2020年8月31日月曜日

8月も終わり

 ついに8月も終わるがやりきれない程の暑さだけは続いている。陽が少し短くなってきているので5時頃から歩き始めると直射日光だけは避けることが出来るが、それでも池袋まで行ってくると全身汗みずくとなる。まあ、もう暫くの辛抱だろう。今月に限ったことでもないが、今年は新しい思い出になるようなことが殆ど無い。2月の節分の日に奥多摩の三頭山に行ったことと、友人との会食が3回だけかな。

明日からのカレンダーを見ると、2ヶ月毎にページが変わるので写真が紅葉になっている。涼しくなったら、近場でいいから紅葉を訪ねて山に行きたいものだ。安倍首相の退陣表明が金曜日夕方だったので、テレビのワイドショーずっとその話でもちきり。タレントのたけしに言わせると、あらゆる番組に番組に出演を続けている政治評論家の田崎史郎氏は安倍退陣長者になったろうとのこと。うまいことを言ったものだ。

問題は後継に誰がなるかだが、土曜日のリモートミーティングで友人の一人が言っていた「岸田氏までは許せるが、菅氏だけには絶対なってほしくない。彼は各省庁高級官僚の人事権を一手に握り、手なづけて官僚の忖度を誘導した張本人。正に安倍政治を裏で仕切ってきた人間だ。彼が引き継いだのでは諸悪は何の反省も無く継続されてしまう。」言わばその最悪の選択なされる雰囲気が濃厚になっているようだ。

彼が同時に言っていたのは「あの訳の分からない日本会議なる組織と縁が切れなければいけない。」であったが、所詮は自民党、こっちも余り期待できそうにない。後1年以内に総選挙があるそうだが、その時に国民が何を選択するかが大きな問題になるだろう。野党勢力が未だにコップの中の争いを続けているようだが、早く大人になって自民党に対抗しうる政党になってくれることを祈りたい。

昨日夕方遅かったせいもあるが、池袋の人出はすごく賑やか。流石に殆どの人がマスクをしているが、コロナに対する恐怖心が消えてしまったようだ。

8月も終わり

 ついに8月も終わるがやりきれない程の暑さだけは続いている。陽が少し短くなってきているので5時頃から歩き始めると直射日光だけは避けることが出来るが、それでも池袋まで行ってくると全身汗みずくとなる。まあ、もう暫くの辛抱だろう。今月に限ったことでもないが、今年は新しい思い出になるようなことが殆ど無い。2月の節分の日に奥多摩の三頭山に行ったことと、友人との会食が3回だけかな。

明日からのカレンダーを見ると、2ヶ月毎にページが変わるので写真が紅葉になっている。涼しくなったら、近場でいいから紅葉を訪ねて山に行きたいものだ。安倍首相の退陣表明が金曜日夕方だったので、テレビのワイドショーずっとその話でもちきり。タレントのたけしに言わせると、あらゆる番組に番組に出演を続けている政治評論家の田崎史郎氏は安倍退陣長者になったろうとのこと。うまいことを言ったものだ。

問題は後継に誰がなるかだが、土曜日のリモートミーティングで友人の一人が言っていた「岸田氏までは許せるが、菅氏だけには絶対なってほしくない。彼は各省庁高級官僚の人事権を一手に握り、手なづけて官僚の忖度を誘導した張本人。正に安倍政治を裏で仕切ってきた人間だ。彼が引き継いだのでは諸悪は何の反省も無く継続されてしまう。」言わばその最悪の選択なされる雰囲気が濃厚になっているようだ。

彼が同時に言っていたのは「あの訳の分からない日本会議なる組織と縁が切れなければいけない。」であったが、所詮は自民党、こっちも余り期待できそうにない。後1年以内に総選挙があるそうだが、その時に国民が何を選択するかが大きな問題になるだろう。野党勢力が未だにコップの中の争いを続けているようだが、早く大人になって自民党に対抗しうる政党になってくれることを祈りたい。

昨日夕方遅かったせいもあるが、池袋の人出はすごく賑やか。流石に殆どの人がマスクをしているが、コロナに対する恐怖心が消えてしまったようだ。

2020年8月30日日曜日

政治家の言葉

 昨夜数人の友人とリモートで雑談を楽しんだ。話が安倍晋三氏辞任に及んだ時に一人が、各国のトップの演説における説得力について語った。時代が如何に変わろうと、国のトップは国民になにか訴えなくてはならぬ事情が必ず発生する。トップが見据える将来であったり、国民にある覚悟を共有して貰ったり、事情は変わっても共感を得るには自分の言葉が大切だ。その意味からして日本の政治家は言葉が貧弱に過ぎる。

彼はドイツとの戦いに際して国民を鼓舞した英国チャーチル首相の演説を引き合いに出した。外国語が全然なので実際は分からないが、彼の言う通りだとしても、こりゃ日本の政治家諸氏には少し可愛そうな気がしないでもない。ただ政治家の演説に心が揺さぶられた経験がないのも事実だ。現代の各国トップで評判が良かったのはドイツのメルケル首相だった。もう一人の友人がトランプ大統領の下品なまでの演説について語った。あれで熱狂する共和党大会のニュースを観ながら、なんて馬鹿げた国民が居るものだなんて思っていたが、アメリカ人にはあの手の演説が結構効くらしい。

韓国のキリスト教会なんかもそうらしいが、一種のアジテーションで多数の人間が一瞬恍惚状態に陥ってしまうことがよく起きるらしい。だから世論調査で民主党のバイデン氏がリードと言われているが、今後トランプ氏があの調子で「アメリカファースト」を繰り返し絶叫していくと、熱に浮かされた人間が投票所に行き、そうでない人は棄権なんて現象が生じて、どこかで引っ繰り返される危険性が多分にあるとのこと。彼は在米経験が仲間のうちでは最長であり、トランプ氏が好きでもないので冷静な分析らしい。

外国の政治家のメッセージは兎も角、今週半ばからは自民党の総裁選挙になる。どんなメンツになるか未だはっきりしないが、候補者は嫌でも自分の言葉で所信を述べざるを得ない。自民党員でもないので投票権はないが、長期に亘った安倍政権をどのように総括するかが観ものだと期待している。しかし、聞こえてくるのは政策の継続性の重要さばかり。期待は叶いそうにない。

2020年8月29日土曜日

目的と手段

 昨日は首相辞任表明で午後からテレビを観る時間が多くなり、夕方涼しくなってからも出掛けず、結局1日歩行数が普段の半分5千5百歩に留まるという事になってしまった。この点は大いに反省すべきだ。1時間以上に亘る記者会見も初めから終わりまで見届けたが、未練がましさを感じるばかり。安倍氏は何故首相になったのだろう?特に一度は辞めて再び返り咲いたわけだが、記憶にあるのはスキャンダルの連続で、検察に心があれば牢屋に打ち込んでほしいと思っていた。

夜に入ってから様々な人が感想を述べていたが、印象的だったのは財界人の全てが安倍氏の功績を讃え謝意を述べていたことだ。一般人は二度の消費税増税に辟易していると思うが、財界人は法人税を引き下げてもらった上に株価まで引き上げてくれたのだから当然かも知れぬ。検察はどう思っているか知らぬが、今回の退陣が政界からの完全リタイアであれば、全てのスキャンダルがチャラになっても仕方ないように思った。安倍氏も辞任を決断するに当たって、身に降り掛かっている不始末に関して司法当局の出方を慎重に探ったことだろうう。その上での未練たらしく「一議員として・・・」なんて言ったことになる。

安倍氏に限ったことではないが、日本の政治家の多くが政治家になる目的が曖昧のように思う。特に世襲議員にこの傾向は強いかもしれぬ。極端に言えば政治家になることが目的化しているのだはないか。嘗て一度政治家になり、参議院議員としてその甘さを享受した後、タレントに変身した杉村太蔵氏がいる。彼はアルバイトで生活で苦労していた時に偶々自民党の比例候補に応募してラッキーを掴んだ。彼の生き方ははっきりしている。「兎に角お金がほしい、その手段として自民党議員もありか?」は決して悪いことではないし、ある意味で己を弁えているとも言える。

こんな事を書いた理由は、最近また小泉進次郎氏が度々テレビで報道されるからである。彼を観るたびに何故か杉村太蔵氏を思い浮かべてしまうのだ。杉村氏の場合は目的が先ずあり、手段として政治家になったことがはっきりしている。小泉氏が手段として政治家の道を選んだのは何故だろうか?親父が「地盤、看板、鞄を譲るから政治家を継げ。」と言ったからなったまでかもしれぬ。兄貴は芸能界でそれなりに頑張っているし、俺も政治の世界でそれなりに頑張ろうと努力の最中かもしれぬが、この程度の人物が次期首相候補として取り上げられるのだから日本の政界も気楽なものだ。

他人ことは偉そうに言うが「お前の生きる目的は何だ?」と問いただす声が聞こえそうだ。今朝はその事を考え続けてやっと答えが見つかった。内容は恥ずかしくて書けないのでご容赦願いたい。

2020年8月28日金曜日

自戒を込めて

 安倍首相ではないが今月は病院以外どこにも出かけず、只管家に閉じこもってブログを書き続けてきた。故にネタ切れの感無きにしもあらずだが、後3日書き続けられれば皆勤賞ものだ。今日も既に書くべきことがすぐには思い浮かばない。夕方には病気を押して公務に励む首相が記者会見を開くとのこと。側近と相談しながら何日も掛けて準備をしてるとしても、気の利いたセリフを期待するほうが無理だろう。

今日はアメリカトランプ大統領指名受諾演説もあったが、これも聞き飽きた感がある。「口には出してないが(今まで世界ナンバーワンだと思っていたらどうも中国に遅れているみたいだ。)ならば、中国を叩いて再びナンバーワンに返り咲こうではないか。」これで拍手喝采する国民が40%もいるのだから、大統領もそう簡単には辞められない。日本でもタレントの薬丸裕英氏がテレビのワイドショーで、麻生財務相の記者会見を観た感想で次のように述べたらしい。

観た記者会見の内容:「安倍首相の健康不安説をどのようにお考えですか?」と質問したテレビ朝日の記者に、麻生財務相がいつもの上から目線で「帰ってこられた顔色見たって、どう考えたって画像の映りの悪いテレビ朝日でも顔色良く映ってたもんね。無理して顔色良くして映像流した訳じゃないだろ? そんな技術もないだろうし」と悪態をついた様子を紹介。

これに対して薬丸氏が「まず何様? って思います。この方」と感想をもらしたあと「個人的感情はとりあえずおいといて、副総理として言わなきゃいけないこと、質疑応答はちゃんとしていただきたいと思う。こんな物言いしかできないんだったら、このポストにいないでいただきたいですね。本当に。これが一番醜い」と答えたらしい。記録を読む限り、至極まっとうな物言いだと思う。

がしかし、この発言がネット上で大炎上してネトウヨと言うか麻生支持派の書き込みが多数に上ったとのこと。例えば

「薬丸裕英さんって麻生さんに対して何様とか偉そうな事言ったけど、一国の副総理にこの発言は酷すぎる。もう政治批判でもない バイキングはいらないしもし台本ならフジテレビ自体終わってる。」

「薬丸こそ何様だよな、麻生太郎は偉そうなんじゃなくて偉いんだよ。目上の人に言葉遣い気をつけろと言えるだけの薬丸様なの? キモオタ顔のおっさんじゃん。」

「この人、麻生さんが何故、あんなふうに言ったのか理解できてないね。 麻生さんは当たり前の感情で当たり前の事を言っただけ。 なんか言っちゃってるこの人が哀れに見える。不愉快でしかない。 分からないなら発言するな。」

人様々だから自分はまともだと思っていても、違う人から見ればそうは見えないこともありうる。大いに自戒する必要がありそうだ。

*ここまでは昼前に書いた内容だが、2時過ぎになって安倍首相辞任の報道が出た。一昨日同情に値すると書いたばかりだが、本当になってしまった。由緒正しい家に生まれるのも楽じゃない。身から出た錆とは言いながら、可哀想だ。

2020年8月27日木曜日

不要不急の旅

 Go toキャンペーンから除外された東京が、来月になったらキャンペーンの仲間入りさせてもらえそうな雰囲気が漂い始めた。こんなこととは関係なく、涼しくなったら長野に墓参りに行くつもりだったが、折角だから次の分科会の結果を待ってみようかと思っている。仮にキャンペーンの仲間入りしても、キャンペーンのメリットを受けるつもりもないし、地方に行けば東京の人は何となく警戒されて当たり前だ。墓参りが終わったら早々帰宅するに越したことはない。

外国の報道を観ていると、欧米の人たちは何でそんなに外国旅行をしたがるのだろう?日本でも外国旅行が好きな人はいるだろうが、まかり間違えば旅行前後に数日隔離されることを知りながら、出かける物好きは少ないだろうし、殆どの人は国内旅行すら我慢しているみたいだ。政府や自治体がお願いベースで言うところの「不要不急の外出」を多くの人が自主的に控えているのではなかろうか。

欧米と言っても国は多数あるが、英語に「不要不急」なんて単語があるか興味を持って調べてみた。勿論そんな便利な単語はない。辞書をひくと「nonessential and nonurgent」とか「nonessential and nonurgent」と出てくる。「不要なことは急ぐ必要がない」のは当たり前で、日本人が使う「不要不急」とは少しニュアンスが異なる気がする。日本語の場合はものごとの順番で、優先的に排除する事柄を明示するために使っているのはご承知の通り。欧米人には自分の頭で物事の優先度を検討する習慣がないかもしれない。

最近はアメリカ、ベラルーシ、レバノンあたりからデモのニュースが毎朝流れてくる。アメリカの場合は黒人差別に対するものだから少し違うかもしれぬが、海外のデモの殆どは反政府デモだ。少し残念に思っているが、日本ではなかなか反政府デモが発生しない。こじつけめくが、日本人の国民性の中に、個人の欲求は不要不急と考えるべき、なんて為政者にとっては都合の良い倫理観が刷り込まれているように思える。

2020年8月26日水曜日

同情に値する

 首相の健康状態が取り沙汰されている。いろいろな説があって、中にはかなり悪いので近くリタイアせざるを得ないとか、ついては次期自民党総裁候補は誰それと、ご本人がどれほどテレビを観ているかわからないが、未だ意識のある病人の枕元で葬式の準備話をしている感もある。勝手に想像すると、コロナでよく言われる基礎疾患かどうかは別にして、体調が良くないことだけは確かなようだ。

首相とは内閣総理大臣、行政組織の最高責任者。会社に例えれば社長さんで、専務か常務かは別として役員に相当するのが副首相と官房長官かもしれぬ。他に陣笠諸侯がなりたがる大臣も役員部長クラスも一応役員としておこう。これがまた17人もいる。副首相も財務大臣を兼ねているので18人かもしれない。ところで最近良く耳にするのが首相の「公務」だが、首相の公務とはなんぞやである。

簡単に言えば役員会に当たる閣議を司会して、内閣として重要な意思決定を決め、それを各役員に下達することにありそうだ。原則的にはこれが週に2回開催されることになっている。ここで何を決めるか、先ず閣法と言われる内閣としての法案を決定して、国会に送って審議を依頼すること。これが最重要だと思うが、現在国難に直面している意識が薄いのか、コロナ対策に関して閣法を準備している様子は伺えない。他には・法律、条約の公布とか・政令の決定なんかがあるが、各国ともコロナで忙しいので外国との関係で条約云々なんて問題も少ないだろう。

昔の会社に例えて書いてきたが、日本の内閣も当面競争相手がいないので、無能かもしれない部下に任せておいても、仕事は各役所の官僚がしているので、すぐに倒産することはない。昔勤務していた零細企業も似たようなもので、週に1回か2回社長が部長クラスを集めて1席打った後にすることは、自身のスケジュール表に毎日昼夜の会食予定を書き入れ、秘書に命じてその席の予約を入れることにあった。首相であれ社長さんの「公務」の大半はなにかの折に役に立ちそうな人間との会食に尽きるのかもしれぬ。

こう言ってしまえば首相にしても社長にしても「気楽な稼業と来たもんだ」とも見える。が、実態はそんな生易しいものではない。毎日2回ずつところを変え、相手を替えて美味い料理を食い続けるには相当な体力が必要となる。安倍首相の基礎疾患の詳細はぼんやりしているが、部位が消化器にあることだけは確かなようだ。従って首相にとっての「公務」がかなりきつくなっているに違いない。にも拘わらず明後日の記者会見の原稿を準備中ということは、安倍氏はそう簡単にギブアップはしない腹のようだ。

皮肉な見方をすれば、ギブアップしたくても周囲を見渡した時、誰一人頼れる者がいない上、後任すらイメージできないので出来ないのかもしれない。正に同情に値しそうだ。

2020年8月25日火曜日

身近な人達

 今月いっぱいで閉店と聞いていたので、昨日の夕方態々有楽町の「素敵庵」に行って名残のステーキを食ってきた。ここの和牛ステーキは箸でも切れそうな柔らかさだが、提供される段階で既に食べやすいように包丁が入れてある。添えられているじゃがいも、人参、ほうれん草、ブロッコリ等の野菜が豊富で、にんにくの切り身が肉の下に敷き詰められている。肉の上には玉ねぎのスライスがたっぷり掛けられ、焼き上げの最後に振りかけられる独特の醤油風味のタレがなんとも言えない味を醸し出している。

この店に関してはこのブログでも何回か書いたと思うが、後1週間で閉店だから、いくら宣伝になりそうなことを書いても仕方ないのが残念だ。店はその昔西銀座デパートといった首都高下の商業施設、現在は銀座インズ1と言われている地下1階にあり、とんかつ屋と天ぷら屋の姉妹店と併せ3店舗が連なっていた。反対側にも少し前まで似たようなレストランが3店舗か4店舗あったはずだ。しかし昨日見ると、反対側の店は全部シャッターが降りて閉店、姉妹店も天ぷら屋は既に閉店だから、本家のとんかつ屋と「素敵庵」の2軒だけで人通りも少なく寂しい限り。

5時半過ぎくらいだったが、店内の客も2つのテーブルに3人と2人の5人だけ。照明もいつもより暗く感じたのは気の所為だったのだろうか?店員の数も少なく、顔見知りは2人しかいない。多分辞めるべきスタッフは既に辞め、就職先を探したりしているのだろう。顔見知りの二人は、来月以降本家のとんかつ屋で引き取ってもらえることが決まっているので、最後まで店を仕切る責任を負っているとのこと。いずれにしても寂しさが漂っている。

最後に勘定を払う段になると、一人がしみじみ口にした。「今日は態々本当にありがとうございます。私がここに来たのが11年前ですから、11年もの長い間お世話になりました。」との話で、もう11年にもなるかと改めて驚いた。聞けば、彼も既に結婚して2人の子持ちとのこと。「隣の本家に引き取ってもらえて、本当に良かった。俺はとんかつも好きだからまた会えるね。元気で頑張ってよ。」

同僚であった他のスタッフの消息なども少し聞いたが、皆それなりに苦労しているようだ。日本の景気とか大きなことは分からないが、身近には苦労している人が増えていることだけは確かだ。

2020年8月24日月曜日

NHKの番組

 昨日と今日は大分凌ぎやすくなってきた気がする。未だ油断はできないだろうが、少なくとも就寝時にエアコンを付け放してたら夜中に寒気がして起きてしまった。今月は在宅時間が長いのでNHKスペシャルで海軍艦船に関する番組を立て続けに3本も観てしまった。2016年12月放送の「戦艦武蔵の最期 ~映像解析 知られざる“真実”~」・2020年1月放送「幻の巨大空母“信濃”~乗組員が語る 大和型“不沈艦”の悲劇~」・2020年7月放送「「少年たちの連合艦隊?“幸運艦”雪風の戦争?」

観ての感想は「なんて馬鹿な戦争をしたものか」の一言に尽きる。しかし現役時代に少しとは言えテレビ番組の制作に関わった経験からして、やはりNHKのドキュメンタリー制作能力には脱帽せざるを得ない。日本の制作プロダクションが民間放送からドキュメンタリー制作を受注するためには先ず企画書提出が絶対要件。企画書と資料を整えて局のプロデューサーに提出して認められたら、後は予算の折衝があり、続いて大体の放送予定日も決められる。海外ロケを含むかなり大型の企画でも、予算が5千万円を超えることは珍しいだろう。

自分がいた弱小プロダクションであれば、2千万円の作品を受注できれば大喜びだった。番組制作の手順としてはNHKも民放も大差ないだ筈で、NHKでも予算の制約もあるだろうし、外部のプロダクションやフリーのリサーチャー等など外部スタッフが大勢関わっているに違いない。大きな違いはそのスケールの差にある。特に外国の公文書館との交渉や、敵国であったアメリカ人兵士やその遺族探しや取材、これに関わる人材や時間は膨大なものがあるだろう。

更に民放に真似ができそうにないことは、記録映像のコンピュータに依る解析から進み、アニメ化する技術。軍艦の模型一つ製作するにも莫大な費用が投じられた筈だ。古い音声や映像の復元技術も、専門の研究所を持つNHKならではものであり、残念ながら民放では何年経っても真似できそうにない。普段ニュース報道や政治討論番組を観ながら、なんて下らない報道をするのか、高い視聴料を取りやがって政権ヨイショばかりとはとんでもない組織だと思っているが、こういった作品を見せられると、存在意義を認める必要もあるかななんて思ったりして。

2020年8月23日日曜日

欲張り

 誰でも同じだと思うが、人間の欲望は切りがない。目の前に兎が2匹居るのを見つければ誰しもその2匹もろとも取って食おうと思っても仕方ない。しかし、前に1匹、後ろにも1匹を感じ取った場合に、それを両方取ろうというのはあまり賢明とは言えないだろう。舌切雀の童話によるまでもなく、欲張り婆さんは碌な目に合わないことは少し気の利いた大人なら誰でも知っていることだ。

にもかかわらず、日本政府はどこまでも欲張って二兔ばかりか三兔も四兔も追い続けている。コロナウィルスは封じ込めたい、経済をヘタらせたくない気持ちは分からぬでもないが、Go toキャンペーンの前倒し、オリンピック1年先延ばしの決定、IR法への固執はどう見ても支離滅裂でまともではない。結果的に1兔の尻尾でも掴んだならまだしも、虻蜂どころでは収まらず混乱のみが拡大している。

幸か不幸か野党の混乱が酷いので、政府は昭和20年夏の参謀本部よろしく命脈を保っている。しかし現場の混乱はいずれ何らかの他動的要因で解決されていくだろう。他動的要因が強く働きそうなのは言うまでもなく先ずオリンピック、どう考えても来年開催が可能になると考える人間は少ないと思うが、ローザンヌに構えるIOC本部も日本政府に遠慮しているのか中止決定を言い出さない。日本も傷をこれ以上広げないために1日も早く返上を言い出すべきだが、野党からさえその声は聞こえてこないし、マスコミの声も小さくて聞こえない。

IRは既に法案が成立しているので、誰もここで立ち止まろうとは言い出さない。近く国会が開かれれば法案通り3地点が確定するかもしれぬ。嘗ての参謀本部と同じで、一度方向を決定すると、それこそ天皇から声でもかからぬ限り、立ち止まって方針を変えることがありえないのだから困ったものだ。カジノは既にビジネス的に成功期し難いことは当事者が一番分かっていることで、知らぬは血道を上げている日本の関係者ぐらいだろう。

コロナ対策とGo toキャンペーンの前倒しは既に失敗が明らかで、一般国民は連日関係者の言い訳を聞いている。

2020年8月22日土曜日

見届人の不在

 昨日の朝4時過ぎに目覚めると、襖の隙間から漏れてくる隣の玄関の明かりが変な具合に点滅している。取り敢えず玄関の明かりは消したが、蛍光灯の寿命が尽きかけていることだけは確かだった。このところ昼飯を抜くことが多かったが、昨日は仕方なく暑い中池袋まで昼食に出かけ、途中で交換用の蛍光管を買ってきた。さて問題はそれからである。

玄関の天井に嵌め込まれた明かりの枠は木製で作られて摺りガラスが嵌められている。役に立たなくなった古い蛍光管を取り出し、新しい管に交換しなければならない。僅か58センチの短い管1本であるが、これが結構な難作業。木枠のどこを外して硝子板を交換するのか、家内が生存中に一度したような記憶もあるが、当然ながら手順は何も覚えていない。

先ず、独居になっても処分せず取ってあった金属製の踏み台を持ち出してきて、その真下に置いてみた。金属パイプ製踏み台の高さは60センチ、途中の中ほど片側だけに狭い踏み段が1段だけ付いている。天板は幅15センチ長さ30センチの長方形。戸隠山で蟻の戸渡りをヒョンヒョン歩いたのは60年以上も昔のこと。天板に登って明かりの木枠に手を添えて立ってみたが、既に足が震えている。踏み台の上で足の位置さえ変更できない。

家内がいないので、間違って転びでもしたらどうしたものか、不安がよぎる。誰に遠慮もいらない独居の気安さを半ば評価してたが、昨日だけは違って見届人の不在が大いに気になった。もし転げ落ちて頭でも打ったらどうなるかだ。幸いすぐ脇の壁際に作り付けの下駄箱があり、その天板がしっかりしていたので、片足をそちらに移動してなんとか安定的なポジションを確保できた。木枠の外しどころも簡単に見つかり、ガラス板も無事に引き出して下駄箱の横にそっと立てかける、そして古い管を取り外して前処理はなんとか終了。

次は買ってきた新しいLED管とグロースタータの取り付けだが、これに結構な時間がかかった。何となれば、築60年以上の古い家屋なので、管の受口に垂直の溝がない。何度も取説を見直すが、この溝が必須と書いてある。しかし今朝まで古い蛍光管が嵌っていたのだから嵌りさえすれば良いのだろうと勝手に決めて嵌め込んでみた。上下が逆だったり、グロースターターを左手で挿入するので逆回転になったりして一苦労も二苦労もあったが、兎も角交換に成功。

片付けの後、汗びっしょりになった体を拭いて、近くの自販機から110円で買ったカルピスソーダの美味かったこと、これぞ自分への褒美に他ならない。

2020年8月21日金曜日

一病息災

 人間は「一病息災」だから、身体に全く病がない無いなんて人は居ないに違いない。もちろん我も人の子だから人並み以上に不具合の箇所を抱え、日夜その調子と相談しながら暮らしているのが正直なところだ。だから他人の健康状態を論うのはどうかと思うが、我が国の首相閣下と北朝鮮の若旦那の不健康さは目に余る。共に1国のトップ中のトップ。その責任は自らの健康維持も含まれて当然のこと。

二人共何事もやりたい放題、連日好きなものを食べ、寝たいだけ寝て、運動も好きな時に好きなだけできる。日本では副総理の地位にいる麻生財務相が取材記者に対して「147日も働き続けたことがない貴様らに首相の苦労が分かるか!」と恫喝したような報道があったが、チャンチャラおかしくて笑えてくる。よくテレビに出演する自民党の陣笠諸氏も「我々は国会がなくても毎日このように働いている。」が常套句だが、これも「ふざけるな、ならば何故国会を休会にするのか!」馬鹿馬鹿しくて聞いていられないが所詮は言い訳に過ぎない。

要するに、北の若旦那にしても日本の首相しても自らを甘やかすだけ甘やかしているので、時々お腹が痛くなったり、心臓が停止し掛かるのは当然といえば当然の報いであるのは医者でなくても分かる。兎も角、親分がまともに仕事が出来ないのだから、下っ端の陣笠がまともな仕事ができる筈がない。真に両国民にとっては不幸でもあり、不都合なことだ。今日の昼過ぎ、池袋の地下街を歩いていたら日刊ゲンダイの褌広告が目に入った。確か<首相癌の疑い>と書かれていたように記憶するがネットには未だ何の情報もない。

そんなことはどうでもいいが、自分の身体についてさえどこが悪いか確信も持てず、何でも他人任せで済ますつもりの安倍晋三氏だ。どんな名医に診てもらおうと自分のことが分からないのだから始末が悪い。人間誰でも一定の年齢(例えば50歳とでもしようか)になれば一病息災の年齢だ。そのあたりから自己管理が重要となり、するとしないでは晩年に大きな違いが生じるだろう。

安倍氏は小学校入学以来、受験経験が一度もなく大学を卒業して就職まで決まったと自慢している。ある意味で、現在でも総理総裁としての自らの責任を自覚することも出来ず、身体の管理も他人任せなんだろう。医者でもない一介のボケ老人が言うのも烏滸がましいが、安倍氏の健康は今後益々悪くなる可能性が高いと思う。野党も「首相自ら病状を明らかにすべきだ」なんて馬鹿なことを言っているが、そんなことまともに答えられる安倍氏でもなかろうし、聞いたところで「だからどうした?自分の頭のハエでも追え。」だ。

2020年8月20日木曜日

入浴のこと

 今度の土日は雨が降って少し暑さが和らぐと予報は言っているが、兎に角残暑が厳しい。ブログ書きの日課も何を書くべきか頭が回らぬほど日中の思考力は低下している。日中の外出は良くないと思うので、昼間は昼食にも出かけず、エアコンをつけて家にいることが多いが、6時間以上同じ姿勢で居るのも本当は身体には良くないだろう。分かっているけどやめられない。

最近は5時近くなってやっと外に出る決心がつく。池袋まで約40分、早めの夕食を済ませて帰宅する頃には薄暗くなり始めている。それでも都会の夕暮れは気温がそう簡単に低くなってはくれない。家に到着する頃には着ているシャツまで汗が滲んでいる。家に入るなりズボンだけは脱いでハンガーに掛けて吊るすだけだが、あと全ての着衣を洗濯機に放り込み素っ裸で風呂場で水をかぶる。7時からのテレビニュースを観たいので、シャワーの時間は日によって少し異なるが概ね15分。幸い一人暮らしなのでスッポンポンで部屋の中をウロチョロしても誰も怒る人間はいない。

浴槽の蓋はもう長いこと開けたことがない。先日久しぶりに蓋を開けてみたら蓋の縁が少しヌルっとした感触だったが水はきれいなものだった。1回も入ったことがないから当たり前だ。涼しくなって入りたくなったら当然水は交換する予定。またシャワーの際に石鹸を使うのも2回か3回に一度くらい。きれい好きの現代人からすれば不潔かもしれぬが、幼稚園に通っている頃夏場に風呂(銭湯)になんか行った記憶がない。記憶にあるのは盥に張った池の水での行水だけだ。

小学校に上がってからは父が復員して県庁に就職できたので官舎に住んだ。ここには内湯があったが、夏場に風呂に浸っただろうか。夏はパンツ1枚の生活が多かったような気がするが、2年生くらいからは毎日のようにプールに通っていたので、やはり毎日風呂なんか浸っていなかったかもしれぬ。最近はテレビで、コロナ対策に加えて熱中症対策なんかも盛んに言っている。今日観たテレビはシャワーだけでは良くない、ぬるま湯に云々カンヌンとか言っていたが根拠は忘れた。

健康法は各種あり、取り入れ方にも個人差があろう。何度も書いているが、信奉するところは栄養・運動・睡眠のバランスと規則正しい時間管理に尽きる。結果がどうなるかは神のみぞ知るところだ。このところあまり面白くもないことばかり書いている気がするが、ニュースの中で書きたくなるようなネタが見当たらないので仕方ない。

2020年8月19日水曜日

父の教え

 我が人生を顧みて思うのは、そもそも目標が何であったかがはっきりしない。ただ親より長く生きればいいと良いうものでもないだろうが、親より長生きしたけりゃ後10年は生きながらえる必要がある。これも相当難しそうだが、親に勝ったことが何かあるか?これもなかなか見つからず、不肖の息子を絵に描いたような状態が気になるところだ。

なにか一つぐらいは冥土の土産にしたいと現在一生懸命励んでいるのが囲碁だが、これも最近さっぱりで、精神衛生に良くない。父は若い時に受験に失敗して3年浪人したそうだが、小生は幸い一度も浪人せずに社会に出ることが出来た。これはたった一つ親に勝っているが、父は昔から「浪人なんて長い人生で考えれば問題とするに当たらない。問題は大学で何を学んで卒業するかだ。」と言っていたので、自慢はできぬし困ったことだ。国から褒章や勲章をもらえるような社会貢献も無い。

父とは所詮敵わないので、子どもたちから見て褒められそうなことを探してみた。上の子はスキーはしなかったが、下の子は良くスキーに連れて行った。孫が出来てからも家族ぐるみで連れて行ったものだ。上の子も下の子も水泳は池袋のマンモスプールで泳げるようにしてやった。運動部とは縁のない学生時代だったが、スキーと水泳は父より上手かったかもしれない。なんて言ったところで、子供は二人共女の子、父の教えより母の教えが彼女らの人生に大きな影響を与えているのだろう。

父を超えられなかった男の子は幾つになっても劣等感に苛まれるが、父は「何でもやりたいことをして生きなさい。但し、常に他人に迷惑を掛けず、自分に厳しく他人に優しくすることが大切。」といつも言っていた。せめてこのことを残りの人生の縁として生きたいものだ。

2020年8月18日火曜日

熱帯夜の夢

 将来のことは分かりにくいとしたことなのに、何故か来年の景気が悪くなりそうなことだけは妙にはっきりしてきた感がある。現役で働いている人の中で給料生活者の割合がどのくらいか知らぬが、相当な割合であることは確かだろう。その多くの給料生活者が、来年まで勤務先があるかどうか心配しないまでも、来年の給料が上がりそうにないことは薄々感じているだろう。先週だったか、友人から東芝が東証1部から2部に落とされていることを聞いてびっくりしたが、東芝に勤務していた岳父が存命だったら何と言っただろう。

岳父は「東芝が潰れる時は日本が潰れる時だ。」が口癖だった。従弟も元東芝社員だし友人にも元東芝社員が数人いるが、皆優秀な人ばかりだ。駄目な人間が揃っていたなら分かるが、優秀な人間の集まりでもおかしくなる時はおかしくなるのが世の定めなのか。正に「平家物語」の祇園精舎の鐘の声が頭の中で響き渡る。2部に降格しても潰れたわけではないから日本は潰れないだろうが、日本社会の屋台骨が揺らぎ始めたことは間違いなさそうだ。

問題は来年以降、混乱が何年に亘るか想像がつかないが、これを誰がどのように立て直していくことになるかだ。力を発揮するのは現在30歳そこそこの若い人たちであってほしいし、そうならざるを得ないだろう。日本社会と言っても漠然としてるが、やはり根本は政治の有り様だろう。来年以降日本社会が混乱することを想定して考えると、政治が相当変わる必要がありそうだ。憲法が変わる必要があるかどうかは別だが、兎も角大幅に何かが変わってほしい。

極端に言えば今の政治家が総入れ替えになってほしいくらいだが、そうは行かないだろう。重要なのはやはりリーダーで、心身共に健全な人間がその任に当たらねばならない。それとこればかりは若い人間というわけには行かない。心身共に健全、且つ豊富な経験を有する人間がいるかどうか。1億人以上もいるのだから1人くらいはどこかに居るだろう。真夏が過ぎ、秋に入ったのに真夏の夜の夢物語だ。

2020年8月17日月曜日

長生き願望

 厳しい残暑が続いている。今朝は早朝から日大板橋病院に行ってきた。4月の予約をキャンセルして以来半年ぶり以上になる。病院内の風景はだいぶ様変わりしていた。嘗て5,6人位ドクターが常駐していた泌尿器科には3人しか待機せず、患者数も大分減った感じだった。前立腺がんの治療から既に5年を経過している。偶然だったと思うが最初に担当した科長の先生が診察してくれて、癌のマーカーが安定していることを確認。これまで半年おきの検診だったが今後は11ヶ月後にしましょうと言ってくれた。本当は来年の9月を希望したのだが、コンピュータ上の管理ソフトが12ヶ月より長い予約は受け付けないらしく、次回は来年7月12日に決まった。

癌は一旦治まったというか卒業した感じだが、すべての薬を排除したせいか、味噌汁の飲み過ぎか知らぬが、痛風の原因となる尿酸値と腎機能のマーカーであるクレアチニンの値が高くなっている。近く掛かりつけ医で区の無料健康診断を受ける予定なので、その時からまた処方を依頼することにしたい。帰りにこれも2月までは毎週通っていた接骨院に半年ぶりに寄った。パソコン囲碁のやりすぎだと思うが、今朝右肩に痛みを覚えたせいもある。久しぶりのもみ治療で大分スッキリした気分だ。

帰り際に指摘されたのが「随分痩せたみたいですよ、でも病的ではないから良いですけど。」ここ1ヶ月以上昼飯をできるだけ抜いて1日2食にしている効果かもしれぬ。ゴルフをしていた時代はゴルフ場で必ず体重計に乗っていたが、もう何年も体重を計ったことが無い。これも近く行く予定の健康診断で確認できるだろう。体重はどうでもいいが、自覚しているのは体力の低下だ。暑さのせいもあるだろうが、春先よりペースを落としてゆっくり歩いていても疲労感が早く来る。山歩きへの意欲も段々無くなってきているし、困ったものだ。

最近YouTubeで見も知らぬ他人の山歩き動画を見て楽しんでいるが、嘗て歩いた筈のルート動画に遭遇すると、とても自分も歩いたとは信じられない場面に出くわすことが多くなった。接骨院の先生は「駄目だと意識できているうちは未だ大丈夫ですよ。但し、ペースを落として、昔日帰りしたコースを1泊で行くとか工夫すれば行けますよ。」と励ましてくれた。兎に角涼しくなるまでに後1ヶ月は必要だろう。その季節が来たら改めて考えたい。

2020年8月16日日曜日

終戦の日

 季節柄当たり前かもしれぬがとにかく暑い、朝5時前に起きてエアコンの効いた部屋から襖を開けて1歩廊下に出ただけでむっとした空気に包まれてしまった。しばらくしてテレビで知ったが、午前3時の段階で東京の気温が30℃を超えていたらしい。昨日の終戦の日、政府主催の式典で陛下は先代から受け継がれている「深い反省」の言葉を述べられ、首相はあいも変わらず反省には触れない短いメッセージを読み上げるのみ。

これも毎年のことだから驚くには当たらないが、元外務官僚の天木直人氏のメルマガが興味深い記事を配信してきた。曰く、日本の式典や閣僚たちの靖国参拝騒動は慣れているので驚かないが、韓国の文在寅大統領の光復節の演説に衝撃を受けたとのこと。理由「韓国は戦後も軍事体制国家であり続け、大戦の終結から42年経って盧泰愚大統領時代にやっと民主化宣言を出したくらいだ。天木直人氏は次のように書いている。

「韓国は日本に侵略・併合され、さらに8・15に解放されても米ソの冷戦の犠牲になって今日も苦しんでいる。 その韓国が、侵略国に歴史問題で協議を呼び掛け、世界平和に寄与する共生の国になろうと国民と世界に呼びかけているのだ。

 翻って日本はどうか。日本のことばかりだ。日本は紛れもない侵略国であり戦争国家だったのだ。 それを、みずから総括することなく、米国に許してもらったからと言って対米従属に走り、自国の事ばかりしか考えない国になった。そして、いまもって、侵略したかしなかったが政局のネタになり、国民を二分する論争になる。」

そして次のように締めくくる「韓国は、遅ればせながらも、軍政を克服して民主革命を果たした。しかし、日本はおよそ民主革命なく、天皇主権から日米安保体制という米国主権になし崩しに移行し、その裏には、それを執行する官僚主導の政権が続いた。 これでは永久に日本は民主国家になりえない。このままいけば日本は韓国には勝てない。それどころか、ますます米国の占領国に埋没して世界からその姿が消えていく。」

日本の社会制度に関する思いもよらなかった新しい視点だった。韓国との間での勝ち負けは別にして、改めて考えて見る必要がありそうだ。実はこのメルマガを読むまで、戦後の日本を思い返し、日本には上流社会が消えたことや真のエリート層が見当たらないことについて書きたいと思っていたが、隣国のこと深く知ることの方が大切と思い、これは後日に譲ることにした。


2020年8月15日土曜日

コロナ騒動のお陰?

 今日でお盆も終わる。親戚に会うこともなく、信州の涼風に浸ることもなく、ただ打ち続く都会の暑さに閉口しながら一風変わったお盆だったが、3日間ずっと故人に思いを馳せていたような気がする。全てがコロナ騒動のせいだが、この騒ぎが果たしていつ収束するのだろう?半年くらいは辛抱すべきだと勝手に決めて、昨年末から年初にかけて病院の予約を全部キャンセルして半年先送りにしてあったのに、その先送りした予約が17日に迫ってしまった。

日大板橋病院なので当然コロナ患者も受け入れているだろうが、既に半年以上経つので万全の対策が取られていると信じて行くことにする。診断と言っても採血と採尿の検査結果を診るだけなのだが、期待が半分悪い予感が半分なことがある。それは前立腺がんで世話になったこの病院からではなく、町医者で10年以上前から処方されていた痛風予防の薬を飲むのを止めていることだ。2月の末に友人から貰った本に「歳をとったら病院に行くな、薬を飲むな」とあったので、こりゃ良いなと思って実行に移したのだ。

町医者には1年に4回通って処方してもらっていたので、月曜日の検査で特段の変化が無ければいいのだが、果たしてどうなることやら。区からも今月から老人の無料健康診断の通知が来ているので、日大病院の検査の後で行くつもりだ。日大病院でも1年に1回位は血圧とか心電図を診てもらった方が良いですよ、と勧められているし、普段体重や身長、検温なんかもしたことがないのでそれはその通りだと思っている。コロナ騒動で多くの人が思わぬ生活習慣の本校を余儀なくされたと思うが、医者通いの回数が減ることになれば思いもかけなかった生活習慣の変化だ。

今日は年金の支給日なので少し現金をおろしてきた。これもコロナのお陰だと思ったことがある。遊び回ることが無くなっているので、いつも2ヶ月分32万円強(+年金基金連合からの支給5万円弱)の支給額で2ヶ月過ごすのがカツカツだったのに、少し余裕が生じていた。現役の職業人は大変苦労されているのだろうが、同輩諸氏は経済的余裕が生じているのだろう。これも変な話だ。

2020年8月14日金曜日

現場感覚

 お盆のさなかだからと言うこともあるが昔のこと、亡き人のことについて色々思いを馳せている。この世に生まれたのが1940年だから小中学校時代には周りに復員兵が沢山いた。学校が信大教育学部付属(旧長野師範)だったので毎年教生(教育実習生)が授業をする機会が設けられていた。中には海軍帰りの教生がいたりして戦時中の話をぽつりぽつりと直接聞くことが出来た。家に帰ると父の勤務先の長野県庁にも同じく沢山の復員兵や外地(現在は外国だが戦時中は日本領土だったのでこのように言った)からの引揚者がいて、そういった人からも戦時中の生の声を聞くことが出来た。

その後長ずるにつれ戦争中の話は段々聞く機会が減っていったが、就職した後も得意先の幹部にはビルマ(現在のミャンマー)の戦線から九死に一生を拾って帰還された方がおられ、その人の言葉が忘れられない。「我々は学徒で動員された予備士官、どうしても士官学校出身の本物士官の横暴ぶりが我慢ならなかった。若い将校に対し一度軍刀を鞘ごと外して殴りつけたことがある。しかし彼等の偉いと言うか凄いと思うのは、彼等は死ぬことをなんとも思っていないこと。これだけは真似できない。」

「我々はジャングルの中を敗走することになるわけだが、途中落伍者もでるし敵の追撃も迫ってくる。途中途中で何人かの殿を纏めて残して追撃を食い止め時間稼ぎをしなくてはならない。当然1人はリーダーが必要で、これに将校を当てることになる。彼は少ない人数で最後まで闘うので死が必然。しかしこの任に当たる事になった若い将校は誰もが平然と命令を受け止めていた姿が忘れられない。」

彼は神戸の米問屋の若旦那で非常に優しいおじさんだった。話はインパール作戦の一環だったが、生き延びて本部に辿り着き、「〇〇中尉只今帰還しました。」と申告した途端に食らったビンタが忘れられないそうだ。これがなかったらその場で倒れて死んでいたかもしれないとのこと。その他にはガダルカナル島から帰還した人の話もあり、忘れられないので一昨日夜10時からNHK総合で放送された歴史秘話ヒストリア「ガダルカナル 大敗北の真相」を観て思ったことがある。

人間が殺し合う戦争もそうだが、人間社会の現象には色々あって、多数の人間が関わり合う時、いつも同じと思ってもその時と場合で千差万別。微妙な違いが大きな齟齬を生んだりしがちなものだ。机上の空論ということが言われるが、現場経験を重ねた人間と現場経験が無い者の発想の違いから大きな悲劇が生まれたことを歴史は物語っている。いつの時代又どこでも現場感覚は尊重されねばならない。

2020年8月13日木曜日

お盆 祈り

16:30に自動でアップできるよう設定したつもりでしたが、失敗してしまいました。現在20:45分ですが改めて手動でアップしました。

 我が家の両隣は少し前から玄関脇の自家用車が消え、窓のシャッターも降りたまま、多分家族で別荘にでも行かれたのだろう。街なかも閑散として如何にもお盆らしい風景だ。お盆の墓参り帰省はしないし、仏壇は小さいのでキュウリやナスで馬や牛を作って飾り仏を迎える準備もしない。せめて子供時代「この3日間くらいは殺生しないために川に魚を取りに行ってはいけません。」と言われたので、代わりに生魚を食うのを止めようかなんて考えたりする程度のことだ。

現在の日本で仏教を自分の信じる宗教と考える人の割合が如何ほどか分からないが、寺の数だけは相当ある筈。我が家は一応曹洞宗ということになっている。曹洞宗にも福井の永平寺系と鎌倉の総持寺系があり、墓は前者で亡き妻の戒名は後者から授かっている。考えてみると仏教なる宗教は不思議な宗教だ。宗教上の戒律といったものは先に書いた「殺生はいけません」程度の話で、イスラム教やチベットに伝わるラマ教のように箸の上げ下げを規定するようなものは皆無だ。

教祖も極めて曖昧で、お釈迦様であったり大日如来であったりして、どちらが偉いかも判然としない。宗教は一般的に教祖様の教えを教義として尊重するとしたものだが、お釈迦様の教を伝える文書(お経)をまともに読んだことがある人が果たしてどれほどいるのかよく分からない。一般的に知られているのは般若心経だが、これは漢字訳で高々500字ちょっと。もしこれが仏教義の普及版だとすれば分かりやすいことこの上ない。

全国に寺は8万近くあるらしく僧侶の数も37万人という説があるが、これが一般信者から見れば指導者即ち教師ということになるらしい。法事なんかで僧侶から法話を拝聴する機会もあるが、これもごくたまさかの事で仏教徒が自身が属する寺に通う義務も無いし、信徒同士が一斉に集うなんてことは殆ど無いだろう。お盆という行事は宗教的に大事な儀式かもしれぬが、墓参りはしても本堂に祀られている御本尊様に手を合わせる人は少ない。

考えれば考えるほど仏教は不思議な宗教だ。僧侶が信徒に祈りを強要するのも稀でありながら、寺に行ったり墓に行くと人々は自然に手を合わせて何かを祈っている。

2020年8月12日水曜日

雑感

 加齢と共に目がしょぼつき、最近はハズキルーペを掛けなければ本もまともに読めない。当然のこととして読書量は減り、思考力も衰える一方だ。最近テレビに出演する政権のお歴々話を聞きながら思うことがある。この先生方は頭が悪い訳ではないだろうが、どんな本を読んでお育ちになったのか?数日前テレビに出演した伊吹文明氏が同席した解説者に突っ込まれた際、答えに窮してベートーベンの自伝から意味不明の引用をしたことが思い出される。

確か現下におけるお金の使い道の話で、安倍氏が取ってる政策の批判に対する反論だった。伊吹氏は普段からリベラルアーツをしきりに強調しているので、俺は他の議員と異なり幅広い見識を持っていることを自慢したかったのだろう。それはそれで結構だが、他の先生方特に安倍首相の場合、若い時から現在に至るまでに読んだ本の中で印象に残っている本を教えてもらいたいものだ。

第2次政権発足当初盛んに喧伝した「3本の矢」に始まり、誰かが看板内閣と揶揄するほど政策の看板を掲げてきた。曰く「1億総活躍」「人づくり革命」「女性活躍社会」「地方創生社会」「地球儀俯瞰外交」など枚挙にいとまがないが、最近は何一つ実態が伴っていないことが指摘されるのみだ。今日配信されてきた<きっこ>と言うメルマガにこんな1節ががあったので借用したい。

引用:「ポツダム宣言を読んだことがない上に、中学生レベルの近代史の知識もない安倍晋三首相は、かつて「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、「どうだ」とばかりに叩きつけたものだ」と発言しています。これは雑誌『Voice』の2005年7月号に掲載された対談の中での発言ですが、この時系列を見れば、安倍首相がどれほど無知なのかが良く分かると思います。」

このメルマガの著者がどんな人かは知らない。自称は高卒の美容師で俳句が趣味と言っているが多分嘘だろう。15年前の資料を引用して来るくらいだからかなりベテランのジャーナリストだと思う。兎も角、大黒訪問が好きな首相がゴルフ以外にどんなご趣味をお持ちか知らぬが、海外首脳とされる会話が貧弱になってしまうことは容易に想像できる。安倍氏は酷すぎるが、昨夜もテレビで観た山際大志郎氏(自民党政務調査会長代理 元経済産業副大臣)なる御仁の言葉の貧弱さには驚いた。

途中で観るのをやめてしまったが、現在のコロナ対策に関する討論で、3人ゲストが居て、他の二人は岡部信彦氏 新型コロナウイルス感染症対策分科会メンバー 川崎市健康安全研究所所長と尾﨑治夫氏 東京都医師会会長。二人共お医者さん。この二人と会話が成立しないのだ。特にテレビを切ってしまった直接の原因は山際氏のこのセリフ「新宿の歌舞伎町や練馬区の池袋などのエリアにおいて云々」立秋も過ぎたので読書について書こうと思ったが、脱線してしまった。

2020年8月11日火曜日

熱帯夜で寝苦しい

 昨日は「山の日」だった。普通であれば学生や子供は夏休みの真っ最中、近年は企業だってお盆前後は長めの夏休みに入るのに態々休日を設定した意味が分からない。wikiで少し調べると2014年に日本山岳会などの希望もあり、と書いてあるが相当疑わしい。何故なら真夏は山歩きにあまり適していない。自分の記録を紐解いてもお盆前の山行は少ないが、リタイアしているケースが多い。熱中症だったり雷雨だったりするが、山は少し寒いくらいのシーズンが良いのではなかろうか。

余談はさておき、最近気になっているのが海の話題。商船三井が手配した大型貨物船がインド洋の島国モーリシャス沖で座礁した問題だ。モーリシャス島なんてところは想像すら困難だが、海が綺麗なことで有名で観光でもっている国らしい。海岸近くで座礁してしまった船体から流失した重油が海岸一体を掩い、最大の観光資源であったサンゴ礁が完全に破壊されてしまった。欧米からはこの被害をすこしでも助けるための救援隊を派遣している国が何カ国かあるが、日本からの救援活動は聞こえてこない。

民間企業が海外で起こした不始末に国が手を貸す理由はないのかもしれぬが、こんな時にこそ海上保安庁でも自衛隊でもどこでも良いから、救援の姿勢を見せてもらいたい。夏休みシーズンで非常時に備えているそのような機関も休暇の職員が多くて、直ちに編成が間に合わないでいるのかもしれぬが、なにか釈然としない。

一方で、敵基地攻撃の整備なんてことが大々的に報道されている。自衛隊は創設以来専守防衛が使命であり、日米安保で攻撃は同盟を結んでいるアメリカがこれを引き受けることに決まっている。決まっていても実際にに事が起きた時、アメリカが本当に役目を果たすかどうかは分からない。そりゃそうだ、今までにそんなヤバイ事案が発生したことが無いからである。そんなことより、最近は仲が良かったはずの米中関係が急速に変化、なにか凄くきな臭くなってきた。

中国は南シナ海問題だろうと、香港・台湾問題だろうとアメリカが武力に訴えるならいつでも相手なろうと、強気の姿勢を崩さない。アメリカが中国に対して武力行使をする時は日本はアメリカの言うとおりにせねばならず、自動的に戦争に巻き込まれてしまう。中国はもちろん承知の助だから、今でも多くのミサイルの照準を在日米軍基地に向けて準備をしていることは間違いないところだ。なのに、今頃敵基地攻撃能力なんてことを云々してどうなるのか。

これは昨夜のテレビBSフジ「プライムニュース」で元外務官僚の同期生3人組(田中均氏・藤崎一郎氏・宮本雄二氏)が口を揃えて語ったこと。困ったことだ。

2020年8月10日月曜日

対話も会話も不成立

広島と長崎の慰霊祭に出席した首相は形ばかりの短い記者会見を開き、国民に何かを訴えたつもりのようだ。正に悪評嘖々でどうしようもない。原爆禁止条約批准を強く迫る両市民の声を無視して、無責任な原爆防止論を述べるばかり。更に呆れるのは現下のコロナ対策にに関し「感染をコントロールして、医療機関の支援も強化していきたい」旨の発言をしている。これに付き合って記事化する記者たちも嫌になるだろうが、記事の中に「首相は日本語を知らないか理解できていないので、国民との対話も会話も不成立」であることを指摘すべきだ。

数日前にも書いたことだが、東大名誉教授の児玉龍彦氏は次のように述べている。「現状を正しく即ち客観的に認識して対応策を考えるべきで、主観的希望からは出された対応策は何の役にもたたない。」放射能をアンダーコントロールもそうだが、感染を政府がどのようにコントロールしているのか?強いて言えば検査数を少なくして見かけの感染者数を低く抑えているだけのことだ。検査数が上がらない理由は何回も聞いている。

政府の会見で語られる殆どは自らなすべきことが出来ない理由(即ち言い訳)であり、感染を防ぐのは結局国民の個人的責任に帰すという事のみで、今更言われるまでもなく、そんなことは子供でも分かっている。政府高官ともなれば娑婆の風に当たることが少ないので、日本語感覚がおかしくなるのも仕方ないかもしれぬが、それにしても原爆や現在のコロナウィルスによってどんなに多くの被害者が出て、対処に当たる医療関係者が如何に疲弊しているか。知らずか感じずか無神経にも程がある。

先の大戦末期の東條首相が拡大しきって収拾つかなくなった戦場をどの程度視察したか知らぬが、想像するに現在の安倍首相と同じだと思う。毎日下から上がってくる情報は全て「苦労はしていますが、なんとか持ち堪えています。」に違いない。少しおかしいとは感じても、自らその嘘を暴くのは怖いのだろう。自らの言葉を持たないリーダーほど始末の悪いものはない。

2020年8月9日日曜日

キャリアと給料

昨夜のリモートミーティングは参加者が少なかったが、高校時代には互いに全く知らず、ここ数年来やっと知ることになった友人の来歴をたっぷり聞くことが出来て有益だったとも言える。彼は三菱電機で半導体関係の技術者として世界を又に活躍した後、少し早めに退縮して第2の人生は地元神奈川の大学教師として活躍したかしているかだ。こちらがゴルフから足を洗ってから同期のゴルフ会に参加し、最近腕を上げていると言うから大したものだ。

我々の世代は大学を卒業して社会に出たのが昭和30年代の後半(1960年代前半)だから、日本の製品が未だ外国では十分認知されていない時代だった。「トランジスタのセールスマン」と揶揄された池田勇人氏が未だ首相だった時代だ。だから同期の友人には海外で日本製品の販路開発や現地生産体制の基礎づくりに活躍した人が多くいる。昨夜の参加者3人のうち2人はその尖兵で、海外を知らない小生には興味深い話が次から次へと聞くことが出来た。

1時間半の終わり近くになってこんな話が出てきた。現在の日本は何故あらゆる面で活力を失い情けない国になってしまったかである。たしかに新しい産業も出てこないし、何となく国全体が我々同様の老化現象に悩んでいるとも言えなくはなさそうだ。「後30年寿命があればもうひと踏ん張りすのにな~」と嘆いたところで叶わないのは3人共分かっている。新しい友人の話が一段落した時、お前の話も聞きたと言われて困ってしまった。

もう時間も余り無くなっていたので、長々喋る必要はなかったが、小さな広告関係会社4社を転々とした事を簡単に述べた序に、転職の度に給料が下がっていったことに言及したところで小学校以来の友人が「それが日本社会の悪しき構造だ」と説明をしてくれた。彼は20年以上の海外経験があるので、彼我の社会制度の違いを痛感しているのだろう。欧米におけるキャリアアップは日本と全く異なる。

「欧米ではキャリアを重ねるごとに収入が増えるのが当たり前。大学を卒業したばかりの人間を各企業が競って同時期に大量に採用なんてことは日本にしか無い社会制度だ。高校なり大学を出たら先ず比較的小さな企業に採用してもらい、インターンでもなんでも良いから自分の実績を積み、例えマクドナルドの店長にでもなれば、それをキャリアとして次の売り込みに掛かるのも当たり前。そのように徐々にキャリアップしていくプロセスについて田舎の高校生でもみな知っている事実だ。」

彼が序にもう一つと加えたのが「日本の若者は源泉徴収制度で、税が給料から引かれるので納税者意識が欠如していること。」政府批判が高まらないのもこの制度によるところが大きいと思う。」今回の騒動でこのような日本独特の悪弊が変わるなら結構なことだ。

2020年8月8日土曜日

熱帯夜

昨夜あまりの暑さに閉口して、寝床に入る前に少し涼むつもりでエアコンのスイッチを入れたがうんともすんとも言わない。久しく使っていないので電池切れかと思って電池を交換したがそれでも駄目。先程池袋西口のビッグカメラに寄って大方のメーカーに通用する安いリモコンを買ってきた。便利な機械ができたものだと感心して電池を入れて早速試すと、これも又うんともすんとも言わない。

子供の頃からガッテン太郎だから、家庭電化製品なんぞ電池さえ入れれば動くものと勝手に思い込んでいる。変だなと思い、返品に行こうと思って念の為取扱説明書を開いた。何のことはない、多機種に対応するのだから当然といえば当然。操作したい機種に対応するよう予め設定が必要なのだ。設定手順も極めて分かりやすく書かれている。もう少しで赤っ恥をかくところだった。

2020年8月7日金曜日

店仕舞迫る

昨日の昼、久しぶりに有楽町の素敵庵に昼飯を食いに出かけた。店は一時に比べればそこそこ混んでいたが、カウンターの一番奥に案内された。着席するなりいつもカウンターの中央に立っている店長が態々やってきて「実は今月いっぱいでの閉店が決まってしまいました。」とのこと。首都高下の銀座インズに構えられた店だから家賃が安くないのは容易に理解できる。東京に限らず全国の飲食店が似たような状況下にあるのだろう。

食事をしている最中にサービスしてくれる従業員は全員顔なじみと言って差し支えない。それぞれと短い会話の中で次の就職先が決まっているらしき人も居たが、そうでない人も居てそれぞれが浮かぬ顔をしていたので、こちらまで悲しくなってしまった。普段毎日歩いている池袋までの道すがらにもシャッターが降りたままの店がポチポチ見られるようになった。政府のGo toキャンペーンで救われている店が如何程になるか知らぬが、日本で新型コロナウィルスが克服されないことには職を失う人が増え続けることだろう。

夜になってテレビを観ていたら公明党の高木美智代さんと言う厚労省出身の議員さんまでGo toキャンペーンの支持強調していたことにはどうしても違和感を禁じ得なかった。逆に別の番組に出演していた作家の保阪正康氏の話はとても興味深く聞くことが出来た。曰く「ウィルスとの闘いも、国家と国家の戦争でも同じようなことが言える。」確か5項目ほどあったと思うが、最も大事なことは「客観的事実を十分に認識せず、主観的希望に置き換えてしまうこと」

即ち、これが時の指導者が陥りやすい欠点らしい。政治指導者ならぬ我が身にも当て嵌まりそうで、成程その通りと感じた。昔から言う「敵を知り己を知れば百戦危うからず」があるが、同じことだろう。マスコミ報道は常に客観性を重視するを旨としているのだろうが、政治家をゲストとする時は必ず与野党から同数の人間を出演させる。誰が客観的事実に基づいた発言をし、誰が希望的主観で述べているかは明確にしないので、視聴者が個人的に考えなければいけない。

保坂氏は昔東条英機氏の秘書を取材した時の話を披露した「巣鴨の拘置所に勾留されていた時、番兵をしていたまだ若い兵隊からアメリカの民主主義について聞き、えらく感心したとのこと。」笑い話のようだが、本当らしい。国を賭けての大戦争をおっぱじめようとする時、指導者が相手の国力はおろか政治制度すら理解してないのだから結果は以て知るべしだ。我が人生は理科数学科学と無縁で結構と思って来てしまったが、やはり考えの基本は科学的合理性が必要と思い至った。店仕舞が迫っている人生の末期にいい話を聞いたが、若干手遅れだったかもしれぬ。

2020年8月6日木曜日

広島平和記念式典

今朝は8時から約30分、広島平和公園からの中継に見入った。広島市長の平和宣言や小学6年生児童の誓いの言葉は何れも胸を打ち、思わず目が潤んでしまったが、次に登壇した総理大臣の言葉のあまりの虚しさ、慰霊どころか泉下から犠牲者の怒りが伝わってくる思いだった。、敗戦により嘗ての敵国であり占領国アメリカに対し如何に遠慮する必要があろうと、核兵器禁止条約を批准できないなんてことはないだろう。

しかも言うに事欠き、我が国は核保有国と非保有国の橋渡しをして核廃絶に向けての努力を続けるとて、広島市長の宣言を相変わらず無視、言わば市民の声に一切耳を傾けない。今に始まったことではないのでこれ以上は書かないが、6年生児童の誓にあった「戦争をなくすためには、<自分のことだけ・自国のことだけ>を考えていてはいけないと思う」が印象に残っている。市長も小学生児童もコロナ問題に言及して、戦争と同じ感覚で捉えた上での発言である。

今世界は大戦と同じような危機に直面しているのも事実だし、各国が協力しあわねばならないのもその通りだと思う。己のことしか考えていない小生が言うのも変だが、現在世界で最も強く<自分のことだけ・自国のことだけ>を考えているのはアメリカのトランプ大統領だろう。日本はその金魚の糞状態だから何をか況やである。

序だから昨日に続いて戦争について書き添えたい。新たにトランプ氏から駐日大使に指名されたケネス・ワインスタイン氏が昨日上院外交委員会の公聴会で「日本はアメリカの兵器を気前よく買ってくれているが、日米同盟の中でさらなる能力拡大と大きな責任を負うよう日本に働きかける。」と語った。因みに現駐日大使は就任後1回も日本に来なかったように思う。日本の政府関係者は口を開けば「日本の安全保障環境が厳しさを増している。」と言う。

冷静に考えてどこにその兆候を確認できるのだろう?強いて言えば尖閣諸島周辺に 中国公船の出現が増えていることぐらいだろう。中国にすれば尖閣は自国領土との認識だから仕方あるまい。そもそも日本では沖縄県に属する尖閣諸島を東京都が買うと言ったり、結局国が買ったりしたのも変だ。人が居住できる島かどうか定かではないが、人口が1年間に50万人も減少する日本が、絶海に浮かぶそんな小島を所有するメリットが何か、理解不能だ。

領海の広がりを主張する人もいるだろう。それは資源問題か?漁業問題か?前者であれば交渉は多少難しいかもしれぬが、中国と話し合いをすればいいだろう。昔、石橋湛山氏は「満州なんかさっさと中国に返してしまえ。」との論陣を張った。その心を持っていれば尖閣問題なんぞすぐに解決するだろう。領土や領海は日本人を守ってくれるか、答えは「否」日本人が領土領海を守っている。国家には日本人の生命と文化を守る使命がある筈だ。

2020年8月5日水曜日

戦争と軍人

明日は広島原爆犠牲者慰霊の日、翌日は立秋で9日の長崎慰霊の日、ソ連の宣戦布告の日(何故か旧日本領土満州などの慰霊の日は無い)、そして15日には終戦の日がやってくる。今月は何かにつけ先の大戦を思わざるを得ない。あの戦争は何だったのだろうか?明治維新の頃の日本人は、欧米各国の横暴ぶりに対抗して国を守るには富国強兵政策をもって兵力(軍備)を蓄えなくてはいけないと思った。さもないと、隣の中国や蒙古や朝鮮のようになりかねないと思ったのだろう。

立案した政治家は殆どが下級武士階級の出身者だったと思うが、殆どが外国を回って日本が遅れている点を再確認して議会を作り商工農業者にもある程度選挙権を与え、法律を制定した。当時から社会主義者は居たと思うが、一応国民の総意で富国強兵に邁進したと思う。明治時代に専守防衛思想は無かったと思が、軍人は「お国のためなら地の果てまで行って」一命を捨てても家族や故郷を守るとの使命感が強いのが当たり前だったのだろう。

しかし大正時代になって世の中が豊かにになるにつれ、社会は格差も広がり、いろんな矛盾が吹き出したに違いない。軍の組織も肥大化して派閥めいたものが出来てくる。大正時代の陸海軍の人員がいかほどか知らぬが、1940年代に入ると予備役も入れれば優に500万人くらいは居たのではなかろうか。身体頑健で頭脳は優秀な連中が上部に居て指揮をしている。それに連なる中堅幹部も上部と同じ試練をくぐっているので優秀さは同じはず。

彼等から見ると政治家は馬鹿に見えたのだろう。段々軍部が発言力を増して国家の改造を唱え始め、昭和に至るとクーデターまがいの事件まで起こして政治の中核に腰を据えてしまった。ボケ老人の非常に単純な整理だが、1945年の敗戦に至った原因は、頭脳明晰で身体頑健な軍人が政治を壟断した結果だと思いたい。

軍隊の経験が無いので偉そうには言えぬが、今も昔も世界どこでも、軍人は頭が良くて思想堅固でも思考は何かが足りないように思う。平たく言えば政治には不向きなのではなかろうか。現代日本の場合は軍隊がなくて自衛隊ということになるので、軍人と言っても自衛隊員(防衛省職員全体が自衛隊員とも言えるそうだ)のどこまでが軍人と言えるか分かり難い。取り敢えず自衛隊の幹部養成学校卒業生とでもしておこう。

彼等は勉強を沢山してきているだろうから、政治家は彼等の意見をよく聞く必要はあるだろうが、よくよく分析の上、最終判断は政治家がすべきだ。

2020年8月4日火曜日

インターネットの活用

大学卒業以来小さな広告関係企業4社を渡り歩いて挙句の果てに、63歳で更に小さな有限会社を起業した。手元に100万円しか持っていなかったが、ごく親しい友人に昔貸していた200万円を「ならば返そう」と彼が借金までして返してくれたので、起業したのが資本金300万円の有限会社である。そこから約10年、資本金を全部使い果たすまで会社が保ったのが不思議といえば不思議。

詳しく書き出せば切りがないが、サラリーマン時代の終わり頃に知り合った青年の協力の賜物であることだけははっきりしている。その10年間、その会社から妻宛にサラリーマン時代と同じ金額の給料を払い続けることが出来た。彼女が財布をしっかり管理してくれたお陰で、狭いながらも都内に家が残り、妻亡きあと年金でどうやら食えるようになった。この小さな個人企業がしていた主な仕事は、ある一般法人のウエブサイトの管理と、その法人のコンピュータネットワークの管理であった。

従って、そっちの方面に関して少しばかりの知識がある。今日言いたいのは見当外れになるかもしれぬが、この時代に覚えたインターネットに関することだ。パソコンやスマホでインターネットを利用する人が増えているので、多くの人はこれらの機器が受信装置でもあり発信装置であることは十分お分かりの筈。ちょっと寄り道になるが、アメリカの大統領が中国のインターネット機器やウェブサイトに対し、個人情報漏洩を理由に因縁をふっかけて喧嘩を売っている。

これは考えてみれば変な話で、有線電話でホワイトハウスと連絡取り合っている人は互いの個人情報を一定程度まで認識できる。これと同様、何も中国由来の機器やサイトでなくても、インターネットの世界では個人情報が世界に拡散するのはやむを得まい。個人情報漏洩が怖ければインターネットを利用しないことだ。アメリカの情報機関だって、インターネットから個人情報をしょっちゅう引っ張り出しているだろうに。

ことほどインターネットは便利だと思うが、最近の報道で不思議で仕方ないことがある。毎日一喜一憂させられている新型コロナ新規陽性患者数の発表だ。この数字に関して全国で統一されたものでないことは既によく知られている。その原因がどこにあるか。一般には検査体制が各地方の保健所経由なので、関係者が忙しすぎて報告を纏めるのに手が回りかねる状態にあるとされている。

保健所から各自治体に上がる報告がFAXによる連絡とされているので多分その通りなのだろう。保健所は全国に300数カ所と聞くが、何故国がインターネット上に報告用フォームを公開して、保健所のみならず検査をしている全ての機関からここに報告することを義務付ければ簡単に済むと思うのだ。政府も高い費用を払ってIT関連技術の遅れを取り戻す前に、先ず基本を踏まえて簡単な仕組みを作って貰いたいものだ。

2020年8月3日月曜日

見解の相違

夏の暑さに参った訳でもないがいろんな事が起きて、ブログを書かずに夕方になってしまった。今日は休みにしようかと思ったが、ほんの少しだけ書いておく。

先週も書いたが、新型コロナウィルス感染症に関しては世の識者が様々な見解を発表している。最近陽性者が増加する傾向にある現状の見方で、比較的多くなってきているのが楽観論支持者。その中には「日本のコロナの集団感染の閾値は(自然免疫を勘案して)たかだか10%程度だと思われるので、インフルと同じく1000万人ぐらい感染することはありうるが、それ自体は大した問題ではない。」とネットで堂々と発表した人もいる。池田信夫氏、自らは経済学者と名乗っているが、ジャーナリストと見るほうが正しいだろう。

この人は医者ではないが「同じ感染するなら、そのピークは夏に来たほうがいい。夏にはコロナウイルスの活動が衰えるからだ。」とも言い切っている。最近は陽性者が増えたのは検査数の拡大によるもので、特に感染が拡大しているのではない。以前から感染者は5~6%はいたが、検査をしないので見つからなかっただけのこと。

重症者も死亡者も3月4月に比べれば全く少ないし、首都圏でも恐れるに足らずとの意見が強くなってきているようだ。そうであれば結構なことだと思う。しかし一方では重症患者が少ないと言ってもこの病気は容態が急変することがあるので、もう暫く様子を見ないと分からいという人もいる。誰の意見を信じるかは人によって違うだろうが、小心者はいつも悲観的である。

2020年8月2日日曜日

巣ごもりの徒然に

長い巣ごもりが続いているので自分のことについて色々考える。昨晩友人数人との土曜日恒例リモート集会の中で一人の友人が「この1週間で自分の来し方を思い出して書き出してみた」と語った。ぜひ聞かせてほしかったが昨日はそこまでは行かなかった。その後、寝ながら考えると、俺も歴史を含め他人のことを詮索するのは好きだが、そろそろ己のことも少し整理してみるのも手かなと思い始めている。

気持ちははやっても先が見えにくい昨今、これから先出来ることはそう多くはあるまい。平凡であったかも知らぬが、80年の歴史の中で如何に過ごしてきたか思い返すのもいい暇つぶしになるかもしれぬ。と思い、果たして誕生以来未だに記憶に残る最初の事件を探ってみた。それは弟が誕生した時のこと。母が入院していた病院に1人で見舞に行ったことだ。この事件はその後父から何度も褒められた。

弟が3才違いなので昭和18年のことではないかと思われる。とすれば満3歳、少し出来過ぎかもしれない。その次は何ヶ月後になるかわからないが、父が南方への出征が決まり、母が1人で子供4人の面倒は負担が重すぎたのだろう、熊本市内を既に独り歩きした経験を持つ小生が長野の母の実家に引き取られることになった。実家から祖母が迎えに来て、祖母に手を引かれて玄関を出る時大泣きしたことを未だに覚えている。でも汽車に乗った時には泣き止んでいたはずだ。

翌日到着した長野駅から実家まで、祖母の膝に抱えられて乗った人力車と掛けられた赤い毛布(毛氈というべきかな)も明確な記憶となっている。何れにせよ、それから父の復員までの足掛け5年間に記憶に残っている出来事は数多い。「三つ子の魂百まで」と言われる通り、この期間の幼児体験が未だに思考に与えている影響は我ながら大なるものがあるように思う。ここに書いたことを別に項目立てて書き出したわけではないが、このように考え、ずっと近年まで思い返せばたしかに面白いかもしれぬ。

2020年8月1日土曜日

米中対立

また月が変わってしまった。カレンダーをめくると8月、陰暦では「葉月」と言ったらしい。珍しく朝から雨も無く陽射しもあったので、或いはと思ったらやはり東京も梅雨が明けたようだ。先月は雨が毎日降っていたものの気温の上昇はさほどでなかったので、歩行数も目出度く31万歩を超えることが出来た。屋内の歩数もカウントされているので正確には分からないが、月間で200キロ近く歩いたことになる。「塵も積もれば山となる」とはよく言ったものだ。しかしこれから数ヶ月の日中の暑さを考えると余り無理はしないほうが良いだろう。

閑話休題:コロナが世界中に大きな損害をもたらしているが、最も大きなダメージを受けているのがアメリカ、わけてもトランプ大統領ではないだろうか。希望的観測で言えば11月の選挙で民主党のバイデン氏に負けるかもしれない。トランプ氏は外交関係では評判が悪いことを色々やっては来たが、少なくとも国内の経済政策については自信があり、これを頼りに選挙運動を重ねてきた。しかし、そこを突然襲ったのがコロナ禍で彼も相当焦ったと思うが、どうも旗色が悪く選挙までに経済回復は無理だろう。

一方の中国はやり方について是非はあろうが、兎も角コロナ禍を一応克服して経済を回復軌道に載せ始めている。統計的に見れば既にアメリカは経済競争でも旗色が悪かった。そこで最近は腕力(武力)での威嚇を前面に打ち出しているように見えるが、素人目にも証文の出し遅れで、中国側もそんなにびっくりしていないように見える。トランプ氏がどんなに息巻いても、中国を相手に戦争なんか出来るはずがない。アフガニスタンやイラクと違ってトランプ氏が命令しても軍だってそう簡単に動けないだろう。

日本でも中国のことをよく思わない人が多いようで、トランプ氏が提案主張する連合に与することを喜ぶ向きが多い。事実日本は従来の行きがかりを考えれば他の選択肢は無いのかもしれぬ。しかし調子づいて喜んで手を上げるのは考えものだ。中国は利口だからそんなあからさまな手は使わないだろうが、中国側がトランプ氏同様に武力を念頭に置いた連合を各国に呼びかけたらどうなる?とてもじゃないが、敵基地攻撃能力どころの騒ぎじゃない。あっという間に日本は1945年の廃墟に逆戻りだ。