2014年3月31日月曜日

年度末の花見

後継者が先日亡くなったので、会社を解散するのも面倒らしいし、已む無くまた代表者にならざるを得ない。会計年度とは関係ないと気楽に構えていたが、仕事が無くても会社が生きているので決算だけはする必要がある。朝から会計事務所から送られてきた書類に判を押したり区役所に行ったり、1文にもならない仕事でも仕事があるのは結構なことと、花見を兼ねて区内を歩く。日本の学校は誰かが桜を植えるように指導でもしたのだろうか、そこかしこの学校の桜が満開で実に美しい。道行く人があちこちで携帯を取り出して写真を撮っている。

少し肌寒いぐらいの風が吹いていたが、桜の白い塊のバックに真っ青な空が垣間見えるのは何とも清々しく、カメラを取り出す人の気持ちがよく分かる。会社の代表に返り咲こうと年度が変わろうと、残念ながら仕事が無いので生活に変化はない。消費税が上がるのでひょっとしたら昼飯代が高くなるかな程度のことだろう。テレビでは買い溜めをする人が多いと言うが、昼飯は買い溜めが出来ないし、買い溜めすれば結局は高いものにつくのでは?と他人事ながら余計な心配をしてしまう。

こちらは特に買いたいものは無いが、婆さんに言わせると、月が替わって物が売れなくなるときっと安売りが始まる。その時が買い物のチャンスなんだそうだ。障子を張り替えたいようだが、経師屋の折り込みチラシが入るまで我慢比べをしているようだ。消費増税は商売をする人にとっては手間暇だけでも大変だろうが、我が家の財務相もいろいろ考えているようだ。こちらには考えるべきことが無いので、カレンダーをめくったことと高齢者健康保険証を差し替えたことぐらいだ。折角花見をしても年寄りは虚しいのみだ。

2014年3月30日日曜日

春の里山歩き


昨日は今年初のハイキングに出かけた。昨年に比べると随分遅い初山歩きになったが、今年の3月は寒すぎたのでやむを得ない。先週は大分春めいたとはいえ、標高千メートルを超える山には未だ残雪の危険もありそうなので、都民の観光スポットで名高い高尾山から陣場山までのコースを選んだ。朝から夕方まで天気は上々で言うこと無し。桜が有名なコースだが、さすがに山に入ると桜には少し早い。そのせいもあって人混み比較的少なかったと思う。

高尾山には何度か行っているが、昨日ほどの眺望に出くわしたのは初めてかもしれない。何と言っても手前に丹沢連峰を従えた富士山が素晴らしい。今年は残雪の量が半端でないと聞いていたせいか、丹沢の連峰も高い部分には残雪があり、富士山の見える部分は殆ど雪に覆われ、しかも雪化粧が分厚く見える。高尾山から里山の尾根を富士山を眺めながら春風に吹かれて歩き、出発から3時間ほどの景信山々頂でお昼。

40分ほどの休憩を経て陣場山まで又1時間半ほどのハイキング。家を出る時は、ここから更に中央線上野原駅の方まで歩こうかと思っていたが、山頂の茶屋で一休みしているうちに、もうとても無理だと諦めることにした。気がつけば既に2時半を少し回っている。茶屋の人が「新しい道を下れば45分で陣場山下のバス停に行けますよ。」とのこと。急に里心がついて降り始めたが、結構距離がある。

林道に辿り着くと既にバスの発車時刻まで10数分しかない。最後の100mほどは駆け出してやっと3時25分のバスに間に合う。汗を拭う暇もなくバスは発車して無事高尾駅に到着するものの、高尾4時9分発の中央線が事故の影響とかで大幅に遅延、結局帰宅は6時になってしまった。風呂上がりのビールが旨かったこと、これぞハイキングの効果だろう。

女子フィギャーフリーで浅田真央選手の演技を見たい気持ちがあったが、睡眠の誘惑には勝てず8時には寝てしまった。今朝5時までだから、9時間睡眠を取った勘定だ。起き抜けの気分が何とも爽やかだ。体力が衰えて期待通りには歩けなくても、ハイキングが身体に善いのは間違いないだろう。

山旅の詳細は下記をご参照願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-422717.html

2014年3月28日金曜日

進歩と退化

朝から清々しい天気になった。事務所の真ん前にある9時開業の床屋さんに9時ジャストに行ったら、既に先客が2人もいた。何れもご近所のご老人でお知り合いらしい。この床屋さんの真下で行われている地下鉄工事や、近所の廃校となった小学校跡地に出来る特養ホーム建設の件で、大声で話をしている。自分の声は棚に上げて、工事の騒音についての苦情だ。特に地下鉄工事は深夜が中心なので、床屋さんは被害が大きいらしい。元請に相当クレームをつけているようだ。

工期は7年、来年の秋完成の約束で、始まる前に相当念入りに調査して写真も撮ったらしいが、家の真横にでかい穴を掘られたので家が傾いでいるとのこと。騒音被害も甚だしく、クレームは申し立ているが、元請も復興特需で忙しいようで、なかなか素直に応じないと不満たらたらである。事務所の隣が元請の現場事務所なので、四六時中作業員の出入りを見ている。しかし工事現場の真上を毎日歩いていても、足元で深夜が本番とは言うものの、大工事に全く気付かなかったので、ある意味感心もした。もう5年も経つのかとの思いもある。

最近東京メトロの宣伝で、ぼんやり知り始めたが、床屋さんが詳しく解説してくれた。千川駅近くで有楽町線と副都心線を立体交差(現在は平面交差)させるらしい。根本的に千川駅近くのトンネルを拡大しているので、落盤事故や電車の接触事故もあったらしい。床屋さんに言わせると、それでも土木建築技術の進歩で、工事は大分スムーズに進んでいるし、機械も新しく優秀なものを持ってくると騒音も大分違うとのこと。昭和38年初めて上京して住んだ新宿のアパートの前で行われていた地下鉄工事とは大違いだ。当時は深夜青梅街道の交通を遮断して、露天で穴を掘っていたのを思い出す。

これも科学技術の進歩発展のなせる技だろうが、逆にこのところ人間がどんどん幼稚化していくような気がしてならない。散髪ですっきりした序でに永田町の国会図書館で安いランチを食べて、千鳥ヶ淵から靖国神社をお参りして飯田橋まで散歩をした。図書館で小学生の頃の愛読書「少年倶楽部」を2冊ほどざっと読んだ。昭和22年12月号と23年12月号だったと思う。この雑誌は小学校上級4年生頃から愛読した思うので、その少し前のものを読んでみたくなったからである。

つまみ読みであり、メモを取った訳でないので記憶は定かではないが、内容の充実に頭の下がる思いがあった。先ず本文冒頭に掲げられていたのが色つきの口絵頁である。一つはソクラテスが死刑を命じられて、弟子の前で毒杯を呷って自殺するシーン、も一つはアルキメデスがギリシャの兵隊に殺される直前のシーンである。下に解説が付され真理の尊さを訴えている。他に印象に残ったのが「読書のすすめ」。短い文章ではあったが、次のような趣旨だった。

「取り敢えずは何でもよいから本を読みなさい、しかし段々難しく思う本にも挑戦することが必要です。面白い本ばかり読むのはお菓子ばかり食べることに似ています。難しい本も何度か読み直したりすると、面白くなることがあります。」ここまでは子供言い聞かせる話としては当たり前だろう。感心したのは次のことである。読むときの姿勢などについて述べたのち「電車や汽車の中で本を読むのはよくありません。外では周囲を観察することの方が、本を読む事より考える力を養うことになるのです。」

現代は電車の中で半数以上の人間がモバイル端末を見つめている。考える力が薄れて幼稚化するのは 宜(むべ)なるかなである。

話がとっ散らかって木に竹を継いだようになってしまった。反省
明日は今年の初ハイキング(高尾山)に出掛けるのでお休みして、日曜に報告を書きます。

2014年3月27日木曜日

情報管理に関する基本姿勢

嘗てウェブ関連の仕事をしていたので、ネットのこととそのセキュリティー関連についても、少しだけだが知識と関心がある。担当していたのは規模的には50人前後の組織であったが、政府系の団体だった。そこのサーバと職員のパソコンシステムの両方の管理を委託されていた。管理していたサーバは当然ながらウェブだけでなくて、メール機能も有している。ホームページが書き換えられては勿論困るし、にそのサーバに繋がっている職員のパソコンを通じて悪意ある人間が侵入すれば、数百億円の資金の流れに入って悪さをされないとは限らない。

勿論、資金を管理する金融機関とのやり取りは、サーバからは全く独立した系統のラインにはなっているが、使用しているパソコンは同じものである。ハッカーが本気になれば、その流れを発見するくらいのことはわけないことだろう。仕事を通じてその程度のことは理解しながら、個人的に今でも金融機関に足を運ぶのを面倒がって、インターネットバンキングを利用している。預金通帳なんてここ15年くらい見たこともない。ハッキングするような頭の良い人間が狙うには、金額が少なすぎるだろうと高を括っているが、全く褒められない話である。

へそくりが狙われるなんて冗談のうちはいいが、現代の通信情報にはもっと重大な情報が沢山あるようだ。ここ2週間以上問題になっているマレーシア航空の遭難事故関連の情報にもいろいろ考えさせられることが多い。当初、問題の航空機からの全通信がある時間から途絶えたとされていたが、ここにきてそうでもなさそうな話が出ている。例えば特別のラインで政府はハイジャック犯と交信していたのではとか、フライトレコーダーの所在を米軍は掴んでいるが、探知機能が明らかになるのを嫌って公表を控えているとの類である。

婆さんは、監視カメラの活躍で犯人が特定されたとの報道の度、これを至る所に設置すべきだと仰る。個人情報保護なんぞは糞くらえだが、悪いことをしていないなら監視されていようといまいと関係ないだろう。毎日のようにかかってくる売込みなんかの電話や訳の分からないDMの類、どこから漏れているのか分からないが、今は個人情報なんぞダダ漏れが現実ではないか。だそうだ。

井戸端会議的にはそれでいいだろうが、国家の安全保障が絡んでくるとそれで済ますわけにはいくまい。昨日自衛隊のサイバー防衛隊の発足が報道された。陸海空3自衛隊の自衛隊員ら約90人で編成し、24時間態勢で、防衛省・自衛隊のネットワークの監視やサイバー攻撃が発生した際の対応を担う。とされている。これでも無いより益しかもしれぬ。因みに米国の陸・海・空軍は全てサイバーコマンドを持っていて、そこも数千名規模ずつの陣容だとのこと。

米国に16ある情報機関のCIA等の職員数は約10万7千人で、予算総額は5兆円以上。量的な比較より、運用方法を学ぶべきだ。即ち、全ての組織の情報が1ヶ所に統合されてデータベース化され、閲覧のランキングが付されている。閲覧者がアクセス権さえ持っていれば、所属組織に関係なくこのデータベースにアクセスは可能だそうだ。日本では特定秘密保護法で大騒ぎしているが、情報をランク付けしたり違反者を罰することで漏洩が防げるものではないだろう。

情報そのものに価値の軽重があるのではなくて、利用する者の能力が問題の筈。米国は素直には認めていないが、極端に言えば地球上全ての通信情報を取り込んでいるらしい。しかし個人情報保護は余り問題なっていないようだ。日本は逆で、取り込む情報を管理して選別しようとしている。その取り違いで、行政システムに膨大な無駄が発生していることを誰も指摘しない。

2014年3月26日水曜日

勘違いをしてはいけない

昨日近くの小学校門前に掲げられた「卒業証書授与式」の看板について違和感を覚えたことを書いた。ところが早速、小・中学校の校長をしていた弟が勘違いを指摘してくれた。他にも沢山あることだろうが、世の中が変わっていることにが気がついていないだけのことだ。これを時代遅れと言うのだろう。指摘を引用しておこう。「卒業証書授与式というのは学校の公式用語です。かつては以上総代で一人だけが証書を授与されましたが、今はほとんどの学校が一人一人に手渡す方式になってきています。」

田舎の小さな学校の校長をしていた時は、卒業生一人一人に一言ずつ言葉を添えたとのこと。年寄りになると昔が良いとばかり思っているが、総代とは生涯縁のなかった身からすると現代式の方がずっと勝る。これなら俺も壇上に上がれたのになぁ、である。少子高齢社会で他にも、世の中の風景が劇的に変わっていることに気付くことがたまにある。最近孫と会ってきた婆さんによると、現代の高校でも酒を飲んだり、喫煙している学生は当然ながら居るには居るらしい。生徒同志にはすぐ分かるのも昔と同じようだが、そういう連中は周りの生徒から馬鹿にされてしまうらしい。

これは一種の差別ではとも思うが、婆さんを安心させるための話だろうから、本気で聞かなくてもいいか。昔も今も高校生と言えばもう大人の気分。飲酒喫煙が法律違反であることは何となく分かっているが、自己責任でしている嗜好の問題で、そいつの人格否定とか馬鹿にすることはなかった。特に喫煙者は、勉強家にも沢山いた。まあうちの孫は真面目だとしておこう。真面目であるのは大いに結構だが、最近聞いた話でこれまた違和感を覚えるのは、政府が睡眠時間に関する指針を発表した件。

自治体がサービスでしてくれる健康診断で、身長と体重を測定した結果から「あなたは太り過ぎ」と断定する肥満度なるものがある。昔は身長(cm)数値から90とか100とかを引いた数値の体重(㎏)以内であればOKとされていたと思うが、最近はBMI指数=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)とやらの複雑な計算式の結果を以て25を超えると肥満、それも肥満度1~4に分かれて分類され、医者から注意を受ける。

ったく小さな親切大きなお世話だ、ほっといてくれ。と言いたくなる。飲酒喫煙高校生は不良少年として類型化するのは半分許せるが、痩せていようと太っていようと政府に文句言われる筋合いはない、と昔から思っていたところだ。今度は老人の睡眠時間は6時間が適切で、睡眠のとり過ぎは問題と来た。1億人を超える国民にはそれぞれの考えもあり、それぞれの生活もある。政府は国民の多数から求められることをすりゃいいので、国民多数の意思をコントロールするなんてことは烏滸がましい。

国民から預かっている年金も満足に管理できずに、無駄遣いしている厚労省あたりの役人が何を言うか、である。もっと真面目に仕事をしろだ。

2014年3月25日火曜日

卒業式シーズン

昨日に引き続き今日は気温が一気に上がり20℃を超えたらしい。近くの小学校が廃校になって老人ホームへの開発が進む中、校庭の辛夷の大木が切り倒されて無くなってしまったので気がつかなかったが、他の小学校で見つけた辛夷が丁度満開になっていた。街では着物に紺色の袴を着たお嬢さんを沢山見かけた。女子大生ばかり目につくが、男子生徒の卒業式帰りを印象付ける人間を見かけないのが不思議である。着つけない背広で、卒業証書の入った筒をぶら下げ、しかも親と一緒なんて格好が悪いと思う子が多いのか?

区内の小学校の門前にも国旗が掲げられて門が大きく開かれ、正装の若いお父さんやお母さんが吸い込まれていく。理解に苦しむのが国旗の下置かれた看板「○○小学校卒業証書授与式」となっている。卒業式を何で証書の授与式にしなければならないのだろう?学生にとっても家族にとっても卒業式や入学式は大きな節目であり、傍から見る者からも春らしく希望にに満ちて微笑ましい光景だ。昨年の4月、慶応大学が卒業50年を記念して入学式に招待してくれた。半世紀の時を経て数千人が歌う塾歌(校歌)の中に身を置いて、感激したことを思いだす。

孫の一人が先週中学校を卒業したが、どんな内容でどんな気持ちだったか聞いてみたい。区が異なるから卒業式だったか証書の授与式だったかだけでも興味がある。最近は「仰げば尊し」を卒業生が斉唱する学校も少ないと聞く。誰の如何なる存念によるものか分からないが、生徒に感激を与えるものが何であるか、理解できない大人が増えているに違いない。文科省と沖縄のどこかの教育委員会が教科書の採用をめぐって下らない争いをしているそうだ。それをマスコミが面白半分で取り上げて騒ぐ。

どちらも自らを貶めているともうが気がつかないようだ。嘗ては学校の教育者を「先生」と呼びならわし、余り教師とは言わなかったように思う。昨今はアルバイトの家庭教師でも代議士でも「先生」になった代わりに、学校の先生が「教師」になってしまっているのだろう。時代が変わってしまったので、年寄りが恨みを言っても仕方がないだろうが、義務教育の生徒たちが学校で学ぶより先に、タレントやプロスポーツ選手の言動に刺激されてしまっている現状があるように思う。

昨今洋の東西を問わずに湧き上がりつつある変なナショナリズムや右翼思想に比べれば、その方が平和で益しとすべきか?

2014年3月24日月曜日

非日常的1日

やっと春らしい陽射しがやって来た。今週中には桜の花も開くことだろう。今年は冬がとりわけ長く感じてしまった。情けないことだが齢のせいにでもして忘れてしまいたい。隣のレストランの親爺さんは、今日は何故か身体が重くて仕方ないそうだ。雨にでもなるのかなと言っていたが、2,3日は晴天が続くと天気予報は言っている。親爺さんの前では言わなかったが、こちらは昨日が何となく気が重く、ブログさえ書く気も無くて終日事務所に引き籠ってテレビを見たりしていた。

久し振りにたっぷり休養を取った上に天気が上々のこともあり、今日は朝から妙に調子がいい。月曜日の朝は9時から接骨院に行くことを通例にしているのだが、それさえスキップして朝から現役時代同様の仕事に取り組んだ。先週亡くなった若き後継者から再び会社の代表に返り咲くための準備がある。代表に返り咲いたからと言って仕事がある訳でもないが、友人がやり残した仕事だけはけじめをつける必要がある。今週は年度末でもあり、顧客は財団法人なので余計きりきりと片づけなくてはいけないからだ。大した仕事ではないが、それでも仕事は仕事。

嘗てのように我が社がサーバを管理していれば簡単に済む事でも、いちいち顧客の担当者メールで連絡を取り合った上で納品を完了。更に見積りやら請求の経理書類を作成して同様の確認を取った上で、郵便局まで行って速達で発送して一段落。次は会社の代表移行の手続き、これも結構厄介な問題で、会計事務所と相談のうえ手続きの段取りを決める。そのために必要なものを揃えるために区役所と銀行に行く。年度末とあってどこの窓口でも行列が出来ている。区役所の証明書自動発行機械が2台しかないのにはびっくりだ。しかも機械が相当古いのだろう、スピードの遅さはイラつきたくなるほどだ。それでも窓口に群がる人混みに比べれば益しとしなければならぬようだが。

8時過ぎから仕事を始めて、事務所に戻ってきたのが1時ちょっと前。気温がかなり高いようですっかり汗をかいた。半日で歩行数が1万歩を超えている。そろそろ事務所に着かえのシャツを用意する必要があるかもしれぬ。アルバイトで仕事をしている時にも強く感じるが、仕事に追われている時は余計なことを考えずに済むので気持ちがいい。性分として、仕事が好きとか嫌いとかでなく、しなければならぬことをしてしまわないと落ち着かないのだ。事務所に戻ってきてからは、先週開いた同窓会出席者のうちメールを使っていない諸氏に、礼状やら写真を送る手配が残っていたことを思いだした。

写真をプリントしたりして礼状と併せて郵送の手配をする。最近の家庭用プリンターもよく出来ているので、思いの外スムーズに運ぶ。生涯秘書を持つことは無かったが、老人になって一人で1日楽しく労働できたのは機械のお陰もある。しょっちゅうパソコンの悪口ばかり書いているが、たまには感謝して良いかもしれぬ。

2014年3月22日土曜日

逝きし若き友よ

昨日は早朝から霞が関の現場でアルバイト。4時前で早退にしてもらったが、夜は私の会社を引き継いでくれた青年の通夜が戸田の葬祭場であった。通夜の後に、私の代から会社の経理を見てくれていた会計士の先生と赤羽で食事をしたので帰宅が遅くなってしまい、ブログを書けなかった。先生も故人と似た年齢なので、相当ショックだったようだ。お年寄りの得意先が多い商売柄、1年に5回や6回は葬儀に出くわすが、同じ年齢の得意先となると気分的に落ち込んで何を食べても美味くはなかったと思う。

話を聞いていると、IT技術者であった故人と同じで、会計事務所の仕事も時間で区切ることが難しいらしい。丁度年度末で個人の税務申告作業が一段落したところのようだが、つい先日まで2週間くらい家に帰らず事務所に寝泊まりしていたらしい。1日の運動量がデスクとコピー機の往復のみで、合計100mにも満たない日が続くこともあるし、居眠りで車の事故もあったとのこと。改めて先生の体型を見ると、やはり少し肥満で故人に似ているかもしれぬ。なんでそんなに稼がねばならないのか?質問した。

仕事を断るのが凄く怖いのだそうだ。ビジネスから遠のいているので忘れていたが、それは確かにそうだろう。既存顧客の紹介で得意先が増えていくのだろうが、紹介された客を断るのは紹介してくれた顧客にまで影響が出るかもしれぬ。会計事務所と言っても税理士3名、社会保険労務士3名を含む総勢11名の小さなもので、公認会計士である先生の個人起業によるものだ。社長の先生と彼が育てた税理士がしゃかりきになって頑張っている。しかし、こんな生活を後5年と続けられないだろうと、内心思ってはいるとの事である。

今日の午前中の葬儀で、故人のお父さんが悔し涙にくれて謝辞を述べられた。「大学を出てから今年で15年、卒業1年後に単身東京に出て14年間を遮二無二頑張った。その間一言も辛いと弱音を吐かなかった。しかし我慢強すぎたと思います。察してやるべきでした。」会計士の先生が顧客を断れないことと似ているように思うのが、個人の仕事への姿勢、即ち自分自身の制御方法だ。何にもまして仕事を優先してしまう。受注産業の悲哀かもしれない。

今のところは何とかなっているが、仕事が無くなれば収入が無くなって食えなくなってしまう。それがいつなのか分からないので、注文は全て受け止め、夜昼構わず働き続ける。身体のことなんぞ構っていられない。先生、今はそれで良いとしても、5年後にはどうされるのですか?聞いてみたかったが聞かなかった。故人と先生の大きな違いが一つある。先生は結婚していて小学校と幼稚園のお子さんがいる。故人は結婚すらしていなかった。彼に任せた会社が安定した優良会社だったら結婚できた筈だ。慙愧に堪えない。

昨夜休日と言うのにこれからまた会社に帰ると言う先生が、別れ際に言っていた。「僅か11人でもシステム管理ができるのは私だけ、消費増税を前にパソコンを6台入れ替えた。その設定をこれからしなくては。」この話で思い出した。故人は引き継いでくれた顧客組織のシステム管理を引き受けていた。この組織は昨年ウェブ制作に関する業務を儲けすぎだとの理由で切られてしまった。しかしシステム管理だけは故人を頼って残していた。こればかりは下請け叩きで利益を上げる大企業では絶対に真似できない業務である。彼はこんな事にも真面目に対応しすぎたのかもしれない。

世の中が異常のスピードで進化するパソコンとインターネットと言う全く嫌な奴の出現で大きく変わっていること、そのせいか、若い人の生活が大変であるのは頭で理解したつもりでも、実際は分かっていないのだろう。兎に角さまざまなことが頭をよぎる。

2014年3月20日木曜日

運動がやはり大切かな

長年仕事をサポートしてもらった若いシステムエンジニアが、一昨日心不全で突然亡くなった。未だ37歳の若さで独身のまま自宅アパートの浴室で発作に見舞われた。仕事には凄く熱心であったのは間違いない。IT関係の技術者に共通だと思うが、一旦仕事を始めると中断の仕方が難しいらしい。少なくとも知っている限りでは、ほゞ全員の生活時間が不規則のようである。お米とご飯に関するウェブサイトの仕事を長年してもらっていたので、健康と栄養に関する知識も豊富であったが、自分のこととなると別だったのかもしれぬ。

食物による栄養の補給と運動量のバランスが悪いと、肥満になりやすいことは知らない人の方が少ないだろう。しかし、これを頭で理解できても実践するのは非常に難しいことである。自分も肥満しやすい体質で、油断するとすぐ体重が増えてしまう。食い気の方は、せめて菓子を食うのだけはコントロールしたら、と言われるのだが食後に甘いものを摂らないと食事の気がしない。なれば運動の方で、1日1万歩行と土日の水泳で運動量を出来るだけ平準化したいのだが、これがそう簡単には行かない。暇がたっぷりあっても今日のように雨が降ったり風が吹いたりすると、直ぐサボりたくなるし、実際にサボることはしばしばである。

まして今月はプールが改装で休館である。昨日も昼から酒を飲んだりしているので、本当は他人のことを言えた義理ではないが。彼も肥満体であって、食事に気を付けて減量の努力はしていると言っていたが、結局2年前に代表権を譲る時になっても効果は見えなかった。最近1年近く会うこともなかったのだが、会った人に聞くと、ごく最近になって急激に痩せはじめたらしい。これは減量努力の結果ではなく、病気によるものだったのかもしれぬ。多分職業柄運動なんかは意識に無かったのだろう。夜起きていようと努力をしても眠りに惹き込まれてしまう小生からすれば信じがたいが、彼は仕事になれば徹夜は当たり前で苦にする様子は無かった。

ウェブ技術者の大半がそうらしいが、睡眠は眠い時に取るもので、定刻に寝て定刻に起きるなんてことは考えられないらしい。従って朝一と言えばお昼直前、こちらの朝一には前日の就寝前で辻褄を合わせていたことがしばしばだった。どちらが理に適っているか分からないが、兎も角彼は亡くなってしまった。たまたま昨日ブログに書いた通り同窓会で正に老人会。皆一様に気にすることの筆頭が「健康」。聞いているとやはり運動を心掛けている人が多い。方法はラジオ体操、歩行、ランニング、ダンスにヨガとさまざまである。

特に印象に残っているのが101歳の義父と同居している友人の話。お父さんも元気らしいが、やはり自分で積極的に食べることと甘えずに身体を動かすことがその秘訣ではとのこと。デイサービスの送迎でも、敢えて車椅子の使用を断るらしいが、ケアする方も車椅子に乗っけた方が楽なのでしきりに勧めるそうだ。時には路線バスに乗ることすらあるらしい。見渡すと周囲に90歳前後の老人がわんさと居る。成程皆さんお元気な様子である。

逆にタレントや国会議員なんかでも若死にする人が多くなっている気がする。平均寿命が長かった我国も気がつくと・・なんてことにならなければいいが。

2014年3月19日水曜日

中学時代の同窓会

故郷長野市の中学校の同窓生で首都圏に住んでいる人が結構多い。今日の昼、小生が幹事役で、この友人たちに声を掛けて、霞が関のレストランで同窓会を開いた。千葉県や神奈川県、更に遠くは長野県諏訪郡の八ヶ岳山麓からも駆けつけて20人(うち女性は5人)が集まってくれた。後期高齢者目前の齢なので、仕事をしている人は稀だろうが、それでも二人いた。一人はお医者さんで、ずっと勤務医を続け、退職後も近くの病院から乞われて週に4日通っている。、もう一人は大企業を定年退職した後、全く関係の無かった企業に職を求めて、こちらも週に4日通っているそうだ。

事前調査でこの二人が休める日がたまたま今日の水曜日だった。我々老人にとって月火と2日働いて1日休んで又2日勤務は理想的なのだろう。他はサンデー毎日と言うことになるが、それぞれに趣味を持ったりして楽しそうに暮らしている様子が伺えて何よりだった。と言うものの、身体に何の支障も無いなんて人も皆無に近い。脳梗塞などの循環器系疾患、肺疾患、腰とか肩の関節系疾患等々、全員の話を総合すると病気の見本市である。

女性にも男性にも配偶者を亡くされている方がいた。一時は非常に大きなショックだったのは当たり前だが、今日は前向きで明るい話をしてくれた。問題これから始まる老老介護の懸念だ。今日のところはまだ序の口だが、これは余り明るい話にはならない。出席者の全員が健康については相当気を使っているが、これから先は何が起きても不思議は無い。

楽器を弾いたり合唱団で歌うことに活力源を見出している人も何人かいた。隣席の友人曰く「年を取ると喋る相手が居なくなるので、こんな会での会話やスピーチが非常に嬉しいのだよ。」言われてみればその通りかもしれない。会を設営して、少しは友人に喜んでもらえたとするなら望外の喜びとすべきだ。

2014年3月18日火曜日

工事現場の休憩タイムから

一昨日アルバイト先の現場で22歳と30歳の青年と一緒になり、仕事の合間に聞いた話だ。前者は有名な私立大学卒業を目前にしながら、就職は決まっていない。取り敢えず今夜の夜行バスで志賀高原に行って、2日間彼女とスノーボードを楽しむ。大学を卒業してから先のことは考えるつもりだが、親からは家を出て独立しろと言われている。理工系学部でないので、特別な技術は何も持ってない。無垢と言えば聞いたとこは良いが、よくもこんな世間知らずでいられるものだ。これが現代の実態かと、やや唖然たる思い。卒業後に親元を離れて独立となれば、何らかの手段でお金を稼ぐ必要があることは分かっている様子ではある。

手っ取り早いのはどこかに就職することだろうが、世間にどんな就職先があると考えているのか想像が出来ない。現在は工事系の派遣会社に登録していろんなアルバイトをしている様子。卒業後はこんな事ではいけないので就職したいたい本気思っているのかさえ疑わしい。もう一人30歳の方は沖縄から東京に出てきて10年目。本業は新宿アルタ裏の沖縄レストラン勤務で、住まいは中野坂上。外食産業の賃金はとても安いので、まだ独身のようだが休日のアルバイトが不可欠らしい。かなり年季が入っている様子で、いろんな職種について学生に様々な知恵を授けている。

二人とも身体さえ丈夫なら1日1万円弱の日当にありつける道は知っている。しかし、特に年長の方はその日暮らしで良いと思っている訳でもない。将来についての不安が時々脳裏をよぎるのだろう。年金や健康保険についていろんな質問があった。彼は多分勤務先で厚生年金を払っているのだろう。これが何歳から受給できるのか心配な様子だ。現在の65歳受給を理解し、自分の場合は更に遅くなることを心配しているが、制度そのものの必要性は認めている。

学生アルバイターが年金を納めていないことを聞くと、当然納めるべきと説得していたのも印象的だ。現場では午前と午後に1回ずつ必ず休憩、即ち「一服」タイムがあるせいか喫煙者が多い。二人の相棒もそうだったが、会話を聞いていると喫煙本数とか煙草の種類、経済もさることながら健康を相当意識していることが窺える。安倍政権のお陰で当分は工事アルバイトの求人はあるだろうが、オリンピックが始まるまで持つのでしょうかね?と聞かれたが、爺さんに分かる筈も無い。

友人の社長さんの話では、数年続いた不況で建設業界が縮小して職人不足の現状がある。この影響が今後どんな形で出てくるのか、心配な面もあるそうだ。友人の会社でも今月の工事はずっと以前に見積もりを出していたもので、やっと間に合ったが、最近では発注があっても応札できずに見送らざるを得ない案件が数件あったらしい。それでも東京は未だ益しで、地方では大問題らしい。オリンピック景気と騒いでも、福一の収束作業なんかどうするのだろう?未経験の業界人との会話に考えさせられることが多かった。

2014年3月17日月曜日

肉体労働の週末

この週末の土日は2日ともブログはおろかパソコンに触ることなかった。通常であれば午前中にプールに行って午後はずっとパソコンの前に座っている習わしだが、3月はジムが改装とやらで休業になっている。今月第1週目の土日は長野にスキーに行った。2週目は終日事務所で少し暇を持て余した感があった。ところが今度の週末2日はいつもより1時間も早く7時に家を出て、夜7時過ぎに帰宅のハードスケジュールでアルバイトに精を出した。

先月と先々月もトライした友人の会社が請け負っているOAフロアのタイルカーペット補修作業の人夫(この漢字変換が出てこない、死語なのか差別用語で使用できないのか?)の一人としてである。主な作業は専門の職人が居るが、職人さんの作業を補助する雑用係がどうしても必要な世界で、工事専門の派遣会社からアルバイトが送り込まれる。その一人に加えてもらった次第。土曜日は、交換を要するタイルカーペット剥がして糊を塗り、乾くのを待って新しいタイルカーペットを張っていく作業。

現場は霞が関の某官庁、若い頃はスーツ姿で毎日のように通った場所である。それが今日は頭にタオルこそ巻いていないが、汚れた綿パンにジャンパーと軍手、ポケットには大型カッターナイフで床に這いつくばっている姿は我ながら可笑しみがある。休日の官庁街の朝は正門は締まっているが、脇の出入り口は工事用の資材を積んだ車と、リュックを背負った作業員で賑わっている。昨今は工事業者の出入りもセキュリティーが厳しく、一人ずつ提出済みの書類と突合せのチェックを受けなければならない。

運転免許証を持参と事前に言われていたが、免許証が無いので保険証を提示するつもりだった。土曜日は煙草臭い下請け企業のバンに同乗していたら、友人の社長さんが降りてガードマンと話をつけたらしく、人数の確認だけでパスすることが出来た。作業の現場はある階の一部で、組織替えか何かで部屋が丸ごと模様替えになるのだろう。床は確かに相当ガタが来ている。今のオフィスフロアは床下にコードを這わせる空間を持つ2重構造になっている。コンクリートの床上に台を置いてその上に50センチ四方のボード(金属であったり、プラスチックであったり素材は様々だが)敷かれてその上にタイルカーペットが糊付けされている。

床がガタピシいうのは、カーペットがすり減ってくることより、下のボードが弛んでくることが多い。土曜日は主にカーペットの張替が多かったが、膝をついてカーペットを剥がしたり貼ったりするのも大変ではあるが、糊付けが一番きつかった。固定が確認されたボードの上をローラーで糊を塗っていくのだが、膝をつくわけにいもいかず、中腰で粘り気の多い塗料を伸ばしていく。平素ストレッチで腰は鍛えているつもりだったが、やはり全然ヤワである。土曜日は帰宅すると、山から帰った時しか飲まないビールが無性に飲みたくなった。

しかも、ビールの後食事が終わるとすぐ倒れるように寝てしまった。肉体労働の心地よさとも言うべきものだろう。昨日は三軒茶屋のオフィスビルの20階、今度はボードパネルの荷上げである。50センチ四方のボードは1枚が10kg。これが750枚4トントラック2台で運び込まれる。これを28枚台車に積み上げてB2から20階まで運び、古いパネルを積み替えて降して地下の倉庫に積み上げる。

今年某大学を卒業するお兄さんが一緒だった。柔道をしていたそうで筋肉がムキムキ。彼にはピッタリな仕事だろうが、後期高齢者直前の爺さん向きでないかもしれない。しかし、そんな若い連中と一緒に汗を流すのは実に愉快でもあったし、身体を使ってお金を稼いだ満足感は何ものにも代えがたい。

2014年3月14日金曜日

読後感「本能寺の変 431年目の真実」
明智 憲三郎著

高校時代の同期生から薦められて読んだが確かにも面白かった。著者は慶応大学工学部大学院を経てから三菱電機に進んだシステムエンジニア。著者名(本名)が示す通り明智光秀の末裔と信じておられるようだ。本業のかたわら本能寺の変の研究・調査を続け、「歴史捜査」と名付けた工学的手法によって、その全貌を科学的・論理的に解明したと仰っている。工学的手法とは如何なるものか理解の及ぶところではないが、戦国時代の歴史書をかなり丹念に読み込まれたのは間違いなさそうだ。

文章も科学論文臭くなく、易しく分かりやすく書かれているので読みやすい。戦国時代末期について大方の理解は次のようなものだろう。約100年近い戦国時代を通じ、やっと織田勢力が力をつけ政権が半ば確立しつつあった時期に、トップの信長が京都本能寺で部下の明智光秀の叛乱で殺害されてしまう。そしてこの光秀も僅か10日ほどであっさり殺されてしまう。そして天下は秀吉に引き継がれ、これも秀吉一代で終焉して、徳川時代へと引き継がれることになる。戦国時代末期を飾る武将は織田、豊臣、徳川の3武将に絞られ、明智は3日天下で豊臣政権誕生の刺身のつま程度の扱いになっている。

従って本能寺の変も400年以上経過した現在では、諸説あるが何れも明智光秀なる織田家の家臣と雇い主の織田信長との個人的な諍いに矮小化されている。織田信長の性格からして人生50年で部下に討ち果たされるとは、ドラマティックでもあることから多くの話が生まれ、小説や芝居にはなっているが、その変事が起った本当の背景を検証したものは皆無に近い。当然芝居や小説が真実と誰も思うようになる。

しかし当時の情報環境を考えるに、歴史の検証に耐える文書は武家に残された日記や手紙が中心になるが、これも後の権力者が自分の都合で事実を上手く誤魔化すために書かせている可能性は否定できない。確かに現存する歴史文書も殆どは、光秀の野望説とか信長への怨恨説を裏付けるものとされてきたが、筆者はそれに大きな疑問を持って膨大な資料に取り組むことになる。

権力者が当時の文書を全てチェックできるわけはないので、現存する文書を丹念に調べると、この事変も巷間流布されているとは全く違った様相が浮かび上がって見えてくる。感心したのは著者が外国の文献に注目した点である。世界的に見れば当時は大航海とキリスト教の布教が大々的に行われていたので、日本にも沢山の宣教師が来日して、彼等の報告書がバチカンなどに沢山残されている。有名な高山右近や細川忠興のみならず織田信長自身がフロイスを初めとする宣教師を積極的に保護している。

しかも、黒人従者を一人譲り受けて弥助と名付けて小姓に置いていたらしい。彼も本能寺にいたが光秀の命で命を助けられてヨーロッパに戻り報告した内容など実に興味深い。内容の詳細は控えたいが、光秀の生年は不詳とされているが、一説では変事の際既に60歳を超えていたとも言われている。そんな爺様が今更天下取りの野望を持つだろうか?織田信長とは単なる主従関係で捉えられているが、明智光秀は初め城持ち大名でなかったのは事実らしいが、信長のもとで一国一城の主となり、戦国諸大名の中でも傑出した武将であったことも間違いなさそうである。

戦国の武将たちは現代の政治家とは異なり、皆相当な緊張感の中で日々を過ごしているので、こんな事変を一武将単独の思い付きで起こすなんてことはあり得ない。当日堺に居て命からがら三河に逃げ帰ったとされている徳川家康の行動も丹念に資料に当たると、どうも嘘くさい。後年家康が取り立てた春日局の血筋が明智と繋がるのは何故か?

考えさせられることが多かったが最後に。戦国時代から現代にいたるも我が国の権力者には「唐入り」即ち大陸への野望が絶えないようだ。織田から豊臣へと引き継がれたこの野望をきっぱり捨てたのが家康で、250年に及ぶ太平の世を作ることが出来た。光秀もこの野望を危険視していたのは間違いなさそうである。


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2014年3月13日木曜日

平和ボケか

後期高齢者の域に近付きつつあるが、昨今は80歳くらいでもさして長生きとは言わぬらしい。結構なこと、有難いことではあるが、もの忘れに記憶違いが日常のことになりつつある感じがしないでもない。日がな1日暇にしているのに、大事なことを忘れてしまった。今日も反省しきりである。2年前に脳検査を受けた際、海馬の委縮は加齢に依るのだから諦めなさいと医者に言われた。諦めろと言われても生きているのだから、何とかまともな生活をしたい。だから脳を使う囲碁が良かろうと、勝手な理屈だが、夢中になり過ぎつい大事な用事を忘れてしまった。

囲碁の負けっぷりやもの忘れをを書いても少しも面白くないが、政治に関係して平和ボケに触れたい。最近国会では何かと勇ましい言語が飛び交っているようだ。「国土強靭化」なんて何を意味するのか、聞いただけで何やら恐ろしさを感じてしまう。威勢がいいのは若い人の特権で羨ましくもあるが、憲法解釈の変更まで持ち出されたのでは少し異論を唱えたくなる。

総理の曰く「昨今国際関係が急速に変わり我が国の国際環境にも脅威が高まっている。危機への対処は従前より米国に頼っていたが、その米国が日本防衛のために日本近海に出張ってくれている時、第3国の攻撃を受け危機にさらされるような場合、我が国が攻撃に曝されていないからとて拱手傍観していていいのだろうか。」したくても、集団的自衛権の行使は憲法解釈で手を縛られているからである。これを何とかしたい。

ここ数年か数か月か知らないが、我が国の最高責任者が悩んでおられる問題らしい。戦後70年近くどんな政権でも表面化しなかった問題に何故悩みを抱くのか、脳みその構造が歴代総理と比べると余程違うか、米国からのプレッシャーが余程きついのか、どちらにせよ簡単には理解しかねる。前者は兎も角、歴代総理はアメリカに昔からある「日本の安全保障ただ乗りをやめさせ双務関係にさせろ」論は十分承知の上で日米関係を維持してきている。それが何故今急に方向転換をしなければならぬか。

公明党が簡単に首を縦に振らぬは当然だが、さすが自民党内でも異論が表面化しているらしい。当たり前の話だ。そもそも我が国周辺で高まりつつある脅威とは何だ?外国からの侵略の恐れがあるか?中国や韓国に喧嘩を売っているのは日本ではないか。中国や韓国が日本の右傾化を心配して、脅威を感じていると見る方が余程分かりやすい。日本の政治家が外国からの支援を受けて、内乱への恐れがあるか?日本共産党が世界の共産党本山から除名処分に近いのは周知の事実。外国人からの献金については各党とも同じようなものだろう。

今目前にある原発事故の脅威なんかは真剣に受け止めずに、自作自演のような脅威をでっち上げて不要不急の騒ぎを起こしている。こんな事を書くと、年寄りはすっかり平和ボケになってしまっている、との指摘を受けるかもしれぬ。その通りかもしれぬが、ボケたままあの世へ行かせてほしい。

2014年3月12日水曜日

無責任の極みだ

昨日書いたばかりだが、今日になると流石にネット上ではテレビ特集番組批判の記事が多い。1年目であれば兎も角、3回も同じような手口で編成されたのでは辟易するのも当たり前だ。

以下は「くろねこの短語」からの引用記事です。
「TVも勝手なもので、放射能に汚染されて、おそらく永久的に故郷に帰れないであろう地域の映像を垂れ流しながら、「福島から電気がきていたことを忘れてはいけない」なんてお涙ちょうだいのコメントしてたっけ。ちょいと待てだね。だったら都知事選で脱原発が大きな争点となろうとした時に、福祉はどうする、雇用はどうする、原発だけが争点じゃない、ってさんざん喚いて水差したのはどこのどいつだったっけね。ご都合主義もいい加減しろです。ようするに、TV局にとって、3.11は視聴率が取れる優秀なコンテンツ、それだけのことなんでしょう。」
http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/

事故発生当時から、復興に関して少し関わりを持った浪江町の町長も復興を信じている風情を演じているが、この町長はも今年か来年忘れたが、次の選挙に出ないことを決めているとのこと。5年先に除染が完璧に行われたにしても、2万人いた町民の何%が帰ってくるのだろうか?現在既に70%近い人が移住の決断をしている。仮にこの数字がそのままで、6千人の町民であの広大な町が運営出来る筈も無いだろう。示されている地図では、避難指示解除準備地域が海岸にごく一部あるだけで、9割を超すと思われる地域が赤い帰宅困難区域で示されている。

しかも、その避難指示解除準備地域の除染すら事故発生から3年を経た現在でも未着手である。こんな地域にレポータを送り込んで、お涙頂戴の放送をしてもどんな意味があるのか。受け手の町長も住民の意見が纏まらないとか、中央と連絡に齟齬があるとか尤もらしいことを言っているが、町長自身に街を復興させる確たる意思が無いのは見え見えではないか。要するに誰も彼もが無責任極まりない。チェルノブイリ事故の際のソ連の方が余程確たる意思を持って動き、それがロシア政府に引き継がれて現在も収束への作業が行われている。

経産省の関係者でなくても28年前に起きたこの事故については相当学習して当然の筈だが、日本政府は全く無視しているとしか思えない。チェルの事故はレベル7で福島と同レベルのように思われているが、本当に同じレベルなのだろうか?素人だから定かではないが、少なくとチェルの事故は原発1基だけのこと。燃料のメルトダウンから爆発が起きたが、福島の爆発はメルトダウンによるものでないとされている。これだけでも福島の方がレベルが低いように思わせるため、当事者は苦し紛れの嘘を並べているとしか思えない。

ソ連政府が投入した決死隊の数にせよ、死亡者数にしろ言いだせば切りがない。取り敢えず言いたいのは、半径30キロの居住者はほゞ強制的に移転させられている事実だ。福一の事故で飛散した放射性物質の量とか、放射能汚染の実態は分かっているようで実はよく分からない。海はアンダーコントロールだそうだが、放射性物質の空気中への拡散が止っていないことだけははっきりしている。関係者は半径30キロ圏内の居住が半永久的に不可能を承知の猿芝居を続けているだけだ。

3年経っても政府や東電の当事者は「被災地復興のため」と寝言みたいことを言い、国土から膨大な土地が無くなったとは誰も言わない。テレビ関係者がその事に気がつかないとすれば相当な馬鹿だし、知ってのことだとすれば罪が相当重い。

2014年3月11日火曜日

金太郎飴報道

東北の震災から3年目と言うことで何か緊張感の無い報道ばかり。復興の遅れは報道されるが、精々のところは労働力がオリンピック関係で分散し、被災地では復興のための人手不足が深刻程度の話。真剣に原因を追究する報道には全くお目に掛からない。他に経済関係は春闘でベースアップが決まった企業がこれ見よがしに報道されているが、何れも大手自動車、電機、スーパー程度のことだが、2千円そこそこで3千円台のベースアップが決まった企業は見当たらない。どう考えてもしょぼい話で、気持ちが明るくなる材料は何もない。

マスコミの記者自身は元々高禄を食んでいるので、執筆者自身が不景気を余り切実に受け止めていないのだろう。昨日は昨年10~12月のGDP指数の確定値が速報値より少し下がって発表になっているが、テレビニュースでは誰も問題にしていない。最近アベノミクスの宣伝じみた報道をあまり聞かなくなったが、第3の矢は今どこをどのようにどこを飛んでいるのだろう?直接関係する話ではないかもしれぬが、気にする人がいなくなったみたいで、少し不気味な感じさえする。

兎に角、「3年前の3月11日を忘れません。」とか偽つんぼの話とかはいい加減にしてくれと言いたい気持ちでいたら、今度はSTAP細胞の論文がインチキ臭いと言う話が出てくる始末。昨日は昼前から夜まで外出していたので報道に接することは無かったが、今朝も早よから小保方女史の話でもちきりである。報道が言っている意味は詳しく理解できないが、共同研究者が14人いて、その中のお一人が小保方女史の論文に疑義を投げかけて、記者発表したことは理解した。

不思議に思うのは、この山梨大学の若山教授が共同研究者であるならば、グループ内で意見を調整するまで発表を何故控えないのかだ。偽つんぼの身代わり作曲家の先生とは少し違うのかもしれぬが、どちらもマスコミに取り上げられた時点で、良い子になってしまう。作曲の東邦大の先生は18年も罪に意識に苛まれ続けた可哀そうな人みたいになっているが、果たしてそんなものだろうか?真相は分からないが、人を騙すことでは共犯関係にあったはず。18年間悶々としていたなんてことはあり得ないだろう。

こちらは金目が絡んだ仲間割れと見るのが自然で、どちらも同情に値しない。小保方女史の方は金銭は関係していないだろうが、若山教授の記者会見も釈然としないものを感じてしまう。メディアも若山教授に、記者会見については少し慎重に、とアドバイスするくらいの常識を持ち合わせた人間がいてほしい。

2014年3月10日月曜日

外国について

戦時中に育ったせいか比較的子供の頃から、自分が日本国の人間で、地球上には敵である支那やアメリカの他に南洋の島々と言った外国があるのは知っていた。やがて戦争も終わり、学校に上がって社会科など勉強すると、5大陸には相当な数の国々が存在することが徐々に分かってきたし、人種や風俗の違いにも興味を持ち始めて、少年少女向け世界文学など読み散らしたものだ。しかし、そんな程度で得られる知識だからアラビアとアフリカの違いも定かではなく、そのまま現在に至っているので、外国についてはほゞ無知に近い。だから世界を股に活躍した経験を持つ人の話を聞くのが今でも大好きである。

ところで、今や地球上には200を超える国家が存在するとのこと。それぞれの国家には国民がいて、その国民を保護するための政府がある。政府の任に当たる政権は、殆どの国では選挙などの何らかの方法で国民に選ばれた人間がその任に当たっていると思う。選挙を経ない王様や皇族が存在する国もあるが、この人たちは政府と切り離された存在である場合の方が多そうだ。浅学なのでいい加減ではあるが、アラビアの王様とか北朝鮮のトップとかは例外的なのではないか。

しかし外国では、その選挙によって選ばれた政府が民衆のデモ騒ぎで倒される事態がしばしば発生する。どんな選挙をしているか分からないが、一種の革命であろう。ある意味で羨ましくも思うが、現代でも革命騒ぎはあちこちで頻発している。1960年安保を実体験してはいるが、あの時でも政権を倒すことが出来たと言えるかどうか?政党が変わらなかったのだから革命とは言えないだろう。少なくとも日本では考えにくいことなので、外国のこう言った事態を正確に理解することが出来ない。

ある日突然事件が発生して、その場の現象だけが報道されても、発生に至るプロセスが見えないのでよく分からないのである。タイなんかにしても、取材中に騒動に巻き込まれたて亡くなったジャーナリストがいたが、現地に長期間いれば何か分かるのだろうか?シリアにしてもウクライナにして同じことで、冒険的なジャーナリストからのレポートを目にすることもある。それでもやはり、どうすればこういった現象が発生するのか理解できない。

何となく理解しているのは、革命的なデモ発生の陰には必ず外国の関与があることだ。更に憶測を進めると、戦争を仕掛けて国を乗っ取るよりも、内乱を発生させて国を乗っ取る方が手っ取り早いと考える悪い奴がいること。権謀術数世の習いであった日本の戦国時代同様なことが、現代の大国間でも生きているようだ。それに、戦争を一種のビジネスチャンスととらえている輩が武器生産をしている大国には多そうなこと。

幸か不幸か日本は干渉してくるのはアメリカだけ、幾ら大国でも岩ばかりのちっぽけな島を奪回するために戦争を仕掛けるなんてことは無いだろう。故に平和ボケと言われるが、それでもいいではないか。「価値観外交」なんぞと訳の分からないことを言って、あちこちにいい顔なんかしない方が安穏だろう。

2014年3月9日日曜日

自然災害への対応

明日10日は東京大空襲、明後日11日は東北大震災の日だ。前者は既に遠い過去の話で、経験談を語る生存者が年々少なくなっている。こう言っては不都合かもしれぬが、非戦闘員をターゲットとして攻撃することを大々的に始めたのは、先の大戦でのアメリカ軍からではないだろうか。この悪しき伝統が現代に引き継がれているのは極めて残念なことだが、こちらの方はテレビの情報系番組ではあまり取り上げない。

この週末のテレビは一様に東北地方特集であった。海岸地帯に積み上がっていたゴミの山は殆ど片づけられて平らになっているようだ。しかし復興への歩みは遅々として進んでいないのが現実らしい。未だに仮設住宅やその他に避難したままになっている人が30万人以上に上るとのこと。我が国は土地が個人所有だから、国が復興計画を作っても、全ての住民がそれに同意するなんてことはあり得ないだろう。国や自治体は公共施設に公道と公共輸送機関だけ整備して、後は個人責任でやってもらえばいいと思う。

「補助金を受け取るには国の指示に従わなくていけない」が官僚のきめ台詞だろう。それはそれで結構だが、国には建築基準など、既に様々な規制に溢れている筈。何も復興に関連して新たな規制を設ける必要は無いと思うが、そこがお役人の得意分野。何かあれば必ずと言っていいほど新たな法令、即ち規制めいたことを考え出しているに違いない。被災者をサポートするには、原則を早く定めて一刻も早く実行するに限る。3年経ても計画が纏まらないのは当たり前だろう。

詳しくは分からないが、計画が頓挫している最大の要因は、どうも海岸線の防潮対策にあるようだ。今朝テレビでチラッと見たのは岩手県の(旧田老町)宮古市田老地区のこと。昔から津波の被害に悩まされてきた地区で、江戸時代からの経験を教訓として、昭和に入ってから防潮対策に力を入れ、昭和41年には海面高さ10mで総延長総延長2.4キロメートルの巨大な防潮堤がX字型に市街を取り囲むように完成していた。避難訓練も度々行っていたし、全国でも津波対策では模範的な地区だったらしい。

それでも311の大津波には勝てず、地区の人口4434人のうち200人近い死者・行方不明者を出している。外野席にいる人間が言っては失礼かもしれぬが、自然災害に対して物理的手段を以て抗うのは所詮無理ではなかろうか。
3年前の津波は500キロメートルの幅で押し寄せたとされている。矢玉ではないのだから、自分の前にだけどんなに大きな盾を持ってきても、防ぎきれるものではないだろう。高い防潮堤によって生ずる妙な安心感、海面が見えなかったことによる津波発見の遅れ等、デメリットも少なくない筈だ。

国土省は膨大な建設予算を獲得できるので、造りたがる心理はよく分かる。百害とは言い過ぎだろうが、無駄遣いに思えてならぬ。海岸線は美しく、平穏であれば住むに相応しく思える時もあるに違いない。その代りリスクのあることも承知して、心構えを持つことが重要だろう。日本中どこを探しても、地震に対して100%安全なんて場所は無い筈だ。

マグニチュード7とか8とかの南海トラフ地震なるものが後30年以内に70%の確率で発生する。と唱えるのがこの手の番組の定番だが、これも変だろう。
30年間発生しなければ、以降は確立が上がるのかい?「巨大地震はいつどこで起きても不思議はありません。明日かもしれませんので皆さん心構えをお願いします。」と言うべきだと思うがな。

2014年3月8日土曜日

当てが外れた

3月はいつも通っているプール(ティップネス池袋店)が改装のため休業とのことなので、系列の東新宿店まで足を運んだ。系列は皆無料だと思いきや、何と入場料と貸タオルで1825円も掛かるとのこと。恐らく系列店利用については事前に貰った通知に書いてあったのだろう。その種のものを丁寧に読まない悪い癖がある。手前勝手に無料と思い込んで当てが外れただけのことだろう。

余程帰ろうかとも思ったが、折角新宿まで出向いたからにはと我慢して利用してきた。施設の構造が全く違って何となく違和感があった。コースは2レーン多いがレーンの幅が狭くて泳ぎにくかった。プールサイドでストレッチが出来ない。良いところはジャグジーが大きいことぐらいか。帰りは池袋まで歩いたので、いつもの土曜日に比べれば少し運動量が増えているかもしれない。スキー旅行でお酒を飲み過ぎたきらいがあるので丁度良かったかもしれぬ。

しかし、明日はもう泳ぐことは諦めよう。お金が掛からない健康法は歩くに限る。スキー旅行で同期の仲間が面白い本を推薦してくれて、丁度アマゾンから届いている。明日はおとなしく読書三昧になるかもしれぬ。

2014年3月7日金曜日

寒さくらいは我慢をしなきゃ

桃の節句もとっくに過ぎたのに真冬の寒さが続いている。今日は医者を内科と泌尿器科を掛け持ちで廻った。内科では痛風予防の薬、泌尿器科では前立腺肥大予防の薬を4週間分処方してもらうのみ。痛風予防の尿酸値を下げる薬は既に15年以上、前立腺肥大予防の薬も6、7年は飲み続けている。医者は半年に1度くらいの頻度で血液検査をするが、数値的には殆ど変りは無い。大した金額ではないから黙っているが、データの共有が出来れば検査も半分で済む筈だ。

IT化が進んでいるとされる日本だが、こんな単純なことが実行できないのが不思議でならぬ。健康保険も組合が解散に追い込まれるところが出るほど逼迫しているようにも聞くし、医療費が国家財政を圧迫していると聞いて久しいが、誰かがその気になれば、無駄がもっと省けるだろう。日本は面白い国と言ってはいけないかもしれぬが、財政再建と大騒ぎして、枝葉末節でケチるくせに根本的なところにメスが入らない嫌いがあるように思えてならぬ。現行体制の中で安住する勢力を守ることが保守で、その思想が政官財のネットワークを強力に支えているのだろう。

何年も同じ投薬であり、血液検査の数値に変化もないのは薬が効いているのか効いていないかは分からない。医者の問診も聴診も決まりきった手順で5分と掛からず同じ処方箋が出てくる。薬の効果があるから数値に変化が無いと理解したいところだ。多分医者も同様に思っているのだろう。であれば、せめて診察の間隔を4週間から10週間とか25週間間隔に延長して、その分一気に薬を出してもらいたいものだ。薬の賞味期限とか、言いだせば出来ない理由は山ほどあるだろうが、いつも時間の無駄、結局は経済的な無駄を痛感している。

こんな太平楽を言っていられる日本は良い国だ。寒さや医者通いに文句を言ったのでは罰が当たるかもだ。少なくとも70余年の人生を通して国家の枠組みに大きな変動が無かったから、余り過去のことや将来について大きな不安を感ずることもなく、万が一の備えと言えば自然災害へのそれ以外は考えたこともない。しかし漏れ聞くところの遠国シリアとかウクライナの人たちどんな思いでいるのだろうか。イラクやアフガニスタン、レバノンとかパレスチナ、何れもどこにあるかも定かではないが、医者なんぞに掛かりたくて掛かれそうにない状況に置かれている国は沢山ありそうだ。

何れの国も外国の影響を複雑に受けて、国内が分裂し、大国の代理戦争みたい形で国内に混乱が生じているようだ。最近報道を賑わしているウクライナの混乱も米露の代理が国内で対立する構図のようだが、どちらが正でどちらが邪か。
素人にはとんと分からない。我が国の政権内部に黒海の北に位置する彼国の実情を理解し、将来を見通すことが出来る人物がいるとはとても思えない。平和を願っても相手が米露ではどうすることも出来ぬだろう。こんな時は黙っているに限る。口を開けば二股膏薬で虻蜂取らずになりかねない。出来るかな?

2014年3月6日木曜日

志賀高原でのスキー


3日の月曜日から昨日まで3日間志賀高原のスキー場にいた。スキーを履いたのは月曜日と火曜日だけ。そのうち月曜日は終日雪に風で天気が悪く、余り快適ではなかったが、火曜日は朝から快晴、しかも朝の気温が零下18度と冷え込んだのでスキーには絶好のコンディションとなった。志賀ではこの冬未だ一度も雨が降っていないそうだが、3月らしく固く絞まったアイスバーンの上に昨日からの粉雪が10センチほど乗っている。

多分1年を通してもそんなに沢山無いと思われるベストな状態となった。前夜は正に高校の同窓会なので、酒を3種混合でしこたま飲んで、朝声が出ない程だったにも拘らず、9時15分から夕方4時15分までたっぷりとスキーを楽しむことが出来た。途中に休憩時間は取っているが、スキーを履いていた時間は5時間くらいにはなるだろう。宿泊地の蓮池からジャイアントコース経由で一ノ瀬、寺子屋、東館、ブナ平、焼額、奥志賀まで行って昼飯。

復路もほぼ同じコースでスキーをしっぱなしであった。昭和30年代後半の我々がスキーに熱中していた時代は、スキー場も今ほど開発が進んでいなかったが、何と言ってもリフトの機動力が違う。当時のリフト速度をJR在来線の各駅停車とすれば、現在は目的地までノンストップの新幹線を利用する以上かもしれない。丸1日に滑る距離を考えると、当時の1週間分ほどに相当すると考えてもおかしくない。3月4日(3日分はおまけ)の1日分だけで今シーズンは終わるだろうが、ことスキーに関してはお腹一杯と思っている。

お天気に恵まれたのもさることながら、昨今のスキー場はコース整備が行き届いて危険要素が除去され、、殆どのコースがシニアでも滑れるようになっている。上級者は少し物足りないかもしれぬが、我々は満足だし、スキー場を産業基盤として生業している地元の人にも良い事だろう。兎に角標高2000m近い幾つもの山頂から2キロ前後のコースを何本も滑ったのだから、往年の張り切りボーイ達も疲労が相当溜まった筈だ。

4日の夜も又酒盛りになったが、流石に前夜より1時間以上早くお開きになった。昨日はかなりゆっくりしてからチェックアウトして、さしたる運動はせずに帰宅したが、やはり疲労が激しかったのだろう9時過ぎには寝付いてしまった。お陰で今朝は普通の平日のペースに戻っている。いつものように昼飯は池袋まで歩いて行ったが、足に筋肉痛は無いようだ。むしろ風の冷たさをスキー場以上に感じてしまう。昨今のスキーウェアは保温効果に於いて嘗てとは大違いだ。そのうえ宿の暖房は病院並みで、浴衣1枚で過ごせているのだから、我が家にいる時よりずっと楽である。

同行の同期生は皆優秀で、現役時代は世界を股に活躍した経済人が多く、現在でも社会の動向について一家言を持つ人材が揃っていたのも、今度の旅が一層楽しくなった理由でもあろう。

2014年3月1日土曜日

見当違いでは?

今週国会では衆議院での予算審議が終了して、3年ぶりで年度内に来年度予算成立することがはっきりした。両院で過半数の議席を占めているのだから当たり前だろうが、予算が成立しても外交内政共に課題は山積している。むしろ政権発足以来既に1年を超えたが、政権に課せられた課題で達成できたと思えるのは来月からの消費増税くらいではないか。増税は我々国民負担が増えるだけで、当然ながら何の有難味もない。

これで国の借金が少し減って財政事情の好転があるならまだしも、26年度予算が超大盤振る舞いで相殺されていることを思うと、何をしているのか全く意味不明である。民主党政権時代にぐちゃぐちゃにされた日米関係や外交を建て直すと意気込み、オバマ大統領からTPP交渉に関連してお目こぼしを貰うべく約束を取り付けたとか、プーチン大統領との間で北方領土問題解決の糸口を見つけたとか、良いことずくめのスタートだったと記憶するが、その後の進捗はどうなっているのか?

景気が上向いているとアナウンスはよく耳にするが、年金生活者は手取りが減る一方だ。現役のサラリーマンや事業者の如何程が、来年度に大きな期待が出来るのか分からないが、卑近なところであまり期待できそうな声は聞こえない。にも拘らず政権側は決める政治を旗印に得意げに振舞っている。靖国参拝も済ませたことだし、後はやりたいほうだいの本番。近々に憲法を変える訳にいかなくても、似たようなことはやれるのだとばかりに意気揚々の感だ。

アメリカとの関係が必ずしも円滑でないようだし、オバマ大統領の覚えも余り目出度くなさそうなのに、なんでそんなに義理立てしてアメリカと一緒に戦争したがるのか理解に苦しむ。そこにはきっと深い訳でもあるのだろう。悪く勘ぐれば、総理は祖父様以来ずっとCIAのエージェントでも引き受けているのかもしれぬ。今朝も婆さんと話したのだが、最近よく聞く「日米同盟」なる単語。いつの頃から言われ始めたのか記憶にないが、老夫婦が若かりし時代は「日米安保」が慣用句で、同盟と言う言葉あまり使わなかったと記憶する。

即ち日本は敗戦国で戦争を放棄する。だから独力で国を守るのは困難だから、お金を出したり基地を提供したりしてアメリカさんに守って頂く。「日米安保」の基本は戦勝国の占領政策をそのまま引きずっているが、それは敗戦国だから仕方が無かろう。これで戦争に巻き込まれずに済むと思えば安いものでないか。小生の脳みそにはそのように刷り込まれている。即ち日米の関係は同盟でなんかある筈がない。同盟とは日独伊3国同盟しか思い浮かばない。

嘗て自民党にはアメリカは日本の「番犬様」と明快に示して頂いた大者議員までいたではないか。当然ながらそう言った卑屈な態度が気に食わない日本人も沢山いただろうし、今も多いのだろう。たまたま敗戦になったが、本当は実力があるのだ、もう一度戦争すれば勝てるかもしれないとでも思っているのだろうか?ならば、はっきりそう言ったらどうか。アジア諸国への侵略、その結果生じた大敗戦の事実は隠しようがない。

事実をまともに見ない人間が「積極的平和外交」なんて意味不明なこと言っても、笑われるのが落ちだ。

明日から暫く(多分1週間弱)ブログを休んで休暇を楽しみます。