2018年6月21日木曜日

憂うべきこと

10日くらい前のことになるが、政府が「2018年版の科学技術白書」を閣議決定との報道があった。詳細は分からないが次に一部を引用すると「見出しが<憂うべきこと>で、科学技術について日本の基盤的な力が急激に弱まってきている。日本の研究者による論文数は、04年の6万8千本をピークに減り、15年は6万2千本になった。主要国で減少しているのは日本だけだという。同期間に中国は約5倍、米国も23%増、同期間の世界ランクも4位から9位に落ちている。」だそうだ。

科学者がノーベル賞を受賞したりすると大騒ぎになるので、凡俗からすると、日本人科学者も頑張っているなと思ってしまうが、世界水準の地位は低下しつつあるようだ。これがなにを意味し、将来にどんな禍根が発生するかはとても言える立場ではない。何れにしても天才をどう育てるかの話だろう。ひょっとすると教育制度なんかが関係するのかしれないが、あまり興味は無い。

むしろこの記事の「力が急激に弱まった」を見て思ったのは、科学技術ではなくてジャーナリズム(報道)のことだ。ジャーナリストを志す青年が増えているのか減少傾向にあるのかは分からない。そもそも昔から今に至るまで、日本の学生は科学技術系の青年は必ずしもそうではないかもしれぬが、社会に出る際に職業より会社を選ぶとされている。経験的にも全くその通りだった。 

幸か不幸か分からないが、報道機関の大手マスコミは今のところ給料が良いことでも知られている。従ってジャーナリスト志望の青年に優秀な人材が集まらないとは言えない。しかし冷静に見る限り、日本のジャーナリズムが健全に機能しているようには思えない。むしろ彼等のインキュベーター(保育器)であるべきマスコミについて読者(視聴者)の一人として言えば、著しく劣化しているようにも見える。

即ち、昔から社会の木鐸とされた使命感をかなぐり捨て、会社の経営を慮る故かどうか、庶民の立場になって社会不正の摘発や権力への牽制に熱心には見えないのだ。更に悪いのは権力に阿る者がジャーナリストを名乗って恥じない傾向迄出現している。もちろん頑張っているジャーナリストも皆無ではないが、殆どが個人的あるいは脆弱な経済基盤に依っているにすぎない。大手マスコミに在籍する良心派は少なくなる一方。マスコミで重宝されるには政権への阿諛追従が必須のようにさえ見える。

良心的な真のジャーナリストを育成するために何が必要か?答えは用意できないが、これこそ「憂うべきこと」に思えてならない。

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