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日本人の物差し

今週は2日も図書館で古い雑誌を読んだので、昔のことを想いだしたりして楽しかった。ずっとノンポリで来てしまったので、個人的には子供の頃から現在に至るも価値観に大差はないと思っている。しかし、自分が誕生した年(1940年)の雑誌と10歳(1950年)になった時の雑誌を読み比べると、内容から伺われる精神的と言うか価値観とも言うべきか、その落差の大きさに驚かざるを得ない。更に期間を10年先(1960年)に延ばすと、日本の変わりようは、誰がどう見ても奇跡にしか見えないだろう。

1960年当時ですら外国人から見た時、この変化、落差の大きさは少し不思議に見られたようだ。それは当たり前だと思う。幾ら占領下にあったにしても、たった10年で、現代風に言えば、外部から圧力があって自公政権が共産党政権にひっくり返り、国民の大部分が喜んで共産党員になってしまったようなものだろう。実際は欧米風民主主義政党であるけれど。個人的勝手を言えば、終戦前までの日本人と1960年の日本人は異なる民族と言わざるを得ない。

終戦までの日本人は良いか悪いかは別として、固有の歴史と文化を背負った民族であったと思う。国民全員が法律以前に何か社会的規範を共有していた筈である。上手く表現できないが、社会の結びつきを構成する重要なもの、価値観の尺度のようなものかもしれない。1958年に尺貫法が変わるが、1貫目が3750グラムに変わった。大部分の人は「何の不都合がある?」だろう。しかもこれは占領統治下のことではない。

故に、ここで書きたい落差の違いが余計分かり難いのだ。占領軍が命令を発し、「今日から日本人は全員、欧米風民主主義政党員になるべし。」と言ってくれたならまだ分かりやすい。憲法にせよ法律の大部分は、戦前と大差ない日本の日本人による立法府で作られ、それに従って社会が自然に変化してきているだけではないか。表面的には社会の全てが、固有の歴史や文化を引き継いでいるかのようにも見える。

しかし一般国民からすれば、憲法や法律の持つ意味はそれほどのものではなく、戦前戦後のその違いなんか殆ど関係が無いのではなかろうか。我が国は戦前でも四民平等であり、言論の自由も保証されていたに違いない。何が変わったのか分からぬが、何かが大きく変わっている。学のある人の教えてもらいたいが、愚考するに「権威」の概念が失われたのではないだろうか。憲法…

怖い話 暑さのせいばかりではない

この暑さには流石に参った。昨日も今日も昼日中の1万歩々行はご遠慮させて頂いた。月火水と3日連続で大汗をかき、昼過ぎ事務所で下着を着換えてみたものの、残念ながら我が事務所はお湯が出ない。下着を換えても、汗を一度お湯に浸って流さない限り、どうもしっくりこない。昨日・今日も替え下着は持ってきたが、趣向を変えて午前中から国会図書館に行ってしまった。朝比較的涼しいうちに池袋まで片道だけ歩く。

池袋からは地下鉄で、帰りも千川まで地下鉄に乗ってしまうので1日の歩行数は7~8千歩止まりになってしまう。一寸口惜しい気もするが、過ぎたるは何とやらでもある、余り無理をしないよう気を付けるに越したことはないだろう。只おまけのメリットが一つある。図書館下車駅の階段が長い、大方90段くらいはある筈だ。この昇り降りが膝の良い運動になってくれていると思っている。

国会図書館の中がこれまた涼しすぎるくらい、ある意味で居心地が良い。しかし昨日と今日利用している最中、妙なことに遭遇した。最近駅の構内とか人混みの中で、突発的な切り付けとかの暴力事件をよく耳にする。まさか図書館でと思っていたが、昨日正面入口の方から訳の分からん大声が聞こえてきた。図書館は登録済みカードによる改札口の外に警備員はいるが、一旦入場してしまうと警備員はいない。職員は大勢いるが殆ど女性である。

野次馬根性ですぐ見に行きたかったが、ぐっとこらえて暫くしてから入口の方に行ってみた。そうしたら、明らかに50歳は過ぎていると思われるおっさんの前に、若い男性職員が向き合って一生懸命宥めている様子。場所は図書の借り出し申請した人が、図書がカウンターに届くまで待つ待合室的なところ。他に客もいるのだが皆遠巻きにして見て見ぬ振りである。

警備員を呼んで摘み出すべきだろうが、こちらも横目で見ながら知らぬ顔をして通り過ぎてしまった。驚くべきことだが今日もそのおっさんが同じ場所に座っている。周りも何となく空席になっている。ひょっとすると札付きで、毎日来てただ座っているだけかもしれないい。時折の大声を図書館が黙認しているのか、職員を捕まえて聞いてみたかったが、これも堪えた。更に不気味なことに出くわした。昼食堂で飯を食っていると、目の前の席に来た男がこれまた気持ちが悪い。

透明なビニール袋に何冊かの本が入っているのをポンと置いた。私物は構わないが、図書館から…

「ミーハー族」VS「インテリ族」

最近あまり使われなくなった言葉に「ミーハー族」「ミーチャンハーチャン」がある。ウィキペディアによれば「元々は低俗な趣味や流行に夢中になっている教養の低い者や、そのような人を軽蔑して言う。テレビが普及し始めた1950年代後半、大宅壮一が唱えた「一億総白痴化」とほぼ時期を同じくして用いられた。」と書いている。小生もテレビの普及で流行り始めた比較的新しい言葉で、流行ものに敏感な若者たちで、いつの世にも存在する特定年代の少数派であろうとの理解であった。

もう死語に近くなっているのでどうでもいいことかもしれぬが、今日劇作家の菊田一夫氏の随筆を読むと、認識が少し間違っていたようだ。菊田一夫氏は戦後娯楽が少なかった時代に、一世を風靡したラジオドラマの「鐘の鳴る丘(パソコンですぐ変換できないのが口惜しい)」や「君の名は」を書いた脚本家である。随筆自体が昭和24年の暮れに書かれているので、「ミーチャンハーチャン」は昭和20年代には生まれていたらしい。菊田氏によれば反対語は「インテリ族」。

「ミーハー族」は「インテリ族」に深いコンプレックスを持っていて、「インテリ族」の言うことを無批判に肯定してしまう。従って日本人の大半が「ミーハー族」で、少数が「インテリ族」と言うことになるらしい。尤もらしいことを言われると、深く物事を考えずに受け入れてしまう。これが放送日に銭湯が空になると言われた「君の名は」大ヒットの所以だそうだ。「君の名は」男女が毎回のようにすれ違うドラマとして定着して成功したが、何年か連続したドラマの中ですれ違いシーンは一回しかないらしい。要するに、インテリの誰かが噂を流したらしい。

菊田氏は大した学歴も無く、丁稚奉公から苦労の結果脚本家となって成功した。だから国民の大多数である「ミーハー族」が、ある日少数派である「インテリ族」の虚構を見破る日が来て、国の形が大きく変わるであろうことを期待する書きっぷりになっている。日本社会の捉え方として実に興味深い。菊田氏の言う「インテリ族」は、それでも多数派「ミーハー族」が曲りなりにでもコンプレックスを抱く対象になっている。当然ちょっと学があって、一見理知的、知性的でなくてはいけない。「そんな彼らに踊らされるな。」と皮肉っぽく書いているのだ。

翻って今日を見ると、いつも訳の分からぬ風に踊らされる我々は「ミーチャンハーチャン」に違いないが、…

スポーツ観戦からの雑感

7月10日前に梅雨が明けるなんてありうるのかと疑心暗鬼でいたが、どう考えてもまだ梅雨の中にいる感じである。今週中に明けてくれれば嬉しいのだが、果たしてどうなることやらだ。ハッピーマンデイ法と称する訳のわからない法律で、海の日が7月第3月曜日になっている。必然7月20日より前に来る年になると余計季節感を掴みにくくなる。いっそ海の日は7月末の何日かに固定して、その日を以て大部分の小中学校は夏休みに入るようにした方が合理的ではなかろうか。

政治関係の興味がすっかり薄れてしまったので、従来殆ど観なかったスポーツ中継を見る機会が増えている。プロ野球のオールスター戦を3戦観たし、昨日はサッカーの横浜F・マリノスvsマンチェスター・ユナイテッドを観戦した。正直なところサッカーについてはルールさえ覚束ないのだが、横浜が勝ったので日本への身贔屓で気持ちが良かったと同時に、日本サッカーがこんなに強いとは驚いたし、感心もした。中継を見ることはなかったが、全英オープンでの松山選手の活躍やメジャーリーグで活躍する日本人選手のニュースは何度見てもいいものである。

特に若い選手の活躍には、老人夫妻が無邪気に喝采をして喜んでいる。ちょっと残念なのは相撲が相変わらず白鵬の一人舞台であること。日馬富士や4大関の一層の精進と奮起を促したい。横綱白鵬には好感を覚えるし素直に応援を送るが、金曜日優勝が決まったのでは些か興が覚める。本人にしても怪我を押して頑張っているのに、優勝が決まっているから負けて元々みたいに思われたのでは不本意であろう。スポーツがこのように爽やかさ届けてくれるのは嬉しいが、スポーツの世界の裏側が表に出てくると碌な話が無い。

プロスポーツは一種の興業であるから難しいのだろうが、仕切る人間に選手上がりが一人もいないプロ野球連盟もある。一方にはアマスポーツだからだろうが、全員選手上がりの柔道連盟もある。しかしその柔道も世界最大の興業であるオリンピックの競技種目にもなり、柔道連盟もそれを受けて選手の強化に取り組んでいる。そして更にそれぞれの組織を統括して君臨し、強化費などの税金をお下げ渡しになったりする文科省なんて役人組織が絡んでくる。

昨日のテレビを見ていると、サッカーのJリーグが誕生したのが20年前だそうだ。これとて各チームの事情を見ていけば問題は山積しているのだろうが、競技自体は比較的上…

保守主義

小学校の高学年か中学生になりたての頃だろうか、例えば万年筆などを欲しがったときなどに、父がその我儘を排するたびによく言ったせりふがある。やや自嘲的感もあったが「私はウルト・ラコンサバティブ(超保守主義)でね。」明治38年(1905年)生まれだから、自然に振舞っていたとしても、我々世代から見ると古くせえと思えたことは沢山ある。平成8年(1996年)に亡くなるまで最も一貫していたのは、変なことだが下着の褌だろう。同じ世代の方は誰であれ、昭和30年代中頃までは同じ下着を着用されていたともうが、平成に及んではすっかり見なくなった。

もちろん他人の下着なんか見る機会は、昔で言えば銭湯、比較的最近ではゴルフ場の風呂場位のものだ。今や東京に限らずとも、洗濯物を外から見える場所に干すなんてことも少なくなったし。だから見聞している範囲は狭く、意外に頑固者は他にも沢山居たかもしれないが、世の中はいつの間にか随分変わるものである。父は世の中の変化に意識的に抵抗していたわけではないが、電化製品の3種の神器(洗濯機・冷蔵庫・テレビの順だったかな?)の取り込みも比較的ゆっくりしていたように思う。

5人の男の子を抱えていた母にして見れば、とてもじゃなかったろうが、子供に教育を授けるために辛抱させられたに違いない。お陰で4人が大学まで進み、3人は東京の私立大学まで進学させてもらうことが出来た。父流保守主義の経済感覚は「入るを図りて、出るを制す」(真面目に仕事をして、尚節約の上貯蓄に励みなさい)であり、これもかなり徹底していたと思う。しかしこれも今や、国を挙げて奨励するのが貯蓄よりも投資か投機か知らないが、インフレを堂々と宣言するくらいだから、貯金することは財産を減らすことに繋がる可能性がある。とすれば幾ら保守的な父でも、爪に火を灯して貯蓄に励めとは言いにくいだろう。これも考えてみれば随分な様変わりではないか。

自分では父のDNAを受け継ごうと意識する訳でもないが、少し似ているところがあるかもしれない。むしろ父は、何か買うと決めたらあまりけち臭い事は言わなかったけれど、小生の方がケチかもしれぬ。ケチとは関係ないが、父が上京した時の為に嫁が用意した浴衣と褌が、今でも小生の下着用引き出しの一番底に、お守りみたいに納まっている。いつの世も世の中の移り変わりは、目に見えにくいところからジワーと始まって、気…

国民の選択

民主主義に対する概念が専制主義だとすれば、我が国は明治憲法発布以来ずっと民主主義国家だったようにも思う。時に選挙制度が変わったり、国民の信を問わずに戦争をおっぱじめたりしたが、目指していたところは民主主義であったのだろう。60数年前の敗戦で憲法が変わったからといっても、目指すところは同じで、手法に若干の違いがあるとしても、どうも行き着く先に大差が無いように思える。

憲法の条文がどうであれ、国家の赴く先は国民の選択に他ならない。先の大戦のきっかけになっている対韓半島政策、対支那政策、対ソ政策の何れをとっても、別に軍や特定の人間による専制の結果とは言い切れぬだろう。憲法に定められ、普通選挙によって選ばれた議員が構成するた国会もあれば、多少の検閲なんかがあったかもしれぬが、言論の自由を認められたメディアもあった筈だ。戦犯として処刑された方々、近衛元総理のように自決された方々、生き延びた岸元満州国次長たちだけが悪者だったわけでもあるまい。

日本ほど社会主義に徹している国は、北朝鮮ぐらいのものだろうと言う人さえいる。意味がよく分からぬが、憲法々々と大騒ぎしてみても、所詮は時の政府のさじ加減ひとつで全体主義になって見たり、社会主義になったりすると言うことかもしれぬ。まさに時の政府はいつも国民の選択なのだから、結果がどうあれ国民の一人として文句をいう訳にはいかない。昨日の選挙で、国民の選択は安倍政権に少なくとも向こう3年間は政権の運営を任せた。

安倍氏もやりたい放題にするだろうが、日本の将来が少し不安だ。何故かと言えば、安倍氏を支える人たちがよく見えないからに他ならない。昔みたいに軍部なら軍部と言ったように、相当ヤバそうに思える連中でも顔が見えれば想像もつくが、安倍氏の場合は、その背後霊が誰かよく見えないのが困る。強い者の味方とのスローガンが反対勢力から聞こえてくるが、これとてどこまで信じていいか分からない。アメリカの言うなりかと思えばそうでもない。

オバマ氏あたりは、安倍氏の余りの無教養さに愛想を尽かしてまとも相手していない、なんて悪口も聞こえてくる。確かに小学校から大学までエスカレーターで登りつめ、受験の経験が全くないなんてことは、外交の世界では余りアッピールできないのかもしれぬ。でもそんなことについて本人は気にしていないだろうし、気にする必要もなかろう。

不安と心配の種は…

夏休みの始まり

本日は参議院選挙投票日、出来れば山に行きたかったので期日前投票を済ませていたが、婆さんは例によって朝一番に投票に行った。いつもは開門前に行って行列していたらしいが、今日はその一団が全員投票を済ませたところだったそうで、他に誰一人いなかったそうだ。子供たちは今日から夏休みだし、結果が分かっている選挙より、子供と出かけることを優先する人も多いことだろう。投票結果については、票の行方より投票率がどこまで行くかだろう。7時5分に行って、投票所に誰もいないことが象徴したようにならなければいいが、と言っていた。

本当に誰に投票していいか分からないから、山本太郎と書いておこう。と言った友人が居たそうだが、投票所に張り出された名前を見て、その気持ちがよく分かったとのこと。婆さんも義務感から足を運んだものの、てな感じだったらしい。兎に角政治に関しては馬鹿馬鹿しくてテレビも見る気はしないそうだ。このところ二晩続けてプロ野球のオールスター戦を最初から付き合った。普段は野球に関心が無いので見ないのだが、婆さんの解説もあって結構面白い。何の説得力も無い政治関連報道に比べれば、ルーキーの活躍には心が躍って当たり前である。

孫の幼稚園では夏休み入りの恒例となっているようだが、入園2年目の園児を対象にして、昨日から信州の佐久に泊りがけ(二泊三日)の遠足に連れて行ってくれたらしい。一年ちょっと前の入園時には、日本語と言えば片言で自分の名前くらいしか言えず、お漏らしも屡だった子供が親元を離れて大丈夫かと思うが、前日孫は喜んでいたとのこと。子供の頃を思い出すと、初めての泊りがけ旅行は小学校4年生で、新潟の能生海岸への海水浴旅行だった筈。子供心に期待も大きく、実際にもいろいろな初体験で物凄く楽しかった。

これと比較すると、孫は5歳も若い勘定になる。期待値は同じでも実行はどうであろうか?確か同期の園児は34人と聞いたような気がする。どんな施設に行ってどんなプログラムになっているか分からぬが、幼稚園の先生方の苦労は、小学生の引率とは比較にならぬほど大変なのではないか。娘に聞く限り、先生方はごく平然と構えていらっしゃるとのこと。

孫は入園してから1年数か月の間に、半年おきぐらいに娘が連れてきてくれたので直接顔を合わせているが、会うたびに成長しているのがよく分かる。一人っ子でもあり、我が家に来れば大勢の大人に囲…

個人情報のデータベース

昨日「国保特定健康診査」所謂高齢者向け無料健康診断を受けてきた。結果は数週間後に郵送されてくるまで分からない。昨年は脳神経科に通院していたことから、こんな検査とは比較にならない精密検査を受けていたので受診しなかった。ところが、掛かりつけのお医者さんから毎年受信してもらわないと困る(診断のしようがない)と言われ、別に有料で血液検査を受ける羽目になってしまった。今年も先月に日大病院に3日も入院してたので必要性は感じないのだが、お医者さんをお助けするつもりで採血などされてきた。

一点感心したのが、看護婦さんの採血が上手だったこと。日大病院でもそうだったが、下手な人に掛かると採血の跡に青痣が数日残ることがある。昨日は跡が一切残らなかった。高齢者の健康を守ってくださるのは有難いが、血液検査1回のコストも馬鹿にならない筈だ。医療費高騰を云々する前に、こんな事こそデータベース化して、各個人の保険証をICカードにして書き込むとか、何処の医療機関からでも参照可能にするとか知恵の使いようがあると思う。

ビッグデータなる言葉も先週初めて知った。JR東日本がSUICA情報から利用駅別世代なんかをデータ化して、民間企業にマーケティング用データとして販売したらしい。評論家諸氏は、早速個人情報保護の視点から批判めいた発言をしてテレビの出演料を稼いでいる。カードを使う限り、情報履歴が読み取られることは仕方がないことだろう。それにいちいち目くじら立てるくらいならカードを使用しなければいい。カード嫌いの婆さんでさえ、監視カメラなんかもっと普及させ、至る所に取り付けるべきと言っている。

確かに最近は犯罪捜査で、監視カメラ情報が役立っていることが多いようだ。顔写真のデータベースも運転免許証やパスポートまで幅広く取り込めばいい考えかもしれない。プライバシーの保護と気取ったことを言ってみたって、我々庶民は関係のない話である。悪いことをしない限り困ることは何もない。銀行であろうと郵便局であろうと全財産は既に財務省や総務省はお見通しの筈。問題はそれこそこのビッグデータがデータベース化して活用されないから、不真面目な脱税者が出てくる。

マルサなんてことが下々で面白おかしく語られるようでは、何のための口座取引か分からない。住基ネットも大騒ぎした割には中途半端なことになっている。要はやる気の問題だけだろう。糞の役にも…

考えること

最近老人惚けが激しくなってきたようだ。居眠り、物忘れ、勘違いが甚だしい。仕事から完全に解放されると、時間管理がルーズになり緊張感が大分薄れてくるのかもしれない。昨日もブログを書き忘れてしまった。夕食の時に思い出したが、態々自宅で書くほどのことも無いのでそのままにした。婆さん曰く「同じような年齢の方が車を運転していることを考えると恐ろしくなる。」逆説的に言えば、日常的に車を転がしていた方が脳神経のどこかに緊張感が残って老化防止になるかも、なんて思ったりもするが時すでに遅し、車も免許も無い。

人間のことを「考える葦」と言った人もいるが、考えなくなったり、考えているつもりで全くトンチンカンなことを思い浮かべるようになっては世も末だ。ブログ書きだけが唯一のルーティンワークであるのも寂しい限りではあるが、他にクリエイティブな発想は出てこない。40年ほど前にアメリカに行った際に聞いて記憶に残っていることがある。「これからの時代は如何にクオリティー・オブ・ライフを高めるかが問題となる。」

意味がよく理解できなかったので質問したら「生活が如何にクリエイティブであるかということになります。」益々分からなくなったので質問を続けられなかった。その意味がここに来てやっと解るようになった。今不足しているのはそのクリエイティブと言うやつに違いない。問題はそれがどこに存在するのかである。脳みその中だろうか?とすれば些か手遅れの感も否めない。あれほど希った大量の自由時間を持て余すとは。グループメールなど見ていて、「他用があり、残念ながら欠席」なんて文言を見るとちょっぴり羨ましくさえ思える今日この頃である。

考えることが無い人間をパスカル先生に言わせると「残るのは、ただ孤独で弱く、風になびくしかなく、人としての尊厳を失った抜け殻の身体だけ」になるそうだ。これもまた少し寂しすぎるな。昨日さぼったので今日は早めに書いてアップしておく。

月刊「文藝春秋」 昭和33年新年号

小中時代は遊び呆けてはいたが、お勉強もどちらかと言えば平均よりは少し上の辺りにいたかもしれない。特に国語と英語が好きで、小学生の頃は貸本屋と学校の図書室をよく利用していた。中学になると専ら学校の図書室を利用して、翻訳小説(子供対象でなく大人向けの本格的なもの)を読み始めた。15歳頃まではこういった事も多少勉強の役に立ったのかもしれない。ところが高校に入学するとお勉強は急降下の一途を辿り、3年生になる頃は約400人強の生徒の中で300番近辺をうろつく始末になってしまった。

読む小説も中学くらいまでは戦前から名作されてきた内外の小説を主に読んでいたが、高校では下らないと言っては著者に失礼かもしれぬが、柴田連三郎、五味康介、山手樹一郎と言った戦後売出し作家の通俗時代小説を読みふけっていたような気がする。もちろんこんなものが高校の国語の役に立つ筈は無い。文法も古文も全く駄目、いつも落第すれすれの低空飛行だった。数学に至っては落第点もしばしば、3年で無事卒業できたのが不思議かもしれぬ。

その高校3年生の時が1958年の昭和33年、特別の思いがあった訳でもないが、昨日ふと思いついて図書館でこの年の月刊文藝春秋何冊かをパラパラと読んでみた。古い雑誌がデジタル化されていて、パソコン画面で通読できるので便利至極、時間潰しにはもってこいである。18歳と言えば今でも昔でもいい大人である。当時新聞や雑誌を読んでいた記憶はないが、ラジオのニュースは毎朝15分ほど聞いていた筈である。しかし恥ずかしながら、一般社会情勢について何の記憶も無い。記憶に残っているのは己の周辺に起きたことのみ。

翌年上京して、砂川基地闘争に行こうとか更に翌年の安保改定反対デモに誘われても動かなかったのは、如何にに社会常識に欠けた子供だったかと言うことだ。今、記憶にあるのは、上京して最初に住んだのが新宿だったこともあり、東京とは昼夜の別なく騒々しく埃っぽい街だったこと、投票権は無かったが都知事選挙があり、東竜太郎氏が当選して、ひょっとすると日本でオリンピック開催が実現するかもしれぬと思ったことくらいかな。上京すると、部屋に携帯ラジオが1台あるにはあったが、遊びに忙しくニュースを聞くことも殆ど無くなったのだろう。

時は高度成長の直前、まさに戦後が終わろうとしていた時のようで、文藝春秋の姿かたちは現在のそれと大差が無い。強…

朝ごはん

昨日の夕方から今朝にかけて珍しく涼しく、睡眠が十分とれた。朝飯は自家製鮭の粕漬けがメインで、大根と人参の味噌汁、野菜サラダ、胡瓜と茗荷の糠漬け、デザートはヨーグルト+キュウイ+ドライフルーツ+ブルーベリージャム、仕上げに熱いお茶。何となく定番なので、食べているとそんなに大量摂取していると思わない。丁度食事が終わり立ち上がりかけた時、テレビが熱中症予防策「水分と食塩補給だけでは不十分」とテロップを出した。

こりゃ大事な情報だからしっかり見よう、と茶の間で暫し突っ立って待つが肝心の話がなかなか始まらない。諦めて出勤(と言っても仕事が全くない事務所に出掛けるだけ)の支度に取り掛かった。支度が出来てから婆さんに聞くと、何のことはない、朝飯にごはんをしっかり摂ることが大事なんだそうだ。ご飯とみそ汁の組み合わせは塩分と水分のバランスが良いと言っていたらしい。

今や仕事も全く無くなった米の団体が見ていたら大喜びしていることだろう。昔から何十年も何百年続いている民族の食習慣だから、良くて当たり前かもしれない。我が家も別に理屈を考えてしている訳でもなさそうだが、腹が減っては何とやらで、朝はしっかり腹ごしらえするのが習慣になっている。そのお陰かどうかは兎も角、昼日中炎天下を汗びっしょりになって往復約5キロ、池袋までを歩くのを習慣にしていたが、昨日は流石にくたびれて地下鉄に乗ってしまった。

しかし帰宅時間が近づくと大分涼しくり、運動不足が気になってきた。急に思いついて自宅に電話を入れ、回り道をして帰宅を少し遅らせることにした。結果は普段より10分程遅くなっただけ。婆さんががっかりして「大騒ぎして何のことはない、いつもと変わらないじゃないの。私のように普段から何もしない人は暑けりゃ涼しいところにじっとしているのが一番だけど、普段活発に動いている人は急に運動量を減らすとすぐ身体にガタがくることになる。不便なものね。」

指摘を受けるまでもなく、不便な健康オタクの一人であることは認めざるを得ないだろう。プールの常連は皆その口である。一昨日はそのお一人のご同輩からやはり食事の話を聞いた。彼は365日プールに通っていらっしゃる極めつけの方で1歳か2歳お若かったと思う。プールでの滞在時間もほぼ同じなので、シャワー後によく会話をする。

シャワーはいつもこちらが先で、化粧室に彼が後から来て隣に座ることが…

夏はきぬ

今日プールに行くと、いつもと全く異なるがら空き状態。快適に泳げたので文句言う筋合いはないが、不思議な気がした。ジャクジーの中で顔馴染みの同輩が解説してくれた。3連休の中日だからだそうだ。成程、何事にもそれなりの理由があるものと納得。明日が「海の日」だったか、すっかり忘れていたが、ここ数年この連休は梅雨明けを告げる集中豪雨があった。気象庁は既にずっと前から梅雨明けを宣言しているが、こちらは山の天気を気にしているので、これを信じていない。北アルプスの山小屋日記を読みながら本当の梅雨明けを待っている状態である。

兎に角もう一度集中豪雨が来ないと本格的梅雨明けにならないのでは、と勝手に思い込んでいる。それから10日が本格的夏山シーズンになる筈だ。昨夜も遠くに稲光がして一粒二粒雨が落ちてきたが、結局雨にはならなかった。婆さんも植物の水やりが大変なので雨をしきりに望むが、また騙されたとがっかりしている。今ちょうど5時少し前だが、やっと雷が近くに聞こえ夕立が落ちてきた。これで梅雨明けになるかどうかは分からないが、少しほっとした気分である。

その後の雑談も面白かった。「これだけ暑い日が続いている割には「節電」と言う話が全く聞こえてこないね。」「確かにそうです、どうしてですか?」「なに簡単な話よ、原発なんか動かさなくても供給は十分足りている。下手に節電なんかされると売り上げに影響が出て困ることよ。」井戸端ならぬ爺たちの風呂場談義だから的を射ているかどうかは知らぬ。何となく納得できる話であった。何れにせよこれからが長い夏本番、宿題は何もないので、明日はどこか山行きの計画でも考えてみるか。

国政選挙への参加

参議院選挙も終盤戦になるが、家に帰ると婆さんが政治に愛想が尽きたそうで、政治家が出てくるとチャンネルを切り替えてしまう。気持ちが分からんでもない。投票を棄権するかと聞くと、投票だけはするらしい。でも亭主の名前を書いてこようかなんて言っているところを見ると、まだ相当迷っているのだろう。新聞の別刷りのような分厚い選挙公報だけは手元に置いている。こちらが選挙区は○○、比例区は共産党と書こうかな、と言ったら「共産党だけはやめた方が良いのでは」と言っていた。

アドバイスを受け入れてもいいし、たまには御意に叶わなくても別に問題は無いだろう。本音は棄権したい気持ちが一番かもしれない。3年後まで生き永らえれば目出度く後期高齢者である。その時の社会がどうなっているか、想像できないし、して見たところで始まらぬだろう。己の生活に変化ないことを祈るばかりで、選挙結果に期待するところは余りないように思うからである。結局日本は、良くも悪くも世界の動向から益々取り残される特殊な国になるような気がしてならない。

その渦中にいるのでよく分からないが、どうも日本人の感覚は普通でないところがあるような気がしてならない。よく聞く「本音と何とやら」である。表看板は公正で民主的な選挙で選ばれた議員で構成される立法府と議員内閣、公正な審判を受けている判事を頂点に形成される司法。この三権が分立して互いに牽制しあう理想的な民主国家のはずだが、本当にそうだろうか?

アフガニスタンの部族社会同様の利権組織が裏で蠢き、最近沢山産まれている政党も古くからの巨大政党も、実態的に国民を代表するものであるかは相当疑わしい。誰が本当に政治をコントロールしているかよく分からないので、選挙が茶番に思えてきてしまう。序でに言えば、中国の社会制度や政治システムについて、共産主義でもなければ民主主義あるいは資本主義にもあらずと悪く言うことが多い。

確かに彼国も分かり難いが、翻って我が国を思うと、中国ほど派手さはないが官僚の組織ぐるみの腐敗があり、メディアが政府にコントロールされるのも似たようなものだろう。「政治家の言葉の全てが建前であり、総論です。本音と各論は別で、官僚の裁量によります。」では彼国を笑ってはいられまい。少なくとトップに上り詰めている政治家を見る限り、彼国の方が立派に見えてくるのが悲しい。

夢とお金

カラスの鳴かない日はあっても、景気だことの経済がどうしたこうしたと聞かない日は無い今日この頃である。余り貧乏そうには見えぬ小父さん方が、現代日本にとって最大の課題は経済にありと仰っている。経済的に恵まれる可能性を見切った若年層に希望を与えるのは、景気の回復なのだろうか?子供たちに「足るを知れ」と頭ごなしに言ったところで聞く耳は持たないかもしれない。幸い我が家では子や孫から、あれが欲しいこれが欲しいと強く要求されたことが無い。

孫が小学生の頃遊びに来ると、近くのスーパーに連れて行き、カード(怪獣のようなへんてこな絵が描かれたトランプのようなもの、通常1パック150円だった)を一人450円までと決めて買ってやるのが、彼等にとってもこちらにとっても楽しみだったのが懐かしい。高校に入ったら携帯スマホを持つのを楽しみにしていたと風の便りに聞いたが、ねだられることも無く自分の小遣で買ったらしい。保証人が必要だったそうだが、婿さんが同行してくれたそうだ。

娘たちが運転免許を取得した時、一瞬車が欲しいみたいことを言ったらしいが、これも婆さんに一喝されてお終いになったらしい。何事も同じと思うが、欲を言いだせばきりが無かろう。程々のところで満足していては進歩発展がないことを心配する向きもあろう。分からぬわけではないが、現状以上に生活の向上を目指す人の割合とはどの程度のものなのだろうか?階級制度がある訳ではないとは言え、あの地域とかあのマンションに住みたいなんて人はいるだろうが、その方がむしろ特殊では思ってしまう。

サラリーマン諸氏からすれば今でも出世欲なんてものがあるのだろうか?若かりし頃は確かに持ち合わせていた。1963年に入社したのが僅か40人にも満たないワンフロアのちっぽけな広告会社だったが、部長が一人(総務経理担当)、他の管理職数名は全員チーフと呼ばれていた。今でこそフラットシステムでディレクタだのマネジャーだの訳の分からぬ呼称が流行りのようだが、当時とすれば出来立ての会社で、社員が若すぎて課長と呼ぶのも恥ずかしかったのかもしれぬ。

確か入社3年目くらいには憧れのチーフになって3人部下を持った。目出度く管理職である、月3千円くらいの手当てを貰ったかもしれない。当時は目を見張るような高度成長そのものだったが、年収は100万を少し越しただろうかてなものだ。その後も車を持ちたいとか…

酷暑対策

何処かのテレビ局で言っていたらしいが、今朝は良いことを教わった。汗をかいたら慌てて拭き取らずに、暫く十分出し切らせる方が理に適っているらしい。風呂から出る時は浴室で一度、脱衣所で二度くらい汗を拭いても発汗は容易に止らない。バスタオルを腰に巻いて自室に行き、また汗をぬぐう毎日である。

今日はその理屈の実験をしてみた。昼間歩いて汗をかくと、事務所に戻って直ぐに裸になって汗をぬぐって着換える習慣を変更することにした。。

汗が止るまで汗をかいたままの姿で少し腰を落ち着け休んでみた。軽くパソコンなどいじって雑用をして15分も経つと、汗が止った感じである。それからおもむろに着換えると、成程着換えやすい。

山登りの際、山頂などで昼休みになると、人前を憚らず先ず上半身裸になって、着替えをする癖があった。考えてみれば、最近は速乾性のアンダーウェア―を着ているので、本当はこんな無作法をする必要が無いのだろう。一定量の発汗が、あるところで自動停止するのは、当たり前と言えば当たり前。少し利口になった。

それにしても5日連続の暑さだそうだが、今日は風が少しあって、大分凌ぎやすくなっている。これで夕立が来れば言うことないのだが。少しじっとしてみる習慣を養う必要がありそうだ。

命と健康

暑さのせいで頭が散漫になり、物忘れが激しい。結局昨日は夕立が無かった。今日こそは降ってもらいたい。普段日中1万歩は歩きたいと思っているが「命と健康を秤にかけりゃ、命が重たい男の世界~」でとても1万歩なんか歩けたものではない。ゴルフのクラブを持って歩いている人を見て尊敬の念が湧いてきた。昔は荒川の河原の安いゴルフ場で、熱中症になりそうになりながらプレーしたことを想いだした。それでも面白いと思う時代が誰にもあるのだろう。

暑すぎるせいか、選挙の宣伝カーも全く廻ってこない。街全体がお休みモードに入ったみたいに静かで結構なことだ。新聞・テレビもネットも観る気が起きるものが何もない。下らんと言っては悪いが、サンフランシスコ空港で起きた韓国の飛行機事故の解説を48時間以上流している。素人が事故原因を知ったところでどうなるのだろう?公共交通機関の乗り物は運転する人や機種は選べないのだから、事故が起きないことを祈るしかないと思う。

婆さんは死ぬまで飛行機には乗らないと決めている。小生も外国に行くつもりもないので、国内も出来るだけ地上で移動しようと思う。先日東京~出雲間を新幹線も「のぞみ」ではなく「ひかり」で旅してみた。「のぞみ」を使わなかったのは、ジパング倶楽部の割引が利かないという単なる経済的理由だけである。それでもバスツアーに比べれば、スピーディーで遥かに快適であった。久し振りの東海道と山陽新幹線だったが、列車の擦れ違いの振動は流石と言うか、一寸したスリルであった。

最近は乗り物だけでなく、歩道を歩いていても前後左右注意していないと自転車に轢かれかねない。エアコンの効いた部屋で面白い小説を読んで過ごした。せめて明日はこの続きを図書館に出かけて読むことにしよう。そうすれば万歩はいかずとも7、8千歩は歩けるだろう。

明日の心配

週末には梅雨の中休みかと思っていたが、どうも本格的な梅雨明けらしい。昨年は梅雨明け宣言を待って山に行ったのでよく覚えている。海の日連休明けの翌日17日に梅雨明け宣言があった。それでも慎重を期したつもりで21日に富山から北アルプスに入った。ところが気象庁宣言の見込み違いか、梅雨末期とも言うべき連日の集中豪雨で、結局晴れたのが24日だったと思う。気象庁予報もままならない自然の成り行きではあるが、少なくとも一昨日、昨日の天気は真夏そのものだ。明日からはどうなるのだろう。特に湿度が高いのが耐え難い。

昨日は雷で不幸な災害も発生したが、この暑さで夕立が無ければ人間の蒸し焼きになってしまいそうだ。今日の暑さも尋常ではない。一雨欲しいところだが、変に期待すると却って何も起きないいかもしれない。昼に街中を歩くと、流石に人影が少ないような気がする。それでも帽子をかぶらずに歩いている同年輩の人を見かけたが、何用があってこの陽射しの中を歩かなければならないのだろう?浮浪者でもなさそうだし。見ていると街路樹の下にへたり込んで座っている。顔が真っ赤になって汗が噴き出している。

池袋まで2キロちょっと歩く合間に、似たような人を3人も見かけた。こうなると散歩も健康のためには良くないだろう。夕立が来れば木の下の雨宿りも危険だそうだ。東京の場合、こんな時は涼しい家に籠るのが一番いいと思うが、エアコンか扇風機くらいないのだろうか?寒いのも嫌だが、暑さは逃げ場がない感じでもっと嫌かもしれない。熱帯夜なんかもこれから本格化するのだろう。しっかり寝たつもりでも昼間も眠くてけだるい。

小学校の前を通ると丁度昼休みらしく、校庭で遊ぶ児童の元気な声が聞こえる。暑さも気にせず、勉強のこともさして気にかけない時代を懐かしく思う。この子たちも今は、足元のボールだけに集中しているようだ。今朝、子供たちが将来なりたい職業が話題になった。消防士の人気が高いらい。特に311の東北大地震以来その傾向が高くなってきているとのこと。また、10番までに政治家が入ってこないそうだ。

そりゃそうだ、子供心にさえ人様に感謝されることは恰好よく見えるだろうし、憧れもするだろう。孫が「政治家だけは勘弁してくれ。」と言った時代もある。たとえ冗談にせよ「末は博士か大臣か」と言ってもらいたい気もするのだが、スポーツ選手には及びもないがせめてなりたや…

根性無し登山

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いつものことながら又山頂目前でリタイア-の意気地無し登山をしてきた。先週木曜日になると天気予報が急に変わって、土日に梅雨の中休みが来そうな気配だ。先月は入院なんかがあって身体がなまっている。婆さんが、もうすぐ山歩きのシーズンが来るから少しトレーニングをしたら、とアドバイスをくれたりしたので、やっとその気になって考えた。奥多摩周辺の日帰りコースも考えたが、もう少し遠くて1泊できそうな谷川川方面を思いついた。

有名な山でもあり、近くにありながら一度も行ったことが無い。ロープウェイでかなり上まで行けるので歩く距離にしても大したことが無さそうである。足慣らしには最適と思ってコースを決めた。新幹線で上毛高原に行き、バスとケーブルを乗り継いで山頂を踏み、谷川温泉に降り、温泉で1泊するゆっくりコースである。先ず宿の手配から始めるが、温泉旅館は1泊2万円以上もする癖に土曜日は満室が殆ど。諦めかけた時にネットでペンション・モミの木が見つかった。

電話をすると予約可能で、宿のご主人が天神平から降るコースについてもアドバイスくれた。電話の当初から感じの良い人だったが、後で聞くと、ご主人は谷川の山岳指導員を兼ねる往年の山岳家でスキーヤー。谷川に落ち着くくらいだからロッククライムがメインだろうが、山の話には尽きないものがある。ペンションは20年目だそうだが、採算を心配するくらいいろんな意味で最高のもてなしだった。宿泊料も普通の山小屋と比較すれば格段に安いし、食事の美味さは下手なホテルなんか比べものにならない。名前は<ペンション モミの木>自信をもってお薦めします。
http://www.kannet.ne.jp/mominoki/

ともあれ、土曜日は東京発7時6分の新幹線で上毛高原経由、バスとロープウェイともう一つリフトを乗り継ぐと、10時前には1502mの天神峠に着いてしまう。谷川岳山頂は1977mとあるから標高差は僅か470mしかない。
地図上のコースタイムは往2時間20分、復1時間40分。天神平から谷川温泉までの降りのコースタイムは2時間だから、遅くても4時には谷川温泉に着けると思っていた。

但し、天神平からの降りは山蛭が多発しているので十分な注意と予防策を講じるように、と電話でも注意されていた。金曜日に態々ヒルアタックなる防虫剤を買い込んで靴と靴下にはたっぷり吹き付けてきたものだ。歩…

政権公約と宣伝広告

世界で一番ではないだろうが、現代日本にはいわゆるマスメディアなるものが溢れている。人口に対する新聞雑誌の発行部数、ラジオやテレビ受信機の普及台数、放送局の数、どれをとっても受け手からするとお腹一杯の感がある。加えて最近はパソコンを結ぶインターネット情報なんぞも、不特定多数が受信するのだからマスメディアの一翼と言える。兎に角数量的に見れば十分見たいであっても、情報の発信者と受信者双方の「情報活用能力」(リテラシーと言われる)が果たしてどんなものやら?

江戸時代の数少ない瓦版の方が、その点に関しては高水準にあったかもしれない。疑問符をつけはしたが、兎に角、巷に似たような情報があふれる時代であるのは事実だ。であるのに、昨日始まった参議院選挙は投票日まで17日間もあるとのこと。これに文句をつけたくて書いている。なるべく見聞の重複を避けたいとは思って努力はしているが、先週半ば以降、各政党の幹部クラスの口から発せられる能書きは、既に聞き飽きる段階に達している。候補者の顔が見えたのは昨日であるが、政党政治である以上、候補者の公約を周知するのに2週間も要らないだろう。

北海道、福島、沖縄などの自民党候補者は党の公約と異なる公約を掲げるらしいが、これにしても17日は長すぎないか?やかましくてイライラするのが一つ。もう1点は、メディアの仕掛ける演出が如何なるものであれ、政党の幹部はマネキン人形かCMタレントよろしく決まり文句しか喋らないことにある。既に何回か各種メディアで行われた党首討論を垣間見て思ってしまう。公開されている討論会席上、与党側にやや厳しめの質問が投げかけられも、安倍総理は意味不明の笑みと共に、質問にはまともに答えず意味不明の答えではぐらかす。

これを受けて、せめて中立の立場のような顔をしているメディア側人間は、その不誠実さを追求すべきと思うが、そんな現象は全く起きえない。党首間のやり取りも制限時間云々で、視聴者は消化不良のまま、与党のコマーシャルを聞く思いに終わるだろう。随分芸の無い話だが1回や2回は必要を認めたにしても、これから先2週間もあることを想うとうんざりしてしまう。このような観点からすると、昨日自民党が発表したTBSの取材拒否は興味がある。しかし今のところ詳しく調べる気は起きないし、昨夜は殆どニュースにチャンネルを合わせることなく、19時台から22時半近くま…

郷土の連帯意識

昼食時に飯屋のカウンターで、事務所の件で世話になっている不動産屋さんと隣り合わせた。世間話から大家さんのご主人が現在100歳、越後から出てきて風呂屋を7軒所有するに至った働き者と伺った。未だに矍鑠と街を闊歩しておられるとのこと。普段顔を合わせて挨拶するたびにお菓子やドリンクを頂いている方が奥さんと思いきや、お嫁さんであることも初めて知った。故郷のことなども聞かれたので答えたりしていると、彼も「長野には仕事以外の関係があって毎年行きます。但しあの県歌には参ります。」とのこと。

余談になるがパソコンで<けんか>と打ち込むと変換は一番が<喧嘩>で以下数十種類表示されるが<県歌>は出てこない。読者の大部分はご存じだろうが、長野に全く縁のない方もおられると思うので回り道を。小学校の教師であった身内の話では最近違うそうだが、少なくとも我々が小中学校の頃は、県下の全ての学校で<県歌>を教え、行事の度に歌う習慣があった。よって、お酒が入ると、婚礼なんかでも出席者全員でこれを斉唱することがある。これも最近は流行らないらしい。

不動産屋さんによると「ところが長野は縦に長い国で、山が多くて盆地が点在する地形ですね。場所の東西南北で県民性も随分違うように思います。」確かにその通りだと思う。宴会の歌では大いに盛り上がって連帯感がありそうだが、思うに信州人は良く言えば自主性が強すぎ、悪く言う人は沢山居るのでこれ以上は言わないが、連帯感は薄い。知る限りでは鹿児島、熊本、北海道出身なんかの方が連帯感は強いと思う。信州は京都や江戸に中途半端に近すぎたのかな?

飯が運ばれてきてしまったので、彼の出身地に関しては聞きそびれてしまった。こちらは嫁を含め代々の信州人。両親だけで4人いるが、それぞれ別の盆地の出身である。指摘を受けるまでもなく、それぞれ家風の違いあるが、これが彼の言う地域の違いであるかは民俗学者ではないので分からない。まあ、お国自慢をさせてもらったと喜んでおこう。子や孫たちの時代にはどんなお国自慢をするのだろうか?豊島区と板橋区では自慢のしようも無いように思うが。

考えてみれば地球上には実に様々な国があり、何十億人か忘れたが沢山の人間が生きている。その中の約1%強が日本人になるのだろう。住んでいる東京の豊島区はおろかご町内の人ですら、互いに何者かは定かではない。隣近所にさえ連帯意識が無いのは…

茹でダコ

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日を追って、ここに書くほどのことが見つかり難くなってきた。以下実にくだらないことだが、昨日憶えたばかりのこと忘れぬうちに一つ。

7月ともなると大分夏らしくなってくる。昨日夕飯のおかずに茹でダコの切り身が出ていた。蛸とは珍しかったが、薄切りの切り身に少しわさび醤油を付けて食べたらさっぱりして実に美味かった。「昔大阪在勤の頃、この季節に料理屋に行くと梅酢味噌で蛸刺しなんかよく出たものよ、季節の味だな。」と言うと、「今日は半夏生ですからね。」とのこと。「そりゃなんだ?」に対しては「私もよく知らないから調べて見たら。」で調べてみた。

半夏生(はんげしょう)は雑節七十二候の1つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃。一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも。下の写真をご参照願います。



かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度(面倒なので説明を省略)の点を太陽が通過する日。この頃に降る雨を「半夏雨」又は地域によ「半夏水」と言い、大雨になることが多い。

農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。また農家では玄米の餅を作り食べた。近畿地方の一部地域では蛸を食べる習慣があり、現在では近畿地方各地の小売店が盛んに販売促進活動を展開している。

これも節分の「恵方巻き」同様、大阪商人のプロモーションが江戸にまで攻め上ったことらしい。

取り敢えずはセーフ

先日入院して生体検査を受けた前立腺の結果が出た。泌尿器科の科長先生から「14か所も細胞を取って検査したが、何れも悪性腫瘍の徴候は発見されませんでした。紹介して頂いた先生にはこちらから連絡しておきますが、現在服用しているユリーフ(処方薬)を飲み続けるのが適当だと思います。」てなことで癌の心配は一応セーフではあるが、前立腺が肥大であることに変わりはないので、頻尿その他具合の悪さも変わらない。

癌を宣告されたらまた少しややこしくなるので、梅雨が明けても山歩きどころではないかと心配していたが、その点は少しほっとした。久し振りに床屋にも行ったので少しさっぱりした気分である。

特段のことはないが読後感を一つ書いておく。
東大医学部教授と気功の泰斗の対論「人は死なない。では、どうする?」
東大医学部教授・医学部付属病院救急部・集中治療部長 矢作直樹
気功家・鍼灸師 中健次郎

先日昼飯を食べた店で何気なく見たテレビにこの東大医学部の先生が出演していた。もちろん知らなかった人である。混雑の中だったのでよく分からなかったのだが、どうも山がどうとかこうとか言っているようなので、一寸気になって名前だけ忘れないようにした。帰って調べると著書は結構沢山出ている。手っ取り早く読めそうなやつを図書館で借り出して読んでみた。結構面白い。

矢作先生はテレビで見ても精悍な面構えであったが、学生時代1年に200日も山に籠る本格的な山屋だった。ここが一番興味をひかれた点である。東大5年生の時の3月、その冬に2度目の大事故を起こす。鹿島槍の尾根で雪庇を踏み外したりして千メートル近くの崖を滑落、しかも単独行である。その時の経験が先ず書かれている。そんな大事故で生きているのが不思議だが、兎に角助かった。その時猛吹雪の中だったらしいが、どこからか「もう山には来るな。」との声がはっきり聞こえたのだそうだ。

そこで、自分が何か意識できない別の力で生かされていることに気付き、以来本格的な山登りはぷっつりとやめているとのこと。そして現在は救急の集中医療部長だから、毎日のように他人ではあるが人の死と向き合う仕事についている。そして人が死ぬ時に、その場に肉体以外の何かがあるのを感じているらしい。いわゆる霊魂を信じている訳である。一方の中さんと言う方も初めて知る名前だが、気功の世界では著名な方らしい。世界中を駆け巡った冒険家で…

日に新た?

少し前までは座右の銘と言う程ではないにせよ、中国の古書『大学』に残る殷の湯王の名言『苟日新、日日新、又日新』を中国の書家に書いてもらい事務所の壁に掲げていた時代もあった。高校同窓会の会報もタイトルが『日新鐘』だから、誰しも若い時代は大体似たような気分でいるのだろう。書いてもらった時は既に60歳を越していたが、起業して先ずこの書を壁に掲げた。

しかし代表を降りる時にこの書を取り外し、既に3年以上経過した。最近では事務所はあっても仕事は一切無い。家の近くに別荘をもって、毎日別荘生活を楽しんでいるとも言える。自分でも少し贅沢過ぎるとの自覚はあるが、連れ合いの精神衛生にも良さそうなので、もう暫く行けるところまでこのスタイルを維持しようと思っている。

代わりに心掛けていることの一つに「なるべく新しいことには近づかない、知らないことははなるべく知ろうとしない」ように努める気分でいること。即ち起業の時と正反対を目指している。兎に角忘れることは多々益々でいいが、新しいことを覚えたところで碌なことはなく、面倒が増えるだけだ。そうは言っても朝晩新聞の見出しくらいはざっと目を通すし、テレビのニュースも一応朝晩見ている。

しかし字や絵を見て音は聞いても、記憶に留まる時間は極めて短く、脳みそは空きスペースだらけを期待しているのだ。と言うか、視覚や聴覚で認識したことを自分なりに理解しようとしないのかもしれない。何を聞いても「だからどうした」状態であれば聞かないも同然、忘れようと何しようと関係ない。従って何事も、相当しつこくインプットされないと理解には至らない。

テレビCMなんぞ意味不明のものが沢山あるが意に介さないことにしている。昨日やっと<ONOFF>なるテレビCMがゴルフクラブの宣伝と分かって、婆さんに自慢したぐらいの話である。ニュースの他に見る番組は圧倒的に歌謡番組で、知っている歌手や知っている歌だけまとも聴くことにしている。最近少しはまり気味なのはBS日テレ(月)21:00からの「BS日本・こころの歌」

CMが無ければ言うことはないのだが。CMを外してDVDに録画する方法があれば是非ご教示願いたい。パソコンはご案内の通り毎日起ち上げて使っている。これも余り余計なことを考えず、従来の知識の範囲での利用に留めたいと思っているのが本音。しかし、今日はネット上からあるPDFファイルをダウンロ…