2016年4月28日木曜日

ゴールデンウィークの予定

シルバーさんであっても明日からゴールデンウィークが始まる。前半は明日から出かけて、30日には故郷長野市の代表的な山飯縄山に登山。後半は4日に友人と福島県に中部まで田舎の祭り見物に出かけることが決まった。今日はその準備で終わった。連休の期間中はJRの割引が無いのがちと悔しいが、高速バスを手配するには遅すぎた。要するに、繁忙期に年寄りまでうろちょろするなとのことだろう。とすれば仕方ないことかもしれぬ。

今日は冷たい雨で、明日も必ずしも天気は良くなりそうにない。しかし30日は何とか晴れてもらえそうだ。今年は雪も殆ど無いことだろう。何度行っても明日遠足となると嬉しくなるのは小学生時代と変わらない。ブログも暫く休まざるを得ないかもしれません。

2016年4月27日水曜日

東京の季節雑感

今日から少し天気が崩れるそうだが、それでもいい季節になった。これか出掛けなくてはならぬので今日は少し早めにアップする。都会住まいだから薫風香るとまでは言えないかもしれぬが、木々の緑は一層濃さを増し、ハナミズキが白やピンクの花をつけ、街路の植え込みにある躑躅が一斉に咲いたので植込みの色これまでと全く違って華やかだ。ご近所の玄関先に置かれたプランターの植物も溢れんばかりに咲き誇っている。

花の名前も分からぬが、何れも美しい。我が町はそんなに古い街ではない。50年前には麦畑だった場所に今やひしめき合うように並ぶ家々、お世辞にも邸宅とは言い難く、どちらかと言えば兎小屋との形容が似合うような家の方が多い。中にポツンポツンとやや大きめな家もあるが、玄関先のプランターに植物を育てているのは大抵前者のご家庭だ。大きな屋敷は屋内の手入れだけで手一杯で、外回りに気を使う暇が無くなるのは理の当然でもある。小さいながらも楽しい我が家なる台詞を昔はよく聞いたが、これが平均的日本人の心根だろうし、平均的日本人でいることが嬉しい春である。

朝方にはご近所の方々が草花に水やりをする姿をよく見かける。ご近所付き合いは一切婆さん任せなので知る人は少ないが、相手からすれば此方がどこの馬の骨かは先刻ご承知のことだろう。水やりは奥さんが多いが、中にお一人だけ男性がいる。多分あまりに齢に変わりがないリタイアメントだろう。この方は他所よりだいぶ大量の花を手入れなさっていて長時間玄関先におられるようだ。こちらを見かけると必ず朝の挨拶をくださる。

都会は田舎に比べ近所付き合いが無いとか薄いので云々とよく聞くが、必ずしもそうと限らない。日本人の人情はどこに住んでも似たようなものだろう。確かにところどころにあるアパートの住人については、婆さんに聞いてもよく分からないらしい。隣組当番になって赤い羽根共同募金の集金やお祭りの寄付集めの際など「あそこは行かなくていい」との申し伝えがある部屋があったりするらしい。我が家の前がごみの集積所になっているのだが、ここに違法投棄が時々あって婆さんが怒っていることもある。

遠方から自転車出来て投げ捨てる悪い奴もいるらしいが、アパートの住人も時々いるとのこと。婆さんは探偵宜しくごみの中に紛れ込んだ荷札なんかで住所を突き止めたリすると、犯人宅に文句を言いに行ったりすることもあったらしい。恐ろしい婆さんだ。今更のように「女性活躍社会」などとうたわなくても、婆さんを敵に回すと碌なことにならないのは今も昔も変わりないだろう。

2016年4月26日火曜日

大学同期会

今日は大学の同期会で昼から大分飲んでしまった。何で招集が掛かったかと言うと、またお一人未亡人が増えたからとのこと。別に断る理由もないので出かけたが、集まったのは男性6人と女性が5人。皆さんお元気そうではあったが、どうしても男性の方が空威張りで、女性は心身ともにお元気なご様子。未亡人が二人出席されていたが正にメリー・ウィドウの言葉通りで本当に幸せそうだった。

新しい未亡人さんは昨年の暮れあたりにご主人をなくされたようで、もうお一人は6年以上前に未亡人になったようだ。お二人とも、この3月フランスで大規模なテロ事件が発生した後でヨーロッパ旅行をされたらしい。お一人はスペインもう一人はフランスとのこと。男性も結構旅がお好きなようで、それぞれ旅の思い出話を中心となって、話が盛り上がる。こちらは残念なことに海外旅行には縁遠いし、今日中心的話題のヨーロッパには一度行ったことが無い。

中にお一人、70歳までに百名山踏破された女性もいて、山の話も大分出てはいたが、何故かこれも北海道の山が中心になってしまって、小生は全く出る幕が無かった。男性陣の旅行はクルージングとか南洋でのトローリングから先週帰ってきたばかりの人が、ロタ島の素晴らしさを力説していた。日本全国は勿論、海外もたいがいのところは行ってしまったので、最近は何とか言う先生の万葉集講座に通っているなんてお人もいる。

そうしたら、3月スペインに行ってきたという未亡人が「私も源氏物語講座に通っているのよ」なんて言い出す始末。とにかく話が高尚過ぎて殆ど発言の機会無く2時間が過ぎ、酔ってしまった。出かけるとき、久しぶりにスーツに革靴を履いた小生を見て婆さんが笑いながら言った。「きっと相当運動するより疲れることでしょう。」正に仰る通りの仕儀と相成った。

2016年4月25日月曜日

北海道5区の補欠選挙

ゴールデンウイークが近づいてきたのに、何もプランが無いのは寂しい限りのことだ。取り敢えず29日はどこかに行ってほしいと言われているので、近くにハイキングにでも行こうかと思うが、どこに行くにしても混んでることが予想されるのであまり乗り気にならない。年取った証拠みたいものだろう。自分は年を取り、遊んでくれる友人も少なくなってきているが、最近テレビなどで観ている限り、報道される若い人には感心することが多い。

先ずはスポーツ選手たち、ボランティア活動をする青少年や選挙運動を等を通して政治活動する若者たち、彼らの発言を聞いていると随分としっかりしたことを喋っている。緊張感に欠けるなまじの政治家の発言なんか比べ物にならない。近現代史に疎く、朝鮮半島や台湾と日本との関係なんか知らなくても、将来を彼らに任せておけば、何とかうまくやってくれるかもと期待したくなる。

危ぶまれていた衆議院北海道5区の補欠選挙も与党が制することが出来たようで、目出度い限りと言いたいが、自民党とすると衆参同時選挙の目が無くなったと一部で報道されたりしている。参議院選挙だけになるにしても、その前にオバマ大統領に広島に来てもらうことが出来そうで、これが大いに自民党の追い風になるとはどういう理屈でそうなるのか、小生にとっては意味不明だ。選挙関連で言えば、現政府の熊本大分震災対応が国民に評価されて北海道の選挙の勝利につながった、と言った解説者がいたが、この解説にも違和感が残った。

報道される若者が頑張っている姿は、その殆どが大勢の人との関わり中で描かれるので、つい拍手を送りたくなる。一方安倍総理に関する報道は、決まって総理一人が際立ち、何もかも彼一人が意思決定しているかのようである。一向に周辺を支える人の姿は見えてこない。自民党にも幅広い意見があり、優秀な人材はいると思うが、彼らはどのように意見を具申しているのだろうか?ひょっとするとよく言われるように、側近だけに頼って国政を行っている可能性が高い。

厳しい選挙戦を制したばかりの時に書くのは悪いが、どうも運転下手な老人ドライバーのタクシーに乗り合わせてしまったような気がしてならない。

2016年4月24日日曜日

個人的地震災害考

昨夜から今朝にかけて熊本地震の報道を4本続けて観た。具体的にはTBS「報道特集」4月16日、4月23日放送分・フジテレビ「新報道2001」とニュース専門ネット局 ビデオニュース・ドットコム「ニュース・コメンタリー (2016年4月23日)」http://www.videonews.com/commentary/160423-01/である。中でも4本目のネット番組は無料で、生々しさでは大変見ごたえがあるので、是非ご覧になることをお勧めしたい。映像報道により改めて今回の地震の凄まじさがを思い知った。これだけ報道が充実している現代、何で今更総理が現地に行かねばならぬか、全く理解できない。

今回の視聴で分かったことは今更ではあるが、今回の地震即ち震度7の揺れが連続してして発生した上に余震が長々続いていることは、現代の地震学者の想定外のことであること。何事もでもそうだが、物事を深く研究している人は簡単に分かったようなことは言わず、分からないことは分かりませんと言うものだ。専門家の言から勝手に想像すると、地震列島日本に住む以上は地震から安全な場所など無いということだ。ハザードマップなるものがあるらしいが、地震発生の可能性が高い場所も低い場所も誤差の範囲とすれば、あっても無駄かもしれぬ。

原発に関しても外国人がよく指摘するように、よくもまあ50基もの原発を建設したものだ改めて思ったりした。この問題はあまりにも大きな問題なので、今日は卑近なこと即ち我が家のことを書くに留める。我が家は詳しく記憶していないが、少なくとも半世紀以上前に購入した中古(購入時は築3年くらいで比較的新しかった)木造家屋である。見た目だけで購入を決めているので設計図面も何も無いが、耐震構造もへったくれもあったものではない。別に1923年(大正12年)の関東大震災クラスのものでなくても、近々発生を予告されている直下型地震に見舞われたらひとたまりもあるまい。

この3本の映像を見て少し安心することもあった。地震周期説(よく言われるのが60年周期で、これ故関東も近々とされている)はかなり眉唾で、地殻変動はもっと長い歴史の中で考慮すべき事象と言うことが先ず第一。次が断層とか地層のずれなるものは1本の線ではなくて、何本(広い範囲に及ぶ網目状)にも枝分かれするものであることが映像取材でよく分かった。地震に対しては近代的耐震構造の建築物と比較すれば、木造建築が脆いのは当たり前であるが、近代的耐震構造建築物でも地割れの真上に立っていると全く抵抗の術がないようでもある。

確率的に言えば、もし自宅周辺地域が被災したら、ご近所内では我が家が真っ先に倒壊するに違いない。しかし科学的に絶対安心と言う場所が無い以上、運を天に任せる以外無さそうでもある。家が倒壊しても、ご近所への迷惑は原発とは大分違うのも確かだ。そんなことが分かって変に安心していることが良いのか悪いのかでもある。

2016年4月22日金曜日

家康関連古文書

天気が悪い日にはジムの歩行マシンを使って歩行数を稼ぐようにしているが、今日のようにお散歩日和ともなると舗装道路でもいいから外を歩きたくなる。そこで思いついたのが国立公文書館で開催中の「平成28年春の特別展 徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯」場所が皇居内堀の千鳥ヶ淵の内側で散歩には絶好のロケーションでもあり、入場料が無料であるのも有り難い。

家康が没したのは元和2年(1616年)4月17日だそうで、今年でちょうど400年にあたる。若い頃、家康に対しては、要領が良いのかもしれぬが古狸のようにこずるいと思っていた。今から思えば嘘みたいだが、戦争中は国中にそんな雰囲気があったように思う。未だ幼稚園児だった小生に対しても、誰かが「家康は秀吉公との約束を違えて跡取りの秀頼を殺してしまった裏切者」と吹き込んでいたのだ。

このように幼児時代に刷り込まれた思いはなかなか消えにくいものだ。大分長じて時代小説を読み漁るようになって、その偏見からはやっと解放された。最近では、同世代の戦国武将信長、秀吉と比較した場合、国の統治者あるいはリーダーとしての素質は圧倒的に優れていたようにも思う。そうでなくては、家康から15代、大坂夏の陣(1615年)から約250年も続く統治の基盤は創り得なかっただろう。

展覧会を見て先ず思ったことは、文書管理が行き届き多くの古文書が現存することに対する驚きだ。一部原本が展示されているが、数百年前の和紙に毛筆で書かれた数々の文書。家康の若い頃の記録であれば、かれこれ400年以上前の文書である。当然ながら紙も黄ばんで劣化がうかがえる。徳川時代の国主を含む為政者たちには、「歴史文書を大切に後世に繋ぐ」共通の価値観があったと思う。家康も紅葉山文庫を作り、古文書のコピーを積極的に作ったらしい。

現代の政府内にこの展覧会に展示されている古文書を解読できる人間が何人いるか分からないが、少なくとも公文書館の職員は保存の重要性を十分認識して、このような機会を作ってくれたことについては多とすべきではある。そこで思うのが、現代におけるデータ保存と筆写の差異である。効率についてどちらに分があるかは言うまでもない。しかし世の中の全てが効率追求になっている現在を思うと、その果てにあるものについての疑問がまた新たになってくる。

蛇足ながら有名な家康の遺訓 なかなか味わい深い

人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくが如し
急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし
堪忍は無事長久の基
怒りは敵と思え
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る
己を責めても人を責めるな
及ばざるは過ぎたるより勝れり

2016年4月21日木曜日

報道の自由とは

今週に入ってから株価が持ち直しているのが不思議でならぬが、博奕好きの友人に言わせれば「非合理的なことが起きる、又は起こすのが博奕の醍醐味」だそうだから、株式投資なんぞも博奕の一種と思えばあながち不思議ではないのかもしれぬ。博奕のことなぞ平凡な市民にはどうでも良いことだ。しかし真面目であるべき国会は酷いことになっている。昨日もまたNHKを観ない婆さんに教えられた。

夕方は19時から30分のNHKニュースしか観ないことを知っているので、帰宅するとその日の重大ニュースを教えてくれるのだ。何回か書いているが、籾井氏が会長になって以来のNHKは本当にどうしようもない。気骨のある友人が1年以上前に振り込みを停止したので集金に来た人に、会長が来て「私が間違っていました」と頭を下げたら払ってやると言ったそうだが、気持ちがよく分かる。婆さん曰く、昨日民放が取り上げた1丁目1番地は、国連人権理事会の特別報告者カリフォルニア大学教授のデービッド・ケイ氏が、記者会見を行なったことだそうだ。

夜の報道番組で観たが、ケイ氏が「日本の報道機関の独立性が深刻な脅威にさらされていることを憂慮する」として、放送法や特定秘密保護法の改正を求める声明を発表したとのこと。こんなことについて指摘されるまでもなく、まともな人間なら誰もが感じたりしているようなことを、なんで態々外国人に指摘されなきゃならないのだろう。と思ったりはしたが、同氏は日本政府への正式な勧告を来年発表する予定という。

内容的には、放送事業者に「政治的公平」を求めた放送法4条の規定を廃止・放送行政を監督は政府ではなく独立行政機関にすべき・定義があいまいで範囲が広がり報道機関の萎縮に繋がりかねない特定秘密保護法の根本的改訂等々になるとの由。政府にとっては実に歓迎できぬ使者で、ケイ氏が再三面会を申し込んだものの高市総務相は多忙を理由に面会を断ったそうだ。コメンテータの後藤健次氏なるおじさんは「面会すべきだった」と仰ったが、そりゃ後知恵でしょう。総務相の会っても答えようがない気持ちはよく分かる。

住んでいると気が付かないのかもしれぬが、日本の「報道の自由」の侵され方は世界標準からするとちょっと問題らしい。この侵され方にもランクがあって日本は72位だそうだ。何でも2010年には11位だったものが安倍政権になって一段と加速したらしい。ケイ氏はこの他にも記者クラブの在り方にも苦言を呈したようでもある。

しかし冷静に考えてみると、政治的プレッシャーや制度の問題だけでは解決しないもっと深い問題があると思う。それは即ち自己規制、ここに問題の根源があると思う。頻繁に報道されていることだが、メディアの幹部が政権の権力者と会食していること。取材先から飯を奢ってもらってまともな批判が書ける筈はない。飯で済んでいるうちは大丈夫なんて思っても、結局のところ大は国有地の払い下げや消費税免除から始まり、小は記者に対する経済的援助に行きつく。お車代で済むうちは可愛いが、とてもそんなものでは済まないことを経験上よく知っている。

2016年4月20日水曜日

何もしなかった

春らしい長閑な陽気の一日だったせいか、何となく眠い。年度の始まりだというのに九州の地震で世の中は騒然としている。産業界も大変だろうが政治の世界はもっと大変かもしれえない。特に政府与党は看板が地震か強風で軒並み倒されてしまっているかのようだ。国会に特別委員会まで設けたTPPの審議がとん挫しそうだし、消費税増税を再び先送りして衆参同時選挙と目論んでいたのが果たしてどうなるのか?

ど素人が心配することでもなさそうなので、久しぶりに山の地図など引っ張り出して眺めているうちに夕方になってしまった。

2016年4月19日火曜日

熊本地震報道

熊本県上益城郡益城町在住の知人がいる。知人というより友人または山友と言うべきであろう。平成25年8月初めだから早いものでもう先一昨年のことになってしまった。南アルプス山中の深い山で偶然に知り合い、長い縦走の果てで難儀していたところを助けてもらって、聖岳という難しい山歩きをサポートしてもらった。その後、秋になって同じ南アルプスの鳳凰三山の縦走にも同行してくれた恩人でもある。

地震災害は地域にいる人全員に例外なく被害が及ぶのは当たり前のことだ、従って先週木曜以来報道で、益城町の被害が甚大との報道に接する度に彼のことが気になっていた。彼は今65歳くらいだったろうか。元自衛隊員でレンジャー部隊に所属した経験を持つ人だから少々のことにはびっくりしないだろうが、今度の相手は自然である。びっくりしなくても、戦って勝てる相手ではない。運の良し悪しによっては間違いが起きないとは限らない。

昨日通じるかどうか分からないまま携帯にメールをしてみた。いつもだとすぐ返信が来るのだが1時間以上経っても返事が来ない。やはり彼の端末なり電波事情が平常でなさそうだと諦めていたら、2時間半後くらいに返信が来たので、取りあえずの無事が確認できてほっとした思いだ。その返信にはこう書いてある。「何とか無事です。未だ余震が凄く車の中で生活しています。頑張ります。」さすがの彼でさえ、地震については恐ろしさを感じた様子が何となく伝わってくる。彼自身は1か月以上車を駆って山歩きをするくらいだから慣れてはいても、ご家族は大変だろう。できるだけ早く平常の生活に戻られることを祈ってやまない。

昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」によると、独自の調査結果で避難箇所が670数か所に及んでいるそうだ。半数以上が自治体指定外の自主避難箇所とのこと。この報道は秀逸だったと思う。当然ながら自主避難場所に対する公的サポートは手が回りにくくなる。自衛隊員も苦労されてはいるが、命令で動かざるを得ないので、ある避難場所に物資を届けたところ、受け手の責任者が「ここでそれは間に合っているので、よそに回してくれ。」と言ったが自衛隊員は町内会長さん程度の人からの指示では動けない。

これまた当然のことで、結局その町内会長さんがその荷物を他に届けることになった。これも同じ番組での放送で紹介されていた。他にもボランティア活動のこととか、永田町の政府が一丸となっても分からないことが沢山ありそうだ。天変地異に際しても己の保身に目が眩み、天災の政治利用すら考える恐るべき政権と、それに尻尾を振るNHK。彼らと比較すると今回はテレビ朝日に「天晴れ」を挙げよう。

2016年4月18日月曜日

読後感「日本の禍機」朝河貫一著

著者の名前を今日まで知らなかったことは、実に不明の至りと恥ずるばかりである。明治6年元会津藩士の息子として生まれ、福島県尋常中学校 (福島県立安積高等学校)から東京専門学校(現早稲田大学)に進み、明治28年に首席で卒業。同年に大隈重信・徳富蘇峰・勝海舟らの支援で渡米、ダートマス大学卒業を経て明治35年にイェール大学大学院を卒業した大秀才で、専門は比較法制史。

昭和17年にはイェール大学の名誉教授にまでなり、歴史家としての名声は世界的なものらしいが。昭和23年に亡くなるまでの生涯の大部分をアメリカで過ごしたためでもあろうか、法制史学者や故郷福島ではともかくとして、名前を知らない人の方が多いと思う。多くの著作があるが、英文で書かれたものが多い中で、この著作は明治42年に日本語で書かれて日本で発行されたとのこと。

明治42年と言えば日露戦争終戦から4年後のことである。アメリカ大統領がセオドア・ルーズベルト氏(共和党)の時代、本書を読む限り次期大統領がウィリアム・タフト氏(共和党)になることがほぼ確定していたようにも思える。
この6代後のフランクリン・ルーズベルト大統領(民主党)時代に真珠湾で日米開戦が勃発することになったことだけは知っている。

著者朝河氏は単なる秀才歴史学者ではない。熱烈な愛国者であって、日露開戦前から欧米の新聞に多数の投稿をして、支那が欧州各国から主権を侵されつつも、その軛を逃れて自主独立のために如何に苦労しているかを説き、特に東北地方に迫っているロシアの横暴を排除して支那を助けるために日本が正義の旗印のもと立ち上がったことを訴え続けたとのことである。また、日露開戦後はアメリカ政府に対しても同様の観点からの支援要請をしたり、アメリカが仲裁に入ってくれたことについても大きな役割を果たしたらしい。

アメリカが上手く仲裁してくれた結果、日本は勝利することにはなりはしたが、日本ではポーツマス条約に調印した小村外相が暴徒に襲われたりして、国民に不満が高まっていった。この国民の雰囲気が結局は政治を支配することを著者は恐れているのである。著者は本書で国民を啓蒙することを狙いとして書いたに違いない。謂わんとすることは明解である。「正義を掲げてロシアを打ち破った日本がロシアと同じように支那を蹂躙しようとする気配がある。このままいけば、遠くない時期に日米が戦争になるのは間違いない。そしてその結果は日本が惨敗するしかありえない。」

「何故ならば、国力が違い過ぎることは勿論、日本に正義が無いこと、日本人がアメリカ人気質を勘違いしていることである。」特にアメリカ人は個人主義で団結力が無いとか意気地なしと考えるのは皮相な見方にすぎぬ、とはっきり言いきっている。思うに現代のジャーナリストなり、学者でもいいが、国際的に己の哲学を発信して、人々の蒙を啓かんとする人間が一人として思いつかないのが悲しい限りだ。改めて明治の日本人の土性骨を知った思いである。

2016年4月17日日曜日

当事者の気持ち

熊本・大分の地震災害は未知の災害で未だ終息の気配は見えず、大方の想定を超える被害となった。被災者の方には心からお見舞い申し上げます。政府も慌てたであろうが、どうもやることが現地を無視しているようなことばかりで余り褒められない。今朝のTBS「時事放談」に出演した仙谷由人元官房長官が「災害対策では国がいくら良いことを言っても、県から市とか町村への連携が上手くいかないことが多く、これが被災者を困惑させる」と語っていたが、本当にその通りだと思う。

その典型が現内閣の非常災害対策本部だろう。今朝第6回の会議が開かれたと報道されているが、何でこんなに頻繁に会議を開かなくてはならぬか?業績の上がらない企業の会議を思わせるのみだ。関連してネット上に昨日上がった面白い記事を見つけたので、大部分を張り付けておく。

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「事は一刻を争う」「被災者救助、支援に万全を期す」
安倍首相は今日4月16日、昼前に開いた非常災害対策本部会議で関係各省を前にこう宣言。菅義偉官房長官も会見で、自衛隊を現在の2千人から2万人に増やすことを決定したと胸を張った。 これを受けて、ネットではいつものごとく、ネトサポ、ネトウヨによる「さすが安倍首相の対応は迅速」「菅直人首相や民主党政権とは全く違う」などと、称賛の“やらせ”書き込みが拡散している。

まったく、冗談も休み休み言ってほしい。今回の熊本大地震に対する安倍政権の対応はとてもじゃないが「迅速」と呼べるようなシロモノではない。首相は今頃になって「事は一刻を争う」などと偉そうに言っているが、当初は地元の要請をはねつけ、その結果、被害をさらに拡大させた形跡があるのだ。そもそも、14日、1回目の地震が起きた時点で、熊本県では行政機能がマヒしている地域がいくつも出てきており、同県の蒲島郁夫知事は政府に対して、主導的に災害対策に取り組んでもらえるよう「激甚災害の早期指定」を求めていた。ところが、政府はこれを取り合わなかった。
 
ちなみに、東日本大震災であれだけ対応の遅れが指摘された菅政権は地震発生の翌日、激甚災害の指定を閣議決定しているが、安倍政権は今日16日昼の時点でもまだ、指定していない。自衛隊の増派についても同様だ。知事側は最初から大量派遣を求めていたにもかかわらず、政府は当初、2000人しか出さなかった。そして今日未明、マグニチュード7.3の大地震が起き、被害の大きさを知ってから、ようやく増派を決定したのである。

「被災者の救出が遅れているのは、1回目の地震で行政機能が麻痺していたところに、2回目の地震が起きて、安否確認や救出が満足に行えていないから。政府が熊本県の求めに応じて、1回目の地震の直後からもっと積極的に動いていたら、もう少しこの混乱を防げたのではないかと思います」(熊本県庁担当記者) その後も、安倍政権は不誠実きわまりない対応を続けている。そのひとつが、 安倍首相自身の現地視察見送りだ。安倍首相は、昨日の政府会合で「現場を自らの目で確かめ、被災者の生の声に接し、今後の対策に生かす」と意気込んでいた。ところが、マグニチュード7.3に達する大地震が起きるや、視察を見送ってしまったのである。
 
官邸は、現地視察を取りやめた理由を「被害の全容把握や被災者支援に万全を期す必要がある」といっているが、そんな理由は成り立たない。というのも、今日午前、与野党幹部が会って週明けのTPP国会審議を行うと確認しているからだ。政界からも「震災対応に万全を期すならTPP審議だってできないはず。それをやれるくらいなんだから、現地視察はできたはずだ」と疑問視する声が出ている。「視察取りやめは、マグニチュード7.3の大地震が起きて、安倍首相がさらに大きな地震が起きるかもしれない、と怖じ気づいたからでしょう。安倍さんは東日本大震災、福島第1原発事故のとき、菅直人首相(当時)の対応を手厳しく批判しました。しかし、菅さんのほうがまだ、自分で危険な場所に行っただけマシ。安倍さんは被害対策を地方に丸投げし、首相公邸に籠もりっきりですからね」(全国紙政治部記者)
 
安倍首相だけではない。やはり今日現地入りする予定だった石井啓一国交相は九州新幹線の脱線現場などを見て回るはずだったのに取りやめた。結局、政府が派遣したのは、災害担当の松本文明内閣府副大臣だけ。しかもこの副大臣、蒲島県知事と面会するなり、「今日中に青空避難所というのは解消してくれ」と切り出し、知事から「避難所が足りなくてみなさんがあそこに出たわけではない。余震が怖くて部屋の中にいられないから出たんだ。現場の気持ちが分かっていない」と怒鳴り返されるという失態を演じてしまった。「蒲島知事は政府の後手後手の対応に相当、怒っていますからね。怒るのも無理はありません」(前出・熊本県庁担当記者)
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2016年4月15日金曜日

「何でかなぁ?」

個人的には彼の言説に賛同しかねるところもあるが、性格的には憎めない人かもしれないし、友人に彼の大ファンがいる。他でもない田母神閣下、元航空幕僚長だから航空自衛隊のトップであった人物である。その彼が昨日公職選挙法違反で逮捕されてしまった。そう聞けば確かに一昨年2月の東京都知事選に立候補していたことを思い出した。何でもその落選後に届け出の無かった運動員(協力者だろう)にお金を配ったことが罪に問われたらしい。

選挙に関しては少しばかりうるさい婆さんの解説によれば、届け出の無い人に礼金を払うことは違反だし、届け出の人数にも制限があるらしい。それにしても配ったお金は税金でもないし、選挙後のことだから買収でもない。一緒に逮捕された選挙事務所長に、せめて我が家の神さんほどの知恵があれば多分そんなことにはならなかったろうにと思いたくなるほどの微罪(?)の感じがする。しかも逮捕したのが泣く子も黙る東京地検特捜部と聞くと、「何でかなぁ?」と思ってしまう。

こんな大昔の微罪を突っつき出すほど暇なのかね。一方の甘利元大臣さんの事件はどうなっているのかねだ。こちらも何かお門違いのURの職員に収賄の疑いありなんて惚けた発表をしているが、肝心の本丸へのアプローチはどうなっているのか。少なくとも昨日までには、甘利氏関係先への強制捜査が行われたとの報道は無い。子供だましのような目くらましは頂けない。

全く違う話になるが、一昨日開催された「第5回国際金融経済分析会合」即ち安倍総理の経済政策に関し、態々外国から著名人を招いてのお勉強会の5回目。
確かこれまでの4回では、消費税増税見送りのご託宣を頂くために開いていたように聞こえていたが、一昨日の会の講師先生の経済協力開発機構(OECD)のアンヘル・グリア事務総長という方が「経済状況が許せば予定通り行うべきだ」と提言したそうだ。

お勉強会だから多様な意見を聞いたのかね?だったら何も聞かないのと同じような気がしてしまう。これも「何でかなぁ?」である。

2016年4月14日木曜日

選挙模様

今年我が国の参議院選挙が行われる予定になっていて、併せて衆議院解散もあるかもしれないことが毎日のように報道を賑わせている。確かに最近街を歩くと参議院候補者と思しき者のポスターに加えて現職衆議院のポスターが目につくようになった。定数削減の影響があるのかないのか知らないが、我が地区は自民党小池百合子さんの選挙区である。彼女の新しいポスターが大分目につくので、与党もうかうかしていられない気分なんだろう。対抗する野党らしきポスターは幸福実現党とか訳の分からぬ党ばかりだ。

前回まで立候補していた元民主党議員は、2回続けて落選してもう立つ気力が無くなってしまったようだ。折角2回続けて投票したのでちと残念でもあるが、
何よりも自公に比べると選挙対策が遅れているようで、後継候補の名前さえ伝わってこない。実は衆議院民進党候補者も既に決まり、活動し始めているのかも知れぬが、こちらの関心が薄いので認識できていないだけかもしれぬ。何れにせよダブル選挙が行われた場合の結果、自公の高笑いが今から見えるような気がする。

日本のことはさて置き、韓国でも国会議員選挙が行われているらしいことを昨晩からのニュースで知った。今まで何で知らなかったのが不思議だが、韓国の政治制度は日本とかなり異なっているようだ。大統領がいるのは知っていたが、三権分立は日本と同じでも立法府(国会)のありようが大分異る。まず一院制で議員定数が300人、任期が4年で解散が無いとのこと。確か人口が日本の半分程度と思うので、議員数が少ないのは当然にしても300人とは羨ましいことだ。

韓国では今回の総選挙の結果、与党が過半数割れになった。大統領任期がまだ2年近くあるらしいので、大統領を頂点とする行政府が苦労するだろうと報じられている。大統領も直接選挙で国民が選んだので大いなる矛盾ともいえる。要するに国民の意向は不変ではありえないということなんだろう。アメリカも大統領選真っただ中で、報道が頻繁にあるが、これも国民世論(風向き)が前回と大分変わってきているようだ。

国民世論と言えばパナマ文書なんて得体のしれない秘密文書の流出で、世界中が大騒ぎをしている。その割に日本のマスコミは意外と冷静だ。何でも日本からタックスヘブンに流出している金額が50兆円になることが分かっているらしいが、その中に「電通」が含まれているらしい。騒がないのはそのせいかもしれない。

2016年4月13日水曜日

テレビ情報

下らぬことと思いつつ朝方と夕食時にどうしてもテレビを見てしまう。1日合計したら多分4時間くらい観ているのではないだろうか。広告業界で言うところのヘビー視聴者かもしれぬ。日本のテレビは食い物の番組が多いそうだが、確かにそうだと思う。それに健康関係の番組も結構多いと思う。昨夜も一昨夜どこかの局でお医者が出演する番組を放送していた。

よくあるのは身体のためになる食材である。大抵の場合何とか病予防のためにお薦めみたい話になっている。例えばバナナが良いとかリンゴが良いとか言ったところで、そんなものばかり毎日食うわけにはいかぬだろう。バナナやリンゴならまだいいとして、コンニャクをテレビが取り上げると、翌日スーパーではコンニャクがよく売れるらしい。昨夜の放送では食事の際に何から食べるのが健康上良いのかみたいな話もしていた。

全く余計なお世話だろうと思うのだが、似たようなことでは天気予報もそうだ。「今日お帰りの時間には雨になりそうです。折りたたみ傘をお持ちになった方が宜しいかと思います」「洗濯は午前中にしましょう」親切心で言っているつもりだろうからケチをつけては失礼にあたるかもしれぬ。こんなことはどうでも良いが、こと病気の話となると少し違ってくる。

昨夜の放送で癌の話もあったが、記憶に残っているのが「歩きすぎは健康によくありません」の弁。群馬県中之条町でかなりの人数の被験者を15年間調査し続けた結果から生まれた結論とのことだった。厚労省は1日1万歩を推奨しているが、これは歩き過ぎの弊害に陥りがちと解説していたように思う。健康管理のための食い物にしろ運動にしろ、万人にお薦めできるメニューはありえないだろう。

グルメ番組で取り上げられると飲食店は当分繁盛するそうだ。経営者がそれで勘違いして一瞬のブームが去ってから後悔するケースが多いとも聞く。テレビ情報を有り難く受け止める人がいるかも知れぬが、大きなお世話だと思うへそ曲がりである。「それならば観なきゃいいだろう」との声が聞こえた気がした。

2016年4月12日火曜日

蟻地獄

囲碁が好きでへぼ碁の典型かもしれぬが、暇に任せて毎日のようにネット囲碁を楽しんでいる。パンダネットなるサイトでネット碁を始めたのは2004年4月だから64歳の時。以来12年間今日までの対局数は6843局、勝率49%、段級位は6級、世界ランキングで12902位、日本ランキングは8747位となっている。囲碁は初段になって一人前とされるが、その域には生涯かけても到達できぬだろう。しかし囲碁はスポーツなんかと異なり、この齢になっても刷毛で墨を塗り重ねているくらい儚いにせよ、進歩があるとされている。

またそのことを十分実感してもいる。何故なら段級位で言うと7、8級程度からスタートしているからだ。但し10年で1級か2級の上達ということなので、生きているうちに5級に到達することさえ難しいかもしれぬ。今日久しぶりに上記の記録をチェックしたが、日本ランキングが8千番台になっていたので嬉しかった。つい先日まで1万位前後をうろちょろしていたように思うからだ。

こんなことから書いたのは訳がある。ネット碁が上達と言っても一本調子で上がってきているわけではない。勝ち負けの世界だから山あり谷ありで、連勝もすれば連敗も当然である。何が原因かわからぬが、負けが続いて不調になると気ばかりが焦る。何とか勝ちを取り戻そうと焦れば焦るほど負けが続くし、ひょんなことで好調になることもある。囲碁の世界には色んな教えがあって、負けが混んで来たら焦らずに少し囲碁がから離れろとも言われる。最近の世相を見ていてこの格言を思い出したのである。

国全体では安全保障環境に緊迫感が高まっているとか、経済的に国力が低下の一方で、国民一人当たりGDPが3万ドルを切って貧乏国家になりつつあるとよく言われる。そこで政府はご親切にも様々な施策を次から次へと講じてくださっている訳でもある。しかしながら何一つ有効打が無くて、意地悪く例えれば蟻地獄に落ちた蟻さんのように見えなくもない。小生の囲碁と似たようなものである。政治においても安全保障や経済をしばらく置いて成り行きに任せてはどうだろう。そう簡単に日本が無くなる訳もあるまい。頭を切り替え、視線、目先を変えて娑婆を見直すことが出来れば少しはすっきりするだろうに。

2016年4月11日月曜日

分かりやすさ

とても読む気にはならないが、石原慎太郎氏が「天才」なる著書を発表した。田中角栄元首相の評伝らしいが、一人称で書いているとのこと。何を今更と感じるが、これをまたテレビや新聞まで取り上げて大騒ぎをしている。著者の宣伝上手に感心していたら今月発売の文藝春秋5月号のトップ記事になってしまった。著書の出版社は幻冬舎となっているので、文春も落ちぶれたものだと思って雑誌を買うのも嫌になってしまった。

広告で見る限り、タイトルが「いま日本に必要なのは田中角栄」で、石原氏が何か書いている風情である。著者にいかなる考えがあったのか知らぬが、彼が現役政治家時代に徹底的に批判していたくせに「よく言うよ」としか言いようがない。著者は昔芥川賞受賞者には違いないが、作家として後世に名を遺すような作品は何一つ無さそうだ。時代の空気を読みながら大衆受けする言説を用いて都知事にまで成り上がったのだから、今風マルチタレントの先駆者として面目躍如だ。

著者に比べれば、田中角栄氏は分かりやすい。善悪とか好き嫌いを別にすれば、彼が目指したものは理解できるような気がする。多分それは個人的には「立身出世」になるのだろうが「身を立て名を上げるには世のため人のためにならなくてはいけない」なることがしっかり脳裏に刷り込まれていたように思えてならない。晩年は病に倒れ不幸ではあったが、絶頂期には近代の二宮金次郎くらいの自負はあったに違いない。

彼なりに国益を考えていたこと、金権体質であろうと党内を取りまとめ、最終的には宿敵福田赳夫氏を登用することに見られる通り、国家経営に関する人材登用が無責任でなかったとも取れる。個人的には好きなタイプとも言える。考えてみれば田中氏以前の政治家、特に総理なったような人には昨今の総理みたいに無責任な人間は少なかったのだろう。更に付け加えれば自分の考えを口にするにも、分かりやすい日本語を使っていたのではないだろうか。

疑問形で書くのは昔のことをよく知らないからである。印象深いのが池田勇人総理の「貧乏人は麦を食え」だ。いま「貧乏人」なんて言っただけで論議を呼びそうだが政治には分かりやすさが大切だ。彼はどんな政策か知らぬが、「所得倍増計画」も打ち出している。GDP600兆円とか期待出生率1.8なんて理解できる国民が如何程いるのかね。庶民には理解が難しいようなこと言えば偉そうに見えると錯覚しているのだろうが、自分自身が理解できていないことを証明していると同じである。

ブログも同じで、自分の考えを分かりやすく表現すべきだろう。言うは易く行うは難しである。

2016年4月10日日曜日

悪事に関する家庭教育

今朝は普段観ない皇室関係の番組を観て。今日がご成婚記念日であることに気が付いた。57回目にあたるそうである。決まり文句であるが改めて流れた歳月の早さと、その長さに思いが至った。数日前に書いたばかりだが、4月10日は親元を離れて大学生生活を始めるべく上京した初日で、個人的にも記念すべき日だった。思い返すと、当時なんと幼かったことか。現代の若者に比べると恥ずかしいくらいだ。中学時代の修学旅行で過去に一度上京の経験はあったが、長野市周辺と松本市在住の経験が少しあるだけだから、東京については東も西も全く別ち難かった。

表現が不適切かもしれぬが、そんな子供にとっては将来への希望とか不安なんぞを感じる以前に、知らない街への興味だけでワクワクしていたようにも思う。現在であれば、小学生か中学生くらいの子供が初めて子供同士でディズニーランド来た時と似ているかもしれない。恐らく現代の大学1年生には信じられないだろうが、間違いなく本当のことだ。ことの良し悪しは別にして、現代の大学新入生が取得できている情報量との差が圧倒的に少なかったからだろう。

社会的には極めて未成熟、碌な知識もないくせに、下らぬことだけは家庭でほどほどの教育を受けていたことが面白い。酒と煙草についてのことだ。当時も法的には成人式までは未成年で、現代と大した違いは無かった筈だ。しかし高校を卒業する年齢になると、進学するにせよ就職するにせよ一般社会では一応一人前に扱われていて、飲酒喫煙は大目に見られていたように思う。多くの家庭でもそんな認識だったのではなかろうか。我が家でも大学入試に合格した日には、厳格だった親父が態々盃を差し出して祝ってくれたものだ。親が喫煙する家庭の子供は殆どが高校時代に喫煙を始めていたから、卒業と同時にごく自然に大っぴらに吸い始めたに違いない。

あとは博奕と女郎買いである。高校時代の飲酒喫煙については「トライ」即ち試すだけならそんなお金を必要としないが、博奕と女郎買いはそうはいかない。博奕の代表格はパチンコ屋への出入り、女郎買いは通学路に特飲街(長野市の場合正式な公娼ではなかったのでこのように称されたらしい)があったので、からかい半分に誘われたことは屡だし、実際に上がり込んだ者もいただろう。何れにせよ、どちらも金と度胸がなかったので無縁ではあった。当然ながら大学生になれば、社会的制約が一切なくなると期待していたのかもしれぬ。

母は悪友が我が家に集まってそんな下らぬ話をしていると「みんな見事大学に入ったら、おばさんが東京で一流の芸者さんを紹介してあげるから、それまで女性のことなんか考えずに勉強しなさい。」と言って友人たちを喜ばせていたものだ。しかし見事大学入学の4月になると、売春防止法とかいう法律が実質的に施行されることになっていて、公娼を含めて一切の売春行為が禁じられ、まともな成人でも大っぴらに買春はできないことになってしまった。18,9歳ともなれば半大人、仕事は半人前でも悪事にはすぐ染まるだろう。何れ一人前になった時でも「程々にしなさいよ」と言い聞かされていたような気がする。

下らぬことを長々書いてしまったが、言いたいことは情報過多時代の不幸である。こちらが大学生になりたての頃は、先に書いたように下らぬことは別にして、これから吸収すべきこと即ち未知のことが多すぎるくらいで、我が身の将来なんかまともに考える余裕が無かった。しかし現代の若者にはまともな情報が若い時から詰め込まれてるが、どうでも良いように見えて誰もが弁えるべき情報が少し不足しているのではないか。若くしてスポーツ選手や芸能人になりたいとか、政治家だけにはなりたくないと決めている人が多いし、事実大学生年齢以前に大成する者も多くなっている。結構なこととは思うが、折角若くして名を挙げながら博奕とか女性問題でつまずいたりする人のニュースに接すると、いわゆる悪事についても若いうちにほどほどの教育が必要だ。昔は家庭がその役目を担ったのだろうが、現代家庭では勉強とかまともなことで精いっぱい、悪事教育までは手が回りかねるようだ。

2016年4月8日金曜日

特に何も無し

春らしい陽気になった。今日はお釈迦様の誕生日、昔は「花まつり」と教わったが果たして現在も通用するだろうか?宗教心が有る訳でもないのに善光寺の門前町長野育ちのせいだろうか、でどうしても意識してしまう。

特に書くべきことも思いつかないので、仏教の教えを少し調べてみた。我が家の墓は曹洞宗の寺にあるので、開祖は道元禅師になる。彼の教えは「正法眼蔵」と言う経に書かれているそうだ。言わんとするところは「一切衆生、森羅万象、宇宙、おおいなるものを
対象として認識することもなく、一体(一如)となる」ことだそうだが、ますます分からない。

序に調べたことを張り付ける。

親鸞の教え 親鸞聖人が90年のご生涯をかけて私たちに教えてくださった“み教え”には、すべての人が救われていく道が説かれています。
次の「他力本願」「悪人正機」「往生」の3つのキーワードで、親鸞聖人のみ教えにふれてみたいと思います。

最澄の教え 一隅を照らす実践を通じて、なくてはならない人となり、なくてはならない人を育んでいきましょうというのが『山家学生式』を著した伝教大師の願いであり、一隅を照らす運動の眼目です。そういう心豊かな人が集まれば、平和で明るい社会が実現するに違いありません。

空海の教え 「悟りとは何であるかというならば、あるがままに自分の心を知ることである(語訳)」と説いています。

日蓮の教え=法華経の教え この世界こそが仏の在(ましま)す浄土である。この世を捨ててどこに浄土を願う必要があろうか〔来世に望みを託すのではなく、今生きているこの世界にこそ、希望を求め続けるべきだ。自らの幸せを願うのであれば、正しい教えのもと、社会全体の幸せを願わなくてはならないと訴えたのが「立正安国」の思想なのです。

やっとスペースを埋めることができた。

2016年4月7日木曜日

学生生活今昔

昨日は快晴だったが、今日は生憎の天気になってしまった。近所の小中学校の新学期が始まったようだ。今まで見かけなかった顔が目につくが、皆緊張の面持ちが初々しい。多分秘かに期すところもあるだろう。大学の入学式はもう数日遅れるだろうが、昨夜NHKのニュースを観て少し考えさせられた。内閣府の統計だったかと思うが、現在一人暮らしの学生への親からの仕送り額は月額8万6700円が平均とのこと。学生の所在地が首都圏だったか全国であったか聞き漏らしたのでアバウトな話ではある。

子供を大学に進学させたい親は多いだろうが、親元から離れたところに送り出すには年間100万円程度の仕送りが必要ということになる。現在のサラリーマンの給料を思うと700万円か800万円程度(地方ではこんなに高給取るのは難しいのかな?)の収入から100万円を仕送りするのは容易ではないだろう。一方受け取る学生の方はもっと大変かもしれない。昨日のニュースでは確か東京在住の学生のことかと思ったが、学生の1日当たりの生活費は平均850円(月額2万5500円)となっているらしい。

親からの仕送りが8万6千円で生活費が2万5千円とすると残りが家賃ということか?しっかり聴いていなかったのでいい加減だが、生活費が食費の聞き違いだったにしても非現実的な数字だ。数人の学生のインタビューがあったが、親からの仕送りの多い人で10万円くらいからゼロまで、家賃が4万円ほどの学生の他に、出身県が東京に設けた寮生活者がいた。また全員がアルバイトをしていた。そりゃ当然そうなるだろう。今どきは親も大変だが子供の学生も容易ではない。保育園問題も大事かもしれぬが、学生の奨学金問題や大学授業料問題も相当な社会問題だろう。

このニュースを聴いて50数年前の大学入学時を思い出した。昭和34年(1959年)春のことだ。慶応大学に入学した当時のことは何度か書いているが、当時の仕送りは月に1万円。その金額について父からこう言われたものだ。「私たち(両親)は例え塩を舐めてもこの仕送りは欠かさない。実際に住む場所と学校についても事前に調査をしてきた結果、これだけあれば十分生活ができるはずだ。従って絶対にアルバイトだけはしてはいけない。アルバイトとは親が十分仕送りできない不幸な環境にある学生のためのものだ。お前は勉強に精を出しなさい。」

父は新宿のアパートから学校までの電車賃や、住居近辺の床屋から風呂屋の料金、駅売店の食品料金から学食のメニュー等々事細かに積算して、月に1万円あれば生活可能と説明してくれた。その時は「へぇ、そんなものか」と聞いていたが、実際上京したのが今上陛下のご成婚日4月の10日。その夜同居する兄と連れ立って新宿に飲みに出かけて、2重の祝いと称して500円か千円近く消費してしまい、再び親不孝が始まった。

2016年4月6日水曜日

何故にTPP強行批准

小生如き凡俗には訳が分からないのが政治の政治たる所以だろう。予算が目出度く固まり、今週から始まった後半国会の焦点はTPPの批准だそうだ。一種のブロック経済への参画について、残念ながら是非を明確に論ずることができない。衣食住のみならず暮らしの全てが地球全域と深いつながりを持っていることは理解できても、関税の仕組みとやらがどんなものか正確に理解できないのは勿論、TPPに含まれるとされる他の条項に至っては皆目分かっていない。税関に長年勤務した友人にでも一度分かり易く解説願いたいものだ。

おバカな己のことはさて置き、この問題については国内が賛否両論に割れているか、5分5分でないにしても反対する人が結構いるようである。参加国が確か12か国だったと思うが、総貿易額の6割以上をアメリカと日本で占めていたようにも記憶する。兎に角最大シェアのアメリカのオバマ大統領の肝いりで交渉がスタートし、オバマ氏の要請で日本が遅れ馳せながら参加したか、させられた組織との理解が正しいかどうか、これもよく分からない。

はっきり理解できているのは、そのお膝元のアメリカではオバマ大統領が今年一杯で人気を終了となること。そして次期大統領選出に向け既に大統領選挙が開始されていること。次期大統領の有力候補者が、何故か知らぬがオバマ氏後継の民主党候補者の二人を含め、口を揃えてこの条約が国益を損ねると否定していることである。日本のことさえ理解できかねるのだからアメリカの事情など分かる筈はないが、上記のことは事実だろう。

日本はごく親しい親分か兄貴分から言われて参加したわけで、特に国内に強い要請があって参加したわけでないことも事実だ。与党の皆さんも国内にあった反対論者を説得するために、かなりの日数を費やしてご苦労されたことも承知している。交渉年月が長すぎた故かどうか、肝心のオバマ大統領のアメリカ国内での立ち位置が大分変ってしまったことについて政権はどのように受け止めているのだろう?

日本人らしく義理堅いと言えば聞こえは良いが、後から不承々々参加した者としては、申し訳ないが暫く様子を拝見させて頂く方が自然だろうに。野党もその程度のアドバイスが何故できぬのか、小生同様不思議に思う人は多いだろう。

2016年4月5日火曜日

無い物ねだり

何か終日肌寒いような感じなので、桜が長持ちしそうだ。ま、何事も一長一短といったところだろう。この1週間ぐらいは花の便りと花見に浮かれる人たち、そして新入社員の報道で、社会が少しは明るくなるかと思いきや、案外そうでもないらしい。結局は景気の先行きがパッとしないので、誰もが将来について不安を抱いているのだろう。

でも春は春らしくである。「中東紛争地域や北朝鮮の住民を思えば、我が国は素晴らしい環境ではないか。先のことなど誰にもわからないが、取りあえず今は春らしく浮かれてみてはどうですか。」老い先短い者がこんなことを言うと些か無責任かもしれぬが、景気は悪いのも確かだろうし、将来景気が良くなる可能性は低いだろう。ならば今のうちに精々楽しむだけ楽しんだらどうだろうか。

後生大事に少しばかりのへそくりを貯めこんでも、いつ使おうというのだろうか?どうせいつかは使うことにはなるだろう。その時果たしていかほどの使いであるのか、どうせ分からないのだ。それとも死ぬまで貯めこんで子孫に美田として残す?それは立派な考えだが、折角一度しかない人生なら、今現在最も有意義に使うべきが、どうも我が哲学らしい。こんな捨て鉢な考えに至ったのは、日本が全体的に段々貧乏国家になりつつあるからである。

一昔前までは日本は世界でも有数の経済大国で、国民一人当たりのGDPも有数だったらしいが、現在後者については2014年統計で27位でなお続落傾向である。これはデフレ現象によるものらしく、政策的にもこの現象を何とか止めようと政権が努力しているところなんだろう。しかし、それが思うに任せず上手くいっていないのも万人の認めるところで、花は咲けども気分が乗らないのが実態らしい。

愚考するに、この政策努力自体がそもそも無理なんだろう。財務大臣の麻生氏は総理と違った考え方を持っているようなことを時に仰るが、彼とてデフレ現象を食い止める適切な処方箋を持っているとはとても思えない。まして他の連中は推して知るべしで、与野党の誰がリーダーになろうと同じことだろう。経済問題、特に景気を良くすることが政策の第一優先課題と考えることが間違っている。

景気なんかもっと悪くなるかもしれないことを前提に、今何をすべきかを考える政治家が出てほしいが、どうも無い物ねだりのようである。

2016年4月4日月曜日

読後感「規制の虜 」黒川 清 著

5年前の東北大震災によって引き起こされた東京電力福島第1発電所の大事故。この事故から9か月後の2011年12月に、この事故の根本原因を調査するために、国会に調査委員会が設置された。当時事故原因の調査する委員会は、このほかにも政府、東電、民間独立と3つの委員会が検証を行っている。また、国会にこの種の委員会が設置されたのも初めてのことだった。この国会事故調査委員会を設置させるべく孤軍奮闘したのが著者の黒川清氏である。

本書は311の大事故から5周年にあたる数日前の先月6日に出版された。前書きに著者の思いが要約されているので、冒頭部分をそっくり引用してみたい。『志が低く、責任感がない。自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。普段は威張っているのに、困難に遭うとわが身可愛さからすぐ逃げる。これが日本の中枢にいる「リーダーたち」だ。政治、行政、銀行、大企業、大学、どこにいる「リーダー」も同じである。日本人は全体としては優れているが、大局観をもって「身を賭しても」という真のリーダーがいない。国民にとって、なんと不幸なことか。福島第1原子力発電所の事故から5年過ぎた今、私は、改めてこの思いを深くしている。』

本書を読み終わると著者の気持ちを十分理解することができる。そこで著者について少し触れたい。著者は学者と言えば学者だろうが、物理とか気象や地理の学者ではなく医師が本業の学者である。彼をこの行動に突き動かした主たる要因は彼の経歴にあると思う。彼は東大医学部の出身ではあるが、東大医学部で象牙の塔に籠ることなく、長年アメリカで修業を重ねてアメリカの医者として成功した後に帰国している。

しかし14年間のアメリカ滞在から最初の帰国に際して、アメリカの大学教授であったにもかかわらず、母校東大医学部の准教授にすらなれなかった経験までしている。80歳に近づいている現在では日本の日本学術会議会長も数期歴任したり内閣参与をしたりしているので、2011年当時は既に日本においても科学者としての評価は高かっただろう。

著者はこんな経歴なので、日本社会において世界標準からずれている点を身をもって体験している訳である。例えばよく言われる国民と立法府の関係、政府と立法府の関係等が、異常であることは予てから問題視していたに違いあるまい。特に国民に大きな影響を及ぼすであろう重大事については、アメリカでは政治色を抜きにした専門家即ち学者の意見を集約することが当たり前でも、日本では全く機能していないことについては大いに不満でもあったろう。

そこに起こったのが今回の原発大事故である。アメリカでこれだけの災害になれば、すぐにも議会に調査委員会が設置される。故に著者は大いに発奮して、日本の国会にもそんな調査委員会設置させるべく、一人で動き始める。様々の苦労の挙句、結果的には日本で初めての国会調査委員会は設置され、半年後には目論見通りの報告書を衆参両院議長並びに全国会議員宛てに提出はできた。その中には今後の原子力発電利用に関して重要な提言が7項目盛り込まれている。

しかし残念ながら、5年を経た今でもその提言は真剣に検討されることはなく、当然その後の原子力政策への影響を与えるに至っていない。そして昨年からは原発再稼働が始まっているのが現状である。この一連の経緯と著者の思いを綴ったのが本書と言える。書名の「規制の虜」とは規制する側が規制される側に取り込まれ、本来の役割を果たせなくなってしまうことを意味している。その結果、日本では原発にはシビアアクシデントは起こらないという虚構がまかり通る結果になっている。

アメリカでは考えられないことだのようだ。著者は原発関連のみならず、冒頭に引用したようにあらゆる場面で同様な現象が生じていることに警鐘を鳴らしている。普段あまり思い浮かばない視点なので参考になるところが多かった。

2016年4月2日土曜日

テレビ番組改変期

昨日の4月1日からテレビの番組編成で変わったものが幾つかある。中で注目するのはテレビ朝日系の「報道ステーション」のキャスター古館伊知郎氏が降板すると同時にゲスト解説者も大幅に変わって11日からの新番組になるとのこと。テレビ東京系「田勢康弘の週刊ニュース新書」はタイトルにキャスターの名前が挿入されているので番組自体が廃止される。放送時間には寝入っているので普段見たことはないがTBS系「ニュース23」のキャスター膳場貴子さんとレギュラー解説者岸井成格氏も降板。NHK「クローズアップ現代」は長年キャスターを務めた国谷裕子さんが先月半ばで既に降板している。

いなくなるメンバーは、一様に安倍政権に対して大分批判的なところがあったようなので、惜しいようにも思う。去っていく人が口を揃えたように言うのは「そこそこお伝えしたいことは言わせて頂いたが、立場上十分だったとは言いがたい。」そりゃそうだろう、彼らとて会社の宮仕えであれば、思いの丈を存分に喋れるはずはない。そもそもテレビ局、即ち放送会社は全て国からの免許事業、一種の利権企業だから国家に逆らえないのは自明のこと。

経歴を詐称するような総務大臣が偉そうに言わなくても、会社には政権に対して盾突く気持なんかはなから持ち合わせていないだろう。そこでものは考えようだ。視聴者であるこちらにしても、同じ人間の考え方は何回か聞けば大体分かってしまう。従って視聴者に強い影響力を持つようなキャスターや解説者ほど頻繁に変わってもらった方が有り難いと思うのだ。後期高齢者ともなれば脳みそが固まって意見を変えるのが難しいかもしれぬが、やはり様々な意見に接することが大事なことだと思う。

そうすれば、ある日突然目覚めることがあるかもしれない。我が国の特徴に空気の支配があるとのこと。来週にでも読後感を上げようと思っている本を読んで思い知った。社会全体が縦糸重視になっているために、上位者の意向を忖度して、その社会を維持していくために不都合な意見を無視したり、不都合な事実を無いことにしてしまうことになりがちだそうだ。確かに思い当たる意見だ。
その弊害を除くためには、何といっても意見の多様性が必要なことは言うまでもない。

放送局に意見の多様性を求めるには、出演者の数をできるだけ多くすることしか方法はあるまい。どんな問題についても、出てくる人間が賛成派も反対派もいつも同じでは、田舎芝居の見物と同じで面白くでもない。放送から少し離れて新聞なんかも含め言うと、昔は外国通信社の記事がよく掲載されていたが、最近殆ど見なくなった。どうも日本の情報社会はガラパゴス化しているらしい。新聞テレビに出てくる外国人も定型化している感が否めない。外国人記者クラブの討論会などををネットで観ていると、外国記者の質問は日本人記者は絶対聞かないだろうと思う質問が出てくる。こんな時は日本のマスコミのありようについて随分考えさせらる。

2016年4月1日金曜日

年寄りの我儘

カレンダーがまた1枚剥がされた。変化ある日々でもないのにか、はたまた何も変化がない故か、何れにせよ月日は凄いスピードで進んでいるようにも思われる。同時に思うのが社会からの疎外感。一応新聞テレビなどの報道は毎日チェックはしているが、内容に対する関心は日ごと薄れて「だからどうした」「どうでもいいじゃないか」と投げやりな気持ちが強まるばかりだ。

先日、高校同窓会の学年幹事会の席で、総会の際に講演を依頼する卒業生の人選があっていろんな意見が出た。配られた候補者リストには50人近い名前があって、それぞれ推薦根拠が簡単に記されている。流石に歴史ある長野高校だけに、それぞれ社会で立派に活躍されたり活躍している方である。実は我が年次からもそういう方を推薦していた。各年次の幹事は当然ながら同期生の推薦理由を述べたりする。

何故かその時、我が年次の立派な方について推薦の発言をしなかった。むしろずっと後輩で「古代・中世の古典籍の伝来と禁裏・公家文庫の研究」をしている学者の講演を聞くこと希望する意見を述べてしまった。約30名の出席者から賛同してくれる人は殆どいなかったので、多分実現の可能性は低いだろう。要するに、最近役に立ちそうな話を聞くことすら面倒なのだ。講演など聞いてもどうせすぐ忘れるだろうし、記憶に残ったにしても何かの役に立たせることなんぞとてもおぼつくまい。なればはなから何の役にも立ちそうにない話を面白げに聞いていた方が楽しいと思うだけである。

こんな意見は幹事としての見識に極めて欠けることかもしれない。その辺が同窓会の難しいところで、幹事団の諸氏も苦労されるところだろう。因みに会長10期後輩、運営に最も尽力されている幹事長は22期も後輩にあたるので苦労が思いやられる。察するに大多数の学年幹事も同窓会を活性化するために、できるだけ著名で個人的にも社会への影響力が大きい卒業生を引っ張り出したいはずで、それが自然でもある。

その思いで考えることすら面倒くさいとは、我がことながら困ったものである。言い訳代わりに余計なことを書く。1期先輩に元外務省高級官僚がいるが、この人は他人の意見を全く聞かない。そして話し出すとスタートと関係のないことまで延々と喋り続ける。同期の友人に小声で「彼少し呆けてきているのでは?」と問うと、元大蔵下級官僚の友人曰く「彼は呆けているわけではないよ。現役時代に閣下なんて呼ばれて、誰もが恐れ入っていた人間は皆ああいう風になってしまうのだよ。」

我儘は年寄りの常ではあるが、それもまた様々だ。