2011年1月31日月曜日

スキー大転倒の顛末


先週月曜日に野沢温泉スキー場から帰ったばかりと言うのに、金曜日から土曜日まで又スキーに行ってきた。大学時代はスキー部のキャプテンを務めた友人の誘いで、場所は越後湯沢から最寄りの岩原(いわっぱら)スキー場。ずっと続いている大雪で大変な積雪量だ。金曜日は午後から滑りだしたが、吹雪で気温も低く顔が痛いし、手の先の感覚が無くなってくる。視界は不良のうえ滑走面は新雪だらけで、一寸快適とは言い難い状況だった。

とは言っても、お互い昔取ったなんとかで大分滑ったが、2時間近く滑るとさすがに「休もう」となって、ゲレンデの真ん中にある山小屋へ。冷酒を飲みながら一休みの後、夕方薄暗くなって最後の1本の時、スキー場最下部のリフトの真下で転倒、1mはたっぷりあろうかと思う新雪に突っ込んでしまった。頭が谷側になって全身雪に埋まっている。手は動くが足が全く動かない。叫ぼうと思っても、口の中に雪が入ってきて駄目。

取敢えず窒息しないように、体をひねったり首をまげたりして顔を雪上に出した。こっちが先に滑って来たのだから一緒に滑っていた友人は、こっちが先にスキーを脱いで帰ったと思って帰ってしまった事だろう。昔、志賀高原で夕方パトロールに出たリフト会社員が、翌日になって鉄塔下で窒息死で発見された事件があった事を思い出した。確かに雪が深いと考えられる事件だな、と思いつつ兎に角一人で脱出をしなくてはならない。スキーを履いた足は全く動かせないが、幸い手にしたストックを動かす事が出来たので、これでスキーのビンディングを外して身体の自由を確保して起き上がる事が出来た。

起き上がる事が出来ても、胸の高さ以上の新雪なので1歩も進めない。スキーを履かなくてはと思うが、これ又一苦労。履いていたスキーが長野オリンピックに先駆けて発売された旧式の長いスキーなので、スキーと足で2m近くを圧雪、穴の底でスキーを履いてやっと脱出した。宿に帰ると既に真っ暗、友人が心配してスキー置き場で待っていてくれた。時間的にも恐らく5分以上、ひょっとすると10分近く掛かったのかもしれない。膝以上の新雪を滑るのも久し振りの経験だったし、転倒して雪に埋もれてしまうのも初経験、何れもいい経験だった。

今年はどこでも大雪で、新潟もご多分に洩れず大変な豪雪。金曜夜の天気予報では「明日も雪」だったので諦めていたのだが、翌日眼を覚ますと青空ではないか。昨日一向に見えなかったスキー場も山頂まではっきり見えるし、圧雪車も稼働している様子が見て取れた。友人と二人でこれ幸いと再びゲレンデに、午前中約1時間半と午後1時間たっぷり滑って帰京した。10数年ぶりに親しい友と二人でのスキー、少しは若返ったかな。

2011年1月27日木曜日

日本の春

年末から延ばしぱなしだった髪の毛を思い切って散髪してきた。さすがにスカスカするが、ほんの数日の辛抱だろう。このところ朝夕は未だ寒いが昼間は春の暖かさになってきている。寒さの残る朝でも小鳥の鳴き声が盛んになってきたし、陽あたりの良い我が事務所は日中暖房なしで過ごせる。日毎に季節の変化を感じるのは未だ少し早いが、ふと気が付くと微妙な変化があちこちに見られる。やはり春は近いのだ、ここで幸せを感じる事が出来るのが日本ならではの事だろう。

やっと国会が始まり、冒頭に与野党の党首が意見を戦わせたと報道されているが、例の如く余り意味の無い下らない言葉のやり取りになっている。昨夜9時のNHKニュースでさえ、これを取り上げたのは放送開始から40分以上経過した最後の方で5分前後だったようだ。国営放送局でさえ、この見え透いたやり取りの報道価値を認めないのだからどうしようもない。サッカーアジアカップの日韓戦の方が、国民にとってはより大きな関心事との判断だろう。

事の軽重を真剣に考えれば、国会の方が重いに決まっているが、論戦が上っ面だけで余りに低レベルなので報道に値しないと判断しているとすれば、それも一つの見識かもしれない。前後をエジプトの反政府の暴動や米国オバマ大統領の一般教書演説で挟んでいたので、国会のご粗末さが際立った気もするが、一方で平和な日本の有難さも感じてしまった。冒頭日本の自然を讃えたのは政治との関連である。

これほど迄にマスコミから叩かれ、褒める人の少ない政権は珍しかろう。短期で終わった安倍、福田、麻生内閣でさえここ迄不人気であったとは思わない。総理自身が「私はめげない」と言っているのだから、気にしていないのかもしれない。肯定的な意味であったか否定的であったか忘れたが、嘗て誰かが「鈍感力」と言った。その典型見たいものだ。

小生素人でよく分からないが、3月末に予算を成立させるためには総辞職するか解散するかの選択肢しか無いようである。常識的には自民党と同様、民主党とすれば後2年の任期一杯を頭を替えて繋いでいくのだそうだが、菅さんが解散する可能性もあるのだそうだ。我が家の婆さんは菅さんの事大嫌いのようだが、解散総選挙なんて事も国費の無駄遣いなのでこれも反対らしい。小生はもし本当に出来るなら、解散も面白そうだと思っている。

もし選挙と言う事態になれば、与野党どっちもすこしは深刻に受け止めざるを得ない状況にある筈だ。ひょっとすれば政党の枠組みも変わるかもしれない。でも誰が総理になろうが代わり映えはせず、これから先もまた同じような政治が続く可能性も高いだろう。しかしそれが国民の選択であるのだから、我が国が平和の証だろう。チュニジアに端を発してエジプトにまで拡大しているような反政府暴動や内乱が起きないための仕掛けだとすれば仕方が無いではないか。

2011年1月26日水曜日

命・運命・寿命

先週末の夜中に娘から突然の電話で、ある友人の死を知らされた。小生とは同い年、20年ほど前に仕事の関係で知り合い、個人的にも非常に親しくさせてもらった。彼は鹿児島の出身であったが東京の私立大学出身で、同じ時代を生きてきたので話しをしてもうまがあった。趣味も似たようなもので、飲みに行ってもゴルフをしても同レベルで、仕事を抜きにしていつも五分五分で楽しい付き合いをした。

そしてある日、厚かましくも小生は短大を卒業する娘について、彼の会社に就職の依頼をした。侠気の強い薩摩っぽの彼は、当時役員でもないのに社内工作をした上で娘を採用させてしまった。娘は娘で入社前から「就職先は将来の夫をリクルートする場所」と決めていたので、数年のうちに社内に夫の候補を見つけ婚約にまで漕ぎつけてしまった。それから形式的な見合い結納から結婚に至るまで、この友人に仲人を頼んだのは言うまでもない。爾来彼に対してはすっかり頭が上がらなくなったのも当然である。

その後互いに年を重ね仕事場は変わったが、娘夫婦に対しては職場の先輩として何かと心配をしてくれていた。お陰で娘夫婦に孫も出来、小生と一緒にスキーを楽しむ迄に成長した。我が家にとっては畢生の恩人である。昨年も10月に酒を酌み交わして互いの健康を確認したばかりだ。11月には「来月忘年会をしよう」との電話を貰ったままになっていたので、少し気になっていた矢先のことだった。昨日葬儀に参列して弔辞を聴くと、電話を貰った直後に入院、胃癌だったらしい。

「癌はそんなに恐れる程の病で無くなった」との話を最近はよく聞く。癌から生還して元気にしている友人も多いので、てっきりそう思い込んでいた。それも一面の真実かもしれないが、昨日はそれ以上に人の命の儚さが眞である事を思い知らされた。告別式では内心己の行く末に慄くような気持ちで、ただ合掌するばかりだった。

その葬式から帰ったばかりなのに昨晩又もや、暮れに元気に挨拶を交わした友人が、やはり先週心筋梗塞で倒れ入院との連絡を受ける。彼も年齢的には少し上ではあるが、病魔の方が逃げ出すだろうと思うほど元気な人だった。このところ寒さが厳しい。電話をしてきた友人も言っていた「いつ俺の番になるか分からない。」

日本の景気の先行きなんかどうでもいいが、浅ましくも未練たらしくも、未だこの世で生き延びたいものだ。とは言っても、どんなに本人が心掛けようが、科学技術が進もうが人の寿命(運命)だけは予測不可能、これだけは分かってはいる。

2011年1月25日火曜日

スキー同窓会


23日24日と信州野沢温泉で高校時代の仲間とスキーを楽しんできた。「生きているだけでも古来稀」と言われるのに皆達者なものだ。スキー連盟の指導員資格を持って、冬場はずっとスキーのインストラクタを勤めている友人も一緒。他の友人達も未だにスキーへの未練断ちがたく結構滑り込んでいる。
俗に言うところの足が揃っていたので、午後半日と午前半日だったが十分堪能した。

小生にとっては今シーズンの初滑りで、しかも野沢温泉スキー場は初めてだった。昼間は北信濃の雪景色を楽しみながら豪快?に飛ばし、夜は鄙びた温泉旅館で持ち込んだアルコール類とつまみで、これ又豪快に夜遅くまで語り合うのはスキー場ならではの風情だろう。仲間達は今日まで残って楽しんでいるのだが、小生は昨日の昼で一足先に帰らざるを得なかった。朝9時にはゲレンデにいて11時頃まで山頂から何本か滑ったので、そろそろ一人で上がろうかと考えていた。



友人達が、「折角来たのだから、も一度山頂に上がって尾根伝いのスカイラインを案内してあげる。」との事で最後にもう1本、スカイラインを降った。ここに張りつけたスキー場ガイド参照してください。毛無山山頂のスタート地点には全長5キロと表示されている(後で調べたら標高差が900m以上ありそうだ)。日曜日は新雪で大変だったようだが、昨日は全面的に圧雪され素晴らしいコンディションだった。平日なのでコースはガラガラ、殆ど一気に滑り降った。スキーの醍醐味とはこの事だろう。童心に帰る心地がした2日間の旅だった。

2011年1月21日金曜日

隣国の経済発展

昨日は中国のGDPが世界第2位になった事と胡錦濤国家主席がアメリカを訪問したニュースが大きく取り上げられた。人口が13億とも15億人とも言うぐらいだから人間社会では最大の国家な訳で、これが一国家としてまとまっているのが不思議なくらいだ。常識的に考えれば経済だって世界でダントツ1位になって当たり前だろう。たまたま、共産主義で国内を統一するのに専念してたので、経済では少し出遅れたと言う事だろう。

共産主義と言うものが又よく分かっていないのだが、国民全てが平等公平な、即ち金持ちもいないが貧乏人もいない事を建前として、結局全員が貧乏に甘んじる国家体制と勝手に解釈している。人間を束ねるには公平感が大事だろうから、10億からの人民を掌握するにはこれしかあるまい。当然反抗して贅沢言う奴、統制に従わない連中は殺したり牢屋にぶちこむなりで排除するしかないだろう。

但し、国家が人民に対しどんなに経済的公平を期そうと、人間の出来不出来を公平にすることは不可能で、2割の優秀と2割の馬鹿、残りは普通が発生するのは仕方あるまい。従ってあらゆる分野で、優秀な人間が日本の10倍以上にいても不思議はない。最近の報道映像で見る限り、沿海都市部だけでなく、かなり内陸部でも市場経済がすっかり定着しているようだ。共産主義による統制経済から市場経済に舵を切り始めたのは、1978年鄧小平が改革開放路線を唱えてからの事だ。それからたかだか30年ちょっとで、一党独裁制を維持しながらここまで来たのだから驚異的だ。

戦後30年の日本を思い返せば佐藤内閣から田中内閣の頃になる。我が家にやっとカラーテレビが入るかどうかの頃だろう。中国も正にこれからエンジンが掛かって、後10年くらいは高度成長をしていくのだろう。そしてやがて世界一の経済大国になり、13とも15億とも言われる市民の暮らしぶりも遥かに豊かになるだろう。当然その20~30年後に来る超高齢化社会の暗さも、日本の比ではないと思うが、今はそんな心配をしていられないかも。ど素人の当て推量だから本当のところは分からない。

ともあれ、昨日のオバマ大統領と胡主席の晩餐会風景や記者会見を見ていると、今、世界をリードしている大国の親分二人てな感じで、実に堂々としている。にこやかではあるが、互いに短刀を懐にしてのやり取りだ。野次馬的に言えばやや胡親分の貫録が優っていると見た。止せばいいのに同じ日に、菅総理が各国大使館員を集めて何やら演説らしき事をしたようだ。内容に興味は無いが、何やら空疎な言葉を延々と並べたようだ。片方のパシリを勤める三下が、本当の戦場の遥か遠くで、親分の所作を真似ていきがっているようでみっともない。

政治体制は別として、小生はアメリカよりは中国に親しみを感じている(単に飯が美味いだけからかもしれないが)。でも10年程前中国に旅行した時、街角でホームレスと言うか乞食のような人に出会い、びっくりした記憶がある。当時知識不足で、中国は住宅を国家が面倒みるのでその時点では<ホームレス>の概念は無いと思っていたのだ。いまや都市部にはそれこそ日本の10倍以上のホームレスも居るかもしれない。

何れにせよ中国はこれから大変だろう。やがてソ連のように分裂するのかもしれないが、個人の自由(思想にせよ経済行為にせよ)をある程度認めて一つの国家として纏めるのは不可能に近いのではなかろうか。その意味で現共産党指導部は良くやっていると感心せざるを得ない。我が国に比べれば優秀な政治家が10倍以上いるのだからと考えれば無理もないが。兎に角軍部の暴発だけは優秀な政治家が抑え込んで頂きたい。

2011年1月20日木曜日

読後感「世界同時不況が既に始まっている」榊原英資 著

「2時間で未来が分かる!」とキャッチフレーズをかぶせているだけあって非常に読みやすく分かりやすい。今年の正月にはインターネットで、今年赤字国債の発行累積額が1000兆円を超えて、年末には国債の暴落が始まり、国債を大量に抱えている郵貯銀行や簡保あたりから金融破綻が始まりかねない。即ち日本が新たな世界恐慌の引き金になりかねない。とする山崎養世氏の記事を読んだばかりだ。

大体経済学者の言う事は難しくて分かりにくいのだが、榊原氏の説くところは、小生のような馬鹿な頭でもかなり理解出来たつもりになる。先の山崎氏の言うところとは正反対で、日本の赤字国債はギリシャやスペインのそれと同列に考える必要が全く無いから、現政権はもっと思い切って国債発行に頼ってもいいと太鼓判押している。大事な事は景気を良くすることだが、日本の役所に期待しても駄目だそうっだ。何故なら財務省にしろ経産省にしろ日銀にしろ、国の景気を良くする事を使命としていないからだそうだ。

だから政治の役割が大切らしいが、現政権に優秀そうな人が多くいても、世界的な歴史を踏まえ、グローバルな見地から我が国が取るべき道を明確に指し示すだけの見識を備えた人材が少ないのか、いないのか。そこら辺はかなり読者に不安感を与えるかもしれない。しかし本書の素晴らしいところは、経済の現状を世界的或いは日本国家としてどう見るべきかを検証しながら、全てをやや楽観的に捉えているところだ。

曰く円高はもっと進んでも不思議ではない。デフレも世界中の国家でバランスシートが崩れているので、急には回復しないだろう。当然給料も当分上がる事は期待できないだろう。等々、現状から近未来にかけての経済指標の捉え方は特に奇抜な事を言う訳ではい。ただその現実を声高に悲観するのではなく、日本の個人一人ひとりがどう受け止めたら良いのか、について提言している事だ。例えば「デフレ・物価の下落は、克服すべき対象ではない」である。

赤字国債なんかについても、先に述べた山崎氏とは正反対の意見かもしれない。どっちが正しいのか判断できる能力もつもりもないが、榊原氏は前向きに面白い提案を数々している。この明るさと前向きの姿勢は大いに評価したい。さやかな資産を抱えて将来に不安を感じている人には、一読の価値があろう。


2011年1月19日水曜日

プロとアマの差

昨日に続いて囲碁の話です。実例を小生も具体的に見て知っている事を書きます。囲碁のプロは初段から9段までの段位があります。実力の差については諸説ありますが、素人から見れば実力的には殆ど差が無いとも言えます。公式戦になれば皆同じ条件での勝負です。勝ち星が重なれば自然に段位は上がります。相撲とは違って、負け越しても段位が下がる事はありませんから、9段のベテランが若い初段に真剣勝負で対峙すれば負ける可能性は十分あるでしょう。幸い段位格差があると公式戦では当たらない仕組みになっています。

アマにも級や段位があります。これは囲碁普及の奨励的な意味もあり、余り当てにはできません。中には自分で○段格なんぞと称して偉そうにしている人が世の中には一杯います。ところがプロとアマの実力差となると、例外が無い訳ではありませんが、雲と泥か天と地ほどの差があります。通っている碁会所の主人も大学囲碁部で鳴らし、新聞社主催の全国囲碁大会優勝の経験もあります。それこそ格で言えばアマの最高位6段は勿論、10段格と言っても通用するのでしょう。

嘗てはプロに勝った(勿論ハンデ戦です)事もあるようです。しかし小生が2度ほど観戦したプロとの対局では実力差が歴然です。又そうでなくては困ります。一方はそれで飯を食っているのですか。ゴルフやお相撲等スポーツは勿論ですが、何事もプロとアマの実力差は似たようなものでしょう。職種に依ってはプロの資格認定の無い世界も沢山ありますが、恐らくプロになるにはその道に一意専心、最低でも15年や20年は修業を積んでいる筈です。一寸頭が良かったり運動神経が良いアマと一緒に考えるのは失礼かもしれません。

嫌味な自慢をすれば、小生は大学で社会学を学び(たまたま専攻しかな)、社会に出てからは職種として営業(即ち売り子、婆さんに言わせれば「世の中でもっともインチキくさい『広告』の」)を一意専心といかないまでも、40年程一所懸命やって飯を食いつなぎました。従って営業のプロと思っています。

たまたま読んでいた本に面白い事が書いてありました。「政治家は何のプロか、立法の?いや違う、即ち選挙のプロなり。これまで日本は、政策を立案するプロは官僚であった。」これは卓見だと思いました。特に民主党には若くて優秀な議員が多いので、プロの官僚には負けない、彼らの力を借りずとも政策立案が可能と勘違いする人が多いようです。これがそもそも間違いで、アマがプロに挑戦するが如き勘違いをしないで、政策立案のプロの力を十分活用すべきだそうです。

2011年1月18日火曜日

素人には先読み不能

将棋は出来ないが囲碁は好きである、但し物凄くへぼ。どちらもトランプゲームなんかと異なり、盤面に情報が全て露出しているのだが、先読みの難しさが問題で似ている。考えてみると人間社会も似たようなところがある。囲碁の場合、味方の石の連携が最も大事とされている。ある部分の大事な石どうしの繋がりは大丈夫との前提で、他の場所を打ち進めていくと、少し前まで大丈夫と思っていた大事な石の繋がりが、突然切られてしまうなんて事が小生クラスの笊碁ではよく起きる。

囲碁なんてものは盤面を全て黒と白石で埋めても、高々361個しか置く場所が無い。空間を囲いあうゲームなので、最後の局面では必ず黒白とも隙間が残る。従って1ゲームで使用する石数は互いに100個前後に過ぎない。これが舛目の線上に整然と並べばいいのだが、相手より少しでも余計に空間を囲うとするので、一つ間を空けて打ったり、桂馬と称して少し斜めに跳んで打ったりする。これにはそれなりのセオリーがあって、当初はそこを相手が強引に切ってきても大丈夫という前提で打っているのである。

ところが、ある場所に相手の石が来るとこの前提が崩れてしまう。笊碁クラスでも、この場所に来たらこう守ってくらいの事はある程度読んでいる。言えばこれも先読みの一つだろう。しかしそことは全く無関係の場所を打ち進めるうちに、つい数分前迄大丈夫と思っていた味方の連携が切られそうになっている、なんて事がよく起きる。相手の石がその危険区域に来た事が気がつかない。気がついた時は将棋で言う大手飛車取りみたいな事態になっている。

碁将棋の面白さは1手指したり打ったりする度に、形勢が千変万化する面白さにある。と言って己の弱さを慰めているのだが、プロは勿論アマでも強い人は、盤面全体を常に睨んで石が置かれていない空間に自分の頭の中で石を並べて考えるらしい。その変化は、コンピュータのように端から考えたら無限に近くなる。将棋の羽生さんが言っていたが、プロになると無限に近い変化を考える必要は無くて、最初から排除する手があるので、考える範囲が逆に凄く狭いのだそうだ。それでも数手数百手は瞬時に頭の中で検索するらしい。

笊組は問題の個所周辺しか考えないから数手は考えているつもりだが、やはり次元が異なっている事をいつも痛感している。

人間世界も同じと考えたのは、元自民党の大幹部与謝野さんが民主党の閣内に入った事。余程衝撃的な事件らしく、国会での論議が始まる前からマスコミは大騒ぎ、与野党ともに大ブーイングが起きている。囲碁の場合ならある場所に打った石は永遠にその場所から動けない。それでもある日突然相手側に取り込まれてしまう事が起きる。まして政治家なんぞは、ある場所に置いた黒石を白石に交換するなんて事も平気だろう。政党なんて石の黒白程の意味もなさそうだ。与謝野氏も保守増税派何て決め付けているが、腹の中で何を考えている事やら、政治の先読みなんて囲碁と同様素人の小生には殆ど不可能だな。

2011年1月17日月曜日

雪山賛歌

全国的に降雪量が多いようです。今シーズンは3回もスキーに行く事が決まりました。

今度の日曜日から1泊で野沢温泉で高校のスキー同窓会。
老いたりとはいっても元気な年寄りの集まりで、昼も夜も盛り上がります。

その週末の28日から金土と越後湯沢の岩原スキー場。これは友人が別荘用のマンションを持っているので、是非一度と前から誘われていました。もうそろそろ実行しないと、行くチャンスが無くなってしまうかもしれないと思って、今年実行する事になりました。

最後は可愛い孫と2月の3連休に志賀高原です。さすがに宿が取れませんでしたが、弟の家で面倒見てもらえそうです。

東京は雪が全く降りませんが、寒さと乾燥は近年まれかもしれません。風邪などひかぬようにして体調を整え、何れも今から楽しみにしています。

2011年1月14日金曜日

読後感「大本営参謀は戦後何と戦ったのか」有馬哲夫著

著者はどうも学者のようだ。だからかもしれないが、面白みを感ずる種類の読み物ではない。しかし考えさせられることの多い内容である。既に大雑把には知られている事であるが、戦後進駐してきたマッカサー占領軍に協力したとされる旧帝国軍隊の高級参謀たちの動きである。これを2005年に公開されたアメリカ国立第2公文書館に秘蔵されていた文書をベースに検証している。

終戦直後の様々な事件は、既に戦後の黒い霧としてノンフィクション物が随分出回っているのだが、日本で公式に認められているものは勿論何も無い。しかし、米国の公文書には、占領軍の諜報作戦に旧高級軍人が協力している姿がはっきりレポートされている。とはいっても、彼等が征服者に対して無条件にこびへつらい尻尾を振って行った訳でない事も明らかになってきている。

既に明らかなようにGHQの内部に、日本の民主化を推進しようとする民政局(GS)と情報を担当する参謀2部(G2)の対立があった。GS社会党系の片山哲内閣を押し、G2は吉田内閣を支えた事は有名である。当然旧軍関係者は噂通り、G2で諜報を総括するウィロビー少将と緊密な関係を構築してかなり協力していた事がここで明らかになった。しかしキャノン機関の作戦とされる、下山事件とか松川事件といった国内の血なまぐさい話については触れていない。

むしろ、本命的な所は警察予備隊から自衛隊に至る国軍の創設に、彼等がどのように絡んだかにある。日本の吉田茂、GHQのウィロビー、そして旧軍関係者がそれぞれの立場で、後の東西対立の世界構造をどのように睨んでいたか。旧軍関係者も決して只尻尾を振っていただけではなかった。米軍に守られて恒久の平和が確保される筈もない。戦争に巻き込まれるだけである事を喝破したうえで、自衛力装備を切に願っていた節が十分伺える。

ウィロビーの方もそれは十分承知の上で、互いに利用しあったみたいだ。予想通り朝鮮動乱が始まり、米側としては日本の軍人が持っていた中国やロシアに関する情報・知見は何物にも代えがたいものであったに違いない。これと代替に警察予備隊を発足させる事が出来た事を吉田茂は喜ばなかったかもしれぬが、少なくとも当時生きていた旧参謀たちは、犯した過ちの万分の一でも贖罪できたと喜んだ事だろう。

今までは、おめおめと生き残り殺されるのが嫌で敵に尻尾を振ったいやな奴と思ってばかりいたが、彼等の国家感、世界観についてはかなり見方を変える必要がある。



2011年1月13日木曜日

血のめぐり悪い

持って生まれた体質でどうも血の巡りが悪いようだ。頭が悪いのも感が鈍いのも、これで説明すれば簡単に納得がいく。この年になると、頭の悪さは殆ど不自由を感じない。むしろ物忘れが激しい方が、煩わしさから解放されるので何かと便利でもある。感が鈍いので苦労するのは囲碁が強くならない事くらいかな。年寄りで感働きが良すぎるのも困ったものだろう。学生時代は「どうして俺はこんなに先生の説明が理解できないのか、物覚えが悪いのか」とやや悔しい気持ちが無いでもなかった。でもそんな時代は半世紀も前に通過してしまった訳だ。

しかし、血のめぐりと関係すると思われる事で、現在でも困る事がある。一つは身体の抹消に充分血が回らないためではと思うが、このところの寒さで手先や足先が極端に冷たくなってしまうのだ。数日前も婆さんに「寒い寒い」と言って不思議がられた。試しに彼女の手を握ると段違いの暖かで、「やっぱり血の巡りが悪いのでしょう」と言う事になった。東京で寒いと言っても、手がかじかんで感覚が無くなる程ではないが、手袋をする等防寒対策は早め早めにと心掛けている。

お陰でここ数年は風邪で寝込む事も無いが、今週は我社の2代目社長がウィルスにやられたようで寝込んでしまった。インフルエンザとは聞いていないが、若くてもウィルスには勝てない。秋口にインフルエンザ予防のワクチン接種を勧めるべきだった。己の事に戻ると、二つ目は少し貧血気味(赤血球やヘモグロビンが少ない)であること。若干低血圧気味でもあるのだが、自覚的にはさしたる不都合はないものの、やはり冬になると起きるのはつらい。そりゃ誰でもそうだろう。

そこで心掛けているのは、なるべく規則正しい日常である。起床は平日6:30休日7:30、就寝は22:30迄と決めている。起床前と就寝前には布団の上で15分弱の軽いストレッチと膝の運動をする。起床したら布団は自分で上げる、敷くのは婆さんの役目。手洗いの後のひげ剃りと洗面は必ず風呂場でTシャツ1枚でする。結婚してから当分の間は、どんなに寒くても冷水を使っていたが、さすがに我が家も給湯装置が付いたので最近はお湯を使用している。

他にもいろいろな健康法を実践しているが、大事だと思うのは「少しやばそうだな」と思ったらすぐに風邪薬(改元の顆粒状のもの)を飲む事かな。只でさえ血の巡りが悪いと言う事は心臓が弱いと同じ事だろうし、それも相当にガタがきている筈だから、兎に角大事に大事にしなくてはと自ら心掛けざるを得ない。最後に、これは循環器系ではないと思うが、異常なほどの乾燥肌らしい。全身痒くてたまらないので皮膚科に行って診てもらった。診察後すぐに処置室へと言われ薬を塗布してくれた。同じ薬を貰ってきたが良く効いている。何年も前から内科の薬は沢山処方してもらっている。どれ飲んでも効いているのかどうか分からない。だから安心と言えば安心だが、皮膚科の塗り薬は恐いぐらい一発で効いた。

2011年1月12日水曜日

「阿久根市長選」聞いてびっくり所得の官民格差

鹿児島県の阿久根市で、2年半の間に2回目の失職した元市長竹原氏の後任を選ぶ選挙戦が始まった。余り関心が無かったのだが、阿久根市ではさしたる企業も無く、市民の平均年収が約200万円に対し、市役所職員の平均年収が700万円と知ると、関心を持ってしまった。関心を持ったからとて大した行動が起こせる訳でもなく、暇に任せてインターネットで関連ページを検索するだけのことだ。

正直なところ今までは、竹原元市長は住民の意思(議会)を無視して副市長はきめるわ、己の言いたい放題をブログで発信するわでとんでもなく悪い奴だと思っていた。少し調べてみるとまるで逆で、彼は上記したような市民の官民格差を解消のために相当努力しているようだ。支持政党は無いが支持者は「爺ちゃん婆ちゃん貧乏人」と言っている。警察の裏金作りを告発した現職警察官を副市長に持ってきた事も、市の現状を踏まえ、公益公共を考えて事らしい。マスメディアを信ずると、それこそとんでもない勘違いが生ずる危険性がある。

反対する市議側の意見(所得の官民格差は公式調査だから事実)をチェックしてないので、ここで私見を示すのはやや軽率かもしれない。しかし惚け老人が何を書こうと天下の形勢には関係無いので、敢えて言うと「本件に関してもマスコミの取り上げ方は相当おかしい。又は無責任かもしれない。」いつものことだが、斯く々云々の事実だけを書き連ねるので、現象的には元市長の行動が極めて異常なものとして印象付けられてしまう。メディアはいつも中立的な立場を前面に押し出すが、表面的な現象だけを報道した場合、本質と外れた印象を受け手に与える事は十分分かっている筈だ。

元市長の提起している問題をメディア側は自ら掘り下げてリサーチし、その結果を「現実はこうだ。」と公開して読者なりの判断を仰ぐのが役目だろう。阿久根市の市長リコール問題は、日本の官民格差のみならず、市民の政治意識や民主主義の成熟度を考える上で非常に示唆的な問題を含んでいる。マスコミは事象を矮小化して捉えるので、この問題も地域以外の人からすれば小生と同様で過去の話だろう。

小沢一郎の説明責任問題も同様で、表面的な現象を飽きもせず報道しているが、本当に疑惑ありとするなら、メディアは独自に調査して「斯く々云々だから、あんたは黒だ。悔しかったら答えてみろ。」と天下に公開すればいいではないか。そうすれば、メディアに頼り切っている馬鹿な政治家や評論家連中のコメントも少しは変わってくるだろう。

2011年1月11日火曜日

久し振りにお正月映画

この三連休が今年初めての婆さんと二人だけのゆっくりした休日で、互いに本当のお正月気分だったかもしれない。婆さんは正月疲れを癒す事が出来たかどうか?亭主の料理が簡単に済む訳でもないかもしれぬが、少なくとも客用の料理を考えずに済んだのは事実。こちらは古い話になるが、中学から高校時代、お正月と言えば元日から映画を見に行くのが楽しみだった。今年は三が日に休んでいたルーティンの水泳をしたり、囲碁クラブに行ったりはしたが、久し振りに映画も見た。「アンストッパブル」如何にもアメリカ映画らしいヒーロー物語。

主人公は機関車の機関士と車掌(と言っても機関助手)。嘗て「バックドラフト」なんて消防士を描いた映画もあったが、ハリウッド普通の職業人をスペクタルドラマに仕立てるのが上手いなぁ。観た事は無いのだけれど、日本にも職業人をテーマにした映画が無い訳ではない。「海猿」何て映画のタイトルは良く耳にするが、何故か観に行かない。予告編など見ていて、最近の日本映画は大分水準が上がっていると感じる事もあるのだが、どうも嘘っぽいのだ。

ハリウッド映画もアメリカ人が見れば、嘘っぽさは同じかもしれない。何事も知らぬが花か。この映画もCG等の最新技術が駆使されているのだろうが、良く出来ている。いつも思うのだが、車の衝突とかヘリの墜落シーンはどうやって撮るのだろう。どう見ても本物に見える事もあるのだが、ひょっとしたら本物を使っているのかもしれないと思ったり、否そんなことあり得ないだろうと思ったり。何れにしても掛かる経費も稼ぐ金額も大分違う事は間違いない筈で、そこの因果関係を日本の映画人がどう考えるかだろう。

機関車なんか絶対本物を使えない筈だが、迫力満点なシーンが何か所もある。役者も良い。主役の黒人は知っているが相棒の若い方は初めて見たような気がする。観客のこちらが子供っぽいせいもあるし、「映画館は暖かいよ」と婆さんが言っていた通り、寒い冬には快適な娯楽だった。

2011年1月7日金曜日

読後感「情報と外交」孫崎 享 著

元外務省国際情報局長であり、日本では数少ない情報のスペシャリスト執筆の著書だろう。我々が知らされる情報に関する疑問が益々膨らんでくる。孫崎氏は外交的な見地から、一般的に言うところの情報と行動のための情報、即ちインテリジェンスを日本がどのようにハンドリングしているかを述べている。

平たく言えば、日本の情報活動は極めてご粗末である事に尽きるだろう。国益をかけた外交的な意思決定は全て、如何に広く深く情報を収集集約し、深い知見に基づく適切な判断がなされるか否かに懸ってくる事は言うまでも無い。特に究極の外交問題である安全保障や戦争については、インテリジェンス無しの意思決定は考えられない。歴史的に見れば、先の大戦前夜からの帝国海軍の暗号漏れなどはその典型らしい。

現代においても、日本政府の情報に関する意識の低さは相変わらずで、予算規模とか人員以前の大問題。しかしこれは戦勝国のアメリカが極めて意図的にそうさせているからに他ならない。大韓航空機撃墜の際明らかになった、自衛隊の情報収集能力なんかについても、日本がそれなりの部分的能力を独自に持つ事をある程度認めても、その運用は米国軍と一体にならないと発揮できないよう、要所要所に米軍の鍵が隠されているようだ。

一例を上げれば、北朝鮮がテポドンの発射をする準備に入っているので3日後には発射される、は日本でも関係者は皆知っているのだそうだ。アメリカ軍が衛星偵察の情報を基に事前に知らせてくれているので、自衛隊関係者や内閣のトップは発射されたと言っても本当はびっくりしていないらしい。知っている情報を国民に知らせる事が出来ない理由は、軍事利用を目的とした情報なので目的外利用は認められていないだけの事らしい。

何とも情けない話だが、現実なのだろう。最後に面白い事も書いてある。政府の中に存在する情報部門と政策部門の対立についてだ。欧米でもこの対立は常にあって、どうしても政策部門が強く、政策遂行に不都合な情報は潰される傾向が強いようだ。日本外務省が海外から受信する公電は、平時でも1日に500本くらいはあるらしい。玉石混交であろうと、ここからどのように大事な情報をキャッチするかが、国家の命運を分ける事に繋がる筈。

著者は外務省時代、省内で情報を共有するシステムを構築することで、一官僚の狭い了見で大事な問題が握りつぶされたりするのを防ぐように努力したようだ。しかし残念な事ではあるが、これも政策優先主義の前で上手く機能していないようである。宗主国アメリカと属国日本の関係理解しない限り、現政権の沖縄問題なんかも表面に現れた一連の報道だけでは、何も分からないのだろう。恐らく政権についた途端、権力者は「こんな事までアメリカが知っているのか!」とびっくりして恐怖に慄いているのではなかろうか。

てな事を暗示している。



2011年1月6日木曜日

初めて知った四文字熟語

200枚ほど頂いた年賀状の中に、初めてお目に掛かる四文字熟語があった。多分小生同様ご存じない方もいらっしゃるのではと思うので、披露したい。「守株待兔」読みは「しゅしゅたいと」との事。広辞苑にも掲載されているようだが、主に中国で用いられているらしい。そう言えば賀状を下さった方は中国通の方である。意味は、日本では「守株」として用い、古い習慣を固守して時勢に応ずる能力のないことや、少しも進歩しないこと、中国では「守株待兔」で、自分では努力しないでうまい収穫にありつこうとすることをということ。だそうです。

どっちにしても日本の政治の現状を他山の石として、自らを戒めているような文面であった。小生自身も40代の初め頃の年賀状で、自らを励ます意味を込めて「駑馬十駕」と言う四文字をあしらった記憶がある。駄目な奴でも人様の10倍努力をすればなんとかなる。との言葉を聞きかじってのことだ。当時は今と違って、もっと頑張りたいと言いう気持だったのだろう。そんな事を思い出していると四文字熟語とは次元が少し違うのだが、このお正月、言葉に関連して別のことを思った。

英訳が難しい日本語が沢山あるようだが、日本人が多用する「頑張れ!」は英語圏で概念が見つからないらしい。お正月のテレビ番組だったと思うが、プロゴルファの丸山茂樹氏が話していた。「ヘエー」と思いながら気になっていたので、Yahooの和英辞書検索で引いてみると案の定引っかからない。丸山氏が何と言ったか忘れてしまったが、向こうでは他人を激励(チアアップ)するのに「いいぞ、いいぞ」とか「ウェルダン」的なフレーズ用い、「もっと気合を入れろ」的なこと即ち「頑張れ」とは言わないらしい。

日本では娘に対して「気合だぁ」を10連呼する親父も居るくらいで、激励の言葉として「頑張れ」は常識。小生も70歳になって未だ山に行こうと言うくらいで、男して「頑張り」が最高の美徳くらいに思って生きてきた。しかし落ち着いて考えると、少し欧米人の感性を見習った方が良いのかもしれない。

2011年1月5日水曜日

振舞い神の如く・・・

ロッキード事件以来の「政治と金」の問題で日本人はメディアにマインドコントロールされている。と主張する人がいる。聞いてみると成程と思わないでもないので、彼の言い分を少し披露しておきたい。主張している人は元TBSの報道部員(記者)で現在はフリージャーナリストの田中良紹さん。この人の経験談、取材記者の現場から記事が出来るまでの工程が実に興味深いのだが、本日は割愛。

政治家なすべき最も大切な事は予算の配分である。実のところ、税金を如何に使うかは言うは易くして大変な問題なのだ。限られた予算を切り分けるについては、切り捨てられる人が必ずいて、これによって死ぬ人が出るかもしれない。当然切り捨てられる側は必死の抵抗をするだろう。その攻防を本来政治家が代わりにやらなければならない筈だが、日本では昔からこれが真剣になされたのを見た事が無い。何故か、即ち日本では予算の配分を官僚が差配しているからである。政治家の手に負えないのが正直なところだろう。

代わりに政治家は昔から定番として取り上げ、「政治と金」で国会を右往左往させる事を繰り返している。世界的に見ても、国会が政治と金の問題でこんなに右往左往するのは日本だけ。政治と金は何処の国でも、言うまでも無く司法の問題。国民が投票で生き死にを決める政治家を、もし悪い事をしたら司法が断罪するのは可能としても、立法の場で政治家が政治家を断罪できる筈も無い。野党政治家も十分分かっているのだが、パフォーマンスとして効果があると信じて、唯騒ぐだけ。問題解決が出来ると思っている人間は一人もいない、肝心な質問に対して「現在司法問題となっていますので、お答えしかねます。」で終わるのは想定内。これは昔の野党共産党社会党の悪い癖、自民党も分かっているのに、野党に転落したら同じ手法を取っているのは貧すれば何とやらだ。

もし司法的な事を問いただしたいのであれば、国会は検察を喚問して聞くべきだそうだ。「お前たちはどんな捜査をしたのか、その結果何故小沢を不起訴にしたのだ?」と、アメリカではクリントン大統領時代にホワイトウォーター事件の大スキャンダルが発生して、特別検察官を国会に喚問してこれをやったそうだ。しかし誰もクリントンを国会に喚問すべき何てアホな事を言い出した人間はいないとの事。何れも聞いてみると、「尤もだなぁ」なんて思うのは小生だけだろうか?最近はフリーのジャーナリストがインターネットで個性的な見解を発表するので面白い。

何れにせよ、大手マスメディアの報道には気をつけなければいけない。誰かの都合の良いように相当偏向した情報になっている可能性がある。誰かとは記者クラブを操る官僚だと言う人、権力者だと言う人、否もっと上のアメリカの意向だと言う人様々だ。また、政治ネタの場合は幾つものメディアで同時に発信されるニュースを恰も事実のように受け止めてしまうが、これも後に検証するととんでもない間違いだった事は枚挙にいとまが無いようだ。

我が家でもNHKと朝日新聞の受信料購読料は年間5万円を超えるだろう。謂わば、国民を信者として今や神か新興宗教のような力を持っているのが大手マスメディアだ。これからは徐々に化けの皮が剥がれてくる事を期待しながらも、5万円以上のお布施を支払っているのも馬鹿みたい話だ。その点娘はしっかりしている、確か新聞はとっくに購読をやめているらしい。

2011年1月4日火曜日

特段の事もなし

まだメインのお得意様の仕事始めにならないので、こちらはとしては明日の準備だけ。少し暇なので初詣の事をもう少し書いておこう。もう20回以上伊勢神宮参拝を続けているが、この10年くらいは大晦日の日帰りだった。2年越しのお参りは初めてである。JTBが企画するバスツアーに参加したのだが、先ず驚いたのは参加者の多さである。集合場所が新宿、東京、横浜3か所書いてあって、それぞれの出発時刻が18:00,18:30,19:00となっていたので1台のバスがその集合場所を回って客をピックアップするものと思っていた。

ところが、何と新宿で10台、東京駅に9台、横浜駅に5台で合計24台のバスが用意されているとの事。勿論車内は満席である。これには正直びっくりした。自分自身少し変り者と自覚はあるが、首都圏だけでも約1000人もの変り者が居る訳で、変人奇人の定義を見直さなけりゃとの思い。乗車したバスはヤサカバスとあったので本社は京都らしい。ドライバーは2名で添乗員が1名別に乗車している。聞くとJTBとして今回初めての企画だったらしい。料金が8千円と安い訳も分かった気がするし、何と言っても企画としては大成功だろう。

最初に添乗員から「伊勢参り初めての方?」と質問に手を上げた人は3,4人だけだった。高齢者が多いのは当たり前だが、娘や孫を同伴している女性が何組か居た。この場合男性はどうなっているのか、お離婚さんかななんて余計な事を想像してみる。隣は小生とほぼ同世代の男性で、昨年大晦日は讃岐の金比羅山までバスツアーをしたとの事。しょっちゅう旅行している様子でどうも独居老人の感じだ。時々不満めいた言葉をつぶやくがそんなに気にならない。

前列はそんなに老けては見えないお婆さんと我が娘と同じ年格好の娘さん、こちらも殆ど話声が聞こえない。後ろのシートが問題で、60に手が届くか届かないかの夫婦。仲が結局良いのだろう、常に口げんかをしている。しかもその間に携帯のメールを見ているのか送信しているのか、携帯の使い方を巡っての口論が激しい。他人の迷惑を気にしない根性も見上げたものだが、よく飽きないものと感心もした。

添乗員としては、8時頃から紅白をテレビで見せる予定だったようだが、結局テレビはまともに受信できず、後ろのご夫婦の口論を7時間近く聞く羽目に。これも1万円を切るツアーならではと我慢、我慢。旅そのものは非常に順調で、1時半より少し回った頃には内宮近くの駐車場に到着、5時過ぎまで自由時間だったので参拝もお土産を買う時間も余裕たっぷり。むしろ時間をもてあまして、五十鈴茶屋で新年の雑炊定食を食べたり、赤福で餅を食べたりしなければならないくらい。

5時30分には又バスに乗って、伊勢市外の朝熊ヶ岳なるところに連れていかれて伊勢湾に上る初日の出を拝む事になっている。1時間も掛からずに着いてしまったのだが、日の出は7時1分とのこと。標高は555mしか無いと言っても伊勢湾からの吹きさらしで滅茶苦茶寒かった。でも辛抱した甲斐があって、一昨日の日記にアップした結構な日の出を拝む事が出来た。家内に言わせると、「初日の出を拝めば良い事があると言うから良いじゃないの。」有難いことだ。

後は鳥羽港から伊良子港までフェリーに乗った。寒さは兎も角として天気が良かったので久々に海の風景を楽しむ事が出来た。帰路はさすがに車が多く、足柄のサービスエリアの休憩後、渋滞に巻き込まれ1時間半ほど立ち往生して新宿着が予定の6時から8時半くらいになったが、全体とすれば良く出来たツアーだったと言える。来年以降も行くとすればこれが良いだろう。

2011年1月2日日曜日

初詣


大晦日の夜6時に新宿を発って日帰り(とは言え実際には27時間近くかかった)のバスツアーで伊勢神宮の初詣をしてきた。日本海側は大荒れの荒天だったようだが、道中も伊勢地方も幸い良い天気に恵まれて、無事参拝を済ますことができた。
ただし、ツアーでのことなので恒例にしてきた外宮や猿田彦神社、月読宮には参拝できなかった。これは致し方ないとしたものだろう。

代わりと言うのも変だが、鳥羽湾を望む朝熊山(あさまやま)山頂で初日の出を拝んだり、鳥羽港から伊良子港まで小1時間のフェリーの旅を経験することができた。双方ともめちゃくちゃ寒かったが、美しさも格別であった。

昨日日記を書こうかと思ったが、さすが一晩徹夜状態だったので気力が湧かなかった。おかげで昨夜は本当に熟睡できた。おまけに今日は久しぶりに孫たちと会うこともできた。中学1年生の孫は小生を見下ろすまでに大きくなっている。中学生はもちろん6年生の弟も言うことがすっかり大人びてきた。新年のスタートは今日、すべて快調だ。