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明日から志賀高原

週末2日が晴れになるのは7週間ぶりと気象予報は言っている。少なくとも今日は予報が当たって大分春めいた陽射しになった。明日からシーズン1回だけのスキーに行くので北信濃も晴れてくれるとありがたいが、予報ではスキーをする予定の月・火曜が残念ながら雪マークになっている。ま、別にしゃかりきに滑るつもりもなく、高校同期の仲間との飲み会の方がメインだからどうでもいいが。

今は山にいても昼には新聞が届くし、テレビがあるので朝晩ニュースはチェックできる。スマホでも使えばブログを上げることも可能だろうが、スマホは持っていないし、スキー場にいてまで書かなきゃならぬ義理がある訳でもない。何れにしても来週は水曜までブログは休まざるを得ない。3,4日間が空けば世の中も多少変化があるだろうし、頭も少しリフレッシュできると期待したい。
今日は朝から既に、気持ちが志賀高原に飛んでいる。

持ち物なんかは一応準備が出来たが、今年は雪が少ないと報道されていることが少し気になっている。それに今年は仲間が少し減った。毎年10人が集まっていたのだが、いろんな事情が重なり今年は6人とのこと。後期高齢者になっても6人集まれば立派かもしれぬが、昨年までを思うとやはり少し寂しい。何故なら、いつ自分も同じように欠席者になるか分かったものではないからだろう。山歩きもそうだが、スキーなんかも1年ブランクを作ったら、多分それでスキーからは永遠に離れてしまいそうだ。

年寄りにつきものの恐怖感は仕方ないが、先のことは考えずに取り敢えずは現在である。明日からは雪国の風情を精一杯楽しむことにしたい。

違う角度から考えてみたら

日本経済にとっては大した事件でないかもしれぬが、午後ヤフーのトップページを見ると「芳林堂が破産 池袋などに書店」と出ていた。池袋西口にあった5,6階建てビル1棟の堂々たる書店は昔よく利用していたが、とっくの昔に店仕舞いになっていた。終に倒産と聞くと、何となく寂しくもの悲しい感じだ。池袋に限らず、都内では書店の数は相当に減りつつある。ましてや地方都市になればもっとかもしれぬ。今日の午前中は図書館に行っていたのだが、買って迄本を読もうと言う人間が少なくなっているのは仕方ないのかもしれぬ。

書店の経営が厳しくなれば、出版社もおかしくなるだろう。新聞なんかも同じことだろうが、活字文化が変わりつつあることだけは間違いない。昔、広告稼業なので出版社の編集者から、映像文化と活字文化の違いについて講釈をよく聞かされた。曰く、映像は確かに分かり易いが、受け手の思考に結びつきにくい。活字は脳内で思考回路を経るので受け手に対するインパクトが強いのだ。広告効果を強調したくて言っている訳だから、どこまで本気に受け止めていいやらではあるが、影響に違いがあることだけは確かだ。

活字媒体が衰退していく原因がどこにあるか分からぬが、テレビやパソコンの影響は相当にあるのも確かだろう。しかしそのテレビやパソコンのインターネットにしても、どこで衰退しはじめるか分かったものではあるまい。序でに思い出したが、我々が大学を卒業する頃は、文学部学生の優秀な連中は映画会社を希望していたように思う。次いで新聞社、出版社、放送局(テレビ局ではない)てな順番だったような気もする。当時の映画産業は第3次産業の筆頭にいたような気もするが、今やその影も形も無いに等しい。

正に祇園精舎の鐘の声だ。言っちゃ悪いが栄枯盛衰は世の倣いで、どうしようもないのではと思ってしまう。東芝も松下電器(パナソニック)グループもソニーも日立も三洋やシャープ程ではないにしろ、辛うじて生き残っているが、正直なところ気息奄々で昔日の面影は偲ぶべくも無さそうだ。と言っても、日本が急に潰れる訳でもないよ。どうせ野党共に、今後の成長産業が何であるかも分からないのだから、ここは一番腰を据えて、景気なんかどうでもいいから協力して教育にでも力を入れてみてはどうだろうか。

TPP問題

大分昔民主党政権時代だったが、高校後輩の篠原孝氏(民主党衆議院議員)の書いた「TPPはいらない!-グローバリゼーションからジャパナイゼーションへ」を読んで以来、TPPは不調に終わった方が誰にとってもハッピーかなと思っていた。その後政権が自公に移行すると、野党時代に猛反対していた態度を豹変させて、現在はTPP推進のリーダー的国家になっているので、どうなっちゃているのかと不思議に思っていたところだ。

TPPの利害得失については、国会でもはたまに質疑が行われるが、内容が多岐にわたるので明確な回答が得られない。マスコミも内容の議論より立役者甘利元担当大臣のスキャンダルの方に関心が移り、国益を考えた論調にはなかなか至らぬようである。最近誰かのメルマガで、関税自主権喪失は江戸時代末期の日米通商条約締結以来の国辱的大問題(この条約撤廃に要した年月は40年に及んだらしい)との主張を読んで、改めてISD条項を含むTPP問題を思い起こした。

国会質疑を聴いている限り、法務大臣でさえ、ISD条項と日本国憲法のどちらに優位性があるかについては明確な返事が出来ない。ISD条項なんて非現実論だから無視してもいいのかと簡単に考えていたが、この条項の利用は現実問題で国際的に拡大しているらしい。過去半世紀は数件で推移していたものが最新データ(といっても2012年のことだが)年間58件に上っているとのこと。

へーと思っていたら、今度はアメリカでこの問題に火が付いているようだ。今週民主党上院議員エリザベス・ウォーレン氏(2015年「最も影響力のある百人の人物」に選ばれている大物とのこと)がワシントン・ポスト紙の「全ての者が反対すべき条項」という掲載記事で詳しく主張したとのこと。併せてオバマ氏に近いとされてきた民主党ヒラリー・クリントン氏までもがTPP反対を表明したらしい。自由貿易推進の共和党候補でさえ反対を表明とのこと。オバマ現大統領にとって最後の大仕事とか、花道と言われている向きもあるが、大統領が議会承認手続きをいつどのように取ろうとしているかは知らない。

しかし、日本では安倍政権が今国会中の承認を目論んでいるとのこと。国会に於ける質疑が如何に中途半端であろうと、政権が議決を優先すれば数がもの言う世界だから承認は簡単かもしれぬ。大方の農業関係者は反対、輸出(貿易?)産業の関係者と物が安くなることを期…

国会中継を見て

今年に入ってから時々ニュースが流れているアメリカの大統領選挙。日本もアメリカも基本的には民主国家と言うことになっている。彼の国の政治システムはよく知らないし、どちらシステムが優れていると言った問題ではないが、大統領の選び方が偉く丁寧だとは思うし、面白くも思う。日本の総理大臣はアメリカ大統領に匹敵する政治的リーダーである筈だが、選ばれ方がお手軽なのか、どうも存在感が薄い。

国家の政治的リーダーのリーダーシップが強すぎて、北朝鮮の金正恩とかナチのヒトラーのようになるのも困るが、安倍総理のように軽すぎるのも些か問題ではある。選挙権を得てから半世紀上も経つが、日本国憲法も理解せず、基本政策がここまで無茶苦茶な総理は初めてではなかろうか。調べてみると選挙権を得た1960年の総理は岸信介氏である。彼のことは60年安保で嫌なほど騒がれたので当然記憶にあるが、彼が当選した当時は未だ選挙権が無かったろう。

実際に選挙権が行使できたのは池田内閣あたりからだと思うが、今にして思えば貴重な選挙権を行使していたかどうか記憶が無い。当時は住民票を長野に置いたまま東京に来ていたようで、長野の議員名は記憶にあるが、東京の議員名は誰一人思い出せない。在学中は多分投票はしていなかったと思う。個人的なことはさて置き、池田勇人氏以降20年間の総理(佐藤栄作・田中角栄・三木武夫・福田赳夫・大平正芳)6氏とそれ以降35年間の総理(鈴木善幸氏から20人以上になりそう)の間には随分重みに差があると感じざるを得ない。

先に書いたように政治への関心がこの55年間で全く変わっているので、政治内容を云々することは出来ないのだが、総理の資質とか貫禄と言ったものが年々軽くなって、遂にここに極まった感じがしている。リーダーが軽いからだろう、閣僚の資質に至っては言うまでもない。そりゃ池田総理や佐藤総理の時代であっても、官僚のサポートで国会を乗り切ってきたのだろうとは思う。ある意味では、官僚が政治家の代わりに直接政府答弁をすることが出来たから、より強力なサポートであったかもしれぬ。

最近は官僚の政府答弁が認められないので、全て大臣が答弁せねばならないから仕方ないかもしれぬ。それにしても、基本の(き)迄一々後ろに控える官僚に教わらなければならない醜態を毎度見せつけられている。よくもこれで大臣が勤まるものと感心している場合ではない。…

久し振りに山の話

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普段池袋界隈から離れることは滅多に無くなったが、今日は仕事をしていた時から付き合いがあり、仕事を離れてからも何回か近郊の山歩きを共にしたこともある古い友人に誘われて、人形町の高級和食店で昼飯をご馳走になった。友人はさほど齢の違いはないものの、未だ現役でもある。こちらはリタイアしてから大分経つので、彼が現役であることは些か羨ましくも思ったりするが、話を聞くうちに、現役でいればいるなりの苦労や悩みがあることが改めて認識できた。

隣の芝生の喩えではないが、やはりリタイアメントにはそれなりの気楽さがあるのだから、もって善しとすべきだろう。それはさて置き、彼がお土産迄用意してくれて、そのうちの一つが昨年登った北アルプス常念岳から蝶ヶ岳への縦走記録DVD。帰宅して早速ファイルを開いて1時間半以上かけて動画と写真全てをじっくり見た。昨年7月29日から8月1日は梅雨が明けたばかりで、絶好の天気に恵まれた山歩きだったようだ。

我が身を思い出すと、丁度その時は毎日炎天下を病院通いの辛い日だった。しかし現在の体調はあの時が嘘みたいに回復しているとも言える。そんな近況を交わしながら、主に彼の今年の山行き計画についてあれこれ話し合った。本格的決定に至っていないようだが、出来れば今年は南アルプス北岳方面に挑戦したいようでもある。気持ちは分かり過ぎるくらい良く分かるので、つられてこちらもたいして無い知識を偉そうに喋ったりして、久し振りに楽しいひと時だった。

帰宅してから見た映像や画像はどれを取っても素晴らしく、山に対する懐かしさが湧いてきた。しかし幾ら懐かしくあろうとも、応分の体力が伴わないと敵わないのが山登りだ。昨年秋の雲取山で嫌と言うほど思い知った。今年は暖かくなったら近郊の里山からボチボチ山歩きをと考えてはいる。取り敢えずは来週の月火と志賀高原で高校時代の仲間とスキーをすることにしている。ここである程度の体力や脚力について、自分なりの見当を付けて見たい。

ともあれ、冒頭に掲げた写真は、2013年2月11日に丹沢の塔ノ岳に行った時の写真。友人に触発されて自分が元気だった頃を忍びたくなった。今にして思えば嘘みたいだが、3年前にはまだ雪の残る丹沢に行く元気があったわけだ。来週は高校の同期生からもパワーを貰うことになるだろう。兎に角もう少し元気を出そう。

我がファンダメンタルズ

後期高齢者になると希望とか夢なんてことは殆ど無くなってきて当たり前だが、願わくば介護が必要な身となることだけは勘弁してもらいたい。しかし、人生あって欲しいことは実現せず、あって欲しくないことは往々にして起こりがちであるから、願わくばなんて考えない方が良いのかもしれぬ。しかしベランダから投げ落とされた老人のニュースを延々と聞かされていると、気が滅入ってくる。

年間8万7千円支払っている介護保険料が無駄になっても構わないから、給付される側になりたくないものだ。こんなセコイことを考えていて大昔のことを思い出した。大学を出てから丁度40年間サラリーマンだったが、この間支払った失業保険(雇用保険?)も考えてみれば完全な掛け捨てで、1円の給付も受けていない。社会保障制度の中で年金や健保の話はよく耳にするが、雇用保険の収支はどうなっているのだろう?

雇用保険については高齢化現象と関係ない気がするので、騎馬戦型から肩車型なんて騒ぐ必要もない筈だ。有効求人倍率が1以上で就労者も50万人も増えているとなれば、誰が運用しているか知らないが、出金は増えずに保険料は溜まる一方の可能性もある。所管は元労働省だから現在は悪名高き厚労省だ。昔から3流官庁の極みとされているが、そういうところに限って悪銭が溜まり官僚が悪さをする種を作りかねない。

年金のGPIFのように、総理や日銀さんに協力して資金市場で博奕もどきの運用に供するなら可愛げもあるが、数十兆までには届かない金額故政治家の目に止まらないで、官僚の好き勝手、やりたい放題にされているとすれば問題だ。話しが逸れたが、たまたま現役時代にこの3流官庁に出入りしていたことを思い出してしまった。

書き始めた時は、庶民感覚のファンダメンタルズとして、今後益々せこくなって、けちけち生活を徹底しようと書く心算でいた。小難しいことは分からなくても、財布のひもを締めるのは年金生活者としては当然のことだ。しかし、高級官僚や政治家の世界は、感覚がまるで違うように感じる今日この頃である。

確定申告

今日の昼間はとても2月と思えぬ暖かさになった。こんな日がせめて3日は続いてほしいが、今回はそうもいかぬらしい。しかし今年は暖冬傾向だから春は早く来てくれるだろう。春が本格的になったら特別したいことがある訳ではないが、空気が寒いのと暖かいのでは気分が違う。

今週は昨年の確定申告に必要な書類、健保類の控除証明や医療費の領収書の整理などしたが、4月から後期高齢者になった関係で意外に複雑だった。手元に送られてきている源泉徴収票や引き落とし口座の履歴を突き合わせても正確な数字が出てこないものらしい。結局は税理士さんのアドバイスに従って区役所に問い合わせることにならざるを得なかった。

問い合わせ窓口も国民健康保険窓口と後期高齢者保険窓口は異なるので、2か所にお伺いを立てねばならない。何故なら、国民健康保険は家族単位で加入しているので、戸主である自分の保険料は誕生月から後期高齢者保険に移ってゼロになるが、家内の分は残るのである。従って口座履歴を見ても、複雑すぎて何がどうなっているのか理解に苦しむ。


この他に介護保険料もあるが、こいつは年金給付から引かれているので、聞かれてもすぐには答えられない。たまたま仕事をしていた当時世話になっていた税理士さんとの繋がりを切らずに、未だに個人の確定申告を格安で面倒見てもらっているから今日までは何とかなっている。しかし全ての年金生活者が税理士に申告を手伝ってもらう訳にはいかぬだろう。

そんなことを考えながら、税理士さんに書いてもらった昨年の申告書の控えを見ていて考えた。これからは時間だけはたっぷりあるのだから、給付と負担はしっかり自分で確認する必要がありそうだ。先ず、いつ迄税理士さんのサポートを受けられる身分でいるか分かったものでない。そんなことを考えると、年金暮らしも楽ではないと思わざるを得ない。

人のふり見て

先日も書いたように毎日特にすることも無いので、芝居か映画でも観るくらいの心算で国会中継を観て喜んでいる馬鹿な老人である。政府答弁を聞いていると、余りの馬鹿馬鹿しさについ吹き出してしまうことがある。漫才を聴いているのではないから本当はいけないことだろうが、誰かさんと誰かさんを組ませたら本当に漫才コンビを作れそうだ。例えば高市総務相と中谷防衛相、麻生財務相と稲田政務調査会長とでも組ませたら漫才には絶好のキャラではないかと思っている。

どちらかと言えばボケの人材が多くて突っ込み役が少ないかな。下らぬことはさて置き、肝心の政治家としての資質に欠ける人材が見当たらないのは、総理総裁や幹事長でなくとも困ったことだろう。昨日の参議院憲法審査会での丸山和也氏の発言には流石の与党議員もびっくりしたに違いない。その審査会と同時刻に開かれていた「国民生活のためのデフレ脱却及び財政再建に関する調査会」を見ていたので、丸山氏の発言を生では聴いていないが、改めて映像をチェックするまでも無い酷い発言である。

テレビニュースで繰り返し流されている映像を観て思った。実はつい先日、甘利氏事件に絡んでテレビ出演した時から少し気になっていたのだが、彼が非常に老けて見えることである。どう見ても少し痴呆症が進行しているようにしか見えない。最低2、3歳は年長かと思ったが満70歳で大分年下である。現在ウェブサイトが閉鎖中になっているが、ウィキリークスで見ると「趣味は、座禅・寒中水泳・滝行・ランニング・温泉入浴。特に水泳は都内の川を朝早く泳ぐほどの水泳好き」とも書いてある。嘗てどこかでマラソンに挑戦しているのを見た気もするので、結構運動好きも自認しているのだろう。

議員稼業が健康に適している職業であるかどうかは分からないが、普通のサラリーマンに比べれば運動する時間を作ることは楽にできる方だろう。だからと言って丸山氏が現在でも健康に気を付けているとは限らないが、70歳の坂を超えると自分では元気な心算でいても、見かけも言うこともこんな具合になるのかである。毎朝洗顔時に鏡に映しだされている己の顔を見つめ、未だ大丈夫といった気になっているが、他人から見た己の姿は全く異なっている可能性があるし、運動の効果も怪しいものだ。

ブログもいい加減にやめるよう再三注意を受けながら、自分でも少しヤバイかななんて思いつつも相変わらず書き…

空気の発生源「記者クラブ」について

性格的に幼すぎるかもしれぬが、どうも「嘘つき」が嫌いである。政治家には嘘がつきもので、総理は解散とか公定歩合については嘘をついてもいいとされているらしいし、他党とのせめぎ合い、駆け引きの中に生きている関係上からか、嘘をつくことについての抵抗は無いらしい。だから政治家は嫌いで、昔からお付き合いは敬して遠ざけるようにしてきた。

政治家は、全ての国民に対して発言をしなくてはならないゆえ、嘘かと思うことも方便としては許される場合があるのかもしれぬ。しかし仏の顔の喩えもあるように余り度重なると問題だと思う。何故か、ヒトラーが言ったそうだが、嘘も100回繰り返せば本当になるそうだ。昨今の政府の見解を聞いていると、政府がまじで嘘を国民に刷り込もうとしているように見えることが多すぎる。

これも政治家・政党の策略と諦めるとしよう。許せないと思うのはこれを見逃すマスコミの態度である。もとよりマスコミの不偏不党なんかあり得ないと思う。だからマスコミ各社は軽々しく不偏不党を標榜してもらいたくない。しかし残念ながら多くのマスコミはそれを標榜することを前提に企業として発展した来た経緯もある。今更政治的立場を明らかにして「赤旗」と同レベルの経営体になるわけにもいかないといった事情も分かる。

だから建前の不偏不党も我慢しよう。我が社は昔から自民党と仲良くしている、或いは現経営者が自民党の大物と盟友関係だから与党には楯突きにくい、なんて諸般の事情もあろう。しかし建前としての不偏不党がある以上は、政府がつくウソを無批判に延々と垂れ流すわけにいくまい。そこである程度、例えば「甘利元大臣の記者会見はどうも嘘っぽい」程度のことは書かねばならぬ時期が来れば書かざるを得ない。

読者の側も単純だから、それを読んで、やはり新聞は不偏不党の立場で書いていると勘違いをしてきてしまっているのが現状だろう。しかしここに大きな問題があることには全く気付いていないのだ。問題とは何か、賢い方はお気付きだろうが、官庁に存在する日本特有の「記者クラブ制度」である。日本に多数存在する慣習的馴れ合い制度をいくつか挙げれば、建設業界の談合とか政財界のもたれ合いとかいろいろあるが、最もたちの悪いのが官僚と新聞記者の馴れ合い・もたれ合いに尽きる。

戦前の日本社会をよく知らないので的外れになるかもしれぬが、軍部をして戦争ん導いたのは世論(空気…

油断だった

時々変なメールが来るが、大抵の場合は開かずに捨てるように心掛けていた。ところが今日は少し頭の回転が鈍かったようで、変だと思いつつ開いてしまった。しかも添付ファイルを何度も開こうと無駄な努力までしてしまった。しかしノートンのセキュリティーソフトのお陰で添付ファイルを開くことが出来ずに済んだ。正にノートン様々で、パソコンが質の悪いウィルスに感染しないで済んだとは思う。

そのメールを下記にご紹介させて頂くので、同様の被害に会わないようご注意願います。

『拝啓
配達員が注文番号79387227743の商品を配達するため電話で連絡を差し上げたのですが、つながりませんでした。
従ってご注文の品はターミナルに返送されました。
ご注文登録時に入力していただいた電話番号に誤りがあったことが分かりました。
このメールに添付されている委託運送状を印刷して、最寄りの郵便局 - 日本郵政取り扱い郵便局までお問い合わせください。
敬具

郵便局 - 日本郵政:
〒405-5257
東京都港区芝浦4-13-23』

最近殆どインターネットで何か購入などしないのだが、昔はアマゾンで本を買ったりしたこともあるので、間違って何か注文してしまったのかな?なんて思いでつい開いてしまった。油断そのものであった。ノートンがブロックしてくれたから良いようなものの、ジップされたファイルを開いたらとんでもないことになっていたかもしれない。時間的には10時過ぎくらいの時間だったと思うが、その後ご丁寧に迷惑メールフォルダーに3通同じメールが届いていました。

因みに発信人のアドレスは bezdoz@rambler.ruとなっていたので、ロシアからの送信かも知れません。ロシア発のメールを全てブロックするにはメッセージルールで.ruを削除と設定すればいいようです。

芝居見物の心算

今日は衆議院予算委員会が終日 NHKで中継されていたので、それを時々見て大分時間を潰すことが出来た。午前中の質疑で興味深かったのは、軽減税率に関する質疑。民主党の古川元久氏が質問者で、今回内閣が決定した軽減税率には、実施するうえで難しい問題がたくさん含まれており、とても公平で簡素な税制でないことがよく分かった。古川氏に依れば、面倒過ぎて中小零細事業者には廃業を決めるような人が出てくるのではないかとのこと。

麻生財務大臣が主に答弁に立っていたが、大臣自身元々軽減税率に反対だったのだから古川氏の指摘をとても全面否定はできない。ニヤニヤしながら質問を聞いて「みんな慣れるようになるまで辛抱強く待つしかないでしょう。」みたいことでお茶を濁していたが、果たしてこんないい加減税制をまとも実施できるのだろうか?もっともそれ以前の問題で、所費税増税自体が年内解散ですっ飛んでしまうとの噂も絶えない。

このやり取りの裏側には、当然ながら質問者を含めて財務省のお膳立てがある筈だ。財務省は消費税は上げたし、軽減税率は潰したしで悩ましいだろうが、現政権が潰れるのは最も困ることかもしれない。いや、むしろ安倍政権が潰れても麻生政権が復活してくれるなら文句無いベストなんて思っていかねない。予算委員会は総理と財務大臣はずっと座りつづけなくてはならない決まりのようだ。この二人を見ていると、態度の太さは圧倒的に麻生氏に軍配が上がる。

第2次安倍内閣発足以来3年も同じポストに居続けているのは麻生氏だけとのこと。官僚連中の大臣操縦術もいろいろあると思うので、まさかと思うが、麻生自身「安倍でさえ2度も総理が出来たのだから」とか「米大統領民主党候補のサンダース氏は74歳だそうだ」なんて思ってとんだ勘違いもしているかもしれぬ。他の大臣は入れ代わり立ち代わりだが、今日あたり見ていると、誰一人大臣らしい風格を備えた人物が見当たらない。正に田舎芝居を観る思いであった。

特に今日は安全保障関連質疑が皆無だったので、高市氏、丸川氏、島尻氏の三女性閣僚が入れ替わり登場したが、これがまた酷過ぎる。特に高市氏と丸川氏に関して言うと、答弁のご粗末さ以前に不貞腐れた目つきが何ともいやらしい。ネット上で高市氏のことをナチスのゲシュタボ姐さんと書いてあったのを見て、上手い喩えだと笑ってしまった。総理自身が己のポストを北朝鮮の総書記と同様…

北朝鮮、厄介かもしれぬが

昨夜から朝にかけて激しい雨が降ったが、昼になるとまるで花見時期のような陽気になった。これで明日から一気に気温が下がると言うのだから、抵抗力が無くて変化に対応力の弱い年寄りは容易じゃない。しかし、天気に文句を言っても始まらないので、素直に我慢しているしかなさそうである。

天気も当てならないが、世界情勢なんて奴はそれ以上に分かり難い。老人国家日本も、年寄りらしく大人しくしていれば善いものを何を勘違いしたのか、世界各国と連携してとか言って妙に燥いでいる風情だ。卑近なところで対北朝鮮対応である。毅然として厳しい独自の制裁を発動なんて仰るが、どんな意味があるのか。素人目にはっきり分かるのは「拉致被害者交渉の挫折」だが、当然と思いきや、政府は「対話の窓口は閉ざさず粘り強く交渉を続ける」とのこと。

聞いて頭が混乱してくるのは、こちらの頭が余程悪いか、矛盾したことを喋っても意に介さない、或いは聴いてそのまま報道するマスコミが悪いのか、当然ながら後者が悪いと思っている。第一、世界各国と連携なんて言っても米韓両国であり、肝心の中国とは岸田外相が先方の王毅外相と何度連絡を取ろうとしても出てもらえないと報道されている。中国との意思疎通を欠いた状態で毅然たる独自の制裁をした結果が北朝鮮側の調査委員会解散である。

独自制裁が北朝鮮側にいか程のダメージを与えるかは分からないが、我が国にとっては何のメリットも無い。しかし我が国への跳ね返りがこんな形になることは幾ら馬鹿でも分かる筈。事実政府発表も、この反応は想定の範囲内とのこと。内閣の最重要課題と位置付けている「拉致問題の解決」より重要な課題が他にあると言う理屈になる。ここにも大きな論理矛盾があるが、家族会の方もはっきりとは言わないのか、言ってもメディアが取り上げないのかだろう。

安倍総理は年寄りではないかもしれぬが、日本は経済的にも歴史的にもかなり成熟した国である。外交面でいつまでも若造のような振舞いばかりするのでなく、例え相手が嘗ての戦勝国であろうと未開の野蛮人国家であろうと、それなりの風格を持って落ち着いた行動をとれないものか。頭は生きているうちに使ってもらいたい。

読後感「さらば、資本主義」佐伯啓思著

著者は東大出のバリバリ経済学者でありながら、現在自らを社会学者と位置づけて、単に経済問題に留まらず、もっと広い角度から社会を分析して雑誌なども含め情報を発信している。本書は「新潮45」で一昨年10月号から昨年9月号までに掲載したものを纏めて編集されたものであった。従って第2次安倍内閣が絶頂期にあった時代に執筆されている。

ここに来てアベノミクスが少し変調をきたしているようだ。その原因理由については諸説飛び交っていて、素人はどれが正しいか全く判断できない、安倍総理やその周辺では変調をきたしていること自体を認めていない。しかし批判する側は政策が根本的に間違っていると指摘するが、その説明に及ぶと専門的すぎてとても理解できなくなる。ところが今日本書を読んで、その理由が見事に分かったような気がする。経済と言う素人には難しすぎる分野について、素人にも非常に分かり易い文章になっていることを第一に評価したい。

本書ではアベノミクスの3本の矢にも勿論触れてはいるが、それが本論ではない。本論は19世紀以降資本主義が如何にして誕生し、それが人類にとって如何なる貢献をしてきたか。そして最終的に現在に至り、人類にどんな影響を及ぼしつつあるかがメインテーマになっている。手っ取り早く言えば、資本主義は基本的に供給者の論理であり、自由と効率性を追求する経済成長によって人類の繁栄に寄与してきたが、人間社会がほゞ欲しいものを手にしてしまうと、後は貧富の格差が拡大するのが必然である。

従って19世紀末の西欧諸国とか大戦後の日本に於いては有効に機能したと言える。しかし現在の日本のように欲しいものがほゞ充足されてしまうと、資本主義の経済成長理論で需要を喚起することは出来ないとのことである。更に著者が指摘するのが経済学の限界と言うべきもので、インチキとは言わないが、アメリカの経済学者が数学的に人間社会の生態を分析できるとしたことに無理があると指摘する。因みに経済学は社会学の下位に位置付けるべきとのこと、嬉しくなった。

そして「トマ・ピケティと福沢諭吉が示す、経済と文明の禍福」との1章を設けて著者は東大の出身でアメリカの大学で教育されたにもかかわらず、現在有名なフランスの経済学者と並んで福澤先生を引き合いに出されたことには少し感激した。「文明論之概略」からの引用が主であるが、国家の独立を言い、思想哲学の重要性…

紀元節

気温は低いが陽射しは春だ。建国記念日の祝日で休日、若い家族がお出かけには最適だろう。娘が義母の申告を助けるために横浜まで出向くとのこと、併せて婆さんは孫の子守りと称して朝からいそいそと実家にお出かけ。こちらは置いてきぼりでのんびりしている。

今日が何故建国記念日か分からない人も多いだろう。小学校ではどんなことを習ったか記憶が無い。改めて調べてみると建国記念日が定められたのは1967年(昭和42年)だから知らなくて当然、我々の時代は未だ紀元節であった。こちらも特に何か教わった記憶はないが、古くから神武天皇が即位した日に当たるとされてきた。個人的には神話に基づく記念日のままにして置いてもらいたかった。

現在、日本の歴史教育が国家的にどのように行われようとしているか承知していない。少なくとも中学時代に「歴史」の時間があったような記憶が無い。高校には日本史と世界史があったと記憶するが、大学受験を世界史選択にしたので日本史については授業を取っていたかどうかさえ記憶が無い。そのせいでもあるまいが、多分多くの国民同様、日本の建国が果たしていつなのか、教えてもらった記憶が無い。

倭国は3世紀末には存在したらしいが、日本が認識できるのは7世紀後半の天智天皇前後あたりかなと、勝手に思っているところである。何れにせよ、歴史は起った事象が、時間軸がある中で、文字として残っていないと、歴史とは言えないらしい。幸い7世紀後半に書かれた文書(古事記とか日本書紀など)は残っているので、明治時代の先人はその文書に基づいて「日本」の紀元を今から2676年前の2月11日と決めたのだろう。

神話に基づくものでも分かり易い話だ。それを1967年になって急に「建国記念日」なんて言いかえるからややこしくなっている。紀元節は神話に基づく一種のお祭りとして国民に浸透していたと思う。それはそれで善いではないか。国の歴史上「日本」がいつ世界史上に登場したかは別の問題で、これも国民共通の認識があった方が良いだろう。日本にはどこかの国のように、血なまぐさい戦争の末の建国の日なんか初めから無いのである。

これまた余談になるが、歴史は近現代史が重要だと思う。しかし近現代史でさえ、隣国同士が話し合って、互いの国史を標準化しようなんてことは土台無理だと思う。日本人は日本の歴史を大事にすべきだ。

人の素質と行く末

高梨紗羅選手のスキージャンプW杯10連勝、松山秀樹選手の米国ツアー(フェニックスオープン)での2度目の優勝とプロスポーツ界で活躍する日本選手の活躍は、ニュースを聞くだけで嬉しいことだ。プロスポーツは一種の天才、素質を持った人材が、努力に努力を重ねて競い合い名を成すことができる世界の筈で、個人的には無縁の世界ではある。しかしスポーツからかなり遠のいた年齢になっても、著名な選手の言動から学ぶことは沢山ある。

勿論、プロの選手が全員聖人君子とはいかず、時に残念なことが報じられることもある。今回の清原事件が典型だろう。芸能界やプロスポーツ界には蔓延していると言われる覚せい剤、彼が逮捕されたので安心したのかどうか。いろんな人がいろんなコメントをしている。序でに言えば、時々報じられる賭博疑惑、これも関与している人間が多いだけに、芸能界とプロスポーツ界では相当な人数が知って知らぬ振りをしているだけだろう。従って、余り真面目に聞く気も無いが、聞いたにしても共感を覚えたり、成程と思うところは無いだろうと思っていた。

清原事件は幾ら報道されても視聴者、読者にとっては何のメリットも無い。流石のテレビでも青少年のインタビューが放送されないのはせめての救いだが、報道が多くなればなるほど青少年には悪い影響が出るばかりだろう。これも序での話で恐縮だが、テレビが川崎の中学1年生(上村君)殺害事件裁判に関して連日報道を繰り返すことも大いに不満を感じている。共に社会にとってどんなメリットがあるのか?何ら救いが無いと感じるだけである。

清原も川崎の犯人もある意味で人生の落伍者だ。暗い話は出来るだけ簡単に済ませてほしい。彼等を鞭打つ暇があるなら、マスコミは司法関係者が何故甘利事務所や遠藤事務所に踏み込まないかを追求すべきだ。国会が司法に代わったような下らぬ論議を繰り返していることこそ疑問に思う。

そんな訳で清原事件に関してブログで触れるのはしまいと思っていた。ところが先ほど元ヤクルトスワローズ監督の野村克也氏の週刊朝日に掲載されたコメントを読んで、気が変わった。野球にそれ程の興味はないが、野村氏には何となく共感を感じることが多い。氏は清原の天才を認めた上で、野球にも思想、哲学の必要性を指摘し、若い時(西武時代)の指導者にアドバイスしたことを述べている。

スポーツの世界に限らないと思うので一部引用したい。

8日発表NHK世論調査

寒に入ってから外出の時ずっと手袋をしていたが、今日の昼間は手袋要らず。昼食後池袋からの帰路30分強歩くと、うっすら汗さえかいていた。天気予報によれば今日を限り束の間の暖かさらしいが、それでも春を感じることが出来て嬉しい日だった。

昨夜見た最新のNHK世論調査では相変わらず安倍政権への支持率が向上して、不支持率が下がっている。そりゃそれで仕方がないが、経済政策を支持する人が多いことは少し意外だった。経済性政策と直接関係ない貧乏人が言うのも変だが、現政権の経済政策はアベノミクス路線。即ち[大規模な金融緩和・拡張的な財政政策・民間投資を呼び起こす成長戦略]のことだろう。[新3本の矢]は目標を掲げただけで政策ではないらしい。

何れにせよこの政策の恩恵に与って、政策を良しとする人がこんなに多いとは思わなかった。昨日も書いたが日本は治安が良いし、少々の地震でマンションが倒壊するなんてことも想像しにくい。住みやすくて良い国だが、将来を考えた時にこの政策で明るい展望が開けるようには思えない。今日たまたま読んだある経済評論家近藤駿介氏の言い回しが面白かった。

先月末、日銀黒田総裁がマイナス金利に踏み込む1週間程前に国会で「重要なことは中央銀行の物価目標への強いコミットメント、何でもやるということだ」と豪語したことに対する批判である。確かに聞いたような覚えがあって、その時には意味も分からず格好いいことを仰るもんだと思った。近藤氏はそのコメントに対し「目標達成に対して間違った方向に向かって<何でもやる>のでは意味がない。」とのこと。近藤氏に言わせると「大阪に行くのに東北新幹線に乗っている」とも言っている。

どちらの言い分が正しいかは素人には判断できないが、安倍政権が日銀に対して指示を出していることだけは明らかである。マイナス金利を決めた日銀政策決定会議で票数が5対4と2分されていたことが明らかになっている。と言うことは近藤氏の論理に組する専門家もいることになる。黒田氏は当初から「異次元のこと」と言っているのだから仕方ないかもしれぬ。

政府にしてみれば、日銀による金融政策は3本のうちの1本だから、他にも手の打ちようはあるのだろう。昨夜の世論調査のように多くの国民に支持されているうちに、我が子や孫のためにも、早いとこ実質賃金が上がるよう手を打って頂きたい。

母の想い出

相変わらず寒い日が続くが、今暫くの辛抱で花咲く春がやってくる。特に今年はNHK大河ドラマ「真田丸」が当たっているとのことなので、上田城を抱える上田市民が春を待つ気持ちは一入だろう。花見のため列車で旅行するほどの風流は普段持ち合わせないのだが、久し振りに訪ねるのも悪くは無い考えだ。日本の観光資源が国際標準に照らしてどの辺に位置するか分からないが、毎年咲く花を只見るためだけで、大勢の市民が国内を旅行するなんて国はそうざらには無いだろう。

昨年は外国からの観光客が1千万人を軽く突破したと聞くが、結構なことだ。訪日の目的はいろいろだろうが、日本が安心して観光できる数少ない国であるのは間違いなさそうだ。夏にオリンピックが開催される予定のブラジルなんぞ、政府自身が「出来るだけ妊婦は来ないでくれ」なんて言い出す始末だ。そうでなくても、いま安心して観光旅行に出かけることができる国は何処だろう?

行く気も無いのにこんなこと考えても仕方ないのだが、今日は亡き母の誕生日であること思い出して、供養代わりに母の思い出を少し書く。母が晩年最も楽しみにしていたことは旅行だったと思う。最晩年は斎藤茂田夫人の輝子さんのようにはいかなかったが、それでも少なくとも小生の現在年齢75歳くらいでは未だ海外旅行に行っていた。勿論国内旅行も好きで、基本的に遊びまわるのが好きだったと言える。

血筋は争えず、孫にあたる娘の一人にまで遊び好きは受け継がれているが、我が世代からは外国旅行は苦手のようだ。第一今外国旅行なんてどこがお薦めポイントなんだろうか。欧米先進国は貧富の格差が拡大して治安が不安の上、テロの危険性がある。中東から地中海沿岸の古代遺跡を持つ国の大半は紛争地域そのものと勝手に思っているが、当たらずともそう大きく間違ってはいないだろう。母だったらどう思うだろうか?「経済封鎖が解かれるキューバへでも行きたい」なんて言い出しかねない。

あれこれ考えると、格差拡大が問題視されつつある日本であるが、どの町に行っても足を踏み入れてはいけない場所や時間が特にある訳でもない。北朝鮮のロケットが上空を通過するだけで大騒ぎはするが、未だ平和そのものだ。婆さんは「亭主元気で留守が一番」だそうだ。期待に応えて少しは旅行でもしよう。

目の付け所

安倍政権は日本がデフレ状態から脱却しつつあって、働き口が増えて失業者が減り、勤め人の給料も良くなりつつあることを強調している。一方国会では野党の先生方が「嘘でしょう」みたいことを仰る。これに対する決まり文句は「先ず経済を成長させてパイを大きくしないことには、庶民にまであまねく恩恵を及ぼすことができないから、庶民は今暫く待ってよ。」これで既に3年が経ってしまった。

そのパイも民主党政権時代に比べれば大きくなりつつあるようなことを言うが、先日来国会やテレビ討論を観ていたりすると、それも少し怪しいらしい。安倍さんの強気の姿勢は変わらないようだが、段々政権側の答弁が苦しくなりつつあるのが明白だ。先週の予算委員会質疑を観て思うのは、野党の質問者が若くて溌剌としているのに対し、答弁に廻る与党の先生は年齢的にも少しお年寄りで、防戦一方で何よりも疲れて見える。

どっちの言い分が正しいかは別として、「経済を成長させる」について考えてみたい。経済の70%は個人消費だそうだから、個人の消費する金額が伸びないことには経済が成長しないことになる。その個人であるが、給与所得者の6割が中小企業勤務らしい。政府とすれば大企業の商売を助けることで、その下にいる中小企業の仕事も増えるだろうとの思いらしい。しかし天下の大企業の経営者はビジネスに関して政府の支援なんぞ当てにするものだろうか。

金融機関が潰れそうになった時政府に助けてもらった、てな話は聞いたし、シャープとか東電とか半導体メーカーのどこそかとか、おかしくなりかかっている大企業に政府が関与することも仄聞する。しかしビジネスが真面に動いている大企業は政府関与なんか本気で相手にしないだろうし、支援も期待しないだろう。経団連が政府与党に年間数百億円の寄付をするしているのは、繁華街の飲食店が万万が一のため地回りの親分にみかじめ料を支払うのと変りは無いようにも思える。

だからだと思うが、日本の経済は急成長した中国となんか勿論比較にもならないが、アメリカやヨーロッパの先進国が過去20年で2倍近い成長を遂げているのに、少しも成長をしていないのだそうだ。確かにちょっと考えればすぐ納得できる。過去20年でなくて10年でもいい、日本で新たに生まれた企業、産業にどんなものがあるだろう?経団連に象徴される財界がどのように変化しているか。殆ど何も変わっていないだろう。

大人に憧れた少年時代

昔のことを思うと、小中学生時代は声が大きく小生意気ではあったろうが、チビで運動は何をやっても人並み以下、勉強は中くらいだったろうか。休み時間の遊びで相撲は勿論出ると負け、掴み合い取っ組み合いの喧嘩の真似事でも勝った記憶が無い。学校ではそんなに大きな顔が出来なかったが、放課後と休日に遊ぶことにかけては相手構わず相当リーダーシップを発揮していたと思う。

従って友達には不自由しなかった。高校に入学して近郷近在多くの中学からの生徒が混ざり合う環境になると、この傾向に拍車が掛かって友達は増える一方となる。お陰でお勉強は反比例してつるべ落としになったが、3年生になる頃には同期の生徒約400人はもとより、上級生や下級生にも相当顔が売れていたと思う。そうなると偉そうな顔をしたくなるのが人情かどうか、兎に角できるだけ大人っぽくするように努力したように思う。

所謂でかい面をするためにはそのくらいの見栄は張らねばならない。なんでそんな風になってしまったのか未だによく分からないが、18歳前後でそんな少年であったのは事実だ。真面目な学生が多い我が母校にでは、平たく言って不良グループの一員だったと言える。不良と言っても名誉ある県庁所在地の県立高校だから一風変わったルーティンがあった。毎日のように放課後何人かが集まって近くの裏山に続く道をマラソンの真似事で走り、女子高のグランドを見下ろす丘の上で今で言うストレッチをするのである。

多くの運動部が似たような放課後のトレーニングをしているので、彼等に負けまいとの意識も働いていたと思う。運動部だと怖い先輩がいたりするが、こちらは同期生ばかりで気心知れている、当初はきつくて大変だったが、いつの間にかついて行けるようになった。これについてはかつての仲間に改めて感謝したい。さて、その後のルーティンである。女子高のグランドを見下ろして手を振って見たり、車座になって下らぬ猥談とか愚にもつかぬことを喋りながら、誰かが持参している煙草を一服するとしたものだった。

これも大人びた振る舞いの大事な要素と思って手にしたが、家で喫えないので習慣にならずに済んだ。友人仲間でそんな見栄を張っていると良いこともあるが、不都合もある。仲間がいるので校内で喧嘩を売られたり上級生から締められることは殆ど無かったが、何処の学校にも似たようなグループがあるので他校の生徒と喧嘩になったこと…

マイナス金利?

寒明け10日と言うから、これから10日間ほどが最も寒い時期になるのだろう。考えようではあと10日程度の辛抱で春を感じさせてほしいが、果たしてそう上手くいくかどうか。兎も角今日も大分寒い。最近は段々ものぐさになって、池袋まで歩くことすら億劫になりつつある。昨年8月、それまで週末利用していたプールをやめて、週末運動のため近くのジムに入会した。事務所から100メートルも離れていない場所なので、平日も池袋まで歩くのをやめて、ついそちらに足が向いてしまう。

冷たい空気を吸いながら、人混みや信号、自転車との衝突などを気にしながら外で歩くのと、暖かい部屋の中で軟らかなゴムベルト上のバーチャルな歩行では心身への負荷が大分異なると思うが、どうしても安逸に流れてしまうのは我ながら情けない。しかも歩行マシンなる奴にはテレビがセットされていて、運動中はテレビを観ていられる。今日も昼に歩かなかったので午後ジムに行ってバーチャル歩行しながら、国会中継を観ていた。

衆議院の予算委員会で久し振りに民主党の前原誠司氏の質問だった。質問内容は日銀総裁に対する金融政策関連が主たるものであったことははっきり覚えている。しかしこのやり取りに関して、殆ど内容を理解することが出来ないことが残念である。前原氏は現在の日銀の低金利政策は円安と株高誘導には効果があるかもしれぬが、国民の資産を掠め取る結果になっているとの主張。黒田総裁は、このことが経済の活性化に繋がり、ひいては実質的に国民所得も増えて健全な物価上昇へと繋がりつつあるとの主張。

どちらの言い分も生活実感から縁遠い話なのでピンと来ないし、理屈も理解できないのが正直なところ。強いて言えば黒田総裁の言い分の方がより解りにくい。黒田氏は中央銀行の特殊性を強調しているのだろう、さかんに諸外国の中央銀行の政策例とか世界的な標準を持ち出していた。前原氏の方は何とか日本の話に引き戻そうと努力はしていたようだが、黒田氏は日本のことについて殆ど無視しているような感じだ。

素人の感じだから的外れで、黒田氏もきちんと日本のことを踏まえて答えていたのかもしれぬ。何れにせよ、安全保障関連の話なんかと比較するに、経済問題は我が国も世界各国と密接不可分の関係にありそうだ。それだけに理解するのが難しくなるのは仕方が無かろう。そこにいくと、北朝鮮の衛星打ち上げ予告に対して自衛隊が、射程3…

格差の拡大は日米共通?

好き嫌いは別にしてアメリカはおかしな(?)国だ。仕組みを完全に理解できていないのだけれど、11月末が最終とされる大統領選挙が始まっていて、何でも最初の州(アイオワ)での民主・共和両党の予備選(投票権を持つ党員の人数を確定するものらしい)が行われた。この結果、両党ともに上位に選出された人について興味が湧いた。民主党で2人、共和党で3人が報じられたが従前から名前を知っていたのはヒラリー・クリントン氏とトランプ氏の2人だけ。ブッシュ一家のジェフ氏は名前が出てこなかった。

そんなことはさて置き、民主党候補でヒラリー氏と殆ど引き分けたサンダー氏と、共和党でトランプ氏を抑えてトップに立ったクルーズ氏は双方共にかなりユニークな人らしい。未だ小1年も先のことだから、この結果がどのような意味を持つか分からないが、民主党サンダーズ氏は「私は社会主義者だ」と公言してはばからないお年寄りらしい。共和党クルーズ氏は正反対で、トランプ氏以上に極右的な発言が続いているとのこと。

昨夜の「報道ステーション」(テレビ朝日21:54~)の解説(立野純二氏)によると、与党支持者を含め国民の大半が政府に対して満足できていないことを表明していると見る。その理由は、格差が急速に拡大して、社会の中核をなしていた中間層が徐々に下層化傾向にあることだ。これを聞いて日本のことを言っているのではと耳を疑った。しかし飽く迄アメリカでの話である。アメリカに於ける格差の拡大がどの程度なのか知らないし、政府の対応も知らない。しかし我が国の格差拡大がかなり深刻化していることについては、政府は認めていない。

国会でも野党はしきりにその見解の違いについて質すが、マスコミが自ら調査して真剣にその質問を解明しようとする姿勢は見当たらない。勿論政府の言い分はそのまま報道されるので、ある意味ではこれを肯定する結果になっているようだ。その割には貧困家庭で頻繁に起きる悲惨な事件を熱心に報道するばかりだ。他方実生活では、いろんなご商売の方から「最近どうも調子が悪い、景気が悪いのでしょうかね。」との話を聞くことが多くなっている。たまたま昨日観たテレビ東京の「お宝鑑定団」でも驚いた。お宝を持参した参加視聴者から「生活費の足しにしたい」とか「帰りの電車賃を期待したい」とか「倅に借りた3万円の借金の返済に充てたい」とのコメントが相次いだのである。

この…

日本人論

欧米には己のルーツを探ることに熱心な人が多いと聞く。日本にもたまに先祖は源氏とか平家とかルーツを誇る人もいるが、それを聞いている方は「だからどうした」と、比較的冷淡なようで、むしろ日本人の特徴は、「日本人とは」なるテーマを振りかざすことが好きなようで、小生もその例に洩れない。日本人の場合ルーツを辿れば、殆ど全員が僅か2000年で伊邪那美・伊邪那岐の2神になってしまうのでは面白くないのだろう。

日本人が日本人論を弁ずるのは世界でも珍しいらしい傾向らしい。外国事情には疎いが、アメリカやカナダで、「アメリカ人とは」とか「カナダ人とは」と自問するような作家や識者は少ないようでもある。確かに、数千万人とまで行かずに数百万人でもいいが、国民なる集団を○○人と一括りのしようと言う方が無理かもしれぬ。しかし日本では、小生もそうだったが、日本人は先ず単一民族との思い込みがあった。

最近はお相撲さんの例ではないが、帰化した外国人も増えているし、西洋人や黒人のような顔つき肌の色でありながら、日本語しか話せないスポーツ選手や芸能人も増えている。勿論逆もまた真なりで、外見は全く日本人でも日本語が話せないスポーツ選手もいる。社会に出てから徐々に二重国籍の人が大分いることに気が付き始めてはいたが、最近テレビで目の当たりにする世相から、やっと日本人=単一民族が間違った刷り込みであったことに思い至った。

異民族間の混血は何も昨日や今日に始まったことではないだろう。時代によって多少の差はあっても、何千年もの間延々と繰り返されてきている。1億2千万人強の国民が僅か2千年前には、たった2人(神?)の男女で、異民族の血統が入っていないと素直に信じ込んでいた自分は可愛いものだ。これからは「日本人とは」に興味を抱くのもいいが、もっと違う角度から日本社会を見て行きたい。

これから本論を書こうと思ったが、前振りが冗長になったので日を改める。こんなことを書く気になったのは、安倍内閣の支持率が先週末に上昇しているとの報道に接したことにある。

アベノミクスで採れた果実

先週小学1年生の孫がインフルエンザで学級閉鎖になったとのこと。何でも35人かそこらの学級で9人も罹患者が出たらしい。孫も掛かったらしいが、39度の高熱を発したて医者に行ったら、何とか言う薬(タミフルより強力な新薬らしい)を吸引して一晩で回復したとのこと。早くに治ったのは良いが、婆さんが「何で予防接種をしないんだ!」と娘を叱ったとのこと。

この話を昨日床屋でしたら、同じように幼児二人を抱える若旦那曰く「そりゃ娘さんに気持ちも分からぬではないですよ。何と言っても子供の予防接種は2回受けなきゃならんのです。私も3年ほど前にインフルエンザになってしまいました。うちは客商売ですから、今年は家族4人全員一応受けましたがね。」更に詳しく聞くと、予防接種の料金が1回につき4千4百円とかで、子供と大人併せて6回分の支出は馬鹿にならない金額だ。

娘ならずとも躊躇する気持ちが分かったような気がした。昨日の夕食の話題はこれで、高齢者の我々は2千2百円で済んだものの、子育て世代の若い人達の苦労は大変だと言うことになった。アベノミクスの効果で予想外の税収があったと政府は言う。それを果実と称して低所得とされる老人に一人3万円ずつばら撒くそうだ。我が家も低所得なのでひょっとしたら貰えるかもしれぬなんて、さもしい根性が無いと言えば嘘かな。

政府の言うことは無茶苦茶だが、仮に本当に果実があるなら、還元すべきは年寄りではなくて、若い人たちだろう。百歩譲ってインフルエンザ予防接種の補助金でもいいではないか、との結論となった。