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4月, 2017の投稿を表示しています

ゴールデンウィークの始まり

サラリーマン諸氏が楽しみにしていたゴールデンウィークが始まった。昼間大した用も無いのに地下鉄に乗ったりしてみると、家族連れで溢れている。総じてお父さんが一番お疲れの様子で、何だか可哀そうだ。会社にいた方が気楽なんじゃないかと余計な心配をしたくなった。

ところで今朝6時頃だったろうか、北朝鮮が弾道ミサイルを発射とニュース速報が流れた。関連して昼過ぎの報道では「北朝鮮がミサイルを発射したとの情報を受け(「Jアラート」の送信は無かった)、北陸新幹線や東京メトロ全線など一部の鉄道は29日早朝、安全確認のために約10分間、運転を見合わせた。」と発表されている。運転停止はいずれも6時過ぎ。5時半に発射されたミサイルは7分あれば日本に到達してしまうとあれば、この行動にいかなる意味があったのだろう?

8時半すぎてから官房長官が記者会見を開いた。いつものことだが、情報の入手先は韓国の聯合ニュースと仰る。関係国と情報交換しながら情報を分析中とのことだ。なんで自衛隊からの通報が無いのか?北朝鮮に自衛隊の察知能力、情報収集能力を知らせないために、わざと発表をしないとの説もある。発表にあたっている官房長官が落ち着いているのは、国民を動揺させないための親心かな。

でもね、「政府としては万全の対策を講じているので、国民の皆さんは落ち着いて政府の発表に注意してください。」なんて言われてもなぁ。車内の家族連れの表情からすれば、誰も北朝鮮とアメリカの喧嘩なんか気にしていないようだ。我々庶民が外国人同士の喧嘩を気にしても始まらないから、それが正解に違いない。

「まるせい」ご参考まで

タイトルの意味がお分かりですか?「政」の文字を〇で囲むことで、霞が関の官庁街では一般的に使われている言葉です。現役時代に役所絡みの仕事の際に度々政治家に口添えを依頼した経験がありますが、そのような依頼ごとを官庁側では「まるせい」と称するのです。仕事の成功率は案件ごとに異なるでしょうが、少なくとも悪くなったことは一度もありません。役所の担当者が不愉快に思うのも当然ですが、担当者がこれを無視したり、独断で拒否することはできません。

今にして思えば不思議ですが、それが組織の論理で、少なくとも直属の上司には「まるせい」案件が来たことだけは報告しなければならない筈です。役所の構造を単純化すると、担当係の上に意思決定者が係長→課長補佐→課長→局次長→局長→事務次官、と5人以上います。案件次第ではその上に政治家の政務三役がいますから、その中の一人が案件が来たことを知らずにいて、口添えをした政治家とどこかで顔を合わせて、礼なんか言われると返事のしように困ってしまいます。

肝の据わった担当者であれば、その場で要請を突っ返して、その責任を自分で被るでしょうが、幸か不幸かそういう人に巡り合うことはありませんでした。でも、ある局次長から「君、これは禁じ手だよ」と叱られたと言うか泣かれたというか、お言葉を頂戴したことがありました。今でも因果な商売をしたと反省しきりです。案件が一旦係から課長補佐まで上がってしまうと、その後はブレーキが利かないとしたものでした。霞が関官庁で実務を仕切っているのは課長補佐であるのは常識です。

霞が関には不文律があって、課長になれば民間の会社の社長クラスしか相手にしません。しがない営業マンが相手してもらえるのは精々係長までとしたものですが、「まるせい」になると若い営業マンでも課長補佐(年齢的にはこちらと同じ程度)に直接説明したりします。ここを越せばことは成るわけですから、こちらは「まるせい」を表に出さず下手に出ながら必死に説明をしますが、先方は背景事情の洞察に勤める訳です。

依頼ごとは全てお金が絡む話でありますから、案件に関しては最終的に財務省(昔の大蔵省)に持ち込まれます。ここにも暗黙のルールが存在しています。一般官庁から財務省への説明は補佐(主計局では主査)への説明は課長が、課長(主計官)への説明は局長が行かねばなりません。財務省は官庁の中でも格付けが他省庁は…

報道の自由度:世界で72位

自民党幹事長の二階氏が、自派閥メンバー今村氏の復興大臣辞任に関して「マスコミに首を取られた」として恨み節をしゃべっている。自分でこけながら責任を転嫁したいので八つ当たりしているだけだから、そんなことはどうでもいいとしよう。関連して思ったのは「現在のマスコミに大臣の首を取るだけのパワーなんか皆無であること、むしろ政権批判が中途半端に過ぎることである。」記者会見のように公開の取材現場でさえ、マスコミの記者が本当に政治家の言葉尻をとらえて突っ込んだ姿なぞ見たことがない。

分かりやすい最近の例を二つ上げる。今回の今村大臣辞任関係でも、総理は「任命責任は自分にある」と発言している。この台詞は大臣が不祥事で辞任した際の決まり文句で、聞かされる側にすれば聞き飽きているものだ。しかし「その責任はただで済むと思うか?」なんて下品な突込みは聞いたためしがない。二つ目は北朝鮮をめぐるアメリカの反応についてだ。シリアの爆撃から始まるアメリカの反応に関して、少し常軌を逸していると感じる人も多いと思うが、これも外国のことだから仕方ないとしよう。

現在アメリカ軍は北朝鮮に対して訓練と称しながら、軍事的には完全な威嚇行動を行っているが、これに日本の自衛隊が随伴している。このことはどのマスコミも事実として淡々と伝えるのみで批判は一切出てこない。素人考えで言えば、アメリカの戦争に完全に参加しているか、させられている訳で、憲法違反と思える。マスコミ的には正面切った批判が出来ないまでも、問題視すべきこれは重大な問題だろう。

マスコミがまるで第三者のように「中国頼み」を平然と口走るのを聞くたびに、彼らの大いなる勘違いを嘆かずにはいられない。即ち、日本にとっての有事だからアメリカに協力するのが当然で、そのことを否定してかかれば非国民扱いされかねない。とマスコミは考えているに違いない。それが勘違いでなくてどうする。諸君は読者・視聴者の代表であり、彼らに代わって社会の病巣を発見、取り除くための追求をせずにどうするのか。

そんな深い場所の話ではない。目の前に展開されている事実を、普通の市民より少し丁寧に繋ぎ合わせて分析するだけでも、大分異なる報道になるのではないか?外国人から「多くのメディアが自主規制し、独立性を欠いている」との指摘を受けるとは情けない。

「稚気愛すべし」とは言うが

己が小人の極みでいながら他人のことをあげつらうのは問題だろうが、言わずにいられない。現在日本の政治とか経済を動かす中心的役割を担っている人の多くは40歳から60歳前後の人たちだと思うが、ここに大人びた人がいないように見えるのが残念でならない。政治家・官僚でも経済人でも学者にしも江戸時代末期とは異なり、若い時から国家100年の大計を思う人間がいなくても仕方が無い。

どんな家に生まれたにせよ、幼くしては美味しいものを欲しがり、長ずるに及んでそれを手に入れるための学習をするようになるはずだ。学習過程をどう過ごすかが問題になるが、学びの中には個人差があるのは当然のこと。福沢諭吉翁の言を借りれば「生まれながらは平等である筈の人に成長して貧富貴賤の差異が生ずるのは、ひとえにその人がどのくらい学問を収めたかの差である。」とのことだ。

現代は特に多くのことを学ばなくても経済的に富むことが可能になったり、人様の上に立つポストに就くことが可能なので、福沢諭吉翁の意見に個人的に同意しても、賛同する人は少ないかもしれぬ。そんなことは措くとして、人の上に立つ役割になった人、或いは金持ちになってしまった人には、国家のことを考えろとまでは言わない。せめて自分の来し方を振り返って周囲を見回し、この先なすべきことを冷静に考えてもらいたい。

古来、一定の社会的地位についた人間は、それまでの人生と少し異なる方面に目を向けるとしたものだ。中には変な道楽にのめり込む者もいただろうが、従来通りの生き方価値観を変えずに遮二無二突き進む人間はどうしても風格に欠け、大人らしく見えなかったと思う。風格だけ大人っぽくなればいいと言うものでも無かろうが、政府の要人から高級官僚に至るまでこうまで子供っぽい時代は嘗てないように思うのは、単にこちらが年老いたせいだろうか。

正しく老い耄れなので子供っぽいことを否定的に書いてきたが、稚気愛すべしの譬えもある。日本全体で何となく子供じみている人が多いように思うが、子供っぽさにも良いところはあるだろう。しかし官僚や政治家など指導的立場の人たちには、もう少し冷静な大人っぽい判断を示してほしいものだ。

軍事音痴

そこそこの兵器を持たされている15万人近い要員で構成される軍隊もどきの組織を持ち、防衛省と言う立派な役所まで持つに至っている我が日本。外国では防衛省は国防省と同等に見られるそうだ。外国の事情は詳しくないが、推測するに国防省と言えばどこの国でも、全員が軍人とは限らぬかもしれぬが、軍事の専門家で構成されるとしたものだろう。

我が国の防衛省は大臣が軍事の素人であるのは勿論だが、軍隊もどき組織の上に軍事とは無縁の内部部局が置かれて、これが一義的に素人の大臣を補佐する仕組みになっている。軍事組織は他省庁の外局扱いになっているのだ。ところで「軍事」とは何かである。軍事学を学んだことも無いので全く分からないが、一般論として考えてもかなり高度な教養を必要とするものであることは確かだろう。軍事は特殊な世界だから一般論では済まず、専門的領域が多くあるはずで、指導的立場に立つためには相当な専門知識と専門技術を身に着けることが要求されるのが常だろう。

このため防衛省内には一見戦前の士官養成学校に似た幹部の養成学校も存在して、ここの卒業生でなければ軍事組織の幹部にはなれない。しかし、問題は国内で一人前の軍事教育が可能か否かだ。もちろん指導者がいないのだから不可能であろう。幹部養成学校の生徒全員がアメリカあたりの士官学校に留学する仕組みにはなっているかもしれぬが、何れにして国内でまともな軍事教育は出来ないだろう。仮に軍事組織では可能であっても、軍事部門の人間は前述の内局の壁に阻まれて政策決定に関与は出来ない。

軍事政策の全てが素人集団で意思決定されていることになる。なぜこんなことを書くかであるが、昨日と一昨日元防衛大臣二人(中谷氏と石破氏)をテレビで見て、何と素人臭いかと思ったからである。一緒に出演していた若手の政治学者の方が、現状認識や分析力で遥かに明解であるのに、元大臣経験者の発言は共に政治的発言と素人目にも根拠薄弱な希望的観測に満ちていた。そして何よりも問題だと思ったのは、二人とも口を揃えて「トランプの先制攻撃は大いにありうべし」と発言したことにある。

幾ら同盟国の政治家でも、国際法無視の先制攻撃を「あって当然」と平然と口走る神経を疑う。

安心した

アメリカは大統領が決まっても行政機構の人事が進まず無政府状態にあるようだが、軍隊だけは別で、大統領の交代は無関係で、完ぺきな体制が維持できているそうだ。商人であるトランプ氏がいくら海外の戦争にはコミットしないと言っても、軍隊はそう簡単に言うことを聞かない可能性もあるのだろう。世界の警察官にはならないと言って当選した大統領が、半年も経たずに中東のイエメンやシリアで国際法違反の戦争をおっぱじめざるを得なかった。

アメリカ大統領と軍が如何なる関係にあるか知る由もないが、個人対組織と見れば、帰するところは自ずから明らかかもしれぬ。まして我が日本がアメリカ軍の統治下にあることも明らかである。アメリカ軍が中東だけで飽き足らず、東アジアでも北朝鮮を挑発する(に乗る?)のは日本人には迷惑である。しかし国が置かれている環境は運命的なことだから国民の一人としては諦めるほかない。政府もこちらの心配を察してくださっているのだろう。

「北朝鮮からミサイル飛来しても途中で撃墜できるから心配ない。」とか「万一の時は予め知らせてあげるから、このように身を処せば大丈夫。」と気休めを言って下さる。政府だけならまだしも、政権に反旗を翻そうかとの立場に見えた元防衛相の石破茂氏までが、昨日テレビに出演して似たようなことを仰っている。「そんなことでは安倍に対抗できるわけが無い。いい加減にして本当のことを言えよ!」だ。

イラつく思いでいたら今朝孫崎享氏がメルマガで書いてくれた。「北朝鮮がミサイルを日本、韓国に発射する前には、米国の北朝鮮攻撃がなされているか、必至とみられる情勢下になっている筈。しかし米国主要紙のウエブ版を見てもそんな雰囲気は全く無い。例えば今日のニューヨークタイムズ・ワシントンポストのトップ10大ニュースに朝鮮半島における軍事行動関連記事は無くて、北朝鮮関係については、新たな米国人拘束のニュースがあるのみだそうだ。要するに少なくとも今の米国は、北朝鮮攻撃を準備するような状況でない。」

騒いでいるのは『北朝鮮情勢の緊迫で「ツキがまわってきた」と叫んだ安倍首相』の日本だけなのだ。

更に孫崎氏は別のインターネット番組で次のようにも言っている。氏はイラクのバクダッド勤務時代が丁度イラン・イラク戦争の真っただ中で、ノドンミサイル(北朝鮮製)の爆撃を何度も経験しているとのこと。通常火薬でも直径300m範囲…

1強の政治風土

フランスや韓国の大統領選挙に関する報道を見ていると、何れも4人の候補者が接戦を演じているようだ。大統領制は日本に無いし、選挙制度も分からないが、国家のリーダーを選ぶ選挙を国民の大半が真剣に受け止めているようにも思え、少し羨ましくも思う。日本の国政選挙がいつになるか分からないが、意外に近く総理が解散を打つとの噂もある。その前、この7月には都議会選があるので、候補者は既に激しく動いている。

しかし、有権者の方はどうだろう。国民の大半は違うと思いたいが、個人的にはしらけ気分が募るばかりで、政治に関わること、即ち投票先を考えることすら面倒くさくなり始めている。フランスや韓国の人たちは、国家のリーダーの交代が自分の生活と直結することであり、それも自分の投票で決まると信じるだけの根拠があるのだろう。日本の国政選挙も同じ理屈の筈だが、どうも勝手が違うのは何故だろう?

どこからの引用か忘れたが、こんなメモが残っていた。あるフランス人が曰く「日本人の誰彼も、日本の政情についてよく知らないばかりか、どうしたらいいか意見を持っているものは少なく、皆、上の方でうまくやってくれるものと信じ切って任せている。総理大臣が決まる、その人が持つ政策がどうであるか内容が解らなくても、その人が命を惜しまず真剣でありさえすれば、それで信用する。」

政情についてよく知らないのは事実かもしれぬが、後半は明らかな間違いだ。特に<その人が命を惜しまず真剣でありさえすれば>と限定条件を付けていることを不思議に思う。フランスの大統領はそれが当たり前なのかどうかは知らぬが、最近の日本の政治家にそんな人間は思い当たらない。国民の大半は現総理のしたいことをよく理解していると思うし、必ずしも同意していないことが世論調査の結果に表れている。

であるのに、変わるべき政党や人材がいないとの理由で支持率は下がらない。このことが不思議で仕方ないので、誰かに読み解いてもらいたいものだ。

権力の私物化

気がつけば来週で4月も終わり、ゴールデンウィークが始まる。5月病とは社会人なり立ての若い人特有の病気とされているが、ゴールデンウィークは年寄りにとっても少し憂鬱である。どこかに出かけたくなっても人出で混むのと、JRの割引が利かないので交通費が高くなる。図書館にでも行きながら家で大人しくしているに越したことは無いが、果たして我慢できるかどうか自信は無い。

今月末には北朝鮮の動静が注目される日があるようだが、総理は外遊(訪露)を決めている。麻生副総理はつい先日アメリカのペンス副大統領と和やかに懇談していたと思いきや、いつの間にかアメリカに行って、ニューヨークのコロンビア大で講演「アメリカ抜き11か国でTPP発効をめざす、とか、消費税引き上げの条件が整いつつある。」なんて自慢している。国家の会期中であるのは勿論だが、国民に対してさんざ北朝鮮の脅威を煽り立てた割には随分のんびりしたものだ。

もっとも国民の側ものん気なもので、中川経産政務官の破廉恥な事件なんぞはでは少しもびっくりしない。本来であれば、政務官なんて小者ではなく、辞任すべき稲田、今村、山本、金田各大臣も全員堂々と居直っている。こんなことで目くじら立てて自民党議員一人辞職に追い込んでも何も変わりゃしない、と冷めているのか諦めているのか。よそのお宅はお給料がよくなりつつあるのだろうか、銀座で昨日オープンした商業施設は初日から大盛況とのこと。

こちらも「どうでもいいや」と言う気分が無いとは言い難い。しかし、総理の余裕の表情を見るにつけ、ここまで舐められて本当にこれでいいのか?と自問自答したくもなる。

結婚記念日

夫婦ともどもすっかり忘れていたが、昨日が48回目の結婚記念日だった。夕食時に「そう言えば今朝長女から”おめでとう“と電話が来てびっくりしてしまったけど、なんだか分かる?」もちろん分る筈がない。「私もすっかり忘れていたけど結婚記念日よ。あと2年頑張れば目出度く結婚50年、金婚式だから頑張って!だそうよ。」昔4月19日を失念していて婆さんから文句を言われたこともあったが、そんな時代も過ぎ去ったのだろう。互いに物忘れが激しくなる一方だが、そんなことを気にしている陽気ではない。

明日も普通に1日を過ごすことが可能かどうか、心配する日が益々多くなる昨今だ。朝目覚めてから始動するまでの時間は延びる一方で、寝室で相当念入りに体を動かさないとエンジンはかからなくなっている。別室で寝ている婆さんも同じか、もっと程度が悪いようだ。病院通いは双方増える一方で、最近は二人が病院に行かないで済む月は殆ど無い。昔は圧倒的にこちらが多かったが、最近は逆転してる感がある。今のところ、時たま「今日の夕食は外でお願いね」程度で済んでいるがである。

もともと家事は一切せずに任せきりで来たが、いつまで続けられるか心配する必要がありそうだ。一寸した家事手伝いはやって出来ないことではないだろうが、具体的に考えるとどこまで踏み込むかが難しい。当分は「頼まれたら、する」に留めるしかないだろう。周辺には、朝飯くらいは自分で用意して済ますと言う友人が多くなってきた。食事には気を使ってもらっているので、食事の準備をしてもらえないと困るが、先に倒れられたらもっと困る。

そのためと言っては利己的に過ぎるが、6歳年下も選んだ理由の一つだ。しかし互いに70代に突入すると、そんなことを言っている余裕がない。日毎に試練の日が迫ってくるのは仕方が無い。マスコミにも老人向けの生活の知恵のような情報が増えてきた昨今だ。どこまで信用していいか分からぬが、適当に吸収して健康維持に努めるしかないだろう。それにしても我が長女、他家に嫁いで自分も相当なおばさんになりながら、両親の結婚記念日まで憶えているとは大したものだ。

トランプ大統領再評価

外国事情何ぞとんと分からぬくせに、昨日はトランプ大統領の悪口をさんざ書いてしまった。日本の総理については、テレビだけでなくインターネットの国会中継を生で見ているので、平素の振る舞いは大体わかる。従って総理への悪口は取り消さないが、トランプ氏に対する悪口の罪滅ぼしに違う見方を紹介したい。

昨年末トランプ氏がヒラリー氏を抑えて大統領になることを見誤った人がアメリカでも日本でも多かった。この理由として、アメリカのマスメディアの中で、ニューヨークタイムズ・ワシントンポスト・CNNがヒラリー陣営に肩入れしたことが挙げられる。しかし昨夜読んだ雑誌の対談に登場していた黒鉄ヒロシ氏が面白い指摘をしていた。彼はCNNが日本に入ってきた時からずっと見続けているそうだ。次のように語っている。 

「トランプなる人物が登場したのも、ごく初期の時代から知っていました。大統領選の前から今日まで、その道程と言うか、変化と言うのでしょうか、それをずっと見ていて、常識では100%選挙に勝つわけが無いという感じでした。ところが、少しずつ局地戦で化けていき、イギリスのEU離脱辺りからそれと時代の景色が重なってきて、蓋を開けてみたら化け物が当選しちゃった。」

「ずっと彼を見てきた人間から些末なことを言わせてもらいます。実は彼の洋服のセンスはヨーロッパ調で、初期は上等で、おしゃれに見えた。信じられないくらいお金のかかった、センスのいいおしゃれだったのが、どんどんひどくなってきて、今日です。あれは意識的にそうしているのでしょうね。インテリアなんかもヨーロッパ調の品のいいものだったのに、今やあの金ぴかです。」

要するに、トランプ氏は現代社会におけるメディアの力を十二分に知り尽くして、偽善と露悪は有効性を駆使して自分を上手に演出しているらしい。また、「マスコミがあれだけ反トランプキャンペーンをやっていながら、未だに45%の断固支持する人間がいることを忘れないで頂きたい。彼のことをポピュリストと言うのは侮辱です。」と語ったのは伊藤貫氏(ワシントン在住の国際政治学者)大阪の橋下氏や小池都知事と一緒にしないでほしいそうだ。

トランプ氏は子供の頃から金持ちの子だったのに「いざとなったら死ねばいいのだろう」と言う気持ちで、下町の不良と喧嘩に明け暮れた時代があったそうだ。石原慎太郎似ているなんて言う人もいるが全く違う、強いて…

精神医療

(MSNニュース)で昨日配信されたトップ項目にあったタイトル『トランプは悪性の人格障害!?米で精神科医らが解任求める 』ダイアモンド・オンラインの記事に目が惹かれた。一部を以下に引用。

<実は米国ではいま、トランプ大統領の自己制御がきかない衝動性や精神不安定性に対する懸念が高まっている。きっかけは2月半ばに35人の精神科医らが連名でニューヨーク・タイムズ紙に送った、「トランプ氏は重大な精神不安定性を抱えており、大統領職を安全に務めるのは不可能だ」とする内容の投書だった。しかし、米国精神医学会(APA)は「精神科医が自ら診察していない公的人物の精神状態について意見を述べるのは非倫理的だ」とする規定を設けている。

しかし、この投書の後、「危険性について認識しながら、沈黙しているのは逆に倫理に反する」として多くの精神医療の専門家(精神科医、臨床心理学者、ソーシャルワーカーなどを含む)が立ち上がり、トランプ大統領の解任を求める運動に加わっている。彼らが口を揃えて指摘するのは、「現実と空想の区別がつかない妄想症で、サイコパス(反社会性人格障害)の人物が核のボタンを握っていることの怖さ」である。> 引用ここまで

引用文の後、大統領は現実と空想の区別がつかない「妄想症」とあり、具体的な大統領の言動が書かれている。大統領を病人扱いするのは些か失礼かもしれぬが、アメリカの市民の半数近くは本当にそのように思っているかもしれない。アメリカの問題はさておき、翻って国内に目を転じると、ひょっとしたら我が総理大臣も精神に病が発症しているのではと心配になってくる。

総理は腸が弱いとか聞いているので、病院通いは慣れたことだろう。序に神経科を受診をお薦めしたい。別に最初から病人扱いをするわけでない。他人事として言うのでもない、60代の終わり近くには健康診断のつもりで神経科の精密検査を受診した。その時は頭のMRI写真から海馬の萎縮を指摘された。しかし「認知症発症まで未だ少し時間がある」との有難いご託宣だった。果たしてその後の進行状況いま如何にだ。

「サイコパス」も始めてい聞いた言葉なので、以下ご参考までに犯罪心理学者ロバート・D・ヘアの定義をご紹介。
 良心が異常に欠如している
 他者に冷淡で共感しない
 慢性的に平然と嘘をつく
 行動に対する責任が全く取れない
 罪悪感が皆無
 自尊心が過大で自己…

春の山歩き

都内では桜が終わり、ハナミズキが咲き始めた。それはそれで結構だけれど、日曜日が快晴との予報に接して、たまらずお彼岸に行けなかった両神山登山を敢行することにして、土曜日に念入りに計画を練った。日帰りは無理かとも思ったが、この山は前泊ににしても適当な宿が見つからない。代わりに前泊したつもりになってタクシーを奮発することにする。そして先ずは池袋から往復の西武線特急レッドアロー号の切符を購入して、三峰口駅でのタクシーを予約。

行きは池袋発6:50なので、家内の調子がよくないし朝食を自宅でとるのは無理そう。6時に家を出て、行動食を購入しがてらコンビニで朝食。初体験ながらこれも悪くない。飯能を過ぎるとまだ春の気配が濃厚になってくる。西武秩父から秩父線三峰口駅までの十数分間、快晴の朝車窓に流れる桜とも桃の競演は見ものであった。9時前に三峰口に到着してタクシーに乗車。ドライバーさんと両神山登山について色々会話するうちに、予定の登山口を変更することにする。

本当は前日までに予約が必要な白井差登山口の方が、山頂までの距離が圧倒的に短いらしい。15分くらい走った分岐点に停車して、ドライバーさんが登山口の管理者に事情を説明して了解を貰って、白井差口からの登山になった。片道3キロと距離は短いが、勾配は急で休息ポイントが殆ど無い。年相応に体力が落ちているのできつかったが、何といっても天気が最高で、往復の交通機関を全て予約していたこともあり、気持ちの余裕があったせいだろう、慌てずに山登りを楽しむことができた。

雪は数日前にきれいに消えたとのことであり、木々は未だ芽生えていない早春の気配の山道ではあるが、足元には草花が芽吹き始めている。山頂は狭いのでゆっくりはできなかったが、快晴無風360度の眺望は素晴らしく、写真だけですぐに下山。登山口に降りてきてタクシーを待つ間にご馳走になった谷川の水でたてたお茶と帰宅して風呂上がりのビールの美味かったこと。何よりも食事が済んだとたんにバタンキューで、朝までたっぷり寝ることができた。

山歩きの詳細は下記を参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1107881.html

ジャーナリストの基礎体力

一時の報道で政権支持率に影響が出るかと期待したが全くの期待外れ。理由について不思議ではあるが、先日読んだニューヨークタイムズ前東京支局長マーティン・ファクラー氏の著書「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」に、関連して興味深い記述があった。日本における政府とメディアの関係が世界標準から見るとかなり特殊で、メディアがジャーナリズムとして機能していないのではないかと言うのである。

メディアの基本機能は政権に対して「ウォッチドッグ(番犬)・ジャーナリズム」と位置づけらるのが普通だが、日本の新聞やテレビ局は中国かロシアの政府や党の機関紙・放送局と同じに見える。むしろ韓国政府とメディアとの関係のほうが、日本よりはよほど民主的でスマートだそうだ。

ここまではよく聞く話でもあり、現状マスコミから森友学園事件関連報道が潮が引くように薄れて、安倍1強体制の驕慢さにダメージが無いのを見ると、「仰る通り」で読み過ごすところだった。しかし次の1節「これは何も記者クラブ制度にのみ由来するものではない。特に安倍政権はマスコミに対して相当神経を用い、綿密でドライなメディア・マネイジメントを行っているのも事実だが、これに乗せられているメディア側にも相当な問題がある。」が目に留まり、思わず真剣に読んでしまった。

どこの国にも記者クラブ制度は存在するが、日本では運営のされ方に特徴がある。記者会見場にクラブメンバー以外入場を許されないのは有名なことだ。しかも国会の質疑と同様で予め質問者を決めて、質問内容を提出させている。例外の場合どうなるか、はしなくも露呈したのが先日の今村復興大臣の記者会見だろう。今村大臣には官僚が用意すべき答弁内容が渡っていなかったので「ここは公式の場ですから、後で聞きに来てくれ」と言ったのに質問者が聞き入れなかったところに問題の原因があるわけだ。

小泉総理時代は頻繁に行われていた「ぶら下がり記者会見」は、現政権になってから全く影をひそめてしまっている。自民党内で派閥が機能していた時代には、派閥の有力者と各社の派閥担当がウェットな人間関係を構築して、そこからの情報に価値が生じた時代もあったが、現在は先に書いたように、官邸が情報を一括管理して敵と味方を峻別する巧みな情報管理が行われているので、マスコミ情報が全て共産圏諸国の政府機関紙並みになっている。

百歩譲って、ここまでも既知のこととし…

官製道徳

今日の報道を見ると、先日のシリアミサイル攻撃の際の日米首脳電話会談で「米国が北朝鮮に対して軍事行動に踏み切る時は日本に事前通告して欲しいと、日本政府が米国側に求めていることを政府関係者が12日明らかにした。」そうだ。これを自慢気に書いたのは読売新聞とのことだが、もし何の批判も無しに垂れ流したとすれば、新聞も少しおかしい。

本当にアメリカが北朝鮮に対して攻撃を開始したら、事前通告を貰っても日本にとって何の役に立つのだろうか?日本が何を言っても聞くトランプ氏でないのは分かるが、嘘でもいいから「攻撃だけは控えてくれ」と何故言えぬ。馬鹿じゃなかろうか!とは言っても安倍政権では中国に「アメリカを牽制してくれ」とは頼めぬだろうし、日本人にとっては辛いところだ。

ここから本題

仲は良いのだが政治信条がかなり異なる友人がいて、先日こんな話になった。彼曰く「教育指導要領に教育勅語導入結構じゃないか。だって最近の世相を見てよ、昔こんなに親殺しや子殺しは無かったと思うよ。やはり子供の時から道徳の基本を叩き込むことは必要だよ。」「道徳は結構だけど、お上が押し付けるものじゃないだろう。」云々かんぬん。でもなかなか納得しない。世の中には彼のように考える人間がこちらが考えるより多いのかもしれぬ。趣味嗜好と同じで思想の問題だから、善悪ではどちらに軍配とはいかぬだろう。

当日久し振りの外食で、食い過ぎたせいか腹の調子を崩してファミレスのトイレに駆け込んだときのこと。床に落ちている黒皮二つ折りの分厚い財布があり、慌てて用を足さずに飛び出して、ウェイトレスのお姉さんに渡してすぐ個室に戻った。用を済ませて出てくるとお姉さんは忙しそうに働いている。大騒ぎするほどの問題でもないのでそのまま席に戻った。それから30分くらい過ぎてだろうか、レジで勘定しているときに彼女がそばに来たが何も言わない。

黙って帰ろうかとも思ったが、気を取り直して「さっきの財布、持ち主が解りましたか?」と声をかけた。するとやっと思い出したように「済みません、すぐ分かりました。ありがとうございます。」とぺこりと頭を下げた。目の前にいた店長らしきおじさんもびっくりした様子で「失礼しました。あちらの別のお客様かと勘違いしていたものですから。」と頓珍漢な言い訳をした。マナーとか道徳について縁遠い二人なのに、話題が道徳だったので不思議なことだ。

天災と人災

アメリカ軍のシリアミサイル爆撃と浅田真央選手の引退報道が出たおかげで、森友学園関係の報道がすっ飛んでしまった。関係者、特に総理夫人は相当ホッとしていることだろう。マスコミの怖さで狙われたら最後の感もあるが、取材対象によっては中途半端もあるらしい。森友学園関係報道も早い幕引きと言わざるを得ないのが誠に残念である。

アメリカ軍関係にしろ浅田選手関係にしろ、日本ではアッと言う間に忘れられるかもしれぬが、トランプ大統領は「それでも2020年にオリンピックなんか未だやる気でいるのかね。」とつぶやいたと言われている。怖い話だ。

けれど、こちらとすれば地震などの自然災害と同じで、対策の打ちようがないので諦めるしかない。たまたま昨日、数年前の夏に北アルプスの山中で知り合い、いろいろ教えてもらった山友から、彼が所属する山岳会の年次報告書を送ってもらった。彼は埼玉県の職員であるが、現在は県の防災航空センター勤務でヘリによる災害救助に関わっているようだ。

もともと休日の半年は山歩き、半年は山スキーに徹していたようなので、適材適所の配属なんだろう。先月日光で高校生の大きな遭難事故があった時にも彼のブログを紹介したばかりだ。その彼が誌上で遭難防止について詳しく書いている。読むと、一見危険が一杯の山歩きではあるが、自分の注意でかなり危険が回避できることがよく分かった。考えようでは、戦争なんて人災そのもの、こちらの方が遥かに危険で恐ろしい。

アメリカの呪い

私に言わせれば、世界の2大狂人アメリカのトランプ大統領と北朝鮮トップの金正恩氏の関係が、大分きな臭くなってきて気持ち悪い。これまでアメリカについては、日本には多くの識者が存在して、大統領の一挙手一投足に至るまでマスコミを通じて即座に解説されるが、実際は現大統領については予測不能で、何をしでかすか分からない。因みに、米朝間で戦争状態になった場合を想定した韓国側の被害についてのシミュレーションはある(被害者60万人とも100万人とも云われる)が、日本に関してはシミュレーションすら無い。

呑気も結構だが、こんな時には少し冷静になって、少し距離を取った方がいいと思うが、国を挙げてと言えるかどうか、相変わらず<アメリカ命>一辺倒に見えるので、最近読んだ本の一説を丸写しで勘弁してもらいたい。著者は内田樹氏(若い人には人気の結構著名な社会科学者)の随筆で2006年7月の作品である。ブログのタイトルも借用させてもらった。少し理屈っぽ過ぎるきらいはあるが、以下に引用する。

『マッカーサー元帥は戦艦ミズリー号上での連合国への日本降伏文書調印式10日後、9月12日の記者会見で「日本はこの戦争の結果、4等国に転落した。日本が再び世界的強国として登場することは不可能である。」と断言した。これは1951年に上院軍事外交委員会で述べた「日本人の精神年齢は12歳」という評言とともに、日本人の深層にストレス的トラウマとして刷り込まれている。この「4等国」と「12歳」の呪いは私たちが思っている以上に深い。

これは目に見える呪いであるが、同時に目に見えない呪いをかけられて、これが政治的に大きな意味を持っている。それは「呪いはそれをかけた者によってしか呪いを解除できない」という呪いである。「日本はもう4等国でもないし、精神年齢12歳でもない。立派な1等国である」とアメリカに認めてもらわない限り、かけられた呪いから解放されないと信じ込んでしまった。「従属を通じて自由になる」または「対米依存を通じてしかアメリカからの自立は果たせない」と言った理解困難な思考はこの呪いから生じている。

安倍内閣が目論む改憲運動の狙いは、9条第2項を廃することにあるが、その直接の目的はアメリカの海外派兵に自衛隊を差し出すことである。戦後60年間以上これほどアメリカに尽くしてきたのに未だ「自立」を認められないのは、「アメリカのため…

見直したマスコミ報道

土曜日のブログでマスコミが政権寄りすぎると非難してしまった。金正恩氏やトランプ氏と同じ悪い癖で、ある現象を目にすると頭に血が上って冷静さが失われてしまう。反省して、昨日の朝日新聞の記事について書いておきたい。普段朝刊は大きな活字を拾い読みする程度だが、昨日は休日で、しかもいつも観るテレビ番組(サンデーモーニング)がマスターズゴルフ番組の影響でいつも通り始まらなかったので、比較的丁寧に読んだものだ。

極めてまともな記事だなと感心したのは、9日朝刊の2面から3面にかけて書かれたかなり長文の記事である。日曜日はいつもなのかどうか分からないが、タイトルは「考論」とあって二人の識者による対談記録である。「考論」も聞きなれない言葉だがそんなことはどうでもよい。登場するのは長谷部恭男氏・早稲田大教授(憲法)と杉田敦氏・法政大教授(政治理論)。

杉田氏は知らなかったが、長谷部氏は一昨年の憲法調査会に自民党が呼んだにもかかわらず、集団的自衛権行使を憲法違反と断定して有名なったので記憶に新しい。タイトルが『首相官邸「暴走」の底流』で、最後の結論だけ引用する。

【杉田】 それにしてもなぜこれほど行政権力、特に官邸が暴走できるのかというと、ブレーキをどんどんはずしてきたからです。党内派閥は弱体化し、内閣法制局は無力化し、メディアも牙を抜かれている。国民への説明責任を果たそうとしない姿を見ると、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」(アクトン)という格言を改めて思い起こします。

【長谷部】 なりふり構わなくなっているのは、余裕を失っているということでもあります。トランプ米政権は、国際法の根拠も不明なままシリアのアサド政権軍を攻撃しましたが、それも内政が行き詰まって余裕を失っていることのあらわれと言えなくもない。余裕のないまま暴走する。危険すぎます。
両氏ともに至極まともな考えのように思うが、朝日嫌いの人はそうは思わないかもしれぬ。

この週末はテレビでも評価すべきものがあった。テレビは全放送局が政権に毒されていると言われているが、辛うじて頑張っていると言われるのがTBSの土曜日夕方「報道特集」と日曜日朝の「サンデーモーニング」8日の「報道特集」では教育勅語が教材として認められたことを取り上げ、小学校の道徳教育・愛国教育について迫った。取材先はバランスのとれたものだったと思うが、中で印象的だったのは…

読後感「幕末の三舟」松本健一著

著者の松本氏が好きな作家でもあるので、区立図書館で見つけて読んでみた。「幕末の三舟」と聞くと辛うじて勝海舟、山岡鉄舟までは出てきても、高橋泥舟の名前はすんなりとは出てこないし、どんな人かはとんと分からない。幕末、即ち明治維新の功労者として伝えられているのだが、3人とも徳川家では大した身分ではなっかった。年齢は勝海舟が一番上の1823年生まれ、次が泥舟の1835年生まれ、鉄舟が1836年生まれ。但し亡くなったのは鉄舟が1888年(明治21年 享年53)と一番早く、海舟が1899年(明治32年 享年77)、泥舟1903年(明治36年 享年69)である。

勝海舟は幕末の1868年に、官軍の総大将として江戸に迫った西郷隆盛と高輪の薩摩屋敷でさしの直談判(3月半ば)して、江戸市中の戦乱を避け無血の城明け渡しに導いたことはよく知られている。江戸開城は丁度今の時期、4月11日である。がしかし、官軍と幕府の戦はこの年の正月京都(鳥羽伏見)で始まっているわけで、この4か月間に、この3者には海舟の政治的配慮、泥舟や鉄舟の武士らしい生き方に絡んで様々なドラマがある。

話がそれたが、普通に考えれば幕末維新の功労者は当然薩長の武士が中心である筈だ。にも拘らず幕臣の3人が何故「幕末の三舟」と呼ばれているかである。そのように呼ばれるようになったのは明治も20年頃以降のことらしい。3人とも嘗ての賊軍だから当然かもしれぬ。海舟については無血開城の一方の立役者だから理解できても、他の二人は少し歴史を紐解かないと理解が難しい。

少し先回りして書くと、高橋泥舟は若い時から槍の名手の誉れ高く、幕末の動乱期には常に将軍徳川慶喜の個人的ガードマンを務めた。勝海舟は泥舟の単なる忠誠心だけでなく、江戸を戦乱から救うべし、との高い理想を見抜き、江戸城無血開城のために泥舟を西郷のもとに派遣しようと先ず考えた。しかし泥舟は、ありがたい使命だが、いま自分は将軍のそばを離れられない(味方にも不穏な動きがあり、何が起きるか分からない)ので、と言って義弟の鉄舟を推薦したのである。

かくして鉄舟が、静岡まで前進していた西郷に海舟の手紙を届けて、無血開城の下工作をすることになる。敵の最前線から本営までどのように辿り着くことができたか、がまた大きなエピソードだが省略。現在、西郷の言葉として有名な「命も金も名もいらぬ人間でなくては・・…

米中首脳会談報道

我が国は嘘をつくことについて極めて寛容な国である。「国会に証人喚問でもされない限り嘘をつくことは罪にならない。」と平気で言うメディアと解説者のなんと多いことよ。そのせいかどうか知らぬが、内閣(政府)は息でも吐くように平気で嘘をつく。マスコミも身に覚えがあるせいか、明らかな嘘でも深い追及はしない。このように真実味の薄い報道にばかり接して些かうんざりしていたが、今朝の米中首脳会談の報道を見て少しほっとした気分になった。

会談は準備も本番も相当な時間を掛けて念入りに行われた筈だ。当然ながら本番の中身も相当濃いものがあったに違いない。しかし共同記者会見が一度もなかった。更に輪をかけて、1日目の歓迎夕食会(このメニューがまたご粗末なことにびっくりだ)の最中か後か、何れにしてトランプ氏側以外の誰も予想しなかったタイミングで、アメリカはシリア政府空軍基地をミサイル攻撃をしてのけた。当然招待されていた中国にも知らされていなかった可能性が高い。

アメリカのミサイル攻撃については世界の世論が割れている。当然だろう、大統領就任以来世界に向かって「外国の紛争にかかわる余裕は無い」と宣言し続けていたにも拘らずである。シリアで化学兵器が使用されたとの報道が出るや否や、シリア政府軍による許されざる暴挙と決めつけ、電光石火の如くミサイルをぶっ放した。どうしても、アメリカ大統領が不人気挽回のため使うやらせ、ジョンソン大統領のトンキン湾事件やブッシュ大統領のイラク侵略を思い出してしまう。

この振る舞いにも関わらず、中国側は平然たる態度を崩さずに、殆ど予定に近い日程をこなしたかのように見える。ひょっとしたら共同記者会見がなかったことは予定外だったかな。トランプ氏は自分の目標は何一つ叶えられていない、しかし「我々は米中関係におけるとてつもない進展を成し遂げた。」と述べ、習主席はトランプ大統領の温かい言葉に対し、「この首脳会談に他に類を見ないほど重要な意義」があったと述べて謝意を表した。と報道されている。これは外交上のプロトコル(標準手続き)だろうから目くじら立てるには及ばない。

今日の報道だけでは、哲学の異なる首脳同士が会談を持った意味をどう捉えたらいいか、俄かに判断しかねるが、会談の中身が空疎でなかったことだけは想像できる。何をしでかすかわからないアメリカの新大統領に慌てふためいて面会を乞い、米中首脳…

文書の廃棄

小学校入学前のことである。2年近く信州の古い城下町「松代」で過ごしていたことがある。家は南北に延びる馬場町と代官町に挟まれた武家屋敷で、前後左右似たような家が並んでいたように思う。庭には梅や柿や柏などの大きな木が何本もあり、屋敷の南側は結構大きな泉水があった。この泉水は西側の溝から水を引きこみ東側の溝に流す仕掛けになっていて、その出入口は金網があり、中の鯉など大きな魚は逃げ出せない仕組みになっていた。

今となると不思議に思うが、この泉水や屋敷の前の<せぎ>と言ったと思う溝の流れが生活用水の大部分で、井戸が無かった。もちろん当時は水道が来ていなかったので、飲用水と煮炊きに使う水は毎朝100m近く離れた上流の家の井戸から貰い水をしてくることになっていて、これが子供の仕事になっていた。子供と言っても未だ幼稚園の児童である。兄貴の手伝いについて歩いていただけだったかもしれぬ。

このように書いてくると、5歳前後のことをよく思い出すものだ。バケツに汲んで天秤棒で担いできた水はお勝手の流しの脇にあった大きな水瓶にあけられる。反対側には竃(へっつい)2個置かれていて、その間には銅壷(どうこ)が設置され、ここでお湯が沸かされる。竹の火吹きがどこに置かれていたかとか、書き出すときりがない。昨日のことや今朝のことも思い出せないのに、まさに認知症の初期症状かな。

いい加減にタイトルに関係する話に戻そう。この屋敷は兎に角古い文書の宝庫と言えば聞こえもいいだろうが、紙すら貴重な時代だから障子や襖は殆ど古い文書で修理されていたように思う。今もそうだが、兎に角和紙は丈夫だから襖の下張りだけでなく、障子紙代わりにはもってこいだったのだろう。何が書いてあるか分からないので、面白半分に祖母に読んでもらったこともある。今にしてみれば貴重な江戸時代の文化遺産だったかもしれぬ。

文書の記録はいつの時代でも貴重なものだから極力保存すべきものだと思うが、現代はパソコン等電子機器の発達で文書がやたらに増えてしまったのも事実だろう。役所の文書には管理規則があって、保存期間が決められているとのこと。結構なことだが、政権に都合悪い文書が、うまい具合に保存期間を過ぎているので確認できないらしい。昔の文書のように襖の下張りに使ったり、はたきに使って捨ててしまえばそれまでかもしれぬ。

しかし現代の電子システムは少し厄介で、簡…

理解不能

ボケてきたせいか、最近世の中で発生する事件がよく理解できなくなってきた。例えば、東芝がアメリカで原発建設に手を出していたとは知らなかったが、それが原因で会社が破たんしかけていることだけは知っている。そこに持ってきて今度はこの報道だ。「日立製作所は子会社を通じて、イギリス南西部にあるアングルシー島に2基の原発を新たに建設することを計画。建設の実現に向け、子会社がイギリスの原子力規制庁に建設と運営の許可を求める申請をしたと発表。」

日立は今回の申請について「大きな一歩」と評価していて、規制庁の審査を経て許可が下りれば、2019年の後半に着工し、2020年代の前半に1号機の運転開始を目指す計画としている。このように大きな産業政策には国も大きくコミットしていると思うので、狐に抓まれているような気がして訳が分らなくなってくる。

次に今朝の報道、米中首脳会談を前に、早朝に日米首脳が電話会談をして、北朝鮮問題を共通の脅威と言うことで話し合ったそうだ。トランプ米大統領は「机上にはあらゆる選択肢が載っている。」と言い、日本の総理は「極めて力強い返事を伺うことができた。」と喜んでいる。と報道されたが、何のために電話会談をしたのか、意味が分からない。米中首脳会談で北朝鮮問題に全く触れられないとは素人でも考えにくいが、日本の立場からすれば、結果を見守る以外策の取りようは無いと思う。

数日前に書いたばかりだが、テレビで解説者の辺真一氏が言っていた。「日米同盟に何とあるか知っていますか?戦争の際アメリカは日本を守る義務があるが、日本はアメリカを守る必要はないのですよ。」だからではないが、よけいなことを言わずに黙って見まもるしかないだろう。しかしトランプ氏の国内における不人気を思うと、まさかの事態が起きかねないし、そのことは確かに怖い。

昨今自民党の先生方が「敵基地攻撃能力の検討」なんて仰るが、臆病者ゆえに防空壕の設置でも真剣に検討しようかと思ってしまうが、どう考えても手遅れだ。ただひたすら戦争にならないことを祈るしか手はあるまい。首脳同士だから電話代を気にする必要は無かろうが、先方にすれば時間は貴重だろう。こと北朝鮮に関しては、大統領府の全員がここ数日「戦争も辞せず」と同じことを言っている。

我が総理の忠告でトランプ氏がそのトーンを弱めるなり、「戦争にならないよう習近平氏とこれから相談したい…

寄り添う?

やっとと言うほどではないかもしれぬが、花見に出かけたくなるような春めいた陽気になった。入学式に入社式、若い人々には希望に胸膨らむ季節であるが、年寄りの身にそのような感慨も無く寂しいことだ。むしろ介護保険料の値上げ報道なんかに身をつまされる。しかしなんだかんだ言っても年金のお陰で露命をつないでいるので、お上の差配に文句をつけるのは憚るべきか。

なんて思いながらも昨日の今村復興大臣の記者会見、フリージャーナリストの質問に頭に血が上り暴言を吐いて、8時間後に反省の記者会見を開かざるを得なかったことには笑ってしまった。東北大震災の際に復興庁が置かれた記憶はあるが、こんな大臣が現存しているなんて全く知らなかったので調べてみた。復興庁なる役所と大臣は311震災1年後の民主党政権末期の2012年2月10日に内閣府内で発足し、2021年3月31日までに廃止されることが決まっている。蛇足ながら前の大臣はパンツ泥棒で有名になった高木毅氏とのこと。

お騒がせの時だけ国民が知ることになる職位だが、それでも大臣に変わりがない。内閣が役人や大臣の焼け太りを助けているような構図が透けて見えるが、少なくともオリンピックが終了する翌年までは存続が約束されているわけだ。昨日の記者会見で質問したフリージャーナリストの台詞ではないが、こんな役所の存在意義はどこにあるのだろう?江戸に鎮座するお大臣様が被災者の現状に思いを致すなんぞ出来よう筈がない。

復興庁とは無関係と言うだろうが、原発事故による帰宅困難地域の今月からの解除も同じ問題を抱えている。政府の指定が解除されようとも、4月になったら放射線量が急に下がる筈もない。当然ながら、帰宅できると喜んで帰宅する人は被害者の2割にも満たないお年寄りばかり。若い人が帰宅するわけは無いだろう。それでも指定の解除は、政府側に補助金打ち切りの名分を与えることになる。

多くの国民にとって311災害はだいぶ昔の話かもしれぬ。しかし現在でも被害を受けている人が一人でもいたら、そこに寄り添うのが政治と言うものだろうに。ロシアの地下鉄テロに関して総理の発言で「ロシア国民に寄り添う」みたい発言を聞いて感じてしまった。

韓半島

昨日岸田外相が駐韓国大使や釜山領事を任地へ帰任させることに関し、記者会見でこう述べた。「国民の皆様にもご理解いただけることだと思います。」国民の一人であるが、さっぱり理解できない。政府は耄碌爺の一人がどう思うとどうでもいいだろうが、同感の人は少なくないだろう。

日本側が1月に振り上げた拳に関して、友人たちと話したことを思い出す。大方の意見は「なんでそんなにムキになるのか、ほっておきゃいいではないか」と記憶する。振り上げた拳の降ろしどころ(タイミング)に困るのではないか。と心配していた人は少なくない筈だ。今は大統領不在になってしまったが、当時の朴槿恵大統領にしても、国内の半日派の動きには頭を悩ませていたことだろう。

それを承知の上で更に強硬な姿勢を見せたことが果たして冷静な判断であったかどうか、問うまでもない。結局韓国側の状況は日本側から見れば当時より。悪化していることだけは明らか。一刻も早く外交関係を正常化する方向に動くべきであったのに、官邸が強硬姿勢を崩さなかったとされている。単に外交センスの低さを笑ってばかりられない状況になっているようだ。

結局は先週になってようやく、北朝鮮問題を慮ること深刻なアメリカからのクレームがやっと官邸に届いたということだろう。アメリカでも大統領が代わり、米朝関係は相当微妙なところに差し掛かっているに違いない。いくら日米韓とアメリカが中に立ち、日韓は属国同様と言っても、日韓関係がぎくしゃくしたのでは、アメリカの軍事はおろか外交万般に支障が生じるのは当たり前。そりゃ文句も言いたくなるだろう。

話は変わるが、昨日ネットのテレビ番組で韓半島問題の事情通である辺真一氏の話を聞いた。氏の言わんとするところは傾聴に値するところが多かったが、中で一つ抜き出して披露してみたい。氏は嘗て(20年以上前らしい)北朝鮮の工作員の一人が日本側に確保されて(寝返ったか)、自衛隊で実情を説明する現場に立ち会ったことがあり、その時の証言内容を語った。

曰く「北の工作員は東京だけでも数百人はいる。一旦ことが起きれば23区内に3人一組がアクションを起こすことになろう。70人で事足りることになる。
ミサイル防衛について議論していれば済むような話ではない。VXガスなんてものはミサイルに搭載する必要なんかまったくない。」氏が本当に言いたいのは、「アメリカの言うことだけ従って…

読後感「漱石の夏休み」 高島俊男著

サブタイトルは<房総紀行『木屑録』>である。なんと読むか殆どの人は分からないと思うが「ぼくせつろく」と読むらしい。木っ端の寄せ集めと謙遜しているのだろう。漱石が23歳、明治22年の作品である。東京大学の夏休みに房総を約3週間ほどかけて旅行した紀行文で、親友の正岡子規に送ることを前提に書いたようである。ところがこの作品は全文が漢字で書かれているので、残念ながら読みこなせない。そこで中国文学や歴史に詳しい著者の解説が必要になる。

内容的には高々3週間の紀行文で、しかも現在であれば東京からアクアラインで内房に上がって館山まで行って外房に回り、銚子からも少し北に回って帰京しても車なら日帰りコースである。当然ながら目新しいことは無いもないようなものだが、著者の解説の方が余程面白い。例えば漱石と子規は同年の生まれであるが、子規が兄貴分を気取り、漱石は弟分のように振舞っていることが、旅先からの手紙のやり取りなどに表れてくる。

二人とも慶応3年の生まれだが、当時日本のエリート教育がどのように行われていたかも分かりやすく解説されている。先日のブログに少し書いたが、先ず国語である漢文を徹底的に教え込まれた(場所は様々)少年たちが、中学となる年代頃だろうか、東京に出て大学の予備門(高校に匹敵か)に入学するために、そのまた予備校に通うことになる。 彼等の時代は大学が1校のみで、かなり狭き門だったようだ。大学ではまだ教師の大半が外国人で授業は全て英語。

二人とも受験勉強時代には相当英語を勉強したことだろう。しかし、二人が仲良くなるきっかけが、共に寄席が大好きだったことにあると言うのだから面白い。漱石の作品はどこかユーモアに満ちているように感じるが、漢文で書かれても十分伝わってくる。紀行には漱石作の漢詩が大分盛り込まれているが、子規がこれをけなしていたりするが、英語では漱石には敵わないと認めていたりする。日本の文明開化を知るためには大変役に立つ作品だと思う。

少し変だよ

森友学園事件で塚本幼稚園の偏向教育がこれだけ世間から批判されているにも拘らず、昨日次の報道があった。『政府は3月31日、教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。』最初エイプリルフールの冗談かと思ったが、そうではなく真面目な報道らしい。併せて、中学武道に「銃剣道」が追加、なんて報道もある。

こういったことは学習指導要領の改訂で、特に国会での審議は必要ないらしい。教育現場で学習指導要領がどんな意味を持つか知らぬし、これで我が国の義務教育が現政権が期待するほど右傾化するとも思えぬが、先生方が混乱して迷惑をこうむることだけは間違いなかろう。他にも、「聖徳太子がいなくなったと思ったら、やっぱりいました。鎖国は無かったとしましたが、江戸時代は鎖国でした。」なんてこともある。

大阪の実験校「森友学園」の実験は開校を待たずにポシャったことに何一つの反省もないのか?文部省の教育方針に明治憲法の精神を少しでも注入していきたい。安倍内閣の諦めない精神は、稀勢の里や羽生結弦選手と同じにしても褒められたものではないだろう。