2014年11月30日日曜日

歳末恒例行事

遂に今年も残すところ僅か1ヵ月。明日は納骨式のためにまた長野行。長野行きは今年何度目か分からないが、山にも登らないのに異常に多かった気がする。昼食を食べた隣の飯屋、客が他に一人もいない。店主曰く「もう暮れだ、早くて嫌になるね。今年は何の充実感も無い年だった。」「全く同感だし、来年はもっと暮らしがきつくなりそうだよ。」と相槌を打った。

75歳に喃々として、人生に感激や充実を求めるのは贅沢すぎるかもしれぬ。前立腺癌が見つかったり、兄弟が亡くなったりしたが、そこそこ無事に過ごせたら、満点と感謝すべきかもしれぬ。昨日から今日にかけて、元スタッフの協力を得てあれやこれやと年賀状作りで過ごす。どうということは無いのだが、微妙な修正を繰り返すのが一つの楽しみ。やっと意見の一致を見てホッとした思いだ。あとは喪中案内の到着を待って名簿ソフトを修正すれば、一気呵成に180枚前後の年賀状が出来上がってしまう。プリンターのインク切れだけを想定して備えれば万事OKだ。

心入れが薄いと非難されるのは承知の介だが、長年の我が家の伝統でもある。父の年賀状は毎年「謹賀新年」の4文字だけだったように記憶するのだが、都合よく覚えているのだろうか?仮にそうであっても、父の時代はパソコンや名簿ソフトとは無縁の時代。己の横着を父のせいにしては罰が当たりそうだ。昔は兎も角、今や歳末恒例の行事なんか殆ど無いに等しい。個人的に手配していた歳暮の類は一切やめてしまったし、忘年会も全く縁が無くなった。強いて言えば同窓会2件と古い友人との会食の予定が1件あるのみ。

歳末を一種の武者震いをして迎えた大昔を思うと、大量飲酒で体調を崩す心配が無くて有難いようでもあり、何となく寂しい感じも無いではない。

2014年11月28日金曜日

減りゆく書店の中で

東京はとてつもなく広い。半世紀以上も豊島区に住んで、池袋を地元みたいに思って大体知り尽くしているつもりでいた。ところが今日、今までに一度も足を踏み入れたことが無い商店街を歩くことになった。一昨日婆さんから『池袋に「天狼院書店」と言う書店があることを知っているか?』問われたが、聞いたことが無かった。何でもテレビで紹介していたとのこと。評判の原因は、販売中の本を座ってゆっくり読める上に、お茶まで出してくれるそうだ。

本を読むために、書棚の片隅に椅子を用意している店があるのは知っていた。東口にある「ジュンク堂書店」である。我が家の近くから池袋のかけて、ここ15~10年くらいで書店は減る一方なのに珍しい話を聞いた思いだ。婆さんがテレビを見て態々メモを取ってくれておいたので、ネットで検索するとすぐに分かった。http://tenro-in.com/と立派なホームページが開設されている。場所はあずま通りで、一度も行ったことの無い商店街だ。

丁度、今日は半年に一度行くことになっている歯医者の検診日で、あずま通りは歯医者から目と鼻の先でもある。池袋で行ったことが無かった商店街を歩くのも興味深いので、行ってみた。書店とは名ばかりで蔵書が少なくて、手に取って読んでみたくなる本は1冊も無かった。椅子があります、炬燵がありますは宣伝通りにあることはある。確かに若いお客が4、5人はいたように思う。
どんな人がどんな本を手にしているかは分からない。5分も居ずに出てしまった。

帰りに近所にある「ジュンク堂書店」に寄って少し時間を潰す。こちらの蔵書点数は池袋随一。幸い椅子が空いていたので、新城カズマ著の「島津戦記」を取って読みだした。今評判が高くなっているそうだが、確かに面白い。危うく買ってしまいそうになったが、衝動買いはいけないと思い直して書棚に返した。不吉なことを予言しては申し訳ないが、新しいスタイルのつもりでも書店経営はやはり大変そうだ。小売業の全てかもしれぬが、資本力の相違が益々格差をつけていくのだろう。

2014年11月27日木曜日

メディアの矜持

サンデー毎日の年金暮らしであっても、大方の人は日常がパターン化しているのではないだろうか。小生の場合、月ー金は6時半(土日は1時間遅れ)の起床から22時半の就寝まで、所々にタイムスケジュール上のチェック・ポイントがあって、することもかなり定型化している。テレビ番組もその例に洩れず、平日観るテレビ番組は殆ど決まったようなものだ。朝はテレビ朝日の「グッド・モーニング」、夜は7時の「NHKニュース」と9時54分からのテレビ朝日「報道ステーション」最初の30分である。あとは歌謡番組が多い。

4半世紀前の現役時代、22時台に報道番組なんか持ってきて商売になるかと問題視された時代が懐かしいほど、現代はかなり深い時間帯に報道番組が並んでいる。それは多くの国民が社会問題について意識している証拠で、結構なことかもしれない。昔は報道はTBSと言われた時代もあったが、現代はそれは通用しないだろう。娯楽一辺倒のように見られていたフジテレビでさえ、最近は報道にも力を入れている。

一言で報道と言っても、昔は政治報道に関しては圧倒的にNHKが強かった。取材力の差で、報道内容の深さと正確性に於いて民放各局の追随を許さなかったように思う。観ている番組が少ないので的外れになるかもしれぬが、NHKの政治報道が精彩を欠いているように思えてならない。世界中に取材拠点を持って、豊富な人材を張り付けていると思うが、民放との差が見えてこない。長年の習慣で19時から30分はニュースを観ているが、つまらない日が多い。

政治報道に関しては日曜朝9時からの「日曜討論」がNHKの売りだった筈だが、最近は退屈極まりないものが多すぎる。一応録画してあるのだが観ない日が多くなってしまった。司会者個人の資質や不勉強もあるかもしれぬ。数年間に亡くなった岡村和夫氏が司会していた頃が懐かしい。一言言えば、政治家となぁなぁの関係を持つことは同じかもしれぬが、岡村氏は番組でその馴れ馴れしさは微塵も見せず突っ込みが厳しかった。現在の司会者を見るに馴れ馴れしさと上から目線には辟易する。「安倍さまのNHK」なんて言われて恥ずかしい思いの社員も多いだろう。

ところで今日、駅の売店で夕刊紙の広告を見ると「自民党がテレビ局に圧力」と書かれている。帰宅してネットで確認すると、今月20日安倍総理の解散記者会見前日、自民党筆頭副幹事長萩生田光一氏名で在京テレビキー局の編成局長と報道局長宛てに次のような文書が送られたとのこと。<選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い>要点は4点、1.出演者の発言回数と時間の厳守。2.ゲスト出演者の選定を公正中立に。3.テーマの選定 特定の立場に偏ってはいけない。(電話で問い合わせたら、政策については避けるようにとは?)4.街頭インタービュー等で一方的な意見に偏るな。

何でも18日の解散記者会見当日の夜、安倍総理自身が『ニュースウオッチ9』(NHK)を皮切りに、『NEWS ZERO』(日本テレビ系)、『NEWS23』(TBS系)に立て続けに出演したそうだ。その中、『NEWS23』で示された街頭インタビューに切れて、「厳しい意見を意図的に選んでいる」と陰謀論まがいの主張をまくしたてたと報じられている。どうもその直後にこの文書でテレビ局に圧力をかけ始めたらしい。

第三者的には子供じみた振る舞いと笑ってしまえそうだ。しかし選挙管理委員会やBPO(放送倫理・番組向上機構)からであれば兎も角、政権政党が何を思い上がったにせよ、報道の自由に圧力をかけるのは論外だろう。更に大きな問題は、これを受けた局側の姿勢だ。この奢りに対して目をつぶって不問に付すのが正しい姿勢と言えるかである。18日の夜テレビ出まくった総理が「報道ステーション」に出演しなかったのは、司会の古館が嫌いだからとの説があり、関連して3月を以て古館降板の噂もしきりである。

確かに当日の「報道ステーション」はテレビの電源を切るまで高倉健一色だった。冒頭に総理なんかが出て来たら、もっと早く寝てしまっていただろう。

2014年11月26日水曜日

デジタル化時代

2日続けての終日雨。朝から暗く冷たい1日であった。じっと座っていては滅入る一方だし、運動不足は身体によくない。勝手な思い込みで、有楽町のカレー屋に行って昼食。さすが江戸の中心だけに店は超満員。不景気が嘘のようだが、50人近いキャパの店で圧倒的に出ているのは980円のハンバーグ定食。美味しいことは否定しないが、千円以下では唯一のメニューである。小生注文のカレーも3月までは980円だったが、4月から1250円と大幅に値が上がってしまった。

入店した時刻が12時半近くと最悪の時間帯だったので、小生を含めて6人が空き待ちをしていた。10人近い従業員が客の注文を大声で捌くので、活気があって気持ちが良い。10分足らずで席に案内され、食べ終わったのが1時ちょい過ぎだったが、もう空席が半分近くできていた。繁盛しているようでもこの雨の中、ランチで4回転200人の客を集めるのは大変そうだ。食事を済まして有楽町から永田町の国会図書館まで歩く。

距離的には恒例の池袋往復には少し足りないが、二駅分なので片道分は確実に稼いだことになる。土砂降りの上に風も強いので、図書館についたら背中やズボンの膝下はびしょ濡れだった。借り出し図書の注文から受け取りまで20分くらい時間が掛かる。この間にデジタル化された古い新聞や雑誌を、コンピュータ画面で読むことができるのが有りがたい。こればかりは都会の特典と言える。少し前まではこんな仕掛けは無かったし、閲覧室でパソコンを持ち込むことができる席も限られていた、

確か今年度からだったように思うが、閲覧室は全ての席にパソコン用の電源とLANケーブルのポートが設置されているし、全館WiFi環境にもなった。備え付けのパソコンでデジタル化された資料を読んで、必要愛な個所をその場から印刷依頼も可能だ。現役時代にテレビ制作に関わっていた頃、リサーチャーなる職種の人が居て、図書館通いをしていたものだ。多分今でもリサーチャーはの存在は欠かせないだろうが、僅か20年かそこら前と比べれば、格段に仕事の能率は上がっているだろう。

世の中変れば変わったものだが、デジタル化の進歩とトレードオフで人間がバカになるとの説もある。確かに電話番号なんか脳みそに刷り込まれているのは、精々5つ、無理しても10指に足りない。携帯を落としたら先ずお手上げだろう。電車に乗って見渡せば半分近くの人がスマホと睨めっこだ。二人連れで乗り込んでさえ、そうしている人までいるのを見ると、一体何をしているのか教えてほしくなる。静かではあるが、これが暗くて不気味な空気を醸し出していると言っても過言ではあるまい。

2016年度からはマイ・ナンバー制なるものがスタートするそうだが、デジタル化対応で社会的に効率は上がるのだろう。代わりに何かが遠のいて行く予感がする。

ところで、デジタル資料で読んだ雑誌は「諸君」(既に廃刊になっている)1987年2月号。新年の発売、当時47歳でこの年の8月初めての転職を決意したので、何となく開いてみた。目に留まった記事がこれ。
「2005年は日本のたそがれ」
ー1国が永遠にトップにはなれない。欧州が100年なら米国は半世紀、日本はトップになれないが、繁栄が続いても精々30年がいいとこだろう。ならば日本の峠は2005年?ー

当たらずとも遠からずの感あり。森本哲郎、木村尚三郎、神谷不二。三氏の鼎談だった。

2014年11月25日火曜日

ミリオネアーの増加

16時になると辺りが暗くなっている。今日は朝から氷雨で、気分も懐具合も同じ何となく冬モード。日本では今年1億円以上の資産家になった人が22%増えて230万人になったそうだ。母数の約180万人は別にすると、50万人近くが今年目出度くミリオネアーの仲間入りを果たしたことになる。株価が急騰したお陰だろう。安倍総理は、景気が良くなりつつあると胸を張る時によくこの数字を引き合いに出す。

しかし日本の世帯数を4500万世帯とすると、230万はざっくり言って僅か5%。残り95%の人は2~3年後にそのおこぼれに与れる筈だから、今は我慢して待っていなさいと言うことらしい。全く笑わせてくれる話だ。今年急増したミリオネアーの大半は株の急騰があったためだろう。株式投資をする人は、想像するに資産を増やすことが目的で、増えた資産を消費に使うなんてことは考えるものだろうか。

ましてや外人投資家ならなおのこと、日銀から大量にばら撒かれたお金の大部分は外国投資ファンドに廻って、これが大儲けして日本の富が海外に流出しているそうだ。これが日本の消費とは関係ないのは当たり前。GDPの6割を占める国内消費が伸びる筈もあるまい。経済なんかど素人の小生でも分かる。

歳末となれば、あれを買いたいこれを買いたいという年齢ではないので、ひたすら無駄遣いしないことだけ心掛けているが、同じ思いの人が多いようだ。街を歩いても何となく切ない顔の人が多いように感じてならない。商いをしている訳でないので、実態は違っていればいいのだが、昼間顔を出す先々で聞くのは、不景気な話が圧倒的に多い。

長野の地震災害もそうだが、年末に政治空白が出来てしまったので、今年度の補正予算や来年度予算の施行は間違いなく1か月以上遅れざるを得ないとのこと。被災者や公的支援を待ち望んでいた人々からすれば、選挙なんかしている場合か!の思いが一層だろう。しかし、選挙に向けた政治家のポスターだけが増えつつある今日この頃だ。

2014年11月24日月曜日

アベノミクスでデフレが加速?

経済学が難しい学問なのか、それとも日本の経済学者の知的レベルが低いのか?先日テレビで元日経の経済記者田勢康弘氏が「解散の原因になった今年7-9月期GDPがマイナスになると予想した経済専門家が一人もいないのは、どういうことでしょうかね。」と言うのを聞いてそう思った。確かにマスコミの論調は概ね足並みがそろっていたと思う。田勢康弘氏曰く4-6月期は消費税アップの影響を受けて大幅に落ち込んだものの、7-9月期になれば持ち直し、2~4%のアップになるだろう。でマイナスになると言った専門家が一人もいなかったようだ。

テレビに出て来る人ばかりが代表的専門家だと思わないし、時にはテレビで堂々とアベノミクスを批判する専門家もいる。しかしその人は本当に限られていて、浜矩子さんなんぞ何となく変り者扱いされているように見える。先月2日TBSサンデーモーニングに初出演した慶応の准教授小幡績氏なんかも珍しくアベノミクス批判論だったので、又観ることを期待しているが、多分もうメジャーテレビへの出演は無いだろう。

今日は休日でもあり、余り運動をする気にならないので、ある老(78歳)経済学者菊池英博氏のロングインタービューをじっくり聞いてみた。1冊も著作を読んだことが無いしテレビでも観たことが無いが、それなりに有名な専門家のようだ。成程と思うことが多かったが、そもそもテレビは押しなべて大政翼賛化していているそうだ。テレビに出て来るその道の専門家は全て金融、証券界の人たちなので政府や財務省の政策を批判することはできない。従って、私は彼等の言うことを全く信用していないとのこと。(本人は大蔵省や金融機関に在籍した経歴はあるが、現在は独立してシンクタンクを主宰している)

アベノミクス批判の前に、日本の経済の大きな流れについて解説があって興味深かった。曰く、小泉時代の構造改革から日本経済の流れが大きく変わった。小泉改革とは、アメリカのレーガノミクスと言われる構造改革の模倣で、税金を広く集める代わりに富裕層に対する課税を極端に緩めた。結果アメリカに起こったことは極端な格差拡大である。金融をいくら緩めても、それだけで経済が好転しないことを、アメリカは失敗例として示している。FRB最高責任者だったバーナキン氏は辞任直前「金融をいくら緩和しても、実体経済が良くなることは論理的にあり得ない。」と述べて責任を取って引退しました。

この失敗を懲りずに引き継いでいるのがアベノミクス。政府は少しずつ経済は上向き始めてデフレ脱却が始まっています。今この流れを止める訳にいきません。他の道は無いのですと言うが、菊池氏は次のように語っている。

『私は4-9月期の数字を持っていますが、今年の1-3月期、消費税を上げる以前に比べると8.8%のマイナスです。これは国民所得(全体が約530兆として)が47、8兆落ちていることになります。ですから、デフレは一段と加速しています。

 デフレを脱却していると、安倍さんや黒田日銀総裁が言っているのは消費者物価の上昇のことです。これは一面しか見ていない。実体経済を回復させないとデフレ脱却にはなりません。

 円安によるマイナスインパクトが強く、実質賃金も下がっている。だからデフレですね。一方、消費者物価は上がっている。不況下における物価高はスタグフレーションですね。現在はスタグフレーションなのです』

少しばかりのお勉強ではどちらが正しいか分からないが、成程と思わぬでもない。

2014年11月23日日曜日

昼の散歩

小春日和が続く結構な連休なのにのどの痛みと鼻の具合がよくならない。実に鬱陶しい。遂に今週はプールを休んでいる。一度休んでしまうと気が抜けたみたいで、もう几帳面にプールに行くのも辞めてしまおうかと思いはじめた。身体の具合が悪いと精神まで弛んできてしまうのだろう。

そんなことより昨夜の長野の地震にはびっくりした。今年は天変地異が多い、昨シーズンに引き続きが雪が多そうなので互いに気を付けようと、つい先日長野の弟やり取りしたばかりである。雪より先に本物の天変地異が長野を襲うとは、来月1日には法事やらでまた長野の山寺に行くことになっているが、墓石がちゃんとしているかも心配である。

婆さんが言うには、国の祀りごとが乱れているので神様が怒っている、だそうだ。老夫婦がそのように感じても、肝心の為政者共は屁の河童だろう。困ったものだ。

引き籠ってネット碁だけで熱くなっていても仕方がないので、気晴らしに六義園を散歩してきた。紅葉も真っ盛りで見事だが、人出も半端でない。やはり外国人が多い。古川庭園なども序でに行こうかと思って出掛けたが、人出に辟易して六義園だけで帰ってきてしまった。元禄時代に幕府側用人柳沢吉保が7年かけて造園し、維新後に三菱の岩崎弥太郎が買い受け、その後東京(府?)に寄付されたと説明書きがあった。

幕府側用人と言えば現代の内閣官房長官だろう。賄賂全盛の時代とは言え、現代の官房機密費年間20億円だったかと大差あるまい。己の下屋敷(約3万坪)に迎賓館を造営したようなものだろう。ふと田中角栄氏の目白御殿を思い出したが、江戸幕府高官や明治維新に生きた経済人のスケールのなんと大きいことよだ。併せて造営した柳沢吉保がここを六義館(むくさのたち)と命名したのは、和歌に因む事のようで、紀貫之が書いた古今和歌集の前文から採用と知ると、往時政府高官の教養の深さが伺えて感無量でもあった。

2014年11月22日土曜日

見逃されそうな選挙の争点

今回の選挙は「法律に定めのある消費税の増税は、極めて重大な決断ですので、国民の皆様に信を問うのです。」18日の記者会見で安倍総理が述べた選挙の理由である。それが解散当時の昨日になったら「今回の選挙は我々が推進してきた経済政策、アベノミクスの是非を国民に問うのです。」に変っていた。意図的に争点をぼかしているのか、どう説明されてもこじつけ以外には聞こえない。

多くの国民は安倍政治の総合的評価で審判を下すことになるのだろうし、又そうなることを期待している。総合的評価の中に取り込まれにくいと思われるのが外交ではないだろうか。この2年間、総理は積極的平和主義とか地球儀俯瞰外交とかで従来のどの総理より多くの国を廻ったそうだ。その結果我が日本に何がもたらされたか?個人的にはっきり認識できるのは、昨年ブラジルに出向いて猪瀬都知事と共に2020年のオリンピック招致に成功したことくらいだ。

他に多くの国で、首脳会談の結果○○で意見の一致を見た、との報道が多々あったが何一つ印象に残るものが無い。米中韓との関係については取り敢えず触れないことにして、ロシアとの関係もすっかりおかしくなってしまったみたいだ。ロシアのウクライナに対する外交政策について言うべき言葉を持たないせいだろう。お互いファーストネームで呼び合うほど、本当に個人的関係が良かったなら、肝心な時こそきちんと会話すべきことは当然であろう。

表には出せなくても「アメリカとの関係上制裁に参加するからね。」ぐらいは直接言っておけば、その後のロシアも対応が随分変わっていただろうが、どうもそんな上等なことはできていないみたいだ。全く逆のことが北朝鮮の拉致問題である。秋の初めとされていた調査報告が遅れた理由について、日刊ゲンダイには次のように報じられいるそうだ。曰く「拉致被害者の調査結果が官邸の満足いくものでなかったので、突き返した。」

当初はそんな報道に過ぎなかったが、年末になるとさらに深堀した内容がネット上で見られるようになる。即ち、韓国に亡命した元横田めぐみさんの管理者が明らかにした情報で、めぐみさんは残念ながら40歳前に精神衰弱で入院して、病院で死亡。韓国ではインターネット上で公開されているらしい。この件は韓国政府からも正式に官邸に伝えられたが、官房長官は確認できないとして、取り合っていないとのことである。外交問題は国民に開示できることが限られているのは理解できる。しかし都合の悪いことは見なかったことにしてスルーしてしまうのは、どう考えても最優先で取り組んでいるとは言えない。

似たような話はイスラム国関係にもある。今日発売「週刊ポスト」の記事だそうだ。過日世間を騒がせた「北大生イスラム国志願」を手伝ったとされる中田考・同志社大学客員教授のスクープ・インタビュー記事。先ず、中田教授が1992年から94年の間、サウジアラビアの日本大使館に専門調査員として勤務していたという事実がある。彼は研究や取材のために、イスラム国の司令官であるウマル・グラバー氏とスマホのアラビア語のチャットアプリで日頃から連絡を取り合ってたとのこと。(これは彼のロング・インタビューをネットで観たので知っている)

そしてそのウマル司令官から、8月26日に、あの日本人湯川春菜氏をイスラム法に基づく法廷にかけたいのでその通訳をしてくれという依頼を受けていたというのだ。しかし外務省が渡航許可を出さなかったばかりか、検察に家宅捜査までさせている。好き嫌いは別にして、湯川氏も日本人であるのは間違いない。官邸としては、今のところ大した外交問題でないとの判断だろう。このような判断で国連問題にせよ何にせよ、日本が一人前の主権国たりえないのは明らかだ。

選挙の争点に入らないだろうが、敢えて言っておきたい。

2014年11月21日金曜日

気候変動

まだ11月と言うのにアメリカではほぼ全国的に大雪になっているらしい。今年は我が国でも大雪や大雨の自然災害が続発したが、地球全体の気候が大分おかしくなっている。一昨年太陽の磁場に激変が起って以来、太陽活動が弱体化して、その影響で地球の気温が下がっているなんてこともどこかで読んだ。地球の温度はどうやって計れば分かるか知らないが、ここ数十年地球温暖化なんて大騒ぎしていたのは何だったのだろう。どちらが正しいか、恐らく誰も確信を以て断定できないのだろう。

でもここ2年か3年スキー場では雪不足に悩まないのは事実。大学1年生か2年生の頃だったと思うが、クリスマスイブからやっと雪が降り始め、クリスマスにブッシュだらけのスキー場で滑った記憶がある。3月末には雪が腐ってスキーがつまらなくなったシーズンもあった。しかしこのところ数年3月にスキーをしているが、いつも真冬並みに雪だけはたっぷりあった。今シーズンもそんな予定でいるので、雪に不自由しないとすれば、それはそれで嬉しいが、日本だけでなく地球全体が寒冷化に向かっているとすれば、別の心配もする必要があるだろう。

ここ2年続けて東京でも雪かきの必要があった。2度あることでこの冬も覚悟だけはしておいた方が良いかもしれぬ。自然現象ばかりは予測が難しい。昨日も少し揺れが大きい地震があった。どんなに科学が進歩しても、予期せぬ大災害のために何をすべきか、近くの避難場所を確認するくらいしか思いつかない。火事が発生したら、果たしてそこに辿り着くだろうか?考え始めると切りが無い。余り深く考えずに、いざと言う時は運命と思うしかなさそうだ。

2014年11月20日木曜日

安倍総理 長いお付き合いになるかな?

2年間安倍内閣の悪口を書き続けてきたが、書くことが無くなったら安倍晋三と言う人物が段々可哀そうに思えてきた。嘗てお腹を壊したり、最近は歯科医通いが報道されている。18日の記者会見を聞いて思ったのは、余りに滑舌が悪いので、歯が1本抜けて発音の際空気が漏れているのかなであった。婆さんに聞くと、そうではなくて前からのことのようだ。「子供の頃の発達障害か、教育に問題があっただけのことよ。」

そう言われると、確かに安倍総理は普通の大人にしては語彙が非常に少ない。第1次安倍内閣発足時、まだ小学生だった孫が何を思ったか、新総理の映像を見ながら「安倍さんは総理になるより官房長官でいた方が良かった。」と呟いたことが我が家の語り草になっている。その呟きを聞いて当時は何も思わなかったが、確かに自分の考えを言葉で表現することが苦手のようだ。「○○に於いてはですね」とか「しっかりと○○していきます。」語彙が少ないから耳障りな余計な形容詞や形容動詞を頻繁に発してしまう。当然ながら他人との会話も上手くできないだろう。

特に外交場面における会話は、英語にしろ日本語にせよ台本以外のことは殆ど喋れないのではなかろうか?銀座のすし屋でオバマ氏とさしで会食した時も、オバマ氏が専ら喋り捲くったと伝えられているが然もありなんだ。当然かもしれぬが、演説の台詞が又ご粗末。先日の記者会見で使った「国民の声を聴いてみたい。」は明らかに小泉元総理からの借りものらしいが、誰が台本を書いているか分からぬが、この引用で一段と解散の意味が混乱したと指摘する向きが多いようだ。側近にしても総理の本音を掴むのがそれだけ難しいのかもしれぬ。

更にはあのキレやすい性格、曲がりなりにも総理大臣である。本人だって分かっている筈で、注意はしているのだろうが、どう表現すれば相手に自分の意思を伝達できるか、この表現で相手に伝わったのは自分の考えの○○%くらいだろうとの判断が難しいようだ。頭が良いの悪いのは別にして、性格的な未発達は本人の努力より家庭環境が大きいと思う。聞き分けのない子供を教育するのは母親の役目が普通だが、総理は多分家庭的には相当恵まれていなかったに違いない。

それだけでも同情に値するし、一応結婚はされているが、子供が持てない上に奥さんとの関係も決して家庭的なものではないようだ。これで普通人の感覚を持て、とは土台無理な注文だろう。一見したところ性格的に非常に強そうであり、周辺ではしきりにそこを強調するが、これも相当に怪しいだろう。京都の男殺しのおばさんのように平然と嘘をつけるタイプでもなさそうだ。

たまたまネットで次に引用する若い人と多分高齢者のツイートが目に留まったので、同情論を書く気になった。
-以下引用-
安倍氏のTV生出演で、雲行きが変わってきたようだ。職場でも、普段政治の話なんか一切しないスタッフたちが、 「なんで今解散なの?」「夕べのTV見た?安倍さんの目、ヤバくない?」とダベっていた。皮肉にも、安倍氏の頼りにしていたTVの影響力で、B層と呼ばれ る人たちでさえ、首を傾げ始めた。

「今に景気が良くなる」「今に給料も上がる」、どんどん泥沼に踏み込んで行っているのは明白なのに、「今に勝てる」「今にカミカゼが吹く」と唱えながら一億玉砕に向かっていった「当時」と同じくなってきた。戦中回帰を夢みる安倍首相の「個人的趣味の世界」に、これ 以上、付き合わされてなるものか。
-引用終り-

このところ総理はテレビ出まくっているようだが、記者会見以降1度もそのテレビを見ていない。少し残念と言えば残念である。

2014年11月19日水曜日

俳優高倉健と総理大臣

昨日から今朝にけて報道各社はトップニュースの取り扱いにさぞ悩んだことだろう。一つは俳優高倉健氏の死亡に関する件、方や幾ら国民が聞き飽きたと言っても総理大臣の記者会見である。しかも只の記者会見ではない。開催中の国会の全て放り出して衆議院の解散を打つと言うのだからただ事ではない。極めて重大な案件があって然るべきであるが、自身があと数年総理の座にしがみつくためだけに選んだ解散であることは明白なので、トップにしたところで悪口以外の記事の書きように困るのは関係していなくても分かる。

しかし仮初めにも総理大臣様のお声がかりとなれば、トップにして、しかも多少はヨイショをしない訳にいかない。NHKでさえあざとくトップにちょこっと高倉健を持ってきて、総理記者会見を挟み、後に又高倉健を持ってくるなんて構成をしていた。高倉健については昼からテレビ報道があったようで、家に帰って毎晩9時から30分くらいは見ることにしている9時のニュース番組を、チャンネル権を持つ婆さんが見せてくれなかった。高倉健はもう十分見たし、総理の顔を見るのも声を聴くのも不愉快なんだそうだ。

民放はその点はっきりしている。どちらに意味(たとえ内容的には意味が無くてもだ)があるかよりどちらが高視聴に繋がるかが問題なのだから言うまでもない。今朝の新聞でさえ、高倉健氏のことは1面に扱い、全ページ合計すれば記者会見関連を遥かにしのぐだろう。昨日の総理記者会見は約30分、冒頭に20分が総理の演説で、これは殆ど生で聞いた。引き続き記者の質問があったろうが、7時半には事務所を締めることにしているのでテレビを切ってしまった。婆さんの台詞ではないが、官邸記者クラブの記者の質問なんて八百長相撲より下らない。

昨年高倉健氏が文化勲章を貰った時は少し違和感を覚えたものだ。婆さんに言わせると、文化勲章は兎も角、国民栄誉賞の価値はあるとのこと。「森光子さんでさえ受賞しているのだから当然じゃない。」「私は高倉さんの映画を一度も見たことが無いので的確じゃないかもしれない。どう見てもあの人は演技力が無いと思うわ。しかし演技力が有るか無いかの問題ではなく、国民的人気でしょう。」その通りである。大ファンだった一人として言わせてもらえば、高倉健氏の演技力なんてどうでも良いことだ。

演技力とは何かよく分からないが、60年代に彼の映画を殆ど見た立場からすると、彼と自分が一体化したような気分になったのは事実。これも評論家がしきりに言う通りだ。「映画館を出て来る若者がすっかりその気になっていた。」罷り間違えば本物のヤクザになりかねない危険性もあっただろう。今考えると冷やっとする。「八甲田山」あたりからだろうか、文学作品ぽいものに出るようになってからは殆ど見ていないので、彼の印象はひたすら格好いい「兄い」である。映画を見なくなって暫くしてからだから80年代中頃だろうか、新宿のホテルでエレベーター前に佇む彼を見かけたことがある。

黒っぽいジーパンと似たような色のジャンパー姿の只の小父さんみたい、一瞬別人かと思うほどで、俳優らしくない恰好が余計印象深かった。昨日今日のテレビを見ていると、仕事とプライバシーを完全に切り離す性格だった様で、普段は余り恰好を付けなかったようだ。最近久し振りにコマーシャルに出ていたので懐かしく思っていたので残念でもある。総理が訪問しても碌に歓迎しない中国の外交部洪磊報道官が公式に弔意を表してくれたそうだが、小生も冥福を祈りたい。

2014年11月18日火曜日

老人政治家

石原慎太郎氏は82歳ながら出馬すると宣言したらしい。議員に定年は無いからお好きにどうぞなんだろうが、年間一人当たり2億円近くかかると言われる議員歳費を思うと、やはり議員が多すぎる。まともな神経の人ならば、70歳を超えて議員をしたいとはなかなか思わないだろうに。しかし政治家は最初からまともな人間が少ないのかもしれぬ。接骨院の先生曰く「今回の沖縄知事選に立候補した仲井眞元知事、あの方は昨年暮れに東京に来たとき確か車椅子に乗ってましたね、何時元気になったか知りませんが、知事選に出馬は無謀ではないですか。」仲井眞氏も75歳、石原氏より少しましではあるが、何がそんなに闘志を燃やすのだろう?

民主党では政権時代に内閣の要職を歴任した仙石由人氏が立候補せずに政界を引退すると発表したとのこと。68歳だそうだが現在落選中でもある。年恰好から言えば適切な判断だろう。個人的には好みの小沢一郎氏なんかも72歳なので、現役議員は引退すべきだと思うが、昨夜もテレビ党首会見の様子が放送されていた。未だ生臭さが抜けないのは少し残念である。その他では自民党税制調査会長の野田毅氏が安倍総理に楯突いた咎で公認されなくなるらしい。73歳であれば自ら議員は辞めるべきだ。

総選挙になると面白い話題が出て来るものだが、幾ら高齢化社会だからと言っても、否だからこそ年寄りは引っ込むべきだ。当選回数10回以上も重ねて自分が思いを実現できず、後継者も育てられないのであれば、当人の能力の限界が見えたと同じこと。なんでそんな簡単なことに思いが及ばないのか、そんな人間を選んでも国民は報われないと思いはじめた。来年あたりから政治の潮目が変りそうな雰囲気もある。

単に若ければいいと言うものでもないだろうが、政治を志す若者の中には優秀な人が居ても良さそうだ。多分現段階では潜在しているのだろう。現役で70歳を超える、或いは当選10回になるような政治家は、さっさと引退して若い政治家の後見役で活躍願いたいものだ。

2014年11月17日月曜日

年中行事 初冬の風邪ひき 

気を付けていたつもりだが、この週末風邪をひいてしまったようだ。昨日は午前中いつも通りにプールに行って泳いでみたものの、昼飯を食っている時からかったらくて、いつものように事務所に行ってパソコンを立ち上げる気にならなかった。自宅に帰って布団にもぐりこみ、録画してあるテレビを見ながらうつらうつらしていた。今朝まで十分すぎるほど睡眠を取ったので、何とかなるかと思ったが、何ともなっていない。喉は痛いし鼻水が止まらない。

仕方がないので近くの耳鼻咽喉科に飛び込んで診てもらう。順番がひとつ前でお婆さんに連れられてきた男の子、多分5つか6つだろう。看護婦さんに「診察室に入ってください」と名前を呼ばれると、「怖いよぉ」と急に大声で泣きだし玄関の方に飛びだしてしまった。気持ちがよく分かる。小生も喉の奥を見せるのが下手というか、口中の構造がおかしいらしい。「深く腰掛けて、顎を上げて舌を出して、あ~と高い声を出してください。」との指示に対し、自分ではそのスタイルを取っているつもりであるが、喉の奥が見えたためしがない。

いつも無理して声を出しているので喉が狭くなっている、と先生は仰るが、本人は無理に声を出しているつもりはない。しかし自分で聞いても、元々少し調子っぱずれの変な声だと思うこともないではない。男の兄弟5人のなかで育ち、子供の頃から何かと言えば自己主張を大声で喚いていたせいだろう。カラオケと縁遠いのもむべなるかなである。

先生は「仕方ないわね、今回もまた内視鏡で視ましょう。」とやっと言ってくれたが、昨年も同じ症状で掛かっているのだから最初からそうしてくれ、と言いたいところだ。しかしその後で月曜日恒例にしている接骨院に行って、その話をすると「内視鏡診察は高いのです。」と教えられた。戻って明細を確認すると、成程内視鏡診察は健保点数600点(実質6千円)である。従って耳鼻科の先生は、患者や何より国家に無駄な金使わせないよ気遣いをして下さっていた訳である。

ともあれ鼻から内視鏡を挿入すると患部が一目瞭然、鼻の奥と喉がかなり荒れているらしい。汚い鼻汁を取り除いて頂く時は一瞬「おえっ」となるが、前の坊やのように泣き出す訳にもいかない。薬を処方して頂き服用し始めるが、風邪と言う奴はおいそれとよくならない。「5日経って良くならなかったら、また必ず来てください。」とのこと。毎年恒例のように引く風邪である。友人のなかには風邪なんか引いたことが無いと言う人もいる。どうすればそんなに元気でいられるのだろう?

勉強したつもりでも成績が上がらないのと同じで、相当気を付けていても毎年引いてしまうのは、何かが間違っているのか、或いは体質の一種か、その辺は分からない。当分はおとなしく暖かくしていよう。

2014年11月15日土曜日

選挙が本決まりらしい

昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」に出演したゲストが面白かった。名前は記憶していないが、アフリカはルワンダ在住の実業家。30年以上アフリカに根を下ろしてナッツ食品の製造で大成功している人だった。ルワンダがアフリカのどこにあるかまでは知らないが、映画「ホテル・ルワンダ」を見ているので、悲惨な内戦があったことだけは承知している。どうすればあんなに恐ろしいところに留まっていられるのか、信じ難いものがあるが70代半ばには見えないとても矍鑠とした紳士だった。

そのゲストに司会の古館氏が「暮に行われるであろう総選挙についてどう思われますか?」と質問すると、すかさず「素晴らしいことだと思います。」とのこと。思わず古館氏も「え?」だった。「アフリカに行けば、国民のことはさて置き好き勝手なことをする政治指導者が、生涯トップに居座り続けている国が今でもあります。そこに行くと日本は、トップ自ら僅か2年で、信を国民に問うと言うのですから、こんな素晴らしいことはありません。」

これを聞いて、改めて世界は広いものだと思った。「報道ステーション」の前番組がサッカー・キリンカップ中継で全日本とホンジュラス代表だったが、ホンジュラスなんて国もどこにあるのか知らない。大した国ではなかろうと思っていたらワールドカップに2回連続出場しているそうだから、大した国なんだろう。話があちこちになってしまったが、200以上も国家があると専制国家は北朝鮮以外にもあちこちにあるようだ。イスラム国なんて国家もどきだって、その勢力圏内に多分相当な人数が暮らさざるを得ない状況になっているのだろう。

要するに、頭の片隅にもない広い世界にはとんでもない環境に置かれている人々が沢山居て、その人たちからすれば日本は極楽みたいものかもしれぬ。政権がどんなに質が悪くても選挙で選ばれた政権であり、これを選挙で変えることも可能であることは、昨夜のゲスト氏が言う通り素晴らしきことと受け止めるべきだ。我が家の婆さんも当初頭に来て「もう今度の選挙は行かない。」と言っていたが、最近少し気を取り直して「創価学会系は無理だけど、自民党系の友人(やはり棄権すると言っている人が居るようだ)には、投票に行って民主党系に投票しなさいと言おうかしら。」なんて言ってくれる。

嬉しい限りだが、我が選挙区では自民党系が10万票、対する民主党系は確か5万票だったので逆転は難しいだろう。しかし1票でも投票することには意味がある。こちらご近所に友人が皆無なので何の役にも立たぬが、婆さん顔が広い。大いに頑張ってもらいたいものだ。

2014年11月14日金曜日

最近の暮らしぶり

幾ら外国旅行とは縁が無くなったとはいえ、80円で買えた物が115円以上出さないと買えないとなると、庶民にとっては大変な筈だ。海外旅行に縁が無くても、食料品から衣料の果てまで輸入製品に取り囲まれて暮らしているのだから、お金の購買力が30%も落ちれば家計が苦しくなるのは当たり前だ。しかし正直なところ、お小遣い1日千円で暮らしているとあまりピンと来ない。4月前と同じ料金で頑張っている店にばかり行くせいだろう。お店のご主人はその分大変だろうと思う。しかし家計の大部分を握っている我が家の財務相に言わせると全く違う。物価の値上がりと乳製品などの品薄は相当財布に響くらしい。我が家のような貧乏人と違って、日本のお金の価値が下がって喜ぶ人もいるらしい。

先ず第一は、如何なる因果かよく分からないが、この傾向が日本の株価を押し上げる効果がある。従って株屋さんとか株を持っている人は極めてハッピーな年の瀬を迎えることになるそうだ。第二は輸出産業、自動車が典型的らしい。不幸にして我が家の縁者には証券業や自動車産業に従事している者が居ないので、具体的な話を聞いた訳ではないが、多分間もなくボーナスなんぞが沢山出るのだろう。貰ったボーナスで海外に旅行をしたら、思いの外お金が掛かってしまったので・・・なんてことにならないことを祈ろう。

しかし国全体で見ると、海外との輸出入には大分差があって輸入が毎月数百億円も多い。アベノミクスがその辺を見誤って、貿易収支が8兆円増えると言ってしまったのに実態は5千億円の赤字ではないか、と野党から突っ込まれていた。前述の通り、既に庶民にその影響は大分出ているのは間違いなさそうだが、昨日灯油を初めて買ったら18リットル1880円とかで、春とそんなに変わっていないのでホッとしたとのこと。国内では原発再稼働をめぐってエネルギー問題でも大騒ぎしているが、国際的には原油価格が下がっているらしい。

この辺も何故か分からないが、分からないことばかりだ。兎に角、来月半ばには総選挙になるらしいが、庶民感覚がどのように反映されるか、楽しみと言えば楽しみでもある。

2014年11月13日木曜日

己の身の丈

毎朝最低でも10分以上はしみじみ自分の顔を見ているし、夕方風呂場では裸の前面だけは確認している。加えて朝晩20分くらいは身体を動かして節々の作動を確認しているので、自分のことはそれなりに分かっている心算だ。しかし考えてみると、自分のことが分かっている心算という思い込みはかなり危険かもしれない。それでも最近は、鏡に映った己の姿を見て、大分むさくるしいと思うようにはなった。

そんなことは当たり前だろうが、この「大分」とはなんだ。広告によく使われる「自社製品比」で、比較するものが無いから、勝手にそう思い込んでいるだけのことだ。自分ではそうは思わないのだが他人からすれば、もう大分前から小太り、ちんちくりん、禿げと3拍子揃った立派にむさくるしい小父さんだった可能性の方が大きそうだ。特に身長を含む体型については、数値的に理解はしていても標準以下との自覚が湧いてこない。

身の丈は簡単に測定できるが、五体満足なのだからどうしても人並みだと思いたいのだ。逆もまた真なりで、孫の一人が身長185㎝はありそうだが、彼自身は180㎝一寸としか返事をしない。身体に関するコンプレックスはお笑い草だが、脳みその働き具合になると少し深刻な問題にもなりかねない。己の社会常識や知的水準についても、少なくとも標準以下ではあるまいと思っているが、これもかなり怪しいものだ。

学生時代を過ぎて社会に出ると、年収とか貯蓄といったことは統計と比較すれば、社会のどこに位置するかは大凡想像がつくが、知的水準となると基準値や標準値がどこにもない。殆どの人は自分が最も標準的であるかどうかは別にしても、常識人だと思っているのではなかろうか。少なくとも小生は、社会常識をそんなに逸脱はしていないと思っている。しかし考えてみると、これもかなり危ない話で、他人様からご覧になると、非常識な振る舞いをご披露している可能性は少なくないだろう。

要するに自分のこと、己の身の丈を測ることはなかなか難しいものだ。昨日会った後輩の友人から教えられたことがある。「若いうちは仕方が無いにしても、一定の年齢に達したら己を知ることが一番大切ですよ。自分の能力とか分を弁えない人間を馬鹿と言うのでしょうね。」痛いところを突かれて「参ったなぁ」である。囲碁で負けるのは大概自己過信に起因することが多い。安倍総理も同じ伝で選挙に負けてくれれば嬉しいが、駅で見た夕刊紙のポスターには「野党大敗」と大書されていたのでがっかりである。

2014年11月12日水曜日

旧友との偶然の出会い

先月末に義姉急死の知らせを受けてから暫くご無沙汰していた図書館に行ったところ、昼飯時にばったり古い友人に出会った。少し年が離れているが、年金生活者であることではご同輩である。彼が社会人になる時少しばかりアドバイスしたことがあることを忘れず、律儀に今でも中元歳暮を送ってくれる唯一の人間である。こちらはそのような娑婆の義理を一切やめてしまったので、もういい加減にしてくれと何度頼んでもやめない、良い意味で言うのだが一風変わった哲学の持ち主である。

昨年暮れのこと、歳暮の礼を言おうと電話をしたら、奥さんが出て「実は入院してしまいまして・・・」とだけで入院先も教えてもらえなかった。今年の中元時にまた礼の電話をすると「実は肺癌で手術をしまして、直りましたらこちらからご連絡させて頂きますのでご放念願います。」で1か月ほど前に本人から久し振りに電話があり、「無事自宅に復帰したので、近いうちに昼飯でも食いましょう。」とのことだったので少しほっとしたところだった。

彼の趣味が歴史(主に日本の平安から鎌倉時代くらいではないと推察している)であることを知ってたし、図書館で偶然会ったこともあるが、今日また出くわすとは思ってもいなかった。兎に角1年以上会っていなかったので、図書館の食堂で1時間半も話し込んでしまった。手術をしてから丁度1年近くになるそうだが、思いの外元気そうで、外見はあまり変わっていないように見える。
もっとも本人言わせると「背中にピンポン玉くらいの穴が開き、一時は体重が10キロ以上落ちるわ、声が出なくなるわで大変だった。」何と言っても気力が萎えたそうだ。

8時間以上の大手術で右肺の半分くらいを切除したらしい。そのために背中から開くらしいが、肋骨を3本切除されてしまったとのこと。2か月強の入院と220日連日通院したので、すっかり病院通になってしまったとのこと。5年後の生存確率50%と言われているらしいが、全く落ち込んではいない。むしろ病院での体験と見聞を通じて、現代医学の進歩を実感できるようになったそうだ。気力の衰えどころか、東京オリンピックはこの目で見ることができるだろうと自信満々である。

手術した病院は杏林大学医学部病院、最近のお医者はドライと言うか患者に同情的な言葉は余り言わないでずばずば言うが、やはり大病院の方が安心できるねとのこと。母が97歳で健在でだが、父が比較的若く亡くなったのは病院の選択を間違えたような気もするそうだ。その他医療費負担と社会保障制度や保険の話など、参考になることをいろいろ聞かせてもらった。

2014年11月11日火曜日

量より質

社会人になって14年目の1976年(昭和51年)、個人的には所帯を持って子供も二人生まれ、何となく落ち着いた感じが出てきてたし、日本全体も敗戦の傷跡がすっかり拭われて、先進国の雰囲気が出てきていたように思う。外国から言われたか自嘲気味に自ら称したか知らぬが、住宅事情を兎小屋住まい等と称されたり、アメ車にはかなり見劣りがするにしても、1000㏄前後の自家用車も普及しだしていたし、日本車がアメリカにボチボチ輸出されるようになっていた頃のことである。

アメリカ西海岸にあったシンクタンク(スタンフォード・リサーチ・インスティテュート)の講演で聞いた話の一部が、未だに強く印象に残っている。「Quality of Life 」今ではよく耳にしたり目にしたりするが、初めて聞く言葉だった。既に1家に1台自家用車があるアメリカで、これから問われること或いは人々が追及すべき概念は「生活の質の向上」であるべきとのことだった。即ち物事を量的な面で、これ以上追及することより質的なことを考えなさい。住宅が大きいことと小さいことの違いがあなたの生活に与える影響、特に精神的な面で思えば大差は無いでしょう。

そんな内容で印象に残っているし、今でもその通りだと思っている。最近日銀と政権が得意気に行っている自国のお金の価値を自ら下げる政策を見るにつけ、今の日本人全体が質より量を追い求めすぎていることを嘆かわしく思わざるを得ない。国でも家庭でも人口が減りつつあるのだから、どちらに於いても経済活動が拡大していくことは考えにくいと思う。スタンフォードの講演でも、今後特に問題になるのは「empty nesters」(子供が巣立った家に住む夫婦)の「Quality of Life 」と指摘していた。

我が家の問題はさて置くとして、国の経済も企業経営もこの社会的大きな構造変化前提にものを考えてみてはどうだろうか。企業面で言えば、売り上げや生産コストの量を慮って生産拠点を海外に移してまで、売り上げを拡大し、利益を確保する考えが主流だが、この追求がエンドレスに可能である筈は無い。たまにはと言うべきか、瞬間的には予想以上の効果を上げる企業もあるだろう。でも聞いていて疲れてしまうのだが、当事者も疲れてしまわないだろうか。先日テレビで東北の米つくり農家で対照的な二人を取り上げていた。

一人は50ヘクタールの大規模経営農家、他方は正確な面積は知らぬが小規模ながら手作りに徹して日本一高いコメを生産する農家。前者の売り上げは後者に比べて恐らく数十倍になるのだろう。しかし前者は米価の下落でまるで儲かっていないが、後者は昨年以上には儲けがあるようだ。どちらにもそれなりの企業哲学があってのことだろう。前者が悪いと言う心算も無いし、彼は農産品が自由化される今後に期して自信を示していた。

よく似た話はスイスと我が国の時計産業の比較で取り上げられる。スイスの時計業界には200社以上の企業があり、合計する時計の生産量は日本より遥かに少ない。日本は精工舎やシティズン等の数社で遥かに多数の時計を生産しているが、合計する収益はスイスより少ないそうだ。生活の質とは異なるが産品の品質についても一考する価値があると言うことだろう。昨夜も婆さんと話したのだが、婆さんの母上が90歳にして元気なのは、何でも自分のやりたいことをやりたい時にすることにある。何事も几帳面に過ぎるのは健康によくない。と暗に小生を非難めいて話していた。急に飢え死にするほど困っていなければ、少し気楽な生活をするのも善いだろう。

言われてみればその通りかもしれない。生活の哲学は故人の暮らしを豊かにする所以だろう。国の経済政策も根底にあるのは哲学の問題ではなかろうか。この辺で落ち着いて考え直してみることを薦めたい。

2014年11月10日月曜日

鬼が笑いそうだ

昨日一昨日の週末に引き換え、今日は気持ち悪いくらい温かいので、何かおかしなことが起らなければいいなと思ってしまう。諸物価高騰で婆さんが嘆いている。炬燵は既に使用しているが、間もなく使い始めるであろうストーブの灯油燃料代が気になるらしい。政府の経済政策も外交も全て塩梅よく行かないので、総理閣下もかなり熱くなって、自棄のヤンパチで年末解散を本気で考えているそうだ。

年末解散をすれば、野党共闘なんぞ望むべくもなく、与党の絶対多数は揺らがないだろう。政権にとっても、現在問題になっているご粗末な大臣を入れ替える口実も出来るから良いかもしれない。夏の終わりごろだったか、野中広務氏がテレビ御厨貴氏の「次の総選挙はいつごろでしょうか?」に答えて「問題をすべて先送りして年末解散」と言い切ったのを聞いた時は、安倍総理嫌いの野中氏が冗談を言っていると思ったが、瓢箪から駒にもなりかねない。

どうせ今の政治なんか、国民不在でどうでも良いようなものだ。現内閣が継続しようとしまいと、来年は余りハッピーな年になりそうもない。今年も年初に伊勢神宮まで行って良い年になりますようにと祈ったものだ。孫が高校入試に合格したのはそのお陰とするにしても、個人的にも予期せぬ不幸が多かったように思う。国全体で統計を取ればどんな結果が出るか知れないが、報道から知る限りでは、何となく余りハッピーではなかった気がしないでもない。

来年日本にとって期待できる明るい話題が急には見つからないが、不安材料には事欠かない。微動が続いている活火山に登らされているような気がする。本当の山登りは止めてしまったが、社会に噴火が起きた時に慌てないよう、益々自重する必要がありそうな予感がする。

2014年11月9日日曜日

昨日はサーバのダウンだったかな?

昨日夕方5時半頃、ブログをアップしたつもりで確認しようとしたところ、ブログが「見つかりません(not found)」になってしまっている。使用しているサーバはbloggerで、普段使っているブラウザchromeと同じgoogleのサービスである。マイクロソフトが嫌いと言う訳ではないが、数年前サポートしてもらっていたスタッフに薦められて何となくグーグルが好みになっていた。

インターネットの世界では世界的にも有名な優良企業だと思うので、めったに起きない事故だったかもしれぬ、たまたま小生のブログを格納しているbloggerのサーバの一台(多分関連するサーバは日本だけでも千台のオーダーで存在するのではないだろうか)が一時的にダウンしただけのことだろうと思いたい。兎も角今朝確認すると、何事も無かったように普通に開いている。昨日は一瞬いろんなことが頭をよぎった。先ず思ったのが、政権が近頃強化していると言われるネットの監視網に引っ掛かってしまたか?

日頃目の仇みたいに安倍政権の悪口を書いているので、政府の監視役がチェックをした時に何らかの手違いが生じて、サーバーにバグが紛れ込むなんてことがあったかもしれぬ。なんて大層なことを思ったりした。耄碌爺さんのブログで監視に引っ掛かる単語があるにせよ、幾ら政府に金と暇があっても、そんなものに関わり合うなんてことは先ずありえないだろう。数千か数万のサイバー部隊員を要していると彼の中国でさえ、そんなセコイことはしていないようだ。

実はそんなに大層な被害妄想に至ったにはわけがある。丁度昨日の夕方、ブログを書き始める前に読み終わった本のせいである。時々読後感をアップしているが、これは一昨年発売の少し古い探偵小説だし、娘が読み終わらないうちに貸してくれた本だったので読後感を書かずに返してしまった。書名は「ソウル・コレクター」(ジェフリー・ディーヴァ―著)。内容は面白いが大分複雑なので省略するが、舞台装置になっているのが、内々でアメリカ政府からも依頼されている個人情報を集積してビッグデータ化する企業。

あらゆる種類の個人情報が集積され、あらゆる企業が顧客にもなっている設定。現実日本でも、我が家にさえ頻繁に営業の電話が掛かり、ダイレクトメールが送られてくる。どこで調べるのか墓場の広告とかが来るとある意味感心してしまう。俺々詐欺にしても同じことだが、一人住まいの老人宅には必ず掛かってくるそうだ。詐欺師でさえ個人情報に投資して名簿を確保している可能性が大である。

今年はベネッセから顧客名簿が数千万人分流出で大騒ぎになったが、現在でも政府は金融機関の個人情報を見ることが可能の筈である。何らかの必然が無い限り、そんな行儀の悪いことはしないだけだろう。しかし密かにこれが政府のビックデータ化に繋がると、墓場のダイレクトメールでは済まなくなりそうだ。

2014年11月8日土曜日

日中関係の前進

来週始まる北京APECに出席する安倍総理が、目出度く中国の習近平総書記と立ち話ではなく椅子に腰かけて対談が出来るようになった。これが日本における昨日のトップニュースである。安倍総理は予てより「条件付きなら会談する必要は無い」と力説してたが、谷内国家安全保障局長(こんな役職を知っている人はかなり政治オタクですよ)を何度も北京に行かせて、北京外交部の官僚に七重の膝を八重に折ったかどうか、対談するための条件を文書にして貰った。

何処のテレビでも丁寧な解説をしてくれているので、これを知らぬ人はいないだろう。国際会議に出席する我が国のトップが、主催国のトップに差しで「こんにちわ、いつも世話になっています。隣国ですからこれからも仲良くしましょうね。」これだけのことを言うために何でこんなバカ騒ぎをして、お膳立てをさせなきゃならないのか。先方が出している条件が別に引込められたわけでもない。こちらが、先方がつけてきた条件は無視することが出来た、と幾ら力説してもそうでないことは明らか。

飽く迄ホスト国だから、「礼を失しないようお会いしましょう。」だけのことだろう。帰国後になって、尖閣は我が国の領土で、靖国参拝をしないと約束した訳でないと力んでみたところで、中国は「そうですか、ならばお好きにどうぞ。」で、痛く痒くも無いだろう。

自民党が野党時代にさんざ反対していたTPP賛成に引っくり返る際、オバマ大統領からお墨付きをもらって喜んでいたことが思い出される。それにつけても、谷内氏が会って交渉したとされる楊潔チ国務委員は、外交部門のトップで中国では相当の大物とのこと。日本では大臣より格下の内閣府の局長クラスが交渉できる相手ではないので、表敬はしたかもしれぬが交渉なんかしている筈は無いそうだ。

それが証拠に、谷内氏と楊氏の会談についてはスチール写真すら発表されていないし、岸田外相は王毅外相(国務委員より格下)とその後で会談することになっている。と言う人もいるが、中国のテレビでも楊氏との会談で、と言っているのだから、中国側も日中会談をすることについてはトップが判断して、ゲスト国への配慮をしているのは間違いないだろう。「おもてなし」は日本の専売ではない。これを機会に我が国も中国といがみ合うのをいい加減にやめたらどうだろう。

そのためには具体的にどんな行動が必要かと言えば、当分靖国参拝をせず、尖閣についてことさら「我が国固有の領土」と言わないようにすればいいだけではないか。簡単すぎるくらい簡単なことだと思うのだが、誰もこんなことを言わないのが日本のマスコミである。

2014年11月7日金曜日

マスコミの姿勢を質したい

鹿児島県知事が川内原発稼働に同意をしたそうだ。余談になるが、パソコンで川内原発と打つと即座にこの字が出て来るが、この原発について初めて聞いた時は、仙台に原発があったかと錯覚したことを思いだす。宮沢新経産大臣が職員を前にしての訓示で「かわうち原発」とやらかしてしまったらしいが、初めて見た原稿であれば仕方あるまい。今朝のテレビで評論家の田崎史郎氏が「もし、こんな間違いを野党が取り上げるとしたら大人げない話だ。」と牽制めいた解説をしていたが、国会で取り上げるのはその通りだ。しかし彼も評論家の端くれなら、大臣の資質なり任命者の無責任をそれこそ厳しく責めるべきかと思うが、何故かそうはならない。本当に日本のマスコミは権力に弱くて情けない。

これで来年早々には原発が再稼働することになる。目出度いと言うべきか、4年経っても福一の原因究明がされぬのに大丈夫か、と言う人もいるだろう。世界で最も厳しい安全基準をクリアしているのだから安全と考えるのは、再稼働賛成の人。原子力安全規制委員会は再稼働して安全かどうかの判断はしていないでしょう、との主張は反対派の人。反対派は事故が起こること想定して、住民避難の準備が不十分だと言う。全く次元を異にする議論は永遠に噛み合わない。

日本は自然災害が多いので、古来災害に遭遇するのを不運と諦める傾向無しとしない。賛成派の人も誰一人100%安全とは言わないところ見ると、原発も自然災害と同じと考えているのかもしれぬ。万が一のことを想定するといつまでたっても再稼働が出来なくなると言うことだろうか?もう少し互いの論拠を理解して、国民の前でまともな議論を真剣にしてほしいものだ。

ネット上に面白い笑い話があった。
反対氏「原発は安全ですか?」
賛成氏「そりゃ、安全だよ。」
反対氏「送電ロスがかなりあるのですが、なぜ東京に作らないのですか?」
賛成氏「そりゃ、危険だからだ。」

何れにしても余りに不毛な政治家のやり取りを少しでもまともにするために、マスメディアの力は大きいと思うのだが、いつの場合も腰が引けた解説ばかりだ。地名の読み違いを突っつくのは確かに大人げないが、不毛の議論を垂れ流しにするのはマスコミの責任であろう。外務省が来週の北京APECに関連して、日中首脳会談の形式だけに血道を上げていることについて、さも重大なことのように報じるのも同じ類のことだ。拉致被害者報道も然り。朝日新聞の例に懲りて、調査報道からは益々距離を取るのかもしれぬが、本質や中身の無い報道はいい加減で見直すべきだろう。

2014年11月6日木曜日

自画自賛 

風邪をひくのが怖くて遂にセーターを着込んしまった。昼間居る事務所がコンクリート製の建物のせいだろうか、木造築50年のあばら家に比べると大分寒い。隙間風が吹き込んでも、畳敷きにガラス戸と障子が2重になっている和風建築には、確かに独特の温もりがある。婆さんが今年の2月に膝の手術をして以来、座ることが出来なくなったので、居間だけ畳を上げて、イスとテーブルにしようかと提案したが、言下に却下されてしまった。

座卓で飯を食っている小生をチッチャな椅子に腰を下ろして睥睨しながら「これが一番。」と仰っている。山の神には逆らわないことにしているので、なけなしの家計から無駄の出費をせずに済んでいるのは有難いことだ。この程度の気候でセーターを着込むでは先が思いやられるが、もう暫くすれば東京でも10℃を下回る日が出るだろう。どうしても暖房が必要になるが、ガスの契約をしていないので必然電気の消費量が増える。電気代が昨シーズン以上に高くなりそうなので気が重い。

年を取ると気の重いことが多くなるのは仕方ないことかもしれぬが、滅入ってばかりいても始まらない。何とか自分のプラス面を見つけて、自分自身を励まそう。

来年4月には目出度く後期高齢者の仲間入りだが、まあそこそこ元気が何と言っても一番だ。今日も同期の友人から電話で前立腺癌を心配してもらったが、取り敢えず手術をしないことで医者の同意を得ているので、そんなに心配せず普通に暮らしている。むしろこの夏山登りをしなかったので、足腰の衰えが気になるが、山に行くことを諦めれば、普通以上の体力も必要ないと思えばいいじゃないか。友人の中には街を歩くにも杖を使用する人が出はじめた。

マラソンやゴルフに専念するスポーツ好きの友人たちと比較すれば、些か劣等感を感じない訳でもないが、上ばかり見ないで下も見てみろとの思いである。今や趣味と言えるのは、囲碁とブログ書きくらいになってしまった感がある。囲碁は専らパンダネットの囲碁だが、これは棋力が落ちることなく、どちらかと言えばむしろ向上しているかもしれない。暇に任せて毎日打っているが、現在国内のランクで1万番以内(9千番台)になっている。

20万人近いユーザーとも言われるので上位5%以内だとすれば大したものではないか。少なくとも小学校から高校までの学生時代、50人足らずのクラスで5番以内に入るなんてことは先ず無かったのだから。そう言えばこのブログも、80万人近く登録している日本ブログ村の総合ランキングで1万1千番、114人登録の男性シニア部門では天晴れ1位とか2位に入ることがあり、常に5位以内には居るようだ。読者の皆様に感謝しなくてはいけない。ありがとうございます。

錦織圭選手や羽生結弦選手の世界ランクと比べることは無理だが、自画自賛できて良かったなぁ。何処かの総理みたいだ。笑^^

2014年11月5日水曜日

盛り上がらない日本の選挙戦

恐らくであるが、僅か100年一寸前の明治維新頃までの日本人の多くは、自分が経験していないことについては知る由も無かった訳で、他人の話を聞いて信ずる人、信じない人の割合については分からない。これも多分だが、人が良くて坊主の説教なんぞ信じる人が結構居たのかもしれない。19世紀半ばにして世界的にも識字率が高く、他国に比べれば一般国民の教養が高いされた我が国においてのことである。

以来、150年ほどの間に急速な通信手段の発展があり、書籍等の印刷媒体に始まり現在のテレビまでマスメディアが発達した。国家や篤志家による教育機関の発展と相俟って、個人の知識の急増は数値では計りきれないのだろう。加えて今世紀に入ってからは、インターネットなる新しい通信手段の出現があって、その上昇カーブに拍車が掛かっている。医学的には人間の脳みそのキャパ、即ち記憶容量は無限大とも言う人もいる。

しかし個人的感覚からすると、コップ1杯程度の脳みそに水道の蛇口を開け放しにして知識を注ぎ込まれている感がある。確かな記憶、覚えておくべきことは果たして何だったのか分からなくっているのは小生だけだろうか?インターネットが流行り始めた頃に盛んに言われたのが「バーチャル空間」(仮想空間)、即ち現実とは異なる空間と言うことだ。言ってみればこのブログもお遊びだから良いと勝手に理屈を付けてはいるが、空疎で誰にとっても糞の役にも立たぬことは明らか。有害ならざることを祈るのみだ。

頭に注ぎ込まれる知識がさほど多くなければ、事の善悪や黒白の判断しやすいが、多くになるにつれてむしろ判断が付き難くなることもありそうだ。そこで今の世で活躍するのが広告宣伝の類だろう。1960年代初期に「(株)○○宣伝」に就職した時は何をする会社も知らず、給料さえもらえればめっけもの程度の事だった。事実その類の会社の存在は社会的にも大したものとは言えず、大学生だった小生が知る会社は1社も無く、よく研究している学生にとっても精々「電通」か「博報堂」程度だったろう。

働き始めて数年経って、後輩の婚礼で「我が社の仕事は、お宮さんでお守りを売っていますが、あれと同じようなものです。」言ってしまったくらいだ。広告なんて効果が果たして有るのかどうか、極めてインチキ臭いものと本気で思っていた。しかし、そのインチキ稼業から足を洗えず40数年、足を抜いてから改めて世の中を見ると、恐ろしいことに今や宣伝万能の時代になってしまったようだ。何も日本だけではない、世界共通の現象で、今日行われているアメリカの総選挙報道を見てつくづく思った。

実体験が無いのに、頭に注ぎ込まれた情報だけで物事の判断をする時代。そのことについて今更善悪を言う事は出来ない。それが正に実態なのだから。ならばいっそのこと、我が国の政治システム、選挙のしかたもアメリカ同様かどうか分からないが、金に任せて好きなことをさせたらどうだろう。団扇だワインだとチマチマしたことで大騒ぎするのは、何でも法令で細かいことを決めるせいだろう。お金は使い放題、会計だけオープンにすることだけ決める。

テレビで相手候補のネガティブ宣伝をしようと構うもんか。不謹慎かもしれぬが、政策なんか批判が無ければ面白くない。時効になっている脱税問題に触れられただけで、子供の喧嘩ではあるまいに、むきになる総理の馬鹿さ加減。テレビだけがマスメディアではない時代、もっと開かれた空間があるのだから、そこで堂々とキャンペーンを張ればいい。そうすればアメリカ並みに若い人も参加するお祭り騒ぎの選挙が実現するかもしれぬ。

2014年11月4日火曜日

世界の政治 夢のサミット

今夜からアメリカでは中間選挙とのことで、与党民主党の劣勢が報じられているので、オバマ大統領も気が気ではないようだ。6年前の熱気が何だったのか。熱狂は崩壊に繋がると先日読んだ本に書いてあったが、本当にそうかもしれぬ。中国の景気が悪化しているがアメリカは景気が上向いていると伝えられるが、アメリカも株価が上がっているだけで、庶民の暮らしぶりはそんなに良くなってはいないようだ。

与党の議員が大統領を支持しないようなことをアッピールしないと選挙に勝てないとあっては、有権者も白けるばかりだろう。日本も1年以内には選挙が間違いなくあるようだが、きっと白けたものになるに違いない。大体日本にしてもアメリカでも中国でも、より早くとかより大きくといった概念を追求することをそろそろ見直して、足踏みしながら我慢とか辛抱について考える時期に来ているのではないか。

半ば喧嘩しながらも、幸い先進国首脳が集まる会議が年に一度は開かれる仕組みも出来ている。今年はお隣中国の北京で今月10日から開催とのこと。最近は20か国にも及ぶ参加国らしいので、首脳同士が腹を割って話し合うことは無いかもしれぬ。残念なことだ。1775年オイルショックを受けてフランス大統領のジスカール・デスタン氏が初めて招集したサミットは、招待されないにも拘らず乗り込んできたイタリアを入れても6か国。幸い日本は当初からメンバーになっている。

このくらいの人数で先進国首脳同士が数日話し合えば、互いに本音に近い悩みなんかが提示されて、真剣な討議も期待できそうだ。日本で言えば田中角栄氏の狂乱が幕を閉じた時代に当たるが、当時の世界の指導者が持ち合わせた哲学を果たして現代の指導者たちが受け継いでいるのかどうか?少なくとも我が国に於いて2000年以降の総理を見ると、森氏から安倍氏に至るまで8人11代になる。残念ながら何方をとっても、ご自身の存在をアッピールすることだけにご熱心で、世界平和や世界の安寧を念頭に真剣な討議をリードしたとはとても思えない。

日本の指導者だけの問題ではないだろうし、今更その責任を問うても仕方がない。サミットの枠組みそのものが、当初の目的からかなりずれてしまっているのは明らかだ。狂乱の世で想像を絶するお金持ちも生まれているらしい。あの世にお金は背負っていけないのだから、何方か奇特な方が、世界の指導者精々5人位に大金を積んで呼びかけ、世界平和の為に真剣に議論する場を設けてほしいものだ。

2014年11月3日月曜日

11月の祝日

昔「天長節」とか「明治節」、今の世では何故か「文化の日」。若い頃であれば休日は嬉しいが、この頃ではその有難味さえ味わえぬロートルになってしまった。それが証拠に高校同期生が一人、叙勲の栄に浴したようで新聞の全国版に名前が掲載されていた。故郷で文化の創造発展に大いに貢献されたからであろう、誠に結構なことだ。400人近い同期生が居ても、叙勲されたのは記憶の限りでは2人目。そう簡単に勲章は貰えぬのだろう。来月東京で会う予定があるので、忘れずにお祝い申し上げる必要がある。

今日は晴れの特異日とあって、先週半ばの天気予報が外れて良い天気になった。ご近所に菊を沢山(20鉢はあろうか)育てているお宅があり、毎日楽しみに拝見している。いろんな種類があるが、菊はやはり黄色い大輪が秋の雰囲気に一番よく似合うと思っている。今日は昨日とは見違えるほど花が大分大きくなっていた。花を鉢植えで育てて、庭先や玄関の脇に置くなんてことこそ、別に世界に自慢するほどの事でもないが、日本の立派な文化だ。

このところ、文化の輸出みたいことがテレビなどで取り上げられている。でも考えてみると「文化」は輸出するもの、輸出できるものだろうか?つい先週末に東京渋谷やあちこちでハロウィーンなるバカ騒ぎがあってテレビが大々的に報道している。故事来歴は詳らかでないが、日本の新嘗祭(勤労感謝の日)のような祭りであるらしいがキリスト教の祭りでもないらしい。正に外来文化だと思うが、どこかの国が日本に輸出を考えたなんてことはあるまい。強いて言えば、日本人が何処かの真似(輸入)をしているだけで、どこぞの国の人が見た時には、我が国の文化が日本に根付いたとは思わないだろう。

ラーメンを見て中国人が中国料理と思わないのと同じだ。欧米で寿司が大流行と聞くが、欧米人が美味そうだから真似をしてみただけのことだろう。結果的に酢や醤油、海苔などの生産者は輸出で販路が拡大すれば結構なだけで、総理大臣が張り扇ぎで「文化輸出」と騒ぐほどのことでもあるまい。むしろ長い歴史の中で、先輩諸氏が育んできた日本文化の美点を日本人自身が忘れないようにすることこそ大切だろう。

零細農家をぶっ潰すことを目標としている内閣に言っても無駄かもしれぬが、農作物収穫の意味も分からぬガキ共が飴や菓子を貰い歩くのは見ていても浅ましくて嫌なものだ。今時おはぎを作る母なんぞいないかもしれぬが、勤労感謝の日にはコンビニから買って来てでもいいから、家でおはぎでも食いながら、お父さん、お母さんの働きに子供が感謝する光景を想像するが、テレビ的には絵にならぬと言うことなのか。

2014年11月2日日曜日

テレビを誉める

日銀が先週末に発表した2度目の異次元金融緩和は、アメリカから「サンキュージャパン」と言われているらしい。経済原理は分からないが、日銀発表でアメリカでも株が暴騰している。安倍政権は地球儀外交で世界に貢献するのが務めと思っているようだから結構だろうが、日本の国民はどうしてくれるのだろう。昨日のブログで、「専門家は誰もはっきりしたことを言わない。」と書いたが、今朝TBSの「サンデーモーニング」を観ていたら、極めて分かりやすく解説してくれた学者がいた。

初めて見た人だが面白い。慶応義塾大学准教授だからまだ若い「小幡 績」氏である。「日本の経済にとっては何もいいことはない。」と断言していた。庶民は賃金の低下と物価の値上がりで生活は苦しくな一方、株なんてものは上がれば下がるに決まっているのだから、まかり間違うと年金資産まで目減りしかねないとまで言っていた。日銀政策委員でさえ、今回の政策決定は5:4の僅差での決定と伝えられている。

しかし一般的な報道の論調は暢気なものだ。どのような見識に基づいているのか「安倍政権としてはこの株高をあと1、2か月もたせて、12月上旬に消費税再増税の決定に持ち込むのだろう。」とまるで当然且つ他人事のように伝えている。どう見ても庶民の立場に立って書いてるようには思えない。

学者の中には小幡氏のように懸念を表明している人は多い筈だ。テレビはこういった学者を出演させる場合、リハーサル後に言い方をもう少し曖昧にするよう依頼するのが常で、結果的に蛇だかミミズかが分からぬ表現にさせられてしまう。現場を何度も見てきているので、今朝の小幡氏の発言は新鮮で驚きだった。普段あまりマスコミを誉めないが、今日の「サンデーモーニング」誉めておきたい。

政治家は「あとは野となれ山となれ」で済むかもしれぬが、もし政策が間違った時にとばっちりを受けるのは多くの国民だ。他のマスコミも少し勉強して、懸念についてもう少しアッピールしておくべきだろう。

2014年11月1日土曜日

「正念場」ねぇ

老夫婦が年金の月額20万円で生活していく術だけを考えていればいいので、元々知識の無い経済問題や株価について語る資格は無いことは承知の介である。休日でもありネタが見つからないので、専門家でさえ余り触れたがらないように思える昨日夕方の金融政策関連のことに敢えて触れる。先月の報道や、政治とカネの問題発生以前の国会(予算委員会)審議を見ていると、アベノミクスなる経済政策が思うように進んでいない。誤算があったのではといった内容が多かったように思う。

勿論政府はそう言った論調を認めてはいなかったろう。小生なんぞには誤算があったかどうかなんて難しいことが理解できる筈も無い。もっと言えば、デフレ脱却の論理自体も意味がよく分かっていないのだ。何度も書いてきたように、物価が下がり続けることは年金と僅かな貯蓄に頼らざるを得ない年寄りにとってはむしろありがたい話で、インフレで物価が上がったり貯蓄が目減りすることの方が余程怖い。従って「デフレは日本の人口構成から来る必然だから、小手先の政策では手の打ちようが無い。」とする経済学者藻谷浩介氏に拍手したくなるのだ。同じ思いの老人がもっといて不思議は無いと思うが、なんでもデフレ脱却が日本にとっての最優先課題ばかりが力説強調される。

個人的に残念であっても、年寄りばかりが日本人ではない。日銀総裁や政府のお歴々も目標とするインフレ路線には乗っていると仰るのだから、こちらの思いとは反対にアベノミクスは計画通り進捗しているし、更に消費税を早いとこ10%にすれば、若者たちに夢や希望が見える日本になると仰りたいようだ。あと1年一寸で迎えることになるその明るい社会てどんな社会なんだろう?素朴な疑問だと思うが、報道によれば給料はいざ知らず、物価が上がることだけは間違いなさそうだ。デフレで低下した国力を回復するのは結構だが、恩恵から零れ落ちる国民も決して少ないとは言えぬかもしれぬ。

少なくとも現在のところ、そんなに貧乏とは思っていない我が家も、恩恵が無い口になるのは間違いないだろう。中くらいが一番と思ってたが、中くらいが2分割されるとすれば間違いなく下層に転落せざるを得ない。それでも国民の6割が支持する内閣だから仕方ないが、6割の中には我が家と同じ運命を辿る人も沢山出るだろう。その時になってから政府を恨んではいけません。5日ほど前にお亡くなりになった集団的自衛権問題で安倍総理のブレーンだった岡崎久彦氏曰く「総理が間違った判断をしたとすれば、彼を選んだ国民が悪いだけで総理に責任は無いでしょう。」実に名言だ。

良いか悪いかは別にして昨日思ったことは、日銀や政府の態度が博奕好きの友人が博奕場に居る時と同じである。大体博奕にのめり込むのは負けはじめた時で、むきになって同じ手に張り込んでしまう。政策決定者と博奕好き友人を同列に論ずるのは恐縮だが、「正念場」なる言葉の使い方はそっくりだ。