2015年2月17日火曜日

母の想い出

東京は雨で明日にかけて天気がかなり悪そうだが、昨年の大雪を思えば、この程度は我慢しなければならぬとしたものかのしれぬ。「春よ来い、はや~く来い」である。今月は母と家内の誕生月だ。童謡が思い浮かぶと母のことが偲ばれる。持って生まれた性格とか三つ子の魂と言うが、養老先生ならずとも、赤ん坊が性格を持って生まれる筈は無い。5歳児くらいまでに母から与えられたものが、自分の基本的性格なんだろう。

「いい日旅立ち」の歌詞ではないが、母に背負われた思いでは何一つ記憶に無いが、未だに思い出すことが一つや二つある。一つは早春のある日、草履ばきで母と手を繋いで麦踏をしていたこと。も一つは夏だったと思うが、小銭を投げて「表ならばお父さんが生きている。」と言って遊んだこと。どちらが表かも定かでない子供だった筈だが、妙に記憶に残っているのは何故だろう。終戦直後の食糧難時代、父が未だ復員していなかった時の思い出だが、不思議なことに余り悲惨な感じが無い。

当時は何処の家であろうと、家庭婦人は家事やら或いは他の労働に忙しく、子供のことなど余り構っていられなかったことだろう。兄が二人いたが二人とも小学生であり、下の弟は未だ赤ん坊だったから、それこそ負ぶったり寝かせつけた後だったに違いない。こちらは随分遊んでもらえた記憶がある。母は遊ぶことが大好きで、トランプとかダイヤモンドゲームなんかもよく教えてもらった。長じては百人一首から麻雀の果てまでだ。更に言えば、読書好きになったのも母の影響であるのは間違いない。

その代り勉強に関しては何も言われたことが無い。小学校に行くようになってから、宿題なんかまともにしたことが無いのも、母に「宿題をしなさい」と言われなかったせいかもしれない。それが証拠かどうか、不幸にも我が家には我が子供時代の通信簿とか学業の成果らしき証拠物件が一つも無いのである。まあ、あったとしても、今見て感激するほどのものは何もないだろう。高校時代については、親に見せずに自分で破ってしまった記憶があるが、小中学時代のものは親に見せたか預けたような気もするのだが。

兎も角性格に及ぼす母の影響は偉大なものである。母には及びもつかぬが、今でも遊びに現を抜かし、お金が無くても楽天的でいられるのはそのせいだろう。

現政権は「女性が活躍する社会の実現」を政策目標に掲げている。その一方で道徳とかハチの頭とか、母親以外に刷り込みが不可能なことを学校でしようとしている。実に整合性に欠けるが、それ以前に女性が安心して出産して、子供育てることが可能な環境を整えることこそ、喫緊の課題である。婆さん曰く、勘違いも甚だしいそうだ。「金持ちの家に生まれてエスカレーターで学校に行き、尚且つ子供のいない人に女性のことを分かって頂戴と言っても所詮無理な相談かな。」とのことだ。

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