2017年11月13日月曜日

老後の楽しみ

土曜日に長野で高校の同期会があって参加してきた。参加者は48名、年々少なくなるのは仕方ないのだろう。すでに卒業時の2割以上が亡くなっている。こちらも同じことだが、みな酒も飲まなくなったし、食わなくなった感じがある。参加者全員と会話できたわけではないが、身体の不具合や病気を全く抱えていない人の方が少ないみたいだ。

出かける前に婆さんと話したのだが、彼女はもう高校の同期会は参加しないことに決めている。理由は場所が静岡県の島田と遠いから面倒なのかと思っていたが、「身体が不自由になったり経済的にも不自由になった人は、同窓会には出席しないものよ。」だそうで、身体はまあまあにしても経済的に不自由な亭主には少し皮肉めかして聞こえた。

確かにそこにも一理はあるのだろう。しかし先の書いた通り、身体の不具合は殆ど全員だし、我が母校の校風は質実剛健、昔から今に至るまで財布の中身は誰も気にしない筈。やはり静岡と長尾の高校では校風の違いがあるようだ。さて、今回愉快だったのは恒例の講演だった。これまでは宴会前に誰か一人が1時間程度何か話すことでやってきたが、今回は9組あった中の一クラスから3名が選ばれて20分くらいずつ話を聞かせてくれた。

質実剛健と言うとなにか弊衣破帽、髭でもはやして大騒ぎする風情が想像されてしまうが、この三君はいずれも「川柳」「俳句」「短歌」と極めて和風でシックな趣味を嗜みつつ老後を豊かに過ごされている。俳句の君は学生時代から素養があり、そのことを自覚もされていたようだが、本格的に新聞に投稿するようになったのは他の二人と同様ここ10年ちょっとのことらしい。

3人の話では、新聞の歌壇に掲載されるということは大変なことのようだし、川柳は歌壇に掲載されない新聞もあるようだが、新聞で取り上げられるのは同じく大変なことらしい。何れにせよ、彼らがその趣味で非常に豊かな老後を楽しんでいるようだが、それは財布の中身で購ったものでないことだけは確かだ。俳句の話をしてくれた君は大学卒業後に業界が同じで、現役時代にも大分世話になった。

彼のお母さんが、高校時代に学習誌に俳句を投稿して入選した際「俳人は食えないから別の職を持て」と諭されたとのこと。彼は母の教え通り立派に食えるようになって50年経ってから、信濃毎日新聞に投稿し始めたらしい。俳句も川柳も短歌も誰かに向かって思いの丈を述べるということではブログも似てるかもしれぬ。しかし、感性を磨き言葉を本当に研ぎ澄ますという意味では同列に論ずるのも失礼だろう。脱帽するしかない。

2 件のコメント:

TAK さんのコメント...

貴方の見識や文章力は実に優れています。この点では同期生中NO1です。
TVのコメンテイターより上です。
ただし主張がリベラルですからでTVでは取り上げられないですね。

senkawa爺 さんのコメント...

TAKさん
又々お褒めのコメントを頂き、誠にありがとうございます。
嬉しい限りです。
これからも精進したいと思いますのでよろしくお願いします。