2015年1月14日水曜日

素晴らしき日々

午前中は晴れていたが、気象予報通り午後から冬らしい暗い空になってきた。未だ降り出してはいないが、宵の口から明日にかけて雨か雪が降るのは確実だろう。一昔前までは成人式やセンター試験日は東京でも雪が降る可能性が高かったような気がする。今年の成人式は晴れたが、センター試験は何時になるのだろう?どうせだったらも少し前倒しして季節の良い時期に実施すればよさそうだが、出来ない理由はそれなりにあるのだろう。

呑気に夢想しているが、我が時代には共通1次とかセンター試験が無くて本当に良かった。あったらどこにも進学できずに高卒で就職していたことだろう。曲りなりに大学に進学できたお陰で今日がある訳で、ついていたとしか言いようがない。普段はあまりラッキーな人生でなかったと思うこともあるが、よくよく考えると、現在このように生きていること自体が相当にラッキーと考えるべきかもしれぬ。

先日、巻頭随筆から引用したが、今月10日発売の「文藝春秋」2月号は意外につまらない記事が多い。表紙のトップに書いてあるのが<読者投稿:素晴らしき高度成長時代>。パラパラとしか読んでいないが、真剣に読む気にならない。35人のお年寄りが昭和30年代の思い出を、貧しかったが活気と希望に満ちていたと、一様に懐かしんで書いておられるようだ。特集の冒頭には「我々は今こそ、この時代の生き方を学ぶべきでないか」とも書かれている。

このブログでも昭和30年代を振り返ることは時々あるし、個人的には懐旧の念にしょっちゅう浸っている。飛ばし読みだが、ここで触れられている「水道が来て井戸汲みの必要から解放された日」「家に内湯が出来た日」「家電製品の三種の神器」「鉄道の変遷」「汲み取り式から水洗への変遷」「東京オリンピックの思いで」等々。確かに誰もが経験したことで、当時はそれなりの感激もあったろうし、今となれば全て懐かしいことだろう。何方も嫁の来た日については書いておられないが、もし小生が書くとすれば「嫁を貰った」を書いたことだろう。

しかし、今こそと言われて、ここらから何を学ぶべきかが分からなくて困ってしまう。貧乏しているうちは、そこから脱出するために汗水流すのが当たり前だし、知恵も使わなくてはならぬだろう。現在は水道から水も出れば、お湯まで出てきてしまう。大雪や台風でも来ない限り停電も無いし、明日の食料に困る人は少ないだろう。正直なところ、将来について漠とした不安が無いと言えば少し嘘ではあるが、75年の人生の中で今現在、今日が最高にハッピーと思う。いや思うように努めているのかな。

衣食住が足りて、今日が最高の日であればこそ、「明日は今日と同じであればで十分」が個人的思いである。万人が同じ考えになると、世の中の進歩が止まって困ることがあるのかもしれない。今日、日本社会に不足しているものがあるとすれば、それは昭和30年代には想像できなかったもの、懐古しても学びようのない「格差」のようなものかもしれぬ。

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