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何とも分かりやすい

今更世相を云々しても始まらぬが、このところ政権の腐敗ぶりに関して分かりやすい報道が続ている。余り頭を使うことなく、就寝前の軽い娯楽代わりに報道を追ってるだけだ。今日の朝になって朝日新聞デジタルに掲載された次の記事も、びっくりしてはいけないのだろう。

29日の官房長官記者会見で「次期国税庁長官に、財務省の佐川宣寿理財局長を充てるという一部報道について」問われた菅氏の答え。「人事は、官房長官らが出席する人事検討会議を開いて、法に基づいて行うのが政府の役割だというふうに思っています。ちなみに、佐川局長は(森友学園の国有地売却問題で)質問されたことに的確に答えていたと思いますよ。」報道されているようになると言うことだろう。

一般市民にはピンと来ないかもしれぬが、一部の人から見ると国税庁長官ほど怖い人はいないらしい。企業家は勿論だが暴力団でさえ全く逆らうことが出来ぬそうだ。マイナンバーなんてものが有ろうと無かろうと関係ない。日本では国税がその気になれば、あらゆる人間の財産何ぞいとも簡単に丸裸にすることが可能になるらしい。勿論警察同様の逮捕権まで持っている。要するに役人の世界の頂点に立つことを意味するとのこと。

以前「あんなに嘘ばかり言わされた佐川氏は家族を含め可哀そうだ、碌な人生にならぬだろう。」と書いた記憶があるが、撤回して謝罪する必要があるのだろうか。勿論このブログの読者はそんな必要を迫らないだろうし、こちらもそんなことをする気はない。その辞令を受け取った時に、ご本人から気持ちを聞いてみたい気がしないでもない。

国際問題への対応

昨日は「ああ、梅雨らしくなったなぁ!」とボーっとしているうちにブログを書くタイミングを逸してしまった。季節は移るが世の中は少しも変わる気配を感じない。共に日本の素晴らしさかもしらぬが、鶴田浩二の歌の文句じゃないけれど、いつまで経っても「莫迦と阿呆のからみあい」が続く世の中だ。どちらに筋があるのか分からぬが、梅雨空は何となくどんよりしている。

つい最近までは梅雨明けが待ち遠しく、梅雨明けに行くべき山を考えるのが楽しみだったのに、その夢を見る年齢も過ぎてしまったようだ。昨日の首相動静に面白いことが書かれている。「カタールのタミム首長と電話で協議」遡って一昨日の動静を見ると「サウジアラビアのムハンマド・サルマン新皇太子と電話で協議」とある。中東の紛争に首を突っ込み、「友好的な対話を通じて平和裏に決着することを期待する」と述べたという。

この忙しい最中に国際的指導者であること忘れずにいるのだから、流石に地球儀俯瞰外交を進めてきた安倍総理らしい、と褒めるべきであろうか。小生は、来月日本での開催を切望していた日中韓首脳会談の見通しがつかなくなっていることの方が問題だろうと思うが、素人の悲しさかな。情報伝達が早い現代にあって、国内でかくも醜聞まみれでは国際政治の場では、もう誰も相手にしてくれなくなってしまっているとばかり思っていたので、大いに意外だった。

一昨日のことになるが、こんな記事がある『米国のイメージ、トランプ政権下で急落=ピュー調査』それによると、米国のイメージが「良い」と答えた人の割合は49%で、オバマ前政権末期の64%から大幅に低下しているようだ。続いて『また、トランプ氏が国際問題に適切に対応できると思うかとの質問には、「思う」という回答は22%で、政権末期のオバマ氏を40ポイント以上下回った。また、ロシアのプーチン大統領は27%、中国の習近平国家主席は28%でトランプ氏を上回り、ドイツのメルケル首相は42%と4カ国で最高となった。』

「調査は今年2月から5月にかけて37カ国で実施され、4万0447人から回答を得た。」とあり、調査をしたピュー研究所とは「アメリカ合衆国のワシントンD.C.を拠点としてアメリカ合衆国や世界における人々の問題意識や意見、傾向に関する情報を調査するシンクタンク」とあるからそんなにインチキなものでもなさそうだ。日夜努力をされている安倍総理に…

勝者発言の清々しさ

将棋は全然知らないが、藤井4段の勝ちっぷりは凄い。それに感心するのは勝ち進むたびに受けるインタビューだ。時には「望外の幸せ」とか難しい言葉も使ったりするようだが、それは自然に出てくるので違和感を感じない。何よりも中学生らしい素直さには誰もが好感を覚えるだろう。

将棋の藤井四段、中学3年生 14歳

(新記録の公式戦29連勝の感想)
「自分でも29連勝というのは本当に想像もできなかったことで。喜びとともに非常に驚いております。今日は相手が強敵の増田(康宏)四段で、竜王戦の決勝トーナメントということもあって、連勝記録自体は意識しないようにと思っていましたけど、気を引き締めて臨みました。」
(特に印象深い対局を一つ上げるとすれば)
「そうですね、初戦の加藤先生との一局は印象深いです。加藤先生の迫力ある闘志を盤の前で体感できたのは貴重な経験と思います。」
(今後に関して)
「まだまだ実力をつけることが必要だと考えているので、そうですね、タイトルを狙える位置まで実力をつけたいと考えています。単独1位になれたというのは、自分でも特別な感慨。今までと違った喜びがあると思っております。これだけ注目していただいて、緊張というかプレッシャーというのはあるんですけども、重圧に押しつぶされてしまってはよくないので、なるべく自然体で指すように。」

彼に代わって正反対に感じるのが、山本幸三地方創生相、東大卒、元大蔵官僚(68歳)である。自分でも言っていることが理解できているかが疑わしい。インチキしようが嘘をつこうが勝ちさえすればいいとの発言。政策を勝負事と思っている節があるが、誰と勝負しているつもりだろうか?

まして25日放送の日テレの番組「バンキシャ」で報道された安倍首相がインタビューで答えたとされる発言。神戸市の産経正論の講演会で「全国に獣医学部を新設」と表明した真意を問われ「あまりにも批判が続くから、頭に来て言ったんだ」とされるに至っては何をか況やである。

政府広報の陳腐さ

昨日25日は、東京都議会銀選挙の最初で最後の党首街頭演説の日曜日だった。この選挙が国政にどれほどの影響があるか知らぬが、兎も角各政党の党首が街角に繰り出すのは自然だろう。しかし自民党安倍総裁と日本維新の会松井代表は姿を見せなかったようだ。松井氏は大阪の人のイメージが強いので応援にならない、と思うのは仕方が無いとして、自民党総裁が街頭に立たないのは相当不自然だ。

人前で野党を攻撃することが三度の飯より好きなくせに、特段の用事も無いのに自宅に閉じこもっている。当然マスコミやネットにはいろんな憶測が飛び交っている。党内の世論調査で負けがはっきり出ているので、責任を取りたくない。なんて理由が尤もらしく書かれるが、やはり体調が相当に悪いのではなかろうか。早いとこ激職から引退されて、山中湖の別荘にでも行き、ゆっくり休まれた方が善いと思う。

閑話休題:新聞を買ったわけではないが、昨日の「日刊ゲンダイ」に掲載された次の記事が元広告屋の興味を引いた。以下に少し引用する

『投じた税金4億円 安倍政権「ミサイル避難CM広告」の思惑』 こんなバカバカしいCM・広告に一体いくらの税金を投じたのか。内閣府に問い合わせると、担当者はこう答えた。「CM制作費と放映費で1億4000万円、新聞広告で1億4000万円、ウェブ広告で8000万円です」4億円近いカネをドブに捨てたようなもの。そもそもなぜ、このタイミングでCM・広告を打つ必要があるのか。森友・加計学園問題で内閣支持率の低下が著しい安倍政権が“メディア買収”に動いたとしか思えない。以上引用

どこかのテレビ局でもこの話題を取り上げていて、一度見たいと思っていたところ、この週末に一度実物を目にしたような気がする。これで買収できるメディアがあるとも思わないし、政府が視聴者や読者に何を言いたいのか分からない。「本気で言っているの、馬鹿にしないでよ!」が落ちだろうに。北朝鮮の放送を笑えない。政府がメディアコントロールに力を入れたい気持ちは分かるが、どうも広告屋に食い物にされているような気がしてならない。

国策印象操作

昨日のブログの続きになってしまうが、既成メディアは先日プレスクラブに於ける前川氏の発言をどのように受け止めたのだろうか。心ある記者は重く受け止めているに違いないが、日本の新聞テレビラジオのマスコミは巨大組織であり、トップが政権と繋がっている事実には抗しがたいようだ。前川氏の記者会見で最も注目すべき発言は「国家権力とメディアの関係」だと思ったが、反省を込めてまともに取り上げている媒体は残念ながら1社も無い。

今朝の朝日新聞を見ると1面に『首相、自民改憲案の臨時国会提出を明言「歴史的な一歩」』と見出しがあり、産経新聞の主張に賛同する任意団体「神戸『正論』懇話会」主催の講演会での内容が紹介されている。内容は書くまでもないが、総理の言いたい放題で、目下国民から突き付けられている臨時国会の開催については一言も触れていない。挙句の果てに加計学園問題に絡んでは言うに事を欠いて「獣医学部を全国に設置したら良い」ときたものだ。国民を馬鹿にする以外の何物でもない。

これを産経新聞やNHKが大々的に取り上げるのは、彼等の立場が政府お抱えの広報機関に堕してしまったことを思うとやむを得ないのかもしれぬ。しかし朝日・毎日・東京までもがである。いくら東京都知事選にはお呼びか掛からないとは言え、沖縄の帰りに西の神戸に態々立ち寄り、しかも右翼系団体見え見えの講演会での与太話ではないか。産経やNHK以外は黙殺するくらいの意気を見せてほしいものだ。

官邸側は一種の国策印象操作として演出しているならば、成功には違いないだろうが、国民にとっては雑音にしては迷惑に過ぎる。総理の口調を聞く限りどこかおかしい。その1日前には『妻、昭恵氏が23日、岐阜市で講演した。森友学園問題での報道機関の指摘を念頭に、「批判はして頂いて結構ですが、こちら側が伝えたいと思っていることもきちんと伝えて頂きたい」と述べた。』との記事もある。この二つの記事を突き合わせると、総理ご夫妻の頭の中が何か尋常で無いように感じてしまう。こちらの頭がおかしいのかもしれぬが。

国家権力とメディアの関係

ティーンエイジャーの頃、最大の娯楽は映画館に行くことだった。邦画と洋画を問わず新作が来ると、早々に映画館に足を運んだ憶えがある。当時はニュースと予告編に次いで本編が上映される仕組みで、コマーシャルは未だ誕生していなかった。現代は、この最大の娯楽機関がテレビに置き換えられて、我が家に据え付けられていることになる。

従ってテレビのことを余り悪く言いたくはないが、市川海老蔵氏夫人死亡に関する番組を朝から延々と見せつけらると、どうしても文句を言いたくなる。何故か、昨日は海老蔵氏の記者会見に少し遅れて、前川喜平氏の記者会見もあった。海老蔵氏は歌舞伎ファンならずとも知らぬ人もいないくらい有名な芸能人、前川氏は前の文科省事務次官で、国会で大問題になった加計学園事件関係に関し1か月ほど前から大きく取り上げられてきているので、知る人は知っている。

テレビはコマーシャルで成り立つ商業放送だから、取り上げる話題も視聴率が優先される。海老蔵氏と前川氏を知名度を比べれば、どちらの記者会見を優先するかは自明のことかもしれぬ。だから読者数も少ない我がブログながら、前川氏の記者会見を少しフォローしたい。昨日は日本記者クラブ主催だから、本邦マスコミの総本山からの招待に答えた形での会見で、2時間近くに亘る長時間である。海老蔵氏の会見はどこかの劇場で、昼の部講演終了後らしいので、時間的には前川氏の方が長かったのではなかろうか。

マスコミ報道はさしのインタビューでも限られた時間又は紙面にはめ込むため、内容を相当圧縮せざる得ないことになる。その割に海老蔵氏の会見はかなりの細部に亘って見させてもらった。一方の前川氏の会見も扱いに程度の差はあるようだが、民放は殆どの局が取り上げている。新聞も殆どの紙が書いているだろうが、僻むようだが海老蔵氏に押されて扱いはさほど大きくはない。指摘すべきはNHKのニュース、連れ合いに言わせると朝5時からどのニュースでも前川氏の記者会見は取り上げなかったとのこと。

ある意味わかり易いとも言える。前川氏は会見で、自分が加計学園獣医学部新設に絡んで発言をしたことで認識を新たにしたことがある。として非常に重要なことを言っているのだ。即ち「国家権力とメディアの関係」である。読売新聞に突然掲載された<出会い系バー通い>について、官邸からもみ消しを暗示する誘いがあったこと。氏が会見を開く前、…

スローガン政治

ブログに書くほどのことが無くなってしまったので、ボーっとメモを見ていたらこんなファイルが目に留まった。「第193回国会における安倍内閣総理大臣の施政方針演説(平成29年1月20日)」つまらないものを取っておいたものだ。捨てる前にざっと目を通した。相も変らぬお題目が並んで「世界の真ん中で輝く日本を、一億総活躍の日本を、そして子どもたちの誰もが夢に向かって頑張ることができる、そういう日本の未来を、共に、ここから、切り拓いていこうではありませんか。」と締め括られている。

そして先週19日国会閉幕を受けての記者会見では、「人づくり改革」を検討する有識者会議「みんなにチャンス!構想会議」を7月に発足させ、担当大臣を設置することを表明している。総理大臣として本当にやりたいことは何かがさっぱり分からない。普通個人的にはお金持ちになりたいとか、海外旅行をしてみたいとか、女性にもててみたいとかいった類の淡い野望を抱くことはあるだろうが、一般人に許されることであって、総理たる者がそんなことを考える暇は無いはずだ。必要も無いはずだが、安倍氏の場合は貧しい家に育ったので、巨万の富を手にした現在でもその精神構造から抜けきれないでいると悪口を言う向きもある。

どうでもいいが、「アベノミクス」に始まり次々に放たれたスローガンに因んで命名された幾つかの会議について文句を書きたい。「一億総活躍」「国家戦略特区」「教育再生実行」等々一連の繋がりで先の有識者会議が誕生することになるのだろう。ご本人は1億2千万人以上の国民を十把一絡げでエイやとこねくり回すことが可能と思っているのだろうが、国民の多くは無関心であるか、こちらのようにひねくれた人間は「うるせぇ!ほっといてくれ」と毒づくのが関の山か。スローガンやキャッチフレーズを考えるのは宣伝屋のお仕事、長年携わっていたのでよく分かる。比較して思えば、戦前軍国主義時代のスローガンの方がまだましだ。

現政権のものは、多数の人たちに喜ばれる実効性のかけらも無いのに意味不明のキャッチで国民に号令をかけている。何が「「みんなにチャンス!」だ、笑わせるな。政策より先にスローガンだけを作り、個人的にやりたい放題をして、後は問答無用で反対者を抹殺できるとは思い上がりも甚だしい。

言語空間は同じでも

水木金と3日間は降り続くはずの雨が水曜日1日でやんで、梅雨の晴れ間に戻ってしまった。首都圏の労働者や暇人にとってはありがたいが、お百姓さんや水源にとってはどうなんだろうか?少し気になるところでもある。国内の政治がガタついているので外国の情報は少ないが、隣の韓国と北朝鮮の関係微妙に接近し始めているようでもある。アメリカも漏れ聞く限り、結構国内が揺れているようでもある。

目は専ら中東とロシアに向いているので、東アジアに構っていられないとの説もあるようだが、人質一人が生ける屍で送り返されたことに無反応と言うわけにはいかぬだろう。更に金正恩の火遊びが続くと、いくら中国任せとは言え何か行動を起こさない訳にはいくまい。当然同盟国の我が国にも何らかの影響はあるだろう。イージス艦やPAC3ミサイルの映像がテレビに出るので、内閣支持率向上に役立つなんてほくそ笑む人もいるかも知らぬが、とんでもないことだ。

国会を閉じてしまったまではいいが、為政者の目は現在どこに向けられているのだろうか?所詮政治家なんて輩は次の選挙のことしか考えが及ばない、なんて情けないこと聞くが、正直何を考えているかが分かりにくい。我々は世の動静をマスコミやネットに流れる情報からしか掴みえぬが、政治家なる人種は俗に言うところの1次情報に接している上に、我々とは全く異なる倫理規範に則っているようで、思考回路が随分異なっているようだ。このことは与野党を超えて言えると思う。

一般市民は、普段接しているマスコミの違いで政党支持の態度が大分違ってくる。霞が関キャリア官僚OBでさえも、文科省の前事務次官前川氏への評価も大きく異なる場合がある。これなども立ち入って聞いてみると普段接するメディアに大きな違いがあるようだった。同じ言語空間で暮らしていても日常インプットされる情報の積み重ねは大きな影響力を持つものだ。政治家の行動と一般人の行動にはどうしても大きな違いが出てきてしまう。

我が連れ合いも野党の追及の甘さにイライラしているが、政治家が縛られている国会のお作法を我々が知りえないせいではなかろうか。言語空間は同じでも、政治家は別の星の住民のよう思えてくる。今日急に浮上した自民党2回生議員のスキャンダルを待つまでも無く、政治家はいつの間にか常識さえ庶民とはだいぶ異なってしまうようだ。

読後感「日本中枢の狂謀」古賀茂明著

著者は司会:古館伊知郎時代の「報道ステーション」コメンテータも務め、降版の際に物議をかもした人物。「I am not ABE」フィリップ提示でも有名になった。通産省キャリア官僚で内閣出向経験もあり、マスコミの内部にも通じているので、世間を見る目も凡俗には及ばない複眼視点を持っているはずである。徹底した現政権批判を中核に据えて、日本社会の問題点抽出を試みている。著者は前回の都知事選で出馬直前まで行ったことも経験している通り、政治的野心もあるので、政治の裏側も知る立場のようだ。民進党(旧民主党)についても問題点を指摘して、かなり辛辣に(早く消滅すべきと)書いている。

内容は著者がこれまでに別の著書やマスコミを通じて発信してきているところを詳細に書き込んでいるようなので、買ってまで読む程ではないかもしれぬ。著者の主張「改革はするが戦争をしない民主主義国家・原発の無い日本」の確立に反対する気持ちは全く無いが、言うべくして容易なものではないだろう。しかし問題点の指摘という意味では、通産官僚であっただけに原子力政策にしろ、産業政策においても素人の見方を超えている。

日常的にぬるま湯状態の社会にどっぷり浸っているので、何となくおかしいと感じてはいても問題がどこにあるかは中々気づきにくいものだ。一例を挙げれば自動車産業なんか、トランプ大統領が何を言おうと日本は世界をリードしていると思っていた。ところが経産省のミスリードで今や世界の趨勢に相当遅れ、トヨタでさえシャープや東芝になる日が近づいていることを改めて知らされた思いだ。外国事情にもよく通じている。

国内的には例の政治問題と絡み、規制緩和論議が喧しいが、産業政策上本当の問題点はどこにあるのか。これも知っているようでもはっきり知らなかったことだ。農業農協改革、医療制度改革等々幾つか指摘しているが、特に改めて思ったのは昔少し関わったエネルギー(原子力)政策である。著者が原子力からの脱却を目指したいのは分る。しかし問題は政官業に亘り巧妙に張り巡らされたネットワークとこれに篭絡されているマスコミであり、その実態が相当赤裸々に描かれている。

問題点の抽出と言う意味ではよく書けているとは思うが、市民連合の立ち上がりを期待する著者の思いはどこまで届くかが問題だろう。


先人への思い

通常国会終了後の首相記者会見が官邸で開かれ、その終了30分後に森友学園前理事長籠池氏の自宅などが大阪地検特捜部の家宅捜索を受けた。記者会見で出る筈も無い森友学園関連の質問について、念を入れて質問封鎖しているのだろう。しかも、捜索容疑は小学校建設をめぐる国の補助金と障害のある園児数に応じて支払われる府の補助金の不正受給だけで、小学校予定地の取得など、いわゆる森友疑惑の『本筋』については捜査対象になっていないそうだ。何とも分かりやすい構造だ。

今の日本を10年ぐらい経ってから振り返った時、歴史的分岐点に立っていたなんてことになってほしく無い。しかし安倍首相は、この夏で一山こえられる、後は本峰である憲法改正へどのように進むかだ、と考えているかもしれぬ。改憲は安倍氏が考えるほど容易でないかもしれぬが、自衛隊は実態からして軍隊じゃないかと思う年代が圧倒的になってしまったことを考えると、安心はできない。専門家でないのではっきり分からないが、確かに実態は軍隊に限りなく近づいていることは否定できなのだろう。

しかし今のところは未だ「戦争のための軍は持たない」とした憲法の歯止めは辛うじて効いている。他国の戦争に関わることについては、一昨年の安保法制の改悪以来、改憲が無くても相当危険な状態になっているようなので、安倍総理にすれば、あと一押しで改憲可能と踏んでいるのだろう。先に述べたように、2020年までの改憲に反対する人でも自衛隊を軍隊として認めるべきと考えている人は多い。自民党の石破茂氏も典型的な一人で、自分の考えには相当な自信を持ち、総裁選に立候補すべく仲間も集め派閥もどきを立ち上げている。

先日も外国特派員協会のゲストに呼ばれて持論を展開した。内容をYOUTUBEでじっくり聞いてみた。いつもそうだが、本人は論理的に一点の瑕疵も無いかのように自信満々例の上目遣いをしながら喋りまくっていた。「軍隊を持つのは全ての独立国にも与えられた当たり前の権利だ。そして現憲法は残念ながら日本が独立国でない時代に制定されたものである。だから出来るだけ早く改憲して自衛隊の呼称は兎も角、国の独立を担保するために国際法で認められている「軍」を憲法に位置付けなくてはいけない。」と要約できる。

確かに連合軍の占領下で制定されたのは事実でもあるので、若い人が聞けば「なるほど、そうか」と思ってしまうかもしれない…

記者クラブ制度再考

先週閉じた国会は多くの人に悪印象を与えたようで、週末行われた各メディアの世論調査結果は、相当な落ち込みを示したようだ。森友学園事件では野党の追及に腰が引けていたマスコミが多かったが、加計学園事件になると最初腰が引けていたメディアも、流石に黙って見過ごすことができなくなってきている。

もちろん中には相変わらず腰が引けていたり、強気で政府の提灯を持つテレビ番組もあるが、ここまで来ればもうご愛敬とでも言うべきかもしれぬ。いつもマスメディア批判を書いてきたので、今回は活躍にエールを送りたいメディアが増えたことを本当に喜ばしく思う。読売新聞が政権にあからさまな協力をしたのは残念ではあるが、敬意を表したい新聞やテレビ番組は沢山ある。中でも注目したのは記者会見の席で菅官房長官を追い詰めた東京新聞の望月衣塑子さんである。

土曜日の夜、インターネットテレビの「IWJ Independent Web Journal」で主宰者の岩上安見氏が彼女にインタビューしたのをじっくり聞いてみた。(この番組は下記から入って試聴は可能だが、2時間じっくり聞くためには有料となる。)http://iwj.co.jp/wj/member/archives/383824
年間確か1万円だったと思うが、この番組は見応えのあるものが多いので、会員になることを心からお勧めしたい。新しいメディアであるが、応援したいので宣伝する。

残念ながらいつものように悪口を書いて締め括りたい。その前に、望月さんは東京新聞社会部の記者である。官房長官記者会見は政治部記者が出席するのが普通だが、東京新聞は6月9日の記者会見に彼女の強い要望を受け入れ社会部記者の望月さんを送り込み、彼女はその期待に応えたことになったようだ。問題はその後のことである。

政治部記者で構成される官邸記者クラブから「社会部の記者だから長官会見の作法が分からないのでしょうが、場を乱し過ぎた。それで、記者クラブの総意として、東京新聞に抗議する。」という話が出たらしい。結局は見送られているが、「作法」とは何事ぞ、語るに落ちたことだ。政権から便宜供与をうけているうちに自らが使命を見失い政権に取り込まれている。記者クラブの弊害がはしなくも明らかになっている。今日の夕方総理大臣の記者会見があるらしいが、お作法に則ったつまらないものになることだろう。

読後感「田中角栄 政治家の条件」
小室 直樹 著

通常国会が終わって余りにも後味が悪い。何が悪いのか、勿論この政治家を選んでしまった私たち自身の責任が大きいのはよく分かる。それにしても政治家の資質劣化が激しすぎる今日、改めて田名角栄について考えてみるのも意味がありそうだ。現在でも書店に行けば角栄本は多種多様が平積みになっている。殆ど一度は読んだような気がするし、最新出版については興味が無かったので、30年以上前、角栄氏が未だ生存中に執筆された本書を読んでみた。

実は小室直樹氏の著作を1冊も読んだことがなかったので、先月図書館の蔵書では最新(ひょっとすると遺作かな)の「天皇畏るべし」を読んで、氏の眼力と表現力に非常に興味を覚えたからでもある。本書も同様で非常に読み易く、多くの示唆に富んでいる。タイトルが示す通り田中角栄氏について論じている、と言いうより褒め上げているのだが、ちょっと普通の誉め方とは異なる。角栄氏生存中とあれば、刑事被告人となって引退を余儀なくされ、しかも病気に倒れて半分世の中から忘れかけられていた筈だ。

著者の意図に角栄氏を惜しむことはあったろうが、それ以上に訴えてくるのは日本の民主主義のありようだ。どっぷりつかっていると分かりにくいが、現在のように安倍1強体制を見せつけられると、日本の政治や民主主義への疑問が湧いてくるので、かなり興味深く読んだ。書かれた時代は中選挙区時代だから政治家の選ばれ方も現代とは違う。金銭感覚についても現代とはかなり違うと思うのだが、政治家は選挙民によって選ばれることでは変わりない。

著者は選ばれた政治家が何をするか、したかについて語るのである。政治家は法律を作るのが仕事であるのは言うまでもない。その過程において大事なのは政治家と官僚との関係である。アメリカでは議員が自分のスタッフだけで法律をどんどん作るので、法律同士の不整合が生じることになる。この不整合を司法が判断して、どちらを優先するかを決める仕掛けになっている。日本の場合は角栄氏を例外とすれば、法律は政治家によって作られることは先ず無くて、殆どが官僚の手で作られる。

ではその官僚が法律に詳しいかと言えば、そうでないところがまた悩ましい。但し法律を作る前に官僚同士が綿密な打ち合わせをして、不整合を事前調整してしまう。アメリカの場合のような司法に出番はなくなる。即ち官僚が作った法律で3権分立も担保されているので、司法も行…

官僚の悲哀

安倍政権のみが満足して通常国会の幕が下りた。これでも政権支持率が下がらなかったら、日本人はお人よしを通り越して馬鹿になってしまったと思わざるを得ない。文科省では官僚の反乱に火が付いたようだが、他の官庁でもまともな人材であれば、この政権の横暴をこれ以上許すべきでないと思うだろう。昨日も書いたが、国会議員は院外では不逮捕特権を持ち、閣僚ともなれば護衛が付いてテロからもがっちり守られている。

官僚はそうはいかない。立法府なんて偉そうにしているが政治家なんて法律については疎いので、立法については1から10まで官僚頼みにならざるを得ない。国会での質問に対する答えも全て官僚が用意して、政治家はそれを棒読みするか、今国会の法務大臣のように答弁そのものを代わってやるかだ。最近は国会もテレビ中継が入るのでお馴染みの光景が蘇るだろう。そして挙句の果てに何が起きるか?

政治家に責任が及びそうになると、その責任を官僚に負わせてしまうことになる。先ず思い出すのは内閣府で安倍昭恵夫人付きとなった谷冴子さんだ。森友学園事件の肝心要のところで、罪を全て引っ被らされてしまった。彼女が独断で財務省室長と接触できよう筈がないのは誰もが分かっている。けれど夫人側が指示した覚えがなく、財務省側が問い合わせに丁寧に対応するのはよくあること、と言ってしまえばそれ以上の追及が不可能となる。

最近で言えば内閣府の国家戦略特区担当の藤原審議官なんか相当ヤバいことになるだろう。幸か不幸か政権が国会を手際よく閉じたので、加計学園問題がどこまで尾を引くか分からない。野党が本気で追い詰めれば、総理のご意向が無いにも拘らず藤原氏が勝手にその印籠を振りかざしたとしなければ決着がつかぬだろう。野党が彼をどんなに追求しようと、萩生田副官房長官からの指示がありましたとは言わないだろう。担当大臣もその意味では悪賢く先手を打って「副官房長官ではなく私が指示した。」なんて見え透いたことを言い始めている。

大臣は政治家だから、総理に恩を売れば見返りがあると期待もするだろう。しかし官僚はそうはいかない、谷さんのように一時は思いがけないポストにありつくかもしれぬが、官僚の人事は政治家の思惑とは異なる次元で左右され、それが生涯にわたる。胸の中に苦い思い出を抱え生涯を過ごすことが、果たして本人のためとなるかだ。少なくとも前文科事務次官前川氏のように…

安倍内閣も最終盤になってくれ

昨日はハイキングに行ったのでブログは休んでしまった。いつもよりかなり早く(5時頃だったかな)起きると、昨日からの続きで参議院本会議が間もなく開催されるだろうとのこと。夕方帰宅して風呂から上がり、冷えたビールを喉に流し込みながらテレビを観ると、案の定共謀罪法案の国会通過と文科省再調査でこれまで不存在だった文書が見つかったとの報道。当たり前過ぎて面白くもおかしくもない、うんざりするばかりだった。

疲れてもいたので8時前には床に就いて今朝5時までたっぷり寝てしまった。今朝は野際陽子さんの訃報がトップニュース、火曜日には亡くなっていたらしいが、テレビドラマや芸能ニュースには縁遠い小生にも惜しい人、凛とした表情なんて言葉はよく分かる気がする。2番手が家計学園絡みの報道で、文科省で見つかった文書の中に内閣府藤原審議官が手書きで修正を加え「指示は官邸の萩生田副長官からあったようです」と書かれたものが見つかったとされているようだ。

萩生田と言うおっさん、安倍政権発足以前は見たことも聞いたことも無かったが、現在総理の最側近だそうで、総理外遊の際だろうと記者会見であれ総理の背後霊の如く突っ立っているのをよく見かける。どんな能力が買われたかは知る由もないが、菅官房長官同様総理が杖とも柱とも頼っている風情はよく伝わってくる。国会での答弁を何回か聞いたが、人を小馬鹿にしたような答弁ばかりで、優秀さはかけらほども感じられない。内閣にあって警察なんかとの連絡役にはうってつけかもしれぬ。

何れにしても今日で国会は事実上の閉幕となる。いろんなメディアがこの国会についての論評をしているが、結構目立つのが「安倍逃げ切り」「安倍作戦勝ち」の見出しだ。事実を適切に評価するとそうなるのか、政権に胡麻をするつもりかは分からないが、一市民としては気分が悪い。確かに、参議院の幕引きも違法ではないし、国会議員の身分を持つ者は国会内の発言に関して国会の外で罪を問われることは無い。総理も国会議員だから「もし私や妻が関係していたら総理大臣はもちろん議員も辞めますよ。」と言ったことは嘘だったとしても何の罪にも問えないらしい。

従って今日半日、何を言われても黙って耐えればすべて目出度く幕引きができる。もとより都議選への影響何ぞ最初から問題ではないのだ。日を改めて書きたいが、つき合わされた内閣府藤原審議官他の官僚諸氏の行く末が…

遵法精神

ここ数か月首相の犯罪が問われているにも拘らず、首相をはじめとする政府はそれこそ一丸となって終盤国会を乗り切る構えを見せている。同盟国アメリカでも大統領の犯罪が議会で追及されているようだ。アメリカの政治の仕組みに関して無知なのでよく分からないが、報道のされ方から推し量ると我が国とは大分様相が違うみたいだ。少なくともトランプ氏の場合は、議会から被疑者扱いされていることは十分認識したうえで「好きなように調べてみろ、宣誓証言も受けて立つ。」と開き直っているように思う。

彼は司法長官に腹心を当てているので強気のようだが、法の手続きは無視していない。一方の我が国を見ると、強気は良いが強気の根拠がよく分からない。政府の態度は「全て法に則ってしていることだから、野党の追及なんか問題ならない。」でやり過ごすつもりのようだ。このやり過ごし方がアメリカと違い、法の手続きを無視しているようにも見える。野党の質問に対し、ある時は嘘をついてでもまともに答えない。政府から見れば、野党の質問は下らないかもしれないが、少数とはいえ野党議員も又国民の代表の一員である。

どう考えても質問を無視することはいけないだろう。政府の側に遵法精神が欠けると見られても仕方がない。そこで思うのは、自分を含め日本人全体の法に関する受け止め方の問題である。「法の最終判断をするのは裁判官」は日米の違いなく大部分の市民が理解できている。ところがその最終判断に頼るまでの経緯が日米では大分異なるようだ。アメリカばかりでなく共産圏を含む諸外国において「法」の権威は著しく、日本は全員が「法」を少し軽く見過ぎているみたいだ。

アメリカにも「赤信号皆で渡れば怖くない」ようなことはあるようだが、対人的に利害の衝突が発生した場合の裁判沙汰は、日本とは比較ならないほど多く、故に弁護士の数が非常に多いことはよく知られている。日本の場合は対人関係の円滑さを尊重するので、法に訴えることは出来るだけ避けることが良しとされてしまっている。一般市民のことはさて措くとして、官僚や政治家が「法」を軽く見るのは如何なものかである。

信号無視に立小便「誰も見ていないから大丈夫」で法律違反だらけなので、総理の犯罪について云々するのは烏滸がましい。内部告発した文科省官僚を法に則り処分ありうべしも結構だだろう。しかし、国会で嘘をつくのは何の法にも触れないのだろうか?

次の時代

このブログは参議院で共謀罪法案が審議されている最中に書いている。今日委員会での強行採決があり、政府の予定通り今週中に法案が上がるかは分からない。多分上がることになるのだろうが、国会が多数決原理で運営されている以上それはそれで仕方がないのだろう。問題はむしろその後が問題で、国民が安倍1強をどこまで許すかに掛かってくる。

野党の勢いが増して近い将来に与野党の逆転が起きるなら、トランプ氏のように、その時点で不都合な法案は変更すればいい。考えてみると民主主義とは手続きが面倒なものだ。現時点での「野党腰抜け、不甲斐ない」論に悪乗りたくない。戦後70年近く、現憲法の下で社会構造は大きく変化したものの、激変に伴う大きな社会的混乱を生ずることなく来たとも言える。それが安倍内閣になった途端に様子が一変したような感じだ。

先ず憲法解釈を変える、これに無言の抵抗を示されている天皇陛下の意向を無視して、国体の基本になっている象徴天皇制の将来について真剣な検討をすることなく棚上げ同然にしてしまう。天皇を無視して権力の横暴を極めた平氏や源氏の武士に連なる明治維新前の武将の如きか、それ以上の振る舞いに見えて仕方ない。政権に就いた昔の武将たちも、権力をフルに発揮して下々から見たら無法な行為は多々あったことだろう。

しかし彼等には「天下を治める」責任感があったことだけは間違いない。誰一人自分たちの仲間だけが良ければ民がどうなろうと構わない、なんて思った者は一人もいなかったのではないか。更に歴史に対する責任が感じられる。死んでしまえばそれで終わり、後は野となれ山となれ。と考えていた者も一人もいない筈。秀吉が臨終間際に側近に秀頼のことを「くれぐれも頼む」と言ったのは見苦しいと言う向きもあるが、普通の人間であれば死後の世界を思うのは当然だろう。

安倍内閣は幸いそう長く持たないとは思うが、いつも安倍総理について思うのは「次の世をどのように考えているのか?」である。これを言うと差別発言だといつも攻撃されるが敢えて言いたい。「彼の歴史に対する無責任さは、彼に子供がいないことに大きな原因がある。」

内閣支持率

2月から始まった安倍スキャンダル報道の影響がやっと出始め、今月に入ると流石に内閣支持率も下がり気味のようだ。当たり前のようにも思うが、それでも50%を割り込まない。もっと下がってほしい気持ちもあって内訳を見ると、なんと高支持率を支えているのは20代の若年層とのこと。卒業後の就職や有効求人倍率の高さが原因らしい。他人のことや老後の心配をする年齢ではないので気持ちは分からなくもない。

市民が自分の利益を追求することを責めることは出来ないし、為政者も市民が安心感を持てる社会を形成することに意を用いるのは当然だ。権力者である為政者たるものは間違っても己の利益や享楽を追及してもらっては困る。古来、「政治的権力を握っている者が「利」に走ると、欲望だけが渦巻き、世の中が乱れ、退廃し秩序有る社会が築くことが出来なくなる。」とされている。

若い人には「自分に自信を持て」と言いたいが、その辺のことはいくら言っても、目先の安定が大事で聞く耳は持たないのだろう。がしかし、年寄りからすると、道徳が乱れ何でもありの世の中は考えるだに恐ろしい。今の内閣は世の行く末をどのように思っているのだろうか?まさかこのような世が永遠に続くなんて考えてはいないだろうが、当面は好きなようにさせてもらう。即ち、法治国家のふりをし、法治国家であるかのように国民を洗脳しつつ、人治国家的システムで運営をしていくつもりのようだ。

以下に元検事で現在衆議院議員の若狭勝氏のブログからの引用しておく。
「警視庁本部 中村格刑事部長(当時)の暴挙と法治主義」逮捕状の執行を阻止した説明を納得のいく形でしない限り、私は中村刑事部長(当時)を許せない。・・・中略・・・・
現在、アメリカ大統領が、FBI長官に対する捜査妨害をした疑いで窮地に追い込まれている。捜査ないし刑事司法への不当な圧力は、どの国でも法治主義を危うくするものとして由々しき問題となる。

政治主導も結構だが程々にしてもらわないと困る。

読後感「敗者の戦後」入江 隆則 著

著者については全く知らなかったが、何でも保守派の論客だそうだ。本書の原本も、昭和の終わりころに産経新聞系列から出版されている雑誌「正論」に数回に亘り掲載されたもの。ただ18世紀から20世紀に至る西洋の歴史と19世紀から20世紀に至る東洋の歴史を「戦争」と言う補助線を置いて比較研究したものなので、著者の思想信条は余り関係ないように思う。

最近、特に第2次安倍内閣以来の5年くらいの間に日本も大分きな臭くなっては来ているが、生まれてこの方戦争とは縁遠い時代を生きてきたので平和ボケの感は否めない。しかし洋の東西を問わず先進国の近代史は戦争で得埋め尽くされているようだ。著者は18世紀末に起きたフランス革命以来、ヨーロッパではナポレオン戦争の1次2次が尾を引き、第1次世界大戦に発展し、それがまた尾を引いて第2次世界大戦に陥ったとしている。

尾を引きとは即ち戦後処理のありようで、敗者がどのように扱われ、それが次の世に何をもたらしたかを分析している。端的に言えば、ヨーロッパにおける18世紀の戦争と19世紀における東洋の戦争は似ているところがあり、何れも最初は、戦争は軍人同士の戦で、農民や商人は傍観出来た面があったようだ。日本も明治維新以後1894年(明治27年)には日清戦争がありその約10年後には日露戦争があって、幸いなことにこの戦争には勝つことができた。この戦後処理は日本国内に不満が残ったものの、ナポレオン戦争の処理に似ていたとしている。

ところがその後20世紀に入ると、世界的には第1次世界大戦が始まる。ここでは日本も国際的に恥じること無く振舞うことになるが、兵器の開発が進み戦争の仕方も軍人同士では済まず、一般市民を巻き込む形に変化してくる。国際法も戦後処理も大分様相が変わるが、細かいことを書いても仕方がない。著者が結論付けているのは、戦争に正義の戦争と不正義の戦争はあり得ない。政治の延長と言われるが、戦争は絶対悪である。

感想として最も印象に残ったことは、先に日清日露戦争に<幸い>勝つことができたと書いた。関連するのが「人間は恐怖する動物、言い換えれば恐怖する人間こそ正常な人間」(グリエル・フェレーロ)明治の元老(伊藤博文や山県有朋たち)には恐怖が正常に作用したので概して国策を過たずに済んだ。引き換え近衛文麿以下の新人類は歴史への恐怖が薄い。現代の政治家を思うとき、彼らに歴史…

確認できない情報

昨夜のテレビ報道の官房長官記者会見で、何故か記者からの質問音声が明瞭に取り込まれていた。今までに観たことがない会見映像だったので驚いたが、考えればこれが当たり前のはずだ。マスコミも大分頑張り始めたと言うことだろう。これまでは5と6チャンネルの専売的な感じでもあったが、ここまで来ると他チャンネルも加計学園事件を無視できないだろう。午前中には朝日新聞ウェブジャーナルに「総理のご意向」文書、文科省追加調査へ 加計学園問題」の見出しが上がった。

既に複数の現役官僚が文書の存在を認めていたのだから、まさか追加調査はしたが「やはり存在を確認できませんでした。」とはいくまい。さてこれまでの嘘をどう弁解するのか?ある意味で「見もの」である。テレビに登場する識者の多くは「民進党が文書の存在を質したときに、怪文書と切り捨てず丁寧に応じて、ダメージコントロールとして内閣府官僚の忖度に留めれば良かった。」とのたまう。

官邸は、この手が今からでも通用すると思っているかもしれぬが、野党も馬鹿ばかりではないだろうから、そんなに甘くは無いだろう。情報公開法と言う結構な法律もあるらしい。2の矢3の矢を期待したい。総理辞任に追い込むのは無理にしても、前言の撤回くらいまで追い込んでほしいものだ。

兎に角、現政権の無能さと権力の私物化はは目を覆うばかりに見えるが、支持率が下がらないことについて、昨夜のテレビで江田憲司氏が次のように語っていたのが印象的だ。「結局は経済の現況に国民は不満が無いのです。失業率2、3%いわば完全雇用の状態、大学生にせよ高校生、中学生の就職率もほぼ100%、その上株価も高止まりしているではありませんか。給料が上がらない、所得格差は拡大の一方と言っても、国民大半にはピンとこないのですよ。」

橋本総理秘書官だった江田氏は海部総理時代も内閣に在籍していたようだが、海部内閣の支持率も50%以上を維持していたとのこと。「海部氏はそれを頼みに解散に打って出ようとしたが、旧田中派経世会で封じ込められ潰されてしまった。その時の社会背景は何であったか、バブルとバブルの崩壊ですよ。」江田氏は今の状態も一種のバブルで、安倍氏はそれに支えられている、と言いたかったようでもある。

今がバブルとは知らなかったが、確かに中高年のおばさん連中は優雅にお暮らしとの話を聞くことがある。

マスコミの役割

「嘘つきは泥棒の始まり」は多くの人の間で常識化している警句かと思う。ところが、こう毎日大勢の政治家や官僚が平気で嘘をつく姿を見せつけられてはたまらない。このままでは嘘をつくことに対する罪悪感が薄れてしまう社会になりかねない。元文科事務次官の前川氏によれば、文科省大臣以下の職員の発言は、嘘にならないようギリギリの線で頑張っているとのこと。だから責めないでくれ、と言うがこれはおかしい。

有ったものを無いと言えば明らかな嘘だが「確認できない」だけでは嘘にならない、との理屈だ。そんな理屈でどうすれば子供たちを得心させられるかだ?「宿題はしましたが、家に忘れてきました。」と言えば、先生は「今から家に帰って取ってきなさい。」と言うに違いない。本当に家にあるなら取ってくればいいし、もし嘘だったらその場で謝らざるを得ないだろう。

それをどこまでも嘘を通そうとすると「今帰宅しても家が留守で、僕は鍵が無いので入れません。」なんて嘘に嘘を重ねていくことになる。子供はこんな悪知恵が働かないからいいが、いい年をした大人たちが、衆人環視の中をこんな情けない手段で乗り切ろうとしている。テレビ画面で嘘の上に嘘を重ねていく姿を家族や友人知人はどう見るのだろうか?

官僚のトップにいるのは総理大臣だから、その組織で飯を食っている以上、組織の倫理に反することは出来ない。これがその正当化の理由だろう、それは分からないでもない。昔から講談や浪花節に出てくるヤクザの世界は「親分が烏は白いと言えば、黒い烏でも白い。と言うのが子分だ。」これはよく知られているが、官僚が総理から扶持を貰っているわけではない。本当の雇い主は国民であるのは前川氏の言う通りで、殆どの官僚も分かっているだろう。

だがしかしこれも前川氏の言う通り、その場(組織)に身を置いてしまっては言い出せないのも事実だろう。総理は自らを誰からも批判されることない立場だと勘違いしているから、嘘のつき放題である。下にぶら下がる官僚はいい迷惑だ。からと言って、これほど大々的に嘘つきを容認するのは社会を根幹から腐らせていくことに繋がりかねない。このことを声を大にして警鐘乱打するのはマスコミ以外あり得ない。

民主主義と事実誤認

「印象操作」と言って事実の隠ぺいを図るのは勿論とんでもないが、最近は安倍さまのNHKまでが加計学園問題を取り上げるようになってきている。これを多として、加計学園問題はさて措き、別の角度から日本の政治風土に根を張る病根に触れる。

「今のご質問には事実誤認があります。」国会で野党の質問にまっとうに答えずに、質問をはぐらかす総理の答弁によく出る台詞である。答弁者は学校の教師ではない。質問自体が間違っていると指摘する権利はない筈で、時々委員長から「総理、質問に答えてください」なんて注意を受けたりするのを見ていると実に情けなくなるが、テレビ放送ではカットされるので、多くの皆さんは悲しい思いをせずに済んでいる筈だ。

1強独裁体制の現政権下では、政権による強弁がまかり通っていることは既にご承知の通り。情けなくは思うが、国内の政治体制がそれを許していることも事実だ。あとはマスコミの活躍を期待するしかない。ところが、目を海外に転じ、外国から日本を見た時どう見えるかを知るのも無駄ではあるまい。たまたま先月来マスコミで報道された、似たような2件の事実がある。国会やら都議会関連の報道が多いので、最早忘れかけているようでもあるが、マスコミ関係者には忘れずにいてもらいたい。

次の二人は何れも国連で任命された特別報告者の肩書を持つ人の、我が国に関する報告に対する我が政府の反応である。

1.ジョセフ・ケナタッチ氏:先月18日、現在国会で審議中の「共謀罪」法案をめぐって、人権侵害の懸念を表明した公開書簡を日本政府宛に送付した。

2.デービッド・ケイ氏:今月2日に都内で記者会見をして「メディアの独立性が大きな脅威にさらされている」と懸念を示した。

何れも民主主義国家の根本を問われた形である。両氏の発言に関して政府は、「国連報告者とは個人的な者で国連とは関係ない」としながらも、すぐに反応して閣議決定までした反論書簡を送ったり、総務大臣が記者会見して反論したりしている。何れも理屈は報告者に「事実誤認があり」に尽きる。果たしてこんなことが国連で通用するのであろうか?

暇人

大衆とか群衆が時として大きな間違いを犯してきたことは歴史が証明している。確かに政治において誰かが大衆心理をうまく掴むことが出来れば、大きな政治的勝利を呼び込むことに繋がるのだろう。現政権が正にその好例だった。ところがこのところ、その雲行きが怪しくなり始めているようだ。大衆心理に乗って突っ走り、とんでもない事態に立ち入る前に、大衆側に飽きが来たとすれば結構な話だと思う。

本当に大衆心理をうまく掴むには、口先だけで格好をつけても中々上手くいかない。日本には判官贔屓と言う言葉があるにも関わらず、やはり大衆は強いものに憧れるのだろう。そこで政権はアメリカを利用して、外交面で近隣諸国への強硬姿勢を演出しているつもりだろう。さすがに最近、中国に対しては態度を変える必要ありと感じ始めたようだが、北朝鮮への態度に変化が見られない。残念ではあるが、今後はこれが逆目に出てかねない。

これまで、政権の時代錯誤的な強硬姿勢を支持してきた層に「日本会議」とか「ネトウヨ」と呼ばれるものがあったと聞く。しかしこれらの層が社会の中で占める割合、実態は詳らかではないようだ。日本会議に所属する国会議員が多いことは承知しているが、マスコミはこの層を少し怖がり過ぎていたと聞く。ネット空間でこの種の情報が多いことも知っているが、マスコミに対する抗議電話等はこの層によるものが圧倒的らしく、対応に怖いより面倒くさいが先に立つのが本音ではなかろうか。

つい先日、ネットテレビで社会学者の宮台真司氏による「インターネット世界におけるネトウヨ現象」を聞いたが、ネット空間に存在するネトウヨの存在は約1%だが、彼らの書き込みは20~30%に上るらしい。こちらも暇に任せて、その反対の(何と呼ぶのか知らないので命名してほしいくらいだ)書き込みを毎日しているが、ネトウヨの諸君は結構若い人も多いらしいのに暇な人たちだ。マスコミも暇人を恐れる気持ちは分からぬでもない。

暇人たちの気分で世の中が変化するのも情けないが、大衆の気持ちが変わりつつあることも事実のようだ。併せて、少し政権から距離を取り始めるメディアが増えることを期待しよう。

保守の原点とは?

総理は「自民党で一番の保守強硬派の私」と自ら言ったそうだが、へえ~てなもので、どこに保守の矜持があるのだろう。さしたる根拠もなく憲法改正を唱えることが保守と思っている節が透けて見える。保守強硬派を改憲強硬派とでも言えば未だ少しは分かるが、本当に総理の語彙の貧弱さには辟易する。日本には党名に保守と銘打つ政党は今は無いが、保守主義とは一体どんな思想を言うのか理解できない。先ず己が保守なのか、革新なのかも定かでない。

父は「私は超保守主義者だ。」といつも冗談交じりに言っていたが、生涯崩さない原則を幾つか持ち続けたので、こちらもそうだろうなと納得していた。省みて自民党を思うとき、彼らが抱く原則とは何だろうか?「改憲」が唯一の原則としたらおかしなことになる。日本は戦後70年以上、憲法を大原則として社会の安定が図られてきている。現政権ですら憲法に法り国民から選ばれている筈だ。まさか一番の改憲強硬派であったとしても、憲法をひっくり返して革命をしようと言うわけでもあるまい。

103条に及ぶ憲法の中に「自衛隊」について表記されていないのが悔しいから、これを表記するよう改憲したい持ちは分からぬでもない。しかしそれ故に保守主義者と言えるかである。そんな気持ちを持つ政治家は野党にも腐るほどいるだろう。そんなことは適当な時期さえ来れば、大騒ぎしなくても実現可能になるかもしれぬだけのことだ。しかし今がその時でないことだけは確かである。何故か、現政権の振る舞いが余りに保守とは程遠い利己的になってしまっているからである。

利己的も政党の信念、原則に基づくことならまだしも、「己」が正真正銘の個人や特定の集団であっては何をか況やだ。自民党も多数の議員を擁する大政党になったのだから、中には高い理想を持つ優秀な人材もいるだろう。蕎麦屋でもあるまいに<もり><かけ>論争に嫌気をさしているとしたら、改めて国民の負託に応え、いま何をすべきかを同志を募って、党内で原則的な議論をしてもらいたい。その際経済成長による格差の解消なんてことが、保守の原点なんてことにならぬようくれぐれも願いたい。

自由の身

今は好き勝手なことを書くことができるので有難い身分だ。同じ好き勝手でも米大統領トランプ氏の一言<地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」から米国は本日正式に離脱する>で昨日はアメリカの株価が急騰したそうだが、今朝になると日本もそれに追随して東京の日経平均株価が1年半ぶりかで2万円台を回復したそうだ。日本の投資家がトランプ氏の世界秩序鵜を乱す我儘を喜んでいるみたいで恥ずかしくなるが、所詮は関係ない世界の話だ。

国会も最終版と言うことで、政権はなりふり構わずやりたい放題だ。政権は何でもできるから大したものだと感心もするが、今週は政府の軛から放たれたと自称する文科省の前事務次官前川氏の発言が随分マスコミを賑わし、楽しませてくれた。今のところは政権側も、1私人の発言なんか無視すれば乗り切れる、と見ている風情がありありだ。マスコミに火がついても、院内で数を頼んで、証人喚問等野党の要求に屈しなければ大丈夫とのことだろう。

理屈の上では確かにそうだろうし、裏には次のような事情もあると思う。テレビに出ているしたり顔の識者連中は前川氏の発言を聞いた後の感想として、「大変な事実が明らかになった」とは決して言わない。口を揃えて議会における野党の不甲斐なさを言い募るが、結果的には政権を応援している。「君はどちらの側に立つのか?事実を確認するのがジャーナリストではないのか?」と問い質したい。

しかしこれだけの事実が白日の下にさらされた以上、ボディーブローが徐々に効き始めて、1強で天下に敵なしと自負する内閣も何れそう遠くない日に終焉を迎えること期待するしかない。それにしても前川氏の晴々した表情を見るにつけ30年前の自分のことを思い出す。47歳で最初の会社を辞めた時、再就職の当てが全く無かったが、爽快感だけはあった。前川氏は退職金も6千万円だし、経済的には比較にならぬが精神の解放感は同じ筈で、これは何物にも代えがたいだろう。

自分の場合も、次の就職先を探し当てたら前の会社から全く身に覚えのない中傷が就職先の社長宛に届いていた。これも似たようなことであるので可笑しくなってくる。

データ消去

パソコンを修理に出して5日目になるが未だメーカーからは何も連絡がない。データ消去の可能性があれば必ず連絡をくれるよう念を押していたので、気になって仕方ない。2月に7年間使用した前のパソコンがいかれた際に大分痛い思いをしたので用心のため重要なファイルはバックアップを取ってはいるが、それでも3か月分のデータが初期化されると不都合は生じることだろう。

ところで昨日から財務省のパソコンの入れ替えが始まるとのこと、省内がどんなシステムになっているか分からないが、財務省ともなれば端末の数も半端ではあるまい。端末を供給しているメーカーにしてみれば大変なビジネスチャンスだ。昔小さな会社経営していた時、50人足らずの公益法人のシステム管理を請け負っていたので、作業の大変さと同時にビジネス的美味しさがよく分かる。

システムを管理しているサーバーも同時に更新されるので、森本学園絡みの不都合な書類は永遠に闇に葬られてしまうとのことだ。どこかのNPOだったと思うが、裁判所に文書の保存を命令するよう訴えたらしいが、当然のように却下されてしまった。これで安倍政権にとっては万々歳になれば結構だが、ネットワークの仕掛けに詳しい人から見れば、そんなに単純な話ではない可能性もある。

生半可な知識しかないが、財務省の履歴全てを真っ白にして構わなければ簡単であるが、地方財務局を含めれば相当な端末がぶら下がっているネットワークのサーバから、都合よく特定のファイルを削除するのは大変な手間だろう。でも莫大なコストをかけて、優秀なエンジニアの手をもってすれば可能かもしれぬ。籠池氏側のファイルは消せぬし、これまで公開されている情報からして事件の構図は既に明らかである。

それでも財務省側の証拠さえ消せれば政権は無事と言うことだろう。何ともいじましい話ではないか。多くの人がこのようなことをどう見ているかが問題だ。内閣支持率が落ちないのだから、それで良しとする人がまだ多いのだろう。話が変わるが、昨夜友人に誘われて赤坂に飲みに行った。嘗て保守系議員やら報道関係者が出入りしたと聞く小料理屋だ。安倍首相の著書が棚に置いてあったが、そこの女将さんまでが、安倍さんを見損なったようなことを言っていた。パソコンからデータ消去は可能でも、人の思いを消すのは難しい。