2020年3月31日火曜日

答えようがない

小池都知事がオリンピック延期が決まって以来、急に記者会見を増やして都民に向けて様々な要求をし始めている。自分がすべきことを棚に上げ、妙な猫なで声を出して危機感を煽って要求を矢継ぎ早に繰り出し、記者からの質問には「検討中」と「最善を尽くす」で誤魔化す。聞いている側には危機が具体的にどのへんまで迫っているかは分からず、不安が募るばかりだろう。

大人たちは今後収入が減りそうなことが心配で憂鬱だろうが、子どもたちは、来週に迫った新学期や入学式でさえどうなるかが分からない。ひょっとすると春休みが少し長引くかもと期待してるのか、近くの運動場では大勢の子が元気に大声を出して遊んでいる。

狭い土地に人口が密集している東京だが、狭いと言っても都心の23区の他に市も町も村まであって結構な広さだ。住民心理では都民であるより先ず区民意識が先立つので、コロナ関連では数日前に書いたように、豊島区の情報が知りたいのが人情。440人ほどの患者の内、豊島区内には何人いて、どこの病院に収容されているのかが問題だが、一向に明らかにされない。統計が信用できないとされる中国では、自分の現在地と感染者の居場所がリアルタイムでスマホに表示されるそうだ。

今日も昼飯屋の親父から聞かれた「やはり封鎖をやりますかね?」答えたくても答えようがない。問わず語りを聞いていると、昨日の夜は殆どゼロに近い入だったらしい。夜は先ず利用しないので昼さえ営業してくれればいいなんて思っていると、「2週間も休むなんてことはしたことがないので、内緒で予約をとって営業しましょう。」なんてこちらの腹を見透かすようなことを言ってくれた。半分冗談のつもりだろうが月に連休が1度しか無い働き者の親父だけのことがある。

そんな話の合間に笑ったのが都知事の夜の飲食自粛要請。若者のカラオケやクラブはいいとして、中高年の方は「接待」を自粛願いたいと来た。何故「宴会」と言わず接待言ってしまったかは分からない。親父さんは大分若いが、「今でも盛んなんでしょうかね?」と聞いてきたがこれにも答えは見つからなかった。

2020年3月30日月曜日

2019年度を顧みて

サンデー毎日の老人だから年度末は無関係のことながら、現役時代の名残で何となく1年を顧みたくなった。時期はもう少し遡るが昨年の3月は久し振りの海外旅行でネパールへ。生まれて初めて眼前に展開されたヒマラヤ連峰の景観は今でも忘れられない。つい先日その時の記録を見た友人が「本当にいい時に行くことができましたね。」共に喜んでくれたが、もし今年にずれていたら大変で、実にその通りだ。

4月以降は淡々と時が流れ、11月までに6回首都近郊の山を歩くことができた。9月には1泊して七ツ石山から雲取山まで行くことができた。秋には久し振りに京都に行ったし、年末年始もいつもどおりのスケジュールをこなすことができた。年が明けて1月は飲み会が続いて山歩きは考える暇もなかった。2月は寒いし3月の上旬にスキーの予定が早くから決まっていたので、楽しみにしていた。ところが、2月の下旬からコロナ騒動が持ち上がって、これがキャンセルになった。

今月14日に1回だけ昼の飲み会があっただけで、今月は蟄居状態が続いている。今年は天候も不順だし、世間の雰囲気も芳しくない。首相や都知事たちはここに来て急にコロナコロナと騒ぎ出し、庶民の危機感を煽っている。彼らは庶民には知らされていない情報を沢山持っているので、本当に危機が迫っているのかもしれぬが、彼らの言うことは嘘があまりにも多かったので、俄に信じがたい。

騒ぎがいつ収束するか分からないが、今年から来年にかけ、世界がなにか大きく変化しそうな予感がする。当然日本も何かが大きく変わるだろう。思えば、これまでの歳月80年は恵まれすぎていたのかもしれぬ。個人的にもこれからは、2019年度と同じようには行かないような気がする。社会が落ち着けば大きな流れは「進歩」と表現されるかもしれぬが、年寄は取り残され、寂しさが一層募るかもしれぬ。それはそれで仕方あるまい、時の摂理だ。

話が飛ぶが、オリンピックの中止を公然と唱えるは馬鹿な俺だけかと思っていたら、今日<[高野孟のTHE JOURNAL:Vol.439]1年延期でますます開催意義が問われる五輪>なるメルマガが配信され、高野氏が声高に唱えていたのでホッとした。

2020年3月29日日曜日

巣篭もり

桜の満開に花見に行けない人類を天が憐れんだか、或いは『思い知ったか』とからかっているのか?天気予報が見事にあたって朝の9時前から雪が降り出し今年一番の寒さになった。大粒のぼた雪は1時半ころまで降り続き、道路はビショビショの雪で出掛ける気がしない。小生も今年始めての巣篭もりをすることにした。

今日は孫の誕生日、昨年11月ハイキングに付き合ってくれた優しい子だ。大学生になって誕生祝いを上げたものかどうか考えたが、どうせ暫くは会えないから朝一にショートメールでお祝いのメッセージを送信。「お誕生日おめでとう。今もこれからも健康が一番大切です。元気でお過ごしください。」するとすぐに返信「ありがとう!健康でいられるようがんばります!おじいちゃんも外出するときはきをつけてね~」嬉しい限りだ。

世界中がコロナで大騒ぎしているのに、日本ではオリンピック来年の開催日が7月と決まったとの報道がある。バカにつける薬は無い、とはよく言ったものだ。来年の今頃までWHOが終息宣言を発しなかったらどうするのか。次回開催地はパリと決まっているようだが、OICは今回中止すれば今後手を挙げる候補都市がいなくなることを心配しているとのこと。だったら止めるべきだ。そもそも参加資格がアマチュア選手に限られていたのが、国家が生活を保証しているプロ以上のプロの大会なんか見てもしょうがないだろうに。いっそロボットの世界大会でもやれば善い。

今朝の朝日新聞に『坂本龍一に清志郎が警告していた コロナ危機「その後」』なる記事が掲載されている。坂本龍一氏も忌野清志郎氏も独特の活動をした或いはしている有名人であることは知っているが、音楽とは縁遠いので彼らの音楽は知らない。坂本氏の言:「危機は権力に利用されやすい。最近、亡くなった清志郎が言ってた言葉をよく思い出すんですよ。『地震の後には戦争が来る』って。『気をつけろ』と彼は警告を発してた。すごいなと」たしかに今、権力者は自らすべきことは何もせず、危機を利用して保身を図っている。

2020年3月28日土曜日

説得力

先月27日、首相が唐突に全国の小中高に対し来月2日~春休みまで 臨時休校要請した。以来池袋近辺でも人の流れが変わり、桜の開花につれお彼岸お連休あたりには大分人も出ていたが、今日の池袋は流石に人出が少なかった。「ウィルス退治の正念場」から、小池都知事の「感染爆発の重大局面」での自粛要請が効いたのだろう。都民はこの土日不要不急の外出を避けてくださいと要請されている。

独居老人が昼飯を食うことは必要不可欠で、花見に出かけるのとわけが違うから、いつも通りに歩いてみた感想だ。毎日歩く地下道の店もデパートも食品売り場以外は店を閉めている。瀬戸際の正念場と重大局面がどのように違うのか、一般市民が理解できたのかは知らぬが、小生は理解できない。首相も都知事も医者でもないし疫学の玄人でもない。二人共政治家としてこれまで利用してきた東京オリンピックを中止したくなかったことだけは確かだ。

このオリンピックが中止にならず当面延期と結論が出たので、政治家の言うことが急に変わっただけのこと。首相は正念場発言に際しても、今度のオリンピック延期をIOCと合意する際も専門家の意見は聞かなかったとはっきり言っている。何の根拠もなく政治判断する我が国の首相と比べるのも恐れ多いが、ドイツのメルケル首相が3月18日(現地時間)の夜に発信したテレビ演説について、独自の社会評論をする小田嶋隆氏が次のように言っている。

「私は基本的に「感動」という言葉は使わないことにしているのだが、今回のテレビ演説に関しては、その言葉を使ってもかまわないと思った。それほど強く心を打たれた。」早速全文を読んで小田島氏の言わんとするところがよく理解できた。

以下にその全文を引用したい。

親愛なる国民の皆様*、
コロナウイルスは現在わが国の生活を劇的に変化させています。私たちが考える日常や公的生活、社会的な付き合い ― こうしたものすべてがかつてないほど試されています。

何百万人という方々が出勤できず、子どもたちは学校あるいはまた保育所に行けず、劇場や映画館やお店は閉まっています。そして何よりも困難なことはおそらく、いつもなら当たり前の触れ合いがなくなっているということでしょう。もちろんこのような状況で私たちはみな、これからどうなるのか疑問や心配事でいっぱいです。

私は今日このような通常とは違った方法で皆様に話しかけています。それは、この状況で連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちを何が導いているのかを皆様にお伝えしたいからです。開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。

もし、市民の皆さんがこの課題を自分の課題として理解すれば、私たちはこれを乗り越えられると固く信じています。このため次のことを言わせてください。事態は深刻です。あなたも真剣に考えてください。東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるような課題がわが国に降りかかってきたことはありませんでした。

私はここで、現在のエピデミックの状況、連邦政府および各省庁がわが国のすべての人を守り、経済的、社会的、文化的な損害を押さえるための様々な措置を説明したいと思います。しかし、私は、あなたがた一人一人が必要とされている理由と、一人一人がどのような貢献をできるかについてもお伝えしたいと思います。


エピデミック(パンデミックの前現象)についてですが、私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の学者およびウイルス学者との継続審議から得られた所見です。世界中で懸命に研究が進められていますが、コロナウイルスに対する治療法もワクチンもまだありません。

この状況が続く限り、唯一できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばすことで時間を稼ぐことです。これが私たちのすべての行動の指針です。研究者がクスリとワクチンを開発するための時間です。また、発症した人ができる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間でもあります。

ドイツは素晴らしい医療システムを持っています。もしかしたら世界最高のシステムのひとつかもしれません。そのことが私たちに希望を与えています。しかし、わが国の病院も、コロナ感染の症状がひどい患者が短期間に多数入院してきたとしたら、完全に許容量を超えてしまうことでしょう。


これは統計の抽象的な数字だけの話ではありません。お父さんであり、おじいさんであり、お母さんであり、おばあさんであり、パートナーであり、要するに生きた人たちの話です。そして私たちは、どの命もどの人も重要とする共同体です。

私は、この機会にまず、医師としてまたは介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いている方すべてに言葉を贈りたいと思います。あなた方は私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。

そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します。


さて、重要なのは、ドイツ国内のウイルスの拡散スピードを緩やかにすることです。そして、その際、これが重要ですが、1つのことに賭けなければなりません。それは、公的生活を可能な限り制限することです。もちろん理性と判断力を持ってです。国は引き続き機能し、もちろん供給も引き続き確保されることになるからです。私たちはできる限り多くの経済活動を維持するつもりです。

しかし、人を危険にさらす可能性のあるものすべて、個人を、また共同体を脅かす可能性のあるものすべてを今減らす必要があります。人から人への感染リスクを可能な限り抑える必要があります。

今でもすでに制限が劇的であることは承知しています。イベント、見本市、コンサートは中止、とりあえず学校も大学も保育所も閉鎖され、遊び場でのお遊びも禁止です。

連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。わが連邦共和国ではこうした制限はいまだかつてありませんでした。

私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。

このため、国境検査の厳格化と重要な隣国数か国への入国制限令が今週初めから発効しています。



経済全体にとって、大企業も中小企業も、商店やレストラン、フリーランサーにとっても同様に、今は非常に困難な状況です。

今後何週間かはいっそう困難になるでしょう。私は皆様に約束します。連邦政府は、経済的影響を緩和し、特に雇用を守るために可能なことをすべて行います。

わが国の経営者も被雇用者もこの難しい試練を乗り越えられるよう、連邦政府は、必要なものをすべて投入する能力があり、またそれを実行に移す予定です。


また、皆様は、食料品供給が常時確保されること、たとえ1日棚が空になったとしても補充されること信じて安心してください。スーパーに行くすべての方にお伝えしたいのですが、備蓄は意味があります。ちなみにそれはいつでも意味のあるものでした。けれども限度をわきまえてください。何かがもう二度と入手できないかのような買い占めは無意味ですし、つまるところ完全に連帯意識に欠けた行動です。

ここで、普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。


さて、今日私にとって最も緊急性の高いものについて申し上げます。私たちがウイルスの速すぎる拡散を阻止する効果的な手段を投入しなければ、あらゆる国の施策が無駄になってしまうでしょう。その手段とは私たち自身です。私たちの誰もが同じようにウイルスにかかる可能性があるように、今誰もが皆協力する必要があります。まず第一の協力は、今日何が重要なのかについて真剣に考えることです。パニックに陥らず、しかし、自分にはあまり関係がないなどと一瞬たりとも考えないことです。不要な人など誰もいません。私たち全員の力が必要なのです。

私たちがどれだけ脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりのある行動に依存しているか、それをエピデミックは私たちに教えます。また、それはつまり、どれだけ私たちが力を合わせて行動することで自分たち自身を守り、お互いに力づけることができるかということでもあります。

一人一人の行動が大切なのです。私たちは、ウイルスの拡散をただ受け入れるしかない運命であるわけではありません。私たちには対抗策があります。つまり、思いやりからお互いに距離を取ることです。

ウィルス学者の助言は明確です。握手はもうしない、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル人との距離を取る、特にお年寄りは感染の危険性が高いのでほとんど接触しないのがベスト、ということです。

こうした要求がどれだけ難しいことか私は承知しています。緊急事態の時こそお互いに近くにいたいと思うものです。私たちは好意を身体的な近さやスキンシップとして理解しています。けれども、残念ながら現在はその逆が正しいのです。これはみんなが本当に理解しなければなりません。今は、距離だけが思いやりの表現なのです。

よかれと思ってする訪問や、不必要な旅行、こうしたことすべてが感染拡大を意味することがあるため、現在は本当に控えるべきです。専門家がこう言うのには理由があります。おじいちゃんおばあちゃんと孫は今一緒にいてはいけない、と。

不必要な接触を避けることで、病院で日々増え続ける感染者の世話をしているすべての方々を助けることになります。こうして命を救うのです。多くの人にとってこれはきついことでしょう。誰も一人にしないこと、声かけと希望が必要な方たちの世話をすることも重要になってきます。私たちは家族として、また社会として別の相互扶助の形を見つけるでしょう。

今でもすでに、ウイルスとその社会的影響に対抗する創造的な形態が出てきています。今でもすでに、おじいちゃんおばあちゃんがさみしくないようにポッドキャストをするお孫さんたちがいます。

私たちは皆、好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、イーメール、あるいはまた手紙を書くなど。郵便は配達されるのですから。自分で買い物に行けないお年寄りのための近所の助け合いの素晴らしい例も今話題になっています。まだまだ多くの可能性があると私は確信しています。私たちがお互いに一人にさせないことを社会として示すことになるでしょう。

皆様にお願いします。今後有効となる規則を遵守してください。私たちは政府として、何が修正できるか、また、何がまだ必要なのかを常に新たに審議します。

状況は刻々と変わりますし、私たちはその中で学習能力を維持し、いつでも考え直し、他の手段で対応できるようにします。そうなればそれもご説明します。このため、皆様にお願いします。噂を信じないでください。公的機関による発表のみを信じてください。発表内容は多くの言語にも翻訳されます。


私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。

私たちがこの危機を乗り越えられるということには、私はまったく疑いを持っていません。けれども、犠牲者が何人出るのか。どれだけ多くの愛する人たちを亡くすことになるのか。それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。現在の制限を受け止め、お互いに協力し合うことができます。

この状況は深刻であり、まだ見通しが立っていません。 それはつまり、一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移すかということにも事態が左右されるということです。

たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。


 皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。ありがとうございました。

2020年3月27日金曜日

大本営発表の裏側

昨日昼飯を食っていたら飯屋の女将が「午前中スーパーに行ったら、入り口で入場制限されて時間を取られ苦労した。」とのこと。へ~と思っていたが、今朝の報道では、都民の買い溜めがマスクや紙製品以外にも及び始めたとのこと。
考えれば当たり前だ。外出の自粛を都民に呼びかけているのだから、スーパーに買い出しに行く役を担う主婦や爺さん婆さんにすれば、要請に答えるためには普段より少しでも多めに買わざるを得ない。

すると今度は都知事が「買い溜めをしないように」呼びかけている。外出自粛要請と買い溜め自粛要請が相矛盾していることは気が付かなかったのか、知っているけれど敢えて言ったのかは分からない。政治家の発言は無責任な事が多いので気にせずに置こう。信ずるに足る情報は新型コロナウィルス感染者数だけだ。しかしこれとても、今回のウィルスの潜伏期間が長く発症に至る時間が2週間もあることからすれば、生活に関して直接役には立たない。

ウィルスにすれば国境は関係なく2ヶ月前には日本に侵入しているのだから、諸外国に見られるような展開になることは当然のこと。日本に上陸したウィルスに限って活動が鈍いと考えるほうが不自然だから、当局が発表している感染者数を信ずるに足るとしたところで、数字そのものに大した意味は無く、見るべきは傾向のみ。既に相当身近にウィルスが接近しているはずなので、誰かに本当のところを教えてもらいたいと思って、信頼している区会議員の先生に電話で尋ねた。

「先生、お願いだから我が区内の感染者数と収容されている病院名を教えて下さい。」与党議員ではないが区会議員選挙のトップ当選者で区長も一目置かざるを得ない実力者の筈。この先生であれば内緒で教えてくれると期待した訳だ。ところが先生自身が実態を教えられていないようで、教えてもらえなかった。更に聞くと、この事案が都道府県レベルの管理になっているので、区長ですら実態把握ができていないらしい。区会議員の先生も、支援者の中小企業からの相談が増えつつあるようだし、都市封鎖の可能性が頭の隅をよぎるのだろう。

先生は、市民の健康問題を差し置いてオリンピックの延期問題に優先順位を与えた政府や都の判断を批判していた。当然のことだ。

鴨長明は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」と言うが、昭和の政治家、春日一幸氏が言った「蛇は何回脱皮しようが本質が変わらない」の方が的を射てるかもしれぬ。

2020年3月26日木曜日

実務経験者

ドイツのメルケル首相は新型コロナウィルスの脅威を最初に国民に訴えた時に、専門家の見解から「最大国民の6~7割が罹患する恐れあり」とした。現在専任医師に陽性反応がでてしまったことから、首相自身が在宅勤務を強いられているのは皮肉でもあるが、ドイツはヨーロッパ南のラテン系諸国に比べれば、患者の激増ぶりは似ていても、致死率は比較的低く抑えているようだ。現場の専門家体制が他国に比べるとしっかりしているのかもしれぬ。

専門家とひと括りにしても、色々ありそうだ。医学系の大学を出て医学博士になっても現場経験がないまま医系の官僚勤務で出世する人も居るだろうし正反対にずっと現場一筋で一生終える人もいる。これは日本の専門家会議全てに共通することで、司法の場でも郷原信郎氏が指摘していたが、現在検察官の定年延長問題で国会で話題になっている東京高検検事長なんかも、ずっと法務官僚畑を歩き、検事としての現場経験は1年もなかったことを指摘している。

或いは教師の現場経験のない人が教育関係の専門家として重きをなしていたり、数え上げれば政府が頼りとする専門家が、意外に実務経験不足であることに気づく。勿論政府をサポートする専門家は、後に法律と関わるので相当幅広い知識が求められるのは言うまでもない。従って、政府委員会が専門家の選考に関して知識が豊富な人材と現場経験豊かな人材を比較して、どちらを選ぶかはは難しい問題でもある。

個人的には後者の見解を尊重したいが、政治的にはどうしても前者を優先時に採用したくなる気持ちも分かる。これも郷原氏が言っていたが、知識が豊富な人は人当たりも柔らかで、政治家にも巧みに接近できるらしい。

関連していつも思っている極端な例が軍人、即ち日本の自衛官。若い頃は未だ旧軍部の生き残りが沢山いたので、そういう人からの話が子供心に刷り込まれているのだろう。自衛官はOBも含め実戦経験者が皆無だと思う。昔親しかった旧軍関係者がいつも笑いながら話していたことを思い出す。「〇〇氏は偉そうに話しているが、敵から銃口を向けられたことも敵に銃口を向けたことは一度も無いのが問題だ。」そんな事があるので、自衛隊運用に関しては実戦経験を持つ伊勢崎賢治氏の話を信じたくなってしまう。

2020年3月25日水曜日

輪廻転生

今日は友人のお父さんの葬儀があって、横浜市戸塚まで行ってきた。会場は市営の斎場だったが、導師は浄土真宗の菩提寺僧侶、ここ3年近く禅宗のお経ばかり聞いていたので「ナンマイダ」は新鮮だったし、法話も良かった。院号の解説で「人間は仏の世界とつながっていて、そこから現世に降りてきて、様々な苦しみを味わった後にまたそこに帰っていくのだ。従って仏教の経典には”死”と言う言葉一つも出てこない。」との趣旨。

帰り道は麹町に寄り、預かった香典のお返しを渡すべく友人の事務所に立ち寄って昼食を共にする。もう3月も終りに近いが、黒いネクタイで出かけたのは今年始めて。共通の友人の話と世間話だが、元官僚の友人曰く、役所の後輩があまりにも情けなさ過ぎるとのこと。全員言われたことをするだけで、自ら問題を発見しようとはしない。何れにせよ現在の官邸主導は、行政の停滞を招いていることだけは確かだろう。

話が変わるが、高齢化社会のこと。昨日の昼に近所でばったり会った知り合いの老人、通り過ぎてから名前を思い出して、後ろから声を掛けてみた。思い出した名前にが合っていたようで、すぐ相手も振り返った。近寄って名乗り挨拶をしたが、先方はこちらをどうしても思い出せないらしい。昔近所に碁会所があった時代、同じ程度のヘボで何度も手合があった相手だ。歳はこちらとほぼ同じで歯医者さんだったことまで再確認できたが、東北大震災以来囲碁を止めてしまったとのこと。理由は同居する息子夫婦に孫が誕生したかららしい。息子さんも歯医者のはずだから老先生はもっぱら子守に徹しているのだろう。

碁会所が無くてもネット碁を続けているとは言わなかったが、他人様のことである。もったいないより、あんなに面白いものをよく止められたものよ、と半分感心もする。大震災からはまる9年だが、会ったのは10年以上ぶりかもしれぬ。こちらも相当ボケ始めてはいるが、老先生もかなり認知症が進んでいる感がしなくもない。

2020年3月24日火曜日

差別と区別

この駄文を愛読してくれたのだろう古い友人が、「性差別」について持論を述べよ、との命題を与えてくれた。長年書き続けてきた中で命題を貰ったのは初めてなので、応えないわけにいかない。

まず改めて育った環境を言うと、5人兄弟の3番目、7人家族で女性は母のみだった。そのせいか幼い頃から結婚する29才まで女性は常に憧れの的だった。性の違いについて意識下にあった筆頭は、男性に比べて女性の方が頭が良いことだったように思う。今にして思えば幼い子供によくある勘違いで、我々の小学生時代は女子の方がよく勉強をして成績の良い子が多かったに過ぎないのだろう。しかし運動能力に関しては圧倒的に男子のほうが優位だと思っていた。これも勘違いで、先に能力と書いたが、能力に差があるとは思えない。

女性は賢いから無駄な力を出さないだけで、時と場所によっては男性と同等かそれ以上の力を発揮することがあるはずだ。身体能力の差は大差ないが、未だに払拭できない思いがある。必ずしも頭が良いわけではないはずなのに、意地の悪さでは女性の方が遥かに上をゆく。男に騙される女と女に騙される男の統計は未だ目にしたことはないが、これまで見聞してきた情報から勝手に推測する限りでは、馬鹿みたいに騙されるのは男のほうが多い。

友人が示してくれた神奈川新聞の投書欄「3月のお題:性差別を考える」を読むと、ご同輩の女性が給与面での男女差について触れているが、現在の社会ではもう殆ど無いと思う。我々の時代は大学卒と短大卒と高卒の間には給与格差も有り、因果関係は逆かもしれぬが与えられる仕事そのものが、女子はお茶くみが当たり前だった。入社した会社が小さな広告会社だったこともあり、会社への貢献は男子が担当していた営業が最大だろうと内心思っていたが、これも今冷静に思えば果たしてどうなのかだ。

決定打になったのが入社25年目の転職、新しい職場にお茶汲み女性なんか一人もいなかった。のみならず、女性社員は新入年寄の面倒を見る素振りさえ見せない。僅かに若い男性社員が色々教えてくたことを思い出す。年代によるジェンダー差別を味わった。

女性に対する勝手な憧れ意識を持って結婚した嫁が徹底した男女分権主義で、第三者がいると夫唱婦随を装って振る舞っているが、家で指しになると大変厳しい。特に彼女の内面に関してはどこかに明確な一線があって、生涯その内側に入ること許されなかったように思う。反面こちらはお釈迦様の掌に乗った孫悟空同様素っ裸にされていたと思う。

2020年3月23日月曜日

臆病者の予定変更

今日は花曇りで少し肌寒いが、三連休の好天続きで東京の桜は満開となった。
桜が満開になると毎年のように靖国神社から北の丸公園を通り皇居付近の名所で花見するのを常にしていたが、今年は近所の桜で我慢することになりそうだ。
しかし、今朝のテレビ報道にもあったが、実際に目にした感じでも、この三連休で都民はすっかりコロナウィルスに対する警戒心が緩んでしまったようだ。

市長と知事がきつい要望を出した大阪市や兵庫県の市民は少し感じが違うかもしれぬ。大阪府の松井知事が「二週間後に大阪人は心配のしすぎと笑われて欲しい。」と言っていた。これまで松井氏には好感が持てなかったが、この一言には敬意を評さざるを得ない。人心に緩みが生じている東京が二週間後にどうなるか知らぬが、個人的には5月いっぱい迄の予定は全てキャンセル又は不参加としようかと考えている。

中には3ヶ月おき或いは半年おきの病院予約もあるが、先日読んだ本に<老人は病院に行くな、又は薬を飲むな>とあった実験になると思っている。現在毎日飲んでいる薬は<アロプリノール錠>1日1錠のみ。これは痛風予防の尿酸値を下げるためとして、かれこれ20年くらい前から飲み続けているが、前立腺癌で世話になった日大病院の医師から、もう必要ないのではとアドバイスを受けてもいるのでちょうどいい機会と思っている。

今朝接骨院でそんな話をすると、似たような考えの老人が多いのか、街場のお医者さんの経営も最近は大変らしい。呼吸器内科のように忙しすぎるのも困りものだが、お医者さんも商売だから暇すぎるのも困るかもしれぬ。今年のオリンピック開催はまず無くなりそうだし、8月お盆の墓参りまでは出掛けるのを止めれば、残る問題は来月から7月までの月イチ近郊の山歩き。聞くところによると、この3連休の高尾山は大変な混雑だったらしい。都会の雑踏を避けて態々山に行ってまで人混みでは敵わない。

今月予定していた筑波山は既に孫の都合で取り止めにしたし、いっそ墓参りまで山歩き休むのも一案なんて考え始めた。

2020年3月22日日曜日

専門家の見解と政治家の判断

世の中には素人には分からないことが多いから専門家の意見は傾聴すべきだと思う。その専門家でさえよく分からないのが今回の新型コロナウィルスと言うところまでは承知している。だから専門家にお願いしたいのが、素人にも分かりやすい現状説明と解説の筈。政治家の発言が蛇かミミズか判別し難い意味不明が多いのは仕方がない。彼らは、今や時によって国民を欺いても自分の保身を図る因果な生業だ。

専門家は自身の知るところや見解を述べることが当たり前で、知るところを出し惜しみしたり嘘を付く必要は全く無いと思うが、最近の政府専門者会議後の発言を聞いていると、余りにも政治的発言が多すぎる。事実関係を意図的に色分けして、一般向けには概略で済ますが、会議を主催している官僚に対しては詳細を明かそうてな態度が目に余る。勿論自身の判断ではなく、官僚からの指示だろうと同情はする。

だから官僚や指揮に当たっている政治家に責任があるのは分かるが、専門家の口から「今のところ持ち堪えている。」を聞いても意味不明で辛くなる。先の大戦を思い出してしまうのだ。大戦は昭和16年(1941年)12月初頭に始まり、日本は太平洋のど真ん中ハワイや東南アジアに一気に進出して相当な成果を上げた。しかし僅か1年も経たない翌年の6月、ハワイより少し日本に寄ったミッドウェイ島付近の海戦で日本は海軍機動部隊が全滅に近い敗北を喫し、ほぼ負けが決まったとされている。

そしてそこから約3年、専門家であった軍部は負けたとも言えず、国内的には嘘に嘘を積み重ね、政治も壟断していたので国民を叱咤激励。ついに300万人を超す犠牲者を出して昭和20年(1945年)8月に国民に向け終息宣言を出すことができた。国民がどんなに疲れ切っていたか、今となれば書いたところで理解できる人は少ないと思う。当時でも国民の中には当然ながら専門家であった軍人や政治家にも負け戦を見通して、今突き進んでいる道が間違っていると声を上げた人もいた。残念ながら衆寡敵せずとはよく言ったもので、それらの声は蚊の羽音より小さかった。

当時最大の音量をを上げていたのが「愛国心」と「一致団結」だと思う。日本人である以上大切なことだろう。現在日本人の心には「折角入念な準備をしてきたのだから」との思いが強いのもよく分かる。しかし嫌な決断は早いほうが良い。遅れれば傷が深くなるのは必然。オリンピック中止となれば、その影響はかなり深刻になるだろう。その深刻さを金目で計算しても仕方ない。中止した時に起こる混乱に如何に対処するか(これは政治家の判断力の問題)具体策を決め、早めに発表できるようにすべきだろう。

2020年3月21日土曜日

マスコミの評価

最近は大学生時代に社会学なるものを少しかじったことを思い出している。入学したのは慶應義塾大学の文学部、目標としたのは兎に角東京の大学に行くことだけだから、入学してから何をするかなんて当ては無い。親兄弟から社会学科があるはずだから、そこに行きなさいと言われていた。ところが入学試験に合格したもののそんな学科はありはしない。昔から聞くは一時の恥と心得ていたので、誰かに聞いて哲学科の中に社会学の専攻課程があると知って哲学科を志望して、やっと収まった。

結果、冒頭に書いたように面白いことを沢山学ぶと言うか、教わった。その断片的記憶が最近とみに蘇ってくる。ここ2ヶ月位になるだろうか、毎日接するマスコミ報道やネット情報の大部分は新型コロナウィルス関連であるが、解説する人物が次々に入れ替わり、それぞれが微妙に異なる見解を述べえる。従ってこちらの脳みそは混乱する一方となって、実に不思議な気分である。いつも書く通り、身の危険は感じているが、それはそれとして、政府や御用学者の言うことは信じないが、どのメディの誰を信じるべきかが悩ましい。

今月発売の月刊「文藝春秋4月号」も<「新型肺炎」中国と日本の大罪>なる大特集を組んで作家を含め7人もの人物に言いたい放題のことを言わせている。大半は中国批判であるが、それは仕方あるまい。日本に中国や韓国が嫌いな人がそんなに多いとは思わないが、それはこちらの思い間違いかもしれぬ。ただ、最近の外国テレビ報道によれば、中国のコロナ封じ込め作戦を大分評価する声も上がってきているのも事実。一方では封じ込めの失敗で、民心が習近平氏を見放し、やがて政権が倒れることになろうなんて仰る方もいる。

他国の政権がどうなろうとどうでも良いじゃないか、なんて考えるより日本の政権の今後を教えてよなんて言いたくもなるが、これも余計なことだろう。期末試験に「現在の日本のマスコミについて評価を述べよ」設問がでたら90分間でどう書くべきか、相当に悩ましい。慶応文学部の教授ではないが、慶応出身の経済学者金子勝氏の話が好きで、よく視聴している。暇がある方には下記を視聴されるようお薦めしたい。少し難しいかもしれぬが面白いはず。まともに受けるかどうかはご自身の判断にお任せする。
https://www.youtube.com/watch?v=ApAbkrsa7ZU

2020年3月20日金曜日

思い出と交錯

一昨日友人の父上が亡くなられた。昨日知らせを受けて式次第を尋ねると、火葬場の都合などがあって通夜が24日、葬儀25日とのこと。場所は神奈川県横浜市戸塚斎場。知らせてくれた友人ともう一人を代表して、葬儀参列を決心。決心とは少し大げさだが、父危篤の知らせで実家に帰る前の友人から、新型肺炎の可能性大と聞いていたからである。故人は小生と同じ年齢、昨年7月に舌癌の手術を受け、秋以降は自宅療養中であったこと。母上との二人暮らしで、先月から急に肺炎のような症状が出たのでウィルス検査を希望したが、渡航歴も無いので叶わなかったことなどを聞いていたからだ。

取り込み中の友人からは詳しく聞いてはいないが、死因は舌癌と言うことだろう。全国に同様の事例は枚挙に暇無いことだろう。通夜だとお斎を勧められる可能性も高いが、葬儀であればご焼香だけで失礼できる。それでも葬式となれば友人の家族には近寄ってご挨拶するのが日本の常識。ハグの必要がないので未だマシだが、臆病なので決心と書かせてもらった次第。

話が飛ぶ。葬儀に備え、香典も自分の分だけであれば金釘流で書くが、人様の分を下手な字で書くのは心苦しい。昨日、のし袋を売っている鳩居堂と伊東屋に架電して筆耕を頼めるか問い合わせをした。鳩居堂は有料で受けることは可能だが25日の葬儀には間に合わないとのこと。伊東屋は店員が書くのであればお引き受けしますとのこと。仕方なく三越本店に問い合わせると、少しお待ち願うかもしれませんがお引き受けします、とのことでホッとした。

そこで昼食後に本当に久し振りに日本橋の三越本店に出向き、のし袋を購入。筆耕を依頼したら半時間で用意してくれるとのこと。その暇に1階まで降り、改めて中央に展示されている天女(まごころ)像をじっくり鑑賞することができた。この像に関しての思い出は深い。大学入学して最初の夏休のこと。父に禁じられていたアルバイトを初めてしたのが、他ならぬ三越本店の酒売り場。当時は酒売り場が1階奥に設営されていた。

そして2年生の夏、2度めの勤めの時にはこの天女像の設置(昭和35年4月)が完了していた。当時を思うと、酒売り場1階に置かれていたことも時代を感じさせるし、天女像を毎日見て働きながらじっくり観賞なんて全くしたことはなかった。昨日改めて30分も掛けて鑑賞すると60年という時の流をしみじみと感じた。当時テレビは出現していたが、そのコマーシャル以上の宣伝効果がこの像にはあったのだろう。

宣伝文句が「まごころ}とはなんと奥ゆかしいことよ。除幕式の式典の出席者代表は武者小路実篤氏、吉田茂元総理もいるが挨拶もさせてもらえなかたようだ。作者が彫刻家佐藤玄々氏。この人の挨拶が又素晴らしい。「私が佐藤玄々です。」の一言。天女の顔は何となく浅田真央ちゃんみたいだった。

2020年3月19日木曜日

心境の変化

先週の金曜日、ギリシャでオリンピックの採火式が行われたニュースを知った時、我が国政治家の思考回路の度し難さに改めて驚き、それに一喜一憂してブログで論うのはもうよそうと考えた。故に以降は少し考えを変えて、できるだけ政府批判に接近しないテーマを選ぶようにしてきた。周囲の緩急がどうなろうと、このままチンタラと余生を過ごせればそれで良いのだ。一部の経済学者が言うように、このままいけば世界経済も日本経済も壊滅的打撃を受ける。ひいては年金給付の減額なんかもあるかもしれないが、それも運命だろうと半ば覚悟を決めたとも言える。

ところが昨日又少し考えが変わった。既にご承知の通り、近畿財務局元職員の遺書が突然出現した。これを昼過ぎにネットで知って、普段めったに買ったことがない週刊誌(週刊文春3月26日号)を態々買って読んでみた。先ず思ったことは「天網恢恢」全うに生きた故人の遺志は天が見放さない。次に思ったのが、これで嘘に嘘を塗り重ねている現政権の実態について、今まで政権を支持していた人の考えが少しは変わり、政権が揺らぐきっかけになってくれれば有り難い。この思いが天に通じて、仮に政権が変わったにしても、今年世界を襲った災厄はそう簡単に収束しないだろう。従って我が細やかな覚悟は持ち続けなければならい。どう転んだところで我が命はそう長くないから個人的にはどうでも良いが、日本の進路に変化が生じるなら子孫にとって有意義なことだ。

何れにせよ遠からず政権は変わるだろう。次なる宰相が誰になるか、全く予想できないが、世界から尊敬されるまでは無理としても、国民から信頼され、多くの国と公平に仲良く出来る人物が出てほしいものだ。国民の半数以上が宰相を信用できないとしている国はそう多くはない筈。政権が変わればマスコミの態度も変わることを期待したいが、これが政権交代以上に難問かもしれぬ。ただ日本でもインターネットが徐々に発展し、広告費で見てテレビを抜いたとの記事を最近見た気がする。

これがある種の救いで、テレビ広告なんてものも過去の遺産となる日が来るような気がしている。

2020年3月18日水曜日

心浮き立つ春

昨日が日の出から日没までが12時間だったようだ。今日は気温も高く本当に穏やかな絶好の行楽日和となった。山にでも出掛ければいいのだろうが、準備が間に合っていない。今週末は都内でお花見もできそうだし、少しばかり心がウキウキしてきた。この軽佻浮薄な性格はなんと言っても母譲り、長女にまで伝承している。小学生時代に1度だけ両親と花見にでかけたことがある。その時の写真(モノクロ・ベスト版)が今でも手元にあって数年に1度位はアルバムを取り出して想い出に浸ることがある。

大きな桜の下で両親が並んでいるから、子供の小生が撮ったに違いない。場所は遊覧道路(現在このロマンティックな名称が残っているかどうか分からない)から水道坂を登った脇だった筈。当時も花見と言えば、城山公園が定番だったと思うが、何故人気の少ない場所に行ったのかがはっきりした記憶が無い。今察すると、父が母とアベックで歩いているのを見られるのを嫌がった可能性がある。

それはともかく、母はお花見が大好きだった。昔なにか用事があって拙宅に1泊した翌日帰長することになっていた筈が、やはり今日のような陽気に誘われたようで、こちらが出勤した後の話がある。家内に手荷物を長野に送り返すように言いつけて、東京の友人に電話「ねえ、あなた。吉野にお花見に行きましょう。」と誘ったらしい。誘われた友人も未亡人だったので気安く了解したとのこと。この話はその後何十年かの間に家内から耳にタコが出来るほど聞かされたものだ。

父はそんな母と正反対で、遊びで出歩くことは殆どなかったと思う。当時はテレビもなかったし、唯一の趣味は庭いじり、百姓の子を自慢するだけあって、庭に数坪の花壇のような囲いをして、花や野菜を育てていた。休みの日には地下足袋に履き替え、鋤鍬を扱うさまは今では本格的農家でも余り見られないかもしれぬ。家内もよく言っていたが、夫婦円満の秘訣は二人の趣味が一致しないことにあるとのこと。

我々が円満であったかどうか別にして、我が夫婦も良くもこれだけ違うものと感心するぐらい趣味が異なっていた。要するにお互いの個人的領域には近寄りたくても近寄れないから、いらぬ干渉をしないで済む事は良いことだったかもしれぬ。

2020年3月17日火曜日

読後感「ウソだらけの健康常識」
著者 奥村康

ハウツー本を読むことはめったに無いが、友人が態々買ってきてくれたので読んでみた。健康に関するハウツー本であるが、読んで実に嬉しくなった。既に80歳、いまさら健康法でもないだろうが、昔から家内に健康オタクとからかわれていた小生である。50歳代の半ばまでは広告会社勤務のサラリーマンの常として、不摂生の極みを重ね、依って持っていろいろな病気を体験してきた。尿管結石、急性膵炎、痔、痛風、帯状疱疹、胆石での胆嚢摘出等々自慢にならない不名誉なものばかりだ。激痛に耐えかね入院も度々あった。

サラリーマン生活を終えた63歳から、現役時代の生活を維持するためには健康が最重要課題と位置づけ、家内の協力を得ながら生活態度を一変することにしたものだ。先ずしたことが、家の近くに仕事部屋を借りて現役時代と同じように、平日は毎朝家を出て夕方帰宅する習慣をその後10年継続したこと。自分のことだけ考え、酒を控える意味もあってゴルフや社交的交際を殆ど辞めてしまった。食べ物の管理は家内任せにしたことも良かったかもしれぬ。お陰で元気で70歳の坂も無事越えたが、一昨昨年の暮に家内を亡くしたのが痛恨の極み。それでも10年以上培った生活習慣を出来るだけ維持することにしている。

本と関係ないこと長々書いてしまったが、医学博士である著者が、本書の中で我が生活を肯定するようなことを専門的に記述してくれている。先ずサブタイトルが<「不良」長寿のすすめ>と来た。何とも嬉しくなる。著者は免疫学の国際的権威で年齢的にご同輩。医大卒業以来ずっと医学の基礎の基礎を探求し続けてこられていると同時に、世界的に種々の統計に精通しておられるので、健康と病気に関しては内容が万般に及び、生活者にとっては実に有り難い限り。

本書が説くのは先ず、年寄りはもう病気については余計な心配はするな、だ。今更薬を飲んだり病院に行くより、暗くならずに明るく生きろ。に尽きるように思える。残りの人生で苦い薬を飲むより美味いものでも食ったほうが余程マシ。著者の専門知識は素人には理解が難しいが、人間の身体はうまくできていて、自然治癒力がある。換言するなら病原体が蔓延する社会だが、自然体を維持できれば、体内にはそれを迎撃する軍隊も警察も備わっている、この考えは全く同感で、私も病気に打ち勝つには、医者よりも薬よりも自身の抵抗力を失わず若さを保つしか無いと思っている。

最後に本書で初めて得た知識、「ナチュラルキラー」細胞「と小腸と脳は同じくらい重要」との2点が非常に印象深かった。

2020年3月16日月曜日

気分一新

日が随分長くなって本格的春の感じがあるが、今月楽しみにしていた孫と筑波山登山が孫の予定が立たなくなってしまった。ま、いつまでも孫に甘えていてはいけないので、又今月も一人旅とすることにしよう。今朝接骨院の先生に聞くと、奥方が先週高尾山に行ったら結構混んでいたらしい。たしかに山は、混んでいると言っても都心に比べれば遥かに健康的かもしれぬ。何れにせよ、春は旅立ちのシーズン。気分一新のために2週間以内にどこかに行くことにしよう。

新型コロナウィルスの騒動も一段落したようだ。これまで日本の対策を散々貶してきたが、もうそれは止めることにしたい。考えれば国民に無用な心配をさせないと言う意味で、政権の取った政策は正解だったのかもしれない。相撲協会は九重部屋の幕内力士千代丸が39.5度の高熱で休場を発表しながら、コロナ騒動との関係は何も言っていない。本人は勿論今日から休場だが、場所今日も粛々と執り行われるようだ。心から敬意を表したい。大和魂そのものだ。オリンピックもなんとかなるのだろう。

これもこれまで政府が大金を掛けずして国民の不安を煽らない政策をとってきた賜物だろう。なんと言っても肺炎死亡者は普通でも年間9万人に達しているそうだ。1日にすれば250人以上らしい。これまでの肺炎患者のケアだけでも呼吸器外来は大変だろう。今年の外来患者の中には新型肺炎患者もいるだろう。しかしこれをわざわざ検査して新型コロナとして発表することに如何ほどの意味があるのか。分かったところで精々数千程度だろう。そんなことを考えれば安倍政権の方が遥かに頭が良いことにようやく気がついた。

米と味噌を少し買い溜めをしたことは書いたが、これも無駄だったかもしれぬが、腐るものじゃないから善しとしよう。週刊誌で生意気と叩かれているテレビ朝日の玉川徹氏に言わせると、これからの戦いで本当に心配すべきは、医療崩壊と金融崩壊だそうだ。欧州の報道では医療関係者がヘロヘロになっているシーンが紹介されているが、日本ではそれが無いようなので、一安心かもしれない。景気が悪くなっているのは誰の目にも明らかだが、銀行がヤバいなんてことは全然聞こえてこないし、例えどこか潰れても、ペイオフを心配するほどの大金は預けていないので関係の無い話だ。

2020年が歴史になってどう語られるかも無関係だ。今好きな場所に移動可能であることを感謝したい。

2020年3月15日日曜日

読後感「ザ・フォックス」
フレデリック・フォーサイス著 
黒原 敏行 翻訳

書店でぼんやり眺めている時、若い頃著者の作品を立て続けに読んだ記憶が蘇って新作のこの本に目が止まった。内容は省略するが、主人公は英国の元諜報関係のトップ、と彼が目をつけた天才ハッカーの活躍。随分近代的テーマを選んだものだ。事前の調査力は昔から優れたものを感じていたが、80歳を超えた老人には少し難しすぎるテーマであったかもしれぬ。そこそこの長編小説には仕立てられているものの、増量剤に多めの小麦粉混ぜて打った蕎麦のような感じで、少し単調に過ぎた。

先週半ば朝日新聞デジタル版に、一昨年500億円を超す盗難にあった仮想通貨NEMを、盗難品と知りながら現金化していた青年が逮捕されたとの記事が掲載された。その逮捕直前に朝日の記者が、この青年に何度かインタビューをしている。そこで青年が語った話の方が小説より遥かに緊迫感があって面白い。最初に貶してしまって申し訳ないと思う。しかし80歳を過ぎてこのテーマに挑戦した心意気は敬服に値するし、話の組み立ても時宜を得ている。

小説なかで展開される天才青年と超巨大国の戦いは、間もなく現実になるのではないだろうか。現代のコンピュータ機能はAIとかビッグデータをどのように駆使しているか、著者と同世代の日本人ファンの一人として想像すら難しい。これが中国の理科系に強い若者だったら、少し違ってくるだろ。例えば、この部分までは現実的、或いは近未来で可能性がある。とか、テクニカルな描写についても、もう少し書き込んでも良いのではとか言えるかもしれなし、それなりに面白く読めるだろう。

まるきり空想だとすればつまらぬし、かと言ってどこまでがリアルなのかが判然としないのが残念だった。いや、それが作者の狙い、才能がある証拠かな。著者の筆力に衰えが感じられなかったとして締めくくりたい。

2020年3月14日土曜日

もうすぐ春だ

本日は昼前から日本橋の高級天ぷら屋で酒盛り。強か飲んで最寄りの駅まで来ると、雨がみぞれに変わり、帰宅したら雪になっていた。今日の仲間は高校の同期生5人。内二人が嘗てこの界隈の大企業役員。その一人が設営してくれた。現役時代でもそう気安く入れなかった店のようで、ネタが厳選されていて、外は冷たい日だったのに一品ごとに春の香りがした。

5人とも意気軒高でコロナウィルスなんか知っちゃいない感じ。会話の大部分は昔話と、同期生の消息に関すること。高校時代親しく付き合った友人も、半世紀を過ぎると流石に音信が途絶えてしまうのもよくある話。しかし5人も集まると消息の糸口が見えてきたりする。男子校だったので色気のある話は無かったが、普段話し相手になってくれる人間がいない独居老人には何とも嬉しい一時だった。

2020年3月13日金曜日

昨夜から20時間

昨夜7時のニュースを観て思わずため息が出た。昨日が予定日だったとは知らなかったオリンピックの採火式の中継放送だ。流石に小池知事は出席してなかったようだがJOC山下会長は出席している。オリンピックの正式行事なれば、既に開会したのと同じだろう。トランプ大統領に言わせれば、賢い人が大勢いる日本の関係者たち、何故採火式を少し日延できなかったのか?素人が改めて言うほどのことではないが、大会本番の中止が既に確定路線であるのは全世界の指導者には明らか筈。しかし当事者のIOCが決定、発表する迄にはかなりの時間が必要だろう。

採火式を実行してしまったことはその問題をより複雑化させてしまった。採火式を延期することは本番に比べればそんなに難しくはなかったはず。何故日本は延期の要請をしなかったのか?東條内閣がアメリカ側からハルノートを突きつけられて「待ってくれ」と言えなかったことを思い出す。当時は最終通告とされていたから言えなかったのかもしれぬ。そういうところが変に几帳面なのが今も変わらないようだ。

今日は日米首脳会談が行われたそうだが、トランプ氏も意外に優しい。「俺は君の味方だ、やりたいようにやれ。いつも共にいるよ。」ぐらいは言っただろう。1年延期と言ったのも安倍晋三さんへの友情の証、まさか中止が妥当とは言えないだろう。先の大戦終了時には、連合国側がポツダムから降伏勧告宣言を発して、日本が受諾するまでに要した時間が約2週間。この間に広島と長崎に原爆を落とされるは、ソ連が宣戦布告をして国境を超えて侵略して来るは、で相当痛い目にあっている。

当時、早く負けを宣言しても、これらの被害が軽減できたかどうかはどんなに頭のいい人が考えても分からないだろうが。要するに負けを宣言するのは難しいとされる。しかし今度の相手はお化けみたいものではないか。負けて恥ずかしいことは何も無い。問題は被害をどうのように極小化出来るかだ。野党に頭を下げて連立内閣を立ち上げろ、なんて無理を言ってる人もいれば、潔く安倍氏が退陣すべきという人もいる。

今回のパンデミック宣言は昨日のこと。2週間後は25日だが、ドタ感で言うとIOCはもっと早く結論を出すだろう。それまでに総理大臣、都知事、JOCの裏ボスの3人は東條内閣よりはマシな動きができるかな?他人のことより我が身を考えた。亡妻は用心深かったので、食料品の備蓄は相当あった。ところが単身の気軽さで食料品の買い溜めはしないことにしている。それが急に気になって取り敢えず米と味噌だけは少し買い溜めをした。

序にティッシュペーパーを少し買おうと思ったら行きつけのスーパーには在庫ゼロ、入荷予定は分かりませんとのこと。

2020年3月12日木曜日

時の流れに~

年初の予定であれば今日はブログもお休み、信州志賀高原でスキーを楽しんでいる筈だった。しかし残念ながらそれは叶わないことになってしまった。80歳になる日も1ヶ月を切っている。「そういつまでも遊んでばかりしていてはいけません」との天の声が聞こえるようだ。時がゆっくり流れたか早く過ぎ去ったかは分からない。ただ誰がなんと言おうとも80歳とは超長生きだと思う。生を受けた昭和15年(1840年)当時の平均寿命は多分50歳が精々だった筈。

物心ついた4,5歳頃には、軍人になって20歳そこそこで死んでも男の子である以上仕方がないくらいに思ったこともある。そんな思いも束の間で日本から軍隊が消えた。その時父は南方(バリ島)に居て不在だったので、暫くは母と祖母が導き育ててくれた。そして刷り込まれたのが「例え国とか政府が当てにならなくても、世界中が敵になっても、ご先祖様がお前を守ってくださる。」だった。

どうも幼少の頃から単純だったのか、三つ子の魂で、誰でもそうなのか知らぬが、兎も角普通に成人して目出度く還暦を迎えることができた。1975年だから日本人の平均寿命も60歳は既に超えていたと思うが、実感でも歳をとった感じはしなかった。それから5,6年経つと同期生がぽつりぽつりと亡くなったり、すぐ上の兄が「70の坂を越えるのは容易じゃないぞ。」と言い残してすぐに亡くなってしまった。

当然ながら死というものが身近に迫っていることを思わずには居られない。その恐怖から逃げるために山歩きをして神社仏閣にお参りしたりしているのかもしれぬ。お陰かどうか、兎も角兄が言った70の坂も無事に超えた。当時は嫌な言葉だと思った「後期高齢者」との境も今となれば過去のこと。思えば生まれが東京オリンピックの年、大正バブルも少しは残っていたかもしれぬ。オリンピックが幻に終わり、本格的悪夢が始まった。

悪夢が終わったのが昭和35年とすれば、個人的には20年で収束したとも言える。それからほんの10年も経たぬ間に、お馬鹿な日本人は悪夢を忘れてなにか勘違いをしたようだ。そして又オリンピックも中止になるかどうかの騒ぎで、本格的悪夢が始まるのかもしれぬ。80年前とは異なり、世界的に医療を含む科学は進歩し、社会の整備状況も良いだろう。ただ現在問題になっている病気の特効薬と予防ワクチンは未開発であるのも事実。

治す薬が開発されるまでとなると、少し期間が必要だろう。オリンピックは兎も角、若人のために夏の甲子園ぐらいは実現してほしいものだ。

2020年3月11日水曜日

子年の春

彼岸の入りまで未だ1週間もあるのに今朝6時の時点で気温が16℃近かった。
昼食後の散歩から帰宅すると汗がびっしょり。暖かいのは大歓迎だが、異常なことに碌なものはない。如何なる根拠があるのか不明だが、昔から「子年」は騒乱の年とされていたそうだ。これがどこの国の言い伝えかは忘れたが、今年は世界的に言い伝え通りになってしまったのは悲しむべき的中だ。

別に第3次世界戦争が勃発した訳でもないが、それに近い感染症騒ぎだ。未だ最初の四半期も過ぎていないので、最悪の事態にも至っていないと見るのが世界中で共通している。何とか年内には収束すること願うばかりだ。個人的に言えば、一昨々年の暮に家内を亡くしてから約2年。少しばかり精進謹慎生活を送って、やっと喪明けと喜んだのに、又も謹慎生活を強いられるとは、である。

この災難の発生源は中国湖南省の武漢であるのはほぼ間違いないが、国による対策の違いもかなり明確になっている。かつて先進国と言われた欧米の国々でも国柄というのかそれなりの違いがある。アメリカなんかも一見するにクルーズ船対処は良かったようにも見えるが、日本に似ているところがあり、対策が後手に回りホワイトハウス内の汚染が進んでいるようだ。日本もそのうちに官邸や厚労省内の感染が指摘されるかもしれぬ。

日本はアジアで一番の先進国とばかり思っていた。ところが最近の経済指標からして東アジアの国と比較して先進国とは言えないかもと思い始めている。今回の騒ぎで色んな意味で中国はもちろん韓国や台湾などに比べて既に遅れ始めていることを実感し始めた。まさに気がついたら、経済や科学技術のみならず文化芸術分野でも中韓台の方が世界的評価を受け始めている。感染症対策でもその差がはっきり出ていると見たのは僻目だろうか?

アジアの国々がどのような教育制度をとっているか全く知らないが、突然の長期休暇に入った日本の児童は今どのように過ごしているのだろうか?テレビ報道されるのは自宅や学童クラブで自習に励む感心な姿ばかり。昔の己を思い出せば想像もつかない現象だが、現代だってこれ幸いと遊び呆ける子は少なくないだろう。兎も角事態収束の目処は立たず、国民の暮らしばかりでなく経済的見通しも暗くなる一方。目に見えない敵との戦いは何れ勝利するのだろうが、それが果たして何時のことになるのか。

オリンピックに関して言えば、開催日の2ヶ月前が中止決断の最終日とのこと。もし中止を決定する時、如何なる手順になるのか、誰か検討しているだろうか?

2020年3月10日火曜日

基本の大切さ

日本では昔からロマンチックな出来事の代名詞とされた暖かな春の雨の一日だ。しかし余りロマンチックな気分に浸れる御仁は少ないようだ。と言っても実際に暖かいし、辛夷がきれいに咲いているから春には違いない。今日は卒業証書を手にした和服姿の女性をたくさん見かけたが、付添のお母さんの姿は無い。傍目には寂しげな卒業式だったかもしれぬが、ご本人の晴れがましさは一入の筈。雨も降っていることだし早く帰宅して両親を安心させるが良いだろう。

全く自慢にならぬが、高校も大学も卒業式を欠席したのが慚愧の極み。大学は兎も角としても、勉強の基本を終了とされる高校くらいはけじめを付けるべきだった。だから未だにいい年になっても何事によらず進歩が無い。昨日の指導碁でも先生からいつもの事ながら注意されたことは「基本に忠実に」だ。指導碁については多くの先生からもう20年以上指導を受けているが、今の先生ほどこれに拘る先生はいなかったと思う。

囲碁は千変万化で二度と同じ勝負は無い。最低でも互いに100手くらいは打つとしたものだ。だから何が、或いはどこが或いは何時が基本か分からないのが正直なところ。先生は「常に」と仰る。先生の指導碁を見学していると、確かに先生はいつも基本に徹して打ち進めている。中には指導を受ける方で生意気にも己の勝ち気で先生に挑み、たまに勝つ人間もいる。囲碁の諺に「上手は変わる」というものがあり、上手い人同士が打つと、局面よって変化する場面をしばしば見受けるのも確かだ。

しかしそれは飽くまでプロ棋士のように脳みその構造が凡人と全く異なる人の場合の話、先生は基本を終了しないうちにそういった考えを持つのは上達しないとの信念があるのだろうと思う。普段打っているネット囲碁は相手が全くわからず、ただ棋力が同程度と言うだけだから色んな人がいるのだろう。時々思わぬところで奇手が飛び出したり、最初から基本では考えられないような布石が出たりする。これもまた囲碁の面白さだ。

最近は相手がどう出ようと、初心を忘れず飽くまで基本を大事にしながら勝率を上げたいと思っているが、世の中は複雑でなかなか思うようには行かないものだ。

2020年3月9日月曜日

新宿の碁会所

昨日も今日もブログを書けなかった。書くべきことが見つからないのだ。もう寝ようかと思ったが、未だ8時前で流石に早すぎる。読みかけの本もいいが、30分位で居眠りを始めるので問題につき、これを書き始めた。頭が回らない理由は家の中は勿論、ここ3日ほど殆ど人との会話が無かったせいかと思う。今日は月曜日だが、街はまるで大晦日のようにひっそりしている。

昼飯の会話は株価の値下がりの話、これも余り興味がわかない。まっすぐ家に帰っても陰気臭くなる一方なので、思い切って新宿の碁会所に言ってみた。案の定、普段は年寄りの碁打ちで50面くらいある席がほぼ8割がた埋まっているのに、どう見ても20人くらいしか客がいない。席亭は勿論大喜び、指導碁の先生もいつもは3面打ちで待ち人が後ろに控えて見学しているのが、今日は二人だけで、一人がすぐ終わったので数分待っただけで「どうぞお入りください。」と促されてしまった。

席について打ち始めると、席亭がどこかに掛けている電話の声が響いてくる。どうもどこかの役所と話しているらしい。「私一人でやってきたのですが、何とか助けて頂かないと、もう潰れてしまいそうです。」そりゃそうだろう、前から聞いていたが、この席亭が前の経営者から居抜きで店を継いで確か未だ数年と聞いたような気がする。新宿駅の近くだから立地は最高な上に、席亭の努力もあったのだろう。団体碁会の予約が多かったようだ。しかし碁会所の客は高齢者が殆ど。

昼過ぎに来て、夕方5時位には殆ど引き上げてしまう。中にはおじいさんを迎えに来る人や、電話で帰りを催促される客もいる。場所が良い分家賃も高いのだろう。24時間の内精々8時間と稼働しないのだから苦しいに違いない。昨年の秋だったかに、席料が千円から1200円に値上げされた時にさんざ聞かされた。たまたまその直前に行ったら、「今日回数券(確か10枚綴で1万円だった)を買って頂ければ、それをお使いいただけます。」と言われて購入した券が未だ5枚残っている。

先月までは居たような記憶がある外国人のアルバイトも今日は居なかった。電話がかなり長く続いたが、必死の思いがよく分かる。先生だって客が減るのは大変だろう。普段指導碁を2回なんてことは無いのだが、今日は2回お願いしてしまった。先ずアルバイト、次が先生か席亭かは分からないが、皆必死のようだ。席亭は無利子無担保の公的融資が受けることになれば良いが、アルバイトや先生はどういうことになるのかな?

因みに先生の指導碁(1回2500円)は、普段最低でも10人くらいは楽にこなしていたが、今日は4人で終わったようだ。

2020年3月7日土曜日

感染症今昔

最近日本では癌や心疾患、脳血管疾患が死亡原因の上位にあって肺炎はその次に位置している。しかし子供時代と言うか中学生になるくらいまでは、我が国で最も恐れられていた疾患は感染症の肺結核だった。3歳時の時に父が南方に出征したので、家族は熊本から母の実家長野に戻り、父が復員してきた小学校入学時まで祖母や伯父たちと同居させてもらった。ところが同居していた伯叔父のお二人が紛れもない肺結核で自宅療養中だった。

当然空気感染の可能性はあったと思うが、詳しくは知らない。足掛け5年も複数の家族が同居するのは当時は珍しいことではなかった。この間に市内から松代という更に田舎に引っ越したり、途中で叔父が亡くなったりはした。最近シリア難民に関するテレビ報道を観て何となく当時を思い出すが、彼らの環境と異なるのは長野の場合は戦争に巻き込まれる心配が少なく、住居が失われなかったことだろう。

シリアだって同じだと思うが、田舎の家は広い。多人数の寝起きに不自由は無い。今回のコビット19騒動でも言われているが、子供は感染症には強いようでもある。大勢の兄弟や従弟妹達が同居していたが、この間に発症した者はいなかった。しかしである、昭和22年(1947年)小学校に入学するとすぐに、学校では結核予防策が行われていた。敗戦とは言え日本の衛生観念(軍国主義の数少ない良い点)は高いものがあり、校医(学校が契約している市内の内科医)が来校して全児童を検診する機会が設けられ、更に結核感染症予防の観点から毎年ツベルクリン検査なるものが実施されていた。

今しきりに言われるPCR検査とは異なり、前腕をわずかに傷つけ、結核菌ではないだろが何かを塗りつけて数日後に反応を見る検査だ。これで反応が出ないと陰性と判断され、後にBCGなる予防ワクチンのような注射をする仕掛けになっている。ご同輩諸氏は殆ど経験されているのですぐご理解されると思うが、お若い方には下手な文章でご理解願えないかもしれぬ。兎も角、小生は小学1年生から目出度く?ツベルクリン検査が陽性だったのでBCG注射のお世話になったことが無い。

自分で考えてもそりゃ当たり前だ。なんたって結核菌が蔓延している家に5年も住んでいたのだから。お陰と言っては語弊があるだろうが、中学1年になってやっと、校医の診断と保健所で撮影された35ミリのレントゲン写真で肺浸潤と烙印を押され、体育授業は見学となり、夏休み校外授業のアルプス登山への同行を禁じられてしまった。未だにそのトラウマが残っているかもしれない。

久し振りに呼吸器系疾患が話題になってきたが、昔で言えばストレプトマイシンのような特効薬が誕生するまでにそう多くの時間は要しないだろう。しかし世界に蔓延しつつあるこの病気が、日本のような場当たりの対策で、1年足らずで克服出来るとは思えない。

2020年3月6日金曜日

コビック19狂騒曲

池袋が特別ではないだろうが、大きなキャリーバックを引っ張って歩く人がめっきり減った、と言うより今日は一人も見なかった。年寄りには有り難いが、観光産業で潤ってきたご商売の方には相当な打撃となるのは必須。英国では早々に国内航空大手が倒産したそうだ。社会の構造が余りにも複雑になっているので、この騒動が社会のどこにどのような形で現れるか想像がつかない。少なくとも池袋の地下街が歩きやすくなったと喜んでいる場合でないことだけは確かだ。

マスクや消毒液が不足していることに対して政府がいち早く手を打って、国民に向け「メーカーに増産を指示したので量的不足はすぐ解消します。冷静な行動を。」と呼びかけたが、国内メーカーの生産量の8割は中国産だったとのこと。成程これでは品不足は当分解消しないだろう。昼に行きつけの食堂の女将が「ライフ(行きつけのスーパー)の営業時間が短縮されていますよ。」注意を促してくれた。

マスクについては必要性を感じていないし、買い物は昼飯の後と決めているので、今のところ個人的に不便はないが、報道やご近所の親切などで騒ぎの影響が少しずつ接近してくることを感じざるを得ない。毎日の生活に欠かせないものは食料、努めて外国産食品には手を出さないようにしているが、日本の食料自給率は40%以下。中でも中国産は多い方だろう。中国からの輸入は殆ど止まっていると思うが、これが長引けば我が生活に支障が生じる可能性もある。

暖冬で野菜が値下がりしていると聞くが、騒がれるほど値下がりを感じない。最近イチゴをよく買うが、畑で大きくなりすぎて廃棄処分するくらいならもっと安くしてくれだ。余計な話をしたが、生鮮食品の輸入が細れば価格の高騰につながりかねないし、これは防ぎようも無いだろう。今日たまたま池袋で和服に紫色の袴姿の人を一人見かけた。どこかの短大か大学が卒業式でもしたのならテレビニュースものだろうが、たった一人だけなので違う生徒さんだったかもしれぬ。

卒業式が無くなると花屋が困るそうだ。「卒業式や結婚式が減っても葬式が増えればいいじゃないか。」なんて言ったら張り倒されてしまうだろう。中国と韓国からの入国が禁止に近い状態になってネトウヨ連中は喜んでいそうだが、池袋のホテルや食い物屋は売上減少で苦労するだろう。西口のメトロポリタンホテルは一時食堂を利用できぬほど混雑していたが、これからはキャンセルが相次ぎ利用しやすくなるかもしれぬ。朝日新聞デジタルに「こんなに違う台湾コロナ対策 IT駆使、マスクも買える」なんて記事が載っていた。
https://digital.asahi.com/articles/ASN35436VN31UHBI01L.html?ref=hiru_mail_topix1

2020年3月5日木曜日

IT技術革新

歳を重ねると好奇心は薄れ、動作は緩慢即ち遅くなるとしたもので、その例に洩れないのは当然のこと。これでも若い頃は人並みの好奇心を持ち、新しい物、即ちスピードのある乗り物、効率の良い機械にが欲しかった時代もある。最たるものが自動車だっただろう。大学生時代、実家の兄から中古のプリンスを購入したと聞いて、胸がときめき夏休みの来るのが待ち遠しかった記憶がある。就職したのは広告会社の営業だったが、二つか三つのグループに別れ、各グループに曲りなりながら自動車が割り当てられていた。新人がハンドルを握るのはガソリンスタンドに行って給油と洗車をする時くらいだった。

それから20年も経った頃には会社の車も随分立派になり、こちらもそれなりに昇進していたので、会社の車を自家用車代わりに使えるようになっていた。更に5年経った時、不幸にも急に思い立って会社を辞めてしまった。同時に車との縁が切れた。次の就職先でごくたまに運転を命じられることもあったが、50歳になる頃は車への興味が全く無くなってしまった。

次に出現した機械の代表は携帯電話、ワープロ、プリンター、パソコンの順かもしれぬ。これは個人的記憶で書いているので、必ずしも世の中動きと一致はしないだろう。兎も角それぞれを個人的に持つようにはなったものの、これらの機械は自動車に比べると進化のスピードが桁違いに早く、購入して1年はおろか数ヶ月単位で新機種が出現して、利用方法、使い勝手が猛烈な勢いで変わり、社会に大きな変革を齎した。

その変化に何とかついていこうと頑張れたのはどうだろう?最初の会社を辞めたのが47歳の時だから、精々その後10年かおまけしても13年60歳くらいまでの筈だ。社会の変化についていけなくなった事に徐々に気づき始めてから、技術革新に関する興味も段々と薄れてしまった。ところが昨今の報道で中国や韓国や台湾などのコビット19対策に関するビッグデータ利用やAI利用の実態を垣間見るようになると、この方面における日本の遅れが目を覆うばかりだ。1年前に偶々中国四川省の成都で宿泊した時、現実を目の当たりにしてびっくりしたが、その進歩は益々加速しているようだ。

日本では、民間の経営者では堀江貴文氏、楽天の三木谷浩史氏、ヤフーの孫正義氏、自民党で平井たくや氏や平将明氏がそっち方面の一人者としてよく登場してくるが、果たしてこういった方々で日本のIT戦略が的確に構築できるのだろうかと疑問を持たざるを得ない。政治は実績と言うならば、日本のそれは既にアメリカやイスラエルは知らぬがアジアの国々でも周回遅れになっている可能性が高い。スピードと効率には無縁ではあるが、若い人たちが可哀そうだ。

2020年3月4日水曜日

ふと顧みて

昨日はひな祭りに相応しい麗らかな日和だったが今日はうって変わり、朝より昼の気温が低かったと思う。更に小雨がしょぼ降る、街に人影は少なく陰々滅々、真昼間なのにまるでお通夜の帰り道。日本だけではないかもしれぬ、世界中に似たような光景が繰り広げられているのだろう。僅か1ヶ月前には想像できなかったが、首相が記者会見までして<ここ1,2週間が山場>と言ってから既に1週間過ぎている。

国会中継を見ると、政府は首相を始めとして相変わらず<ここ1,2週間が山場>と言っている。前言を翻す事に何の恥も感じない政府だから仕方ないが、この事態の収束は相当長引くだろう。取り敢えず3月半ばに予定していた今シーズンのスキー仲間の会は中止になった。他の日常生活はできるだけ定形パターンを変えずに頑張っているが、この先ひょっとすると、これも変えざるを得ないかもしれぬ、と歩きながら考えた。

未だ1ヶ月あるが、既に80歳。思えば長い人生だった。苦しいこともあったと思うが、思い浮かぶのは楽しいことが多い。第三者、特に幽明境を異にする両親や妻が雲の上からどのように見るか知らぬが、自分とすれば満足していることが多い。成し遂げたと思うことが一つも無いのが良いのだ。先ず今年中止になったスキーもそうだ。来年以降もうスキーなんか出来なくなるかもしれぬ。生死を含め個人的な体力問題かもしれぬ、地球環境問題かもしれぬ。スキーがもう出来なくても良いのだ。長い人生でスキーは十分楽しんだ、大満足だ。

子供の頃か行きたいと思ったスキー場は国内外含め数多あり、殆ど行けてない。スキーの技術も同じ仲間内で中の上か上の下くらいまで行ったかな?山歩きだって同じこと、個人的には十分楽しんだが行きたい山は未だ数多い。だけどこれ以上行くことができなくなっても大満足であることに変わりない。

囲碁も同じ、普通の人から見ればザル碁もいいとこだろうが、何十年も楽しんできたのでこれも大満足。読書も同じ、ブログも同じ、やりたことは沢山あるがやり残したとの思いは無い。コビック19に特別危機感を持った訳ではないが、100年も生きたいとも思わないし、高齢者が罹患すると重篤化すると言われる新型肺炎に掛からぬという保証は無い。午後ずっと現時点でも参議院予算委員会を視聴しているので、つい人生を振り返ってしまった。

2020年3月3日火曜日

組織の思考硬直

浪費癖のあるバカ亭主のために家内が密かに準備していたのであろう、ささやかな株を残してくれた。これを今でも持っている。このところ証券会社から何も言ってこないので値下がりしているのは容易に想像できる。しかし株の値下がりに文句をつけるほどの立場でないことも十分承知しているつもり。今問題はコロナ対策であり、経済基盤全体の地盤沈下の下支えの筈。

ところが昨日の朝に突如日銀総裁が談話「今後の動向を注視しつつ、適切な金融市場調節や資産買い入れを通じて潤沢な資金供給と金融市場の安定確保に努める」を発表して胸を張っている。難しいことは分からないが、なんでも5千億円以上の対策費をいわゆる市場に投入するとのこと。この発表に株式市場が敏感に反応したのは言うまでもない。

経済対策には諸々あって、アメリカに準じて同様の政策を取るのは責められるべきことでは無いかもしれぬ。しかし先週末に政府から打ち出された新型コロナウィルス対策の費用は半分以下の2700億円だ。比較するのが妥当かどうかも、対比してことの善悪を判断するほどの知識は持ち合わせない。ただ昨日の参議院予算委員会で質問した国民民主党の足立信也氏の言葉が印象的だ「首相はパニックになっているのではないか?」

首相にせよ日銀総裁にせよパニクるほどウブではあるまい。しかし、日銀の判断や政府の判断を総合的俯瞰的に見ろ時、なんかチグハグでしっくりこない。トップの総合的決断力欠如と切り捨てるのは簡単だが、愚考するに日本の行政組織が余りにも硬直化しているところに問題がありはしないか。

足立信也氏は元々医者(専門は外科のよう)で、民主党政権時代に厚労省政務官を努め、今話題の「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の取り纏めに尽力されたとのこと。<話題の>と書いても知らぬ方が多いと思う。要は当時流行した新型インフルエンザへの対処を定めた立法であるが、これを適用すれば政府が先週発表した基本方針よりはるかに適切な措置を講ずることが可能とテレビでは出演する専門家の殆どが指摘している。

ところが、政府は民主党政権時代の法律なんか頼ってたまるか、で新たな立法をと力んでいる訳。そして国民に対し冷静にとかなんとか言っているが、実際になす事の全てが後手後手に回っているのはご承知の通り。全く笑い話のようだが、先月NHKが放送した226事件に関連した「海軍の秘密記録」を思い出した。国家の一大事に協力すべき間柄でありながら、実態的には組織の論理が優先され、肝心な時に協力どころか敵対関係に至った経緯が詳細に残されていた。今日、与野党協力なんか望むべくもない。

2020年3月2日月曜日

瀬戸際と正念場

昨日行われた東京マラソンは一般参加者の参加は見送られ、今月8日から始まる大相撲の無観客試合試合が昨日決まった。19日から始まる選抜高校野球大会がどの様になるかは未だに分からない。7月末からのオリンピックは基本的に開催の方向で準備が進められている。27日に発表された政府方針によれば「ここ1,2週間が感染拡大を食い止める最大の山場」だそうだ。27日から2週間と言えば今月13日、これを過ぎると最悪事態が収束に向かうなら結構なことだ。

素人考えだが、新しい事態の山場がいつになるかなんてお釈迦様でも専門家でも分かるはずもあるまい。ならば「取り敢えず2週間程度様子見をさせてください」というべきところだ。政府の方針が曖昧で矛盾にに満ちているのは、何も頭の悪い首相の判断に依ったからと断言してはいけないと思う。確かに24日に開かれた専門家会議の提案に全国一律の学級、学校閉鎖が必要とは一言も書かれていない。むしろ高齢者対策の重要性を述べている。しかし、ここ1,2週間が正念場と、首相に政治決断の下駄を預けた罪は重い。

政治決断を求められた首相は当然ながら側近の秘書連中と相談して、基本方針を発表する以上は、北海道知事以上にインパクトあることを盛り込みたいと思うのは目下評判が落ち目の政治家として当然だったかもしれない。でも残念なことに国民の反応は期待に反したものになってしまった。首相にすれば嘘を言ったわけでもないのに、何故ここまで叩かれるのか不思議に思っているだろうが、根拠の無い決断は事実を覆い隠す嘘と大差がないことを知ることになれば良い勉強になったことだろう。

むしろマスコミは首相の言葉尻を論うのではなく、政府が発表していない日本の診療体制の現実と問題点を明らかにしてもらいたい。感染症対策が完備されている病室や医療スタッフがどうなっているのか?専らクリニックにお世話になるのが精々なので、いざという時駆けつける病院がどこにあるかぐらいは知っておきたいものだ。

この騒動、娘世代の主婦が怒るのはある程度理解するが、我々世代が騒ぎすぎてはいけないそうだ。ある友人との会話で「俺は毎日のように電車に乗るが、最近はつり革を握る人間がめっきり減ったぜ。」と友人曰く「感染するか否かは宝くじに当たるかどうかと一緒のこと、びくびくするなよ。」とのこと、上手いことを言うものだと感心。今月半ばに昼食会の約束をしたが、その頃世の中は山場を超えているはずだが、果たしてどうなっていることやらだ。

2020年3月1日日曜日

初めての皇居

極めて単純化した生活パターンで過ごすようにしているが、パターンの合間に少し変化をもたせたいのは言うまでもない。その一つが食生活、基本的に朝飯は必ず自分で作るので旅行に出掛けるときは別にして毎朝同じ。トマト一個に納豆と豚汁。納豆や豚汁の作り方は色々あるだろうがいつも同じ。昼と夜は外食したり簡単な食品を買ってきたりする。

要するに日常的摂取栄養素のうち動物性蛋白は、豚汁の豚と納豆の生卵が基本になっている。その上、昼の外食でもトンカツとか生姜焼きとか肉野菜炒めとか、何故か豚肉が多い。そこでたまに牛肉を無性に食べたくなる。昨日は天気も上々だったので久し振りに有楽町まで足を伸ばして行きつけの「素敵庵」に行った。ここで腹一杯にして本当は映画でも観たいのだが、面白そうな映画が無い。

仕方なくいつもどおりの腹ごなしコース、桜田門まで歩き始めた。外堀の縁を歩き祝田橋まで来た時に急に気が変わった。いつもなら真っすぐ行って桜田門から地下鉄に乗るが、今日は先程の店もガラガラだったし、ここまでの人通りも少ない。なので、右折して大手門から皇居東御苑でも散歩して帰ることに。右折して東京駅正面を越し大手門手前まで来るとお堀の奥に人だかりが見える。野次馬根性で何事ならんと近づくと皇居見学希望者の列だった。

60年以上東京に住み、東御苑は毎年何回も足を運ぶが皇居の中は観たことがない。良い機会なので少し待ち時間が長そうだが見学会に参加を申し込んだ。土曜とは言えウィルス騒動のせいで意外に人は少ない。とは言え広い待合室には外国人を含め、楽に300人は超えそうな人が待っている。多数の外国語を含む案内を聞いていると、少なくとも5ヶ国以上になる。結局は日本人が一番多かったが100人まではいなかった。

カメラを持っていなかったので、案内職員の説明を聞きながらゆっくり皇居の中(桔梗門から入って宮殿の東面を経由して二重橋を渡り往復するコース)を観ることが出来て良かった。皇居には現在上皇ご夫妻がお住まいとのことだが、当然ながら見学コースからは人の生活感を一切感じられず静寂そのもの。元は徳川家康が築いた城郭であるが、全体的に神聖なお宮さん(神社)のような印象を受けた。上京以来60年以上経つのに一度も参賀に来た経験がなかった。参賀は年に2回、正月と天皇誕生日とのこと。世が世なら非国民かもしれぬ。

できるだけ人混みを避けて身を置いていたつもりだったが、帰宅すると喉がおかしくて変な咳が出る。洒落にならぬがやられたと思い、愛用の風邪薬「改元」を飲んで寝たら今朝は収まったようなので一安心した。