2015年6月30日火曜日

ポイント・オブ・ノーリターン

昔、竹下登氏が総理大臣の頃だったろうか、当時政治に余り関心をもっていなかったが、マスコミが彼のことを「言語明瞭、意味不明」と揶揄していたことだけは記憶にある。ことほど左様に政治家の発言が昔から分かり難くかったのだろうか?話が前後して恐縮だが、竹下総理より少し前の田中角栄氏なんぞの演説は、実に歯切れが良くて、言わんとすることが理解しやすかったような気がする。そんなことを思う時、衆議院平和安全特別委員会に於ける現政府の答弁程分かり難いものは珍しいのではなかろうか。総理はじめ中谷防衛相に岸田外相、横畠内閣法政局長官にぶつけられる質問に対する答えの殆どが、分かりにくいなどと言う以前に、日本語の会話として成立していない。

日本語は、文章の頭で肯定か否定かを明確にしない構造になっているせいもあるだろう。英語なんか大嫌いだが、国会の質疑応答を聞いていると、国会での質疑応答を、現政府が大好きな英会話で及べばどんなに議事が捗ることだろうと思ってしまう。一つの質問に対して答弁する側は長々と同じような返事を繰り返すが、結局何も答えていないことがまま見受けられる。勿論当事者は承知のうえのことで、懸命にはぐらかしているつもりだろう。はぐらかすことで己にどんなメリットが生ずるのか聞いてみたいものだ。

同時にこのやりとりを追求しないマスコミの姿勢にも疑問を感じてしまう。昨日の衆議院平和安全特別委員会の長妻議員(民主党)の質問を聞いてつくづく思った。長妻氏が中谷防衛相に対して次のような簡単な質問をした。「先の大戦で我が国は国策(政策)を誤った。と思うが大臣も同じ思いで宜しいか?」これに対する大臣の答えが、何故か素直に「そう思ういます」とか「そうは思いません」とはならないのだ。何度も同じ質問が繰り返されて、しまいには質疑を中断し、委員長による裁定がなされても決して「はい、同じ思いです。」とは決して言わないのだ。

「我々の内閣は村山談話を引き継いでいます。」とは言うが、「歴史の問題については歴史家の判断に委ねるべき」と付け加えて、自分の言葉としてイエスとかノーの返事はしないのである。単に個人の思いを聞いているだけにも拘らず度々後ろから役人が紙を手渡すのも不思議な現象だ。昭和の初めに国策を誤ったとか政策を誤ったと言うことが現政権にどんなダメージを与えるのだろう?総理の祖父が関わっていたかもしらぬが、総理が関わっていた訳でもない。関係ないだろうと思うが、そんなに気にすべき事なんだろうか?

こんなやり取りは実にくだらないと思ったが、昨日の長妻氏の質問で一つ勉強をした。タイトルに書いた「ポイント・オブ・ノーリターン」である。高校時代に観た西部劇「リバー・オブ・ノーリターン(帰らざる河)」が懐かしく思い出された。長妻氏が言うには「昭和6年の柳条湖事件、これが満州事変の発端になっている訳だが、現在ではこれが日本側の謀略であったことは明らかになっている。」

「当時のマスコミは筆を揃えて支那の謀略だと書きたて、膺懲支那の世論を形成した。しかし現在になると、当時のマスコミは関東軍の謀略であることを知っていたそうだ。私はこれが世界大戦に繋がる日本の不幸の始まりであったと思う。即ち引き返す事の出来ない一線を越えてしまったのでポイント・オブ・ノーリターンと思っている。」とのこと。以下は長妻氏の発言ではないが、思うに選挙で選ばれない軍人が入閣したこと以上の意味を持つかもしれない。

時恰も現政権はマスコミをコントロールしようと懸命だが、余り邪な考えは持たず、素直に己の考えを披歴するに越したことはなかろう。

2015年6月29日月曜日

国家財政の不思議

年金収入だけで保たれている自分の財政と比較すると、テーマが大きすぎてまともな意見が言えるかどうか不安ではあるが、先週テレビを観ていて少し気になったことがある。昨今ギリシャの国家財政がおかしくなって、今月末までに返さねばならない国家債務が支払い不能になりそうだとの騒ぎが大きく報道されている。それがギリシャ国民にどのような影響を与えるのかよく分からないが、何でも銀行から預金が下せなくなる可能性も否定できないようで、先週あたりは銀行から預金を引き出す市民が相次いでいるらしい。

先週の何曜日だったか忘れたが、テレビで、ギリシャの国家債務と日本のそれは性質が全く異なる、なる説を述べている政治家がいた。自民党の山本幸三氏なるお人で元大蔵官僚とのこと。日本の国家財政上の負債は1千兆円を超えるが、資産が6百兆円ほどあり、他に海外債権を2百兆か3百兆円程所有したりしている。更に、国債のうち2百数十兆円を日銀が引き受けているが、これは永遠に外に出てこないので、国債価格に影響を及ぼすことはあり得ない。

このように計算していくと、我が国の純債務は60兆円程度にしかならないので、ギリシャとなんかとても比較にならず、何の心配も無い。が結論のようだった。言い換えると、我が国にとって大事なことは経済を活性化させることで、アベノミクスにはその狙いがある。百兆円もの国家予算を組んでその半分近くが借金で賄われていようと心配が無いとの理屈であるようだった。対談の相手が同志社大学大学院のビジネス研究科長・教授の浜矩子氏だったので、さすがに反論して日銀の信認が失われかねないと言っていたが。

冒頭書いたように、浜氏の意見も含めて難しいことは一切分からないが、一つ分かったことがある。山本氏の意見が現政権或いは財務省の意見を代表していて、彼等は国家財政に関して大した危機感を持ち合わせていないことである。外国に借金している訳でもないし、日本銀行に札をじゃんじゃん刷らせれば金なんかどうにでもなると考えているかのようだ。我々は好むと好まざるにかかわらず収入に見合った生活を余儀なくされるが、国家についてはこの考えは不必要にも聞こえた。

であるならば、何故税金や保険料を上げねばならぬのだろう?財政的に余裕があるなら、せめてこんなことはすべきでない。最近では、国家財政とは無関係に益々生活費を切り詰める努力しか念頭に浮かばない。一般的に消費税のアップや輸入品などの高騰で日常の買い物すら窮屈になっている庶民の懐具合など想像しながら、疑問が更に大きくなるばかりだ。

2015年6月28日日曜日

読後感「無私の日本人」磯田道史著

著者は2003年に『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』で新潮ドキュメント賞を受賞しているので、既に作家としての地位は確立しているのだろうが、著書は読んだことが無かった。しかし歴史学者としてはテレビで再三見ているのでよく知っていた。土曜日に偶然書店で本書に出会い、購入して一気に読んでしまった。巻末に数学者でもある藤原正彦氏が「論理と情緒を兼ね備えた人」題して一文を寄せている。

世に埋もれた人間に焦点をおいた3篇の作品からなっているが、以下に引用させてもらう一文に全く同感で、感想は尽きている。

『無私の日本人を拾い出し、その惻隠、献身、謙譲を描いている。共に日本人の誇るべき、そして近年忘れらてきた美徳と言ってよい。著者は昨今の日本の姿を、歴史学者としての目で、日本本来の姿ではないと明察しているのではないか。ものの価値を悉く金銭で計るというアメリカ流の新自由主義が跳梁跋扈し、経済至上主義にすっかり染まった人々は競争と評価に追い詰められ、本来の日本人らしさを失っている。これを観て磯田氏は「これは違う」と義憤を感じているのではないか。幕末維新の頃来日した多くの欧米人は「日本人は貧しい。しかし幸せそうだ」と首をひねった。欧米では、貧しいとは惨めで不幸と言うのが常識だったからだ。この日本人の不思議に対する回答の鍵が本書にあるような気がした。』

歴史上著名な人物を描いた物語では知り得ぬ江戸時代の日本について、教えられることが多いのみならず、久々に心温まる書物に触れてホッとする思いだ。

2015年6月26日金曜日

勉強会

昨夜テレビ東京の歌謡番組を観ていたら、歌手の青木光一さんが生出演で経験談を語っていた。氏は90歳だそうだが矍鑠たるものだ。満州奉天で19歳にして既に軍務に就いていて、終戦と同時にシベリヤに引っ張られ炭鉱での労務に復した後、途中から芸は身を助くの喩えで演芸班員となって少しは楽をした。でも復員できたのは昭和24年とかなので、相当な苦労があったようだ。普段歌謡番組は食事中のBGMとして流れているのだが、このインタビューは箸を置いてモニターに見入ってしまった。

父親からは戦争中の体験談はほとんど聞くことが無かったが、就職したての頃は得意先に沢山おられた旧軍関係者から、何かの折に僅かではあるが体験談を聞かせて頂いたことが何回かある。どの方の話を伺っても、戦争を美化する話は全く無く、何れの場合も戦争とか軍隊生活が如何に不合理であったかという話ばかりだった。こういった話の記憶が積み重なって、戦争に対する嫌悪感が醸成されているのも否めないだろう。

やはり経験談には傾聴に値するものがあって影響は大きいので、ある意味での勉強とも言える。当然それらの話を補充するような本とか映画からの知識も勿論ある。誰しも自分で経験できないことは、このようにして学ぶことになるのだろう。戦争のことに限らないが、同窓会などで聞く講演なども、殆ど経験談がベースになっているので非常に勉強になる。この期に及んで今更勉強とは烏滸がましいので、楽しいとか面白いと言い換えることができるかもしれぬ。

これまで聞いた機会は殆ど無いに等しいが、講師が作家先生でも勿論同じで、小説を書く難しさとかコツを教えてもらえるとすれば是非聞いてみたいものだ。人間だれしも似たような興味や関心があるだろうから、国会議員が講師を頼んで勉強会と称することを企てるも又ありだろう。今朝一番のニュースで、昨日自民党の一部議員が開いた勉強会が話題になっていた。「多分これは火がつくね。勉強会であれば百田尚樹氏なんて作家より、夕べの青木光一氏の方が余程ためになるね。」なんて婆さんと冗談めいて話していたら、久し振りに開催された衆議院安保特別委員会で早速燃え上がったようだ。

安倍総理は敢えて平然を装ってはいるが、内心少しは動揺しているだろう。当たり前だ。作家を呼んでの勉強会であれば、文章の作り方や正しい日本語の使い方について語ってもらえばいいのに、何を好んで何の経験も無い人間に安全保障について語らせようと言うのか。安全保障問題であれば村上春樹氏でも招聘すべきであるだろう。

でも村上春樹氏では、先日の憲法審査会の憲法学者の二の舞にもなり兼ねないか。ったく笑わせてくれるものだ。

2015年6月25日木曜日

道楽息子

今朝婆さんと話をしていてタイトルに掲げた「道楽息子」なる言葉が思い浮かんだ。最近あまり聞かなくなったが、お金持ちが珍しい存在だった一昔前にはよく言ったり聞いたりしたものだ。道楽息子は貧乏人の息子にはなかなか出てこないが、金持ちには往々に出現する。やる事なす事悉く何の役にも立たない下らないことばかりで、先祖が築いた財産や名声を毀損していく困った存在である。

誰を思い浮かべたかは言うまでもない安倍総理である。昨日の総理に関する報道で気になったのが次の3点で、この3件を通して感じたのが「道楽息子」のイメージだ。
1.東京オリンピック・パラリンピックの開催準備に専任で当たる新たな担当大臣に、自民党の遠藤利明元文部科学副大臣を起用する意向を固める。
2.ロシアのプーチン大統領と電話会談をした。
3.総理が直接ではないが、海上自衛隊とフィリピン海軍は23日、南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島に面する、フィリピン西部のパラワン島で、海上自衛隊のP3C哨戒機を導入した初の共同訓練を行った。

先ず第1.の件だが、これまでにも正式な「東京オリンピック・パラリンピック担当大臣」は文部科学大臣に任命されている。それが今回特別設置法なる法律が出来て、新たな大臣と役所が生まれることになるらしい。屋上屋の喩えで言えば、昨年の内閣改造で地方創生大臣が誕生した時にも同じ違和感を覚えたが、国家の財政が危機的状況で1銭でも節約が必要と思われる時に何故?である。しかも同じ昨日、国立競技場問題が報道されている。総工費が2500億円を超えるとのことだ。

年金生活から細やかな税金をお支払いしているだけなので偉そうには言えないが、そもそもオリンピック招致そのものに反対だったので、実に砂を噛む思いである。第2.の電話会談も何故昨日だったのだろう?プーチン大統領に対して、ウクライナ問題について窘めるような口ぶりだったかと思う一方、今年中に日本訪問の実現をするようにしたいとのことだ。正に支離滅裂、オバマ君の了承は得ているのだろうね、と念を押したくなる。

第3.に至っては何をか況やである。これだけ戦争と平和で国民がナーバスになっている最中、何を好んで同盟関係も無い国と戦争ごっこの真似をする必要があるのか。道楽息子が親兄弟の直言を無視してやりたい放題しまくっている姿そのものではないか。

先日の「安全保障関連法案に反対する学者の会」(立憲デモクラシーの会)の声明が正に親の直言に聞こえてくる。少し過激ではあるが世話人の山口二郎氏の発言が面白い。「学者の言うとおりにして平和が守れるかとけんかを売ってきた。このけんかは買うしかない。」また「憲法学者が字面に拘泥するのは当たり前。数学者が『1+1=2』にこだわるのと同じだ」「学者は権力を批判することが仕事の一部」とも語ったそうだ。

この会への賛同者は学者・研究者で6800人超、一般人で1万人を超えている。不肖も署名させてもらった。皆さんも是非どうぞ。
参照:http://anti-security-related-bill.jp/

2015年6月24日水曜日

同調圧力

久し振りに朝から晴れて気持ちが良い。里山のハイキングにでも出かけることが出来ればいいのだろうが、束の間の晴れだろうし、とてもそんな冒険が出来るほどには気が高ぶらない。昼間の散歩の時間を少し延長してみただけで、結構疲れてしまった。そう言えば日曜日だったか、地下鉄に乗り込んだ時、いきなり目の前の青年が立ち上がって席を譲ってくれようとした。これはショックでしたな。

自分では年寄りに見られたくなくて、精々気張ってしゃんとしているつもりでも見る側からすれば、やっぱり年相応なんだろう。外見だけでなくて頭の中も相当くたびれてきたようで、書くことが何も思いつかない。政治の方もなんだか眠っているようで、けだるさだけが伝わってくる。昨日の沖縄慰霊の日記念行事では、総理挨拶の際「帰れ」のヤジが大分激しかったらしい。総理に対して失礼とか不謹慎との意意見もあるようだが、果たしてそうだろうか?

県民の意向を頭から無視して強硬策を取りつづける政権に対し、県民の怒りがほとばしっていることをマスコミももっと取り上げるべきだろう。そもそも「不謹慎」を英語で何と訳すのだろう。

同世代人である元赤軍派幹部が解説してくれた。そもそも日本特有の言葉で外国語に翻訳できないらしい。『何が「不謹慎」で何が「不謹慎」でないのか。その基準が曖昧である。だから「不謹慎」だぞと言われると黙るしかなく、それが〈同調圧力〉をもたらす。特殊な集団であろうと一般社会であろうと〈同調圧力〉が支配している、それが日本という国である。』

序でにこうも言っている。
『それと議論をしている最中に「だったら代案を出せ」ということになることがよくあるが、これは要注意なのだ。なぜなら「代案を出せ」と言った当人の思考の枠をベースにした代案でなければ、その当人は納得しないからだ。こういう場合「おまえは完全に間違っている、狂っている」というのが最も正しい代案であろう。異論を許さない状況は怖い。そいう意味で今の日本は連合赤軍化している。』

極左の理屈は少し難しいが、ここで言う「日本」を「自民党」と置き換えて読むと成程と頷けると思う。

2015年6月23日火曜日

少しはものを考えてみろ

昨日国会の会期大幅延長が決まったばかりの所為だろうか、今日は衆参両院とも議事がゼロのようである。それとも沖縄慰霊の日で、総理が式典参列のため沖縄に行くからだろうか、兎に角理由は分からないが、何処かピントがずれているような気がしてならない。総理のパフォーマンスはいつも華々しく報道されるが、この人の思考回路はどのようになっているのか、疑問ばかり湧いてくる。

本を読めとは言わないが、せめてテレビ番組ぐらいは観てほしい。沖縄に行く前に観たかもしれないが、先日(6月18日)このブログでもふれた6月14日のNHKスペシャル「沖縄戦全記録」は衝撃的だった。今日どんな慰霊の辞を述べたか知れないが、僅か1時間にも満たないあの映像を観るだけでも、普通の人間であれば思いは千々に乱れて、言葉を紡ぎだすのに相当な時間を必要とする筈だ。

言葉が心の底、即ち相当脳みその中で考え抜かれて出たものであれば、必ずや聞く人の胸を打つものだと思うが、総理の言葉にその例を挙げることは残念ながら一度も無い気がする。忙しさに関しては天皇陛下も総理も似たようなものかと思うが、違いが酷過ぎる。

実は昨日から今日にかけて、またNHKスペシャルを観てしまった。NHKの会長は嫌いだし、日々の報道は敬遠することが多くなったが、流石に大組織で優秀で心ある職員も沢山いるのだろう、映画館で下らぬ映画にお金を払って観るより余程為になる情報を貰った感じだ。観たのは今月19日から3夜連続で放送された「戦後70年ニッポンの肖像」である。

しみじみ感じたのは現在の政治劣化だ。終戦からほぼ一貫して米国に協調する保守政治が続き、その中心を担ってきたのが自民党だろう。なんだかんだ言っても1989年の冷戦終結頃までの政治家は、それなりに国民の意思を尊重し期待に応える覚悟はあったように思える。当時はものを思わざりきであるが今にしてみると、当時の政治家の顔つきや発言を改めて聞くと成程と頷けることしきりである。

話しがおかしくなってくるのは、2003年3月米国ブッシュ大統領が国連決議なしにイラク戦に突入した時である。この時、当時の総理小泉氏が世界に先駆ける形で戦争支持を打ち出したらしい。当然ニュースは観ていた訳だがすっかり忘れていた。そしてこの戦争については、米国ブッシュ元大統領も英国のブレア―元首相も、後になって戦争に突っ込んだことの間違いを認めているのだが、日本だけは間違いだったとはまだ認めていないとのこと。なんでそんなことになっているのか知らぬが、おかしな話だ。

何れにしても、知っている筈が知らぬことがてんこ盛りでもある。その中で印象的なことは緒方貞子さんのインタビューだ。現在は一介の国際政治学者で公職にはついていないようだが、国連難民高等弁務官として活躍されていたことぐらいは承知している。しかし活躍の実態はこれまたほとんど知らないに等しい。短いインタビューではあるが、彼女がアフガンやフィリピンのミンダナオ島等等の紛争地帯において、日本だからできた仲裁役と復興支援についての考え方を述べている。

要するに少し考えれば、日本ならではの役割あるだろうと言うことと、重要なのは、復興支援と言っても、それは必ずしも安全とは限らず、それなりの覚悟を要するものであることだ。今国会で論議されている国際支援活動について、総理はしきりに安全を強調するが、紛争地帯における活動は停戦後であってもそれなりの覚悟は必要だと言うことがよく分かる。

米国と一緒に戦争に行く前に少し考えてみるだけでも、日本が独自で世界平和に貢献できそうなことが幾つもありそうなことが示唆されていた。

2015年6月22日月曜日

読後感「堕落論・日本文化私感」坂口安吾著

書店で何気なく手にして面白そうなので買って読んでしまった。著者の作品に接するのは初めてだったが、実に面白いエッセイ集である。著者の略歴をざっと調べると1906年生まれなので、父とほぼ同じ年齢である。明治生まれの人の常のようだが、何をするにも懸命で、著者も昭和初期から小説家として懸命に生きてきたようだ。幸い年齢的なこともあろうが、終戦間際になって召集は受けるが、結局戦争に行かず、軍隊経験も無しで済んでしまったようである。

戦後1955年に48歳で没するまで多くの小説を残して、ファンも多いようであるが先に書いたように1篇も読んでいない。本書には書名になっている2編を含め、1931年から1950年までに書かれたエッセイ23篇が収録されている。どれも非常に興味深く読めたが、理由の一つが著者の生きざまが見事に描かれているからだろう。現役時代広告業に関わっていたことから出版社に出入りしてたので「作家なんて所詮不良少年ですよ」とはよく聞いていた。

このエッセイを読むとそのことがよく分かる。著者も勿論その例に洩れないが、それは現代のマスコミを賑わすような不良少年とは大分趣を異にしている。冒頭に「懸命に生きる」ことを書いたが、著者が小説家は「既成概念に捕われずに己を見つめて己の信ずるところを発見する」でなくてはならず、その信念に基づいて生涯書き続けるべきだと思っていたことが伝わってくる。そのために呻吟苦吟するのだろう、酒に溺れ女色に溺れ挙句の果ては薬物に溺れた人生であったようだ。

溺れた対称だけ抽出するとその辺のヤクザや不良そのものだが、知識教養哲学の基本があるか無いかの違いは大きい。戦前から奈良や京都に多く存在する日本の伝統的文化財等の価値はそれ程評価せず、人間が毎日何をよすがに生きるかを追求することに意味を見いだそうとしたようだ。多分そのせいだろうが、1945年の敗戦以降のエッセイは俄然面白くなる。既成の権威を一切認めたくなかったのだろう、先に挙げた文化財はおろか、名だたる作家仲間の大半や小林秀雄のような大評論家先生まである意味ケチョンケチョンである。唯一例外は自殺した友人太宰治を悼むことくらいか。

但し、現在よくあるように己が無学のくせに他人ばかりを攻撃しているのではない。戦前に留学などの経験はなくとも、フランス語を学んでいた若い頃から多くの文献に接していたことはよく分かる。原因が何であったにせよ、敗戦を機に日本人の価値観が激変したのだから、常日頃から人間の生きざまを考えてきた著者には思うことがあり過ぎるくらいであったに違いない。それが1946年の春発表された「堕落論」に集約される。終戦から1年も経たないうちに日本人の価値観は激変して、一見すれば戦前から見れば大いに堕落しているようにも見える。しかし著者は言う。「堕落の中にこそ人間の本質がある」

堕落した日々を過ごしつつあるので共感するのかもしれぬが、人間の一面の真理を突いた作品の数々には妙な新鮮さを覚えた。

2015年6月20日土曜日

メディアの同一性と多様性

我が国のマスメディアで代表的なものと言えば、先ずなんと言ってもNHKと見て差し支えは無いだろう。これは放送メディアのみであるが、広告業界に在籍した感覚で言うならば、現代に於いては放送メディアは活字メディアに対して圧倒的な優位性を持っている筈である。続いて新聞の読売・朝日・毎日・日経・産経・東京中日を挙げねばならない。これらは新聞のみならずテレビやラジオも傘下に有している。

更には、存在が見えにくいが首都圏から地方にニュースを配信する共同通信や、時事通信などの通信社の存在がある。日本には最低都道府県単位で地方新聞が発行されているが、この通信社の存在で、掲載されるニュースはかなり似たようなものになっていると思われる。放送局も地方の局が存在する格好だが、何れも前述の東京局の系列とされて東京の放送をそのまま流しているのと大差ない。全国どこに居ても同じ情報に接することを可能にして、文化的な格差を無くすとの意図から取られた制度であろう。

ある面では結構かもしれぬが、ある人間が意図的に先に挙げたNHKから東京中日と二つの通信社を抑えてしまえば、全国民を相当洗脳できるとなると少し危険でもありはしないか。せめてその頂点に立つNHKと新聞社の特徴が際立ってほしいと思う。巷間NHKと読売・産経系列は保守系で朝日・毎日系列はリベラル、なんてことも聞くが、果たしてそんなに大きな違いは無いように思えてならない。

何故ならば、報道のトップの扱いにも大差がないのは仕方ないにしても、紙面構成の殆どが同じであることには不思議を禁じ得ない。限られた紙面で取り上げるべきことは、思想信条が異なればもう少し違う取り上げ方があってもよさそうだが、その差異は実に小さなものと言える。そしてなによりも心配なのは、大手メディアが揃って拾わないネタに大きな問題が隠されていることである。

一例を挙げれば、一昨日行われた砂川裁判再審請求訴訟を起こしている元当事者・土屋源太郎氏と弁護団による記者会見を例え小さくても報じた新聞は東京新聞と毎日新聞だけである。この会見を詳しく聞けば、砂川判決が否定した東京地裁の伊達判決も、また砂川判決を下した田中裁判長の憲法違反も無視して進められている現国会の安保法制論議自体に重大な疑念が湧いてきて当然だと思うが、日本の大マスコミは肝心なところで揃って報道をスキップをする。

無作為の同一性によって国民を大きくミスリードすことが昔から多かった筈だが、その悪習は決して直っていない。新聞放送メディアに次いでは雑誌・インターネットが続くことになるが、流石こちらには大手メディアに見られない多様な視点があってためになる。最近NHKから雑誌までは接する機会が減り、インターネットに情報源を求めるのはその意味からである。若い諸君に期待するのも、彼らのメディアへの信頼性が、我々の時代と異なってきていることを疑わないからである。

2015年6月19日金曜日

芸能人の生きざま

芸能人が舞台を離れて、或いは舞台を変えて政治の世界で活躍することは最近よくある話で珍しくはないし、別に非難すべきことでもなかろう。参議院議員や東京都知事を務めた青島幸男氏の例もあるし、東国原英夫宮崎県知事なんて例もあるが、大阪にはこの例が特に多いのは何故だろうか。どうでもいいことではあるが、芸能人は売れてなんぼ、マスコミに取り上げられる回数が多くなることだけを目標に生きている、日夜努力を重ねるのだから政治的思想信条が固いと期待する方が土台無理なのかもしれぬ。

それにしても、先日政治家引退宣言を出した橋下徹大阪市長は面白い。弁護士資格を持ちながら好んで芸能界入りをしただけあって、真の芸能人らしさが彼の人気を支えているのだろう。今年いっぱいで大阪市長はお辞めになるそうだが、西川きよし師匠のように再び舞台に戻らなくても、ネームバリューは衰えることもなく弁護士事務所は繁盛するだろう。のみならず、高い人気に目を付けた安倍総理に食事に誘われるや、たちまちつい先日までの政治信条を覆して政権与党にすり寄る姿勢を見せている。

政治家引退なんては格好は付けていたが、自身のツイッターで15日から突然〈民主党は政党の方向性がまったく見えない〉〈民主党という政党は日本の国にとってよくない〉〈維新の党は一線を画すべき〉と、狂ったように民主党をバッシング。と同時に、〈内閣における憲法の有権解釈者は総理大臣。憲法解釈が時代とともに変遷するのは当然のこと〉と、民主党攻撃を始めて集団的自衛権の憲法解釈を変更した安倍首相にエールを送っているそうだ。ある意味見上げた芸能人魂で、当分食い扶持に不自由はしないだろうし、中央政界に復活なんてことがあるやもしれぬと夕刊紙(日刊ゲンダイ)に書かれたりしている。

維新の党の代表は退いた体裁にはなっているらしいが、最高顧問の肩書はあるし、本人にすれば未だ党首気分でもあろう。維新の党は衆参併せると51名の議員を有する大政党だから、安倍総理ならずとも今後の動きが気にはなる。全員が橋下氏の意向に沿って動かは分からないにしても、意向に沿う議員が皆無ということも考えにくい。安倍総理からすれば、何人でもいいから安保法制改正の議決の時に欠席をしないでくれれば、強行採決ではないとの言い訳が立つとのこと。

例え反対するにしても、出席するだけで与党からのご褒美が期待できる。しかも褒美は次の選挙絡みであるのは当たり前でとなれば、次の選挙が心もとない新人議員の心が動くのは人情だろう。しかしその場合の約束は大抵空約束で、党が分裂したりすると普通惨めな結果にあるそうだ。これはテレビで元共同通信社のジャーナリスト後藤謙次氏が喋っていた。その時はまさに「一将功成りて万骨枯る」の喩えとなるだろうが、それも芸能人らしくていいかもしれぬ。

2015年6月18日木曜日

楽観主義

昨日終日雨だったので、前の日曜日録画したNHKスペシャル「沖縄戦・全記録」を観てしまった。人生出来るだけ楽観主義で過ごしたいが、これを観てしまうと人間の馬鹿さ加減に嫌気がさしてどうしても落ち込んでしまう。小学生時代に「原爆の子」を団体鑑賞した時以上かもしれぬ。現在国会で審議中の安保法案賛成の人達には是非観てもらいたいものだ。

気を取り直して今日のことを書く。世の中にはまともな話がどうしても通じない人がいるものだ。昨日国会で党首討論が行われたことを夜になって知り、今日ネットで確認してみた。相も変わらず酷いもので、どう贔屓目に言っても総理の発言はまともでない。質問の意味が分からないのか分からないふりをしているだけなのか、質問に対するまともな答えは一度も無い。ネット上の安倍応援者は、全質問をみごとに論破したと喜んでいるそうだ。

俗に言われるところの「ネトウヨ」のことだろうから、どんな人種か知らないが余り気にするほどのことはないだろう。世間にはまともでないと思う人が居るのは仕方ないにしても、総理までそう思えてくるのは少し心配だが、与党内部の先生方は平気みたいだ。もしかしたら、こちらがまともでないのでは、と心配にもなってきたが、世論調査の結果を見ると、同じように考えている人が少なくとも6割以上居るようでほっとする。

同じく昨日国会で選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる改正公選法が全会一致で成立した。来年の参議院選挙から有権者が全国で240万人増えるそうだ。政府には若い年齢層には支持者が多いとの読みがあるそうだが、果たしてそんなに上手くいくだろうか?テレビで見ている限り、最近の若い人はかなりしっかりしていると思う。昔高校時代に新聞なんてまともに読んだ記憶が無いが、現代子は新聞を読まなくてテレビは常に見ている筈。

ニュースなんか見ないのではと言う人もいるが、メディが多様化しているので、少なくとも我々の時代と違って受け止める情報が圧倒的に多いに違いない。中にはおかしな受け止めで、当然ながらまともでない方向に行く人もいるだろう。
戦争について何も知らないので心配と言うご同輩も多いが、必ずしもそうでもないのではと期待している。注入される情報が多いだけに、案外まともで的確な判断が出来るだろうと楽観しているのだ。


以下は実にまともに思えた話。ニュースからの丸写しであるが、一人でも多くの人に読んで頂きたく貼り付けることにする。15日に日本記者クラブで記者会見した小林節・慶応大学教と長谷部恭男・早大教授の発言から長谷部教授発言の一部を抜き出している。

『先週6月11日の憲法審査会において(与党側から発言があった)、私に対するいわれのない批判についてコメントをしておきたい。私が安全保障について専門知識を欠いているという指摘は極めて興味深いと考える。私が専門的知識を欠いているのか。欠いているとは必ずしも考えていない。

 オックスフォード大学出版局が2012年に刊行した比較憲法大辞典「Oxford handbook of comparative constitutional law」という書物がある。ハンドブックという名はついているが大辞典だ。世界の第一線の研究者が参加をしている。

 ところで、この大辞典の「war powers」、戦争権限の項目は私が執筆している。憲法による軍事力行使の制限についての各国の法制を分析する項目だ。このオックスフォード版、比較憲法大辞典の編者は、安全保障に関する専門知識を欠いている人間にこの戦争権限の執筆を依頼したのか。なかなか考えにくいところだ。

仮に私が安全保障に関して素人であるとしよう。すると自民党は、特定秘密保護法案という安全保障に不可欠な歯車と言うべき法案の参考人として、私という安全保障の素人を呼んだ。明らかな人選ミス。私の記憶している限りでは、この法案に賛成の意見を表明したのは、参考人のうち2人だけ。そのうち1人は私。つまり安全保障の素人だ。

 これは、この法律の成立の経緯に重大の欠陥があったことを示すものだ。制定の経緯に重大な欠陥があった以上、政府与党はただちに特定秘密保護法を廃止し、ゼロから作り直すべきであろうかと私は考える。

 別の言い方をすると、今の与党の政治家の方々は、参考人が自分にとって都合の良いことを言ったときは専門家であるとし、都合の悪いことを言ったときは素人だという侮蔑の言葉を投げつける。自分たちが是が非でも通したいという法案、それを押し通すためならどんなことでもなさるということだろうか。』

2015年6月16日火曜日

安全保障論議

ネットで検索しても出てこないので記憶違いだったかもしれぬが、今朝の新聞に「中国、南シナ海埋め立てをこれ以上拡大せず」と出ていたような気がする。フィリピン沖に中国が領海を主張する理屈も理解しかねるが、そんな場所にまで軍事基地を建設しようとの意思が全く理解できない。アメリカ側が中国を強く牽制して封じ込めようとするので、防衛本能のようなものと同情的に見る人もいるようではあるが。

日本もアメリカ側だから中国封じ込めの最前線に立っているようなものだ。国会における安全保障関連法の一括改正に関する論議を聞いていると、安全保障環境の今そこにある危機として、必ず出て来るのが中国の南シナ海への進出である。日本からは遠く離れた海の上の話だから、それが何故脅威かも分からないし、どうでもいいじゃないか思ったりしているが、中国とどこかが戦争にでもなればアメリカとしても困るだろうし、日本も他人事では済まぬかもしれぬ。

大国同士が真剣に話し合ってもらい、片方が少し譲歩するような話になれば結構なことだ。胸を撫で下ろす報道ばかりであればいいが、数日前には中国が尖閣沖で埋め立てを計画しているとの物騒な報道もあった。南シナ海は遠すぎてピンと来ないが、尖閣沖にとなれば中国の意図は十分理解できる。こちらこそありうべき話として現実的な対策を論ずるべきと思うが、国会の論争は抽象論が多く、なかなか現実的な話にはなり難いのは何故だろう。

今日の国会では衆議院の平和安全特別委員会が無かったようなので、ネットで金曜日に日本記者クラブで開かれた憲法学者の記者会見『小林節 慶応大学名誉教授、長谷部恭男 早稲田大学法学学術院教授 「憲法と安保法制」』を1時間半通しで見た。学生時代は、教授の話なんぞ百年一日の空念仏みたいもので下らぬ、と聞く耳を持たなかった己が恥ずかしい。国会の質疑は議論が噛み合わないことの連続で、何時間聞いても意味が全く分からない。

しかし、碩学の意見陳述は流石に洗練(論点が整理)されている。それぞれ30分ずつの意見開陳であったが、謂わんとするところが錆びついた脳でもかなり明確に理解できる。最後30分は記者の側からの質問で、少し意地悪に学者の過去の意見との不整合を突くような場面もあったが、学者先生は全然動じず、まともに受け止めて応答していた。国会もこのくらいまともに質疑をすれば、国民の側も理解しやすくなると思うが、相身互いかどうか、態々こんがらかるような質疑ばかりでうんざりである。

この二人の先生もともと自民党に対して協力的であったようだ。だからつい先日までは「先生、々々」と持ち上げられていたのだろう。それが先日の憲法審査会での集団的自衛権憲法解釈変更を違憲として以来、手の平返しで「学者は現実を知らない。安全保障関連知識に欠けている。」とされたことに相当腹を立てておられるようだ。「バカが何を言っているのか」言葉に出さなくても思っていることがありありで面白かった。

2015年6月15日月曜日

インフォームド・コンセント

今日は日大板橋病院にて前立腺のMRI撮影の後で、放射線科医師と面談。放射線治療の具体的計画についての説明を受けた。先ずMRIによる撮影結果では、現在進行しているホルモン治療の結果が良好で、肥大が大分小さくなってきているので、予定通り来月末から放射線治療に入りましょうとのこと。来月の13,14日の2日間で詳細設計をして、15日に泌尿器科の医師を交えて最終確認をさせてほしいとのこと。

今までは全部午前中の予約だったが、何故か7月に入ってからは全て13時とか14時の予約になっている。今日も朝から良い天気だったので、往復すると汗だくでいい運動になった。歩数が丁度1万歩見当になる。本番の照射は29日からに決定、。これも午後からにしたいとのこと。7週間となると9月の連休まで、真夏の午後毎日の病院通いはかなりハードなトレーニングになりそうだ。

更に、受診の準備とやらで膀胱に水分を溜める訓練をしなければならない。今日も1日から昨日まで、毎朝300mlの水を飲んで放尿に至るまで何時間我慢したかの記録を持参させられたのだが、今度は7月1日から12日まで毎日午後400~500mlで同様のことにトライしてほしいとのこと。専門家の要請だから断るわけにもいかないが面倒くさい話である。加えて副作用の説明があった。

文書化されているのでで引用する。
3.当該診療の予想される効果と不利益(危険性、合併症)について:
不利益:皮膚炎、頻尿、排尿時痛などの膀胱炎症状、性機能障害、排便時違和感、大腿骨頸部骨折、晩期に直腸出血(難治性)など
随分と脅かしてくれるものだ。医療事故の多発する昨今だから、このくらい言っておかないと、後刻患者からどんな因縁を付けられるか分からないとの心配からではあるだろう。

それにしても、「現在でも頻尿だと思うのですが、これ以上になるのですか?」と聞くと、にべなくも「そうなります。それが元通りになれば治療が終わったということでしょう。」との返事だ。これでは病気を治してもらうのか、新たな病気を植え付けてもらうのか分からない。これまでのところ最新の装置で、精密な位置を割り出して局所的に照射する治療法なので副作用が少ないと聞き及んでいたが、放射線科医師の立場からすると、ことに臨んで余り楽観的に思われたくないのだろう。

暫し不安感が押し寄せたが、今更ここで議論しても始まるまい。6月29日に泌尿器科医師の診療が入っているので、もう一度聞いてみたい。7月15日は放射線科と泌尿器科医師2名が立ち会う最終チェックもある。インフォームド・コンセントを2人の医師から別々に聞けるれば少しは不安が収まるかもしれぬ。現在日常生活であまり不便を感じていなかったので、やはり癌治療となると騒ぎなものだと、改めて実感した。

2015年6月14日日曜日

日常生活パターン

割合几帳面な性格なのか、老後の生活も何となく自らにルールを課して、日頃なすべきことを決めたりタイムスケジュールを管理しているようなところがある。例えば1日に必ず1万歩くらいは歩こうとか、夕方にはブログを書くとか、土日は多少さぼってもいいが、せめてプールに行って水泳をしようとかである。そんなに厳格ではないが、特段することが無い老後であれば、そのように生活の基本線を決めておけば何かと便利では思った次第だ。

生活に変化が少なくなっているのは事実だが、それでも病院に行ったり、友人に誘われて飯を食いに出かけたりすることはたまにあるし、そのことは余り苦にならない。ところが先週水曜日、ブログも書かなかったが、友人の依頼で少し仕事めいたことに付き合い、その流れで夜の会食となって帰宅したら9時を回っていた。昼前から出かけて友人と落ち合ったのが東京駅八重洲口で1午後1時。それからの移動は友人の車ばかりなので、歩行数も普段の半分5千歩程度に過ぎなかった。

しかし8時間以上もスーツを着ているだけでも疲れるのに、慣れない気を使ったせいか、昨日は疲れがどーっと出て何をする気にもならなかった。インターネットで、前日日本記者クラブで行われた山拓さんや亀井静香さん達の記者会見を1時間半ほどぼんやり見た後、何処にも出かけずネット碁だけで1日が終わってしまった。ネット碁なんか散々の成績で、このところ少し成績が上がってきてた筈が、奈落に突き落とされた感があった。夜になっても気分が落ち込む一方で寝るのも早く、10時前に寝ついたのは珍しいことだ。

自室に行く前には、明日もプールを休もうと思って、婆さんにもそう言い、寝る前に飲むと言って風邪薬を枕元まで持って行ったが、それを飲む前に眠くなって寝たしまった。ところが今朝起きると、丸1日身体を休めたせいか何となく気持ちのノリが良い。どうすればこんなに気が変るか知らないが、やはりルール通りにプールに行かねばと気が変った。

泳いでも歩いても普段通りである。自分で自分に仮病を使っていたようなものだ。プールで会話する数少ないご同輩に挨拶がてら「昨日は何となく身体がきつくてサボりました。」と言ったら「我々ぐらいになったら、たまには休んだ方が良いよ。」と返事返ってきた。

これからサボりが多くなる予感もあるが、型に嵌ったやり方が楽に感じるところもある。

2015年6月12日金曜日

組織と個人

35年も昔のことだ。未だ40歳で小さな広告会社の大阪支社長時代の時、大手企業の宣伝課長からこう言われたことを鮮明に覚えている。「俺はお前の会社はそんなに信用していないので、お前の会社とは付き合わない。しかし俺は個人的にお前と付合い、お前を信用している。」確か雑誌の広告掲載に重大なミスが発生して、会社の代表として謝罪に赴いた時だった。罷り間違えば東京から雑誌社の幹部や当社の社長が、雁首揃えて誤りに来てもおかしくない事件だった。

しかしその一件は、当日用意していった条件を飲んでもらい、その日のうちに解決することになった。ゴルフが大好きな課長さんで、こちらはあまり上手くも無いゴルファーだったが、可愛がってもらった。彼の奥さん(お子さんがいなかった)も一緒に3人でよくプレーしたものだ。謝罪に赴いたその日も、散々お説教をされた後で、結局翌週末のゴルフを約束して帰社したような記憶がある。

単に日頃の接待が功を奏しているだけじゃないか、との見方も出来るだろう。しかし接待費がどんなにふんだんにあっても、個人的信頼関係は構築できない。やはり組織人格を超えた個人の人間性とか相性は大事である。組織の行動原理に乗って動いていても、肝心な場面に来るとどうしても個人の資質がものを言うような気がする。

こんなことを思いだしたのは、昨日の報道にあった衆議院憲法審査会での高村自民党副総裁と枝野民主党幹事長の意見陳述からである。それぞれ政党の看板を背負う大幹部だから、党の方針に沿った発言に終始するのは已むを得ぬことだ。興味をそそられたのはお二方とも職業は弁護士で法律家の出身であることだった。高村氏は法律家としての識見が如何に高かろうと、現在所属する自民党が目指す方向に反することは、組織の構成員として口が裂けても言える筈は無い。

彼も法律家である以上、問題となっている法律がこれまでの憲法解釈と論理的整合が取れないことは百も承知の筈だ。そこで昨日は、国民主権を守るためには、立法府の政治家の存在がどんなに重要かを強調するしかなかった。「憲法学者に国民が守れますか?守れる筈はありませんよ。」である。方や枝野氏は法律家として憲法学を論じていればいいのだから気楽なものだ。国民が憲法を定めているので、何人も憲法を恣意的に解釈することはできません。論理が単純なだけに至極もっともに聞こえる。攻める枝野に守る高村の感は否めない。

結局高村氏は、違憲か否かの判断は最高裁判所がすると言わざるを得なかった。その通りだ。正確には最高裁長官かもしれぬが、結局は司法の人間がすることになるのだろう。政治家はきれいごとを並べても、所詮は属する組織の目標に沿って動く。組織目標に沿った意思決定は、大阪支社長時代に口酸っぱく社員に要求したことだ。政治家の行動原理は営利企業と全く同じかと痛感した。

しかし、司法となるとどうなるのだろう?法理論的には疑う余地が無くても、政権の顔色窺うような司法判断が多い昨今、司法組織の行動原理に少し不安を禁じ得ない。

2015年6月11日木曜日

家族間の距離感

昨日は珍しく昼から友人に誘われて夜中まで付き合ってしまった。しかも、気楽な宴会とかではなくて友人の仕事に付き合ってしまったので、少し疲労感が残っている。たまには現実的なビジネスに関する話し合いに参加するのも刺激的ではあるが、着慣れぬ背広なんぞ着こんで、錆びついた頭で目新しい言葉を理解する努力は、小学生の孫が足し算を理解するのに似ているかもしれぬ。

実は、昨日は婆さんが上の娘に頼まれて先方に行き、孫の散髪やら食事サービスをしてきたので、今朝その報告があった。何でも5に幾つを足せば8になるかを3と正解したので、自分の孫を天才かと思うかのような喜びようだ。入学から既に2か月になろうと言うのだから「当たり前だろう」とも思ったが、口には出さなかった。

最近おかしな少年犯罪が増えている。昨日はついに、神田のマンション上層階から水入りペットボトルを投げ降して通行中の女性(しかもベビーカーを押している妊婦だったそうだが)を怪我させたとのことで高校生が逮捕された。似たような事件が数か月前から起っていて、近所では問題視もしていたらしいが、何でも母親が警察に通報したらしい。どんな家庭の子か知らないが、母親とすれば、何度注意しても聞かないので思い余ったのではなかろうか。

何れにせよこの母親の行為は正しいとすべきだ。間もなく18歳から法律的に成人扱いになるらしいが、大人になる直前のたちの悪い少年犯罪の多さには辟易している。我が孫にも高校生が二人いるので、その範疇に入らないことを切に願っているが、幸い今のところその兆候は無さそうだ。娘が一喝すると大抵のことは言うことを聞くらしい。余りよそ様のことを言うのもどうかと思うが、聞くところによると最近は3組に1組の夫婦は離婚するらしい。

夫婦は契りを交わして幾星霜、誰もが円満に偕老同穴に至るとは限らない。大抵の場合、長い年月には様々な感情の行き違いが発生するのはごく自然のことだろう。それが高じて夫婦別れもよくある話ではあるが、出来れば子供を授かる前にしてほしいものだ。飼い犬でさえその家で誰が偉いかなんてことを心得るとされているが、家の空気はもの言わぬ赤子でも察するような気がする。

お父さん子にお母さん子、コミュニケイションの機会が多くなるのは人それぞれの好みに応ずることになろう。それでも子供たちは、そのコミュニケイションを通じて家族全体の重みを感じているのではなかろうか。そうした意味で母子家庭や父子家庭の子は可哀そうな気がする。兄弟姉妹が同居していればまた雰囲気も違うのだろうが。

少し無理筋の方向に話が行き始めている。何れにせよ、小生には子供の教育について語る資格が無い。いつもどこでも、当然ながら家庭内でも妻も子も顧みず好き勝手に過ごしてきてしまったので、家族との物理的時間的距離はかなり大きいと言える。今更後悔しても始まらぬが、妻や子、孫を思う気持ちは人並みであることを知ってほしいのみである。

2015年6月9日火曜日

安倍政権が倒れるかなぁ?

株価は未だ2万円台の高値を維持できているようだが、流行語<アベノミクス>が少し懐かしくなってきた感もある。経済とは一見無関係のようだが、先週の憲法審査会における3人の憲法学者の発言以来、日本を覆っていた政権与党が醸し出す何とも言えない重苦しい霧のようなものが薄らいできたように思う。さればとて従来とは異なる方向に日本の明るい将来が見えるかね?と聞かれてもさっぱり分からない。大体これまで安倍政権が目指していた方向そのものがよく分からないのだ。

口先では経済最優先、デフレ脱却なんて言いながらも前政権が決めた消費税増税で足を引っ張られたそうだ。地球儀を俯瞰する外交で積極的平和主義を追求なんて言いながら、明らかに世界を敵味方に分けて俯瞰し、敵視した集団によって邦人が殺害されたり、何の因縁があるのか知らぬが、徒に中国を敵視して見たりしている。北朝鮮も敵国らしいが、敵国との談合で拉致被害者を取り戻すことができるのだろうか?

片方の手で談合の握手をたふりだけで、国内的には被害者家族を前にして「拉致被害者の問題は内閣の最優先課題です。」と大見えを切ったと思ったら、総連会館の取り扱いや5年前の松茸違法輸入問題では、相手方にやけに強硬な態度のようにも見える。誰がパイプ役を果たしているかさっぱり分からないが、これではまともな談合には至るまい。本来的には韓国は非常に親密な同盟国かと思っていたが、最近は韓流ブームも何処へやらで、非常にぎすぎすした関係になっているようだ。

そうかと思えば、一見我が国と防衛関係では縁も無さそうなフィリピンあたりに、防衛協力を申し出たりしているし、もっと関係なさそうなウクライナなんて国に態々赴き、力による支配は許さない、てなことでロシアの神経を逆なでし、舌の根も乾かぬうちに「年内に日露首脳会談を開きたい」なんて言ったりしている。日本人が聞いても支離滅裂だから、プーチン大統領からすれば「あいつは少し頭がおかしくなったのでは」なんて思われても仕方が無さそうだ。

G7参加国の中では、米国の対露政策に関して言うことを聞くのは日本だけだ。従ってオバマ氏から「お前、G7前にウクライナに寄って、ちゃんと対露制裁支持を明確にしろよ。」と脅かされたとすれば分からぬでもないが、「日本には領土問題が絡むので勘弁してください。」くらいのことが何故言えないのだろう。要するに相手に依って言う事がころころ変わるので、政権の目指す本当の方向が分からない。

安全保障問題もそうである。米国からは協力要請が強いだろうし、安倍氏は要請に最大限かそれ以上に協力したいのだろう。それはいいが、国会に何の相談もしないでアメリカ議会で演説したりして、口約束するとは思い上がりもいいとこだ。何千億円も出してオスプレーの調達を約束するのも、自国をどんなにお金持ちと思っているのだろうか?庶民感覚で理解不能なことが多々あったが、今回の憲法学者の意見陳述が、政権の間違いを的確に示してくれた気がする。やはり学者先生の話は分かり易くて説得力がある。

当然与党は慌てていることだろう。しかし、言うに事欠いて「憲法学者なんて国民の平和を守ることが出来ません。皆さんの平和と安全をお守りするのは我々国会議員の務めです。」は頂けない。庶民の憲法に関する意識をますます強くしてしまうのではないか。しかし政権側とすれば未だ数の力を信じているだろう、米国との約束通り強行採決せざるを得ないかもしれぬ。その上で、又抜き打ち解散でも仕掛けて来るかな?

一寸先は闇と言われるが、政治の世界は素人には勿論、当事者にも分からないのだろう。

2015年6月8日月曜日

読書

愈々関東地方も梅雨入りらしい。ゴルフや山歩きなど、屋外スポーツとすっかり縁が切れてしまっているので、少々雨が降っても大した差しさわりは無いだろう。読書でもすればいいのだろうが、読書の根気も段々薄れつつある。米国次期民主党大統領候補筆頭のヒラリー・クリントンの最新著作「困難な選択 」が書店で平積みになっている。立ち読みした限りでは日本への言及は無いようだが面白そうでもある。

読んでみようかとも思うが、上下2巻、1巻だけでも2160円なので、結局買わずじまいで帰ってきてしまった。代わりに整骨院の先生が面白い本を貸してくれた。先生は元高校相撲の全国大会出場選手で、貸してくれた本は元力士舞の海さん著書、これは面白そうだし、先日読後感を書いた高校先輩の医師の最新著作も是非読んでくれと頼まれて、アマゾンで注文したばかり。他にも「信濃が語る古代氏族と天皇」なんてタイトルに惹かれて昨日買い込んだ本もある。

当分はこれで大分時間が潰せそうだ。

2015年6月7日日曜日

ホルモン剤の影響?

東京は梅雨にはなっていないが、梅雨晴れとも言えそうな爽やかな天気になった。先週の週末には体調が著しく悪かったので、先週の日曜日から水泳の時間をまた短縮した。1年ほど前迄は30分強くらい掛けて千メートル泳いでいたが、ある時、少しきついなと思って800mに短縮してみた。時間的には25分くらいだろう。それを先週から更に落として、600~650m時間的には20分にしてしまった。

少し情けない気もするが、無理をするより善いだろうと自らを慰めている。お陰で身体が少し軽いと言うか、大分楽な感じがする。でも体のことに関して言うと、頭が膨れると表現すべきか顔がむくんでいるのだろう。眼鏡が妙にきつくなって、プールの帰りに眼鏡屋で調整してもらった。これまで幅が142ミリだったそうだが、150ミリまで拡大してくれたそうだ。これは間違いなくホルモン治療の副作用だと勝手に思い込んでいる。

自分で見ても何となく顔が膨らんで丸くなっているようで気になって仕方ない。それに先週水曜日に昼酒をやったせいか、体重も一昨日の計量では1キロ程増えていた。今日は少し減ったようだが、1キロの減量が容易でないことを経験上知っている。今更こんなチマチマしたことを気にしても仕方がないと思うが、嫌な性格だ。

最近TPPの話を聞かないが、現在でも大量に輸入されている米国産の牛肉や豚肉はおかしなホルモン剤と薬品を大量に与えられて育つのだそうだ。日本人はホルモン剤に関しては余り神経質ではないらしい。しかしこのホルモン剤や薬品を投与された肉はEUには輸出できず、我が国向けの特別仕様らしい。婆さんはそう言う事を嫌って、食品の原産地を細かにチェックして調達した材料で食事を用意してくれているのにである。

その食事を有難がって食っている本人が、4週間おきの注射と毎日飲用する丸薬で、訳のわからぬホルモン(医師からは男性ホルモンを抑制するとので肉体的には多少女性化するために、副作用は云々と説明はきちんと受けてはいるが)を大量に摂取しているのだから、身体の形体や調子が少々おかしくなるのはやむを得ないのだろう。昼飯で安い輸入畜肉を大量消費しても、もうあまり関係ないかもしれぬ。なんて変なことを考えてしまった。

2015年6月6日土曜日

驕れる者

先日の衆議院憲法調査会における参考人憲法学者3人の発言で、来週以降の国会も面白くなりそうだ。昔から「驕れる者久しからず」と言われるが、政権与党は確かに驕っていたのは間違いない。一方でこれも似たようなことじゃないかと思うことが野党にも見られる。今朝の報道では、このところ安保法制特別委員会でも大活躍していた民主党の後藤祐一氏が大トラ騒動を起こしたようだ。何でも2日晩くと言うか3日早朝3時頃のことらしい。

酒に酔って港区の青山仮議員宿舎前の路上で騒ぎを起こしていた。タクシーで宿舎に帰宅した際、車から降りるのを拒んで騒いだり、宿舎の門扉を乗り越えようとしたという。間もなく現場には十数人の警官が駆けつける騒ぎに発展したとのこと。高木義明国対委員長が口頭で厳重注意したほか、別の党幹部が今後1年間、禁酒を指示した。と報ぜられている。

彼は予算委員会で下村文科相を追求するのが格好良くて、今年に入って覚えた議員だ。経歴を調べると東大から経産省経由で衆議院議員に転じている。似たような経歴の人を何人か知っているが、皆酒が強くて自信家で、おまけにカラオケが得意と言うところが共通点でもある。後藤氏も同様であるかは分からないが、あの眼光の鋭さからすると、同じかもしれぬ。安保法制特別委員会でも同じ調子で政府を厳しく追及していたので、少し期待をもって見守っていたのにである。

まさか誰かに一服盛られたわけでもあるまいに、人間少し調子が良くなると、どうしても驕りとまでは行かなくても気の緩みが出て来るものだ。国会議員の皆さんは、大いに気を引き締めて後半国会に臨んでほしい。

驕り序でにもう1件追加しておこう。今朝の読売テレビ『ウェークアップ!ぷらす』である。出かける時刻との関係で前半30~40分程度しか視聴できないが、憲法調査会の扱いに興味があった。当然まともに扱う筈がないだろうが、さりとて無視はできぬだろうと話していたところだった。案の定、2番目か3番目に軽く扱ったが、コメンテーターの意見が面白い。

先ず定番の橋本五郎読売新聞特別編集委員がしたり顔で「自民党の先生は朝日新聞を読んでいないようだ。朝日を読んでいれば長谷部氏が安倍政権に対して批判的であることは直ぐに分かる。」続いて女性コメンテータ伊藤聡子氏(元どこかのアナウサーだったかな) 「国会ではもっと多様な議論が出るようにしてほしいものですね。」と結ぶ。幾ら政権寄りメディアにしても、3人の学者が同じ意見を述べたことについての重要性の無視は、少し芸が無さすぎるような気がする。これも一種の驕りかもしれぬ。

2015年6月5日金曜日

政府の屁理屈

昨日友人と昼酒を交わしながら、最近の政治状況からすると、このまま消化試合の様相を呈している政権の思い通りとなって、何れ我が孫は戦場に駆り立てられかねないね。と大いに嘆き交わして帰ってきたものだ。ところが帰宅して夜のニュースを見ると、昨日の国会で大きな地雷が爆発したようである。衆議院の憲法調査会での参考人の発言である。

友人なんぞ「もうニュースを見るのも嫌になった。」と語っていたが、彼もこのニュースで少しは気を取り直してくれるだろう。我が家では婆さんが大喜びで、やはりしばらく観なかった報道番組(但し民放に限る)を観る気になったようだ。こちらも昨日までは退屈で、今日は図書館に行こうか、それとも映画館にでも行こうかと思っていたが、急に居ながらにして映画なんぞより遥かに面白いものを観ることができるようになった。

昨日の衆議院憲法調査会は勿論だが、参議院6月2日の文教科学委員会での蓮舫委員の質問も興味深い。更に今日は衆議院の安保法制特別委員会も開催された。聖徳太子と違って老いぼれ老人とすれば、3本の動画を同時に見ることはできない。仕方がないので、先ず今日の質疑を優先した。幸い前衆議院議長の葬儀とやらで、この委員会午前の質疑は10時半でいったん終了したので、昨日の憲法調査会の方も大分チェックできた。

世論調査などに依れば多くの国民が同じ思いのようだが、今回の安保法制の改定に関しては、先ず「何がなんだかよく分からない」が本音だろう。委員会審議を生で比較的観ている方だと思うが、政府側の説明がいつも同じようなことをぐだぐだ言っているのだが、質問とまともに噛み合わないので意味が全く分からない。極言すれば日本語の答弁とは思えないくらいであった。そこを憲法調査会出席の学者先生が実に明快に説明をしてくれたものだ。

曰く、政府側の政治家は常識に欠けていると仰るのだ。参考人のお一人慶応大学の小林節教授がいみじくも仰っている。「政治家がこんな日本語を使うのは本当に恥ずかしい。たとえ名誉棄損で訴えられても私はこの言を翻しません。」小林教授は野党の推薦の参考人だから当然としても、与党推薦の参考人の先生まで3人口を揃えて「今回の法案の根っこ、昨年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定は明らかな憲法違反」と断じてしまったのだから政権側は慌てたことだろう。

菅官房長官が夕方の記者会見で「憲法に違反しないとする学者も沢山いる。」と強弁していたが、小林節氏が仰るには「日本に憲法学者は200人以上いるだろうが、今回の閣議決定を合憲とする学者は2人か3人だろう。」とのことだ。参考人の意見を聞く当調査会の自民党の親玉船田元氏の顔が何とも言えなかった。参考人を睨みつけてどうするのだ?バカだなぁ。公明党の北側氏が参考人に向かって「私どもは相当慎重に憲法の枠内を検討してきました」と弁明していたが、その中に安保法制懇の提言を受けとの言葉が入っていた。

改めて総理のお友達で編成されたと言われている法制懇のメンバーを確認すると、憲法学者は早稲田大学の出身で駒澤大学教授西修氏一人のみである。恐らくは彼が200人のうちの2人か3人の一人なのだろう。総理閣下には再度政府専用機で米国に赴き、大統領に「どうも約束を守ることが出来なくて御免なさい。」と謝ってきてほしいものだ。

2015年6月4日木曜日

NHKさん「しっかりしてくれ」

いつものことながら天皇陛下のお言葉は我が胸にも強く響くものがある。昨日のフィリピン大統領歓迎晩さん会でのお言葉もそうである。陛下が平素どんなご学問をされているか知る由も無いが、自国の歴史すら満足知らない己を恥じるばかりだ。フィリピンの歴史なんぞは全く知らないに等しいのは良しとしても、高山右近が家康によってフィリピンに追放されてマニラで没したとは、恥ずかしいが初めて知った。

他にも先の大戦への反省など、総理閣下も当然同席された筈だから、8月15日に発するとされている談話の多いなる参考にされるが良かろう。と今朝言ったのは婆さんで、晩餐会があったことは知っていたが陛下の歓迎の辞は知らなかった。従ってお言葉の全文を、翌日の今朝になってネットで確認して書いている。婆さんはパソコンはおろか携帯電話すらまともに扱えない。代わりに昼間ずっとテレビをつけっぱなしの筈だ。

それも殆ど民放であるようだ。昔はそれでもニュースなんかNHKを観ていたらしいが、最近はNHKのニュースが肝心のことを言わないので、あまり観ていないとのこと。対するこちらは、19時のNHKニュースを観るのが日課みたいになっている。言われてみると、最近のNHKニュース19時は編成が特におかしい。例えば昨日を例にとると、フィリッピン大統領を迎えての宮中晩さん会の扱いが軽いのは百歩譲って我慢しよう。

中国長江での船舶事故を長々とやって、国内の日本年金機構の個人情報漏えい問題については、終り間際で軽い扱いになっている。ことの軽重からすれば、日本年金機構の個人情報漏えい問題は相当に重要であり、全国民に関わる深刻な問題である。当然トップにすべきでもあり、特にこの秋から実施されるマイナンバー制との関連など言い出したら、番組全体の30分を使っても足りない話かもしれぬ。この問題は社会的事件に留まらず、政治的事件に発展しかねない要素が含まれているとすれば、扱いの軽さに余計意図的な作為を感じてしまう。

ニュースの編成は担当者のセンスにも関係するのだろうし、変だと思う我が家のセンスの方がむしろ偏向していないとも限らない。しかし何故か「しっかりしてくれ。」と言いたくなる。

2015年6月3日水曜日

読後感「患者の「危機管理」23のノウハウ 」田島知郎著

書名が長いので後半「―病院で今、起きていること 自分と家族の命を守るために」を割愛している。

著者が高校の2年先輩で、先日同窓会での講演を聞いて非常に興味深かったので、改めて読書に及んだ。後期高齢者ともなると病院通いが頻繁となったり、医師の処方で服用する薬が多くなるのは共通のことだろう。このことが経済的負担を増すことより、治療が適切であるかどうか、健康体回復に向かっているかどうかが遥かに重要であるのも同じだろう。

私も現在定期的に診てもらっている医者が2人いる。一人は掛かり付けの内科医で、基本的には一応何でも相談している。もう一人は大学病院の泌尿器科医で、掛かり付け医からの紹介に依っている。他にも定期的とまでは言えないが、整形外科であったり皮膚科であったり耳鼻咽喉科であったり歯科医もいる。どの医師とも意思疎通は良いと思っているのでさしたる心配はしていないが、大げさに言えば命を預けているのだから医師への関心は高い。

医者通いが多くなっている割には健康保険のお陰で医療費負担はそれほど多くはならない。更に、現在治療中の前立腺癌治療もそうだと信じたいが、日本の医療技術は世界的にも最高水準にあると思っている。

個人的前置きが長くなりすぎて申し訳ない。この本を読むと個人的思いと日本の医療実態はかなり異なり、多くの問題を含んでいることに改めて気づかされる。先ずその第一が日本の医療水準が世界最高の思い込みである。医療水準とは難しい概念かもしれぬが、一般的に医師一人一人の技能として考えた場合、専門医が多い日本の医療体制では総合診療が出来難いのは当然だろうし、必然的に診療機会が少なくなることから医師の医療技術水準の向上は期待し難いようだ。

ある米国企業では、日本駐在社員が急病を発しても極力日本の医療機関に頼ることなく、むしろ韓国での診療を勧めていると知ってはびっくりである。米国の医療制度は民間保険によるカバーが当たり前なので、治療も金次第で最低、といったイメージもあった。しかし、日本の健保制度がより優っているかと言えば、それも違うようだ。米国の健保制度(メディケア)確立を目指すヒラリー・クリントンが日本に健保制度の視察に来て「何ら参考とならなかった。」と言ったそうだ。

何故だろうか、著者は健保制度以前に、医師が経営者にならざる得ない医療制度に問題の根幹があると指摘する。私自身も毎年のようにCTとかMRI検査を受けて何も感じないでいたが、我が国では当たり前のように行われているこれらの検査は勿論、殆どの医院に備え付けられているレントゲン検査についても、本当に必要な時にだけ使われているかと言うことからして、大分問題があるようだ。日本の医療機器保有数は世界水準からすると群を抜いているとのこと。

街の医院がレントゲン1台でも設置すればそれなりのコストが掛かり、その回収を急ぐ心理が働くことは否めないだろう。一事が万事で、医者が経営者になるとどうしても過剰診療が発生せざるを得ない。日本のお医者さんしか知らないので気が付かずにいたが、救急医療に屡問題が発生していることや医療過誤に関すること、入院期間の問題など、本書で指摘されると日本医療制度には問題が多そうだ。

当然行政も絡んでくるので、問題の解決も容易ではなさそうである。しかしお医者さんの世話にならざるを得ない我々としては、知っておいた方が良いことが沢山書いてある。


2015年6月2日火曜日

国会における個別具体的事例

極めて個人的なことかもしれぬが、自衛隊の任務・活動の実態については知らな過ぎる。一昨年は山で知り合った元自衛隊員にすっかり世話になりながら数日を共にしたし、自宅のお向かいの息子さんがやはり元自衛隊員で、いろんな機会にお話を伺ったこともある。国内外で大災害が発生すれば、自衛隊員が派遣されて活躍する姿が報道される。他に自衛隊関連で報道されるのは、記念日のパレードや、若い隊員の訓練風景等である。

他にも自衛隊員の姿を垣間見る機会が全く無い訳ではないが、冒頭に書いたように自衛隊の活動の全体像や隊員の活動全体像は掴みにくいのが本音である。戦前のようにマスコミが張り扇で「兵隊さんよありがとう」と囃し立てるのも如何ではあるにしても、自衛隊に関しては小生のみならず、それこそ一般的に国民の関心が薄いと思われる。

先週から昨日にかけて行われた衆議院の平和安全特別委員会をかなり傍聴して、自衛隊についての認識を改めて考え直す必要があることを痛感している。この委員会は総理も出席を義務付けられる程重要とされているので、テレビも新聞も連日取り上げてはいた。しかし残念ながら、テレビはご承知の通りコメンテーターがほんの一言二言何か言うだけに過ぎず、新聞も誰が何を質問したかさえ満足にフォローできないのが実態だ。

日曜日NHKの日曜討論だけは、それでも各党の代表が討論したとのことなので後程チェックはするが、ここは逆に解説者がいないので、視聴しても日本の防衛とか安全保障そして敷衍される集団的自衛権行使と自衛隊の関わりについて、理解が深まるかどうかである。国民の大多数が自衛隊については殆ど意識せずに過ごせていられることは結構なことだ。

それ故かどうかは知らないが、自衛隊員の年齢構成が段々高齢化しているそうだから、若い人で自衛隊に入隊する人が減りつつあるのかもしれない。この1週間ほどの間に初めて知ったことで最も印象的だったことは次のことである。イラクやインド洋に派遣された自衛隊員の帰国後であるが、自殺者が54人もいたそうだ。海外派遣との因果関係は証明しにくいそうだが、事実がインパクトがある。

しかし、自衛隊もそこが既に外国の軍隊並みであることに先ず驚いた。次に驚いたのが、母数になっている派遣隊員の多さである。陸海空の合計、延べ約10年になるようだが、こちらも延べで約1万8千人強にもなるらしい。「母数がこれだけ大きいと必ずしも自殺率が高いと断定していいのかどうか。」と髭の隊長の自民党参議院議員佐藤正久氏が何処かのテレビコメントしていた。

自衛隊員の総数は定員で約15万人であるが、常態的に2~3万人不足していると聞いている。その中から既に多くの隊員が海外に派遣されて、いわゆる国際平和に貢献している訳だ。中にはシブチなんて聞いたことも無いアフリカの海岸国で基地建設なんてことまで報道されたこともある。建前的には専守防衛を謳い、海外で活動するなんてこと殆どあり得ないと理解していたのが全く違っていた。

名目はどうであれ、日本の自衛隊は既に事実上世界の警察と称する米軍に相当貢献しているではないか。この事実を踏まえて、米国はこれを常態化することを要求しているのだろう。ならば政権側も正直にそう言えばいいではないか。なんで、建前だけを振りかざし「個別具体的にはコメントしませんが」の答弁ばかりが横行するのか。個別具体的なことこそ問題だろう。それでいて、総理は全く意味不明の長広舌の挙句で「国民の皆様に分かり易く説明しているのです。」ときたものだ。

マスコミは何故その不誠実を追求しないのか?今日書店で立ち読みした本に依れば、マスコミの現状は大戦前夜と全く同様と書いてあった。その点、民主党が先週から昨日の質疑で、周辺における現実的脅威を個別具体的に検討する必要があり、としたことは評価したい。特に昨日、前原誠司氏が「北朝鮮危機とは米国が北の核施設を航空機で破壊する時のことで、既に現国防長官ケリー氏が国防次官だった時に実際に計画が持ち上がり、我が国にも1095項目かの要請があったじゃないか。私と一緒に仕事をしていた中谷さん、何故その事実を認めないのですか?」との質問は実に分かり易かった。

同じく長島昭久氏の質問、中国工船が近海に押し寄せて海上保安庁が対応しきれない時、海上自衛隊との連携はどうなっているのか?これも如何にもありそうな個別具体的事例で非常に興味深かったが、政府はまともに答えない。警察機関と自衛隊の連携の悪さは口永良部島の救出なんかでも垣間見える。しかし、マスコミも個別具体的事例に関して相変わらず無視している。余りに情けない。

2015年6月1日月曜日

中国とのビジネス

このところ運動会日和の晴天が続いているが、年寄りの体調管理が上手くいかない。事務所に居て窓を開けてさえいれば爽やかな初夏の風が入るが、そこは都会のど真ん中、騒音がうるさすぎる。と言って閉めきってしまうと、どうしてもエアコンに頼ることになり、これの温度調節が難しい。結局風邪を引いたようで、昨日はテンションが全く上がらず、終日頭がボーとして何をするでもなく過ごしてしまった。

仕方なしに今日は出しなに風邪薬を一服服用に及んで事務所に来たが、未だに頭がすっきりしていないようだ。午後来客があって、中国とのビジネスの難しさをいろいろ話してくれた。習近平国家主席の意向が経済の末端にまで及んでいるらしい。友人のビジネスが契約直前になって、中央政府の意向で突然のキャンセルを食ってしまい、大損を出したとのこと。友人は映画のプロデューサーで、中国企業とスポンサー契約がほぼ纏まっていたらしい。

先方も中国では名のある一流企業で、社長自ら10数名のスタッフを引き連れて来日し、友人も2日も続けて未だ嘗て無いほどの接待に与ったそうだ。それが、シナリオの中に現在の中国の少数民族政策に触れる瑕疵が政府から指摘された途端、一夜にして10数名いた関係者があっという間に本国に引き上げて、連絡不能状態になっていっるとのこと。契約直後から撮影に入る準備をしていた段取りが全て白紙になってしまったので、当然のことながら友人にはキャンセル料の責任が重く圧し掛かっている。

友人が嘆くのは、彼等にはこのキャンセル料金支払の意味が全く通じないらしい。恐らく似たような話は嫌なほどあるのだろう。昔小生も少し経験があるが、中国のそれなりの人間とさしで話をしている時は、非常に物わかりが良さそうな感じを受ける。しかし、こちらからの依頼も何ら問題ないようだと安心してしまうのは危険だ。翌日担当者と話をすると、昨日にこやかに話していたあの「社長が首を縦に振ってくれません。」みたい答えが返ってきて驚いてしまう。

「ではもう一度社長と話を。」と迫ると「社長は海外出張に出てしまったので」みたいなことではぐらかされる。一瞬詐欺まがいのようでもあるが、100%そうでもない節もある。手前勝手とも少し違うし、個人的コネクションやビジネスとと政府の関係等々。中国と言う国は余程心して掛からぬと、難しい国であることだけは間違いない。