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今年も終わり

今年も余すところあと1日だけ。昨年は大晦日までブログを書いていたが、今年は明日の朝からお伊勢参りに出かけるので、今年最後のブログになるが、締め括りに相応しい格好いいネタは何も見つからない。個人的にはサンデー毎日であるが、世間も完全にお休みモードでどこ行っても活気が無い。忙しそうなのは我が家の婆さんで、毎年恒例ながら宿下がりして実家で年越しと正月のお勝手担当、連日の接客で明日から5日間は休む間もない超繁忙期となる。

当方は自宅に取り残された格好にはなるが、これも毎年のことで慣れっこになっているので特に不自由は無い。明日と明後日は伊勢参りで旅の空だし、2日と3日は娘家族が嫁の実家に来るので小生もそこでお正月を2日連続で祝う格好になる。家には留守番用の食料が豊富に準備されているし、夕食を外食にするのは今日と4日だけになるだろう。30日と4日であれば、華のお江戸の池袋だから店に不自由は無い。一昨日、日大板橋病院で前立腺がん治療の3ケ月検診を受けたが、特に大事は無さそうでもあった。

次回検診は3月28日になったが、これで異常が無ければ現在毎朝1錠服用している薬をやめてもいいかもしれぬとのこと。そうなれば、薬の服用が痛風予防薬の朝1錠だけになる。日大板橋の見立てでは、尿酸値も安定しているので、こちらもやめても差し支えないように思うとのこと。しかし、それではお隣の掛かりつけ医に行く理由が無くなってしまうので、と言うと、先生が「それもそうですね」笑いながら答えていた。確かに現代は、年寄りに限らないかもしれぬが、薬の飲み過ぎ、或いは医者の処方のし過ぎ感は否めない。

早く死んでくれと言われては困るのも事実だが、毎年医療費の抑制で政府が大騒ぎするのを見ていると、何処かピントが外れている気がしてならない。昨日は竹馬の友と昼飯で、久し振りに昼ビールになってしまったが、正月は酒を飲まない訳にはいかない。今年1年を無事終えそうなことを感謝しつつ、来年も家族共々健康で生活できることを祈りたい。

日韓関係修復を祝う

20世紀末までは世界の警察官を自認していた大国アメリカも、21世紀早々に自国をテロ攻撃されて以来既に15年、混乱を増す一方の世界情勢になす術を知らず、はた目には打つ手が悉く裏目に出ている感がある。恐らくはアメリカの為政者も、悉くではないにしても思い通りにいかないことが多いことを認めざるを得ないだろう。特に中東や北アフリカ問題は頭が痛いことだろう。そこそこ上手くいっていそうなのが東アジアかもしれぬ。

最大の問題児は北朝鮮だろうが、これの暴発を食い止めるために中国と韓国の協力が不可欠であることは素人目にもはっきりしている。中国との関係はまあまあだろうが、素人目には朴槿恵大統領の訪米時におけるオバマ大統領の歓迎ぶりなどを見ても、日米関係なんかと比較すれば遥かにましに見えるのだが、韓国との関係がしっくりこないところがあったのかもしれぬ。その原因の一つが日韓の不協和音だったようだ。

「歴史問題なんぞでごたごたしてくれるな。日本なんかこちらから言って聞かせりゃ何とでもなるから、いい加減なところで勘弁してやってくれ。」てなことだったらしい。当推量で書いているのだから的を射てないかもしれぬ。何れにしてもあれ程頑なに歴史認識に拘っていた安倍総理がいとも簡単に持論を引込めて、従軍慰安婦に関して日本軍の関与を認め、政府として公式の謝罪をすることになった。村山元総理ならずともお褒めの言葉を述べたくなるだろう。

しかも、昨日この問題に関する日韓外相の共同会見で「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と難しい文言が述べられている。平たく言えば「蒸し返しはしません」である。日本のマスコミは現政府に優しいから「今後韓国はゴールポストを変更することはしない」と訳しているが、20年前に村山総理が決着をつけた問題を15年も経ってから「歴史問題」として蒸し返したのは日本の安倍政権である。

これは世界中の人が知っていることだから、中国外交部報道官発表にあるように「日本は侵略の歴史を直視、反省し、責任ある態度で問題を適切に処理するよう」なんて求められてしまう訳だ。何れにせよ、年内に問題が片付いたことは目出度いことだが、いつものことながらメディアの対応には不満が残る。子も孫もいない総理が「子や孫に謝罪をさせない」とか何とか言うのは勝手だろうが、せめてマスコミは「歴史問題」をもっと真面目に考えて貰いたい…

来年は孫が受験

歳末になって一寸考えさせられるメルマガがあったので、ご披露して皆さんにも考えて頂きたい。米国の大学教授をしている冷泉彰彦氏のもので、タイトルは「日本病への診断書」となっている。冒頭に日本人1人当たりのGDPが落ち目の三度笠で、25日に政府が発表した2014年の数値が36200ドルで、OECDに加盟する34か国のうち上から20番目(前年は19位から1位ダウン)。これは「統計が確認できる1970年以降」では最も低い順位であったことを引用。かつて英国病と馬鹿にしていた英国なんかの遥か後塵を拝するばかりか、近い将来には韓国にも抜かれて、先進国の名に値しなくなりそうな事態に警鐘を発している。

一人当たりGDPが低下しつつあることは政府発表を待つまでも無く、既に多くの人が指摘しているので特筆するようなことでもないかもしれぬ。注目したのは冷泉氏が指摘するこの急速な衰退の要因である。氏は次のように述べている。『この急速な衰退は、事故や怪我といった外的要因に基づくものではなく、内発的な「病気」であり、その診断が急がれると思うのです。その「日本の病気」つまり「日本病」とは何なのでしょうか? 少々長い前口上となりましたが、年末年始の議論の材料にしていただければ幸いです。』

以下かなりの長文になるので引用は省略するが、項目として以下の6項目が掲げられている。
(1)コミュニケーションと言語の特殊性
(2)上下関係のヒエラルキー
(3)東京一極集中は何故ダメなのか?
(4)産業構造が高付加価値型になっていない
(5)苦手でも金融をやるしかない
(6)無駄だらけの教育システム

昔から島国日本を自覚し、それで良いじゃないかと自嘲的に考えてきた。洋服に靴を身に纏っていても、やっていることは着物に下駄ばきで尺貫法を使い続けているに等しいところがあるらしい。我々世代はそれでよかったかもしれぬが、しかし否応なく世界を意識しないことにはビジネスも経済もままならぬ、即ち食っていけない現代になってしまっている。

冷泉氏が指摘した6項目は全て、日本の基準が世界標準を採用していないことを指摘するものだが、中で一番身につまされたのが6番目の教育システムに関することであった。即ち「日本の教育内容が若者の知性を鍛え、知識として蓄積されるようになっていない。」と断定している。小中高のみならず、大学に於いても教育の目的が…

今年を振り返る

今年も余すところ1週間を切った。そろそろ1年を振り返ることも必要かもしれない。てなことを思い、今年の小手帳を繰って改めて予定の書き込みが少ないことが感慨深い。特に6月から9月までは殆ど白紙の頁が続いている。別に驚くには当たらない、真夏は盆に田舎にも帰らず前立腺がん治療に専念してたわけだ。75年の人生には様々なスタイルの年があったが、これも多くの人が辿る通過点の一つだろう。

このがん治療専念で生活の一部も少し様変わりした。山歩きをやめ、水泳もやめた。やめたと言っても、山歩きを未来永劫やめる訳にはいかぬだろう。しかし今後は、従来とは楽しみ方を変えていくべきと思っている。事実この秋になって(10月20日)久し振りの山歩きをして、実感したばかりだ。来年も桜が咲き始めるようになったら、ボチボチ近くの里山に出掛けようと思う。水泳の方は事情が少し違うので、もう今後は泳ぐ機会が来ないかもしえれぬ。代わりに土日はジムで汗を流すようになったし、毎日極力歩くことに努めるようにもなった。

小手帳に記録は無いが反省すべき点がある。一つは読書量の激減。目も脳も大分老化してきているのだろう、本を読むのが凄く疲れる。まともな本どころか、小説なんかでも読み始めるとすぐ眠くなる。環境が整って座り心地の良い図書館でも2時間集中できればいい方だ。今後もこの傾向の改善は難しいだろうし、考えてみれば1冊の本を楽しむ時間が長くなるので、より経済的だと思えばいいのかもしれない。

も一つは読書量の変化と関係があるかもしれぬし、無いかもしれぬ。昼間暇に任せて夢中になっているネット囲碁が相当問題だ。対局数は1年間で1600局を超えてしまった。年間料金が2万2千円だから1局あたり10数円で安い暇つぶしではあるが、それにしてもやり過ぎだ。碁会所通いをやめてネット碁に切り換えたのが2010年のようなので、もう6年経つ。今年は少し夢中になり過ぎたきらいはあるが、過去6年間で合計6千局を超えている。少しは強くなっていればいいのだが、勝率はずっと49%で一向に強くならない。元々才能が無い上に勉強しないのだから当たり前かもしれぬが、情けない限り。来年からは少し反省する必要がありそうだ。

何れにせよ代わり映えも無く平凡な1年だった。来年もまた淡々と現在と同じような日々を送ることができるよう願うばかりだ。

嫌な予感はあったが

昨夜の「報道ステーション」(テレビ朝日21:55~)を観ていてちょっと不思議に思った。何故なら、今年最後の放送だとのこと。毎晩のように観ている番組だが、年末こんなに早く店仕舞いは恒例だったかな?都立高校や区立小中学校は昨日で終業もあったらしいが、テレビ番組も早々冬休みか。「いい気なものだ」なんて気持ちで観はじめた。毎晩のように観ると言っても、観るのは10:30迄で、それ以降は観ないで寝てしまうのが習慣になっている。35分あれば、その日の主なニュースは大凡網羅されるのが常である。

ところが何故か昨日の冒頭35分は、天皇誕生日関連報道に終始していた。中でも今上天皇の沖縄県に対する深い思い入れについて、かなり深く掘り下げ、報道にしては内容が濃かった。この番組は4月にコメンテーターの入れ替えがあり、特に3月一杯で降板した(させられた?)古賀茂明氏については世上論議を呼んだ。この件もあって、政権に屈するのかと少しがっかりもしたが、蓋を開けると新しいコメンテーターも結構な論客を揃え、今年度の国会のハイライト、安保法案関係では拍手に値する論陣を張ったので内心評価していたところでもある。

更に司会の古館氏が反安倍路線を明確にしてきたので、9時台のNHKニュースはパスして、夜の報道は専ら5チャンネルに頼って来ていた。毎年年末には大物が死んだりして、結構なニュースがある筈なのに、今夜から10日近くNHKしかニュースが無いのかとがっかりしていたところだ。ところが、先ほどネットのニュースに「報道ステーション3月一杯で司会の古館氏降板」が流れた。司会はコメンテーターではないが、このところ古館氏は相当明確に反安倍路線を醸し出していた。古賀氏の件もあったので大丈夫かと心配はしていたが、案の定である。

たまたま今日発表になってはいるが、彼としてはかなり前から覚悟を決めていたのだろう。後任に誰が来るか分からないが、残念なことだ。昨日の番組の「陛下の沖縄県への思い」は司会者古館氏の思いでもあったに違いない。天皇陛下の発言にまでイチャモンをつける現政権のことだ。いろんなルートでテレビ朝日には相当なクレームが来ていることだろう。辞めると決まれば古館氏に怖いものは無い筈、新年早々から国会も始まるらしいので、余す数か月、言いたいことを思いっきりぶちまけてほしい。

それにしても、TBS「ニュース23」キャスタ…

天皇誕生日

昨日が冬至、日の出から日没までが10時間も無いらしい。その上今日は朝からどんよりして小雨まで降り始め、4時半前なのにもう暗くなり始めている。天皇誕生日は快晴の日が多く、その年最後の山歩きを楽しんだ年もあったが、すっかり遠い昔の思い出になってしまった。陛下のお言葉を読むと、正に老骨にムチ打つような努力をされていることに頭の下がる思いだ。

陛下は7歳年長で、前立腺がんの他に狭心症の治療のため、冠動脈バイパス手術も受けられている。前立腺がんだけで、このところやる気をなくしている己と比較するのは畏れ多いが、年間千を超す公務をこなされていることを心からお慶びし、併せて末永いご健勝を祈ろう。

メディアの見識

昨日、来年度の予算が成立したとのこと。今年度の補正3兆3千億円と合計すると丁度100兆円。1千兆円を超える財政赤字を抱えながら税収の倍以上の予算を組む神経。図太いと言おうか、無神経の極み。特に腹立たしく思うのが防衛予算の伸び。長年法律か不文律か知らぬが、GDPの1%以内とした掟は何処に投げ捨てたのだろう?このことに触れているマスコミは未だ見つからない。

おかしいなと思っていたら今朝の報道(日経10:22)で、今年度の経済成長率の見通しを閣議了解と来た。内容は「国内総生産(GDP)の成長率は実質で1.7%、名目では3.1%を見込む。雇用環境の改善や賃金上昇などを受けて、景気の緩やかな回復が続く見通し。」となっている。流石に日経もインチキ見え見えの政府発表を垂れ流すのが少し恥ずかしくなったのか、最後にこう付け加えている。「ただ市場には、安倍政権が掲げる実質2%、名目3%の成長目標を意識して見通しを近づけたとの見方もあり、実現に不透明な面も残る。」

予算に関して内閣が自慢げにアナウンスする子供手当ての増額に至っては失笑するしかない。前政権時代のものを大幅に引き下げておいて、後からちっとばかり引き上げる。相手をぶん殴って怪我させてから「傷口に赤チンを塗ってやったのだから感謝しろよ。」と言っているようなもので、まるきりやくざ者の手口である。

こちらも自慢げにアナウンスされている今年度の税収見込み。54兆円で予算より7兆円もプラスになりそうと、報道は提灯記事を書くが、増えたと言う7兆円のうちの5兆円が消費税の増加分。先日書いたばかりだが国の税収は所得税、法人税、消費税が3大税収で、1位が消費税、2位が所得税、3位が法人税の順。法人税等の税収ほど当てにならないものはない。サラリーマンから源泉徴収する個人の所得税が減少傾向にあるとなると、これは本質的な税収不足に陥るのは確実である。法人向けには各種優遇税制が廃止どころか、ジャンジャン増加中なので、実際に法人税を真っ当に払っているのは、中堅から中小零細の企業群であり、国家の後押しを受けている企業が必ずしも、名目通りの法人税を支払うとは限っていないそうだ。 

市井のボケ老人が腹を立てて、ごまめの歯ぎしりみたいことを書いても糞の訳にも立たない。故に大手マスコミには高い見識を求めたい。消費税の軽減税率適用を受けると何も言えないでは困る。税…

感覚のずれ、齢相応

小学校から大学まで、同期の友人にはパソコンを全く使っていない、当然ながら携帯のショートメール以外のメールは一切使わない人も少なくない。考えてみれば我々の現役時代は、味も素っ気もないメールなんて通信手段は相手に対して失礼とされていた。ビジネスでの必要性は全く無かったので、現役時代にパソコンに触らなかった方が普通だ。そして殆どの人が10年前の65歳でリタイアしたろうが、老後の生活にIT機器を取り込む必然性も無いから当たり前と言えばその通りだ。

小生の場合20年前2度目の転職で3回目の会社に行った時、やむを得ない事情があってパソコンと付き合う羽目になってしまった。だから普通のご同輩よりは少し現代の通信事情を知っているつもりはある。多分ご同輩の多くが知らないであろう「ユビキタス社会」とか「IoT」なんて言葉の意味も多少理解できる心算でもいた。友人たちに言わせれば「だからなんだと言うのかね。」で、余り自慢にもならぬかもしれぬが。

兎も角こうやってブログなんぞ書いているので、ネット情報を毎日のように観ている。従ってついて行く必要もない「世の流れ」に、内心では遅れていないだろうとの思いもあった。しかし今朝、ネットで見た「ネオマーケティング」に引っ掛かり、詳細を知るに及んで、やはり年相応に世の流れにはついて行けてないことが分かった。そもそも「マーケティング」なる言葉を知ったのは大学入学の直前で、高校時代には聞いたことが無い言葉だった。

そんな事を思い出しながら読み進めると、「LINE」についてのことだ。「LINE」はいじめの原因なんかで報道されているし、孫が高校に入った3年前から娘の口を通じて朧げながら聞いて、何となく勝手にイメージを作っていた。「ある種の仲間内で情報を共有できるスマホの機能の一つ」がそのイメージで、孫が中学時代バスケ部に所属していて、その仲間が別の高校に進学しても仲良くしたいために利用する他愛ないお遊び機能に過ぎない。と想像していた。

家族から聞いた話に基づいているのだから、この想像は合ってる部分もあるだろうが、次の記事を読む限りは正しい理解だったとは思えない。「LINE」が何処かの芸能プロダクションとタイアップして、漫才のライブを動画配信するサービスを開始した。そしてこれを常時100万人程度が観ているとの記事である。

以下引用
『<ネオマーケティング>これが国…

健康維持のため

今年も余すところ1週間ちょっと、350余日は短いようでもやはり長い。代わり映えの無い日が続いているようでも、思い返せばいろいろあった。一番に特筆すべきは4月に後期高齢者の仲間入りをしたこと。医者代が1割負担になったことは有難い。これで保険料を只にして貰えれば言う事ないが、月に2万2千円から2万3千円引き落とされている。厳密には計算していないが、年間の医療費(保険料と薬代も含め)は多分35万円から40万円の間であろう。

高いと思うか安いと思うかであるが、仕事をしている時は国保の保険料だけで年間55万円か60万円支払っていたことを考えれば、がんの治療費を含めてだからかなり安いとすべきだろう。兎に角、健康を意識し続けた1年であった。健康のためと思って多分20年以上続けてきた土日の水泳を、7月一杯でやめたのも大きな変化だ。決断の基になったのは、普通の人には無い塩素アレルギーがあると意識したせいである。

この塩素アレルギーはお医者さんが見つけてくれた訳ではない。昨年あたりからプールに行った日に限って鼻水とくしゃみで風邪の症状が発現する。内科に行っても耳鼻科に行っても、当然風邪と診断されての処方となる。火曜日あたりになると治るのだが、どうも薬が効いたせいでもないように思いはじめた。アレルギーの検査もしてもらったが、花粉とかダニのアレルギーは発見できなかった。そこで「もしかして塩素アレルギーて考えられませんか?」と尋ねてみると、アレルギーはどんなものに対してもあり得ますとのこと。

普通の人が何ともないのに、自分だけが苦しむ理由を考える中で思い当ったことがこれ。遥か昔の未だ中学2年生の時、理科の実験で塩素ガスを作成(硫黄に何かを混ぜたような気もするが、実験内容は忘却の彼方)していた時のことだ。担任の先生が「かくしてできるガスは非常に危険な殺人ガスだから、試験管を直接鼻に近付けてはいけません。」先生注意を無視して、してはいけないことばかりしていた悪ガキの頃である。試験管から直接ガスを吸って呼吸が出来なくなり、大騒動になってしまった。

今でも先生がご健在で同窓会の度にその話が出るから、先生も慌てことだろう。
兎に角、保健室からお医者さんに連絡したが、お医者さんもそんな患者に来られても困ると思ったのだろう。中和剤を嗅がせて安静にさせるしかなかったので、その後放課後まで保健室で寝ていたも…

何の工事か知らんが

部屋の前の道路を掘り返している騒音と振動が凄くて、おちおち部屋にいることが出来ない。朝から図書館に行っていたが、居心地が良すぎて居眠りしてしまった。館内の食堂で昼飯を食べていたら、後ろの席からオバサン二人の会話が聞こえてきた。「昨日も今日も忘年会だけれど、私は失礼することにしているの。いつも見ている人とお酒なんか飲みたくもないわ。」この図書館の職員らしい。

今年も余すところ1週間か。すっかり忘れていたが、職場ではいろんな単位で忘年会があったな。自己負担もあったし、会社が丸抱えもあったような気がする。今はどうなっているのやら、恐らくスタイルも大分変わってきていることだろう。

適度な寒さで天気が良いので、国会周辺を暫し散歩して事務所に戻る。当然がら工事の騒音と振動はは継続している。今日は特段書きたくなることも無し。早いとこ事務所を出て帰宅しよう、小春日和の年の瀬だ。

矛盾だらけの政策

今日から少し冬らしくなるようだが、暖冬異変は老人家庭にとっては有難い。野菜が育ちすぎるとか季節外れの花が咲くとか不都合は数々あれど、年寄りには暖かいのは何よりだし、暖房費も大分助かるだろう。家計関連で不思議に思うのは、政府がスマホの料金について何やらイチャモンを付けていることだ。スマホとは無縁ながら、携帯の料金が下がること自体に文句をつける気はないが、それは政府のすべき事かどうかだ。

社会主義国家でもあるまいし、民間企業が数社存在して、陰で談合があるかも知らぬが、互いに競争しあっているのだから選択は消費者に任せるべきだろう。もし談合めいたものがあるとすれば、その排除の為には公正取引委員会なるれっきとした機関が存在している。そこに委ねるべきだろう。なのに態々内閣だったか総務省に有識者委員会を設置して云々と報じられている。、選挙対策での人気取りとの意見も聞くが、こんな事で国民の人気が得られるものだろうか。どう考えても余計なお世話そのものと言わざるを得ない。

現政府のなす事には鼻持ちならぬことが多いが、与党の28年度税制大綱が決まっての発表が嘘くさくて嫌になる。曰く「2016年度与党税制改正大綱は、消費増税に伴って導入される軽減税率を除くと、国と地方をあわせて全体で年400億円の減税になる。」マスコミは如何に検証能力が無いとは言え、どんな気持ちでこの発表内容を垂れ流したのだろうか?要するに、税制なんてものは国家に都合よく決められるものなので、全体で減税だと財務省が発表すれば、何の疑問も湧かないのだろうか?配偶者控除の廃止とか重税感が増している一般国民の感情は無視して「はー、左様でありますか、有難き幸せ。」としか書きようが無いのか。

政府の意思決定は矛盾だらけだ。1250万人の年寄りに来年1人3万円を配る「臨時給付金」が決定する一方で、小さく報道された「子ども手当の廃止」なんかこそ、国民生活を直撃する大問題ではないか。どの面下げて出生率向上を言うのか、矛盾も甚だしい。マスコミの記者の殆どは大学出で、困窮する生活感とは無縁のことだろう。しかし「社会の現実をもっとしっかり見極め、政府の発表はきちんと検証して、しっかり批判できる識見を持て。」と言いたくなる。

税金狂詩曲

このところ連日のように、再来年の春実施されると言う消費税増税(2%)の際に導入される予定の「軽減税率」に関するマスコミ報道を賑わせている。昨日も自民党ポスターで笑ってしまった話を書いたばかりであるが、「軽減税率」の話題も笑わせてくれるとしか言いようがない。内容については生半可な知識しか持ち合わせないが、要するに複雑怪奇であり、消費者にあまりメリットが無い割に、納税者である中小企業事業者の負担が大きいことだけは詳細を見ずともはっきり分かる。

それでも、ことが公明党の要望に端を発しているので、首相の鶴の一声をもって決めたとのこと。未だ整理しなければならぬ問題が山積しているようだが、これまでに要した日数はかなり長い。その間、マスコミは無意味な報道を延々垂れ流し続けたので、先の国会での混乱、即ち安保法制関連での与党の横暴はすっかり鳴りを潜めた感がある。政権幹部が意図的に仕掛けているのだろうと思うが、国民は忘れっぽいとたかを括ったのか。

その上最近流されている(与太)情報、来年予定されている参議院選挙に合わせて10%増税の棚上げ発表で衆議院も解散、衆参同時選挙実施→自公の圧勝→憲法改正に進む。馬鹿馬鹿しいとも口惜しいともか思うが、何でもありの魑魅魍魎の世界だ、現実化しかねない。何れにしても国民がここまで舐められては、怒ることさえ忘れて、笑わずにはいられない。

ことの序でに消費税なるものについて少し調べてみたので、ご参考までに掲載させて頂く。先ず2015年度の税収の内訳は所得税16兆円・法人税11兆円・消費税17兆円で、25年前(1990年)の構造は所得税27兆円・法人税19兆円・消費税が3兆円とまるで違っていて、所得税、法人税が激減して、消費税だけが突出して拡大しているのだ。法人税について政府は消費税増税時にさらなる引き下げを明言している。何と丁寧に国民を痛めつけて法人を大切に扱うことか。これで国家の経済が良くなり、国民が幸せになるなら目出度い限りだ。

諦めが肝心・果報は寝て待て

自民党は財政が豊かと見えて、選挙でもないのにあちこちにポスターが張られている。しかもそれが結構頻繁に更新されるのでお気づきの方も多いだろう。安倍総理の顔がでかでかと印刷された最新版のキャッチコピーは『経済で、結果を出す。』となっている。「あんたに言われなくても経済は全て結果だよ」と、つい半畳を入れたくなった。自公政権の経済政策がこれまでに成功していると認める人は少ないと思う。

しかし政府が出来る経済政策なるものを考えてみれば、所詮は国民から税金をどんな手段でいくら集め、それを如何に国民に還元するかに尽きるだろう。となれば、政府に与えられている選択肢はそれほど多くは無い筈で、なかなか上手くいかないのは当たり前のことかもしれない。いつも自公政権の悪口ばかり書いているが、自公政権だから上手くいかないのではなく、誰が政権に座っても日本はもうこれ以上経済なんか成長しないのではないか。

経済学者の藻谷浩介氏が前から指摘する通り、人口減とりわけ労働人口が減っていく中でデフレから脱却なんてことは土台無理な話、には改めて共感を覚えずにはいられない。しかし、未来永劫に経済成長が止まるのもなんだか寂しい話だ。今後政権を担う人にはもう少し長期の経済ビジョンを語ってもらいたいものだ。枕をどう表現するかは悩ましいだろうが、「当分は経済成長は無理です」と枕に付けることが出来れば政府も大分気が楽になるだろう。「もっと別なことを考えましょう。」とでも言えば何か知恵が出そうな気もする。

愚考するに、経済発展のためには国内に新しくて力強い産業が起る必要があるだろう。分野は何でもいいかもしれぬが、兎に角未知の分野からの発想で生まれてこなくては駄目だ。これを生み出すのは若い人の役目で、言っちゃ悪いが年寄りの頭では絶対と言っていいほど無理だろう。最近で言えばホリエモンとか楽天の三木谷氏あたりかもしれぬが、好みで言うと余り好きになれない。もっとまともな産業を起こしてほしいものだ。若い起業家を育てるにはどうすべきかだ。

先ず第一は一定の年数(最低10年や15年)を掛けて、母数となる子供を増やす努力だろう。それには睡眠時間の長いことが必要らしい。日本人の睡眠時間は韓国人と並んで世界的に見て最も短いらしい。長い方の1位2位が南アフリカと中国とのデータなので、「だからどうした」の感無きにしもではあるが、政治が何を出来…

発言への責任と発言の真実味

旧暦の今日は赤穂義士討ち入りの日。元禄時代と現在では暦が異なるので、極月半ばの14日と言っても季節が1ヵ月か2か月ずれているそうだ。それにしても変に暖かくて、師走の実感がわきにくい。しかし今年も余すところ僅か。「年の瀬や 水の流れと 人の身は」と問われて何と答えるべきか。とてもじゃないが「明日待たるゝ その宝船」とはいかぬ。身体の劣化を強く感じざるを得ない年の瀬だ。

この週末はスポーツ界で若手選手の活躍が目立って、嬉しいニュースが多かった。中で特筆大書すべきは羽生結弦選手のバルセロナで行われたフィギュアスケート・グランプリファイナル男子シングルでの活躍。演技は圧巻としか書きようがないが、330点を超える史上初の点数を確認した途端に思わず流した涙に彼の胸の内の全てが洗われた居たように思った。試合後のインタビューでは、試合前に襲われた強いプレッシャーについて淡々と語り、いつものことながら応援してくれているスタッフやファンへの感謝が実に良い。殆どのアスリートが似たような発言をする。

この大会には日本人選手が12人中5人も出場した。浅田真央選手の不調は残念だったが、何と言っても世界中の選手の中で選ばれるのは男女それぞれ6人ずつだけだ。他の4人の活躍も専門的な目で見れば大いに賞賛すべきところも多いことだろう。例えば女子の宮原知子選手は2位に入賞しているが、その得点は荒川静香選手がトリノオリンピックで金メダルを獲得した時より遥かに高いらしい。それだけ競技界全体のレベルが上がっているらしい。そんな世界で高みを目指すと言うことは生易しいことではない筈で、嘘やごまかしが通用しないことは明らかだ。

それがインタービューなどの発言に自然と現われるので、観客も感動を覚えるのだろう。それに引き換え同じ週末に報道された政治家の発言。二題話となるが、一つは、二年後の消費税再引き上げ時に軽減税率適用に関する自公の与党協議の大筋合意を受けて、自公両党の幹事長がそろい踏みで会見。発言内容は『軽減税率適用についての合意はしました。』後を敷衍すれば『後は野となれ山となれです。』と極めて無責任。

二つ目がインド訪問中の安倍総のインドのモディ首相との会見を受けての発言。こちらは『原子力協定の締結について実質合意したほか、インドの高速鉄道計画への新幹線方式の導入で合意するなど、日本とインドの「新時代」を掲げて…

テロとの戦い

昨日、作家とよぶべきか、往年のマルチタレントと称すべきかは兎も角、野坂昭如氏が亡くなった。雑誌に連載されていた雑文は随分読んだ記憶もあるし、ごく最近でも月刊「新潮45」に毎号掲載される<だまし庵日記>は読んでいた。しかし小説らしきものはそれ程記憶に残っていない。10年少し前に脳梗塞で倒れられてからは長いリハビリ生活だった筈だが、ご家族も含め本当にご苦労様でした。年齢が丁度10歳上の85歳。ご冥福を祈る。

老夫婦が孫のことを話する時よく話題にするのが、3人いる孫の考え方の相似性。小学1年生も高校3年生も精神年齢的に余り差が無い。と言うのは社会が豊かになって、同じ食い物を喰って同じようなテレビ番組を観ているせいだろう。ところが、1930年生まれと1940年生まれの小生では、精神構造において物凄く大きな差があるように思う。それは野坂氏が度々語っているような戦争経験の差に由来するものだろう。

野坂氏も小生も戦場には行っていないが、母の背中ではないにしても、母に手を引かれる状態で認識した戦中戦後の世界と、自分の身体を通して実感した世界ではインパクトが比較にならぬ程大きいに違いない。その差はあるが、それでも野坂氏が戦争に反対し、日本の現状に危機感を持っていた気持ちは分かるような気がする。しかし、小生より15歳ほど若い総理大臣閣下あたりになると、小学1年生の孫と精神構造に於いては大差ないのかもしれぬ。

そんなことを考えるに、世界の指導者となると年齢層が更に下がるので心配は増える一方だ。欧米先進国は口を揃えて「テロとの戦い」を叫んでいる。勿論我が総理も大賛成のようでもある。外国で多発しているテロは、その被害が一般市民を巻き込んでいるだけに、見るだに悲惨なものとしか言いようがないし、犯人は許されざる者たちであるのも論を待たない。

しかし、その犯人の逮捕が難しいからと言って、犯人の故郷と思しき場所をミサイルで攻撃する精神構造には理解しかねるものがある。もし犯人が日本人だったら、日本にミサイルが飛んでくるのかね。シリアがどんな国か知らぬが、曲がりなりにも主権国家であることだけは間違いない。余計なことだが、九州の有力紙の西日本新聞は8日付の朝刊1面トップで、〈日本、アサド政権『支援』 シリアの電力整備に25億円〉との見出しでデカデカと報じているそうだ。

そこに宣戦布告も無しにミサイルを撃…

身辺整理

最近テレビで聞く耳慣れない言葉に「しゅうかつ」がある。就職活動ではなくて「終活」と書くとのこと。パソコンの変換には出てこないが、ウィキペディアにはちゃんとある。<「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。>と書いてある。人生の終りを考えねばならぬ年頃なので、家ではしょっちゅう死に際の段取りを話す機会が多くなっているし、今年は喪中はがきが一段と増えているような感じもある。

また、最近機会が少なくなってしまったが、たまに古い友人と会っても、話題がどうしても病気自慢とか親の介護など暗く不景気な話からそっちへ向かうことも多い。先日も親しい友人と食事をした時もそうだった。彼は何事にも手際が良いので遺言状も制作済みで、墓の手当てをし始めているらしい。小生も子供時代から掃除の手伝いをかなりさせられたせいか、どちらかと言えば身辺が整理された居ないと落ち着かない性格である。

従って彼に倣ってみるのも一つかとも思のだが、遺言て何を書けばいいのだろうと考えてしまう。たまたま昨日だったか、夕飯時にテレビで遺言状作成を薦めていた。そこで婆さんに「俺にはこの家以外何も財産らしきものが無いし、特に言い残したいこともないから遺言状なんか書かないからな。」と宣言した。おまけに、墓については田舎に両親や兄弟が眠る墓があり、そこに入れてもらうことはずっと前から決まっている。最近は納骨する時に骨壺のまま納める家も増えているようだが、我が家は骨をむき出しで土中に埋めるので、墓が満杯になる心配もない。むしろ墓守りが居なくなることの方を心配すべきかもしれぬ。問題は葬式だろうが、これとて残ったものが考えれば済むことで、あの世に旅立つ人間が指示することでもあるまい。

遺言状とは少し違うだろうが友人の中には、いまわの際について「俺が倒れた時には救急車を呼ぶな」とか「救命措置はするな」と家族に言い置いている人もいる。要するにあっさり行きたいとの意思表示だで、それも一つの見識には違いない。しかし考えてみると、仮に家で意識不明になった場合に救急車を呼ぶなは、家族に酷なような気もする。この話を聞いた翌日にも婆さんと話をした。「これから先、いつどこで倒れて意識不明になるか分かったものじゃない。そこからはこちらとしては何もできぬので面倒を掛けるが好きにや…

分からないことだらけ

そもそも経済のことは分からないことが多い。4半期ごとに発表となるGDP統計なるものについて、先月半ばの7-9月期の速報値が「実質で前期比0.2%減、年率換算では0.8%減だった。4~6月期(年率換算で0.7%減)から2四半期連続のマイナス成長となった。」と発表されたが、4-6月期も年率換算で7.3%減だったため、7-9月期で2四半期連続のマイナスになったそうだ。

何でも、一般的にはGDPが2四半期連続で縮小するとリセッション(景気後退)と定義されるらしい。景気が良くなっているとの実感は前から無いから驚くには当たらないが、政府や日銀が、それでも景気が上向いているとの前提に立つ姿勢を改めないことの方が不思議に思う。尤も、日経新聞の民間エコノミストへのアンケートでも「年内は足踏みで回復は年明け以降」と予想する人が多いらしいから、不思議に思う方が間違っているのかもしれぬ。

いつも書いていることながら国の景気がどうであれ、私生活には余り関係無さそうなのでどうでもいいが、今度は世界的に見て原油の相場が下がって世界経済が混乱しそうとのニュースだ。原油の需給バランスがどうして変動するかも理解できないが、兎に角バランスが崩れて供給過剰で値崩れが起き始めているらしい。こちらは我が家でも実感しているところで、先週からやっと使い始めた石油ストーブの燃料費が、今年の春先に2000円近かったのが1400円台にまで下がったそうだ。

大いに結構なことで、自動車のガソリンも大分安くなることなど考えれば、経済全般に好影響が出ると思いきや、少なくとも株式市場では好材料として受け止められていないとのこと。これまた不思議でならない。新興国の経済が打撃を受けそうなので引きずられて日本の経済に悪影響が及ぶとされている。石油製品が安くなると新興国の経済が何故悪くなるのか?新興国経済が我が国に及ぼす影響とは何だ?輸出が影響で減るとでも言うのか?

兎に角分からないことだらけだ。そして所詮株式市場なんて場所は、小生のような貧乏人と無縁の場所のみならず、実体経済とも相当かけ離れていそうだ。

12月8日朝のニュース

74年前の今日12月8日早朝、NHKのラジオニュースがこのように報じた。「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。」続いて昼頃には「我が軍は今朝未明から香港の攻撃を開始しました。大本営陸軍部、きょう午前11時40分発表。我が軍は本8日未明、戦闘状態に入るや、期を失せず香港の攻撃を開始せり。我が軍はマレー半島上陸作戦を敢行しました。大本営陸海軍部、12月8日午前11時50分発表。我が軍は陸海緊密なる協同の下に、本8日早朝、マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し、着々戦果を拡張中なり。」

ニュースに接した国民の大部分がこれを歓迎して沸いたように伝えられている。最近では、この報道を冷ややかに聞いて、不幸な未来を予想した人もいたことが明らかにになりつつあるが、極めて少数派で世間の空気に抗しえなかったであろうことは想像に難くない。当時は未だ1歳半の赤ん坊だったので、ニュースも、それを受けた家庭の雰囲気も記憶には無い。両親や兄達からもその日の気分を聴いた記憶が無い。今にして思えば少し残念であるが、家族の気持ちは国民一般の平均値であったことだろう。

そう言えば父が、戦後しばらくして次のように言っていたことを思いだした。父は、今にして思えば戦局が悪化し始めた昭和18年8月に南洋(バリ島)に出征した。「出征するまでは大本営発表を信じていたよ。しかし現地に到着後暫くして、軍部の発表は必ずしも真実でないことに気が付いた。ひょっとすると戦に負けるかもしれないとも思ったよ。」当時を思えば、現代日本は当時と異なり、一見非常に安定して平和な国家であり、慶賀の至りだ。しかし、考えると当時と似ている点が一つある。

言うまでもなく「大本営発表」即ち政府の公式見解である。政府が国民を欺くなんてことはあり得ないと思いたい。しかし、知らしむべきことを知らせないのも一種の欺瞞であろう。日米の密約とか、公式な約束事で、あちらでは公然化されていても日本側で発表しないようなことが度々あるらしい。まして、経済指標とか沖縄の辺野古問題などでは、意図的に誤った情報を流していることがネットなどで明らかになることが間々ある。

こういった問題をチェックして正しい情報を国民に伝えるのが、今日マスメディアの大きな使命である…

読後感「財務省と政治」清水真人著

副題に<「最強官庁」の虚像と実像>が付いている。著者は日本経済新聞社の政治部と経済部の両方を経験した経済解説部編集委員とのこと。まだ51歳の現役らしい。今年の9月15日発行になっている。レシートの日付が11月9日なので、1か月近くも読了しなかったのだから、かなり読みにくかったとも言える。政治にもそれなりの興味を持ち、嘗ては大蔵官僚と多少付き合いがあってのことだから、大衆受けはしないだろう。

次に<まえがき>の冒頭を引用する。
「それは全く意味の無い仕事だ。武村正義官房長官にいくら話を聞いても、何も分かる筈がない。なぜなら、我々大蔵省は、官房長官に重要事項は何上げていないのだから」1994年3月2日。政治部記者だった筆者が経済部に移り、大蔵省担当になった翌日のことだ。先輩の指示でさっそく、主計局幹部が住む東京・目黒区の公務員住宅に朝駆けに及んだ。車に同乗させてもらって、先月まで官邸で官房長官を担当していたと自己紹介した途端に「意味の無い仕事」と一刀両断されてしまった。

現在このような記者が多いのかどうか知らないが、知る限りでは大手の新聞社や放送局では政治・経済の両部を経験する記者は少ないと思う。しかし日本の政策決定は、官僚とその上に乗っかる形になっている内閣、即ち政治家との微妙なバランスで形づくられてきたことだけは間違いない。その官僚にも序列みたいものが存在して、嘗ての大蔵省、現財務省が予算を査定する役目を持つことから、一頭他から抜きんでているのも事実だ。

その上に徴税機能があるが、その税金を勝手に決める訳にはいかず、税金は立法府で決定される完全な政治マターである。ために財務省は政治と密接な連係プレーが必要になる。この歴史について知り得たところを経験に基づいて記し解説している。政治と一口に言っても、主に睨むところは当然時の内閣、財務大臣や総理大臣が主になるのは当然である。しかし、内閣はある意味で、常に不安定な状態にあり、いつ代わるとも限らない。

しかし、財務省的には常に年度ごとに予算を編成しなけれならない訳で、単年度毎に税収の見通しを決め、それに見合う予算を各省に配分する重要な役目があり、これをきちんとタイムスケジュールに載せて毎年回していかねばならない。そのためには、他の省のように財務大臣だけに説明をして済む筈も無い。内閣全体はおろか与党野党から、諮問会議の主立つ…

今は亡き「長者」と番付

暖冬ぽい日が続いていたが、やっと北風が冷たく吹く冬らしい日になった。寒さには弱いが、全く無しで済ませる訳にもいかないだろう。友人からは早くも来年2月末のスキー会の案内が届いた。スキーを滑るのは、毎シーズン恒例となっているこの会だけなので、断る理由は全く無い。但し今回からは会期3日のうち、実際にスキーを履くのは2日だけで申し込んだ。山歩きもそうだが、もう歳でもある。元気な仲間も多いが、己についてはよく分かっているつもり。無理はきかないし、今更自分に無理を強いることもない。ただ多くの古い仲間と昔話で盛り上がることだけが楽しみだ。

昔話と言えば、机の近辺を整理していたら面白いコピーが見つかった。多分図書館で、週刊誌かなにかの資料をコピーした時の切れ端のようだ。本体は既に破棄されているようだが、不要と思った切れ端だけが、読みかけた本の栞代わりにでも使ったのだろう、たたまれた状態で、ある本の中に納まっていた。捨てる前に開いてみると面白い記事である。タイトルは『昭和37年5月28日号「現代の顔」に登場した28歳の“鉄人28号”横山光輝』で、漫画家のスタジオ風景である。

漫画の世界は詳しくないので横山光輝氏も余り記憶に無いが、“鉄人28号”は聞いたことがあるように思う。写真に付された説明を読むと、発表されたばかりの昭和36年度の高額納税者公示制度で“画家の部”第3位に躍り出た漫画家、横山光輝の仕事場風景である。所得番付3位となった36年度の年収は970万円(当時は所得額での発表)。とある。

昭和36年は未だ大学3年生、入学時に提出した身上調書に保護者の年収を記入する欄があったので、親爺に聞いたことを覚えている。県庁で総務部長だったから高級官僚の一員だったと思うが、年収約80万円だった。その10倍以上だからかなりの高額ではあるが、当時の日本社会が格差の少ない微笑ましいものに思えてくる。因みに説明に加えられている第1位は洋画家の林武氏で1900万円、2位が手塚治虫氏の1250万円だそうだ。

昔は「長者番付」だったが、所得番付なる言葉さえ今やすっかり鳴りを潜めてしまった。公表することについては異論・反論もあり、実際上の社会的功罪もあったのだろう。しかし「長者番付」には格差の少ない羊羹型の社会をシンボライズするものが感じられる。更に一方で、「長者」の響きには所得が全てではなかった時代、…

民主国家と言えるか

沖縄普天間基地の辺野古への移設を巡って、政府と沖縄県知事が熾烈な闘争を繰り広げている。政府は一方で地方創生とか地方自治の尊重とお題目を声高に唱えながら、選挙で選ばれた県知事が打ち出した施策を無効にするために、知事の権限を取り上げる裁判に打って出た。裁判なれば公平だと言うなら、選挙は何のためにやるのだろう?第一、司法の世界も高級官僚が裁判官を裏で操っているので、行政と一体化しているのは周知の事実。翁長知事側の勝ち目は薄い。

約1か月前に実施されたミャンマーの選挙は野党が圧勝したそうだが、選挙で勝ってもアウンサンスーチー党首の思い通りにはいかず、相変わらず裏で軍が政治を仕切る仕組みだそうだ。これは半世紀以上、非民主国家として世界中から制裁を受けていた国であるから仕方ない。我が日本は諸外国から非民主国家と認定されてはいないようだが、非民主度はミャンマーと変るところが無いとも言える。てなことを考えると、お上の姿勢「寄らしむべし、知らしむべからず」は江戸時代の封建制をそっくり復活させているとも言える。

報道では一応内容にも触れたような恰好を付けてはいるが、大筋合意を見たと言うTPPなるもの正体を具体的に認識できている国民はどれほどいるのか?国会議員でさえ十分に分からないのだから、庶民が己の生活にどんな影響が及ぶか、分かりっこない。まして、国家的な利害得失なんかについては、誰も本気で考えてもいないのかもしれぬ。序でに言えば、これもお上が勝手に決めた「集団的自衛権」の行使容認、これも同じで国民に対しては説明が無いに等しい。また、マスコミも政府に対して厳しく説明も求めず、下げ渡された情報をばら撒いてるに過ぎないとも言える。

こんなことを書いたのは、ニューヨーク・タイムズ東京支局長 マーティン・ファクラー氏と言う人が次のように言っているのを知ったからだ。『僕が感じているのは、社会での議論がないということです。TPPは、アメリカにとっては、安全保障面の意味が大きいのです。一方、日本にとってTPPがどういう意味があるかということが、今いち分かりません。まずみんなで、TPPが本当に必要であるかどうか、社会で議論すべきです。TPPも集団的自衛権も、普通の人にとっては訳がわからない用語だということです。「TPPってなんですか」と。「集団的自衛権」というのも、表現が矛盾しています。集と自ですか…

来年の暮しは?

個人的にはもうすぐ新年を迎えると言っても特別の感慨は沸かないので、日本全体について考えてみた。年の瀬ともなれば、現役時代の昔役所では来年度予算の編成で大童の感があったし、報道もその雰囲気を伝えて、来年の国民生活がどんな年になるかを占っていたような記憶がある。最近はそれがあまり話題にならず、むしろ国民から巻き上げる税金のことが話題の中心になっているようで、面白くもおかしくも無い。しかし考えてみれば、我々庶民も経済的に満足できないと言いつつも、物質的には相当豊かに練っている。

外国からの報道に見られる戦禍に喘ぐ人と比較をすれば、日本はなんて豊かな国なんだろう。総理閣下が外遊されては、お金持ちの旦那気取りであちこちにお金をばら撒いているのも無理からぬことかもしれぬ。外国からの観光客も増えて、つい数年前まで年間数百万人単位だった来日観光客が、今年は2千万人を超えるとのこと。彼等が落とすお金も馬鹿にならず、景気の向上に大いに資するとなれば結構なことだ。

その観光客の大多数が中国、韓国、台湾、東南アジア諸国からと言うのも些か皮肉な話で、政治的な関係が余り良くない国が含まれている。中国や韓国と政治的にもっと接近すれば観光客はもっと増えるだろう。特にアジアからの観光客は日本のローカル空港を経由して来日するケースが馬鹿に出来ぬらしい。首都圏在住の立場からだろうが、静岡や茨城の空港なんて誰が利用するのか、予算の無駄遣い以外の何ものであるまい。なんて思っていたが、偏狭な見方だったようだ。

日本社会を少し詳しく見れば結構悲惨な事件が毎日のように報じられているが、
テロなんかが日常化している中国なんかから見れば、極めて平和で清潔、豊かで美しい国に見えるのだろう。我々日本人もその豊かさを実感して、身を慎んで他人を羨むことなく、もう少し穏やかに暮らすことの大切さを幼い頃から身に着くよう若い人に教えるべきだろう。そのためには何と言っても大人たちが、経済成長一本やりの考えから脱却して、人間の幸福とか社会の福祉を真剣に考えてみるべきだ。

まだ予算編成に当たっての哲学が聞こえてこないが、そんな哲学が聞こえてくる日は果たして来るだろうか?

新年への準備

今日から師走、年内に片づけなくてはならぬ事などたいして無いが、それでも一応やるべきことを頭の中で整理し、身の回りのガラクタの中で捨てるべきものを決めた。毎年大晦日から元日にかけて伊勢神宮参拝をしている。何故こんな事を始めたか?自分でもよく覚えていないのだが、最初の会社を辞めた47歳の時が最初だったように思う。

当時大阪で単身赴任最中だったが、8月に辞めて東京に帰ってきた。昭和62年でバブルの絶頂期。「五体満足」だから働き口なんかは何とかなるだろう、と軽く考えていたのが間違いだった。東京に戻ると、嘗ての得意先の偉いさんからも含めて数人の方から、就職の口添えをしてやると言った申し出を受けた。社会が全般的に浮かれていたせいもあるかもしれぬが、これで少し調子に乗り過ぎてしまった。

簡単に出来ると思った再就職は思うようにいかず、あっという間に3ケ月が過ぎ、暮になってようやく再就職が叶った。雇用条件は前職の7割以下のサラリーで、会社に行くと若い女子社員からも冷たくあしらわれて、大分ショックを受けた記憶がある。そこで「これはいかん、新規まき直しの要あり」と自覚して、そのスタートを切るために伊勢参りでもしようと思い立ったのがきっかけだったと思う。

子供の頃から苦しい時の神頼みが得意なので、この再就職事件を人生最大のピンチと受け止め、日本で最高の神様と思うところに、取り敢えずのお礼と今後のお願いを兼ねてお参りすることにした。有難いことに伊勢の天照大神様が願を聴いて下さり、翌年は就職先をしくじりもせず、最大のピンチを切り抜けることが出来た。その年はお礼参り、そのまた翌年は娘の入学祈願とか何とか言って、願い事が毎年続いてしまった次第だ。今年と来年は孫の入学祈願もせねばならぬので、当分この2年参りを休むわけにはいきそうにない。

ここ数年は経費を極小化するために、大晦日の夜に新宿を発って元日の夜帰京する弾丸バスツアーを利用していた。そのツアー料金が今年から大幅にアップしたことと身体がきつくなってきたので、今回から新幹線利用の1泊旅行に切り換え、今日新幹線切符を購入してきた。