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読後感「聖域巡礼」李建華著

著者は北京在住のれっきとした中国人であり、本書は翻訳されたものではなく著者自身が日本語で執筆されている。実はこの著者と今月初めにネパールへの団体旅行の経由地、成都で合流してそれから10日近く一緒に旅行した。その不思議な縁に導かれて本書を読むことになった次第である。

著者との出会いも不思議だが、昔からチベットに惹かれる思いがあったのも事実。と言うのは現役時代の終盤に在籍した会社が広告よりテレビ番組制作に力を注いでいて、そこで企画立案に参加した時のことだ。当時興味を持ち始めたのがチベット、行ったことがないので単なる想像に過ぎないが、標高が高く住む人も少ないが仏教遺跡が多く神秘性を秘めた土地が凄く魅力的に思えたのだ。
結局1年以上に亘るリサーチの末、グゲ王国の遺跡を探訪、その興亡に関する歴史をテーマとする企画が採用されてテレビ朝日で放送には至ったが、相当難産だったし、取材クルーに同行もできなかった。本書の第1章に「グゲ」の2文字を発見したことにも不思議な縁を感じてしまった。

前書きが長くなり過ぎたが、本書は著者の今世紀初頭の12年間で8回に及ぶチベットへの紀行文集である。

現在の中国行政単位としてのチベット自治区は日本の約3倍の広がりで、人口約270万人とされているが、著者はチベット民族が居住している周辺の州を含めチベット即ち聖域(西域でないことに注目)と見做し、今でもこの地域を隈なく歩きたい知りたいと思っているに違いない。紹介されている8回は毎回異なるルートであり、文章も素晴らしいがたっぷり掲載されている写真、これがチベットの荒々しくも美しい光景と住民の生活の様子を如実に物語っている。

著者について、出身地は中国東北部の吉林省長春市とのこと。その人が何故日本に興味を持ち、広島大学に留学までしたかについては聞けていない。この本の版元が京都にある禅文化研究所であることや、氏のブログを見たりすると、インドから中国経由で日本に伝わった宗教に大いに関心があることは分かる。チベットは仏教の原型が今なお色濃く残っている地域であることも間違いあるまい。

宗教に深い知識は無いが、未だに山歩きする気持ちが起きたりするのは原始宗教と共通する何かがあるのかもしれぬ。機械文明が世界中を席巻している現在、人類は本当の幸せを忘れているようにも思うが、著者もきっと似たような思いで、精神の安らぎを求め…

読書考

理由など詳しく知らぬが、今日は英国がEU(ヨーロッパ連合)から正式に離脱(午後11時、日本時間では明朝8時)する日の筈だ。ところがどうもそのようには運ばないらしい。このことについて将来予想を含め筋の通った解説の報道は見当たらない。ま、日本だけでなく肝心のヨーロッパにもいないのかもしれぬ。英国と言えば民主主義の手本みたいに言われ、日本の政治も多く真似しているようだが、民主主義も厄介な代物だ。

このドタバタが我が生活に及ぼす影響の程は分かり兼ねるので取り敢えず措くことにして、昨日国会図書館でふと思った。暇潰しによく利用させてもらうこの巨大な図書館の蔵書は、図書だけで1千万冊を軽く超えている。いつもその日の気分で、適当な本を選んで読んでいるが、この読書が我が知性に及ぼす影響も英国のEU離脱と大差ないのは残念なことだ。読書はもっと真剣なものでなくてならないような気もする。

昨日読んだ本に書かれていたことによれば、江戸時代の心ある武家に生まれた男の子は物心がつくと親から読み書きを習い、14~5歳までには所謂四書五経を諳んじるくらいは当たり前だったそうだ。この教育的目的もさて置き、多くの書物を読むことと、少数の書物を諳んじるほど読むことを比較するに、どちらが知性への影響が多いかである。小生は、それは後者に決まっていると言いたい。

更にややこしくなるが、知性とは何ぞや、なることも悩ましい。知性とは知識か知恵かである。知識は吸収するもので知恵は出すものだとも書いてあった。言われて見ればそうかもしれぬ。であれば知性とはやや知恵に近いのかな。風が吹いて桶屋が儲かったみたい話になったが、多読は時間潰し以外の何物でもないことが分かった。

知性とは無縁の80歳に喃々とする老人が今さら感心する話でもないだろうが、銭のかからない暇潰しには図書館読書が一番だ。

無用の長物

新元号発表が近づき、その手順が麗々しく報道されている。内容は次の通り「官房長官が5つ以上の最終候補を原案とし、有識者懇談会や衆参両院の正副議長らの意見を聞いた上で全閣僚会議で協議する。」元号は日本人にとって大事なものだからとて重々しく構えるのも分からぬではないが、原案の提案者を公表しないのは良いとしても、その協議メンバーについては失笑するばかりだ。

有識者にはノーベル賞受賞の山中伸弥教授をはじめに9人の名前が連なっている。これら9人の方の見識を疑うものではないが、日本史に関して特別な知識などを持ち合わせなくても不思議は無い。政権との関係を考えれば特に断る理由も無いだろう。ましてや政治家に於いては日本史の知識などあろう筈も無いが、地位による権威付けの意味や本人は名誉と受け止めることになるのかもしれぬ。

仰々しく騒ぐわりに、こちらからすると全く無意味に思える。これは無用の長物としか言いようが無いが、併せて政府がよく行う「○○諮問会議」なることに思いが及ぶ。代表的なものに内閣府に設置されている「経済財政諮問会議」があるが、このメンバーを見ても意味不明と言わざるを得ない。様々な団体のトップ、即ちご老体を中心に据えているが、やや若手で民間人代表らしき人間は竹中平蔵氏ただ一人のようにも見える。

彼が学者としてメンバー入りをしているのか、財界人としてなのかは判然としない。経済学者としてならば反政府見解を持つ学者は腐るほどいるし、財界人も何も前経団連会長ではなく、現役で政策提言をしたい財界人は多いだろう。元号の場合と異なり、こちらは切実な問題を協議する場でなくては意味が無い筈。政府案の泊付けに過去の功労者(協力者?)にお小遣いを与える心算かどうか知らぬが、彼等はお金に困る人でもなかろう。

僻みはやめるにしても、彼等老人が日本の経済力発展を阻害していることは既に多くの人が指摘するところで、それには全く同感せざるを得ない。マスコミもこの無意味さを指摘してほしいが、マスコミ界にさえ老人からの引継ぎを待つピラミッドが形成されているようで極めて残念である。

根本問題

昨日野暮用があってブログを休んでしまったので、今日は午前中に書いている。今日は来年度予算案が成立されるとのこと。このことで新年度に対して大きな期待を寄せる人がどのくらいいるか知らないが、相変わらずチマチマしたことばかりだ。じりじりと増え続ける国家予算のわりに我が国は経済的にも外交的地位も下がり続ける一方ではないか。どこかが変だと思いながら考えてみた。

様々な思いはあるが、国の指導者に根本的な国家目標が無いことが大きいような気がする。総理になったら嘘でもいいから大きな目標を掲げてもらいたい。外国の指導者を見てごらんよ。彼等が口にするのは良いか悪いかは別にして、常に大きな目標である。それに賛同できないスタッフは採用しない、或いは賛同しないと分かれば即座に更迭してしまう。短くても4年や5年、長ければ10年、20年と自分が掲げた目標に向かって突き進むのが普通だ。

従って掲げる目標は多くの国民に分かりやすくなくてはいけない。安倍政権は既に6年、更に3期目と言うことなので9年の長期政権である。果たしてこの政権の掲げる目標は何か、考えてみた。経済におけるデフレからの脱却?憲法改正して自衛隊を国軍としたい?格差の是正?他になんかあっただろうか。何とか改革は数多くあったが、果たして一国のリーダーが口にすべき国家目標とすべきこととは思えない。

先にクエスチョンマークを付けたものが安倍氏のが掲げた国家目標だとすれば、国民の何割がその意図を理解し得たのだろう?甚だ疑問だ。彼が口にすることは、常に特定の人にだけ響く言葉で多くの人に届かないものが多い。それでも彼は何度も選挙に勝ち続け、国民の支持を得ていると自慢している。その間にデフレは進行して国民の経済格差は拡大、国軍なんか夢物語だ。どこか変ではないか。

今朝の報道に「政府、AI人材年25万人育成へ 全大学生に初級教育 」なる記事があった。実に結構なことではあるが、高等教育を受けた政府のお役人には「教育」についての認識が大きく欠如しているように思う。付け足しになるがこれも今日の発表で「来春から実施の小学生からの英語教育」も同じこと。英語にしてもデジタルデータ関連の基礎知識にしても、それは教育本来の目的ではあり得ず、手段の一つを習得させるだけのことだ。

国と同様、個人にも大きな目標があって、それを達成するための手段としてそれらを学ぶと言うこと…

来るべき御代

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これも昨日、皇居東御苑を散歩しながら思ったことである。残すところ1週間で新元号の発表、そして来月末には皇太子殿下へのご譲位となる。天皇陛下にはさぞ感無量でおられることだろう。陛下のこれまでのお勤めに対し心からのお礼を申し上げ、譲位後は是非ごゆっくりとお休みになられることを期待したい。国民はこれ以上ご宸襟を悩ますことが無いようにすべきだろうが、ここまでマスコミが発達してしまうとなかなかそうはいかぬだろう。

お住まいからテレビ新聞を排除できるはずも無いし、これまでの陛下のお言葉から推測すれば、何があろうと新天皇にアドバイスはなさるまい。もちろん新天皇は今上陛下の薫陶を十分くみ取っていらっしゃるし、50歳を超す立派な大人であられる。

小生には難し過ぎて十分には理解しがたいが、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と憲法で位置付けられ、何をするにも内閣や国会の補佐やら承認が必要とされている。従って人間的な自由度はゼロだし政治的機能や権能も全く無いようだ。がしかし、国内的にも外交上に於いても陛下の一挙手一投足が大きな意味を持つことを否定できない。

以下は当て推量である。外国人から見れば日本の総理大臣なんぞは譬え長期政権であっても知らぬ人の方が多いだろうが、ジャパンエンペラーと聞くだけである種の敬意を覚えるのが普通のようだ。だからこそ新天皇にも今上陛下を大いに見習って象徴天皇の務めに邁進してほしいと切に希望する。時は今上陛下が即位された時よりもある意味では厳しいと言える環境かもしれない。

馬鹿な政治家共が不用意に口にする意味不明な安全保障環境のことではない。補佐役であるべき政治家共がおバカ揃いであることの方が余程国家的に危険だと思う。国民がそれに気づい賢い選択が出来れば心配は無くなるが、不幸にして国民はそんなに賢くはない。こんな時代が続けば、いつかきっと世直しを目指す青年が勤王の旗印を掲げて、或いはヒトラーのように社会主義者を装うってかもしれぬが立ち上がりかねない。

そんな時代が来た時どう振舞われるか、ご覚悟のほどは先日読後感に上げたご友人が書かれた本で承った。次の御代がそんなことにならぬことを心から祈りたい。

花見をしながら

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絶好の好天に恵まれ、散歩がてらの花見に出かけて飯田橋から九段経由北の丸公園、皇居東御苑を巡り、平川橋から出て如水会館で今日はお花見ランチしかないと言うので2千円を奮発、昼飯を食って帰宅。団体や観光客の花見には少し早いようで、さほどの混雑は無くて気持ちが良かった。ただ途中武道館で、法政大学の卒業式にぶつかり大勢の初々しい男女に囲まれた。

男子は全員紺色のスーツ着用で、女子はこれまた一様に振袖に袴姿、色とりどりで素晴らしい目の保養。但し、白足袋に草履履きは2割もいたかどうかだ。彼女等にしてみれば数年前の成人式以来2度目の和装だろうしご苦労なことだ。建物の陰で袴を下ろして帯を締めなおしているのか、母親らしき人が懸命に働いているのを観ながら思ったものだ。昨今は自他を問わず婚礼でさえ和装で行く人女性は少ない。2次会が常識の現代では面倒すぎるのだろう。

いつだったか和服のレンタル屋が倒産したことがある。当たり前かもしれぬが、
代替する商品が廉価大量に供給されると古い商品は実用性を失い、関連企業は市場からの退場を余儀なくされる。和装の女生徒を中心に嬉々として燥ぐ若人を羨ましく思いながら、年齢のギャップを考えずにはいられない。人間は年齢に応じて間違いなく何かが劣化していく。

野球の名選手イチローでさえ僅か45歳にして引退表明せざるを得ない。昨シーズン44歳で選手生命が終わったとしても、他人に真似できない努力で珍しいほど長持ちしたとも言える。人間の体力とか生命力とは一体何であろうか?鍛えなければ成長は無いし、鍛え続けてもどこかでピークアウトする。そもそも体力とは身体の何処に宿るものなのか?筋肉の中か神経の内部か、それすら判然としない。

今日のサンデーモーニングに出演していたプロゴルファーの中島常幸氏はイチロー選手のことを「動体視力が弱ったせいでは?」と言っていた。花の命は短いが、人にしても大差は無いだろう。誰か、身体の劣化についてもっと分かり易く教えてほしいものだ。

沈みゆく船かも

大企業にはどんどんお金が溜まる一方で庶民の懐は寂しくなる一方と言われている。実感が薄いのは昔から大企業とは無縁で、現役時代に庶民と言えたかどうか自信が無いせいもあろう。確かなのは無職の年金生活者となった現在、懐が寂しくなるのは当たり前だからどうでも良いと思っているからだ。しかし与党政治家が、国民生活が良くなりつつあるようなことを言うのを聞くと腹立たしく思うのも事実。

政治家に国民生活のことが分かるのだろうか?国民生活のことは経済学者でさえ把握するのが難しそうだ。今は亡き有名な経済学者の宇沢弘文氏は「人々が豊かに暮らせる 社会を構築するためでなくては学問の意味が無い」と断じておられるが、経済学者にもいろんな人がいる。現在の状況を肯定する学者もいればそうでない学者もいる。与党政治家は前者の言ばかりを汲んで政策立案をしているとしか思えない。

だから偉そうに言うことだけは止めてもらいたいのだ。20才前後のことを現在と比べて思えば、国民生活は遥かに貧しい状態にあった。要するに国そのものが貧しかったわけだ。経済のことに全く無知でもそんなことは経験で分かる。だから年寄りは昔に戻ると思えば腹の虫も収まるかもしれぬが、若い人からすればたまったものじゃないだろう。

国全体がズルズルと沈みゆく船の様な現在の状況、大企業に勤める人も含め、中年過ぎの国民の多くは将来への不安感が募り、若者だって彼等なりの不安を抱えているに違いない。勇気ある若者は、船が沈んでも生き延びるために外国語を学び、学業の研鑽を積んで国と運命をともしないよう準備もするだろうが、その数は多くないのが当たり前。

小生の現状認識が間違っていれば幸いだが、もし間違っていなければ早いとこ船長さんを代えて、幅広い学説の中から正しい説を選択し、それに基づく政策の実現に邁進してもらわねば日本人は救われない。俗に言う世間知らずの政治家に舵取りを任せておいていい筈は無いが、残念ながら世間知らずの政治家を排除する方法論が分からない。

読後感「日の名残り」カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳

まだ現役の頃、アンソニー・ホプキンス主演の同名映画を観た記憶があるが、大した印象が残っていない。家内の遺品を大量に処分した際にこの文庫本が出てきたので、いつか暇潰しにと思って取り除き本棚に置いておいた。1995年発行の第3刷である。著者のノーベル文学賞受賞は2017年、つい最近のことだから、小説を特に好きでもなかった家内が何故この本を660円も出して購入したか、今でも不思議な思いだ。

私も本はよく読む方だろうが文学作品には特段の興味はない。しかし本書は読み始めると非常に興味深く且つ読み易く、惹きこまれてしまったのが不思議だ。物語は第2次世界大戦終了から10年ほど経った1956年のイギリスの何処か(残念ながらイギリスに行ったことがないので勝手にイメージするしかない)、とある古い館に勤める執事が館の主であるアメリカ人から休暇を与えられ、西方に約2、300キロ程度であろうか、主人の所有する最新のアメ車でドライブ旅行をすることになる。

僅か4泊ほどの短期旅行だが、この間主人公の一人語りで種々の思いが綴られる。実はこの主人公は現所有者が館を引き取る際に、前所有者から館ごと引き取られている。前所有者は前世紀から200年近く続いた名門のエリート、階級への言及は無いが、主人公の執事がイギリスでも指折りとなれば想像に難くないだろう。執事なる職業は日本にもあるのだろうが、番頭さんとも少し違うようだし、戦後育ちの小生にはイメージが難しい。

兎も角主人に仕え、主人の名誉を守ることを第一義に考えることが習い性となって初めて執事たりうるらしい。イギリスに於いても2度の世界大戦を通じて世の中は大きく変化したようだ。この主人公は美しい田園地帯のドライブ旅行をしながら第1次大戦前の古き良き時代を懐かしみ、その終了によって社会の価値観が大きく変わってしまったことを残念がっている。

民主主義国家の代表とされたイギリスでも、社会の安定は階級制度で保たれ、正義はエリートによって実現されていたと信じる主人公。しかし、選挙制度なる不思議な制度が導入された結果が果たして、果たして真の正義の実現に近づいたのかどうか、田舎町で出会う人々や昔部下と言うか同僚であった女中頭との邂逅を通じ、会話の端々に思いを載せる。流石1950年代生まれの筆者だけに、現代社会の問題点をさりげなく示している。


春の憂鬱

朝から休みなく強い風が吹いているが、暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。昨日今日は終日シャツ1枚で足りる陽気だ。夜明けが早くなったし日も随分長くなった。気が付けばコブシの花はもう散り始めている。冬の気配が全く無くなったことを喜ぶ人も多かろうが、何故か寂しさが先に立つ。季節が変わり春が来たからとて生活面で変わるべきものが殆ど無いからだろう。

将来未来に期待や希望らしきものはみつけられない。かと言って昨日「先行きの心配」をテーマに書いたが、自分に限ってみればさしたる不安を持たないと言うか、持つ気が無いと言った方が正確かもしれぬ、些か投げやりな気分でもある。女房に先立たれた亭主が長生きしないとはよく聞く話だ。先日亡くなったロック歌手の内田裕也氏なんぞも偉そうな振りをしていたが、意外と他愛もないものだ。

俺に限ってそれは無いと思っているが、彼の二の舞にならないと保証できる確信が薄れつつあるのも事実。歩くのも面倒になってきたし、昨夜早く寝たのに今朝寝坊したせいかもしれぬ。遊びまわる友人も減りつつある。もっと積極的にやりたいことを見つけないと、やはり例外でなかったになりかねない。

先行きの心配

今年の10月から消費税が2%上がり10%となる。3%から始まった消費税も遂に10%になる訳だ。その昔、税金直間比率の見直し、と訳も分からずに大蔵省のお先棒を担いでマスコミ対策を仕事にしていた時代を思い出す。当時は税金を給料から天引きされるより、無駄遣いしなければ税金を払う必要が無いのだから合理的、なんて呑気に思っていたが、今となれば給料は無い上に使えるお金が減るのだから嬉しい訳はない。

しかも今度の消費税改定には公明党への配慮とかで、軽減税率なる摩訶不思議な制度が導入されている。個人商店が減っているとは言っても零細企業の商店主は気が気じゃないだろう。現に毎日のように昼飯を食いに行く馴染みの店にはレジは無い。今日も昼に思ったが、今どきメニューに絵の無い店は珍しい。今日の日替わり定食はコロッケ2個にハンバーグのフライ(メンチカツと言うべきかな)、みそ汁と小鉢がついて670円。味が良いから11時半からから14時半頃まではいつ行ってもほぼ満席だ。

女将さんが主にお金を管理しているようで、たまに税金についてボヤキを聞くことがある。そして10月の改定時に便乗して値上げを考えているようだから、平均900円を超すメニューが少なかったこの店のメニューも遂に千円超が当たり前となり、今日の日替わりも恐らく750円程度に代わる可能性大だ。こちらの懐には打撃ではあるが、店の立場で考えれば至極当然だ。

昨晩ちらと一部だけ観たテレビにたまたま共産党の志位委員長が出演して良いことを言っていた。消費税増税には断固反対で、増税によって5兆円ほど財政が潤うことになるが、総理はその反動で消費が落ち込むことを恐れて約6兆円の対策を打つと言っている。ならば増税する意味が無いのだから増税をやめればいい。誠に論理的にも筋が通った説得力ある話だった。司会者がそれでは将来にわたって増税分を当てにしている財政の穴はどうするのか?

この問いに対しても、法人税制を少し下げ過ぎているので5%増税し、1億円を超える高額所得者の殆どが株式の利益から得ているのは明らかなので、現在一律20%の課税水準を5%増やすだけで十分間に合うと論破していた。志位さんの共産党が政権の座に就くことは先ず無いし、今さら心配してもどうともならぬが、何れにしてもこの秋以降一層生活費を切り詰めねばなるまい。

世代交代

昨晩は孫二人と娘のご亭主3人をご接待して夕食を楽しんだ。最初は、二浪していた孫の大学合格を聞いてお祝いの心算だったが、娘から電話が来て、筑波に居る上の孫も帰宅しているし旦那の夕食を用意するのも大変だから、3人纏めて面倒見てくれとのこと。肝心の娘は勤めがあるので参加できない由。一人欠けるのは寂しいが二人増えることに否は無い。

旦那は遅れて参加と言っていたが、実際には夕方6時には汐留の「鹿児島黒豚しゃぶ店」に全員揃った。それでは乾杯と言う段になると、これまた肝心の孫が水をくれとの注文。「そりゃないだろう」と言ったが、二十歳前だし腹の調子もイマイチなのでと言って聞かない。二浪しているが確か3月30日の生まれだったかで20歳前のようだ。別に体育会の新人歓迎会でもないので当人が酒なんか飲まなくても、他の3人は全く関係ない。

3時間近く食ったり飲んだりして10時頃帰宅。店が遠かったこともあって昨日は1万7千歩も歩いてしまった。帰宅してから風呂に入る前に米を洗って朝飯の準備をしたりしたので、さすがに今朝は少し疲れ気味。いつもと同じ5時に起きてルーティンワークは一通りこなしたが、すぐに眠気に襲われ昼寝でなくて朝寝をしてしまった。これが素浪人の良いところかもしれぬ。

ところで孫どものこれからの人生だが、当然ながら本人たちにも明確なイメージは無いようだ。親父さんにも無さそうだし、ましてこちらにアドバイスできそうなことは何も無い。全員「ケセラセラ」は困ったものだと考えるか、血筋と思うべきかは知らぬ。思ったのは、毎日「日経」を読んでいる50歳近くの旦那は昨日ブログに書いた「CCS」を知らなかったが、孫は二人とも鳩山由紀夫のデマ騒動としてちゃんと知っていたこと。

孫二人は新聞テレビ等のマスコミよりネットからの情報取得が多いのだろう。、同期生の集まりは段々少なくなる昨今でパソコン・スマホについていけない我が世代。かくして世代は交代していくのだろうが、酔いに任せて「中年過ぎたら健康を考える」が必要、なんて偉そうに言ってしまったようだ。

「CCS」(Carbon dioxide Capture and Storage)

昨日少し落ち着いたので久し振りにYouTubeを観ることにした。選んだのが鳩山由紀夫氏主宰の「友愛チャンネル」ゲストが元外務省官僚の孫崎享氏。昨日も少し触れたが、二晩高校同期生と寝食を共にした中で感じたのは鳩山由紀夫氏の人気の無さ、或いは評判の悪さだ。雰囲気を壊す必要も無いのでその場では一切反論しなかった。彼が日本の行く末に大きな禍根を残したかどうかについては信念をもって反論できかねるが、友人たちに心底同意できかねるところもある。

政治家として採点すれば辛めの評価が出るらしいが、他の政治家と比べた場合それが妥当かどうか分からない。ただ言えるのは育ちが良すぎて、我々とかなり異なる感覚を持っていることだけは同意せざるを得ない。そんなことはどうでもいいが「友愛チャンネル」はよく観る方だろう。昨日のそれで知ったのが「CCS」だ。ネットでは昨年から話題にはなっていたようだ。

そもそも「CCS」とは、二酸化炭素を回収し、地中深くに圧入・貯留する技術。地球温暖化の原因とされる二酸化炭素を圧縮して地中深くに埋めてしまえば地球温暖化防止に役立つとして盛んに研究が行われているとのこと。ところがこれには副作用があり地震の原因になりかねないと指摘する人がいて、ネット上では昨年9月に発生した北海道安平町を震源地とした震度6強の地震もその例に漏れないと言われてはいたらしい。

そして今年の2月21日、同じ北海道の厚真町での地震発生受け、鳩山氏がツイッターで「厚真町は本来地震にほとんど見舞われなかった地域。苫小牧での炭酸ガスの地中貯留実験による人災と呼ばざるを得ない。」と主張。これを道警が即座に「デマ」と断定してマスコミがそのように報じたそうだ。鳩山氏を馬鹿と罵る人からすれば格好の材料かもしれない。しかし、ネット上で「CCS地震」を検索してみてほしい。地球上のみならず地下にも不思議は一杯である。

騒ぎを喜んだり煽るつもりも無いし、鳩山氏の主張は推測によるものであり、肯定するつもりもない。ただ道警の決めつけが科学的根拠に基づいていないことだけは確かである。

冬の志賀高原

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先週ネパール旅行から帰ってきたばかりではあったが、志賀高原に行って2年振りにスキーを楽しんできた。10数シーズン前から年に一度高校同期のスキー好きが集まる会があり、永久リーダーを務めてくれる指導員の資格を持つ友人K君が、今年は小生の都合を慮って3月13日から2泊3日で設定してくれたので2年振りに参加した。13日も14日も快晴で、しかも13日の夜新雪が10センチ近く積もったのでゲレンデのコンディションは最高。

ところが滑り始めはスキーと身体が全くバラバラでどうなることかと思った。騙し騙し滑ってはみたが体力の衰えはどうしようもないし、技術と言うか反射神経も老人のそれだからイメージ通りにスキーが動くはずも無い。涙と噴き出る汗でゴーグルは曇り危なかっしいことこの上ないが、それでもまる2日間を掛け、志賀高原北西の半分になる丸池から発哺ブナ平・東館・一ノ瀬ファミリー・寺子屋・焼額・奥志賀と主だったコースを一通り滑ることが出来た。

今回参加した同期の友人は小生を含め5名、これにその奥方1名と元会社の部下が2名加わって合計8名。10数年前には同期生参加者が10名いたことを思うと今昔の感がある。尤も参加した我々も身体の劣化は否みようがないが夕食前後の酒盛りでは意気軒昂そのものだ。小生以外7名のメンバーは現役時代社会に於いて赫々たる貢献実績を上げた者ばかり、皆海外経験も豊富なことから話題のスケールは次第に大きくなる一方。

話題が時局問題なんかになると、全員が年齢経歴からして保守主義者なのは結構だが、野党や共産主義国家への批判が強烈なのでどうも口を挟み難く、もっぱら酒を飲みながら謹聴することになり、ネパール旅行に引き続き酒量が上がってしまったようだ。何れにせよ来年もまた同じメンバーでスキーを楽しみたいものだ。

ネパール紀行(その5)

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ポカラのホテルには山に向かう前にデポした荷物が待ち構えていた。ここのホテルも立派だったが、さすがに飲み疲れが出たようで夕食後の二次会に顔を出せなかったような気がする。翌朝は又バスに乗り込み、来る時飛行機で30分ほどだった道をカトマンズまでのバス旅行。登山のジープを思えば何ともないが、道中しきりに日本のことが思い出される。インドまで通じる1級の国道らしいが、酷い埃にまみれているうえ、乗っているバスのタイヤを見ると1本のボルトのナットが外れている。



ポカラは820メートルだったがカトマンズは1400メートルの盆地だから、相当な標高差を登り降りしてることになる。嘗て伊那谷をバスで走った時、伊那の谷は流石に深いと思ったが、ネパールの谷は比べ物にならないほど深いと思う。その深さを実感しないのは森林限界が高く、少なくても2千メートルを遥かに超す高みまで木が茂っているからだろう。途中でゴンドラケーブルが動いている場所があった。ガイドの説明では「最近国内で既に3本のケーブルが稼働し始めています。何れもヒンズー教のお寺にお参りする人のためのものです。」とのことで観光用ではないらしい。

ほぼ1日がかりでカトマンズに到着。夜は近くの中国料理屋に行ったような気がする。兎に角この旅行中ホテルで夕食を摂った記憶が無い。一行の中に本物の中国人が居たので、注文が難しく店の方も難儀をしたことだろう。翌日は昼間カトマンズ市内の名所見物、世界遺産に認定されている寺院も多いし、寺に預けられ生き神様扱いの幼い少女なんかを見学、と言っては怒られるか、拝んだりして過ごす。



夜はガイドたち家族とお別れのパーティー兼メンバーに居た人の誕生祝を、観光バスが何台も駐車し、宴席には楽団と地元の舞踊がセットされた大きな料理屋で開催。ガイド達との別れを惜しんだ。



翌朝の便で成都に戻って1泊、ここで印象に残ったことが一つ。到着が遅かったので大きな料理屋は皆仕舞っている。とある麺料理店に入って注文した時のこと、イスラム系の経営故酒が無い。もう飲み飽きるほど飲んだので特に問題は感じなかったが、宗教弾圧とか言われる中国でもここのイスラム教徒は平気なようだった。翌日の昼成都を立って夜9時過ぎに無事成田に到着。様々な見聞を楽しみ、嫌な思いの全く無い海外旅行だった。ネパールがリピーターの最も多い観光地と言うのも頷ける。

ネパール紀行(その4)

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翌朝オーストラリアンキャンプから大凡5時間、標高約1000メートルにある日本人経営の「花の家」までトレッキング。と言っても緩やかな降りで、生活道路かどうか、平らな石で整備された部分が多く非常に歩きやすい。途中でゆっくり休んで昼食は握り飯でない地元のカレー料理だし、文句のつけようはない。着いた旅館は日本人経営だけあって部屋のシャワーと別に風呂場まで用意されていいた。



但しこの行程はジープが追走していない。荷物はガイドがジープで持参したものを含めポーターを雇って背負ってもらっている。聞くと現在は法律でポーター一人当たり30キロを超える荷は禁止されているそうだ。一人30キロ近い荷物を頭陀袋に入れて、紐と頭に巻き付けたベルトで背負う。こちらの一行の中に185cmで地元の少年野球の監督をした大男が居て、休憩時間に試しにやってみたら結局立てなかった。ポーターは流石に裸足の人はいなかったが、リーダーが渡したチップに喜ぶ様子を見るにつけ、一寸後ろめたい気持ちがよぎったのも事実。



「花の家」でリーダーの友人である地元のシタール奏者サワン・ジョシ氏と合流。氏は上野の音大に留学したプロのミュージシャン。長野では有名人らしい。未だシーズンに入ったばかりで他に客がいないのを幸いかどうか、夜は彼の演奏会の後でいつもの酒盛りとダンス。旅館の従業員もむしろ喜んでいる様子だった。翌朝はまた少し歩いて降り、ミランチョークと言う村から迎えに来たバスでポカラまで。夕食前にポカラにあるペタワール湖などを散策しながら、小生は野球帽をガイドに値切ってもらって500ルピー(約500円)で土産として購入。因みにルピーは、入国と同時に全員一律5000ルピーずつ両替してもらったが、結局使い切れなかった。


ネパール紀行(その3)

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翌朝、首都カトマンズから北西約200キロのポカラに飛行機で移動。副首都とされ、人口は国内2位で約26万。ヒマラヤ西方のアンナプルナ山系観光の拠点都市らしい。飛行場に降り立つと青い空を背景にそそり立つアンナプルナ山系が美しい。ここでガイドと正式に対面した後、ジープに分乗してトレッキングの拠点部落ガンドルンに向かう。長野の義妹が行った時はここからキャンプしながらのトレッキングで3泊くらい掛かったらしいが、ジープだからと言うことで参加した意味もある。

ガイドの一行4人と頭(帽子着用)のお内儀さん

だからこのジープでの難行苦行については申すまい。兎に角その日のうちに標高約1940メートルのガンドルンに到着。この日の夕方も翌朝もアンナプルナ山系の山脈はたっぷり堪能。緯度は奄美大島と同じと聞いても未だ3月の初め、しかも標高が高いので夜はそれなりに冷える。しかしガイドが冬用の寝袋を用意してくれた上に湯たんぽまで持参しているので寝心地も快適。部落にレストランは無いので旅館の台所でガイドが食事を準備、結構な味だ。酒は全員一人ずつが日本から何でもいいから1本ずつ持参と指示されていたので地酒にプラス。毎晩酒盛となっての大騒ぎ。ガイド連中が実に陽気でついついこちらも踊の中に入ってしまった。



ガンドルン着の記念写真バック左側峰がアンナプルナ南峯、右側峰がパラマウント映画にシンボルに使われているマチャプチレ(魚の尻尾との意味)


翌朝、再びジープで少しポカラ方面にバック。標高約1100メートルの渓谷に降り、そこから標高で約500メートルをトレッキング夕方オーストラリアンキャンプと言うキャンプ地に到着。キャンプ地と言っても我々は立派な洋式のトイレ付ツインベッドルームのバンガロー。食事も宴会も先に書いた通りで何の問題無い。朝夕高山の景観を眺め、手近な草花を楽しむのみである。

背景の赤い花の大木が石楠花、春の代表的な花らしい


ネパール紀行(その2)

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久し振りの海外旅行だったので、前回はメンバーの紹介だけで肝心のネパールに辿り着く前に終わってしまった。兎に角ネパールへは直行便は無いらしい。リーダーが我々に空からヒマラヤ山脈を見せるために態々中国四川省成都経由の便を選んでくれたようだ。普通の団体旅行ではこうはいかないと思うが、我々は半分ずつ縦一列で両端の窓際の席に陣取ってヒマラヤ山脈を窓から堪能することが出来た。行の便ではエベレストを見ることが出来なかったが、逆に帰りはエベレストを真横から眺めることになった。少し昔、白山からの帰りに飛行機で羽田に帰ったことがあるが、中部の山岳地帯を上空から見ても大した感慨は湧かず、記憶も定かでない。

成都を出発してネパールの首都カトマンズまでは確か3時間一寸だったと思う。半分強は中国上空で雲の上、そのうちに前方に山脈が見え始め、それが、近づくと巨大なヒマラヤ山脈の上空に達する。山脈が如何に高いかは上空1万メートル近くを飛行している飛行機からはっきり見えることが証明している。取り敢えず帰りに撮ったエベレストの写真をアップするが、氷河か雪か知らぬ山々が果てしなく続くように見えるヒマラヤ山脈の景観には圧倒的な迫力があった。この山脈を地上から間近に見るために来たかと思うと感無量でもあった。



カトマンズに到着すると快晴、前日は大荒れで成都のからの便が着陸できず引き返したと聞いて驚いた。余程一行の行いが善かったのだろう。飛行場で現地のガイド頭夫妻とスタッフの出迎えを受けてバスに乗り込み、第一夜の宿に。空港からほど近いロマンティックな名前の「サンセットビューホテル」。町の印象は汚く混乱していること。道路は狭くて凸凹、人やいろいろな車が激しく行き交うが信号は無い(一つ二つ見かけたようにも思うが、点灯していない)。バスで隣り合った隊員の一人に聞くと4度目のネパールで前回は4年前だそうだが、殆ど変わりが無いとのこと。

ところが、ホテルのゲートを潜るとこれまた見紛うばかりのウェスタンスタイル。朝飯のビュッフェは豊富な品揃えで美味かったし部屋も気がきいている、しかしお湯の出は悪い。ホテルの写真を1枚アップする。


ネパール紀行(その1)

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来週まで待とうかと思ったが、今回のネパール紀行の様なものを忘れぬうちに書こうと思い直した。海外旅行は前の旅券を確認すると、2002年5月3日中国から帰国して以来だから16年振りのことになる。今回は友人がリーダーを務める団体旅行なので、旅券申請から帰宅するまで全て負んぶに抱っこ、リーダーの指示に従っていたので何一つ不安もなく何事もスムーズに運んだ快適な旅であったことを先ず書いておきたい。

簡単に旅程を記す。先ず2月27日夕方、長野から到着したメンバー11名と愛知県春日井市から来た1名と私が成田のホテルで合流、ここでリーダーから「旅ノート」なる小冊子を受領。これが実に優れ者で、3月9日まで11日分の行動予定と宿泊のルーム毎に相部屋となる人員が特定されて印刷されている。
後は毎日の点呼でルームナンバーを記入するのみ。リーダーは別として、今年の正月に顔を合わせたものの初対面の方ばかりなので名前すらロクに覚えられなかったが、一晩相部屋となれば旅の終わりまでには全員と仲良くなれる仕組みでリーダーの心配りに感謝している。

28日朝食抜き8:50の便(中国国際航空)で成田を出発、機内食は不味いので自分で工夫した方が良いとも聞いていたが結構美味かった。全員窓側の席で道中長いので、隣の人とは積極的に口をきいて仲良くした方が善いとのアドバイスもあった。それに従って隣に来た若い女性に「おはよう」と声を掛けたがニッコリするだけで通じない。どうやらこの女性、母と二人連れて日本観光旅行の帰路らしいことがだんだん分かってきた。コミュニケーションは彼女が取り出したスマホに日本語を打ち込むとスマホが中国語に翻訳、或いはその逆も可であった。

6時間一寸かかって四川省成都に到着する頃はすっかり仲良くなって、空港内移動の満員バスの中で変な関西弁のおっさんに絡まれそうになり我が腕にしがみ付いてきた時は一寸誇らしくも思ったことだった。成都の空港で現地参加の唯一の中国人と合流、この人は広島大学に留学、中国大使館勤務経験もあり、日本で出版もしている大インテリのお金持ち。隊員一同旅中一方ならぬ世話になる。名前は李建華氏: 未読ではあるが氏の書を紹介「聖域巡礼 私の目から見るチベット」 禅文化研究所から2013年に出版。

書き始めたら長くなってしまった。長野に行く時間が迫ったので今日はここまでに。週末以降に続きを書く…

ヒマラヤ観光

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いい歳になったものの、これと言って自慢できるほどの趣味は無い。ただもの好きで、他人がしていることを真似してみたくなる癖がある。猿真似の譬え通り他人様が長年苦労して達する域に到達し得ないことは初めから分かっているが、一寸齧って「成程これは面白そうだ」と思えば満足するのだ。山歩きなんかもその典型だろう。今回はたまたまひょんな機会を得てネパールの奥地で本物のヒマラヤ山脈を自分の目で見る機会を得た。昨夜成田に到着して今朝帰宅、洗濯をして日常が戻ってきてしまった。

まだ30代の頃だったろうか、母が友人とヨーロッパに行きスイスアルプスの観光を自慢した時、いつか自分も行ってみたいと思った時期もあった。しかしその時の母の年齢に達してみると、精神的にも経済的にも両親に追いつけなかった悔しさからだろうが、「何も遠くまで山なんか見に行かなくても、山は日本にも沢山ある、山は見るためより歩くための存在として活用すれば良い。多少の高さの違いなんか関係無い。」と勝手に決めつけていた。

ところが今回のヒマラヤ観光ですっかり考えが変わった。百聞は一見に如かずの譬え通り間近に見たヒマラヤ山脈は日本の山と全く違う。その美しさは気障な譬えになるが神々しくさえある。現地の人々が長いこと登山を試みなかったことが分かるような気がする。日本の高い山は登山家でない小生ですら簡単に登りたくなっても仕方ないが、ここヒマラヤに至ると登りたくなる人の神経が分からないくらいのものだ。

ネパールの緯度は奄美大島と同じくらいだそうだ。山脈を見上げている立ち位置には初夏の草花が咲き乱れ涼風が吹き抜けるが、眼前の山肌は人を寄せ付けぬ厳しさが伺える。今回の旅行は天候に恵まれたようで、いつもこんなに好都合にはいかぬこともあるらしい。現実、予定が1日早まっていたら首都カトマンズの天気が大荒れで飛行機が着陸できず引き返さざるを得なかったとのこと。他にも旅行を計画し、メンバーを集めてくれた友人T氏と集った参加者15名とガイド達が良い人ばかりで、少し飲み過ぎのきらいは否めないかもしれぬが10日余りがあっという間に経ってしまった感じだ。


現地3月2日アンナプルナサウスとマチャプチャレをバックに