官製道徳

今日の報道を見ると、先日のシリアミサイル攻撃の際の日米首脳電話会談で「米国が北朝鮮に対して軍事行動に踏み切る時は日本に事前通告して欲しいと、日本政府が米国側に求めていることを政府関係者が12日明らかにした。」そうだ。これを自慢気に書いたのは読売新聞とのことだが、もし何の批判も無しに垂れ流したとすれば、新聞も少しおかしい。

本当にアメリカが北朝鮮に対して攻撃を開始したら、事前通告を貰っても日本にとって何の役に立つのだろうか?日本が何を言っても聞くトランプ氏でないのは分かるが、嘘でもいいから「攻撃だけは控えてくれ」と何故言えぬ。馬鹿じゃなかろうか!とは言っても安倍政権では中国に「アメリカを牽制してくれ」とは頼めぬだろうし、日本人にとっては辛いところだ。

ここから本題

仲は良いのだが政治信条がかなり異なる友人がいて、先日こんな話になった。彼曰く「教育指導要領に教育勅語導入結構じゃないか。だって最近の世相を見てよ、昔こんなに親殺しや子殺しは無かったと思うよ。やはり子供の時から道徳の基本を叩き込むことは必要だよ。」「道徳は結構だけど、お上が押し付けるものじゃないだろう。」云々かんぬん。でもなかなか納得しない。世の中には彼のように考える人間がこちらが考えるより多いのかもしれぬ。趣味嗜好と同じで思想の問題だから、善悪ではどちらに軍配とはいかぬだろう。

当日久し振りの外食で、食い過ぎたせいか腹の調子を崩してファミレスのトイレに駆け込んだときのこと。床に落ちている黒皮二つ折りの分厚い財布があり、慌てて用を足さずに飛び出して、ウェイトレスのお姉さんに渡してすぐ個室に戻った。用を済ませて出てくるとお姉さんは忙しそうに働いている。大騒ぎするほどの問題でもないのでそのまま席に戻った。それから30分くらい過ぎてだろうか、レジで勘定しているときに彼女がそばに来たが何も言わない。

黙って帰ろうかとも思ったが、気を取り直して「さっきの財布、持ち主が解りましたか?」と声をかけた。するとやっと思い出したように「済みません、すぐ分かりました。ありがとうございます。」とぺこりと頭を下げた。目の前にいた店長らしきおじさんもびっくりした様子で「失礼しました。あちらの別のお客様かと勘違いしていたものですから。」と頓珍漢な言い訳をした。マナーとか道徳について縁遠い二人なのに、話題が道徳だったので不思議なことだ。

道徳は簡単なことかもしれぬが、知識として教えるには難しすぎる。小学生時代には、昨今流行りの「官製の道徳」如き下らぬことを押し付けられるようなことは無かった。代わりに家でも学校でも「長幼の序」は何となく叩き込まれたような気がする。何れにせよ子や孫に道徳を説いたことも無いが、老い先短い今になって遅ればせを述べれば「何よりも自分と自由を大切に」に尽きる。自分=他人でもあるから「他人様に迷惑をかけない」と表裏の関係にあることは勿論である。

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