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日記

作日の日曜日、書店でドナルド・キーン著の『百代の過客 日記にみる日本人』をぱらぱらとめくって立ち読みした。後で買うなり図書館で読んでみたいと思うが、面白そうだ。曰く、日記は日本文学のプロトタイプと断じられているようだ。嚆矢は千年以上の昔、唐に留学した何とかいう坊さんの日記で、続いて紀貫之の「土佐日記」が上げられていた。彼が態々女性に化けて書いた理由とか、芭蕉の「奥の細道」は随行の曾良の日記と比べると嘘が多いらしい。全て単なるメモではなくて、文学としての価値を高めるためにとられた手段との分析である。

我が日記に文学的価値を見出す事は出来ないだろうが、他にさしたるテーマも無いので、ウェブで日記を書き始めたころを振りかった。事の始まりは2005年10月18日、mixiサイトを教えてもらい日記を書き始めた事にある。その10月だけで6本書いている。あれから丸6年、途中2009年4月にblogspotにサイトを変更したが、最近は毎日のように書き綴っている。書くことが本質的に好きなのだろう。6年前の6本を読み返してみると、最近のものに比べて遥かに日記らしく、簡潔で読みやすい。
自分の気持ちも素直に表れているようでもある。最近は無理にネタをあさって書いている感が無いでもない。少し反省を込めて、最初の日記を全文コピーペストする。
以下引用・・・ <友の死> 小学校から大学まで同じ学校に通い、彼は大企業に就職して名古屋勤務が長かったので暫く顔を合わさなかったが、ここ数年は再び良く一緒に飲んでいた。 その彼が亡くなった。奥さんから弔辞を頼まれ一昨日お葬式で弔辞を読んだ。
その後しょぼくれた天気が続いている事もあってどうも気分がぱっとしない。 何れ遠からず俺もあの世へ行くのか?とても俺には覚悟が出来ないし、そんな 事は余り深く考えたくない。
何をすればもっと明るい気分になれるのか。 ・・・引用終わり
丸6年、長いようでもあり、短いようでもある。

厭な性格

かなりいい年になっても本性と言うものなのか、良くない性格がなかなか治らない。今更努力しても治りようも無いかもしれぬが、性格の改善ぐらいしか他に努力目標が無いので、日夜努力しているツモリ。性格の欠点は他人様から見れば多々あるのだろうが、自分で気を付けているツモリは短気、即ち堪え性の無さである。
「短気は損気」もよく言ったものだと常々思っている。最近はネットで囲碁をよくするが、負けた時に、冷静に反省する事がなかなかできない。大概は頭に血が上り、カッときて立て続けに負けこむのがオチである。ネット碁では3連敗するとクラスが自動的に1ランク落ちてしまう。そこではっと我に返るのがいつものパターン。一晩ゆっくり寝て翌日振り返ると、負けて当然の理由がよく分かる。
最近孫が長期逗留をしてくれたので、幼児の生態を見て、我が性格を鏡で見た気がする。年ばかり食ってはいるが、幼児性が抜けきらなかったのであろう。今日たまたまよそで1歳の男の赤ちゃんを抱いた婦人と隣合わせた。何気ない会話をしながら赤ちゃんの様子を観察するに、愛想がいいのと感心するほどお母さんの言うことを良く聞く。勿論声はとても日本語にはなっていないが、何の関係も無いよその小父さんから見ても羨ましいほどだった。
我が家の孫も3人とも男の子だが、誰一人こんな聞き分けの良い子はいなかったような気がする。三つ子の魂百までの喩えがあるが、3人とも母方の祖父の血を受け継いでいることは間違いないので、祖父の小生みたいにならないよう上手くリードしてやってほしいものだ。

囲碁なんか高が遊びの上、相手の顔さえ見えない。周りに人がいるわけでもないし、格好悪いも何も無い筈なのにカッとなる性格は本当にいけない。子供の頃に限らず、長じてからも仕事の上で喧嘩も沢山した。今にして思えば、どれをとっても得なことは一つ無い。最近でも、仕事に関わるとつい地金が出そうで自分でも厭になる。代表を代わってもらったのもそれが大きな理由だったかもしれぬ。
お陰様で暇が出来て、山歩きを始めることが出来た。山なんかは特に、短気を出すと碌なことにならないだろう。ゆっくり歩くことの大切さが、最近やっと少しわかってきた。慌てる乞食は貰いが少ない、とか言葉だけは知っているが、孫の心配より先に、自分の性格を直さない事には命すら縮めかねない。

他にすることがあるだろう

昨日はTPP参加を巡り、賛成派と反対派の集会などが相次いだ事が大々的に報道されている。TPPの何たるかを全く理解できていないでに、取り上げるのもどうかと思ったが、他にさしたるネタが無いので思いついた事を書いておこう。ネット上には民主党の勉強会が動画でアップされているので、民主党内反対派の言っている事は少し知っているし、参加国からの要請窓口になっている外務省が、持てる全情報を開示しないままガス抜きを試みているのも知ってはいる。
民主党執行部は、APECの日米首脳会談前に少々無理であっても準備会合への参加を表明したいようだ。とは言っても党内の反対意見はは大きく、人数だけで言えば半数近くになるのではなかろうか。前原政調会長は反対派のことを揶揄して「TPPお化け」と言っているが、気持ちも分からないでもない。確かに、反対派の唱えるのを聞いていると、日本国の主体性が無くなりアメリカに国が乗っ取られ、日本の富がすっかりアメリカに簒奪されてしまうように聞こえる。
賛成派はこれに乗り遅れると、日本の蓄財の源泉であった輸出産業が壊滅な打撃を受け、やがて国が亡びるようなことを言う。どちらの言が正しいのか小生には判断が全くつかない。どちらも、「今そんなことをすれば、或いはしないと国が亡ぶ」としているのは一致するから面白い。そもそも亡国とはどんなことを言うのか、それが分からないので困ったことだ。明治維新では300ヶ国近くの国が滅びて日本帝国なる国が出来たらしい。
その時、国が滅ぶのをよしとせず、主張を異にする相手に戦を挑んで死んだり腹を切った侍もいただろうし、新帝国の高官になって喜んだ侍もいたろう。不思議な事に、負けた方も国主が殺されていないのが日本らしい。その他農工商更に新平民なんかはどう思ったのだろうか?寡聞にして知らないが、革命的変動の最中には悲惨な思いをする人、そうでない人が相半ばするとも思えないが、沢山いて、関係なしとする層にも結構な人数がいたのではなかろうか。
前にも書いたが、生きているうちに何かの経緯で日本国が無くなる時が来たとしよう。どういう状況になるのか分からないが、家族親族の絆、友人の絆が維持できるなら、日本が滅んでアメリカの属州になろうがロシアや中国の属州になろうと小生は構わない。だから気安く「国が亡ぶ」てな事を言ってほしくないと思っている。
第一TPPなんてどんな事か分かりも…

頭が良いばかりでも困る

今や英語とパソコンを使いこなす事が指導者たる要件の筆頭に来ている感がある。半ば世捨て人同然の小生でさえ、英語は兎も角パソコンに一日中しがみついて悪戦苦闘している。世の中の変化について行こうと、少ない預金までインターネットで確認したり移動したりするようにまでなった。株をしている殆どの同輩諸氏もインターネットで売買しているようだ。ことほど左様にパソコンは便利至極である。ビジネス世界においてインターネットがどれほど効率化に貢献しているかは容易に想像できる。
しかし何事も良い事ばかりが続くと言うことは無さそうだ。最近にわかにサイバー戦争なる報道が大きくなりつつある。便利さが極まったのかどうか分からないが、ネット社会の負の現象が現われはじめた。兵器産業や衆議院へのサイバー攻撃だ。大々的な報道の割には原発事故と同じで、被害の実態が分かりにくい。地震だ津波だの事故は火事や交通事故と同じで、自然災害であっても被害の実態がはっきり目に見える。
逆に人為的災害であっても、原発の放射能災害やネットの事故は被害の実態が分かりにくい。後追いで対策が打たれるが、賽の河原に石を積む感があるところも似ている。前者に関して本当にできるか否かは別として、何十年か先には原発そのものの使用をやめるとの話はある。でもインターネットは全世界を既に席巻している、そうはいかないだろう。便利さと使い勝手は益々よくなるのだろうが、比例して危険性は高くなる一方だろう。
飛躍するようだが、アメリカでは1%の人が富の50%を得て、残りを99%の人が分けているので、貧富の格差が増大しているとも言われている。同様にネットユーザーの99%は、種も仕掛けも分からずにパソコンやネットに使われているとの見方もできはしないか。本当に種や仕掛けが分かる人はひょっとすれば1%以下かも知れない。この単に頭がいいとされる恐るべき人種(達かなぁ)が、全人類の情報全てを管理下に置く日が来たら、カダフィの独裁程度じゃ済まなくなりそうだ。
SF的妄想に浸ると、特定の人間を抹殺するなんてお茶の子さいさいだろうし、こいつらの前で丸裸にされて秘密を一切持てなくなったら、殺人如き手荒な真似は不要になるだろう。現時点では妄想で済むが、科学技術の加速度的進歩で、夢見たい事がいつ実現してしまうか分かったものではない。便利さを追求するのも程々にした方が無難かもしれない。国会…

読後感「裸の山ナンガパルバット」ラインホルト・メスナー著平井吉夫訳

現存する世界的に有名な登山家の本である。この夏まで存在を知らなかったが、夏に「ヒマラヤ」と言う映画をたまたま観た。これがこの本をベースに作られている。そこで著者の名前を憶えて、今度はたまたま書店で気が付いたので読んでみた次第。
少し解説が必要だと思う。著者は1944年生まれだから相当な高齢になるが、1986年に人類史上初の8000メートル峰全14座完全登頂(無酸素)を成し遂げている。正真正銘のベストクライマーである。既に著書も50冊以上あるのだが、本書は2010年12月に初版(地元では2002年)が、山と渓谷社から出版された。敢えてこの事を書いたのは、ここに書かれる登山は1970年の事である。
著者の年齢はまだ26歳、イタリア人ではあるがアルプスの難ルート登頂を幾つも成功させ、既に全欧州的にトップクライマーとしての名声を博していた。そして、ヒマラヤに憑かれたもう一人の主人公とも言うべきドイツの登山隊長ヘルリヒコッファーの要請を受け、弟ギュンターと共にナンガパルバット遠征隊のメンバーに招聘されたのである。この遠征で、非常に苛酷な条件の下で著者と他に3名が登頂に成功するが、最初に登頂したメスナー兄弟は下山途中で弟を雪崩で亡くしてしまう。
これには様々理由があり、今様に言えば、パキスタン政府からの登山許可日数の時間に追われて、劣悪装備の無理を承知でやみくもに登頂した結果であるとも言える。即ち降るに降れなくなり、登頂とは別斜面を降り初め、身を確保するザイルの1本、露営用のテント、食糧も無く、-30℃の高度での露営を繰り返す。著者自身が何度も幻覚に襲われながらも人の住むところまで辿り着けたのが不思議で、弟が亡くなるのは当たり前だと思う。
更に不幸なのは、この隊長が彼等兄弟を命令違反として冷たくあしらい、帰国後も、この遠征に関しては彼らの記者発表や出版を全て禁じてしまったのだ。故に著者も反発して長い年月にわたり互いに訴訟を繰り返すことになる。結果が本書の出版が遅れた理由となっている。本書は和解後に出版されたのであるが、単なる登山記録であるばかりでなく、ヒマラヤ遠征組織のありようと難しさがよく理解できる。
因みに著者もこの遠征で足の指7本を凍傷で失っている。それから16年の間に8000m峰14座を踏破しているのだから正に超人と言える。ロッククライマーは常に未踏ルートに挑戦し続ける故に、必…

DeNAて何?

普段はスポーツ観戦にあまり関心が無い。婆さんが好きなので、付き合ってフィギャースケートの中継を見たり、たまにナデシコジャパンやザックジャパンの中継を中途半端に見たりするくらいのもので、野球中継は先ず見たことが無い。それでもプロ野球6球団の名前は一通り知ってはいるし、どのテレビ局でもプロ野球関連のニュースがニュース番組に組み込まれているので、何となく関連情報がインプットされる。
テレビ局にとってもプロ野球中継は効率のいい商材であったことも知っているし、既に10年近くになってしまったが、斜陽になった大洋漁業から当時未だ景気が少し良かったTBSが、球団を買収して横浜ベイスターズとした動機も分からないではない。同時に、読売ジャイアンツを抱える日テレへの対抗策だろうが、上手くいくかな?他人事ながら思ったりしたものだ。
案の定と言っては悪いが、TBSもお荷物を支えきれなくなったようだ。球団の売却に乗り出した事を報道されている。世界的に恐慌じみた話が蔓延している中で、売買価格はともあれ、どんなところが出てくるかと思ったら、出てきたのがDeNAと言う名前。ライブドアも楽天も名前を知らない事はなかったが、今度ばかりは「なに、それ?」正真正銘初めて聞く名前だった。
改めて調べると、携帯のゲームやらを作っている企業らしい。小生が知らないのは当然だ。名乗りを上げるくらいだから、使いきれないほどの金が余っているのか。球団を持てば国内では一気に知名度は上がる。ただ不思議に思うのは、それがこの企業にどんなメリットがあるのだろう。世の多くの人には得体が分からなくても悪い事をしている訳でもないのだから、本業で儲けたいだけ儲けておけばいいのに。
この会社1999年3月創業とあるが、ここ5,6年で急成長したようだ。知名度が上がれば株価が上がってと言いうことを忘れていた。2005年2月東証マザーズ上場、2007年12月東証1部に市場変更とある。もしそんな考えだとすれば、ホリエモンと同じじゃないか。楽天あたりが球団経営でどのくらい儲かっているか知らないが、案外未だ儲かっていないのではないかと下司の勘繰りをしたりする。上手く買収出来たら途中でコケナイ事を祈りたい。
お金と言うやつ、無けりゃ困るが、有れば有ったで使い道に苦労するのも大変なんだろうな。



休日の夢想

土日は午前中プールに行く事にしているのだが、昨日も今日も行っていない。歯のインプラント手術の後遺症が口内にまだ若干残っているので自重している。代わりに事務所に来てパソコンを立ち上げて遊んでいる。泳ぐ代わりに歩く距離を少し多めにしているが、三週続いてプールを休んでいるので少し変な気分だ。土日のプールに来ている人はいつも殆ど同じなので、いつも見るあのおっさん、このところ来ていないなと不審に思っている人もいる事だろう。
閑話休題:中国の西安市で明大の気賀沢教授が「日本」の国名が刻まれた百済の軍人の墓誌を発見の報道がある。この墓誌は678年に制作されたとの事。日本と名乗るようになったのはいつからなのかは古代史の大き謎で、大宝律令(701年)からとの見方が有力だったそうだ。
教授によると、百済を救うために日本は朝鮮半島に出兵したが、663年に白村江の戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に敗れる。その後の状況を墓誌は「日本餘●(●は口へんに焦) 拠扶桑以逋誅」と記述。「生き残った日本は、扶桑(日本の別称)に閉じこもり、罰を逃れている」という意味で、そうした状況を打開するため百済の将軍だった祢軍が日本に派遣されたと記している。
少し前には元寇の船が長崎・鷹島沖で原形とどめて発見の報道もあった。こちらは13世紀の事件だから、白村江の戦いからするとずっと新しい事件ではある。しかし、自分の頭ではなかなか想像しにくい事では同じこと。従ってこの手の報道は、旧所古跡を巡って感動を覚えるのと同じで、ある種のロマンを感じさせてくれる。
先日野田総理が日帰り(実際は1泊している)のような慌ただしさで韓国を訪問しているが、TPPの議論なんか聞いていても現代の日本人は極めて内向きに思う。グローバリゼーションだけが良いとは限らないが、大昔から隣国とはかなり深い関係を持ってきたことをこういった事実は証明しているし、戦国時代の織田信長あたりは広い世界観を以て宣教師を受け止めていた。小生が何かにつけ親を追い越すことが出来ないのと同様、何百年いや千年以上経っても日本人はあまり進歩しないのかなぁ。

簡単な事だと思うが

自宅ではテレビのチャンネル権は無きに等しい。代わりに大した仕事もしないのに自宅近くにちっぽけなワンマンオフィスを持っている。故に昼間はパソコンでインターネットの情報は比較的よく見ている方だろう。NHKで深夜に放送される比較的良心的な番組をオンディマンドで見る事もあるし、見ようと思えば生の放送もパソコンで見ることは出来る。
最近のパソコンはテレビをきれいに見ることが出来るのを一つの売りにしている。確かにその通りだ。だが、テレビに見たい番組はないので、オンディマンド以外に昼間テレビを見る事は殆ど無い。インターネットの情報を見ていると、新聞やテレビ報道の底の浅さが先ず気になりだす。彼らとしても限定されるスペースや時間的制約の中で、取材内容を全て詳らかにすることは出来っこないし、それを上手に編集する事に使命感があるのだろう。
しかし、この事がインターネット情報と比較すると凄く気になりだすのである。所謂取材のつまみ食い、最近問題になり始めている言葉狩りなんかが典型的な事例だ。ネットの情報は実に多岐にわたり奥が深い。ネットで見ている限りニュースに関する解説や分析は、様々な立場の意見をバイアスが掛からないように公平に検索することも可能だ(逆もありで、好きな人の意見だけのチェックも可能)。報道に物足りなくば、会議や会見を生で初めから終わりまで確認するのも可能であるのは勿論の事だ。
マスメディアによる世論調査とネット上の調査の結果には、いつも大きな乖離がある。携帯端末が高速対応となり、ツイッタ-等でネットユーザーが増えていると言っても、報道に関して自分が得心できるまでネット情報を追跡するのは未だ少数でしかないだろう。まして世論を大きく左右する主婦層に於いておやである。もし主婦層のネット情報へのアクセスがもっと容易になれば世論なんかも大きく変わってくるだろう。
そこで思うのだが、テレビでネット情報を簡単に検索して見るようになれば面白いのではとの夢想。例えばテレビでニュースを見て、ニュース項目をリモコンでクリックしたらグーグルの検索で関連記事の一覧が表示され、そこからリモコン一つでネットの世界に深く侵入出来たらどうなるだろう?先ず新聞なんか購読する家庭は激減するだろう。
吉本芸人等の下らないテレビ番組は生き残るだろうが、テレビのニュース解説なんか馬鹿馬鹿しくて社会情報系番組は壊滅的打撃を受けるに…

祇園精舎の鐘の声

リビアの独裁者カダフィが焙り出されて殺された。反政府軍を国民側と置き換えることもできるらしい。これはイラクのフセインの場合と決定的に違う事に注目する必要があるらしい。フセインが、最後まで米国に抵抗して米国に殺されたのとは対照的に、カダフィは03年に米国と取引してパンナム爆破を認め、以来米国に利用され、米国に守られて独裁者であり続けてきたとのこと。だからオバマ大統領も祝意を述べ、日本の官房長官もこれに倣ったようだが、少し遅ればせでもあり、言い方に迫力を欠くとの事だ。
現在米国政府がウォールストリートを占拠せよと叫ぶ国民を前にして手の打ちようが無く、カダフィの死をひとごととは思えないからだ。とも言っている。オバマ大統領が追放されたり殺されるど心配する全く無いだろうが、あちこちで訳の分からないデモが起きている事は、次の選挙を考えれば心配でもあろう。本当に心配しているのは、やはり中東諸国とカダフィさんのお友達である北朝鮮の金さんや中国の共産党幹部なんかだろう。いつの世のどこであれ、圧倒的ひとり勝ちがいつまでも続く筈はない。
その点日本は気楽なものだ。英米で火が付き始めているデモも、ウェットな日本ではなかなか着火しない。むしろ政治に強力なリーダーシップが欲しいてな論調が主流だが、本当にそうなのかは疑わしい。ドングリの背比べの方が無事と言うこともある。TPPなんて難しい問題が浮上しているが、これなんか強力なリーダーシップが無い方が無事の典型だろう。
ただ我が国の場合、アメリカと言う宗主国、独裁者にも似た存在があり、それの手駒が外務省とか主要官庁に上手に埋設されているようだ。この宗主国または独裁者が少し貧するに及び、日本からある意味で富の簒奪を仕掛けてきているようでもある。この事を知ってか知らずか、少なくとも市民レベルで怒りの声を上げる人は極々稀だ。政治家の声の上げ方、マスメディアの偏向報道、原因にはいろいろあるだろうが、豊か故に我が国の青年の情熱が些か薄い事が残念である。
アメリカは刃向うには余りにも大きすぎるか?しかしリビアの国民から見たカダフィの存在と比べたらどうだろう。「奢れるもの久しからず」昔の人はうまいこと言う。

片思いだったのか

昨日で国会議員の遅い夏休みが終わり今日から国会が始まる。あの学級崩壊にも似た議論の名にも値しないバカ騒ぎが演じられ、それを喜んで煽るマスメディアの無責任な解説を聞かされるかと思うと些かうんざりだ。でも考えてみれば、少なくともこの連中を国会に送り込んでいるのは小生であり、国民全体に他ならない。メディアの問題は少し置くとして、彼等先生方に国の命運を預けているのは己の選択だと思えば諦めるほかあるまい。
書店には”現政権が日本を滅ぼす”てな調子の本が沢山並んでいる。立ち読みする気にもならないが、「それならお前がやってみろ!」だ。確かに、政権交代があった2年前には、氏素性も知れない民主党候補者に投票して、民主党政権になれば何かが変わり、日本が少し明るくなるかもしれないと思ったりしたのも事実だ。そして、この期待が幻想であり、見方を変えると期待を裏切られたとも言える。
これは騙した民主党が悪いのか、騙されたこちらが悪いのかも考えて見なくてはいけない。野党はマニフェストなるものが疑似餌で、国民を騙したみたいことを言う。しかし、少なくとも小生は騙されたとは思っていない。第一最初からマニフェストなんかろくに読まなかったか、読んでも書いてあることが実現するとは思わなかった筈だ。何を期待したかについては人によって違うのだろうが、小生が最も期待したのは次の点だろう。
即ち政治のありようが変わり、政治が国民に近くなる、換言すれば政治の透明化が進む事だった。勿論結果的に自公政治に比べれば国民(即ち小生)が豊かになり、小生が希う様な明るい政治が始まるだろうと思ったりしたものだ。思い込みの最たるものだ。生徒会長の選挙ででナンバーワンの女性に投票したら、彼女は俺のことを好きになってくれるか、或いはなんでも願いを聞いてくれるか?そんなことはあり得ない。
民主党だってマニフェストで国民を騙せるとは毫も思わなかったろう。しかし現在のところ、約束が果たせそうにない部分が沢山出てきているのは否定もできまい。では騙された形の小生が馬鹿だったり、悪かったのか?そうとも言い切れない。善きにつけ悪しきにつけ現政権の失敗やご粗末が明らかになり、官僚の問題、三権分立の問題などがある程度明らかになりつつある。これがある意味で政権交代の大きな効果と考えれば、そう腹も立たずに済むではないか。
具体的政策においても政権交代で良かった事もた…

読後感「安土往還記」辻邦生著

戦国時代に日本にやってきたイエズス会の宣教師フロイスが帰国後に著した有名な「日本史」の、フランスで発見された古写本に綴じ込まれていた手紙の翻訳として書かれている。書き手は宣教師ではなく、1970年宣教師オルガンティノ(実在の人物)一行の護衛か付き人としてやってきたイタリアの軍人上がりの船乗りとの仕立てである。
著者がフランス留学中に発想したとされているが、先ずこの仕立ての発想がユニークで素晴らしい。主人公は1570年に来日して、織田信長が本能寺で自刃した1582年まで滞在していたことになっている。ストーリーは、主人公が鉄砲の扱いや製造に詳しかったことから信長と非常に親しくなり、信長を間近に観察した事を前提に信長像を描いている。

ある種の歴史小説、又は人物伝でもあるが、著者の信長の性格分析もユニークかもしれない。70年と言えば信長は未だ36歳、武田信玄等の群雄が全員健在であるし、日本中が戦乱で乱れ荒れている時代からのスタートである。信長は殆ど全国制覇に近いところまで行ったのだから、戦国時代の英雄であることは間違いない。
しかしここでは戦の英雄としての信長より、戦となると叡山を全山焼き払ったり、敵となった相手の女子供に至るまで皆殺しにする冷酷非情な信長と、はるばる地球の裏側から来た宣教師との間に極めて人間的な友情を結んだ信長が同一人物であった事に焦点を当てている。
そもそもこの本を読んだきっかけは、前回の読後感である「悪党小沢一郎に仕えて」石川知裕著の中で著者がこの本を取り上げ、信長と小沢の心理に共通するものがあると書いていたからである。あとがきにある解説(饗庭孝男)から引用したい。「信長の、ひたすら虚無をつきぬけ、完璧さの極限に達しようとする意志、「事が成る」ために力を集中して生きる生の燃焼の前に、温和な生との妥協や慈愛はしりぞけられる。…中略…自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする信長は、ある意味で、歴史の中に生きた人物の姿ではなく、現代に転移され、空無の中に立つ力業を求めている人間である。」
16世紀は洋の東西を問わず、自分の或いは他人の命さえも二の次三の次として、ただ一つの目的に向かってまっしぐらの生き方が極当たり前だったのだろう。現代における小沢一郎も石川氏から見るとそう見えたのかもしれない。しかし死生観や美に対する感性なんかに関しては雲泥の差があるように思ったり…

よくも懲りずにと言われたが

今日は日記を書くのを止そうと思ったが、寝込んでいる訳ではないのでやはり少し書いておく。先ほど歯医者から帰ってきたばかりだ。元々歯が悪くて40代の初めには下の奥歯3本が欠損していたくらいだ。今から30年前大阪在任中であったが、この奥歯を当時最新の治療法であったインプラントで治療した。京セラが人工骨を開発したとの事で、20年は保証しますと言われた記憶がある。当時のインプラント治療はかなり雑駁で、顎の骨にドリルで穴をあけ、人工骨の棒切れを差し込んで歯を被せるだけだったようだ。
20年保証どころか、穴を掘るのも目分量で、ドリルの先が神経に触れてしまい、事後ずっと下唇にしびれが残ったままになった。半年ほどは歯医者がアリナミンを出してくれたが、治るはずもなく馬鹿馬鹿しいので歯医者に通うのも止めてしまった。結局この治療は20年くらいしか持たなかったので、ある意味では治療にあたった大阪の歯医者の言った事は正しかった訳だ。結局数年前に東京医科歯科大学 でこの歴史的遺物である人工骨を大騒ぎをして抜いてもらった。
その後については、顎の骨に空いた穴が埋まるまでは少なくともインプラントは不可能と言われ、暫く放っておいた。しかし更にその隣の犬歯までが悪くなってしまい、奥から5本歯無し爺になってしまったのが今年の6月の事だ。取り敢えずは義歯を作ってもらったが不便で仕方がない。歴史的遺跡だった穴もだいぶ埋まっていたようだし、意を決して再度インプラントに挑戦する事にした。今度はインターネット等で慎重に調査をして、池袋の歯医者に行って相談してみた。かなり繁盛している様子なので、やや安心して相談すると、3本チタン製のインプラントを埋め込めば義歯5本分はカバーが可能らしい。
30年前に比べれば技術も相当進歩はしているだろうし、前回同様20年しかもたなくても、20年後に心臓が動いている可能性の方が低いだろう。歯医者の対応も30年前とは随分異なり、相当慎重だ。最初に完治まで1年を覚悟してくれと言われた。前回は2,3回通っていきなり手術をしたような気がする。現在はインプラント自体が2段構造になっている。先ず顎にスクリュー状の受け口だけ埋め込んで、しっかり骨に同化させてから上部の歯を構築していくらしい。今日はその下部構造の手術だった。
3時に診療台に上がって解放されたのが4時45分、麻酔が効き始めて口を開きっぱなしだ…

北信濃の紅葉:斑尾山

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北信では斑尾山はそこそこ有名な山である。何故かと言えば地元では「北信五岳」と言って、善光寺平の北西に聳える五つの山「飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山」を指している。しかし全国区になると、斑尾は200名山にも入っていないようだし、昭文社の山と高原地図の妙高・戸隠版にも掲載されていない。従って若干マイナーな存在かもしれない。地元出身の小生も同様に考え、今までに登ったことが無かった。但し、山麓のスキー場やゴルフ場、又は野尻湖には何度も行っている。
近年山歩きを初めて、当然この五岳は登らなければと思っていたが、昨年やっと他の四峰を登り終えたので、地元の兄弟や従妹に今年は斑尾だからよろしくと頼んであった。それを受けて従妹が今回の企画をしてくれた。彼女が所属する山の会の人と計画を立て、メンバーの中に小生を招いてくれた。土曜日は全国的に天気が悪かったが、雲は比較的早いスピードで列島を横断しそうである。弟に聞いた格安のバスで長野到着した時は既に雨が上がっていたが、未だ雲は厚かった。夜中もかなり強い雨脚が聞こえていたが、家を出る7時頃には雨は上がり、雲が切れ始めていた。
集合場所は信濃町の道の駅。長野から車を走らせている時に、厚く重い雲の上にシルエットを現し始めた志賀高原の山々が重々しくて恰好が良い。総勢は7名、全員が信濃町の道の駅に集合した時は、すっかり晴れあがり青空のもと妙高の山頂が見え始めていた。今回のハイキングは地元のエキスパート揃い。小生を含め4人が斑尾登山、3人はキノコ狩りを楽しみながら袴岳方面を散策して、昼飯を済ませて合流する計画である。斑尾は1350mと五山の中では一番低いが、登山口と山頂へのコースが多数ある。
我々は斑尾高原スキー場のリフト乗り場から山頂に登り、タングラムスキーサーカスのリフト山頂降り場で昼食をとり、万坂峠登山口を経由して袴池でキノコ狩りチームと合流、赤池まで約7㎞の行程である。天気は申し分が無く、歩いている時は最初から最後まで半袖のままだったし、紅葉も見事なものだった。びっくりしたのは、ハイカーの多さだ。ここを訪れるのは地元の物好きばかりかと思っていたが、東京、名古屋、大阪と完全に全国区だ。山頂も狭いので、気分が出ないな、と少々残念に思っていたところ、そこは地元のベテラン揃いの事。山頂はそこそこにパスして下山を開始、昼飯はちゃんと静かで見晴らしの…

読後感「悪党小沢一郎に仕えて」石川知裕著

現役議員の書いた本なんかどうせ自己宣伝のものしかないし、まして刑事被告人の身であれば自己弁護に終始しているに違いあるまいと勝手に決め込んで、読むのが随分遅くなってしまった。読み終わって、自分の思い込みが相当間違っていたかもしれないと思っている。どこかの書評に「小沢一郎の悪口までを書いているところが面白い」とあったので読んでみたのだが、悪口と言うのも的外れだろう。
確かに、文中多くの現役政治家が登場する。大概の場合先生と敬称が付けられているが、小沢氏だけは「小沢」と呼び捨てで書かれている。呼び捨て、さん付け、そして先生と名前の書き方一つだけでも、著者の意図するところが明確で面白い。小泉前総理や菅前総理については、どうしても先生と呼びたくないのだろう。
本書を上梓するに至る著者の真意は明らかではないが、少なくとも有権者に対する自己弁護ではないと思う。思うに今も止み難い小沢一郎への讃歌、応援歌になっている。と言ってもヨイショばかりでなく、著者から見た小沢氏の欠点もかなり赤裸々に書かれている。小沢の許可は勿論無いだろうし、ひょっとしたら校閲も受けていないかもしれない。
小沢にはそんな暇が無いか、ものぐさか、悪口なんか本当に気しないのか、あるいはその全部かもしれない。その代りに側近が、この本について言えば先輩の樋高剛議員あたりがしっかりと目配りをするシステムが構築されているようでもある。それこそ裁判にも関係してくることにはなると思うが、小沢と秘書との関係は少し風変りと言いうか、小生の思い込みとはかなり異なっているようだ。
勿論絶対君主として自分の思想を徹底的に叩き込む教育はするし、仕事の評価も厳しいらしい。それは飽く迄も自分のスタッフを育成するためで、子分を増やそうとの意図とは少し異質であるようだ。まして秘書から子飼いの議員を増やす意図は無いらしい。議員になりたいなら小沢秘書は却って遠回りでさえあるように書かれている。事実秘書上がりの議員であっても、小沢から離れてしまった人間は沢山いるらしい。
小沢についてはいろんな人がいろんな事を言うが、少なくとも20年以上そば近く仕えてきた人間が描くのだから、へえーと思うことが沢山出てくる。彼を知るうえで参考になるのは間違いない。小沢が女性に弱い(甘い)と言うのも面白い。偏見を以て読もうが、何も知らずに読もうが、何れにしても面白い本でお薦めに値す…

喉元過ぎればでいいのか

東京都世田谷でホットスポットの確認、2.7マイクロシーベルト/時間、昨日の報道である。同時に横浜でもストロンチュームやセシュームが確認されている。この報道に接した昨日、世田谷に住む娘と孫が我が家に来ていた。以下は娘が話した先週の事。
「先日近くの公園の砂場でこの子を遊ばせていたら、丁度通り合わせたトイレ掃除の小父さんに注意されてしまった。」 「奥さん、息子さんをここで遊ばせちゃまずいよ。」 「私は息子がその小父さんの持っているホースを両手掴んで喜んでいる方が余程怖かった。放射性物質はその辺に蔓延しているのだから、もう仕方ないよ。」要するに、娘は身近に放射能があるかもしれないが、無視するしか仕方がないと思っているらしい。
慣れと言うのは恐ろしいものだ。福島の原発から200kmも離れた東京での放射能汚染に対して、かくも鈍感なのは我が家だけでだろうか。多分そうではあるまい、多くの人が諦めているのかどうかは別にして、かなり鈍感になってきている。小生は、娘の話に登場したトイレ掃除の小父さんの感覚の方が科学的だと思う。
問題は放射能汚染対策を進める責任を持っている政府や東電(彼らは政府任せで何もしていないのだろう)の態度だ。流石に世田谷区長は記者会見を開いて、対策を講じたいようなこと言っているが、東京都や政府関係者にはこの報道を聞いて慌てた様子は全く覗えない。世田谷区がやばければ豊島区だって調べれば問題が発覚するかもしれない。問題が明らかになれば、ほぼ無条件で人的にも経済的にも資源を投入せざるを得ないだろう。
藪蛇になるのが目に見えるだけに、この報道は無視するのが一番と思っているのだろう。最近は原発事故に関して、冷却が予定より早く進んでいるとか、避難勧告を解除するとか、復旧が進みつつあるような報道ばかりが発表されていた。たまたま今回の世田谷での一件は市民が発見して、報道機関にも通報したのだろう。取り上げたくはないが、の感が強い。時を同じくして福島県知事が、福島産米の安全宣言なるものまで発表している。
これで、首都圏の一般消費者が福島県産米を態々購入するとも思えないが、お墨付きが出たことで飯米を供給する事業者達は喜んで買うだろう。行政のありようとして果たしてこれでいいのだろうか。大きな疑問を抱かざるを得ない。敢えてはっきり言えば、政府は先ず放射線検査の対象をさらに拡大する必要がある。そのため…

英語ねえ?

昨夕帰宅すると、玄関口にいきなり長女のところの孫(3歳直前)が、婆さんより先に飛び出してきた。「○×○×」にこにこしながら仰っているのは「お帰りなさい」と聞こえる。びっくりするやら嬉しいやらではあるが、何の前触れもなかったので本当に驚いた。
ゆっくりしてから娘に聞くと、婿殿が今週末にTOEICの試験を受けるので、そのために猛勉強中で、孫が邪魔をしないように隔離するために避難してきたとの事。婿殿は工学部系の技術者で既にマイコン製造大手の管理職になっている。会社の景気はイマイチかもしれないが、彼氏は三つのポジションを掛け持ちでかなり忙しいらしい。別に海外勤務の予定がある訳でもない。
しかし、直属の部長様から「TOEIC testを受けて750点以上を獲得してこい」と命じられたらしい。しかもこの受験料は自己負担だそうだ。海外に縁がない彼だから英語がそんなに得意のはずもないが、社内の会議は英語が当たり前になってきているようで、それについては特段の不自由は無さそうだ。娘は昇格させないための理由づくりだと怒っている。恐ろしい世の中になってきたものだ。40歳を過ぎたお父さんがマジで英語のお勉強をしないと、出世に遅れかねないとは。
とうの昔にサラリーマンを卒業したことを心から感謝しなければだ。娘は冗談半分に「蕎麦屋でもやった方がましだ」と言うが、お給金を聞くと結構な金額だ。「俺みたいに会社や上司と喧嘩だけはしないでくれよ」と頼んでしまった。婿殿は小生のような馬鹿ではないし、とても良い性格なので喧嘩なんか絶対にしない事は娘も分かっている。だから親父の前で安心しておだを上げているのだろう。今夜も明日も又その翌日もかわいい孫の顔を拝めるとは嬉しい事だ。その代り婆さんは大変らしい。せめて爺は出来るだけ外出をして協力しよう。

もう暮れの準備か

すっかり秋らしくなった。連休から今日あたりにかけては、暑くなく寒くもなく、からりとして、美味しい果物が豊富に出てくる。東京では一番しのぎやすい良い季節だ。東京であれどこであれ、子供の頃は季節の移ろいに応じて、明日はこれ、来週はこれと、どんどん楽しい事が出てくる。しかし、こんないい季節が来たと言うのに大人の悲しさ、年賀はがき発売の広告など見ると「また今年も間もなく終わるか・・」との思いの方が強くなる。
古来、鹿の鳴き声を聞くまでもなく、秋の夕暮は物寂しいとしたもののようだ。朝っぱらから、年賀はがきの広告に目を留めた婆さんから、年賀状の購入枚数をきちんと勘定してくるように言われたり、昨年手配したお歳暮の宛先が2件も間違っていたことを指摘されたりすると、1年の速さが悔しくて本当に物悲しくなる。物悲しかろうが何だろうと時はそのように過ぎていくのだから、文句を言っても始まらない。
年中暇しているようでも、改めて考えると年末までにやらねばならない事も幾つかある。皮肉に考えると幾つかしか無いのだ。むしろ来年すべき事に想いが働かない。このあたりが子供との大きな違いだろう。試験も受験もないから勉強はしなくていい代わりに、今までとは異なる新しい世界が開ける可能性もないのだろう。可能性がナッシングではなく、せめて少ないくらいに留めておきたいのだが、欲張りすぎかな。

秋の南アルプス(仙丈ヶ岳)

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連休を利用して南アルプスの仙丈ヶ岳に行ってきた。最高の天気に恵まれ秋の山歩きを存分に楽しむことが出来た。南アルプスは登山口に到達するまでが大変で、少し敬遠しがちである。少なくとも登山口までの往復に丸1日は見ておかなければいけない。今回は長野県伊那市経由で行くことにした。理由は、時間的に往復で丸1日余計掛かるのは同じだが、甲府経由で行くのはJRとバスの組み合わせで切符の手配と甲府駅でバスに並ぶ手間暇と経費も結構掛かる。今回は新宿からバス1本で片道2500円が魅力だったからに他ならない。最近長野に行くときで急がない場合バスを利用する事が多いが、それでも片道4000円である。
目的地の伊那は距離的にも長野より遥かに遠い。それも高遠のもっと奥にある南アルプスの山懐の仙流荘。それが何故こんなに安くなるのか分からないが、兎に角旅館前に横付けなのだから有難い。さすがに帰りの昨日は中央道に加えて首都高も大渋滞で、新宿到着が1時間20分ほどの延着になった。別に急ぐ旅でもないので、こんなことは何の問題も無い。山懐で前泊するのは最近の山登りパターンだ。8日は登山口の北沢峠行バスの始発が6:00と調べてあったので、5:55バス乗り場に行くと既に長蛇の列。マイカーで来た人が既に夜明け前から並んでいたらしい。
バスは小型なので一度に30人程度しか乗れない。バス会社も定刻前から数台のバスを出して運行していたようだが、狭い林道の事とてピストン輸送にならざるを得ず、結局35分ほど待たされてやっと乗り込むことが出来た。登山口の北沢峠に到着も平行して遅れたが、登山に差支えるほどの問題は何もない。そもそもこの仙丈ヶ岳は、この北沢峠から日帰りをするのが当たり前で、ここを起点に1日目は仙丈ヶ岳なら2日は甲斐駒ケ岳と連荘で登山するのが常識のようである。そこを仙丈ヶ岳だけで2日かけて行こうと言いうのだから、かなり余裕の山歩き計画である。
しかも季節は秋、快晴ではあるが空気がひんやりして、山歩きには最適のコンディションであった。南アルプスは北アルプスと趣がかなり異る。北は安曇野の眼前に山が壁のように立ちはだかる感があるが、南はアルプスに分け入ってかなり奥深く踏み込まないと、目的の登山口にすら到達しない。特に北沢峠までのバスの車窓から見る伊那の谷の深さは少し恐怖感さえ覚えるほどの圧巻である。ベテラン登山家の多くが「山は南…

呑気な爺さん

昨日バタバタして日記を書き損ねてしまった。変な風に几帳面なので、日常生活で自ら決めたことをしないと気持ちが悪い。今日は夕方出かけてしまうので、昨日の分も含めて一寸書きたい。昨日は何をしてもうまくいかない日だったが、今日は天気もいいし朝から気持が良い。きっとこの三連休は良い事があるだろうと期待している。実はこの連休に雲取山に行こうと思っていたのだが、一緒に行きたいと言っていた青年の都合が急に悪くなった。
一人なら何度も行っている雲取山より、初めての山がいいと思い、今年未だ一度も行っていない南アルプス(仙丈ヶ岳)に行くことにした。南は登山口へのアクセスが長くて敬遠しがちだったのだが、よく調べると長野の伊那経由で登山口(北沢峠)に簡単に行けることが分かった。しかもバスの片道料金が東京から登山口まで2500円+1100円と圧倒的に安いのも有難い。ゆっくり気分転換が出来そうだ。
同世代の人の楽しみ方には様々ある事だろう。小生もそうだが、完全リタイアではなく、少し仕事をしながら、現役時代に比べれば大分自由に、と言う人は結構多いと思う。そこに行くと政治家稼業は大変だとしみじみ思う。一時は、普段から大部分が自由時間で、禄に仕事らしいもののも無く、とやっかみ半分に思っていた。しかし昨夜の小沢一郎氏入院の報道に接すると、彼が本当にかわいそうになってくる。
年はほぼ同じだが、以外に老けて見える。なぜそこまで職業に拘るのだろう。以前も何度か書いているが、子供も居れば孫もいるだろう。食うに困る訳でもあるまい。小生なら、とっくの昔に誰かと喧嘩して政治の世界からおさらばしている。喧嘩なんかしなくても、小泉元総理のように余裕で人生を謳歌する方法もある。なのに、これだけ叩かれて尚我慢するのはどういう神経なのだろう?人の頭に立った事が無いので分からないが、マゾヒティックな快感に近いのかな?
小沢氏の入院は今朝知ったのだが、昨夜19時のニュースと夕刊で、今日の小沢氏はいつも随分違い、なんか悲壮感が漂っているように感じていた。今朝のテレビで見ると相当に疲れているように見える。彼にすれば若い奴に任せておくのが心配で仕方ないのだろう。しかし、どうでもいいじゃないですか、どうせ彼らが自分で付けを背負うのだから。羽田元総理や小渕元総理、大平元総理、田中元総理、考えてみると、大物政治家にかかる重圧の凄さには改めて脅威を感…

兄の事など2

昨日の日記で昔の話、家族について書いた。早速甥から礼の電話やメールが来たので、調子づいてもう少し書く。
昨日書いたように私は4学年上の次兄と仲良く、いろんなことを教えてもらったし、兄の友達付き合いの仲間に入れてもらったことが何度もある。昭和20年代末近く、兄は高校で写真研究会と言うクラブに入った。多分当時はどこの家にも厚紙で作られた「アルバム」が1冊や2冊は有り、中には手札判の祖父や祖母の写真、キャビネ判の両親の結婚記念写真や学校で撮影された記念写真が丁寧に張られていたものである。長野市には写真館は何軒かあったが、今言うところのカメラ店は2軒だけだったと思う。
カメラを買う余力のある家庭は少ないし、戦前から写真機を持っている家庭も少なかった。カメラ店ではフィルムなどの写真材料を売ったり、現像や紙焼きなどを引き受けていたが、商売の額は如何程もなかったのでは?ビックカメラやヨドバシカメラを思うと隔世の感がある。我が家にもカメラは無かったが、祖母の家に古いドイツ製のベスト判カメラが1台(絞りはマックスでF6.3だったかな、シャッタースピードは1秒から100分の1秒迄あったような気がする)あった。兄はこれを貰ってきて写真研究に及ぶ決心をしたわけだ。
私は今でもそうだが、探究心薄く面倒なことは嫌いなのでどうでもよかったのだが、兄は熱心だった。先ずそのベスト判カメラのフィルム装填枠を改良して、半分のサイズにして8枚撮りが標準だったとしたら16枚撮りにしてくれた。更に母に頼んで押入れの下段を一つ空けてもらい、二股ソケットからコードを引っ張って赤い豆電球が灯る臨時の暗室を仕立てた。ここに二人蹲り、フィルムの現像や印画をするのだが、きっと助手が必要だったのだろう。私も角面器の現像液を竹箸でかき回したりするのを手伝わされたような気がする。
Y2フィルターをレンズに装着できるようにしてくれたのも兄である。二人して引き伸ばし機が欲しいなと語り合った時もあったが、さすがにそんなものは買ってもらえなかった。今でも私の古いアルバムには、中学2年か3年の遠足で撮った10数枚の小さな写真(3cm×4cm)が張り付けてある。中学生でカメラを持っていた事がいかに誇らしかったか、想像してくれと言っても無理だろう。
私は兄の友達も大勢よく知っていた。誰が喧嘩が強いとか、誰と誰が仲が良くて誰が兄と険悪であるかさえ。険…

兄の事など

甥や姪もたまには読んでくれているので個人的なことについて書きたい。私は5人兄弟の3番目、母以外の6人は全員男子の家庭で育った。当然ながら幼い頃から兄弟喧嘩はしょっちゅうで、家の中から屋外にまで逃げたり追いかけたりすることもあり、近所でも有名だったらしい。記憶にある中で最も激しいのは長兄と次兄が家の中で取っ組み合いとなり、次兄が大きなガラス窓の中に突き飛ばされた時の事だ。
バリバリと言いう大きな音と共にガラス戸が吹っ飛び、転んだ次兄の手から見る間に血が噴き出してきた。見ると既に片手は真っ赤で、傷口は親指の付け根らしい。母が飛んできて、それを見るとすぐ大きなタオルを持ってきた。それで兄の手をぐるぐる巻きにして、私に「すぐお医者さんに連れてきなさい。」と命令した。兄が泣いていたかどうかは記憶にないが、兎に角自転車の荷台に乗せて、こちらもしょっちゅう世話になっていた最寄りの外科医まで一生懸命ペダルを漕いだことを今でも覚えている。
私もあちこちに子供時代の傷跡が残っているが、殆ど他人にはわからない。兄の場合は、どちらかの親指の付け根に大きな傷跡が残ってしまった。私自身が一番びっくりしたのは、喧嘩ではなかったと思うが、すぐ下の弟の眼球に箸を突き立ててしまったことである。おそらく本人も記憶していると思うが、あのときの肝の冷える思いは未だに忘れられない。そんな事もいろいろあったが、基本的に兄弟は仲が良かった。両親が折に触れ「上のものは下の者の面倒を見なさい。」と当たり前のことを言い聞かせていたせいだろう。
従って長じて同時期に東京に出た兄弟は、学校が違っても当然のように同居する事になった。私が初めて上京したのは、高校3年生の夏休み。最初は一寸複雑な事情があるのだが、(それは省略して)慶応予備校の夏季講習を受けた。この時次兄は既に中央大学4年生。夏休みだから長野に帰省していた。そこで私は兄が学期中に寄宿していた長野の学生のために設けられた市ヶ谷3番町にあった千曲寮に、身代わりの形で潜り込ませてもらった。
何故かこの年、兄の親友で同室の方は田舎(信州佐久)に帰らず、夏休みに千曲寮に居残り、ずっと私の面倒を見てくれた。と言っても単に交通機関の乗り降りを教えるだけではなく、夜になるとメンバーを他に2人集めて麻雀大会を開いたり(勿論幾ばくは金銭が賭っている)、銀座や新宿のジャズ喫茶に案内してくれた…

健康志向

大方の人はそうだろうが、60才頃からだろうが多分に健康を意識している。人生の残り少なくなって、何がやりたい訳でもないのに命が惜しくなるのだから浅ましいが仕方がない。意識してしている事と言うかしない事の第一は、飲酒を控える事、甘いお菓子をむやみやたらと喰わないようにする事。飲酒は本来そんなに好きでなかったのか、社交以外の酒は簡単にやめられたが、甘いものはそう上手くいっていない。しかしお陰で60歳当時に比べると体重は大分減っている。
60歳頃の資料が無いので断言できないが、想像するに多分65キロくらいはあったはずだ。このところ毎週プールに通っているので、昨日も計量してみると60キロを少し切るぐらいになっている。プールに通い始めたのもその頃ではなかろうか。しかし体重は何回計っても一向に減らなかった。何年経った頃か忘れたが、ある時気が付いて、酒と菓子を気を付け始めたら効果が現れた。4,5年前から少しずつ減り始めた。
それでも1年で1キロ減るかどうか程度だった。それがこの1年くらいで2キロ近く落ちたような気がする。最近は着る機会の少なくなった背広などを久しぶり着ると、ワイシャツの首回りや、ズボンの胴回りが変にすかすかしている。そうなると逆に薄気味悪い。背丈は昔からどんなに頑張っても5尺4寸には届かない。最近は160センチを少し上回れば良しとしなければならない。161センチで今はやりのメタボ診断の適正体重は57キロと出てくる。
個人的には57キロを決して適正値とは認めたくもないし、気にしない事にしている。これからはむしろ、体重については60キロ以下にならないようにしたいと思うのが本音だ。なにも洋服が合わなくなるからではない。体力の減衰の方が気になってしまう。体重もそうだが、血液検査の結果なんかでも、ある数値が基準以下だったり以上だったりすることに一喜一憂するのも止めたいものだ。
何をとっても人様とは少し風変りの自分の事だ。自分の体については自分の感覚も大事にする必要があろう。健康の事まで同年輩諸氏の平均値と比較して、痛く痒くもないのに気を病んでも仕方なかろう。昨日プールでよく顔を合わせている同年輩の方から話を聞いて驚いた。小生と似たような背丈で、ダイエット目標を50キロ弱に設定しているとの事。10年以上毎日プールに通い体重などを几帳面に手帳に書いていらした。この方の話を伺い、世の中に…