2015年2月27日金曜日

国会質疑?

先週から今週にかけて衆議院予算委員会がボチボチ行われている。総理が出席すると安倍さまのNHKが中継することになっているらしい。従って今日もテレビで中継がされたようだ。暇が大分あるので、野党の質問が中心だがパソコン等で結構見ている方だと思う。中には非常に共感を覚える質問があるが、政府答弁を聞く限りがっかりすることが多い。むしろ、改めて国会質疑の本質について疑問を感じざるを得ないと書いた方が適切かもしれぬ。

以前からそうであったのかもしれぬが、今日の質問でも維新の党の江田憲司氏が「国会の常識は世間の非常識」と指摘していたが、全くその通りだ。民主主義の原則は多数決にあるので、最終的には採決すれば結論が出て予算案が通ることははっきりしている。それをいいことに、政権側はそれまでは何を言おうと許されると確信しているとしか思えない。つまり、質問に対してまともに答えない、質問をはぐらかす、質問されていないことなのに、自分の都合を長々と喋る。

小中学生は国会質疑なんて見ないから良いようなものだろうが、もし見ることがあれば教育上全く良くない。もし生徒達が生徒会でがこんなトンチンカンな質疑をしたら、先生はかんかんに怒るだろう。予算委員会でこの先生の立場にいるのが予算委員長、質問者の野党議員も先生と思っているのだろう、しきりに委員長様と持ち上げる。それが大森氏を思い上がらせてしまっているのかどうか、この人の仕切りも全くなっていない。

面構えからして偉そうに構えて、野党の質問者に対して怒鳴り付けたりしているが、調べてみると小生より遥か後輩の若造である。少しは政府側の答弁者に対して、もう少し誠意ある回答するように促しても良いと思うが、その様子が全く見えない。どうせ予算案は最終的に原案通り可決される筋書きになっているのだから、せめて議論だけはまともに噛み合わせる努力をすべきだろう。昔の自民党には、与党の立場を弁えた政治家が居たような気がする。国会は与党三分に野党七分で立論の機会を与える、それが万年与党自民党の見識であり、又貫禄でもあったのだろう。

聞いているとその貫禄がまるで無くて、まるでチンピラ・子供の喧嘩以下のやり取りだ。文科相ともあろう人間が、都合の悪い質問に対して答弁席に立つや「お前の言いぐさはなんだ、発言を取り消せ」とは聞く堪えない。聞いている立場からすると政治資金問題はもう聞き飽きた。野党には質問してほしくないのだが、マスコミが取り上げた以上はある程度質問しない訳にはいかぬのだろう。マスコミが嘗ての小沢問題の時のように徹底的に叩かないのも中途半端でよくない。

今朝もテレビを観ていると、安倍氏のスポークマンのような共同通信の田崎史郎氏が、現在続出している現政権の政治資金問題は特段問題視するほどのことではない、と事も無げに切って捨てていた。臆面もなくこの発言をさせるテレビ局の神経も疑うが、マスコミがこの状況では、野党がこの下らぬ政治資金問題で貴重な時間を使うのも無理ないことかと思ってしまう。

2015年2月26日木曜日

金も無いくせに

人間社会には様々なしがらみがあるが、年齢によって大きな変化をすることを実感する日となった。500万円にも満たない乏しい蓄えの中から、今日1日で100万円以上の支出を決断したからである。毎日千円未満で昼飯代とすることを心掛けている身としては、久し振りに少しリッチになった気分でもある。度々書いているが、平成15年サラリーマンを辞めて、細やかな個人事業を立ち上げた。

その際、自宅を事業所在地として登記したが、夫婦円満の秘訣はべったりし過ぎぬことと心得て、近くのぼろアパートに1室を借り受け事務所とした。サラリーマン時代と同じような時刻に、自宅から事務所に出勤できるわけである。起ち上げた事業が曲がりなりにも仕事になっているうちは、当然ではあるが何の違和感もなかった。しかし約3年前から仕事が無くなったので、本来であれば、その時以来事務所は閉鎖して終日家に籠るべきだったかもしれない。

自宅から徒歩約10分の事務所の家賃は月8万円でだから、決して安いとは言えない。それだけに居心地は最高と言えないまでも決して悪くなく、気に入っている。実は起業当時、最初に借りたアパートの家賃は月7万円だった。このアパートの程度が非常に低くて、昭和38年に初めて上京した時に借りたアパートと大差ない部屋だった。それが5年前だったか取り壊しになるとのことで、探し当てたのが今のアパート。

当時は未だ仕事が続いていたので、1万円くらい高くても何とかなるだろう、と甘く考えていたものだ。ところが世の中の変化はそんなに甘くない。新しい事務所に引っ越した年あたりから風向きが変わり始めて、たった1社の得意先の雰囲気が変わり、売り上げが20%減り、その翌年も又30%ダウンすると、その翌年にはお役御免となって、平成25年度から売り上げがゼロになってしまった。

得意先に新しい担当者が来て様子がおかしくなり始めると同時に、こちらも仕事への意欲が無くなり、手元の書類を確認すると平成23年4月から社長を代わってもらった。彼は別の会社に勤務していて、そこの社長も了解の上、席はそちらのままで、こちらの仕事をしてくれることになった。その時の条件として、小生は無給になるが、事務所の家賃は会社に負担してもらうことで新社長と約束した。当時の仕事量からすると、社長の給料の支払いが精一杯でとても家賃は出ない状況だったのだが、資本金300万円が手つかずで残っていたので、これがゼロになるまではいいでしょう、と合意したのである。

昨年の今頃、この新社長に事故が起きて不幸にも亡くなってしまい、今年度から又社長に復帰した形ではあるが、仕事が無いのだから家賃で資本金を食い潰しているだけである。そして来年度どうするか、その決心の日が今日だったと言う次第。と書けば些か大げさで、今更100万円の残りを惜しんでも仕方ないので、最低でもあと1年はこの事務所を借りることに決めていた。兎に角、毎日が快適であることが大切で、この環境が後1年続くと思えば嬉しくて、気分が爽やかだ。しかしその後のことは分からない。多分へそくりがスッカラカンになるまで自宅に戻らないことだろう。

冒頭にしがらみ云々と書いたが、誰しも若い頃は義理と人情のしがらみに絡まれて難儀するとしたものだろう。その若い時に義理人情を少し蔑ろにしてでも、蟻さんみたいに沢山溜め込んであれば苦労はないだろう。完全リタイアすると義理と人情のしがらみからはすっかり解放されてさっぱりするが、懐が急速に寂しくなって、今度はお金のしがらみで苦労しなければならない。しかしお金の問題は個人的我慢とのトレードオフだから、本当は大した問題ではない。

人間は常に克己心を念頭に生涯勤倹貯蓄に励むべきが、我が父の教えで、父はその通りの人生だった。その対称にいたのが母の存在で、母は特に晩年、お金に執着することなく使うことだけ考えていたような気がしなくもない。他にも昔は貧乏人が多かったせいか、或いは皆若かったせいか「金は天下の廻りもの」と言う喩えをよく聞いたが、最近は余り聞かない気もする。小生の考えはどちらかと言えば、叱られるかもしれぬが明らかに母譲りと思う。

2015年2月25日水曜日

農水相辞任

長いサラリーマン生活で霞が関の農水省に何度足を運んだことか、農家の出身ではないにしても、旧農林省、現農水省には知人も多いし格別の親しみを感じている。しかし何故かしら農水相は縁起が良くないみたいだ。今回もまた発足したばかりの内閣で農水相辞任となってしまった。昔は自民党農水族と言えば総理候補者の人材が集まり、政権内部で相当な発言力を持っていたと思う。

ここ10年くらいだろうか、どうも総理が農水省を軽く見て、出来の悪い人材を大臣に任命しているような感じがしないでもない。食料の供給は何処の国に於いても国家基盤の基本中の基本であろう。現在の日本は食料自給率が40%を下回っているとされている。数字だけからすれば安全保障問題にもなりかねない低い水準だ。但しこの数字はオリジナルカロリーベースで、穀物飼料が入っているので、実際に国民が口にする食料ベースで言えば70%を上回るとも言われている。

主食の米については国内産米はご承知の通り、供給過剰で減反政策を取ってきたくらいだ。気候は温暖で水にも恵まれている我が国は正に豊葦原瑞穂の国、別にゴルフ場を潰して畑にしなくても、いざとなれば食料供給の心配は無いと教わってきた。ただその時は野菜や魚が中心の我々が若い頃の食生活に若干戻るのかもしれぬ。幸い自然条件はこのように未だ安全ではある。しかし、農林水産業を守っていくために更に重要なのは農家と漁業関係者の存在である。彼らの存在が無くなれば元も子もない。

問題は農家や漁業従事者が減ってきていることだ。総理自身が「農業を輸出産業に」なんて大層なことを言って、農業改革を政策の大きな目玉だとしている。そしてその農業改革の柱が農協改革で、全中潰しと来たものだ。農協の方が遥かに実態が分かっているので「潰せるものなら潰してみろ」と開き直ったかどうか。兎に角、掛け声の割には非常に中途半端に終わっている。農業や漁業は自然相手の産業で、生産効率の向上が簡単と思う方が間違いだ。その上この一連の騒動に加えて今回の農相辞任である。

農協潰しもTPP加入も全て宗主国アメリカ様の言いなりであることは歴然としている。そのアメリカの下心が300兆円を超す農協マネーにあり、郵政改革と同じ伝でそれをアメリカに取り込もうとする意図を知ってや知らずや、何で政府がお先棒を担ぐのか理解に来るしむ。加えて農林水産業の大切さが分からない都会育ちの政治家たちがこれまた「生産性の向上」という経済学者のお題目に悪乗りして机上の空論を並べたてている。

農水官僚の中には日本の食料産業の構造をを正しく理解している人は沢山いる筈だ。その官僚たちを強引に政権の方向、ひいてはアメリカの意向に沿うように仕向けているのが最近の農水相であるのは間違いない。西川氏が辞任することで、少しは現場を重視する骨のある農水相が誕生してくれればよかったが、今度の林氏に至っては西川氏以上に農業とは遠いポジションである。親爺さんは通産官僚、自身は東大、ハーバートの出身と来れば英語は得意だろうが、である。

現在厳しい環境の中で農業を守っている人たちの思いはどうだろう?「俺一代を以て辞める」という人が増えたらどうするのか?農林漁業は大学を出た人達だけでは成り立たない産業であるのは自明のことだが、それが分かっていないようなので恐ろしい。

2015年2月24日火曜日

少年時代の友人

年を取ると日月の進歩が一層早くなると言われたものだが、確かにその通りだ。特に孫を見ているとその思いが一層強い。中学にしても高校も同じことだが、つい先日入学したばかりの筈なのに、あっという間に最上級生の3年生になってしまう。若かりし頃を思えば、高校の3年間は実に長く、様々な思い出に溢れている。孫たちのことについて聞いていると、入学の喜びも束の間で。2年生の冬ともなれば、翌年の大学入試の準備を始めるものとしたものらしい。

我が孫も既に準備の心構えを整えているかどうかはしらないが、一般的にはそう言う事らしい。今朝の新聞に大量の高校生向け予備校の折り込みチラシが入っていたので、そんな話題になった。高校生が勉強に打ち込むことは結構なことで、別に非難すべきことではない。我々の時代でも、3年生になっても遊び呆けていたのは己くらいのもので、大多数は勉強に勤しんでいたと見た方が良いのかもしれぬ。時間的な感覚も、年寄り故に妙に短く感じたこの2年間も、孫にとっては思い出に溢れた長い時間だったかもしれぬ。

する事なす事が単純化してくると、どうしても月日はあっという間に過ぎてしまう。高校生になった孫二人も、彼らなりに毎日新しいこととの出合いがあって充実した日々を送っているものと信じたい。ニキビが吹き出たり、女子生徒が気になったり、悩みも多いかもしれぬ。その割には時々送られてくる写真なんか見ていると、何れもあっけらかんとした顔をしている。小中学時代一緒にスキーに行った時と余り変わりが無い。

悩み多かりし昔を思うと、いろんな悩みがあったけれど、勉強が出来なくなっていくことについてだけは余り悩まず、あっけらかんとしていたような気がする。今になって悔やんでみても遅いのだが、血の繋がりで同じ轍を踏まぬことを祈りたい。プラス大切なことはやはり友人関係だ。友達は大切で、無いことが一番困る。多ければ多いに越したことはないが、中学生をいじめて殺してしまうような仲間にだけはなってくれるなよ。

川崎で余りにも悲惨な事件が起きているので、つい余計な心配をした。

2015年2月23日月曜日

お医者様でも草津の湯でも~

「恋の病は こりゃ 治らせぬよ~」残念ながら、こんな高尚な事柄については養老孟司先生にでもお出まし願わないことには皆目分からない。いま思いついているのは脳の働きと関係があるかどうか知らないが、週末以来我が身を襲っている人体の妙についてである。

実は土曜日の夜間、鼻づまりが著しくて、珍しく睡眠不足になってしまった。昨日プールで、いつも互いの老化を嘆きあうご同輩に話したところ「風邪でも引いたんじゃないの?我々世代ともなると、身体の不具合発生は日常茶飯事だから仕方ないでしょう。ま、すべては加齢現象と諦めて風邪薬でも飲んで寝るにしくは無いでしょう。」と軽くいなされた。鼻づまり以外に問題は無いのだからそうかもしれぬ。医者に行くほどのことでもなかろうと、家庭常備薬「改元」を飲み、昨年秋に貰ってあった点鼻薬を挿入して就寝に及んだ。

ところがである、日曜朝になってもすっきりしない。土曜日と同じように午前中は泳いで帰ってくると、今度は鼻水が止まらない。鼻をどんなに拭っても、後から後へと鼻水が滴り落ちてくる。鼻水は夜中も出続け、今朝も朝から止まらない。食事中であろうとトイレの中であろうと、所構わずなのでたまらない。仕方ないので朝一で行きつけの耳鼻咽喉科に飛び込んだ。先生の見立ては「アレルギーみたいですね」となった。

この先生の所には大分前から通っているので、カルテをひっくり返して確認しても、以前に花粉症などのアレルギーが発症したことはない。何年か前、風邪で内科に掛かった時に、数種類のアレルギーの検査をしてもらったことがあるが、その時にも完全に陰性だった。兎も角、症状としてはアレルギーとしか言いようが無いので、それに対する処方をしてもらうことになる。ところが「前立腺肥大がありましたね、アレルギーを抑える薬はおしっこが出にくくなるので、余り強い薬を出せないのです。取り敢えず弱い薬と、別の点鼻薬を出しますので、これで暫く我慢してください。」とのこと。

今回の点鼻薬は、粉末状なので1日1回しか用いないでくださいとのことで、薬局で薬を受け取ると、点鼻薬は就寝前に使うのが良いだろうとのこと。「辛そうですね!」と同情されても、大きなくしゃみと鼻水は一向に改善されない。そこでハタと思いついたのだ。先週の水曜日から前立腺癌の治療が始まって、男性ホルモンを抑える薬を服用し始めている。処方してくれた泌尿器科の先生が「いろいろな副作用が出る可能性があります。」とのことで様々可能性について説明をしてくれた。その前提になっているが「特に女性の更年期障害と同じで、意味も無く身体がほてったり汗をかいたりすることもあります。」だった。

医学的知識が皆無だからホルモンの何たるかも知らない。しかし、人体とはやはり微妙なものだ。食った野菜がどうすれば血となったり肉になるのか分からないのと一緒で、ホルモンバランスがアレルギー体質に影響を与えることが無いとは言い切れないのではないだろうか。勝手にそう思って納得することにした。それにしても辛い日がどこまで続くのだろう。

2015年2月21日土曜日

野党の作法

昨日の衆議院予算委員会で民主党の前原氏が、その前日、同僚議員が西川農水相の献金疑惑で質問した際に総理からヤジを飛ばされた件で、総理に謝罪を要求したようだ。テレビでも面白がって取り上げていたが、こんな程度の低いことを放送されるのは野党民主党にとっても何一つ良いことはない。大体総理に謝罪を求めることに無理がある。

察するに現在の安倍総理は、総理大臣なるポストは日本に於いて絶対不可侵の権力者と勘違いしていることは多くの人の認めるところだろう。神にでもなったような気分でいる人間に向かって反省を求めても、反省なんか引き出せる筈は無かろう。一般的によく言われているが、野党は野党らしく捲土重来を期して臥薪嘗胆しなければいけない。昨日の前原氏の質問もそうだったようだが、彼はアベノミクスの将来リスクを盛んにアッピールしている。岡田氏の質問の中心だった格差問題は現実味があるので、ある程度納得する人もいるだろう。

しかし、経済面での将来リスクとなると、多分共感を覚える人間は限られてくる筈だ。特に現在のように株価が上げている局面で、年金基金の株式投資なんぞ非難した日には、反感を抱く人間が増えるかもしれない。人間なんてものは大体に於いて呑気なもので、喉元過ぎれば津波でも地震でもきれいに忘れて、目先の享楽に走る性らしい。従って経済学者の中には前原氏の説に賛同する人は半ばいたとしても、残念ながら一般国民となると、大多数が黒田日銀総裁の勿体ぶった御説に賛同したくなるのではなかろうか。

誰にも将来のことは分かりはしない。経済が曲がりなりにも下向かないうちは、誰がなんと言おうと現政権が政策を変更すると思わないし、国民も支持し続けるだろう。経済なんか全く分からない小生の考えを言えば、何事も永遠に続くものは存在しないのだから、景気回復が上手く運べば運ぶほど、どこかの時点で日本経済が暗転して大混乱が起こると思う。但し、その時期が前原氏の政治生命が続いている時かどうかは分からない。小生なんぞはこの世にいない可能性の方が高いかもしれぬ。

その時になれば、黙っていても国民はその政権を見放して、貧乏籤かもしれぬが野党に政権が回ってくる。現在の勢力分布の状態のままでその時期が来て、今では考えられないようなインフレが始まったとしよう。財務省や日銀ののお利口さん達がどんなに知恵を絞ってもどうにもならなくなった時こそ、野党の出番だろう。アベノミクス批判はそこそこにして、その時の策を練るべきだと思う。恐らく現時点では前原氏にも策は無いのかもしれない。だからと言って、警鐘を乱打するだけでは、国民にの支持を得られないことを自覚すべきだ。

大事なことは、国民の共感が得られそうな問題を具体的に取り上げ、事実に即して地道に訴えること、一般論では訴求力が低すぎるし、急所を外さずにポイント絞るべきだろう。これはその気になればいくらでも見つかると思う。霞が関の情報に頼ったのでは手の内が与党に筒抜けになることは分かっていると思うが、組織力が弱いせいか独自のネットワークが形成されずにいるようで歯がゆい次第だ。野党の身分を弁え、餓鬼の喧嘩みたい質疑は引っ込めて、相手が居丈高であればこそ、野党は一層クールなスタイルであるべきだと思う。

2015年2月20日金曜日

ジャーナリスト・スピリット

昨日は野暮用があって、正直に言えば単にネット碁に夢中になり過ぎてブログを書きそびれてしまった。休日であればいいのだが、平日なので宿題を忘れたような後ろめたさを感じてしまう。学校に通っている時代には全くそんな感情を覚えたことが無いのに、この期に及んでそれを感じるとは不思議なものだ。笑^^。後ろめたさにもいろいろあるが、単細胞の所為かどうも嘘をつくのが苦手である。

直接聞いた訳ではないが、夜のテレビ報道や今朝の新聞によると、昨日の予算委員会で菅官房長官が、例のイスラム国による邦人人質殺害事件に関する政府の対応を追及されて、実にいい加減な答弁をしたようだ。政府言い分は我々が事件の発生を知って以来二転三転しているようだが、昨日の答弁では「後藤健二さんが行方不明になったことは11月から分かっていたが、12月3日に後藤夫人宛てに脅迫メール(答弁では身代金要求とは言っていない様子)が届き、何者かに身柄を拘束されたことを確認した。その後、相手がイスラム国と分かったのは12月9日のことです。」

子供の頃田舎でよく使った形容動詞に「いけしゃーしゃーと(嘘っぱちをこきやがって)」がある。動詞「白を切る」の前につける「ぬけぬけ」なんかより遥かに程度の悪い。見え透いているのに臆面もない嘘を言った時に使用するが、本当にこれを使いたくなる思いだ。昨年12月3日と19日の間は丁度総選挙の時期と重なっていた。一国民であるので、当方は当然ながら何も知らされてはいない。あの殺害予告の映像は青天の霹靂であったが、政府関係者にとっては青天の霹靂では済まされない。

例え総理と官房長官が共に官邸を留守にしていたにしても、情報は常に総理のもとに届けられていたのだから全く問題は無かったと強弁している。語るに落ちるとはこんなことを言うのだろう。対策本部やら危機管理官やら組織は様々あれども、的確な情報収集が全く出来なかったか、最初から邦人二人の生命について真剣に考慮しなかったか以外には考えられない。それにしても国会質疑に対する応答が、あからさまな嘘で押し通ってしまう現状はどう考えればいいのだろう。

ニクソン元米国大統領の辞任を受けてアメリカジャーナリズム報告書が「指導者というものはうそをつくものです」と書いたそうだ。現代の日本の指導者たちも嘘が許されると勘違いしているのだろうか?幸いニクソン氏は発行部数が僅か100万部にも届かない新聞「ワシントン・ポスト」の当時未だ20歳代だった若い記者によって嘘を暴かれ、結果的には辞任に追い込まれた。アメリカについては嫌いなところも多いが、この一事を見る限りジャーナリズムの健全性を称賛したい。

翻って我が国のジャーナリズム、特に最も国民への影響が大と思われるあのNHKのことを思うと寒くなる。些か古い引用だが帝国陸軍の山下奉文大将がフィリピンで戦犯として絞首刑を執行される直前に残した遺言がある。「私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追従せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません。」御用学者や政治家の無節操は仕方ないかもしれぬが、ジャーナリストの阿諛追従は勘弁願いたい。

2015年2月18日水曜日

癌治療開始

今日は70日ぶりで日大板橋病院の泌尿器科の通院日。朝から冷たい風雨だったが、歩いて30分ほどの運動で8時半に到着。相変わらずの混雑で、泌尿器科の診察前に血液検査があるのだが、ここだけで50人待ち。泌尿器科の予約は一応9時になっていたが、受付に行くと10分過ぎていた。どうせ又昼過ぎるだろうと思っていたが、豈計らんや、今日は午前中に診察が終わったので気持ちが良い。

この病院で前立腺癌が発見されたのが昨年の7月末のこと。その後入院するなら慶応病院が良いと友人に薦められて、一時は通院先を変更しようかと思ったりしたが、やはり変更しなくて良かった。担当してくれている先生が医者には珍しいと思うほど、全く偉ぶらないし、こちらの言い分をよく聞いてくれるのだ。名医であるかどうかは分からないが、診察室が8つある泌尿器科で科長だから、そんなに藪ではあるまい。部長が外来勤務でない時はいつも1番診察室を使っている。

年齢が不詳だが、頭がスポーツ刈りで、いつ会っても日に焼けたいい顔色をしてニコニコしている。多分どの患者に対してもそうなんだろうが、自分勝手に相性が良いと思い込んでいる。同じ目線で会話ができるので、こちらも言いたいことを言わせてもらうことができるのも有難い。昔のことだが「こちらの質問にだけ答えてください。」なんて高飛車な言いぐさで、患者に質問させない医者にも出会ったことがあるが、この先生は患者を完全にお客様のように遇してくれている。

患者は何処の病院に行こうと、結局治すのは患者本人であって、医者の措置処方はそのサポートに過ぎない。少し言い過ぎかも知らぬが、内心そう思っているので、こちらの言い分に耳を貸さない医者に適切な治療は期待しないことにしている。今日も血液検査によるPSA値が25.6(70日前は23.8)に跳ね上がっていた。適正値が4.0以下だから相当なものだ。治療に踏み切っている友人に聞くと、大抵15前後である。

癌発見当初に相談して、切らずに放射線で行くと決めていたので、「ではそろそろ治療に入りましょう。」ということになった。「丁度最新の機械が来月から稼働し始めるので、4月の終り頃にもう予約を入れるようにしましょう。」とのこと。約束しているので勿論異論はない。念のため「先生、通院で大丈夫なんですね。」と聞くと「当初、MRIやらなんやらで相当綿密な検査をするので、頭で2週間程度は入院してもらいたいし、その方が楽だと思います。」との返事。

「確か外放射線治療は通院でOKとおっしゃたと思いますが?」と聞くと、どうも最新の機械て奴は、部位を的確に特定するらしく、ちょこちょことはいかないらしい。こちらとしては、通院可能な治療法を選んだ理由は、寝たきりで2週間も過ごすことで体力が落ちるのをきっらてのことである。そのことを率直に述べて、相談に乗ってもらったのである。「現在生活に特別の不自由を感じていない前立腺癌が完治しても、体力が落ちたのでは他に不都合が生じかねない。兎に角健康オタクで毎日歩かないと駄目なんです。」

出来の悪い医者であれば怒るだろうが、先生は真面目に受け止めてくれた。結論的には「分かりました、古い機械での治療にしましょう。これであれば前立腺全体を照射するので通院で行けます。」とのこと。ただ小生の前立腺が直径5センチと少し大きすぎるので、今日からホルモン療法を始めて3割ぐらい小さくしてからのことにします。と言うことで決着。今日から薬を服用し始め、2週間後から暫く2週間おきに男性ホルモンを抑制する注射をすることになった。

女性ホルモンが増えるといろいろ副作用が出るらしい。中には髪の毛が増えるとか面白い話もあったが、気になるのは体重が増えることがあるとのことだったが、薬局での処方説明を読むと食欲減退の可能性ありと書いてある。医師の説明と正反対なので、2週間後に確認することにしよう。

2015年2月17日火曜日

母の想い出

東京は雨で明日にかけて天気がかなり悪そうだが、昨年の大雪を思えば、この程度は我慢しなければならぬとしたものかのしれぬ。「春よ来い、はや~く来い」である。今月は母と家内の誕生月だ。童謡が思い浮かぶと母のことが偲ばれる。持って生まれた性格とか三つ子の魂と言うが、養老先生ならずとも、赤ん坊が性格を持って生まれる筈は無い。5歳児くらいまでに母から与えられたものが、自分の基本的性格なんだろう。

「いい日旅立ち」の歌詞ではないが、母に背負われた思いでは何一つ記憶に無いが、未だに思い出すことが一つや二つある。一つは早春のある日、草履ばきで母と手を繋いで麦踏をしていたこと。も一つは夏だったと思うが、小銭を投げて「表ならばお父さんが生きている。」と言って遊んだこと。どちらが表かも定かでない子供だった筈だが、妙に記憶に残っているのは何故だろう。終戦直後の食糧難時代、父が未だ復員していなかった時の思い出だが、不思議なことに余り悲惨な感じが無い。

当時は何処の家であろうと、家庭婦人は家事やら或いは他の労働に忙しく、子供のことなど余り構っていられなかったことだろう。兄が二人いたが二人とも小学生であり、下の弟は未だ赤ん坊だったから、それこそ負ぶったり寝かせつけた後だったに違いない。こちらは随分遊んでもらえた記憶がある。母は遊ぶことが大好きで、トランプとかダイヤモンドゲームなんかもよく教えてもらった。長じては百人一首から麻雀の果てまでだ。更に言えば、読書好きになったのも母の影響であるのは間違いない。

その代り勉強に関しては何も言われたことが無い。小学校に行くようになってから、宿題なんかまともにしたことが無いのも、母に「宿題をしなさい」と言われなかったせいかもしれない。それが証拠かどうか、不幸にも我が家には我が子供時代の通信簿とか学業の成果らしき証拠物件が一つも無いのである。まあ、あったとしても、今見て感激するほどのものは何もないだろう。高校時代については、親に見せずに自分で破ってしまった記憶があるが、小中学時代のものは親に見せたか預けたような気もするのだが。

兎も角性格に及ぼす母の影響は偉大なものである。母には及びもつかぬが、今でも遊びに現を抜かし、お金が無くても楽天的でいられるのはそのせいだろう。

現政権は「女性が活躍する社会の実現」を政策目標に掲げている。その一方で道徳とかハチの頭とか、母親以外に刷り込みが不可能なことを学校でしようとしている。実に整合性に欠けるが、それ以前に女性が安心して出産して、子供育てることが可能な環境を整えることこそ、喫緊の課題である。婆さん曰く、勘違いも甚だしいそうだ。「金持ちの家に生まれてエスカレーターで学校に行き、尚且つ子供のいない人に女性のことを分かって頂戴と言っても所詮無理な相談かな。」とのことだ。

2015年2月16日月曜日

「国益」とは?

最近しょっちゅう耳にする言葉に「国益」がある。特に政治の世界で頻繁に使用されるが、聞くたびに違和感が残る。そもそも国益とは何ぞや。言うまでも無く「国の利益」、換言すれば「国家の利益」に違いない。しかし「国家の利益」は必ずしも「国民の利益」ではないのか?そこで違和感を覚えてしまうのだ。

先週、ヤマト運輸が「宅配便の配送網を活用してダイレクトメールやカタログなどを運ぶ「クロネコメール便」を3月末に廃止する。」と発表した。最近自宅に届くダイレクトメールの類は殆どこの「クロネコメール便」と言っても過言ではない。何でも一昨年度の取扱量は20億冊強、金額が1300億強と言うのだから、ヤマトにすれば相当な損失を覚悟の決断だろう。それよりなにより、利用していた人達は、このサービスが無くなると、必然より高コストのゆうメールに頼らざるを得なくなる。

ゆうメールは同じ民間企業の日本郵政(株)の行っているサービスである。小泉元総理の「郵政が民営化されれば、国家財政も国民の経済も全てうまくいく。即ち国益に叶うのだ。」との甘い言葉で出現した企業なのはご承知の通りである。国益に沿った企業だから国家が保護しているのかどうか知らないが、当時見直された筈の郵便法やらなんやら、素人にはさっぱり分からないが、ヤマト運輸みたい歴然とした民間企業は、何やかやと嫌がらせを受けているのだろう。

1200億円からの売り上げをブタにする覚悟を決めざるを得なかったのは、並大抵の決断ではない。その嫌がらせも度を越えているに違いない。これは正に「国益」を損ねることだと思うが、政治家は何を考えているのだろう。彼らが考える国家・国益とは、どう考えても国民を無視したところにあるように思える事象は、現政権になって特に多い。確かに1億2千万人の人間全員が、諸手を上げて歓迎するような政策はあり得ないかもしれない。どんな政策にも不満分子は存在するだろう。

最近は民主主義にさえ疑問を感じ始めているが、それでも最大多数を尊重する議会制民主主義の原則は理解している。しかし、現政権が議会に圧倒的多数議席を維持しているからと言って、野党の言い分を全く無視していい筈は無い。それでは専制国家と変わらないが、残念ながら現政権のことの運び方を見る限り、それに近いものを感じるのは齢の所為だろうか。

内政もそうなら、今日、在イエメン日本大使館閉鎖のニュースに接して思うのは、外交また然りである。我が国はこれまで、弱小国であったかもしれぬが、日本の旅券を持てば、地球上どこへでも比較的自由に旅行が出来ていた。卒業記念とか爺婆の旅行とか、老いも若きも海外旅行を楽しんだ時代があった。最近は各地で紛争が多発しているので、その旅先が少し不自由になっている筈だ。そこに持ってきて総理の「世界の中心で輝く日本」と来たもんだ。

こちらは海外旅行の趣味が無いから良いが、日本人にとっての世界が益々狭くなりつつあることだけはよく分かる。総理は強い方についていれば間違いないと思っているのだろう。目立ちたがりの危うさと、紛争に対して距離を取ることの大切さを誰か教えてやってほしいものだ。

2015年2月14日土曜日

ボケが怖い

寒く短い日が続く中で平凡な毎日が過ぎていくが、身体的にも精神的にも日毎老いが深まる感じがあって情けない。それでも毎日このブログを書き続けている間は、そんなにボケないだろうと勝手に思っていたところ、つい先日50代の若い女性からショッキングな話を聞いた。曰く「お医者さんが言うには、ものを書くことはボケ防止の役には立たない。父が高齢で少し認知症の気が出始めていて、付き添いで医者に行った時に聞きました。むしろ運動の方が予防としては効果的のようです」

彼女のお父さんは技術系の方らしいが、リタイアされてから何かの論文執筆に取り組んでいたらしい。婆さんにそんな話をすると「そりゃそうですよ。ブログなんか典型的だろうけど、脳みそが偏ったことばかり考えるから、早く痴呆化するに決まっている。私みたいに毎日料理で包丁を手にしていた方が、脳がバランスよく機能して余程ボケ防止になると思うわ。」信憑性の程は怪しくても、信じたいところだ。

何故なら今朝のテレビが言っていた。介護をしている人は圧倒的に女性が多いそうだが、勿論たまには男性もいる。そして介護疲れで病人を殺してしまったりするのは、逆に圧倒的に男性の比率が高いらしい。自分のボケも怖いが、介護に廻るのはもっと怖い。弟の嫁さんが昨年不幸にも倒れて、幸いそんな重度の後遺症が残らなかったが、弟は現在どちらかと言えば介護に廻っている。但し、奥方が料理をするくらいには回復しているし、2世帯住宅で同じ屋根の下に若い夫婦や孫たちも居る。

しかも弟は教育者だけに人格が出来ている。それでも苦労が多そうだ。とても自分には真似が出来そうにない。こちらは夫婦二人きりなので余計不安が募るのだ。6歳年下であっても婆さんも70歳目前、確かに毎日家事はしているが、いわゆる運動は全くしない。足が少し具合悪いので、こちらと違って出歩くのも好きではない。本人が家事がボケ防止に役立っていると言うことを信じたい気持ちは、分かってもらええるだろう。

2015年2月13日金曜日

後輩から接待された

昨夜、昔勤務した会社の後輩に赤坂で食事をご馳走になる。会社を辞めて4半世紀以上経つのに有難い話だ。赤坂と言っても中心からかなり離れた隠れ家的こじんまりした店で、女将さんが信州人とのこと。調理を受け持つ旦那さんの出身は聞きそびれたが、料理の内容が素晴らしく、味も量も盛りつけの感覚秀逸だった。何でも某一流料亭で修業されたとのこと。季節がらビールは注文せずに最初から燗酒にして、料理をじっくり味わった。

数年前までやっていた自分の会社のことさえほゞ忘れてしまっているのだから、最初の会社のことなど殆ど何も記憶に無いに等しい。しかし飲むほどに酔うほどに話が盛り上がってくる。察するに企業も半世紀を超えると、内容がかなり違ってきつつあるようだ。友人は多分6歳下だったかもしれぬ。彼がトップでは、社員に知っている人間は5人といないかもしれぬ。広告会社の看板は同じでも業務内容は大違いだろう。

我々が若い頃の先輩は豪傑が多くて、互いに営業部門に配属されたので、昼間は先輩のお供で競輪競馬場に行ったり、夜は飲み屋に行くことが教育だったような時代だった。小生が入社した当時の社員数は30人ちょっと、現在が100人ちょっとだそうだ。社歴は56年、と言えば浮き沈みの激しい広告業界でよく生き延びている方かもしれぬ。どんな業種でもリーダーの責任は重い。時代と共に業態だけでなく、社員の考え方が大きく変わっていることだろう。彼の苦労が偲ばれるが、こちらは化石時代の人間とてアドバイスのしようもない。

接待に与ったから世辞を言うみたいだが、小生とほぼ同世代の彼が新人類とも言える社員をリードするには、それなりの苦労があるだろう。入社当時は若くて溌剌としたアスリートだった彼が、極楽とんぼのこちらから見ると大分疲れているようだ。しかし、そのストレスと彼の人柄が現在の会社を支えているのかもしれぬ。社長になって未だ6期か7期目ぐらいだと思うが、あと3期ぐらい勤めて年に1度くらいはご馳走になることを期待している。自愛と活躍を祈るばかりだ。

2015年2月12日木曜日

我が思い

朝晩は未だ余寒去りまずの感があるが、流石に東京は暖かい。昼の陽射しが大分春めいてきた。季節は着実に進むが、我が国が前に向かって進んでいく感じがせず、記憶に無い昔に引き戻されつつあるように感じてならない。平和を満喫した人生だったので、ほんの一世代前の軍国主義時代については全く実感が無いので記憶に無い昔と書いた次第だ。現在国をリードしているのは勿論小生より若い人たちであるから、その指導者たちにも先の大戦の敗戦を遡る半世紀ほどの記憶がある筈もない。

ものしりに言わせれば「歴史は繰り返す」そうだから仕方ないのかもしれぬが、小生は歴史をさほど勉強した方ではない。しかし先の大戦については、人物を特定するに至らぬまでも、日本の指導者の誰かが国策を誤ったと考えている。この人物を特定しないのがこれまた日本人固有の感情で、「死ねば皆仏だから悪口を言っても始まらぬ」だろうし、同感するところでもある。我が思いは同世代の人たちが等しく共有するものでもないのも当然である。明らかな論争は避けているが、友人の中にも「自存自衛のための已むを得ざる戦いをして、不本意な敗戦に至った」と考えている人も居ることも承知だ。

その比率は分からないが、現政権では後者の考えに立つ人がほゞ全員であるようだ。首相は仕方がない。なんたってお祖父さんがA級戦犯だった筈が、戦後に再び首相にまで上り詰めたのだから、戦争責任なんて考える必要ないと思うのも当然かもしれぬ。しかし首相を取り巻く面々が揃いも揃って首相の考えに賛同しているのを見ていると、「皆さんもう少し歴史をお勉強してみては如何ですか?」と問いかけたくなる。

兎に角、現政権発足以来の日本は、世界の中での立ち位置を明らかに変えつつある。未来志向で考えれば、それが当たり前で普通のことであるのかもしれぬが、70年以上平和な日本で過ごしてきたことからするとかなりの違和感である。それが平和ボケと言われるかもしれぬが、本当のボケが始まりつつある今、生涯ボケて過ごせたことに感謝しない訳にいかない。普通は通常国会冒頭での首相施政方針演説が今日行われた。首相が何を語ったか聞きもしないで申し訳ないが、例え聞いても演説に感動を覚えることは先ず無いだろう。

既に始まっている予算委員会でのやり取りでも、総理の国会軽視は目に余るからだ。非常時でもあるまいに、閣議決定なるものを連発して、武器輸出3原則を無視した実質武器輸出を可能にするわ、同じく従来紛争当事国へは供与しなかったODA(途上国への開発援助)供与を可能にしたりしている。更に今回の人質事件をきっかけにCIAのような組織の創設についてさえ言及した。大多数の日本人ばかりか多くの国会議員でさえ、我が国が「イスラム国」に対する有志国連合に参加していたことは知っていなかったようだ。

法律上のことは分からないが、同盟を結ぶのとは異なり、知らせる必要は無かったのかもしれぬ。首相はNHK1月25日の日曜討論で「有志国連合に対しては国連の決議がある場合もない場合も、後方支援であれば憲法上は可能」と堂々と言ったそうだ。政府のすることだから手続きに瑕疵はないだろうが、結果について政府が保証、責任を取ってくれるわけではない。海外のNGOで働く人たちが言っているそうだ。「今までは日章旗を掲げることが一種の保険になっていた。最近は逆に標的となる可能性が高いので、悲しいことだが隠さなくてならなくなりつつある。」

タイタニック号の甲板に立っているような思いで、晩年を迎えるとは思っていなかったが、これも運命だ。

2015年2月10日火曜日

子供の喧嘩ではあるまいに

衆参両院の予算委員会での質疑を聞いていると、安倍総理はしばしば「あなたはまるでイスラム国に味方するような・・・」とか「あなたはイスラム国に慮らなくてはいけないかのような・・・」といった言葉遣いで野党議員の質問を非難している。何れも1月の総理中東訪問の際の演説に関する質問で、「日本人がイスラム国の人質にされている現実を認識すれば、言葉遣いにもっと然るべき配慮があるべきではなかったか?」との趣旨である。

総理はあらゆる情勢を総合的に判断して自ら決断した演説であるから、誰がなんと言おうと反省はしないだろう。又総理がお好きな「結果責任」についても、この際は不問としたいようである。しかしながら、質問者を馬鹿にしているのか非難するつもりか知れないが、質疑は喧嘩ではないのだから「お前は加害者の味方をする気か!」といった趣旨の発言は余計と言うより聞き苦しい。でもこれは安倍氏の教養のなせる(限界)ことでもあるから仕方がないとしよう。

問題としたいのは、この種の発言について言葉遣いの専門家が集まっている筈の言論界とも称されるマスコミの世界で、非難めいた発言が全く現われないことである。総理は国会で質問をはぐらかしてまともに答えなかったり、テレビ番組に出演して、都合の悪い質問にイヤフォンを外すなど、言葉の選び方以前に対話のマナーがなっていない。テレビとは恐ろしいもので子供も見ている。総理の言葉遣いが子供にどんな影響を与えるか、切れやすい子供が増えつつある世相を総理だけの責任にするつもりはないが、子供を持たない総理だから仕方がないでは済まされない。

小生にはマスコミ界全体が何となく、現政府の右傾化傾向を及び腰ながら容認しつつあるように見える。マスコミに言わせれば「否、そんなことはない。問うべきところはしっかり突いている。」だろう。そうなのだ、マスコミはどっちに転んでも良いように常に伏線は張っておくものだ。論調がこのブログでよく使わせてもらう「蛇だかミミズだか分からない」になるのは、日本語の特徴に原因があるのかもしれない。表面的な言葉のやり取りの中で主語が省かれたり、形容詞や形容動詞が多用されたりする割に具体性を欠いた曖昧語が多すぎる。

人質事件に関して1例を挙げると後藤健二氏に対する哀悼の表し方がある。日本の総理は「後藤氏に対して哀悼の誠をささげ」決まり文句に続いて「非道卑劣言語道断とか何とか、許しがたい暴挙を断固非難する」と表明。米国の大統領は「米国は、ISIL(イスラム国の別称)による日本人ジャーナリスト後藤健二さんの許しがたい殺害を非難する」と述べた後に「後藤さんは報道を通じ、勇敢にもシリア国民の苦しい状況を世界の人々に伝えようとした。私たちの心は後藤氏の家族と共にある。」と加えている。

マスコミ界で最も多数に影響を持つメディアがテレビであることは残念であっても事実だ。そのテレビに登場する専門家とか評論家が殆ど固定化されて、多少野党的であっても、政権に対してはっきり批判できない現状がある。肝心の内容以前に、少しでも反政府的発言には、恐ろしい揚げ足を取られかねない雰囲気にすくんでしまうのだろう。その上に国権(これがまた、国の権利か国民の権利か判然としない)の最高機関とされる国会での議論までが論理性を欠いて喧嘩腰で行われた日には、本当に教育上宜しくない。

イスラム国人質事件は既に過去のものとなりつつあるが、これから延々と続く国会質疑で、この政権特有の言葉遣いに関する根本姿勢を誰かが改めさせない限り、政権が目指す右傾化が着々と進んでしまうことになるのだろう。別に英語を礼賛するつもりも無いが、日本語の使い方の難しさを痛感してしまう。

2015年2月9日月曜日

新たな緊張感

事の経緯についてはいろいろあるだろうが、日本がイスラム国からテロ襲撃の予告を受けたことにで、イスラム過激派組織によるテロ被害の危険性が高まったことは間違いないだろう。迷惑な話だが、幸い国内にはイスラム過激派組織は無いだろうし、日本は四方海に囲まれている上に外国人が目立ちやすい国柄だから、そう簡単に外国人による国内でのテロは起こり難い筈だ。しかし、海外への渡航者は多いので、シリアへの渡航を企てたフリージャーナリストのパスポートを取り上げても何の意味も無い。マスコミ向け猿芝居の典型を見る思いである。

中東に居るビジネスマンやNGO等で人道的支援活動に携わる人々そしてジャーナリスト達は一層の緊張感を持ったに違いない。総理が「日本人には指1本触れさせない」なんていきがっても、日本の外務省、大使館については、現地における邦人保護のご粗末さは定評のあるところで、危機の際何もして貰えなかったとの話は再三耳にしている。我が一族にも一人だけビジネスでフランスを中心にヨーロッパに出入りを繰り返している者が居るが、危険に遭遇しないことを祈るしかない。

自分としては外国旅行が全く縁が無いので、何の心構えもしていなかった。ところが、今日池袋で出会った大きな外人さんの4人組、何処国の人か分からないが英語でない言葉を喋っていたような気がする。この寒空に比較的軽装で2人か3人がバックパックを背負っていた。そして一人がスキンヘッドで顎髭を長くのばしていた。池袋は駅が全て地下改札になっていて、地下道ですれ違ったので薄気味が悪かった。円安で観光客が増えているそうだから、家族連れではない青年グループの観光客が居てもおかしくはないだろう。

しかし、他人を見たら泥棒と思えの喩えが思い浮かんだのは、良いことなのか悪いことなのか、判断が難しいところだ。

2015年2月8日日曜日

内閣支持率向上だそうだ

先週は呑気にスキー場に行って昼はスキーで夜は連日飲み会と、遊び放けてしまったが、イスラム国人質事件は日本や関係国にとっては悲惨な結果になってしまった。しかもこれで事件が終わるわけではなく、嘗て事変と称して始まったことが大戦に発展してしまった如く、ハルマゲドンの始まりにならぬとは限らない。嘗ての満州事変や支那事変は日本軍の謀略で、直ぐに日本軍が行動を起こして戦線を拡大していったものと理解している。

今回の事件は直ぐに軍事力行使に結びつかないが、総理や政府は間髪入れずに疑似国家イスラム国への報復をほのめかしている。国会も先週中に早々と衆参両院でイスラム国への非難決議をほぼ全会一致で決議している。不思議でもあるが「一寸待て」と言ったのは山本太郎参議院議員一人だけらしい。現代の謀略とはもう少しスマートなものだろうから、幾らアホな政府であっても2人を捨て駒にして、日本を戦争が出来る国に造り変えようと企んだとは思いたくない。

しかしネットなんかで見る限り、湯川・後藤両氏の来歴と行動がマスコミ報道に流される軍事オタクと彼を助けようとした正義感が強い戦場カメラマンの図式以上のものがあるようだ。特に後藤氏の場合、お母さんはマスコミに頻繁に登場したが、JICA(国際協力機構)勤務で嘗て緒方貞子氏の秘書まで務めたとされる奥さんやお父さんはマスコミに全く登場してこない。イスラム国もその辺は十分承知はしていたのだろう。殺害予告の映像がネット上に公開される前に、脅迫者と奥さんの間では10数回ものメールのやり取りがあったそうで、政府はその内容は承知していたとのことだ。昨日のTBS報道特集で放送された外務省関係者が、殺害予告直後にイスラム国幹部宛てに送ったボイスメール(イスラム法学者中田考氏宛てに確認を求めて転送されたもの)は実に興味深い。

しかしこんな情報が巷で少し出ても、政府の方は国会でいくら突っつかれようと、やれ個人情報の保護とかハチの頭とか言って、本当のところは何も明らかにしないだろう。奥さんの方はご主人が殺されているのだから、その死を無駄にしないためにも真相を明らかにした方が良いように思うが、何故か沈黙している。当然政府からは相当な口止めがされてはいるだろうか、今更政府なんかに何で遠慮があるのだろう?「渡航当初からNHKとか政府を背景にした特殊な組織からサポートを受けていた」なんて穿った見方が出て来るのも分かるような気がするし、殺されてから「政府は後藤氏に3回にも亘って渡航自粛を要請していた」なんて情報が開示されるのも少しおかしいかもしれない。

どう考えても、奥さんとコンタクトしていた外務省職員は公開されている以上に深い事情は知っているに違いないだろう。殺害予告ビデオがアップされた当初は、この外務省関係筋から少し情報が漏れたようだが、たちまち官邸の怒りを買って当事者の首が切られた(まさか本当ではあるまい)ようだ。そして世耕官房副長官の登場となって渡航自粛勧告の話なんぞが明らかになったとのこと。出来過ぎた与太話にも聞こえるが、肝心の当事者が真相を語らないので、ありそうに思える節もある。

かくして、この事件の真相は永遠の闇となるのだろうか?現内閣の情報管理は世耕氏が中心となり凄まじいものがあるらしい。この問題に関しては少し人気の民間人のブログでさえ、プロバイダーに圧力をかけて削除させてしまうそうだ。アクセス数が少ない我がブログを思えば、不謹慎ではあるが羨ましい話だ。何れにせよ、この事件は被害者ご家族のみならず日本にとって不幸な出来事であった。そして個人的には政府の対応にも問題があったように思うが、読売や共同の世論調査では内閣の支持率が上がっているそうだ。小生の感覚が少し世間の常識とずれていたのは残念ではある。

安倍総理とすれば、小生如き国民が多少どころか多数いたとしても、郷土を同じくする吉田松陰ではないが「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん。-僕は男の子だ-」の心境なのかもしれぬ。お陰かどうか知らぬが、目出度くオバマ大統領から国賓待遇でのご招待も来たようだ。行きつく先がアメリカの戦争に巻き込まれることになると思うが、国民の支持が高いなら仕方がないのか。それにしてもマスコミにもう少し批判精神があれば、流れは相当変ると思うが、薬にしたくも無いようにしか見えないのが残念至極だ。結局は昭和初期と何もかも同じことか。嗚呼

2015年2月7日土曜日

志賀高原スキー合宿


今週は火曜日から自宅を離れて、水曜日の節分には志賀高原の麓の温泉地上林在住の弟の家で1泊、よく水曜日から昨日の金曜まで3日間を志賀高原のスキー場で過ごした。2月上旬はスキーにとってはベストシーズン、天気も上々で雪質も最高のコンディションだった。同行のメンバーは高校時代の同期生が中心で同年輩の老人ばかり9名。全員スキーはそこそこ上手で元気もいいが、残念ながら今年中には後期高齢者ともなると、体力面にもろ影響が出てしまう。

勿論個人差があるので、中には3日間では物足りない友人もいるが、3日目の朝少し雪が降っていたのを理由に大半は3日目をパスしてしまった。小生もその口である。殆どの友人は今シーズンのスキーはこれが唯一のチャンスではなく、もう何回目とか、これからの予定はこれこれと言うのだが、小生はこの機会が今シーズン初めで最後である。しかし1回でもスキーをしておけば、来シーズンには再び挑戦する気になるだろう。これが一シーズン丸々明けてしまうと来シーズン挑戦する気になれるかどうか自信が無い。

ともあれ、昨日早めに帰宅してゆっくりしたせいかもしれぬが、疲労感はあまり残っていない。しかし、午前中プールに行って驚いた。体重が先週に比べ1㎏も増えている。確かに火曜から木曜まで毎晩宴会で飲みもしたし、食べもした。年齢だから暴飲暴食とはならないが、普段と比較したら比べものになるぬことは確かだ。何がいけないか特定はしない方が良いかもしれぬが、ワインにチーズが沢山あったのは効いていると思う。この1㎏を減量するのが大変なのはよく分かっているが、昔馴染みとの懐旧談の楽しさには替えられない。

考えれば75年近い人生で、たった3年間学窓を同じくしただけの友人である。18歳以降定年前後の65歳頃までの人生はそれぞれのものがあり、思想信条も様々だと思う。しかしごくわずかな趣味の一致を通じて、老後に楽しく過ごせる時間を持てたことは実に有難いことだ。スキーは年々下手になるので、滑りもより慎重にならざるを得ない。そのことを冷やかされたり、お前は齢より5歳も老けて見えるけど、どうしてしまったのか?と気合を入れられたりする始末。既に8回目の会であり、あと何年続けるか、或いは参加できるか分からないが、出来る限り長く続けたいものである。


2015年2月2日月曜日

参議院予算委員会 2月2日

午後1時から休みなしで2時間、参議院予算委員会テレビ中継で民主党大塚耕平氏の質問を視聴した。彼は日銀出身であるが、東大出身ではないので、東大出身者から感じられる変に偉ぶったところが無いので好感が持てる。早稲田後輩の家の娘が就職した時の秘書課長だそうだから、個人的にも義理ある故かもしれぬ。安全保障、農業と農協改革、地方創生、税制改革と経済改革と問題は複数に及んだが、質問者が事前によく勉強してくるのは当然とは言え、回答する総理以下の各大臣の答弁が余りにご粗末なことには少々驚いてしまった。

総理は昨日までイスラム国による邦人人質事件に掛かりきりで、準備が間に合わなかったことを斟酌することは必要だろう。しかし関係ないところ農水大臣や総務大臣や地方創生大臣等の答弁を聞いていると、彼らが如何に無知で、官僚の用意した原稿を読み上げるだけの、まるで操り人形に成り下がっているかがよく分かる。入念に準備してきたと書いたが、大塚氏の用意した質問とデータはそんなに複雑なものではない。

安全保障問題における先の集団的自衛権行使に関する憲法解釈の変更に関する閣議決定については、安倍内閣が金科玉条として掲げる3要件なるものが、いかにも曖昧で、都合次第で如何様な解釈も可能であるので、今後さらなる議論が必要であることを示して議論を締め括った。印象的であったのは「密接な関係にある友好国が先制攻撃したことに対する反撃の場合でも、友好国に対して集団的自衛権行使をしなければならないのか?」との質問であった。

政府側は勿論明確な答弁が出来る筈もない。大塚氏は「せめてこう言った場合には、行使できないことを明確にしてほしい。」としていたが、そんなことを言いだせば米軍に協力行使する発動なんかあり得なくなるではないか。考えさせる質問だった。残りの質問は殆ど経済問題絡みなので、専門家対学生のようなもので解答者が些か可哀そうだ。大塚氏の意図は、経済再生をお題目にしたアベノミクスの具体的処方についてにある。着眼点を大企業第一主義から広く国民全体に転じないと、格差が拡大する一方で経済成長に繋がらない点を指摘した。

印象に残ったのは、総理自ら「アベノミクスはトリクルダウン効果を意図したものでない」と認めざるを得なかったことである。大塚氏は決して大声を張り上げて政府の無知無策を追求するのではなく、ソフトな口調で問いかけながら総理自らにそのように言わしめているのだ。もう一つ印象的だったのは、個人消費が落ち込んでいるのに貯蓄も落ち込んでいる現実への質問である。「賃上げが実現しつつあるとされるのに、個人消費が落ち込めば貯蓄性向はどうなりますか?」

日銀総裁はじめ数人の閣僚に答えてもらう。甘利氏なんぞは然も分かっているが如き答弁をするが、流石に日銀総裁は貯蓄は1以上にならなければおかしいと回答。数人の回答を聞いてから大塚氏は「実は私にも答えが分からないのです。少なくとも大学で勉強してきたマクロ経済学では説明できない現象が出現しつつあるように思います。」と正直に言っている。農協問題にしても税制にしても規制改革にしても、政府の各大臣は官僚の口車に乗せられて森を見ずに木のことばかり口走っている現状が自ずと明らかになってくるような質問だった。

国民の生活改善を考えれば労使交渉に口出す以前に考えるべき最重要課題は税制らしい。経済再生のため企業減税が声高に叫ばれている。ところが、企業の内部留保は過去2年間で毎月1兆円ずつ計24兆円も膨らんでしまったことが麻生財務大臣の口から明らかになった。主税局長は、税制改正議論の中で引用されている法人税25%が、見せかけの数字で実態は18%程度であることを明らかにせざるを得なかった。記者クラブで渡される官僚のペーパーを垂れ流すジャーナリストも勉強不足と言う意味では同罪だろう。

税制の一端を担う高市総務大臣至っては殆ど何も分かっていないことが露呈していた。要するに知ってか知らずか分からないが、結局経団連傘下企業に政権が都合よく利用されているだけだろう。

明日から老人の冬休みで信州に遊びに行くので、ブログを1週間近く休みます。

2015年2月1日日曜日

合掌

悪夢が遂に現実となった。遠い国の戦争に巻き込まれつつあることは理解していたが、言いようのない悲しみと共に様々な思いがよぎる。先ず犠牲者が自衛隊員ではなくて民間人あったことも、今後の戦争への暗示的で不気味なことだ。アメリカの元大統領ブッシュ・ジュニアが始めたテロとの戦いについて、テロリスト達は「お前たちに勝ち目のない愚かな戦い」と言うが、多くの識者もエンドレスで長年続きそうなことを指摘している。その泥沼に我が政権は自ら足を突っ込んだ。

小泉政権時代にブッシュ・ジュニア大統領の要請に基づき、アメリカ主導の多国籍軍が占領したイラクに陸上部隊を派遣したり、インド洋に艦船用燃料の補給艦を派遣したあたりからそっち方面に傾斜していたのは事実だが、当時はそれでもまだ控えめで、一応国会に臨時法案など提出されて、その承認のもととの体裁だけは整えていた。その後、陸上部隊は駐屯地近辺が不安定になったと言って撤退、補給艦は政権が替わって臨時法案を更新しないことで自動的に停止。何れも大事に至ることなく撤退できたので、ホッとしたものだった。

しかしアメリカの世界戦略には一歩引いた形の民主党政権が3年ほどで敢え無く頓挫。2012年の暮れには第2次安倍内閣が誕生してしまう。この政権では清新と言えば聞こえがいいが、何故か今まで聞いたことが無いような面々が内閣の中枢に座り、党内には分別ある大人もいると思うが、小泉政権の時代以上に、右翼的思想が強く滲みだしてきている。全ては宗主国の意向に沿ってと言うことだろうが、大平総理や宮沢総理を出した宏池会とか、旧田中派の流れを汲む人たちですら、清話会の流れの総理に対して一言の異も唱えることが無いようだ。果たして本心からこんな好戦的な方向に向かって良いと思っているのだろうか。

政権の好戦的性格は丸2年を経過した現在、国会の圧倒的議席数を背景に益々強まる一方で、今回の悲惨な事件に繋がっている。この現実に直面した今日、総理や政権の幹部に言いたいことは山ほどあるが、確信犯である彼等に言っても詮無いことだろう。確信犯を確信犯足らしめているのは、政権の周辺にいて政策を支持する専門家と称する連中(中には高給官僚も含まれるだろう)に違いない。そこにマスコミが乗っかり、その似非専門家を多用するに至って、国民を含めてミスリードしているのだろう。

総理の辞書に「反省」の2文字が無いのは分かっている。彼に今更反省を求めるのは無駄だろう。総理を支える役割になっている専門家諸氏に言いたい。「日本が踏み出さんとしている道筋について、良心に照らして本当に正しいと言えるのか、もう一度よく考えてみろ。」答は簡単だから、かなり危険であることは直ぐに分かるだろう。しかし内心では「空気に逆らってまで、或いは総理の不興を買いかねないことを口に出す程野暮じゃない。どうせ俺は黒子で、遠くない将来にはフェードアウトするのさ。」との思いだろう。

誰しも緊張感を持って事に当たることを求められると、「反省」している暇が無いことを良とするものだろうか。今度の事件に関わった者誰一人「反省」が無いとすれば、仏は本当に浮かばれまい。多分ご遺体の引き取りすらままならぬのだろう。老いぼれに出来るのは8500キロ以上離れた場所で目を閉じて合掌するのみだ。