば消化可能と思っていたに違いない。それよりも開催中の国会で20年度の予算を通過させることや、今年開催予定のオリンピックへの備えの方が重要課題だったわけである。勿論野党議員は、事態を重く見て予算にコロナ対策を追加して組み替えることを主張していた。

自民党にも医療関係出身議員はいるが、政府は耳を貸した様子が見られない。平たく言えば最初から政府や東京都は事態を甘く見ていた。しかし年度末に至り国内でも感染が拡がるにつれ、付け焼き刃で素人じみた対策らしき事を始めるが、所詮医学的知識皆無のお利口さんの思いつきだから、やること全てがトンチンカン。結局は世界保健機関の推奨すること周回遅れでなぞる結果になってしまった。

周回遅れで追いつく努力をしてればいいが、恐ろしいことに日本は死者数が比較的少ない事実を背景に、手順の遅れをスキップして経済活動優先を声高に言い始めている。政府が国民に都道府県を越える旅行を勧めるに至ってしまった。自治体首長の間では必ずしも賛成しない向きもあるが、東京都知事は完全に賛成派。国民としては悲しいことだ。ブログタイトルとだいぶかけ離れたが、山中教授は当初から日本人死者数が少ない理由が分からないとしてファクターXと仮設を幾つか述べた。しかしそれは未だ解明されず、今朝の日経新聞によれば北大の西浦教授との対談で「対策なければ日本で死者10万人以上」と述べている。

2020年7月10日金曜日

読後感「走狗」伊藤潤 著

著者は既に高名な歴史小説作家のようだが初めて作品を手にした。感想の第一は「久しぶりに面白い小説を読ませてもらった。」我が人生のこれまでで言えば歴史小説を好んで読んできたような気もするが、その中で読んだ作品の多さなどから敢えて第一人者を上げるとすれば司馬遼太郎氏かもしれぬ。司馬氏の小説も読みやすく面白いのが特徴だったように思うが、伊藤氏のこの小説はそれにも増して面白いとも言える。

明治維新前後に活躍した人物に関しては、多くの作家が様々な角度から人物を選んで小説化している。小説化された人物は西郷隆盛を筆頭に薩摩関係者が多いのは言うまでもない。しかし今回の主人公川路利良を取り上げた小説は無かったのか、読んだ記憶がない。今回(あとがき)を書いた鹿児島県出身の俳優・榎木孝明氏によると冒頭に次のように書かれている「歴史に興味を持っていいる鹿児島県人にとって、川路利良は大久保利通と並び二大嫌われ者という認識が高い。」

西郷隆盛を死に追いやった張本人代表格ということらしいのでそれは納得したが、もう一点気になったのが本書のタイトルだ。「走狗」と言う言葉はどう読んでも好印象に繋がらない否定的な意味を持っている。書店で本書に違和感を覚えて思わず手にした理由もそこにあった。確かに本書は主人公を含め登場人物を美化することには拘らず、時代の流れに乗って生き抜いた者、流れに飲み込まれて無念の死に至った者全てを公平に見ようとする作者の意図がはっきりしている。

小説家の心理として19世紀末に起こった明治維新と言う社会現象を100年近く経って、一種のロマンとして捉えたのが司馬遼太郎氏だったかもしれぬ。更に半世紀の時を経て、著者の伊藤氏はそこをロマンではなく、さればとて悲劇とすることもなく、できるだけ冷静に見つめているように思う。日本に起きた事実はしっかり踏まえた上で、小説の要素的には大きなロマンを盛り込み悲劇的要素もたっぷり取り込んでいる。

主人公を取り巻く維新の立役者の絡みも、歴史的事実から乖離しない配慮はあると思うが、新しい解釈も当然加わり、それぞれの人物像が生々しく描かれている。息もつかせぬ面白さだったし、勉強にもなった。

2020年7月9日木曜日

悪夢

昨夜の夢見が気持ち悪い。故郷信州に帰ったのは良いが誰かすごく親しい人にコロナウィルスを感染させてしまったのだ。少なくとも来月末までは長野に行かないと決めているのに、なんでこんな夢になったか分からない。蟄居巣篭もり状態でいるし、体調も特に異常は感じていないが、毎日池袋まで出歩いている事実はある。マスクもどこかに入店するときしか着用しないので、現在問題化している空気感染があるとすれば、感染している可能性はゼロとは言えない。

こちらは悪夢に苛まれているのに比べ、政府のコロナ担当大臣閣下は至って爽やかなものだ。「現在市中感染は抑え込めているので、他県への移動については制限致しません。」なんて未だ言っている。こちらも昔は相当無責任だった者だが、最近はニュースを観たりして少しは社会情勢にも注意し、できるだけ人様の迷惑にならぬよう気は遣っているつもり。ましてや今度の騒動は、相手がどこに潜んでいるか分からないので始末が悪い。

つい最近までは、少なくとも自分が無症状感染者の可能性ありとは夢にも思わなかった。しかし昨日のBS-TBS「報道1930」によれば、東京の陽性率は既に30%を大幅に超えているとのこと。ネットで再確認したかったが、何故か1月から5月7日までしか表示されていない。このグラフによれば4月11日に31.7%を示した後5月7日には5.0%に下がったことになっている。ここから先が問題であるが、専門家のドクターが「既に30%を大きく上回り、間違いなく市中に感染が拡大している。」と断言している。

寝る前にこの番組を見てしまったので悪夢を呼んでしまった訳だ。そもそも日本は検査体制がいつまで経っても整わないので、コロナに対する手の打ちようが無いらしい。昨夜の番組に出演していた自民党の塩崎恭久氏によれば「外野がなんて騒ごうと、法律を改正しない限り現在ボトルネック状態になっている保健所ルートの解消は出来ない仕掛けらしい。法治国家故の事か知らぬが、法律を変えるには国会の承認が必要らしい。「なら、なんで慌てて国会を閉じたんだ。コラァ!」

この番組には毎度必ず自民党関係者が出演しているが、皆その場ではレギュラーコメンテーター堤伸輔氏や野党出演者の意見に同意するようなフリをこくが「だって僕の責任ではないもん!」が見えすぎてイラつくばかりだ。「テレビカメラの前で偉そうな顔をしたいならCMタレントにでもなりやがれ。」要するに政府も東京都もコロナ対策として何もしていない。すべきことは素人目にも明らかで、市中に感染が拡大している陽性患者を早急に発見してその周辺をブロックするために検査機会を拡充するだけのこと。各国は現在そのために必死になっているが、日本だけは政府が休業状態で政局話だけが飛び交っている。

2020年7月8日水曜日

エンディングノート

このところ何か考えるのも面倒で、ただぼんやりと過ごしている。まさに食っちゃ寝の毎日で、こんなことではいけないとは思うが、だからといって考えても仕方ない。現在80歳3ヶ月、人生「100歳時代」と言う向きもあるが、これは間違いということだけははっきり言える。高名な医者の日野原先生という方は100才以上生きられたと記憶するが、非常に稀な例に過ぎない。

少なくとも個人的に知る限り、人間90歳を超えてあまり幸せだった人は知らない。生命保険会社が自社サービス売り込みのためにこのフレーズを持ち出すのは、広告屋の成れの果てだから許すとしても、政治的リーダーまで煽るのは如何ものかだ。むしろ加藤茶が宣伝しているどこかの葬儀屋が言うようにエンディングノートを勧める方が正解かもしれぬ。

誰でも同じかと思うが人生も80歳に至れば、その人の人生はあらかた終わったのと同じだ。過去は変えようが無いし、先行きに何かしようにも何も出来はしない。これまでしたいと思って出来なかったことをしてみたりするのが精々のことだ。そう考えれば、考えることも為すことも大いにあるかもしれぬ。
幸か不幸かその発想が湧いてこない。

若い時になりたいと思ったことは何だったのだろう?やってみたかった職業は言うのも恥ずかしいくらい沢山ある。いま小学6年生の孫は、もう大分前から電車の運転士になりたいと言って、未だにその考えは変わらないらしい。自分の若い頃と比べると見上げたものだが、果たしていつまで続くだろう?職業以外の趣味的なものでは、60歳代半ばからつい最近まで山歩きを趣味として、あちこちの山を歩いた。

それも最初から大それた目標が無かったので、既にお腹いっぱいの感がある。囲碁も趣味の一つ、強くはなりたいが才能の限界は感じ始めているので、さらなる高みをとは思わない。気が向いたら手合に応じてくれる人見つけて楽しむだけのこと。今でも高校同期生のグループメールには卒業時の7割以上が参加しているが、これから先の参加者は減ることは確かで増えること絶対無い。自分からサヨナラを告げる気持ちはないが、いつの時点かで友人が訃報を書いてくれるだろうう。その際には是非このブログを参考にしてほしい。これが我がエンディングノートに他ならない。

2020年7月7日火曜日

初志貫徹も考えもの

七夕の日に雨降りはやむを得ないとしたものだが、それにしても今年の雨はロマンもヘチマもあったものじゃない。昨年10月の台風19号は我が故郷長野に甚大な被害をもたらしたが、今回の集中豪雨が九州にもたらした被害は勝るとも劣らないかもしれぬ。報道で聞くところによれば熊本県球磨川は過去10年間で6回氾濫しているとのこと。流域の皆さんのご苦労は如何ばかりだ。

18歳まで山国の長野育ちなので夏の川遊びの楽しい思い出が多いが、川も一旦牙をむくと大変なことになるのは分かっている。昔から心ある為政者は治水には相当意を用いてきているが、近年の治水に関する管理者の根本思想はどうなのか?もちろん治山も同じこと、為政者が考えるより河川工学を学んで入省した若い技術者任せでになっているのだろう。

今の為政者は森羅万象何事も知らざること無しなんて言っているが、実際にはおつむが空っぽで何も考えていないようだ。従ってコロナもそうだが、天然自然への対応ではヘマばかり。周りを固める補佐官連中も東大出身の頭脳明晰な人材ばかりと聞くが、今どきの東大卒なんて弁解だけは一丁前だが、実戦には攻めも守りも役立たずばかりに見える。

政府に比べると静岡県のトップ、川勝平太知事は学者上がりだけに流石にしっかりしている。同じ治水問題でのJR東海への対応は見上げたものだ。大井川の治水に問題が生じる恐れがあるので、この問題の解決が保証されない限りリニア新幹線工事は認めないと言っている。この発言の味噌は頭から「リニア反対」を言わないところだ。

小生ならハナから「リニア絶対反対」で大騒するだろう。南アルプスのどてっ腹に穴を掘るなんてとんでもない。大井川の治水問題はさることながら、山の神の怒りに触れて何が起きるか分からないぞ。と言いたくなるほど南アルプスは美しい山並である。今から7、8年くらい前になるだろう、川勝知事が問題にしている地帯に入った時の感動が忘れられない。信州北部の山並みとは全く異なる大きく雄大な山々、初めて味わった山歩きの醍醐味。

そんな場所に穴をほって無人の乗り物を走らせ、事故が起きたらどうしようというのだ。リニア新幹線プロジェクトはJR東海の事業と言っても国家事業と同じ、27年に名古屋までの第1期工事完成予定となっていたが、川勝知事の抵抗でこれは大幅に遅れることになった。新しい技術に飛びつきたい気持ちは分かるが、そろそろ諦めの潮時だろう。

外国を礼賛したくないが、英仏で共同開発した超音速機コンコルドから撤退したり、仏が高速増殖炉を諦め核燃サイクルから撤退した勇気を見習うべきだ。

2020年7月6日月曜日

口説の徒

昨日は珍しくブログ書きを休んでしまった。特段の理由は無かったが、久しぶりに書店で面白い本を買ってしまったからかもしれぬ。何だかんだ言ってもやっぱり疲れてきたのかもしれぬ。偶には休んだほうが気が楽になりそうなので、これからもブログ休日が増えるかもしれぬ。

昨日のことではもう一つ、行くのを止めようかとも思っていた都知事選の投票も、雨の止み間を見つけて結局行ってしまった。宇都宮氏にするか山本氏か直前まで迷ったが、結局後者の名前を書いてきた。結果はご承知の通り小池氏の圧勝。これで来年オリンピック開催とくれば日本国民には最悪のような気がするが、景気回復に弾みがつくと歓迎する人もいるのだろう。

兎に角珍しい選挙だったことは間違いない。いくら自治体首長選挙とは言え、政策らしきことを何も語らず圧勝したのだから、小池氏は実に強運の持ち主だ。これも全て民主主義社会の為せる技だから仕方ない。かと思えば海外の香港では、宗主国とも言うべき中国政府によって民主主義が根底から覆されるという大事件?が勃発。日本を含む多くの国が一斉に中国政府を非難している。

中国といえば昨年少し友好的になったように見えたが、これで友好関係がまたおかしくなるだろう。日本にとっては大きな市場でもあり、産業のサプライチェーンとしての役割も大きいと思うので、経済界では頭が痛いに違いない。物を売ったり買ったりする経済の世界では、昔から相手の社会が民主社会でろうと、独裁社会だろうと関係ない。極端に言えば、地獄の鬼のような相手であろうと物を買ってくれれば有り難いお客様、お金を払って言うことを聞いてくれるなら下請けを担ってもらう。

日本はどちらかと言えば、コロナ対策より経済を重視する国家だから中国に対してあまり辛く当たらないほうが良いかもしれぬ。昔の日本は経済より社会哲学を重視する傾向が強かったと思う。現代の中国や北朝鮮に似ていたかもしれない。従って政治家は思想が重要視され、党派の違いを超えて志操堅固である人間でないと政治家にはなれなかったろうし、経済界を含め社会のあらゆる分野で組織の頂点に立つことはなかったと思う。

それがいつの間にか思想も志操もメチャクチャ、口説の徒が偉そうな顔をする時代となっている。アメリカだってそうではないか、と言う人もいるだろうが、トランプ大統領がそうなんであって、アメリカ全体がそうではないと思う。こんなブログを書く俺もその一人かもしれぬ。

2020年7月4日土曜日

タイミング

実際の争いごとは好まないが、囲碁となるとそうは言っていられない。必ずどこかで戦いが始まる。問題はそのタイミングの選び方だ。ヘボなりに悩みは多い。そこで思うのが最近報道されている自民党のお歴々のこと。この問題山積のさなか、国会を閉じてどうすればそういう発想になるか、俄に考えられぬが、何と政権幹部たちががしきりに盛んに解散風を吹かせている。その風が吹いてくるのが高級ホテルで等の密室で行われる談合。懐かしい言葉だ。

囲碁の場合のタイミングとは、自分なりに相手の応手を何パターンか想定して戦いをこちらから仕掛けることもあるし、相手から仕掛けられることもある。何れにせよ、戦いにはテーマがなくてはならない。ところが自民党の先生方は何を国民に問いたいのだろう?強いて推測すれば「安倍政権を続けて宜しいでしょうか?」以外は考えられない。世の中には色んな人がいるから安倍政権を強く支持する人もいるだろう。

昨夜テレビ「報道1930」に出演していた橋本徹氏もその一人。氏は「憲法改正問題を掲げて選挙を打てば勝機あり」を力説していた。面白いことを仰る人だ。改憲問題なんか北方領土問題と同じように、庶民の念頭からとっくの昔に消えているとお思いきやである。安倍氏に新たな知恵を授けたと鼻高々で語った内容が面白い。「もうアメリカからの押し付け論は古いから、国民投票を経ない憲法なんてありえない。」論で旗を上げるべきタイミングとの説。なんでもプーチン大統領の改憲手法にいたく感激したらしい。

確かにプーチン大統領の改憲手法は、大統領自身に素晴らしい成功を収めたと言える。コロナ騒ぎの渦中ながら僅かな期間の延期だけで目的を達したその手腕については誰もが認めるだろう。今回例示した囲碁の場合もよくあることに「勝手読み」なる警句もある。先に述べたようにタイミングを図る前に。誰でも一応相手の応手をイメージするが、ヘボであればあるほど、相手は想像通りには応じてくれないとしたものだ。

安倍政権のお歴々がどれほど上手な打ち手か、お手並みを拝見させて頂きたい。

2020年7月3日金曜日

PCR検査費用負担

東京のコロナ感染者が増え続け大騒ぎになっている。なんでも新宿と池袋の盛り場が危険と騒いでいるが、これって少しおかしい。日本の検査体制が圧倒的に弱いことの証明にはに他ならない。駐日米軍のそれなりの司令官たちは自国民や兵士に対して、<日本国内旅行はOKだが、北海道、東京、横浜、川崎はだめだ>とか<横田基地関係者の本州旅行は許可するが、東京・横浜首都圏は除き、新宿、渋谷、六本木は立ち入り禁止地域>を発出している。

当然独自の情報もあるのだろうが、政府や東京都と比べると遥かに具体的で分かりやすい。豊島区の片隅で蟄居巣篭もりを続ける1老人としては、夜の繁華街に池袋が加えられたのは当然と受け止めているが、不思議に思っていたことがある。東京は若い頃から憧れの地であり、その要素の一つが盛り場の多いことにあった。たまたま長居をしたのは今の池袋周辺であり、若い時は新宿であったが、広い東京には盛り場を上げていけば、とても両指では足りない。

山手線の各駅周辺には規模に差はあっても必ず盛り場は存在するし、山手線以外にも浅草、赤羽、錦糸町、高円寺、吉祥寺などは屈指の盛り場と言える。この場所全てにホストクラブが存在しなくても、男性客を目当ての今で言えばキャバクラ的な店は必ずあるだろう。どう言う訳か、盛り場の夜の代表としてホストクラブが槍玉に上がってしまったことがおかしい。夜の盛り場で異性を求めてうろつく女性より男性の方が圧倒的に多い筈だ。

東京にその種の店が何軒あるか知らぬが、都民に「その種の店に出入りしないように」なんて言っても始まらぬだろう。取り敢えずは、この種の店の従業員全員にPCR検査を官費で実施するくらいのことをすべきだ。どうも話を聞いていると、新宿のホストクラブ従業員たちの検査もどうも有料らしい。健康保険適用になったにしても、なぜ官費負担にならないのか不思議でならない。現在は昔の赤線は無いことになっているが、これ以上の濃厚接触はないと思われる性風俗店も都内には多数存在する。

梅毒検査などは組合の責任で定期的に行っているかもしれぬが、コロナ関係の検査も併せて行うよう指導すべきだと思うが、果たしてどうなっていることやらだ。仮に実施されていても、都会には地方からの出張者に人気の独立系の出張売春サービスも多く、これに網は被せられない。何れにせよ、コロナウィルスを撃退することは不可能であることを前提に、政府や自治体にはやるべきことが沢山あるが、その取組は全く見えず、善良な市民に向かって無理ばかり叫んでいる。

2020年7月2日木曜日

夏休みの計画

今朝早くに長女が旦那の実家(山形)から送られてきたさくらんぼを届けに来た。毎年頂戴しているが、大粒の佐藤錦を早速頂く。甘くて歯応えもしっかりしてなんとも言えぬ初夏の味だ。実家のお父さんは88才、お母さんは小生と同じ80歳で共にお元気のこと。家内健在なら自宅あてに送ってくださるところ、気を遣って頂き態々娘経由にしてくださるお心遣い。お礼は直接申し上げないが、くれぐれも宜しくと娘に頼む。

長女のところの孫は小学6年生で、学校での授業がようやく始まったとのこと。但し、後1ヶ月足らず8月1日から24日までが夏休み。夏定番のプールでの水泳は無しということで本人は大分ご不満らしい。夏休みが短いので山形の実家には休みが始まったらすぐ行くとのこと。お盆前にはJR の割引があるらしい。休みが短いので、長野の墓参りは失礼することになるかもしれないとのことに関しては、「もうそれは当然のこと。気にするな。」と答えた。

こちらの予定を聞かれたが、行くことは行くだろうが、未だ未定。何れにしても盆は過ぎるはず。とだけ答えておいた。「俺は毎日のブログで、長野の様子はだいたい想像がついている。山形も似たようなものだと思うが、地方では緊急事態宣言解除の意味は大きく、首都圏とは大分様相が違うと思う。コロナへの警戒感より東京人への警戒の方が大きいはず。従って、引き止められても出来るだけ早々に引き上げたほうが良いと思う。とアドバイス。他には、亡き妻の実家横浜にもずっと行っていないので、行きたいとのこと。これはどうせ日帰りだろうから良いのじゃないかと賛成。

こちらはサンデー毎日で夏休みはないが、今週から食事を2食にしていることを話す。夏だからということでもなく、今までが少し食い過ぎだったのでは、と最近思い始めたからだが、娘も大賛成。彼女の家も旦那がほぼ毎日在宅勤務らしいが、二人共昼食は抜きに近いくらい簡単に済ましているらしい。先週会食した次女なんか1日1食だと言っていたし、これまで自分がが食い過ぎだったことにやっと気がついた次第。

そんなことから生活の時間割を変更したいと、少しずつトライをし始めている。基本の就寝9:30、起床4:50は変更しないが、中身が変わりそうだ。これまで概ね16:30にアップしていたこのブログをアップする時間も早めたものか遅らせたものか目下思案中である。今日は少し早めに上げるつもりだが、遅くなったりすることもありうるのでご容赦願いたい。

2020年7月1日水曜日

見知らぬ人と聞き慣れぬ言葉

午前中に町内会の幹部らしい方が見えて、「最近この町内に怪しい人物がうろついていますのでご注意願います。大宮に行きたいのですが行き方を教えて下さい。から始まり、お金を貸して下さいの結論になる。背丈は180センチくらいで黒っぽい服装とのこと。既に私から警察に連絡してありますので、最近パトカーの巡回が多くなっているはずですが、もしそんな人物が現れたらすぐ警察に連絡して下さい。」と丁寧な話。

若葉の頃には少し頭の調子がおかしい人が増えるとは聞いていたが、もう若葉でもあるまいが、こんな世の中だからおかしな人間が増えるのもやむを得ないのかもしれぬが、気持ち悪い話だ。昼間だったら玄関がマジックミラーになっているのでドアを開けずに済むが、夜は逆に外からこちらが丸見えなので怖い。心しなくてはならぬだろう。

閑話休題:

最近の日本語の乱れが気になる中、美しい言葉遣いをする人会うことが少なくなった。だからかもしれぬが、昔の歌謡曲を聞くのが好きだ。メロディーもさることながら何よりも歌詞が美しいことに惹かれる。小池都知事のようにやたらに横文字を並べ立てる人物には辟易する人も多いだろう。先日孫との会話で、指導教官がIT技術の専門家でありながら日頃から日本語を大切にしたい、と語っている話を聞いて、その心を知りたいものだと思ったりしているところだ。

ところで読者の皆さんで「スキゾフレニク」なる英語をご存知の方は少ないと思う。小生はもちろん知るはずもなく、まずスペルを調べるのに手こずり、後にポケット版英和辞典をハズキルーペを掛けて引いてみたが掲載されていないかった。恐らくアメリカあたりでも知る人は少ない医学用語らしい。大きな辞書には「schizophrenic:精神分裂病の」と表記されている。これは今話題の前アメリカ大統領トランプ氏の特別補佐官ボルトン氏の回顧録で、韓国の文在寅大統領に対して使ったとして韓国人を怒らせているそうだが、日本の安倍首相に対しても同様の表現をしているらしい。

日本語訳は未だ出ていないようだが、日本では日本に関する記述の多さだけが話題になっている。安倍首相の話は日本人が聞いても解りにくいし、少し込み入った話をすれば、話の脈絡がつかなくなるのは当然だと思う。政治家は国土を守るのも大事かもしれぬが、国語を守ることも大切にしてほしいものだ。