2016年12月8日木曜日

分からぬことばかり

真珠湾攻撃の日を迎えて、75年前に下された先人の判断について見識なき己如きがあれこれ言うことはできない。一つはっきりしていることは、当時大多数の国民がその判断を支持していた事実。また無謀な判断と内心思っていたインテリがかなり存在していたらしいこと。この2点だけは出来れば強調させてもらいたい。昨日も書いたばかりだが、マスコミがリードするポピュリズムによって虚が実とになり、正論は徐々に排除されて音が消されてしまう。

人口が8千万人であろうが1億2千万人を超えようが同じだろう。マスコミがリードすると書いたが、マスコミという人物がいるわけではないので、本当の犯人捜しは難しいかもしれぬ。そこで少し頭の体操でもしてみたい。まず明治維新以降、我が国は一貫して民主的な国づくりに励んできた。既に150年も前からだし、前半以前は生まれてもいなかったので飽くまでも想像でしかないが、最初から民主的国家創造を目指したかどうか分からないが、結果的には方法論として当時でも珍しかったであろう「天皇制」を土台に据えた民主的国家建設に梶をきったように思う。

これはある程度功を奏しただろうし、併せて国力も増大し始めたのだろう。維新から半世紀もする頃には独立国家として世界の先進国からも認められるようになった。それ以前から国家を挙げて取り組んだ「富国強兵」政策も善悪は別にしてある程度の成功を遂げたとも言って良いのだろう。何事も同じだが「成功した時は用心が必要」とはよく言ったもので、先進国と軋轢が生じ始めた。

維新から60年以上にもなれば文明開化も相当進み、国民の教育水準もかなり高くなったに違いない。通信手段、マスコミの発達も目覚ましかったろう。この頃に父母が婚姻して、維新から72年後に小生がこの世に生を受けることになるが、この頃は民主化路線の危機ともいえる時期だったかもしれない。でも、小学校に入学する頃には、幸不幸は別として、新たな民主化路線がスタートした。

新たなと書いたが、「天皇制」を土台に据えた民主的国家建設ということでは維新以来一貫しているのが面白いと言ったら不謹慎かな。中間に不幸な時期を挟んだのは事実だが、日本的民主国家建設は1世紀半の年月を経て一つの頂点に達しているのかもしれぬ。(我が家には今の日本は北朝鮮同様の独裁国家と嘆く人間もいるにはいるが。)民主主義国家がどのように定義されるのか定かではないが、社会の在り方としてベストとすべきかどうかも分からない。

一方に資本主義なる社会の概念があるが、これが民主主義と相容れるものなんだろうか?生まれた頃は30億人に満たなかった世界人口が70億人を突破した現在、世界の国家も増えたし、その国家の体制が激変しつつある。これも幸か不幸か分別しがたいが、我が国は人口数だけ見ればもう増えることはないし、国家の体制も安定して150年来の民主化路線を追及してるかのようだ。

しかし、国家のリーダーが息を吐くように平気でうそをつき、マスコミはそのことを厳しく追及することはない。権力者への単なる迎合か、先に書いた通りポピュリズムの極みなのかが判然としない。

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