2016年6月30日木曜日

ほぼ無罪放免?

今日は日大板橋病院で前立腺がんのチェック。半日がかりの仕事ではあったが、検査結果が良好で薬の服用も暫くやめてみましょうとのこと。次の検査まで約3か月あるので、本来であれば100錠近い薬を持ち帰るのだが、取り敢えず30錠だけ処方しておきましょうとのことで、薬がめっきり少なくなったのも嬉しいことだ。たまたま待合室で隣り合わせた小父さんが話好きで聞いていると、同じ病気で同じ先生にかかっているが、彼の場合は内放射線療法とのこと。

放射線物質を前立腺内に埋め込む療法であある。検査でがんが確定して、入院手術を経てもう3年くらいらしいが、まだ放射線物質は身体の中にある。しかも2か月に一度は血液と尿の検査のため通院しているらしい。医学のことはよく分からないが、こちらは外放射線療法。確かに去年の暑い時期に約8週間、毎日通うきつさはあった。しかしそのきつい時期が過ぎてしまえば、あとは3月に1回のチェックだからどちらが良いのだろう?自分としては我が方が正解のようにも思うが、彼は彼で何か取り柄を見つけているのだろう。

いずれにせよ、一先ず前立腺がんから無罪放免に近い状態らしい。天気は梅雨空で鬱陶しいが、今日は気分が晴れ々々である。

2016年6月29日水曜日

成長と発展?

外国が妙に騒然としているように報道されるので、振り返って我が国と比較してみたくなった。現在外国の騒動の根っこにあるのはナショナリズムらしいが、日本でまともにナショナリズムを唱える者は、現代居ないに等しいのではないか。いや、総理自身が声高に唱えているではないかとの反論もあろうが、安倍さんは対米従属べったりだから、本物とは言えない似非ナショナリストなので問題にしないことにする。

聞くところでは、ヨーロッパはここ千年近く戦争に明け暮れ、国家の消長が激しく、国境線がしょっちゅう書き換わってきたとのこと。千年単位で見れば日本も似たようなものかもしれぬが、410数年前の徳川幕府成立で国が統一されて現在に至っているとも言える。少し厳密に考えれば、徳川時代の日本国は現在のEUとは大分異なるにせよ、300諸国の連合体であったとも言える。
それが約150年前の明治維新で、統一が更に強化されて現在に至っていることになる。

その後の日本は英国を見習った訳でもないかもしれぬが、意欲的に外国へ進出することはあっても、内に籠る発想はなかなか出てこない。現在ですら戦争による侵略こそ考えないが、何事においても海外への進出が発想の原点のようでもある。現在騒動を起こしている国々の傾向は逆で、外国とはできるだけ余計な摩擦を生じないよう内向きにものを考えて行く方向に向かっている。善悪の判断は難しいだろうが、経済面だけを取れば、内向きの発想では成長とか発展の発想が弱くなりそうだ。

しかしものは考えようだから、経済も成長や発展だけを追い続けることが良いのか、或いは可能なのかと言った疑問も湧いてくる。特に日本の場合は、資源が無いので経済的に内向きでは食っていけないとの声もよく耳にする。そのことも一応肯定したうえで尚、成長一本槍ではどこかの時点で何らかの破たんが起きそうな気がしてならない。国家と個人を同列においての論理に対しては反対意見の人も多いだろう。

老人になると経済活動は止まり、収入が無くなる。有るだけの資源を有効に利用しながら老後をいかに快適に過ごすかを模索する日々だが、これを考えるのもまた楽しからずやでもある。

2016年6月28日火曜日

旅行ブーム

久し振りに少し雨が降って、肌寒いくらいだ。でもこの程度では水不足解消にはなるまい。今年もあと2日で半年が過ぎてしまう、何という速さだ。30日は前立腺がんの検査日、異常が確認されなければ一先ず治療完了で、以降は薬の服用も止めてみましょうと言うことになっている。予定通りだと仮定して、今年の夏は少しのんびり旅行もいいのかなと思い始めた。昨日会った友人夫妻は最低でも月に1回は旅行をしているらしい。彼らの話に感化されたようだ。

中でも興味を惹かれたのがホテルチェーンの話。今まであまり旅行をしなかったので、東横インのメンバーにしかなっていないが、お薦めが幾つかあった。中でもイチオシはお茶の伊藤園が経営するホテルチェーン。宿泊代金が安くて飯も結構うまく、飲み物は殆どフリードリンク、勿論お茶だけでなくてビールなんかも含むらしい。この齢になると食い放題飲み放題なんて余り意味が無い筈なのに、根が卑しいのか興味を覚えてしまった。

旅行つながりで考えると、アメリカもヨーロッパも何か騒然としているし、中東、アフリカ、ロシアなんかは言うに及ばずだろう。アジアに関してはマスコミの情報が少ないので分からぬが、香港、中国、インド、パイスタンなんかも決して平穏でもなさそうだ。リオのオリンピックも開催が目前と言うのに大統領は不在になるうえ、警官までストライキに入っているとのこと。

何故か我が日本は落ち着いたものだ。先週金曜日に株価が暴落して一時騒ぎになりかけたが、今週に入ると外国市場とまるきり異なる動きで2日連続して上昇している。政府が年金基金や郵貯資金を使ってアベノミクスのエンジンとやらを更に吹かしてくれているのかどうか。どうでもいいことながら不思議なことではある。都知事の不在も余り気にならぬし、オリンピックの代表選手が続々と決まりつつあることに庶民の関心は高まるものだ。

こんな平和な日本からオリンピック見物のために、危険を承知で地球の裏側まで出かける人も少なくないようだ。2020年東京オリンピックのため視察をしなくてはならぬ人に、行くのをやめた都議会議員様。正に様々だが、同じ旅行にしてもいろいろあるものだ。

2016年6月27日月曜日

脳梗塞を克服した友

一昨日、長年音信が途絶えていた古い友人から突然の電話があり、今日の昼に池袋で昼飯を一緒した。彼は2歳年下で最初の会社の後輩だったが、早くに独立して成功していた。会社の同僚であった期間はそう長いわけではなかったと思うが、それでも10年近い年月を小さな会社の小さなグループの上司と部下として、苦楽を共にしたのだと思う。

彼が入社して初めて部下としての配属されたときは、こちらも勿論まだ独身。彼の家が埼玉県の鴻巣で遠かったこともあり、会社が終わってから飲みに行くのが習慣化していた当時は、そのまま我が家に泊まり込むことも多かった。そうこうするうち、こちらが嫁をもらって暫くすると彼も結婚。こちらに長女が出来て暫くすると彼のところでも長女が誕生てなことで、何となく特別の親近感があり家族ぐるみの交際をするようになった。

彼が退職した後も付き合いは続き、年に1,2回はゴルフなんか一緒にしていたのだが、5年ほど前に脳梗塞が彼を襲い、以後ばったり音信が途絶えてしまったのだ。もともとスポーツマンで退職後はモータースポーツ関係の会社を起こした関係で海外出張が多く、正月前後に日本にいることが少なくて年賀状とは無縁のライフスタイルだった故もある。3年ほど前にやっと電話番号を探し出して電話をすると「現在リハビリで頑張っていますので、もう暫くしたらこちらから連絡します。」と言っただけで電話が切れてしまった。

その彼から突然の電話だったし、最初に電話を受けた婆さんが「すごく元気そうだったわよ。」とのことだったのでびっくりもした。約束した副都心線池袋駅で待つことしばし、奥さん連れで現れた彼は、最後に見た10年近く前より元気そうでもある。何はともあれ、近くのすし屋に席を決め、互いの近況を語り合った。聞くと彼の発病は5年ちょっと前、医者の見立てでは「右脳の神経が完全に死んでいるので、どうともなりません。精々リハビリに努めて他の神経が繋がるように努力をしてください。結果がどうなるかは分かりません。」だったらしい。

彼自身の解説では「完全に長島さん状態」で左半身不随で顔も相当歪んで満足にものも食えない、喋れない状態だったとのこと。今日見た目は普通であるが、右手はまだ力が入らないらしい。しかしゴルフは駄目でも車の運転は不自由なくできるようになった。先日も鴻巣から琵琶湖一周して延暦寺まで往復1400キロドライブしてきたばかりとのこと。「おい君。それは余りに無謀ではないか。」とたしなめるつもりで言うと、「今の車、右手はウインカーを出すだけですから何の支障もありません。」と平然としている。

何れにしても医者も驚くほどの驚異的回復で、今日会えたことは実に嬉しいことだった。いろいろ聞いて分かったように思ったことが一つある。5年間リハビリ専一に打ち込めたのは、彼自身が元来がスポーツマンだったことばかりではない。むしろ奥さんの内助の功の方が効いていたようだ。

2016年6月26日日曜日

のんき節

お国柄の違いと言ってしまえばそれだけのことかもしれぬが、先週末のイギリスの国民投票を見て思うのは、同じ政党政治かもしれぬが日英では随分違うものだ。どちらが良いとか悪いとかは判断できぬが、国民投票に敗れた首相が辞任しても保守党政権が変わる訳ではない。むしろ野党労働党々首もEU残留を主張していたので、労働党の方も党首が変わる可能性が高いらしい。国論が二分されているのだから党内与論も二分されて当然なのだろうか?

政党とは何をもって互いを接着しているのか分からないが、先ず日本では考えられないことだろう。しかしよくよく考えれば、世の中の諸問題について何から何まで同じ考えで染め上げるほうが異常かもしれない。外国の政党の理念なんぞ知る筈もないが、何か大きなところでの一致をもって理念との一致とし、個々の政策では異なる見解を主張しあう。日本で言えば昔の民主党みたいだが、それも一つの在り方かもしれぬ。

現在の日本のようにチマチマした政党が多数存在して、それなりの異なる政治理念は掲げているのだろうが、国論を二分するような政策に関して、異なる政治理念を掲げながらくっついてしまう方が余程不思議だ。もともと平和の党と自ら標榜する公明党が、いとも簡単に安保法制賛成に回ることなど典型的な事例だ。公明党の議員にとって党を政党たらしめている理念なんか最初から関係ないのだろう。

議員選挙の時、投票する側の国民からすると、結局は立候補者の個人的資質をより重視せざるを得ない。だから選挙戦の様子が全く異なり、英国では個別訪問が運動の主体になる、と理解すれば納得できる。少なくとも最近は、毎日マスコミで党首の顔ばかり見せつけられてはうんざりするばかりで、候補者を選ぶ参考にはなっていない。結局は公明党だからとか自民党だからこの人にしようで終わりだ。我が国の選挙が盛り上がらないわけで、ある意味不幸なことかもしれぬ。

それにしても英国の騒ぎが、日本にどんな影響があるのかは誰も明確に言わない。そこで勝手に考えた。日本に移民問題は無いし、有効求人倍率は47都道府県で1以上だそうだし、株や為替なんか庶民とは無縁だし、上げ下げが当たり前のこんなことで潰れる会社も無いだろう。先に不幸と述べたが、日本はこの世のパラダイスかもしれぬ。ハハ、のんきだねぇ^^

2016年6月24日金曜日

あの暗い時代?

今日、英国のEU(欧州連合)からの離脱の是非を問う国民投票で、離脱を求める票が過半数を獲得したらしい。1973年に前身のEC(欧州共同体)参加以来43年にわたる歴史に近い将来終止符が打たれるとのこと。拡大を続けてきたEU側からすれば離脱は初めてのことのようでもあるし、英国の一部であるスコットランドは早々と「我々はEUと共にある」との声明を発しているそうだから、つい先日行われた独立運動が再び盛り上がるのも必至なんだろう。
何となく騒然としそうだ。

このことが世界経済、ひいては日本に与える影響は凡人には全く予想もできないが、少なくとも今日の株式市場は相当な混乱状態らしい。素人的に言えば円の国際的評価が相対的に高くなるのなら結構ではないかと思ったりするが、そう単純なことでもなさそうだ。難しいことはさて置き、いま日本は参議院選挙の真っただ中、連日与党々首の皆さんから「民主党政権だったあの暗い時代に後戻りしてはなりません。」と耳にタコができるほど聞かされる。

今がどんなに明るく素晴らしい時代か理解できぬので、民主党政権が出来た平成2009年当時のブログを引っくり返して読んでみた。丁度うまい具合にこのブログは2009年4月1日から書き始めている。確かに景気が良くてウハウハとは書いていないが、気持ち的にはそんなに暗そうでもない。このサイトでブログを書き始める前2005年の10月からmixiで日記を書き始めていたので、更に遡って昔の日記を読んでしまった。

我乍ら昔の方が余程面白く書けている気がする。因みに2006年5月6日はこんなことを書いていた。以下引用

【どこかのテレビ局に朝から枡添要一と山本一太が出演して沖縄の基地返還とアメリカ軍再編問題絡みで喋っていた。他に政治家では共産党も一人いたがここでは省略する。 

2人とも盛んに「国益」と言う言葉を連発するのが先ず気になった。 

というのは沖縄から海兵隊何千人かをグアム島に引越しさせるのに7000億円を日本が負担する事、更にアメリカの偉いさんが「再編問題絡みで日本が負担するのは約3兆円」と言った例の問題。 

これに関してマジで曰く 
「日米安保と言うのは、日本が攻撃された時に反撃に出動するのはアメリカの兵隊さんで日本の兵隊は出て行かないのです。しかもアメリカが攻撃されても日本は兵隊を出さなくても良いようになっているのです。その代わりにお金を出すのです。言葉は悪いかもしれないが、暴力団に守ってもらっている商店の人がお礼にお金を出すのと一緒です」 

2人とも自民党の参議院議員だが、公共の電波とやらでいけしゃ~しゃ~とよく言うよ。】 

2006年は63歳で起業して4年目、精神的には一番充実していた時代だと思う。今の世の中、65歳の定年近くで起業しようと思う高齢者がどのくらいいるだろうか。与党々首とは真逆の思いである。

2016年6月23日木曜日

ままにならぬ世であっても

西日本の集中豪雨は凄いが、水不足に悩む関東地方は不思議に雨が少ない。皮肉なことである。今日こそ終日雨かと思ったが昼前には雨がやみ、午後になると陽が差してきてしまった。世の中ままにならないから面白いと言えば不謹慎の誹りを免れないか。参議院選挙が始まったが、候補者にしてみれば、こんなにままならぬことは無いだろう。傍観者の立場からすると「あなた面白半分で立候補しているのですか?」と問い質したくなる候補者も少なくない。

政党にしても分かり難さでは同じこと。何で野党は一本化できないのだろう?民進党と共産党が統一候補を擁立するところまで妥協できるのだから、他の全野党が小異を捨ててもよさそうだが難しいらしい。勿論与党も同様で、もっと分かり易い塊になってほしいものだ。やはりつまるところはリーダーの資質か。申し訳ないが民進党代表の岡田氏に、人間性の魅力が乏しすぎる気がしてならない。東大出の通産官僚出身だから馬鹿であるはずはない。演説を聞いてもそれは理解できる。

しかし、この人について行きたいと思うかどうかは全く別の問題。特に現在は野党の立場である。この人となら討ち死にしてもいいと思わせるには何が必要か。たまたま昨日図書館で江藤淳著の「南洲残影」を読んで考えた。結局は「無私」に尽きるような気がする。岡田氏はむしろ舛添前都知事とは正反対で、身ぎれいだと思う。しかしその身ぎれいさが表面に出過ぎてはいないか。実態は分からないが、頭が良すぎてあらゆる戦略に関しても自身の意見をはっきり言いすぎるきらいは無いかも気になる。

相手の大将のように余り馬鹿でも困るが、己の信ずる目標を周りが理解してくれたら、あとは黙って周りに任せる。このためには本当に信用できる部下が5人位ほしいが、3人でもいい。傍目にはそれがはっきり見えないのだ。幹事長の枝野氏も少し岡田氏に似た感じがあるし、幹事長代理の長妻氏なんかも頭が良すぎる気がする。西郷南洲の周辺のように人殺しが専門みたい人間ばかりでもどうにもならんだろうが、おつむが良いだけではパワーが出ない。岡田氏は選挙の結果次第で代表辞任も示唆しているが、その前に何かすることがあったのではと残念に思う。

一方今や靡かぬ者がいないと権勢を誇る安倍内閣だが、安倍氏が杖とも柱とも頼みにしているのは誰か?菅官房長官は総理とは性格がまるで違っていそうだ。総理が彼を頼みにしているのは理解できる。麻生財務相は最近の言動からすると、どう見ても総理や官房長官をを上から目線で見ているようだし、甘利元大臣は政治的ポジションが弱くなりすぎている。その他忠臣面して周辺に集まってきている人数は多くても、負け戦になった時には誰一人安倍氏に殉じようとは思わないだろう。そういう意味では麻生財務相の取ってる態度は、アベノミクスなるふざけたネーミングを牽制し始めているようでもある。安倍内閣も永遠に続く訳がない。兎に角一寸先は分からない。

2016年6月22日水曜日

北朝鮮のミサイル発射実験

先週北朝鮮の金正恩が暗殺されたとの噂を聞いて、本当かと思ったががせねたのようだ。何故なら北朝鮮がまたミサイルの発射実験をしているからだ。金正恩が本当に暗殺されてしまえば、相当な混乱が生じてミサイルの発射実験どころの騒ぎにはならぬだろう。兎に角21世紀の世にあって、隣国であるにも拘らず理解しがたい不思議な国である。国としては理解しがたいが、我が国内に北朝鮮国籍の人が大勢いることも不思議なことだ。

日本は北朝鮮と密接に貿易をしなくても特段困ることはなさそうだが、拉致被害者のこともあるし、もう少し友好的であってもいいように思う。確かにミサイルを定期的にぶっ放すのは物騒かもしれぬが、日本を標的にしている訳でもなさそうだ。はっきり意思表示しているのはアメリカと直接話がしたいことだけである。アメリカにしても休戦状態が何年になるか知らないが、いい加減に講和条約の話し合いに応じてやれば善いものをと思ってしまう。

当然簡単にいかない何かがあるのだろうが、凡人にも分かることが一つある。北朝鮮がミサイル実験をするたびに自衛隊に発令される「破壊措置命令」程馬鹿げたことはない。今回も今日実験が行われそうだとのことで、昨日の夕方に発令されて防衛大臣がテレビの前で記者会見までした。そして今朝の6時少し前に予想通り実験が行われたとのことで、また7時頃になって防衛大臣がテレビの前に立った。「韓国製の発表を受け、幹部が会議を開いて発射が具体的に如何であったかを分析中です。」

そうこうしているうちに8時半過ぎには北朝鮮が2発目の発射をしたとのこと。
しかも2発目はそこそこの距離を飛んだとの情報もある。午後に入って再び防衛大臣はこのことに関しても記者会見に応じざるを得ない。「わが国への飛来は確認されていないが、わが国の領域や周辺海域に到達する能力の増強につながりうるものと考えられ、安全保障上、強く懸念する。北朝鮮の弾道ミサイルの能力分析をさらに続け、我が国の平和と安全の確保に万全を期す。」そうだ。

自衛隊が我が国の平和と安全の確保に万全を期すのは当たり前のこと。北のミサイルの能力の分析も結構だろうが、例の破壊措置命令だけはやめてもらいたい。迎撃ミサイルPAC3なる代物、航空自衛隊が持っているようだが、この発射実験はいつどこで行っているのだろうか?昔ハワイ沖で何かしたような記憶もあるが、他国のことより自国のミサイル発射実験についてきちんと情報を開示してほしい。

そもそもミサイルなる代物、爺の肉体より劣化が激しいそうだ。だから北でも定期的にぶっ放すとの話もある。日本にとっては正に無用の長物、国民を馬鹿にした大いなる無駄遣いであるのは間違いないだろう。

2016年6月21日火曜日

選挙用コマーシャル

明日から参議院選挙が始まる。各政党の広告はマスメディアにとって美味しい臨時収入となる。広告会社の勢力地図がどうなっているか詳しくはないが、どうせ節操のかけらもない業界のことだから、大手の会社が競合する政党に食い込んで、これまた美味しいところ食べることになるのだろう。こういったところにも、経済格差がどうしても生じてしまうのは仕方が無いのかもしれぬ。

そんなことを思っていたら面白いネット記事を見つけた。自民党の政党テレビコマーシャルに、フジや日テレ系列まで含む民放各社の考査部が揃って「不可」を突き付けたとのこと。内容的には「私たちは前進してます」をお題目にして〈雇用100万人増加〉とか〈賃上げ2%達成3年連続〉と数字を論ったのは誇大広告(根拠が不明らしい)だし、挙句の果てに広島でのオバマ大統領の写真を取り込んでいたらしい。本人の許可関係は分からないが、確かに自民党員でもない外国人を使うこと自体に無理がありそうだ。

突き返された自民党側では恐れ入って撤回したかと思うとそうでもないらしい。案を提示したのは電通だと思うが、テレビ局なんぞ子会社くらいに思っているのだろう。彼らが裏で糸を引いているに違いないと思うが、先週自民党の広報担当者が弁護士を同伴して某局に乗り込んできたそうだ。1社落としてしまえば、全国右へ倣えで放送が実現するとしたものだ。

局名も個人名もされていないのでどこまで取材に基づいているかは定かではない。テレビ局員の感想が以下のように書かれている。「取締役局長クラスと会って、オバマ訪広も経済実績も党の政策の結果だと正当化したようです。あと、上層部にも他のチャンネルから働きかけがあったと聞いています。テレビ局としては、官邸ににらまれるのは怖いので、本音としてはそのまま放映したい。ただ、そのまま出せば出したで、明らかな公選法違反ですから、絶対に問題になる。営業部も考査部も板挟みになって頭を抱えていました。」

いつも書いているように第4の権力なんて偉そうに言っても、テレビ局なんて政府の免許で営業させてもらっているのだから弱いものだ。明日以降になればはっきりするが、どんなコマーシャルが放送されるか楽しみとも言える。

2016年6月20日月曜日

政治家は芸能人以下

参議院選挙が近づいたせいで、この週末のテレビ番組は各党々首の討論番組が目白押しであった。ネットの番組も同様である。当然ながら何れも同工異曲、各政党とも決まりきった台詞を披歴するだけのこと。選挙運動であれば仕方ないとしても、もう少しましな台詞を引き出すことはできないものだろうか。唯一の例外が、ネット党首討論(ニコニコ動画など主催)で、司会の社会学者の古市憲寿氏が、小沢一郎氏に対して唐突に「僕、できれば再婚相手見つかったか聞いてみたいんですけど。」と質問。小沢代表が怒り出す一幕があった。 と報じられているくらいのものか。

古市氏の発言に関してはネットをざっと見ても余り評判は良くない。古市氏については殆ど知らないが、東大出身の若手(45歳年下)の社会学者らしいが、嘗ての東大助教授国際政治学者の舛添要一氏のように若者には人気があるのだろう。全く困ったことだ。国会が早々に幕引きとなって、政治問題となるべき問題について真面目な討論は行われず、政治家が芸能ワイドショーに出演する芸能タレント張りに決まり文句を繰り返す。

決まり文句は聞き飽きているだろうが、我が田に水を引く自慢話をまくしたてて、相手の反論は聞き流す。そのうえ与党からは前政権時代に日本が如何に不幸であったかを延々と聞かされる。2009年夏以降の3年半、確かに翌々年の3月には東北大震災があり、続いて起きた原発事故で、日本は不幸に見舞われたのは事実だ。当時の経済指標がどんなダメージを被ったか知らないが、多くの国民が自分の未来について非常に暗い気持ちでいたのだろうか?

個人的な思いとしては、当時「絆」と言う言葉がやけに流行ったことだけが記憶にある。今でも意味がよく理解できず、あまり好きになれない言葉だが、これが暗い世相を反映していたとでも言いたいのだろうか?何でも民主党政権時代に国民の財産が50兆円失われて、第2次安倍政権になってから40兆円取り戻した。「あと一息です。ここでアベノミクスのギアを2段も3段も加速してエンジンをフル稼働させます。」

幸い我が懐からは50兆円の1億分の1も失った気分も無い代わりに、安倍政権になってから80%が戻ってきた思いも無い。完全な年金生活に入ったこともあり、麻生財務相には叱られるかも知らぬが、生活が苦しくなってきている実感と併せて先行きへの不安が無いと言えば嘘になる。野党に言わせと「ボロ自動車がエンジンを目一杯吹かしたら爆発する。」

与党の経済政策が爆発したら庶民の生活はどうなるのかね?一向にイメージが湧かない。要するに政治家のたわごとは、与野党を問わず普通の庶民感覚とはかけ離れたところでの掛け合いばかりだ。酷評すればお笑いタレントの掛け合いの方がまだ少しまし、勉強しているともいえる。

2016年6月19日日曜日

「父の日」

今日は「父の日」とのこと。昨日婿さんが甘党の私のために態々お菓子を届けてくれたそうで、初めて知った。「母の日」があるから「父の日」があるのも当然なんだろうが、いつ誰が決めたものだろうか?少なくとも父の生存中に父の日を祝ってあげた覚えが全くない。18歳で東京に出てくる時まで、家では基本的に食事を全員揃って食べていたので、父と顔を合わせる時間は結構あった筈だが、記憶に残る父との会話は少ない。

父が自ら称していたように超保守的な家庭だったので、下層階級の子供は何事も中間管理職の母を通してご意向を伺い、ものを申し上げてもいたような感じがする^^笑。従って記憶に残る父の言葉は少ないが、何れも今となると貴重なものだ。自分自身も、子供たちの教育は家内に任せきりで、家にいる時間は非常に短かった。故に子供たちとの会話が少なかったことでは父といい勝負かもしれぬ。どんな言葉を記憶に留めてくれたかは知る由もない。

せめてブログでも読んでほしいが、我が家の中間管理職が大のブログ嫌いなので、子供や孫たちも婆さんに遠慮してこのブログを敬して遠ざける傾向にあるのは残念なことだ。言葉と言うやつは確かにあまり多くても説得力に欠けるのも確かだろう。このサイトで書き始めてからだけでももう2千回近い。公衆便所の落書きの心算はないけれど、婆さんに言わせると「百害あって一利も無い」とのこと。そこまで言われて書き続けているのだから、メンタルでは舛添級かもしれぬ。

参議院選挙が近づいて各党のお歴々がテレビ連日登場する。中で最も目立つ自民党安倍総裁、彼は残念ながら子供がいない。そのせいかどうかは分からぬが、言うことがやけに子供じみていることが気になってしまう。中でも他党に対する「無責任」の連発。国民に対して大きな責任を背負っているのは与党、野党の仕事はその責任を追及することにある筈。何で野党が憲法に足する対案を提示したりする必要があるのか、消費税増税をしないことで生じる財源不足を補うため、2年に限って赤字国債を発行することが何で「無責任」なのか。

党内では言葉遣いに注意が出来ないばかりか、総裁の仰ることを鸚鵡返しに言うことを義務付けられているかのようだ。せめてマスコミには何とかしてほしいが、これも期待できそうにない。残念至極。

2016年6月17日金曜日

反省しきり

野暮用で書くのが少し遅くなってしまった。考えが纏まらないので今週の失敗談を書いておこう。水曜日が待望の年金支給日だった。婆さんの口座に20万円振り込んでおけば2か月分の朝飯と夕飯が保証されたようなものになる。残る金額が約18万円、これで気が緩んでしまった。ついふらふらと大枚1728円も出して本を購入した上、久し振りに新宿まで行って映画館でロードショウを観てしまった。これが両方とも大外れ、映画や本の購入で後悔することは少ないが、大いに反省している。

本の方は読後感さえ書く気にならぬが、一応書名と著者ぐらいは明らかにしておこう。「総理」山口敬之著である。元TBS記者で退職後最初の出版との宣伝につられて買ってしまった。年齢も若そうなことからから清新な見方を期待したのであるが、とんでもない見込み違い。よくある政治家の走り使いをした経験を自慢げに書いているだけ。少し前の月刊文藝春秋にNHKの現役安倍総理番が安倍総理の母親を騙って書いた一文があったのと同様の手口。両者ともそんなに年寄りでもないのに、すっかり政権に絡め取られてここまでするかである。ある意味現政権のメディアコントロールを褒めるしかない。

映画の方はハリウッドの女性監督作品、これまた新聞テレビが持ち上げたのに引っ掛かって観に行ってしまった。「マネーモンスター」ジョディ・フォスター監督、主演ジュリア・ロバーツ、ジョージ・クルーニー。この二人は前から知っているが、本当の主演はジャック・オコンネルなる青年。案外有名な俳優かもしれぬ。内容は当世日本でも流行の株式投資とテレビ番組制作を関連付けたお話し。

テレビ番組制作については昔関係していたので知っているが、その軽薄でインチキさ加減をテーマにしても大したドラマにはならないだろう。一方株式投資の世界は全くの素人で分からないが、お金を賭けた真剣勝負の世界。実態を窺い知ることが出来ないやくざの世界に共通しそうなものを感じる。この水と油みたい世界を合成して一つのストーリーを作り上げたのがこの映画かもしれない。普通の人間からすると非日常的な要素を二つも掛け合わせているのだから、面白みが倍増するだろうとの期待があったのか。

しかし実際のところは両面に於いて突っ込みが浅いのか、少しも面白くなかった。いい歳をしながら下らぬ本と映画で1日3千円近いお金を無駄に使ったことを大いに反省すべきだ。

2016年6月16日木曜日

政治家の資質

自分の体については、その日の調子を含めある程度のことは分かる。他人の体の調子についても、優秀なお医者さんやスポーツの優れた指導者やトレーナーなんかはある程度分かるものらしい。しかし感情や性格になると、自分のことさえ分かっているかどうか少し怪しくなってくる。昨日は政治家の人格や品格について触れたが、どんなに科学的手段を用いても他人がいま何を考えているかについて分かる人間なんてざらにはいない。

若い時の勉強が要らないということではないが、勉強ができるとか何かの知識が優れているなんてことも多寡が知れていると思うと気が楽になる。これから東京では大切な選挙が踵を接して実施される。ある程度人を見定める目を養う必要があるので考えてみた。所属したり、推薦を受けた政党で単純に割り切るのも一つの方法。それぞれの公約をじっくり読んで検討しても良い。特に前都知事と前々都知事の驚異的得票を考えると、知名度に頼ることだけは避けようと思う。

どんな候補者だって言うことに多少の違いはあっても、公約は立派に決まっている。納税者の負担を重くするとか、市民の権利をはく奪しますなんて言うはずもない。そこで問題になるのが候補者が口にしないこと、腹の底か頭の中か分からぬが考えていながら表に出さないことが重要と、ここ数回の選挙で証明された。立候補者にすれば選挙期間中は真面目に有権者と向き合っていても、当選すれば支援してくれた組織や政党との柵もあって態度を豹変せざるを得ない時もあるだろう。

そのくらいのバイアスは初めから織り込む必要はあるが、どのくらい正直な人間であるかといった人間性の根本のようなところを見極めたい。難しいことではあるが、その尺度の一つが候補者の個人的交友関係だと思う。個人的に言えば友人を選ぶ尺度でもある。そんな観点から取り敢えず自民党総裁安倍晋三氏と民進党代表岡田克也氏を比較してみた。政治記者ではないので詳しくは分からないが、良き友がいそうにないということでは全く同レベルかもしれぬ。

安倍氏は寄ってくる人間だけを大切にしそうだし、岡田氏は誰と飯を食っても割り勘にするとか進物は全て送り返すとか碌な話を聞かない。もう一つの角度は読書に関してだが、これについてもどちらからも特徴的なことは聞こえてこない。周りを厚い人材が取り囲んでいるとか、良書に馴染んできた人間だけが信用出来るわけではないかもしれぬが、一つの目安にはなるだろう。

2016年6月15日水曜日

政治不信についての謎

やっと都知事辞任が確定したようだ。この騒ぎのお蔭で、普段何をしているか全く見えない都会議員がテレビに出てきた。関連して前から思っていることがある。都議会議員がなんで必要なのか、不要だろう。都民との接点は区(市町)議会議員が持っていて、都議会議員が役に立つなんてことを聞いたことが無い。都議会は必要だろうから各区(市町村)長で構成すればいいではないか。これも初めて知ったようなものだが、都知事の公私混同疑惑追及に終始したこの短い都議会、次の議会開催は9月とのこと。こんないい加減なものますます不要だ。

国会から始まって村会議員に至るまで世の中に議員様が何人いるか知らぬが、結構な数になることだけは間違いなさそうだ。ほぼ全員が先生と呼ばれる政治家と言う職業の従事者になる。確かに政治家は国民のための指導者である。1億2千万人、4千5百万世帯を超える集団の秩序を守るためには必要な職業だろう。しかし民主主義なるこれまた結構な制度上、この先生方は選挙で選ばれる仕組みになっている。ここがまた悩ましい。

都知事の問題はさて置き、近く選挙の中でも大仕掛けな国政選挙が行われる。用意できるお金など立候補するための資格要件はあるらしいが、人格識見についての資格は聞いたことが無い。そうはいっても実際に立候補する人は、大抵最高学府を出たり、他の職業で功成り名を遂げたような人が多いものだ。愚鈍な人物が手を挙げても当選する筈はない。お金があって頭のいい人が立候補するとしたものだろう。情報化が進んでいる世の中だから、投票する国民の側もそれなりに立候補者の人格識見に関して検証は可能な筈だ。

それがどうしてこんな結果になってしまうのか?ある人に言わせると「政治家に人格や品格を求めるのは、ゴキブリにそれを求めると同じことだ。」そこまで酷評してはいけないかもしれぬが、実は賛成したい意味もある。事前の資格試験も不要、勤務評定は無し、その割に任期中の給与や職業に伴う特権と名誉は計り知れない。となれば若い人に人気の職業になっていいと思うが、実際の人気は高くなさそうだ。

理由が分からないが、一つには政治家にとって無視できない重要な問題がある。政治の世界に必要不可欠な政党問題である。議員となる政治家が当面目指すところは行政府のトップ、都であれば都知事、国であれば総理大臣か。自治体トップの選挙は政党色が薄まることが多いが、政党の応援無しでの当選は覚束ない。政治家はどうしても政党組織に絡め取れられ、そこから堕落が始まるのかもしれぬ。

2016年6月14日火曜日

読後感「李陵・山月記」中島敦著

未だ小学生だったかもしれない頃のこと、貸し本屋の講談本を殆ど読み終わった私に母が教えてくれた言葉が思い出される。「日本の講談話は全部と言っていいほど中国の歴史書のコピーになっているの。これからは中国の昔話を読みなさい。」その後暫くしてから子供向け「水滸伝」や「三国志」などの中國ものに向かうようになったが、子供の頃は母の言葉の意味は分からなかった。大分大人になって中国の史書口語訳を読むようになってから、少しずつ母の言葉の意味も分かってきたようにも思う。

確かに日本人の価値観の底流にある仁義礼智信とか武士道精神は、中国人が大切にしてきた価値観であることは間違いないだろう。この価値観が現代中国人に受け継がれているかは少し疑問も残るが、受け継いだ日本人の側にも記憶が薄れていることは否めないから似たようなものだ。読後感としては余り適切でないことから書き始めてしまった。することもなく書店に行って、読みたくなるような本も見つからず、たまたま見つけた安い文庫本がこれで、手ごろの厚さだったので山行き往復の徒然に読んで感激した。

中國ものと来れば学者の小川環樹や岡田英弘と小説家では武田泰淳とか陳舜臣の名前を知るくらいで、彼らの著作にもここ暫く接していなかったし、著者の名前は全く知らなかった。それもその筈で、著者は1909年生で1942年没の生涯が短かった作家である。あまり長編小説は書いていないようで、本書も中国に伝わる西遊記などの昔話に題材をとった幾つかの短編で構成されている。

著者が生まれた1909年と言えば明治も末期、この世代で現存する日本人は先ずいないだろうが、この頃の日本と中国は現代に比べると文字だけに限らず、文化精神的にもずっと近かったのかもしれぬ。特に著者は代々国学者の家系育ちとのこと、幼い頃から中国文には相当馴染んでいても不思議はない。何れにしてもメインの作品「李陵」とは、中国前漢代の軍人。匈奴を相手に勇戦しながら敵に寝返ったと誤解された悲運の将軍の物語。また李陵は「史記」の作者とされる司馬遷が宮刑に処される原因を作った人物であり、当然作中に盛り込まれている。

他の短編の中には西遊記に登場する化け物「沙悟浄」の話などがある。どれもが人間の寄るべき価値観を哲学的に描きながらも、ハリウッドの映画製作者や脚本家が読んだら飛びつきたくなるだろうと思うほどストーリーが活き活きと面白く構成されている。現代社会が見失っている古き良き人間像に思いを馳せながらも、面白く読めた秀作である。


2016年6月13日月曜日

つまらぬ想像

昨夜から大分強い雨になった。首都圏の水瓶にとっては恵みの雨になるだろうが、この程度では水不足の根本的解消にはとても及ばないだろう。参議院選挙が近づいてきたが政治問題が少しも盛り上がらない。諦めるのは現政権の思う壺に嵌ると思いながらも、マスメディアもネットメディアも主なテーマが都知事の公私混同問題で賑わうばかり。

先日も書いたが、前回の総選挙前、声を大にして国民に約束したこと「経済を回復」は果たさず、パンフレットの最後に大方の人の目には止まらぬくらい小さく書いて、殆どの人が気にもしていなかった憲法解釈の見直しを「公約通り」と称して、数を頼んで押し切る手口。詐欺同然で、まともな人間のすることではないと思う。これに味をしめたのだろう、選挙公約を反古にしたなら本来は総辞職すべきであるのに、開き直って新しい判断に基づく「経済政策」を皆様に問うのであります。と来たものだ。

問われたので一応考えてみた。野党は「消費税増税の先送り」を餌に大量当選を果たして、憲法9条の改定に着手する腹と騒ぎはするが、明日の100円より今日の10円の譬え通りである。70年も平和に慣れてきた多くの国民にとって憲法の問題なんか大した問題ではない。70年も経つのだから少々の憲法改正も悪くはなかろう、第一「消費税増税の先送り」はそもそもお前たち野党が言い始めたことではないか。であれば経済政策においては差が無いわけだから、何をしでかすか分からない野党に投票しなきゃならぬ理由が見つからない。

今年は国内だけでなく、アメリカや欧州なんかの政治情勢も多事多難のようでもある。安倍政権は中国との関係が多少ぎくしゃくしているが、欧米の主要国とはG7主催国とかうまくやっているようだ。一方野党は共産党なんかとも手を組んで連係プレーを画策しているとのこと。彼らが勝利して仮に政権が変わるなんてことを想像すると、外交関係なんかますます混乱するだけだろう。これ以上つまらぬ問題でごたごたするのはまっぴらごめんだ。

公約を果たさなかったことに関して、与党や総理の口から一言の謝罪もないが、今どき約束云々なんて言うのは野暮らしい。考えてみたが、結局与党の方が頭が良いとの結論に達した。「^^♪過ぎてしまったことは、忘れてほしい~の」だ。選挙も公示前に結果が見えては面白くない。雨足が強いので出歩く気にもならず、読書をして大人しく過ごす。

2016年6月12日日曜日

友人からの連絡が急増

昨日は高校同期の友人が突然に訪ねてきてくれたり、長いこと音信が無かった友人から数名から急に電話が来たりした。本来喜ぶべきことだが、話の内容がどうしても景気良くならないのが残念だ。どうしても病気の話が多くなる。こちらもがん治療中だから話を合わせることはできるが、足が弱って歩けなくなったスキー仲間が一人、肺関係が二人もいる。もう一人は後輩であるが、会社の社長職を退くことになったとのこと。

サラリーマン社長にとって時期が来れば退くのは当たり前だが、彼も学生時代までサッカーをやっていたのだが、これから悠悠自適なのに足が弱くて歩くのが不自由らしい。彼からの電話は、同人誌で世話になっている共通の先輩がとっくに歩けなくなっていたが、遂に入院してしまった。ついては次号の出版は追悼特集になるかもしれぬとの縁起でもない話。肺関係の一人は肺がんの告知を受けているらしい。しかも最近の診察で、東京オリンピックまでは余命が持たないと宣告されてしまったそうだ。

最近のお医者さんは患者に対して、病状など随分はっきり言うものらしい。曖昧なことを聞かされるより良いと言う人も多いだろうが、「あと4年しか生きられませんよ」と言われたら、彼のように平然と受け止めることが出来るかどうか自信は無い。肺関係もう一人は一昨日会ったばかりで、その時風邪気味だとは聞いていた。ところがさっき電話で話すと、「昨日医者に行ってきたが、肺炎との診察で取り敢えず1時間半ほど点滴を受けて帰ってきた。明日また行って、もう一度点滴を受ければよくなると思う。」

ぜひそうであって貰わねば困る。何でこの2日間にこんな縁起でもない話が集中してしまったのだろう。加齢による肉体の劣化は想像以上だ。話を聞いているうちにこちらまで落ち込んで、腰痛が復活したみたい気分になる。先週は奥秩父を2日間歩いて足が相当張ったが、それが引いたと思ったら今度はまた腰である。しかしこれは昨日今日とジムでトレーニングを再開したせいかもしれぬ。この2日間連絡を取り合った友人に思いを馳せると、昔弱かったので却って長持ちしている方だと思うことにする。

2016年6月10日金曜日

真珠湾攻撃と三本の矢

自民党に言わせると来月行われる参議院議員選挙の最大の争点は経済政策であり、デフレ脱却状態まで推し進めてきたアベノミクスを更にパワーアップして前進させるのか、4年前のあの混乱の状態に後退させるのかを問うているのだそうだ。只でさえ分かりにくい経済政策を、かくも文学的に表現されても凡庸な脳みそでは全く理解できない。一方野党は昨年成立した安保法制の撤回や、安倍さんが密かに企む憲法改正阻止を声高に叫んでいる。

野党の言い分には少しは具体性があるかもしれぬが、覆水を盆に返すことの難しさや相手の衣の下を訴えることの難しさを考えると、選挙の争点としての迫力はイマイチになってしまう。結果的には、よく分からないので棄権するとか、取り敢えずは現職の名前でも書いておこうで、相も変わらず自公政権が高笑いするとすれば残念極まりない。精々安倍政権の欺瞞性について思うところを書いて鬱憤を晴らすのみである。

先ず安倍氏の台詞で一番耳障りな「皆さんこの道しかないのです。」馬鹿なことを言ってくれるなである。安倍政権の経済政策なるものが破綻していることは多くの学者も指摘しているし、実際に恩恵に与っていると称する人には出会わないし、マスコミでも少数だろうと言っている。安倍氏本人ですら、一昨年暮れに大見得を切ったのは記憶に鮮明だ。「17年4月には経済状態を消費税増税に堪えうる状態に持っていくことを、国民の皆様にお約束することを断言します。」

お約束が果たせない場合に新しい判断を持ち出して、改めて国民の審判を仰ぐ。小学生なら「昨日宿題を出来なかったので、新しい判断として明日持ってきます。」と言えば先生は許してくれるかもしれない。しかし昨今は国のトップに居座る人間にも同様の理屈が通用するらしい。有り難い世の中だ。

一方政府は枕詞に「国際的」とつけさえすれば良いと思っているのかどうか、日本の経済環境や安全保障環境が様変わりしているようなことを口走る。その証拠のつもりかどうか、昨夜も尖閣諸島周辺に中国艦船が侵入したと大騒ぎをして見せてくれた。日中間に不必要な緊張の種を播いているのは日本ではないか。この問題は取り敢えず置く。

書きたいことは別のこと、成程世界情勢は日夜変化しているだろう。そんな時に「この道しかない」なんてことが許されるのだろうかである。先の大戦を考えれば、現政権の3本の矢作戦は帝国海軍の真珠湾攻撃に匹敵するだろう。両方とも最初の一撃で成功を収めたことが似ている。太平洋艦隊の撃破と円安・株高の誘導である。先の大戦では、この成功に気を良くして退くチャンスを失ってしまった。正に「この道しかない」で行きつくところまで行ってしまった訳だ。

現役時代にマネージメントを少し勉強させてもらった。企業存続の最大の要諦は「環境の変化への対応」に尽きていた。今の日本はまさにガダルカナル島に戦力を逐次投入しながら消耗戦に入っているようである。

2016年6月9日木曜日

言いたいことが言えない期間?

東京は既に水不足だそうだ。利根川水系のダムが10近くあるらしいが、貯水量を合計しても44%しか無いと昨夜テレビが言っていた。中でも東京の水源として頼みの綱、八木沢ダムの水量が20%足らずで水道局は心配しているとのこと。我が家に水道が来たのは結婚してからだから45年くらいは経つだろう。近くに水道タンクがあるせいかどうか知らぬが、爾来断水は一度も経験していない。

文化生活に馴染むと人間は弱くなるのは当たり前だが、水道も電気もあって当たり前なので、いざとなったらなす術が無いだろう。困ったものだ。庭の片隅に井戸はあるが、モーターが故障してとっくに使えなくなっている。6月に入ったばかりなのに何故かと言えば、雪が少なかったことが原因とのこと。確かにこの冬は雪が少なくていい塩梅だった。しかし夏場になって断水でも発生したら積雪が少なかったことを恨めしく思うに違いない。

せめて梅雨の間くらい雨でも沢山降ってほしいが、余り景気よく降る気配は今のところない。今日も終日雨の予報だったが、夜中少し降っていたようではあるが朝になると上がってしまった。明日は夫婦ともに別々外出の予定があるので、晴れの予報を信じている。人間てやつはどこまでも身勝手なものだ。どこかで天罰が下らなければいいが。

ところで街を歩いていたら、選挙ポスターを張る掲示板が立ち始めていて参議院議員選挙が近づいたことを実感する。確かに年がら年中あちこちに政治家のポスターが貼られたのでは叶わないが、最近日本の選挙制度については些か疑問を感じ始めた。ポスターのことばかりではない。今年に入ってしばしばテレビで報道されるアメリカの大統領選挙について、ネットで少し知るに及んでのことである。

日本では選挙が公示されると、名高い公職選挙法で候補者に対してポスター貼り一つから選挙に関する行動(選挙運動)に厳しい制約が掛かる。競争の土俵づくりと理解して、こちらには関係ないから良しとしよう。しかし、メディアの選挙関連報道が公平を期すためとか何とかで、途端につまらぬものになるのは如何なものか。マスコミは報道の自由・言論の自由と大騒ぎしながら、何故そんなにつまらない報道になるのだろう?言いたいことを言えば良いではないか。

アメリカの大統領選挙は、それぞれの候補者がマスコミを我田に引き込むために凄い金を使うらしい。それも日本の選挙のように数週間の話ではない。約1年近くにわたって努力し続けるのだから、その金集めも日本的に考えれば尋常ならざるものがあるらしい。マスコミも誰を贔屓しているかがはっきり表明するのが普通。メディアについては選挙民が自由に選べるのだから、その方が候補者について多面的かつ深く知ることが出来るのではなかろうか。

たまたま今日、普段からよく見ているネット動画の中で、主催者が「公示なったら我々も自粛しなければなりません。」と言っていた。「ネット動画よ、お前もか」である。どんな罪になるのか知らないが、せめてネットぐらいは普段の主張に沿って、思い切り言いたいことを言ってほしいものだ。

2016年6月8日水曜日

マスコミの価値基準

週末山に行っていたので、ほぼ二日間新聞テレビを見ずに済んだ。月曜日も疲れが残っていたのでテレビは観ずじまい。夕べも録画した囲碁番組を観て寝てしまった。ブログも4日書かなかったし、昨日は前に書いてあった読後感を上げてお茶を濁したが、今日からまた何かを書こうかと思っている。そんなことを思いながら又新聞テレビやネット情報を見る日常に戻りつつある。

しかし少し離れて考えてみると、新聞テレビの報道は実にくだらない。いくら暇とは言えこんなことを知ってどうなるのか、と疑問を抱かざるを得ない事柄を繰り返し見せつけらるとうんざりしてしまう。そうかと思えば、甘利元大臣が政治活動を再開するとの報道がさりげなく報道されたりするが、余り大した騒ぎにもならない。甘利氏が不起訴になることと都知事に関する大騒ぎを比較するに、問題の大きさについては余り変わらないように思うが、マスコミはそうではないらしい。

くだらないと思いつつも結局のところ、マスコミの報道内容が頭に刷り込まれる仕組みになってしまっているのが現代社会なんだろう。権力者たちがマスコミを有利にコントロールすることに必死になるのはよく分かる。報道の偏向で最も効果的なことは「無視」だろう。国民にとって必要不可欠、どんなに優れた見解であっても、報道されないことには一文の価値が無いのは昔も今も変わらない。

マスメディアで、接する人間の圧倒的な広がりと与える印象の強さを持つのはテレビであるのは言うまでもない。日本のテレビ局は、今やどんなに僻地に行っても相当数の放送局からほぼ終日放送が行われている。しかしその放送内容が、どれを選ぼうと似たようなものであるのは不思議でならない。北朝鮮のような独裁国家ならいざ知らず、言論の自由を標榜する日本国に於いては、もっと多様な情報が発信されるべきだ。

新聞社や放送局間で、政権寄りであるとか政権に批判的とかのレッテルが付されることをたまに聞くが、本当にそうだろうか。所詮は出来レースにしか思えない。何故ならば、政権寄りであろうとなかろうと扱う事案に殆ど大きな差異が無いからである。先に述べたように、全社が歩調をそろえて無視する事案が時々発生する。幸いインターネットの発達でか、細い情報を拾えるようになってきた。しかし残念ながらネット情報のインパクトはまだ非常に弱く、大衆の動員には程遠い。

例えば福島の原発事故、殆どの人の脳裏から忘れ去られているようでもある。先日福島県の調査で、原発事故当時5歳未満だった子供から甲状腺がんが確認された。この結果を受けても県や国は、児童の甲状せんがんの発症は311事故と因果関係を認めるに至らなかった。方や昨日読んだネット情報によれば、原子炉の設計に長年携わっているアメリカ人科学者が福島県内で除染したはずの地域の線量が、事故後5年を経て再び上昇に転じていることを発表した。とあった。二つのことが直接の関係は無いが、共通の極めて深刻な問題を含んでいるが、マスコの関心は無い。

後者について少し長くなるが以下に一部を引用する。


>福島第一の原発事故から5年を控えた2月中旬の南相馬市。自転車で登校する小さな女の子たちの無邪気な姿を目にして、ショックを受けて深くため息をつく男がいた。米国バーモント州で“フェアウィンズ・アソシエイツ”のチーフエンジニアを務める原子炉の専門家、アーニー・ガンダーセン氏だ。

45年に渡り、原子炉の設計、運営、廃炉に携わって来た同氏はスリーマイル島の原発事故の研究とその公表に従事。福島原発事故後も独自の調査を行い、日米のメディアで、原発の危険性を声高に訴えて来た。

そんなガンダーセン氏は、事故から5年を経て、再び、福島の地を訪ねていたのである。ガンダーセン氏が、女の子たちの姿を見てショックを受けた理由をこう説明する。

「今回の訪日で福島の再調査を行いましたが、驚いたことは、すでに除染された地域が再汚染されているという現状です。これは予測していないことでした。除染された地域では、あまり高い放射線数値は出ないだろうと思っていたからです。しかし、結果はその反対だったのです」<

2016年6月7日火曜日

読後感【日本はなぜ、「戦争のできる国」になったのか】矢部宏治著

ブログでも「日本はメリカの属国だから仕方ない」と自嘲気味に書くことがしばしばあるが、まさか実態がそうだとは思ってもいなかった。大戦に大敗はしたが、サンフランシスコ条約によって独立を保障された主権国家であり、国連の立派な一員として世界各国からも認められた存在であるはずだ。いつも自身にそう言い聞かせて納得するように努めていたが、国連の敵国条項の軛から逃れ切れていないことなどから相当もやもやした思いがあったのも事実である。

今回本書を一読することにより、正に「目から鱗」の思いである。著者の本を初めて読んだのは、5年前に出版された「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド 」。写真が主役で読みやすくて大変面白く、且つ強く訴えるものがあった。それと比較すると本書は少し硬いかもしれぬ。それは無理からぬことで、相当な知識層に属する人でさえ気づきにくいことを掘り下げて調べ、できるだけ多くの人が理解しやすいように纏めてある。

結論を急げば、なるほど日本は1951年のサンフランシスコ条約によってソ連・中国などごく一部の国を除いた世界大多数の国との間で戦争状態を終結して、主権独立国家としてのスタートを切ることが出来た。しかしその裏で、同日場所を別にして結ばれた「日米安全保障条約」によって、日本は完全にアメリカの属州的地位に貶められてしまったのである。簡単に言ってしまえば、それまで連合軍の占領統治下にあった日本だが、以後も連合軍に変わってアメリカ軍に駐留をお願いすることになってしまったのである。お願いするにあたって両者の取り決めは今でいうところの「地位協定」(当時は行政協定と言った)によって実態が占領時代と変わらないように法的に整理されている。

アメリカと言う国は昔から軍隊のシビリアンコントロールが行き届いた国で、軍隊が法律に則らない行動を取らないよう、きちんとコントロールされているらしい。しかし日本に於いてはこの「日米安全保障条約」によって、占領時代と同じ軍政が継続しているのだ。即ち日本国憲法の上位にアメリカ軍のご都合が存在するのである。アメリカ軍のご都合で日本のどこでも好きに基地権を行使できるし、実力組織に対しては常に指揮権を行使できることが、1951年当時から決まっているのである。

これらの事柄は全て、日本の法律として明文化されている訳ではない。曖昧になっていることは多分にあるが、裏で当時の政府高官がアメリカ軍や外交官と密約を結ぶことによってアメリカ軍政の継続を可能ならしめている。アメリカの外交官は殆どが民事の敏腕弁護士なので、こういった密約も全て何らかの形で文書化して残しているので、丹念に追っていけば必ずその文書の発見に至る訳だ。そこを追求した著者の努力には敬意を表すべきである。

個人的に理解出来たことが幾つかある。一つ上げると、昨年国会で集団的自衛権行使に関する憲法解釈で大騒ぎになった。何一つ納得できなかったが、本書を読めば、騒ぎ自体が無意味だったと理解した。日本は警察予備隊(現自衛隊)発足前から現海上保安庁がアメリカの戦争に協力していたのだ。しかも死者まで出している。本書で紹介されたがアマゾンでも古書店でも入手できなかった「海鳴りの日々」を態々国会図書館まで行って読んできた。

先人はそれでもアメリカに抵抗して軍隊を持たずに来たわけである。それを知ってか知らずか、現代の政治家は自衛隊を平気で「我が軍」呼ばわりをして憚らない。彼らは戦争を本当に研究したことあるのだろうか?個別的自衛権行使となれば自衛隊が真っ先に飛び出してくれると思っていたが、これもどうやら危うそうだ。自衛隊は、アメリカ軍の指揮下に入らなければまともな戦争が出来ないような機能になっているらしい。自衛隊は戦闘訓練はしていても、戦争の仕方は勉強していまい。

それにしても思うのは、自衛隊を動かす筈の政治家や外務官僚のご粗末さである。当面の法律について多少の知識を持つ至ることで満足し、大局を弁えての対処も知らず、ましてや交渉の術もない。当のアメリカ人が驚くほどアメリカ軍政から逃れる努力を怠るばかりか、むしろアメリカ軍の下令に甘んじることを喜んでいるかに見える。戦後70年も経つのに、今やアメリカ軍の飼い犬同然ではないか。むしろ現総理の祖父の時代の方が、真の独立を目指す気持ちがあったことだけは間違いなさそうだ。

2016年6月6日月曜日

信濃路の空と風



先週土曜日の午後2時過ぎに北陸新幹線佐久平の駅に降り立った。既に6月に入っているが、吹く風の爽やかさと空の青さは本当に生きていることの素晴らしさを感じさせてくれた。小海線への乗り換えで30分近くの時間があったので駅のテラスに出て佇み、四方の山々を見渡した。方向指示の銅板が設置されているので、山の名前もおおよその見当がつく。面白いのは、普段八ヶ岳連峰を中央線方面から見ているので山の並びが随分変わって見えた。

ただ残念なのは駅の南側にも北川にも醜悪なスーパーの看板が聳えて折角の景色を台無しにしてしまっていることだ。住人にとっては欠かせない補給拠点だろうが、全国どこに行っても目に留まる看板に些かうんざりさせられてしまう。
佐久平から小海線に乗り換えて信濃川上までの旅、単線なのですれ違いのため途中15分以上の停車があったりするのもまた楽しいこと。景色を楽しんだり読書をしたり、列車の旅を十分楽しんだ。

夕方4時半頃信濃川上に着くと、予約してあった宿「岩根山荘」のご主人が自ら車で出迎えてくれた。この山荘は奥秩父の長野県側のベースとして最適なポジションにある。駅からは車で約20分1500mの高地にあるので、涼しさを通り越して少し寒いくらい。昨日の朝は気温が零下まで下がったそうだ。天気予報も明日までの晴れを約束しているとのこと。温泉ではないが、24時間入浴が可能も嬉しいし、明日は登山口まで送ってくれるとのこと。

2009年に甲武信岳に来たときは、駅から登山口までタクシーで結構な金額を要した記憶があるので非常にありがたい。おまけに明日下山の際、連絡をくれれば迎えに行って駅まで送ってあげるとのこと。時間の節約は言うまでもないが、この行程全てをタクシー利用したら恐らく2万円以上にはなるだろう。宿泊費(1万800円)が特別高いわけでもないし、食事は質量とも山小屋の食事離れをしたものだった。

翌日は登山口まで送ってもらい、甲武信岳から十文字小屋まで縦走。評判高いの石楠花も十分楽しみ、ランプの山小屋で1泊。翌日は朝から雨だったが、危険が無い下りの一本道、1時間半で登山口についてしまった。余り早く帰宅しても婆さんに悪いので、また岩根山荘に戻ってゆっくり入浴、昼飯を済ませて夕方帰宅。登山途中で足がつったりして、体力的には少し問題はあるが、それでも少しずつ歩ける自信がついてきた気がする。楽しい山行きだった。

詳しくは下記をご参照ください。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-890406.html

2016年6月1日水曜日

急に慌ただしい

今日は5時少し前まで読書に集中してしまった。書名は<日本はなぜ、「戦争のできる国」になったのか>ほぼ読み終わったが、読後感は来週改めて書くことにしたい。他に特筆すべきことも無いので一言だけ書く。著者は矢部浩二氏、普通の編集人だが、アメリカの属国となっている我が国の現状を非常に憂い、冷静にその根拠を追求したようだ。そして到達した結論から小生は「非常に希望を与えてもらった」のである。

明日から手伝っている友人の仕事の関係で4日間ブログを休まざるを得ない。事務所までたたむ予定でいるのに、何故かまた慌ただしくなってきた。