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日本の考え無いのか

昨日早朝3:18北朝鮮は新型弾道ミサイルの発射実験を行った後、午後になって重大声明を発表して、この新型ミサイルはアメリカ全土を射程に納めるICBMだと称した。日本の政府、防衛省は例によって情報を収集して詳細な分析をしているとのことで、午後の参議院予算委員会の小野寺防衛相も、夜のテレビに出演した元防衛相の中谷氏の口からも、北の発表を鵜呑みにはできないと言うのみで、ミサイルについて明確な認識は聞けなかった。しかしアメリカの政府と軍はこの実験をICBM。とほぼ認めるような発表をしている。

中国やロシアの見立ては分らないが、問題は韓国である。見立てがどうであったか分からないが、韓国は北のミサイル発射の6分後に、陸海空軍がそれぞれミサイルの発射訓練を行ったと報じられている。日本は官房長官の会見が4:30、総理が態々早朝から出てこなくてもいいと思うが、何を思ったか6時過ぎに会見を開いてテレビカメラの前で北を非難する一方で、自衛隊が発射当初から日本海に着弾するまでの動きを完全に掌握していたと述べたようだ。この違いの意味するところが、アメリカから沢山買わされている高額な兵器が役立たずの代物であることの証明でないこと祈りたい。

しかし韓国は70年間朝鮮戦争当事国でもあり、朝鮮戦争以外にも外国で何度も戦争に参加している。引き換え日本は、1945年以来、戦争を放棄し、世界もそれを認めてくれていたのだろう、72年間戦争に巻き込まれたことが無い世界でも珍しい国でもある。依って如何に我が国がのんびりしていようと、この違いはあって当然、全くやむを得ないと思う。ただアメリカは「日本だけが北朝鮮の危機を傍観するのは許さない」と声を荒らげているかのようだ。

この態度は大統領がトランプ氏に変わってから著しいが、昔からアメリカは自衛隊をアメリカ軍の下請けに引きずり込む戦略を静かに進めている。アメリカに限らず普通の国では外国との関係は相当長期スパンで考えて、戦略を練るものだろう。それが外交戦略と言うものだ。日本は外交戦略を問われれば、一にも二にも「対米追随」で、他国を顧みる余裕は無いようだ。

と言えば、他国のことにしょっちゅう口出しする現代の政治家からは「馬鹿なこと言うな」と叱られそうだが、「対米追随」以外の戦略が有るならぜひ教えて頂きたい。そこで、他策が無いことを前提で言いたい。如何に敗戦国といえど曲が…

老後の楽しみ

安倍総理は今どんな心境でいるのだろう?63歳とのことだから、やりたいことはまだ沢山あるかもしれない。その気になれば何でもできる人の心境を思ってみたいのだが、こればかりは想像の域を超えていそうだ。昨日親しかった人のホーム入りを聞き、未だに様々な思いが去来している。既にやりたいことは無いと思いたい年齢に達しているから当然だ。

そんな調子だから、このように毎日のように人様のこと論って書くことが、数少ない楽しみの一つとなってしまった。昔から年寄りは小言ばかり口にすると決まっているが、この習慣はまさにそれを絵にかいたようなことではないか。まだ身体もそこそこ動くのだから、もう少し社会に貢献するようなことが出来ないものか思案したくもなる。

だがしかし、その気になってわさわさ動いても碌なことにならないだろう。先日の同期会で聞くと、老後の楽しみは本当に多種多様。しかし、個々人的にはそんなに沢山のことは出来ない。同期生の多くは第一線を退く頃から、趣味を絞り込んで快適な老後楽しんでいるようだった。みな嘗ては田舎で神童とうたわれたような子供だったに違いない。しかし誰一人政治家になって日本をひっくり返そうなんて思った奴はいなかった。

或いはいたかもしれぬが、そういった人間は同期会に顔を出さない。昔アメリカから招かれたクラーク先生と言う偉い方が「少年よ大志を抱け」と仰ったと聞いて育った年代の我々である。人によって「大志」は様々だろうが、少年も末期になったころには「せめてなりたや親父程度」が良いとこだったかもしれぬ。安倍総理は青雲の志を得なかった代わりに、3代目の稼業として政治家を選んだ時から、とんでもない「大志」を刷り込まれたらしい。

その「大志」とは日本国総理大臣だったらしい。目出度くその地位について、今や世界のトップリーダーとして世界を引っ掻き回せると勘違いかは兎も角、認識しているのだろう。しかし彼も人の子、どこかでリタイアとか老後を考えなくてはならないと思うが、そんな思いは全く見受けられない。偉いものだと思うべきか、哲学無き人と憐れむべきかは分からない。

テレビドラマの宣伝から

一度も観たことは無いが、テレビ朝日の連続ドラマ「やすらぎの郷」がヒットしたようだ。既に終了しているが4月3日スタートの続編?を今から大宣伝している。婆さんも観たことは無いはずだが宣伝で知ったのだろう「ボケ防止は麻雀が一番だそうよ。」なんて言っている。老人国家になりつつあるところに、作家として定評のある倉本聰氏の脚本とのことだから、面白い作品になっているのだろう。

麻雀は小学生時代に憶えて面白いゲームだと思った。昭和30年代後半の大学時代、東京には盛り場と言わず学生街と言わず雀荘が沢山あって繁盛していたのを思い出す。この頃のマージャンは、学生にも拘らず既に賭け事、賭博だったので段々遠のき始め、サラリーマンになるとお給金が少ないにも拘らず、貧乏人同士がナケナシのお宝を取りあって、挙句の果てに給料日清算の借り貸しに発展することに嫌気がさして足を洗った。

代わりに憶えようと思ったのが囲碁、初心者向けの本で独学で学び、現在でもネットで時々楽しんでいる。しかしパソコン相手のゲームは子供がゲームに熱中するのと同じで、あまり褒められたものではなさそうだ。引き換え老人クラブでの麻雀は、4人で大きな声を出しながら手と頭を同時に使うのだから、ボケ防止にはもってこいだろう。

実は学生時代から世話になってた15歳年長の方がいて、囲碁がめちゃくちゃ強かった。この方は人情味が厚く何かと相談に乗ってもらったし、囲碁の他にゴルフをしたり、何度も飲みに連れていってもらった。文武両道の達人で、晩年になっても、毎年のようにヨーロッパを旅行されていたので、ボケとは全く無縁の人だと思っていた。

ところが、ここ2年ほどご無沙汰して暮のご挨拶にでも行かねばと思って連絡すると、娘さんが「ホームに入ってしまって動けなません。」とのこと。娘さんは現役のお医者さん、遠回しではあったが、どうも寝たきりの感じだった。老いは誰にとっても逃げられぬ宿命なのか?暗澹たる思いを禁じ得ない。

書くべきことが見つからない

今年を振り返るにはまだ少し早いが、何となくパッとしなかった気がする。変わり映えがあれば良いと言うことでもなかろうが、このところ一か所で足踏みをしているだけだ。年寄だから足を踏み出せば崖から転げ落ちるから、山の頂上にいると思って満足すべきだろう。世界を見渡せばいろんな動きが見えるのだろうが、歌の文句ではないが「目を閉じて何もみえず~」だ。日向ぼっこでもしながら春が来るのを待つとしよう。

もう45年になるか

今日は三島由紀夫氏が市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(現在防衛省)に乗り込んで、結果的には割腹自殺した命日だ。昨夜たまたまテレビを観ていたら、当時の再現ドラマが流れたので思い出した。そうか、あれから既に45年の歳月が流れた訳だ。当時会社が赤坂にあり、綱島にあった松下通信工業に行くために一人中原街道を走っている車のラジオで、騒動の発生を知った。作家としての三島氏は作品をほとんど読んでいないのでよく分からない。軍隊もどきのグループを結成して、軍隊ごっこに興じている風変わりな小父さんくらいの認識だったように思う。

世間も大分騒いだのかもしれぬが、広告会社に勤めながらマスコミ報道にあまり関心が無かったのだろう、「だからどうした」ぐらいのインパクトしかなかった。今にして思うと、三島氏は経済成長に浮かれる日本の現状を見て、これでは将来日本の何か大事なことが失われる。Wikiでは固有の文化の喪失に警鐘を鳴らしていた。と記されているが、昨今の日本を考えれば、正に日本はまとめてアメリカの属国、或いは委任統治領で、氏が心配した通りの日本になったことだけは間違いない。

なんで政治に頼らずクーデターもどきの所業に及んでしまったのだろう?話をまともに聞いた覚えもないが、いろんな方面で活躍した人だから政治力を発揮できなかったものか、と残念な気がする。きっと頭が良すぎて、日本は構造的にクーデターによる以外にアメリカの軛から逃れられないことを知っていたのだろう。昨今マスコミは相撲業界のスキャンダルと北朝鮮や中国の悪口に加え、アメリカの政情について右や左の有識者を揃えて解説して下さる。

どっちを応援しようと、所詮は外国の噂話、横文字使いを有難がる柄ではないので、大人の井戸端会議を聞いても空しいだけだ。なんで我が国の問題が前面に出てこないか、不思議で仕方がない。

折角の友好を毀損?

大阪市がサンフランシスコ市と1957年以来結んでいた姉妹都市の縁を切るとのこと。サンフランシスコ市のリー市長が中国系米国人らの団体が設置した慰安婦問題を象徴する像を正式に受け入れたことに対する措置らしい。韓国に端を発した慰安婦像問題がやけに大きく報道されることが不思議だ。ところ変われば品変わるだから、世界には銅像なんか腐るほどあるだろう。日本の場合は何故か知らぬが、人目につかぬ場所にひっそり佇んでいる場合が多い。

外国事情は定かではないが、少なくとも北朝鮮なんかは街中に実に堂々たる銅像らしきものをテレビでも認めることが出来る。サンフランシスコで設置が決まった慰安婦像の大きさや設置場所も分からないが、寄付した制作者の懐事情を思えばどうせ大したものでもあるまい。案内板に旧帝国軍隊の悪口が書かれているかどうかも分からないが、書かれていたにしても、60年の姉妹都市縁切りを宣言するのもどうかなと思う。

大阪市だけが旧帝国軍隊の名誉保全に必死になる理由が分からない。この像も一種の流行りものだから世界中で設置されているようだ。そのことを論って一々似たような対応をし始めれば、大阪の姉妹都市はどんどん少なくなるではないか。政府も大阪市ほど過激な反応は示さないが、似たような意思表示をしたいようだ。設置する側も馬鹿なことをするものだが、それをまともに相手しても仕方ないから、意思表示はせずに無視するのが一番だ。

好きな相手でも時によっては、些細なことで気に入らない真似に出る時があるものだ。それに一々文句をつけていると人間関係が壊れるので、見ないふりでやり過ごすのが大人だろうに。3日もすれば誰も振り向きもしないさ。

気になったこと2題

今日は勤労感謝の日だが、平素勤労努力を全くしていない身としては忸怩たる思いだ。まして朝から雨模様で外出する気にもならなかった。そこで昨日の出来事を振り返って見た。大相撲で一人横綱ながら連勝で頑張っていた白鵬に土がついてしまった。森友学園に対する国有地売却に関する会計検査院の調査報告が発表され、売却価格の算定根拠を確認できなかったとのこと。参議院本会議で総理所信に対する野党代表の質問が行われた。関心事は大方の方と同じかと思うが、気になったのは横綱大鵬の負け方だ。

勝負がついてからも行司判定に不服の意思表示は、品格に欠けるとされても仕方がないが、そのことは措きたい。朝稽古終了時から一人雨中に立ち精神集中を図っている様子がテレビで報じられていたが、勝負に集中できていないことが明らかだ。原因を詮索する気はない。人間は筋肉や反射神経を鍛えぬいた身体であっても、精神が集中できないと瞬間的に神経がうまく働かずにこうなってしまうのか、と改めて強く思わざるを得ない。

同様に気になったのが総理の国会答弁だ。そもそも17日の所信表明で大事な個所を読み飛ばして、内閣や党側が収拾にやつさもつさしていると報じられている。読み飛ばした箇所が「高等教育の無償化」らしいので結構だと思が、これも別次元のことなので措こう。昨日の答弁を聞く限り、内容以前に口調に覇気の無さ、読み間違えたり、つかえたり、息も絶え絶えの感じで相当な酷さだ。大して長くもない答弁の途中で、息継ぎのため長い時間をかけて水を飲んだりしていた。

マスコミではこんな傍証的観察事項は報道に値しないのだろう。察するに、会計検査院の調査報告書への対応手段が見出せず、白鵬関と同じで気がそぞろぐらいで済めばいいが、体調が相当悪そうに見える。健康は頭の良い悪い、考えることが姑息で邪ま、なんてこと以前の問題である。まして安倍氏は内閣総理大臣、自衛隊の指揮官でもある行政府のトップにして立法府における最大多数を占める政党のトップでもある。平和な休日だが少し気になることである。

馬の耳に念仏

既に多くの有権者は感じていると思うが、現在の日本は3権分立が担保されずに行政が突出し、わけても官邸の意思が立法府や司法(裁判)に大きな影響を持つに至ってしまった。原因が選挙制度によると言う人もいる。現実問題として、有効投票数の30%足らずで3分の2を超える議席を確保できたのだから、そう言いたくなる気持ちは分かる。しかし現行制度に文句をつけてもなぁ。

せめて立法府においては、与党に丁寧な議論に応じる姿勢、貫録を示してもらいたいものだ。先週末の総理所信表明を皮切りに始まった国会議論を見る限り、この期待はとても叶えられそうにない。まだ所信表明に対する野党々首の質問が始まったばかりだが、総理の答弁は何を聞いてもまともに答えない、或いは「木で鼻を括る」答弁に尽きている。しかも腹立たしいのは昨日の無所属の会の岡田克也氏への答弁、<盗人猛々しい>を絵に描いたようだ。

岡田氏が野党の意見にも耳を傾けるよう訴えたら、ぬけぬけと丁寧に答えたものだ。以下新聞記事からの引用:「批判に終始するのでなく、与野党の違いを超えて相手の主張にも謙虚に耳を傾け敬意を払い、良い提案については取り入れる」と岡田氏の言葉をなぞって答弁。最後に「ぜひ無所属の会の皆さんとも正々堂々、建設的な議論を行わせていただきたい」と締め括った。:引用終わり。テレビ中継を観なくても光景が目に浮かぶ。相手を小ばかにしているのだ。

総理は所信表明にしても質問に対する答弁も、終始官僚が用意した原稿を読み上げているが、この部分はどのように準備されたか知りたいものだ。話が飛ぶが、国会より騒ぎが大きい相撲界のことに触れたい。横綱審議委員会が定める横綱推薦の内規は4項目あるが、トップは「横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群であること。」である。更に「品格」の基準を次の事項で判断するとしている。

1.相撲に精進する気迫。2.地位に対する責任感。3.社会に対する責任感。4.常識ある生活態度。5.その他横綱として求められる事項。
相撲興行でさえここまで考えている。比較して政治家の何といい加減なことよだ。誰か総理審議委員会でも立ち上げてくれ。

無駄の削減、夢物語か

誰かが言っていたが、戦後の日本は規格製品を効率良く大量生産することで経済発展を遂げてきたのだそうだ。しかし今となってはアジアにせよ他のどこにせよ、嘗て発展途上国と見ていた諸国が日本に教わったか見習ったかは兎も角、規格品をもっと安く大量生産し始めてしまったので、日本製品のメリットが失われ、経済発展に大ブレーキがかかってしまっている。嘗て仰ぎ見て今は無い企業の何と多いことよ、日本経済の牽引役を担った大手製造業が姿を消したり、海外企業に身売りせざるを得ない現状をどう考えたらいいのだろう?

経済なんて必ずしも発展しなければならないものとも思わないが、我が国の指導的立場にある人々はこれを大問題としている。個人的には、日本があまねく世界に範を垂れたと思えば満足して、経済の成長発展が止まった国家の経営を考えるとか、他のことを考えるべきだろう。ところが、お上はもう何年或いは何十年も過去の栄光を求め、経済成長の道を探り続けるばかりで、発想の転換は皆無である。

相も変らぬ税金の使い道の枝葉を弄るばかりで、何かをやめるといった意向は毫も示され無いのが常である。即ち国家予算は増える一方、即ち庶民の税金が増えるだけ。それも法人に掛かるところは減る傾向にあるのだから庶民の負担は増える一方と決まっている。法人税をいくら安くしたところで、どの企業・産業が成長するのだろう?成長する企業は税金が少々高くても成長するだろうし、凋落傾向の産業が税金をまけてもらって息を吹き返すなんて聞いたことが無い。

国家経済も成長を唱えながら一向に成長が見られず、曲りなりにゼロベース付近で均衡している今の段階で、これが下がり始めることを「国難」と考えると簡単だ。なすべきことは昨日も書いた「無駄遣いをやめる」が筆頭に上がってくるだろう。無駄遣いの根源は無駄な官僚の存在にある。これを切り捨てないことには国難の克服にはならぬが、問題は切り捨ての順番だ。財務省が使う予算のシーリング方式は組織が残るので意味をなさない。既に無用になっている官僚を見つけて組織ごと切り取らねば無意味。

先ずは最上部から見直すべきだ。さしずめ国と自治体を含め、議員数の大幅削減と報酬減額から始め、役所では内閣府なんて全廃すればいい。細かいことを言いだせば切りがない。社会に出た昭和38年を思えば農家世帯数は約6百万、これが現在は150万を割り込むとしたら、…

無駄遣いの最たるものだ

若者からは、当事者になる心配がないのでいい加減なことを言いやがる、と叱られるだろうが敢えて書こう。「15歳を過ぎたら、まず働くことを考えてはいかがですか?」更に学問をしてから働きたいならそれも良し。だが間違っても税金で行かせてもらえるなら高校へでも行ってみようか、なんて考えは間違っている。このことは高校生に言うより、親に言って聞かせるべきかもしれぬ。

日本の産業競争力が低下し、一部企業が儲かっているとはいえ経済成長が伸びず、凋落の一途にあるのは人口減少に起因すると言う人が多い。確かにそうかもしれない。日本の経済が凋落しようと別に困りはしないが、多くの人の賃金が下がり、多数の家庭で生活が苦しくなるのは政治的にも何らかの配慮がなされるべきだ。

対策はいろいろあると思うが、教育の無償化、特に義務教育以上におけるそれは解決につながるとは思えない。「働かざる者、食うべからず」は遠い昔に死語になってしまったが、昭和20年代に物心ついていた人は思い出してくれるだろう。ここまで飽食になった時代に「食うべからず」なんて言っても通じにくいので誰か上手い言葉を考えてもらいたい。若者が何となく大学に行って3年生になる頃「さてどこに就職?」と考えるのは、職探しでなくて会社探しだと言われて久しい。

少なくとも昭和20年代は、中学3年生になれば進学するか職業に就くかを、親のアドバイスもあったろうが判断したものだ。まして高校卒業となれば大多数は真剣に社会と自分の適合を考えた。個人的なことを言えば昭和30年代前半に県立の普通高校の卒業だったが、大学進学を考える生徒はまだ半分とはいなかった。彼等高卒者の活躍が社会にどう貢献したかは学者でないので分からな。しかし昭和30年代に日本が世界に冠たる経済成長を成し遂げたのは事実だ。

人間早く社会に出れば、稼ぎも早くなり、結婚も早まるだろう。これが少子化対策に役立つかどうか分からぬが、義務教育以上の無償化なんぞに税金を投入するなんて無駄遣いの最たるもの、与野党なれあいはやめて、どこか毅然たる方針を示す党が出現してくれないものかな。

土曜と日曜

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昨日は終日氷雨の降る陰鬱な一日だったので、気晴らしに新宿に出かけて映画を観てきた。「ローガン・ラッキー」ハリウッドではよく制作される犯罪映画、刑務所からの脱獄と大掛かりな強盗事件を絡ませた実に愉快な作品。主演はチャニング・テイタム、勿論初耳の役者さんだが実にいい味が出ていた。犯罪映画だから主な登場人物は極悪人ばかりだが、何故か憎めない。そして犯罪のからくりが巧妙なので、実際にあった話ではないかと錯覚すらしかねない。

ネット情報によると「本作は『オーシャンズ11 』シリーズのスティーブン・ソダーバーグ監督が、4年前の引退宣言を撤回してカムバック した最新作。」と出ている。なるほどね!と言う感じ。殺人場面が全く無いのでクライム・ムービーとは言えぬかもしれぬ。脇役に昔007シリーズの主役を張り、ロンドンオリンピックの時に女王のエスコート役で登場した何とかという俳優が出ていたが、中年太りしていい味が出ていた。

帰宅して映画を観る習慣が無い婆さん相手に「日本では漫才師の北野たけしが映画製作者として持ち上げられ、現在上映中のギャング映画の予告編を何度も観たが、こんな作品が評価される訳が分からない。一方を観ないでけなして申し訳ないが、面白さにおいて月とスッポンではないだろうか。」なんてに話をすると、「それは良かったわね。」と一緒に喜んでくれたのがまた嬉しいことだ。

あけて今朝のこと、昨日から今朝にかけての悪天候が嘘みたいにな快晴。先週から誘われていたハイキングの仲間に入れてもらい、ご同輩の男女6名と一緒に奥多摩は御嶽山のロックガーデンを中心に歩いてきた。兎に角天気が最高、紅葉は少し時期が遅かったようだが、それでも最高のハイキングだった。距離とか高低差は左程ではないかもしれぬが、これからはこういうハイキングに限る気がする。尚、ハイキングも帰り道の終盤になって、グループリーダーが年齢が全く一緒で、故郷が長野県松代と聞いて2度びっくり。小学校に上がる前の1年半同じ空気を吸っていたと思うと、昔話に花が咲いたのは当然のことだ。

それにしても足と腰が少し張り気味。今夜はルーティンの囲碁番組を観ずに。これですぐ寝ることにする。

御嶽神社参道
         既に遅いと言われた紅葉も澄んだ空気も素晴らかった

緊張緩和、大歓迎だ

このところの北朝鮮問題に関して、日本政府は圧力一辺倒で対話を全く否定していた。その論調にマスコミは勿論、野党でさえ引きずられている現状がある。従って、日本はトランプの尻馬に乗って軽率に危機を煽ることなく、冷静になれとか、独自路線を模索すべきとの論を吐く人はマスコミにはほとんど登場してこなかった(実際は多数いるはず)。

先ほど配達された朝日新聞夕刊の一面に「中朝関係改善で一致 習氏特使と正恩氏側近」の見出しがあった。内容の冒頭を次に引用する。「北朝鮮の朝鮮中央通信は18日、中国共産党の習近平(シーチンピン)総書記(国家主席)の特使として訪朝した宋濤・党対外連絡部長が17日に平壌の万寿台議事堂で崔竜海(チェリョンヘ)・朝鮮労働党副委員長と会談したことを報じた。中国共産党対外連絡部も17日付で両氏が「中朝関係を前向きに発展させる」ことで一致したと発表した。」

中国発だけでなく、北朝鮮側も同時に発表していることからみても、関係悪化が懸念されていた中朝関係が改善されることは喜ばしいことだ。アメリカや日本政府の反応はまだ間に合っていないが、マスコミの論調が少しでも変化してくれること期して待ちたい。「米朝が日本の頭越しに手を握ることは最悪」説を唱える人もいたようだが、緊張緩和なら結構ではないか。

読後感「呪いの時代」内田樹著(新潮文庫)

若干発行が昔の本ではあるが、それでも東北大震災以降のことだから、現代の世相と大きな違いは無い。著者は現代の世相全体に満足できないところがあって、雑誌「新潮45」に連載した随筆を「呪詛の時代」の形で括ったわけである。氏は神戸女学院の教授でもあるので若い学生に語りかけるのが専門の筈。ご本人は万人に分かり易く書いているつもりだろうが、内容が高尚のせいか、少し難しい気がしないでもない。

内容を宣伝文句から引用すると「アイデンティティーの崩壊、政治の危機、対米戦略、ネット社会の病理そして未曾有の震災…。注目の思想家・武道家が、身体に即して問い他者への祝福を鍵に現代を論じる、今を生きる人びとへの贈り物。」とあるがその通りだ。指摘はいずれも同感するばかり。例えば「社会的地位が高く、名誉も威信もあると見える人でも、・・・・自分は十分な尊敬を受けていない、と思えば、どんな偉い人でも恨みがましい人間になる。」これは、総理大臣になっても不幸そうに見えた安倍晋三氏について書かれたもの。

さらに安倍氏の唱える「戦後レジームからの脱却」について、自己幻想の病根の深さとまでこき下ろしているので痛快ともいえる。更に、普段若い人に接しているだけに、若い人に対しても結構厳しい。特に現代人に見られる自分本位の結婚観を批判するところなんぞは我が意を得たりと共感しなくもない。著者が言う現代の日本では、自分のことを棚に上げて他人を呪う人間が増えている、はその通りだと思う。

その理由は多々あって、丁寧な説明がなされているが、結局のところ、戦後の傾向として、万般に亘り物事のけじめが無くなってきていることを指摘している。そしてその原因が、先の大戦のケジメ即ち総括がなされないままアメリカ文化を受け入れてしまったことにあると断言している。これも全く同感だが、まてよ!この理屈は最近どこかで聞いた気がする。そう思ってあとがきを読んで納得した。内田家は4代前が庄内藩士、3代前が会津藩士の遺児(養子に入った)、賊軍ど真ん中の家系と明かしている。

本文は専ら明治以降を論じたが、戊辰戦争の総括無しに明治国家が生まれたのも昭和20年の敗戦と同じこと。本当はこの時代の呪いを語りたかったのでは、と改めて思う。

安倍首相帰国報道皆無の怪

今日は国会で安倍首相の所信表明演説が行われることになっている。この時間既に行われたかもしれぬ。それにしても首相が東南アジア歴訪からいつ帰国したのだろう?不思議に思ったので、遡って調べてみると一昨日15日の夕方帰国している。毎日テレビをよく見ている筈の婆さんに聞いても知らなかった。これって少し異例ではないだろうか、いくら当初の思惑と違う結果であっても、担当の記者諸君にはなにがしのことは語っただろう。

マスコミが1社も報道しないのは無責任だと思う。

やっと実質的国会審議

昨日やっと実質的国会審議が始まった。憲法違反とも言われる120秒国会と言われる第194臨時国会での冒頭解散9月28日以来であるが、実質的には6月18日に閉幕した第193通常国会からずっと国会は開かれていなかった。この5か月の間に安倍政権は閉会中審査のアリバイを強調するだろうし、総選挙さえ行ったと胸を張るのだろう。国会が開かれなかった理由は、どう考えても安倍総理自身に降りかかった森友・加計疑惑からの逃避である。

従って昨日始まった審議にしても全てが異例づくし、11月1日に召集された今国会(第195特別国会)の会期は12月9日までと決められているが、未だに総理大臣や有力閣僚の所信表明や野党党首の質問すら行われていない。そして昨日はいきなり衆議院の「文部科学委員会」だけ開催される運びとなった。議会の運営は与党自民党と野党第1党の国対委員長の話し合いによって決められるらことになっているらしい。

この話し合いについても自民党は相当な戦略を練って臨んだのだろう。昨日の委員会審議はテレビ中継されてはいないが、酷いものだ。自民党側からすれば「君たちがしつこく要求する加計問題についての集中審議で結構だ。」と野党要求に丁寧に応じたと言いたいわけだ。しかし審議時間は僅か4時間、しかも質問時間の配分が従来とは異なり与党に大幅(80分)に割り当てている。野党6党は160分だが、この中には野党と言えるかどうか日本維新の会が含まれている。

本来与党は国会審議の質問を大幅に野党に割り当て、法案に野党支持者の意見を反映させなければならない。この時間には政府の答弁時間も入るので、昨日の実質発言時間の結果は政府・与党が計61%、野党は39%となってしまった。質疑の内容を人によっては「野党側から何も新しい事実の提示も無く、与党を追い詰めるに至らなかった。」と言う。多くの人は4時間もの審議を聞き続けるほどの暇は無い。マスコミ報道を見て与党自民党の作戦勝ちと拍手喝采するのだろうか。

野党とすれば新しい事実を突きつけるまでも無く、これまで主張してきたことに誠実・丁寧な回答を求めるだけで十分なような気もするのだが。何れにせよ、国会審議が開始されるまでは政治絡みのことを書かないとしてきたが、審議が始まっても建設的なことを書けそうにない気がする。

知らぬが仏では済まぬ

ブログを書き続けるためには、ネタを探さねばならない。毎日テレビや新聞、雑誌にネットと情報に接しているので、ネタに不自由は無いかもしれぬが、どのような角度から見てどのように書くか、考えると結構難しい。そこで頭の整理をするために、ブログのテーマを幾つかに分けて考えることにしている。扨、昨夜の段階で今日は横綱日馬富士の暴行事件について「メディア関連」で、その隠ぺい体質を取り上げようと思っていた。

しかし考えてみれば、この事件は単に角界とメディアの馴れ合いによる隠ぺい体質以上に日本の社会構造に関する大きな問題として取り上げるべきだろう。今回の事件は角界と言う小さな村社会で起きたものだが、考えてみると日本にはあらゆる分野にこの村社会が存在している。そのことが今後も含めて大きな問題だと思う。村とは何を言っているのか、書き手でありながら明確に表現できないが、経済的関係を持つ者同士が、平素から親交を深め、何かあった時には互いにトラブルの調停や利益配等を内々で決め、外部から容喙されぬよう協力する体制をイメージしている。

典型的なのが業界団体だろう。諸外国に業界団体のような組織が存在するかどうか知らぬが、日本は実にきめ細かな業界団体の他、組織系列が多数存在する。従って村の内部で起きていることを一般市民はなかなか知ることができない。しかし大きな村には日本の大手マスコミは記者を常駐させている。常駐させないまでも、角界ぐらいになると、専門の記者がいて業界内部の情報は瞬時に入手できるネットワークを形成しているだろう。

マスコミは国民全体に広く訴えかけることを使命としている。業界に食い込んでいる記者は内部情報に接した場合に、マスコミに流して公開すべきか、見逃すべきか悩むのだろう。この悩みが個人的であれば分かるが、マスコミも村社会なので、その内部の談合で左右を決しているのが問題だ。日馬富士の事件もその談合が生きていたようだが、一昨日誰かが談合破りをした挙句がこの騒ぎだ。

この問題はどう決着しようと、関心はもう無い。問題はこの村社会の談合構造が、司法・行政・立法の三権分立に基づく民主主義の根幹に大変悪い影響を与えていることを心配する。この分野でも談合破りが出てくることを期して待とう。

マスコミの世論調査

大学の履修科目に「社会調査」があったかどうか、正確な記憶が無いが社会調査についいて学んだような気がする。そして就職して最初の仕事らしい仕事が、「農村調査」だったことは今でもはっきり記憶している。就職先が当時600万戸とされていた農家を対象とする農協の機関誌「家の光」の専属広告代理店故のことである。大手のスポンサーは農機具メーカー、その中の1社からの依頼案件であった。

発注側の担当は広告部ではなく、一格上のマーケティング部のような部署。担当者も広告部員とは趣を異にした真面目な人だった。今の広告会社では普通の業務だろうが、当時は初めての受注で相当緊張した。兎も角仕事にまともに向き合い、学生時代以上に社会調査について理論的なことも懸命に勉強した記憶がある。従って、現代大手マスコミが頻繁に行っている世論調査を頭から否定したくない。

どこの会社でも調査理論に基づいて、しっかり調査設計がなされていると信じたい。従って各社の調査が同じようなタイミングで行われ、似たような結果がはじき出されるのも不思議は無いのかもしれぬ。昨日から各社の発表が続き、どこの会社の調査も安倍政権の支持率が不支持率を上回ったことを報じている。この結果を見てふと昔学んだことを思い出した。

と言っても断片的なことに過ぎない。社会調査の授業で先ず教えられたことは「調査目的と」「仮説」の重要性だった。最近の世論調査では、頭に調査方法が簡単に述べられるが、この2項目は省略されていることが多い。大方、長年の慣例に従っているので不必要としているのだろう。しかしマスコミ各社の考えが異なれば、その目的や仮説は異なる方が自然かもしれぬし、面白そうだ。

昨日テレビで世論調査結果を観ていた婆さんが面白いことを言った。先ずは「内閣支持率が不支持率を上回ったは不自然だ。他の質問項目の結果と整合しない。」続いて「*安倍首相に一番力を入れてほしい政策は何ですか。って決まっているでしょう。無駄遣いをやめることよ。」前者については設計に不備があるかは分からない、多分無いはずだ。後者は一考の余地があるかもしれない。なんにせよ、ブログのネタにはなった。

因みに朝日新聞の調査結果から、この質問と回答を記しておく。(択一で%)

▽景気・雇用20▽社会保障32▽原発・エネルギー6▽教育15▽外交・安全保障15▽憲法改正6

老後の楽しみ

土曜日に長野で高校の同期会があって参加してきた。参加者は48名、年々少なくなるのは仕方ないのだろう。すでに卒業時の2割以上が亡くなっている。こちらも同じことだが、みな酒も飲まなくなったし、食わなくなった感じがある。参加者全員と会話できたわけではないが、身体の不具合や病気を全く抱えていない人の方が少ないみたいだ。

出かける前に婆さんと話したのだが、彼女はもう高校の同期会は参加しないことに決めている。理由は場所が静岡県の島田と遠いから面倒なのかと思っていたが、「身体が不自由になったり経済的にも不自由になった人は、同窓会には出席しないものよ。」だそうで、身体はまあまあにしても経済的に不自由な亭主には少し皮肉めかして聞こえた。

確かにそこにも一理はあるのだろう。しかし先の書いた通り、身体の不具合は殆ど全員だし、我が母校の校風は質実剛健、昔から今に至るまで財布の中身は誰も気にしない筈。やはり静岡と長尾の高校では校風の違いがあるようだ。さて、今回愉快だったのは恒例の講演だった。これまでは宴会前に誰か一人が1時間程度何か話すことでやってきたが、今回は9組あった中の一クラスから3名が選ばれて20分くらいずつ話を聞かせてくれた。

質実剛健と言うとなにか弊衣破帽、髭でもはやして大騒ぎする風情が想像されてしまうが、この三君はいずれも「川柳」「俳句」「短歌」と極めて和風でシックな趣味を嗜みつつ老後を豊かに過ごされている。俳句の君は学生時代から素養があり、そのことを自覚もされていたようだが、本格的に新聞に投稿するようになったのは他の二人と同様ここ10年ちょっとのことらしい。

3人の話では、新聞の歌壇に掲載されるということは大変なことのようだし、川柳は歌壇に掲載されない新聞もあるようだが、新聞で取り上げられるのは同じく大変なことらしい。何れにせよ、彼らがその趣味で非常に豊かな老後を楽しんでいるようだが、それは財布の中身で購ったものでないことだけは確かだ。俳句の話をしてくれた君は大学卒業後に業界が同じで、現役時代にも大分世話になった。

彼のお母さんが、高校時代に学習誌に俳句を投稿して入選した際「俳人は食えないから別の職を持て」と諭されたとのこと。彼は母の教え通り立派に食えるようになって50年経ってから、信濃毎日新聞に投稿し始めたらしい。俳句も川柳も短歌も誰かに向かって思いの丈を述べるということ…

アメリカ大統領の不作法

国会論戦が始まるまで政治絡みのことを書くのは控えようと思っていたが、他に思いつくことが無かったので、いつものことだが予定を変更する。このところアメリカ大統領トランプ氏のアジア歴訪を巡っての報道が多い。それにしてもこの御仁、日本ではこれ以上ない不作法な振る舞い、無教養さをさらけ出して恬として恥じるところが無い。と見えたが、流石に中国での態度は日本や韓国での態度とは大分違って慎重な言い回しに終始した感がある。周辺スタッフを含め、それなりに考えてはいるのだろう。

マスコミ的には、最初の訪問国として日本を選んでくれたことを大いに評価したいようだ。しかし、訪日前に真珠湾に立ち寄ったことと、二言目に口にする「嘗て我が国に逆らった国は碌なことにならなかった。」はどう考えても日本に対する嫌味に聞こえ、不愉快に思うのは我一人だろうか。日本のジャーナリストは大人だから、そんなつまらぬことを指摘しないことを褒めるべきかどうか。その他にも随分行儀が悪いと思うことは多分にあるが、官僚や政治家も我慢しているのだろうから、あげつらうのは止めておこう。

彼のアジア歴訪はこれから後半戦に入るが、前半の3カ国中、国家としての主張が何も無く、ひたすら大統領の歓迎だけに徹したのは日本だけ。外国、即ち政権が声高に唱える国際社会がこれをどう見てるかは改めて言うまでもない。国益のせめぎ合いが存在しない筈はないが、国家の代表がそれを口にせず、賓客を慮って100%意見が一致したことだけを力説強調し、仲の良さをアッピール。マスコミがそれ以外取り上げなかったことは、国民の一人として白けるばかりだ。

ところで、平安の昔から我が国では権力者の命が短く儚いことを、祇園精舎の鐘の声に例えて言い伝えてきたことを、多くの人が同感するところだろう。そう考えればトランプの不作法も腹を立てても仕方ない。いま頂点を極めた大統領の権力も、どうせ先は長くないのだ。いつになるかは神のみぞ知るだが、任期はあと3年(正味は2年だ)、長持ちしても7年と定められている。間違えればアメリカには弾劾なんてこともあるらしい。トランプ氏はどうなろうと屁の河童だろう。

奴隷国家のそのまた奴隷だな

もう2年位前になるだろうが、お国から<マイナンバー>なるものを頂戴した。通知はいつものように分厚い封書で送られてきたが、読む気にはならなかった。一応頂戴したナンバーを記したカードだけは切り取って保管した。もう既に高齢故、親から貰った名前の他、今後必要になるのは三途の川を渡るための戒名くらいのものだろう、但しこれは己と関係無い。記憶もできない12桁の数字なんか頂くのは素直に感謝するわけにいかない。と思っていたが考えが甘かった。

当たり前だ、お国が国民にナンバーを割り振るのは国民のためであろう筈がない。国が個人をコントロールしやすくするためであるから、こちとらがナンバーから距離を取りたくても関係ない。容赦なく何かとマイナンバー提示を要求してくる。爺だからと言うだけで結構な恩恵に与っているくせに偉そうに言うな!と叱られそうだが、高額療養費の還付には送られてきたカードのコピーが必要である。面倒な話ではあるが受給者として文句は言えない。

おまけに、お国はこれまでの社会福祉制度が高齢者に甘すぎたとして、来年度以降75歳以上の患者の窓口負担を1割から2割に引き上げて下さるそうだ。常日頃、子や孫世代の若い人たちを大事に、なんて書いているのだから、有難さに涙でも流すべきかな。話を戻そう。兎も角これ以外はマイナンバーにお世話になることはあるまいと高を括っていたら、また豊島区から新しいお知らせを頂戴した。

これまで区役所の支所で住民票や印鑑証明を頂く際に使用していたカードがある。もう10年、否20年以上前からだったろうか、確か住基ネットが全国的に整備された頃からだろう。このカードでいろいろな証明書が発行されてきたが、来年からこの機械が無くなるらしい。念のために区役所に問い合わせると、来年いっぱいで従来の機械が撤去される。その代わり、写真付きのマイナンバー・カードがあれば、コンビニで証明書が引き出せると有難きお言葉。

ITとか最近はAIとか訳の分からぬものが進歩しているから、公共システムの陳腐化が早く進むのは仕方ない。と思える小生は歳の割に理解が良い方だろうが、使える電化製品を早々と捨てる勿体なさを感じないわけにはいかない。歳だから、もうそんなこと心配する必要は無いと思うが、運転免許証も無い今、豊島区の住民である以上どこで証明書が必要になるか分かったものではない。仕方なくその写真付きカー…

読後感「明治維新という過ち-日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」
原田伊織著 〔完全増補版〕

この夏以降、幕末に些かの関心を持ち、ひょっとすると自分の明治維新についての認識が間違っているのでは?と思い始めた矢先に、中学の同窓会があり、昔の同級生から今流行りの本と教えられて読んでみた。タイトルも冒頭に掲げた通りで、これまでの認識とは大分異なることが沢山書いてある。著者の年齢もこ大分近いし、広告代理店勤務を経ているところも似ている。しかも作家の司馬遼太郎氏と同窓の大阪外大出身だから、こちらとは大分違うインテリのようだ。

紹介してくれた昔の同級生もかなりのインテリで、原子力物理学の世界で世界的に活躍している。普段は殆ど付き合いが無いが、たまに顔を合わせると昔同様の議論が出来る。但し彼は政治的には意見が全く異なるバリバリの保守派。従って会話の途中で、何かの拍子で山口県出身の安倍総理の悪口に及んだ時、彼の口からこの著者の名前が出たのだ。但し、読むことを薦めると言うより、むしろ「君もその読者の口だろう!?」程度の感じ。ところ残念ながら著者の名前さえ知らなかったのが事実。かの同級生は昔から単に頭がいいだけでなく、何をしてもとても敵わなかった。悔しいので文庫本を探して読むことにした。

著者の気持ちは「はじめに~竜馬と龍馬」に端的に書かれている。
「本書は、2012年に、私としては止むに止まれぬ思いに駆られて世に問うた。」から始まるので、既に世間ではよく知られた作家のようだ。読み終わってからネットで検索すると、案の定、我が同級生が指摘するように正に悪評さくさくである。著者にしても歴史学者ではないからだろうから、この本が示すところだけを丸呑みしてはいけないのだろう。がしかし、書かれている内容は魅力的と言うのも変だが、それなりに説得力はある。

感想は沢山あるが、一つ上げる。「明治維新」と言うが、どの出来事を言うのかと聞かれると答えられない。「ここから近代が始まった」と言っても、いつからですか?これも子供に聞かれても正確に答えられない。成程、歴史は正しく総括され、正しく記憶されることが大切だ。現代人の何パーセントが僅か65年ほど前まで、日本国、即ち我々自身が、アメリカ(正確には連合国軍)によって独立を奪われていたとの自覚があるだろうか。

ワイドショーのコメンテーター

毎朝6:30頃から観ているテレビ朝日の「グッドモーニング」に出演する日替わりコメンテータの中に、火曜日は中尾彬氏と岸博幸氏がいる。中尾氏は俳優、岸氏は慶應大学教授となっているが、本当かどうか怪しい。もっとも小中学校の先生には国家資格が必要だが、大学教授には資格が必要がないので本当かもしれない。氏は元経産省の官僚で竹中平蔵氏の秘書官をしたことで名を挙げた。

当然ながら現政権への非難を上手くかわす役回りである。夜も時々テレ朝の「報道ステーション」を観ることがあるが、政権にはやや批判的と言われるこの局でも古賀茂明氏を降板させて以来、後藤謙次氏と言う緩衝剤的コメンテータを置いている。政権寄りと言われる日テレやフジテレは問題無いが、テレ朝に似たポジションのTBSでもコメンテーターの起用には気を使っているようで、テレ朝同様で田崎史郎氏を多く出演させている。免許事業としては仕方ないのだろう。

古来日本では外来語をすべて日本語に上手く訳して使いこなしてきた誇るべき文化がある。コメンテーターを日本語では何というのか、役割は何か明確ではないが、取り敢えず「批評家」とでもしておこう。つまらぬことを長々書いてしまった。

書きたかったのは、今朝一番で耳にした中尾彬氏のコメントである。テレビはつけていたが、たまたま机に向かって作業をしていたので、トランプ大統領の行動について局アナが説明していたが観てはいなかった。局アナが「中尾さ んどう思います?」と振られた瞬間の中尾氏の答が強いインパクトで飛び込んできた。たった一言「トランプさんて武器商人だね。」彼のギャラが幾らか知らぬが、これは秀逸だと思う。中尾氏のコメントをいなす役目の岸氏もいなしようが無かったみたいだ。

後で朝日新聞の朝刊を見ると「天声人語」に、昔ドゴール仏大統領から(トランジスタラジオのセールスマン)と評された池田勇人元首相紹介のあとに「こちらはさながら(兵器のセールスマン)である。」と書いてあった。同じ趣旨であっても流石に表現が柔らかい。中尾氏は俳優だけあってテレビの媒体特性を知り抜いている。「さすが!」と褒めるべきかもしれぬ。

友人さまざま

長くなった人生で、ひと様から評価されるようなことは何も無かったが、個人的には総じて明るく楽しい人生だったと思う。これも偏に多くの友人に恵まれたことにある。嘗て友人として付き合ったが、ある時点から意識的に二度と会わないと決めた友もいるが5人はいない。そんな彼等にも言いたいことがあるとは思うが、その後もつきあっている双方を知る友人たちも理解はしてくれている筈だ。

人間関係を壊す最大の要因は殆どがお金の問題にあった。小さい頃から親の教えとして「友人は勿論、他人と金の借り貸しをするな」と教えられたと記憶するが、まさに不肖の子供。今でもそうだが、いつもオケラ同然の貧乏暮らしだが、何度か「チョット貸してくれ」と頼まれたことがある。友人であれば用立てられるものなら用立ててやりたいと思うし、頼まれたことを断るのも難しいことだ。そこで「貸したことは忘れろ」と言われても忘れられない金を出してしまったことがある。

だから貸した当方にも責任はあるが、結局これが仇となって借りた方からも疎遠になる。結果は先に書いたような不幸なことになってしまう。二度と会うまいと決めた彼らのことを考えると、借りるときから踏み倒すつもりはなかった筈だ。心ならずの結果だったと思うが、友人を失ったことは間違いない。「類は友を呼ぶ」とも言われるので、こうして交友関係を断った友がいたこと自体こちらにも大きな責任がある。

人によって人生哲学は様々だと思うが、振り返ると「人間関係を重視し、敵を作らず友人を多く持つことが人生の宝」と考えてきた。そして「お金」と言うお宝を少し軽く見すぎていたかもしれない。今さら乍ら親の教えが胸に沁みる。
ここ数日の報道で、日米両首脳の仲良き姿をこれでもかと言うほど見せつけられて、我が身を振り返る機会を得た。

読後感「将軍慶喜を叱った男 堀直虎」
江宮隆之 著

秋の信州に観光旅行に行った友人が須坂市の観光ポイント「豪商の館」で買い求めた本を借りて読んだ。

現在「直虎」と言えばNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放送中で、圧倒的にこちらがメジャーである。放送を観たことがないので知らぬが、城主直虎となると、江戸時代の大名に須坂藩主以外の直虎が存在してたかと心配にしてしまった。wikiで調べると「後に彦根藩の藩祖となった井伊直政を育てた遠州井伊谷の女領主・井伊直虎を主人公とした物語である。」恐らく実在した人物のようでもあるが、時代も大分遡りどうやら戦国時代のようである。

本書の主人公「直虎」は実在が明確で、亡くなったのは幕末の慶應4年(1868年)、つい150年ほど前のことである。時代は幕末の天下騒乱の時、直虎は信州須坂藩、僅か1.1万石弱ながら立派な大名であり、当時は33歳と年齢も若いのに幕府の要職である若年寄り(外国惣奉行)に就いていた殿様の詳伝である。徳川藩の役職としては大老・老中の下に位置するが、旗本全員を取り仕切る立場で、非常に大きな権限を持たされていた。幕末に直虎は、軍艦奉行勝海舟の上司になっていたことを留意しなければならない。

小藩ゆえの悲しさで、江戸常勤でなければならなかった11代藩主の父堀直格の五男として1936年江戸で生まれ、1861年12代藩主の兄が夭折したため、たまたま兄の養子になっていた直虎が若くして藩主となる。直虎は若い時から学問と武芸に励み、非常に聡明で藩政にも見るべき功績が多々あるが、何といっても江戸時代の最末期、徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸に逃げ帰ってからの出来事が彼の生涯を際立たせている。

幕府の大将である徳川慶喜が軍隊を見捨てて、大阪から軍艦で江戸に逃げ帰ってきたことはよく知られている。しかし江戸城には正確な戦況が届いていなかったので、徹底抗戦或いは謹慎恭順と小田原評定が何日もだらだら続いたらしい。そんな最中の慶応4年(1868年)1月17日、突如直虎は声を張り上げ、慶喜に向かって存念を口にする。この小説では「大将の腹を決めてくれ、我々はそれに従うだけ。」との趣旨としている。しかしそれを聞いた慶喜はプイと横を向いたまま置く引っ込んでしまった。

その後、直虎は屋敷に戻ることなく江戸城中で切腹してしまう。屋敷を出るときから切腹の用意がしてあったようだ。直虎の諫言には諸説あり、勝海舟は後…

秋晴れ

素晴らしい秋晴れが二日続いたのに、どこへも出かけることなく終わってしまった。今日は代わりに婆さんがお出かけでこちらが留守番。彼女が病院以外に外出してくれるのは元気になった証拠で、たまには良いことだ。昨日は孫と弟の誕生日、晴れの特異日とのことで二人ににとっては目出度い限り。こちらも文化の香りのお裾分けに与りたいが、特にすることもなく区立図書館で小沢昭一の本を読んでいた。

小沢昭一氏よりは少し若いが、昭和20年代30年代の街の風景や子供遊びは相当共通していて楽しかった。あの当時は普通の子が沢山いて、大人も普通の人が多かったような気がする。今は個性派時代なんだろうか、普通の人の方が少なくなっているような気がしてならない。母校ではないが現役東大生の「ミス・インターナショナル日本代表」が選出されたそうだ。驚くにはあたらないことかもしれぬが、びっくりしてしまった。

もう少し書こうと思っていたが、婆さんが帰ってきてしまったのでここでやめる。

子供の命名

新しい政党や会派が誕生した特別国会が始まった。会期が延長されたそうだが、安倍首相の所信表明演説が行われるのは11月17日で、各党の代表質問は11月20-22日だという。なんのことは無い、国会が始まるのは月末、始まったらすぐに閉会、与野党ともに同じ日本人、仲良くやるのも好いが馴れ合いは感心できない。政治ネタを探すのは暫くお預けして他のことを書くしかない。

昨日の夕食時にひょんなことから名前の話になった。最近テレビを観ていると確かに読めない名前の出演者やニュースの登場者にぶつかるのがよくある。当事者にとっては不便で迷惑だと思うが、これが近ごろの流行で「キラキラネーム」と称することを教わった。名前に流行り廃りがあるのは仕方がない。日中戦争の真っ最中、太平洋戦争開幕直前の2040年生まれだから、同級生には時局反映型の名前も多い。

最も多いのは紀元(皇紀)2600年を反映した「紀男」とか「紀之」のように「紀」のつく名前が多く、威勢が良いところでは親友に「武久」がいる。武運長久そのものずばりだ。他には八紘一宇から「紘」とか「宇」を引いてきている友人もいる。昭和15年なので「十五郎」はいないが年配の知人には「昭三郎」や「昭五郎」がいる。同年配で最も分かりやすいのは「昭雄」君かな。何れにしても名前に親や祖父母が願いや意味を込めるのは否定すべきではないが、読みにくかったり書きにくいのは如何なものかだ。

英語読みに漢字を当てるのも多いと思うが、命名者の気持ちは分からぬでもない。友人のお子さんには今年のアカデミー文学賞受賞者カズオ・イシグロ氏のように完全に日本離れしている人が何人もいる。であれば、命名時から「碧空」と書いて<あとむ>なんて読ませずに、選挙の立候補者がよくやるように最初から「あとむ」とか「アトム」とかローマ字表記は禁止されているのだろうか?因みに「碧空」は2016年上半期キラキラネームランキング第1位から引用している。

日本語が乱れて中途半端な横文字が日常で氾濫する昨今である。誰かが「教養のない親ほど子供にこのキラキラネームを付けたがる。」と文句を言っていた。必ずしもそんなことも無いと思うし、子供の幸せを願うなら仕方ないとは思うが、何と無しの違和感を覚えるのも事実だ。

民意

先日の選挙で選ばれた新メンバーによる投票によって、今日再び安倍政権が発足する。政権のメンバーと自民党役員は選挙前と同じらしい。満足している人もいれば、しっくりこない人もいることだろう。選挙直後に朝日新聞が社説で「政権継続という審判 多様な民意に目を向けよ」を掲げたが、ネット上ではこれに異を唱える意見が多数アップされた。今さら多様な民意とは何事だ、民意は明確だ。取るに足らない連中の意見に捕らわれては国政を推進できない。

少し角度は異なるが、総選挙で示された「民意」は、「モリカケはそろそろ終わりにしろだ」なんてご意見もある。これは立派な経済学者で通っている高橋洋一氏が説だが、理由は「はじめの段階ならマスコミが「疑惑」と叫んでもいいだろうが、もう半年以上も経ったというのに、新たな証拠もなしで「疑惑」と言い続けている左派マスコミはおかしい。」とのことである。

これらの考えは少しおかしく、朝日新聞が唱える多様な民意も無視すべきではないと思うが、民意の付託を決するのは選挙結果だけなので反論しようがない。これまでの振る舞いからすると、「強きを助け弱きを挫く」政治が続きそうなので些かうんざりでもある。先日の中学校同窓会で40年以上海外生活を経験した友人の話「日本はそれでもアメリカなんかに比べると、暮らしやすい国だぜ。」をせめての慰めとして我慢するしかないだろう。

彼が言わんとしたところは、日本の格差は未だましで、アメリカには人種以外にも様々な格差があること、保険医療制度の問題とか医療そのものが極めて大雑把で、アトランタで胃の全摘手術を受けた時に相当びっくりしたとのこと。更に周知の大問題「銃社会」について、身の危険を感じ地元の現地人スタッフと相談したところ「銃は買わない方が善い。いくら強盗でも丸腰の人間を撃つのはためらうだろうから、なまじ持つな。」と言われ、ついに持たずに過ごした。

この話は最近の日本における安全保障論議の中で、専守防衛がやや後退気味であることを想起させられ興味深いものがあった。