2013年9月30日月曜日

健康自己管理

9月も最終日、4月以降社会のお役にたつことは全く無くて、半年間国民の皆様の税金(正確には年金は税金と違うのかもしれない)で露命を繋がせて頂いた。このところずっと考えてしまうのは、この状態が一体あと何年、或いは何日又は何か月かもしれないが続くのだろうかである。長生きすればするほど子孫に迷惑をかけるだけで、社会に貢献できる唯一の手段が早死にすることと気が付くほど憂鬱なことはない。

改めて街をうろつきながら周りを見ると、多分同様の境遇におられそうなご同輩の多さに気が付いた。この皆さんの心中や如何である。こっちだって街を歩く時は胸を張ってさっさと歩くので、他人から見てもこちらの悩ましい胸の内は察しがつかないだろう。だからとて、食を細くして体力を漸減し、病を得たら死ぬまでほっておいてくれとはいかない。毎朝に夕に頭の先から爪先まで伸ばしたり動かしては、体調をチェックしているのだから我ながら可笑しくなって笑えてしまう。

人体なる代物は実に不思議で、出来るだけ規則正しい生活リズムを心掛けても、ほとんど毎日のように微妙に調子が悪い部分が生ずるようだ。飛行機や車や列車の交通機関や一見複雑そうに見える原発なんか、人体の構造に比べれば玩具のように単純なものに違いない。それですら日々の点検を怠ると事故に繋がってしまうのだから、身体の管理が如何に大変であるかは察しがつこうというものだ。身体の管理のためと称して、俗には様々手段が存在している。

身長や体重計測から血液検査とか、それこそ数えきれないほどの検査方法もあるし、お臍の廻りが身長体重に対して一定の割合を超えると成人病の危険信号ですなんて教えてくれるインデックスまである。こちらも毎年几帳面にお世話になっているが、老人健康診断によると、ずっと昔から、「腎機能が低下しているので塩分を控えてください」と世話まで焼いてくれる。解説をして下さるお医者様には「はい、分かりました。そのように心掛けております。」と愛想よく答えるが、家内の父が「味の無いものなんか食って、長生きしてもしょうがねえ。」が口癖だったそうで、料理は美味いものが一番だ。

だから婆さんも、調理にあたって塩分を量って制限するなんてことは一切していない筈だ。縁あって一緒になった以上、女房の手料理を朝晩食べて病を得るなら仕方ないとすべきだろう。とは言うものの、しょっちゅう風邪をひくし、前立腺肥大に改善は見られない。おまけに昔からできものの出来やすい性質で、皮膚科も毎月のように通わなくてはならぬ。少し我慢していたら炎症が広がってしまったので、久しぶりに行ったらお医者さんに叱られてしまった。治ったと思っても、そう簡単なものではないらしい。

朝顔を洗って鏡を見る時、身体の調子が顔にも出るし、自分の身体は自分が一番気付く筈と思っている。しかしこんな素人判断が良いのか悪いのか、諸々素人の勝手読みは却って良くない言われるのも尤もだ。医者の待合室で「年を取ると眠れなくて困る。」と話している同輩が居たが、今のところその心配だけは無いので、一応満足しておこう。

2013年9月29日日曜日

何のための改革か?

今週は来年4月の消費税増税が大きな話題になるだろう。その前に9月の末はJR北海道の事故不祥事が散々の批判を受けている。この二つの事件が関係あるのか無いのか、実際のことは分からないが、双方共に根本が理解できない。前者のJR北海道については、国が事故の原因追及に乗り出しているが、結果は聞かなくても利益追求の経営体質が根本にあることを槍玉にあげるだろう。後者の消費税増税については、一見反対意見も多いような風情ながら、結局は現状のままでは社会保障制度が維持できぬので、止むを得ないと落ち着くのが見え見えである。

先週の初めにJR北海道の事故報道を受けて後、記者会見で保線区の手抜きが9件から260件に膨れ上がっていくのを聞いた時に先ず感じたのは、会社に対する同情だった。確かに公共輸送機関として許されることではないだろうが、広いエリアのネットワークで人出が足りないのではないか。と瞬間的に思ったものだ。その後だんだん経営内容が報道されるにつれ、民営化直後1万5千人ほどいた職員が約半分になっていることが明らかになる。それでも尚且つ会社は黒字を出していない。(似たような状況はJR四国にもあるようだ)

考えれば当たり前ではと思ってしまう。国鉄の分割民営化がどのような手順でなされたか分からぬが、線路の総延長の割に人口が少なくて乗客は減る一方は当初より明白だったようだ。その環境下で利益を出して税金を納めることを押し付ければ、結果として起きる人減らしから生ずる事故は明白に思える。不祥事の責任は当然経営者にあるから同情は許されないだろうが、個人的には「この小父さんたちは、どんな思いで経営者の座に座ったのだろうか?ひょっとしたら、勝てぬ戦に出陣させられた帝国陸海軍の将に似てはいないか?」と思ってしまった。

一寸ネットで調べると、三公社の分割民営化が始まったのは1980年鈴木善幸内閣、中曽根行革担当相の時代で翌年の3月第2臨時行政調査会 (土光臨調) が発足して、1987年の中曽根内閣で民営化が実現している。1980年代前半日本の財政赤字は約120兆円で推移している。これで大騒ぎになって、国鉄がお荷物だから民営化すれば、これ以上税金をつぎ込む必要が無くなるばかりか、税金がが入ってくるようになる、てな理屈だったような記憶がある。小泉内閣当時の郵政民営化も似たような話なのはご承知の通りだ。

結果現在はどうなっているか。JR東海はリニア新幹線に5兆円の自己投資をするほどだから、結構な税金を払っているかもしれぬ。また一方にはJR北海道や四国のような民間企業が存在するのも事実である。そして国の財政赤字は当時の7倍か8倍1千兆円になろうとしている。これって何かがおかしいと思うのだが、誰も納得できるような解説はしてくれない。消費税アップについても、3党合意できちんと決めているので、と政権側は言うが、党内では明らかに景気活性化の為に公共事業に振り向けるつもりみたいだ。

生ずる結果は全て元の木阿弥と格差の拡大ばかり、これでいいのだろうか?

2013年9月27日金曜日

インタビューとスピーチ

清々しい朝だった。山の紅葉も一気に進むだろうなんてことを考えながら爽やかなウォーキングが出来た。プロ野球東北楽天のリーグ優勝も全国に微笑みを拡げてくれることだろう。万年ビリのチームにアンチの野球ファンなんていないだろうから。日馬富士の3敗は少し残念だが、髷が結えないお相撲さんの「遠藤」この力士の9勝は凄いことだと思う。一時心配だった相撲人気も回復していくことが期待できそうだ。

安藤美姫が1年休暇を取って出産した後に試合で好成績をだしたみたいだ。昨日はスキージャンプの高梨沙良選手が帰国して力強い決意を語っていた。スポーツ観戦の趣味は無い方だが、スポーツニュースには気持ちを明るくしてもらえることが多くて嬉しい。特に選手のインタビューが良い。スポーツ選手の言葉は、決して偉そうなことを言っている訳ではなくても、メリハリがあって聞いて気持ちが良い。

日頃真面目に一つことに取り組んでいる人から発せられる言葉は自然にそうなるのかもしれない。人は気分が良ければ、ふらふらと外に出てみたり買い物でもしたくなるものだろう。東北楽天の優勝が大きな経済効果を生むと言うのも頷ける。対称的なのが政治家の発言で、聞くたびに気が重くなる。なぜ今日本の政府首脳とされる人間が、こんなに沢山外国をうろつかなくてはいけないのか、先ずそれが不思議である。

国内に問題の懸案事項山積と言うのに、よくもまあ、あまり歓迎もされない外国に出かけるのか。それを誰もチェックできないのが日本のシステムで、これこそ平和ボケの象徴だろう。昨日も書いたばかりだが、特に安倍首相の演説は酷い。テレビ局も、あの下らない演説を何度繰り返し放送する神経が分からない。ある時は英語で演説もするが、国語と英語の使い分けの意義を分かる人がいたらぜひ教えて頂きたいものだ。

先にスポーツ選手について書いたが、話す内容がその人の体に染みついているものでなくては、説得力を持たないのは言うまでもない。多分総理の言葉は誰が聞いても空疎に聞こえるのはそうでないのだろう。いつ聞いても自慢話めいた話が多い、相手が誰であれ自慢の種に嘘が見え隠れして、大きなジェスチュアに確信の無さが逆に浮き出ている。しかし、オリンピック招致委員会で多数の人を前に演説して、結果オーライだった。

これが悪かったのだろう。聴衆の心理を読み取る力を全く感じない。演説が上手とされるアメリカ大統領でも、原稿は上等のスピーチライターが書くにせよ、口調と振る舞いをよく心得ているように見える。俄かに身につくことではないだろうが、先ず言わずもがなのことを言わない訓練をするべきだ。総理だから、上から目線は仕方ないと思っているのだろうか、或いは周りがそうさせるのか。残念ながら側近で忠告できる人間はいないに違いない。

2013年9月26日木曜日

日本の最重要課題かもしれぬ

近々安倍総理がニューヨークの国連総会で、女性を尊重する社会の建設を目指すと演説をするそうだ。何処かピントが外れているような気がしてならぬ。今更何を寝ぼけたことを言うのか、と笑いものにならなければいいが。第一、政府が目指す社会とは具体的にどんな社会で、そのための具体策を聞いてみたい。自然の摂理で世の中の男女比はほぼ等分されているし、今や企業活動では女性がつけない職種は無いに等しいだろう。

それに個人的に理解する限り、現代日本は男性より女性の意見が強く反映される社会構造になっているような気がする。それは身体(特に脳みそ)能力の男女差に所以するものだから仕方ないようにも思う。兎に角どこに行っても女性の方が元気で強い。強いて言えば政治の世界だけは、世の多くの女性に馬鹿にされているのか、馬鹿っぽい男性政治家が主導権を握っているのが不思議なくらいだ。総理がアメリカまで行って宣言しなくても、近い将来には欧米並みになることだろう。

女性が主導する社会になったせいなのだろうか?日曜日放送のテレビ番組(フジ系列:新報道2001)を見て少しびっくりした。テーマが母子家庭の貧困問題だったが、びっくりしたのは現代日本では三組に一組の夫婦が離婚するようになっているとのこと。離婚も早ければいいが、子供が出来てからだと子供がかわいそうだ。多くの場合は母親が引きとるようだが、これも当然だろう。数的には父子家庭も少なくはないだろうが、母子家庭が増えているとのこと。

この問題の根本は女性を尊重するとかしないとかの問題ではないし、政治が法律で解決できる問題ではないと思う。所得格差の問題とごっちゃな議論を聞いていて、日本社会の大きな病巣を覗き込んだ思いがした。離婚そのものは昔からある話だし、離婚の危機を経験しない夫婦の方が少数だろう。しかし簡単に引っ付いて、子供が出来ても簡単に離婚すること、または幼児虐待のこと。

何か共通の要因があるように思えるが、余りに問題が重大且つ深刻なので、原因や処方について云々するのは日を改めたい。

*現代の離婚率については聞き違いで2:1だったかもしれません。

2013年9月25日水曜日

読後感「ランナウェイ/逃亡者」ニール・ゴードン著 嵯峨 静江 (翻訳)

著者は知らなかったが、同名タイトルの映画で久々にロバート・レッドフォードが監督・ 製作・出演したものが近々公開されると聞いたので、興味をひかれて読んでみた。著者の作品は日本であまり紹介されていないようなので、知らなくて当然かもしれない。タイトルからするとアクション系のお話かと思ったが、全く異なる深い示唆に富む社会派ドラマとでもいうべきだ。

こういっては申し訳ないが、日本では見つけにくいタイプかも知れない。話の内容は簡単に紹介したくても出来ないくらい複雑とも言える。先ず文章の構成が非常にユニークで、ロバート・レッドフォードがこれをどうやって映画化できたのだろうかと不思議に思うほどだ。著者は南アフリカ生まれとなっているが、恐らくアメリカ人なのだろう。1958年生まれでイェール大学でフランス文学の博士号を取得とある。

お話の方は主人公が一人とは言えず、著者の立ち位置が1996年だったり10年後の2006年だったりする上に、大勢の登場人物の時代背景は更に遡って1970年代の事件に跳んだりする。更に厄介なことが二つある。一つはただでさえ登場人物が多いうえに、時によって呼び名が姓であったり、名であったり、或いは愛称になったり、意図的に使われる変名となること。この手の本につきもので冒頭に掲載されている登場人物欄にはほんの数人しか紹介が無い。

二つ目はこれも日本人読者ゆえの悩みだろうが、広いアメリカが舞台なので、舞台背景のイメージが湧きにくいこと。逃亡者を描くのだから舞台背景は刻々と変化する。パソコンにアメリカの地図を開きぱなしで読み進めた感じだ。こう書いてくると如何にも読みにくく、つまらなそうに感じてしまうかも知らぬが、登場人物が通り一遍の善玉と悪玉でないし、絡みもストーリーとして実に巧みに構成されている。600頁を超える大作であるが、息つく暇を与えられずに惹き込まれていった。

内容について一つだけ言うと、お話の骨格を成しているのは1970年代半ばから80年代にかけての反戦学生運動である。私は一世代前の1960年代の学生運動をノンポリとして横目で見ていただけなので実態は知らないし、この小説と同時代に日本でも発生した浅間山荘事件なんかも余り関心が無かった。
ただ80年代の後半に、勤務先で大阪支店長になった時に遭遇したことで忘れ難いことがある。会社に府警の公安のお巡りさんが訪ねてきて内密に話したいと切り出されたことだ。

当時の部下は40人ほどだったと記憶するが、その中に学生運動で逮捕歴のある人間が二人もいた。正にこの本のテーマみたいなことになるが、信じられないほど真面目な彼らを警察は何十年経っても監視を続けることを初めて知って少しショックだった。本書の中には度々登場してくる言葉に「コインテルプロ」がある。これは米国FBIによるもっと怖いプログラムのようで、現実問題でもあろう。著者は主に悪者を描きながら、米国上流現代社会が世界に対して何をしてきたか、また何をし続けているかを強く訴えてる。

アメリカで言えばヒッピー族、日本でも70年代から80年代にかけての学生運動に参加していた連中が恐れていた事態が現在正に進行しているのかもしれない。

2013年9月24日火曜日

初秋の故郷



台風一過で身体を動かすには最適の連休が巡ってきた。天気予報では全国的に3日間晴れが続くとのこと。丁度1週間ほど前には長野市近郊をそぞろ歩きしようかと思ったが、最初に訪ねようと思った松代の友人が稲刈りで忙しいと断ってきたので気が変わった。やっぱり山とは思ったのだが、余り本格的に歩く気は起きない。何となく楽して行けるところでと思い、黒部ダムから室堂に抜けて室堂付近を散策することに切り換えた。

土曜日の朝東京を発って昼過ぎに室堂に到着、翌日の昼前まで。快晴に恵まれたっぷり高原の空気を吸うことができた。少し肌寒いくらいの気候の元、澄んだ青空とはっきり浮かび上がる山の稜線を見ているといつまでも飽きない。日曜日の夕方には長野市内で従妹と合流、親類の近況やら昨日今日の立山の話、そして明日の予定など話しながら駅近くの串揚げ屋で会食。野菜は新鮮だし美味しかった。更に昨日は従妹の他に弟も合流して、3人で須坂の米子不動尊と米子の大瀑布にハイキング。弟は若い時代に須坂市内に4年も住んでいたので、地元の地理や地誌にも明るい。

ホテルに8時に迎えに来てもらい、不動尊奥の院と瀑布を巡って不動尊の里宮に降ると丁度お昼。山のお不動さんは掘立小屋だが、里宮と滝はなかなかのものだった。里宮参拝の後で境内の四阿で、地元の二人に用意してもらったピクニック弁当を開げて昼食。綺麗な寺だが、紅葉の観光シーズンには少し早いので静かなものだった。午後は須坂市内の観光スポット豪商の館「田中総本家」博物館を見学。普段はクローズしているお客様ご接待用の座敷が公開されていて、当主の解説付きで見学したが、これも見応えがあった。

京都や奈良の旧所名跡とは異なる何となく鄙びた風情、と言えば格好いいが、田舎臭さに親近感を覚える。昔と言っても僅か100年かそこら前だけのことだからだろう。昔の人は、稼いだ金で地元の職人衆に結構な量の仕事を発注していたことがよく分かる。この程度の金持ちは日本全国各地に沢山居て、それぞれが地元の経済を支えていたのだろうな。比べて現在の経済システムて奴はどこか変だ、なんて考えたりしてしまった。

お彼岸なので墓参りもしなくてはと思ったが弟が「昨日のうちに右代表で済ませたから大丈夫だよ。」と言ってくれたので甘えてしまった。
山は青き故郷 水は清き故郷 を目の当たりにして、理屈無しに故郷を有難く思うのみであった。

他の写真などをヤマレコにアップしましたのでご覧ください。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-348747.html
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-348793.html

2013年9月20日金曜日

良い気候になった

気が付くと随分日が短くなっている。事務所を出るのを19時半と決めているが、最近では既に真っ暗だ。自宅まで10分ほどの道だが、昨夜はところどころにある空地の雑草の中から聞こえる虫の声と共に、中秋の名月を心行くまで鑑賞出来た。台風18号が去って以来火曜日から4日間も気持ちのいい秋晴れが続いている。しかも今度の3連休もまずまずの天気とのこと。

移り気な日本の気候としては非常に珍しい。最近ニュースでしきりに日本の景気が上向いているような話題が流されるが、実感が伴わないので、どうしても素直に受け止めることが出来ない。その点天気予報は比較的当たるし、晴れの予報を聞くと信じて嬉しくなってしまう。調子に乗って、この連休にはきつい山登りを避けて、アルプスの裾野や北信のハイキングを楽しむことを決めた。

天気の関係で付け加えると、昨夜真夜中に大きな地震があった。普段少々の揺れでは目が覚めないつもりだが、思わず起きてしまった。結果的には震度2か3だったようなので、他の生理現象と関連してしまったのだろう。それにしても震源地が福島の浜通りで、福一原発付近は震度4か5だったらしい。それでも東電は早々と「昨夜の地震による異常は確認されていない」と発表している。地震による変化は無い方が不自然に思うが、地震が原因かどうかも確認できぬほど異常事態が続いていると言うことだろう。

我が信頼する気象庁によれば、地震の原因を一昨年311の余震とし、今後もこの程度の余震発生の可能性が大きいと言っている。相変わらず世界の注目を集めているにも拘らず、我が国では事故収束に向けて本格的取り組みが始まらない。事故の収束に関しては与党も野党も無いと思うのだが、与野党は互いの責任の追及ばかりだ。先の大戦直後に陸軍と海軍が互いに責任をなすりあったり、私は戦争に反対していたと言い出す人間が増えたのに似ている。

我が国では終戦時までは(責任を取る=自決する)だったので、皆死ぬのが怖いのは分かるが、それにしても鮮やかに責任を果たす人間が少なすぎる。そして責任を取る気も無い人間に限って「私が責任を取ります」と無責任に言うのも困った現象である。我が家では昨夜の地震について、総理の原発視察なんてパフォーマンスを、天が怒って警告を発したと受け止めている。

2013年9月19日木曜日

やりたい放題を見ていると

今日、図書館の帰り道に、永田町の国会議事堂と議員会館を見ながらふと思った。大勢の警察官がものものしく守っているが、この一帯に現在何人の議員が居るのだろう。多分数えるほどしかいないだろうに、議員会館の大げさなことは何だ。国民の大半は実物を目にしないからいいようなものだろうが、目の当たりにすると、旧ルーマニアのチャウシェスクの宮殿を思い出してしまう。憲法で国会の会期は決められているので、国会が開かれないのも違法でも何でもない。

同じく休会中であっても、シリアの問題に対しては臨時に国会を開いて議論した国は沢山ある。シリア問題は難しすぎて我が国の議員が寄っても議論にはならないのだろう。しかし東電の問題を他国の議会が取り上げるようになったら、日本は主権国家とは言えなくなる。与野党を問わず、諸先生方に於かれては勿論お分かりだと思いたい。尤も現在の日本はほゞ自民党の独裁体制に近いので、国会は単なる茶番にしかならぬのだろう。

戦前から戦中にかけての日本について身を以て理解できている訳ではないが、軍の意向が強く働き、一種の独裁体制が敷かれていたように理解している。言論は統制され、徴兵制によって兵役を義務付けられていたことは事実で、これだけでも民主主義国家とは言い難いだろう。現代は一応民主主義体制とされているが、現政権を見ていると、別に戦争をしたいのではないだろうが、一昔前(昭和初期)の体制方向に舵をきっているようにしか見えない。

違っているのは仮想敵国が米英から東アジアの中国と北朝鮮に替わっているだけである。と文句を言っても政権はまっとうな選挙の結果で選ばれているので、方向性の修正は実際的には難しいだろう。昭和初期の政権にしても、別に軍部がクーデターで選挙で選ばれた政権をひっくり返したわけではない。国民の支持のもと、いつの間にか軍部独裁体制が取られ、国民支持のもとで米英との大戦に突っ込んでしまった訳である。

これから先、日本に何が起きるか分からないが、アメリカの戦争に日本が巻き込まれる可能性も、日中で事変が突発する可能性も大分高まってきていると思う。嘗て、大正から昭和にかけての一時期には、新聞が世論をリードして内閣をひっくり返したこともあったらしいが、最早マスメディアにはなにも期待することもできない。情けない限りではないか。

2013年9月18日水曜日

公立小学校学力ランキング

昨日だったか静岡県知事と静岡県教育長がテレビカメラの前で、珍しく激しく対立していた。何でも4月に行われた全国一斉の学力テストの結果が公表されて、教育長が学校別結果を知事の元に届けたが、知事がこれを公表するとしたので、教育長が学校名の公表は学校の序列化に繋がるので差し控えるべきとして意見が対立。だったら受け取っても意味が無いので持ち帰ってくれ。とのことで教育長が持ち帰ったとの報道だ。

テレビカメラの前での子供じみたやり取りを見ていると、知事から仕掛けたヤラセの臭いが見える。今までどうだったのかとか、他都道府県ではどうなのか分からぬが、今年度の結果では静岡県の国語も算数も低位だったようだ。静岡県知事が特に義務教育に力を入れていたとすれば、気持ちは分からぬでもないが、どうもそうではなさそうだ。エクスキューズに小芝居を仕掛けた臭い。一方教育長とすれば、低位にランクされた学校で先生方のモラール(士気)が下がることを嫌ったのだろう。こっちも分からぬではないが、少しジェスチュアに見える。

その程度のこと(たまさかのサンプル調査みたいものではないか)で先生方のモラールが下がるだろうか?未だに偏差値と言う言葉を理解できないでいるが、トップの県にしてもビリの県でも平均値との差は1割にも満たない。国際的な比較でこの平均値がどんな位置付けになるか知らぬが、素人目には我が国の義務教育は総じて頑張ってくれているように見える。その中でのランキングだから、国が県別なんかのランキングと同時か、むしろ前に2万校程あるようだが全校の結果を公表すればいいではないかと思う。

都道府県別に見れば秋田が国語算数共にトップのようだが、秋田県の学校全てがトップの筈も無いし、47位の県でも上位にランクされている学校もあるだろう。子供たちも何れ社会に出れば、激しい生存競争にさらされるのは運命づけられている。教師もその中で懸命に努力してる姿を見せるのは悪いことではない。いつの頃だったろうか、運動会の駆けっこで順番を着けないとか、下らないことがニュースになったことがある。実は娘が大阪の小学校時代にこれが採用され、家内は亭主を単身で大阪に置いて、娘を連れて東京に帰る決心をしたらしい。

我が学生時代は何事も序列がものを言う時代だった。劣等生だったので序列なんぞになんぼの意味があるかと強がってはいたが、劣等感が全くなかったと言えば嘘になるかもしれない。しかし蓮舫議員ではないが「何故、1番でなくてはいけないのですか?」との逆バネも、ある意味では人格形成に役立っているかもしれない。ことの序でに毎年国会議員の学力テストを実施して、結果を公表すれば全国民に有益だろう。笑

2013年9月17日火曜日

根本的原因

時代に恵まれたと言うべきだろうが、生まれてこの方さしたる苦労も無しにぬくぬくとした生活を送ってきて今更言うのは少し気が引ける。しかし我が国の将来を考えてみると、このままでは子や孫たちが自分が過ごしてきたと同じように安閑と過ごせないのでは、との不安がよぎらぬでもない。人口は減っていくし、年寄りの比率は高くなるので、若い人たちには何かと苦労が増えるかもしれない。いや、若い人には若い人の知恵があって、彼等も皆ハッピーな人生を全うするだろう。

確かに余計な心配だが、できれば日本のどこかに手を入れて、もう少しの安心感を得たい気がする。普通に考えれば、民主主義国家だから政治システムをより民主的に効率良くすることが抜本対策かもしれない。その上で、先の戦争の敗戦や外国による占領でも変えることが出来なかった牢固たる官僚システムを変更出来ればなぁ。なんて思ったりもしたが、実現の可能性を考えると夢物語に近い気がする。枝葉が茂りすぎたシステムでは部分的手入れをしてもどうにもならぬからだ。現代の政治は既にシステムの一部に成り下がっている。

また、現代日本には「格差の拡大」の現実がある。保守的な政党も含め政治がこれを肯定はしている訳ではないが、貧乏人の比率が増え続けるトレンドには当分歯止めが掛かりそうにない。我が子孫が少数のお金持ちに属する可能性はゼロだろう。では、やや社会主義政党(前政権のようなものか)に政権が替われば何とかなるのだろうか。これも大いに疑問である。既に財政手段としての再配分機能なんぞを期待する時期はとっくに逸していることは明らかだ。資本主義の原則で世の中が回って行く限り、残念ながら格差は拡大の一途を辿るだろう。

行き着く先は分からないが、日本では幾ら貧乏人が増えても(アメリカも同じだが)革命は起きないだろうし、ヒトラーのような独裁的人間が出現して体制をひっくり返すことも無いだろう。どう考えてもハッピーな未来像が湧いてこない。更に貧富の問題だけに留まらず地域間格差も益々拡大しそうな感じがする。この問題については、道州制を導入したり大阪都構想をぶち上げたりして、地方自治権を拡大することで打破したいとする政治家もいる。政治や行政の実態を知らずに書くが、これも相当疑わしい。

ここ何十年に亘り、市町村合併で地方自治体は肥大化を遂げてきている。これで地域間格差がどの程度解消されたのだろうか。都市部の過密化に反比例して地方の疲弊は進む一方で、国土全体としてはむしろ荒廃しつつのではなかろうか。そんなことを考えていて、ふと思った。これは全て明治維新に根本的原因があるのではないか。これまた歴史を知らずいい加減に書くが、廃藩置県とは町村合併に近い形であり、これが間違いの初めではないだろうか。

シリアの話ではないが主権国家の主を追放するにする一種の革命だから、藩制度を残すことは出来なかったのだろう。しかしここまで来て改憲を言いだすなら、中央集権制を根本から見直して共和国制を検討したり、市町村の再分割を試みたらどうだろう。国家の資産は資本も負債も分割分配すれば、金額が小さくなるので知恵の湧きようも変わってくるかもしれぬ。天皇の扱いについては、過去に於いても幕府や政府が都合よく変更してきているのだから心配いらぬだろう。

2013年9月16日月曜日

勝ち目のない戦の中で

都心では大騒ぎの割にで、今日の台風は都心を避けてくれたみたいだ。昨日の朝プールに出かけた時の方が風雨とも格段に酷かった。早朝からの騒ぎのお陰で午前中は何処にも出かけず、久しぶりに朝酒こそしなかったが朝寝をゆっくりすることが出来た。誠に結構な敬老の日だ。

朝寝をしながらテレビを見ていると、むしろ京都の嵐山辺りは事前の警報はどうであったか気になってしまう。現在進行中だろうが、東北に進んでいる台風の勢力は衰えてきたのだろうか。強風に豪雨を伴って福一サイトを襲うとどんなことになるのか。どうもテレビは肝心なところを態と外して報道している気がしてならぬ。風が無くてもクレーンが引っくり返る事故はしょっちゅうあるし、昨夜来の雨でどこかの水が溢れたのでタンクに移し替えているとのニュースも耳に入ってくる。場当たりを絵に描いたような話だ。

「汚染水タンクに蓋が無いなんてことはないだろうな。」と言ったら婆さんが笑いながら「聞かない方が良いんじゃないの。」と答えた。そんな馬鹿なことはあり得ないだろうが、ここ数日福島で震度4の地震が頻発しているのも気になってしまう。兎に角自然の驚異は厄介なもので、これから先何年も何十年も、福一サイトでは自然災害からの被害を少なくする努力を強いられることになるのだろう。

思えばご苦労な話だ。問題は誰がその役を担うかであるが、現場に於いては現在頑張っている人たちの他に引き継ぐ人間が出てくる筈も無い。問題はその人たちの生活を保障する経営者たちである。この人たちは東京霞が関付近の東電本社や経産省にいるのだろう。テレビでたまに見る限りだが、東電の社長や役員クラスは明らかに戦意を喪失している。勝手に忖度すれば「早いとこ会社を潰してくれ」ではなかろうか?彼らにしてみれば勝ち目のない戦であることは先刻百も承知だろう。

一旦終戦となってこれまでの東電方式(官僚システムによる情報操作)がチャラになり、東電の持てる情報が全て公開されたらどうなるだろうか。先頭に立って旗を振る人間にもよるだろうが(個人的には非現実的だが馬淵澄夫氏が良いと思っている)、現場に立つ人間の動きが明らかに変わると思う。

未だに現政権でも東電を潰す根性は無いようだが、思えば民主党政権の罪は重い。日本航空を破綻処理しながら、東電を潰せなかったこと。ここにはどんな闇があったのだろう。政府が前面に出ると言っても東電が企業として存続する限り、指揮命令系統が複雑化するだけで、終戦間際の日本軍と同じことになるだけのことだろう。現場の人たちは線量の累積が一定になると戦線離脱を余儀なくされる。戦争に例えれば兵力の消耗そのものではないか。資源の逐次投入も旧日本軍の思想そのままで、本当に懲りない面々だ。

現場で指揮を執る人の心中を察すると、勝ち目のない戦いを強いられた母校の先輩硫黄島の栗林中将を思い出してしまう。

2013年9月15日日曜日

懐かしい言葉

台風18号が本州に接近しているようで朝から雷と土砂降り、昼過ぎには一旦晴れはしたがかなり不安定な天気となった。明日が本番で、その後に秋本番が来るとすれば、そっちは待ち遠しい気もある。東京方面への直撃予想は久し振りらしく、普段使っていない2階の雨戸を建てに行った婆さんが「久しぶりなので、なかなか上手くいかなかった。」とこぼしていた。なんて言っても風通しが良すぎる老朽家屋なので、被害を被らないこと祈るしかない。

月に叢雲の喩えではないが、中秋の名月の前後には台風がある。日本の四季は本当に良くしたもので、温暖な気候の割には自然災害が毎年のように何処かにやってくる。日本人の勤勉性はこの自然環境に育まれているのだろう。酷寒酷暑もどこかで変化して穏やかな日が戻るが、一筋縄ではいかない。毎日すべきことを几帳面に積み上げ、そんな災害にあった時は諦めて、翌年に向けてゼロからやり直す。災難災害に遭遇する可能性は常にあるので、代替手段を含め最低の備えだけは心掛ける。

大自然を克服したり、抗って封じ込めることはあまり考えない。日本人が積み上げてきた文化の根底には、全てこの自然観であるような気がする。禍福は糾える縄の如しで、福に恵まれたからと言って余り極端に溜め込んでも仕方がない。多少の不幸にもそんなにめげない。小椋佳作詞作曲:美空ひばりの名曲「愛燦々」を聞くたびに、一寸異人さんには分かり難い歌ではないかななんて勝手に思っている。度々書いているが諦めが早いのは個人的なことで、褒められたことではないかもしらぬが、子や孫まではどうもDNAが繋がっていそうだ。

どこの家庭もこんな考えでいたら、日本の素晴らしい経済成長は無かったろう。勤勉性とか不撓不屈の精神に恵まれた家庭の方が多いからこそ、我々凡人もその余慶に与って暮らしていることは間違いない。東京に居れば1日で日本の果てまで行くことも可能だし、水汲みの必要もなければ薪炭はおろかマッチも付け木も要らない生活を半世紀前に誰が想像しただろうか。いや、ちょっと待てよ。半世紀前と言えば東京オリンピックの前の年だ。既に大学は卒業して就職していた。

もうその時、冬は電気炬燵だったから、薪炭は一般家庭では不要になっていたかもしれぬ。でも風呂屋は廃材を燃やしていたし、微妙な時代だったのだろう。オリンピックで高度成長の波に乗ったのではない。高度成長が先にあって、その一つの要素にオリンピックが華々しく開催されたのだ。今朝漫画家の黒鉄ヒロシ氏がテレビで語っていた。言われてみるとその通りだと思う。因みに彼は小生より5歳も下である。歴史は時代の証人が居なくなるとともに変化するのだろう。

オリンピック招致決定を受けて「今日は日本の歴史的な日です」と自画自慢の都知事さんを見て、複雑な思いの人も多いことだろう。誰かは忘れたが「前回の東京オリンピックには日本人のプライドが掛かっていた。間違ってもこれで何億円儲かるなんて言う奴は一人もいなかった。」そうだ。『日本人のプライド』懐かしい言葉だ。

2013年9月14日土曜日

季節の変わり目

健康には随分気を使っているつもりでいても、人体は複雑すぎて制御が難しい。どこでどうした手違いがあったか分からぬが、鼻水が止まらない。福島原発ではないが漏洩どころか、後から後へと溢れ出る感じだ。昨夜は同窓会があったので夜が少し遅くなったが、飲みすぎた訳でもないのにどうやら風邪をひいたようだ。昼食後にいつもの風邪薬を飲んで一寝入りしたら、鼻水は止まったみたいだが今度は喉が痛い。毎冬必ず引く風邪の症状そのものである。

中途半端に暑さが続いているので、室温の調整が影響しているみたいだ。暑すぎても駄目だが、冷やし過ぎるとすぐにくしゃみと鼻水が出る。情緒的感性は大雑把なくせに身体は妙にデリケートにできているので困ってしまう。台風も来ているようで、どこかへ出掛けるつもりもないから少しゆっくりするつもり。もう来週は秋のお彼岸だ。自分の身体ですら上手くコントロールできぬのは情けない限りである。

2013年9月13日金曜日

葦の髄から天井を覗く「化学兵器」

先日ブログ友達から教えてもらったことだが、地球上の動物で同種同士が殺し合いをするのは人間だけだそうだ。かなり獰猛に見える動物でも、己のテリトリーを守ったり、雌を奪い合ったりして激しい戦いをしても、相手を殺すまでは至らないのが普通らしい。言われてみると異種同士の場合は、相手を食用にするために殺し合うシーンをよく見かける。しかし同種同士で意味のない殺し合いは確かに見たことが無い。

他の動物に比べて脳みそが大きいとか、万物の霊長とか偉そうなことを言っても、所詮は極め付きの野蛮で危険な動物らしい。どこかで罰が当たって人類が滅亡することが無いよう祈りたくなる。意味無き殺し合いが人間の性であるとすれば非常に残念ではある。従って平和ボケ日本人なんて言っても、本性を剥きだす人間が出てくるのは仕方ないかもしれない。ちょっと1世紀半ぐらい前までの日本を考えれば、武士の家に生まれたら殺し合いはおろか、佐賀藩の「葉隠」ではないが、先ず死ぬことを真っ先に刷り込まれて、いざという時に自殺する覚悟をさせられた。

小説にもしょっちゅう出てくる台詞で「喧嘩をする時は相手を殺して、後で自分が切腹する覚悟が必要です。」があるが、子供の頃に似たようなことを祖母から聞かされたような気もする。幸い我が家は苗字も満足に無い百姓の家系だったが、母方の祖母は武家の出で、武士の気風を多分に持ち合わせていて好きだった。明治維新直後の戊辰戦争についてはニュース映像が無いからいいようなもので、新政権側だけではないかもしれぬが、悪逆非道は酷いものだったらしい。首を晒すだけではなく見せしめに遺体に手を触れさせず、半年も放置させてことがあるらしい。

想像を絶するような遠方に感じるシリアでの残虐行為に、アメリカ大統領がレッドラインを超えたと声高らかに非難している。今日たまたま在日イラン人の政治学者の次の話を聞く機会があった。「イラン・イラク戦争当時、サダムフセインはイランに対して大量の化学兵器攻撃をして、イラン兵士が大量に死んでいる。その攻撃を武器・情報あらゆる面で支援していたのがアメリカではないか。自分が使うのは善いが、他人は駄目とは理屈が通りますか?」

安倍総理がシリアでの化学兵器使用について「非人道的」とか何とか言うのは非難するに当たらないかもしれない。ロシアの外交努力も同様としよう。しかし、非人道的兵器であるならばなぜシリアだけが国際監視下に置かれなければならぬか?誰も疑問を呈さないが、不思議でならぬ。ベトナムに撒き散らした枯葉剤を語るまでもなく、化学兵器の最多保有・生産国はアメリカとロシア、序で英国だったかな。リビアやイスラエル、きっと中国も多いのではないかな。多分化学兵器に関しては、皆忘れたような顔をしているが、我が日本は悪名高い731部隊で先駆者にあたる。

サリン攻撃の経験もあることから、当然自衛隊にも化学兵器研究セクションは設置されているだろう。兵器が無ければ研究は出来ぬだろうし、セクションも何とか研究所かもしれない。葦の髄から天井を覗いても見えるものは殆ど無い。

2013年9月12日木曜日

消費税増税の追い風に 政府高官「上げない理由を探す方が大変」

ある人に景気の感想を聞かれた。景気が良くなっているとは全く感じられい。年金生活だから諸物価値上がりを喜ぶ理由は全くないし、周辺で聞いても景気回復を実感している人が居たためしがない。

そもそも消費税増税は景気が良いから上げるとか、景気が悪いからやめるといった類の話ではない筈だ。国家財政の危機から脱出するために「万策尽きて他策無かりし故に、止むを得ず全国民に無理をお願いします。」と素直に頭を下げ続けるのが筋だろう。ならば国は他策をどのように講じてきたのか?抜本的節約は皆無であるから答えようもあるまい。御殿のような官邸に豪華な議員宿舎、国会閉会中(なんと長い夏休みか)をいいことに、相も変わらず外遊を続ける議員先生方。庶民の生活実感を知れと言う方が無理かもしれない。

兎も角安倍首相は10月1日に消費税増税を予定どおり来年4月から8%にするかどうかの決定を発表するという。さまざまな景気動向を見極め、折角順調に滑り出しているとされる安倍政権の景気対策が腰折れすることがないことを確認してからとのこと。総理はその判断能力が無いことを自覚しているのか、先月末には有識者60人を官邸に呼んで聞き取りまでしている。何を以て有識者か分からぬが、当然ながら7割を超える人が来年4月から消費税率を8%に引き上げることに賛成している。

政権はこれで免罪符を得たつもりだろう。「東京五輪」決定から一夜明けた9日の党税制調査会小委員会では、17人の所属議員が消費税率引き上げの是非に関し発言したが、「引き上げを見直せという意見は一人もなかった」(宮沢洋一政調会長代理)そうだ。「消費税を引き上げない理由が見つからない。」と聞いては「何たる傲慢さか、少しは申し訳なさそうな顔が出来ぬか!」と怒鳴りたくもなる。今週に入るとマスコミも、4月の引き上げに反対を唱えていた読売新聞も含めて安倍首相の背中を押し始めている。無責任で恥ずかしい連中ばかりだ。

先の有識者会議ではアベノミクス生みの親と言われている浜田宏一・内閣官房参与なんかは、何故か知らぬが来年4月の引き上げを1年待ってはどうかと言っている。消費税のことは既に法律で決まっている中でアベノミクスを持ち出した張本人が、今になってこんな言い訳がましく言うのも変な感じだ。今日あたりは政府見解として、消費税引き上げによる景気腰折れ防止のため、5兆円の特別策を講ずるなんて報道だ。何もかもちぐはぐしている。

既に抵抗の手段を失っている国民(小生)は、消費税のことなんかとうに諦めて「どうとでもしろ!」だ。毎日報道される関係者の場当たり発言を一々気にしている人は少ないかも知らない。小生にはどっちを見ても矛盾だらけで、国民を馬鹿にして煙に巻こうと言う魂胆ばかりが目立って仕方ない。筋の通った正論を連続的に発信していては、マスコミも商売にならぬと言うことか。

2013年9月11日水曜日

お宝鑑定団

テレビ東京の番組なので見たことが無い方も大勢いらっしゃると思うが、小生現役時代の4半世紀ほど前から始まった人気番組で、視聴者が我が家のお宝を専門家に鑑定して貰う仕組みである。本放送は火曜夜8時からの54分番組。原型となる番組はイギリスにあったと聞いている。好きな番組の一つだが、NHK9時のニュースとの関係で丸々見ることは少ない。昨日も後半30分みたが面白かった。

20年以上続く番組なので、もう大したお宝は出てこないだろうと思っているのだが、日本の民家に眠るお宝は多いようだ。昨日は最後にお宝が飛び出した。古伊賀の壺である。しかも口とでも言うべきか上の縁が大きく欠けている。鑑定依頼人は滋賀県に住むお婆さん、お父さんの形見だそうだ。お父さんが骨董好きで、婆さんの年金に手を付けてまで購入した物らしい。ところが普段褒めてもらっている骨董仲間から「これだけはメガネ違い」と言われてしまったそうだ。

「それでもお父さんは、めげずに毎日布で壺を磨いていたので、父を信じて鑑定をよろしく願います。」ここで有名な骨董商中島誠之助氏が登場して、壺を手にしたり寸法を計ったり、箱を念入りに見たりする。そして席に戻って結果を発表するのだが、この語り口の評判が高い。欲ボケや勘違いで紛い物を持ち込む視聴者も少なくないが(番組の狙いでもある)、偽物であっても視聴者の気持ちを傷つけない配慮と、本物であった時の断定のしかたが人気の秘訣になっている。

昨日は視聴者が希望価格を300万円としたのに対し、結果が350万円と表示された。勿論スタジオに居た視聴者のおばさんは感激で声も出ない。いつもなら中島の「本物に間違いございません。」が出るところである。しかし昨日はその声が聞こえてこなかった。「これは古伊賀の壺ではありません、古丹波の壺なんです。」から始まり出品作の評価されるべき事柄が延々と続く。代々骨董の類とは全く無縁に来ているので、何の参考にもならぬが大変面白いことは事実だ。

今もそうだろうがテレビ東京の看板番組であることもよく分かる。子供の頃、祖母の家に行っては古い道具類をなにかと貰ったことを思いだす。勿論鑑定の価値あるものでもなかったろうが、ものを大切にしない悪い癖のようで、我が身の回りにコレクションは何一つない。そんな話をしていると婆さんが「面白いものを見せてあげる。」と言って古い10円紙幣を取り出した。確かに見覚えがあるがいつの頃のものか分からない。色は緑1色で円拾と右から左に書いてある。

ささやかであるが、こんなところにも夫婦の性格の違いが表れている。

2013年9月10日火曜日

オリンピック景気は結構だが

昨夜のテレビニュースを見ていて笑ってしまった。株屋さんの前でインタビューに笑顔で応じた小父さんが「この調子で後7年、株価も上がり続けてほしいものですね。」庶民の偽らざる気持ちなんだろう。総理や閣僚の皆さんもオリンピック招致は成功するわ、4~6月の経済指標は速報値よりずっと良くなるわで自然に顔が弛まざるを得ないみたいだ。

福島の仮設住まいの人は総理の発言に多少不満があるようだが、それでも世界に向けて言い切った以上は、これからは少しまともになるのではと半分期待もにじませている。結構毛だらけで後先考えずに国を挙げて浮かれるのも結構だろうが、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に成功から僅か3年半後の日本がどんな状況であったか、思いを馳せる人間が居ても良いと思う。

敗戦から悪夢のような状態が最低5年は続き、韓半島に戦争勃発すると言う図らざる事件に多少助けられても、更に5年はまとも白米を食べられない国民が沢山居たのが事実。昭和30年頃には幸いなことに小生はひもじい思いをしなくなっていたが、同級生には弁当を持ってこれない人がたまに居たりしたことを覚えている。それでも9年後の東京オリンピックに向けて日本は急速な経済成長をしたのだろう。

7年続けて株価が上がり続けたことがあったかもしれない。確かに前回の東京オリンピックは、東京だけでなく日本中に夢の実現をもたらし、その後の成長を加速させたことは否定できない。代わりに失ったものの中に先の大戦の苦い思い出があると思うのだ。日本人の長所とすべきなのかも知らぬが、熱しやすいことに加え、都合の悪い過去はあっさり忘れるテクニックに長けている。戦死した軍人を神様に祀り上げててしまうのもその一例だ。

ある人に言わせると「神に祀り上げることで、その戦が如何に無駄なものであったかを覆い隠している」そうだ。話が横道にそれてしまったが、今回決まったオリンピック開催の意義を震災からの復興に結び付ける向きがある。しかしこれはどう考えても前回のオリンピックとは異なり、牽強付会の屁理屈に過ぎるだろう。どちらかと言えば金儲けのチャンスを窺っていた一部の人には絶好の機会の巡りあわせかもしれぬ。

しかし被災地で困窮している人に行き渡る恩恵は如何程のものだろうか。疑問を感じざるを得ない。更に気になるのは祭りの後である。小生長野の出身であるので、オリンピック前の熱気と後に経済の急速収縮がもたらしたマイナス面をよく知っている。東京は立地条件が異なるので、同じ轍を踏まないなら結構だ。何れにしても震災と原発事故のことだけは忘れてはいけない。

2013年9月9日月曜日

読書の一日

ブログの設定を変更しています。

先週末、古い友人と会食した帰りに書店で本を買ってもらったことは既に書いた。本は「影法師」百田尚樹著である。読後感を書いてアップしようとも思ったが、小説の読後感は難しい。言えることは「実に面白い」の一言に尽きる。前回読んだ「永遠のゼロ」は太平洋戦争当時の戦闘機乗りが主人公、今回は江戸時代の下級武士が主人公。勤務先にあたる藩は東北地方のさして大きくは無い貧乏藩との設定になっている。時代は特定していないが、勝手に江戸は中期以降だろうと想像した。

昔から時代小説が好きで、吉川英治、山手樹一郎、柴田練三郎、五味康介あたりから始まり長谷川伸、野村胡堂、子母澤寛といった少し古い時代の作品も夢中になって読んだ時代がある。どれも面白かったが現在まで印象に残っている作品は少ない。強いて言えば山本周五郎の「日本士道記」と「日本婦道記」くらいかな。

百田氏の作品にはこれと似たテイストがある。江戸時代様々な制約条件下で生きざるを得なかった武士の生きかたを、ある意味非常に肯定的に暖かく描き、人情味溢れるお話として盛り上げていく。昔の作家が眠狂四郎や丹下左膳のようなヒーローを作り上げると少し漫画チックになるが、百田氏が描くヒーローはもう少し現実味を帯びるような工夫もされている。

百田氏のテレビインタビューを見たことがあるが、一つの小説の為に読み込む資料が半端でないらしい。それが時代小説でも不自然さを感じさせない迫力を生み出す所以であろう。こんな読書で1日潰れたことが有難い。


2013年9月8日日曜日

2020年東京オリンピック

まさか決まるまいと思っていたのにライバル都市の条件が予想以上に悪かったのか、7年先に東京でのオリンピック開催が正式に決まってしまった。そんな先まで生きているかどうかも分からないので、ケチをつける資格は無いかもしれぬ。テレビが言っているように国民の70%以上、しかも若い世代が圧倒的支持をしているなら、結構なこととして祝いの一つも述べなくてはならぬだろう。G20を途中ですっぽかした安倍総理がしきりに「オリンピック・ムーブメントを世界に向けて発信する」と言っている。

初めて聞く外来語なので知らなかったが、平和を希求する精神ぐらいの意味だろう。皮肉を込めて言わせてもらえば、シリア問題もオリンピック・ムーブメントで解決してもらいたい。日本側が東京開催の意味をまさか経済効果への期待とも言えないだろうから、IOCに対してをゴマすり気分で使うのは良しとしよう。むしろ選考者側のIOCに、東京を選んだ本当の意味や理念を聞いてみたい。しかし所詮はヨーロッパ貴族のお遊びに端を発して、連中の金儲け手段になってしまっていることを考えれば、聞かずとも全ては経済的メリットに所以することぐらい容易に想像できる。

日本のプレゼン終了後にIOC側から質問が出た。「原発事故の影響がないことを科学的に説明願いたい。」これを聞いてこれで東京は無くなったと思ったが左に非ず。安倍総理が「汚染水漏洩は0.3平方キロ内で完全にブロックされているし、事故そのものが完全なコントロール下にあることを私が保証します。」と質問に対する回答にもなっていない事を喋ったら、質問者側からのそれ以上の突込みは無かった。出来レースだったとしたら見事なものだ。

スポーツ選手に自分の将来の夢を描く若者が多いのは事実だろうし、学校スポーツの取り組みなんかも改善されて、おかしな暴力問題なんかが減っていくとすれば、これまた結構なことだ。聖火ランナーが福島県を走ることが原発事故と如何なる因果を生ずるか、ちと理解に苦しむところではあるが。土曜日のTBS17:30「報道特集」が取材した、サイトから数百メートルの畜産農家だった被害者が、避難先の埼玉で野菜作りをしながら「オリンピックが来て開催されるとしても、それは私等の住む日本とは別の国のことだ。」と語っていたのが印象深い。

福一サイト1号機から3号機までの燃料棒は溶け落ちてどこにあるか所在さえつかめぬ現状で、燃料棒の取り出しに着手するのも2020年と決まったとのこと。スポーツ競技に嘘は通用しないが、宣伝屋が考えるプレゼンはいつも根拠の薄い言葉が並ぶ。7年先の恙無い開催を祈ろう。

2013年9月7日土曜日

マスコミの責任




今日から明日にかけて町内の氏神様長崎神社のお祭りである。笛と太鼓の音に誘われて外に出てみる。聞くところでは年々神輿の担ぎ手が減って幹事の皆さんも苦労されているとは聞くが、事務所のすぐ前に設定されたお神酒所を覗くと、役員の皆さんが嬉しそうに酒盛りをしていらっしゃる。魚の干物やとうもろこしを焼く香ばしい匂いが街中に漂っている。予定表を見ると神輿は5時頃から町内を練ることになっている。雨にならないことを祈ろう。

日本は今のところ平和そのものだ。しかしオバマ大統領のシリア攻撃論発言で、世界中が一気に緊張している感がある。アメリカと言う国は戦争中毒のならず者国家なのか?前大統領ジョージブッシュ時代にはそんな考えがよぎったこともあったが、オバマはノーベル平和賞を受賞するくらいだから少し違うかと期待していた。しかし今度のシリア攻撃宣言には相当がっかりである。

どう贔屓目に解釈しようと思っても無理筋だ。自国が攻撃されている訳でもない、遥か遠くの主権国家に因縁をつけて爆弾を落として政権を壊滅させるとはとんでもない話ではないか。レッドラインを超えたとの言葉が踊っていっるが、レッドラインを越えつつあるのはオバマの方だろう。安倍総理から見れば親分みたい人間だから、例えオバマの気が狂っているとしても意見は出来ないのだろう。

化学兵器使用は許されざることだから、仰ることは理解します。てなことで逃げようとしている。余りにも情けないが、文句を言う気にもならぬ。代わりにマスコミに言いたい。それこそ国益を考えれば今こそ世界平和、ひいては日本の安全のために声を上げるべきであろう。混乱の中東に圧倒的軍事力の行使が世界平和に繋がると認識しているなら別だ。

オバマが言っているアサド政権の化学兵器使用の根拠は奈辺にあるか?政府はアメリカから言われれば「はっ、分かりました」かもしれないが、メディアは疑問は疑問として声を大にして国民世論をリードすべきだ。日本のメディアでシリア内戦の構図を理解し、政権側が化学兵器使用したと断言できる確証を握っているところは1社も無いだろうし、オバマから確証の提示も受けていないだろう。

又、実際にサリン攻撃を受けたことのある日本社会としては、オバマの言い分に相当に違和感を持つべきである。マスコミに登場しない内外の専門家が指摘するように、オバマの言っている根拠(先月21日の攻撃)からはとても政府軍からのサリン攻撃と認めることができないことは、日本のマスコミでは常識の筈。特別難しい話ではないし、ほんの少しオバマの話に疑問を呈するだけで済むことである。何でも分かっているような顔をして偉そうなことばかり書けばいいと言うものではない。

オバマが決行するかどうかは分からないが、仮に軍事力を行使して中東が平和になればいいが、ならない時は他人事では済まなくなる可能性が高そうで心配である。

2013年9月6日金曜日

久し振りの友人と

現役時代に世話になった出版社の友人と昼食、少し飲みすぎの感あり。未だ頭がぼーとしている。ゴルフ好きの彼ではあったが、未だに80そこそこでラウンドするらしい。4歳上なのでエイジシュートも夢ではなさそうだ。若い時から車を運転しなかったし、現在でも週に最低1度は2.5キロ離れたゴルフ練習場にバッグを担いで往復しているとのこと。行けば500発は打つらしい。小生がゴルフに熱心だった頃、練習場での打数は精々200発。何事もそうであるが、日頃のトレーニング無しに上手になれる筈は無い。

後期高齢者になっても身体だけでなく脳トレの方も活発で、出版社に居た位なので文学の話題も豊富だったし、別れ際には一緒に書店まで行き「影法師」百田尚樹著をお土産として買って頂いた。食事中に百田氏の文章力をしきりに褒めて、彼が直木賞を受賞しないことが不思議でならぬと言っていた。小生も少し前に氏の「永遠のゼロ」読んだ話をする。文章力については分からないが、構成が素晴らしく面白かったと。

すると帰り際に早速書店に引っ張っていかれて、やはりデビュー作を読んでほしいとのこと。昔はお土産として専ら自社の新刊書を頂戴したが、今日は他社の出版物だった。気の置けない友人との会食は楽しいものだ。

2013年9月5日木曜日

余りに場当たり、恥知らずに過ぎる

理由の如何は分からないが、嘗ての日本は第2次世界大戦の決定的敗北にも拘らず、奇跡的な経済復興を遂げ、経済先進国の主要メンバーとしてG8のメンバーとなる栄に浴してきた。しかし世界大戦から68年も経つ現在は、世界情勢は単純な2極対立構造が消滅して平和になるかと思いきや、主権国家の増加による利害の複雑化から混迷の度が一層深まった感無きにしもである。日本は幸いにも小さな島の集合が海に囲まれている地理的な優位性がある。そこに1億人を超す人間が住んでいるが、民族構成や言語がシンプルであることに加え、これまた善悪は別として宗教問題が殆ど無いので平穏を維持してきた。

こんな書き方をすると、一部の方から批判が出て「平和ボケもいい加減にしないか。我が国が平和であったのはアメリカという強い味方がいたからに他ならない。この強固な連帯を守ってきたのが保守系の政治家であり、彼らをサポートしてきた官僚が居たなればこそだ。」となるだろう。それも一理かも知れないが、ともあれ国民の一人として居心地の良さを感じてきているのは事実である。その裏には日本人として、他国の誰からも羨ましがられないまでも、後ろ指を指されるようなことはないとの安心感もある。

ところが最近は地上の楽園我が日本国も、経済問題が少し怪しくなってきているらしい。個人的実感はないが、一時は相当金持ちに見られた時期もあったようだが、最近は発展めざましい他国に追い越され、人様に自慢できる程の余裕が無いとのことである。他人がどう思うといいではないか、は正に素人考えで、経済問題は置くにしても諸外国から一人前の国家とみなされないようでは困る。国家の尊厳とか威信は大切にしてもらいたい。政権も当然そうは思っているのだろう、高官はしきりに外国を歴訪している。

その結果がどうなっているか定かではないが、少なくとG8参加国から我が国への評価が上がったと言う話は聞いたことが無い。であればこそ、中東がこんなきな臭い時期に開催される今回のG20への出席は、どんな振る舞いをするかにもよるだろうが、大きな意味がありそうだ。中心議題になるとされている中東シリア問題が難しい問題であるのは分かる。しかし平和日本を代表する総理であれば、それなりの信念を持って臨んでもらいたい。海洋の放射能汚染対策についても、オリンピック委員会でなくここで披瀝すべき事案だろう。

しかし安倍総理の場当たり的振る舞いについてはどうも感心しない。そもそもカタール外遊中オバマの第一声にすぐ反応したものの、帰国後になってイギリスの不参加声明に惑わされて日和った辺から、1国の代表としては余りに軽薄で大きな疑問符がつく。今回のロシアG20を己の打算からオリンピックの選挙運動の場とはき違えているのも厭らしい。プーチンとは会談をセットし、オバマと会わずに済ませたいとは何と情けないことか。国家の威信なんぞ毫も感じられない。

オバマにすれば頭にきて「逃げるのか、一寸来い。」になるのも当然である。三下以下の扱いではないか。まさかまたオバマの攻撃支持表明に戻る訳にはいかぬだろうが、どんな言い訳をしてもみっともない話である。

2013年9月4日水曜日

読後感「日本中枢の崩壊」古賀茂明著

2011年5月に出版された本の文庫版であるから、も大分前の著作である。読み終わりつつある時には、読後感を書くのをやめておこうかとも思った。しかし文庫版あとがき(2013年8月)を読んで気が変わった。やはり一読に値したような気がする。氏は既にテレビ等で有名な元経産官僚、本書はその現役時代(民主党菅政権時代)に出版されている。

著者は自らの経験を踏まえ、民主党が如何に拙い政権運営をしているかについて縷々述べている。特に著者自身も情熱を注いだ公務員制度改革法案について詳しい。自民党安倍総理、渡辺行革担当大臣のもとでやっと成立したものの、その後の自民党総理、更には政権交代の中で段々と骨抜きにされていくプロセスを通して、如何に官僚をコントロールが難しいかを説く。

政と官のもたれ合いで形成されている我が国の統治機構は、官僚組織の肥大化を招き、組織の暴走とその無責任な体質から抜け出すことが難しいらしい。著者自身もそれを何とかくい止めるべく抵抗をしたのであろうが、結局は儚く散ってしまったと言っても過言ではあるまい。このまま官僚主導の統治が続けば日本の経済力は弱まり、国際的発言力が無くなってしまうとの思いからだろう。

当時の政権に対して極めて厳しい事を書き、最終的には著者自身の政策論を書いている。端的に言ってしまえば、やや小泉政権が唱えたように、経済は民間活力を生かすために、一層の規制緩和と競争原理導入が必要との論理である。ここまで読んで、自民党に戻れと言うだけならつまらない、読後感を書かずにおこうと思った次第でもある。

しかし文庫版あとがきを読むと、現政権に於いて政と官の癒着が一層酷くなっていること、安倍政権への「期待」が「不信」へと変わり、やがて「崩壊」に繋がると締めくくっているので気が変わった。読者に向かって「立ち上がるのは今だ」と呼びかけているのが、やや虚しいが気持ちだけは分かるような気がする。

2013年9月3日火曜日

政府感覚と民間感覚

昨日、日本の景気について生意気な事を書いてしまった。役人や政治家が民間に対して余計な口出しを避けるべきとの趣旨である。夜テレビを見て反省してしまった。国民の大多数(過半数以上)が安倍政権に期待するところは景気の回復で、外交や憲法問題等を大きく上回っている。昔から学友多数の意見に反する屁理屈を言って顰蹙を買うことが多々あったが、今回もその口らしい。しかし、国民大多数の期待値の強さを再認識できても、政府のすることへの期待は出てこない。

政府によって生かされている年金生活者の分際で言うのも僭越ではあるが、国民全体で「倹約」の二文字を改めて噛みしめることが出来ればなと思う。勿論適わぬことだから、せめて己はケチに徹して益々人から嫌われるとしようか。反省はここまでにして、昨日ネットで見つけた面白い情報を披露する。

政府は放蕩息子の如く金の使い方が全く分かっていないが、日本の民間企業は外国企業と異なり、基本的に貧乏性だな思う記事にぶつかった。役員報酬に関するレポートである。約半世紀前までは、日本企業では社長と新人社員の報酬の差は精々10倍程度とされていた。それが良いか悪いかは別にして、そのことで中間層が圧倒的に多い日本の羊羹型社会が形成されてきたと理解している。しかし近年になると企業経営スタイルも欧米型となり、所得の格差拡大がしきりに言われるので、経営者報酬は随分高くなっているだろうと勝手に思い込んでいた。

ところがリポートを見ると、流石10倍程度とは言わないが、欧米のようにとんでもなく高額の報酬を得ている経営者が意外に少ないのに逆に驚いた。因みに少し具体的に引用すると次のようである。

『東京商工リサーチの調べでは、直近の2012年4月から2013年3月の決算期に、1億円以上の報酬を手にした役員は371人しかいない。トップは日産自動車のカルロス ゴーン取締役の約10億円、以下7億円台が武田薬品の取締役3人(うち2人は外国人)、20位のユニクロ柳井社長さんでさえ3億5千万円でしかない。100位はソフトバンクの外国人取締役でもう1億7千万円になってしまう(何故か孫正義氏は234位の1億2千万円台)。経団連の米倉会長さんの住友化学での報酬は303位』

以外にチマチマしていると思いませんか?上場企業の含み資産か何かが200兆円と言われるので、皆さんもっと貰っているかと思いきやですよ。日産のゴーンさんなんかが10億円だったら、トヨタの役員なんか同じランクにぞろぞろ名前が挙がってもいいと思うのですが、殆ど見かけません。マスコミ関係では、フジテレビの日枝会長でも1億円ちょっと、読売のナベツネさんなんか名前も出ていません。むしろ小振りと言うと少し語弊があるかもしれませんが、ゲームとかエイベックスのようなソフト産業、レジャー産業の方がランクインしているような感じがありました。

上場企業は政府に言われて、そうしている訳ではないでしょう。やはり民間のことは民間に任せておけば良いのではと改めて思いました。

2013年9月2日月曜日

景気回復?

今日は東武東上線沿線に住む高校同期生3人が川越で集合して、うなぎ割烹で昼飯を共にした。友人に案内されて街を歩くと平日にも拘らず結構な賑わいである。何処に行ってもオバさんが多いことには感心せざるを得ない。川越の名物は数々あるようだが、鰻もその一つとのこと。案内された「いちのや」も大きな老舗で、繁盛している様子。少なくとも今日歩いた1キロちょっとの商店街にはシャッターの降りた店は無かったような気がする。

何処の街もこんなに活気があればいいが、ここは首都圏だからであろう。故郷長野になるとなかなかそうはいかないのが現実。この夏1か月を長野で過ごした友人の述懐である。仕事を辞めて景気については疎くなっているが、その通りだろうと思う。景気を回復するとか、デフレからの脱却を図るとの話をよく聞くが、果たしてそんなことが可能なのだろうか?原発事故も同じことだが、原因も究明できないことには復旧のしようもない。

不景気の原因は円高にあり、だから円安誘導すれば景気が回復する。との理屈は、原発事故の原因を千年に一度、予測不可能な津波にあり。と片づける手法に似ている気がしてならない。景気が悪くなって税収が落ちて困るのであれば、国家の運営を預かる人間は支出を少ない税収の範囲に納めるべく、不要不急の項目から削っていくのがごく普通の考えであろう。長野県松代出身の友人が、かの有名な恩田木工の名前を出した。

全く同感だったので、小生は信濃の人ではないが上杉鷹山の名前を挙げた。前者は家老、後者は藩主の違いはあるが思想は全く同じ。国家の財政立て直しのためにすることは徹底した倹約以外に道のある筈は無い。殖産に努めるのはその次の話である。殖産振興とて突飛も無い国家プロジェクトなんてことではない。地道に耕地を増やすとか養蚕を奨励するとかの類である。指導者は自らの襟を糺すことを専らにして、民草の営みに余計な口を挟まない方が良いのだろう。

川越の賑わいを見ると、不景気もデフレも庶民には殆ど関係ないのではと思えてくる。景気なんて水の流れのようなもので、庶民はその流れに沿って生きている。悪ければ悪いで仕方がないし、誰かがよく出来るものではないと割り切っている人が大部分ではないだろうか。少なくとも小生はそう思う。政府が何かすればするほど世の中が複雑になり、混乱が酷くなるだけだと思う。

以下余談ではあるが、経済学者の水野和夫氏が次のように言っている。
『歴代の政権は成長戦略を経済政策の柱としてきましたが、成長戦略は失敗の運命にあると言えます。菅直人・元首相については様々な評価がありますが、首相時代の発言で一番良いと思うのは「成長戦略は十数本作ったが全部失敗している」というものです。成長戦略が解決策として正しいのであれば、十数本のうちどれかは当たっていないとおかしいのです。ことごとく外れているということは、成長では解決できない事態に先進国は直面していると考えたほうがいいのだろうと思います』

次は元経産官僚古賀茂明氏が書いていたこと。
『過去の経験に於いても、官民一体となった国家プロジェクトなんてものが成功して、国家経済に著しい貢献をしたなんてものは先ず無い。』そうだ。『官も民も互いに相手にリスクを負わせ自分が甘い汁を吸おうとする。まして大概は長期プロジェクトになるので、スタートさせた責任者はさっさといなくなる。これで成功する事業あがればお目に掛かりたい。イランで日の丸油田開発を目指して数千億円をどぶに捨てたIJPC事業の例を引くまでもないだろう。』と言っている。

2013年9月1日日曜日

テレビの健康番組

ある人に言わせると「歳だからといって少しずつ運動や勉強を減らすのはよくない」そうだ。続いて「実際、私が少し日光浴をしたり、軽い運動をしたり、階段を上り下りするようになって僅か2ヶ月。階段の最後が辛かったのが辛くなくなり、なんとなく体調も良くなり、食事も美味しくなった。」と書いている。今朝TBSテレビ(7:00)の「健康カプセル!ゲンキの時間」で、トレッキングを取り上げていた。

いつものことではあるが、テレビ番組は実に無責任。腰痛や膝痛にもトレッキングは有効であるような言い方になっている。しかもそんな懸念がありそうな視聴者3人を高尾山に引っ張り出し、2時間ほどトレイナ―付で歩行訓練をさせる趣向。結果は予想通り、3人は異口同音に「歩くのが楽になりました。」「くたびれませんでした。」とのこと。2時間のトレーニングで、歩き方が変わって身体の調子が良くなるなんてあり得ないことだろう。

山の上の空気を吸っていい気分になるのと、身体の故障が改善するのは全く次元の異なる問題の筈。思わず笑ってしまったのは、身に覚えがあったのだろう。最後に整形外科のお医者さんの「膝に痛みがある人はトレッキングには行かないで、先ずお医者さんに相談してください。」とコメントが挿入されていた。これは誰もが納得できるまともなご意見であろうが、本編との不整合について放送局は何の違和感もないらしい。

料理に関する番組で、一口食べた出演者の感想が、これまた判でついたように褒め言葉に終始するのは仕方ないとしよう。しかし、嘗てNTV系列の昼に放送されていた「みのもんたの元気の出るテレビ」だったか、でも栄養補助食品の取り上げ方が大分問題になったことがあるように記憶する。テレビ番組は食物であれ、運動などの健康法であれ、取り上げた食物あるいはノウハウが万人に有効であるような表現を取らざる得ない。

そのようにシナリオを作成して、出演者を決め、シナリオに沿った演出で番組は構成される。小生も若い頃実際に関わっていたので、事情はよく理解できる。しかし今、一視聴者になってみると大いに反省せざるを得ない。最近しみじみ思うのは、人間の健康問題についての個体差である。冒頭に上げたコメントは著名な科学者のものだから嘘ではないだろう。しかしそのことが万人に通用するかどうかは別だと思う。

同じ薬を飲んでも効く人と効かない人はいるだろうし、運動なんか万人に薦めることが出来るのはウォーキングくらいではないだろうか。これとて、歩幅・スピード・距離等といった諸要素については千差万別かもしれぬ。流石にこの年になると、自分の身体のことが少しずつ自分で分かってきたような気がする。少なくとも小生に場合は、冒頭のコメントでは良くないとされているが、少しずつ運動量を減らそうと思っている。

お勉強については減らすほど昔からしたことが無いので、心配ないのが有難い。