2013年7月4日木曜日

郷土の連帯意識

昼食時に飯屋のカウンターで、事務所の件で世話になっている不動産屋さんと隣り合わせた。世間話から大家さんのご主人が現在100歳、越後から出てきて風呂屋を7軒所有するに至った働き者と伺った。未だに矍鑠と街を闊歩しておられるとのこと。普段顔を合わせて挨拶するたびにお菓子やドリンクを頂いている方が奥さんと思いきや、お嫁さんであることも初めて知った。故郷のことなども聞かれたので答えたりしていると、彼も「長野には仕事以外の関係があって毎年行きます。但しあの県歌には参ります。」とのこと。

余談になるがパソコンで<けんか>と打ち込むと変換は一番が<喧嘩>で以下数十種類表示されるが<県歌>は出てこない。読者の大部分はご存じだろうが、長野に全く縁のない方もおられると思うので回り道を。小学校の教師であった身内の話では最近違うそうだが、少なくとも我々が小中学校の頃は、県下の全ての学校で<県歌>を教え、行事の度に歌う習慣があった。よって、お酒が入ると、婚礼なんかでも出席者全員でこれを斉唱することがある。これも最近は流行らないらしい。

不動産屋さんによると「ところが長野は縦に長い国で、山が多くて盆地が点在する地形ですね。場所の東西南北で県民性も随分違うように思います。」確かにその通りだと思う。宴会の歌では大いに盛り上がって連帯感がありそうだが、思うに信州人は良く言えば自主性が強すぎ、悪く言う人は沢山居るのでこれ以上は言わないが、連帯感は薄い。知る限りでは鹿児島、熊本、北海道出身なんかの方が連帯感は強いと思う。信州は京都や江戸に中途半端に近すぎたのかな?

飯が運ばれてきてしまったので、彼の出身地に関しては聞きそびれてしまった。こちらは嫁を含め代々の信州人。両親だけで4人いるが、それぞれ別の盆地の出身である。指摘を受けるまでもなく、それぞれ家風の違いあるが、これが彼の言う地域の違いであるかは民俗学者ではないので分からない。まあ、お国自慢をさせてもらったと喜んでおこう。子や孫たちの時代にはどんなお国自慢をするのだろうか?豊島区と板橋区では自慢のしようも無いように思うが。

考えてみれば地球上には実に様々な国があり、何十億人か忘れたが沢山の人間が生きている。その中の約1%強が日本人になるのだろう。住んでいる東京の豊島区はおろかご町内の人ですら、互いに何者かは定かではない。隣近所にさえ連帯意識が無いのは果たしていいやら、悪いやら。毎年お祭りに500円寄付して、饅頭とお札を貰って喜んでいるだけではいかんな。せめて、浴衣の尻をはしょって神輿について歩くぐらいはすべきだったのだろう。

また話が飛躍するが、同時刻テレビに映し出されていたエジプトの民衆騒動が目に入っていたので、頭の中では、あの連帯意識は何処から生ずるのかと変なことを考えていた。

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