2015年1月31日土曜日

通信機器の不思議

スマホの依存症になる若者たちが増えているようだが、自分もパソコンの依存症みたいでお恥ずかしい限りだ。しかし考えてみるとこのインターネットなる代物、誰が考えたか、どのような仕掛けになっているか、皆目分からないが恐ろしいものだ。先ず碁会所に行かなくても四六時中囲碁が打てる。しかも手合いが同レベルの対局相手を瞬時に選んで組み合わせてくれる。時によってはその相手が地球の裏側に居ることさえある。

今や当たり前のこととして何の疑問も抱かずにいるが、20年位前には想像すらしなかったことだ。まるで鎌倉か室町時代の日本のような国の取り合いや殺し合いを演じている遠い砂漠にすむ民族でさえ、この通信システムを利用していることも不思議でならない。現代の戦争は兵器の発達で、人間はおろか都市そのものが滅茶苦茶に破壊されるように見えるのだが、そんな中でどのようにして、重要度から言えば比較的低いインフラと思われる通信環境が確保されるのだろう?

通信機能は基本的に線が繋がっていないとうまく機能しない、と小学生以下の知識で考えていたが、よく考えてみると、ポケットに入っている携帯電話は線が無いのに話が出来ている。パソコンも少し前まではしっかり電話線で繋がっていたが、最近はその電話線が家庭内の1か所まで来ているが、そこから複数のパソコンに無線で繋がっている。要するに必ずしも線は必要ないのかもしれない。砂漠の民族の中には、平和国家のボケ老人とは比べものにならぬ高い電子工学知識を持つものが居るのだろう。

金星まで飛ばしたロケットを無線で操縦する時代だ。諸外国は一様にこの分野の強化に励み、北朝鮮なんかも相当力を入れていると仄聞する。ある意味で凄く結構なことではないか。無線で相手国の通信システムを乗っ取ることが出来れば、大勢の人間を殺傷せずに相手国の戦闘能力を無力化できるだろう。原子爆弾なんかの開発をやめて、そっちに傾注すること薦めたいが、まあできない理由があるのだろう。

つい先日、携帯に不愉快な電話が来たので、その番号の着信拒否設定をしようと、あれこれボタンを弄っているうちに<全機能停止>が表示されて、何処を触っても一切反応しなくなってしまった。結局ドコモショップに出向いて解除してもらう羽目に。若いお兄さんが目の前でものの5分と掛からずに解除してくれた。序でに着信拒否の設定もしてもらったが、暗証番号の入力を求められて、また慌ててしまった。設定した覚えがないと言っても「いえ、必ずして頂いています。これはと思う番号で試してください。」とのこと。

銀行などで使う度に更新を求められる番号を入力すると合っていた。暗証番号は一定期間で必ず更新しましょう、なんて言われても誰が更新なんかするものか、である。

2015年1月30日金曜日

気の持ちようだ

終日雪になったり霙になったりで気温が全く上がらない。パソコンでニュースを見ていると気分まで落ち込みかねない。外に出ると道が滑ってあぶないので、流石に池袋まで歩くのはやめて久し振りに地下鉄で行ってみた。店も空いているだろうと思いきや、やはり都会の集客力は凄いものだ。時間帯も良かったのだろうが、デパートの食堂はどこも超満員で入場待ちの行列が出来ている。懐も寒いのだが、こんな日こそお腹も気持ちも暖かくしなければいけないと思って、和風スパゲッティ―屋で昼にしては豪華に食べてしまった。

スパゲッティ―も美味かったが、2杯も飲んだほうじ茶とデザートのあんころ団子で何とも言えず暖かくなった。明日は明るい日になることだろう。最近つくづく思うのだが何事も気の持ちようだ。昨日メジャー野球選手のイチロー君がマリーンズに移籍とのことで球団の記者会見が日本で開かれた。彼曰く「25才でも40歳に見える人もいるし、40歳になっても25歳の若さを保っている人もいる。私はそれを目指して頑張りたい。」彼のみならず最近の運動選手は大概とてもしっかりして、実にうまいことを言う。

オジサンやオバサン選手は当然にしても、10代20代の選手の話に感心することが多い。イチロー君に触発されたわけでもないが、来週は古い友人たちと志賀高原でスキーをすることになっている。寒いとばかり言っていられない。元気を出さずばなるまい。それにしても国民を勇気づけてくれるのが運動選手ばかりで、政治家の話を聞いていると情けなくなるのは困ったことだ。

2015年1月29日木曜日

観劇感想【奇跡の歌姫「渡辺はま子」】

映画は昔から好きだったが、最近は観たい映画に出くわさないので、映画館に足を運ぶのは1年に精々1回か2回ぐらいのものだし、観劇の趣味は昔から無いに等しい。結婚相手がそっちの趣味をお持ちだったので、何回かお付き合いして程度のことである。ところが、この暮れから今月にかけて不思議なことに劇場を何回か訪れることになった。まず最初は孫の幼稚園のクリスマス会、このブログにも書いたが12月中頃だった。次が暮れも押し迫った頃暇つぶしに映画でもと思ったが碌な映画が無かったので、ならばいっそ新歌舞伎座の中を見たいとの好奇心から、何十年かぶりで歌舞伎を4階の立見席から2幕だけ観たものだ。

そして昨日、今度は横浜のみなとみらい地区にあるランドマークホールに赴き、横浜夢座15周年記念公演『奇跡の歌姫「渡辺はま子」』を観劇してきた。真冬の寒い日に滅多に出向かない横浜まで出かけたのは訳がある。大卒後最初に就職した広告会社の制作部長だった先輩が薦めてくれたのだ。この芝居の脚本を手がけた(山崎洋子さん)が同じ会社に勤務していたコピーライターで、昔は部長の部下に当たる人だったとのこと。記憶に無いかと言われても、全く思い出せない。芝居内容も面白いぞとの話もあったので、それではと出かけた次第。

横浜は久し振りでもあり、みなとみらい地区やランドマークタワーについて話には聞いていたが、行ったのは初めてである。新しく作られた都市だけに街全体に異国情緒を感じてしまった。しかし時間的には1時間足らずと意外に近い。東急東横線に乗り入れている東京メトロの副都心線で乗り換えなしで行ける。東横線では嘗ての桜木町駅がみなとみらい駅になったらしくて分かりやすい。下車駅が既にクイーンズスクエア横浜なる大型の複合施設で、その中のタイ飯屋で昼食を摂った。池袋ではお目に掛かれない広い店だったが客が全然少ない。

時間的に13時ではあったが、それにしても席が空き過ぎて、これも異国情緒になっていたのかもしれない。横浜と言えば首都圏の都会の筈だ。それでも都心と外れではこうも違うのか、地方再生なんて掛け声だけでは地域格差の解消なんて容易ではないだろうとしみじみ思う。しかし芝居会場ランドマークホールに行くとこれまたびっくりする豪華さ。大きな複合施設の5階でキャパは400席程度と思うが、満席である。今度は逆に、昨年末池袋で寄席に行った時の寂しさを思い出して複雑な気持ちになってしまう。

余計なことばかり書いてしまった、肝心の芝居について。先ず芝居や役者の良し悪しについては全く論じる資格も無いし、つもりも無い。主役が名前だけはきいたことがある五大路子さん。主役でもあり座長でもあって、15周年とあるから長いことここで演劇活動を続けているのだろう。婆さんはよく知っていて、行くか行くまいかと逡巡してた時に背中を押してくれた。芝居の内容をごく簡単に言えば、戦後の人気歌手渡辺はま子が歌ってヒットした曲「あゝモンテンルパの夜は更けて」の誕生秘話である。

歌手の名前も曲そのものも微かながら記憶にあり、フィリピンの捕虜収容所と関係があることまでは知っていたが、それ以上のことは全く知らなかった。しかし観劇中に涙が零れ落ちて困るほど心を打つものがあった。話は昭和20年代半ばから後半にかけてのことである。既にすっかり忘却の彼方に沈んでいるが、小学校高学年になっている時代なので、少しの刺激で当時の生活について記憶が甦ってくる。座長も脚本家の山崎さんも当然ながら小生よりはお若い筈。なのによくここまで心のひだを衝いてきたものだ。

一つには歌手「渡辺はま子」の性格や人生そのものが感動的であり、二つ目には座長や脚本家或いは制作に関わる大勢が、そのことに思いを深くしている所以でもあろう。戦後70年の節目と騒がれる現在、戦争、いや戦後ですら記憶に残るところは非常に薄く、知らない人間が遥かに多くなっている。時恰も遠くの国で戦争に巻き込まれた邦人のことに世間の耳目が集まってもいる。少し離れて考えれば、再び戦争に巻き込まれつつあることでもあろう。

経験からすると、人間は苦しく悲しいことはできるだけ早く忘れようとするものらしい。戦中戦後苦労された人の多くは、苦労について語ることが少なかったのではなかろうか。しかし、国家も同じでいいのだろうか?この芝居を観て、忘れてはいけないことがあるとの思いが強い。現在の政治動向を見ていると不安が増すばかりだ。

脚本を書いた作家の山崎さんはパンフレットに一文を寄せ「戦争責任は、すべての大人が担うべきだと、私は思う。」と書いている。一人でも多くの人に観劇を薦めたい芝居だった。

2015年1月28日水曜日

島国である故に

日本は太平洋の西端に浮かぶ島国で気候が比較的温暖なことから、昔から自給自足が可能で、自国内を食いつぶして他国を侵略する発想は比較的少なかったと理解している。倭寇の跋扈や豊臣秀吉の朝鮮侵略はむしろ例外で、海外(外国)とは交易を通じて豊かさを求める姿勢が主流であったと思う。従って一部の知識人を別にすれば、海外情報に関しての関心も薄く、海外事情には疎い国民性は仕方あるまい。

と勝手に国民性を規定すれば、自分は典型的な日本人と言える。現在は21世紀となっているが、150年前の19世紀中頃、急に(と日本人は思ったに違いない)欧米人が日本に来て無理難題(と受け止めたと思う)を吹きかけてきた。平均的日本の役人(官僚や政治家と言うべきか)はさぞびっくりしただろう。一般庶民はどうだったか?海外事情なんぞ全く関係ない世界で生きている訳だから、役人の慌てぶりを面白がって見ていたかもしれぬ。

現在の我が身とどこが違うのだろう、何も変わらないようなものだ。欧米人は古来我が国を黄金国ジパングと称して憧れたようだが、気持ちが分からなくもない。現代の兵器を使えば、海に浮かぶ島国でも攻略することは可能だろうが、占領して統治するとなれば相当な補給線を確保する必要があってかなり厄介だろう。侵略が得意の欧米人にとっても、戦争に勝っても本格的侵略は難しいのだろう。1945年の終戦当時もそのような判断がなされたに違いあるまい。

先住日本人にとっては実に有難い地理的条件ではないか。世界情勢をあまり気にせずぬくぬくと生活できる国土に感謝せずにはいられない。現代は通信技術の発達で、一般庶民にも100年以上前とは比べものにならない海外情報がもたらされている。知識人も増え、短いコメントであっても断片的に解説を加えてもらえるので、朧げながらではあるが、海外事情を推意することも可能だ。しかし、断片的な事件が取り上げられて断片的な解説が加えられても、残念ながら(或いは幸いにもかもしれぬ)、欧米を覆っている潮流を感じることはできない。

ある人に言わせれば、今世紀は従来の国家が消滅していく世紀だとも言う。確かに中東からアフリカ、ひいては欧州の混乱を仄聞すると、人種の入り混じる世界では大変なことが起っているのかもしれぬ。昨日報道されたスペインのどこか、NATO軍の空軍基地で起きた戦闘機の墜落事故のニュース「墜落したのはギリシャのF16戦闘機、死亡したのはフランス人9人、ギリシャ人2人で、けが人は20人を超えるとみられる。」普通の日本人には一寸理解難いと言うか、イメージがし難いのではなかろうか。

それが絶海の孤島日本人のせいかもしれぬ。進取の気盛んな政治家にとってはそんな閉鎖性に我慢できず、欧米並みの普通の国となり、世界の中心で輝きたいのだろう。そうなった時に得るものと同時に失うものもありそうだが、計算はできているだろうか。学齢に達する以前には、日本人が世界中で一番優秀な民族であると教えられた。アフリカの土人に南洋の土人、更にはアラビアンナイトの主人公たちも土人と一括りにしていたが、世界から見れば日本人こそ未開人種で、何故かお金だけは沢山持っているように見えているのかもしれぬ。

兎に角「井の中の蛙」の喩えもある。島国故に外国事情も我関せず、独自の言葉だけを使って生きていける、浮世離れした国家でいられるとすれば有難いことだ。

2015年1月27日火曜日

通常国会開幕

昨日初めて聞いたが1月は逝き、2月は逃げ、3月は去ると知れと言うことがあるらしい。月に一度散髪することにしているので床屋さんに行くと、梅花の綺麗な写真が飾ってあって、同じ年の親爺さんが似たようなことを言っていた。1月早々からパッとしない年である。寝ぼけたように国会が始まったが、総理の所信表明演説すら省略されている。これも珍しいことのようだが、今日の代表質問の頭30分だけ視聴してみた。

質問者は民主党前原議員、15分間の質問に対して総理の回答が15分。イスラム国の人質事件、先の総選挙の意味、補正予算の必要性等で質問内容はまあまあと思えるが、回答が酷い。昨年から人質で脅迫されていた事実も認めないし、他に邦人の人質が居る可能性は承知していないそうだ。承知していないのだから、いる可能性もあると言うことだろうか。阪神神大戸震災20周年の当日を選んで外遊に出発したのは、事務方の日程調整の結果だから仕方ない。有志軍諸国に金をばら撒いたのは、イスラム国の惨禍を逃れた難民約1000万人を救済する国際的な義務からである。

法律に基づいて粛々と行える筈の消費税3%の増税先送りを争点に掲げての選挙の正当性は、税こそ民主主義の基本であるから当然でしょう。そして選挙の投票率が低かったのは、野党が与党を批判するだけでまともな政策提案をしなかったせいで、民主主義を守る上で非常に残念なことであった。後ろに鎮座している衆議院議長の町村氏が、選挙前に「今回の選挙について全く意味が無い」と批判していたことについては当然触れない。

補正予算は27年度予算を小さく見えるように小細工じゃないかとか、地方活性化に名を借りて商品券を配るなんて小細工は過去に何度も失敗しているばら撒きではないか、と少し具体的政策になると「それは考え方が違います。アベノミクス効果を早く達成するために確たる信念でやっています。」全く議論はかみ合わない。前原氏が「27年度予算を2月15日頃に国会に提出して年度内成立を目指す、と仄聞するが重要な予算審議だから、これこそ前例通り衆参各院で1か月ずつ合計2か月の審議を願いたい。」と要求していたが、総理が答える問題ではなかったのだろう、返事が無かったように思う。

質問中総理は全く質問者に目を向けず、只管回答用メモをめくりながら口を動かしているばかり。回答メモは官僚が作成するから予習は必要かもしれぬが、それにしても圧倒的多数を背景に弱い野党なんか相手にしていられない、時間の無駄だの風情がありありである。正に数は力、これではいくら審議に時間を掛けようが、建設的国会運営など望むべくもない。国民は今暫く我慢するしかないのだろうか。

2015年1月26日月曜日

外国かぶれの農業構造改革=農協改革?

食料自給率が40%を切る日本が果たして農業国と言えるかどうか?確たる自信を持って返答できないが、農林水産業が日本の産業基盤であった時代が長く、そのお陰で現在があることだけは間違いないだろう。我が人生の少なくとも半分以上はそのお陰の時代であり、現役社会人の大部分が食料問題に絡む仕事をさせてもらった。具体的に書けば、社会に出て初めて就職し、結局25年在席した会社が雑誌「家の光」の専属広告代理店だった。

最近ニュースで取り上げられるのでご存知の方も多いと思うが、当時は社団法人として独立していたが、家の光協会は農協の指導機関と位置付けられ、ここが発行する雑誌「家の光」は書店では売られていないが、発行部数的では全国ダントツ1位であった。故に、広告掲載の申し込みも多かった訳である。社団法人は利益を出してはいけない組織だったので、広告部門を株式会社として組織外に出していたと見ていいのだろう。即ち農協組織の末端で25年間食べさせてもらった恩義があるので、今国会の目玉と言われている標題の問題に関心を持っている。

アバウトながら記憶にあるのは、社会人になった昭和38年(1963年)当時の農家戸数は600万戸で単協(農業協同組合)数は1万2千、その上に都道府県の経済活動(事業)別連合会があって、更にその上に経済活動(事業)別の全国連と称する(信用事業だけは農林中央金庫となる)組織が乗り、その全てを「全国農協中央会」が統括する仕組みになったいた。時は正に池田勇人総理の号令一下、高度成長経済にさしかかった時期である。徐々に日本の鉱工業は目覚ましい発展を遂げ、輸出力のついた日本は徐々に食料品も輸入で賄えるようになっていくので、反比例して農家は減り始める。

当時の農協職員数が全国でどのくらいか正確な記憶はないが、最大時は40万人強ぐらいではなかったかと思う。兎に角敗戦で戦争が終わり、1億人近い国民が食べていく食料を確保するのが最優先課題であった時期が10年は続いたと思う。両親の苦労を記憶している方は未だ大分おられることだろう。次元を高めて振り返れば、占領政策で急に自作農に変わった小規模自営農家約600万世帯を取りまとめて生産を指導し、全国3千万か4千万か知らないが、全所帯に産品を効率よく届けるためには、全国で40万人程度の組織が必要であったことは非常によく理解できるだろう。

こちらが社会に出たのは既に昭和も38年なので、農業・農村が変わり始めて農協活動の最盛期が曲がり角に掛かった時だったかもしれぬ。少なくと高校卒業時の昭和34年(1959年)当時の農協やその連合会は、田舎では就職先の有力候補で難関とされていたものだ。聞けば現在農協数は既に700とか、記憶にある1万2千との違いは余りにも大きい。それでも雑誌「家の光」が未だに55万部(昭和38年当時の半分弱といったところ)も発行されていると聞くと、むしろ驚きを感じてしまう。農村と農業が変化するにつれて農協の組織形態と事業内容が変化していることは、何となく知ってはいる。農協自身も苦しんでいるのだろう。

昭和30年代後半には、その官僚的な体質に、既に農村でも批判が芽吹き始めていたのも事実だ。まして現在に至れば、組織人の大半が農業従事者でない可能性もあるだろう。ひょっとすれば、農家の解釈如何にもよるが、農家出身者ですらないかもしれない。甥っ子の一人はかつては長野県下で最も裕福だと言われた農協勤務を、大卒後5年か6年で辞めて、実家から飛び出してしまった。将来が不安だったらしい。農家に残っていのは老人が多いだろうが、それでも農協が存続しているうちは、何とか農業と農村を守ってくれているのだと思う。

従兄弟の一人は先祖伝来の田2ヘクタールを守りながら、近隣農家の耕作地2ヘクタールを預かって4ヘクタール農業を続けている。年齢は小生と同じ70代半ば、娘は二人で東京に出てしまい、一人息子は近くに住むが、現在は会社勤めの傍ら、休日に親父を手伝うだけ。しかし、従兄弟が亡くなれば間違いなく勤めを辞め、跡を継いでくれるだろう。ここ数年は不幸の時にしか会えていないが、従兄弟も米価の値下がりには困っていることだろう。納屋に入っているトラクター等の農機具だけで1千万円とか2千万円と聞いた覚えがある。

何れにせよ日本の農業や、指導的役割を果たしてきた農協に問題があるのは当事者たちはよく分かっている筈である。悩みながらも先祖伝来の土地と農業を守っていることには先ず敬意を表すべきだ。ところが昨年の末頃から急に、政権は経済改革の最優先課題として、何を思いついたか農協改革を言いだした。破綻が見え見えになってきたアベノミクス3本目の矢で、今日から始まる今国会の柱だそうだ。安倍氏の側近で構成される経済財政諮問会議やお気に入りの財界人やご用学者を集めた産業競争力会議での答申を受けてかもしれぬ。

このメンバーに日本の農業の実態を知っている人間がどれほどいるのか?多分一人もいないだろう。外国の事情には詳しく、日本の米が高いことしか知らない連中が、企業が参入しやすくするためには取り敢えず農協組織をぶっ潰してしまえと言っているようだ。そうすれば日本でも米が安く買えるようになったり、農産物の輸出が増えると思っているらしい。その時現在の農村を守っているご老人たちや農協職員にはどうしろと言うのだろう?少しは同胞のこと、或いは先祖のことに思いを致してみろ。

「ビン・ラディンさえ殺せば、アルカイダが雲散霧消してアフガニスタンに平和がもたらされる。」と全く同じ発想にしか思えない。

2015年1月25日日曜日

人質1名殺害と現政権

テレビに出て来る評論家の大部分は「この非常事態に総理を非難してどうする?国民一致して政府を支えるべきだ。」との論調が圧倒的である。「そうですかねぇ?」と言いたい。一般市民が政権の外交方針に異論があれば、今こそ声を大にすべきだと思う。今言わずにいつ言ったらいいのか。細野民主党政調会長が今朝テレビに出演して「今は原発事故と同じ非常事態だから、与野党を超えて政府を支えなくてはならない。検証は事件が一段落してから、落ち着いて国会内で議論したい。」とのこと。政治家としてはこれが正論だろう。

人質殺害がネットで公開されたのは昨夜の23時頃らしいが、深夜1時過ぎに手洗いに起きた時、婆さんの部屋のテレビがついていたようなので不吉な予感がしていた。案の定今朝5時過ぎにNHKで落語でも観ようと思ってテレビをつけると、落語の筈がニュース一色、悪い予感が的中してしまった。その後のテレビ報道を観ると、殺害予告同様この内容も事前に政府には届いていたもののようだ。形ばかり慌てふためいて見せ、真夜中にリアルタイムでテレビを観ていた家人の話では、緊急関係閣僚会議はものの5分位で、政府一丸となってその後の対策に万全を尽くすとのお決まりポーズ。総理の言葉は会議前と後とで寸分違わぬものだったらしい。

わざとらし過ぎて笑う気にもならぬ。形容詞やら形容動詞やらをやたらにちりばめた総理のお言葉。「痛恨」には深い反省の意味がありそうだが、反省の気持ちが微塵も伝わってこないのは、聞き手のこちらがおかしいのだろうか?総理を支えるマスコミの応援団も好き好んでやっているのだから本望だろう。それにしても脅迫者側を賛美はしたくないが、8500キロ以上離れた日本を事細かにウォッチしている節があるのは否めない。脅迫の段取りもやはり手馴れている。正直に言えば、たとえ世界平和のためだと言っても、怖くて余り関わりたくない。その目的の為に断固闘ったり強く要求できる総理は偉いということだろう。それで支持率が益々高くなれば、こちらの非国民的度合いが比例して高くなるが仕方ないことだ。

2015年1月23日金曜日

人質の運命?

今日も例外的に午前中のアップにする。

現在起きているイスラム国からの脅迫事件は日本国に対する脅迫であり、国家的な危機局面の筈だが、国民に対する政治家からの発信力の低さには驚くばかりだ。ざっと検索してみると、一人だけ元タレントの山本太郎氏のツイートが目につくだけで、与党も野党もまともにコメントしている現職議員は見つからない。山本氏は「2億ドルの支援を中止し、人質を救出してください」と書いている。この意見についての賛否は議論のあるところだろう。しかし頻繁に報道される政府関係者の発言が蛇かミミズか判じかねる訳のわからぬものだけに、他の政治家の意見も聞いてみたいものだ。

鈴木宗雄氏のように過去に於いて、特に外務省関係では、相当な実力を持っていた人物でも、現役を外されると殆ど1次情報は入らぬものらしい。ネットやマスコミ報道をベースにブログを書いて、現政権の外交音痴ぶりを批判している。与党に在籍している現役政治家であればマスコミに報道されない相当な情報を持っているだろうから、自ずから少しは変わった意見や感想が出てきても不思議はないし、それがこの危機的環境における責務だろう。総理は呑気なもので昨日財界の新年会に出席していたそうだが、も少し緊張感のある政治家が居てもよさそうだが、情けない話だ。

タイムリミットが今日の午後と迫っているので何が起きるか分からないが、心配している。流石に3日も経つと、マスコミで報道されない情報がネット上には多くなっている。その中でありそうだと思うのは次の話だ。「人質の後藤健二氏がイスラム国侵入をサポートしていたのが政府べったりのテレビ局(多分読売系のことだろう、事件発生以来後藤氏の情報量が群を抜いているそうだ)で、裏に政府の要請があり湯川遥菜氏の身代金交渉の為だった。」目的が相手に筒抜けだったので、最初の検問所であっさりミイラ取りがミイラとなってしまった訳だ。

この時点から政府は既に政策を間違えている訳で、その後は後藤氏宅に何度も脅迫メールが届くが、政府はこれにまともに対応しないばかりか、選挙をしたり、首脳がイスラム国の怒りの火に油をそぐようなことしてしまった。人質二人は最初から見捨てて、宗主国の覚えを良くしようと思っていたに違いないだろうとの説である。よく出来た空想かもしれぬが、事実としても驚かない。アメリカのCIAや軍隊が動いても人質の解放が実現できないのだから、情報戦での開放なんかあり得ないのは、マスコミは百も承知していながら政府発表を鸚鵡返しに流している。まともなのは、昨日イスラム国とコンタクトできるジャーナリスト常岡氏と政府から危険視されているイスラーム法学者・中田考氏を招聘した外国人特派員協会の動きだけだろう。

普段は森羅万象何でも知ったかぶりをする政治家の発信力の無さに唖然としながら、余すところ数時間以内に2人の人質に奇跡が起こることを祈らずにはいられない。

2015年1月22日木曜日

読後感「あなたのガラリアへ―聖書を読む」今井敬隆著

坊さんのことを書いた本であれば何冊か読んだが、我が家の宗派曹洞宗の開祖道元禅師の「正法眼蔵」の解説も読んだことは無い。序でに言えば僅か300字足らずとされる般若心経ですら「色即是空、空即是色」8文字しか記憶に無い。ましてキリスト教となると、教祖イエス・キリストと「アーメン」を知っているつもりだったが、イエスさんの姓はキリストでなくて、キリストは「神様」の意味と知ったのは、この本に書かれていたのではないが曲りなりにもこの本を読んだおかげである。何故イエス教でなくてキリスト教なんだろう、和訳「神教」となると「神道」と混同しやすいからか?残念ながら「アーメン」の意味も何語なのかも未だに分からない。多分「合掌」を声にするのがキリスト教の決まりだろう程度のことだ。

読書のきっかけは著者今井氏が小中高通して同窓の友人で、今でも付き合いがあることからである。著者が牧師になったことを知ったのは社会人になって相当経ってのことである。それもその筈で、氏も普通のサラリーマン生活を20年近く勤めてから牧師になっている。宗教界のことは分からないが、彼も少し変り種かもしれぬ。ともあれ、この本の恵贈を受領してから既に10ヶ月近い。送られてきて直ぐに20頁ほど読んでみたが、その後積み放しになってしまった。内容的には聖書の解説書ではなくて、著者の説教集。文書は話し言葉で平易ではあるが、基礎知識が無いので理解するのが大変なのである。

何が難しいかと言えば、聖書の背景、即ち聖書が書かれたとされるキリスト教の発祥時代の歴史的事実について知識が皆無故だ。せめて地理的背景だけでも分かればであるが、書名となった「ガラリア」がどうも地名らしいと想像できても、国名なのか地方名なのかが先ず分からない。地名ではっきり分かるのはエルサレムだけかもしれない。読み終わった今でもイエスさんは何国人であるかはっきりしない。ユダヤ人かと思い込んでいたが、ユダヤと言う国家はいつどこに存在していたのだろう?これも歴史の中に見つけることは難しそうだ。

ローマ帝国時代には文明発祥の地エジプトからメソポタミアにかけて人間が多数居住していたようで、紀元前の大凡2000年近くの間には様々な国の興亡があり、言語も多様化していったのだろう。従って人名一つとっても表記如何で多様な変化があって、登場してくる人物を系統的に記憶させるのは大変である。大体現在では富裕層ほど地球上を自由に移動するが、ロバくらいしか移動の補助機関が無かった大昔は、現在のホームレスではないが下層階級の方が必要に迫られ長距離移動をしたり、複数言語の習得をしていたのかもしれぬ。

聖書に精通するには英語は勿論ヘブライ語やらラテン語等ご苦労が多いことだろう。そこに畏友今井君が挑戦して、素人にも分かりやすく解説しようと努力してくれた訳ではある。先ずそこに敬意を表したい。

聖書はイエスさんの言動を後に弟子たちが文字に起こしたもので、古来布教に活用したようであるが、イエスさんが直接書いた原本(例えば「正法眼蔵」のような)は、若くして磔になっているのだから仕方ないのかもしれぬが、一切無いらしい。その弟子たちもいろいろで、福音書とされるイエスさんの言行録だけでも4人の筆者が4種類の聖書を書いて、同じことの筈が違った解釈から異なる表現になったりしているらしい。現代の牧師さんたちは、その日の気分かどうか分からぬが、その中から適当な文節を取り出して説教に使っているようだ。著者もその例に洩れぬだろうが、無批判に聖書を有難がらずに、適当な皮肉や批判を加えて福音としているのが如何にも信州人らしい。

結局読んでも何も分からなかったに等しいが、キリスト教も世の中が乱れて下々が塗炭のの苦しみに喘いだ時代に最下層の人間を救うとして、その階層の中から生まれきたこと。これはあらゆる宗教に共通(仏教は王様が開祖だから違うか?)することであり、救いは神に求めるのだが、結局のところ、どの宗教でも神が見守っている筈の世界には平和がもたらされることが無く、現世の苦しみは続き、死によってのみ救われる仕掛けになっている。文明が発祥して4千年、主だった宗教が出現してかれこれ2千年以上経つ現在も何も変わっていない。

「諦めて清く正しく生きなさい」が、全宗教共通の精神だろうが、著者は、神の名のもとに飲食を共にしないだけならまだしも。殺し合いにまで発展する教会や宗派の争いも古来のものであり、教会のあるべき姿に悩んでいることを説教の合間に指摘している。昨今の世相を見るにつけ誠に尤もだと思う。


2015年1月21日水曜日

敵の味方は敵

当たり前にも思えるが、考えてみると子供には分かり難いことかもしれない。そこで先人は子供たちに「さわらぬ神に祟り無し」「君子危うきに近寄らず」のような格言を示しながら、「余計なことをしてはいけませんよ」と教えたりしたのだろう。昨日から大騒ぎになり始めた「イスラム国」による邦人殺害予告の脅迫では、いろいろ考えさせられることが多い。今のところ政府はかなり慌てふためいているように見えるが、本当はどうなのだろう?

新聞テレビでは余り大きく扱われないが、昨年11月に「イスラム国」側から後藤さんの家族に約10億円の身代金を要求するメールが届き、留守家族は政府に相談もしたようだ。ここまでは政府関係者が明らかにしているが、相談を受けての対応については何も語っていない。察するに「自己責任でしょう」程度のことでまともに相談を受け止めていなかったのだろう。当然のことながら個人で対応するには余りにも金額が大きすぎる。

脅迫者側も日本国内でのやり取りを十分見届けた上で、次の手を講じるタイミングを見計らっていたに違いあるまい。結果がどのように決着するか分からないが、政府は最大10億円で済んだ国民の命を失うか、10億円以上の対価を支払うことになるかしか取る道が無くなったようだ。何をお考えになっているか知らないが、総理大臣は中東に、外務大臣はヨーロッパからウクライナに、防衛大臣はアフリカにと、この時期に選りに選って紛争地域に金をばら撒きに散っている。金持ちのバカ息子がヤクザの出入りに陣中見舞いを届けるかのようだ。

ヤクザの大親分アメリカからの命令であれば致し方も無いだろうが、そうでもなさそうだ。今まで知らんぷりを決め込んできたが、今となると人質を殺されたのでは実も蓋も無いので、親分アメリカに身代金支払いを黙認するよう必死に相談をしている最中だろう。誰が考えても、後藤さん宅への接触があった事実が判明している以上、これまでの政府の対応と今後取るべき道筋は明らかだと思うが、どうしてマスコミは「テロには屈しない」に「人命最優先で対応する」と全く正反対のお経を繰り返すしている総理の映像ばかり使うのか、鼻白むばかりである。

大体紛争なんてものは、当事者以外に原因も戦う理由も分かるものではない。ましてどちらに正義があるかなんて断言できる人間はいる筈がない。仲裁できる実力者以外は触ってはいけないのだろう。数日前にも書いたが、金持ちならまだ分かる、日本は決して金持ちではない。税金で助けてほしい国民がごまんといるのに、求められてもいない外国に出掛けて金をばら撒く神経だけは理解できないし、許せない。

挙句の果てが国連でさえの出せない遠い国の紛争に巻き込まれてしまった。中東の人々は昔から日本に比較的好意的だったとされている。なのに今後どのような災いが日本に降りかかるか知らないが、態々友人を減らして敵を作り、無用な心配ごとを増やしてくれた。どうやらこれが総理の大好きな「積極的平和主義」らしい。事件がどう展開するか分からないので、朝っぱらからブログとして書いておく。

2015年1月20日火曜日

スキー遭難事故

今日は大寒だそうで全国的に冷え込んでいる。東京でさえ寒いと言えば寒い。しかし、東京はあと1ヵ月もすれば大分寒さも和らぐことだろう。寒さに強い訳でもないが不思議なもので、この頃になると身体が慣れてくるのだろう。冬の初めのように、鼻水が止まらなかったり咳が出たりする風邪の症状が出ることが無くなってくるので、気分的には大分楽になってくる。兎に角現在の生活環境は、子供の頃を思えば極楽みたいものだ。

小中学生時代は、何処の家庭も似たようなものだったと思うが、家の中で1日中暖かい炬燵のある部屋は一間しかなかった。しかもその炬燵は1辺が高々45センチ、畳半畳にもならない小さなもの。床下に落とした火壺の藁灰の中に炭火が埋められて、布団に覆われた櫓の中だけ微かに暖まっていると言う代物。足先だけしか暖まらないが、当時は貴重な暖房器。4辺に座布団1枚ずつで4人が収容人数の限界みたいものだ。こう書けば故郷を同じくする同輩諸氏はすぐにピンとくるだろうが、子や孫にどう説明しようと彼等には想像し難いことだろう。

従って冬になると、子供は出来るだけ外で遊ぶことを薦められたか、自ら好んでそうなったかは定かでないが、兎に角極力外で遊んでいたような気がする。その意味で雪は格好の遊びを提供してくれる有難いものだった。最初は坂道や神社の境内での橇遊び、それが長じるにしたがって、長靴でスキーを履いて遊ぶようになった。これが原体験となって、70歳を過ぎた現在でも現在でも毎シーズンスキーをしている。過去いろいろなスポーツを齧ったが、一時随分夢中にもなったし最も長続きしているスポーツだ。そんなに上手になった訳でもないが、スキーが年を取っても楽しめるスポーツであることは断言できる。

しかし、スキーは昔から危険なスポーツとされていて、バランスを失って転倒、そして捻挫に骨折がつきものとされていた。スキー場内での衝突事故もスキー場にリフトが出現すると当然で、初心者でもスキー場のてっぺんに立てば降りてこざるを得ない。必然的にスキーヤー同士や、立ち木や岩に激突する事故が発生する。半世紀以上昔の志賀高原でも、1年に1件くらいの死亡事故が発生していたと思う。

何れにせよ若い時は、これに挑戦すのだから格好いいだろう、なんて馬鹿げた考えにもなったりしたものだ。若い時分は誰しも、馬鹿をすることが自慢すべきことと錯覚するものかもしれぬ。今にして思うと、スキーに熱中した時代にも大した怪我が無かったのはレジャーに徹して余り高みを目指さなかったこともあるが、運が良かったとすべきかもしれぬ。最近は年相応のスキーを心掛けているが、それでも衝突事故などひやりとすることがある。

ここ数日ニュースになっている「バックカントリースキー」は全く次元が違うスポーツと思うし、新雪を滑ることがそんなに楽しいかどうかは分からない。昨日NHK21時台のニュースでインタヴューに答えた冒険スキーヤーを自称する三浦雄一郎氏が「こんな素晴らしいことはない。」と冒頭で語った。あとで取ってつけたように「危険を察知したらすぐに引き返すことです。」と付け加えたが、こんないい加減な話は無いだろう。だからNHKはどうしようもないと言われるのだ。

何を考えているか知る由も無いが、遭難した人の年齢を見ると結構なお年だ。当然自己責任の積もりだろうが、傍の人の迷惑は計り知れない。以て他山の石として、そろそろスキーそのものも考え頃かと思ったりしてしまう。

2015年1月19日月曜日

差し迫りつつある問題

年齢が年齢だけに政府の予算方針で介護関係費の削減がどうしても気になる。兄弟うちでも今のところは、要介護認定も比較的低いランクの者ばかりで、デイサービスを週に1回とか2回とか、その程度で済んではいる。我が家は幸い婆さんが未だ健在で、朝晩の飯を初めとして家事全般を取り仕切ってくれているが、これとていつまで続くか分からないし、逆にこちらがいつ倒れてもおかしくない。

昨年末の29日の朝、近くの医者の玄関前で倒れているお婆さんを助け起こしたことがあった。あとで聞くと、そのお医者さんは当日から年末のお休みのつもりだったらしい。それを知らずに来たお婆さんが縁石に躓いて倒れ込んで動けなくなったとのことで、助けを求められた。冷たい雨が降る日だった。傘を放り出して駆け寄って助け起こそうとしたが、力不足で抱き起せない。運よく大工さんの軽トラックが通り掛かり、二人でやっと起こすことが出来た。テレビなんかでよく見ているが、この時初めて介護の大変さを実感した。

実は昨日早朝、今度は近くのコンビニの前で倒れて意識を無くしているお爺さんを見てしまった。幸い既に救急車が向かって来るのが見えたので、立ち止まらず通り過ぎてはきたが、婆さん曰く「最近よく変なものにぶつかるので厭ねえ。自分自身が気を付けてよ。」全くである。詳しくは分からないが、介護職は重労働できつい割には報酬がそんなに見合っていないとも言われる。15年くらい前には、介護士なると言って職場の広告会社をやめて行った若い社員もいたが、今はどうもそんな傾向が無くなりつつあるみたいだ。

報道で見る限りだが、介護士は不足の傾向で、外国から人を入れればいいじゃないか、なんてことが言われ始めているようだ。更に追い打ちをかけるのが介護報酬の減額らしい。政府は民間の介護事業が儲かり過ぎているとの判断をしているようだが、介護の現場は人出不足で困っているらしい。この週末テレビでちらりと観ただけだが、無届介護施設が増えているそうだ。公的認可を受けている施設より入居費用が安く設定されていることから、需要が結構あるとのこと。

しかも無認可であることを知りながら、大きな病院が患者の退院の際に紹介してくるようなこともあるらしい。認可施設が1か月に25万円程度取るところが多いらしいが、そんなに支払えない老人はごまんといるだろう。15万円程度だったら何とかなりそう、と言うことで無認可施設を紹介てなことになるらしい。取材に応じた無認可施設を経営しているNPOの代表者が「辞めろと言うならすぐ辞めますよ。でも患者さんはどうするのですか?」やや開き直っていた。実に身につまされることである。一人1か月15万円でも結構な金額だ。

二人共倒れになったら年金ではとても賄いきれない。何れにせよ、介護等の社会福祉関係にはきめ細かな目配りと、予算を出来るだけつぎ込んでもらいたい。政府は自衛隊関連予算を増加させたり、総理外遊の手土産代わりに中東に日本の税金をばら撒いたりしている。中東にばら撒くODAなんぞは巡り巡ってイスラム国に行ってしまうなんてことを言う人すらいるくらいだ。どう考えても日本国の実態が見えているとは思えないし、考えるべき方向のピントが外れているようにしか思えない。

2015年1月18日日曜日

日本人の宗教心

日本の政党には公明党があって、何故か自民党がこれを取り込み与党化している。公明党が創価学会なる宗教団体を基盤にしていることはよく知られているが、創価学会とは何ぞやと問われると答えられない。元々は日蓮宗の一派だったようでもあるので、仏教宗派の一つなのかもしれぬ。どの宗派であれ、仏教には教義が無いと言われているので、創価学会にも特別な教義は無いのかもしれぬ。何となく現世利益(それはそれで結構だろうが)を唱える宗教臭い。

先日テレビのバラエティー番組で、坊さんと神主さんの特集をしていた。面白くて見入ってしまったが、教えられることが多かった。宗派を問わず仏教に共通する基本的な教えであるが、坊さんに求められているものは各人が精進に務め、仏になることを目指すことにあるようだ。神道にも教義みたいものは無いようであったが、坊さんとの決定的相違は、神主さんの務めが、神様になることではなくて、神様のメッセージを人間に伝えることにあるらしい。

その他にも、神社仏閣の数(双方共に約8万程だったが神社の方が少し多かったと記憶する)とか、神主さんは殆ど世襲とか、俗っぽいことでも興味深い点が多々あったが、今回は意図と関係ないので省略する。日本人の宗教心については、宗教心が無いと言う人もいれば、否、日本人は宗教心旺盛だとする外国人の書いた本を読んだこともある。個人的には20年以上伊勢神宮に初詣を欠かさないし、盆や彼岸の墓参りぐらいはすべきだとの思いもある。これが宗教心だとすれば、日本人の大半ははかなり宗教心が旺盛とと言うことになる。

そんな解釈の問題はどうでもいいが、さて仏教にせよ神道にせよ、信徒の生活について律するところが実に寛容であるのはご承知の通りだ。また他宗教他宗派と同居することにも寛容で、一般家庭での仏壇と神棚の同居は勿論、我が故郷の善光寺は一つの本尊を天台宗と浄土宗2宗派の坊さんが崇め奉って守っている。果たしてこれが宗教なのかと考えてしまうが、宗教なんて所詮人間の頭で考えだされたものと考えれば、この程度の曖昧さがあって当然で、却って有難く思えてくる。

ただ、日蓮さんと言う方だけは少し特殊で、他宗派をケチョンケチョンにやっつけたらしい。先日のテレビバラエティでも、日蓮宗の坊さんだけは他宗派とお経を上手く唱和出来ないところがあったので、現在でも少しはその傾向があるのかもしれぬ。

話が逸れたので本線に戻りたい。最近の報道で大騒ぎになっているイスラム原理主義についてである。イスラム教について知っていることは殆ど無いが、どうも察するに信者の生活を事細かに律しているようだ。そんなに窮屈な宗教が何故信徒が拡大したのか不思議だが、それはそれなりに有難いこともあったのだろう。これも曖昧、生半可な知識だが、どうもユダヤ教・キリスト教・イスラム教は根っこが同じで、日本的に解釈すると、伊勢神宮末社と出雲大社末社の氏子集団が、武力まで行使して勢力争いをしてきたような歴史があるように見える。

日本の場合は上手い具合に天照大神と大國主大神と、神様が別だから喧嘩にならないが、彼国のでは「神」が同じで一人しかいないので、厄介なことになっているのかもしれぬ。メッセンジャーがキリストであったりマホメットだったりするのだろうが、お互いいがみ合う必要もないと思うのだが、2千年以上もいがみ合う理由が分からない。友人知人にいろいろな宗教家や信者がいるので、時々興味深く話は聞くが、どうしてもその辺のことは分からない。

公明党のことから義務教育における宗教教育問題の必要性に触れたかったが、全く別次元の話で終わってしまった。言いたかったのは、頭の柔らかいうちに宗教全般について何らかの教育をした方が良いと思っていることである。

2015年1月16日金曜日

読後感「評伝 北一輝 Ⅱ-明治国体論に抗して」松本健一著

少し中途半端な読書のしかたである。「評伝 北一輝」は5巻までの大作であるが、たまたま昨年の暮れ、著者が亡くなる直前だったと思うが、書店にこの2巻だけ平積みされていたので読むことにした。著者は江戸末期からの思想家について、実に丁寧な取材に基づいた評伝をいくつか書いている。その代表的な著作が「評伝 佐久間象山」とこの「評伝 北一輝」であり、前者については読破したが、今回は根気が無くなっているので北一輝のあらましを知ることが出来ればと思い、書評などを読んでこの2巻目選んだ。

北一輝が昭和11年の226事件に於ける精神的指導者として反乱軍将校と同じように、準軍事法廷で死刑判決、即死刑執行でこの世を去ったことだけしか知らなったので、イメージ的には<天皇陛下万歳>を声高に叫ぶ国粋主義者だった。知らないと言うことは恐ろしいことで、226事件=現在は右翼の賛美対象というところからイメージが造成されてしまう。そもそも226事件の本質なんか何も分かっていないのである。多分、来月には分かったような顔して気勢を上げる右翼とされる皆さんも同じかもしれぬ。

明治16年に生まれて昭和12年に亡くなる北一輝の生涯のうち、本書では日露戦争終結の明治38年前後から同45年くらいまでの活動を中心に書かれている。年齢的には未だ20歳代から30歳代の初めにかけてことである。時代背景が現在と全く異なるとは言え、敢えて当時の彼の職業を上げれば「ジャーナリスト(新聞記者)」と言うべきである。

ここで敷衍しておきたいのは明治38年は丁度父が生まれた年で、明治45年は母の誕生年でもある。言いたいのは、そんな昔のことではないことである。当時はロシアと戦争するくらいだから、憲法も施行され国会も開設されて立派な陸海軍も存在していた筈である。中央集権体制が整いつつも、国民の生活は苦しかったことだろう。一方現在のような職業政治家、職業評論家はいなかっただろう。被選挙権を行使出来る人間は相当な資格が求められたであろうし、少なくとも政府高官になる人間は軍人にせよ、官僚や学者にせよ、現代のようにいい加減な人材が選ばれるなんてことが無かったに違いない。

ジャーナリストとなると一層ハードルが高くなる。無責任なことを喋り散らかして金になるなんてことは当時の思想家には想像できないことから、社会のため自分の主義心情を知らしめるために新聞を発行するに至ることが多かったようだ。当時のジャーナリストは本当に命懸けだったようだ。単に貧乏だけではない、国家の在りようについて反権力的な言辞を弄すれば発売禁止どころでは済まない。北も食べるためにいろんな新聞社で記者を務めたが、驚いたのは彼の思想の激しさと文才などに見られる才能の豊かさである。

北は佐渡の出身、若い時から俊才で、既に中学時代に人間の進歩とか平和について考え始めていたことが分かっている。その後東京に出て独学で英語を身に着けたり古今東西の書物に触れるにつれ、若干23歳にして千ページにおよぶ処女作『国体論及び純正社会主義』を刊行する。ここで彼は個人と国家の関係について、天皇も一般個人同様に国家に対してある種の責任があり、天皇が最高機関なんてことはあり得ない。明治国家が絶対的権力者として天皇を据えたのは間違っている。と当時の日本国の有様と大日本帝国憲法における天皇制を、非常に緻密な論理構成を以て激しく批判した。

500部印刷した自家出版の著作を、当時著名な学者や学校に贈呈すると、たちまち各方面から絶賛される。だがしかし、親戚中から借金しまくって発行に漕ぎつけたこの本は、1週間を待たずに直ちに発売禁止処分ととなり、北はすぐに「要注意人物」として警察の監視対象となる。この時彼は既に病魔にも侵されているが、思いや如何だ。しかし彼は一貫して社会民主義国家建設を目指し、最終的には再び革命を起こさざるを得ないとの思いを強めていくことになる。これがひいては宮崎滔天と繋がり、孫文たちの中国清朝打倒運動への協力に発展したりしていく。更には中国から帰国後は幸徳秋水とも深く交わったが、明治43年の大逆事件(秋水は首謀者として死刑)では運よく逮捕を免れている。

内容が豊富なので書ききれないが、明治期における日本人思想家が如何に理想に燃えていたか、比較するに現代社会の政治家・ジャーナリスト志操、才能の薄さを歎じざるを得ない。本巻では有名な『日本改造法案大綱』にまで触れることはなかったが、この1冊を読むだけで、北がナショナリストであっても国粋主義者でなかったことがよく理解できた。

2015年1月15日木曜日

役人天国予算案

普通であれば年末の御用納めまでには上がる筈の来年度予算案が昨日やっと発表になった。これで予算審議の時間が短縮されるとか、新年度予算の執行が遅れると言った一般的な指摘はその通りだろうが、庶民にとってどんな実態的な影響があるかは分からない。予算案の中身も仕事で関係する人には興味があっても、仕事をしていないので興味が湧かない。どうせ弱者には薄く、強者と宗主国アメリカに味方する組み立てになっているに決まっているだろう。虚しさばかりが先立つことだが、他に書くこともないので少し触れておく。

予算編成は霞が関官僚の半年がかり、或いは9か月かもっと言えば1年の仕事の大部分と言えよう。全体で歳入見積り約60兆円に対し70兆円を超す政策経費とあるから、使い道を考えるお役人も歓喜の涙にむせびながら自分の権益の拡大を喜び、官邸が喜びそうなお題目をひねり出すのに苦労したことだろう。査定するのは財務省主計局の役人仲間で、お役人うちでは何故か一番偉いとされている。

政治の中枢と最も距離が近いということで、ここが使い方を考える各省庁と政治家の中継ポイントだから、財務省主計局が塩梅を図ることから古来変な力を持つのは当然のことだ。勿論政治家が幾ら無駄遣いが得意でも、60兆円を超えるお金の使い道なんぞチェックできる筈は無い。案を発表する時、総体的な説明で辻褄を合わせてくれることだけを要求するに過ぎない。少なくとも政治家よりは頭の良いお役人たちが練りに練ったお題目だから、その辺に抜かりがある訳が無い。

かくして「景気回復と財政の健全性回復、2本の目標を同時に目指す素晴らしい案」が出来上がり、マスコミは臆面もなくその台詞を受け流している。今朝びっくりしたのはテレビ朝日の番組「グッド・モーニング」で「予算案について読売と産経は比較的ニュートラルな評価、朝日・毎日・東京は比較的辛口の評価をしている。」との報道である。テレビ局のアナウサーが「ニュートラル」なる英語を知らない筈もあるまいに、なんでこんな表現をしたのか?書かれた内容は読まずとも分かる。後段の3紙と対照的に「政府案を評価」と素直に言えばいいのにと思ってしまった。

同じテレビ朝日の次の番組「モーニングバード」の9時少し過ぎに木曜レギュラーの「そもそも総研」(玉川徹のタマペディアと称している)がある。今日は株の方もお休みのようなのでたまたま観ることが出来た。予算案に直接触れてはいないが、示唆するところが多くてためになった。同じテレビ局でも報道系と社会情報系ではこれほどまでに違うことの証しに内容を書いておく。

テーマは「GPIF」正式には(年金積立金管理運用独立行政法人)らしい。100兆円を超す年金基金の運用をする機関で、今年から株式運用を一気に倍にすることを決めて有名になったことだけは知っていたが、殆ど何も知らなかったに等しい。公的資金を博奕で運用する発想は誰に聞いても感心しないだろうが、びっくりしたのがこの機関の前身、俄かには信じがたいが公的資金に莫大な穴をあけた「グリーンピア」で有名な「年金福祉事業団」とのこと。「グリーンピア」事件で責任を取った人間は一人も居ないだけでなくて、焼け太りの典型である。

今やお役人は自分の役所のことだけを考え、豊富な予算を手玉にやりたい放題で、国民のことなど全く念頭に無いと言っても言い過ぎではないかもしれぬ。無駄を云々以前の問題だ。これをチェックできるのは政治家しかいないのだが、その親玉が正月からゴルフと高級レストランに入り浸っているのだから、何もできるわけがない。本気で財政再建を図るには、はなから予算半減なら半減と決めて掛からなければ、永遠に財政再建が出来る筈もあるまい。

そのためには政治家には上杉鷹山や恩田木工のような、率先垂範の覚悟が求められる筈だ。お役人様は楽ちんだろうが政治家も気楽なものだ。

2015年1月14日水曜日

素晴らしき日々

午前中は晴れていたが、気象予報通り午後から冬らしい暗い空になってきた。未だ降り出してはいないが、宵の口から明日にかけて雨か雪が降るのは確実だろう。一昔前までは成人式やセンター試験日は東京でも雪が降る可能性が高かったような気がする。今年の成人式は晴れたが、センター試験は何時になるのだろう?どうせだったらも少し前倒しして季節の良い時期に実施すればよさそうだが、出来ない理由はそれなりにあるのだろう。

呑気に夢想しているが、我が時代には共通1次とかセンター試験が無くて本当に良かった。あったらどこにも進学できずに高卒で就職していたことだろう。曲りなりに大学に進学できたお陰で今日がある訳で、ついていたとしか言いようがない。普段はあまりラッキーな人生でなかったと思うこともあるが、よくよく考えると、現在このように生きていること自体が相当にラッキーと考えるべきかもしれぬ。

先日、巻頭随筆から引用したが、今月10日発売の「文藝春秋」2月号は意外につまらない記事が多い。表紙のトップに書いてあるのが<読者投稿:素晴らしき高度成長時代>。パラパラとしか読んでいないが、真剣に読む気にならない。35人のお年寄りが昭和30年代の思い出を、貧しかったが活気と希望に満ちていたと、一様に懐かしんで書いておられるようだ。特集の冒頭には「我々は今こそ、この時代の生き方を学ぶべきでないか」とも書かれている。

このブログでも昭和30年代を振り返ることは時々あるし、個人的には懐旧の念にしょっちゅう浸っている。飛ばし読みだが、ここで触れられている「水道が来て井戸汲みの必要から解放された日」「家に内湯が出来た日」「家電製品の三種の神器」「鉄道の変遷」「汲み取り式から水洗への変遷」「東京オリンピックの思いで」等々。確かに誰もが経験したことで、当時はそれなりの感激もあったろうし、今となれば全て懐かしいことだろう。何方も嫁の来た日については書いておられないが、もし小生が書くとすれば「嫁を貰った」を書いたことだろう。

しかし、今こそと言われて、ここらから何を学ぶべきかが分からなくて困ってしまう。貧乏しているうちは、そこから脱出するために汗水流すのが当たり前だし、知恵も使わなくてはならぬだろう。現在は水道から水も出れば、お湯まで出てきてしまう。大雪や台風でも来ない限り停電も無いし、明日の食料に困る人は少ないだろう。正直なところ、将来について漠とした不安が無いと言えば少し嘘ではあるが、75年の人生の中で今現在、今日が最高にハッピーと思う。いや思うように努めているのかな。

衣食住が足りて、今日が最高の日であればこそ、「明日は今日と同じであればで十分」が個人的思いである。万人が同じ考えになると、世の中の進歩が止まって困ることがあるのかもしれない。今日、日本社会に不足しているものがあるとすれば、それは昭和30年代には想像できなかったもの、懐古しても学びようのない「格差」のようなものかもしれぬ。

2015年1月13日火曜日

マスコミの健全性

昨年はマスコミ報道と異なり、直接耳にするのは景気が良くない話ばかりで、一体この差は何だろうとずっと疑問を感じていた。果たして今朝の新聞を見ると1面トップの見出しがこれ。「GDP、今年度マイナス成長 15年度は1.5%増予想」何のことはない、経済成長を最優先してきた今年度がはっきりマイナスとの事実が露呈している。仮に限定的であろうと、アベノミクスの効果は毫も現れなかったことをデータが証明したらしい。

古来権力者は嘘をつく者である、と最近どこかで読んだ気がするが、傾向がそうであっても、何人にも嘘は許されるものではあるまい。「アベノミクスの果実を全国津々浦々の人々に手にして頂く。」とか、挙句の果てに「この道しかないのです。」とまでよく言ったものだ。副詞として「いけシャーシャーと」を使うべきかもしれぬ。しかし古来権力者にはその傾向があるらしいので、百歩譲って我慢しよう。やはり問題はマスコミだろう。

70年前までは日本も戦争の渦中にあったわけで、戦地に記者を派遣することもあっただろうが、当時のマスコミは軍部の検閲を受けた記事しか公表できなった。従って大方の国民は所謂政府(軍部)の公式発表「大本営発表」を真に受けていたに違いない。これが嘘で塗り固められていたことは、戦後になってから随分とマスコミの批判にされされたものだ。無敵不敗の概念が先にあって、撃墜してない敵機を撃墜の嘘は平気だし、どうしてもやむを得ない作戦変更については「撤退」を「転進」と誤魔化して国民を欺いてきた。

戦争中のことについても、当時から権力べったりの我が国のマスコミにも責任はあろう。たまたま先日フランスで起きた悲惨なテロ事件を思うと、事の善悪は別にして彼我のマスコミのあり方に思いをせずにはいられない。たまたま今月発売の文藝春秋2月号に時事通信解説委員長の軽部謙介氏が書いているエッセイが目に留まった。ウォーターゲイト事件報道でニクソン辞任に追い込んだ当時のワシントン・ポスト編集主幹ベン・ブラッドリー氏(故人)との面会懐古である。

詳細は省くが、駆け出し記者が掴んだ特ダネを如何にして政府からの圧力から守り抜いたかについてさらりと語ってくれたようだ。例え300万人以上の人から哀悼の意を表されようと、命まで賭けたくないと思うのが普通の人間かもしれぬ。しかしジャーナリストは自ら発するメッセージに関して、並みの人よりは少しばかりでいいから誇りを持ってもらいたい。官邸の費用で飯を食ったり、沖縄出張費を自民党代議士に肩代わりさせたりするのもたまには良いとしよう。

しかしアベノミクスが全く機能していないことが明らかになった今でも、大方のメディアは、問題を余り深刻に受け止めずにさらりと流すだけ、或いは政府寄り学者の言い訳百曼陀羅をもっともらしく解説する体たらく。恥を知ってほしい。いつも同人誌を送ってくれる先輩が、昨年の暮れに同人誌に書いていていた。NHKの自動引き落としををやめたら集金人が来たので言ってやった。「籾井をここまで連れてこい。どうして支払いを止めたか聞かせてやる。」そしたら集金人の小父さん曰く「仰ることはよく分かります。私も彼の退陣運動の署名をしましたので。」

大体NHKのような大メディアのトップに、ご商売の人がつくことからして少しおかしいと思うべきかもしれぬ。

2015年1月12日月曜日

成人式

20歳になったとき、成人式なるものがあったかは知らなかったが、昭和35年に長野市で成人式は行われたのだろうか?

今朝の報道のトップに来ていたが、昨日と今日は各地で成人式が行われているようだ。テレビ取材に応じる新成人達は一様にあっけらかんと明るい顔をしている。テレビがモノクロ時代の新成人の緊張した表情とは比較にならないくらいだ。若者の表情が明るいのは実に結構なことで、今後四半世紀かもうちょっと長い期間はこの若者達に社会を背負ってもらうのかと思うと、その元気を失わずに頑張ってくれと祈りたくなる。彼等が今後社会人としてどんな仕事を担ってくれるか、大いに興味がある。

17歳と15歳の孫がいるので、正月に彼らの希望を聞いてみたかったが、聞きそびれてしまった。あとで婆さんに聞くと、上の子はサラリーマン、下の子はイラストとか絵を描くような仕事をしたいらしい。上の子は兎も角として、下の子の希望は初めて聞いたのでびっくりした。半世紀以上前の新成人には想像もつかぬが、現代では比較的多い希望職種らしい。これが本気だとすると、何も大学に行かなくて専門学校の方が手っ取り早いなんて考えもあるらしい。運動選手や芸能を志すとなれば、大学以上の厳しい修行が必要かもしれぬが、絵を描く仕事は非常に裾野が広いとのこと。

大勢の人に聞けばどうなるかだが、博士は兎も角、科学者を志す若者は多いだろうが、政治家を志す若者は果たしてどのくらいのものだろう?安定性故に公務員を志す若者は多いらしいが、それを政治家へのステップと捉える者は凄く少ないに違いない。今や政治家は、余り人様に自慢しかねる稼業に成り下がっていても不思議ではない。我が孫の希望も大層なものではないが、今はそれなりに夢があるのだろう。成人式を迎える頃にはどう変化しているかしていないか、楽しみでもある。

2015年1月9日金曜日

分かっているのかね?国民のこと

今朝の新聞では大きな扱いになっていないが、昨日発表された日銀の調査報告によると、実に多くの日本人が将来への不安を抱いているようだ。日本経済の先行きも個人の昇給具合も、余り当てにできない人が多いのは分かるような気がする。新幹線工事とか道路建設ばかり予算を大盤振る舞いして、社会保障関係を削ろうと言うのだから仕方あるまい。昼過ぎに永田町を散歩していると、自民党本部前に「日本経済復興本部」と馬鹿でかい看板が立てられているのを見て吹き出しそうになった。

今の政治家に、日本の経済活動の問題点を的確に見出す能力を持った人間が果たしているのだろうか、甚だ疑問である。6000万人からの労働人口があって、企業数だけでも100数十万。他に企業化していない個人商店やら農林水産事業者、企業としてカウントされるのかどうか知らぬが、医師看護士や弁護士、会計士の類(サムライ業と言うらしい)、勿論公務員もいればそうでない人もいる教職員、広告やテレビ番組制作に携わった現役時代を思い出せば、アルバイトやフリーターなる人種が多かったが、現代は更に増えているのだろう。

株に手を染めかけているので初めて知ったのだが、日経平均と言う奴は東京の株式市場に上場されている2千か3千のの企業のうち、更に絞り込んだ2百数十社の株価平均値を言うのだそうだ。ひょっとすると政治家はこの数百社の企業業績の向上だけを考えているのでは、と疑いたくなる。公共工事の拡大で数百社の景気が仮に良くなり、そこの従業員全員のお給料が2%アップしたとしても、「全国津々浦々」の人が景気を実感するのはかなり難しいに違いない。

正直に「経済なんて難しすぎるので分かりません。」と謝って、税の配分即ち予算に関しては、下らない税制調査会なんぞ必要ないから、できるだけ弱者に厚く格差の是正を重点に考えるべきかもしれぬ。間もなく国会が開かれて、26年度の補正から予算審議が始まる。もう26年度なんて幾日も無いのに、今頃何を寝ぼけているのか。自衛隊がアメリから高い兵器を買わされるのもそうだが、これを審議する国会議員こそ無駄の塊と、昼食時にどこかのおばさんが大声で言っているのが聞こえたが、全く同感だ。

2015年1月8日木曜日

読後感「嫌いなことから、人は学ぶ」養老孟司著

暮れから正月にかけて養老氏の著作を2冊読んだ。暮れに読んだ「大切なことは言葉にならない」も面白かったが、記憶に新しい方だけ読後感を書く。養老氏の著作は随筆なので共通項が多い。その意味でこの読後感も、引用などで多少の混乱はあるかもしない。

初めて読んだ「バカの壁」以降、著者の作品には惹かれるものがある。何故ならば、この先生少し浮世離れをしているのが好きなのだ。想像するに、俗に言うところの頭が物凄く良い科学者に違いない。なんたって、東大医学部出身でドイツ留学をしたり解剖学で博士号を取得。人気があるかどうか知らないが、若い時から東大の先生。40代半ばには教授となるが、60歳にならないうちに退職してしまう。しかし退職後8年目に出した「バカの壁」が大ヒット、文筆家としての地位が固まってしまった。

才能ある人は何をやっても上手くいくことの典型かもしれぬが、文筆業に溺れたり、それを奢っている訳でもない。「虫屋」と自称して昆虫採集と昆虫観察(生態や解剖)を世界を股にかけて楽しんでいる風情でもある。この趣味がいつ頃から始まったかは、これまでに読んだ著作からは窺い知れぬが、70歳過ぎの小父さんの趣味としては如何にも浮世離れしていて面白い。浮世離れしていようと、しているからこそかもしれぬが、著者の文学的素養は生半の文系大学卒業者には及びつかぬだろう。

名前からして「タケシ」と読ませるが「孟司」である。お医者さんの息子とのことであるが、ご両親にかなり文学的素養があったのだろう。兎に角才能の無い奴が地位や権力を求めたがる世の中を、多少皮肉っぽく随筆を書き綴ることができる知識と才能の豊かさは驚くほどのものがある。であるが故かもしれぬが、政権批判とか俗っぽいことは具体的には一切触れないで、現代社会への警鐘をシニカルに展開している。特に自然を大切にする、或いは自然との共生の重要性である。

今回読んだ2冊には出てこなかったと思うが、著者の科白で好きなのがこれだ。「科学や医学の進歩なんてなんぼのものだ。口惜しかったら蝿か蚊の一匹でも作ってみろ。」

本の内容に触れない読後感になってしまいそうなので、少し触れねばなるまい。本書は著者の専門領域、脳機能の最重要課題かもしれぬ「思想」問題から始まっている。思想の延長線上には宗教があったり戦争があったりするが、そもそも思想とは何ぞやである。生まれ落ちた人間に個別の思想がある筈が無い。そもそも意識とは何かである。同じものを見ても同じ音を聞いても人によって受け取りかたはいろいろ。意識や思想の違いがどこから来るのか、そこを脳味噌なる物体の動きで解明しようとするのだから容易ではあるまい。

この本を読んで理解できたつもりはないが、受け止めた感覚にどう反応するかに問題がありそうだ。少し飛躍するが、意識には[同じ」と「違い」に問題があることを思い知らされた。内容から抜き出して少し説明すると、「リンゴ」と「梨」の例がある。この二つを見れば、誰でも「リンゴ」と「梨」と違いを意識できる。しかし、この二つは「果物」としては同じと意識することも可能。これは意識に階層変化があると言うことらしい。更に階層を上げて行けば、「リンゴ」は「さんま」と同じ食物にもなり兼ねない。下らない話と思いきや著者が考えるに、脳に伝わった感覚と意識上の同異は思想的に重要な意味を持つらしい。

人種によって異なる言語も、この「同異」の理解如何でかなり異なっていることに気が付いている。英語の定冠詞と不定冠詞「a book」と「the book」、日本語の接続詞「は」「が」の違いも意味をよく知らなかったが、思考回路との関係で見ると面白い。特に中国語には一切これが無いが、このような観点から中国人の思考「華夷思想」への考察を試みている。何れにせよ多分に哲学的にも思うが、これを科学的にアプローチするのだから、正月早々知的で面白い読み物だった。

2015年1月7日水曜日

ライフスタイル一新

つい先日初詣に行ったばかりと言うのに早や朝食が七草粥だった。今年もこのように駆け足で日が過ぎていくのだろうが、それが人生と言うものか。ネット囲碁と読書以外にすることが無い老後も如何かと思っていたら、年末に訪ねてきてくれた同期の友人が株をすることを薦めてくれた。意味不明だがデイトレと言う奴である。お金で遊ぶほど余裕はないのだが、友人曰く「損はさせないから俺の言う通りに買ったり売ったりしてくれればいい。但し元本は100万円としてくれ。万が一損が出たら弁償してあげるよ。」

彼がその道の大家であり、資産運用について彼の指導を受けている友人が何人かいることも聞いてはいた。こちらは運用するほどの資産は無いが、時間だけはたっぷりある。100万円は大金に違いないが、山歩きをしていれば一年で20万円を少し超えるくらいのお小遣いは使うだろう。諸般の事情からライフスタイル変更の年にしたいと考えていたこともあり、こんな風に考えてみた。100万円用意して株をやり、もし5年後迄生き延び、その時に今年用意した資金がゼロでも元々ではないか。もし些かなりと残っていれば大儲けだ。

そこで彼の元本保証はお断りして、自己責任を前提に友人のご教示をに従うことにした。後期高齢者入りの新年早々からデイトレに対応可能な新しいライフスタイルを取り入れる決心をした。意思決定は簡単だが、証券会社や自分のパソコンにそれ相応の準備が必要で、現在その準備中である。一方心構えの方も少しは準備が必要だろうとて、正月早々友人の指導のもとトレーニングを開始した。

何と言っても上場企業なんてものとは全く無縁の人生だったし、現役時代を振り返っても日本経済新聞なんぞは人事欄と文化面だけしか読まなかったのだから、金槌がいきなりプールに飛び込む感がある。年が変って市場関係は3日しか経っていないが、ライフスタイルが意外と大変化しそうだ。以前から事務所に来てパソコンの前に座るのは8時頃、それからおもむろに購読しているメルマガや愛読しているブログ等を見ていれば小1時間は経ってしまう。それから今日は図書館にでも行こうかと考えたりするのだが、株の売買をし始めるとなると、そんな悠長なことは言っていられないらしい。

知識不足を少しでも改善するために、友人がチェックすべき資料をメールや電話で教えてくれたり説明したりしてくれるが、とても硬直化した脳味噌には刷り込まれない。先ず教わったことは、どんな初心者でも基本動作として9時前からチェックすべきことが幾つかあること。更に午前8:30からの1時間と午後14時からの1時間、1日合計2時間はパソコン画面に集中するようにとのこと。これだけでもへえ~てなものだ。しかし実際はもっと厳しくて、昼飯さえ11:30~12:30の1時間以内に済まさないと、お師匠さんの指示を実行できないことになり兼ねない。

とても暇潰しにもってこいなんてものではない。今年は逆に時間がかなり制約される可能性もありそうだ。それでも今日は市場が低調なので「午後は何もチェックしなくていいよ。」とのお許しが出た。これ幸いに、銀座の馴染みの店にゆっくり昼飯を食いに出かけ、帰りに友人の事務所に顔を出して新年の挨拶。互いに最優先課題は健康維持である。帰りに駅のホームで見た夕刊紙の広告に「東証9000円台の恐怖」と特筆大書されていたが、小生も天の邪鬼だ。友人も「市場は上がれば必ず下がるもの。市場が無くならない限り売り買いで儲けるのが俺のやり方。」と胸を叩いている。

今週中には整うであろう手続きの完了が待ち遠しい。

2015年1月6日火曜日

新たな視点・認識

昨日安倍総理が伊勢神宮で年頭所感を述べたのを聞いて、怒りより先に思わず笑ってしまった。「今年はアベノミクス効果が全国津々浦々行き届く年にしたい。」とか「世界平和に貢献する国として世界の中心で輝きたい。」何処を押せばこんな言葉出て来るのか、小学生の作文でももう少しましななことを書きそうではないか。暮れに読んだある同人誌に上手いことが書いてあった。ある編集者曰く「偽りや誇張した表現は読者の心を打たない。」毎日このように駄文を綴っているので、本当に心しなければならない警告と受け止めさせて頂いた。

無責任なブログ書きでさえこの警告には反応するのに、1国の宰相たる者が大勢の記者を目の前にして、前述のようなことをかくも軽々しく述べるのを聞けばもう笑うしかないではないか。今朝のテレビニュースではこの後だったか直前だったかに流されたのが、今年値上がりが決まった日用品の数々。印象に残ったのはカゴメのトマトケチャップとトイレットペーパーやティッシュの類だ。こちらは間違いなく瞬時に全国津々浦々に影響が及ぶことだろう。アベノミクスの効果が出始めていると言うが、アベノミクスの何たるかは意味不明だし、ひょっとして恩恵があるとしても、その恩恵をいち早く蒙っているのがあんた自身なのかよだ。

婆さんに言わせると「なるほど地図で見れば日本は世界の真ん中には違いない。しかし地球が丸いのは小学生でも知っていることでしょう。第一、光り輝くて何を考えているのかしら、宗教法人の教祖様でもあるまいに。自分の頭の片隅にも無いことを言う方も言う方だけれど、黙って聞いてそれをそのまま流す方もどうかしている。」とメディアまでケチョンだったが分からないでもない。もうこちらは総理の悪口は昨年書き尽くした感があるので、これ以上くさすのも馬鹿馬鹿しく、今年は出来るだけ触れずに行きたいものだ。

現総理が馬鹿であるか悪人であるかより、我が国の問題は政治体制のもっと深いところにあるらしい。換言すれば一種の歴史問題に行きあたる。要するに、我が国は1945年の敗戦以来、対米従属の植民地国家の基本構造が殆ど変っていない。このことは何となくそう思って冗談めかして口にはしていたが、さて具体的にどこに問題があるかと聞かれれば答えることが出来なかった。それが今日たまたま暇に任せて昨年末(と言っても総選挙騒動が持ち上がる以前)に行われた孫崎享氏と矢部宏治氏の対談映像を見て、成程そう言う事かと、新たな思いに至った。

現総理の外交音痴や日本の国連安保理の非常任理事国立候補を笑う前に、戦後の名総理とされている第45代総理の吉田茂氏から現在の第96代総理まで全員の責任を考えてみる必要がありそうだ。昨年10月末に発売された矢部宏治氏の著書『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社刊)の宣伝を兼ねた映像なので詳しく引用できないが、同じ大戦での敗戦国ドイツとの比較に大きなヒントがあるらしい。

現在ドイツをアメリカの属国と言う人はどの国で探してもいない。残念ながら日本とは全く異なる完全な自主独立国家になっている。しかしドイツの方が戦後の制裁条件は遥かに厳しかった。ドイツは政権がどう替わろうと独立をめざし、1994年まで約半世紀の年月を掛けて近隣諸国と平和条約をしっかり結んで完全な独立に至っているとのこと。国連における敵国条項は対象国が日本とドイツであったが、ドイツについては大半の国が国内法でそれを取り消しているそうである。日本だけがそのままらしい。

日本が何故そんなに後れを取ったかについては大きく言うと3点の問題があるそうだ。1.昭和天皇2.日本国憲法3.国連憲章この3つを理解しないと説明が難しいとのこと。3点ともチンプンカンプンなのでここまでにしておく。

2015年1月5日月曜日

新年「天皇陛下のお言葉」

昨日平常ライフスタイルを取り戻したつもりでいたが、一般の御用始が今日と言うこともあり、また正月気分に戻ってしまった。昼飯を、事務所からは少し距離があるので10日に一度程度通っているとんかつ屋に行った。今日から仕事始めとあって、近くのサラリーマンやオフィスガールで大層な賑わい。12時より少し前に入ったので、カウンターに座ることが出来たが、12時にはもう満席で、注文のロースカツが出て来る前に10人近くの客が入店を諦めて帰っていった。

いつも注文品の前に小鉢が運ばれてくるが、今日は大根と人参のなます酢の物で一寸した正月気分。親爺さんは休みボケと飲み疲れだそうで「繁盛は有難いが身体が思うように動かない。」と嘆くことしきり。「似たようなものよ」と相槌を打っていたが、入口脇正月飾りの下に並べてある1升瓶とグラスに話が及んでしまい、結局は又昼から冷酒ご馳走になる羽目に。食後は普段は出ないミカンなども提供されて、店を出るとほろ酔い気分でサラリーマン時代の年始挨拶廻りを思い出してしまった。

正月だから酒もよく飲んだが、今年は大晦日から今日までの6日間で7万歩も歩いているので、健康的なスタートを切れたと内心喜んでいる。今年の日本がどんな年になるかはとんと想像できないが、政権が相変わらずだから大した期待は出来よう筈が無い。政権トップは正月休みとて、SPを引き連れながらも何の緊張感も無くのんびりと取り巻きとゴルフに明け暮れている。これを見て「今年は景気が良くなりそうだから、俺も一つ贅沢をしてみるか」と思う人が居たらお目に掛かりたい。

娘たちの家族は孫が育ち盛りなので、親は一層の節約を求められるだろうし、爺婆は非課税扱いの孫の教育費が増えても無い袖の振りようもない。どちらかと言えば、細やかなお年玉工面のためには、元よりその気が無いから良いようなものではあるが、己の贅沢は厳禁であろう。第2次世界大戦の終戦70年の今年は小生にとっては後期高齢者入りの節目。世界中多数の国家にとっても節目の年でり、敗戦国日本にとっては襟を正すべき年となってほしいものだ。

小生の気持ちと同じと言っては不敬の極みだが、天皇陛下の新年のお言葉を書き写しておきたい。

「昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。

また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。

本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。

この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。」

芸能には全く疎いので知らなかったが、仄聞するに紅白にサプライズで登場したとされる桑田佳祐を初めとして福山雅治や長渕剛の歌の方が、余程陛下の心に適っていたそうだ。桑田も長渕も福山も、天皇陛下と同じように「歴史に学べ」と訴えたらしい。ちゃらんぽらんの人間ばかりと悪い偏見を持って見ている芸能界だが、平和でなければ成り立たない世界ゆえだろうか、若き芸能人が平和愛好家であることには救いを感じる。一方、歴史に学ばないどころか、戦後70年積み上げられてきた普遍的な歴史理解を、ちゃぶ台を引っ繰り返すように転覆したがっている政権幹部は、一体何を学んで今日に至っているのだろうか?又陛下のお言葉をどのように受け止めているのか?

2015年1月4日日曜日

年の初め

正月三ヶ日が終わって、都会の街も徐々に普段の賑わいを取り戻しつつある感じ。プールも今日から営業を開始たので、こちらも何となくレギュラーの生活リズムを取り戻しつつある。元日は大晦日の夜から深夜バスでのお伊勢参りに行ったので、あっという間に過ぎてしまった。今年のツアーは、昨年に比べると旅行会社のJTBが大分手抜きをしてくれたので却って好都合が多かった。昨年までは新宿発18:30だったのを今回は23:30。

お陰でネット碁も楽しめたし、今まであまり観たこともない紅白歌合戦の一部を自宅で見ることが出来た。丁度松田聖子の娘の神田沙也加が歌っているところで、ついこの間婆さんから「彼女を知らないなんて余程世間知らずよ。」と馬鹿にされたばかりなので、認識できたことを喜ぶべきかもしれぬ。前回は6:30出発にも拘らず伊勢神宮(内宮)到着が確か翌朝7時過ぎになっていた。
政府からのお達しで、一定時間以上の夜間走行バスは、ドライバーの仮眠時間を設けなければならないとかで、途中意味の無い停車時間が3時間もあったためである。

これが何故か今回は無かったので、朝6時前には目的地に到着。昨年は断念せざるを得なかった外宮の参拝も片道だけタクシーの利用で楽にできたし、外宮入り口に設けられた「せんぐう館」までゆっくり見ることが出来た。一昨年行った時に未だ公開されていなかったか、こちらの時間の都合だったか分からぬが、兎も角初参観である。これからお伊勢参りを初めてされる方には必見をお薦めしたい。

非常によく出来た展示内容である。普段はこんな早朝から職員による解説はしていない筈が、元日故の特別サービスだったのか、実物大模型の部屋で説明をしてもらったので余計そう思ったのかもしれぬ。20年に1度新しいお宮を作り替えるが、様式は千年を超える昔をそのままに再現する。自然との共生に対する日本人の知恵もさることながら、厳選した材料で幾ら念入りに建造しようと、20年の歳月に及ぶと建物の劣化は想像以上らしい。橋の板厚、茅葺屋根の厚さなんぞ半分くらいになるとの説明。聞けば聞くほど先人の知恵に感心せざるを得ない。比べるに現代人の何と傲慢ことよである。

兎も角出発の9:30迄たっぷりの時間が有ったので、久し振りに猿田彦神社を含めゆっくりお参り出来たことが有りがたい。どうせなら内宮往復のみで途中寄り道一切無しが一番ありがたいが、なかなかそうまではいかない。帰りの鳥羽パールセンターだけは寄らない訳にはいかないようだが、下車せずに居眠りをして過ごす。その後スケジュール的には鳥羽港から伊良子港までフェリーの予定だったが、荒天でフェリーが欠航。帰りの高速も順調に走ってきて、あわよくば予定より早く新宿到着と思いきや、御殿場直前で一転俄かに掻き曇って吹雪の様相。たちまち大渋滞になる。

それでも1時間と経たずに御殿場に到着、昨年同様であるが御殿場から富士山の裾野を迂回して山梨県側に回って、中央高速経由で7時ちょい過ぎには無事新宿に到着。今年のお伊勢参りは良いお参りが出来たが、印象的だったことは人出が異常に少なかったこと。到着時間の関係かとも思ったが、旅行社の添乗員も同様の感想を言っていたので参拝者数が減っている可能性がある。不景気のせいでなければいいが。

毎年のことで慣れているので、元日のこの時刻に開いている店で食事をして帰宅。翌日から2日間は伊勢神宮の有難いお守りなどをご年賀代わりとして、嫁の実家で改めてのお正月。お屠蘇と雑煮に始まり年寄りの腹にはとても納まりきれない料理と酒で歓待される。その間、娘夫婦2組に孫が3人、入れ替わり現われて嬉しい顔見世と相成る。末の孫は昨年のクリスマスの時に会ったが、ゆっくり話をするのは久し振り。上の二人は1年振りにもなるのだろうか、3人とも身体が大きくなるのは勿論だが、成長が著しく会話も随分大人びてくるものだ。その分こちらは益々爺臭くなっているのだろうがそれも仕方あるまい。

あと何年このように素晴らしい正月を過ごせるかなんてことは考えずに、兎も角毎日を出来るだけ楽しく過ごしたいものだ