2022年10月30日日曜日

民主主義と国外事情

 昨日の恒例リモート懇で、前日大学同窓会で友人から聞いた1969年初渡米時に驚いたこと、即ち当時のアメリカにおける人種差別が余りにも有色人種に対し過酷であったことについて、滞米経験10年以上に及ぶ友人K君に感想を聞いた。K君は初渡米が1975年だったので公民権運動が実を結び始めていて、大学の友人が感じたような極端な人種差別は沈静化しつつあったようだ。しかし現在でもアメリカには白人至上主義が底流にあることを話してくれた。

この話題がきっかけになって、日本人の潜在的韓国人差別意識なども大きな話題になった。外国に関しては観光旅行程度しか経験が無い小生には外国の事情は理解できないのが当たり前とつくづく感じたものだ。思うのは先の大戦後日本で妙に発展した民主主義なる概念。昨夜も大分熱心に話し合われたが、結局明確な結論は出ずじまい。

個人的には日本の民主主義はある意味非常にユニークだと感じ始めている。学者でないので当たってない可能性が高いが、民主主義の原点はフランス革命辺りで、西欧先進国や北アメリカやロシア、旧西欧諸国植民地くらいまでは一定の共通原則があるかもしれない。何れにしても、日本は民主主義に基づいた憲法の下、三権分立で国民が参加して国家経営がされていると言われているが、相当インチキ臭いが昨夜の友人全員共通認識だった。

インチキでも国が生存し続ける事が可能ならそれでも良いだろう。しかし現在は世界の秩序さえ極めて危うい場面に差し掛かっている。アメリカの一強体制が存続するかどうかの瀬戸際だ。日本はその一強にすべてを託して、アメリカに命じられるままロシアとウクライナ戦争に参戦しているとも言える。ロシアのプーチン大統領によれば「世界は第二次世界大戦以来の最も危険な10年に直面」とのこと。「中国と台湾間に事が起きた時にアメリカが本当に台湾や日本を助けるために兵を送ることは無かろう。兵器を送るから先ずは自ら戦え、がはっきりしている。」はK君の意見だったが同感だ。

残念なことに第四の権力とされるマスコミも、些末な事件ばかりを追いかけ民主主義の根幹に迫る報道は無いし、気づき始めた我々にもその事を糺す時間は残されていない。結局は子や孫たちに覚醒してもらい、国から逃げ出さずにしっかり立て直してもらうしかなさそうだ。

2022年10月29日土曜日

夜の会合

 昨日は久しぶりの夜の会合。「第16回104年三田会幹事交流会」となにか物々しいご案内で参加してきた。面白いのはドレスコード:カジュアルとまで書いてある案内状だ。何のことはない慶応大学の同窓会が三田(関西ではサンダと呼ぶ地名があるが、東京はミタである)のキャンパス内で行われた。いつから同窓会幹事になったのかも記憶が無い。3年4ヶ月前には参加していたことは覚えている。当時は帝国ホテル内の東京三田倶楽部だったが、コロナ禍で30人以上の椅子席は用意されないらしい。

昨夜の参加者は数えていないが、恐らく100人前後だったろう。我が文学部は女性2名に男性5名の総勢7名。前回は少なくとも10数名だったのでだいぶ寂しくなっていた。世話人の一人が司会、代表が乾杯の音頭をとったが、壇上に上がるのも一苦労の様子で痛々しかった。それでも世話人クラスになると話はそれなりにしっかりしていた。むしろ同席していた文学部の顔なじみとの話だが、対面する間にプラスチックの仕切りがあって聞き取りにくい。ビールも自分でで瓶を取ったら他人のコップに注いではいけませんとか、料理は右手に手袋して取ってくださいとか、色々やかましかった。

それでも1年生の時からの麻雀仲間が深谷から出てきて隣りに座ったので、懐かしく話ができた。他界した友人の話、前回出席だったのに今日欠席しているあの人は既に認知症だとか、息子さんから連絡があって施設に入ってしまったとかだ。彼は地元を含め三田会幹事を積極的に努めているので情報に明るい。こちらはもっぱら聞き役だったが楽しかった。17:30から2時間以上過ぎたのでと、締めの挨拶に入ったところで昔の応援団長が指名を受けた。彼もコロナ禍で3年以上歌も歌っていないので、一旦断りかけたが、再度依頼されてそれではと「肩を組んでー」と応援歌の一つをリードした。

足元は少しふらついていたし、腕の振りに力が入らないのは仕方ないが、それでも1番と2番を飛ばして3番をリードして万雷の拍手で段を降りた。これでお開きとなって友人とは再会を約して別れ、勿論2次回は無し。何よりも交通事情が学生時代と異なり、新宿や荻窪の下宿からあんなに遠かった大学から我が家まで1時間足らずで帰ることが出来たのも驚きだが、当時三田の山に唆り立つ感じだった大学の昔の正門が、今は左右を同じ高さのビルにきっちり挟まれ、どこかの教会の入り口にしか見えない。残念に思いながら門を潜ると、すぐに警備員が来てマスク着用を要求された。

2022年10月28日金曜日

文明国

 残念ながらヨーロッパには一度も行かずに生涯を終えることになるだろう。子供心に植え付けられたヨーロッパは、多くの国があり、歴史も古く何と言っても文明先進国が多い地域であった。そこから導入された子供向けの童話や歌曲もあり、今考えると当たらずともそう遠くはないだろう。その一角にロシアも入っていたが、ロシアの現大統領プーチン氏は「ロシアは欧州の国家ではない」と言っているようだ。

その事自体はどうでもいいのだが、明治時代の先駆者たちは当時のロシアを文明の最先進国として尊敬していたようだ。江戸時代から外交を考えれば当然かもしれぬ。19世紀から続いた外交関係は20世紀初頭になると、関係が決裂して戦争状態になった。アメリカのルーズベルト大統領斡旋によって1905年に行われ講和では、一応日本が勝利したことになっている。当時日本の外交は後進国でありながら非常に賢明に行われ、米英を中心に多くの先進国からの応援があったからだ。

日本の受け止めはそうであるが、当時のロシア国民がどのように受け止めたか、資料が少ないので正確には分からない。12年後の1917年には革命が起きて政権が倒されるくらいだから、負けを認めなくても相当の不満が残ったのかもしれぬ。他国ロシアのことは扠措いて、当時の日本人はこの戦争を通じて賠償金こそ取れなかったが、国際感覚を学んだことが大きな収穫と言える。即ち「日本もロシアのような文明国になるべきだ」庶民は別として少なくとも政治家や軍人官僚を始めとするエリート達は等しく思った筈だ。

文明なんて言葉は現代人には当たり前すぎて、あまりピンとこないだろう。小生も十分理解してないかもしれぬが、少なくとも金銭で贖えるものとは違う。藤原正彦氏の著作に「国家の品格」があるが、そこにはヒントがあったかもしれぬ。私見を短絡的に書いてみたい。先ず行いが野蛮でないこと、次が他人の意見をよく聞き、己の考えが確かで揺るぎが無いことの2点に絞りたい。簡単かもしれぬが、結構難しい。

今の世界に他国から文明国と認められる国があるかどうか?我が日本は立派な文明国であってほしいものだ。

2022年10月27日木曜日

赤い羽根

 普段から、たかが一人なんて粋がって、自ら村八分状態を望んで居る振りをしているが、実際はご近所とは出来るだけうまくお付き合いさせて頂きたいと思っている。昨日も隣の奥さんが訪ねてこられて、「共同募金の集金です。」と済まなそうなお言葉。去年の金額を記憶していなかったので「幾らでしたっけ?」問うと、「300円か500円くらいだったような気がします。」とのことだったので500円にさせてもらった。隣組の役回りを免除されてはいるが、隣の奥さんのご苦労はよく分かる。

だいぶ昔、家内が回ってくる当番を引き受けたときのことを書いた記憶がある。町会費や区役所から委託されるこの手の集金は結構大変で、あの家には行かなくてもいいなんて申し送りもあった事を聞いた記憶があるからだ。ご近所付き合いが大事なので寄付金は素直に出すが、本質的にはこの募金の意味不明なので、協力したくないが本音。

https://takaga.blogspot.com/search?q=%E8%B5%A4%E3%81%84%E7%BE%BD%E6%A0%B9%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%8B%9F%E9%87%91

そこで最も身近な豊島区の行政や予算を調べて見る気になった。昨日頂いた領収書は発行人が東京都共同募金会。昔は日本赤十字社が発行していたような気もするが、それはどうでもいい。少なくとも豊島区の予算書の何処かに記載されているのだろうが、600頁を超す予算書を検索してもヒットできない。少なくとも一般会計の約1357億円には無いことだけは分かった。

豊島区の世帯数は約18万世帯だから、世帯当たり100円ずつ徴収しても1800万円、恐らく億単位にはなるだろう。全国的運動だから共同募金会なる組織が全国にあるとすれば相当な金額を与る大組織であって不思議はないが、どうも共同募金会なる組織は実態はないのと同じで、役所が全てコントロールしているようだ。霞が関にも小さな団体があるにはあるが、役所OB姥捨て山に違いない。所管厚労省のホームページで調べても募金会計の詳細は分からない。よく言われる役所の隠し財産、実態的には厚労省のチェンジポケットみたいものに違いない。

小学校高学年か中学1年生の頃、あの白い箱を持たされて長野市役所前に立ち「赤い羽根共同募金をお願いしま~す。」と声を張り上げたことを思い出している。

2022年10月26日水曜日

多言

多言を弄すと意味が不明度を増すのは当然。岸田首相も分かっているだろうが、首相の発言は悉くぶれまくって益々意味をなさなくなってきた。迷惑するのは国民であることは言うまでもない。コロナワクチン5回目接種の案内が届いたが、添えられている案内書も矛盾だらけで、意味を汲み取ることが困難だ。仕方なく区役所に電話をすると、別のセクションの電話番号に掛けるように指示され、そこに掛けると区役所に問い合わせてくれとのこと。役所のたらい回しは毎度のことだが、トップからの指示が意味不明なので仕方あるまい。

経済閣僚の一角にあった山際大臣の罷免はせずに、結局辞表を受理になったことについては言うまでもあるまい。大臣が代わっても内閣の経済政策が変わるものでもあるまい。日本の経済力が底なしの泥沼に足を取られているのは、素人のボケ老人が考えてもアベノミクスの後遺症と分かる。これを総括して是正しないかぎり、通貨安が続くばかりでなくて、インフレも続くだろうし、国家も国民も貧困化に向けて坂道をを降り続けるだろう。分かっているが辛い話だ。

その点、英国保守党の新党首は分かっている。初の記者会見で7週間で辞任せざるを得なかった前首相トラス氏について簡潔に語った。「国民を豊かにする志は多とするが、手法が間違っていた。」勝手な意訳だが当たっていると思う。要するに国民を甘やかす減税策は結果的に国家財政の破綻を招き、更に大きな経済的困難を国民に背負わせることになる。トラス前首相は当にアベノミクスを実施しようとしたらしい。スナク新首相は就任早々国民に向け相当厳しいことを言い放った。端的に言えば、「社会保障の削減や増税も覚悟して、厳しさに耐えてくれ。」

国民が素直に「はい分かりました。」と言える話ではない。従って新首相の政策が成功するかどうか、それよりも政権がどこまで持つかは不透明とも言える。しかし若さには時の利がある。失敗は氏にとって大いなる糧にもなるだろう。どこもかしこも不透明な時代、日が暮れた感じだが、幸い我が行く道はっきりしてる。 

2022年10月25日火曜日

後悔先に立たず

 昨日も書いたが、世の中の雲行きは不透明さを増すばかりで、友人に言わせると持てる預貯金も紙くずになりかねないそうだ。そんな嫌な世の中だが生きてる限り毎朝何かを考える。たまたま昨夜、NHK・BS1で百名山として故郷の「戸隠高妻山」が取り上げられたので思わず見入ってしまった。ここには一度しか登ったことはないが、深い思い出と共に同じく深い悔悟の念がある。それは弟と二人での登山だったこと。前夜長野の弟宅で泊めてもらってのことだった。

古い記録を調べると2009年10月11日。当時は未だヤマレコを残す知恵がなかったが、数枚の写真だけがクラウド上に残っていた。写真データを頼りに記憶を辿ってみた。最初の写真の撮影時刻は8:12。昨夜のテレビによれば滑滝と言う最初の難所らしい。それから見晴らしの良い場所で数枚の写真がある。何れも昨夜のテレビでも紹介されいた。12:00ジャストに山頂標識の脇に立つ自分の姿がある。恐らく居合わせた登山者に頼んで撮ってもらったのだろう。

何が問題かと言えば、弟の写真が1枚も無いことだ。弟の到着が30分以上遅れてのことだった記憶がある。弟も山が好きで、小中学校の教員だった故に県内の山は殆ど踏破しつくし、色々教えてくれたものだった。ただこの日に限って調子が余程悪かったのだろう、五地蔵岳の休憩の時「少しゆっくり行くから先に行って山頂で待っててくれ。」と言われたのを真に受けてしまったのだ。今にして思えば、あそこで一緒にゆっくり休み、彼の調子を見ながら先を考えるべきだった。

山は登りもきついが降りはもっときつくなることがある。現在では山歩きの度に経験しているのでよく分かる。大腿部の筋肉痛、膝が抜けて力が入らずバランスが取れない。先日の飯縄登山でも8合目から下山したのもその予感だった。しかし弟はもともと凄いがんばり屋、弱音を吐きたくなかったのだろう。13時近くなって一緒に下山を始めたが、後ろから見ても相当ふらつきながらゆっくり歩いていた。あの姿は13年以上たった今でも忘れられない。

やっとの思いで登山口近くの車のところまで来て「運転を代わろうか?」と聞いても「大丈夫。」とのこと。真っ暗になって弟宅に帰宅したが奥さんが、凄く心配していて叱られた。奥さんは未だ健在なので、今でも小生を恨んでいるだろう。仲間の痛みが分からない人間は他人を山に誘ってはいけないのだ。

2022年10月24日月曜日

雲行き

 寒さが大分本格化してきた。しかし今年は諸物価高騰が激しいし、見えも外聞も気にする必要がないので、家の中でもできるだけ厚着をして過ごしている。ウクライナ国民と同じ気分だ。中国では新しい政権が発足した。正式には来年3月とのことなので悠長なものだ。習近平氏の独裁体制が益々強化されるらしい。吉と出るか凶と出るかは分からぬが、経済運営がうまく言っていないことは習近平氏も認めざるを得ないのだろう。

その責任を経済運営を任せていた李克強氏他の経済閣僚におっかぶせて切り捨てるのだから、中国式政権運営は恐ろしいものだ。今更ながら李克強氏の経歴を確認すると、彼が如何に優秀な人材であったかがよく分かる。あれだけの国で権力の中枢に座るということは生半可でないことを痛感。日本の政治家との違いを改めて感じたが、少し考えると日本ほど政治家という職業が本来の目的からかけ離れたいい加減な人材の集合体になっている国はあるまい。

善悪は論じかねるが、ロシアのプーチン大統領にしても政治家としての能力には見るべきものがあるように思う。それは曲りなりにも国民を一定の方向にリードする力かもしれぬ。民主的手法でそれを達成することは相当難しいのかもしれぬ。イギリスを引き合いに出せばよく分かる。イギリスでは民主的に選ばられた保守党政権が国民の信を失いダッチロール状態に陥っている。政党支持率が既に労働党の半分になっても総選挙は行わず政権のたらい回しが続く。選挙制度が分からないが不思議な現象だ。

かと思えば、イタリアではお化けの出現のような超右寄りの政権が発足した。嘗てのムッソリーニ氏を肯定する女性とのことなので全く理解不能。それでも当分会う気持ちがないと言っていたフランスのマクロン大統領がローマに乗り込み今朝から会見している。日本ではウクライナがロシアからクリミアを取り戻す勢いで進軍を続け、プーチン氏が死に体になりかかっているとの報道が圧倒的になっている。

ロシアが戦争終結を目指して動き始めていのがその証拠とのこと。ウクライナは聞く耳を持たぬ風情だが、停戦すれば戦後処理の負担が多すぎるので受け入れられないだけの話としか思えない。ロシアを負かすことなんか最初から不可能と分かっていただろう。何れにしてもウクライナの戦争被害額を知りたいものだ。戦争を煽ったアメリカが責任を持つ必要もある。調子に乗った日本にも付けが回ってくる。それにしても日本人と日本政府は能天気揃いだ。

2022年10月23日日曜日

なぜ今オーストラリア?

 岸田首相が、週末掛けてとは言うものの国会開催中で先週の予算委員会では多くの課題を与えられたにも拘らず、季節も正反対の南半球のオーストラリアまで行って、「日豪安保宣言」なるものに署名をした。先ず言っておきたいのは、時を同じくして天皇皇后ご夫妻が沖縄に行かれたことだ。これは昨夜の恒例リモート懇談で話題になった。誰も正確な情報を持ち合わせなかったが、政府専用機(2機)を首相が使用するのが当然と考えれば、両陛下は民間航空会社から特別便を仕立てられたと推察する(私見なり)。

それは措くとしよう。新聞を読まないので「安保宣言」の持つ意味が分からなかったが、今朝配信された元外務官僚天木直人氏のメルマガに依ると、マスコミがいくら「広義の同盟」とか「準同盟」といった表現でごまかしても、そして「宣言」は「条約」ではないと強弁しても、この日豪安保宣言はまぎれもない日豪軍事同盟だ。(軍事同盟は明らかな憲法違反、因みに日米安保条約は軍事同盟に非ずとの解釈?)と断じている。天木直人氏は何度も取り上げて得るのでご存知方のほうが多いと思うが、改めて紹介する。

小泉政権時代、レバノン大使在職中にイラク戦争が勃発、対イラク政策に反対を表明して外務省をクビになった人物なので、毀誉褒貶は相半ばする人物かもしれぬ。ただ小生は彼の書物を読んだり、メルマガもずっと読み続けているので、度々氏の意見はここでも紹介させてもらっている。昨夜のリモート懇でも友人に紹介したが、数日前には嘗てジャパンハンドラー(日本を米国の意のままに動かす事を担当している米国人)として名高かったアメリカの政治学者マイケル・グリーン氏がいつの間にかシドニー大学フェローに変身してNHKに登場したことに驚いていた。

事程左様に日豪の接近がアメリカの指示であることは疑いようがないと思うが、それにしても、そこまでして米中の緊張を高めることに協力する意味はどこにあるのだろうか?中国が習近平氏独裁傾向が高まることはたしかにあまり感心できない。しかし、米中の緊張を高めることが世界平和を益々遠ざけることも事実だろう。日本の政治家には緊張を和らげる能力は無いのも仕方ない。ならばせめて、緊張の危険から遠のく知恵を見つける努力をすべきだ。

2022年10月22日土曜日

ハイキング報告


          飯縄山1840メートル地点から北アルプスの展望

昨日は早朝3時に起床、普段のルーチンをこなして6時に出発。急ぎ足で駅に向かい、既に乗車券を購入してあった大宮発6:53の新幹線はくたかに乗り込むことが出来た。8:05長野に到着。タクシーで飯縄山登山口へ。9時丁度から山登りに取り掛かった。飯縄山は昨年7月22日以来。昨年は娘が同行してくれたが、今年は単独行。昨年の記録を見ると凄くバテた事がよく分かる。もちろんその記憶も鮮明だったし、今回は単独でもあったので兎に角慎重に歩くことを心がけた。

それにしても昨日の天気は最高、行き交う登山者全員が口にするのがこの気分の爽快さ。この山に来る人にとっては富士山が見えることが大変な喜びのようだ。紅葉も真っ盛りだし、なんとも言えない空気の旨さ。いくら天気が良くても、平日登山が可能な人は限られる。従って高齢者とか登山者もそんなに多くない。昨年に比べると空気が大分ひんやりしていたせいもあって思いの外順調に足が進んだ。しかし、11:15戸隠方面との分岐点で下山に必要な体力を考えて、結局山頂を諦めた。

山頂からの360度の展望のうち北方の妙高方面は諦めざるを得なかったが、高い空の下270度の展望でも十分圧巻だった。北アルプスはもう真っ白かと思ったが、白馬方面がわずかに白いだけだったのは他の山々がシルエットだけだったせいかもしれぬ。戸隠の中社には14:15に到着したが、14:30のバスがあったのでソバは諦めて2:30のバスに乗車。1時間ちょっとの時間は殆ど寝ていたようだ。結局長野駅構内のレストランで生ビールと遅い昼飯、無事下山できたことを一人で祝った。

その後列車の便が悪く、帰宅したのは19:30になっていたが、次女に電話で報告。8合目から引き換えした事を話すと。「それが一番、年を考えなさい。」と褒めてくれた上に今月30日であればどこか付き合ってあげられるかも、と嬉しいお言葉。天気が良さそうなら是非お願いしようと電話を切った。それから風呂に入ったり、洗濯したりして9時半に就寝したが6時間45分熟睡することが出来た。ハイキング最大の効用と言えるだろう。



2022年10月20日木曜日

不思議な日本

ボケが進行してるせいか、自分のことも世の中のことも分からないことが多くて困る。何も考えずに食っちゃ寝でもしていれば良いのだろうが、疑問はなんとか克服しようと虚しい努力をする毎日だ。最近最も悲哀を感じているのが、やはり流行りのネット関係のこと。なまじ比較的早い頃にネット関係の仕事に携わったせいで、中途半端な記憶があるので余計始末が悪い。昨日JRのみどりの窓口でガラケーを使っている人を見て、スマホなんか持つんじゃなかったと後悔したが後の祭り。パソコンはそこそこ利用できるが、スマホとなると昔家内が口癖にしていた「携帯公衆電話」以上の利用が出来ない。

電車の中で多く見かけるスマホを熱心に操作している人たち、歩きながらスマホに語りかけている高齢者の方々、どうしてそんなに器用なことができるのか、なぜ俺には出来ないのかと悔しいが不思議でならない。先日マイナカードと保険証やら公金受取口座を紐づけてポイントを15000も頂戴したが、これを現金に変えて利用するには相当な手間ひまがかかることがやっと分かった。従ってこの利用も当分はお預けにする。

もう一つ分からなくて落ち着かないのが、日本国の不思議さ。円がいくら安くなっても動じない政府日銀の頑固さには敬意を表すべきかどうか?この1週間だけでも行きつけの飯屋何軒でメニュー料金の改定を知らされたことだろう。米びつの米も残り少ないが、近日予定している米屋への注文を受け取る際、配達してくれる若旦那がきっとい言うだろう「料金が変わって申し訳ありません。」日頃買い物をするスーパーのレジでは聞くことのない言葉だ。他所の国ではインフレが大きな社会問題になってるが、日本は不思議なことにマスコミも煽らないし、政府も淡々と対策を口にしている。口の悪い人に言わせると「サルでも務まる総理大臣」だそうだ。

国内政治でもっと不思議なことは、最重要課題のように騒がれている<旧統一教会問題>。即ち政府自民党との関わりだ。これを圧倒的多数の自民党になんとかしろと言っても、出来ないことははっきりしている。例えは悪いが、半世紀以上の老舗泥棒一家の親方に代々の泥棒を掴まえさせようとしても無理だ。マスコミも分かっていながら延々とその議論を取り上げている。視聴者である国民は引き込まれて、ひょっとすると解決されるかもなんて思うのだろう。自民党の反社会勢力の下支えは何も勝共連合や統一教会だけではないと思う。早く国民が気づくことを待つしか無いか。

日本は変わらないことが価値観のトップに来るが、諸外国は日々新にが前提で動いている。過去の間違いを糺すことは当たり前だ。その当たり前が無いのに、何故か外国のことになると、マスコミには「〇〇の将来を読み解く」識者が大勢登場する。どうせだったら日本の将来や俺の将来を教えてくれ。

明日は久しぶりにハイキングに出かけますのでブログは休みます。 

2022年10月19日水曜日

秋深まる

 少年期(18歳まで)を過ごした長野市は、県庁所在地でもあって山国としては一応都会だった。しかし冬になれば市内の道路が雪に覆われる日が多かったし、小学生時代は寒さも身にしみた。家に居ると寒いので、寒さ対策に外での遊び、橇滑りやスキー(竹製で1尺そこそこ)ができるちょっとした坂がある場所を探し求めて歩いたものだ。在宅時は炬燵で丸くなっていた。

その延長でスキーをするようになり、高校時代くらいからいろんな理由を見つけて志賀高原の山小屋に行くようになった。山小屋は大きなストーブがあって今様に言えば全館暖房が整っているようなものだった。外気は夜-15℃位になるが、この時間にストーブを囲んで大人たちと会話に参加できた楽しさが、今の自分に大きな影響を与えてくれたと思っている。何を言いたいかといえば、他人はどうか知らぬが雪になじんで育った割に寒さに弱いこと。

秋がだいぶ深まり寒さも募ってきた。これから先を思うとうんざりするが、寒さに耐える準備をしなくてはいけない。各部屋にエアコンは設置されているが、この冬は電気料金が大分上がりそうなので節約しなければならない。かと言って風邪を引いてもいけないので厚着をすること、なるべく外出することを心がけようと思っている。外出は出来るだけ交通機関に頼らず歩行すること。認知症老人の徘徊と大差ないかもしれぬ。

幸い日本は空襲も無いので、急ぐ必要も無い。マイペースで息が続く限り歩くことにしている今日此の頃だ。

2022年10月18日火曜日

集中力

 幼いときから飽きっぽい性格で、根気の要ることに不向きな性格と自覚している。今でも集中できる時間は1時間弱、どんなに頑張っても2時間を超えて3時間に達することは先ず無理だろう。勉強とか学習、読書なんかにも不向きであるのは言うまでもあるまい。どこに問題があるか専門家に聴いてみたいが、自分でも不思議で仕方ない。読書を例に取れば、少し難しげな読み物であればすぐに睡魔が襲う。かなり興味深い読み物であっても1時間もすると他の書物や要件を思いついたり、尿意を覚えたりする。考えてみると映画鑑賞なんかでも似た現象がある。

<寝る子は育つ>と言われているが、寝付きの良さだけは自慢できる。昔からそうだったがその割には身長がいつも平均以下、身長順に並ぶと常に前の方というのも不思議なことだ。ひょっとすると睡眠ですら集中でいない性格かもしれぬ。勝手に辻褄合わせをすると、寝付いてから3時間すると必ず一旦目覚めてしまう。そこで小用をたしてまたすぐ寝付くが、今度は2時間位で目覚めてしまう。いつも5時間や6時間は集中して寝てみたいと思っているが、余程身体を酷使しない限り難しい。早寝だから起床はいつも5時前、普通の人から見れば早起きの方だろう。

しかし、いつも朝から生欠伸をしているから睡眠の質が悪いに決まってる。昔、誰かに睡眠にも体力が必要と聞いたことがある。ならば集中力は性格(脳科学?)の問題だけではなく、体力即ち筋肉とかべつの問題とも関係するのかもしれない。身体に「性格」なる部位は無い。魂も心も同じだ。精神科とか神経科の医師であれば分かりやすく説明してくれるだろうか?多分あまり期待できないような気もする。そんな自分であるが、不思議なことに集中できてることが一つだけあった。

囲碁である。きっかけは忘れたが社会に出てから入門書を購入して独学で始めた。父が趣味にしていたこと知っていたので真似をしたくなったのだろう。それが未だに続いている。ネット碁時代の到来で、今では1日に3時間以上熱中するのも稀ではない。性格からすると例外とも言える。嘗ては足繁く通った碁会所は全て閉店。ここ10年以上はネット碁専門だ。始めると夢中になり過ぎるのでなるべく敬遠してるが、対局数が1万回を超えた。それでも勝率は49%も変わらないので、ヘボであり、集中力に欠けるのだろう。

2022年10月17日月曜日

マイナンバーカード

マイナンバーカードの議論が高まっている。河野太郎担当大臣のキャラとも関係があると思う。彼は名門政治家の三世議員だろうが、一種のタレント政治家。血統が良いので党内でそれなりに優遇されるが、実力が先祖に勝るとは思えない。しかし本人はやや自信過剰で、父や祖父に負けまいとパフォーマンスが多い。既に大臣ポストにも何回か就いたが、何れにおいてもさしたる評価を上げえなかった。想像するに官僚からの支持が弱いのだろう。独り相撲になればなるほど官僚が敬遠するのは当たり前。

統一教会問題でも首相を煽って、岸田氏を踊らせているつもりだろうが、宗教問題が絡むだけに、ことは単純に解決はできないだろう。それは扨措き、こちらに迷惑被害が及ぶのがマイナンバーカード問題。小生だけでなく医療機関を始めとして関連する人が多いだけに、その拙速さについては非難の声が多い。更には個人情報の取り扱い方についても、政府がどう考えているのか疑問視する一般人も多いだろう。そもそもマイナンバーカードが出現して以来何年経過したか忘れてしまった。

少なくとも五年以上になるのは間違いない。当時ある不動産屋の営業が親切に教えてくれた。「貴重なカードですから財布なんかに入れて持ち歩いていけません。実印と同じく大事に保管してください。」素直だからそれに従って持ち歩いたことはなかったが、最近は持ち歩かないと不便なことが多い。どこに行っても「マイナンバーは?」と聞かれるが、電話番号や所番地でさえ覚えるのがやっとだから当然覚えてなんかいない。カードを持ち歩き始めた所以でもある。

それにしても低い普及率、それを2年で義務化ときた。それは良しとしても、そのために金をばらまくのも変な感じがする。ばら撒かれた金がポイントなる代物。政府の支出は金だろうが、小生には使い難いことこの上ない。おかしな政策でもある。 

2022年10月16日日曜日

迷い

 最近勘違いや間違いが非常に多い。今日も日曜日を忘れて区役所に行ってしまった。昨日も何か忘れたが、1日中バタバタしてブログを書く暇がなかった。ただ金曜日のブログ内容に非常に大きな間違いがあって、匿名の読者から指摘された。結局そのブログは削除させてもらった。認知症が大分進んでいるかもしれぬ。車の運転とは異なり、自分なり、第3者に肉体的損傷を齎すことは無いかもしれぬが「もう止めなさい」と言う声が聞こえる。

それも分かるが一方で「生存証明だから続けて」との声もあり、大いに迷っている昨今だ。

2022年10月13日木曜日

疲れが重なる

 10月という時期がそうなのかもしれぬが、公的機関から様々な調査票が送られてくる。例えば月のはじめに来た就業構造基本調査、これは区の委託を受けた人が届けてくれたが総務省統計局長の依頼文書あり、15歳以上の全国民が対象になってるようだ。国勢調査との一環かもしれぬ。質問票はA 3版表から裏まで細かい活字でびっしりとあって、普通の老眼鏡だけではとても対応できない。仕方なくネットでの対応可とあったので、ネットでなんとか回答した。

こんな調査こそ、年金だけで暮らしている老人は最初の1問で回答が終わるような工夫が欲しいものだ。今日は日本年金機構から扶養親族等申告書が送られてきた。これは最初の質問で<前年から変更なし>にチェックを入れればあとは何も書く必要がないようになっている。この調査、昔、家内生存中は往復はがきの調査だった。一度切手をはらずに投函して差し戻されたことがあって、家内に叱られたので覚えている。これが最近は予算が増えたのか、大層な量の印刷物になって送られてきた。

もちろん返信用封筒は同封されているが、相変わらず切手はこちら負担。81円の切手を貼らなければならない。こんな手間暇も年寄りには負担だろう。ケチな話だがこういった細かい配慮が無いのがお役所仕事。昨日に続いて似たような話で恐縮だ。独居老人が生きるのも楽じゃない。

ところで今日も雨降り、明日明後日は晴れとの予想だが、もう山に行く元気も無くなった。大人しく読書でもしよう。

2022年10月12日水曜日

役所のシステム

 2年後くらいには紙の保険証がなくなりマイナンバーカードに統一されるとの情報がある。現在でもマイナンバーカードと保険証は紐付けられているはずだが、マイナンバーカードが保険証として通用する医者の割合はどのくらいあるのだろう?かかりつけ医の窓口さんは紙の保険証であれば一目で本人確認が出来るが、マイナンバーカードになれば何らかの機械に読み取らせて確認する必要が生じる。混雑する受付窓口では余計な手間が掛かるので混雑に拍車が掛かること必定だ。

今朝、印鑑証明が必要になり、区役所(支所)に行った。印鑑証明はカードが発行されているので、真っすぐ機械に行けば良いはずだったがこれが違っていた。先ず印鑑証明を貰いに来たことを用紙に記入、順番カードを受け取って窓口に提出する仕組みに変更されていた。順番が来て窓口に行くと、今度はカードを持っているかとの質問。勿論持っていると答えると、続いてマイナンバーカードは持っているかとの問。不要と思ったので持参していなかった。

すると印鑑証明用のカードだけだと印刷費用が100円高くなって800円だが、マイナンバーカードがあれば700円で印刷できるとの話。印鑑証明書発行の機械は昔と変わらず、所内の何処かに鎮座してるらしい。職員の手間を省くため導入されたはずの昔と同じ機械を動かすのに、態々職員の手間に頼る仕組みに戻っている。これってどう考えても変だ。保険証とマイナンバーカードはの紐づけも各所で似たようなことが出現するのだろう。

機械化されたシステムで苦労が増えるのは年寄りばかりには限らない。

2022年10月11日火曜日

テレビの戦争報道

 日本はG7の一角を担う国だ。何故かと不思議にも思うが事実であることは否定できない。従って今回のロシアのウクライナに対する戦闘行為に全面的に批判的になるのは已むを得ない。しかしマスコミまで政府に歩調を合わせる必要はないだろう。是々非々ではなく、真実を観極める努力に徹してほしいものだ。この戦争は2国間の戦いではなく、アメリカと西欧諸国対ロシアとその支援国、と言ってもどこが本当の支援国かは小生には判断がつかない。

更に小生だけではないと思うが、日本国民は先の大戦以降戦争の経験者が少ないので、戦争についての知識に全く欠けている。最近はこの戦争についてのテレビ番組をんなるべく観ないようにしているが、毎朝NHKBS1の「ワールドニュース」を朝食準備から後片付けまでのBGM代わりにしてるので嫌でも海外報道は耳に入ってくる。全て通訳の声なのでラジオ番組と同じこと。今朝も聴いていると、国によって同じニュースでありながら内容に大きな違いがあるので困ってしまう。

現地時間だろうが、10日ロシアのプーチン大統領は7日のクリミア橋破壊をウクライナに依る破壊工作と断定して、これに対する報復でウクライナに対して大規模な報復爆撃を命じたらしい。その爆撃が何でもウクライナ全土の10数都市に及んだとのこと。ここからが問題で、その結果についてウクライナの発表に依ると投下されたミサイル80数発で、その半数は迎撃したとされている。

半数にしても相当な着弾だと思うが、エネルギーや通信関係のインフラ施設や、戦闘に無関係の民間施設多数が被害にあったと言い、死者の数は全国で11人とのこと。このミサイルが地上から発射されたかとか、航空機に依る爆撃だったかはどの放送でもはっきり言わない。どんな発射形態か知らぬが、北朝鮮の訓練発射と日本政府の対応を思う、とウクライナ政府の警報発信のタイミングが日本と大分異なり、ミサイル発射を瞬時に察知、国民にも余程訓練が行き届き、避難が相当迅速に行われなければ犠牲者がこんな少数で済む筈が無い。

はっきり記憶していないが、どこかの市長が、その市内だけで死者18人と言っていたような記憶もある。各国の報道が本当にまちまちだったか、翻訳に恣意的な作用があったかは分からない。当事者たちは被害は少なめに、戦果は大々的に発表するだろう。戦争報道の受け止めは難しい。

2022年10月10日月曜日

秋祭り

 社会人になったばかりの東京オリンピック当日は、何故か故郷長野市内のパチンコ店にいたことだけが記憶に残っている。この日を含め10月10日は昔から晴れの特異日と思っていたが、何故か今年は寒さが早くやって来てパッとしない。秋は台風も一段落して、本来運動会や遠足、きのこ狩りに栗拾い、秋祭りと楽しみが多いし、灯火親しむで読書にも良いし、日本人には凌ぎやすい心地良い季節のはずだ。

ところが、我が町の秋祭り(長崎神社)は今年も中止らしい。1週間ほど前の夕方2キロ近く離れた池袋地区の御嶽神社の神輿がでていたが、本来御嶽神社氏子の西池袋一帯の町々が駅前を中心に盛大な10数台での神輿渡御をやって大いに盛り上がるとしたものだが、1町内1神輿だけで騒いでも、僅か1時間足らず交通の妨げになるだけで終わってしまう。今年もふくろ祭りは提灯飾りだけで中止かと思いながら、しょぼふる雨の中池袋駅前に行くと、駅前大通りが通行止になって、完全にふくろ祭り仕様。

神輿の姿形はないがよさこい祭りだけはやってる様子。もう夕方5時近くで殆ど暗闇で雨さえ降っていたのだが、交通規制に動員されている多くのパトカーとお囃子らしき音楽に引き寄せられた。集う観衆は例年の3割にも満たないと思うが、踊り手の皆さんは昔通り元気ハツラツ。間近で観させてもらったのは高知県からやってきたと言う「絆」連の皆さん。「池袋の皆さん、コンニチワ!よさこいの本場高知から参りました絆です!宜しくお願いします!!」周りを見るともう出演済みなんだろうが、「国士無双」とか「風林火山」とか印の入った衣装を身に着け、歌舞伎役者まがいの化粧をした男女(彼らは傘を指していない)が沢山拍手を送っていた。

観客が少ないとは言え3年ぶりだから出演者は本当に楽しそうだ。こんなご時世でも遠く四国から池袋まで来てくれた心意気には心から感謝したい。改めてホームページで確認すると、今年の参加チームは全78チームとある。最盛期に比べれば3分の2位かもしれぬが高知だけでなく北海道からの参加チームもあったようだ。昔からひねくれ者で祭りへの参加経験は少ないが、あの一体感の感激は忘れられないくらい素晴らしいものなんだろうし、観ていた年寄でさえ高揚感貰うことが出来た。

来年かいつかは分からぬが、日本各地で神輿担ぎも合わせて行われる本格的祭りの復活する日が待ち遠しい。

2022年10月9日日曜日

ハルマゲドンの可能性

未だ筆舌に出せるほど考えは纏まらないが、心配だけは膨らみ続けている。昨夜のリモート懇談でも友人の口からハルマゲドンという言葉が飛び出した。

このところウクライナの攻勢に沈黙しているようにみえるロシアの不気味さを友人も感じたのだろう。調子づいたかのように見えるウクライナは、誰が見てもロシアが生命線としているクリミア大橋爆破に手を付けた。7月にロシア前大統領のメドベージェフ安全保障会議副議長は「実行すればウクライナにとって終末の日となる」と述べ、核兵器による反撃も辞さない構えを示唆していたことを忘れたわけでもないだろうが、ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は、炎上については言及しないまま、ツイッターに「これが始まりだ。違法な建造物は破壊されなければならない」と投稿ししている。

ロシア側は未だ正式な反応は示さず、詳細な事故調査が指示されたに過ぎぬが、近い将来宣戦布告があっても不思議はない状況にあるとしか思えない。昨日の報道ではウクライナ側の特殊部隊兵士若干26歳の言葉で、「我が国ではロシアの核攻撃に対する準備は既に整っている。」との勇ましい発言があった。中で印象的だったのが「国民にはヨード剤の配布がされているし、我々は防備も出来ている。広島の原爆攻撃を生き抜いた残存者の中には86歳まで生き延びた人もいる。」と確信的に語っていたことだ。広島の悲劇が世界中で十分認識されているとは思わないが、原爆の悲劇と原発の悲劇がごちゃ混ぜで受け止められているようだ。

ロシアとNATO軍で戦争が始まれば間違いなく世界大戦。右翼政治家が期待している通り日本の参戦は免れないだろう。その時がいつになるかは分からぬが、国民全体が被る被害の規模は想像ができない。これを見積もることができるならば、誰でも構わぬから教えてもらいたいものだ。政府が思いついたように発表する政策は何であれ、大きな方向性に欠けると今朝のTBSテレビ「サンデーモーニング」で寺島実郎氏が語っていたが、その通りだ。アメリカに言われるまま自衛隊予算だけを積み上げていくだけの国防政策、これで日本の安全保障が本当に得られるとお考えなんだろうか? 

2022年10月8日土曜日

こんな日も

昨日は朝から土砂降りで寒かった。日が暮れればもっと酷くなるだろうと、夕方の散歩に長靴を履いて少し早めに出かけた。早め夕食を食って帰宅したのが未だ6時。大してすることも無く早めに就寝して睡眠の取りすぎかもしれぬが8時間以上の睡眠。今朝は起床後も頭がすっきりしない。昼近くになって、やっと太陽の光が射し始めたので少し目が覚めた思い。

先月くらいまでは、午後7時半から恒例のリモート懇談を休んでも山歩きの予定でいたが、当然取りやめ。昼のうちに歩いておこうと日比谷まで行ってきたが、大して美味いものにもありつかず、歩くにもあまり元気が出ない。歩行数も9千歩弱。ゴルフもそうだったが、山歩きも遠のきそうな気配を感じる。甘いものを食いすぎたり、睡眠を取りすぎるのも考えものだ。書くべきことも思いつかない。今日はここまでで終わり。 

2022年10月7日金曜日

塵も積もれば

 歳をとったからだろうか、一昨日からの寒さが体に応えて急に冬支度になってしまった。久しぶりに風呂に入ってゆっくり温まったりもしたが、何ヶ月ぶりのことになる。外は寒いし家にいても大して面白くないことが多い昨今だが、昨日は珍しく心がほのぼのするようなことがあった。年初から詐欺被害や家の手入れなどで出銭が多く、手元がだんだん不如意になり始めているので、僅かばかりだが毎月掛けてきた<小規模企業共済>(零細事業経営者のための保険)を解約することを決心。

これを運営している中小機構に以前勤務していた次女と相談。結果手続きが面倒だと思うから直接相談するようにアドバイスを貰った。最近はどこに電話をしても繋がりにくい上に自動音声ガイダンスでイライラするのが常なので最初気が重かったが、事前にホームページで確認すると、午後4時台が比較的空いてるとのことなのでその時間に電話をした。するとたしかに比較的短時間で繋がったし、対応してくれた職員か派遣の社員か知らないが対応が極めて親切丁寧でびっくりしたくらい。

この制度の手続は基本的には預金口座のある銀行を通じて行うもので、その窓口の対応がコロナ禍以降かもしれぬが特に酷くなった気がしている。年初に詐欺被害にあった時、口座の閉鎖や新規開設などで何回か窓口を訪問したが、最初知らずに突然行った時の対応の悪さ、予約制度が当たり前になっていた事を知らなかったこちらが悪いのだろうが、客扱いしない態度、これもよく考えれば客と思われなくて当然かも知れぬが、はっきり言えば不愉快だった。昨日も当初は、共済解約のためにまた何回かあの銀行に行かねばならぬかと思っただけでも気が重かった。

ところが昨日の共済相談窓口との電話は正反対で、解約手続きの話なのにこちらへ感謝の気持がひしひしと伝わってきた。話を聞くとどうも手続きは中小機構から送られてくる書類を返送するだけで完了するらしく、あの小生意気な銀行窓口に行かずに済みそうな気配。これが何より有り難い。ここ10年くらいは2ヶ月一度振り込まれる年金だけが楽しみだったが、年内に人生で最後になるだろうが、ささやかなボーナスが貰えそうな気分だ。

2022年10月6日木曜日

門外漢のくせに

 今日はすごく寒くなった。外出にダウンジャケットを羽織っ出たが、ダウンを着ている人が以外に多かったので安心した。他に書くことも無いが、今週はノーベル賞発表の週なので一言。今年は残念ながら自然科学分野で日本人は受賞できなかった。日本の教育水準低下が少し気になるが、真剣に研究を続けている学者さんからすれば余計なお世話と叱られるかもしれぬ。

それにしても今年の物理学賞受賞者3人が受賞対象になった「量子のもつれ」の発見。量子そのものが理解できていないのでwikiで確認してみた。「様々な物理現象における物理量の最小単位である。」と書いてあるが、単位は分かるが、計測する単位があっても物質ではなさそうだが、果たしてどうなのか?どなたか教えてください。

量子コンピューターなんてものについても普通のコンピュータ、例えばパソコンとの違いが何であるかも分からない。しかし分かっている人にとっては大変なことらしい。アインシュタイン博士すら謎だと考えていたもの(こと?)を、実験で映像化したらしいから大変な発見だと思う。どんなに通く離れていても、もつれを操作することで瞬時に同じ現象を見ることが出来るなんて手品以外に考えられない。分からなくてもワクワクする。

2022年10月5日水曜日

忘れ物

 高校生くらいまでは意図的に持参しなかったものを除けば、学校へ持参すべきものを忘れた記憶は殆ど無い。しかし最近は物忘れが激しすぎて困る。今日から天気が変わるとの予報だったので、早いうちに済ますつもりで、インフルエンザ予防ワクチン接種のため8時半頃家を出た。200メートルと歩かないうちに、すれ違う学生の顔を見てマスクを持っていないことに気がついた。よりもよって医者に行くのに何たる不覚と折り返して、玄関先に立ってポケットに手を入れると、今度は玄関ドアの鍵が無い。ボケもここまで来ると相当重症だ。

幸い我が家には、他に非常用の出入り口を2箇所設けたつもりだったのでそちらに回るが、理由は分からないがどちらも厳重に鍵が閉まっている。仕方なくお隣を騒がせて泥的のマネをしてやっとの思いで自宅に潜り込む。やってみて分かったのは、お泥棒さんも楽な商売ではないことだった。

土曜日から始まった予防接種なので、医者の受付嬢からは「今日土曜日は凄く混むと思うので、月曜の午後以降が良いですよ。」とアドバイスがあったが、雨の激しさが高まりそうだし寒さも厳しくなりそうなので、敢えて水曜日の今朝行くことにしたらこの始末。なんとか目的は達したが、似たようなことが今後益々増えそうだ。

2022年10月4日火曜日

ごちそうの話

 爽やかな秋晴れが続くので、普通の人ならば何か楽しいことを考えて実行に移すだろう。しかしこちらは残念ながら考えるだけに留まってしまう。考えは好きな音楽や絵画であれば良いのだが、最近はコンサートも絵画展もとんとご無沙汰。強いて言えば、毎日外食してるから料理くらいはランキングがつけられるかと思ったりもしたが、思いついたランキング1位が「ロースカツ丼」では笑われてしまうかも。

自分のことはさておき、日本ほど諸外国の料理屋さんが展開してる国は少ないのではなかろうか?池袋は首都の中でも有数の繁華街ではあるが、ニュヨークやロスのダウンタウンに比べれば規模はかなり小さいと思う。この池袋にある外来の食べ物屋だけでも相当な数だ。代表的な洋食といえばフランス料理だが、フレンチレストランが大分減ったが、イタリアンレストランがやけに多い。イタ飯と言っても本格的でないだろうが、スパゲッティやピザを好む女性は多いようだ。

インド料理との違いがはっきりしないが、ネパール料理。ネパールで食った飯はどこか日本のインド料理と違っていたように思うのだが。ロシア料理のボルシチは好きだが、池袋にはないようだ。代わりに故郷長野の志賀高原最高峰横手山々頂友人が通年でヒュッテを営むが、店の看板料理がボルシチだから面白い。池袋での試食は無いが、珍しいところではトルコ料理、スウェーデン料理とかギリシャ料理なんかの店もある。早朝から騒ぎになっている北朝鮮の看板を出してる店は無いが、韓国人の友人によれば、韓国料理店の半分は北朝鮮系と考えてもいいらしい。

中国料理もいろいろあって、何故か四川料理を看板にしてる店が多い。来局をもてなすのに使用してるシナ飯屋は店名を桂林と称するが、ここの杏仁豆腐が旨い。外来の店も良いが、やはり値頃のわりに美味く、栄養価もたっぷりなのが残念ながら池袋ではなく、都内に2軒(何れも西銀座)しかない<いちにいさん>の黒豚ロースかつ丼セット1280円(ランチ料金)。この店は本店が鹿児島のそば屋だそうだが、カツ丼て果たして日本料理と言えるかどうかが問題だ。しかし外来料理とも言えない。外国人に聞いたらなんと答えるか知らぬが、店にあまり外国人を見かけない。

日本旅理で世界に名を馳せてるのは寿司だろうが、最近寿司屋にはとんと入らなくなった。回転寿司は昔よく行ったが、寿司は少し料金が高いからだ。

2022年10月3日月曜日

身辺整理

 このところ睡眠が十分のせいで気分がだいぶスッキリしている。今週後半から来るとされている寒さに備えて寝具も乾したし、衣替えの準備もできた。序に今後に備え、山歩きで言えば持って歩く荷物の量を減らすように、普段の生活でもすることを出来るだけ減らすようにしたい。例えばこれまで購読していたメルマガの整理がある。考えてみれば、年寄が知る必要がある情報は、極端なことを言えば、区からくる通知や隣組から回ってくる回覧板だけで十分かもしれぬ。

テレビと新聞その上にメルマガなんか読んでどうする気か?と自問自答の結果だ。インプットする情報が減れば、アウトプットするブログの情報量も減少していくことだろう。年相応の生活で天寿が全うできればこれ以上望むことは無いと思った次第。取り敢えずご報告まで。

2022年10月2日日曜日

希望は子孫に

秋晴れで気持ちの良い日が続いている。しかし昨夜のリモートミーティングは暗い話ばかりだった。同学年の爺5人だからもう少し枯れた洒脱な会話になって欲しいが、ボケもせず世の中の動きに興味を持つ面々なので、なかなかそうはならない。確かに国内でも海外でも碌な話が無いのは事実かもしれぬ。他の4人のことは知らないが、懐に秋風が吹いているが、どう考えても年に6回頂く年金で餓死するようなことはあるまい。

では聞くが「お前にとって明るい話は何だ?」「子供と孫の成長だ。」と答えたい。昨夜も介護に関する話題が相当盛り上がったが、介護はされる側の問題でなくてする側の問題。幸い小生には介護義務がある配偶者がとっくに亡くなっている。確かにこちらが倒れたら、娘二人は大変だろう。できるだけその日数が短期で済むよう努力するしか、今のところ他に考えることはない。家内も同じ考えだったと思うが、幸い子も孫も我々の想像以上立派に育っている。

今年は下の娘も50歳を超えた。我が50歳当時は未だ迷いっぱなしの年頃。二人共他家の嫁ではあるが、家内に似て家庭の切り盛りはしっかりしている。3人いる孫の上二人が今年無事社会人となった。特に上の孫は先日学校で表彰されて大学のホームページに掲載されたから見てくれとの連絡。確認すると「第148回 情報基礎とアクセス技術・電子情報通信学会 データ工学 合同研究発表会 学生奨励賞」とあって孫のことが書かれている。この孫については「シェフにでもなればいい。」と言っていた家内も、まさかこんな分野に進むとは夢にも思わなかったに違いないし、生きていればどんなに嬉しかっただろうとの思いが一入だ。

中の孫も情報系の会社に就職できたし、俺には碌でもないことばかりの年だったが、全て帳消しになった。先を考えても自分にはもうチャンスは巡りこないが、子や孫にはこれからそれが来るかもしれないと思えば、気分が晴れる。今回受賞した孫と話すと、学者馬鹿らしく社会問題では全く話が噛み合わない。「好きな政治家は誰か?」と聞いたら「麻生太郎」と答えが返ってきた。理由は単純「格好がいい」とのこと。

孫自慢は老人話の恒で、聞くに耐えないとする人も多い。承知の上でもう少し書こう。夏休みとか冬休みもなく、たまのアルバイト以外はいつも学校に行ってはコンピュータと向き合っていて、自宅にはテレビもラジオも無いそうだ。勉強嫌いの俺には考えられないが、これも現代若者の一つのライフスタイルなんだろう。政治のことなんかどうでもいい。 

2022年10月1日土曜日

自民党の将来

 ロシアは大変なことになってしまったようだが、なにかコメントする能力も無いし、資格も無い事は分かりきっている。むしろ日中国交回復50周年の祝福が寂しいことには一言ありたいとは思うが、これもどう言っていいか正直分からない。一言だけ「昔の政治家の方が、現在のお坊ちゃん政治家諸氏と比べて見るに、格段に優れた判断力があったように思う。」

半世紀前の日中政治家の判断が、その後の両国、世界に文明の進歩や発展を齎したことだけは誰も否定出来ないだろう。最近の日本は、これが政治家のすることか、とか、この判断は将来に如何なる発展でなくて、後遺症を残すかと心配になることが多すぎる。あまり心配しても始まらないが、日本の坊っちゃん政治の終わりの始まりなれば結構だと思っている事件が、安倍元首相の不慮の事故死で起きた気がする。安倍氏がいなくなったことで自民党最大派閥が消滅することだけは確かだと思う。

そのことから自民党そのものに大きな変化が現れ、自民党が分裂して勢力が弱まることを期待したい。その思い通りにはいかぬかもしれぬが、自民党内部事情だけで見ればその方向に向かっているように思う。国民だって馬鹿じゃないから、そういつまでも定見のない政党に投票するとは限らない。自民党政治家の口癖である国家の危機が本物になってくれば、方向性が定まらない政治家を支持する訳は無いだろう。もちろん自民党政治家でしかも二世議員であってもまともな人材もいる。

愛媛選出の村上誠一郎氏、氏は元なにかの大臣にまでなっているので当然国葬に参列すべきだったのだろうが、以下のように述べて参列しなかったらしい。「安倍氏は、財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した。国賊だ。」極めて真っ当にも聞こえるが、自民党内は大紛糾、罷免させろの大合唱だろう。党員資格を失えば次の総選挙は先ず落選決定のようなものだ。自民党なる政治家から見れば魔法の器にヒビが入り始めている可能性もある。

衣替えの10月1日に相応しいメッセージなれば幸いだ。