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勲章

昨日は春の叙勲発表。
>政府は29日付で、春の叙勲受章者4068人と外国人叙勲の受章者70人を発表した。民間受章者は4  1%(1666人)、女性は8%(343人)で、いずれも昨年並みだった。受章者は省庁からの推薦がほ とんどで、一般推薦による受章者は5人だった。 旭日章は顕著な功績を上げた人、瑞宝章は公共的職務に 長年従事した人が対象となる。

最近は勲1とか2は無くなったそうだが、大中小の差別があり新聞を見ると一番上に出ている旭日大綬章なんてのはわずか数名でランク付けされているのは一目瞭然だ。ハリウッドの俳優クリントイーストウッドが叙勲(旭日中綬章)されたそうだ。これには少し驚いたが、新聞に名前が出ているような人は圧倒的に公務員の古手や大企業の、大組織のもとボスが多いようだ。

ネットで読んだ記事の中に公務員が国家に奉仕するのは当たり前だから、国家が彼らをことさら叙勲して讃えるのはおかしい。むしろ大阪府の橋下知事に一億円持参して「社会福祉に役立ててください」と寄付した何処かのお婆さんのような人にこそ勲章を上げるべきではないかと言うのがあった。この意見には大いに賛成したい。又若い人も叙勲しない事がルール化されているようだが、70歳過ぎても悪い事をする奴はするのだから若い人も叙勲に値する人は叙勲すべきだろう。

実は小生も役人の子で、我が父も70歳を幾つか過ぎた時に叙勲された。珍しく父が母を同伴して上京してきて、在京唯一の子供であった小生が両親を赤坂の料理屋に招きお祝いの小宴を持った。その時の親父の嬉しそうな顔と言葉「小過はいろいろあったが大過なく過ごせたのはお母さんはじめ皆の協力のおかげ」が未だに印象に残っている。

それから又20年ほど経っただろうか父が亡くなった時、私が祭壇に勲章も飾ったらと母や兄に言ったら
母や兄が、「そう思ったので随分探したのだが、勲章らしきものは箪笥の引き出しにあったが勲記がどうしても見つからない。勲章と言ってもみすぼらしいものだしみっともないからやめたのよ」との事。いろいろ聞くと父は勲章そのものは貰ってもあまり嬉しくなかったようだ。歳をとってやや自適の生活をしている時に、国から改めて人生を他人との相対でランク付けされるみたいで嫌だったらしい。

母もその気持ちを理解していて、ひょっとしたら勲記は母が或いは父自身が焼き捨てたのかもしれないが今となっては全て知る…

ゴールデンウィーク

一般的には明日からゴールデンウィークだろう。不景気の影響もあって連続休暇日数が10日を超える人多いようだ。こちらはカレンダー通りの勤務体制だが、それでも明日は休み、2日仕事をして今度は5連休という事になる。婆さんが先週あたりからしきりと「連休の予定は決まりましたか?」と聞いてくる。こちらとして例年の如くハイキングの計画を立てたいのだが、腰の調子がいまいちなので遂にどこも予約できないでいる。

もうこの時間になると、今年はどこにも行かずという事になるのかもしれない。しかし明日は兎も角、後半の5日間ぶっ通しでプールと碁会所通いと言うのも如何なものかと悩んでいるところだ。1泊か2回ぐらいの日帰りのハイキングを考えなくてはいかんだろう。考えはじめると行きたい山の選択肢が多すぎて容易に結論が出ない。明後日に考えなす事にしよう。

全国一斉に長期休暇も良いが、ここにも中央集権制が反映されている。地方分権になって都道府県毎に国民の祝日をずらして制定出来る仕掛けにしたら、日本列島は南北に細長いのだから地方毎に少しずつずらして取るようにしたら混乱して大変かな?自分の計画が立てられないので余計な事を考えてしまった。学生時代からサラリーマンになりたての頃は休日がとっても大事であり難かったが、昨近はそれほど有難味を感じない。

例えぱっとしなくてもてもスケジュール化された生活パターンに慣れてしまうと、それが大変楽でパターンを変更するのが却って面倒になる。これは誰でもそうなんだろうか?自己実現が可能なフリータイムをふんだんに与えられても有難味を感じないというのは勿体ない。もうすぐの事かと思うが、完全リタイアしたらどうするのだろう?同期の友人たちに聞いてもあまり参考になる意見が聞けない。

要はそれぞれの人生の目的意識や価値観が異なるからだろう。考えてみると自分の場合は何か趣味的な事をチョコチョコとする事はするが皆中途半端で、人生の中でここまではやりたいと言った目的意識が極めて曖昧希薄である事に気が付いた。結局仕事に向かっている姿勢も同じなのだろうが、これからは人生の目的意識や価値観をしっかり持たないとまずいのかなあ。しかしこれは基礎的な事だから手遅れかもしれない。

「老人閑居してやる事が無い。」

黒い手帳 矢野絢也著

嘗ての公明党書記長矢野氏の身辺に起った創価学会とのトラブルを自ら書き下ろしている。氏の生い立ちから始まって若くして公明党の代議士になっていった経緯、公明党代議士と創価学会との関係、学会の選挙協力の実態が生々しく書かれていてそれなりに興味深い。

何と言っても驚くのは学会という組織の凄さだ。創価学会は1930年牧口さんと戸田さんというたった2人の教育者が起こした「創価教育学会」が源らしい。目指すところは世の乱れを正して世の人全てが幸福を享受できるようにする事であった。二人とも日蓮正宗の信者ではあったようだが、信徒団体としての位置づけはそれから7年後。戦時中は軍部に睨まれて苦労したらしいが、戦後は現世利益を旗印にして組織を拡大していく。

1954年には「仏法を根底にした文化国家建設を目的に、そのために必要な政治・経済・文化・教育等、あらゆる方面での多彩な文化運動を推進する。」として学会員を積極的に地方議会に進出させるようになる。この辺りは宗教家が世直しを考えて普通に起こす行動で違和感は全く無い。1960年になると池田大作氏が会長に就任、翌1961年公明政治連盟が組織化されて基本要領が作られる。

これが約1ページにわたって引用されているが、内容が素晴らしい。曰く「1.現今の政治は保守革新を問わず派閥抗争に明け暮れ、党利党略を重んじ、日本国民の福祉を忘れ、大衆と遊離しつつあることを深く憂うるものである。2.略3.略・・・・この要領に沿って①核兵器絶対反対、②民主的平和憲法の擁護、③公明選挙、政界の浄化、④参議院の自主性確立を基本政策に掲げた」

この公明党が政治評論家として活躍していた著者の矢野氏と鋭く対立して、その活動を中止させて尚且つ矢野氏の個人的メモを取り上げたのは何故か。その辺の経緯が細かに書かれているのだが、現在法廷での係争になっている事案でもあり、このブログが関係者の目に留まらないとも限らないので感想は書かない事にする。
目から鱗見たい話が調所に有って興味深い事は保証できる。

おもしろき事

さして面白くも無い平凡な毎日ではあるが出来るだけ愉快に過ごしたいと願っている。幸い笑えるネタが多いのでありがたい。

不謹慎かもしれないが、昨晩から今朝にかけて我が家では草彅剛さんの逮捕劇で大いに盛り上がって茶の間を明るくしてくれた。婆さんはしきりに怒っている。今日になってネットの情報を見ると、大方の意見は婆さんと同じで警察がやりすぎという意見が多数のようだ。特に面白いのは「ツヨシくんのヌードだったら皆が見たいのでは」というご意見。ご尤もな事だ。

今朝までは彼が可哀想だなと思っていたが、今度は鳩山総務大臣に非難が集中しているので彼にも同情する。彼も友達の友達やら簡保の宿やら中央郵便局視察などで笑わせてくれるのはチョットしたお笑い芸人だ。素直な人なのか馬鹿なのか、東京大学を出ているのだからそうではあるまい。何れにしても利口そうに見えないところが面白い。同じ東大出にしても今回たびたび引き合いに出される中川昭一元財務大臣なんかに比べるとかなり庶民的、しかし大金持ちのお坊ちゃんというところもアナ可笑し。

政治家という職業、親の遺産を継いではいけない事になりそうだ。親の遺産を継いで政治家になっている先生方が「憲法で保障されている職業選択の自由を侵す事になりかねない」と仰っている。これもご尤もに聞こえるが、何故か笑えてしまう。改革の旗手小泉さんなんかどんなふうに考えているのかな。又、脇で婆さんが言う「小渕裕子なんかが大臣になるなんて変よ。第一少子化担当大臣てどんなに暇なポストか知れないが、大臣になっている時ぐらい子づくりは慎みなさい。」全く面白い事を言ってくれる。

海賊退治の法案が与野党の合意を得られずに衆議院を通過する。この時政府側で深々と頭を下げているのが国土交通大臣。え!海賊退治に鬼が島でなくてアフリカ沖まで出かけているのは自衛隊でないの?そう言えば海上保安庁職員が数名参加していると言っていたな、だからか。これで国民が軍隊を海外に送る事を承知した事にするの?至極真面目な顔をしている先生方を見ると一人で笑い(泣き)だしたくなる。

孫には誰を見習うべきかを語るとき、「お行儀の良いタレントさん達を尊敬し、品性下劣で国民から馬鹿にされる大臣なんかの真似をしたりなりたがってはいけません。」と言わなければねとの事。
本当に明るい世の中とは言い難いし、面白がってはいけないと思うのだが。

検査結果

今日先週の検査結果が出た。 前立腺8か所から採取した生体を、日大医学部の病理学の教授が顕微鏡をのぞいてくれたという事らしい。

結論的には悪性腫瘍は特に発見されなかったが、前立腺の内部に炎症があり、これがPSA数値を押し上げていたものと推定されるとの事。一先ずは安心しました。検査の後遺症で尻から腰にかけて痛みがひどい、とやや非難めかして言うと、「フン、当たり前でしょ」みたい調子でだんだん薄れてきますよとの事。 むしろ一晩で開放してやったのだから有り難く思え、とも聞こえる。

採取の針を突き立てる場所が病院によっては10か所以上20か所と言ったところもあるようだ。その場合の痛みは今度のようなものではなく、麻酔をしてオペし、入院も3日とか4日にならざるを得ない。後遺症も当然1週間程度ではおさまらないとの事。何れにしても今夜から湯船に浸ってもいいらしい。

プールの事は敢えて聞かずにおいた。自転車以外特にハードでなければ何をしてもいいという事だろう。腰の痛みは一から自己鍛錬をぼちぼちしながら回復を待つしか仕方がないだろう。そう思って久しぶりに往復1万歩の散歩を楽しみながら帰って来た。昨日ほどは暑くなく、街路樹のハナミズキ(豊島区の区花)が満開でとても爽やかな昼前だった。

又以下の雑談からこの先生のスタンスをある程度伺う事が出来た。

「先生ありがとうございました。結果が陽性だったらそれなりにショックではあったと思いますが、それより今後の治療方針について私の周辺から、先生以外の医師の意見を聴け。という声が必ず出てくるので煩わしくていやだなと思っていたのです。」
「セカンドオピニオンについてはそうでしょうね。私は自分で手術をしますが、よほど非常識でない限り抗がん剤や放射線で行きたいという意見が出て来ても、どうぞという事にしています。」

ポスト新自由主義

金子勝さんが好きなので読んでみた。確かに現在の日本はどこかおかしいと思う。

特に金子さんや片山さんが指摘する所の霞が関主導の日本の政治と似非民主主義に思いをはせると暗澹たる気持ちになる。

山口二郎さんが札幌で行っている連続講演会の収録版だが、これが大きな運動として全国に拡大する事を願ってやまない。

検査入院

昨日の朝から板橋区医師会病院で前立腺の生体検査のために入院して先ほど帰宅した。前回の入院は8,9年前胆のう摘出の時だから久しぶりの病院泊まりだった。

昔から方々の病院に入院経験があるので、1泊の検査ぐらいなんでも無いとタカをくくっていたが、肉体的に負荷が想像以上に大きくかなり疲れてしまった、これも歳のせいかな。検査そのものは尻の穴から何やら機械を入れて前立腺から針状の組織を何本か採取するので、尻の痛さを我慢している時間は精々10分か15分くらいのものだろう。

しかし10時に入院してすぐに病室に案内され、着替えが終わるとすぐに10時半から点滴が始まり、オペ室に降りても点滴はそのまま。手術が終わると尿意を強く感じるのだが、尿を出すことが出来ない。結局尿道にガラス管を突き刺して看護婦(怖い顔の婆さん)が下腹部を英っと圧迫してやっと目的を果たす事になる。検査をして本当の病気になってしまったような気がする。

11時45分からオペが始まり12時半には病室に戻った。それから4時間は勿論昼飯抜きで絶対安静。理由は尿道や直腸を傷つけている可能性もあるので発熱血尿血便の可能性も多との事。もともとそういった検査なのか、先生の腕に自信がないのか心配になる。しきりに尿意を感じて自分で尿瓶を使おうとしてもなかなかうまくいかない。担当医が回診してきて「もう少し様子を見て駄目ならもう1回押し出しましょうか?」と言うのでぞっとする。

しかしどうやら回診の15分後に自助努力で目的を達する事が出来た。この間も点滴はずっと継続して消灯時間の9時過ぎまで続き、針は刺したまま一晩を過ごして朝食後から今日の昼まで点滴液に捕らわれぱなしだった。昨番と今朝病院食を食う羽目になった、日頃の食事と比較してはいけないとも思うが、兎に角今日の昼飯は勘弁してもらって点滴が終わるとすぐに退院手続きを取ってもらった次第。 入院したら久ぶりにゆっくり読書など出来ると思っていたが読書すらまともにできなかった。現在一応事務所には来てみたが未だふらふらしている。更にこれから1週間はアルコールは勿論駄目、これは問題無いが。風呂もプールもいけないと言われ参っている。

今度の日曜日は家内の実家に全員集合になっている。家内の母が元気で、亡くなった父の誕生日が翌日の4月20日では子どもは勿論孫曾孫まで呼んで賑やかにとの趣旨だが、義母に次ぐ長老の小生として…

昭和34年4月10日

今年は天皇陛下ご成婚から50周年の記念すべき年である。本来であればもう少しお祝いムードが盛り上がってもいいのだろうが、経済とか政治が不安定で国民の多くはあまり平成の泰平を謳歌する気分になれないようだ。新聞の折り込みに両陛下の記念アルバム2100円なんてチラシが入ってきたが、自社が抱えている膨大な写真ストックで一儲けを企むのは良いとして宮内庁になにがしかの権利金を払うのだろうか?と余計な心配をしている。

小生にとっても今月の10日は上京から50周年の記念すべき日である。ご成婚のパレードはその後何度もニュース映画では観たが、当日は列車に揺られている時間だったし東京に到着していたとしてアパートにテレビは無かったので見ていない。その夜兄貴と早速新宿歌舞伎町に飲みに行き、「とんねる」なるバーで1杯50円のハイボールを飲みながらバーテンから「長野県出身の男がパレードに投石して逮捕されたが、立派なパレードだったようだ」と話を聞いた事を記憶している。

何れにしても半世紀前の記憶は茫々たる彼方に沈んですぐには思い出せない事が多いが、最初に飲みにった店は間違いなく「とんねる」だったと思うが2軒目以降については思い出せない。確か2軒か3軒をはしごして深夜の帰宅であった事、割り勘であったが、自分にとっては1か月分の生活費一万円の1割にあたる千円を一晩で使わされた事がショックだった事も覚えている。本当は500円ずつ出し合おうという話で合意して、先ずは西口のマーケットで50円の鯨かつ定食から始めたのだが。兄弟ともに自制心が薄かったわけだ。後は一瀉千里毎晩のように歌舞伎町方面に足が向く。

いくら50円で飯が食え100円でバーの勘定が払える時代であっても、それで済む筈がない。ハイボール1杯飲んで店を後に出来るような人間なら、最初から盛り場なんかうろつかないものだ。持ちつけないお宝千円札10枚が消えるのにさしたる時間は掛らなかった。次は近くの質屋さんに早速大学入学祝に買ってもらったシチズンの腕時計を持ち込む羽目に。確か6千円程した時計で千円借りる事が出来たと思う。田舎にいた時からいきがっていた悪ガキだったが、家計とか出納はからきし駄目だった。高校時代の必要経費は精々映画を観にいく事、悪ガキ同士で喫茶店でコーヒーを飲む事程度で1日100円以上必要なんて事はめったになかったようだ。従って小遣いなるものを幾ら…

21年度補正予算案

一昨年に比べ昨年度は仕事の量は減ったし、本来直接受注するつもりだった仕事に大手1社が割り込み孫請けに回らざるを得なかった。当然期待した利益は望むべくも無い。今年度の見通しは定かではないが仕事量や粗利が更に減る事があっても増える事は無いだろう。しかし正直なところ自分には未だ不景気の実感が無い。3度のまんまが食えればいいではないか。

むしろ不安は近い将来予想される老老介護についてだ。昨日も婆さんと少し話をした。いつもの事だが自分が先に倒れることを想定して「婆さん、宜しくお願いします。」で終わってしまった。本当はもっと真剣に心配しなければいけないかも知らんが、まだ真剣味が足りない。 丁度この時テレビのニュースで自公の15兆円補正予算の話をしていたので、この予算案と我が家の関連についてに話が展開した。

爺「景気が悪いというのは国に金が入ってこない、国が貧乏になるという事だろう。貧乏になったら先ず支出を減らす事が第一ではないか。なのに子や孫に借金させて金をばらまくとはおかしいのではないか。予定していた道路も待ってくれ、鉄道も同様、国民の皆さんに我慢を訴えた方が良いのでないの?」
婆「国民を馬鹿にしているわ。自動車やテレビにしてももう少し大切に使いましょうと言うべきでしょう。政府が国民に無駄遣いを勧めてどうするの。全く教育上良くないわね。」 何と言っても経済音痴の呆け老夫妻だからこういう事では意見が一致する。

又、ずらっと並んだ補正予算案、我が家が恩恵に浴するところが殆どないのだ。先ず自家用車とは無縁の生活だからエコもへちまも関係ない。財産贈与なんか何処の話かしらだし、家電製品にしてもちっとばかりマケテくれるなら買おうというほど馬鹿でもないし、それほどの余裕はない。既にデジタルテレビにしている我が家はどうしてくれるの、全く不公平ではないの!てなものだ。

自家用車購入を補助するなら公共交通機関の料金に補助を出せ。高速道路料金もトラックを安くすれば少しは我が家も恩恵にあずかる事が出来るだろう。この時期に家を建てようなんて人が政府の援助を期待するか。3歳以下の子供に1年に限って3万何千円かを補助するなんて何を考えているのだ!保育所でもたくさん作る事の方が先だろうとか。兎に角けちょんけちょん。 挙句の果ては応援している民主党の「子供手当月に2万何千円かを恒久的に」話が飛んで 「これもやりす…

国家に隷従せず 斎藤 貴男 著

2004年の刊行となっているが実際は2001年に「人間破壊列島」として出版されたものに少し本分を足して文庫本として出版されたものらしい。著者については今まで全く知らなかった人だ。元は出版社の記者で現在はフリージャーナリストとして多くの本を書いているようである。たまたま書店でぱらぱらと立ち読みして引き込まれて買ってしまった。

社会が目まぐるしく変化する現代において、ほぼ10年前に書かれたものを改めて読んだわけだが大いに考えさせられるところがある。 背景は小泉政権時代、ニューヨークの911事件や引き続いて起こったイラク戦争とその戦争への参加。住基ネットの導入、教育臨調、高速道路のETCなんて言葉がまだ目新しい時代だ。

タイトルにあるように、著者は情報化の進歩によって監視社会が高度化して個人の自由が国家に絡めとられることに大きな不安を抱いている。現在は執筆からおそらく10年近く経過しているだろうが、著者が予測しているような社会現象は殆ど実現している。しかし彼が不安を感じているような事が裏でどこまで進行しているか私には分からない。こちらはむしろ便利になったものだと暢気なくちだ。

この問題はさておき、彼が当時から声を大に訴えていたらしい「構造改革路線が格差を拡大する事・竹中氏の弱者切り捨て理論と道義に反する人格的な欠陥・米国追随で戦争する国に突入していかざるを得ない道に踏み込んでいる事・マスメディアの堕落」これらは今になって見るとまさしく指摘の通りと感心せざるを得ない。

マスコミと私

40数年前になるが、大学の2、3年生の頃「マスコミュニケーション概論」なる単位を履修した記憶がある。講師は当時まだ報道局長ぐらいで取締役にもなっていなかったようであるが、数年後に東京放送の社長になった諏訪さんであった。当時はマスコミという言葉自体結構目新しかった様な気がする。勿論テレビ放送は始まっていたが、我が6畳間1部屋の安アパートには携帯ラジオが置いてあるだけだった。兄貴と同居していたので新聞は取っていたかもしれないが、あまり読んだ記憶が無い。

しかし誰に聞いたか、何を読んだか知らないが、東竜太郎が都知事で、東京オリンピックに向けて世論が盛り上がっている事は何となく分かっていたようだ。当時我がアパート前の道路(青梅街道)は地下鉄工事で夜になると都電も車も通行を遮断されて歩くしかなった記憶があるが、この関連かもしれない。総理大臣は誰であったかも定かではない。

当時最もインパクトのある報道はニュース映画だったような気がする。映画館によってはニュース映画の本数が違った。何処でも日本のニュース1本は必ず上映されたが、ムーヴィートンとやらの海外ニュースが上映されることもあり、これは特に興味深かった。後は殆ど遊び仲間である友人や兄弟とその友人あるいは飲み屋での会話からの情報しかなったのではないか。相当時間が余りそうだが、体を動かす必要が無い時は、ラジオで歌謡番組を聞いたり浪曲や落語を聞いたり本を読んでいたのかもしれない。

何れにしても世の中の動きについてもパーソナルな情報が多くて、自ら情報を集めて、自分なりの判断をして脳みそに格納する作業はそんなに多くはなったのだろう。 親兄弟の言う事は素直に信じていれば良かったわけだ。

しかし講師の諏訪さんによると「現代は新聞などのマスコミが非常に大きな力を発揮して世の中を動かしている。そしてこれからラジオ更にはテレビが大きな力を持ってくる。多分新聞の力を凌駕するようになるだろう。」というのだが、受講している此方は新聞なんか殆ど読まないし、ラジオも殆どNHKで朝又は夕方の精々15分程度のニュース以外は殆ど娯楽だったので、ピンとこなかった記憶がある。

要するにマスメディアの情報に接する時間が現在に比べると極端に少なかった事がはっきりしている。しかし社会生活を送るのにそんなに人に遅れている不便も感じなかったのだろう。比較して今を考えるとマスメディアか…

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本 (講談社現代新書)

今まであまり関心を持っていなかった事について面白そうなので読んでみた。法律については長い人生ほとんど無関心で過ごしてきたが、大方の人はみな同じであろう。 著者は元検事だから一般時とは逆にその方面の専門家である。

法律は社会を安心で公正なものにするために我々凡人が知らなくても存在し、司法や検察等の準司法機関はその番人として機能している筈である。 ところが運用の実態としては、これが目的にかなって適正に運用されているとは言い難い面があるようだ。

特に経済司法(ライブドアや村上ファンド事件など)なんかの場合、日本の場合法律や司法の専門家が仕組みの変化についていけない所があって的外れな判定を下している危険もかなりありそうだ。同様な事は食品偽装と言われる事件なんかにも起きている。

関連して言える事に事件に関する報道の姿勢のあり方、これに強いインパクトを受けた。要するにいったん火が付くと、事実を無視、又はそれこそ切り張りによる捏造で張り煽ぎで犯人をでっちあげていく。今まさに問われなければいけない日本社会の病巣をえぐっている。

政治事件への言及はないが、似たような雰囲気があるのではなかろうか。小冊子ではあるが大きな示唆を含んでいる。

ブログサイト変更

今月からブログ始めようと志を立てたがなかなかうまく運ばない。長年の経験で何事も最初は様々な障害にぶつかるものと知ってはいるが結構疲れる。
今回は幸いな事にインストラクタがそばに居てくれるので、うまくテイクオフできる事を期待している。

学生時代から4月1日はある意味で新たな1年の始まりだ。今日は春のスタートにおよそふさわしくない寒い1日で、桜もほぼ満開にちかいのだがちっともぱっとしない。部屋には暖房を入れている。余り結構な1年にはならないのかな。

昨年から自分の仕事とは無縁と言えない広告業界に関しては相当に厳しいようだ。月曜日に昔の会社で一緒だった少し若い人から教えてもらった。吹けば飛ぶような個人企業だが気を引き締めないといつ店じまいと言う事ならないとも限らない。

とぼやいて見ても仕方がない。兎に角又新しい1年を頑張って行こう。頑張ると言っても歳でもあるし、何をどうするのかは分からない。明日以降も今までと同じように同じようにやるだけだろう。何と言っても取りあえずは健康維持だな。

「無理をせず、しかし怠けずに」「高望みをしない、身の丈に合うことを考える、急ぐ人には道を譲る」