2013年9月5日木曜日

余りに場当たり、恥知らずに過ぎる

理由の如何は分からないが、嘗ての日本は第2次世界大戦の決定的敗北にも拘らず、奇跡的な経済復興を遂げ、経済先進国の主要メンバーとしてG8のメンバーとなる栄に浴してきた。しかし世界大戦から68年も経つ現在は、世界情勢は単純な2極対立構造が消滅して平和になるかと思いきや、主権国家の増加による利害の複雑化から混迷の度が一層深まった感無きにしもである。日本は幸いにも小さな島の集合が海に囲まれている地理的な優位性がある。そこに1億人を超す人間が住んでいるが、民族構成や言語がシンプルであることに加え、これまた善悪は別として宗教問題が殆ど無いので平穏を維持してきた。

こんな書き方をすると、一部の方から批判が出て「平和ボケもいい加減にしないか。我が国が平和であったのはアメリカという強い味方がいたからに他ならない。この強固な連帯を守ってきたのが保守系の政治家であり、彼らをサポートしてきた官僚が居たなればこそだ。」となるだろう。それも一理かも知れないが、ともあれ国民の一人として居心地の良さを感じてきているのは事実である。その裏には日本人として、他国の誰からも羨ましがられないまでも、後ろ指を指されるようなことはないとの安心感もある。

ところが最近は地上の楽園我が日本国も、経済問題が少し怪しくなってきているらしい。個人的実感はないが、一時は相当金持ちに見られた時期もあったようだが、最近は発展めざましい他国に追い越され、人様に自慢できる程の余裕が無いとのことである。他人がどう思うといいではないか、は正に素人考えで、経済問題は置くにしても諸外国から一人前の国家とみなされないようでは困る。国家の尊厳とか威信は大切にしてもらいたい。政権も当然そうは思っているのだろう、高官はしきりに外国を歴訪している。

その結果がどうなっているか定かではないが、少なくとG8参加国から我が国への評価が上がったと言う話は聞いたことが無い。であればこそ、中東がこんなきな臭い時期に開催される今回のG20への出席は、どんな振る舞いをするかにもよるだろうが、大きな意味がありそうだ。中心議題になるとされている中東シリア問題が難しい問題であるのは分かる。しかし平和日本を代表する総理であれば、それなりの信念を持って臨んでもらいたい。海洋の放射能汚染対策についても、オリンピック委員会でなくここで披瀝すべき事案だろう。

しかし安倍総理の場当たり的振る舞いについてはどうも感心しない。そもそもカタール外遊中オバマの第一声にすぐ反応したものの、帰国後になってイギリスの不参加声明に惑わされて日和った辺から、1国の代表としては余りに軽薄で大きな疑問符がつく。今回のロシアG20を己の打算からオリンピックの選挙運動の場とはき違えているのも厭らしい。プーチンとは会談をセットし、オバマと会わずに済ませたいとは何と情けないことか。国家の威信なんぞ毫も感じられない。

オバマにすれば頭にきて「逃げるのか、一寸来い。」になるのも当然である。三下以下の扱いではないか。まさかまたオバマの攻撃支持表明に戻る訳にはいかぬだろうが、どんな言い訳をしてもみっともない話である。

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