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年中行事を終えて

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今日は大晦日、ここ20年近く年中行事にしている伊勢神宮参拝を済ませてきた。いつものことであるが今年の息災を感謝し来年の無事を祈願してきた。今年は例年より少し人出が多いように思う。マイカーが年々増えるのは仕方がないとして、毎年ほぼ同じ時間帯の電車で行くのだがこれが結構込んでいる。名古屋からの近鉄線が満席に近かったのは今年が始めてだ。

伊勢神宮本来の神宮式年遷宮年を数えると今年がそれにあたる。しかし先の大戦の結果、終戦直後に昭和天皇のご意向で4年延期されたので、現在は4年遅れになっており次回は平成25年ということになっている。しかし宇治橋だけは予定通り終戦直後も昭和24年に架け替えられた。そして今年も11月に無事架け替えが済んだところである。昨年までは木が老朽化して歩き難かったが今年はすべてが滑らかで、清々しい気分をもらうことができた。




外宮内宮と参拝の後、孫たちのお守り袋や義母の土産に赤福などを買い込み、猿田彦神社に参拝してから帰宅するのを恒例にしていたのだが、昨年からこれに天照大神の弟宮の月讀宮とイザナギ、イザナミ即ち先の兄弟を生んだ親神様を祀る社にも回るようになった。ここは昨年乗り合わせたタクシーのドライバーに勧められたのだが、実に森閑と静まり返って実にすばらしい。日本最高の神様のご両親様弟君様を祀り、内宮からもほんの数百メートルぐらいに位置しながら参拝者は極僅かだ。山歩きもそうだが人気が無いと本当に精霊と触れ合う事ができた様なありがたい気分になる。写真をアップして宣伝するのも少しもったいないようにも思うが、よい所を独り占めするのも気が引けるのでご参考まで。

皆様どうぞよいお年をお迎えください。

下地島

今まで見たことも聞いた事もなかった島の名前を今朝初めて知った。1分に満たないニュースだったが小沢一郎の名前と一緒に出されるとやはり相当なインパクトだ。我が家でも「お早う」の挨拶に次いで真っ先にこの話題になった。普天間移転の問題はどこに着地するのかと内心不安を感じていたところに、先日小沢の名前が出てきた。「こんなきれいな海岸を埋め立てていいのか?」と。

「やっぱり小沢が乗り出して、ランディングポイントを探してくれそうだ」と少しホッとしていた所に今朝のニュースだ。小沢の発言はタイミングが相当に図られ、内容も慎重に練られているのかも知れない。

テレビ朝日の三反園が言っていた。「彼が発言する以上はいろいろな根回しがあってのことだと思います。5月に移転先を発表、6月から子供手当を支給して7月に参院選挙。」小沢は「根拠のない発言はしない」人なんだそうだ。先ほど自民党の石波が「下地島は勿論何度も検討したが、沖縄県民(屋良県知事)との固い約束で、あそこだけには軍事施設を持ってこない事になっている。」としゃべっていた。こちらは普天間移設が15年も店晒しになっていた理由なんか何一つ知らない。しかし小沢がそんな事を知らずに発言する筈もないし、三反園が言うように根拠のある発言であってくれることを期待したい。

新政権がスタートして約3か月、先日も少し書いたが明治維新の直後戊辰戦争が勃発した事を思えば混乱は少ないとも言える。それだけ自民党員は与党ボケで根性無しになっているのかも知れない。公明党はもっとひどくて単に権力にすり寄っていただけだから、3ヶ月経った今右顧左眄しているのが明白だ。但し与党側もマニフェストに拘りすぎたりするので少々心配していたのも事実。しかし予算編成が終わると、やはり政権交代の実が少しずつ見えてきている。正月休みに入っても政府の政治家は良く働いている。 

来年国会が始まると、又政治資金と言った瑣末な問題で苦労するのだろう。せめて日米関係を早く安定させてほしいものだ。

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皆さまどうぞ良い年をお迎えください。

歳の瀬に

先週の金曜日で早々と得意先の挨拶を済ませて土曜日には年賀状も投函してしまったので、今朝は朝から事務所の片づけやら来年の小手帳などを準備、明日ちょっとした仕事を残すだけで比較的ゆったりとした年末となった。幸い夕べ雨が降って適度な湿り気がある所にお陽様が出てきたので暖かいのもありがたい。

振り返ればあっという間の1年で、世間一般には政権交代による混乱とか不景気とかで落ち着かないようでもあるが、個人的には落ち着いて振り返る事が出来るそこそこの1年だったような気がする。

一番のハッピーは昨年の暮れに3人目の孫が誕生して、すぐに正月早々母親となった娘が夫と主に勤務先の名古屋から東京に戻ってきた。この孫も先日元気で満1歳の誕生日を迎えた。昨日、23日義母の誕生会で撮影したこの子と従兄2人の3ショットの写真が送られてきた。大きい方は既に小学校6年と5年生、3人とも元気そうで明るい顔をしている。子供たちの笑顔がもたらす幸せ感は何ものにも代え難い。

しかし大きくなると祖父との付き合い方が大分変わってくる。昨年までは冬休みに入ると依頼があって映画に連れて行ったり、2月の連休や春休みにはスキーに連れていいたりしたものだ。ところが今年は孫のスケジュールが詰まっていて、お祖父さんとに遊んでもらわなくても結構と言う事らしい。スケジュールと言っても上の子のバスケの練習とか試合が主な理由で、勉強が忙しい訳ではないのが救い?

大きな病気になった者がいなかった事も良しとしなければならないだろう。とは言っても検査入院をしたりして医者への通院はかなり増えた。年末調整に備えるために医者と薬局の領収書を合計してみた。領収証の枚数が53枚あって、案の定10万円を6千円程オーバーしていた。金額的には10年ほど前胆石で入院して以来の事だ。半分は薬代なので毎月2回以上医者通いをしている計算になる。この傾向は今後ますます高くなるのだろう。健康保険でこの2倍強を補てんしてもらっている勘定だが、支払っている国民健康保険料の方が圧倒的に多い。未だ少しは国家に貢献していると安心する。

健康維持については益々気を使うようになっている。先ず酒を飲む機会と甘い菓子を食う機会が圧倒的に減った。医者からも言われている通り1日に最低でも5千歩は歩く事を心がけた。平均すると1日7千歩ぐらいではないだろうか。ウィークデイは極力2駅先の池袋まで歩いて昼…

ご用納め

本日はご用納めモード。得意先にあいさつに出向くと、「まだ少し早いよ」てな顔をされてしまった。挨拶周りも簡単に済んで、後は床屋さんで散髪に回ると、ここは流石に年末らしく大分混んでいた。事務所に帰ってからは年賀状の準備。と言っても、物ぐさそのもので殆どパソコン依存、誠意のな事夥しい。それでも罰があたって2重印刷やら喪中の人への宛名を書いたり、10枚ほど無駄にしてしまった。これも毎度の事で、お年玉抽選会が終わるまでこのまま置いて、番号確認の後に郵便局で切手と交換している。

床屋さんでも言っていたが、最近は大みそかまで店を開けていても、大みそかは却って客が少ないのだそうだ。「31日は夜7時過ぎまで店は明けていますが、夕方過ぎると殆どお客さんは見えません。一昔前までは元旦の早朝までの営業で大変だったのですが楽になりました。」との事だ。

私も20年前程前までは広告会社で営業マンをしていた。当時のことを思うと25日のご用納めモードはの夢みたいな話だ。官庁関係の仕事もしていたので、この時期は毎晩遅くに役所を回って差し入れをしなければならない。各官庁で予算にかかわっているセクションでは、秋には殆ど結論の出ている予算について、正式に大蔵省から内示されるのを只管待っているのだ。大蔵省の主計局の官僚がまた相当なもので、大体昼頃出勤して来て普通の人が帰宅する時間帯になると、各官庁に資料を持ってこいと言ってくれる。場合によってはそのとばっちりがこちらに飛んでこないとも限らないので、待機している姿勢とおべっかを兼ねての差し入れとなっている。

予算編成期と称する一種のお祭り見たいものだからたまらない。この間予算官庁の官僚は担当主計局の官僚をご接待したりする。役所の方にも食糧費なる官官接待予算があるとは聞いているが、我々が陪席の栄誉にあずかり、代わりに料理屋の設営などする機会がしょっちゅうだった。これがまた面白くて、何故か主賓が主計局主査クラスだと予算官庁は最低でも課長が接待する格好を取り、主計官になると
接待側は局長クラスでなくてはいけないのだ。設営側の我々にとって厄介だったのは、大蔵の官僚は忙しいと称して6時や7時の食事時間には来てくれない。そりゃそうだろう、昼間まともに仕事をしていないのだから、夜になったら少しは格好をつけなければならない。

こちらは課長以下雁首を並べて銀座あたりの料理屋で待つうちに、…

誕生会

先ずは読者の皆様にお礼を申し上げなければなりません。先日お願いした、右側にある「にほんブログ村」アイコンクリックの効果で本日<男性シニア>ジャンルで一躍1位に躍り出ました。尤もこのジャンルに現在登録されているブログ数は52サイトだそうです。登録件数705サイトの<シニア日記>では38位になっていました。
とは言え、小学校以来何をやっても学年はおろかクラスでも1番になった事が無いものですから、私は一人で喜んでいます。。(笑)
毎日書き続けるのが一つのコツのようですが、そんなに変化ある生活ではありません。小学生時代の夏休みの宿題の日記はほぼ1か月分を1日か2日で書いたものです。その時のように毎日同じことを書いていたら、「いい加減にしろ」とお叱りを蒙ってしまいます。思いつくまま気の向くままに続けたいと思いますので今後もよろしくお願いします。

最近家族ネタが無かったので今日はそれにします。昨日家内の実家の母の誕生会と言う事で(天皇陛下とは数日のずれがあるようです)家の婆さんと二人の娘の家族が横浜の実家に集まりました。私だけは何故か参加していません。いつもの休日通り午前中はプール、午後は碁会所で遊び夕食は外食でした。付き合ってくれる彼女はいませんので勿論一人です。

昔からこの手の集まりに私が参加するのはお正月だけと決まっています。同窓会などでは私が中心に居ると納まりが良いようなんですが、家族の場合はどうも私が居ない方が和気藹藹で、私が居ると異物感が漂うようです。私の方もここ数年は酒を控えていますので、酒飲み一家の宴会は長丁場すぎて若干居心地が悪くもあります。双方に丁度いい塩梅と言う訳です。

今朝の食事は、これもいつもの事ですが、婆さんから孫の報告で終始しました。昨年の文化の日に生まれた3人目の孫が居るのですが、これがかなり活発に歩いたり、何やら声を出したりして大分意思表示があるようです。大きい孫は既に6年生と5年生で、彼らも一回り大きくなっているようです。6年生の方は「そしがやレッヅ」と言うミニバスケのチーム(つい最近まで小学校のクラブ活動かと思っていましたら地域のクラブで、他校の生徒も一緒なんだそうです)に入っていて、今年からレギュラーになり、先週は世田谷区の大会で優勝したようです。

私は遊ぶことは好きですが、運動とか駆けっこには自信がありません。婆さんは小学生の頃から体育の時間が一…

年初の予想

当て事と褌は先から外れるので先の事を考えるのは得意でない。しかし毎年暮れには婆さんが神宮館製の暦を買ってくるので、先日もパラパラと見た。小生六白金星の年回りだが珍しく〇印になっている。当然何年かに一度は回ってくるのだから、そういう年があっても不思議はないが久しぶりにお目に掛る心境だ。例年は気をつけなければならない事を読んだりするのだが、調子づくのが嫌になって今年は深く読まない事にした。

今日は今年の初めに考えていた事を振り返るためにmixiサイトに書いていた正月の日記を読み返して見た。
最初は正月の5日に初めて書いているが、「仕事始め・・・ケ セラ セラ」とタイトルを振っているだけあって何の見通しも無かった事が分かる、いつもの事だ。続いて6日こっちには少し先の予想めいた事を書いている。タイトルは「国会、いずれ選挙、そしてその後に何が」

以下少し引用する。

>「・・・もう誰も自民党に期待はしていないので民主党中心の政権が誕生するのだろう。むしろそこから先の事が気になる。 日本は議院内閣制で三権分立というが、この制度のせいか運用の間違いか知らぬが、我が国では内閣が行政をコントロールできずに行政が内閣を動かしているのは誰の目にも明らかだ。その内閣が立法府で法案の大部分を作っているのだからとても三権分立なんて言えた話ではない。日本は正に官僚社会主義国家だ。誰かが言っていたが地球に残された三大社会主義国家(北朝鮮とキューバ)の一画だそうだ。

民主党中心の内閣が本気で行政をコントロールするためにはまず何が必要なのだろうか?当然手順をいろいろ模索はしているだろう。でもネクストキャビネット程度の生易しい事ではないはずだ。・・・」<

振り返ると、年初には民主党政権が誕生する事が常識だったのだろう。そう考えると自公政権もよく頑張って8月まで持ちこたえたものだ。おそらく先の大戦でも昭和20年の正月頃は、国民の大多数が常識的には日本が負けると思っていたのでは。両者とも頑張った結果、国民に何をもたらしたかを考えてみる必要がある。自公が頑張ったのは政権交代をより実現しやすくしたと言う意味では良かったのかも知れない。しかし昭和20年の鈴木、小磯内閣は後ろの軍閥に脅かされていた意味はあろうが、死ななくてもいい人を大勢殺してしまった結果になっている。

後知恵で偉そうなことを言ってはいけないが。民意が実際の政…

雪山賛歌と登山届

暖冬と言われていた日本に寒波が来た。年寄りに寒さはいけないと決まったものだが、喜んでいる人も大勢いるに違いない。私もそうだがスキーをする人たちはホッとしている事だろう。明日は冬至、毎朝通い慣れている道で、毎日少しずつ北側によって陽ざしを求めて歩くようにしていたが、今朝は遂に道全体が日陰になってしまっていた。太陽が南の方に一番低く沈んでしまったのがよく分かる。明日はゆず湯に身を沈めゆっくり暖まる事になるだろう。毎度のことながら欧米の寒波は日本の比ではない様子だ。

冬将軍のもたらす悲劇に山での遭難がある。先週も富士山で2名が亡くなる事故が発生している。何でも8合目付近でテントを張って寝ている時にテントごと吹き飛ばされたらしい。事故にあった人たちは勿論大変なベテラン登山家であったに違いない。テレビでは素人のコメンテーターが後付けでいろいろな批判めいた事を言っていたが、高齢ハイカーとしては心からお悔やみを申し上げたい。

昔から死亡事故を起こすような人は大抵大ベテランでエキスパートと決まっている。今回はリーダーがたまたま助かってているのが、死亡された人も一人は報道でも大ベテラン、もう一人の若い人も経験5年と報じられているが実際は相当のエキスパートだろう。並の人間が真冬に富士山で天泊する筈がない。マスコミは「原因を究明して2度とこんな事故が起きないように」と決まり文句を流しているが、冬の山では事故は必ず起きるし起きない事が不思議だと知るべきで、もう少しましなコメントはできないものか。

今回の事故の批判に無届登山がある。しかし冬の富士登山届けはどこに出せばいいのだろう?届を出してそれを真剣に受け止めてくれる組織がどこかにあるのだろうか。下手に出せば「冬期登山は禁止されています」で、今度は違法登山の烙印を押されかねないのでは?登山者の身になってアドバイスする役所は日本にはない。私もアルプスに登るときは登山口に置いてあるポストに登山計画書を入れている。しかしこれとても実際に遭難した時、救助後に自宅に連絡するのに活用する程度が精一杯だろう。

友人知人に聞いたりした話だが、ニュージーランドの国立公園内のハイキングや登山は公園の管理者が事前の希望を確認して、毎日の入山者を完全に制限しているのだそうだ。装備品のチェックまであると言う話も聞いた。従って行って来た人は口を揃えて素晴らしかったと言ってい…

青い鳥

小学校に通い始めたころの事を時々思い出す。まだ終戦間も無い1947年4月の入学だから60年以上昔の事になってしまう。入学して最初の記憶は、担任の先生がひらがなの読み方を生徒一人一人とさしでテストをした事である。確かいろはのカードをランダムに取り出されたような記憶がある。私は半分くらいは読めたような気がするが、全部読めた子も勿論いた。考えてみると私は確か2年か1年幼稚園に通っていたのだが、いろはを半分くらいしか読めなくて普通だったのだろう。

その代りと言うのもおかしいがアルファベットについては、小学校3年生の冬にはエービーシーと全部言えたし、大文字だけであればABCを読む事も出来た。しかし今の子供に比べれば、当時の私の識字力は相当低く幼稚なものだと思う。現代では幼児の識字力はかなり高いのではないだろうか。にも拘らず本が売れなくて出版界は大分苦しいらしい。不思議で仕方無い。毎日利用する地下鉄の中で見ていると、随分小さな子が分厚い本を開いて読んでいる光景によく出くわすが、これは沿線の有名私立の生徒で例外なんだろうか?

文字を覚え始めると、当然活字を読みたくなるが我が家に絵本は殆ど無かった。しかし母や叔父叔母たちが読んだ戦前の少年少女向けの本がかなりあったように思う。すぐ近くの友人の家には講談社の絵本が沢山あった。彼の所も大きなお兄さんやお姉さんが沢山いたからだろう。彼の家に毎日ように遊びに行って一緒に絵本を読むのは楽しかった。そのうちに字を覚えると、家にある本を片端から読んだものだ。テレビが無かったことも幸いしているのだろう。ラジオは有ったが父がニュースを聞く以外、子供が触るものではないと思っていた。

兎に角日本の昔話や英雄偉人伝、アンデルセン、グリム、イソップ等の欧米の童話集、「小公子」「家なき子」「母を訪ねて3000里」「青い鳥」「フランダースの犬」「ピノキオ」等のお話とか数え上げるときりがない。絵本は別としてにして、本の挿絵は単色が多かったが情緒があったように記憶している。この時代に読んだストーリーは半世紀以上を過ぎて未だ頭の中で生きている事が多い。

しかし中には話の内容がどうしても思い出せず、もどかしく思うものがあるのも事実。私の場合は「心に太陽を、唇に歌を持て」だ。多分これが本のタイトルだったのだろうが、どうしても作者もストーリーも思い出せない。確か表紙の挿絵は帆船が…

年賀状の準備

昨日<にほんブログ村>のアイコンに関してお願いを書きましたところ、お陰さまで早速効果が現れました。先ほど確認をしましたらシニアのランクが75位、男子シニアでは3位にランクアップしていました。誠にありがとうございます。今後ともアイコンのクリックをよろしくお願いします。

さて、やはり昨日私信を投函しようとポストに近寄ると、ポストの脇にいた郵便局員から注意されました「そちらではなくてこちらに入れてください。」こちらが不思議そうな顔をしたのだろう、「今日から年賀状の受付が始まっていますので、普通郵便の受付が変わりました。」もうそんな季節なのだ。しかし未だ喪中案内が来る可能性が多分にあるので、年賀はがきのあて名書き(と言ってもPC任せになるのだが)をする気にはならない。でも今日久しぶりに万年筆を出して試し書きをしてみた。案の定インクが入っていても出てこない。

これも恒例行事見たいもので、インクに含まれている膠成分か何かが固まってしまうのだ。確か万年筆を一晩水に漬けてペン先等で固まったものを除去して綺麗にしてからインク交換をすれば復元するようだ。しかしこれも面倒で、ここ数年ボールペンで用事は済ませてしまう。歳と共に横着は増すばかりである。しかし横着は小生だけの問題ではなくて社会全体の現象であろう。きっと日本全体が幾ら不況だと騒いでも豊かで便利にになりすぎているのだ。何度も日記には書いたが、1960年代半ば迄の暮らしを記憶している人から見れば、現代人の生活ぶりは百万長者(これも古い言い回しだ)のそれに等しいだろう。

自分に対しても勿論、他人様に高潔ぶって貧乏暮らしが良いと言ってみたり、清貧に甘んじろなんて言う気は無い。今日のテーマが何か分からなくなるが考えた。

「デフレ克服とか景気回復と言う議論が喧しい。対処方法は大別すると2通りで一つは通貨の供給量を増やすこと、もう一つは需給ギャップとやらを解消するために消費者に金を使わせる事だそうだ。前者は紙幣を増刷しろなんて訳の分からんこと言う奴もいる。後者については仕事を増やせだの新しい産業を育成しろと言っている。」

「難しい事は分からないが、どっちの意見を聞いてもピンとこない。札びらを空から撒いて景気が回復する筈もないが、景気回復のために何で無駄な工事を考えなきゃならないんだ。さもなければもっと新しいニーズとやらにマッチする商品を開発しろだと!…

考えれば当り前か?

民主党政権になってもう3か月、大政奉還や江戸城明け渡しが済んでから戊辰戦争が始まったように旧勢力、特に官僚の抵抗は凄いものがあるようだ。世の中を変えると言うのは生易しいものではなさそうだ。しかし江戸の一町民からすると勝負がついているのははっきりしている。旧幕府軍を応援しているのはやはり少数派と言う事だろう。一町民の立場からすれば幕府が徳川であれ、薩長であれ己の生活に大きな支障が無ければどうでもいいのだろう。

とは言え明治維新の実際はどうだったのだろう?江戸城の開城と共に幕府の奉行所なんかもすぐに薩長の田舎侍が引き継いだのかなあ。現在に比べれば役人の数が如何に少ないと言っても、百万人の人口を抱える江戸を治める役人は下っ端まで数えればかなりの数居たのではなかろうか?ましてや幕臣の抵抗は眼前で繰り広げられているのだから。町民共はどのように暮らしていたのだろう?薩長としても下級の武士も引き取らなかったとすれば、よくぞ国の形を壊さずに大きな変革を成し遂げたものだ。

昨近巷の混乱を見ていると150年に足りない昔の事が不思議に思えてくる。勝手に解釈すれば、新政権が選挙で勝ったのは江戸城を明け渡されたようなものだろう。しかし中に居る武士を居抜きで引き取らざるを得なかったと言う事なんだろうか。見ていてそんな気がしてならない。維新を行うにも旧幕臣を抱え込まざるを得ない新政権の悩みは大きいだろう。官僚が「新政権に従います。」と言ったところで面従腹背は決りきった事だ。

武士とても町民と同じで、腹の中では上役の上級武士なんか徳川でも薩長でも関係ないのでは。幕藩体制の頃は違っても、現代は間違いなく自分に都合だけ考えている筈だ。都合はその場の事だから常に二股膏薬、やり易さはこちらの裁量に任せてくる奴の方が良いに決まっている。そうなれば自公政権の方が圧倒的に有利だろう。今回の政変は歴史に学んでいない事が1点ある事が露呈した。古来日本の政変は錦旗を揚げた方が勝つ事になっている。

民主党はそこを甘く考えていた訳でもあるまいが、錦旗の守りを旧幕臣のままにしておいたのは悔まれるだろう。又皇室はいつの時代も宿命として、武士たちに利用翻弄され、お可哀相ではあるがこれも世の習いか。

読者の皆様へのお願い

私の拙いブログをご覧に頂きましてありがとうございます。訳も分からず老いのすさびにブログを始めさせて頂きましたが、段々いろいろな知識が増えて新しい欲が出てまいります。もともとクローズドなミキシ―サイトで始めた日記を今年の春にオープンなブログに移転させたのはもう少し読者を増やしたいとの思いからです。この日記の右サイドに「にほんブログ村」のアイコンがあります。この日記をご覧頂きましたら是非これを一度クリックしてみてください。

昨日知ったばかりですが、このアイコンのクリック回数で、ここに登録されているブログのランキングが測定される仕掛けになっているのです。「にほんブログ村」には現在38万件強のブログが登録されていまして、うち60歳以上のシニアブログが704サイトあるそうです。私のランキングは総合で約63000位、シニアで100位だそうです。更に男性シニアと言う範疇もありまして、ここに登録されているのは僅か50件、私は5位から10位くらいにいつもいます。全シニア700件中男子50件という事実からからも世の女性シニアの優位性をご推察頂けると思います。

他の測定値としてはgoogleのAnaliticsなるものがありまして、これによって毎日のアクセス件数が分かる仕掛けになっています。こちらはブログを始めた時から見ているのですが、最初は数名だったアクセスが自己宣伝が少しずつ効いて参りまして最近は日に15名から20名位に増えつつあります。従って「にほんブログ村」のランキングも少し上がっていいと思うのですが、不思議にこちらはあまり伸びませんでした。

今まで意味も分からずアイコンを表示していたのは恥ずかしい事ですが調べてみましたら、アイコンのクリックが無いとランキングには反映されないと分かった次第です。誠に手前勝手なお願い恐縮ですがご、毎度ご一読のついでにアイコンのクリックを重ねてお願い申し上げます。

平和な国ニッポン

遂に今年も余すところ半月になってしまった。こちらの人生もますます残り少なくなってくる。めでたさも中位なりなんてとても言っていられない。かと言って何かやり残したとか、これだけは是非しなければならない事がある訳でもない。毎日をただ同じような生活リズムに乗って淡々と過ごしているだけだ。テレビのニュースも朝夕の新聞も毎日ざっとは見る事にしている。今日は新聞休刊日だが、無ければ無いで食後ゆっくり茶を喫する事が出来るので、この方が良いなとも思ってしまう。

毎日報道される経済や社会関係のニュースはざっとは見ても殆ど瞬時に忘れてしまうようだ。一昔前まではスポーツ関係のニュースなんか殆ど見る事はなかったのに、逆に最近はこっちを良く見ている。特にゴルフなんかもう2年近く前に止めてしまったのに、遼君やさくらちゃんやタイガーなんぞゴルフをした事が無い婆さんと掛け合いをしながら見てはしゃいでいる。可笑しなものだ。序に家庭内の下品な話題からで恐縮。年寄り二人が行く末を案じて暗い会話をしても仕方ないので、如何に低俗な話題をしているかをご披露することをご容赦。

たまたま今朝一番寝床に居ながらでテレビをひねったら、たまたまスポーツニュース。野村沙知代さんがタイガーの浮気について話していた「男の浮気なんて犬が電信柱に〇〇〇〇〇〇するようなものよ。」朝っぱらから不謹慎だが布団を着たまま大笑いをしてしまった。1週間の初めにこんな愉快な話を聞いたので今週は何かいい事があるかもしれない。起きて婆さんと早速この話題、タイガーウッズが可哀想だとか、早く離婚すればいいとか、浮気をしないプロゴルファーなんて遼くんぐらいしかいないのではとか、他にはやはり大金を稼ぐのも大変だろうが使う事になるともっと大変だと大盛り上がりだった。

もう一つ最近他人事でよく話題にする事、電車の中の人物百景、我が家は自家用車を持たないので夫婦とも公共輸送機関利用が多い。男子は疲れている所為か居眠りしている人が多いし、最近は漫画本を読んでいる人が少なくなっている。出版不況はこんな場面からも伺えるのかもしれない。代わりに携帯電話とゲーム機が多いなあ、ヘッドホンを聞きながら一心不乱に小さな画面に見入っているのは世界共通なんだろうか?

女子となると、すげえ婆さんでも熱心に携帯を見たりメールを打っている。どんな用事があるのかぜひ聞いてみたいものだ。老いも若き…

腎機能検査

加齢による機能不全はこちらがどんなに気を付けていても次から次へと現れる。夏の終わり頃であったか区の無料老人健診があった。無料だから当然受けておいた。暫くして結果が来たので渋谷の掛り付け医に持参した。特に問題無いと言われたので、検査してもらった近くの医者には行かなかった。ところが10月になってインフルエンザの予防接種この医者に行ったところ、聞くつもりもなかったのに健康診断の結果を解説し始めた。雰囲気的には、「聞きに来ないとは如何なる了見ぞ!」とやや怒っていらっしゃる。

そして<クレアチニン:1.54>と言う項目に大きなバッテンを付けて、「このまま放置するとあと10年位で確実に人工透析と言う事になります。町の診療所なんかではなく大病院の腎臓専門医の診察を受けてください。きっと塩分制限、蛋白制限等の食事制限が必要な筈です。私でしたらすぐに日大病院を紹介します。」余りの権柄ずくにムッとしながら聞いた「塩分制限食は聞いた事がありますが、蛋白制限をするにはどんな事に気をつければいいのですか?」先生曰く「そんな事素人のあなたに説明する訳にはいきません。管理栄養士と言う職業の人に献立を作ってもらうのです。」

お医者さん相手に喧嘩する訳にもいかないので「分かりました、考えます。」と応え紹介して頂くとしても後ほどと言う事にした。次に渋谷の掛り付け医に行った時に話をすると、お医者さんも脇から何か言われ、自分の見立てとは異なっていても、もし何かあると怖いのかなあ、「じゃ、専門医に一度見てもらう事にしましょうよ。」と早速豊島区の医者の意見に同意してしまった。10年以上も掛っている医者で、私のクレアチニンがずっと前から高いのを知っているくせに。これも無視しようかとも思ったが、なにせ命より健康を大事にしている昨近なので決心した。

その結果別のルートで先週日大板橋の腎臓内科に行き、採血と採尿をして今日は腹部の超音波撮影をして診断してもらった。先週の初診でも「先生、私は10年以上前から似たような数値です。」と言ったので、今日は15年前の健康診断結果を引っ張り出して持って行った。これを見て今度の病院の検査結果(ここは患者にデータを渡さない)と見比べていたが、不思議そうな顔をして「なるほど、変わりませんね。今回も1.5なんですよ。当面はこの値を注意ぶかく見ていて2.0を越したらすぐ来て下さい。」との事で無事…

「栄花物語」 山本周五郎 著

先日読んだ高坂正堯氏の著書の中にこの本の事が出ていたので興味を持った。元来山本周五郎の小説は好きな方である。司馬遼太郎のように如何にも歴史に拘ったような書き方をせず、どこまでも小説、あるいは物語として、その時代にはこういう事があって当然と思わせる。しかも登場する人物の織りなす綾はいつも人間の情に深く訴えるものがある。高坂正堯氏に言わせると「山本周五郎程人間の醜い面を上手くえぐりだした作家はいない」となるが、確かにそうかもしれない。それだけに余計切なくなるのだ。

舞台は江戸中期、最近功績も大分見直されてきているようだが、当時は悪徳政治家の権化とされた田沼意次が小説の中心に居る。彼は老中でありながら実際は清貧に甘んじ、台頭しつつある商業資本に打ち負かされないよう武士階級を守り、徳川幕府の財政を立て直すために努力をする。しかし反対勢力、即ち権威にしがみつき言う事は格好良いが先見性に欠け台所がますます苦しい武士たち。でも数的には圧倒的に多いのだろう、その為に資本家どもにうまく乗せられてしまった保守勢力(松平定信に代表される)と戦って遂に敗れた人間として描かれている。

「白河の清きに流れに住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」と言う狂歌は出てこないが、この狂歌が象徴しているような経済的に逼迫している(一人は逼迫はしていないが、侍のイメージとは程遠い)幕臣2名の友情と女性問題、家族問題が物語を織りなしていく。18世紀半ばには江戸の武士階級がどのように商業資本主義に負け始めていたかを想像するには実に参考になる。

古い権威を守りながら高楊枝をして威張ってみても、所詮人間は自分の本能や欲に沿って生きてしまうもので、一人高い志を果たそうとすることが如何に困難であり、人生は空しい事を言おうとしているのだろう。江戸の華やかな街を舞台にしているストーリーは飽く迄面白く、背景と人物の描写は丁寧で、最近のいい加減な映画や芝居と異なり本物の臨場感にあふれている。難しい事は抜きにして人情味溢れる世話もの芝居を見たような感じだ。

校歌 信濃の国 君が代 開戦記念日

先週歳末恒例の高校の同窓会(首都圏在住全卒業生が対象)が都内のホテルで開かれたので出席した。今年はやや参加者が少なくなったようだが私はいつも楽しみにしている。何故か、この会は先ず同窓生の中で著名な方の講演を聴く事が出来る。今年は2年先輩の山科鳥類研究所の山岸所長と東京大学大学院総合文化研究科教授で障害者のリハビリが専門の22年も後輩の中澤教授であった。

普段カルチャースクールなどとは無縁の生活をしている自分にとって、只でこのような有益な話を伺う事が出来るのは本当に喜ばしい限りである。この歳になると考えようでは、学芸文化に関する話は聴いても一文の徳にもならないとの見方もでるかもしれない。しかしこの歳だからこそ知識欲に燃えた若き日々を思い満足感が出るのだろう。

私は新制高校第11回生である。もう何年も出席しているが年々先輩の出席が減り、昭和34年卒業の我々も参加者の大分上の方に名前が書かれるようになってしまった。懇親会では我々の10年先輩第1回生の先輩方と同じテーブルになった。戦時中に中学に入学、中学4年の時学制が変更になって高校3年に編入して高校第1期生として卒業された方たちである。勿論高校に編入せず中学5年生をもって卒業された友人も多いとの事であった。

懇親会には校歌斉唱の他に必ず長野県の県歌とも言うべき「信濃の国」斉唱がある。音痴の私でさえこの2曲だけは声を張り上げるのだ。「信濃の国」は県下全小学校の式典では国家「君が代」についで必ず歌われたもので、長野県人で知らない人はいない筈であった。我が一族などは婚礼の時に全員で歌ったりしたものだ。

ところが、ある後輩が言うには最近小学校で「信濃の国」を教えなくなったそうである。「君が代」ですら四の五の言われたこともある位だから仕方ないかも知らぬが。プロ野球やサッカーの応援歌は知っていても、校歌、県歌、国歌は知らない人間が増えるのは良い事なのか憂うべきかは分からない。今日はたまたま大東亜戦争の開戦記念日でもある。

幸い我が一族にはこの大戦で亡くなった人はいなかった。一庶民である私としては校歌、県歌斉唱程度で自己のささやかなプライドやアイデンティーを感じる事が出来る。しかしたまには日本人として明治維新以降最大の犠牲者を出したこの戦争が日本に何をもたらしたのか、また何を日本が失ったのかを年に一度くらいは考えてみる価値はあるのだろう。

鳩山首相 リーダーシップ考

今年の流行語大賞は「政権交代」だったが、確かにこれは大きな話題にもなり画期的な出来事であった。政権交代で新総理になった鳩山由紀夫さんは毎日のようにテレビに取り上げられて一寸したスターっだ。彼は総理になる前に大臣の経験がないので、報道関係者も彼の実像をよく知らないのではないだろうか。私は彼が内閣副官房長官をしていた時内閣広報室に出入りしていたので、少し噂を聞いた事がある。結構細かいと言う話だった。

そんな事はどうでもいいが、最近の報道では彼のリーダーシップをとやかく言う話が多い。従って昨日発表になった世論調査にもその事が反映されている。成程毎日の報道を見る限り余りリーダーシップを発揮しているようには見えない。民主党に引っ張られ、亀井静香氏に振り回され、最終的には小沢氏の指示に従っているようにも見えると言えば見える。しかし考えてみると、首相が余りリーダーシップを発揮すれば今度は逆に「強権政治」とでも言って非難されるのだろう。私は周りがリーダーシップなんて煽ってほしくない。

兎に角新政権では政治家諸氏が実によく働いているように見える。首相はそれでも奥さんと相撲や芝居に行ったりはしているが、岡田さんや長妻さんは見ていて気の毒なようだ。今までの自公政権では首相が毎日飲み歩いている事ばかり報道されてきたせいか、とてもこんなに仕事をしているようには見えなかった。各大臣がバラバラに不用意な発言をしていると非難されるが、私のような庶民の立場からすれば経過が見えた方が面白いのも事実。所詮報道は皮相な事実を針小棒大にするものだから実態は全く分からないし、政治に限らないかも知れぬが、進行中の真実がメディアで明らかにされた事は先ずないと思う。

来年度の予算や沖縄の基地移転問題がどんな決着になるのか分からないが、当面は黙って見守るしか無いだろう。金持ちのお坊ちゃんにリーダーシップを期待する方が無理と言う事もよく聞く。数カ月しないと分からないだろうが、昔聞いた噂には「我が田に水を引く、自己主張が強い」と言うのもあった。昨近のぶら下がりインタビューからは一寸想像しがたいが、当時の役人からは相当に煙たがられていた様に記憶している。問題は高校の先輩小沢氏にリーダーシップをどこまで取らせるかではないだろうか。小沢氏側も今の所は後輩を「兄貴」に祭り上げて陰で操って良い気分でいるのかも知れない。しかしリーダーに…

「世界史の中から考える」 高坂正堯 著

著者が1996年に亡くなってから上梓された短編の随筆集である。著者の弟子とされる中西輝政など最近の政治評論家の本は読んで面白いものに当たったためしがないが、これは久しぶりに面白かった。

歴史的に見ると、我が国では民主主義の手本とされている英国ですら現在においても尚、民主主義の建前と本音のせめぎあえはかなり存在するようでもあり、ましてや現在に至るまでの道のりに於いてはかなりの腐敗政治の道のりがあったようである。米国人の建前と本音も面白いし、ヨーロッパについては日本では忘れられているがバルカン半島の国々が如何に政治的に難しいかを指摘している。

外国の例はさておき、我が国の近代政治に於いても少し変わった角度から歴史を見る事を教えてくれる。例えば一般的に高い評価を得ている外交官の陸奥宗光や海軍の米内光政についても肝心な時に判断ミスをしている事を指摘しているし、江戸時代悪代官の代名詞とされた田沼意次については山本周五郎の小説を引き合いに出して、政治の理想と現実の調和がいかに難しいかを説いているように思われる。

現在の政治のごたごたを毎日見聞きしても、正確な情報に基づかないものが多くつまらないが、15年以上前に書かれている事を今読んでみると成程と思う事が多い。この本を読むと政党による民主政治なるものは非常に困難なもので、国民世論はどうしても情緒に流されやすいし、政治家はもこれを無視する事は出来ない。従って理性的な大政治家と言う存在自体が、この世には存在しえないものであるような気になる。

不況?

世の中不景気で大変との事だが、浮世離れしていると言われそうで恥ずかしいが昔から景気・不景気と言うものが良く分からない。就職してから今日までやれオリンピックだ、いざなぎだと様々な景気があったようだが、どの景気の恩恵にも浴していないせいかもしれない。バブル景気も一種景気が良かった時代かも知れぬが、仕事をしていて個人的に景気のお陰と言う実感はない。

逆の意味になるが、今日昼飯を食った近所の食堂で、野球帽をかぶったおじさんとセーター姿のおばさんが隣でタバコを吹かしながら話していた。「民主党も日銀もやる事が遅いわよ。こんな事じゃ景気は良くなりはしないわ。」「円が高いのだから海外に遊びに行くか、せめてドルでも買えばいいじゃないか。」「海外に遊びに行く気にもならないし、それも考えては見たけど、もっとドルが下がるのではと怖くて両替に行く気にならないのよ。」お二人は近所の職人さんらしき方と商店の女主人のような方で、ご商売が大いに影響を受けている事を不景気のせいにしてしきりに嘆いていらっしゃる。

昨日さる大学の先生とお目に掛かる機会があったが、やはり「景気はどうですか?」と質問されて返事に困ってしまった。大学で生徒と日常接しておられるので、若い人が就職できなかったりする現状を見ていると彼らに同情を禁じえないようだ。私が大学を卒業したのは1963年3月、岩戸景気とオリンピック景気の狭間での就職活動だった。当時の日本は「ものづくり日本」を目指し始めたところで技術系は兎も角、殆どの企業で事務系の採用は極端に絞り込まれ、文学部学生など高卒以下の扱いで採用するところがなったのは事実かも知れない。

高校で就職していれば地元の銀行に親の七光りで入れてもらえたかも知れないが、遊びたいばかりに東京に出て来てしまった。4年生の夏休み前東京の保証人になって頂いた方に就職相談に伺うと「いったい何を学んできたのですか?経済学部に編入して後2年勉強し直しなさい。私からお父さんにお願いしてあげます。」と説教を食らってまた勉強の話。「後悔先に立たず」を思いきり知らされたが、ここで初めてどんなにちっぽけな会社ても良いから自力で決めて就職しようと言う気になった。それから数カ月後、結果的にはひょんなことからそんな職業がある事すら知らなかったちっぽけな広告会社に採用されて波瀾万丈の人生が始まったのだが・・・・

今はもっと状況が厳し…