2021年12月31日金曜日

大晦日

 無いようでもいろいろあった今年もついに大晦日、今日になってメーラーのoutlookが開けずメールを確認できなくなっている。一昨日から何かと厄介な歳の瀬だが、これもひょっとすればカードの停止と関係があるのかもしれぬ。マイクロソフト相談窓口も正月は人並みに休みらしいので、問題の解決に10日前後を要する可能性がある。これ皆ボケ防止の一環だと思って我慢せざるを得ない。当分は使い慣れなず読みにくいG-mailなので、発信はなるべくしないつもり。

大晦日なのでいつもより1時間寝坊して起床、なるべく生ゴミを出さないために久しぶりでトーストの朝食。おかずは玉ねぎと人参と豚肉入りのスクランブルエッグ、リンゴとレーズン入のヨーグルト、コーヒーか紅茶あれば良いのだが昨日買っておくのを忘れた。仕方がないので飲み物はいつもの緑茶。生ゴミは少ないが、準備はいつも以上に時間がかかったように思う。13時過ぎに近くのそば屋に行くが、長蛇の列。

幸い一人なので、寒空に身を晒す時間が短くカウンターに案内されて年越しそばを食す。今日午前中はずっとテレビを観ていた。デジタルかBSかは忘れたが全部NHK。最初は昨日も観ていた相撲の番組、これを途中で打ち切って「大谷翔平」の大リーグでの4年を追ったドキュメント、後は中国の歴史もの「三国志演義」の検証番組。何れも興味深く面白かった。

一昨日次女がまた1冊の本を貸してくれたし、正月用に買い込んだ本が2冊もあるが、結構テレビが面白そうなので読書してる時間は無いかもしれぬ。少なくとも明日と明後日は朝食の準備はする必要がないので池袋のホテルでゆっくり出来るだろう。昔は元日とか2日は映画館に行くのが楽しみだったが、今年は面白そうな映画が無さそうなのでちょっと寂しい。

2日に帰宅してブログを書く気になるかもしれないが、3日までゆっくりしそうな気もする。改めて読者の皆さんが良い年を迎えられることを心から祈念させて頂く。

2021年12月30日木曜日

禍福糾える縄

 久しぶりに少し寒さが和らいだようだ。今日は祖師谷に住む次女宅に一足早い年賀挨拶。そこでお屠蘇と正月料理にありつくことになっている。本来なら正月2日の筈だったが、コロナの影響や息子たちの就職活動の影響らしい。何れにせよ天気が良くなったことだけは有り難い。てなことで、全て事も無く平穏無事な年末か、と思いきや、昨日夕方これから出かけようとしたところに不審の電話。無視して切ったが、しつこいので堪らず出たらここから大騒ぎ。

かけてきたのは、大人の休日倶楽部VIEWカードのセキュリティーデスク。何でも使用中のカードが不正利用されている形跡が認められるとのこと。「次の使用に覚えがありますか?」と言われても、使用したような気がするものもあるし、覚えのないものも確かにある。しかしネット上の履歴は覚えが無いだけで、実際の行為はしてた可能性も否定できない。しばしのやり取りがあって、結局現在のカードを即座に停止してカードの再発行ということになった。

「このカードで予約しているホテルの決済はどうなるのか?」と聞くと、「ホテルに電話してどんな差支えが出るか確認願いたい。」とのことで、今度はっホテルに電話すると「カードで決済して頂いたものは一旦キャンセルとさせて頂き、当日のチェックインから現金でのお支払いとさせて頂きます。但し会員割引の情報は引き継ぎますのでご安心を。」とのことで一安心、と思ったが、このカードにはSuicaが共通で搭載されていた。

従って今日山手線や小田急線を使って次女宅に行かねばならぬが、乗り換えの度に切符を買う必要がある。電車に乗るのに切符を買うのも随分久しぶりのことだ。少し不便だが社会勉強のし直しになるだろう。新しいカードは来月7日以降になるとのことで、10日ほど見てくれとのこと。デジタル社会も結構だが、一旦停止すると予想外の不便さに見舞われることになる。禍福糾える縄とはよく言ったものだ。

2021年12月29日水曜日

東と西

 大晦日からまた寒波の襲来と予報が出てるが、この冬の寒さは厳しい。歳をとったせいか前からか分からないが、数日前の夜、寝ていても寒さで足先が温まらず、堪らず靴下を履いてしまった。山小屋では何度か経験したことがあったが、自宅では初めてのことだ。その翌日の晩は山で残してきたペットボトルが1本あったので、これを熱湯に変えてタオルで巻いて湯たんぽにした。そして昨日はもう駄目だと決心して、電気アンカを買い込み一安心。すっかり年寄りモードとなっている。

今年も大詰め、スッキリしない年だったような気がする。本来であれば大掃除をしなければならないのだが、何もしていない。しめ飾りも無い汚れた家で新年を迎えるのも気にならなくなっている。己自身も相当おかしいが、日本人全体が小生同様で気にすべきことを気にしなくなってると思う。昔を思うと、それぞれの家には必ず神棚があり、その家が代々敬っていた神様がいたものだ。実は我が家にはその神棚がなかった。神は父であり母だったのだろう。長じて神が嫁になったとも言える。

それでも元日は必ずしめ飾りをした玄関先に国旗だけは掲げていた。父は毎朝庭に降りて体操を始める前に、東に向かって手を合わせ何やら熱心に祈っていたから、父なりに信仰していた神がいたに違いない。家内が他界してから仏壇を誂えたので、小生は毎朝仏壇にお茶と水を捧げて手を合わせることをお勤めとしている。だいぶ父に似てきたものだ。父が何を念じてたか訊いたことがない。仕方ないから、先祖と近親者の顔と名前を思い出すことにしている。あの世とこの世に混在してるが約40人。

妙な習慣になったように思うが、やっぱり一神教ではない日本人だ。数日前仏壇用の蝋燭を買いに行って思ったことがある。この商品は何処のコンビニにも置いてあるものだが、応対した外国人の店員には「蝋燭は何処にありますか?」が通じなかった。宗教用具だから仕方ない。彼はきっとインドネシアかどこかのイスラム教徒だったのだろう。彼らが日本人の宗教をどう見てるか知らぬが、もし聞かれたら「アメリカ教あるいは西洋教」と答えたい。

元来が八百万の多神教だったのだから、独りぐらいずば抜けて強く依存する神が突然出現してもおかしくはあるまい。またアメリカや西洋の価値観が広く全世界を覆い、それが普遍的なんぞと言われる時代になったことは、個人には非常に残念だ。ところで、東洋と西洋と言われるが、東洋とは何処から何処までを言うのだろう?東を向けば地球上何処まで言っても東洋だし、西も同じだ。

しかし、東洋と誰が言い始めたか知らぬが、西洋人が言ったとすれば、そこに開拓者精神(パイオイアスピリット)を感じる。自分では東洋人と思っているが、西は十万億土しか見えない。

2021年12月28日火曜日

家内の命日

 今日は暮れの28日、普通のサラリーマンにとっては御用納め、こちらは営業部員で政府の予算編成が終わっていない年が当たり前だった。従って一般社員と少し感慨は異にしたが、それでも定例のパターンには歩調を合わせた。殆どの社員は関係先への挨拶も殆ど終わり、午前中には掃除を済ませて昼時には綺麗になった事務室には寿司屋から届いた大皿の寿司と、女子社員が買ってきた乾き物で先ず乾杯。軽く一杯飲んで早々に帰宅するとしたものだ。

まる4年前(平成29年)、当時世話になっていた友人の会社も同様で、午後1時を過ぎると全員が帰宅して事務室に一人残って独りでネット碁をしていた。帰宅しても今日から家内は宿下がりで横浜の実家に帰っているから、寒い自宅に戻るより温かい事務所の方が居心地が良かったからだ。もう何度も書いた気がするが、3時頃だったと思うが目白署からの突然の電話。

その約1時間後には板橋の日本大学病院で、家内の遺体に面会することになった。今日はその家内4年目の命日と言う特別な日。次女は一昨日花を送ると言ってきたが断った。歳がある程度行ってから連れ合いに先立たれた男性は、早死するとよく言われるが、4年はある程度長持ちした方だと自分で思っている。80余年の人生で、性格や行動原理に影響を与えてくれた多くの人がいるが、思えば家内の影響が一番大きかったと言える。同居年数が最長だから当たり前かもしれぬ。

彼女は生前から、亭主の再教育について時々感想を洩らしていたが、苦労は多かったと思う。新疆自治区のイスラム教徒ではないが、50年近い再教育機関を経て、こいつを娑婆に戻してもどうやら自立できる頃合いと見計らっていたようにも感じる。脳みその改造はもとより、物質的、経済的遺産も大きい。お陰でこの4年間何の不自由もなく過ごすことが出来た。

しかし今朝の朝日新聞のトップ記事にこんな記事が踊っている。曰く『日本円の力、半世紀前の水準まで弱体化 急激な円安で暮らしに影響も』。とすれば、折角家内が後〇〇年生かそうと思って残してくれた遺産が○年で尽きてしまうかもしれない。ま、それはそれで構わない。あの世とやらで逝きし親しい人々に会えば、俗塵まみれの今以上に楽しいかもしれぬ。

2021年12月27日月曜日

餅は餅屋

 音痴なので趣味とまでは言えないかもしれぬが、週に1回必ず観るテレビ番組がある。BS・NTV「日本・こころの歌」だ。月曜夜7時からでNHKニュースと前半が重なるので、録画をして適時適切な時にゆっくり観ている。昔、家内は歌謡番組が好きでよく一緒に観ていたが、ある日この番組を発見して一緒に観ることを提案した。ところが何故か1回か2回で拒否されてしまった。何を観たかったのか知らぬが「観るなら自分の部屋で観て」と突き放された記憶がある。

家内一番のお気に入りの歌手は杉良太郎夫人の伍代夏子、坂本冬美も結構好きだったと思う。伍代夏子は着物の趣味が良い、坂本冬美はもういい年齢だが、これまで浮いた噂が1度も無い、が口癖だった。余計なことを書いたが、昨夜チャンネルをザッピングしてる時に、何処の放送局か記憶していないが、たまたま坂本冬美が「故郷」を歌うと紹介されたのでその部分を観てしまった。この曲は先に上げた「日本・こころの歌」でも何回も聴いた小学校唱歌の名曲で好きな1曲だ。

更に付け加えるなら、作詞が高野辰之氏で、彼は長野市に隣接と言うか同じ選挙区内の中野市の出身。善光寺平の風情を織り込んで作詞されたと言われるので、余計親しみが持てる曲だ。さて問題の坂本冬美の「故郷」はやはり可哀想なくらいダメだった。歌手としても嫌いな歌手でもないのに、どうしても聴くに耐えなくなってしまう。曲のイメージが刷り込まれた「日本・こころの歌」はコーラス番組で、フォレスタと名付けられたグループが出演し、コーラスの構成は曲によって少しずつ変わるが、全員音楽大学の卒業生らしい。

これもだいぶ昔のことになるが。坂本冬美の人物像を紹介する番組で彼女自身が告白していた。「当初苦労しながら売り出し始めた頃、当時師事していた作曲家の先生の猪俣公章氏に、私は楽譜が読めないので勉強したいと申し出たところ、何を馬鹿のことを言うのだ、演歌歌手に楽譜なんか必要ない。と叱り飛ばされました。」

昨夜、彼女の歌を聴き終わってその話を思い出した。彼女の名曲は数々あって、どれも好きだが、やはり<餅は餅屋>が適切かどうか分からないが、彼女に小学校唱歌を歌わせてはいけない。明日は餅屋さんに餅つきを頼む最終日、29日は「苦持ち」で縁起が悪いと教わったものだ。

2021年12月26日日曜日

どうでもいいこと

 昨夜は初雪が降ったらしいが、真昼に日向を歩いていても風が冷たい。雪が降らないだけ有り難いと思うべきだろう。

年齢もあり、そこにコロナ禍も重なって直接会う機会は減る一方だが、ネットを通じて毎日交換する高校時代の友人との会話が大きな楽しみだし、有益でもある。昨夜も行った今年最後のリモート懇談。三菱電機を退社後に大学教授になった理系学者さんが突然面白いことを言った。「文系の人に聞きたいのだが、君たちが感動することは何ですか?」昨夜は4人で、理系二人に文系二人。文系のもう一人は黙っていたので答えた「俺は山に行って美しいな景色を見た時感動を覚えるよ。」

質問者は当然そんな答えを期待していたのだろが、彼曰く「こちらは数式の美しさに感動を覚える。」とのことで、半紙に大書した数式を示した。写真でも撮っておけばよかったが、生憎だ。彼曰く「実はこの数式は最近考えたのだが、何かと何か、<これが分かれば良いのだが、数学用語で未だに覚えているのは円周率(ギリシア文字 πで表される)くらいのものである>を掛けてリ割ったりして1を足した思うが、ゼロになることを発見して感動を覚えたとのこと。

もう一人の理系(元日立製作所)は流石に半分理解したようで、「成程ね、そうなるか。」と反応していた。数式を披露した友人はきっとアインシュタインと似たような頭脳の持ち主なんだろう。

同じく対面ではなかったが、昨日友人がメールで珍しい苗字のランキングを教えてくれた。小生戸籍上は「小林」だが、これは故郷長野県で一番多い苗字とのこと。そう言われると確かに小中高を通して同姓の友人は多かった。同時に何かの度に「馬鹿と小林犬の糞」と嘲笑たものだ。父もよく言っていた「江戸時代からの百姓だった我が家に苗字があったかどうかも疑わしい。信州には似たような人が多かったのだろう。明治維新で苗字を名乗ることになり、田中とか小林なんて書くのが簡単な苗字にした人が多かったのだろう。」

我が審美眼もいい加減だが、苗字も適当なものだ。

2021年12月25日土曜日

歳の瀬

 明日から猛烈に寒くなるという予報が嘘のような小春日和の今年最後の土曜日。振り返ると、我が人生もいよいよ終末の感が強い。親しい友人が相次いで永遠の別れになったこともある。家内が逝ってからはもうまる4年、長女が「来週の命日には行けないから、しっかり線香を上げておいてね。」と依頼してきた。最近は何故か夕食の歳、外であろうと家であろうと、酒を飲むようになった。今のところは酔っ払うほど飲まないが、段々増えていきそうな気がする。

真面目に考えると、世の中に不満が多いのは仕方ないとしても、自分自身が思ったように動かない。身体はもちろんだが、意思決定が尽く裏目に出るような気がする。毎日生きていくために何かとすることは多少あるが、他のことはもう何もかも面倒くさくなってしまった。年金生活であること意識して、食事代なんかも極力一定の枠内に抑えるよう配慮してきたが、そんな余計なことを考えるのも面倒くさくなっている。昨夜、池袋西口の商店街から少し離れた場所に今年の夏にオープンして、前から気になっていた和食店に一見の客として飛び込んだ。

夕方の5時半くらいだったと思う。客はカウンターに一人だけ。案内されたカウンターはその客から離れた入口に近い粗末なカウンター。先客のいるカウンターは今夜予約で埋まってしまっているとのこと。仕方なくメニューを念入りに見ると、普段の食事代からすれば何を選んでも大分高いが、おまかせコースで6千円とある。しかも今夜はクリスマスイブだ。面倒臭さもあり、おまかせコースと小ジョッキを注文。

ビールがすぐに来たので、口をつけたところに今度は別の店員が来て「コースご注文のお客様はあちらにご案内することが出来ますので。」と先客のいるカウンターの真ん中に案内された。この店の主人らしき板前が目の前で魚をさばいている。黙っているのも悪いので、二言三言お世辞を言いながら思いがけず和食のコース料理の夕食になってしまった。独酌で風情は無かったが、外で日本酒を飲むのも久しぶり。

特別美味い店とは言えないかもしれぬが、味覚音痴だからそれなりに満足。こんなこと毎晩してたらとんでもないが、たまにはこんなことでもしないと先が持ちそうにない。

2021年12月24日金曜日

リーダーの資質

 今日も政府や首相の悪口を書こうかと思っていたが止める。むしろ岸田氏は曲がりなりにも晋三安倍氏と戦っていることを立派と褒めなくてはならないかもしれぬ。そのうち自民党が分裂にでも追い込まれればなお良しだが、残念ながら中途半端が岸田氏の持ち味だ。

昨夜から観たテレビで改めて感じたことがある。リーダーの資質についてだ。先ずは昨日行われた毎年恒例のロシア・プーチン大統領の記者会見、参加できる記者は厳選されるらしいが500人。もちろん質問事項は予め文書で届けなければならない。会見は4時間で打ち切られるが、質問には後日文書で回答が行くらしい。日本の報道機関が何社参加を許可されたか知らぬが、参加した記者は署名記事で発表願いたい。

欧米トップの記者会見は質問が無くなるまで続けると聞いたことがあるが、比べて日本の記者会見ご粗末に過ぎる。そもそも政府トップが、我が国のように頻繁に記者会見をすること事態が理に合わない。例えば直近の首相記者会見も、NHKがご丁寧に19時のニュース時間を潰した上に時間延長してまで放映していた。

一部視聴した中で首相が力説強調したことに、PCR検査の無料実施(但し大阪、京都、沖縄の3地区のみ)があった。これも既に書いたように思うが、諸外国と比べてツー・レイト、即ち時代遅れ。しかもその方法が拙速を絵に書いたような話だが、そんなことは厚労省の課長レベルが記者に説明すれば済む話だ。トップが記者会見するならもっと意味のある話をしてもらいたい。

関連して思ったのが昨夜のBS・TBS「報道1930」久しぶりに意味のある議論を聞くことが出来た。出演ゲストは長妻昭氏、児玉龍彦氏、松本哲哉氏。御存知の通り長妻氏は野党立憲民主の政治家、児玉氏と松本氏はまさに現場を知る専門家。先ず児玉氏がコロナウィルスの概略を説明した上で、デルタやオミクロンとその場限りの現象を取り上げての議論が無意味で、長い目で見るとこのウィルスは容易に絶滅できないだろうとの予測を発表。

氏は続けて、対策の要諦は長期に亘り検査→診療→治療が一連の流れで行える医療体制の確立にある。それにはコロナ患者を健保対象にして全国の医師全員に再教育をすべき、とぶち上げた。これはどうも正論であるらしい。日本の医療リソース(資源)大学・研究機関・一般クリニックを包括すれば相当なものがあるが、殆ど活用されないまま眠ってしまっているのが実情らしい。面白いと思ったのは昨夜の番組に政府厚労省の医療技官が出演していなかったこと。

代わって、長妻氏が現行の感染法上の制約で難しい問題があること、一般クリニック医師が新しく勉強や経営努力を出来るかどうかの疑問点を上げ、児玉先生に反論する余地はないが、克服すべき課題が多い。と番組は終わった。環境の変化に如何に対応すべきか、時間は10年単位で掛かるにせよ、これこそトップに判断が求められることだ。

2021年12月23日木曜日

セコイ話

 今年がどうなるか分からないが、昨年の確定申告を改めて確認すると年間の総収入(公的年金のみ)が約240万円(300万円くらいあったかと思っていたが勘違いだった)源泉徴収額191320円だから、国家に献上している税金は貧者の一灯と言うのも恥ずかしい低い額。社会に無用な年寄をよく生かして下さっているとに感謝こそすれ、お上に向かって税金の無駄遣いなんぞと言う資格が無いことは十分承知している。

以下は歳末の笑い話として受け止めて頂ければ有り難い。コロナ禍が始まって既にまる2年を経過、このぶんで行くと恐らく我が生涯を終える時まで、少なくとも毎年ワクチン接種が必要になりそうな予感がする。インフルエンザワクチンは毎年接種しているから、回数は別にしても同じと思うしかない。インフルエンザは接種費用2500円、片やコロナは永遠に無用になるだろうか、とセコイことを心配するだけだ。

お次もセコイ話かもしれぬ。日刊ゲンダイからの引用『岸田首相「アベノマスク」強制廃棄の電撃発表! 血税485.5億円投入の成れの果て』我が家にもあたかも家宝のようにアベノマスク2枚は残っている。言われてみれば確かに無駄遣いだったのかもしれぬ。何でも使い残しが8千万枚あって、保管費用だけでも年間6億円かかるらしい。さすが大日本国のこと、こちらが昼飯代に2千円以上の豪華メニューを注文するのとわけが違う。

真打ちに取り上げたいのは今年のオリンピックに関わる話。これは開催そのものが、コロナ禍を拡大し、多数の犠牲者を出したので過去幾度となく取り上げて非難し続けてきた。流石に叩きどころはもう無いだろうと思っていたが、無駄遣いの総仕上げとも言える発表があった。しかもその発表の仕方いじらしいとも言えるのだが、セコさの極みでもある。今朝のNHKニュースはデジタル版では『東京五輪・パラ 開催経費は1兆4530億円 予算を下回る見通し』


流石に気が咎めたのだろう、下回った額2000億円とは見出しにもってきていないが、本文の真っ先にもってきている、テレビではそのように言ったように思う。8年前に日本組織委員会がIOCに提案した総予算は確か4千5百億園程度ではなかったかと思う。昨日、日本組織委員会武藤事務総長が理事会後に記者会見をして発表したとの報道だ。未だケジメがついていなかったのも驚きだが、正式に発表された数字でさえ、予算は当初計画の3倍以上となり、結果についてはご案内の通りだ。


2千億円の減額だけが罷り通り、諸々のダメージに対する反省は誰からも一切無し。政府としては、現在無役になった元オリンピック担当大臣橋本聖子氏を北京オリンピック開会式に派遣する予定らしい。これで公式ボイコットを要請しているアメリカにも言い訳ができる。メデタシ、メデタシ。


2021年12月22日水曜日

スピード感

 毎度中国の提灯記事を書いてるように思われるかもしれぬが、結果的にはその通りなので仕方ない。今日もそうなりかねないが、狙いは日本政府への批判だ。何が問題かと言えば、昨夜の岸田首相の記者会見でも何回となく使われた「スピード感をもって」に強烈な違和感を覚えるからだ。これまで岸田政権が行ってきた諸課題への政治判断にスピード感があったと感じてる人も多いことだと思う。確かにそうかも知れない。

しかし、例えば北京オリンピックへの外交的ボイコット問題についても、首相は適時適切な時期にスピード感をもってと要らざる形容語を重ねている。この問題は既に今月11日、林外相とアメリカ・ブリンケン国務長官が英国リバプールで対面会談をした際に結論が出ている問題だ。日本の新聞は「北京冬季五輪に政府当局者を派遣しない<外交ボイコット>については、話題にのぼらなかった。」と書いているところが如何にも白々しい。

恐らく政権の報道担当は、意識的に庶民受けしそうなスピード感記事を流しているのだと思う。しかし実際に世の中に変化をもたらすような意思決定、例えば人事であるとかについては、精々石原伸晃氏を内閣から追い出したくらいで、目立つものは何も無い。あべのマスク廃棄程度の嫌がらせで、安倍氏や高市氏の鼻を明かして満足してるようでは世の中にも変わらない。悔しかったら高市務調査会長の首をとってみろだ。

要するに自民党総裁でもある岸田首相は残念ながら党内弱小派閥のトップに過ぎず、自民党そのものを動かす力量を持ち得ていないのだ。どうしても肝心の意思決定が中途半端になる。スピード感をもって変更したつもりの子供を持つ家庭への給付金なんかも、誰に如何なる遠慮忖度があったか知らぬが、第3者から見れば見苦しくて見ていられない。いろいろ文句を言っても始まらぬが、こういった事態が未だ当分続くかと思うと些かうんざりだ。

中国やロシアのような一党独裁について非難が大きいのは承知之助だが、政治的意思決定のスピードだけは所謂民主主義国家とは比較にならぬほど速い。結果として社会の変容スピードも上がることになる。これが全ての国民市民の幸福に繋がっているかは知らぬ。中国式自由経済の結果、貧富の格差が拡がりすぎているのも事実なんだろう。最近は大金持ちが逆に逮捕されたり、重税を課せられたりしてるところをみると、是正に取り組み始めていることも伺える。

結果が思い通りに行くかどうか、これも疑問だが、意思決定の結果はいつも如何なる国でも人事で表明される。人事は組織を改革するためだから、第3者かみて能力について疑いある人物がトップに就任することはないと思う。そのスピード感が羨ましい。今日はもう冬至、月日の歩みだけは速い。

2021年12月21日火曜日

来年の外交課題

 チリの大統領選の結果には驚いた。35歳の人が当選したとのことも驚いたが、TPP加盟国と思っていたのに批准が未だだとか、これから見直すようなことを言いってるように聞こえた。聞き間違いでなければこれも驚かないわけにいかない。とにかく世の中知らないことが多いものだ。気にしなければ良いのだが、毎朝何となく海外ニュースをつけているので、食事の準備中は音声だけだが、食事中はどうしても観てしまう。今朝はその中にチリのニュースがあった訳だ。

アメリカが中国に神経を尖らせているので、日本も中国を意識した報道が多いのは已むを得ないのかも知らぬが、中国は日本をどう見ているのだろう?思うにはかなり正確に見抜いていて、日本が何を騒ごうと、所詮はネトウヨ一派の話で、取るに値しないと観てるように思えてならぬ。自民党が日本国内の多数派であるのは誰にも否定出来ない事実だが、安倍晋三氏や高市早苗氏等の右翼勢力を良しとする有権者の割合は半分以下と勝手に推測しているので、そんなことが中国で分からぬ筈は無いだろう。

小生が中国共産党幹部だったら、東アジアで一番気を使うのは、どう考えても韓国だ。しかし韓国国民の心理を何処まで読めてるかが実に悩ましい。韓国は昔からスパイ王国だったそうだが、中国だって韓国には諜報員を相当数配置してることだろう。残念ながら日本に諜報員を配置する必要が無いようだ。日本はアメリカからは丸裸以上に見透かされているが、中国や韓国からも似たようなものだろう。

ムン・ジェイン大統領は中国とも良い関係を維持してきたが、4月に任期が切れることだけははっきりしている。韓国の大統領は、退任後不幸な境遇に陥る例が少なくないので、ムン・ジェイン氏がそうならないことを祈りたいが、それは措くとして、中国とすれば韓国次期大統領に誰になるかが問題だろう。与党候補は苦戦中らしい。仮に野党候補が勝利したとしても、そう急にアメリカ一辺倒にはならず、中国との距離感もある程度は維持するのでは、期待半分だが、見ている。

序に書くと、2年半近くの不在期間を経て、間もなく就任するとされているアメリカの駐日大使の件、当初バイデン大統領は中国大使にと思ったようだが、あまりに単純なお人柄のようで、中国との関係悪化に気づいて日本に鞍替えさせたと報じられている。日本に対しても強硬な姿勢が予想されているが、岸田首相や林外相が得意の曖昧戦略で矛先を躱しきれれば良いだろう、と考える人が多いらしい。

2021年12月20日月曜日

川の流れ

 昨日ブログを書きながらしみじみ時代の変わり目を感じ、来年は新たなステージを模索すべきだと思った。これはあくまで個人的問題としてのことだったが、今朝の報道を読んでいると日本社会全体が同じ問題に直面しているように思える。一昨日のリモート会議でも話題になっていたが、日本の産業構造が変わらざるを得ないだろうとのことだ。

リモート会議の参加者は5人、小生以外はブリジストン、日立製作所、三菱電機、電力総研日本を代表して経済成長を引っ張ってきた企業やシンクタンクの出身者。(ホンダ出身者が提起した会議だが、彼はこの夏に他界してしまった)彼等が一様に口を揃えて言っていたのは「来年以降我が国の産業構造が激変は益々進むしかあるまい。」彼等が現役時代に世界を圧倒していた電気製品は半導体などの小型部品からテレビやパソコン、白物家電に至るまで尽くメイドインジャパン製品は既に影も形も無い。日本市場においてもそうなのだから、世界市場では何をか言わんやだろう。

未だに世界でその存在を認められているトヨタやホンダ等の自動車産業の将来でさえかなりの悲観論が語られていた。自動車を持たないことから関心が薄かったが、友人の一人が、東京だけでなく群馬県でもテスラを見かけるようになったとのこと。電気自動車(EV)への転換やエネルギー産業構造転換が遅れたのは経産省の産業政策の判断に誤りがあったせいのようだが、何れにしても現実問題が厳しくなっているのは事実だろう。

今朝の報道では中国では日本円換算50万円の小型自動車が既に販売されて、農村部で爆発的に売れ行きを伸ばしているとのこと。日本経済新聞に『中国の「50万円EV」を分解 機能割り切り格安を実現』としてそれを輸入して分解した名古屋大学の山本真義教授らが分解調査結果が掲載されている。幸か不幸か日本の輸入制限でそう簡単に輸入許可は得られそうにないが、既に輸入されている中国車はあるらしい。

経済産業は、既に故郷の千曲や犀川が合流して信濃川となり、日本海に注いでいくように流れが変わってきているのだろう。正に鴨長明が言うところの「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」を思い起こさせる。掲載紙は朝日に変わるが『ブリヂストン、従業員8千人を転籍へ 防振ゴム事業は中国企業に売却』なんて記事も掲載されている。

役所の官僚諸氏も新聞を毎日読んでいるだろうが、変化というものは道があるところで曲がるように変化するのではなく、例えば故郷には多くある川の合流地点を見るような観察力を持って世の中を見てほしいものだ。

2021年12月19日日曜日

新たなステージ?

 起きるのが辛かったが東京も今朝は氷点下になったようだ。しかしこれは冬の序曲みたいものだから慣れる必要がある。寒さが厳しくなれば、ウィルスの一層の活躍も心配だし、正月を迎えると言うのに余り嬉しい気がしない。昨夜のリモートミーティングでは、友人の一人が来月のスキー旅行を予約したとのこと、別の友人は長野市内は雪景色だそうで、今シーズンは県内どのスキー場でも80歳以上の高齢者はリフト代は半額、場所によっては無料のスキー場さえあると嬉しそうに話していた。

彼は先シーズンまで八ヶ岳山麓に住み、毎年何十日もスキーを楽しんできているので、今年もこれまで以上に楽しむことが出来るだろう。ある意味羨ましくもあるが、我がスキー人生は先シーズンで終了と決めたので、違う楽しみを見つけざるを得ない。今朝のテレビ(TBS「健康カプセル」)に依れば、免疫力を上げるためにはやはり規則正しい生活が要諦のようだ。これでオミクロン株に対抗できる保証は無いにしても年寄りには唯一と信じるしか無い。

昨夜は政治絡みの話は少なかったが、臨時国会も21日までだから実質あっという間に終わってしまったことになる。仲間内で批判的な話をするのもバカバカしいくらい下らぬ国会としか言いようがない。安倍晋三氏なんて半分死んだはずの人間と岸田陣営との対決が見ものだとの声はあったが、これで自民党が割れて政局なるなんてことは日本ではもう起きないだろう。後は勝手にやってくれと言いたいが、それにしても金に対する汚さはよく許されるものだ。

亡くなった近畿財務局赤城未亡人との裁判問題からの逃げ方、18歳以下の子供を持つ家庭への現金給付、代議士に対する給与の問題、防衛予算の急拡大、問題は山ほどあっても何一つ決着がつかないまま徒に日にちだけが過ぎてゆく。子供三人が全員外国住まいの友人が「今月末までに万国で通用するワクチンパスポートが発行されるようだ。」嬉しそうに話していたが、我が身には無関係のこと。それにしても、海外旅行の際、前後で10日前後のホテル滞在してまで旅行する気になる人がいるとすれば、日本も捨てたもので無いと思うべきなのだろうか?

来年がどうなるか分からないが、個人的には年相応の新たなステージを整える必要がありそうだが、どんなものとなるかイメージが湧いてこない。

2021年12月18日土曜日

普遍的価値感

 昨日はブログをさぼってしまったので何となく朝から後ろめたい気分がする。そんな訳で朝一番にブログを書いているのでピントがずれるかもしれぬ。今週は個人的にも年末とあって、いろいろなことがあり、社会的にもいろいろな事件が報道されたので書きたいこと、書くべきことが多くテーマの選択に戸惑ってしまう。普段ブログがアップされる夕方までには更に重要な情報があるかもしれない。

よって、今日は最近流行りの普遍的価値感について書いて早めにアップする。「一体普遍的価値何だろう?」予て疑問に思っていることだ。特に今のアメリカ政府や日本政府はこの言葉をやたらに強調する。しかし普遍的であればその価値観に反する国家群が世界の半分以上も存在すること自体おかしいではないか。アメリカや日本と価値観を共有できない国からすれば、お前たちこそ普遍的価値を持たない異端者と決めつけたくなるだろう。民主主義なんてものが本当に普遍的価値かどうか、未だに疑問を持つ理由だ。

何処の国の法律にも一言も書かれていないと思うが、大学で受けた授業で、何の時間だったも記憶に定かではないが、ひょっとすると倫理学だったかもしれぬ。教授の名前も忘れていてノートも無いし教科書もとっくの昔に廃棄されているが、忘れがたい一言が記憶に焼き付いている。「絶対善」の三語だ。即ち「真善美」。教養ある人は無闇に絶対なんて言葉を気安く言ってはいけないとも教わったものだが、この先生は何度もこの言葉を強調したから、これは普遍的なことかもしれないと思っている。

「真実」は誰でも認めるだろう。「善」は人によって受け止めが異なるかもしれない。「美」も同様だ。ここまで書いて思い出し始めたが、この言葉は倫理学でなくて数学か人間生態学の授業だったかもしれぬ。兎も角、数学は何処の国でもほぼ同じことを学んでいるだろう。アメリカ・バイデン大統領や日本の首相なんかの頭の中での損得計算式は普遍的数学とは少し違う計算をしているかもしれぬ。

となると、やっぱり「絶対善」はありえない。80億人も存在する人類にはやっぱり異なる個人的善しか存在しない。それがそれぞれの美学というものだろう。実は一昨日2年ぶりで碁会所に行き友人と囲碁を楽しんだ。その場所で友人を待つ間に読んだ確か毎日新聞だと思うが、非常に興味深い記事があった。それは嘗て棋士でありながら日本棋院の理事長までになった大竹英雄氏の現役引退に関する記事だ。

大竹氏はほぼ同年輩、現役引退にはたしかに少し若い。80歳近くになれば若い棋士との対戦では負けることもあるかもしれぬが、それで棋力が落ちたと言う人はいいないだろう。しかし氏は若い時から自身の対局にでも、碁石を打つ手順と出来上がった盤上の形の美しさにこだわり続けていた。氏は「最近は一目で展開する図柄が見えなくなった。」と語ったそうだ。最後まで「個人的美学」に拘った人だと感心した。

2021年12月16日木曜日

テレビ

 新聞の宅配サービスを止めて既に久しいが、1台のテレビジョンと1台のパソコンだけで連日世界中からいろいろな情報が伝達される昨今だ。80億人近いとされる人が生活している世界だから、より多くのことを知るのは悪いことではなかろうが、大分ボケてきている年寄りには必要以上の情報量でもある。よせば良いことは分かっていながら、他にすることも無いので毎日テレビは朝晩で合計4時間位、パソコンでも同じくらい所謂報道らしきものを観てるかもしれぬ。

他人の生活時間は分からないが、自分の若い頃を思い出すとティーンエージャーの終わり頃(高校2,3年生)からの約10年くらいは、未だ家にテレビがなかったせいもあり、よく映画館に足を運んでニュース映画や洋画を観て、外国に関する関心を映像として取り込み満足させていた。18歳で上京して10年目となると27,8歳に当たる。この頃になると既に一人で狭い部屋に住み、なんとか小さなテレビも持てたと思う。

当時会社の後輩が言った言葉が未だに記憶にある。「今や家の中に映画館がある時代ですからね。」彼はサボりの常習犯でサボりたがる理由が理解できなかったが、サボって家でテレビを観て満足してたのかもしれない。サンデー毎日の身になって、何となく彼のことを思い出したりする。高校時代学校をサボって映画館に行った。社会人がテレビを観るのは最大のご楽とやっと思いが至ったが、これも既に時代遅れ。

スマホの時代ということを忘れていた。社会人が娯楽を持ち歩くのは当然として、子供たちまでが持ち歩く世の中だ。危険を冒して学校を抜け出すまでもなく、授業を受けながらでも映画を観ることさえ可能ということかもしれぬ。何処の国の人でも80年も生きれば、60年近く前のことなど思い出すのも嫌になるかもしれぬ。多くの人がひたすら明日以降に望みをかけて生きていくのが当たり前だ。

テレビが日夜伝えてくれる様々の情報がその縁となっているのだから有り難いと思わなくてはいけない。一方で、テレビの出現がこの世に及ぼした悪影響も考える必要があるように思うが、言っても詮無きことだし長年テレビのお陰で身過ぎ世過ぎをしてきた身とすれば言う資格は無いかもしれぬ。

2021年12月15日水曜日

人権と差別問題

 昨日から今朝にかけて真冬の寒さだったが、太陽が昇り始めると一転して小春日和となって気持ちが良い。しかしこのところ睡眠を取りすぎて却って昼間もなにかボーとしている。散歩している時は何も考えなくてもいいが、食事をした店に帽子は忘れるは、帰りの地下鉄で居眠りをして下車駅を乗り過ごす始末。いよいよボケが本格化してきたようだ。結構歩いたつもりだったが、目標としていた1万歩には千歩以上足りない。夕飯を買ってくるのも忘れていたので、結局は辻褄が合いそうだ。

ボーとした頭から離れないでいる社会問題の一つに、大統領がバイデン氏なったアメリカ政府が言い始めて世界で流行し始めた「人権問題」がある。アメリカの意図は中国批判にあるのは分かるが、日本だけでなく多くの国が同調し始めてるのが気になるところだ。中国が昔チベットのダライ・ラマ勢力一掃のために軍隊を出動して、相当な数の坊さんを殺害したことはように想像できるが、新疆ウイグル自治区のイスラム教徒を大量虐殺したとの証拠は奈辺にあるのだろう?

不満分子を囲い込んで再教育してるのは事実だろうが、これは虐殺とは言えないのではないか?千数百万人とされるイスラム教徒の1割近くの人員、百万人としている再教育施設(刑務所と同じだろう)が衛星写真で何箇所確認できてるのかも明らかになっていないようだ。2千人収容の施設でも最低500箇所で百万人。監視教育に要する人員も万人単位になることは間違いあるまい。中国側もウイグル自治区への報道陣や政府視察団も来てくれ、みたいことを言ってるのだから、日本政府要人も一見する必要がある。

都合の悪い所への案内は無いだろうが、それでも百聞は一見にしかずだ。確か昨日も書いた気がするが、何事も事実確認が必要で、アメリカ言っているのだからと言って、すぐ尻馬に乗るのは大人気なさすぎる。中国共産党の歴史が証明する通り、毛沢東時代に殺戮した中国人の数は、スターリンのそれと並んで数千万人規模に上っているも事実らしい。習近平氏が如何に毛沢東信者であろうと、国民の虐殺まで真似してるかどうかは知らない。香港で何人が虐殺されたのだろう?台湾の蔡英文総統を拉致するだろうか?今の段階で人権問題視するのは疑問視せざるを得ない。

一つ言えるのは中国にはイスラム教徒だけでなく、相当数の少数民族がいる。中国旅行は少ない経験だから分からないが、少数民族への差別はアメリカの白人優位主義、即ち有色人種への差別に比べれば少ないのではないかと勝手に想像している。民族差別の他に日本でもどの国にもありそうな社会的差別、日本は都会に暮らしていると、経済的差別以外はあまり感じないが、子どもたちに聞いてみれば意見が異なるかもしれぬ。家内がPTA役員を長くしていたので、何となく聞いたような気がする。

2021年12月14日火曜日

苦言

 野党の立憲民主を応援する立場ではあるが、今日は苦言を呈したい。現在党内では重要ポストに付いていないようだが、テレビによく登場する長妻昭氏は落ついた語り口で昔から好感を持っていた。しかし昨日テレビで放送された予算委員会の質問「これからワクチン接種を受ける国民は製薬会社を選べますか?」は頂けない。答弁に立った初めて聞く名前のワクチン担当大臣堀内詔子氏、可哀想にしどろもどろで意味不明。見かねて後藤茂之厚労相が立つが、厚労相でも蛇かミミズかはっきりしない。

当たり前なことで、現実は限られたメーカーから限られた量しか輸入できる見込みしか無いことが、説明を受けない庶民でさえ容易に想像できる。ましてや長妻氏は元厚労相、そんな窮状は百も承知の筈。そもそも昨日も書いたが、鼻くそ丸めて万金丹を喜んで服用する一般庶民がワクチンなんて高級品のメーカーを気にする筈も無いし、そんな選択肢を与えられれば困るだけだ。現在既にブースター摂取が行われ始めたとの報道はあるが、これもヤラセのようなもので、先週金曜日かかりつけ医から聞く限り、少なくとも東京豊島区の医師には何の情報も無いのが実態のようだ。医師自身が分からないのだから、我々がいつ頃から接種できるかなんて説明ができなくて当然。

それこそファイザーから6千万回分、モデルナから4千万回分とされるワクチンの輸入予定とそれに伴う配分計画を質問すべきだ。ブースター摂取についてはそれこそ毎日のように聞かされてきたのが「2回め摂取から8ヶ月後の予定を6ヶ月に繰り上げるとか、極力前倒しをして進めたいとの希望的観測ばかりで具体性は一向に見えてこない。即ち、輸入計画そのものが何処かで目詰まりを生じてるに違いない。そこを質して、混乱を避けるために協力を申し出るべきじゃないか。

国会は言葉遊びをする場ではあるまい。与野党に関わらず、国民のためにと言うならば、もう少し現実に沿った議論をすべきだ。現実は誰が見ても赤いものが黒く見えることは無い。与野党ともに先ずは現実認識を一致させた上での質疑討論を望みたい。

2021年12月13日月曜日

来年のこと

 年内にすべきことの大半が片付いたので、来年のことが気になりだした。鬼に笑われそうだが、先ず大晦日は池袋のホテルに1泊。元日は雑煮が食えるかどうか分からないが、のんびりすると同時に、娘たちにも気にするなと連絡。今年は2日に次女の家でご馳走になったが、これも取りやめ。代わりに長女一家が2日早朝挨拶に来ることになった。次女の家には年内の30日に行って孫たちと会えるかどうか分からないが、お年玉だけ置いてくることにする。

横浜で一人暮らしをしている義母も気にはなるが、先日電話で話をして来年も年賀は欠礼させて頂くことになった。何もかも少し変則になるが、これも孫たちの成長やら何やら環境が変わってきてると勝手に自己弁護に理屈付をしている。伊勢参りも来年行かないとすればもう3年目になる。本音は何もかも億劫になっているに過ぎないのだろう。一昨日のリモート懇談では友人たちが、もう今シーズンのスキーについて話していたが、ゴルフと同じで、行こうと誘われても、もう断ることになりそうだ。

先週予定用小手帳を買ってきたが、来年の予定としては医者に行く予定の他に書くことが無い。それも寂しいとも思わなくなったことの方がむしろ寂しいことかもしれぬ。昔から向上心が少なかったようにも思うが、毎日のようにネットで遊んでいる囲碁も7級と6級の間で勝ったり負けたりして、もうこれ以上強くはなれない、俺には無理と思い始めた。でもゴルフやスキーと異なり、負けても苛つかなくなったので、これは続けられるだろう。

読書も、今年これまでに読後感をネットに上げた本は16冊。12月は次女から借りたくだらない本ばかり読んでいるので、読後感はこれ以上増えないだろう。来年はこの延長で、読後感はもっと少なくなる筈だ。世相や政治に対する関心も徐々に薄くなって来てるので、ブログも休みが増える可能性が高い。テレビでは高齢者に向かってコマーシャルが呼びかける。「元気を取り戻そう」「若返ります」

昔は「鼻くそ丸めて万金丹」とよく言ったりしてたが、現代のテレビコマーシャルを観て、思わず購入に走る人はどんな人だろう?同じコマーシャルが何年も継続しているといううことは、それを購入する元気な高齢者が大勢いらっしゃる証明で結構なことではある。その一人になりたいが、もうその元気は無い。朝の寒さが一層身に沁む普通の年寄になった。

2021年12月12日日曜日

老婆心ながら

 我が家の前ではないが道路工事が続いているので、玄関の真ん前に重機を積んだトラックが駐車していて何の挨拶もない。昼の買い物から帰ってきても同じ状態なので、行儀の悪い工事責任者だと思っていた。昼飯の支度をしていたら、急にドシンと音がして家が揺れた。駐車の仕方も悪いが、荷物の上げ下げもご粗末な奴らと腹立たしかった。ところが、数分後にこの揺れは地震だとテレビが報じたので、腹を立てた自分がおかしく一人笑いしてしまった。

勝手な思い込みをしたり、勘違いするのは誰にもあるだろうが、一国のリーダーにも同じことは言える。最近思うのはアメリカのバイデン大統領、何を慌てているか観てるだけで「もっと落ち着きなさい」と言いたくなる。矢継ぎ早に繰り出される会議への召集令状。招集される国の方も大変だ。毎週日曜の午後は12:30か1時間半の「NHK囲碁トーナメント」を観戦してるが、勝負どころで形勢が悪くなった方の棋士が慌て出す様子が伝わってくる。

中には少々形勢が悪くても動じた様子を見せない棋士もいるが、概ねそういったタイプの棋士が勝つようだ。今日も勝ったのは山下敬吾9段、アマチュアには真似の出来ない勝ちっぷりだった。バイデン大統領は大統領選を制したのは良かったが、その後支持率が下がりっぱなしで、国内的に厳しい状況にあるらしい。大統領は政界のキャリアが長いだけに国際的に顔も広く、外交分野で得点を稼ぎたいのだろう。

しかしなんと言っても、外交面の第1歩アフガニスタン問題で明らかに失敗をしてしまった。その負けを取り返すために中国問題での得点を狙っているのだろうが、すること全てが中途半端で、得点に繋がらないように見える。失敗を失敗と認めず、負けを負けと認めない様子、日本の安倍元首相と同じパターン。兵は引くが、経済的引き締めというカードがあるので、これでタリバンを苦しめてやる。と言っても、敵対している中国はアフガン政府を何かと面倒見ているようだ。

益々中国が憎たらしいので、今度は中国から台湾や香港を引き離すことに執念を燃やしている。曰く北京オリンピックを外交的ボイコットしてやる、或いは民主主義サミットなる会議に台湾や香港の要人を招聘して反中國を明快にさせよう。とすればするほど中途半端さが目立つだけで、世界では鼻白んでいる国が多いと思う。アメリカの半分属国のような日本でさえ、オリンピックの外交的ボイコットにはお付き合いすることを決めはしたが、日本国内では「閣僚級の派遣はしない」なんて持って回った言い方をする始末。

民主主義サミットなんてものも、翻訳すれば民主主義国家の首脳会議の筈だが、狙いとした台湾と香港からは首脳は参加しないし、アジアの盟友日本と韓国だが、日本の首相は基調演説に応じたが、韓国大統領は沈黙を守ったままだった。焦る気持ちは分かるが、頭を冷やして冷静になったほうが良さそうだ。

2021年12月11日土曜日

経緯と見切り

 昨日、3ヶ月毎に通っている掛かりつけ医に行って、おまじないのように毎朝服用している尿酸値を下げる薬を貰い、序に「どうぞ良いお年を」と言ってきた。その際計測された血圧が140と72で珍しく上が高かった。医師との問答は「普段ほかで血圧を測っていますか?」「全く測っていません」「ちょっと心配ですね、でももう暫く様子を見ましょう。」だが、言われるまでもなく心配はしていない。

むしろ着衣を直しながら聞いたことに興味がある。「先生3回目のワクチン接種はお済みですか?」「言え未だなんです。区の方からはメッセージすら来ません。多分区の方にも何の情報も無いのでしょう。」変異株に関する情報が世界を駆け巡り、3回目のワクチン接種に注目が集まる中で、日本も医療従事者には3回目摂取が開始されたと報道に騙されていた。実態は政府の計画は定まらず、中央から自治体には「予定が確定したら連絡するので、もう暫く待ってくれ。」が容易に想像できる。

首相官邸官僚と自治体職員の間には幅広い川があって、そこに架かる橋は狭いものに違いない。デジタル化が進歩すればどうにかなるかもしれぬが、長い年月が必要だろうと思わざるを得ない。日本は一時先進国ぶることが出来た時代があり、それこそ全国津々浦々に至るまで電信による通信網が整備され、田舎の村役場までFAX機が導入されたりした。これが今でも使われているらしいことが不思議だ。官邸に集まる情報の発信源はこのFAX通信に依るものかもしれない。

先日も友人との話しで、アメリカの銀行シティーバンクに勤務していた甥の話に及んだ。シティーバンクは一時日本に進出して支店も20数カ所設定、日本のリタイアメントの資金を掻っ攫おうと計画したが失敗、あっさり全店舗を閉鎖し(友人の甥も失職)さっさと計画を中止してしまったそうだ。投資した資金の帳尻がどうなったか知らぬが、古い考えを切り替える時はたとえ帳尻に損があろうと、見切りという概念は必要なのだ。

首相の演説を聴くと、いつもすごく慎重に考えながら(恐らく過去の経緯との整合だろう)一言一言区切るように発言をしている。慎重さは結構だが、決断する勇気がないように思われかねない。米国に従わざるを得ないなら致し方ないだろう。国民に支持されるかどうかは別問題だが、北京オリンピックも外交的ボイコットでもなんでもするが良い。アメリカ・バイデン大統領の世界戦略も褒められた話ではないが、彼が現職で居る限り世界はアメリカ陣営と非アメリカ陣営二分されそうだ。

アメリカ陣営にイの一番に付き従ったら何か褒美でももらえるのかな?国家戦略に計算や打算が無い国なんかありえないよ。そこを慎重に考え、後は元気を出してよ。

2021年12月10日金曜日

伝説と事実

 不思議に思っていることがある。国会で演説する議員も政府代表も全員がマスクをしたまま喋ることだ。歳をとって耳が遠くなっているので、たいへん聞き取りにくい。特に岸田首相は下を向いたまま原稿を読み上げるので、殆ど意味を汲み取れない。8日に行われた本会議の代表質問に対する答弁を詳しく知りたくて、衆議院事務局に電話で尋ねてみた。書き起こしが公開されるまでに最低でも2週間は必要と、平然と回答が来た。これがデジタル化を推進している日本国の実態だ。

現役時代にある出版社の編集長から聞いて印象に残っている言葉ある。「映像のインパクトは強いが、文字に依るものに比べると記憶に残りにくい。」正にその通りで、記録は文章での重要さが痛感される。記録と記憶が対を成すものであることと関連して、最近非常に残念に思うことがまた一つ発生した。先の大戦に関することで、我が日本国はアメリカ人の多くが思うように、戦争の仕方が非常に卑怯であったと言うことが明らかになった。

しかし今や伝説化しているアメリカへの国交断絶文書手交の遅れも、日本側には日曜午前中の奇襲が宣戦布告前に行わなければならない事情があったらしい。開戦から80年の現在、先の大戦を美化して靖国神社参拝を得意顔でする政治家も多い。戦火に倒れた兵士を悼む心はあって良いが、戦争そのものについてはもっと冷静に善悪を判断しなければならぬと思う。戦争の経過がきちんと文書化されて保存されていればそうはならない。

しかし戦争について大きな責任を追うべき日本帝国の陸海軍は、1945年8月15日で最高責任者が自決したりして、系統だった資料は殆ど散逸させてしまった。だから終戦から76年も経って、未だにポツンポツンと、これが真相のような報道が行われている。本当に恥ずべき国で、どの面下げて偉そうに「敵基地攻撃能力の検討」だ。先の大戦でも1941年の年末から約半年は各地で善戦したとの伝説に染まったのも事実。我ながら恥ずかしい。

こんな気持にならざるを得なかったのは次の記事を読んだからだ。「12月8日、日本軍はマレー半島東岸のタイのシンゴラにも上陸しています。しかし、その前年に日本はタイの中立尊重を保証した日タイ友好和親条約を締結しています。にもかかわらず、一方的に独立国のタイに奇襲上陸したのです。ソ連軍の旧満州への侵攻は日ソ中立条約違反だと言われますが、日本はそれと同じ事をタイに行っているのです」(地理学者で歴史研究家の高嶋伸欣氏のインタビュー12月8日朝日新聞インタビュー)から引用

上記は元外務官僚天木直人氏のメルマガからの引用だが、天木氏も真珠湾攻撃より2時間ほど前に陸軍がマレー半島に上陸してたことはご存知だったようだが、タイ国侵略は今回はじめて知ったとのこと。奇襲による虐殺と現地での強奪、日本人が他国の人権侵害など言える立場ではないと思う。

2021年12月9日木曜日

宇宙旅行時代

 わが故郷は長野県、江戸時代は信濃と呼ばれた広い地域を指すが、信濃には数多くの小さな藩(当時で言えば国)があり、幕府や旗本の直轄地も多く、この地域の武士や農民、はたまた商人、職人にも大身上の人間はいなかったろう。故に明治維新後75年目にして誕生した我が幼き日の友人にも、若干のお金持ち、或いは資産家とでも言うべきか、家庭の子弟はいたが、近寄りがたいほどの大金持ち家庭の子はいなかった。

お前が言う大金持ちとは?と聞かれる前に言えば、東京に来ると何人も居ると思うが、ポピュラーなところでは先ず鳩山家の坊っちゃんや麻生家の坊っちゃんなんかがそうだろう。出来ればお近づきにもなりたいが、不幸にして一生ご縁は無さそうだ。お近づきにはなれなくても、大金持ちの話は聞いて気持ちが良い。数年前には大学の周年事業に30億円寄付をした人がいるなんてことも聞いたが、その時話をしてくれた友人が言うには「昔は学部一つ寄付した人もいたがな。」とやや不満そうでもあった。

しかし今朝聞いた現代の大金持ち前澤友作氏(46)に関しては、楽しい思いがする。氏は鳩山家や麻生家のような資産家の出身ではなく、ごく普通の家庭の出身、学歴も東大とか学習院ではなく、大学もでたかどうかも定かでない。しかしインターネット上のビジネス「ZOZOTOWN」(残念ながら如何なるビジネスか説明できない)で成功を収めた。Wikiに紹介されている職業には、ミュージシャン(ドラマー)となっているから本当に無縁の世界の住民だ。

この人物がロシアの開発したロケットに乗船して宇宙船に到達、これから10数日間の宇宙旅行を楽しむとのこと。彼からすれば貧乏人かもしれぬが、実に羨ましい。同年輩の偉人がノーベル賞を受賞するのも羨ましいが、羨ましさの種類が異なる。前澤氏が先のノーベル賞受賞者のように、国籍を捨ててハリウッドに住むと言えば、羨ましさも半減するだろうが、これからも日本人として生きてくれるなら、丁度我が子どもたちの世代でもあり、大いに応援したい。

未だ長い人生だろうが、今の段階ではやりたいことも多いだろう。今後もやりたいことを存分にやって生きてもらいたい。結果何が残るかは問題ではない。一つ余計なこと言えば「刑務所に送られるようなことはしないように」。聞けば、今回ロシア入国に際して腕時計を腕にしてなかったばかりに密輸の疑いで没収されたそうだ。何でも1億円の時計で、イーロン・マスク氏も愛用してるものらしい。前澤氏は時計一つのことで揉めるつもりはないだろう。

似たような人物で堀江貴文氏は残念だったが、彼にも未だ長い人生が残されている。

2021年12月8日水曜日

敵と味方

 このところ昔の悪い癖が戻って一人で飲むことが多くなってしまった。昨夜も夕食時に軽く飲んでしまったので帰宅が9時前頃と遅くなってしまった。テレビ(BS・フジ「プライムニュース」)をつけると、なんと安倍元総理がなにか喋っている。この御仁確かに身体は悪そうだ、顔色がどす黒くて無残な顔だった。局にすれば自民党最大派閥のボスに返り咲いた祝のつもりで出演依頼したのだろうが、視聴しているこちらが恥ずかしくなるようなベンチャラだ。フジグループの日枝会長とどんなに親しいか知らぬが、公私混同も甚だしい。

安倍氏の発言に今更イチャモンつけても始まらないので、安倍氏が話していた内容即ち日本の外交政策について少し私見を書きたい。世界は今、米中露3ヶ国のファミリー国の囲い込競争時代だ。アメリカは中露2国を牽制して日本にも働きかけを強めているし、今後もプレッシャーは益々強くなるだろう。当面は北京オリンピックの外交的ボイコット、これへの対応が見ものだがどうなることやらだ。

日本はこれまで、総評論家国家と言えるほど自国の立場を曖昧にして、他国に関して呑気な評論をしてきたが、こうなると評論では済まず、はっきりした意思決定が求められる。テレビの情報番組でしたり顔の評論家は多数いるが、彼等のうちで本当に他国の事が分かって日本の外交を論じている人間がどれほど居るかが気になる。米中問題然り、米露問題も同じ。特に最近は軍事問題が顕在化してきたので、日本は気楽にアメリカに言われるまま「はい分かりました」では済まないような気がする。

敵基地攻撃能力云々の声が国内でも大きくなりつつあるが、日本の敵国は一体どの国を指すのか?昨日ちょっと観ただけのテレビで、安倍氏は得意顔で言っていた。「私は中国とロシアが仲良くならないよう、いろいろ気を使ってきました。」これが与党最大派閥を率いるボスの発言であり、世界中でどう受け止められたか、これから段々分かってくるだろうが、なにか空恐ろしさを感じてならない。

2021年12月7日火曜日

無条件降伏

 やっと国会が開催されて、岸田首相が改めて所信表明演説を行った。所信表明演説に「改めて」と枕がつくのはおかしいが所信は初信ではないとの反論もあるだろう。内容は多岐に亘るのだろうが、詳しく書くだけの理解はしていない。恐らく多くの市民も同じだろう。少し政治に関心を持つ人ならば、所信表明で全く触れられず、共産党の志位委員長が指摘した防衛費予算の急拡大かも知れぬ。テレビや印刷媒体で何回も繰り返される解説より、表明されない事実に重要な意味がある典型例だ。

政治家が多くを語れば語るほど一般市民の感心は薄れ、何が政治課題か分からなくなるのは当たり前で、語った方からもそれが狙いかもしれない。政治に未だ少し関心を持つ身として気になるのは「政治とカネ」の問題だが、これも維新がマスコミに仕掛けた巧妙な罠が功を奏して、世論は多分に矮小化された問題に終始して、核心を外した論議で終始している。問題の本質は、政治に必要な「お金」は如何程で、政党助成金とは何だったか、と言うところに来なければ無意味だ。

日本は未だにマッカーサー元帥が半世紀以上前に言った14歳の少年で、産業も政府の税金に依る支援が無ければ一本立ちできない国家なのだ。故に税金が政府→産業界→政府与党と岸田流に言えば好循環を繰り返している。と言うのがこの世におさらばする前に辿り着いた愚考だ。更に突き詰めれば、何故大人になりきれないかだ。その原因も単純に理解している。即ち、全ては先の大戦の「無条件降伏」にある。

一部の人は「天皇に罪を及ぼさず、国体を維持できたから無条件ではなかった」とするかも知れぬ。しかしこれは後付の詭弁で、実態を覆い隠す意味で質が悪く罪深い。話が逸れたので本題の施政方針に戻す。

所信表明で示された課題に優先順位は無い。100回以上になる国会での慣例だから良いじゃないか、と思う人も多いだろうが、これも半世紀以上前に習ったマーケティングの基本理論で言うとダメなのだ。問題点が多数ある時、その中で最重要課題を見つけることがリーダーの役割で、この解決が無ければ永遠に問題点は無くならない、即ち経営の破綻に繋がるとしたものだ。

現在の最優先課題は「国民の命ひいては全人類の命」だと思うが、これには異論もあるだろう。「命より健康が大事か?」とむかし家内に笑われたこともあるし、命よりお金だと言う人もいるだろう。中には国家だと言い出す人も多いようだ。今日の孫崎享氏のメルマガに下記の興味深い記事があったので引用したい。日露戦争が勃発した1904年の数ヶ月後にロシアの作家トルストイがロンドン・タイムズに寄稿した文章からである。「前略:本来的に日本・ロシアに死活的利益はない。しかし、当時の知識人は戦争を煽った。:後略」

孫崎氏はこう結ぶ「武力衝突を避けることが「人の命」を守る点で重要にもかかわらず、かつ衝突を避ける道はあるにもかかわらず、衝突を煽る人々がいて、いつの間にか、それが国論になる。」

2021年12月6日月曜日

歯科医療

 今日は半年ぶりの歯科医の検診日、と言ってもいつも通りの清掃だけで済む筈で、そのつもりで出かけた。ところが、担当してくれた女性医師か卵か分からぬお嬢さんが、一通り終了のあとで妙に真剣に右上の少し奥まった歯について説明し始めた。この歯が傷んでいるのは既に1年以上前から指摘されていて、自覚もあった。何でも割れていることは分かっていたので、硬いものは専ら左側で処理して右側は最近ほとんど使わなくなっていたところだ。

手鏡を持たされて説明をしてくれたが、その割れ目が何処にどう入っているかは判別できない。彼女が言うには、半年前より大きく広がっているので、近い将来歯茎が腫れてくるかも知れないし、左側だけに負担がかかると左側のインプラントに障害が起きるかも知れないとのこと。「先生に診てもらって相談してください。」が結論。聞くと、この歯は自前の歯で、しかも隣が人工歯、即ちブリッジの柱になってるらしい。

確かに身体は口中に限らず、左右のバランスが大事だろうから放っておいて良い訳がない。耳が遠くなったり目が近くなるのも厄介だが、歯となると食事への影響大だから、ある意味で生命にも触ってくるだろう。何れはどうにかせにゃいかんなとは思っていた。だいたい我が口中に自前の歯が何本あるか、聞くのも怖いので今日は聞かなかったが、恐らく10本も無いかも知れぬ。

先生に相談の結果はどうなるか聞いてみた。「一番良いのは、やはりインプラントでしょうね。」こちらが嫌な顔をしたので「他にも方法はあると思いますので、とにかく先生とご相談願います。」と言うことで来年1月17日に診察を受けることになってしまった。後何年生きるか分からないのだからと言っても、相談すれば結局インプラントを選択しそうな気もする。

左下5本をインプラント化したのは確か家内存命中だったと思うので、少なくとも4年以上前になる。インプラントは費用が大きいのも難点の一つだ。前回は5本で100万円ちょっとだったと記憶するので、今度は3本なら上手くいっても60万く円程度にはなるだろう。歯科医療は健康保険の対象外がまた腹立たしい。それ以上に気が乗らない理由は治療期間が確か1年以上掛かったことだ。年明け早々嫌な決断を迫られるので気が重い。

2021年12月5日日曜日

マスコミが嵌った陥穽

 今年も間もなく80年前の真珠湾攻撃の日がやってくる。終戦後の76年間、この長い期間で開戦の責任については様々な角度からの追求が行われてきたが、その責任は未だに明らかになっていないとも言える。恐らく我が生涯のうちにはっきりすることはないのだろう。これが日本人の特徴と言えるかも知れぬが、たまたま一昨日の朝日新聞デジタルに興味深い記事を見つけた。

題して<フェイクをうんだ大本営とメディア いま向き合うべき「報道責任」>。要約すれば、国民の多くが開戦を望むように仕向けた責任は報道機関にある、との自己批判的な記事だ。この記事を書いた編集者がこうも言っている。「この連載を始めたきっかけは、私が東京本社編集局長だった2006年に受け取った読者からの一通の投書だった。「私が小さな頃、祖父が口癖のように言っていたのを思い出します。朝日の論調が変わったら気をつけろ、と」祖父の警告が、今回真っ先に配信される「社論の転換」、つまり1931年の満州事変を境に、軍部批判から戦争の翼賛に転じた朝日新聞の変貌を指すことは明らかだった。

結局、世論はマスコミが作り出すことだけは昔も今も変わらない。現在流行している新型ウィルスと同じように、マスメディアもいつの間にか相当な変異をして、全国民の脳裏に浸透してしまったと言いたいのだろう。マスメディアが生命を持たないウィルスと同じでは困るが、朝日の記者が検証したように、かなりの知識人で構成されている朝日新聞でさえ、国民の脳に浸透しやすいように変身した事実がある。

メディア関係者に「世論に抗しうる信念を持て」なんて綺麗事を言っても通用しない。昔も今もメディア関係者は「真実を追求する」との理念は持ち、実行してるつもりの筈だ。それが何故数多いメディアの大部分が、自ら掘った穴に嵌るようにして同じ方向に向いてしまったのか?現在我が国の右傾化傾向に対して、マスコミは好んで中道派の理性に期待するかのような論調になっている。この現象こそ、小生には自ら墓穴を掘っているようにしか見えない。

山本七平氏の「空気の研究」でも解けなかった永遠の謎のようになっている。故に先の総選挙で、比例は共産党に投じた次第だ。

2021年12月3日金曜日

軽度認知障害(MCI)

 個人的には「正義」と「不正義」、或いは社会体制上の「民主主義」と「専制主義」なんてことは大体分かっているつもりだった。しかしこの歳になると軽度認知障害(MCI)が出始めて、その境界線ぼやけてきた。今日の午後テレビ(NHKBS1だったと思う)でこの言葉を知った。早い人は60歳頃からなってもおかしくないようだ。対策としてワクチン開発に当たっている先生(メモをしていないのでお名前は失念)が仰るには、開発中の経口薬としてのワクチンが承認されたら50歳から服用するのが理想だそうだ。

軽度認知障害の患者数は厚生省でも把握しきれていないが、物忘れが激しくなっている小生も入るとすれば、既に1千万人は超すだろう。そしてこれは今後増える一方で、大きな社会問題になりかねない。老化現象について触れた序でもう一つ。別の先生だったと思うが、如何なる病気も対処法の基本は食事と睡眠と運動の組み合わせしか無いそうだ。今日観たテレビで勉強したのは、先ず睡眠の重要性。将来アルツハイマー病を発症するかも知れない悪質な蛋白質か微生物かは忘れたが、人間の体にはこれらを排除する物質が備わっている。

しかし、これを機能させるには7時間程度の睡眠を取ることが必要で、睡眠が不足するとどうしてそれが機能しなくなる。もう一つはアルツハイマー病は脳神経が犯される病気ではあるが、脳と消化器(特に腸のようだが)は密接な繋がりがあって、先に書いたように対抗するワクチンを腸に吸収させて、悪い蛋白をやっつける物質を作り出すらしい。年寄りの常として、ボケに対する恐怖が強いので長々と書いてしまった。

本当に書きたかったのは、現在日本のマスコミの間で急速に広がり始めた嫌中国、嫌習近平、嫌共産党報道についてだ。冒頭に書いたようにアメリカが唱える「民主主義」が「正義」であり、「専制国家の中国」のなす事が全て「不正義」と断定するのは分かりやすいと言えばそうだが、果たしてそれで良いのだろうか?一昔前であれば、こちらの頭ももう少しまともだったろうから、どちらに理があるか判断できたかもしれぬ。

しかしバイデン大統領は79歳、習近平主席は68歳、どちらも相当なお歳であることだけは間違いない。先に述べたMCIの心配が無いという方に無理がある。このことは日本国民の好き嫌いとは無関係と言えばそれまでだが、何となく気になってしまう。因みに、先日台湾独立派の諸先生とのリモート会議で、中国政府を厳しく牽制した我が日本政界の大長老安倍晋三閣下、年齢は67歳と習近平氏とほぼ同じだが、記憶力の相違は分からない。言えるのはご自身の発言に極めて無責任なことだ。

この大人物を政界の重要ポストに置いておく、政治家やマスコミ関係者の神経が理解できない。

*明日のブログはお休みします。乞寛恕

2021年12月2日木曜日

子供じみた大国

 今年の正月も年賀行事が少ない特別な正月だったが、来年の正月も同様になりそうだ。

現状ではコロナ新規感染者数は過去最低の水準にある。ところが先月末以来南アフリカに端を発した新たな変異ウィルス(オミクロン株)が世界に拡散し、ついに日本でも感染者が確認されてしまった。この騒動を受け政府は国民のためを思ってだろうが、コロナの新規感染者数が減っている現状に鑑み解除した都道府県をまたぐ旅行制限を出来るだけ失効させない代わりに、海外からの入国を厳しくし始めている。

新たな病原菌に対して水際での撃退に迅速に着手するのは褒められるべきことだ。しかしオミクロン株が既に国内で相当蔓延し始めているとすれば、現在国内で行われている制限解除の方向が仇になりかねない。我が家の一族は比較的慎重な様子だが、このところ街で見ていると、JRのみどりの窓口は結構行列が出来るようになってきている。年末年始の旅行シーズン間近だから当然だが、専門家が来月中旬以降に来るのではと予言している第6波が小規模で済むことを祈りたい。

世界中がオミクロン株を心配する中で再来月開催が予定されている北京冬季オリンピック。中国は開催できると強気だし、政治と無関係であるべきともされるイベントだが、もろに政治の影響でアメリカから外交ボイコットなる聞き慣れない言葉が発出された。即ち選手団は派遣するが政府関係者は出席しないとのこと。これに対抗して取った中国の態度がこれ又子供じみたこと。外交ボイコットを目論むような国には招待状を発送しない、とのこと。

アメリカは勿論だが、中国にしても今や堂々たる大国、何でこんなに角突き合わせなくてはならぬか。小国日本の小市民の一人として本当に悲しくなる。更に今朝の報道に依れば、EUが中国の一帯一路戦略に対抗して、途上故国に対して「グローバル・ゲートウェー」と名付けた38兆円のインフラ投資をすると発表したとのこと。途上国支援はどこの国が行おうと悪いことではないが、環境破壊が進むことだけは間違いない。

途上国支援とか投資とか大国は言っても所詮は綺麗事、自らの権益利益を追求するに他ならない。結果途上国に確実にもたらされるものが、環境破壊の他にやむを得ないことかも知れぬが格差の拡大がある。我が国にはそこまで大それた発想は無いが、分断されつつある世界の中でアメリカ一辺倒が当たり前になっていくのが何とも悲しいことだ。

2021年12月1日水曜日

老いの実感

 昨日立憲民主党の新代表が決まったが、マスコミ報道は軒並み前途多難を予想している。問題点は多そうだが、中で最大の問題は共産党との共闘に反対している連合との股裂き状態。現役時代4度も就職先を変えたが、組合のある会社はゼロ。故に連合なる組織が分からない。社会に出たばかりの頃には、労組と言えば総評と決まったようなものだと思っていたが、実際は色々あって後に統合して連合になったようだ。

初代会長は山岸章氏、発足当時は連合が独自に衆議院議員を擁立したこともあったようだが、結局はゼロになり、結局は小沢一郎氏の民主党支持母体になったりして複雑な経緯を辿り、現在も立憲の支持母体とは言いながら、存在感を示すつもりかどうか、何かと政治に嘴を突っ込んでいる。何れにしても泉氏は47歳、我が身で思えば最初の会社を辞めた年齢に当たる。何でも良いからやりたいことを好きにすれば良い。

若さは誰にも奪えない圧倒的なアドバンテージで、引き換え「老化」は抗いようが無いのが悲しい定めだ。実は昨日2年振り近いと思うが国会図書館に行った。国会図書館は散歩には最適で、最寄り駅の有楽町線永田町駅から地上に出る階段が120段以上になっているのがお気に入りになっている。駅から外に出ると目の前は国会を取り巻く春は桜だが、昨日は銀杏並木の黄葉が目を楽しませてくれた。

ここまでは良かったが、問題はここからだ。国会図書館はデジタル化が相当進んでいて、読みたい本は館内のパソコンで検索して申し込む手続きが必要になっている。勿論コロナ以前には最低でも月に1回位は通っていたので、手続きは全部頭に入っているつもりだった。ところがギッチョン、会員証をパソコン上にセットしてログインすると、パスワードが違ってログインできない。「どうして!?」と何回かトライするが全部ダメ。

仕方ないので受付に行って事情を説明して新しいパスワードを発光してもらうハメに。ようやくパソコンは繋がったが、今度は図書の閲覧申込みで又職員のお世話になった。何とも情けない限り、自分ではしっかり記憶してるつもりでも相当ボケは進んでいる。図書館は入場者を予約制にしたりして人数を制限しているので、普段より空いていて気持ちが良かったが、老いを実感する場になるとは思ってもいなかった。

足許も大分怪しくなっている可能性が高い。帰り道は永田町駅の階段を敬遠して平らな道を麹町まで歩くことにした。