2010年9月30日木曜日

国民の中で反対論が多い。本当だろうか?

昨日のNHK夜9時のニュース、次期国会で審議される予定の補正予算に関する与野党事前協議関連ニュースの中で、女性の司会者が、自民党が事前協議に反対している理由の一つとして「国民の中で反対論が多い、子供手当の打ち切り等について与党が飲めるか・・・」と喋っていた。私は今の日本、景気が悪くて、暮らしが大変な人が多いと思う。昨日も現役の後輩から話を聞いたのだが、サラリーマンの彼から見れば「新聞報道にある通り、現在の給与水準は1990年並みですよ。正に失われた20年です。」と嘆いていた。

一般論としても自分の事を考えても、暮らしが厳しい事に違いは無いと思う。がしかし、その厳しさの実態が何を指すのか考えてしまう。我が家はもう老人が二人だけ、月に20万円を超える年金を頂戴しているので、死ぬまで飢える事は無いであろう有難い境遇だ。他に嫁に行った専業主婦の娘が二人いる。ご亭主は共に40才台の前半、それぞれ育ち盛りの子供を抱えている。彼等は小生と異なり、大変まじめなサラリーマンでもある。給料がいくらかは聞いた事がないが、少なくとも子供を私立の学校に通わせたりする余裕はなさそうだ。

酒も飲まないではわけではないが、小生の40歳代の頃とは大違いで、盛り場で飲み歩くのを趣味にしている事は無い。二人ともたばこは吸わないし、ゴルフもしない、麻雀・パチンコなど賭け事とも無縁のようだ。共に休日は可哀そうだが、殆ど家族サービスをしている。1軒の孫は未だ2歳未満なので教育費は関係ない。もう1軒の孫は中1と小6の二人。中学生の方は昨年までピアノを習っていたが、バスケット部に入って練習が厳しいからとの理由で止めてしまったようだ。英語だけは塾か家庭教師をとも考えたようだが、娘が付近を取材した結果コストが合わないと諦めたようだ。中学生は正に育ちざかり、衣服はすぐつんつるてんになるし、バスケのシューズは1万円以上するものらしい。何と言っても教育費より食費が大事なんだろう。

小学生は近くで習字と合気道を習いに、町の集会所見たいところに通っている。両方で月謝が4千円か5千円と聞いた。子供二人居る家族は住宅ローンを抱え、子供一人の方も将来を見据えて真面目に貯金しているのではと推察している。そのせいかどうか、家族で温泉旅行とか海外旅行の話もない。何れもごく普通の働き盛りの家庭だと思うが、今年4月から支給が決まった子供手当については、「家計が大いに助かる」と大変喜んでいる。

NHKが言っているのか、自民党のセリフをオウム返しに喋っているのか不明であるが、「国民の中で反対論が多い」とはどういった状態を言うのであろう?曖昧な日本語を几帳面に考えれば、国民の過半数が子供手当に反対している事になってしまう。しかし自民党の支持家庭全員が子供手当に反対を唱えたとしても、過半数に満たないのは先日の選挙の投票結果からしても自明である。

娘夫婦もひょっとすれば自民党支持かもしれない。年収も賃金労働者全国平均よりは上だろう。それでも子供手当は大賛成で、まさか自民党が言うように「子や孫の世代に借金のつけ回しをしないため、来年度以降子供手当を打ち切る」なんてとても賛同しないだろう。どこをどのように検証すれば「反対論が多い」事になるのだろう?アナウサーやコメンテータの言葉尻を捉えて、ねちねち言うのも如何かとは思うが、さりげない言葉遣いが視聴者に与える影響も見過ごしたくない。金持ちの守護神自民党はさて置いても、NHKには是非答えてもらいたいものだ。

日記をアップしてから、本当にNHKに問い合わせを出した。インターネットのフォームが400字以下の制限がある。以下はその内容

【昨日ニュースウォッチ9、次期国会で審議される予定の補正予算に関する与野党事前協議不調の中で、「国民の中で反対論が多い、子供手当の打ち切り等について与党が飲めるか・・・」とのコメントあり。NHKが言っているのか、自民党のセリフをオウム返しに喋っているのか不明であるが、さりげない言葉遣いが視聴者に与える影響は大である。「国民の中で反対論が多い」とは何を根拠に言ったのか?】

2010年9月29日水曜日

ヒステリー

最近あまり聞かなくなった言葉に「ヒステリー」がある。一寸調べると、最近は医学的にも余り用いる事がなくなって「解離性障害」等と言うらしい。序に語源が面白い、「ヒステリア」とはギリシャ語で子宮を意味し、当初女性特有の病気と思われていたらしい。確かに小生の思い込みで「ヒステリー」を言えば、「女性が感情的になって、キーキーと甲高く、自分勝手なことをわめき散らしてはた迷惑な事」に違いない。

自分勝手な思い込みで勝手な事を言う、ブログなんぞはその典型的なもので、とても他人様の事をとやかく言えた義理ではない事は分かっているが。今話題の中心になっている尖閣の問題について、文章で勝手な事を書くのは良いとして、テレビやインターネットの映像で語る場合は気をつけたいものだ。日曜日のテレビ番組(与野党幹事長討論)や昨日の参議院外交防衛委員会の審議を見ていて思うのだが(如何に暇人か分かって恥ずかしい)、野党特に自民党の論理の組み立てが支離滅裂に聞こえる。

非論理的だけならまだしも、石原幹事長やちょび髯のイラク派遣隊長佐藤委員なんかの喋り方を聞いているとヒステリック、即ち病的に聞こえてしまう。これも序の話で、初めて知った公明党の山本香苗なる若くて美人の委員も同様だ。しかし、女性のヒステリーは当たり前という感覚があるので、許せてしまうのは、こちらがエロぼけ老人の証拠かな。因みにこの方は外務省出身のようだ。なのに党を背負って外務大臣に噛みついて食下がったのは偉い。TV出演常連の高木陽介氏を食うのでは?

脱線してしまったが、医学的には男性も公平に罹る精神病ではあるようだが、男性が病的に見えるのは如何にも見苦しい。特に石原氏の場合、若くて未熟なのは分かるが、対する与党の幹事長や外務大臣もそんなに齢は変わらない筈だ。攻められる民主党の方が、論理は兎も角、大人に見えるのは小生の身贔屓だろうか?折角若返り人事で要職に就いたのだから、勉強すべき事は沢山あるだろうが、先ず話し方、討論の仕方を基本的に勉強して、かつてのように奢った「上から目線」の話し方を改めるべきだ。

序に言えば今朝の朝日新聞で元総理の森氏が、自民党参議院会長中曽根氏と同幹事長小坂氏、更に谷垣総裁を名指しでこき下ろしていた。これも些か異常或いは病的に思える。自民党も総裁、幹事長共にリーダーシップの確立と党内の取り纏めが大変そうだ。

一兵卒集団の反乱を恐れる民主党と程良いバランスか?

2010年9月28日火曜日

就職氷河期

現在の若者は「就職氷河期」に直面しているらしい。「就活」なる新語も誕生して、テレビでは「会社訪問で数十社廻りましたが未だ何処にも採用になっていません。」なんて嘘みたい話が堂々と流されている。似たような映像を見る度に、「どこのどんな会社を訪ねたか知らぬが、この若者はどこかおかしいのではないか?」と流行の言葉で言えば違和感を覚えてしまう。

おかしいのはこちらの頭かもしれない。学校の卒業目途がついた若者に迫ってくるのは、更に学問を続けるか、又は職に就いて自ら生活費を稼ぐかの選択である。例えば大学生だった場合、学院以上に進んだり、海外の上級校に留学をしたりして、学問を続けるのは、相当な向学心を持ち、且つ自他共に頭が良い事が認められる必要がある。更には学資の問題もあるので、余程裕福か、優秀さを認められて公私様々な奨学制度が利用できる人とか、何れにしても一般的とは言えないだろう。

そこで一般大学生が職を探す事になるのは当然の成り行きに違いない。その段取りについて、昨今一般的にどうなっているかが分からないのだ。小生が考えるには、先ず第一に自分が希望する職業の順番をを決めなくてはならない筈だ。確かに我々が大学を卒業した頃は、今のように職業が細分化されていなかったので仕分けが簡単だったのかもしれない。50社以上も会社訪問を繰り返した若者はこの職業の仕分け、順番をどのように考えていたのだろう?

仮にある職業で、業界ランクAからCクラス迄3~5社受けて駄目なら、二次志望の業界に転身せざるを得ないだろう。ここでも同様な手順で駄目なら、不本意でも三次志望の職業でトライするのが自然だと思う。こんな手順で15社も回れば、どんな馬鹿でも己に対する社会のニーズが何辺あるかが分かりそうなものだ。小生は幸い第3志望の業界のDランクの会社に引っかかったので幸いだった。

その直前に東京での保証人のおじさんが、「文学部なんて学部を選ぶからそんな目にあうのだ。ここで駄目なら、お父さんに頼んで法学部への学士編入を許可してもらうから、後2年間、今度は真面目に勉強をしなさい。」と叱って下さったものだ。しかし、こちらは「ここで駄目なら、何処かで日雇いでも部屋住みでも良いから土方人足にでもなろう。」と考えたりしていたような気がする。

蛇足だが、後で考えれば既に我々の時代でもリクルートの江副氏のように学生で起業した優秀な人間はいた。ホリエモンも同じだろうが学生時代に起業するなんて事は、想像もできなかった古くてプアーな脳みそで書いている事をお許し願っておきたい。

景気の良い悪いは常にあるし、現代の求人が減っているのは間違いないかもしれない。それでも大方の日本企業はフレッシュな新卒を採用したがるはずである。若者は闇雲に会社を回り始める事より職業に対する自分の考え方が、社会に適合しているかどうかを、先ず確認する事が必要ではないか。それにしても、菅氏が代表戦で述べた民主党国会議員の前職だけでも50種類もあったらしいから、職業の選択も大変と言えば大変だろうが。

確かに大学が増えて、名ばかりの大卒が巷にあふれているのも事実だろう。入学試験は変に厳しくて、入学してしまえば殆ど卒業できるのが当たり前の大学システムについての議論は別に必要だ。極めて低賃金の制作会社クルーが拾ってきた映像を、エリート面の放送局社員が尤もらしく「就活」学生に同情っぽく報道するのを見て「本当にそう思うの?」と聞きたくなってしまう。

2010年9月27日月曜日

ふくろ祭り

普段「お住まいは?」と聞かれると「池袋です。」と答える事にしている。
実際は同じ豊島区内の池袋駅からは2.5km程離れた千川だが、池袋の方がずっとポピュラーなので分かりやすいだろうと思うからだ。ご近所の殆どは毎朝バス6か7停留所、地下鉄で2駅を乗って池袋迄行っている筈だ。小生は健康のため、池袋まで毎日30分掛けて昼飯を食いに歩いて行くことを日課にしている。従って自分でも池袋は居住地の感覚だが、実際には町が異なるので氏神様は千川とは異なる御岳神社である。(千川は長崎神社で今月の11,12日でお祭りは終わっている)

都内でも有数の繁華街の一つなので、ここの秋祭りは「ふくろ祭り」と称して盛大に執り行われる。昨日がその祭りで、広い氏子の町内から何台もの神輿が出て大賑わいであった筈。数年前迄は休日に通っていた碁会所が池袋駅のすぐそばの繁華街にあった事もあり、この神輿が池袋駅前に勢揃いする夕刻に見物するのが常であった。子供の頃故郷の氏神様のお祭りで、小さな子供神輿を担いで以来神輿担ぎの経験は無いのだが、大人神輿を見ていると日本人の原風景を見る思いで気持ちが良い。

昨日はやはり神輿の勢揃いを見る事は無かったが、昼の時間に駅付近の町内神輿4,5台を見る事が出来た。既に駅前は交通規制が敷かれて神輿のために広い道が確保されている。見物客も未だそんなに多くないので、近くでゆっくりと見物させてもらった。それぞれの神輿に、神輿毎に異なる揃いの袢纏姿の大人が大勢群がっている。全神輿の先頭には提灯を高く掲げた若者が二人、その後には浴衣に羽織のような袢纏を羽織り、雪駄姿の顔役めいた小父さんが先導役として歩いている。その中の一人に腰に煙草入れを差している人がいたが、今でも刻み煙草を吸っているのだろうか?それとも今日は伊達かな?こんな想像をしているだけでも楽しい。

大勢群がる担ぎ手も観察しているのも面白い。袢纏は同じでも足拵えはゴム引き足袋だったり足袋に草鞋だったりそれぞれ工夫をしている。下半身は褌一丁、パンツ、股引とこれも様々。男に女、それに結構体形からして40代後半から50近いのではと思えるような人迄、一種の興奮状態でわっせわっせとやっている。逆に本当の若い人が少ないような気がしないでもない。担ぎ手はある意味で皆高揚したいい顔をしているのが印象的だ。昔だったら職人さんとか、肌に彫り物を入れたような人が多いのだろうが、現代ではそういう方は少数派の筈。

何れにしても男たちは意気揚々と男っぽさを最前面に打ち出し、女もそれなりに誇り高く神輿に取りついているが、普段どんな職業についているか、この姿からはとても想像できない。因みに入れ墨をした人は大勢の中で1人も見かけなかった。帰り途に町内の寄り合い所があり、浴衣姿の爺さん婆さん連中がたむろして酒か茶を飲みながら談笑している。脇に大きな掲示板を設け寄付した人の名前がずっと張り出されていた。我が千川町の祭りの際は、寄付金が500円が相場と聞いたが、池袋町内では上は30万円から千円が最低のようだ。流石に繁華街は偉いものだと思ったり、千円以下は省略しているのかなと邪推をしたり。

マスコミは経済が大変だ、大恐慌が来そうだと大騒ぎをしているが、このような祭りを見物している限り、日本は平和で結構だなとしみじみ感じる。

読後感「暗号名ゴースト」アレックス・ベレンスン著 棚橋志行 訳

予め知って読んだわけではないが、現在日本政府が巻き込まれている対中国との尖閣を巡る領土問題を暗示するようなスパイ小説である。米国での出版は2008年、流石に彼の国のジャーナリスト出身の作家はグローバルな視野では我が国のそれを遥かに凌ぐものがある。

話しは今日の国際情勢を反映して大変複雑に構成されているが、骨格は米中の潜在的対立軸である。主役はスパイではなくCIA職員だが、彼が長年米国が温めてきた中国政府高官のスパイを際どい所で救出する話になっている。その事は脇において、ここで描かれる米中対立の背景が昨今の事情に酷似しているように思われる事が興味深い。

現在でも中国の覇権主義が良く言われる事だが、中国政府の意思決定機関とそのプロセスは我が国や他国にとっても良く分からないのが真相だろう。この著書では、政府高官が居住する中南海のある会議室で定期的に行われる9人のメンバーからなる常務委員会が最高意思決定機関としている。当然この中には軍部を代表する将軍も入っているが、ナンバーワンではない。むしろ老齢のナンバーワンを側近として補佐しているのはナンバーツーの文官で、彼は現在の改革開放路線を積極的に推進している。

問題は現在の中国が改革開放路線の結果貧富の格差が生じ、各地でデモは頻発し13億の国民のコントロールに困難が生じている事にある。将軍はこの事態を憂慮する意味もあるが、常務委員会内部の権力闘争の意味もあり、アメリカに対して軍事的緊張を高める動きを画策する。ここが今日尖閣を巡って激しく動いた日中の駆け引きを髣髴させる場面で、先ずアメリカ海軍が黄海において中国のトロール漁船を引っ掛けて沈没させてしまう。と対抗した中国が潜水艦でその軍艦に対して攻撃を加えて甚大な被害を与える。

あわや大戦の寸前まで行くのだが、主人公の活躍で中国側将軍の秘密の画策が露見する結果になって将軍が失脚する事で事無きに至る筋書き、これを補完するために北朝鮮からイラン迄各国の軍事戦略・諜報に関する事柄が複雑に織り合わされていく。要するにアメリカも国内に様々な難問とイラク・アフガンと難しい国際問題を抱えながら、一寸油断した訳でもないだろうが、中国という大国との向き合い方が非常に難しくなっている事を暗示している訳だ。

小説ではあるが、多く示唆を含む面白い読み物。下らないと言わずに一読を是非お薦めしたい。

2010年9月24日金曜日

売られた喧嘩 買うばかりが能ではない

山では「季節が夏から一気に冬に」とよく言われるが、江戸も一昨日迄の暑さが嘘のように、昨日から急に秋を通り越して今日は初冬に突入したような涼しさだ。今年はどこでも野菜、果物の出来も良くないらしい。事実秋らしい旨い果物にも巡り合わないし、野菜も高いばかりで感激するほど美味い野菜にお目に掛からない。神様が何に怒っているのか分からないが、今年は気候ばかりでなく何か異常な事が多いようだ。諏訪大社の建て御柱で支え綱が切れて死亡事故が起きたり、昨日は千葉県いすみ町のお祭りで神輿が集合した小学校校庭に雷が落ちて、大勢の人が怪我をしている。

国家レベルで言えば、領土問題で中国に因縁をつけられた事も大きな災厄だろう。先程ニュース速報で、身柄を拘束していた問題の船長を釈放と流れた。首相と外務大臣が宗主国アメリカを訪問中でもあるから、当然しかるべきアドバイスがあったのだろう。国務長官が「尖閣諸島は日米安保の対象範囲」みたいリップサービスをしたうえで、「あなた、中国相手に本当に喧嘩が出来るつもりなの?」と言われれば、実質的に中国の言いなりにならざるを得ないのが日本の実態、実力と言う事が良く分かったのではないだろうか。
こうして一歩引けば引いたで、政府は国内の保守勢力や野党から厳しい批判を受ける事になるだろう。

しかし小生のように暢気な父さんからすれば、体当たりしてきた漁船の船長が中国の諜報機関から派遣されていようといまいと、彼を血祭りに上げて首を刎ねたところで何のありがたみも感じない。むしろ厄介者だからさっさと返してよかったとさえ思う。むしろ不思議に思うのは「日本固有の領土だから、国内法に基づいて粛々と法手続きを進めたい」とする政府・又は外務官僚の考えだ。後先を考えずこんなこと言って喜ぶのは石原都知事やコラムニストの勝谷誠彦みたい人たちだけだろう。

この手の方々はやれ軍艦を出せの、抗議船が来たら打ち沈めてしまえと勇ましい事を言うが、最終的に勝てると思っているのだろうか?前原外務大臣様も「こちらには一部始終を確認できるビデオがあるが、裁判の証拠品だから公開できない」として最後まで公開される事がなかった。

元々尖閣の領土問題はややこしいので、日中2国間では鄧小平の知恵で100年棚上げとにしている筈だ。そこに今回は、大国中国が些かもろもろ弱り目の日本を見越してちょっかいを仕掛けてきたに違いない。それをオーストラリア政府がバックアップしている反捕鯨団体同様の手段で対処できると考える事に甘さがある。孫子の兵法の例えにもある通り「勝てない相手とは戦わない事が戦における必須の要件」の筈。

大国の挑発に乗って戦う事を避け、相手の無法を国際世論に訴える事が最善と何故考えなかったのか?そういった思考を予め持っていれば、船を拿捕して乗組員を全員逮捕した時、シーシェパードの船が調査捕鯨船に体当たりしてきた時の映像の映像がすぐ公開されたように、今回も巡視艇に体当たりしてくる映像をすぐさま全世界に公表すべきだったろう。先ず船員だけを釈放したのもご粗末。15人返しても一人残れば一緒じゃないか。それだったら纏めて引っ括ったままにしておいた方が良かったかもしれない。

喧嘩は得意ではないにしても、避けようもなく喧嘩を売られる事があるのは世の常だ。せめて相手の実力と出方を評価出来るスキルは磨いてもらいたいものだ。そんなことより総理大臣のにやけた顔を見ていると、精進潔斎してどこでお祓いでもして貰えと言いたくなる。

2010年9月22日水曜日

特捜検察 正義vs巨悪 「狡兎死して走狗煮らる」

厚生省村木局長の文書偽造指示事件に9月10日無罪判決が出た。これを聞いた時は特捜検察にも失敗する事がるのだなぁ、ぐらいにしか思わなかったが、昨日前田主任検事が、証拠物件のフロッピーディスクを改竄したとして逮捕される事件に発展してしまった。昨日朝一見して、朝日新聞のスクープから始まる三権分立と司法制度の根幹を揺るがす大事件かと一瞬びっくりした。

ところが昨日と今日、インターネットで元々検察の暴走に懸念を表明していた識者(郷原信郎氏、上杉隆氏、勝谷誠彦氏等々)の見解をチェックすると、朝日のスクープ自体が検察記者クラブ内におけるリークと言うより全くの出来レースであるようだ。勿論最高検の緊急会見なんかも周到に準備されたもので、緊急でも何でもないようである。要するに今月10日に無罪判決が出そうだと言う事は検察はとっくに分かっていた訳で、これを如何に一事件の捜査ミスに帰すべく、検察庁は組織を上げて周到な準備を進めたらしい。

一旦着手した事件についてシナリオに沿って犯罪を作り上げていくのは、特捜検察組織の体質であり、既に罪が確定している佐藤優氏に言わせると、これは一種のビジネス、換言すれば法曹界全体をカバーする「検察ビジネス」である。と実に興味深い発言をしている。特捜検察が常に「正義漢」と神話を作り上げる事によって、ここの出身者は弁護士になっても実力ある者として評価され、退職後も旧組織との仲介役を果たしながら生涯甘い汁を吸える実態がある。従って組織全体としては世間に「巨悪」が出現し、それをやっつける役割を演出しなければならないことが宿命づけられている。としている。

となると、一方で定期的に巨悪を世間に出現させなくてはならないが、これを演出するためにマスメディアが重要な役目を担っている訳である。巨悪の嚆矢、筆頭は何と言っても田中角栄元総理らしい。この時の東京地検特捜部検事の堀田力氏も昨日テレビ取材に答えて尤もらしい(あってはならない)事を答えている。

しかし考えてみるに、この事件は田中氏が最高裁判決が出る前に死んでしまったので途中で打ち切られたので、恰も元総理が「巨悪」と断罪されたような印象になってしまっている。しかし識者によれば、これもおかしな話で、何故田中氏のみなのか、本当の「巨悪」であったのかどうかは永遠の闇に葬られてしまった。間違い無いのは世の中に「巨悪」を印象付ける事で「検察ビジネス」が華々しくスタートした事らしい。

古い事はさておいても、最近マスコミによって悪の帝王に祭り上げられたのは何と言っても小沢一郎元民主党幹事長を置いて他はあるまい。勝谷氏に言わせると、今回の前田事件が何故昨日弾けたかが明快である。即ち、「正義漢」リーグとしては何としても小沢一郎だけは総理にするわけに行かなかった。14日の民主党代表選挙前にこの事件が勃発すると、悪玉が検察になり、小沢のイメージが引っくり返って彼が代表になりかねない。検察としてはこれだけは何としても回避しなければならず、村木裁判の判決理由を知りながら民主党代表選をやり過ごした。

かくして目的通り小沢氏の敗北を見届けた上で、自らの終戦処理に入ったと言う事らしい。即ち大阪地検特捜部が手掛けた一事件の捜査ミスで、「悪いのは前田主任検事」の筋書きだ。そこでいつものように、当番せいかどうかは知らぬが、昨日朝日新聞にリーク情報を発表させた次第。一時は大騒ぎになるだろうが、本質的なものは何も変わらない。あくまで検察は捜査権も保持する「正義漢」であり続けるし、そうでなくてはならない。テレビ出演する元検事達もその点は利害が一致していると見え、最高検が迅速に捜査に入った事を了として、第3者委員会のような組織での調査は不可能と断じている。

【狡兎死して走狗煮らる】前田主任検事は可哀そうだが「兎狩りが終わって、自分の肉も煮られて食われてしまった猟犬」のようなものだろう。小生は三権分立の意味も、司法の権限だの難しい事は分からない。だがこれを機会に司法や検察のありように関する問題を政治の場で真剣に議論しても良いのではなかろうか。この事件が政治問題にならないとすれば、どこまでも懲りない官僚の強かさとマスコミの情けなさに又うんざりするだけだ。

9月11日北海道十勝で行われたシンポジュームのライブ映像が分かりやすくこの事を暗示しています。少し長いですが時間の許す方はご覧になってください。
http://iwakamiyasumi.com/
*フォーラム神保町 in 十勝 2010年9月11日

2010年9月21日火曜日

十万億土も遠からず「彼岸の入り」

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。あの異常な暑さも今日明日には終息するらしい。盆に長野に帰ったので例の如く墓参りはさぼらせて頂く。

義母が86歳で健在なので、我が家では未だ70歳の小生は残念ながら敬老に値しない。土曜日に敬老のため義母の家に孫から曾孫まで大集合するので、我が嫁は料理番をしなければならず、前日から仕込に大わらわで、当日は朝から出かけてしまった。小生は留守番で、土曜日は久しぶりに夕食も外食となってしまった。歯の治療中と言う事あり、外食は実に味気が無かった。やはり、こちらの体調を考えて料理してくれる婆さんの料理が一番うまい。

歯は敏感なもので、隙間にちょっと物が挟まっただけでも痛みを感じるものらしい。又これを無理に掻きだそうとブラシを使い過ぎて歯茎に炎症を起こしてしまった。痛みに弱いので予約は明日だったが、電話して今日の昼時間に診てもらった。詰めてあった薬の一部が欠けてしまったらしい。治療は簡単で、310円取られたが痛みには代えられない。内臓の老化は目に見えないが、歯の劣化は顕著であって取り返しがつかない。よく言われる事だが、後悔先に立たずで、若い時にケアをさぼっていた所為だろうから仕方が無い。

食物を摂れなくなれば生物は生きていけなくなる。その入口が最初に壊れてくるのも、世代交代の摂理を考えれば当たり前の事かもしれない。その摂理に抗っているのだが、抵抗できるのも時間の問題と言う感じが自分でもわかる。今までやりたい放題に過ごしてきたのだから、今更老い先を短いとを嘆いてみても仕方が無い。気候もよくなったし連休も又ある。何か楽しく遊ぶ事を考えなくてはなるまい。

そう言えば先週金曜日の夕方銀座のホテルで高校の東京同窓会があった。年次総会では無かったので集ったのは100名程だったが、元タイの大使をしていた後輩の講演があり面白かった。

タイは日本と同様旧い王室があり、日本の皇室と最も親しいようだ。それ以上に印象深かったのは、軍隊が王室の統帥権下で政権と独立している事である。その為にクーデターが起きやすい意味もあるらしい。現代人である自分は、ある程度知識として外国の事情を知っているつもりでいるが、肝心な点について情報が欠如しているので、結局何も分かっていない事を改めて認識した。会食後に校歌を久し振りで大声で歌い非常にすっきりした。

年末には総会があり、我が同窓生が講師になる事が決定した。どんな話が聞けるかが楽しみでもある。

2010年9月17日金曜日

野党自民党「慌てるな!落ち着け!」

昨日は終日雨で気温が低かったので、久しぶりにスーツにネクタイをして得意先に行った。今日は夏の陽射しが戻っているが、数日前と異なり空気に透明感と爽やかさがるある。明らかに季節は秋に入っている。

日常の生活もいろいろな意味において夏休みが終わり、遅々たる速度であっても少しずつエンジンが回り始めている感触がある。今朝テレビワイドショーのコメンテータが民主党の代表選を揶揄して「国民生活に空白が生じている。」と尤もらしく喋っていた。国民生活のどこにどんな空白が生じているのだろう?

この手の連中が庶民感覚から最も縁遠いところに位置している事は間違いあるまい。政治がどんな馬鹿騒ぎをしようと、普通の人間の生活に空白が生じてどうするのだ。今の季節は国会が終了して政治もお休みの時期に入り、テレビコメンテータが変てこな理屈をこねまわす必要もない暇な時期の筈。官僚達だけが、新しい体制で粛々と仕事を進める季節だろう。

本来評論家諸氏にとっては空白であるべき期間だったのが、たまたま民主党代表選挙のお陰で世間が賑やかになり、君たちの出番が出来ただけではないか。この騒ぎに感謝こそすれ、早々にこの騒ぎが収まる事が国民のためだとはチャンチャラおかしい。この騒ぎが早々に収まると飯の種が無くなって困るくせに、強がりで「求む、政治の安定」なんて心にもない事を言っているだけが見え見えだ。

ともあれ、今日発足する内閣は、結局元の木阿弥官僚主導内閣で、秋晴れの爽やかさと言う訳に参らぬ事は誰が見ても明らかだろう。これを見込んで、自民党は来年3月には総選挙なんて勇ましい事を言っているが、新人で自民党から立候補してみようなんて思う人間がどのくらい居るものだろうか?弱小野党時代の民主党は自由業でお金があったたり(弁護士や医者とか)、政治オタク(松下政経塾)でないと政治家にはなれなかった。と言っている人がいたが、言われてみればその通りだ。しかし小沢氏のせいかどうか、先日の菅代表の演説の通り現在は非常に多岐にわたって人材が集まり始めている。

比較してみるに野党自民党は旧社会党や民社党のように組織が控えている訳でもない、財界からの資金援助もままならない、これで候補者をどのようにして擁立しようと言うのだろう。民主党のような若さもないし、かといって老練さも感じられない現在の自民党。民主党と異なり、総裁選を戦った人間が仲良く執行部に並ぶのは麗しくはあるが、これに感心するほど国民は馬鹿ではあるまい。

口を開けば「民主党政権では日本は沈没だ」「諸々待ったなしだ」と騒ぐが、国民には空白なんて関係無いんだよ。与党の悪口を言うのは暫く止めて、政権を取ったら何をするか、じっくり考えて野党としてのセールスポイントを確立してくれ。そして各選挙区に清新な候補者を準備すべきだろう。どう見てもやるべき事が分かっていないようだ。小沢一郎を三顧の礼をもって迎える事に成功でもすれば兎も角、今のままでは10年経っても政権復帰は難しいぞ。

2010年9月16日木曜日

早い者勝ち

昨晩NHKのテレビ「ためしてガッテン」で<痴呆症>を取り上げていた。食事の最中にテレビがついてただけなので、音声が聞こえていた時間も短いので内容の詳細は分からない。今覚えているのは夫婦二人の家族で1人が痴呆症になったら、介護に回る方がこうすれば良い、といったアドバイスめいたことに加え、旨くすれば痴呆症の進行を遅らせる事や場合によってはある程度の回復も可能と言った趣旨だったようだ。

何れにしても食事の最中に見るような映像ではないので、暫くして婆さんがチャンネルを変えてしまった。7月15日の日記で『山の遭難 罪つくりの「ためしてガッテン」』を書いてこの番組をくさしたが、放送時間が小生の夕食時間と重なるので途中から見てしまう事が多い。見なければ良いのだが、昔は料理のヒントになるような事を主にやっていた時代もあり、婆さんも好んで見ていたものだ。

長寿のレギュラー番組にはよくある事で、制作スタッフもネタ切れになって苦労しているのだろう。小生も同じような立場にいた事があるので分からないでもない。突然チャンネルが変わったので「痴呆が快方に向かうなんて事はあり得ないよな。」と声をかけると、すかさず婆さんが答えて曰く「当り前よ、痴呆なんて先になった者勝ちってことよ!」

谷啓ではないが「ガチョ~ん!参りました。」仰る通りかもしれない。小生も既に始まっている事かもしれないが、ここでそんな事心配してどうなる、と言えばそうかもしれない。小生、婆さんほど根性が据わっていないので、少し心配になった。続いて話題になったのは婆さんの同級生の事、同級生同士で一緒になった人たちが何組もあるそうだ。何れも女性が元気で男性が駄目らしい。更に幸いにも、我が家は小生のほうが6歳も年長だ。

2010年9月15日水曜日

読後感「ITは人を幸せにしない」 志村史夫 著

著者は62歳の物理学者、若い時からコンピュータの発展に不可欠な半導体結晶の研究に従事して48歳の時永住の覚悟で渡米、しかし10年後に思うところがあって帰国したと述べている。

著者自身はIT技術の発展に大いに貢献もして来たので、その便利さ等は一般人以上に百も承知である。しかし彼は冒頭に言う、「現代人の三種の神器であるパソコン・携帯電話・インターネットは生活上の利便性は高めたが、物質的豊かさや便利さと裏腹に文明人のつもりの我々は精神的病魔に冒されたり、全ての生物の生活基盤である地球環境を破壊しつつある。」彼はもともと東京駒込の出身であるが、アメリカから帰国してからは静岡の田舎での生活を楽しんでいるとの事。

以前も雑誌で彼のエッセイを何度も読んでいるので、小生の日記でも書いたかもしれない。物理や医学を極めた人程、人知を超えた偉大な力に畏敬の念を抱く傾向が強いようだ。これは宗教と密接に関係してくるが、著者が何かの宗教を特に肩入れしている訳ではない。単に巻末において文明人に対し、奢りを排して宗教と補完的な関係をもつ事が必要では、と示唆を投げかけている。

内容は見出しから「ITが人間を機械化する」「ITは人間を鈍化させる」「ITによって失われた"自然の時間"」「命や健康が商品化される危険」等があり、最終章には「本当の幸せ、豊かさのための13のヒント」を提示している。改めて成程と共感することが多い。

小生も仕事の関係もあって、毎日パソコン・インターネットとは切っても切れない生活をしているし、携帯電話も些か旧式のようだが持つ事は持っている。著者のようにカントリーライフを生活の中心に据えるまではいかないが、著者が力説する「小欲知足」のライフスタイルで人生を満足したいものだ。

2010年9月14日火曜日

残念 小沢一郎

民主党の代表選が終わった。大方の予想通りの結果で、菅氏の続投が決まった。民主的な選挙結果だから文句を言っても始まらない。小生は民主党議員2人に数年来個人的献金をしている。今回の選挙で投票用紙が1通しか来なかったのはどういう意味か分からない。ひょっとしたら1人は地元選挙区外の議員だからかもしれない。その1票は、いろんな思いがあったが小沢一郎と書いて投票した。

どんな思いかと言えば、彼だったら現在の官僚支配を少しは打破できるだろうと期待したからである。従ってこれからも官僚支配が続きそうなので少しがっかりしている。折角選挙がこれだけ盛り上がったのだから、菅氏も少しは小沢氏の意見を取り込んでほしいものだ。でも選挙中から全員野球を力説しているので、相変わらずリーダーシップ欠如の政治になるのだろう。

心配するのは極端な話、野党の言い分にも耳を傾け、官僚に丸め込まれ、民主党の基本ポリシーが滅茶苦茶になってしまう事だ。選挙期間中小沢氏はこの国の形を、官僚主導の中央集権から国民主体の地方主権を主張していた。菅氏が言うように、そんな大それたことが1人の政治家のリーダーシップで出来る筈も無い、事も一面の真理に違いない。

しかし、その志を掲げて初めて政治家ではないか。三人寄れば文殊の知恵もあるが、大勢の意見を聞いていたら極めてつまらない結論しか出てこない。特に戦のような場合はその傾向が顕著だろうし、相手方に見透かされてなめられてしまう。菅氏の外交戦略なんか聞いた事もないし経済戦略も心配だ。諸外国の海千山千を相手に馬鹿にされず堂々と渡り合うために、これからでも良いから自身の信念を身につけてほしい。

どう見ても小沢氏は大衆受けするタイプではない。特に生まれながらの金持ちでもないのに集金能力にたけ、豊富な資金力を背景に独自の政治力を養ってきた事については、いわゆる市民感覚すると許し難いものがあるのだろう。一方菅さん、見てくれも良いしクリーンであるのも事実だろう。数を頼まないような事を言っていたが、民主主義の基本は数だよ。これは誰にでも良い顔をする事とは違う筈。

「何事も基本が大事」の意味が分かるかなぁ。頼むよ菅さん!!

2010年9月13日月曜日

火打山・妙高山登山

この土日にかけて信越国境に聳える火打山と妙高山に登って来た。9号台風は去ったが、大陸から冷たい高気圧が張り出して日本海側に前線が掛かる予報になっていたので天気が持つか心配であった。案の定、土曜日は何とか持ったが、昨日の日曜日は全くの悪天候で、登山と言っても雨の中難行苦行の連続で、単に山に行って来たという事実を作ったにすぎないだけだったかも。しかし、これも山登りの宿命で、無事帰宅して振り返ると結構いい思い出となった。

11日快晴、8:30ホテルのご主人に笹ヶ峰の登山口まで車で送って頂く。明日の天気が心配なので、途中見事な妙高山を撮影。快晴の元、途中の休憩時間に喉を潤しながら遥かに眺める北アルプスの景観にはいつもの事ながら熱い思いがこみ上げてくる。それと登山道の整備が行き届き、大部分木道が整備されている事は感激的だ。
12:15に高野池ヒュッテに到着、ホテルで用意してもらった握り飯で昼食。13:00再び出発、高野池を巡って火打山に登山、随分遠くに見えるが、行きに1時間40分、山頂で15分、帰路に1時間一寸合計3時間ほどの行程。この山歩きは登山道が綺麗に整備されていた事に加え、池の周辺の湿地帯の保護が行き届いて高山植物を観賞するにももってこいの環境が整えられている。秋の紅葉シーズンには少し時期が早いのでお客もそんなには多くないし、見どころには事欠かない。特に山頂から日本海から能登半島まで見る事が出来たのはラッキーでもあった。

雲間に望む日本海と能登半島

紅葉には早いが、ナナカマドの実は鮮やか

ヒュッテは1泊6500円と大変安いが、それなりの覚悟は必要かもしれない。環境保護に徹しているので、ビールでも他の飲料でも容器は一切持ち帰る事になる。更には使用済みのトイレットペーパーも同様である。山の環境を考えれば当たり前なのかもしれない。
比較的空いていたので、自宅で使用しているもの同様三幅布団1枚を1人が占有。8時前には眠りに就いたが、夜中吹いた風が小屋と周りの木々を揺らす音が物凄く、夢現に若い頃よく聞いたウェスターン「ライダーズ・イン・ザスカイ」が頭の中で響いていたようだ。

上の写真(妙高山)は前日撮影したもの
12日雨、起床して朝食を済ませ、出発の準備を整えた6:30には風も止み、曇ってガスってはいるが雨は止んでいた。僥倖を期待して合羽も着ずに歩きだすが、30分も経たないうちに雨が落ちてくる。仕方なく雨用の準備をするが、時間が経つほどに雨は強くなる。目標の妙高山は高野池ヒュッテとの標高差が400m程しかないのだが、手前の茶臼山と妙高の外輪山を登って、降ってとの行程になるうえに、最後の登り勾配が相当にきつい。昨日の標高差は登りで1200m降りで400mだったが、今日の妙高は登りに4時間半(11:00)、山頂で何も見えないので昼飯も抜きにして、下りに2時間半(標高差にして600m、しかも一番易しいと言われる新赤倉ゴンドラ山頂駅までだ。)

2010年9月10日金曜日

気儘な旅について

都会では厳しい残暑が続いていたが、9日の木曜日八ヶ岳山麓の山荘に高校時代の同窓生が涼を求めて15人ほど集まった。本当の目的は昼間のゴルフコンペなので、涼はあまり関係なかったかもしれない。但し小生はゴルフを辞めてしまったので、純粋に涼を求めて夕方からの懇親会だけの参加だった。

ほぼ全員が齢70才に達し、「古来稀にして現代は当たり前」等と冗談を言い合っている。しかし嘗ての張り切りボーイ達も、それなりに身体は作動不良な年寄りになりつつあるが、気持ちの持ちようとやる事は未だ未だとても若い。この日出席したメンバーのうち7人が今年の6月から7月にかけて18日間、今回参加できなかったもう一人のメンバーを加え、車2台に分乗してロスからニューヨークまで米国大陸横断の気儘なドライブ旅行をして来たというのだ。

小生がゴルフもしないのにこの会に出席したのはその顛末を聞きたかったのが最大の理由だった。撮影した写真だけでも参加者トータルでは2,000枚を超えるらしいが、1人がそれを300枚ちょっとセレクトしてパワーポイントのスライドショーとして見せてくれた。見どころ満載で、景観で言えばヨセミテの大自然、シェラネヴァタ山脈やロッキー山脈越えてワイオミングの大草原に至る風景は息をのむような美しさで、普段「海外になんか行きたくない」と威張っている小生も、参ったと言わざるを得ない感じだった。

10日の金曜日も他の皆さんは又ゴルフで早朝に出発。小生はそれを見送って更に2時間ほどのんびり過ごし、バスを待って茅野に向かい、そこからJRで乗り換え2回の後信州黒姫駅まで列車移動、黒姫の駅プチホテル迎えの乗用車で妙高山麓のホテルに。米国大陸横断程のスケールは無いが気儘さにおいては同じような旅を楽しんだ。

2010年9月8日水曜日

干天の慈雨だが安心できそうにない

台風9号の影響で朝から待望の雨、気温も上がらず昼間でもエアコンが必要が無い、エアコンが無い小学校の児童達もほっとした思いだろう。1カ月ぶりの雨らしいが、正に干天の慈雨で気持が休まる。ただこの台風も今夜中には太平洋に抜けてしまい、明日から又酷暑にと言う予報でもあるので、小中学校や農家の方々にとっては未だ気を休める事にならないのはお気の毒な事だ。

こちらは明日から夏休みなので大した仕事も無く、明日来てほしいという電話が1件あったが、月曜日にと言う事で了解してもらった。仕事のペースは段々落ちている。体力気力とも下降傾向にあるので当然だ。さもないと夏はなんとか熱中症であの世に行く事も無く凌いだが、実際には疲労が蓄積されていて、涼しくなってからガクッと来てはたまらない。

先週泌尿器科の医者でそれを注意された。持病の前立腺肥大にとっては暑い夏はとても具合が良いのだそうだ。確かに私もそれは自覚している。でもその事と本当に身体の調子が良くなっている事とは別らしい。むしろこの暑さで体力を消耗している事に気がつかない事の方が問題らしい。言われてみれば尤もな事だ。9月に入ってからエアコンをつけっぱなしで寝ている。最初の1日2日は夜中に鼻水が出て風邪気味の症状が出たりしたが、このところはそんな症状も無く快眠できるようになったので、体調が良いように感じていた。

しかし考えてみると気温ばかりではなく、あらゆる環境の変化に対する身体機能の対応が鈍くなっているのに気がついていない事が多分にあるのだろう。本当に老化してくると暑くとも汗もかかないものらしい。そこまでには至っていないが、気持ちだけで頑張ったりしないように気をつけないといけないのだろう。

2010年9月7日火曜日

異常気象

今日はほんの少しだが暑さが和らいでいる。朝の天気予報では気温は昨日と変わらないとの事だったが、台風の影響のせいか、若干曇りがちな上に風が吹き始めている。昼に昨日と同じ道を池袋まで歩いたが、汗の出方がまるで違う。昨日昼食を食べた食堂で「終わりのない夏は無いのだから、もう少しの辛抱では・・・」と何の見込みも無いのに軽口をたたいた。しかし今日は都会の殺伐たる歩道を歩いてさえ、忍びよる秋の気配を確かに感じる事が出来た。

昨日だったか、気象庁の職員が余り使いたくないのですがと前置きして「今年のこの暑さは異常気象です。」と断言していた。これがこれから当たり前になったのではたまったものではないから、是非異常であってほしいものだ。今朝のテレビでは首都圏の野菜や果物の生育に相当な被害だ出ている事を報じていたが、水不足でさつま芋が全く育たない事を知らされてびっくりした。

数年前、北信の奥地秋山郷を訪れた時に見たパンフレットか何かに、○○年の飢饉で全滅と記された集落が幾つも記載されていたのを思い出した。これだけ日照りが続いたら、江戸時代であれば間違いなく飢饉が発生したのだろう。現代はこれだけ本州のど真ん中に雨が降らなくても、田畑の作物が全滅する事が無いのは立派な事だ。特に稲作については例年並みと予想されている。今や農業技術の進歩、品種改良、利水の完成で食の恵みの有難さを忘れがちだ。

こんな機会に本当は少し食料不足が発生した方が、飽食に慣れた日本人を脅すには良いのではと不穏当な考えも頭をよぎる。たまたま孫の一人が「さつま芋小僧」と言われるほど芋の天麩羅の大ファンなので、婆さんが「真ちゃんには大変な年になるかも。」と言ったので飢饉の事を思い出した次第。

専門家の間では何年に一度くらいが異常なのかは知らないが、小生が初めて東京に出てきた昭和33年の夏も相当な暑さだったように記憶している。当時は高校3年生だが、夏休みにひと月だけ予備校に通うために、当時千代田区三番町にあった千曲寮(長野の大学生のための寮で、学期中は兄貴が入っていた)に仮住まいした。勿論エアコンは無い。昼も夜も暑いので毎日寮内では殆ど裸で暮らしていた事、夕方少し遅くなると麦めしの異臭が鼻について余り食えなかった事から始まり、ここには書ききれない様々の事が併せて思い出された。何れも今思うと別の国の光景みたいだ。

昼食のついでにJRの緑の窓口に行って、明後日から出かける旅行の切符の手配をした。9日は新宿から茅野迄の中央線特急、10日に茅野から黒姫迄の中央線・篠ノ井線・信越線の乗り継ぎ、12日に黒姫から東京迄の信越線・長野新幹線と結構複雑な旅程。鉄道さえ押さえておけば、後はバスとか自家用車の送迎付き。亀の甲より年の功で、最近の山登りは毎度の事だが一寸した大名旅行だ。肝心の山登りは11,12日だから台風も通過してしまう事だろう。

2010年9月6日月曜日

半年振りのご対面

今度の土日は我が町の秋祭り、必ず1日は雨が降るのだが今年はどうだろう?木曜日が台風の影響で久しぶりの雨と予想が出ているので、例年のようにはならずに良い天気が2日続くかもしれない。祭りと言えばかなり昔、孫が小学校に上がる前後には、遊びに来たりしたものだ。しかし流石に中学生と小学校6年生になってしまうと、神輿を見て喜ぶ年齢ではなくなくなったようで、最近は来るとは言わないらしい。婆さんは孫の子守とご接待のお疲れが無くなったので、ここ数年はほっとしていた。

しかし一昨日はもう一人の娘が、未だ1歳9か月の孫を連れて「敬老の日」の前倒しと言って来てくれた。婆さんは何かと大変だろうが、こちらは半年振りに可愛い孫の顔を拝んだので嬉しかった。この前の桜が咲く頃は、赤ん坊がやっと歩きはじめた感じだったが、大分人間らしくなって堂々と歩くようになっていた。日本語は未だほんの数語程度だが、久し振りのこちらとも大分愛想よく意思疎通が出来た。未だ暑い寒いは表現しないのだろうが、出歩くのが好きなようで、真っ黒に日焼けしていて、すごく愛嬌がある。本当に子供の笑顔は何事にも代え難い宝物だ。


孫に元気を貰ったし、町内のお祭りにも関係していないので、今度の土日は久し振りに山に行こうと決めている。今回は妙高・火打、この両山は我が故郷信濃ではなく越後の山の筈だが、何故か妙高は北信(北信濃)5岳の一山とされている。確かにこの5山は善光寺平北部やら志賀高原から眺めると、何とも言えないくらいに美しい。いつかは登ってみたいと思っていた山である。たまたま高校同窓生の集まりが、木曜日の夜に八ヶ岳山麓であるので、それに出席する序に計画した。

金曜日に黒姫高原に移動し、1日ゆっくり静養して土日かけてゆっくり歩いてきたい。紅葉の時期には少し早いのが残念と言えばそうだが、憧れの山の事だ、登る事が出来るだけでハッピーとしよう。

2010年9月3日金曜日

民主党代表選(その2)小沢一郎と質問者

民主主義の大原則は多数決。この事は小学生でも知っている事だろう。菅総理に言わせると、小沢氏は「金と数の力に頼る傾向が強い政治家」だそうだ。今朝になるとこの発言については大分批判的な記事も出ているが、小生も菅総理の認識について疑問を持たざるを得ない。菅総理は丁寧な話し合いの重要性を強調しているが、国会を小学校のホームルームと勘違いしているような気がする。

昨日の日本記者クラブで代表質問に立った記者の不勉強についてはうんざりする。彼等からは小沢の政治資金について、検察が発見できなかった不正をなんとか暴きたい、と言う前のめりの気持ちばかりが伝わってくる。しかし小沢氏の方は政治資金について疑問があるなら、資料を全て公開しているのだから見てください、調べてください、と言っている。ところがこの反論に対して、どの記者も再質問で切り返しが出来ない。これで民意の代表者面をされたのではたまらない。

と言う事は、彼らの誰一人公開された資料を念入りに検証するジャーナリストとして基本中の基本動作をしていない証しに他ならない。「ある人物の体重や身長を調べてみましょう」と言う宿題を読者国民から与えられた生徒が、調査も何もせず単にその人物の前に行って、「答を教えてよ。」と言ってるようにしか見えない。そんなに簡単に教えてもらえるなら、宿題になる筈も無い事が分からないのが情けない。彼等は新聞の論説とテレビ出演のかけもちだ。ひょっとしたらテレビに出演する時間やギャラの方が本業より多くなったりしているのでは?

幾ら移動にハイヤーを利用して時間を稼いでも、売れっ子タレント顔負けのハードなスケジュールでは、記者として地道な調査など出来る筈も無いだろう。余り持ち上げたくないが、小沢氏の発言は、喋りの拙さはあるにせよ、内容が確信に溢れている。軽々しく口は開かないが、喋る以上は100%責任を持ちたいのだろう。記者と政治家の違いと言えばそれまでだが。彼が総理になったら記者会見の仕方なんかも変わる事を期待したい。

この数日民主党代表選絡みで小沢氏をテレビで見る機会が多かったので、関連して思った。テレビタレントがニュースショーの解説者になって、したり顔の解説をするのは仕方が無い。それが彼らの商売でもあり、それなりに台本もある筈だから。しかし、政治家がむやみにテレビワイドショーに出演するのは考えものだ。千人近い国会議員でこの手の番組に出演する政治家は何故か特定の人間に絞られている。出演する政治家は選挙を考えれば有難い話らしいが、毎度テレビの低俗な質問に応答していると、選挙区以外の人間からは芸能タレント並みに思われ、自らの人間性を貶めているのだが。

小沢氏が幹事長時代の定例記者会見で、質問した記者を睨みつけ、木の葉で鼻をくくるが如く「君もよく勉強してから質問してください。」と言っていたのを思い出す。ここ数日の彼は、さすがにそんな風情を見せないが、腹の中でそう思っているに違いない。もし彼が勝ったらその辺はどうなるのか、興味深々だ。

2010年9月2日木曜日

民主党代表選とメディア

世の中全体か我が身だけかは知らないが、至極暢気なもので、民主党の代表選挙をエンターテイメント又は祭り見物として楽しんでいる。政治は「まつりごと」と言われるが、政治家自身も勘違いしているのではなかろうか、民主党の連中妙に浮き浮きとはしゃいでいる。確かに06年から連続4年行われた自民党総裁選と比較すると、昨日と今日だけでも遥かに見応えのあるのも事実だ。特に一昨年9月に麻生氏が総裁になった時の選挙を思い出すと、あの田舎芝居が如何に程度が低いものであり、それを煽ったマスコミの低俗さが改めて思われる。

昨日は代表選に立候補した二人の共同記者会見、先程は日本記者クラブで主催の討論会があった。新聞も今日の朝刊でこの選挙を大々的に取り上げているので、野党の連中も気が気ではないだろう。マスメディアも政策論争を、としきりに言うのだから、昨日の記者会見前に双方の陣営から配布されている政策要旨を1面トップで大々的に取り上げるべきだ。ところがトップに来るのは、「激突」とか「対決」といった政局的ば面白さばかりを追求する言葉が躍る。

先程の記者代表の突っ込みを聞いていても、小沢氏から政治と金で何とか言質を得たい、又は普天間移転に絡んで同じく失言を引き出したい気持ちばかりが目立つのみで、何れも軽くいなされて空振りに終わっている。どう見ても、教師と生徒のようで政治記者の勉強不足感が否めない。証人喚問に応じるか否か、とか検察審先で起訴相当になったらどうするか、と言った子供っぽい質問ばかりで、政策についても論理的な突っ込み質問が出来ないのだ。

彼等と比較すると小沢一郎にはさすが大物政治家の雰囲気がある。小生は先月23日の日記で、小沢氏について代表選に出るべきでない、と書いた。しかし今の気持ちは大分違う。今朝の朝日新聞投書欄に「清潔な無能より灰色の有能を」68歳年金生活者が掲載されている。今まで脳天気で無責任な事を書いて来た事を反省しきりだ。やはり世間は政治家に「なんとかしてほしい」と切実に望んでいる方が大勢いるのだろう。そういった方から見れば、そんな気持ちが起こるのは当然かもしれない。

我が連れ合いも菅氏についてはケチョンケチョンだ。確かに小生から見ても、菅氏からは政治をクリーンにしたいという気持ちはさておき、「この国をこうしたい」との確たる信念は何も伝わってこない。選挙に勝ちたい気持ちから対立候補の足を引っ張るのは仕方無いが、小沢氏は対立候補の悪口を言わない、を選挙の鉄則としているようだ。どうみても政治家の資質に格段の差を見せつけられている思いだ。

問題は、小沢氏が総理になった時官僚やメディアととどう向き合うのかだが、これも小沢氏に言わせると「選挙の結果が明確になる前に、当選したらこうすると、余計な事は一切言ってはいけない。」だそうだ。



2010年9月1日水曜日

「新米」に「さんま」

人生も70歳までたどり着くと考える事も少なくなるので、健康の自己管理がかなりのウエイトをもってくる。特別に意識しなくても昨日も書いたように、体のあちこちに不具合が生じてくるので、自然と考えざるを得ない。薬を2種類毎日飲んで、その薬を処方してもらうために10年以上通っている内科医に二月に一度、3,4年になる泌尿器科にも月に一度は通っている。この他に区が行っている無料の老人健康診断が近くに医者で年に一度ある。

掛かり付けの医者はどちらも「如何ですか?」「特に何も変わりはありません」「そうですか、それではいつもの薬を出しておきましょう」で、決まった薬を処方してもらうのが殆ど。半年に1回ぐらいは血液検査のために採血が行われる。従って血液検査は年に最低5回は受けている事になる。ここ2,3年は毎日歩いたりして適度な運動に気を使っているのに加え、婆さんが食事気を使ってくれるお陰で、注意を喚起されていた尿酸値とクレアチニンの値が安定からむしろ下がる傾向にある。

そしたら今度は区の老人健康診断で、心臓に問題ありとの事だ。何でも心電図に示されるR波なる数値が高い、異常との事。この問題を更に詳しく調べるためには、血液検査でカリュームとカルシュームの値をチェックしなければなりません。てな事で無料と言われた検診結果を聞きに行ったはずが、1350円も徴収されてしまった。更にその結果を掛かり付けの内科医に持参したところ、負荷心電図を見る必要があると言われて検査。ここで又いつもは1400円のところ2400円もお支払いする羽目に。

結局異常は発見できず。安心を買っているのだから、千円や2千円の事をチマチマ言うのも如何かとは思うが、現代のお医者さんは検査がお好きな事だ。幾ら検査をしても、たまたまその時は、と言う事もあるだろう。問診とか触診をもっと重視すべきではないかと思うのだが、待合室に溢れるご同輩の事を思えば、そんな悠長に構えられないのも分かるような気もする。毎日顔を合わせている婆さんが、こちらの顔色を見ながら考えてくれる毎日の食事メニューの方が、医者の処方薬以上に健康管理には重要な意味を持っているに違いあるまい。

先週からごはんが新米になったので、歯が悪いくせに飯が美味い。何日か前、今年は高いと言われる新鮮なさんまの焼き物たっぷりの大根おろしが添えられて出てきた。はらわた周りの骨をいちいち取り始めたら、「歯が悪くても、さんまの小骨なんか飲み込んでしまえばいいのよ。」成程そうして食うと実に美味い。さんまの値段は聞かなかったが、思ったほど高くは無かったらしい。むしろ胡瓜が1本68円にはびっくりしたとの事。記録的な酷暑が続いているが、季節は間違いなく進んでいる。