2019年6月30日日曜日

大学同期会

江戸だけのことかもそう知れぬが、去年に比べると今年の梅雨は相当しっかり降り続いている。昨日は大学の同窓会があって、少々面倒くさいが傘を持って夕方日比谷の帝国ホテル(地下1階に学校のクラブがあるから大したものだ)に出かけた。この同期の同窓会、文学部幹事の勧めで初めて出席したが、80人以上参加者が居たことに先ずビックリ。夕方5時からの会で3千円会費は、どうしてこんなに安いのか不思議に思うほど料理も飲み物とも充実している。

誘ってくれた幹事役が言うには体育会系が中心の会とのことだったが、文学部は文系の友人も何人かいて、久しぶりの邂逅を互いに喜んだり、妻の悔やみを言ってもらったりした。小生にとって大学時代の友人は親の職業や私生活の大部分を知らず、キャンパスと精々雀荘くらいの付き合いしかない。そこが高校時代の同窓会とは大きく違う。学内では系列の学校から上がってきた学生が、授業以外では何かと中心的存在となるのが当たり前。

高校以前からの学生が何割いたか分からないが、席が予め学部ごとに設けられていたにも拘らず他学部の者が入り乱れて交換する様子や、応援指導部のリードで全員がスクラムを組んで様々な応援歌を何曲も歌い上げるのはこの会の特徴なんだろう。結構なこととは思うが、学生時代に野球の応援なんか正直1度しか行ったことがないので、やや閉口したのも事実。

高校の同窓会であれば、病気自慢や子や孫の自慢、要するに家族の近況など語り合うのを普通だと思う。昨日の会は学生時代の思い出と友人たちの消息が中心だから、こちらは専ら聞き役のみ。それでも同じ苗字の女性が居てこちらのことを覚えていてくださった。こちらは勿論彼女の記憶は無かったが、彼女が「よく授業に見えていらっしゃいました。」とのお言葉を頂戴して感激した。そう言えば、なるほど授業には比較的真面目に出ていたかもしれない。

問題は学んだであろうことを何一つ記憶していないことだ。見渡すと、こちらもそう見えるのだろうが、嘗ての体育会の強者達も殆どがヨボヨボしている。嘗ての浪人生や留年生は80歳以上だから当然だろう。あと何回出席できるか分からないが楽しいひと時であったのも事実。

2019年6月28日金曜日

大阪G20

やれ熱帯低気圧だとか台風だとか天気予報が大騒ぎしてくれた割には、風も雨も大したことは無かった。ただ何とも言えない蒸し暑さには閉口する。しかしフランスやスペインの暑さを思えば我慢すべきかもしれぬ。彼の地は連日40度を超す猛暑で、6月にこの状況では先が思いやられるらしい。人間様は勿論だが何と言っても農作物、葡萄なんぞ日照りの方が良いのかと思いきや、これも程度問題とのこと。

いろいろ思っても我慢できぬが凡人の証拠、幼いころ庭先で行水を使ったことなど思い出して真昼間からシャワーを浴びる始末。浴室から出てビールでもと思ったが、買い置きが無いことに気が付いた。嘗ては愛用の350缶は無くても500缶であれば常に20本くらいは用意されていた筈。正に独居の悲哀だ。せめてエアコンのスイッチを入れてパソコンに向かっている。

昼飯を食いながら店のテレビを観ていると、本日は大阪G20の話題で持ち切り。G20と言うから20か国首脳の集まりかと思いきや、何と合計で38の国や組織の首脳が集合したとのこと。最初のイベント記念撮を生で観ていると流石大人数、我が家の婚礼時の記念撮影を上まわる人数だ。ふと思ったのはこれに要する費用のこと、大阪市民に迷惑を掛けていることは別にして、全国から動員されたセキュリティ関係費用の他、アナウサーがしきりに日本が招待したようなこと言っている。

と言うことは、足代は兎も角宿泊代なんかは日本持ちの可能性が大きい。首脳ご一行様を何人迄で切るかは分からないが、馬鹿にならないコストが掛かっているに違いない。もちろん政権からすれば数億や数十億円は取るに足らない金額でもあろう。参加国が回り持ちで主催を務める決まりだそうだから仕方ないのかもしれぬ。招待する国の数は毎回同じ、或いは主催国の一存?

分からないことは多いが「寄らしむべし、知らしむべからず」か。納税者の一人としても、これで国家の安寧が保たれるなら善しとしなければならないと言うことか。

2019年6月27日木曜日

千載一遇

千載一遇とは梅雨の晴れ間の昨日の天気。呑気な爺さんとしては、昨日奥多摩の山から一応無事帰宅、夜遅く帰宅して殆どバタンキューの状態。先ず山歩きの詳細を書くべきかもしれぬ。しかし、そんなことより大事な問題が発生している。明日から始まるG20を目前にトランプ大統領が一昨日かに発言した「日米安保はアメリカに不公平だから破棄した方が良いかも」発言。これに関して「千載一遇」と一言触れざるを得ない。政府がオタオタしてるのは仕方がないが、野党はもっともっと大騒ぎしてメディアを煽るべきだ。

アメリカが日本を守ると言うが、先の大戦以来アメリカの青年が日本のために血を流したことは一度も無い。その間に日本人はソニーのテレビで番組を見ている。「?なんだと、ふざけるな」いまこそ野党とマスコミは声を上げて日米安保の不平等を訴えるべきだ。ここでボケ老人が何か書くより、マスコミは、この条約によって日本が如何にアメリカに蹂躙され、70年の長きにわたり属国属州の如く扱われてきた事実を詳らかにすべきだ。

安保破棄は大いに結構、これで初めて自衛隊も真剣にアメリカも1敵国として考えざるを得なくなる。自主独立とは元から周囲の諸外国は友であり、一皮むけば敵となることを想定しなければならない。アメリカだけが敵ではありえないと考えること程危険は無い。まさか生きているうちにこんな時代が来るとは思ってもいなかった。是非国を挙げトランプ氏の発言を真正面に受け止めてほしいものだ。

現政府にその根性が無いことは明らか、政権が変わらなければ無理の筈。諸外国では現行政治体制を巡って様々な動きがある。無気力に過ぎた我が国でも世の中が少し変わるきっかけになること期待したい。

昨日のハイキングについては下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1908452.html

2019年6月25日火曜日

定番の思い付き

久し振りに陽射しが戻った。天気が悪いのは季節柄当たり前だろうが、やはり晴れ間は嬉しい。今月はハイキングは諦めざるを得ないかと半分思っていた所に絶好のチャンス到来。気を取り直して急遽奥多摩の山に行く気になった。予て知り合った鴨沢の民宿に連絡すると、丁度うまい具合に最初は「今日は仕入れの日なので、無理です。」と断り気味の返事。こちらは遅いなら遅い方が有りがたいと粘っていると、ご主人に変わってこちらのことを思い出してくれた。 

受け入れてもらえることになったので、これから準備して1時間半後には出かけなければならない。その前に一番の問題は、明日のゴミ出しが出来ない事、前の奥さんは留守のようだし、左右どちらの家に頼むかが問題。山歩きの準備も必要、時間があるようで忙しい。兎も角、上手くいけば七ツ石山から鷹ノ巣山を回って来るつもり。ご主人が言うには「熊情報が出ているので熊鈴を忘れぬように。」帰りは早くても明日の夜遅くになる筈。明日のブログは休みますが、明後日もしアップしなければ異変が起きたとご承知願います。 以上ご報告まで。

2019年6月24日月曜日

本論以前に

本論を書く前に時事問題で一言、イランとアメリカの対立は容易ならざる事態では、と心配が膨らむ。大きな報道とはなっていないが、アメリカは昨日、特殊部隊がイランの軍事施設をサイバー攻撃で破壊したとの声明。人的被害が発生しないなら戦争ではないのか?やられた方が黙って引っ込むとは考えにくい。人的被害が発生する戦にならぬことを祈るしかない。。

読後感『「身軽」の哲学』山折哲雄著

感想文が難しい。アップするのをやめようかとも思ったが、折角購入した書物に、何も言わずにしまい込むのも少し残念だから簡単に纏めたい。

書名の「身軽」は我が生活信条と同じ、善悪は別として味方を得る思いで読み始めた。著者は80歳半ばを過ぎた著名な宗教学者、NHK教育テレビでは何度も拝見している。脳みその中身のみならず長い人生経験で得たものはこちらと大違いに重いものであったことだろう。失礼ながら晩年に至り最近は「何とか身軽になりたい」と始終考えておられたようだ。

手始めは蔵書の整理、相当悩まれて全ての処分に至ったとのこと。これも再び失礼を顧みず書けば、9歳年下の小生は既に数年前実行してしまった。勿論小生の場合は蔵書と言える程でもないし、読書の量や質が全く違うのは想像に難くない。勝手に大哲学者と同じ行動パターンと決めて悦に入っているだけである。著者が重い人生をを捨てて身軽になると決めたのは、ある日突然襲ってきた病、脳卒中で倒れ臨死状態の中で涅槃の心境を実体験されてのこと。

頭に重いものが詰まっている人は違うものだ。そこまで至らないと身軽さが分からないのかとも思ったりしてだ。笑い^^元来頭も空っぽ、財布も空っぽ、、やがて来る日があるとは承知していても対策何も無し、今のことしか考えない小生だが、我が哲学と共通していると自己満足した。

内容は著者が理想とした西行、親鸞、芭蕉、良寛の人生や遺作を紹介している。何れも江戸時代以前の人物で、薄っぺらな近代人に模範となるような人が見つからないのだろう。

2019年6月23日日曜日

慰霊に代えて

先の大戦終結直後、昭和20年夏ごろだと思う。七つ違いの末の弟を取り上げてくれた産婆さんがサイパン島から引き揚げてきて、一時我が住まい(既にに3家族同居していた)身を寄せた。ご主人は玉砕の道連れに、息子さんと二人でアメリカ軍に収容され、運よく故郷長野に辿り着いた人だった。ご職業柄もあるのだろう気丈な方で、玉砕と報道されていた島からの帰還だから家族は奇跡のように受け止めた。当然玉砕の真実は何度となく聞かされたことを子供心に憶えている。

産婆さんと我が家が親戚でないことは確かだと思うが、その後もちょくちょく遊びに来ていた息子さんについて我が家でもかなり心配していたようだ。暫くしてきっと父が口添えしたと思うが、県庁職員になることが決まり、我が家にもホッとした雰囲気があった。その後息子さんも我が家に来るたびに我々子供とも遊んでくれていた。今にして思うと所謂非正規雇用だったのではないか、給料もきっと安かったことだろう。

ところが数年後のある日、明日から遠くに行くことになったので暫く会えないとのこと。残念な思いをしながら理由を聞くと、警察予備隊と言う制度が出来たのでそこに入隊して、滋賀県に行くことになったとのこと。警察予備隊が軍隊もどきであることは、既に中学生ぐらいになっていた小生にも理解できた筈。しかし組織が県庁と同じ潰れる心配が無くて、生涯安心できるのでと我が家でも喜んでいた。それから数年は年に1回ぐらいは休暇の度に訪問してくれて、階級が少しずつ上がっていくことを嬉しそうに話してくれた記憶がある。

小生も未だ軍国少年気分から抜けきっていなかったのだろう、規則正しい生活に、衣食住の無償支給、アメリカから輸入された小銃の性能の良さなんか熱心に聴いたものだ。そして高校3年生になると祖母が、お前も最近創設された防衛大学に入れれば良いのに、なんて言うものだから、その気になって調べてみたが、防大の入試は他と違って9月か10月兎に角秋、我が学力ではとてもじゃないが無理なことがすぐ分かった。あれから半世紀以上、産婆さんはとうにお亡くなりになったろうし、お兄さんの消息も全く無い。

下らぬことを長々書いた。縁は薄いが今日は「沖縄慰霊の日」、最近トンと聞かない同じ玉砕。しかも市民の犠牲者は母数が異なるのでサイパンの比ではない。産婆さんの息子さんもそうだが、どんな悲劇を中を潜っても、再び軍関係の仕事に就く市民を非難することは出来ない。沖縄ではアメリカ軍のために働く人も沢山いるだろう。戦争を起こすのはこの人たちではなく、政治家や戦争で一儲けを企む商売人であること銘記する必要がある。

戦禍を潜った訳ではないが、きな臭い世の中なのでせめての心算だ。

2019年6月21日金曜日

固定観念

政治家であれジャーナリストであれ、事実を事実として見つめ、自己の中でこれをこなして判断することは易しいようで難しいらしい。己を棚に上げて言えば、最近のテレビ番組を観ながら思うのはいつもそのこと。どうしてかくもステレオタイプ、固定観念に凝り固まった人間ばかり登場するのか?政治家の場合は、政党政治だから党派の決定をオウム返しに口にするのは仕方ないのかもしれぬ。

しかしテレビ番組の司会者が、頭にインプットされている予見をもって司会をするのを観るのは情けない。昨夜観ていた番組BSフジ「プライムニュース」で面白い現象が起きた。夕食の後片づけなどしながらのことなので、最初余り真剣に観ていなかったが、後半の部分だけで特筆に値するかもしれぬ。

テーマは『米のインド太平洋戦略 米×中露の野望と日本』ゲスト:古森義久 産経新聞ワシントン駐在客員特派員、渡部悦和 日本戦略研究フォーラム・シニアフェロー、三船恵美 駒澤大学法学部教授

この番組は政権べったりが際立っているので、サブタイトルに「アメリカの狙いを読み解く」なんて仰々しく書かれても、アメリカのインド太平洋戦略が、何で日本の存立・安全保障と関わるのかさっぱり分からぬ。反論できる論客を一人くらい配置しているなら兎も角、司会が反町理(フジテレビ報道局解説委員長)でゲスト筆頭が古森義久とくれば観なくても落としどころは決まっている様なものだ。

前半は多分筋書き通りに日米同盟万歳で進んでいたと推察している。ところがこちらが腰を落ち着けてに見始めた頃合いから、渡部悦和氏が面白い論理を展開し始めた。この方は東大出身で陸上自衛隊の陸将だから、トップに近いところまで昇りつめたらしい。勿論アメリカ陸軍との協力関係においては実務経験者でもある。最後にURLを上げるのでご用とお急ぎでない方はゆっくりご覧願いたい。

台湾と中国本土で武力衝突があれば、日米同盟の関係から先ず日本自衛隊の潜水艦なり航空機が先発することに決まっている。みたいことを言い始めたのである。この論には反町氏も慌てただろうが、先ず大昔のクラスメイト古森氏が反論し始めた。いきなりそんなことできる筈がないでしょう。幾ら台湾海峡が近いからと言っても、存立危機事態と認定されずに米軍に先んじるなんて無理でしょう。

てなことで渡部氏を説得に努めるが、渡部氏容易に納得しない。ここまで来ると自衛隊員への刷り込みもよくしたものと思わずにはいられない。
http://www.bsfuji.tv/primenews/index.html

2019年6月20日木曜日

思わぬところに

最早たいした望みは無い。強いて言うなら1日でも長く健康と頭の柔軟性を維持して爽やかな明日が来るのを楽しみたい。友人から電話あり、明日は免許証の更新に行く。その前提として先ずは認知症の検査が必要とのこと。東京に住んでいるのだから免許は不要だろうと口から出そうになって飲み込んだ。人の望みは様々だ、後期高齢と言われても運転したい人は多い。ご近所で自家用車を見なくなった家は1軒だけ。結構なお年寄りが皆さん車を利用されている。

ご本人は良いだろうが、奥方が旦那の車に頼り過ぎると足腰の衰えが早まるだろうが、これも余計なお世話だ。女房を亡くして以来3日とあけずスーパーに買い出しに出かけて思うのは、お年寄りの自転車乗りの怖さ。足腰が弱れば平衡感覚も劣化するのほ必定。ぶつけられるのは嫌だし、ご本人が転ぶのも見たくないけどたまたま今日は見てしまった。思えば女房愛用の自転車を玄関先に置いてはあるが乗った記憶が無い。

比較的新品だったものが既にサドルは埃が薄っすら積もり、心なしかクロームメッキの光が鈍り錆が浮き出るのも時間の問題かもしれぬ。捨てようかとも思ったこともあるが、防犯の意味で置き続けている。6月も半ば過ぎて今日はかなり蒸している。梅雨も間もなく明けて暑い夏がやってきそうだ。暑くならないうちにハイキングに出かけたいが今月は無理そう。昨年は空梅雨だったこともあり3回も出かけている。

面白いものだが天気のせいばかりではない。火曜日に羽目を外して飲み過ぎたのは昨日書いた通り、悪いことに昨日は朝1番10時に池袋東口にある歯医者に予約が入っていた。そのためには9時には出かける体制に入っていなければいけない。朝2時の就寝だから3時間半で起きて一通りのことを済ませて、歯医者に行った。半年ごとの定期健診である。先ほど昼飯時に店のオヤジが「酒臭い」と言われたでしょうとのこと。

勿論それを心配していたのだが、言われもしなかったし極めて愛想よく接してくれて、最後に「何の問題もありません、このまま普段通りに続けてください。」で終了。それはそれで結構だったが、高齢化の影響は思わぬところに現れる。昨日の朝起きぬけにこれまで経験したことが無い猛烈なこむら返り、左ふくらはぎに強烈な痛みが起きてつってしまった。思い当たるのは飲みすぎだけ。

ハイキング用に処方してもらっている津村芍薬甘草湯68を服用したが1日中調子が悪かった。

2019年6月19日水曜日

何年振りか



昨夜は友人(大昔の後輩社員)がミュージシャンに変身、京都から東京は銀座まで来てライブをすると言うので聴きに行った。ライブハウスは画像でご確認いただける通り1958年来の老舗TACT。大学に受かって上京したのが1959年の4月のことでだから記憶にあってもよさそうだが思い出せない。

当時新宿の安アパートに兄と住んでいた。新宿にも渋谷にもジャズ喫茶はあるにはあったが本場は何と言っても銀座、中で最も人気があったのが「銀座ACB(アシベ)」のように記憶する。兎も角何年振りより何十年振りのことだ。夜7時の開演で終わったのが9:15、多分百人強の会場が超満員、出口に長い行列が出来て友人が一人一人と握手していたので地下1階から地上に出たら9時半頃になっていただろう。

会場は小さな丸テーブルに椅子が4脚、ワンドリンクが入場料に含まれていたが、当然1杯では足りない。途中15分の休憩にもう1杯を追加注文、ジントニック600円也だから銀座にしては安いだろう。ライブも楽しかったし、これで帰れば問題無かったが、友人の配慮で同じテーブルに彼と同期で未だ現役で残っている社員を組み合わせてくれていた。更に会社は異なるので初顔合わせとなるが同年配の方が一緒で、彼の歌に同じように盛り上がった。と言うか、彼の曲が全て60歳代の初老の人への賛歌の趣があるので、同様の感動を覚えたに違いない。

場所が銀座でもあるので、まっすぐ帰るのも心残り。現役の後輩が直ぐに馴染みの店に架電、空席を確認してそこに直行。昔懐かしいショットバー、後輩の選択眼を改めて評価した素晴らしい雰囲気の店。ショットバーだから飲み物は豊富だしつまみも気がきいている、更に銀座らしく確か3人いたような気がするがバーテンダーが洗練されていた。(店名:バー・エルロン)フランス語で補助翼にとの意らしい。当然ながら盛り上がりなおして、気が付けば日付代わりが近づいていた。

店の勘定は後輩が持つと言い、新しい友人はタクシー券を使ってくれと言う。流石これは辞退させてもらったが、僅かばかりの年長故にすっかりいい気分。帰宅すると既に1時近く。一昨日も風呂に入っていなかったので昨日はそうもいかず寝たのが2時近かった。頭がボーとしているが只でもそうなんだから、どうと言うことは無いだろう。

友人が、ライブ中の撮影は禁止どころかジャンジャン撮ってネットに上げての拡散歓迎と言うことで、画像を掲載する。ボーカルが当の友人。

2019年6月18日火曜日

林住期

昨日は梅雨の晴れ間に誘われて運動をし過ぎた。頭がボーとして何か書く気にならなかった。今日もそんなにさっぱりした頭の回りではないが、二日休むと、もう永遠に書く気力が湧かない恐れがあるので一応書くことにする。齢も八十路に近くなれば勝手気ままに生きて誰にも文句は言われない。今勝手気ままに読んでいる本に面白い記事があった。どうも仏教の世界で言われるらしいが、人生には四つのステージがあるそうだ。

1.学生期(がくしょうき)2.家住期(かじゅうき)3.林住期(りんじゅうき)4.遊行期(ゆぎょうき)。これを四住期と言って最近の高齢化社会ではよく取り上げられているらしいが、初めて聞いた。前半の学生期は親や師の言うことよく聞き、学問と修行に励み禁欲生活を守る。家住期は結婚して子供をつくり、家の経済の責任を負う。後半の林住期は前半の世俗的なことを離れ、それまでやりたいと思いながら実行できなかったことを、一時的に家を出てやってみる。一人になって自由な時間を楽しむ。旅と遍歴気ままな遊びの時間、と言っていい。

そうこうしていると、今まで見えなかった別の世界、思いもしなかった社会の裏面その面白さが見えてくる。しかし多くの人はこの林住期を楽しんだ後は、結局元の村や町に帰っていくそうだ。自由気ままなんて言ってもお金が続かないだけのことかもしれぬ。そして最後の遊行期、遁世期とも言われ一切の欲望から現生放棄した者のステージ、ここまで来るのは坊さんの世界でも千人に一人、万人に一人とされる。一休和尚や良寛和尚、鴨長明や西行のような人たち、乞食同然で達観して死期を迎える。

こんな難しいことは自分で理解納得したわけではないが、宗教学者の山折哲雄氏の本に書いてあったことを引用しただけのことである。ここに上がった四人は、現代の感覚からすれば相当早くから遊行期に入った達人だ。現代人は好むと好まざるに関わらず家住期でしこしこ稼がざるを得ない。政府の言うことなど聞いていると、何か一生働けと言っているように聞こえる。困ったことだ。身体がおかしくならないうちに、数年でも好きなことをしたこと有難いと思うことにしよう。

今日は大阪在住の後輩が、銀座でライブコンサートを開催とのこと、彼は未だ60歳前半、大いに結構なことだ。夜7時は遅い時間だが、出かけて応援の拍手を送るつもり。

2019年6月16日日曜日

蛆が湧く?

今日は久しぶりに朝から快晴、昨日は終日雨でしかも薄ら寒かった。しかし朝一で長女から電話「明日は父の日だけど予定があるので、これから行くよ。」てなことで雨にも拘らず一家総出でお菓子を届けに来てくれた。その後昼過ぎから、大学卒業して25年勤めた会社の後輩が呼んでくれていたので、銀座のビアホールに出掛けて昼酒を飲むことに。

土砂降りに近い雨だったが、銀座は日曜日の歩行者天国。こんな天気に出てくるのは、小生の様な余程のもの好き。他にどんな人間かと訝しく思ったが、殆どがアジア系の外国人観光客。納得できる。一定の間隔で立たされている青い合羽を着たお巡りさんたち、お仕事とはいえ気の毒だ。

会に誘ってくれたのは当年63歳の後輩、他には70歳を超したばかりの2人だったが、やはり酒量に於いては3人とも達者で、こちらとしては歳の差を感じずにはいられない。1時半から飲みはじめて延々3時間近く、帰宅すると既に5時過ぎ。古い表現を使えばバタンキュー、お陰で昨夜は十分過ぎるほど寝ることが出来た。

後輩たちも既に老人ではあるが、それでもこちらに比べれば新しい情報を沢山持っているので話を聞いているのは楽しいことだ。当然ながら思い出話にも花が咲く。中でさもありなんと面白かったのが掃除の話。案内をくれた63歳の彼は記憶無いようだったが、70歳代の二人は入社した当初、9時始業にも拘らず8時半出社を命じられ、30分間社内の清掃をさせられたことが大変な不満だったそうだ。

小生もよく記憶している。男子の新入社員は50人前後のオフィス全ての屑籠と灰皿のごみ集め、ざっと掃き掃除をしてデスクの上を拭く。女子は湯呑と灰皿を洗い、9時過ぎたら全員にお茶を淹れる。子供の頃から朝飯前に親父が先頭に立って家中を掃除することに慣れていたので何の抵抗も無かった。小生が入社したのは昭和38年、昨日会った後輩の一番年が近くても6歳も下だ。やはり昭和も40年代に入ると戦後も20年、生活事情もかなり良くなってきていたのだろう。

掃除に対する受け止めが変わっていたのも当たり前かもしれぬ。昔よく聞いたのは「男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く」だが、三つ子の魂のお陰で我が家は今のところ蛆は湧いていない。

2019年6月14日金曜日

読後感「アレクサンドロスの征服と神話」森谷公俊著

アレクサンダー大王の神話は幾つか聞いたことがあるような気もするし、映画を観た覚えもある。しかし紀元前の人だからどこまで信じて良いかも分からなかった。偶々書店でこの本が目についたのを好機として、書物を通して一通りのことを知ろうと思った。東大西洋史学科卒業の本物の学者が執筆された本ではある。こんな書物を読む気になるのは暇な老人の特権かもしれぬ。少し時間は掛かったが、下手の小説より面白かった。

これまで神話だけの人物かとも思っていたが、紀元前4世紀に実在した人物だった。我々日本人と言うか個人的かもしれぬが、この時代は人間は竪穴式住居に住み使う道具は石器と土器が精々、村落があったかもしれぬが、国家と言えるような規模の社会生活をイメージするのが難しい。しかし外国には紀元前からの遺跡が多数あって、日本史に先行する文明や社会形成の歴史が証明されていることを改めて認識した。大学入試で「世界史」を選択しながら恥ずかしい限りだ。

更に認識の違いを思い知ったのは、人間の文明は北半球の寒い地帯から始まっていることの間違い。少なくとも紀元前に東地中海やペルシャで栄えた文明は、寒冷地とは無関係だと思う。脱線してしまったが、肝心のアレクサンダー大王が残した伝説は非常に多いが、遺跡らしきものは皆無に近い。彼が築いた都市は一説には70とも言われるが、現存するエジプトのアレクサンドリアを始めとして、確認できる都市は20に満たないとのこと。

大王は紀元前323年遠征先のバビロンに於いて32歳の若さで没している。彼はギリシャ北方のマケドニア(6日のブログで現在のブルガリア辺りかと書いたが、その西隣にマケドニア共和国が現存している)の王様の長男。親の教育も良かったろうが幼少より文武両道秀でていたらしい。長じて東地中海の都市から始まりインドに至る大帝国を築いたことは既に6日に書いた通り。

彼の直接の遺産が少ないのにこれほどまでに有名になったのは何故か。それは偏に彼の後継将軍たちのお陰と著者は断じている。彼等は自分たちが生き延びるために大王の後継を名乗り、競うように大王の遺志をアッピールすることになる。結果的に後継争いの戦争も続くが、ローマ時代に至るまで大王が残したヘレニズム(ギリシャと当方文化の融合)文化は継承されていく。

大王は生涯を通じて大変な虐殺を繰り返しているが、当時とすれば全世界にも等しい版図を築いたのも事実。その手法には学ぶことも多そうだ。事実歴史の浅い日本では、維新後発足した政権幹部は相当学習したように思う。

2019年6月13日木曜日

手紙

朝一番で郵便受けを開けると2通の手紙があった。1通は区役所の税務課から平成31年度「特別区民税・都民税」決定と納期限の通知。もう1通は定形外の茶封筒で、宛名が今どき珍しい手書きで書かれている。こんな手書きの郵便は従妹からしか来ないので、また山のことかなと思って差出人を確認せず朝食が済むまでデスクに置いたままにした。

落ち着いたところで先ず区役所からの通知内容を確認、年金からの引き落としではなく銀行口座から1年に4回引き落としになるとのこと。騒ぎ立てるほどのことではないが、地方住民税が2階建てになっていることを初めて知った。引き落としの口座が既に印刷されているが、普段使っていない口座なので残金を確認しなくてはならない。家計を妻に任せきりにしていたので、この口座を使った理由が分からない。考えれば結婚した当初は、学生時代に親からの仕送りを受けるために設けたこの口座しかなかったのだろう。

10日ほど前には豊島都税事務所と言うところから、平成31年度「固定資産税・都市計画税納税通知書」なる通知を頂戴したばかり。都税事務所と区役所の税務課の縄張りはどうなっているのだろう?この他に国税があり、社会保険料なる税金もある。国税は1年に1回、3月に初めてパソコンでアクセスしてみた。社会保険、即ち年金は昨日も書いた通り、今や納付義務から解放されて受給一方だから関係ない。と思ったが、介護保険料があった。これは確か年金から天引きの筈。

一人分でこれだから、娘たちの家族は4人と3人、一人は税理士を目指していたくらいだから良いだろうが、もう一人はどうかな?旦那が経理の専門家なので余計な心配はいらぬか、である。自分とすればこんなことは面倒くさいが、痴ほうの予防と思って精々勉強することにしたい。

もう1通は京都から来た手紙で古い友人からのもの。40歳代大阪に居た頃の若手社員、彼が何ともう61歳。こちらが辞める少し前に彼も辞職し、京都の会社で役員まで昇りつめた。小生よりはるかに出来が良い。その彼が60歳定年だったらしいが、正にハッピーリタイアそのもので、ミュージシャンとなって音楽活動に専念しているらしい。そのことを報じる新聞記事の他にCDとチラシが1枚。何と来週銀座でライブをするとのこと。

CDは自作のデモ用、全部で10曲、何れも彼自身の人生賛歌で心地良い。来週是非聴きに行こうと思っている。

2019年6月12日水曜日

生活実態の直視

昼飯を食いながら店の親父と同年配に見える客の会話を何とは無しに聞いていた。話題はやはり年金の話、後で聞くと客は建築設計士、独立していたか会社勤務だったかは分からない。話から推察するにどちらにせよ大きな設計事務所ではなさそう。同じ年金でも大企業やお役人のそれを羨んでいたから、小生同様公的年金に依存して生活しているように思えた。更にバブル時代のことに話が及び、相当な稼ぎがあったことや遊びまわったことをを自慢げに話していた。

昨日もブログに書いたばかりで、年金についてはいろいろ考えさせられる。今度の土曜日に大学を卒業してすぐ勤めた会社の後輩3人と昼飯を食うことになっているので、彼等の年金暮らしについても聞いてみたい。現在麻生発言から問題となった「定年後30年生きるとすると2千万円必要」であるが、公的年金だけで定年後30年も生きられると思っている人間が居るのだろうか?愚考するに千人に一人もいないと思う。昔、株をやっていた高校同期の友人が言っていた。

「老後の備えに1億円は必要だぞ」これは極端だろうが、麻生氏の言う2千万円は明日以降定年を迎える人には最低必要金額だと思う。ましてや未だ50歳になるかならぬかの若い人達はとてもそれでは済まぬだろう。問題になっている金融庁の金融審議会報告書(高齢無職世帯:夫65歳以上、妻60歳以上)を見ると、支出の主なものは食料が約6万5千円、住居などが約4万9千円となっている。住居などには光熱費や修繕費がカウントされているので持ち家が前提のようだ。

我が家の近所では、ここ数年マンションやら戸建て住宅の建設ラッシュが止むことなく続いている。毎日徘徊しながら見ていると確かに若夫婦が見学している姿もよく見かける。しかしこの人たちはごく恵まれた条件下にある人で、50歳までに東京で家を確保できる人は少ないだろう。家を買った人にしても、50歳までにローンを完済するのは至難の筈。小生は結婚以来父から、資産形成について麻生氏以上に厳しく言われていたので、30歳頃から少しずつ心配りをしてきたお陰でなんとか家を持つことが出来た。

お陰で今、年金から僅かばかりの娯楽教養費と交際費をねん出して老後を楽しんでいる。野党は麻生氏の発言を失言と捉えているが、それはおかしい。安倍総理に次いで大嫌いな麻生氏ではあるが、彼が言ったことは珍しく的を射ている。与野党ともにまともに国民生活を直視すべきだと思う。

下書き用紙を間違えたので長文になってしまった。

2019年6月11日火曜日

年金

今や格別の期待もしていないが、開催期間中であったことを忘れてしまった国会で昨日、突然火が付いたような議論が持ち上がった。如何なる理由かは分からないが参議院の決算委員会でのことだ。ここに予算委員会と同じように総理以下全閣僚の出席が求められて各党からの質問があり、珍しくテレビニュースやBSのワイド番組でも一部が取り上げられた。取り上げられたテーマの殆どが年金問題に関することであった。

昨夜テレビ番組を観て思ったのは、若い人の間で年金を老後の杖なり柱と思う人が大分減ってきているようだ。経済評論家の森永卓郎氏に言わせると「政府が如何に強弁しようと、年金支給額が現在の4割程度に激減するのはそう遠くない将来であるのは間違いない。依って若い人のそういった判断はある意味で正しいかもしれない。」事実とすればえらいことで、一度子や孫たちに聞いてみたいところでもある。残念ながら娘たち家族は将来のことより現在の暮らしに追われ、離れて暮らすこちらと話をする機会が少ない。彼等にすれば、今はそんな先のことなんか考える余裕すらないかもだ。

自分のことについて言えば、確か55歳から年金を貰い始めたので既に25年近い。積み立て方式でなくなっているので有難い。積み立てた金額(雇用者負担分も併せ)はとうに超えているようにも思う。森永氏が言うように、これから5年ごとに支給額が減っても完璧に逃げ切りだろう。このことは棚に上げて、昨日たまたまパソコンでこの委員会を覗いてみた。丁度立憲民主党の蓮舫氏が質問を始めるところで、次に国民民主党の大塚耕平氏の最後まで観てしまった。

やり取りを観て思ったのは、毎度のことながらヤラセと言われる国会の質疑、最近は不特定多数の国民が視聴できるのだから、もう少しスマートに行かないものか?である。質問は全て事前通告で答弁に立つ大臣は勿論関係する役所の全員に周知されている筈。にも拘らずすれ違いの答弁が多すぎる。野党の要求をのめないならなら、はっきりノーと言えばと思うがそうも言わない。これがどうしても理解できない。目に余るのは金融担当大臣麻生氏の開き直り、問題になった「年金の他に2千万円が必要」発言の元になっている金融審議会の報告書を読んでいない、と言い放って恥じない態度、はご立派として。

東大ご出身の根本厚労大臣、この方はまるきり官僚の操り人形となっているのが情けなさ過ぎる。因みに現在は厚生年金加入者に対し、年金受給年齢が近づくと「年金請求書」なるものが送付されてくるらしい。大塚耕平氏の質問の一つが「これに返事を出さなければ自動的に受給できるようにしたら」である。嫌ならノーと言えばいいのに、ノーとは答えない。現在返事を出さないと自動的に受給開始が70歳になる仕組みらしい。小生の場合、55歳の誕生日の翌日に社会保険事務所に駆け込んだ記憶がある。

「年金請求書」なんて余計なサービスをするから話がややこしくなる。何事もシンプルがベストだと思う。

2019年6月10日月曜日

図書館

雨が降り続いているのでなかなか出かける気分にならない。こんな日こそ家でゆっくり読書でもすべきだろう。でも最近は根気が無くなったり、眼鏡が合わなくなってきたのか、どうも活字が見難くて疲れが早く、すぐ居眠りをしてしまう。当然の結果読了するのに時間が掛かること夥しい。図書館にでもいれば気ばらしのしように事欠かないから良いが、自宅でとなるとそうはいかない。

居眠りから覚めてパソコンに向かったところだ。読みかけの本から感じたことを書いておきたい。書名は「アレクサンドロスの征服と神話」森谷公俊著、350頁ほどの文庫本でやっと200頁まで読み進んだ。紀元前300年代半ばの人物だから、日本ではやっと弥生時代の定住が始まった頃だ。ヨーロッパの地中海沿岸には多くの都市国家が存在し、現在の中東地域や北アフリカ辺りも同様で、ペルシャと言う国家が大きな版図を確保していたらしい。

書名に神話とあるが、主人公はマケドニア(現在のブルガリアあたりだろうか)出身の実在の人物で、数々の遺跡が残されている。彼は僅か32歳で没しているが、その短い生涯で東ヨーロッパからアラビア半島、エジプトを経て、東はインドやパキスタンの一部まで膨大な版図を築いたことはご承知の通り。そして各地に自分の名前を冠した都市を建設し、現在に至るも残っている都市が多数ある。信州の一人としては、諏訪大社に関し神話との結びつきを信じたいが考証が難しいのが残念なことだ。

話が脱線した。その残された都市での中で最も有名なのが現在のエジプトに存在するアレクサンドリア、現在も首都カイロに次ぐ大都市らしいが、建設当時は当時の人をびっくりさせ、今でも世界の7不思議とされる建造物が数多くあったようだ。しかし残念ながら遺跡としては残っていない。中で特に印象深いのが図書館である。ここには文学・歴史・地理学・数学・天文学・医学など世界中のあらゆる分野の書物を集め、70万冊の蔵書を誇ったと伝えられている。

これもどこまで本当か検証しようがないのだろうが、伝承が残っていると言うことは、少なくとも彼は、学問即ち哲学を重視していたことだ。事実アレクサンドロスが13歳の頃から3年間アリストテレスの教えを受けたことも有名なこと。アリストテレスがどんな人かも知らぬが、安倍総理の家庭教師だった平沢勝栄氏よりは少しお利口だったかもしれぬ。

2019年6月9日日曜日

梅雨寒

先月末から今月初めにかけて異常なくらい暑い日が続いたように思うが、今日は涼しさを通り越して寒さを感じてしまった。小さな庭先で昨日まで満開だった草花が今日は日中になっても開かなかった。行きつ戻りつするのは愚かなる我が心だけでなく天然自然界にもあるらしい。テレビの天気予報で「体調管理に気をつけて」と聞くと「余計なお世話だ」と思ったりもするが、寒暖差が24時間で10℃も違うと確かに無頓着ではいられない。

梅雨なので暫くはこんな天気が続くだろうが、確か昨年は気象庁が梅雨明け宣言を出しそびれるほど早く梅雨が明けたと思う。6月8日には信州の根子岳に行き、素晴らしい天気だったことをよく覚えている。今月は飲み会の予定が2回も入っているので、今月山にけるかどうかも怪しいものだ。ま、どうせ暇人、風の吹くまま気の向くまま、なるようになるしかないだろう。

一昨日高校の同窓会に出席した。参加者に80歳代の人はほんの数人、79歳を越した自分も上から数えて5番目以内だった。漫然とビールを手にして元気な後輩たちを見ながら我が人生を改めて思った。昨今話題の引きこもりにこそなっていないが「俺の人生は何だったのだろう?」社会での評価は兎も角、自分で納得いくような何かがあるだろうか、どう考えても中途半端なことばかりで、何も無い。同窓会に出席する意味も含め、これから何をよすがにいつまで生きるのか?

梅雨に降り込められて考えることが陰気になった。

2019年6月7日金曜日

木鐸の自負は無いのか

東京はどうやら今日から梅雨入り、朝から気分がすっきりしない。土砂降りの中これから出かけなくてはならないので早めに書いている。天気のせいばかりでなく、やるせないことが多すぎる。お前には関係無いだろうと言われればその通りではあるが、日本の現状を注視して将来を真剣考えている人間が見当たらないことが辛い。

億を超える人間が居るのだからいない筈はないが、少なくともマスコミにはなかなか登場してこない。マスコミのありようについてしがないブログでブツブツ文句を並べても仕方ないかもしれぬ。それにしても酷すぎる。政治が国民の期待と必要性からかけ離れてしまったことに関し、どうしてもマスコの責任を問いたい。政府高官の悪口をずっと書き続けてきたけれど、彼等だけを責めるのはもうやめる、野党を含む政治家全員と彼等の共犯者に近いマスコミの一蓮托生ぶりが目に余る。

特に昨日のマスコミ各社は筆を揃えたかのように、総理の在任期間が史上3位(11月には史上最長)と特筆大書していた。併せてテレビ通じて流された映像は吉本興業のお笑い芸人との面会である。報道側に如何なる意図があったか分からないが、正にブラックジョークとしか思えない。テレビは国民経済について毎日の株価情報を取り上げていれば事足れりとしているかもしれぬが、現在日本の経済はとてもそんな状況ではあるまい。

産業の競争力が失われ、日本経済は劣化し、国民の実生活が貧困に傾きつつあるのが実態だろう。1億有余の国民を乗せた航空機が急降下している中で操縦室の中をチェックできる筈のマスコミの諸君、よくのんびりしていられるものだな。ここ数週間、君らが取り上げたニュースを振り返って反省してみたまえ。例えば丸山穂高議員についてのだらだら報道は問題の本質に如何ほど迫っているのか?

老人の交通事故問題、子殺しや親殺し問題、その度に長々と取り上げられるが問題の本質と解決ににどれほど貢献し得たのか?日本が世界の動きから取り残され、まるきり子ども扱いされている原因は何処にあるのか?諸君の目の付け所が正しいか、胸に手を当てて反省してほしい。

2019年6月6日木曜日

日本の歴史認識

日本は世界でも稀な長い歴史と伝統を有する国である。と言われるし実際にそう考える日本人は多いと思う。しかしこれは少し思い上がった考えではないだろうか?先ず日本の歴史を皇紀2670数年なんて言う向きもある。小生は栄えある皇紀2600年生まれ。しかし現皇室と繋がるかどうかは問わないことにしても、日本の王が歴史上に出現するのは隣国(魏)によって認められた卑弥呼が最初、高々1700一寸年前のこと。

それ以前にヤマトタケルなんて王が活躍した時代もあったと信じたいが、残念ながらその時代は日本に未だ文字が無かったようだから仕方ない。世界にはキリスト誕生以前に国家の体をなして、それなりの文化を誇っていた国は枚挙にいとまない。ナイル川、チグリスユーフラティス川、インダス川、黄河流域に留まらずアメリカ大陸にも多くの国家の歴史が文字や絵文字で残されている。

しかしその子孫が現存していない、或いは現存していたとしても証明の仕様が無いのも事実だろう。そこに行くと日本の皇室の歴史は100代以上、千年以上遡れるのだからアメリカの大統領が敬意をもって接するのは当たり前だ。従って、日本人が新興国家のアメリカ合衆国と比較して胸を張るのは良いだろうが、ヨーロッパの国々や中国、ロシアに向かって同様な態度を取るのは考え物だ。この思いは今朝報道された英国ポーツマスにおけるノルマンディー上陸を記念する式典と、ロシアの首都モスクワで行われた習近平中国国家主席とプーチン大統領の会見の模様を見たからである。何れの式典も歴史を認識せざるを得ないように演出されている。

数日前、戦前の海軍記念日について少し触れたが、偶々その数日後に読んだ記事に「英国におけるトラファルガー海戦とネルソン提督」がある。英国では老若男女この二つを知らざる人間はいないとの記事であった。些か誇張が過ぎるのではと思ったりもしたが、或いは事実かもしれぬ。話が跳んで何を言いたいか分かり難いかとも思う。言いたいのは皇室の歴史と国家の歴史を同一視することへの疑問である。

流石に悠久の日本なんてことは最近聞かない。皇室が千年有余国を統べて来た訳でもない。近年から始まり国家の歴史を出来るだけ正しく理解して、現在を正しく後世に伝えることが文明への責任だと思う。最後に、元号が変わったことで大騒ぎがあった。このことについて面白い意見を発見した。誰が言ったか忘れたが「日本は70数年元号は幾たびか変わったが<戦後>と言う時代を脱しきれていない。」ポーツマスの式典に出席したドイツのメルケル首相の演説を聞いて、共感の思いが一層強くなった。

2019年6月5日水曜日

さらばファーウェイ

米中間で貿易を巡り互いに関税を吊り上げる激しいやり取りが世界中の経済に大きな影響を与え始めている。勿論我が国がその埒外に置かれるはずは無いだろう。日本経済への影響が我が生活にどのような影響を及ぼすかは分からない。例え悪影響が出るにしても高々年間300万円足らずの年金生活、影響の高はしれているかもしれぬ。

だからどうでもいいようなものだが、一寸不思議な気がすることもある。国家的見地に立てば貿易は大きな政治問題とみるべきかもしれぬが、ある日突然政治問題化されたのでは当事者は迷惑だろう。アメリカが好きだとか中国が好きだからと言う訳ではない。両国間には体制上大きな違いがあるのは周知のとおり。互いにそれを承知で長年企業交流があって付き合っていると思う。一昔前までは、中国は日本から企業を呼び込みながら、利用するだけ利用して日本へはびた一文持ち帰ることを許さなかった、なんてよく聞いたものだ。

しかしそれは少なくとも25年以上前のこと、そう言われながらも中国に進出する企業は増える一方であったのはアメリカにしても同じだろう。それがここに来て急にトランプ氏が「中国との付き合いはしない方がいい」みたいに言い出し、世界各国にも同調を求めているようだ。アメリカの企業は流石に自国のトップの指示とあれば仕方ないにしても、オーストラリアや日本は早速ご指示に従うようだ。しかしヨーロッパの対応は大分異なっている。
 
どちらが正しい判断かは分かり兼ねる、経済と政治は不可分であっても、先日テレビで評論家古森義久氏の解説を聞いてびっくりした。アメリカ在住が長くアメリカ政治に詳しいとされる人でもある。氏曰く「中国の貿易上の不公正、WTO違反に対する不満は何も共和党だけのことではない、この点では野党民主党も完全に一致している。従ってこの争いは皆口には出さないけれど、共産党政権が倒れるまで続くでしょう。」

よく言われる貿易戦争そのものを肯定(丸山穂高議員を思い出した)している訳だ。日本はその勝ち組にいち早く飛び乗ったことになる。声は直接視聴していないが、別の放送局の別の解説者元経産省のお役人は「早晩ファーウェイは潰れるだろう」と断言したそうだ。先の古森氏は大学1年の時文学部で小生と同級だった。しかし2年に進級する際、経済学部に編入していった。こちらは半分落第の特別進級だった。よって古森氏が正しいに違いないと思いたいが・・・・

2019年6月4日火曜日

内閣支持率60%

何処の調査か記憶に無いし週末だったか昨日だったかも忘れた。支持率が上がって不支持率が下がっている報道を観て、日本の現状と将来への思いが実に複雑だ。既に引きこもりではないにしても日本市民としては勘定外になりつつある者が、何を思うと大方の人からは見れば関係ないかもしれぬ。世の6割の人が支持する内閣とは結構そのものではないか。情報統制が厳しいとされる中国や北朝鮮で、もし公平な世論調査が行われたとしても内閣支持率がそこまで行くかどうかだろう。

国連調査で我が国の報道の自由度が低いと指摘は受けていても、一般市民とメディアの人間はそうは受け止めていまい。しかしこの世論調査の結果を見る限り、日本の報道には問題ありとする国連の見方が正しいと思わざるを得ない。先日のトランプ大統領と安倍首相の共同記者会見で質問に立った日本側と外国記者が発した内容の差に歴然と現れていた。少なくとも日本の記者が、公開の場で首相が答えに窮する質問をする場面を見たことがない。

言論の自由を標榜しているメディアが、政府側から圧力がかかっているとも思えないのに、そんな意気地のない記者を選んで送り込むのか?特別に勇気ある記者である必要もなく、普通の感覚を持っているならばもっと異なる質問もあったろうにと思うが、そんな記者の方が社内で特別視されていることが問題とは気づく幹部はいないのだろうか?欧米のように記者会見に臨む大統領なり政府高官は全ての質問に答えるのが義務であり、当たり前になっている。

日本の場合はそれが少し違って、記者会見は予め時間を区切り質問者が選別されるのが当たり前。指名されること自体が希少価値となるので、そこに到達するには社内外で一定の評価に達する必要もあろう。言い換えればメディア社内のヒエラルキー(ピラミッド型組織)である程度上に行く必要もあろう。要するにするにメディアも官僚も変わるところが無い。

昔からよく言われているのは「役人の世界で脱落せずトップまで上り詰めるためには何も仕事をしない、即ち重要な意思決定をしないに限る」だ。メディアも同じ、企業も同じでは将来が暗すぎる。

2019年6月3日月曜日

春の運動会

6月になって早や3日、先月は真夏を思わせるような日もあった。今日は梅雨を思わせる天気で、昨夜から朝にかけて雨が降ったり、昼になって晴れてきたものの湿度が異常に高くてムシムシしている。天気予報では今週中に関東でも梅雨入りを予想している。古来雨の季節は米作りに必要不可欠な条件ではあっても都市生活者には厄介扱いされかねない。

一昨日の土曜日、昼の散歩途中に昔娘二人が通った小学校の運動会に遭遇した。孫たちの小学校運動会はよく見学に行ったことを思い出して、この運動会を覗いてみた。校門には豊島区立高松小学校「創立70周年記念運動会」の立て看板。小学1年生全員による玉入れ競技の最中、2回戦目だったが校庭は見慣れた風景で父兄がびっしり、グランドは1年生全員が紅白に分かれてそれぞれの籠の周りを取り囲んで陽気な音楽に合わせ元気に踊っている。

インディアンの出陣式を思わせるばかりの燥ぎよう、高学年生徒の応援の声も凄い。号砲一発ではなくスピーカーから流れた先生の「2回戦はじめ!」の合図で3分くらいの試合が始まる。「やめ!」の合図で生徒はかごを取り囲んで輪になって座る。先生が籠を下ろしてスピーカーが「ひとつ、ふたつ・・・」と叫ぶ勘定をに合わせてそれぞれの籠から1個ずつボールが校庭に投げ出されていく。

こちらもワクワクしながら観たが結局30:29で白組の勝ち、1回戦も白組が取ったようで結果は白組の勝ちだった。この日は熱中症が心配されるほどの暑さも無く今日ほどの湿度も無し、絶好の春の運動会日和、おまけに父兄席は木陰に恵まれて涼しいくらい。一時よく行った世田谷に住んでいた孫の小学校の運動場は木陰がなかったことを思い出したが、娘の運動会は一度も行った記憶がない。理由が思い出せなのがもどかしいが、多分勤めとの関係だろう。

泥だらけで燥ぐ子供たちや、楽しそにカメラを回す父兄の姿を見て明るい気分と僅かの後悔の念を感じた休日の一コマだった。