2019年11月30日土曜日

初冬の散歩

今日で11月も終わり、今年は木枯らし1号、即ち10月半ばから11月末の間に、初めて吹く毎秒8メートル以上の北風が吹かなかったそうだ。では比較的暖かい日が続いたかと言えば決してそうではない。昨日今日は久しぶりの晴天になったが、それまで1週間も雨降りが続いたりして実質的には初冬の感がひしひしと迫っている。今日も朝から快晴とは言えかなり冷え込んだ。

庶民の賃金が一向に上がらないのに有効求人倍率1.8とかだから景気が回復している、と言われてもどこかピンとこないチグハグ感。今年は暖冬だそうだが、お天気はまさか嘘を言わないだろうね。昔は暖冬と聞くと、スキーシーズンが短くなるのでなんだか寂しい気がしたが、最近は暖かい方が雪かきをしなくて済むことや、光熱費が安くなることを想像するのでずっと有り難い。

朝食後に区から送られてきた介護に関するアンケートに答えを記入。投函するついでに天気が良いので皇居まで足を伸ばし、大嘗宮でも見学するかと思い立ったが、実際に皇居にたどり着くととてもじゃないが、見学どころではない。普段利用する北詰門から皇居を時計回りに半周して有楽町の素敵庵まで歩き、久しぶりにステーキ定食を食って帰宅。大嘗宮は建築中にちらりと観ているし、今更観ても観なくてもどうということは無い。

1万歩以上散歩できただけで十分である。それにしても東京駅正面から皇居に向かう一本道は銀杏の黄葉がなんとも言えず綺麗だった。昭和30年代終わり頃だったろうか、皇居前広場が整備されて皇太子殿下(現上皇陛下)ご成婚記念噴水の脇に座って丸の内方面を眺めた記憶が蘇った。「ああ、日本もここまで来たか。東京はこれ以上綺麗になる必要も無いな。これからは地方都市の整備に力が入るのだろう。」新幹線も高速道路も未だ無い時代のことだ。子供心に他人事のように思った。

今日見た風景はまるで外国の風景。美しいことは美しいが、遥かに見えるビルのスカイラインは何を言わんとするのだろう?目を見張り耳を澄ましたところで何も聞こえず、誰が何のためにこの光景を生み出したか、とても考えが及ばない。


2019年11月29日金曜日

老後の人生

一昨日京都で久しぶりに会った友人が面白い話をしてくれた。彼は未だ60歳を少し超えただけ、サラリーマンをして一応役員まで行ったが、定年と同時に会社との縁を絶ち、元々好きだった音楽の世界で所謂シンガーソングライターをしながら自由気ままな生活を楽しんでいる。シンガーソングライターを職業としたつもりでも、趣味を満足させることは出来ても社会は急には認めてくれないだろう。しかし話を聞くと、地元から始まり徐々に活躍の場が広がりつつあるようで目出度い限りだった。

その彼が話の中で面白い想いを聞かせてくれた。「これまで様々な思いを歌ってきたが、これからの活動を通して、世の中から<老後>を無くしていきたい。」言われてみると、世の中には自分が置かれている立場を<老後>と感じている人、或いは迫りくる先の人生を<老後>と思い、それにどう備えるか真剣に考える人は多いだろう。特にお国から「後期高齢者」なんて結構な肩書まで頂戴すると、棺桶の近くに佇んでいるような気になりかねない。

経験からすると当時は意識してなかったが、所謂サラリーマン即ち人様からお給金を頂戴することが途絶えた時、個人で起業したのが63歳。一昨日そのことに話が及ぶと彼がしきりに褒めてくれた。確かに、人によっては会社を辞めた時からが老後と思う人もいるだろう。私の場合は蓄えがさほど無かったので、なにかしないと拙いなと思っただけである。何をするかは考えず、取り敢えず有り金をはたき300万円で有限会社を立ち上げてみた迄だ。

これが結果的には、そこそこの食い扶持を以来10年くらい齎してくれたのも事実。仕事の内容は極めて単純、ある社団法人のホームページを制作管理するだけ。自身の最大課題はこの仕事を誰に引き受けてもらうかだった。設立8年目くらいだったか、幸い素晴らしい技術系人材が見つかり、社長になってもらった。しかし好事魔多しの喩え通り、得意先の担当者が代わって受注が難しくなり、折角の代わってもらった社長が急死したりして経営破綻。その後数年は資本金を食いつぶしながら近くに事務所を構えていたが、これも手放し宿六に逆戻り。

その後は友人の仕事を手伝う条件で、友人の事務所にデスクは貰ったもののさしたる仕事にならない前に、2年前の平成29年の年末に家内が急死したので、家に戻って独居老人となった訳だ。要するに老後なんてことを考えている暇が無かったとも言える。現在も3度の飯に何を食うか、考えて準備し、食って後片付けすることに追われ、毎日が忙しく、3日位先のことは考えても半年先や1年以上先のことなどとても考えられない。よくよく考えると老後はこれからも無いかもしれぬ。

改めて京都の友人の思想に大いに賛同し、彼の活躍を期待したい。

2019年11月28日木曜日

京都の夜


天気が良ければもう少しゆっくりする予定だったが、京都も雨模様だったので早めに帰ってきてしまった。しかし昨日の午後は良い天気で、楽しい観光旅行が出来た。急ぐことは何もないので10時半ころ東京を出発、運賃の安い「ひかり」で3時間かけて京都着、天皇陛下の里帰りと打つかってしまったので、京都駅は警官で溢れかえっていた。友人との待ち合わせは夕方4時になっていたので、駅で軽い昼飯の後バスで嵐山方面に向かう。

バスはさほどでもなかったが嵐山の紅葉が真っ盛りとあって、渡月橋とか天龍寺界隈の人混みは半端でない。今月頭の丹沢大山の山頂といい勝負、カメラを構える場所さえ無かった。京都駅を出たのが確か2:30頃だったので既に約束の4時には間に合いそうにない。友人に電話して約束の時間を4時半に変更してもらい、嵐山から京都にJRでバック。

4時半に四条河原町高島屋前で友人と再会。彼は中高校から同志社なので京都は詳しい。食事の予約は6時とのことで、1時間半かけて京都中心部を宵の散歩。考えると大阪に6年近く住んだ割には、京都の中心部をゆっくり観光するのは初めて。高島屋前から友人の説明を聞きながら東の方にゆっくり登っていった。観光のトップシーズンだけにまちなかの人混みも相当なもの。歩道いっぱいに人が溢れている。

京都だけに和服を着た夫婦連れが多いが、その殆どが外人さんのようだ。言われてみると確かに安っぽい着物が多い。南座の招きも昨日上がったばかりなんて説明を聞きながら、有名なお茶屋「一力」の角に。ここから祇園かなんて思いながら建仁寺の境内を抜け(八坂道から八坂の塔八坂神社、そして清水寺の正面で踵を返し、高台寺の脇から再び八坂神社に降り、祇園の真っ只中。祇園には花街が3つあるそうだが、昨夜飲んだのは祇園東と言う場所とのこと。

最初に入ったのが、近江の蔵元がやっている居酒屋「遊亀」。1階はカウンターで既に満席、予約は2階にある座卓、但し板の間に座布団なので2時間で足がしびれて立てなくなった。酒も肴も美味かったが辛抱できなくなって仕舞にする。勘定がびっくりするほど安いし、飲んだ酒がうまかった。と言うのは、なんと精米していない米で作った酒を飲んだから。人によっては全く駄目という人もいるようだが、なんとも言えない米の味がするのでつい飲みすぎたかも。

2軒めの店がまた楽しかった。女将さんが占いをしてくれたのだ。最初入ったときは客が二人だけだったので非常に面白く話を聞き始めたのだが、途中からものすごく混みはじめ、少し心残りだったが、これもなんとも言えない良い体験と言える。


2019年11月26日火曜日

ロマン

何気なく使っているが「ロマン」とは「およそ実現しそうにない幻想的なもので、夢や冒険心をもたらすもの」が正確な意味らしい。この歳に至れば、およそ実現しそうもないことが身の回りに溢れているから、毎日がロマンティックな人生とも言える。昨夜NHK・BS1「日本百名山 赤石岳」を観て、そのロマンティックな思いに浸った。長野市内の飯縄山(1900m)登山でさえ叶わなかった今年だ。無理すれば未だ行ける可能性はあるだろう。しかし赤石岳は南アルプスの3000m峰、もう行けないことは間違いない。

昨夜のテレビで紹介された大倉峠は、大倉財閥の創業者大倉喜八郎氏が88歳の時に自分の所有する土地の最高地点に立ってみたいと志し、恐らく地元の山林業者などに命じて開いた道とのこと。しかも氏はその道を200人のお供を率い、自身は籠に頼ったようだが、山頂に至ったそうだから正に男のロマンを実現したとも言える。昔の人は偉いものだ。と思うと同時に自分のアルバムを開いて、昔行った赤石岳の写真を改めて見直した。

日付は2013年8月2日、昨夜の番組は9月に撮影されたものらしく紅葉が鮮やかだったが、アルバムの写真は未だ緑濃い夏姿だ。でも雲の彼方に浮かぶ富士山の姿はテレビの映像と寸分も違わないことに感激、当り前だろうが脳軟化しかかっている単純なオツムだ。

もう一つのロマンティックな話題がある。今朝の報道でドイツからもたらされた大泥棒の話。「欧州有数の美術コレクションを誇るドイツ東部ドレスデンの「緑の丸天井博物館」から25日、宝石でかたどった装飾品など歴史的な収蔵品が盗まれた。」盗まれたのは歴史的な宝石で値段のつけようもないほど高価なものらしい。また盗賊は未だ捕まっていない。行ったこともないので想像するしかないが、ドイツの歴史的美術品はスターリンに依って殆ど盗み取られたと思っていたので、そんなに高価な美術品がある事自体が驚き。

昨今はIT技術の向上で泥棒活躍の余地が極めて狭まれているはず。それが証拠には最近は映画でさえ泥棒を主役にしたものが少なくなっている。そんなに有名なお宝を盗んでも換金することが可能なんだろうか?アルセーヌ・ルパンのように大金持ちのくせに趣味のように盗みを働いたとしたら?捕まってみれば夢は敗れるだろうが、今のところは主犯にロマンを掻き立てられている。

*平日ですが明日から2日ほど、京都の友人を尋ねるのでブログを休みます。

2019年11月25日月曜日

選挙で選ばれた人

昼近くなって久しぶりに陽の光が射してくれた。気温もぐっと上がり実に気持ちが良い。昨日、他国のことはどうでもいいようなことを書いたが、香港の区会議員選挙とは如何なるものか知らないけれど、民主勢力が地滑り的な圧勝とのニュースが流れている。これまでの与党や本土の政府は困っているだろうが、羨ましい。

日本では新年の次期通常国会冒頭解散説が噂されたりするが、これをやられて野党が勝てる見込みはないばかりか、現政権がこれまで並べ立てた嘘八百が総てチャラにされることにもなりかねないそうだ。日本はどこまで腐れば良いのだろうか?腐りかかっていると感じるセンス自体が浮世離れしていると理解するしか無さそうだ。

己の考えが常に正しいとは思わないが、他人との会話で嘘は言いたくない。本当のことを言うと拙いなと感じたら、話題を変えるか黙っている方が善いと信じている。嘘を言い始めたら後々辻褄を合わせるだけで神経が磨り減る筈。森友事件では辻褄合わせの公文書改竄に従事した近畿財務局職員が、お気の毒にも亡くなったりしている。東京の財務本省の高級官僚は誰一人罪の意識が無いようなのも凄い。

政府の言うとおりにしていれば取り敢えず自分の人生は安泰で高禄が保証されている。そりゃその通りだろうが、彼らにも嫁もいれば子もいることだろう。妻子に対しどんな顔で向き合うのか?男は仕事の話は家庭でしない、と言っても妻子は気になる筈だ。話が始まったら家族にまで嘘を付くもだろうか?他人事ながら心配してしまう。

個人的なことはとやかく言っても始まらない。問題は政府が意図的に国民に対して嘘を言うこと、これをどう考えるかだ。嘘はいずれバレると教わったが、政府の嘘はやがて反転して真実になりかねない。この弊害を阻止するために普通の民主国家は政府に絶対的権力を認めず、権力を3つに分散して立法府、司法府に同等或いはそれ以上の権限を与えている。中でも選挙で選ばれた立法府の権限が最高とされるのが普通。

香港の区会がどれほどの権限を有するか知らぬが、日本の国会は政府の権限に全く隷属させられてしまっているみたいだ。

2019年11月24日日曜日

他国のこと

先週末以来陰鬱な雨降りが続いている。何でも木金だったか金土2日間で平年の1ヶ月分雨量を超えたとのこと。昨日までは気温も低かったが、今日は雨模様に関わらず気温が気持ち悪いほど高い。何れにせよ気分は晴れず、午前中はただボーとしていたが、昼前にいつもの歩行だけはと思って東池袋の区立図書館に行き月刊文藝春秋12月号を読んできた。

10日の発売日に書店で手にした時、安倍首相と田崎史郎氏の対談が掲載されていたのでバカバカしくなって買うのを止めたものだ。勿論こんな記事やNHKの岩田明子氏が書いた記事などは読みはしない。巻頭随筆は一応全て読んで思ったことがある。最近この頁のトップを飾っている藤原正彦氏の随筆についてだ。氏は数学者である以上に日本文化の存続に警鐘を鳴らす文明評論家として、私は尊敬しているし、文藝春秋社も同様であろうと思っている。

藤原氏は12月号に「楼蘭の美女」と題する随筆を寄稿して、中国のウイグル族弾圧政策を厳しく非難している。即ち、中国政府が約3千万人と言われるウイグル族人民の3分の1にあたる1千万人を強制収容所にぶち込み思想改造していることについて、人権無視も甚だしく許せないとのこと。氏は英国生活は長いし、海外事情については豊富な経験と情報源をお持ちの筈だから事実誤認はないと思う。勿論人道主義立場に立つ論評に異を唱える人もいないだろう。

氏も少し触れておられたが、私は世界いたる所で見られるこの種の特定民族に対する為政者の弾圧、例えばミャンマーのロヒンギャ族、トルコやシリアのクルド族とか、少し趣が異なるが香港の学生暴動といった他国の内政に起因する暴動について、どちらかの立場に立っての感想を述べたことはない。自分で直接見れば意見も湧くだろうが、記者が直接見ている事実はあるにせよ、その報道を観ただけでこっちに理があるとか、いやあっちの方だなんて言える筈が無い。

今は昔の話になるが、大学2年の時だから60年近く前になる。日本にも60年安保騒動があった。ノンポリで一度も参加しなかったが、国がひっくり返るような大騒ぎ、その騒ぎの中で東大生の樺美智子さんが国会通用門で亡くなったのも事実。これを機に学生運動が隆盛を極め、東大入試中止などを経てあさま山荘事件(1972年)などに繋がって行った。当時外国メディアがこれをどのように報道したか知らぬが、この騒ぎで逮捕され長期刑を被った人々は今どうしていることやらである。

2019年11月23日土曜日

今朝NHKBS1スペシャルを観た

テレビコマーシャルが挿入される番組を見るのも限られているので偏った見解かも知れない。今日思ったのはあたり前のことだがCMの種類が時代とともに随分変わっていること。先ず自動車について、スズキやダイハツ等小型車ばかり目につく。最近ご近所を見ても国産のプリウスやレクサスといった大きいセダンを駐車している家は少なくなって、国産小型車かベンツなどの外車に分かれている。

こんなところにも実質所得が上がらない庶民と全国に300万人以上存在するとされる富裕層に分かれ始めた日本の経済格差の一端を見る思いだ。テレビコマーシャルや車の影は少なくてもトヨタは日本を代表する企業、年間の生産台数は全世界で約1100万台、売上約30兆円、営業利益約2兆5千億円と聞く。どこから見ても日本を代表する超優良企業。雇用や税金の貢献も大きいだろう?

但し、この超優良企業でさえここ10年くらいで、コンピューターやソフトウェアを駆使して世界のサイバースペースを支配するに至ったアメリカ企業(GAFA)や同様の中国企業の後塵を拝するに至り、何となく古臭く活力が乏しく見える。所詮どんな企業の経営資源もヒト・モノ・カネ・情報とされるが、詰まるところは人材かと今朝は思った。

何故ならたまたま早朝の6時からNHKBS1で放送された番組「インド“世界最高の頭脳”を獲得せよ~密着!就職面接会3日間」を観たせいである。インド人が数学に強く、今流行りのIT技術者にもインド人が活躍していることは聞いていた。がしかし、その技術者を今世界で最も多く排出しているのが「インド工科大学」で、アメリカの「マサチューセッツ工科大学」より抜きん出ているとは知らなかった。

大学の責任者自身がテレビのインタビューに応えて「我が校は世界で最も優秀な学生を世に送り出しています。」と豪語するほど。就職試験は大学が先ず卒業予定者との面接を希望する企業を選別して、学生側の希望とマッチングの上校内で面接試験をさせる仕組み。順番はGAFAやゴールドマン・サックスなどの金融大手などから、要するに過去の実績を反映して決められる。ここには日本から来た企業として「メルカリ」がいたが、残念ながら「トヨタ自動車」の影はなかった。

今年度の法人税収が見込み違いになりそうだとの報道があるが、政治家や官僚は何を考えるかだ。メルカリが何れトヨタ自動車になれば良いが、その道は随分遠そうだ。

2019年11月22日金曜日

レームダック化

安倍総理の在任期間が歴代総理の中で最長になったとのことは、ご本人からすれば誠に目出度く喜ばしい限りだろう。しかし今週の何曜日だったか忘れたが、その日になった途端、テレビ局はそのことを報じると同時に総理の来歴を振り返り始めた。これは総理にとって有難迷惑だったに違いない。しかも総理は例の桜を見る会で叩かれている真っ最中。総理在任歴代最長7年の間に達成した功労功績追求の枕か締めくくりにどうしても現在進行中のスキャンダルが出てくる。余りにタイミングが悪すぎる。

どうしても功労功績の影が薄くなる。昨日だったか一昨日だったか、その功績強調のために、とある番組に出てきた根本元厚労相。他のゲストや番組司会者が「安倍首相は毎年のように新しい看板を掲げてきたが、何れも掛け声倒れで成果らしきものは何もなかったのでは?」とやや厳しい意見に対し、「看板だけでなく実態即ち失業率が下がって雇用が良くなって家庭の収入が上がっていること等の数字をよく知ってほしい。」と孤軍奮闘色をなして反論していた。

この応酬のどちらに理があるかは問題ではない。それに引き続いた根本氏の発言に「成程、そうか」と思った。紹介によると彼は岸田派の幹部で、「次の自民党総裁は岸田氏。」と断言したのである。番組は他に石破氏だことの菅氏だことのと数人の顔写真を上げたり、短いコメントを付して紹介はしてた。野党関係者が出演していたかどうか記憶がないが、枝野氏の名前もちらっと出たような気がする。

細かいことは別にとして、首相の総裁任期が未だ2年も残っているにも関わらずマスコミがこのような番組を放送し始めたということは、安倍氏の寿命が遠からず終わると見始めた証拠だ。1社が始めれば同様の番組も増えて、首相のレームダック化は促進される。安倍氏も必死に抵抗し始めるだろうが、果たしてどんな手段が残されているか?首相お庭番としてテレビを始めとするマスコミを支配してきた田﨑史郎氏に代表される言論人たちは、「安倍氏はまだ若い、これからだ。」と力説強調はしているが、果たしてどうなることやらだ。

総理の座を襲うべく狙っている勢力は何れも弱いのは事実、しかし「時の運」が誰かに微笑むことも無くはあるまい。レームダック化した政権なんぞ早く成仏したほうが善い。

因みにレームダック(英: lame duck)とは、「役立たず」「死に体」の政治家を指す政治用語。

2019年11月21日木曜日

日本で言えば官邸官僚

アメリカの議会下院ではトランプ大統領の弾劾に関する議論が、民主・共和両党の間で戦われている。今朝の報道では公聴会の目玉証人のソンドランド駐EU大使(元々トランプ氏の支持者)が大統領に不利な証言とも報じられている。しかし、下院は民主党が過半数を占めているので弾劾決議が通過しても、上院では共和党が圧倒多数なので否決されて成立しない。が大方の見方で、トランプ氏再選の可能性が相当高いと聞いて残念に思っているところでもある。

昨日たまたまその公聴会の中継を交えたテレビ報道を少し観た。昨日は参考人として招致されたのは四人のようだが、取り上げたいのは一人だけ、民主党側が呼んだうちの一人ホワイトハウスのスタッフ(国家安全保障会議勤務)のビンドマン陸軍中佐のことだ。

ホワイトハウスのスタッフとは日本で言えば内閣府官僚に相当する筈。内閣府の役人全員が首相官邸にいるのかどうかも知らないが、トランプ大統領が顔も知らないと言うのは理解できる。一つ分かったのは、ビンドマン氏は大統領が選んだ人物ではなく、陸軍がロシア・ウクライナ担当の大統領スタッフとして適任ということでホワイトハウスに送り込んでいることだ。

従ってビンドマン中佐は大統領には忠誠を誓っているが、同時に自己の良心に従いアメリカ合衆国々民としての義務を重んじているとも発言。昨日の証言では明らかに大統領にとって芳しくない証言「大統領の電話内容を聞いた時、これは政治的意味を持つので不味いと感じて、上司か他のスタッフにその旨を伝えた。」をした。共和党議員からは「そんな発言をして命の危険を感じないか?」のような質問もあったが平然としたものだった。

それにはこんな訳もありそう。日韓問題のこじれの仲裁で日本や韓国にまで来て一躍有名になったアメリカのエスパー国防長官が「ビンドマン中佐はロシア・ウクライナ問題のエキスパートとして陸軍が責任を持ってホワイトハウスに送り込んだ人物である。彼の発言を全面的に支持する。」要するに、おかしな真似はさせないと声明を出した。

昨日見たテレビ局は公共放送局のPBSと商業放送局ABCの2局、両局ともビンドマン中佐はウクライナ生まれで、母親を亡くした後に40年前の5歳の時、父親が双子の兄弟を伴ってアメリカに移住してきた。そして二人共陸軍々人となって国家に貢献してきたことをドキュメントに編集して紹介していた。アメリカの悪口も大分書いたが、なんだかんだ言っても日本とは大分趣を事にすることを実感。

2019年11月20日水曜日

籠池泰典氏夫妻

暇な小人だから不善かも知れぬか、昨日何となくYouTubeで「言論ながさき講演会 真相トーク 森友事件 籠池 泰典・諄子夫妻を招いて」を開いてしまった。観始めて気がついたが全編視聴するのに1時間45分も掛かる。森友事件は既に過去の話で、つまらなかったら途中で打ち切るつもりで観始めたが、結局中断を挟んで最後まで観てしまった。講演会主催者の言論ながさきは長崎市のNPO法人「言論の自由と知る権利を守る長崎市民の会」。

半ば公的機関が、未だ裁判中の刑事被告人を招いて講演会を催すとは長崎市民の心意気は見上げたものだと思う。改めて籠池氏の経歴を調べると四国の高松市で海運業を営んでいた父親の代から生長の家の熱心な信徒で、籠池氏にもその影響は強かったように思われる。しかし、氏は関西大学商学部を卒業しているが、在学中に生長の家が推進していた民族派学生運動には消極的だったし、現在の生長の家や関係が深いとされる日本会議とも絶縁状態のようだ。

それはさておき、現在の籠池氏夫妻は懲役7年という求刑を受け、住むに家無く無一文状態のらしいが元気そのもの。小一時間の講演で事件の経緯を立て板に水を流すように滔々と訴える。即ち、国有地を破格の安値で払い下げを受け、そこに「安倍晋三記念小学院」建設を目論んでいたこと。これが豊中市会議員の告発で明るみに出て一気に疑惑が深まるなかで、総理夫妻との関係が浮かび上がり、当初応援者だった総理夫妻があるタイミングで手の平を返し、国会の証人喚問等を経て結局詐欺容疑で大阪地検特捜部の手で結局逮捕、300日の勾留の後釈放されるも、今は先に書いた通りの状態になってしまった。

これは国策捜査そのもので冤罪も甚だしいと訴えているわけである。講演の最後を締めくくったのが、先月30日検察求刑、弁護人最終弁論後の法廷で述べた被告人意見陳述。全く同様のことを述べている。妻諄子氏も短い感想を述べた後に同じように意見陳述を読み上げた。その後司会者や一般参加者からの質問が40分以上取り上げられたが、印象に残ったのは氏が取調べ中に検察官から「離婚するのでしょう」と問いかけられたことと、妻淳子氏が拘置所生活について語った厳しさ。

籠池氏は日本に三権分立は存在しないと語るが、国際標準になっている「被告人は推定無罪」の原則は日本では爪の垢ほども存在していないことは実感。

裁判中に被告人の話を一方的に信じるのは如何とも思うが、時間に余裕ある方には是非下記をご参照願いたい。
https://www.youtube.com/watch?v=5XGS8r3zDK0

2019年11月19日火曜日

本当に異常気象か?

時々夜寝ている間にお湿りがあるが、冬晴れの良い天気が続いている。最近の天気予報は短期的には実に正確でありがたい。但し今度の冬は暖冬の可能性が高いなんて言われても俄に信じる気にはならない。まして年単位或いはそれ以上長期に渡る気象情報を信じる人は少ないだろう。昔から何回か紹介している科学者の武田邦彦先生(中部大学総合工学研究所特任教授)に言わせれば、地球は穏やかに寒冷化に向かっているので温暖化ではないそうだ。

それにしても今年の夏、東京はえらく暑かった。おかげでオリンピックのマラソンと競歩会場が札幌移転を余儀なくされ、小池知事の怒り買ったほどだ。当方としては怒る理由は何も無いが、少なくとも日本は温暖化傾向にあると信じたい。何故かと言えば単純な話で、台風の影響がだいぶ北まで及ぶようになったとか、亜熱帯性果物や稲が北海道で栽培可能になったとかで勝手に想像しているだけのことだ。

しかし仄聞するに、外国特に国連あたりでも地球温暖化とその原因が人類の排出する二酸化炭素説に対する疑問が生じているらしい。何れの説が正しいかは科学の世界なので素人判断は出来かねる。しかし今年は世界各地で異常気象が相次いだ。夏は熱帯雨林やアメリカだけでなくヨーロッパやロシアでも大規模な山火事が相次ぎ、つい先日はベネチアの高潮被害も50年ぶりとか言われている。

そのせいか、ドイツやフランスは温暖化対策としてのエネルギー問題が大きな社会問題になっているが、日本はその手のことは全く問題にならず、エネルギー供給が一部特権階級の利権化していることで騒ぎが起きているのみだ。起きているというよりは起きかかったが、既に臭いものに素早く蓋が被せられて、既に大方の人から忘れられているようだ。毎年のように台風被害は馬鹿にできぬが、これもよくよく考えれば人災の可能性が大きい。そんなことを併せ考えると、やはり日本は四方を海に囲まれた島国で、気候はそれこそ温暖、鉱物資源はさほど無くても食うに困らぬ結構な国だ。

2019年11月18日月曜日

国会のあり様

今月に入って国会では、総理の桜を見る会スキャンダルで大いにに盛り上がっている。読売テレビの辛坊治郎キャスターに言わせれば、昔からの慣例で騒ぎ立てる程のことではなかろう、騒ぐ野党議員がバカみたい。だそうだ。自民党幹事長二階氏も同じようなこと仰って、質問を発した取材記者を睨みつけていた。だからこの問題は取るに足らぬことかも知れぬ。であれば総理ご自身が国会で野党の質問に応じて、同様なことを仰っしゃれば済む話だろう。

しかし何故か自民党国対は総理にその場を与えようとしない。そこで気になったのが今国会の期限。これは来月9日となっているから、実質的には6日金曜日まで。これを過ぎてしまえば1月末の通常国会招集まで長い冬休み状態となる。人の噂は75日と言われるが、忙しい現代ではとてもそんなに長くは持たないだろう。既に来年のNHK大河ドラマ出演が決まっていた大物女優が麻薬所持で逮捕され、この問題の影を薄め始めている。

警察は有名人の麻薬使用者リストを大量に保有して、いざという時に備えているそうだ。嘘か本当か知らぬが一部には、今回の女優逮捕にあたって警察がマスコミ各社に事前リークしたことを次のように解説する向きもある。NHK社会部が調子づいて花見問題を取り上げ始めたことを官邸が懲らしめたい、との意を戴したもの。風聞に過ぎぬが、成程官邸サイドにはグッドタイミングだろう。

たまたま今朝の朝日新聞に「国会で説明する、責任を果たすとは如何なることか」について長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の対談が掲載されている。冒頭、先日イギリス議会が政府によって5週間休会を宣言されたが、これを最高裁が違法と判決した例を引いて、日本国会の問題点を指摘している。具体的引用は長くなるのでしないが、見出しは「安倍首相、説明しないがヤジ飛ばす 2つの責任を考える」

2つの責任とは、レスポンシビリティー(行為責任)とアカウンタビリティー(説明責任)とのこと。何かことがあると「責任は私にあります。」と胸を張る安倍総理閣下、この二つをご存知だろうか?

2019年11月17日日曜日

読後感「桑中喜語」永井荷風著

読後感をかくことを少し迷ったが、著者が文化勲章受章の日本を代表する文学者でもあり、他に書きたいことも無いので敢えて書くことにする。著者の名前はよく知っていたが、その作品となると何を読んだか記憶が無い。ひょっとすると何も読んでいないかも知れぬ。本書を読んだのは高校同期の友人がグループメールで次の言葉を紹介してくれたからである。即ち「追懐は老者無上の慰楽となす所なり」我々の年代になれば誰しも昔が懐かしい。

大文学者が何をもってお墨付きを出したのか?それにしてもへんてこな題名だ。友人が題名については先ず次のように解説してくれた「桑中喜語とは桑年にあたっての述懐」というような意味で、桑年とは四十八歳のことだそうです。桑の異体字である「桒」が、十を四つと八を重ねていることから、四十八を指す。重ねて次のように述べる。「桑中(そうちゅう)」には、別の(というか、本来の)意味があって、関心のある方は「広辞苑」で確認してみてください。」と何故か意味深である。

広辞苑で調べるより読んだほうが早かろうてなことで、早速アマゾンで検索すると、なんとkindle版が0円、即ちロハ。直ぐにダウンロードした。著者の小説は私小説や親戚知り合いをテーマにしたものが多いそうだが、これもその典型である。自らの女性遍歴を赤裸々に綴っている。ネット上のwikiには略歴が詳しく書かれているが、明治時代の高級官僚の家庭に生まれ、今でも超難関とされる小中高校を卒業しながら、女性への追求心と言うか憧れが極めて早熟、晩年に至るもその気持は変わらなかったようだ。

本書は著者46歳の作品であり、この時既に、自分はこれまでの生涯の醜聞をさらけ出して通俗小説を書いて稼ぐ、と明確に宣言している。そのためには下情、即ち下々の事情に通じなければならないから、10数年に亘る海外生活を含め、あらゆる岡場所を漁ってきた。と正直に書いている。因みに最初の経験は「僕年甫めて十八、家婢に戯る。」と書いているから、18歳の時女中に手を出したのが始まりで、後は一瀉千里、市内の遊里を軒並み探訪したらしい。

結婚も2回しているが、当然破綻。死んだのは知人の家に間借りしている時。血を吐いて倒れているのを朝出勤してきたお手伝いさんが発見したそうだ。wikiによれば所持品には現金30万円強と預金通帳数千万円、他に文化勲章などを入れた鞄があったらしい。享年80歳。ご本人は満足してあの世に旅立ったことだろう。

2019年11月16日土曜日

打ち合わせ不十分?

最近殆ど観なくなっていたテレビ番組を今朝は実に興味深く観させてもらった。日本テレビ系列大阪の読売テレビ「ウェークアップ!ぷらす」。メインの司会は辛坊治郎氏。本日はゲストに橋本五郎氏(読売新聞特別編集委員)や橋下徹氏(弁護士・元大阪府市長・大阪府知事)他には三輪記子氏(弁護士)と別所哲也氏(俳優)が招かれていた。橋下徹氏以外は準レギュラーとも言える。橋下徹氏だけが異色だ。

そもそもこの番組は司会の辛坊氏と橋本五郎氏が揃うと、いつも政権のヨイショしかしないので興味が持てなくなっていた。ところが橋下徹氏が加わり、今日は日本のテレビ番組には珍しく甲論乙駁で活発な意見が飛び交い実に面白いものになった。そのテーマが例の総理主催「桜を見る会」である。徹氏は最初から「政治資金パーティーそのものだから、これは駄目ですよ。政治と行政をごっちゃにしている日本の悪しき慣習の一つ。」とダメを出す。

事前の打ち合わせがどうなっていたか分からないが、辛坊氏も相当慌てたと思う。五郎氏も褒められた話ではないだろうが、類似の催事は沢山あり、これを駄目と言い出せば日本の行政が仕切る似たような催事全部がだめに成る。大阪は大丈夫かと念を押すが、五郎氏は胸を張って「大阪はそこのケジメを全てつけた。行政の催しに酒食は一切出していない。」と応酬。大阪府知事時代もこの会には呼ばれなかったか、兎も角参加したことはないとのこと。

司会の辛坊氏もなんとか五郎氏の助けを借りて長年の慣習でもあり、皆分かっていることだから「吉田茂氏以来最初から総理の人気取り行事と決まった話、今更騒ぐ野党が馬鹿みたいものだ。」と発言。すかさず徹氏が「いま辛抱さんが野党をバカと発言しましたので私から謝ります。」とカバー。辛坊氏の頭に血が上り顔が真っ赤になった。五郎氏の顔も真っ赤。徹氏はさすが弁護士、平然と「ならばこんな会やめるべき。」と言ってのけた。嫌いなキャラだが見上げたものだ。

辛坊氏はフロアから「バカ発言取り消し」のサインが出たことを確認して「取り消しません」と発言。残る二人のゲスト発言を取り上げなかったが、それなりに本音が出ていたように思う。テレビ番組もこうであれば少しは視聴意欲が湧く。

2019年11月15日金曜日

『i 新聞記者ドキュメント』

ことの善悪は別にして、最近世界が非常に激しく動いている。そのせいか主要国首脳の動きが極めてダイナミックである。主たる要因は、世界の警察官であったアメリカの立ち位置がトランプ大統領の出現で微妙に変わり始めているからだろう。今日の朝日新聞に掲載されている耕論を読んで思った。アメリカでも今世紀はじめ、ジョンソン大統領のもとで外国に戦争に出かけることを熱狂的に支持した国民も、今や外国で戦争して莫大な費用を費やすことに反対するようになってきているとのこと。世代が若返っていることもあろう。

さすがのアメリカも金の成る木を持っているわけでは無いのだろう。従ってトランプ氏のシリアやアフガンからの撤兵は大方の賛意を得ているらしい。アメリカの動きに呼応するかのようにヨーロッパの主要国、或いはBricsと言われているブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの連合、中東の大国トルコや東アジアの韓国などを含め首脳の動きが活発化している。まさかトランプの再選がないと睨んでではないと思うが、トランプ氏の再選が確定したわけでもない。

どちらにせよ各国とも内政にそれぞれ大きな問題を抱えながら、これを克服して国内を安定させるためには外国との協調が欠かせないので、協調する国を多くするための努力に余念がないのだろう。特に最近なるほどと思ったことが2点ある。一つはフランスのマクロン大統領北大西洋条約機構(NATO:北アメリカおよびヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟)の賞味期限切れ発言と韓国文大統領の北朝鮮は韓国にとって脅威ではない発言。

いずれも言外に「アメリカにはもう頼るべからず」の意を含むであろう。他国のことは措くとして我が日本は相変わらずアメリカべったりのせいか、政府首脳の発言からは世界流動化に対する緊張感は伺えない。育ちが良いから余りバタバタしないと言えば格好が好いが、経済力が低下して10年以上実質賃金が下がり続ける実態の中で、国内的にも政策らしいものが何一つ打ち出されず、アベノミクスなる言葉の残骸だけ残る有様。

7年近い現政権は確かに長期政権であった。今後のことは分からないが、思えば何一つ結論の出ていないスキャンダルまみれだけが印象に残る。恐らく他国の首脳も同じ思いで見ていることだろう。映画『i 新聞記者ドキュメント』をいの一番で観てきて思い浮かんだことを書いた。

2019年11月14日木曜日

信州人

生まれたのは奈良県、以後熊本県を経て長野県に来たのは五歳の時、従って80年近い人生で長野県に住んだのは僅か13年ほど、それでも故郷は長野で信州人の端くれと思っている。他県は知らぬが長野県には県歌があり、信州人であれば知らぬ人はいないと思う。現在は知らぬが、昔は県下の小中学校では「信濃の国」なる唱歌を入学と同時に教え、何かの行事に際して必ず歌わせていた。

これが実にユニークで、何度も歌っているうちに脳に刷り込まれたことは「やせ我慢」の一言。兎も角、「信濃の国」は1900年(明治33年)に成立しているから120年の伝統ある県歌だ。作詞は旧松本藩士で師範学校の教師であった浅井洌氏、wiki(下記)をご参照願いたい。歌詞は6番まであり、信州の地誌と歴史を織り込んだ長いものである。1番の歌詞が「やせ我慢」の全てを物語る。

即ち「信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
   聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し
   松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地
   海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき」
と高らかに歌い上げている。

しかし実際の信州は山が高くて谷が深く、冬も長く、広い割に耕地面積は少ないので、石高即ち米の収穫量も少なかったはずだ。信濃には幕末何人かの大名が存在したが、その殆どが1万石2万石の少大名。唯一の例外が松代真田藩で10万石。結論として作詞家浅井氏は述べる。「海も無いが足りないものなんか無いのだよ。」即ち贅沢言ってはいけません、である。

信州人の全てがやせ我慢哲学を刷り込まれているとは思はないが、長野県は政治的に社会主義政党色の強い県でもあった。その影響か、テレビに出てくる信州人と知ると、似た哲学を刷り込まれていると勝手に想像して応援したくなってしまう。最近密かに応援していたのが、警察や公安関係に強いジャーナリストの青木理氏と経済ジャーナリストの萩原博子氏、二人共小諸市出身で青木氏は野沢北高、荻原氏は上田染谷高の出身。母校出身のジャーナリストを上げられないのが残念だが、最近また一人この人も信州人かと思う人を発見した。

桜を見る会追求で一躍名を挙げた共産党参議院議員の田村智子氏、この人も小諸市出身で青木氏と同じ野沢北高出身。若いときから学生運動で鍛えた筋金入りらしい。お三方とも安倍政権を良しとしないところが共通しているので益々の活躍を期待している。


2019年11月13日水曜日

進学の条件

最近はやっている「身の丈」をお使いになった文科大臣を尊敬してしまう。皮肉です、身の丈ほど自身で分かりにくいことはない。例えば、月曜日の高校同期会でも話題になったことの一つに「自分のハゲ具合」がある。みな歳相応に禿げているので盛り上がった。毎朝鏡で己の顔を見て、未だてっぺんに少し毛が残っていると思っているが、これが大間違いらしい。ハゲが著しい友人が自らの例を引用して教えてくれた。「俺なんざ、相当ツルツルになっても櫛を持ち歩いていたものだ。」

頭髪のことなど外見上の過信は笑って済ませるが、身体機能の衰え即ち脳の働きや運動能力についての過信は危険に繋がりかねない。土曜日に孫と行った山歩きの筋肉痛後遺症は、水曜になっても未だ完治していない。体力の劣化が自分では分からないので無理をした咎めだ。囲碁の実力になるとその最たるものだ。碁を打ち始めると、まるで自分が名人か本因坊になったような錯覚に陥ってしまう悪い癖がある。身の丈身の程を弁えない典型である。

最近でこそあまり無いが、昔は飲み始めると財布の中身なんかいつの間にか忘れて身の丈に合わぬハシゴを繰り返したことは数しれず。歳を重ねると多少身の丈が分かって良さそうだが、なかなかそうならないのは文科大臣のお言葉を借りれば不徳のいたすところだろう。兎に角身の丈に合わぬことをするのは若者の特権のはず。それを国が「身の丈を考えろ」と言うのは可哀想だし無理な話だ。

世の中に様々な格差があることは誰も否定できないだろう。この格差を乗り越える唯一の手段が学問することで、福沢諭吉先生が仰ったかどうかは兎も角、若い頃の学問の道だけは家庭の事情を超え、平等に開くのが世界共通の政策目標と思うが、日本はだいぶ以前から、残念ながら学問も親がお金持ちでないと、優秀とされる大学に進学出来なくなっているようだ。大学を親の年収別ランク付けをするなら、東大がトップは大分以前に聞いた。

現在また共通一次かセンターテストか知らぬが、大きな話題になっている。こんなものがなぜ必要なのか?無かった時代に進学した老人にはどうしても理解しかねる。

2019年11月12日火曜日

北が見抜いてる実態

2006年国連安全保障理事会は北朝鮮が核実験に踏み切ると、制裁の実施組織として北朝鮮制裁委員会を設置した。そして下部組織として、制裁措置を各国が履行しているかを監視する実行部隊として09年に発足したのが北朝鮮制裁委員会専門家パネル。このパネルは常任理事国米、英、中、ロ、仏5ヶ国と日本、韓国、シンガポール代表の8名で構成される。任期は1年で毎年更新されているが、この専門家パネル委員経験者古川勝久氏が昨夜BS/TBS「情報1930」に出演して悲観的に話すのを興味深く聞いた。

曰く「総理大臣は北朝鮮制裁に関し、国連決議に基づき厳格に運用を声高に強調しているが、韓国と比較するなら日本の実行力は大変に甘く抜け穴だらけになっている。」今や北朝鮮に対する制裁を本気で考えている国は少なく、中国ロシアはもとより米国でさえ大統領自身が余りに乗り気でないらしい。しかし韓国は朝鮮戦争以来の警戒心が抜けきれないので、国連決議違反が無いよう相当神経を使っている。

ところが日本は、決議違反事案を摘発する専門的法律も役所も存在しないのが実態でのため、韓国では入港を禁止されている北朝鮮船籍あるいはそのダミー船が堂々と入港を繰り返して北朝鮮の密貿易に加担しているのだそうだ。我々少なくとも小生は、例の万景峰号だけが唯一の北朝鮮船と思っている愚かさだ。
全く笑い話だ。古川氏は重ねて強調した。日本では総論賛成各論反対という通り、政府が一つの方針らしきもの打ち出しても何処の役所が引き受けるかについては大変なたらい回しが起こるのが現実。

船舶の問題なんかは比較的わかりやすいが、もっと深刻なのはマネーロンダリング問題。こちらも多分抜け穴だらけだと思うので将来が心配。即ち数年後に日本はメガバンクを始めとして多くの金融機関が海外からの信用が失墜する可能性があるとのこと。

閑話休題:昨日の東京はお天気があまり良くなかったようだが、長野は素晴らしい秋晴れで郊外の山々の紅葉は真っ盛り、気温も程良く小春日和とはよく言ったものだ。毎年恒例の高校同期会に日帰り参加して実に有意義な1日となった。80歳目前となった我々の同期会は残念ながら年を追って参加者が減り続けている。昨日は卒業時の1割を切る36名とのこと、9クラスで編成されていたが、参加者が一番少ないクラスはたった一人、我がクラスは2番めに低いたった二人。物故者は分かっているだけでも90人超、生存者は75%程度だろうと話し合った。誰も口には出さぬが、互いに顔を合わせるのも後何回か、恐らく10回とはあるまい。それだけに懐かしさが募り互いに相変わらずの調子で話が弾む、弾まないのは盃の応酬。やせ我慢が売りなので全て燗酒で受けたが、量的には大した量に至らなかったと思う。

2019年11月10日日曜日

筋肉痛



昨日は素晴らしい快晴でハイキング日和、皇室の御威光のお陰で土日と晴天が続くのは何でも8月半ば以来のことらしい。兼ねて念願の孫とともに行く丹沢の大山である。孫は成城学園前から乗車するので新宿発7:11の小田急線急行で秦野に向かうことになった。遅れるのは嫌なので早め早めと思い、4時起きして新宿に着くと予定の電車の発車まで30分も待つはめに。そんなことはどうでもいいが、孫にハイキングの楽しさを教えるつもり。爺孝行させるには山が嫌いになってはいけない。

これを教え込んで、これから度々同行してもらえること企んだわけ。普段寝坊しているのは十分察しが付くので目的地も自宅から一番近い大山に設定した。幸い孫も遅刻せず無事合流、秦野から出発地点のヤビツ峠に向かう。バスは超満員。ヤビツ峠もかなりの賑わいなので、すぐに歩き始めた。緩やかなハイキングコースとは言え山道のことだ。こちらは杖を突きながら息絶え絶えに歩くが、孫は手袋もせずストックもつかず時々こちらを振り返りながら悠々と歩を進めている。

とても教えるどころではなく、こちらが介護されつつ歩いているようなものだ。出発地点が約760メートル山頂が約1260メートルなので標高差は僅か500メートル。1時間ほど歩いた場所にベンチがあったはずと、そこまで登って一休み。その少し前から急に前後に人が多くなり始めた。孫が不思議そうにしているので下社までケーブルで来た人が奥社を目指すことを教える。休憩地点からは30分と掛からずに山頂に到着するが、ここは大変な混雑で腰を下ろす場所が見つからない。昼間では未だ30分ほどあるので少し下で場所を見つけようと、下社の見晴台方面に下山。結局また約1時間降って下社見晴台で昼食。

座り込むと風もないのに結構寒い。昼食は30分ほどで切り上げて下社からケーブル下まで下山。下社は相変わらずきらびやかで、孫はお参りする気にならないそうだ。下社からケーブル下までの降り道は江戸時代から続く古色蒼然の石段。この標高差が約500メートルだから午前中の上りとほぼ同じ。この間に急な階段が1.5キロほど続くわけ。孫はスイスイ降るがこちらは慎重にならざるを得ない。

確認してみると上り累積標高:688mに対し、降りは:1254m行きはよいよい帰りは怖い、今日の筋肉痛がひどいわけである。

一応ヤマレコも書きました。下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2100819.html

2019年11月8日金曜日

一休みします

東京では季節の歩みが1ヶ月遅れたのではと思うような秋晴れの1周間となった。欧米の報道を見ていると、緯度の相違だろが殆どが冬支度。こちらは朝夕は少し寒くなったとは言え、日中は半袖のTシャツ姿もよく見かける。小生も普段日中は日当たりの良い2階にいるので今のところは暖房いらず。光熱費の節約にもなっている。

前からご愛読いただいている方はお気づきでしょうが、目下このブログのレイアウトを変更しようとしている最中。11月6日にコメントを頂いた事に対応しようと思っているのですが、なかなかご期待に答えられず苦労しているところです。若い時であれば若干の辛抱も出来たかも知れないが、この歳になるとどうしても辛抱が続かない。同じことの繰り返しでうんざりし、ついにギブアップしてしまった。

ご容赦願いたい。

明日は久しぶりにハイキングに出かける。月曜日は高校同期会のため長野に帰省、この2日間ブログは休みますが来週火曜日から気を取り直して書き続けたいと思っていますのでよろしくお願いします。

2019年11月7日木曜日

アルファベット文化

高校入学当時先輩が教えてくれた教訓「身体頑健なれど学力やや劣る」を目指したものの、結局のところ身体軟弱で学力は相当劣った者が論ずるのは、些か分不相応であるのは百も承知のこと。

日本は150年以上前から識字率が高く、外国からも文化国と見られてきたと思う。異文化についてはどんな国でも古来から命を懸けてまで取り込もうとした人は存在する。それを象徴する異人さんは今年2月日本人として惜しまれて亡くなられた元アメリカ人のドナルド・キーン氏だ。それは兎も角として、敗戦によって異文化がそれこそ怒涛のごとくに我が国押し寄せたのも事実。一口に文化と言っても様々、社会に複雑な変化をもたらすなかで、人によっては芳しくないと思うものも多数あったと思う。

中でも功罪相半ばすると思うのが、アルファベットの氾濫。終戦直後には、日本語を廃止して日本人はすべからく英語を使うようにすべし、なんて極論から一時的には、かなと漢字使用を禁止して全てアルファベット表記を採用すべきといったことが学者を含めやや真面目に論じられたと聞いている。江戸時代末期、郷土の大先輩佐久間象山先生ではないが、多くの知識人・官僚即ちお侍たちが、それまで専ら外国文化吸収のため重宝していたポルトガル語やオランダ語を捨て英語に切り替えたのはご存知の通り。

だから新教育基本法で育った我々が小学教育6年の後、全員が英語学習に取り組んだ?取り組まされたことは容易に理解できる。強いて言うならば小学教育に何故取り込まなかったかが不思議なくらいだ。戦前の高等小学校あたりで英語教育があったかどうか、中学の英語授業が戦後の英語授業と比べどうであったかは分からない。長野県の中学教師は長野師範、後の信州大学教育学部出身者が大部分。教える先生方も苦労されたことだろう。

兎も角その教育方針のお陰で、辛うじて私学ではあったが大学まで卒業することが出来た。それは結構だが英語なる知識、就職試験にまでついて回った記憶がある。しかし実社会に出てから英語知識が役立った経験は皆無に等しい。勿論友人の中には英語学習を更に磨き上げ、世界に羽ばたいて活躍した友人もいる。しかし中学同期生約250人、高校同期生約400人の中でどうだろう、1割の65人もいないかも知れぬ。

学問や教育は福沢諭吉先生ではないが、人の生涯を決する大事な問題であるのは言を俟たない。日本には教育省は無かったが文部省があった。それが何故か無くなり今は文科省と意味不明な省に変わり果てた。それも良しとしても、卑しく馬鹿な政治家共に軽々しく教育を論じてほしくない。

2019年11月6日水曜日

政治家の発信力

昔から益体もないお喋りが好きで、毎日の喋り相手がいなくなった現在は喋りの代わりにこれを書き綴っているようなものだ。お喋りと違って反応が少ないのが少し残念ではあるが、それでも一種の健康法だ。

話題を変える。今日は久しぶりに衆議院予算委員会が開かれてるらしい。ご案内の通り日本の国会の質疑なるものは、下手な田舎芝居や銭湯で聞くそれこそ益体もないお喋りにも劣る。特に答弁側が酷い。先ず「事前通告がないから答えられない。」「所管が異なるから答えられない。」「大臣という職責にあるので個人的見解は控えたい。」とあからさまに答弁拒否があり、次には「朝ごはんは食べなかったが、パンは食べてきた。」式のはぐらかし答弁。

しみじみ思うのが日本を代表する政治家の発信力の薄弱さである。初等教育でまともな国語教育を受けてこなかったか、成績劣悪のどちらかだろう。発信力が国内に対してさえ弱いのだから、国民が政治に関心を持たず期待もせず背を向けるのは当然だろう。マスコミ、特にNHKなどがいくらカバーしようとそりゃ無理というもの。彼らは最近ちょくちょく外国に出かけるが、日本語がまともに話せない者が異人さんにインパクトある話ができるはずはあるまい。

比較して思うのがイギリスの議会と議員さんのあり様だ。本題と少し外れるが彼の国は民主主義のお手本だと聞いて育ったが、最近テレビの「ワールドニュース」でBBCを垣間見て、これまでの理解と違っていることが多々あった。先ず2大政党制と聞いていたが少数勢力が在籍し、これがそれなりの発言発信力を発揮している。そして今度の下院解散総選挙、解散なんかないと理解していたがこれも間違い、見事に解散になった。

解散にはなったが、にほんそれとは大分趣が異なる。テーマは明確だが、比較第一党の与党が解散を誘ったのは日本の安倍政権を見習ったのかも知れぬ。それはさておき、イギリス国会は通年開催が前提で、政府の都合で休暇を長めに取ることはご法度。与党党首がこの手を使おうとしたら、たちまち違法とされて休みはキャンセルされた。法案審議で委員会のようなものはあるのだろうが、BBCが取り上げてことはない。専ら本会議での与野党議員の生のやり取りがテレビに出るが、これが日本と大違い。実に生々しい見解の応酬であるのが通訳を介しても伝わってくる。

これが情報の発信力で、善悪は別にして聞き取る国民を惹きつけるのだろう。

2019年11月5日火曜日

囲碁のお勉強

昨日指導碁を受けた。昨年末友人に誘われて入った新宿の碁会所で、20年くらい前に少し指導を受けた中国のプロ棋士に再会し、以来再び月1回のペースで指導を受けるようになっている。手合は5子の置碁、先生曰く「100目くらいのハンディを貰って打つのだからセオリー(理屈或いは定石)通りに打ち進めれば滅多なことでは負けるはずがない。」ところがこのセオリーを分かっているつもりでも、往々にして矛盾する手が出るらしく、メチャクチャな負け方をすることがある。たまに勝負ではわずかに残っても最後までセオリーに矛盾しないで打ち進んだことは一度もない。

囲碁は361目の地縦横(19本の線の交差点)に対し、互いが交互に好きなところに石を置いて地を囲い合うゲームである。5子のハンディとはこちらが361箇所の中で最も優位な場所5箇所に、予め石を置かせてもらってゲームを開始する。どの交差点が地所として効率が良いかは、ゲームの進行で少し変化はするが、端から数えて4本目の交差点が最高とされている。ある先生に言わせると「銀座の一等地に手付金を払ったようなもの」だそうだ。

この全てと更に9本目の交差点、8本目までの交差点は碁盤上に4箇所ずつあるが、9本目は1箇所しか無いので「天元」と呼ばれ極め付きの急所ともされている。これだけのアドバンテージがあり、指導する先生はハンディを背負いながら悠然と打ち進めて決して奇抜な手は打たない。要するにこちらが勝手に転ける(セオリーに反する着手)ことになる。そこを先生は決して見逃さない。

後刻そこを厳しく指導されることになる。女性なので普段はとても優しいが囲碁の指導になると鬼に早変わり、どうしてこんなに馬鹿なのかと思っているに違いない。先生も子供の頃はお父さんに教えられたそうだが、よく打たれたそうだ。安倍首相のようにアメリカ向け・ロシア向け・中国向け或いはイラン向けと、時に望み辺に応じて相矛盾するセオリーを使い分ける訳にいかない囲碁の難しさだ。

2019年11月4日月曜日

対等と服従

長い年月相当親しく付き合わないと、その人の考えや家庭内のことなんか分からないものだ。まして遠い外国の人においておやである。また誰にも馬が合う人合わない人、好きな人嫌いな人がいるはず。勿論自分もその例外ではない。しかし国の好き嫌いは特に無い。行きたい国を順に上げろと言われても困ってしまう。国内旅行でさえ経験が少ないうえに海外旅行の経験は無きに等しいかも知れぬ。戦前の爺婆の多くは、外国と言えばシナとロシアと西洋の3ヶ国しか知らなかったと言う笑い話を読んだことがあるが、それと大差ないかも知れぬ。

しかし最近はありがたいことに知人友人の話や書物に頼らずとも、マスコミやネット情報で世界中の国について情報を得ることが可能になった。よって一時的にはそこを訪れたいと気持ちが動くこともあるが、それが実現する前にその気持は簡単に忘れてしまう。従ってかどうか、最近の報道によく出てくる特定の国に対する好悪の調査や、その対象となっている感情は理解しにくい。最近はその対象がアジアの隣国、韓国と中国に向けられるのは何故か?調査の必然が何処にあるのか不思議でならない。

特に最近問題が大きくなっているのが韓国。比較対照されるロシアや台湾と並んで最も近い隣国の一つだろう。調査によると両国間の嫌韓、嫌日感情が高まりつつあるらしい。韓半島出身の知人友人も昔は少しいたが今は一人もいないので、彼らにその心情を聞いてみることは出来ない。ただぼんやり思うことは、日本人と彼の国の人の考え方の奥底になにか大きな違いがありそうだ。その一つが先週の報道でかなり明確になってきた。

それは同盟国アメリカに対する思いである。先週日韓議員連盟の交流会があって韓国から40人を超す議員の来日があり、日本側からも与野党を超えて100人前後の政治家が参加したことが報道され、来日議員の中にはテレビ出演をした人もいる。この会議で議員同士の相互理解が何処まで進んだかは分からない。個人的にはっきり分かったのは、韓国の政治家は同盟国アメリカを同等の対場で考えていること。対する日本は同盟国アメリカを服従の立場で考えている。マスコミはこの大きな違いに気が付かないのだろうか?

日本はアメリカの仲裁を神の声のように取り上げるか、韓国はそれをアドバイス一つと受け止めるが、採用するかしないかは主体的判断としている。小さいようだが大きな違いだ。日本の政治家が全員ではなかろうが、テレビを観ていると明らかに韓国政府と要人をバカにしているような態度のが多く見受けられる。どっちの言い分が正しいかは判断しかねるが、心構えの差は大きすぎる。

2019年11月3日日曜日

好きなネット番組

新聞雑誌は殆ど読まず、比較的よく観ているテレビは、朝NHKのBSプレミアム「ワールドニュース」を2時間半ほど。夕方はNHK「7時のニュース」を約30分7時半からBSTBS「報道1930」を1時間15分くらいかな。代わりに昼間YouTubeをよく観るが、中で一番観ているサイトに<デモクラシータイムズ>がある。このサイトは多分朝日新聞のOB数名が立ち上げたサイトのようで、毎回多彩なゲストを招き、司会者含めて大体3人位で平均的に約1時間、コマーシャルがないので実に見ごたえがある。

昨日その<デモクラシータイムズスポンサー交流会>なる催事が御茶ノ水であったので、スポンサー料金千円払って行ってみた。サイトの運営母体は一般社団法人で、リタイアしてもジャーナリスト精神なお已み難いほんの数人がポケットマネーで立ち上げて3年目になるそうだ。チャンネル登録をしている人が大凡2万数千人、毎月何本制作しているか聞き漏らしたが、観ている感じでは10本以上作っているように思う。

3年目にして爆発的人気とはいかないようなので、細やかながら応援の意味で取り上げたい。ネットのことだからNHKオンディマンド何かと異なり、古い番組を容易に観ることができるので、ご存じなかった方したに紹介したページを開いて是非一度ご覧になってください。有益な情報がたくさんあるはずです。

昨日は番組の司会者の他によく出演されるゲスト2人が特別に講演してくれた。一人は軍事問題に詳しい田岡俊次氏が昨今のシリア情勢について。クルド民族のことが話題になっているが実際はよく分からないのが本当のところ。政治家を含め多くの人もそうではないかと思うが、少し理解が進んだように思った。
もう一人は評論家の佐高信氏、この人マスコミの大手の出身ではないので、ものの見方が反権力で好きだ。

講演内容もジャーナリストとしてマスコミ報道を見ていると、何を今更と思うことが多いし、一種の定型化で書かれる記事が多すぎる。との趣旨だったが改めて大いに同感した。主催者も一人ひとり短いスピーチをしたが、安倍政権が末期症状を呈し始めたとの見方など面白い話が盛りだくさんの約2時間半だった。

サイトは:https://www.youtube.com/channel/UCIIhko3gMRId9cCteX1eu-Q

2019年11月1日金曜日

文部大臣vs文科大臣

朝から快晴、半年ぶりの泌尿器科検診日なので朝一番で日大板橋病院に行き、採血採尿の検査結果を待って担当医と面談。特に問題は無いようなので一安心。来年4月24日に再診予定が決まる。最近の物忘れは酷い、大分前から買わなければと思っていた小手帳を購入する必要がある。

忘れないうちに書いてしまいたいことを一つ。昨日図書館で読んだ月刊「文藝春秋」1955年4月号だったか(終戦10周年の特集号だった)について。巻頭随筆を斜めに読んでびっくりした。天野貞祐氏とか金森徳次郎氏とか余り気に入らぬが服部卓四郎氏などが執筆しているが、最後に登場したのが吉田茂元首相だ。この順番にはチョット驚いた。首相経験者が何故文部大臣経験者の後塵を拝したのか?まさか「あいうえお順」でもあるまい。

1955年と言えば既に15歳だから記憶していることも相当ある。しかしその10年前5歳児の記憶はかなりあやふや。執筆者の殆ど全員が、この10年の変化は非常に激しいものがあると書いているが、現在の変わりように比べればそれほどではあるまいと思った。暮らしぶりの変化は大きかったろうが、国権主義或いは軍国主義から民主主義となり法律も随分変わったにせよ、市民の基本的価値観・常識はさほどの変化が無かったのではないか。

常識の一部は変更せざるを得なかったろうが、頭に刷り込まれたものはそう簡単に捨てられなかった筈だ。例えば人を見る時よく言われた言葉の一つに「人格者」がある。現代では殆ど死語化しているし、「知識人」に代わったのが「専門家」。記者魂は失せてコメンテータが蔓延る昨今。大学が文学部だったせいか、この歳になって言葉に拘るのも困ったものかも知れぬ。

序に、名前だけは知っている政治家の松村謙三氏のことを読んだ。彼は鳩山一郎内閣の文部大臣事などを経て結局自民党員になり、昭和34年 岸首相のタカ派的な姿勢を批判して、総裁選挙に出馬するが惨敗している。日中国交回復関連など、松村氏の功績は兎も角として、感心したのは「政治は職業に非ず」として、職業を問われると何時も無職と答えたそうだ。このように捨て去られた言葉に思いをすると、自分が経験した歳月の長さをしみじみと感じる。

たまたま今日取り上げた3人はそう遠くない昔の文部大臣経験者、文部省は経済発展にもっと貢献すべきと科学技術省と合体し文部科学省となった。今の大臣は萩生田光一氏、いずれ文藝春秋の巻頭随筆に寄稿するかも知れぬが、読む気になりそうにない。