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2016年大晦日

2016年も本日をもって終わり、明ければ2017年と年が改まる。目出度くもあり、目出度くも無しの年頃でもある。昨日高島易断の暦を見たら読むのが嫌になるくらい最悪の年と書いてあった。そう言えば先月末の同期会で博学の友人がそんなようなこと言っていたのを思い出した。婆さんは自分で買ってきた本なのに「そんなもの信じるのは馬鹿よ、正反対だと思っていればいいじゃないの。」と事も無げに言っていた。有り難くカミさんの言うことを信じることにする。

年末に来て風邪をひいて、喉と咳に鼻水の3点セットである。23日の天皇誕生日の午前中、変に暖かだったので薄着をしたのが油断だったらしい。これも婆さんのアドバイスに素直に従い、一昨日掛かりつけの医者に行った。医者が言うには、昨日までは目が回るような忙しさだったが、今朝はやっと静かになった。で4種類もの薬を1週間分処方してくれた。診察料と薬代併せても760円也。今日で3日目になるが、やはり市販薬に比べると効き目が早い。老人医療費を上げなくてはならないとのご意見も分からぬではない。

今日から婆さんが居ないので、昼間から自宅にいる。留守番なんか必要ないだろうと思うが、それでも郵便受けに回覧板を差し込んむ人がいたり、婆さんの友人が暮れのご挨拶に来てくれたりしたので、少しは役に立ったかもしれぬ。また普段であればじっとしていられないようないいお天気ではあるが、日当たりのよい自分で部屋で、居眠りをするのもまた格別な気分だ。でも年がら年中こんなことをしていたら老化が加速して逆に早死にするかもしれない。

明日は早起きして8時の新幹線で伊勢まで行かねばならない。今日1日大人しくしていれば、何とかなりそうな雰囲気だ。正月休みには少し読書をと思って図書館から岩波文庫を2冊借りて準備をしたのだが、薬のせいかすぐ眠くなるので全然読書が進まない。15日の返却日までに完読は1冊だけになりそうだ。新聞も隅から隅まで読もうと思って、自室に持ち込んだものの何も読むところも無いし、先週あたりからテレビもつける気にもならない。

ネットも大した情報が無いが、一つだけ見つかった。孫崎享氏のメルマガからである。【「石田純一は志を捨てていなかった!『バイキング』特番で東国原相手に言論規制と集団的自衛権を真っ向批判」】とタイトルがあり、テレビ番組で石田氏が都知事選立候補の理由について「このまま…

この流れの行く末は?

全国的に年末年始の休暇シーズンが始まってしまった。我が家は一風変わっていて、年末30日即ち明日夕方から新年4日迄婆さんは宿下がり、一人暮らしの母に代わって実家の暮と正月を取り仕切る役回りを果たす。弟夫婦が近くにいるのだが、ここでも男は役に立たぬものらしい。実家の母も娘に全てを任せて安心しているようなので結構なことと思っているし、他家に嫁いだ我が子供たちの家族もそこに年賀に来ることになる。

代わりにこちらはその間の留守番が主な仕事になる。そのこと自体は一向に苦にはならないが、正月休みの店が多いので、普段行きつけの美味い食い物屋に行けないのが一寸辛いが、大した問題ではない。大晦日の夕方には行く映画館も決めてあり、夕飯の目星もつけている。元日は早朝からお伊勢参りに行って、どうせ東京駅に着くのは夜だから、駅の構内には何かあるだろう。2日と3日の昼間は家内の実家に行って箱根マラソンを観ながら普通の家庭の元日を2度することになるだろう。二人の娘家族の年賀が、それぞれの家庭の事情で同じ日にならないのだ。嫁入り先の実家が山形と茨城だから仕方ない。

どこの家庭でも似たようなもので慌ただしく正月はあっという間に終わってしまうだろう。当然ながらそれで世の中が急に変わることも無いだろう。収入が余り変わらないのは困ったことだが、政治の方向性だけが昨年から今年にかけて、さらにその先も相当大きく変わりつつあることだけは確かなようだ。様々な要因が重なってのことだろうが、誰が見ても戦後60年以上に亘って堅持する努力が積み重ねられた平和主義の原則が、いとも簡単にかなぐり捨てられ、戦争ができる普通の国に向かいつつある。

確かにこれまで日本は戦争に対する考え方では普通の国でなかったかもしれぬ。しかし我が先人は大戦争に負けるという苦しみに満ちた経験の中で模索に模索を重ねてその道を選んだに違いない。そのお蔭を100%享受させて頂いた身としては、その選択に恨みつらみを言う思いは全く無い。むしろ感謝したい気持ちである。変な劣等感に苛まれることも無く、むしろ誇りたい気持ちすら生まれてきた。しかし人はさまざまで、あの敗戦の瞬間でさえ、最後まで1億玉砕を唱えて抵抗した勢力がいたのも事実だし、劣等感でも感じるのか、日本は世界の中心、指導的立場にいるべきと考える人がいるようだ。

戦後まもない時代ならば兎も角、最近急にネト…

花は咲く

2011年3月11日の後で一時はやった流行歌「花は咲く」が好きだ。歌詞を正確に覚えてはいないが、次の段落の詩が特に良い。
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

幸い子供に恵まれ、先祖から受け継いだ血筋(女子二人ですから家名は残らない)を若干この世に残せそうなことについて、それなりの満足もあるが、欲張りの本能で死期が近づくにつれ、もっと何かを残したいとか、残すべきではないかと考えてしまうこともある。言葉一つでもいいから、何か有益有用なもの一つを紡ぎだしたくもなる。

しかし両親の教えを思い出すと、これが微妙になってくる。父は口数は少なかったにも拘らず、結構いろいろなことを教え諭していたような気もするが、母は饒舌でもあり、字や文章も達者で、父に比べると遥かに多い手紙を残してくれていた。過去形で書いたのは理由がある。母が良く言っていたことであるが、人間死んでしまえば「ハイそれまでよ」で、何も残らないし、残す必要もない。
このことが頭のどこかにあったのだろう、10月の引っ越しの際、思い切って両親からの手紙や記録の類を一切処分してしまった。

昔のアルバムに張り付けてある写真はかすかに残っているが、写真の類を含めてである。このことを泉下の両親がどう思うか分からないが、ともに「それで善い」と許してくれそうな気がする。形として残るのは墓石だけであるかもしれないが、我が両親のことは嫁は勿論、子供二人の記憶にもはっきり焼き付いている筈で、何かの折に話題になって家族の団らんに笑いを提供してくれたりしている。

ここに書き続けている駄文も、先に書いたように余計な欲があって日課のようになってしまったが、全く無用の極みなんだろう。言葉と言うやつは言い出すほどに意味が薄れていくだけのことかと思うと、少し勿体ない気がしないでもない。「花は散る」の歌詞を思い出させてくれたのは、今朝総理の真珠湾での演説をテレビで観たからである。

これで年を越せるか?

年末に来て大火事で焼け出された糸魚川の被災者の方はお気の毒で、慰めるべき言葉すら見つからない。更には5年以上前になる東北大震災・原発事故の被災地、今年の熊本地震の被災地の復興もはかばかしくなく、やるせない年の瀬を過ごす被災者が少なくないようだ。原因はいろいろありそうだが、一つに人足の不足があって。首都圏における東京オリンピック関連工事が大きく影響しているとの報道がある。

正しくは土建業に携わる技術者と言うのだろうか、土方にしろトラックの運転手にしろ、一朝一夕に養成できるものではないし、海外から連れてきてすぐ使い物になるわけでもあるまい。自ずから供給のパイは限定されている。需要が拡大すればコストの高い方に資材も人材も流れていくのは当たり前。地方自治体の工事発注に応募者が無くて入札不成立なんて事態を黙って見過ごし、一方で国の新年度公共事業の発注予算を増やせば経済が良くなる、なんて考えているのは悪い冗談にしか思えない。

悪い冗談の序でに思うのは2020年東京オリンピック、開会が梅雨末期集中豪雨季節の7月24日は良いとして、これほどアスリートの話題そっちのけにして、小汚い話が続いてケチが付くとは思わなかった。総理大臣閣下から東京都知事、宮様夫人等々のお歴々御一行様が地球の裏側アルゼンチンまで足を運ばれ、それこそ世界中の人々が注目する中で、「私共にお任せください。」大見えを切ったのだ。ありゃ一体何だったのだろう。

都知事はその後すぐに首になってしまったから仕方ないのかね。その後任も首で現在と知事の座にあるのが、元祖「ミーイズム」都民ファーストでなくて「アイ ファースト」(こんなうまい表現は私ではなく「新潮45」新年号からの借用です)小池都知事。小生も好きではないが、森元総はもっと嫌いらしい。それにしても皆さん公的立場にありながら感情をむき出しにして角を突き合わせている。ひょっとしたら皆さん、本音ではオリンピックなんか呼ばなきゃよかったと思っているのではと思いたくもなる。

とても国を挙げて歓迎しているようには思えない。招致を言い出したのは猪瀬知事の前任石原氏であるのも確かではある。でも当時から森氏だけではなく下村文科大臣はじめ自公内閣が挙げて応援するような風情だったように記憶をするが。兎に角招致反対の立場に立っていたので記憶が定かでない。年末ぐらいもう少しさっぱりしてほしいも…

来年の我が身、日本、世界

この年末に来た喪中案内は昨年より1枚少ない9枚で、100歳近いご母堂が亡くなった趣旨のものが3枚もあったし、友人知人の物故者も少なかった。長寿国万歳だ。我が家でも夫婦ともに70歳を超え、この1年を振り返ると大過無く過ごせたように思う。毎年暮れになると、婆さんが高島易断とか神宮館発行の暦を買ってくるので、何となく見てしまう。来年の暦はまだ見ていないが、今年の暦に何が書いてあったかは憶えていない。

でも、70歳過ぎても厄年があると暦に書いてあったか、どこかで聞いたような気もする。それが今年だったか来年であるかも定かではないが、考えてみれば後期高齢者になれば毎年が厄年だと思っていれば間違いないだろう。易断よりもっとあてにならないのが、世間の動きだ。日本は来年は国政選挙も無いようだし、残念ながら政権基盤がしっかりしているので、安倍1強体制が続くと思うと些かうんざりだが、舵も羅針盤も無い船に乗り合わせているようなもので、想像すらしたくない。「どうぞ好きにしてくれ」だ。ましてや御用ジャーナリスト達のご託宣なんぞ易断本以下のものだろう。

むしろ間違えば本当に戦争になりかねないのだから、世界情勢の方が遥かに興味深い。アメリカ大統領の交代が世界情勢に如何なる変化を及ぼすのか?アメリカ、中国、ロシアの3大強国の国内で何か大きな変化が起きるかどうかの方が、国内問題なんかより真剣に見守りたくなる。日本に戦争を仕掛けるアホな国はないだろうが、3大強国を仇と思う国家や集団は数多い筈。プーチン氏は現実に戦争を引き起こしているし、トランプ氏にしても習近平氏にしても、いつでもいらっしゃいみたい顔をしている。

トランプ氏が金正恩氏と直接話し合いたいと言っているそうだが、。ぜひ実現してほしいものだ。中東やアフリカのことはもっと知りたいが、あまりに遠い世界でさっぱり分からない。今月発売の月刊「文藝春秋」新年号に掲載されていた常岡浩介氏の独占手記「イスラム国最前線で拘束された」を読んだが、中東に存在する組織は国家とは別の存在で、部族とか宗教に依存する要因が多いようで、一読しても理解するのが困難だった。余程ち密に頭を整理できる能力がなければ、我が国との関係で利害得失考えようにも理解不能だろう。ましてや一部に金を出したり、武器を輸出までしようなんてとんでもない身の程知らずだ。

引き際

フィギュア全日本女子フリースタイルが終わって総合の結果が出た。首位は宮原知子、樋口新葉が2位、三原舞依が3位で、浅田真央は12位だった。浅田を長年応援して毎年見ていたような気がするが、今年はテレビを全然観なかった。浅田真央選手未だ26歳だ。それにしてもアスリートの世界は厳しいものだ。シーズン前から「もう辞めればいいのに」と何回となく会話していたのだが、彼女も引退の決心がついただろう。

何事も同じだろうが、引き際は自分で判断しなければならないので難しいものだ。

昨日の天皇誕生日

昨日の天皇誕生日に祝賀のため皇居を訪れた市民は、4万人近くに上り平成になって最高であったようだ。お体の調子がいま一つと伺っていたので心配していたが、天皇皇后両殿下ともに、お立ち台に立たれて市民に手を振って応える映像を見てホッとした思いである。陛下のお言葉にはいつも真心が込められている。

早速前日から火災が続いている糸魚川の皆さんへの見舞があり、全国民に対し「来年が明るく、また穏やかな年となることを念じ、みなさんの健康と幸せを祈ります。」と締め括られている。ニュース映像を観ていると、是非そうありたいと願う一人として有り難さやに頭の下がる思いだ。もちろん神様ではないが、全日本を代表する方だ。いつも思うが、昨日ぐらいは玄関先に国旗を掲揚して祝意を表す家がもっとあってもいいあろうが、相変わらず少ないのが残念だ。

また12月20に行われた記者会見で、陛下は次のように述べられている
「8月には、天皇としての自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け、各々の立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています。」実際は昨年の12月頃から陛下は内閣に相談を持ち掛けていらしたのが真相のようでもある。

本来なら昨年(2015年)12月にお言葉は発せられていた。しかし官邸はそうさせなかった。その理由は、官邸が2016年夏に衆参同日選挙を目論んでいたからだという。やりたい放題の現政権だから何があっても驚かないが、国民は眼中にないうえ陛下まで蔑ろにするとは畏れ多いことだ。

凡人には出来ぬこと

昨日は冬至、それにしてもおかしな天気だ。とても冬とは思えないので却って気味が悪い。扨て、早くやめろと家人に言われながら愚にもつかぬブログを書き綴って2,000回を超えてしまった。しかもそのうち500回近くは生意気に政治絡みのことを書いている。思うに、政治は経世済民を志しても全ての国民に満足感を与えることはあり得ないから、全ての国民が不満も言いやすいし、漫才師でなくとも笑い話の格好のネタになりうるのだろう。お陰様で、最大の暇つぶしのブログ書きは末永く続けることができそうだ。

政治体制がどのように変化しようと、時の権力者は国家の将来について責任を持っているので、心ならずかどうか別にして、国民に対して嘘をつくことが多い。それが許されるわけではないが、結果的に国家国民を大きな不幸に陥れなければ、許されても来たのだろう。しかし結果が思わざることになったりすると、命まで失いかねないことは多くの歴史が物語っている。これは日本に限ったことではない。ひょっとすれば古今東西を問わないのかもしれぬ。

今週次期アメリカ大統領選挙人による最終投票が行われ、次期大統領就任が確定したトランプ氏とて同じだろう。そこで早速お笑い芸人のネタにされているのが「俺はウケ狙いで出馬したのに、なんで本当にならなきゃならぬのだ!プンプン!!」である。確かに真面目に考えれば権力者になるのも容易ではない。最高指導者は人前に出るのもできるだけ憚るだろうし、軽々に発言もできない。全く何でそんな地位に上りたがるのだろうか?

思うに、歌手なんかの芸能人が大勢の聴衆を前にして自分の芸を披露する時の快感に似た達成感だろう。己の発言を聴いている人間が数千万人数億人ともなれば、そりゃ命を懸けて心の底から訴えたくもなるだろう。下手なブログのように、誰かから借りてきたような、教わったばかりのことなど気安く言える筈もない。北朝鮮の若旦那でなくても国家の指導者たる者の大半は、そのように心得ているはずだ。

だから彼らは人里離れた場所に別荘を構え、後宮の美女を侍らせて孤独の楽しみに耽るのだろう。ところが安倍総理の場合はどうだ、腰が軽いこと、口が軽いこと、そんじょそこらのお笑い芸人と変わるところがない。サービス精神が旺盛なことを善しとするのか、権力者としての資質に欠けると見るかは人によるのだろう。

たかが「アニメ映画」?

「知っている漫画家の名前を挙げろ」と言われれば、手塚治虫はすぐに言えるが、水木しげる氏の名前を知ってても作品は読んだ?見た記憶がない。もちろん子供の頃は「おもしろブック」を毎号読んだ記憶があるので漫画は好きだった筈だ。孫ができてからは春休みなんかに東映マンガ祭りをだいぶ付き合ったので、「ナルト」とか「ドラえもん」は観たが、アニメをまた観たいとも思わなかったが正直なところだろう。

ところが今回、同輩の友人の勧めで、劇場版アニメ映画を一人で観に行って感動してしまった。タイトル『この世界の片隅に』上映館が少ないので、池袋ではなかなか上映館が見つからない。日曜日にやっと1館見つけて赴いたが、上映1時間半前だったにも拘らず満員で入場できなかった。読者の地域でも上映館を見つけるのが大変だと思うが、鑑賞をぜひお薦めしたい。アニメ作品なのに観客のほとんどが中高年の方である。

当然と言えば当然かもしれぬ。若い人が見ても面白いには違いないと思うのだが、舞台が75年ほど前の日本なので、なんじゃこれは?と違和感を感じてしまう可能性がありそうだ。代わりに我々世代には身につまされることばかりだ。
内容に関しては、書いてしまうのが勿体ないくらいの感じを持ってしまった。過去を懐かしむのではなく、現代を生きる者へ強烈なメッセージ、インパクトをもって迫ってくる。

たまたま、総理が北方領土に関し過去をかなぐり捨てて、新しい関係を構築する。と宣言したところでもある。主権を放棄すれば平和条約も結べる可能性があると思っているのだろう。過去を見直すことなく前のめりになっても碌な結果にならないことは、多くの識者が指摘していることなので、ここでは繰り返さない。

この映画は、馬鹿な指導者と国民と言った薄っぺらな関係を超えて、国民と国家について深く考えることを示唆しているように感じた。我々は両親を選ぶことはできない、と同じように意思なくして日本国民として生を受けた。その中で幸せな人生とは何かである。もちろん十人十色ではあろう。このテーマに取り組んだ作者の名前は記憶したいと思う。

こうの史代(ふみよ)さんという方で1968年の生まれだそうだ。原作は2007年から2009年にかけて双葉社の「漫画アクション」なる雑誌に連載されたそうだ。何れにせよ漫画の世界では著名な方らしい。

年末3連休を目前にして

連れ合いの婆さんが昔は喘息もちだったが、最近はあまり発作に悩まされないようだ。その婆さんが、先日皇后陛下が喘息の症状で体調を崩された際に言ったことが気になっていた。「皇后陛下に何か強いストレスが掛かっているのではないか、自分の経験では強いストレスが掛かると症状が表に出がちだった。」小生の経験ではないし、婆さんも医学の専門家であろう筈もないから、眉唾であっても不思議はない。

ただその一言がひっかりを感じたのは事実で、普段から両陛下の激務を心配していたので、原因など何かは分からないが、何れにしても少しゆっくりされて回復に向かわれることを心中祈っていたのが正直なところだ。皇室報道は菊のカーテンで覆われ定かではないのが常で、どのように受け止めるべきか分からないが、軽く受け止めている人が多いに違いない。小生の受け止めはそんなに軽くはなかった。

ところがである、昨日の夕刊によると、今度は天皇陛下御自身の体調不良が小さく報じられていた。今日か明日かに予定されていた総理大臣との午餐会を中止されるそうだ。陛下のご意向に抵抗する総理大臣と飯なんか食えるか、と考えただけで微熱を発せられたならまだ良いが、もともと陛下のお身体は満身創痍でもある。今週の天皇誕生日は珍しく天気が悪くなりそうだ。祝賀に伺う市民も大変だろうし、陛下にも無理されないようにお願いしたい。

天皇陛下が、これまで憲法に忠実に生きることを旨とされたことは、憲法をよく知らない小生でさえ知っている。改めて憲法を紐解いて考えてみると、憲法は天皇陛下に過酷すぎるのかもしれぬ。昭和天皇が終戦直後に人間宣言をされて、天皇の地位が神から我々と同じ人間になったと教わった。しかし、憲法第1条に規定さている「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」2度も使われてい る「象徴」とは一体なんぞやだ。

掴みどころの無さでは「神」と大差無いのではないか。嘗て(特に大正から昭和の前半で)憲法や天皇の意思を無視して軍部が暴走したと全く同じように、政府が憲法と天皇の意思を全く無視して暴走を始めている。8月の「陛下のおことば」なんぞどこ吹く風ではないか。以前にも書いた通り、政権から有識者に指名された連中は恥ずかしくないのか。偉そうなことをっているが、権力の犬に成り下がっているに過ぎないことは万民が…

マスコミに「喝!」

今年も終わりなので、来年に期待ができそうなことでも考えて気を紛らわそうと思った。個人的にはさしたることが無いのが一番だ。娑婆の動向では、東京都で見えてきた自公連立の綻びが拡大するのが最大の楽しみと言える。なかなか国政までには及ばないのかもしれぬが、自民党の中も18年の総裁選に向けて混乱が生じれば面白いが、石破氏や岸田氏にそれだけの力量を期待するのは無理かな。

それでも今月初めの世論調査では、安倍内閣の支持率が久しぶりに少し下がったようではある。この傾向に拍車をかけるには、年金改革かなにかで市民運動に火が付くといいのだが、残念ながら全くその気配が無い。野党が弱くても、マスコミがしっかりしていれば可能性はある筈だが、本当に我が国のマスコミはだらしがない。日ロ首脳会談後のテレビ報道を観ていると、こちらの方が恥ずかしくなる。

会見終了後の記者会見が報道の全てであると思うが、会見終了当日夜の番組にNHKは勿論のこと民放全キー局が総理をスタジオに招いて生番組を全国に放送した。全部を丁寧に見たわけでないが、内容は周知のとおり。頭に言い訳みたいに海外での受け止めや元島民の声をサラッと流しはするが、あとは例によって例のごとく総理の言い分だけをそのまま否定もせずに聞き流し、誰一人問題点を厳しく追及できない。

話が少し飛ぶが、芸能界に和田アキ子なる歌手がいる。このおばさんは何もヒット曲が無くても何年にもわたって紅白歌合戦に出演し続けていたそうだ。酒癖が悪いのが芸風みたいで、芸能人仲間からはゴッドネーチャンと恐れられ、テレビ業界には欠かせない人材らしい。それでもやっと今年の紅白から外されたとのこと。それでも業界でのポジションは簡単に変わらないかもしれぬ。しかし、紅白の制作者側は彼女の人気がピークをはるか後にして下がりつつあることを知っていたのだろう。

芸能番組のプロデューサーでさえ、業界の評判と本当の人気の差異は分かっている。国民の空気を最も敏感に受け止めなければならない社会情報系のプロデューサーが何故総理のお先棒担ぎをして、政権に媚びなきゃならないのか。NHKだけだったら未だ分かる。日テレとフジ系も良しとしよう。これまで少し期待をして見守ってきたテレビ朝日系列とTBS系列には本当に「喝!」である。

韓国の騒ぎを見ているとある種の羨ましささえ感じてしまう。所詮は日本人全体が豊かになりすぎ…

安易な日ロ関係の正常化

表題に似ているが「安易な日ソ関係の正常化を許さない」は1955年、即ち60年以上前にアメリカ政府(国務省)から日本政府(外務省)向けに正式に発せられた警告だそうだ。もちろん子供時代のことだから何も記憶にはない。昨日ロシアのプーチン大統領が来日したことが大騒ぎになった。世界各国の要人と親しお付き合いを志す安倍総理が自ら大宣伝したせいもあるのだろう。

ある人に言わせると「日本には政治記者はいるが外交記者はいない。外国の主要国には必ず存在している。」なるほど外交記者なんて聞いたことがない。諸外国の外交記者は、外交関係がある両国間を長年にわたってウォッチすることを使命とするようである。日本の場合政治部記者が外交を担当するが、各社とも内閣担当と外務省担当とは別の記者が存在するシステムになっている。

記者は自分が担当するところから各種の便宜供与を受ける結果、どうしても担当する人物なり部署の応援団になってしまうようだ。そりゃ当然ことで、子供でもなんでも偏った情報を刷り込んでいけば刷り込んだ側と思考回路が形成されてしまう。現政府が各省庁より内閣が独断専行しているのは周知のこと。報道機関本社には、内閣と外務省から異なる情報源に異なる情報が上がってくることになる。その情報がスクリーニングされてすっきりした形で読者なり視聴者にもたらされるなら問題は無かろうが、世によく言われる縦割り行政そのままが、メディアに反映されるのが大手メディアの現実だろう。

結果どうなるか、読者なり視聴者は報道を丁寧に見聞きすればするほど、訳が分らなくなる筈だ。幸い丁寧に報道に接する習慣がないので、内容が蛇であろうとミミズであろうと意に介さない。大方の人も同じ筈で、何となく自分の好みに合う内容がどこかに必ずあるので、それで納得するのだろう。誰にも支障が起きないので結構毛だらけではないか。

表題から大分離れてしまったので話を戻そう。日米関係も日ロ関係も2国間関係だけで見ていると的確な判断が難しいのではないか、米ロ関係も日本との2国間関係に重要な意味を持つだろう。別に偉そうに書かなくて当たり前の話だ。もっと言えば安倍総理が大好きな俯瞰が大切で、関係国以外の国の関係も計算しなければまともな外交なんてものはできないだろう。ボケ老人がこんな問題をテーマにするのは些か荷が重すぎる。

トランプ氏がロシアに親密になりそうなので、…

来し方は兎も角・・・

師走も半ばになったのでいろいろやることがありそうだが、年寄りの身にはそれ程のことは何も無い。年賀状も自宅で制作できるようになったし、毎日が休日であれば年末年始の休暇は関係ない。勿論旅行なんぞ考える必要も余裕もない。10月に事務所閉鎖して以来書店で本を買うこともやめたので、正月お伊勢参りの往復に読む本は区立図書館から借りだすことに決めている。日本経済への貢献が一切無い非国民的爺となってしまったが、責任の一端は政府にも押し付けたい。

今年1年を振り返ると、個人事務所の閉鎖が最大のイベントだったが、昨日までに無事終了した。また、10月に昨年の前立腺がん治療から丸1年目の検診を無事通過したことも目出度いことだ。来年についても特段の希望は無いが、今後はなるべく無事であってほしい。年寄りが気を付けるべきことは転倒しないよう、風邪をひかぬようと聞くので、そのためにも無理をしないよう心掛けたい。

小さい頃、父が冗談交じりに家庭円満の秘訣は「夫唱婦随」に非ずして「婦唱夫随」と言っていた。若い頃にはピンと来なかったが最近は本気で心がけようと思っている。一つどうしてもその通りにならぬが「ブログ」。これについてだけは婆さんへの抵抗を続けるつもり。本人がパソコンに触ることは永久にない筈ですから、親類縁者の読者の皆様にもご協力をよろしく願います。

個人的には平和な1年だったが、一人で喜んでばかりはいられないだろう。今年は子や孫の世代から見て、大きな曲がり角になった年であったかもしれない。
何十年も先のことは分からないが、結果的に禍のもとにならずに済むことを祈りたい。兎に角政治が荒れすぎた。民主的選挙を前提にしていながらどうしてそうなるのか、将来に禍根を残しそうな原因について思うところを書いておきたい。

問題発言(中高生時代の不良経験)で今日も大々的に報じられた兵庫県西宮市の市長今村岳司氏(44歳)のことを例に引こう。氏は京都大学出身後、リクルート社に勤めて1年で退職してすぐ翌年には市会議員となって26年まで4期務めて、直後に市長に選ばれている。少なくとも経歴的には立派な人に見えるし、世間で言うところの頭も良いのだろう。しかし報道されている発言には違和感があり、批判も多いことが当然でもある。

先日本田宗一郎氏の講演を引いて教育の在り方に疑問を呈した。本田氏が指摘した問題点が、この市長さんの出現…

「忠臣蔵」考

元禄15年を西暦で言えば1702年とのこと、但し極月半ばの14日は当時使用されていた新暦では翌1703年1月30日らしいので余計分かりにくい。どうでもいいが、積もった雪を踏みしめて吉良上野介殿の御首を先頭に泉岳寺目指して粛々と・・・なんて言われても余計ピンとこない。昔は寒かったのだろうが300年以上も経てば気候が変わるのはやむを得ない。それでも今年は寒い方だ。

毎年のように書いているようにも思うが、就職先の社長が短気で得意先の重役を傷を負わせて死刑(切腹)となる。当然その会社は倒産して社員は浪人とならざるを得ない。そのことを根に持った旧社員有志が、傷を負わせた相手の私邸に乗り込み命を奪う。結局この社員有志一同も殺人罪で死刑(切腹)になるが、これを「仇討ち」と称してマスコミが美談と持て囃す。現代風にこじつけ解釈すれば、上記のようにもなりうるそうだ。

会社に例えてはいるが、実際は会社ではなくて国家であり、短気を起こしたのは国家元首である。得意先重役は連邦政府の高官である。当時の日本は合衆国であったが、300年前とは国家の統治形態が大きく変わっているので、企業に例えた方が分かりやすいと考えたのだろう。「忠臣蔵」は文学的には日本の代表的文化で、我々の世代にはには何の違和感もない。そもそも日本では古くから滅び去ったものと、人の死を美化する文学が多かった。外国人や若い人には分かりにくいかもしれぬ。

しかし、現代において国家が滅びるとはどんな状況を言うのだろうか?中東やアフリカの人たちには切実な問題だろうが、日本人にはイメージしにくい問題でもある。少なくとも昭和20年ポツダム宣言を受諾した時、国家が滅びたと実感できた日本人はどのくらいいたのだろうか?天皇制が続いている現代では皆無に等しいだろう。太平洋戦争終結から28年目にグアム島で発見された残留日本兵として知られる横井正一氏は「天勾践を空しゅうする莫れ 時に范蠡無きにしも非ず」と語ったとされる。氏は「戦争に負けたのだから日本国は滅びた。しかし…」との意味で言った筈だ。

当時新聞記事を読んでも意味が理解できなかったが、最近になってやっと意味が分かるようになった。60年の歳月は長いようでも長い歴史から見れば短いのかもしれぬ。総理の近辺でウロチョロする似非保守か似非右翼の「日本会議」の連中とは別に真の忠臣が居れば、いつの日か新しい忠…

これ なに? プレミアムフライデー

毎日家庭内の会話が暗くならないように、できるだけスポーツの話題から入ることにしているが、昨今の世相からどうもパッとしない話題が多くなりがちなのが残念なことだ。昨日も「給料が増えないのに、休みをばかり増やしてどうする気なの?」と他人事ではあるが婆さんが怒っていた。なんでも「プレミアムフライデー」なる聞きなれない言葉がニュースに出てきたらしい。改めてネットで確認してみた。経済産業省や経団連、小売り、旅行などの業界団体でつくるプレミアムフライデー推進協議会が、来年2月から月末金曜日を午後3時で退社とする「プレミアムフライデー」運動を展開と書いてあった。

デパートや小売業が潤うとの目論見らしいが、これで経済が活性化するなら苦労は無いだろう。祝日とも違うだろうし、民間を含めて実施を目指すとなれば法制化も必要だろうに。昨日のニュースになったのは確かなようだ。政府も下請けの官僚もアベノミクスが上手くいっていないので何か別のことを考える必要があるのは分かるが、それにしても又笑わせてくれるものだ。

野菜など原料の仕入れ価格が上がているせいか、昼食時に普段利用している飲食店のメニュー料金が大分上がってきているように感じる。料金改定が無くてもサイドメニューやデザートが無くなってしまったりしているケースが間々あるので、飲食店側も結構苦しいのだろう。料金が上がれば一時的には売り上げが上がるかも知らぬが、長い目で見れば逆に売り上げが落ちることは目に見えているようにも思うが。

サラリーマンも苦しいだろうが、個人企業者はもっと厳しいのかもしれない。税金を取ることしか考えない政府に助けてくれというのがそもそも無理な話なんだろう。年の瀬に来て株価も上昇し、政府は嬉しいかもしれぬが、9割以上の国民にはあまり明るい年の瀬とは言えないようにも思う。

ある明治人の話

短い人生の中でキャパが大きい脳みその中に何を放り込むか、人によっても違うだろうが時代によっても変わってくるに違いない。先日徒然に本田宗一郎氏の講演を聞いてみた。1982年6月の講演だから30年以上前のものである。故人の講演を手軽に聞くことができるのはネットの良いところだ。題して「行革推進について」当時本田氏は経団連会長の土光さんに頼まれて、前年に始まった中曽根第二次臨時行政調査会(当時の首相は鈴木善幸氏)の副会長か何かしていたようだ。

本田氏は自動車大手の「ホンダ」を1代で築いた立志伝中の人材であるが、田中角栄氏と同じように尋常高等小学校しか行っていないようである。氏の話は大変分かりやすく、内容でも興味深かったことはいろいろある。一つは、徹底的に役人や政治家をこき下ろして、主催者の埼玉県本庄市青年会議所が募った多数の聴衆に「もっと怒れ」とけしかけていたこと。氏がアンチ行政であることは知っていたが、なるほど頭の構造が常人とはだいぶ違うことが実感できた。

今や1千万円を超えている国民一人当たり財政赤字が未だ70万円か80万円の時代のことですよ。「今の行政や政治家は間違ったことをしても言い訳ばかりで、謝ることを知らない。」だから国民が怒らなくてはいけないと財界の重鎮が檄を飛ばしているのだ。本田氏が危機感をもって訴えたところは現代にもそのまま、いやそれ以上に悪化しているだろう。しかし今や政府や行政を当てにしなかった本田氏と異なり、同じように頭のいい人間ばかりで、我々は同じような言い訳をばかりを聞かされ続けいる。

氏の論点をもう1点書き加えれば教育問題を論じたことか。教育の重要性と教育は時代とともに変わる必要性を強調していたこと。現代の教育は記憶に偏重しすぎている。自分は算数が得意であったが、昨今の高校入試数学問題なんか全く歯が立たない。あんなに難しいことは覚える必要があるのだろうか。今でも東大を出た優秀な人材と言われる人たちの多くが、この記憶力だけを磨いて社会に送り出されているとすれば不幸なことだ。

記憶だけだったらコンピュータに敵う筈がないのだから、コンピュータに任せて、もっと他の才能を伸ばす教育で多様な人材を育成することを考えた方が社会のためになると思う。子供時代から手先が器用だったので、と言って面白い話を披露していた。家業が自転車屋だったので、通信簿に押す親のハンコ…

蝙蝠男(私自身のことであります)

休日にブログを書くのは止そうと思ったりするのだが、孫先享氏のメルマガが面白いので丸写しさせてもらう。以下引用

<安倍晋三首相は11月17日夕訪問先の米ニューヨークで、トランプ次期大統領と会談した。安倍首相は会談後、記者団に対し「胸襟を開いて率直に話ができた」、トランプ氏については「信頼できる指導者だと確信した」とした。
この時期、主要閣僚は決まっていない。政策が全く不透明の中のトランプとの会談には個人的な関係構築をしたいというのは一つの判断であろう。

私は、12月6日「蝙蝠男、第一幕、大統領選挙戦中ヒラリー詣で、トランプ世界の指導者に嫌われてる発信、第2幕大統領選トランプ勝利即座に、ヒラリー詣での反発恐れ、第3幕ペルーAPEC首脳会議でオバマに相手にされず。俺無視したな。第4幕あわてて真珠湾でオバマと。第5幕トランプ怒る。O、大統領選中T攻撃」とツイートしたが、まさに安倍首相はお互いに反目しあう人の間を行ったり来たりしている。

真珠湾訪問はどうしても行わなければならないものでない。自分の政敵とみなされる人物と特別の式典を準備する。トランプがこういう人物を信頼にある人物として関係を構築するか。日本人はこういう人物を「蝙蝠」と称して蔑視する気風を持っていた。いまや日本のマスコミは権力者安倍首相の提灯記事に終始し、マスコミの使命である権力者批判をすることは全く止めてしまった。>

序に丸写しもう一つ。高校の後輩民進党衆議院議員篠原孝氏ブログから。

<国際問題にならないのが不思議な萩生田失言>
我々のTPP強行採決への抗議を「田舎プロレス」と称した萩生田官房副長官は、安 倍総理をして「お坊っちゃまにしては不良との付き合い方が上手い」と、ゴマをすっ ている。一国の大統領にならんとする者を不良呼ばわりしているのである。私は、国際的に糾弾されても仕方のない失言だと思っている。外交上の礼儀をわきまえていないのだ。アメリカ・中国・ロシアの間で右往左往し、ひたすら「金だけ、今だけ、自国だけ」で立ち回る日本の国際的信用はガタ落ちである。

経済政策論議を聞いて

数日前に元衆議院議長伊吹文明氏が出演したテレビ番組を観て思った。タイトルは詳しくは記憶していないが、「トランプ次期大統領と日本経済」みたいもので、他に経済学者の浜矩子氏と経済アナリスト(証券会社系だったようだが名前は失念)が同席していた。伊吹氏は元大蔵官僚でもあり、財務相経験もあるので経済には強いとしたものだろう。そして自民党内では大長老のはずである。さぞかし政権寄り発言に終始するだろうと思っていたが、少し意外だったのは「日本経済は国内の労働生産性がここまで下がってしまった以上、何をしても国内の経済は良くなろう筈がない。企業が安い労働力を求めて海外に進出するのは理の当然。経済指標は為替レートの変動のみに左右され成長するのしないのと騒いでいる。」と断言した。

党内においては現総理より遥かに格上であろうから別に驚くには当たらないことかもしれぬが、どうも言外には、3本の矢で成長、成長と叫ぶのは些か無理だろう、と言っていたようにも聞こえた。経済なるものがとんと分からぬ小生にも、比較的は分かりやすい説明でもあったように記憶する。安倍外交についても直接的批判は避けていたが、氏としては現在の動きから今後世界がどのように変化するかよく分からない。と断言を避け、様子をじっくり見極めることが必要ではないかと警告めいた発言でもあった。

横には安倍総理からすれば天敵のような浜矩子氏が控え、現政府の経済政策をけちょんけちょんにやっつけていたが、伊吹氏も結構頷いていたのが印象的でもあった。その隣の経済アナリストは流石に、これまでのところアベノミクスは成功裏に進行中と断言した。根拠はマクロ的に見て雇用が劇的に改善したこと、民間の預貯金が300兆円も増えたことを指摘していた。前者は何度も聞いているので知っていたが、後者は縁なき衆生は度し難しで残念ながらとんと知らなかった。他のお二人も特に異論をさしはさんでいないので民間預貯金は増えているに違いない。

ただ最後に今後どのような政策で経済を運営すべきかという点では3人とも意見が似ていた。浜氏の意見を引用すると「経済政策はバランスが大切、鉄板の下で火を燃やし、直火の当たるところはものすごい高温となり、他は冷たいままなのに、平均していい塩梅では経済政策とは言えない。即ち貧富の格差を是正していくためにこそ経済学は存在しているのだから、今後の政策はその方向に…

分からぬことばかり

真珠湾攻撃の日を迎えて、75年前に下された先人の判断について見識なき己如きがあれこれ言うことはできない。一つはっきりしていることは、当時大多数の国民がその判断を支持していた事実。また無謀な判断と内心思っていたインテリがかなり存在していたらしいこと。この2点だけは出来れば強調させてもらいたい。昨日も書いたばかりだが、マスコミがリードするポピュリズムによって虚が実とになり、正論は徐々に排除されて音が消されてしまう。

人口が8千万人であろうが1億2千万人を超えようが同じだろう。マスコミがリードすると書いたが、マスコミという人物がいるわけではないので、本当の犯人捜しは難しいかもしれぬ。そこで少し頭の体操でもしてみたい。まず明治維新以降、我が国は一貫して民主的な国づくりに励んできた。既に150年も前からだし、前半以前は生まれてもいなかったので飽くまでも想像でしかないが、最初から民主的国家創造を目指したかどうか分からないが、結果的には方法論として当時でも珍しかったであろう「天皇制」を土台に据えた民主的国家建設に梶をきったように思う。

これはある程度功を奏しただろうし、併せて国力も増大し始めたのだろう。維新から半世紀もする頃には独立国家として世界の先進国からも認められるようになった。それ以前から国家を挙げて取り組んだ「富国強兵」政策も善悪は別にしてある程度の成功を遂げたとも言って良いのだろう。何事も同じだが「成功した時は用心が必要」とはよく言ったもので、先進国と軋轢が生じ始めた。

維新から60年以上にもなれば文明開化も相当進み、国民の教育水準もかなり高くなったに違いない。通信手段、マスコミの発達も目覚ましかったろう。この頃に父母が婚姻して、維新から72年後に小生がこの世に生を受けることになるが、この頃は民主化路線の危機ともいえる時期だったかもしれない。でも、小学校に入学する頃には、幸不幸は別として、新たな民主化路線がスタートした。

新たなと書いたが、「天皇制」を土台に据えた民主的国家建設ということでは維新以来一貫しているのが面白いと言ったら不謹慎かな。中間に不幸な時期を挟んだのは事実だが、日本的民主国家建設は1世紀半の年月を経て一つの頂点に達しているのかもしれぬ。(我が家には今の日本は北朝鮮同様の独裁国家と嘆く人間もいるにはいるが。)民主主義国家がどのように定義されるのか定かで…

ポピュリズム

師走に入って既に1週間、茶の間のテレビの前に先月から来年の年賀状が郵便局の包みのまま置いてある。婆さんが今年と同じ枚数を買ってきてくれたらしい。そのうえ昨日はアメ横に行って正月料理に必要な品を買ってきたとのこと。主婦は幾つになっても年の瀬にはそれなりの準備が必要みたいだ。こちらは期末試験も無ければ歳暮の心配もしなくて済む生活になっているせいか、どうも年の瀬がピンと来ない。当然ながらボーナスなんてものも無いし、クリスマスプレゼントなんてものも期待しようがない。亭主の方は慌ただしくもないが、このようにしてボケが進むのだろう。

置いてけぼりを食った娑婆のことなど言っても始まらないだろうが、折角再開したので今しばらく書き続けてみたい。最近「M-1グランプリ2016」なるイベントで、今年の最優秀漫才師が決まったことがそこそこのニュースになっている。そのことには興味が無いのだが、婆さんがこれをもじって面白いことを言っている。「大きな森と小さな池のコンビ、彼等のやり取りの方がよほど面白いじゃないですか。」 今年の最優秀漫才師の芸は知らぬが、婆さんが言うコンビのやり取りはテレビで何度も観ているのでよく知っているし、確かに面白いとも言える。

コンビの片割れ小池知事は、知事選以来テレビで見ない日の方が少ないくらいだから、相当な漫才師どころかトップクラスの芸能人と比肩しうる。芸能人の生命は兎に角テレビへの露出頻度に関わっているのは周知のこと。最近は政治家も芸能人並みになっているようで、特にテレビ業界から政界入りをした都知事はそのことをよく知って、フル活用して成功したのかもしれぬ。それは時代にマッチした生活の知恵だろうから年寄りが善悪を言うわけにはいかない。しかし昨日テレビを観ていたら、彼女を応援した我が豊島区の自民党区会議員7人が党を除名されたとのニュースが流れていた。

当然知り合いもいるが、別に応援していた人でもないのでどうでもいい。ただ関連して都知事のコメントを取ろうとした放送記者への知事の返事は「私はまだ除名されていません。」の一言だけであった。これは「正体見たり枯れ尾花」ならぬ「正体見たり芸能人」そのものだ。極端なこと言えば除名された区議会議員はスターに入れ挙げた熱狂的ファンだから自業自得、彼女の立ち上げた学校にも不満が湧き始めているようだ。

平たく言えばスターの身近から順に幻…

媒体価値

個人的には浦島太郎化している現代社会には訳の分からない会社が沢山ある。
DeNAその一つで、プロ野球チームを抱えているらしいから相当大きな企業だと思う。ホームページの社長メッセージはこうある。「1999年の創業以来、DeNAは常に新しいことに挑戦し続けてきました。最初に立ち上げたのは、PC向けのインターネットオークショ ンサイトでした。その後、事業の形や領域にこだわらずにお客さま視点でとことん考え抜き、時代の大きなうねりを捉え、市場が未熟だった2004年にいち早くモバイルインターネットに舵を切りました。」

これでもよく分からないであろうご同輩のために、生半可な知識で少し敷衍してみたい。要は今流行りのスマホ絡みの企業で、スマホのユーザーに向けた様々なサービスを提供している。従ってガラ携帯使用のご同輩には縁遠いかもしれないが、そうでない若い人たちの生活空間にはかなり深く浸透している企業だと思う。

あまり関係ない話なので読んでも仕方ないかもしれぬが、孫子の時代に少し思いをしてみて下さい。結構なお歳のおばさんやおじさんがスマホを熱心に見ている姿をよく見かけますので、お子さんやお孫さんがスマホを持っていないという方は少ない筈です。これは善悪の問題ではなく現実です。小生が見る限り大抵はしょうもないゲームをしたり、簡易メールをしたりしています。ところが実際には、スマホからは想像をはるかに超える莫大な情報にアクセスが可能で、この情報を利用する人が結構いるようです。

結構がどの程度の数か、小生も昔はいっぱしの広告屋でしたが分かりません。、ここから先はもう別世界の話で、ネットの世界に通じた人たちには分かるようです。ここに新しい広告の世界が出現したようです。広告は昔から数の世界ですからアクセスが集中するサイトは広告価値が高まります。紙媒体や放送媒体であればそれなりの規制がありますので、情報の質を高めて視聴者なり購入者を増やす努力が必要です。ところがネット媒体は情報の質が玉石混交であるのが特徴です。

小生が現役時代にネットなんかありませんでした。ほぼ25年前、現役最後の頃スマホこそありませんでしたが、ネット端末が1千万台に近づきつつあり、ネット広告が出始めました。当時は広告屋もスポンサー側もまともに相手はしないものでした。ところが最近は全く事情が異なり、あらゆるスポンサーがネット広告を無…

クール ジャパン

<クール ジャパン>意味がよくわからないのでwikで検索したら<日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価されている現象や、それらのコンテンツそのもの>と出てきた。確かに日本のアニメ番組や漫画が海外で高い評価を受けてる現実はあるらしい。それはそれで結構だろう、更に読み進むと、2010年に経済産業省に「クール・ジャパン室」が開設され、現在は第2次安倍内閣以降は閣僚に「クールジャパン戦略担当」大臣(複数の担当と兼任)も置かれて、戦略産業分野である日本の文化・産業の世界進出促進、国内外への発信などの政策を企画立案及び推進しているとも書いてあった。

[文化・産業]と中に中黒を入れていることも意味を分かりにくくしているような気がする。アニメ映画の製作や漫画の著作は文化産業でいいだろうに。何れにせよ、これらのことを政府が応援するのは結構だが、文化芸術の類は質が大切だと思う。担当する役所の官僚や政治家はその感性を持ち合わせているだろうか?その点が非常に不安になる。江戸時代の浮世絵が、幕末から明治にかけて国内ではそんなに評価されていなかったにも関わらず、外国の芸術家から高い評価を受けて、大いに海外に流出したことは記憶に新しい。

当時の政府に「クール・ジャパン室」が置かれていたらどうなったか、想像すると面白い。兎も角、現政府は優秀なアニメや漫画の製作者を支援して海外への流出を促進しているのだろう。アニメや漫画を馬鹿にする気も無いが、文化面でのソフトの筆頭がこれというのも少し寂しい気がする。たまたま昨日高校の同窓会でテレビ番組制作会社の社長の講演を聞く機会があった。彼は高校の後輩で、良心的なドキュメンタリ作品を多く手掛けている。独立系の制作会社でありながらNHKスペシャルをかなりの本数残しているから相当なものだ。

彼が視聴率至上主義と制作費の縮小のはざまで苦労している話は、同じ業界に住んだことがあるのでよく理解できたが、それ以上に衝撃的だったのは放送コンテンツに関する権利関係の悩みと、それに関わる行政のありようだ。要するに前述の制作者の苦労なんかは民と民の問題だから関わり合いにはなりません。これも良しとするか、しかし役人は番組の質に対する感性と関心が全く無いらしい。なまじ役所が<クール ジャパン>なんてことに頭を突っ込まない方がいいかもしれぬ。

ドキュメンタリは昔から英国やフランスの放…

久し振りの爽やかさ

今日は午後から銀座のホテルで、母校長野高校出身首都圏在住者の同窓会があって出席した。総勢約100名のうち同期生は4名、上の出席者は抜けている期があるので4期生しかいない。かなり年寄りの部になっているのも仕方がないが、若い出席者が少ないのも気になるところだ。もしこのブログの読者の中に長野高校出身者がいらしたら、是非「東京長高金鵄会」をご参照願います。
東京長高金鵄会HP: http://www.tokyo-choukou.com/

いつも宴会に先立ち、同窓生中から選ばれた演者に講演をしてもらっている。同窓生と言うことで、交通費さえ支払われずに会費を徴収するという相当厚かましい扱いではあるが、いつも興味深い話で楽しみにはしている。今日の二人の講演を聞くことができたが、共にいつにもまして興味深かった。一人は年恰好で言えば半分くらいの後輩が、勤務先(JAXA|宇宙航空研究開発機構)で関わっている「はやぶさ2」についての話。理科や物理のお勉強はからきしではあるが、本当にロマンを感じながら話に聞き入ってしまった。

もう一人は少し後輩で映像プロダクションの社長、同じ世界にいたことがあるので昔からの知り合いでもあるが、いかに日本のテレビ業界やコンテンツ産業が世界の時流に乗り遅れているかという話。放送局もさることながら、監督する行政の感性が全くない故にガラパゴス化していることなど。これも全く「さもありなん」と同感するばかりだった。

何れにしても最近面白くもない報道にばかり接しているので、「校歌」や「信濃の国」を思いきり歌い心から爽やかな気分になれた。

何事もなかった

寒くなるのが早かったようにも思うが、今日は何とも言えない好いお天気になった。「今年最後のハイキング日和だそうよ、家の中でグダグダしている場合ではないでしょう。」と尻を叩かれても時すでに遅し、結局どこに行くこともできなかった。年賀状については婆さんが昨年と同じ枚数を買ってくれたようだが、未だ準備をする気にもならない。結局新聞を丁寧に読んで、下手なネット碁で過ごすつまらぬ1日となってしまった。明日は同窓会だ。

まじめな心配

昨日のブログは書き始めたのが夕食後になってしまい、テレビ(BSフジ:プライム8)を観ながら書いたのでとりとめがなく分かりにくい文章になってしまった。改めて観ていたテレビに出演していた伊勢崎賢治氏の論理をネットで確認できたので、正確を期す意味で以下に書いておく。その前に同番組に出演していた政府側の人物は当選5回の弁護士の柴山昌彦氏(国家安全保障に関する内閣総理大臣補佐官)であり、問題の南スーダンのジュバに最近行ってきたばかりで、国際連合南スーダン派遣団: UNMISSの司令官と直接話をして来たことを力説強調していた。

具体的には「自衛隊の派遣部隊は貴下の指揮下に入るが、憲法上の制約があるので、できないこと或いは貴下の指揮に応じられないことがあることを承知して頂きたい。」と言って司令官の同意も得てきたと、得意げに語っていた。国連という組織に関して何ら知識を持ち合わせない馬鹿ではあるが聞いていてすごい違和感を覚えたが、ご本人は何ら違和感は感じないようだ。法律の専門家であることをひけらかしつつ、用意したメモを見ながら己の田に水を引く屁理屈を展開するが、国連という組織や国連が準拠する法体系は知らないまま無視していることがありありだった。

対する伊勢崎氏は手元にメモらしきものは一切置いていない。十分頭にしみこんでいる国際法の法体系と自らの体験に基づいて語っていることが対照的によく見えた。彼はこのようにも言った。「国連の部隊は多国籍軍であり、柴山さんが言う通り指揮官の命令に従わなくても、これを罰する法は無い。しかし武装した相手に一発でも発砲すれば、当然相手も発砲してくるので、交戦状態になる。そのような事態になれば、自衛隊員に死傷者が出なかったとしても、これまでの「自衛隊は軍隊ではない」という前提が崩れることは必至だ。撃たなければ自衛隊員に死傷者が出る可能性が増し、撃てば憲法上の問題が生じる。」

氏が言うには「結局、日本が合法的に国連PKOに参加するためには、憲法を改正して自衛隊を正規の軍隊として認定するか、国連PKF(国連平和維持軍)への参加はあきらめ、国連文民警察、国連軍事監視団など他の分野の国連PKOに参加するかの、いずれかしかない。何も危険を冒さなくて「国際貢献」の方法は他に沢山あるのだ。伊勢崎氏は、今回の駆け付け警護問題は建前で「国際貢献」を謳いながら、本当の意図は自衛…

言葉遊び

言葉遊びはどこの国にもあるのだろうが、日本の場合マジか洒落か区別できかねるような言葉遊びが公式に飛び交うのだから参ってしまう。国会は田舎芝居かプロレスと当事者が言うくらいだから百歩譲るにしても、マスコミがそこを峻別して報道しないと社会体系が崩壊しかねない。

日本社会が1945年連合軍の占領下に置かれ、7年後のサンフランシスコ条約で独立主権国家になることを大多数の国から認められたとは言え、敗戦国の悲しさ故だろうか、同時に実質的にはアメリカ軍が統治することを認めてしまったことに端を発しているのは確かだ。このことで当時の政治家や我が父母を含む大人を責めてはいけないのだろう。父母は己に比べれば遥かな人物であったし、当時の政治家も現代の諸氏と比較すれば、比べ物にならないくらい識見に富み且つ胆力もあったと思う。

しかし、独立主権は見せかけで、実質米軍の統治下と言う大きな矛盾があったにもかかわらず、その後半世紀以上の長い歴史の中で、政治家は矛盾が露呈しそうになる度に、日本語独特の言葉の綾を使ってごまかし続けてきた。勿論マスコミは矛盾を承知しながら、何の疑念も提起せず自らも政治家の言葉遣いを引用して同調してきている。当然ながら我々国民も、その言葉遊びの大いなる矛盾について気がついてはいるのだが、現実問題として「日本には平和憲法があるのだから何とかなるだろう。」で済ましてきたわけである。

言うまでもなく矛盾(言葉遊び)の根本は「自衛隊」である。「自衛隊」は自衛隊で軍隊ではありません。政治家がそうは言っても、軍隊でないと思っている日本人はいないでしょう。ましてや外国(軍人であれ文人であれ)から見れば軍隊であるのは当然で、道路工事をしているから日本の優秀な建設会社に人間だとは間違っても思わない筈。

それでもこれまでは先輩政治家の努力もあり、憲法の平和主義は何とか守られてきた。しかしもう限界でしょう。戦闘を衝突と言い換えたり、英訳もできない「駆け付け警護」なんて聞きなれない言葉を使ったりして、国民をたぶらかすことはもういい加減にしてもらいたい。