2018年6月30日土曜日

忘れ物

6月も最終日、朝からからりと晴れた夏空が広がり爽快な気分だ。昨夜早寝をして睡眠がたっぷりのせいもあろう。それに夕食を殆ど取らずに寝てしまったのも良かったかもしれぬ。この半年で何か忘れ物、朝一で落ち着いて考えてみた。見事にやはりあった。今月21日に放射線治療の経過観察予約が入っていて、それを忘れてしまっていた。

9時チョイ過ぎだったが病院に連絡すると「事後の予約変更は電話では対応できません。来院して頂き、総合受付はパスしてカードを来院受付機械に通して、その受付表を窓口にお持ちください。今日は幸い担当の先生が診察日になっています。11時までに窓口に来ることが出来れば、今日診察が可能になります。」と親切なお言葉。

ここが都会住まいの便利さ、早速に飛び出すと、徒歩20分約1600歩で9時半には病院に到着。検査結果が出るまで約1時間は待つが、土曜の病院は外来が少ないようだ。10:45分頃には順番が来て診断を受ける。検査結果は極めて安定しているとのことで一安心。独居になって半年、健康管理する人間がいないので不安があったが、他の指標も先ず先ずだそうだ。検査日を失念する程度のボケは誰にもあること、気にすることでもなさそう。

一旦自宅に戻って逆方向の行きつけの飯屋に、ここも昨日に比べるとまるでがら空き、脳梗塞で一度手術をしながら煙草をやめず、薬嫌いの親父と一頻り病院と病気談義。「俺は医者の言うことは素直に聞くよ。」と反対論をぶちかます。そして「今日はこれ以上歩くのをやめる。」と宣言して帰宅。それでも汗かきが酷かったので初めて昼風呂を使って、洗濯まで済ませてしまった。そして昼寝をしながら考えた。

運動量を減らしたら、昨日のように食事を1食抜くのがいいのでは?理屈にも思えるが、果たして理に適っているかは自信がない。要するに夏場は食欲が減退するのだろう。

2018年6月29日金曜日

季節外れの夏

今朝も長女が大汗をかきながらやってきた。旦那の実家からサクランボが届いたのでとのこと。有難いが、とても一人では食べきれない。ご近所にお裾分けをしてくるよう依頼。朝飯は昨日に全く同じで、電子レンジ-チンのご飯で取り敢えず腹だけは一杯にする。兎に角暑すぎて出歩く気にならなかったが、流石1時過ぎると腹が空く。食べない訳にもいかず、いつも飯屋に。

暑いな!と言いながら座ると、親父さんがいきなり「梅雨が明けたそうですよ。」「エー!」てなものだ。どうせ今朝のニュースはFIFAワールドカップの日本第3戦で埋め尽くされているだろと思い、報道を熱心に見る気にならなかったので知らなかったのだ。帰宅して改めて確認すると、6月の梅雨明けは気象庁でも戦後初めてらしい。長生きしてると珍しいことに遭遇するものだ。

夏が早く来ても今のところは特段困ることも無いが、店の親父が言うことには「本格的夏休みの季節に雨降りが続くなんてことにならなきゃいいですけど・・・」も尤もなことだし、今でも水不足で困る人も多いかもしれぬ。先のことを心配しだすときりがない。「熱中症にならぬよう気を付けて下さいよ。」の忠告だけは真面目に受け止めた。

季節を大事に考える日本人故、季節外れのことはあまり嬉しくなさそうだ。

2018年6月28日木曜日

家庭の味

今日は亡き妻の月命日、6か月目に当たる。早いものだ。長女は割合几帳面なのでお参りに来ると予想していたが、案の定早朝に電話が来て「これから行くからね」とのこと。約半時間程で汗びっしょりかいてやって来た。雨が降りそうだから歩いてきたとのこと。結局降らなかったがご苦労なことだ。仏壇にお参りする際は別の部屋にいて好きなようにさせている。

お参りが終わって、新盆の予定やら等々ひとしきり話を聞く。旦那は8月10日から19日までの10日間夏休みだが、頭の2日間は山形の実家に行かねばならないので、長野の祭事は12日以降にしてくれとのこと。長野の予定は坊さんの都合など、未定のところがあって未だ予定がはっきりしないが問題は無かろう。普段旦那の帰宅は高プロとやらで無休の残業が連日で、23時前に帰宅は殆ど無いらしい。それでも毎朝6時前には家を出るらしいので、夏休みの10日は当たり前だろう。

何れにしても若い世代は大変だ。旦那も苦労しているようだが、娘も急に母を亡くして何かと戸惑いが多いらしい。いつも夏になるとぬか床を母から貰っていたので、今年挑戦してみたが、どうしてもうまくいかないので結局諦めたとのこと。我が家ではぬか床を冬になると処分して、毎年夏に新調するとは聞いていた。どこにコツがあるのか分からないが、買ってきた糠に塩を混ぜて、ビールでも入れてかき回せば出来上がりとはいかぬらしい。

代わりに「先日テレビで観たので、お母さんも作らなかった梅漬けに挑戦したので仏壇に1個置いてあります。後で一口食べてね。」と言うので、「何それ青梅の塩漬けか?」と聞くと「シソの葉が無くてもちゃんと赤くなるとテレビが言っていたのよ。凄く酸っぱいと思うので一口食べたら、後は捨てて良いから。」とのこと。

確かに子供時代、プールに通い始める頃になると縁先に青梅が干してあり、数日後に塩漬けになった青梅が美味くて齧ったことを思い出した。娘が帰った後で仏様からお下がりを持ってくると、何とも言えない変な色をしている。口にしない訳にいかず、一口噛んだが娘の言う通り後は処分させてもらった。母と娘が同じ台所に立たない限り、家庭の味の伝承は難しいようだ。思えばお新香一つにしても日替わりで多くの種類を食していた日が懐かしい。

今は変わり映えの無いもので毎朝食事をすることだけは何とか頑張っているが、そのうちにこれも面倒くさくなって「食わずにおこう」とならないよう、も少し頑張らずばなるまい。

2018年6月27日水曜日

既に酷暑だ

時々雨が降ったりはしたが、朝から猛烈に蒸し暑く、しかも強い風が終日吹いていた。何をするにしても集中できない嫌な一日だった。池袋まで僅か30分だがとても歩く気にならなかった。殆ど家にいてエアコンを除湿で丸一日フル回転させた。リフォームは殆ど終わっているのだが、襖が1枚だけ職人さんが持って行ったきりになっている。

ここに養生のため薄いビニール?を張り付けてあるが、これが家の中を吹き抜ける風で終日シューパタパタと変な音を立てている。当然夜中も音が鳴っている筈だが、昨夜はハイキングの疲れがあったせいか、夜中に一度も起きなかった。しかも最近の生活パターンは5時起床の10時半就寝と定型化している筈が、今朝の起床は5時20分になっていた。珍しいことだ、やはり大したことないと言っても山歩きの効果は大きいと言うことだろう。

オネショでもしたなら分かるが、そんな様子はない。ならば毎晩夜中に起きるのは何故だろか、不思議でならぬ。まさか梅雨が明ける訳は無いと思うが、当分雨はあまり期待できないらしい。雨が好きなわけでもないが、降るべき時期に全く降らないのは困る人も多かろう。雨男の父は黄泉の国だが、雨女の長女は近く住んでいる。城北地方の農家の皆さんに貸してあげたいようだ。

最近如何なる理由か、ニュース報道への関心が著しく低下している。テレビの台数が1台だけになったせいもあるだろう。今も19時のニュースの時間だが、どうも見る気にならない。どうやら党首討論もあったらしいが、聞いても面白味のあることは何も無いだろう。最近一番熱心に観たのはFIFAワールドカップ第2戦の翌朝、引き分けのニュースの後でテレビ朝日が完全再放送をしたのをゆっくり見たくらい。

こんなことで良いのだろうか?

2018年6月26日火曜日

自戒すべき

昨日予告した通り、今日は筑波山に行ってきた。山頂でも標高は870m、標高差はわずか600mだからハイキングには絶好だろうと思い描いていたが、実際登ってみると、これが結構大変だった。しかも帰りに道を間違えてロープウェイ駅に出てしまい、結局はこれで下山する羽目に。2012年と2006年に登っているので3回目だが、これほど体力が劣化しているとは思わなかった。ヤマレコに2012年4月30日の記録があるのだが、これと比較すると嫌になるほどの差がある。

今後はこれを教訓に山歩き計画を立てるようにしたい。先日信州の根子岳登山で貰ったパンフレットに書いてあった山登り10訓が思い出される。
その5.「年齢を考え、ひかえめ登山ー過去の体力、過去のものー」全くその通りだ。遭その3.には次のような記述もある。遭難者には「登る前から遭難している」と言われても仕方がない方がいらっしゃいます。

そう言われないようにしなくてはならぬ。


2018年6月25日月曜日

ひたすら暑い

真夏の暑さになった。外を歩けば熱中症になりかねない。程々にして帰宅してネット碁で3、4時間遊んだが、家の中で汗をかいている。これが木曜日まで続くらしい。家のリフォームがひと段落して何もすることが無い。ボケて死ぬのも嫌なので明日は久しぶりに筑波山に行くことにした。同じ汗をかくなら山を歩いて、山頂でかき氷でも食して爽快感を味わうのも一興だろう。

2018年6月23日土曜日

「拉致問題」

大学時代の同級生に韓国人の同級生が一人いたが、時にマージャンしたくらいであまり近い付き合いはしなかった。長じて韓国クラブ通いもしたが、半島人との付き合いは殆ど無しで来ている。少なくとも終戦までは同じ日本人だから、在日の半島出身者或いはその2世3世は多いだろう。半島は日本の敗戦で解放されたが、国が分断され、必ずしも良いことばかりではなかった。今年に入って韓国と北朝鮮の関係が急速に変化しつつある。長いこと戦争状態にあった状況が、平和に向かいつつあるのだから誰から見ても喜ばしい筈で、世界中がこの動きをエンカレッジ(歓迎促進)すべきだと思うし、事実この動きを懐疑的に見ている者や国は少ないだろう。

国際的知識に欠けるので、この動きは実に急転直下に見えるが、アメリカや北のトップにすれば相当念を入れて軌道修正を図りつつあるのかもしれない。トランプ大統領とはその就任以前から既に何十回も直接話をしている我が総理が、その気配を感じ取れずにいたことをどう評価すべきか。トランプ氏をまるで精神分裂症患者同様に扱い、言動の予測が不可能、従って想定外のことが発生したなんて総理のための言い訳は聞きたくない。マスコミは日本が蚊帳の外に置かれた原因をきちんと検証すべきだろう。

流石にマスメディアにはあまり登場しないが、ネットを見ていると「米朝の新しい関係は日本の国益にそぐわない」と真面目に言う者さえいるし、一部の政府高官や応援団の中には、マスコミに登場して堂々と「我が国は緊張感をますます強固にして、武力に対する防衛を強化しなければならぬ。」と口走る者さえいる。我が国言論の主流が<米朝関係が壊れて東アジアに再び戦争の危機>を歓迎ではなかろうが、これではマスメディアに政府の間違いを検証せよと言う方が無理だ。

冒頭に書いた通り個人的差し障りは無いが、半島関係者が周辺に多すぎる。生半可な情報で変なことを書くと何処に迷惑が及ぶか、それこそ予測不可能だからこの問題には触れないようにしてきた。しかしここに来て安倍政権は「拉致問題」を殊更取り上げようとしている。少し前に書いた通り「拉致問題」とは何を言うのか、具体的な意味が分からない。昨日図書館で2010年の雑誌「世界」に掲載された「家族会と救う会の闇」と題する青木理氏の記事を読んだ。

未だ分からないことばかりだが、全国に散らばる拉致被害者を糾合して家族会を最初に立ち上げたのは、共産党分子だったことは確かなようだ。現在は政治家が家族会を利用しているのか、家族会が政治家を利用しているのか分からぬが、己自身マスコミを通してこれを一種のショーとして見ているのかもしれぬ。十分反省する必要がありそうだ。

2018年6月22日金曜日

茶番国会

1年3か月かに亘り国会審議を無意味なものとして、行政府の長が数か月前に国会に対し嘘をついてきたことを正式に謝罪した。我が国会とメディアは、総理大臣の謝罪に対し誰がどのように怒ったのだろうか?3大権力の一角にある司法は、道義上の問題なので司法的にはお咎めが無いそうだ。一応は「できません」と言っているが、嘘をついた張本人まで特定できているのに、咎人を一人も出さないとは見下げ果てた日本の司法だ。

国民の大部分は総理その人が犯人の張本人であると分かっている。しかし彼が「私が指示したことです。」とは口が裂けて言うまい。であれば嘘を言ったことが明確になった佐川元国税庁長官くらいは舌をちょん切るくらいの厳罰に処すべきだろう。これが出来ないことが民主主義だとすれば、民主主義なんか無い方が善い。盗人猛々しいとは実に今の政府与党のありようと言える。大した法案も無いのに来週以降約1か月も会期を延長するとのこと。

まさか議員手当稼ぎではないだろうが、政権幹部の私利私欲に基づくものであることだけは確かだ。この茶番に向き合っている国民の一人として思うのは虚しさばかり。無意味な国会に費やされる税金が幾らか知らぬが、それより責任を取る者が一人も出ないことの方が恐ろしい。「さるかに合戦」では蟹をだましたこずるい猿は最終的に子蟹に協力する栗と蜂と牛糞と臼の協力で非業の死に至る。或いは「カチカチ山」では、爺さんの留守中に婆さんをだました悪い狸が、帰ってきた爺さんに同情したウサギの協力で掴まって狸汁にされてしまう。

何れも因果応報、天網恢恢のたとえ話であるが、現代っ子には通じまい。小学生の頃から「天知る、地知る、己知る」で、兎に角一番いけないことは嘘をつくことであり、嘘は必ずばれる。と教わってきたが 今やそんなに大した問題ではないのかもしれぬ。なんたって総理大臣がバレてもともと「謝りゃいいだろう、何か文句あるか?」である。小さい子供がいないので分からないが、両親たちもやり難いことだろう。

2018年6月21日木曜日

憂うべきこと

10日くらい前のことになるが、政府が「2018年版の科学技術白書」を閣議決定との報道があった。詳細は分からないが次に一部を引用すると「見出しが<憂うべきこと>で、科学技術について日本の基盤的な力が急激に弱まってきている。日本の研究者による論文数は、04年の6万8千本をピークに減り、15年は6万2千本になった。主要国で減少しているのは日本だけだという。同期間に中国は約5倍、米国も23%増、同期間の世界ランクも4位から9位に落ちている。」だそうだ。

科学者がノーベル賞を受賞したりすると大騒ぎになるので、凡俗からすると、日本人科学者も頑張っているなと思ってしまうが、世界水準の地位は低下しつつあるようだ。これがなにを意味し、将来にどんな禍根が発生するかはとても言える立場ではない。何れにしても天才をどう育てるかの話だろう。ひょっとすると教育制度なんかが関係するのかしれないが、あまり興味は無い。

むしろこの記事の「力が急激に弱まった」を見て思ったのは、科学技術ではなくてジャーナリズム(報道)のことだ。ジャーナリストを志す青年が増えているのか減少傾向にあるのかは分からない。そもそも昔から今に至るまで、日本の学生は科学技術系の青年は必ずしもそうではないかもしれぬが、社会に出る際に職業より会社を選ぶとされている。経験的にも全くその通りだった。 

幸か不幸か分からないが、報道機関の大手マスコミは今のところ給料が良いことでも知られている。従ってジャーナリスト志望の青年に優秀な人材が集まらないとは言えない。しかし冷静に見る限り、日本のジャーナリズムが健全に機能しているようには思えない。むしろ彼等のインキュベーター(保育器)であるべきマスコミについて読者(視聴者)の一人として言えば、著しく劣化しているようにも見える。

即ち、昔から社会の木鐸とされた使命感をかなぐり捨て、会社の経営を慮る故かどうか、庶民の立場になって社会不正の摘発や権力への牽制に熱心には見えないのだ。更に悪いのは権力に阿る者がジャーナリストを名乗って恥じない傾向迄出現している。もちろん頑張っているジャーナリストも皆無ではないが、殆どが個人的あるいは脆弱な経済基盤に依っているにすぎない。大手マスコミに在籍する良心派は少なくなる一方。マスコミで重宝されるには政権への阿諛追従が必須のようにさえ見える。

良心的な真のジャーナリストを育成するために何が必要か?答えは用意できないが、これこそ「憂うべきこと」に思えてならない。

2018年6月20日水曜日

サランスク

風邪気味なので早く治そうと昨夜は8時頃に床に就いて寝てしまった。尿意を催し起きたのが11時少し前、確か9時頃からサッカーワールドカップの日本戦があった筈、どうなったか気になってテレビをつけると未だ選手が動ている。寝ぼけていたのでとっさには分からなかったが、よく見るとライブで後半35分少し前、しかも日本が勝っているではないか。流石にこれには驚いた。アナウサーの声も上ずっていたが、ルールがよく分からないが、どうも相手のコロンビアはメンバーが一人少ないらしい。

野球でも相撲でも大きな試合を観ると応援している方が必ず負けるので、いつも婆さんから「あっちの部屋に行きなさい」又は「早く寝なさい」と命じられ、それに従った。そして翌朝好結果が出ていると「爺さんが観なかったので勝てた。」と褒められたものだ。サッカーの場合、1点差ぐらいは最後の数分でひっくり返るのはよくあることぐらいは知っている。だから日本のためにテレビを消そうかと思ったが、水を1杯飲んだら喉が少し軽くなったのでそのまま観続けてしまった。

幸いジンクスが破れて日本は勝利した。監督以下主な選手インタビューも観て、改めて寝たのは11時20分頃だったろう。多くのサッカーファンには大きなプレゼントだったに違いない。何となく暗い世相の中でスポーツは平和への拠り所、しかも日本チームが金星とくれば結構だらけで、総理の言う地球儀俯瞰外交なんぞ糞くらえだ。

ところで、自慢にならないが、海外旅行に無縁の人生だった。特にユーラシア大陸で行ったことがあるのは韓国と中国の一部だけ。興味が無いわけではないが、地球を俯瞰的にイメージできないのは残念であるが仕方ない。ロシアも隣国でありながら知識が殆ど無い。一時は悪の枢軸の中心に位置し、現在の北朝鮮のように悪役を一手に引き受けていた時代もある。ソ連邦の崩壊で国情がどのように変わったのか知る由もないが、ロシアは相変わらず広い国、酒飲みは多いが決して豊かではなさそう。人口はアメリカの2割程度なのに未だに軍事大国(きっとアメリカも一目置いていることだろう)であり、若い女性に美人が多い国程度の印象である。

都市名で知っているのは首都のモスクワの他はサンクトペテルブルク、ナホトカ、ウラジオストクだけかも。サランスクなんて都市は勿論初耳である。先日買ったばかりの地図帳でさっそく調べてみた。地図帳で調べるのも小学校以来かもしれぬ。苦労の末やっと見つけたが、すぐ分からなくなってしまった。再び挑戦してマーカーで印をつけた。ロシアもそうだが地球が広く大きいこともさることながら、己の知識の乏しさを改めて痛感した。

2018年6月19日火曜日

人知は無限か?

最近地震が多発している。自然界には人知を超える現象が多々存在することは昔から一応理解はしているつもり。万物の霊長なんて夜郎自大なことを抜かそうと、所詮人間なんて愚かな者だから、あまり身の丈に合わないことは考えない方が善いとも思う。しかし人類は地球誕生から何十億年か知らぬが、絶滅せずに生き延びているのも確かだ。そして嘗ては未知とされていた現象を解明しつつ、千年を単位としなくても百年前には考えられなかったようなライフスタイルを生み出している。

変わっていないのはある種の集団生活を営み、集団同士が時に激しく殺し合いの生存競争をすることぐらいだろう。未だに人類が増え続けているようだから、この殺し合いも、ひょっとすると種の保存本能に依っているのか、なんて書きたかった事とは正反対のとんでもないことを思ったりしてしまった。思いを元に戻せば、物心ついて既に半世紀以上、ライフスタイルの変化は表現できないくらい変わってきている。これ即ち科学の進歩と日本の経済発展の賜物かもしれぬ。

それらにケチをつけるのも如何ではあるが、最近は科学技術進歩のお陰で、身の回りに恐ろしいばかりの自動化機器が氾濫する状況になっている。電話機を個人ごとに持ち歩いたり、盥や洗濯板が自動洗濯機になったり、牛馬の代わりに自動車を平民が乗り回すことが出来るのは誠に有難き次第と感謝せねばならぬだろう。かく言う己も何の知識も無いまま文明の利器に頼って駄文を綴り、以て老後の楽しみとしているのだから何をか況やではある。

だがしかし、人間が開発した人工頭脳が人類の何万人に一人、否何十万、何百万人に一人かもしれぬ超天才棋士を簡単に打ち負かす実力を示し始めたのを見て少し恐怖を覚え始めた。タイトルは忘れたが昔観たハリウッド映画に、米ソの軍用コンピュータが勝手に意思を疎通するようにり、機械が人類を恐怖に追い込む設定があったのを観た方もおられるだろう。実はつい先日友人が最近購入したホンダの軽自動車に同乗させてもらった。

これが映画「007」のスーパーカーならある程度理解できるが700㏄にも満たない軽である。新車故ご他聞に漏れず自動化機能満載のようだ。運転していた友人も言っていたが、同乗させてもらっていて自動操縦機能にある種の居心地の悪さを感じてしまった。幾ら安全対策と言え、運転に関し人知を超えるところまで機械に面倒見てもらう必要があるのだろうか?耄碌したら機械は使わない方がハッピーなように思えてならない。

2018年6月18日月曜日

高校同期会

先の週末土曜日の夜信州上山田温泉で高校の同期会があって参加してきた。毎年11月11日との決まりだったが、今年は卒業60周年を控えて泊りがけでするので日程が変更になったとのこと。昨年のブログを見ると、出席者は日帰りながら48名と書いてある。今回は幹事の努力のお陰だろう、54名が参加した。それでも一時は約400名強の卒業生のうち100名近く参加した会もあったので、寂しが募るのも事実。

卒業当時から名前も知らない友人は多いし、当時付き合があったにしても半世紀以上の時間が経てば、会った瞬間に名前を思い出せる友人の方が少ないに決まっている。それでも毎年開かれるこの会はやはり相当の楽しみである。偏に永久幹事を引き受けているU君のお陰、彼が同期の卒業生全員に気を配って、その動向を常に把握する努力を続けているからだ。400名と言えば戦時編制の大規模中隊以上、生死を共にした間柄でも半世紀上に亘り全員と音信を取り続けることは容易ではあるまい。U君には心から敬意を表する。

いつものことであるが、彼が会の冒頭に物故者について説明があり、黙とうを呼びかける。聞くと物故者がついに三桁の大台に乗ってしまったようだ。出席している者どもも、五体満足なんて者は皆無に近いだろう。宴会が始まる前にこれも恒例となっている幹事に選抜された友人の講演が行われた。今回は整形外科医で現役の友人A君。数年前別の機会にやはり同期の内科医の友人が言っていた。「長生きの方法なんかあるならこっちが聞きたいよ。」

A君も似たような気分だろう。壊れた部分を直すだけだから長命に役立つかどうかは別だ。と言いながらも、一応医者らしく「年をとっても運動は出来るだけしなさいよ」とか「身体を余り冷やさないように」なんて説教を聞かせてくれた。聴衆も全員殆ど78歳だから説教が効くとも思えないが、興味深かったに違いあるまい。

兎も角これに続く宴会ですっかり気が緩んでしまった。飲み過ぎるほど飲んだわけではないが、何を話しても楽しいことばかり。その上会場が温泉旅館だから、普段の生活リズムがすっかり狂って風呂に何度も入ったことがいけなかったかもしれぬ。翌日は地元出身の友人に案内してもらい、聖湖高原(これがまた素晴らしい天気とロケーション)を散策して東京まで送ってもらったのだが、何と風邪をひいてしまった。

耳鼻咽喉科に行って調べてもらうと、喉の痛みは大したことは無いらしいが、普段会話をしていないので声帯が緩んで声が出なくなっているのだそうだ。これも特効薬は無いらしいが、本を音読しろとのこと。とても無理だ。

2018年6月15日金曜日

父の日

明日から1泊でまた信州に行くことになっている。年に一度の高校同期会、この年齢になると懐かしい友達と来年又が期待できない意味もあるので不参加にはしたくない。この土日が父の日らしいが、そんな事情もあり、長女が熨斗紙に「お父さんありがとう」と書かれた菓子折りを届けに来てくれた。好物の虎屋の羊羹である。独居であることを踏まえたのであろう、山に持っていけそうな一口サイズの小口パッケージなっている。

子育てには一切関与せず、生涯連れ合いに任せきりだったので、よく言われたのが「我が家は毎日が父の日、何で今さら父の日なんて要らぬ話よ。」仰る通りだが、流石に娘どもが他家に嫁ぐと、彼らがお菓子などを送ってくれるようになった。昔は菓子なんか少し多めに貰うと、婆さんがご近所にばら撒いて不必要にオヤジが食べ過ぎないように管理してくれていたが、今はそれが叶わない。娘達もその辺心得てくれているようだ。

早速1個封を切ったが、お茶を淹れるのが面倒になって半分で止めてしまった。こう言うところが独居の不便さである。

娘が帰ると雨が降り出して土砂降りとなった。それでも昼飯は外で摂らなくてはならない。長靴を履いて馴染みの飯屋(週に3回は行くだろう)に行くと親父が喜んでくれる。今日の日替わりランチは<ロースかつ定食>790円也であるが、この店の日替わりランチの中で一番美味くてお値打ちと思っている。しかも馴染み故、他のお客さんは盛り合わせがキャベツだけだが、こちらにはトマトとキュウリの切り身が二切ずつ乗っている。4人掛けのカウンター席の端に座っているのだが、何となくお尻がムズムズしないでもない。

しかも食事が終わるころになると、女将さんがこれも特別にお茶を持ってきてくれる。客の殆どが何処の何方かは知らないが見知った顔であり、向こうもこちらの顔はよく知っている筈だ。オヤジも女将さんもお客さんもしれーっとしてこちらを見ることも無いし、今やこちらも慣れてしまった。きっとこちらがいない時に女将さん辺りが「あの人は可哀そうな人ですよ。」なんて解説してくれていれば有難いのだが。

2018年6月14日木曜日

食料問題

誰が言ったか「働かざる者食うべからず」だそうだが、人間食わずにはいられない。独居老人になって早や半年近くになるが、最大の問題は食料問題である。確かに食い物はお金さえあれば巷に溢れている。お金は、働かなくても1日当たり5千円近くが死ぬまで年金として支給されるシステムになっている。雨露を凌ぐ住まいを確保するために、支給される半分を当てるとしても、物価が高いとされる東京住まいであれ、2千5百円あれば3食は楽に食えるだろう。

考えてみれば有難い国、世の中と感謝せねばならぬだろう。だがしかし、その食事は当てがいぶちとはいかない。有りがたき年金の残額を頭に入れて毎日3度の食事を何にするか考え、自分で調達する必要がある。歩いて行ける範囲で調達できれば予算の範囲だから良いだろうが、交通機関を利用するとなると、その費用を食料費に食い込ませなけらない。昔から算数が苦手だからこの計算も厄介だ。

親父は百姓家の出身だった。5男であったことも関係しているかも知らぬが、兎も角百姓家を飛び出し、花の都で一旗揚げることを夢見たようだ。どうも血は争えないようで、若い時は似たような思いでいたのも事実。この考えは戦後育った者には共通でもあろう。父方の数多い従兄弟連中でも現役の百姓をしている者は一人だけになってしまった。彼もほぼ同い年で同じ3男、最初はご多分に漏れず百姓を嫌って都会に出たが、兄が次々に亡くなり結果的に田舎に戻って百姓になった。

周りも似たように後継者がいない家が多いのだろう、他家の耕作請負までして手広く農業を営んでいる。もう5年以上前になるが、泊りに行き、先ずその生活の近代的なこと食生活の豊かさと伯母を含め全員が健康であることに驚いた。加えて帰りには、お土産に米をたくさん貰って婆さんに喜ばれたことを思い出す。今になるとこの従弟が羨ましい。百姓が都会人と違うのは朝早起きしなくてはならないこと、土日休日とはいかないことぐらいのものだろう。

歳を取れば否でも早起きになるし、金を払ってまで運動したりする。全くアホらしい限りだ。個人的な食料問題もさることながら、農業、農家、農村の実態を知らずに食料問題を等閑視する世相と政府にも目を覚ましてもいたいものである。

2018年6月13日水曜日

トップダウン手法

昨日の米朝首脳会談、専門家と称する人の意見は圧倒的にトランプ大統領に厳しい。前のめりになったトランプ氏が功を焦り、北の非核化について具体的なコミットメントを何一つ取らずに、道筋に時間が掛かることを認め、尚且つその作業が進行中は軍事的脅威を与えないことまで約束している。これでは北の言い分をそのまま飲んだと同じで、話にならないそうだ。

アメリカのマスコミの論調も似たようなことらしい。確かにトップ会談を通じて取り決められたことは「これからは仲良くしようぜ」と極めて抽象的で、武器を放棄する具体論は無いと言える。70年間相手を信用できなかった戦争当事国のリーダーとしては異例なことだろう。しかしものは考えようで、本当に自信がある強い立場ならそのくらいの度量を見せた方が相手も真剣になる。と言うのは素人考えかも知らぬが、折角の仲直りだから良いではないか。

もし本当に半島に平和が訪れるなら日本は大歓迎すべきだが、政府の態度は煮え切らない。この劇的変化(起こるかどうかは未定にせよ)を傍目に、相変わらず安全保障環境の厳しさを唱えて軍事予算を倍増しろ、なんてことを未だに真面目に論じている。問題は外務、防衛閣僚と更にその上の総理の思考回路の硬直性にある。

考えてみると昨日会談した両首脳は、共にトップダウン型のリーダーである。ことの善悪は別にして、何事につけ自分で勉強し理解したことをベースに判断をしている筈だ。少なくともトランプ氏は非核化についてそれなりの勉強はしたと言ってるし、記者会見で「俺は25時間寝ていない」とも言っている。一方の金氏も「足を引っ張る情報で間違った判断をしてきたが、それを乗り越えて・・・」と言っている。

両国とも日本の官僚に比べ官僚の質が劣悪であるとは言い難いだろう。要は、官僚が挙げてくる情報を鵜呑みにするかどうかの問題である。どこの国でも官僚の壁が厚く高いのは見ないでも分かる。現在の日本総理にそれを乗り越える器量を求めても致し方が無い。ただ75年以上前であろうか、近衛総理はルーズベルト大統領との首脳会談を希望したようだが、これを果たすことが出来なかった。今更ながら死んだ子の歳を思ってしまった。

2018年6月12日火曜日

ウォーゲームと拉致問題

かねて書いた通り、今日は世界がそして小生も固唾をのんで待ち望んだシンガポールにおける米中首脳会談の当日。朝9:30からり約1時間半もテレビを注視した。11時半には家を出て池袋まで行って昼食を済ませた後、その次にどうしても見たいテレビ放送は夕方5時からのトランプ大統領の記者会見である。そのため午後は国会図書館に行って、図書館の食堂で夕方のテレビ放送を観ることにした。

図書館での空白時間約3時間は蓮池透氏の著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』を読破した。蓮池氏に関しては悪評も相当あることは承知しているが、改めて著書を読むと悪評をまともに受け止めて良いかどうか疑問もわいてくる。図書館で5時から6時までテレビを観たが、チャンネルは勿論NHK総合、6時になると会見の途中で安倍総理の会見に切り替えてしまった。でも約45分の生放送でトランプ氏の言いたいことは大凡分かったので、良しとしたい。

今はBSフジの「プライムニュース」を観ながらこれを書いている。これは付け足しの様なもので、安倍政権応援団の放送局だから仕方ないが、司会者は勿論ゲストに髭の隊長の佐藤正人外務副大臣とサンケイ出身のジャーナリスト古森義久氏を配して、日本は蚊帳の外ではないよと力説強調させている。余談だが古森氏と小生は大学1年生の時同級だった。何を考えたか知らぬが、2年になる時文学部から経済学部に編入を果たした秀才だ。

書きたいこと言いたいことは山ほどあるが、分かりやすい感想を2点書いておきたい。

1.一国のリーダー或いは政治家として相当問題だと思っていた耄碌爺と若造の取り合わせ、どうなることかと心配であったが、これは完全に小生の眼鏡違いであった。特にトランプ翁が軍事(演習=ウォーゲーム)は金が掛かることを述べたことが印象深い。改めてお二人に敬意を表し、世界平和のために協力することを期待したい。
2.北朝鮮と言えば我々は「拉致問題」がすぐ頭をよぎる。しかし「拉致問題」とは何か全く理解できていないことに気が付いた。100年近い日朝の敵対関係は本来日本が加害者、北が被害者の筈だが、拉致を持ち出すことでこの関係を逆転させることになっている。と蓮池氏が書いている。

2018年6月11日月曜日

テレビへの不満

今日は数か月前に予約を入れていた歯科医の定期検診日だから外出しない訳にいかないが、昨夜からの雨がやまなかった。梅雨寒とでも言うのだろうか、長袖の上にジャンパーを羽織ってゴム長靴、自分でも随分爺臭い格好だと思うが、独居には風邪ひきが大敵なので暖かくして出かけた。婆さんもよく言っていたものだ「今更傍目にどう見えようと構わない、年寄りの冷や水はダメ」である。

陰鬱な天気の影響か愚痴ばかりになるが、ニュースを見てもつまらない報道が多すぎる。日大アメフト部の問題なんぞを実に丁寧に報道してくれるが、アメフトなんてスポーツに関心持つ人間がどのくらいいるのだろうか?日本の学生スポーツは、どこでも運動部、体育会と称し何故か旧軍隊式の変な先輩後輩意識と精神主義が横溢しているのは周知のことではないか。その精神のもとでトレーニングが行わなければ強い部(チーム)が生まれないと言うのも一面の真実かもしれない。

それでも好きな子や親は強い運動部を目指して入るのだから、それはそれで善いだろう。幸い昔から何をしても下手だったので運動部と関わることが無かった。唯一の例外が高校入学当初「山岳部」に入部させてもらったことがある。これも理由は省略するが夏休み合宿の前に退部させて頂いた。もう1例を挙げると、和歌山の変な爺が覚醒剤中毒とやらで変死した事件。これなんかも何が面白いのか知らぬが延々と報道が続く意味は何処にあるのだろうか?

妻の連れ子殺し事件の報道なんか、一度聞けば十分だ。もともと我が家では子殺し、親殺しについて報道機関が取り上げることを不満に思っていた。個別の自己責任だから他人がとやかく言うべきではないとの考えで夫婦の意見が一致していたのである。昔からテレビがこの話題になるとテレビを切ってしまっていたものだ。

かと思えば、新幹線の中で乗り合わせた見知らぬ女性を助けようとした中年男性が狂っている青年に殺されるなんて痛ましい事件が発生している。マスコミはその殺されかたや犯人について興味本位の報道するが、亡くなった男性への敬意をもっと表す報道をすべきだろう。映画『15時17分、パリ行き』のように上手く行かないだろうが、男性が立ち上がった時呼応して立つ人間が一人もいなかったことが悔やまれる。でも己が居合わせて立ち上げれたかどうか?大いに疑問であるのも事実である。

2018年6月10日日曜日

愈々その時が

今週は愈々米朝首脳会談が開催される。世界中とは言えないかもしれぬが、少なくともアジアの各国は固唾をのんで見守っているに違いない。残念なのは日本政府の行動様式である。北の若旦那も就任6年目だそうだから、我が国の総理閣下の在任期間とほぼ同じではないか。若旦那は方法論に様々な評価はあるだろうが、この間ひたすら米朝の話し合いを目指して努力を重ね、その目標に手が掛かりつつあるとも言える。

一方の我が総理、早くから安倍内閣の最大課題と位置づけ、仰々しくブルーの襟章を作って常に着用に及ぶと同時に多くの同調者にも着けさせている拉致問題、その解決のために何をしてきたのだろうか?とても何かしたような気配はない。むしろ北朝鮮とは常に喧嘩腰で、北朝鮮から情報提供があったにも拘らず問答無用で刎ね付けてしまっている。核戦争の危機ムードから米朝会談の機運が高まり始めたのは冬季オリンピックの頃だと記憶するが、この流れを歓迎することもしなかった。

朝鮮半島危機を選挙に利用したり、これを理由に改憲を推進したい気持ちがあるのだろう。平和を愛する国「日本」が余程嫌みたいで、むしろ喧嘩や戦争を煽ってきたとも言える。世界最強の軍事国家アメリカや北朝鮮の指導者の方がずっと平和を望んでいると見るのは僻目だろうか。戦争は一部の者に莫大な富をもたらすのは当然だが、どこの国であれ国が豊かになり人民が潤うのは平和が圧倒的優位に立つだろう。

今日は若旦那が早々に会場国入りしたニュースが流れているし、トランプ氏も既にG7を途中退席して出発したとのこと。何はともあれ両首脳が平和に向けて協力してもらいたいものだ。結果的に日本は資金を大分召し上げられるだろうし、拉致問題は現政権下では解決とはいかぬだろう。それは虎の威を借りて間違った振る舞いに及んだ結果であれば仕方があるまい。

2018年6月9日土曜日

澄んだ空に吹き渡る爽風

一昨日のブログに書いた通り、昨日根子岳のハイキングに行ってきた。この山は故郷長野の善光寺平から南東に位置し、朝に夕に仰ぎ見た懐かしい山である。長野から見ると裾野が実に美しく流れ、麓が有名なリゾート菅平高原高原、スポーツ特にラグビーをする青少年の夏の合宿所、或いはスキー場としても古くから有名である。上信越高原国立公園にも昔から指定されているが、中心の志賀高原から少し外れているので一寸蚊帳の外の感もなくは無い。

新幹線上田駅からの入山するのが普通で、道路も立派に整備されているのだが、何故か公共交通機関であるバスの便が真に悪い。しかし逆の見方をすると、不便な分だけ観光客ハイカーが少なくなるので静けさが保たれ、小生如き山の静寂を好む人には有難い。これで片道数百円のバスが頻繁に運行を始めたら、首都圏からの客で奥多摩の様な雑踏になりかねない。案の定昨日の好天にも拘らず山は静寂そのもの、時折小鳥の囀りだけが聴こえるのみだった。

歩いたコースは往復5キロ一寸標高差でも片道550メートル、しかもアップダウンは無いので非常に年寄り向きコースでもある。もちろんこれだけの情報を織り込んでコース選定をした次第だが、何しろ半年以上山歩きを想像もしていなかったので当初は無事行ってこれるか不安だった。ところが上田駅で乗り込むことになったタクシーのドライバーさんが最高で、彼は東京から上田に移り住んで4年目の人。

都会が性に合わずこちらに住んで、近隣のことを勉強しながら時折近くの山々を歩いているとのこと。小生は都会に憧れ東京住まいだが、住んだことは無いが未だに本籍地が上田なので何かと話が弾んだ。帰りも山頂から電話して迎えに来てもらうことにする。サービス精神も旺盛で料金も大分サービスしてもらったし、彼の話を聞くと上田市はなかなか面白い街でまた来てくなった。彼に勇気づけられたせいもあるだろう、満開の山躑躅と青い空に心地よい風でハイキングは満点だった。

残念なことは東京に着いてからの食事とか洗濯などの後始末、こればかりはこれから自分でやらなければならないのが気懸りだが、入浴と洗濯はリフォーム効果が大分効いている。これから少しずつハイキングを楽しむことにしたい。

ハイキングの詳細はこちらを参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1491839.html

2018年6月7日木曜日

久し振りに思い立って

昨夜の天気予報通り昼から五月晴れ(梅雨の晴れ間を指すらしい)の素晴らしい天気になった。どうやら明日まで持ちそうである。今月に入った頃から大分心境が変わり、出来れば梅雨の晴れ間に山に行きたいと思い始めていたところだ。朝一番で長野県の天気を確認、第一候補の菅平方面をチェックすると先ず問題無し。次に列車を確認。朝6:38池袋発で発てば8:30には上田に到着する。

昨年までであれば、ここまで確認出来れば後は婆さんの出番。出発前の朝飯から行動食、非常食まで準備を整えてくれたものだ。帰りは上田駅から電話をすれば風呂の用意と冷えたビールに美味い夕食が待っていた。しかし今はそうはいかない。朝飯は抜きで車中で弁当でも食うことにするが、行動食・非常食無しはまずい。辛うじてトレッキングシューズ1足とポールは捨てずにあったが、ポールは石突のゴムは無いし傷に錆だらけ、もう10年近く使っているのだから買い替えが必要だ。

これだけ確認して、昼飯がてら池袋に買い物を兼ねて出かけた。列車は平日だから問題無し、ポールは石突だけにしようかと思ったが9千円台の物があったので思い切って新品を購入した。食料は自分で買うとなると難しい。定番のドライフルーツとキャンディーとチョコレートを買ったが勘定を聞くと何と2300円とか。「え、何で?」とよくよく見れば、チョコレートが1500円もする代物。

ポケットに入れて持ち歩くには1個々々包装してある方がべとつかなくていいだろうと選んだのが失敗の巻だった。考えてみれば我が女房、山歩きなど全くしないのに、一口塩羊羹だの柑橘類は切れ目まで入れて保冷用の容器で用意してくれていたことを今更ながら思い出す。同行するメンバーを聞いて、行動食は友人の分まで用意してくれた。その上出掛ける日程も「明日は大丈夫、晴れ女の私が保証する」なんてことまで言ってくれたものだった。

持つべきは女房だが、彼女はもういない。根子岳は比較的登りやすく安全とされる山だが、明日はお遍路と同じように同行二人でのんびり歩いてみたい。これがそこそこに無事終われば、またボチボチ山歩きを始められるだろう。

2018年6月6日水曜日

古くて新しい友人

普通より少々早い気もするが東京も梅雨入りしたようだ。早く始まり早くに明けてくれれば都市生活者としては有難いが、何分にもお天気のことなので気象庁にでも聞かなくては分かるまい。梅雨の期間は大凡1か月と昔は思っていたが、実際はそれより少し長いような気がする。梅雨明け10日は晴天が続くと信じていたが、これも当てにならなくなってきた。

トラウマの原因は6年前の7月20日、北アルプスの黒部五郎岳を目指して富山経由で遥々入山した時である。梅雨明け宣言が出て数日後だったように記憶するが、どうにも雨に祟られ通しで予定を1日延長せざる得なかった。今となれば東京の自宅で雨に降り込められ全て楽しい思い出に変わっている。昨日一昨日と老人には珍しく忙しかったので、少し肌寒いくらいだが良い骨休めになっている。

このところ図書館からも遠ざかり、約1か月の間まともに読書もしていなかったので、雨読とばかり友人(M・K君)から贈られた自家出版本を読んで過ごした。タイトル「終以文徳懐遠人」<ついに文徳をもって遠人を懐かしむ>と読み下すそうだ。ウィキペディアで調べても習字のお手本で使われることが多いらしいが文徳も遠人も分かるようで分かりにくい。

文徳は平成の次の元号、長生きしたけりゃ日記でも書けや、と勝手に解釈しているが、この友人の日記なかなか濃くて読み応えがある。彼は早稲田大学の経済を出ながら一直線に故郷に帰り、農協(信連)に就職、以来地元で農業を見続ける人生である。こちらは慶應の文学部辛うじて卒業、心ならず(本当はもっと都会的な就職先を希望しながら)農協の機関誌「家の光」専属の広告代理店から社会人生活をスタートした。

動機には偉い違いがあるが、以来結果的には農機具会社の宣伝から始まり、国産食料の宣伝に深く関わることで、知らず知らずに農協とは深い関係になった。従って彼の書くところには大いに共感するものがあるので、改めて話をしてみたい気がする。

2018年6月5日火曜日

大臣給与

今年になって日本の一流企業で文書改竄が次々に発覚して、検察に強制捜査で踏み込まれたりする事件が相次いでいるが、何れもトップが責任を取る形で即座に辞任に追い込まれている。時同じくして昨日、財務省が公文書改竄問題に関する内部調査結果の発表をした。報告書の内容は何も調べていないと同じことで、まともに感想を言う気にもならない。

この発表と同時に、如何なる根拠に基づくものかこれまた不明だが、文書改竄に関わったとされる官僚20名の処分が発表されている。処分が財務大臣名で行われるなら、あなた方の命令で無法なことを強いられたうえ、同僚が自殺までして抵抗した官僚諸氏にしてみれば憤懣やるかたないだろう。ニュースを聞かされるこちらもつらい。

併せて財務大臣が公文書改竄の責任を取って大臣給与の1年分を自主返納、との報道もマスコミ全社が流している。瞬間的に思ったのは「トップの責任を金で済まそうとはとんでもない野郎だ。1年分の給与と言っても高々3千万円くらいのものだろう。お金持ちのボンボン財務相にとってみればほんのはした金、佐川氏の退職金500万円減額ほどの意味もあるまい」だった。

しかし今日あたり聞いていると、金額が170万円と言う言葉が飛び交っている。財務相給与が月額170万円とは随分安いなと思っていると、それもどうやら間違いらしい。大臣給与とは本当のところ何を意味し、幾らなのか調べる気にもならにので分からないが、これすら何かインチキ臭い。どうでもいいが、多くの国民が怒るべきだ。怒って出来ることは選挙で胡散臭い連中を落選させることしかない。小生もその一翼を担うつもりである。

2018年6月4日月曜日

東京水

三日ほど夏のような日が続いた。日中外を歩くには帽子が必要になる。幾つもあったはずの帽子が1個もないので仕方なく近くのスーパーで1個購入した。形的にはハイキングにも使えそうだが、顎ひもが無いので本格的な山用にはならないだろう。

帽子が有ろうと無かろうと、この暑さになると流石に喉が渇く。帰宅してコップに氷を放り込んで飲む水がたまらなく美味い。亡くなった家内は何故か飲用水を必ず買い置き、お茶を淹れるにしても製氷器にも水道水を用いなかった。お勝手のことは一切口出ししないと決めていたので文句を言ったことは無いが、昔から不思議に思っていた。スーパーで他人を見ても、水を購入している人は大勢いる。

外国では水道水は飲用にならないとする国は多いし、事実海外へ旅行した時は封の開いていないペットボトルの水しか飲んでこなかった。日本でも大阪時代は水道水が不味くて飲む気にならなかったことも経験した。従って場所によってはペットボトルに入った飲用水を常用せざるを得ないところもあるだろう。幸い石原知事の時代だったかどうか忘れたが、知事が「東京の水を輸出したい」と自慢していたが、これには同意したい。

ペットボトルの水にはフランスのアルプスの水だことの、国産でも産地を自慢するようなケースが多いようだ。しかし原産地がどこであれ、加工品の水には不安が残る。東京に戻ってからのことだったと思うが、六甲の水を使ったウィルキンソンの水だったか炭酸水から異物が発見されてニュースになったこともある。最近は山の渓流ですら「飲用に適さない」との注意書きを見るようになった。孫たちが小学生の頃、温泉の注ぎ口からお湯を救って飲むのを見て慌てて止めさせたこともある。

とかく不便な世の中ではあるが、東京の水道水には今のところ全幅の信頼を置いているので水道局の皆さんには頑張ってもらいたい。因みに我が家の所在は板橋区と豊島区の境に位置する巨大な水道タンク裏である。越してきた時からこのタンクはコンクリート造りで存在していたが、数年(ひょっとすると10年の上かな)前に巨大な施設に生まれ変わった。一度工場の見学をしたいと思っているが未だ実現していない。

2018年6月2日土曜日

嘘と真

道徳教育は移行期間を経て小学校では今年度から、中学校でも来年度から完全実施となる。幸い小生は修身の授業も道徳の授業も受けずに成人となったので、生活態度は今でも相当問題があろうと考えている。事実、義務教育時代から高校まで学力無き事もさることながら生活態度面では先生に相当迷惑を掛けている。要するに昔から殊更修身だの道徳だのと騒がなくても、先生方は生徒の生活態度に目配りしてくれていたものだ。

現代はどうか知らぬが、読み書き算盤だけ教えれば済むと考えていた風情の先生は一人も思い浮かばない。現代でも教職員のマインドに大差はあるまい。むしろ幾ら評価の必要が無いとは言っても正式教科となったことに戸惑いを感じている先生が大半であろう。指導要領も分からないので的外れなことを言いかねないが敢えて書きたい。昔は教育勅語があったこともあり、道徳の規準見たいものが国民に共有されていたような気がする。

即ち、古来中国朝鮮を経由して受け継がれてきた「親に孝」が最優先徳目だっただろう。これが現在若干薄れて必ずしも最優先とならなくなっているかもしれぬが、それはそれで仕方ない。昔も今も変わらぬ徳目の一つに「正直」があるが、これから学校ではこれをどう取り扱うのだろうか。指導者に是非聞いてみたい。家内の遺品にことわざ辞典が3冊もあったので調べてみた。どれもトップに「正直の頭に神宿る」を置いている。英語も早くから「Honesty is the best policy」を教えるらしいし、ジョージワシントンの桜の木については終戦早々であったにも拘らず、ほんの低学年時代から聞かされて育った。

「嘘」を引くと、何れも「泥棒の始まり」である。しかし、「正直」には「正直貧乏、横着栄耀」があり、「嘘」には「嘘も方便」がある。親子の関係であれば子供が嘘をついたら引っ叩いても良いだろうが、理屈ではこれをどのように教えるのだろうか?財務省の高官はウソがばれても司法が免責してくれて、誰も傷つかないようだ。まして検察にも呼ばれないその上の高官や政治家たちは「栄耀栄華」そのものである。

先生方は頭が痛いことだろう。

2018年6月1日金曜日

自家用車試運転

普段歩くことを専らにしているので、自家用車とはまるで縁が無い。しかし今週月曜日に家の外側に組まれていたパイプが外されたので、明日生ごみとして捨てられるものだけは整理しようと、昨日に引き続き少し外周を掃除した。しかしどうしても生ごみにはならないものがある。隣の家との境の狭い場所に置かれた自転車である。

あることは知っていたが、これまでどうしても捨てられなかった。理由は簡単、殆ど新品同様の代物。ケチだからだけではない、昨年秋家内が退院してきた時、少しでも乗り心地の良いものをとの思いで、家内が新しく買い替えたのだ。家内は長年の習慣として毎日近くのスーパー3軒を日替わりで買い物に出かけた。しかし昨年暮れ頃になると、この自転車さえ乗るのがきつかったようで、出先の日替わりをやめて一番遠いけどタクシー420円で行けるスーパーに絞っていたようだ。要するに新品同様の遺品とも言える。

そんなことを思い出しなら埃を払い、荷台に置かれたシートを干しているうちに久しぶりに乗ってみる気になった。実は一昨日大工さんから「30ワットの電球を買ってきてくれ。」と要求された時に自転車を思いついたのだが、当日は鍵がどこにあるか分からなかったので叶わなかった。昨日のうちに鍵の在り場所を見つけておいたこともある。半年近く使っていないのだから、先ずは自転車屋さんに行って空気を入れる必要があろうと引っ張り出してびっくりした。

空気が減った感じが全くない。自動車にパンクしないタイヤがあ、るとは聞いていたが自転車にも同様の進歩があるようだ。それではと、サドルを上げて乗りやすくし先ずスーパーに行って駐輪、少しばかりの買い物をし、レジ袋をぶら下げたまま近くの普段行かない飯屋で昼食をとる。その後スーパーの駐輪所に戻って自転車で帰宅。時間的には凄く有効で快適であるのは間違いない。自家用車が便利であるのは言うまでもないが、運動不足の解消にはなりにくいだろう。

他に問題は幼稚園々児か小学生のように運転が全く安定しないこと。小学生の頃に大人用自転車の三角乗りで(意味が分からない人も多いと思うが、乞ご容赦)長野から松代(約12キロ)を往復した時の方がまだ自信があった。赤信号と一時停止は何とか分かるが、自転車は基本的に右側通行だろうか、一方通行無視は許されるのだろうか、等々情緒的にも不安が増す意味もある。でも90歳で留置場入りになった婆さんではないが、何となく誘惑に負けそうな気もする。

今日は夕方5:30に池袋で待ち合わせ、飲み会の予定があるのでアップを早めた。